月別アーカイブ: 2015年5月

泣く子も黙る? 中国共産党の建物に入りました!

2015年5月29日
今日が実質的には北京最後の日。昨晩は雨が降ったせいか、空気が心地よく湿っています。空も今日は心なしかガスが薄いようで、薄日も差しています

Photo_10午前中は洗車場で車をきれいにしました。場所は「唐人街(CHINATOWN)」と名づけられたところの近く。北京になんで「唐人街」があるわけ? と首をかしげたくなりますが、この一帯は「古き中国・古き北京」を思わせる街並みを保つよう義務づけられていて、建築物もそれに合わせなければいけないのだとか。


L1020642_2そのため、洗車場も写真のような趣。北京でどんどん店舗網を拡大している「月福」というカーケア・カー用品のチェーン店なのですが、雨の翌日とあり、えらくにぎわっていました。

近くのホテルでコーヒーを飲んだあと、「中国共産党対外連絡部」に向かいます。このころからやっと太陽が姿をあらわし始めました、北京に来て4日目、初めて見るお日さま。やっぱりうれしいですね。

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そこからメインストリートの長安街へ。北京の銀座=「王府井」を過ぎたあたりは各種の国家機関、一流ホテル、テレビ局、航空会社、統制経済の時代から続いているとおぼしきオールドタイプのショッピングモール、北京站(駅)などが並んでいます。建国門を抜け、
長安街からちょっと北に入ったあたりにありました! 「中国共産党対外連絡部」の立派な建物が。厳重な警備で、写真を取るのもはばかられる雰囲気です。そこで担当の方と打ち合わせるのですが、時間が時間でしたから、ランチミーティングのスタイルになっていました。庁内にある会議室にしつらえられた大きな丸テーブルを囲みながらの会合で、メニューは写真のとおり。味はどれも上々で、打ち合わせも順調に進みます。すべて無事終わったあと、建物1階のホールで記念の写真を撮ってもらいました。しょせんはミーハーな私ですから。

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次に行ったのは、空港にほど近いエリアにある介護ビジネスを経営する会社の新本社といいますか、なんとも説明し難いところ。いま造成中で完成間近な庭の奥に社屋──といっても木造一軒家風の建物があり、そこでのミーティングです。

L1020662床から天井までびっしりと茶道具を並べた棚があり、その前で中国茶を点てていただきながらの話し合いがひと段落すると、庭にてブレークタイム。7000平方メートルの広さだそうですが、完成したらさぞかしといった感じがします。

そうこうしているうちに夕食の時間に。広いダイニングルームで、今回口にした料理の中では最高の食事をいただきました。15人がゆったりすわれる巨大な丸テーブルに、この夜は12人。驚いたのは、そのテーブルがゆっくりと回転していること。食べ物を取るために皿に箸をつけると、自動的に回転がストップ、取り終えるとまた回り始めます。メニューは全部で20品だ近くあったでしょうか、次から次へテーブルの上に並べられ、空っぽになるまで片づけられることはありません。

この夜、生まれて初めて、「カンペイ」といいながら、お互い「さし」でグラスを空ける中国スタイルの酒を経験しました。中国の宴会は日本と違い、最初に全員で「乾杯!」ではないのです。途中、折あるごとにだれかが席まで寄ってきてグラスを差し出すと、「カンペイ」の誘い。こちらも椅子から立ち上がり、グラスを合わせて一気に飲み干して「シェーシェー」とお礼を口にして終わり。原則的にはこれを列席者全員と1回以上おこないます。途中、話の流れで、隣どうしでの「カンペイ」もあり、今日は薬用酒で14杯、ワインを2杯、パイチュウを3杯飲み干しました。ワイン以外は小さなグラスでしたので、ひどい酔い方もしないで済んだ次第。よかったです。

3日続けて空にはガスが……これではせっかくの北京も

2015年5月28日
昨夜に続いて、朝はフロントで“セルフプリント”。何せ、スタッフの女性を起こしてあげたくらいなのですから。まあ、考えてみると、お気楽なホテルで使いやすいということですが。

