雨の出雲大社から米子・境港・倉吉へ

2017年11月23日
今日の夕刻から明後日の午後まで鳥取市です。昨日、羽田から島根県の出雲(縁結び)空港に入り、出雲大社を見学したのち米子(鳥取)で1泊。おいしいイタリア料理を堪能し、今日は境港→倉吉経由で、夕方こちらに入りました。米子も境港も前々から行ってみたいと思っていたところなので、願いがかない大満足です。

DSC04653出雲大社を訪れた昨日はあいにくの雨。天気がよければもっとすがすがしい気持ちになれたでしょうが、残念なことをしました。境内は歩く距離も長いですし、気温も低かったので、足の傷がまだ完全に癒えていない家人には辛かったはず。ホテルを予約してある米子に行く途中、展示作品だけでなく庭園も美しいと評判の足立美術館に立ち寄る予定を組んでいましたが、こちらも省略。雨の中、滞在見込み時間が1時間足らずとあっては、致し方ありません。

DSC04677  IMG_2495

米子は商業都市で、同じ鳥取県にあっても、城下町の鳥取市とはまったく趣が違うように感じました。タクシーの運転手さんは「ざっくばらんなところがあって、ストレスがたまりにくい町」と。商業都市ですから、学歴がどうのとか、家柄がどうのといったことなど、気にしてなんかいられません。なんだかんだ言っても、最後は「お互い様」といった感じでしか商売はできないということなのでしょう。

城下町はその点、くたびれます。本音と建て前を使い分けなければならない場面も多いですし、言葉には出さずとも、何かにつけて学歴やら家柄が取り沙汰されます。いまどき殿様も家老も足軽もいないのに、そうしたレベルのことが、ぼんやりとではありますが人々の意識に巣食っているフシがあるのです。それが上から目線のものの言い方や態度になってあらわれたりするのでしょう。そのため、相手と「素(す)」で付き合うのが難しいのです。詳しく拙著『城下町の人間学』をご参照ください。

その米子で昨夜入った店は洋風居酒屋の雰囲気でしたが、客の入りがすこぶるいいのです。食べたものはどれもおいしく、店員さんもさわやかで愛想よし。また行く機会があったら、ぜひ足を運んでみたいと思いました。

今日はその米子から、境港。途中、左手を日本海、右手を中の海にはさまれた立派な国道を走るのですが、そこから見える大山の素晴らしいこと。ずっと以前のことですが、拙著『新 出身県でわかる人の性格』に、1年を通じて、それも朝から晩まで、立派な山を目にしながら育った人はすがすがしい性格を持つようになる“と記したことがあります。そこで例に引いたのは青森の岩木山、岩手県の岩手山、富山県の立山、そして鳥取県の大山です。

最初の3県は、その県出身の知人・友人がいたので自信を持って名前を出したのですが、鳥取県の大山は正直言って推測の域を出ていませんでした。しかし、昨日から今日にかけて、大山を見ながら日々暮らしている人たちと接する中で、私が書いたことも間違いじゃなかったと安心したしだい。この時期の大山は頂上付近が少し雪をかぶっており、いっそう美しい姿を見せてくれました。別の機会にまた訪れてみたいと思います。

 

DSC04683境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるの生まれ故郷ということで一躍有名になった町。ただ、秋冬のカニ以外、『鬼太郎』しか売りがありません。でも、市民はそれを強力なバネにしている風で、『鬼太郎』に徹しています。店の名前もメニューも、お土産品のコンセプトも、すべて『ゲゲゲ』であり『鬼太郎』であり、『水木しげる』なのです。ある意味潔く、よそ者であるこちらも、「だったら、それに乗っかっちゃおう」という気分にさせられました。インバウンドの外国人観光客となるとそうは行かないでしょうが、日本人の、ある年齢から上の人たちは私たちと同じような気持ちになるにちがいありません。

DSC04686 IMG_2511

IMG_2499 IMG_2517 DSC04681 IMG_2540

境港をあとにし、次に向かったのが倉吉。倉吉は、私がプロデュースさせていただいた『人生 八勝七敗』の著者で大相撲・尾車親方を育てた横綱・琴櫻の生地。横綱の記念館もあると聞いていたので、そこにも行ってみたいと思っていました。

IMG_2560

DSC04710小さくも古い城下町で、いまも県内では第三の都市です。といっても、JRの駅に近い現在の中心街とは、玉川を隔ててけっこう離れたところに、城とその周囲の町(琴櫻記念館もその一角にある)があったらしく、川沿いに並ぶ白壁土蔵群は落ち着いた観光スポットになっています。

 

 

玉川に架かる石橋、由緒のありそうな古刹や酒蔵、赤い石州瓦に白い漆喰を塗った壁が特徴の家々など、江戸・明治期の面影が色濃く残っており、落ち着いた風情がかもし出されていました。

DSC04706そうした中、面白いと思ったのは大蓮寺。1300年ほど前に創建された大蓮寺が起源とされ、いまから450年くらい前に近在の3寺を統合、現在の地に伽藍を建立したものの、1942(昭和17)年に解体されてしまいました。それが、1955(昭和30)年に鉄筋コンクリート造りのユニークな本堂として再建されたのだそうです。クリーム色の外壁は周囲の街並みとはまったく異質で、「えーっ。何、これ?」とだれもが驚くことでしょう。淀屋清兵衛(江戸時代前期、商都・大阪を築いた豪商)ゆかりの寺としても有名なようです。

ひととおり散策したあと、最後に「旧国立第三銀行倉吉支店」の1階にあるカフェでひと休み。天井の飾りや階段などの建具が1908(明治41)年の建築当時のままだそうで、なんとも言えない落ち着きを感じさせてくれました。

DSC04719