 

今日は観光。ガイドをお願いした劉さんとロビーで会い、出発。空は昨日と同じく晴れなのにガスのため、遠くの景色はほとんど霞んでいます。空気が澄んでいたらどんなにきれいだろうかと思うと、なんとも惜しまれます。

 

Photo_3予定では、午前中が頤和園、午後は故宮(紫禁城)。頤和園では、そのスケールの大きさに驚きました。たかだか一人の人物(=西太后)のためにここまでやるかと思うほど、至れり尽くせりの設計と配置、しかもそのいちいちに工夫がほどこされています。たしかに、夏の宮殿という触れ込みですから、いかに暑い思いをさせないかということが大きな目的ではありますが。そのために空気がよく通り抜ける長さ100m以上の廊下を作る、途中に休憩所を設ける、西太后専用の劇場を設けるなど、清朝の権力の大きさを改めて実感させられました。

 

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Photo_6昼食は「東方餃子王」というチェーン店で水餃子。東北地方のハルピン発祥の店で、えらく人気があるようです。餃子のイメージとはほど遠い、明るく清潔感いっぱいの内装が特徴で、オープンキッチン。たかが餃子なのにとも思うのですが、そのあたりにオーナーのこだわりがありそうです。

 

メニューはバラエティーにあふれていて、チョイスはガイドさんにおまかせでしたが、すべてGOODでした。「大拉皮」という、クズ切りを太く切ったもの(冷えています)の上にジャージャー麺でよく見るひき肉の味噌炒めとキュウリが乗っかっただけのシンプルな料理ですが、絶妙の味つけ。東北地方の家庭料理だそうです。

 

続いて餃子が3皿。中身は豚肉と白菜。こちらを平らげると、さらにニラと卵焼きを詰めたものを追加でひと皿。これだけで十分お腹は満足。
「餃子湯」(餃子をゆでたときの残り汁=そば湯と同じです)というのが店内に置いてあり、これは自由に飲むことができます。ラー油とおろしニンニクを適当に入れるとおいしいスープになります。

 


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腹ごしらえを済ませ、いざ故宮(紫禁城)へ。途中、テレビでしか見たことのない「天安門広場」「人民大会堂」を見て、紫禁城の北のほうにある駐車場でクルマを降ります。入場口がある南の午門まで、アンコールワットでもお世話になったトゥクトゥクというか、「リキシャ」に乗って移動。値段は交渉のようで、このときは10元でした。

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さて紫禁城ですが、これはもう超超超特大のスケール。ヴェルサイユ宮殿の敷地(1070ヘクタール)にははるかに及ばないものの72・5ヘクタール(およそ22万坪)。9999の建物があり、南北961メートル、東西753メートル、高さ10メートルの城壁で囲まれています。見るとキリがないので、この日は、皇帝が通った中央の通路を南から北に抜ける最短コース。さほどゆっくり観てまわったわけではありませんが、それでも2時間近くかかりました。

 

夜は宿泊しているホテルのレストランでNさん一行に合流、こちら側が主催の答礼宴でした。

“おふくろの味”で勝負するホテル

2015年5月27日
今回のホテルは、同行しているNさんサイドで手配してくださっています。朝食付きで1泊7000円ほどですから、ほとんど期待していませんでしたが、今日の朝食でその認識が間違っていることがわかりました。

 スタイルはいちおうビュッフェの体【てい】を取っています。しかし、並んでいるのはおふくろの味系のメニューがほとんど。ところが、これがけっこうイケるのですね。日本でいうならデパ地下の惣菜といった感じですが、どれを食べても体が癒される感じ。おかげで朝から箸が進みます。

唯一の欠点は、コーヒー・紅茶が用意されていないこと。「コーヒーは?」と係の人にたずねても、なかなか理解してもらえません。「そうか、いいかげんに発音してしまったからな」と思い直し、英語っぽく発音してみたのですが、やはり通じません。たまたま、彼女の脇にインスタントコーヒーの小さなパックが1個だけあったので、「これこれ」といったら、それしかない様子。では「ティーは?」と聞いてみましたが、これもアウト。「チャイニーズティー?」も×でした。

 結局あきらめたのですが、そのあとクルマでホテルを出発してから、北京在住の日本人に聞いてみました。「そうなんです。中国はコーヒーとパンはまだまだで」とのこと。そういえば、ビュッフェの片隅に、いかにも仕方なくといった感じで食パンとロールパンが置いてありましたが、ほとんど手つかずの状態で、見た目もパサパサでした。その近くにあった中華風の餅菓子(デザートですね)のほうがよほど食指が動きます。「中国人が朝飲むのは、牛乳が多いですね」という話に納得。たしかに、どのテーブルにも牛乳をなみなみと注いだコップを見かけました。

 ホテルを出て南西の郊外までクルマで移動。今日も、天気は晴れなのですが、空はガスでかすんでいます。途中、ディズニーランドのパクリで日本でも大きく報じられたことのある石景山というところを通りました。遊園地っぽい施設がいっぱい目につきましたが、「もう2、3年前につぶれましたね」とのこと。

 予想どおり道路の渋滞に遭いました。場所にもよるのでしょうが、ひどいところはまったくどうしようもありません。一口に「北京」といいますが、直径500キロにも及ぶ広さだそうです。東京ら京都までの距離ですから、「えーっ!?」ですよね。それはクルマも要るでしょう。人口も2000万を越えるというのですから、通勤も大変そうです。

Photo_11 帰りはすんなり中心部に戻り、胡同というエリアの一角にあるシャブシャブ屋さんで夕食とあいなりました。二つの小さな湖(=前海と后海)があり、そのほとりに店がずらりと並んでいます。若い人がいっぱい歩いていました。たしかに、店を見ると、カフェバーとかが目立ちます。「老北京」という文字の看板が数多く目につきましたが、古い街並みはそのまま、そこに造られた新しいコンセプトの店がうまくマッチしていました。地元の人だけでなく、海外からの観光客にも人気があるそうです。

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ホテルに戻るとメールが来ていました。すべて添付ファイルがついています。私がチェックしなければならない仕事の原稿です。普通はファイルをPDFに変換してUSBに落とし、それをビジネスセンターでプリントしてもらうのですが、2階にあるというビジネスセンターに行ってみると──。中国人のスタッフが2人いるにはいるのですが、どちらも英語がまったく通じません。最後は筆談で状況を理解しましたが、結局1階のフロントでプリントしてもらうことしかないということに。
 

すぐ降りていったのですが、フロントのスタッフも英語がわからないようで、USBを見せながら「print」と2、3回口にすると、やっとわかってくれ、自分のすぐ横にあるパソコンを指さします。あとは自力ですべて済ませ、プリントされた用紙だけスタッフから受け取りました。

 

まあ、とりあえず目的は達成できたのでとりあえず助かったのですが、「それにしても」といった感じです。「商務飯店」を名乗っているくらいですから、「ビジネスホテル」のはずなのに、これでいいのか……と。ただ、朝も外国人は皆無でしたし、泊まっているのは99%中国人のようでした。

な、なんなんだ! この巨大さは──北京国際空港

2015年5月26日
羽田を昼過ぎに出た中国国際航空の北京直行便。夕刻、予定どおりの時間に到着しました。着陸前から低空飛行に入るのですが、景色の“抜け”の悪いこと。聞きしにまさる汚染ぶりです。

 

クルマの排気ガスが作り出すPM2.5や黄砂のせいだというのはよく知られています。市当局は、日によってナンバープレートの奇数・偶数で、市内への乗り入れを制限しているといいますが、お金のある人は偶数・奇数の2台を保有し、日によって使い分けているそうです。結局、クルマが多く売れただけのようで、さして効果はないとのこと。

 

それにしても、北京の空港の壮大さ! 上海の浦東、香港、台北、シンガポールのチャンギー、バンコクのスワンナプーム空港も、初めて見たときは大きいなと思いましたが、それをはるかに上回る大きさ、広さです。
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それでも、中国の人の多さと引き比べると、早くも手狭になっているようで、来年にはもう一つ、国際空港がオープンするとか。改めて、中国という国の大きさを感じさせられました。

 

2時間ほど待ったころ、広島からの便で到着したNさんと合流。空港地下の駐車場も広くて立派です。高級外車もゴロゴロ止まっており、羽田空港と遜色ありません。

 

Photo空港からホテルに向かう途中にある、日本風のメニューをそろえた店で乾杯。そのあと「チャーハンが最高にうまい店」(Nさん)という触れ込みで連れていってもらったのは、なんと鼎泰豊(ティンタイフォン・台北の支店)でした。ただ、台北の店とはまったく雰囲気が違い、こちらは高級中華料理店の風。でも、チャーハンはホントおいしい! もちろん、小籠包も。しかし、それ以上に感動したのは鶏スープでした。

 

空港に近いエリアのようでクルマで走っていると、クラウンプラザ、マリオット、ウエスティン、シェラトンなど、アメリカの大手ホテルチェーンの看板が次々と目に入ってきます。ただ。これはいうならばPART1で、都心部には同じチェーンのホテルがまた別にあるようです。

 

高速道路はとても立派で、道幅も広いし、表示もわかりやすく感じます。日本風のせこせましさはまったく感じられません。

 

ホテルにチェックインしたときは、22時をとっくにまわっていました。

福江島の教会にはびっくり!

2015年5月16日

ツアーも今日が最終日。午前中はまず井持浦教会に足を伸ばします。日本で初めて「ルルド」が作られた教会として有名だそうです。「ルルド」とはフランス南部の町の名前ですが、その地の洞窟に聖母マリアが出現 、霊泉で人々の難病を治すなどの奇跡を起こしたことで、あちこちにこの洞窟を模したものが作られるようになったとのこと。

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教会自体は実に素朴で、戦国時代末期から連綿と伝えられるキリスト教信者のピュアな信仰心がいまでも息づいているようです。見学後、島の最西端に位置する大瀬崎断崖に。東シナ海に突き出た大きな断崖の突端に真っ白な灯台が見えるという触れ込みです。この日は霧がかかっており、もうダメかと思いましたが、見学中一瞬晴れ間があり、そのときだけは切り立った断崖とともに灯台が姿をあらわし、一同感激。

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そこから市の中心部に戻り最後に訪れたのが石田城(福江城)跡。江戸時代の最後も最後、1863年に築かれたものの、すぐに明治維新となったため、わずか9年ほどで解体されたといいます。お堀のほか、見た目にも新しさを感じさせる石垣と裏門だけが残され、「もったいないことをしたな」と。

L1020442午後3時前、城からすぐのところにあるフェリー乗り場から長崎に向けて出発。1時間ほどで長崎港に着き、そこからツアーにつきもののお土産屋さん。長崎なのでカステラ屋さんでしたが、そこでしばし時間を過ごす人もいれば、私のように、すぐ近くにある平和公園を散策する者も。しかし、こういうところというのは、まったくその気がなくても、結局あれこれ買い込んでしまうものなのですね。家人も、カステラやら何やらを手提げ袋ほぼいっぱいに買っていました。

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そこから空港に移動し、早めの夕食を軽く取り飛行機へ。羽田に着いたのは夜8時過ぎでした。3泊4日の定番コースなのでしょうが、おいしいところは漏れなく、また無駄なく訪問できますし、食事もこれまた定番ものでしょうが、おいしく食べられるのがツアーの利点でしょう。たまにはこういう旅もいいなと思いつつ、自宅に戻りました。

びっくり仰天、釜山からサイクリングで対馬に!

2015年5月15日
今日もまたいい天気です。朝、ホテルの前には北部の港からやってきた行商のご夫婦が。並んでいる魚の干物はいかにもおいしそうで、しかも安いこと(それでも、観光客相手ですから、地の値段よりは高いのでしょう)。いくつか見つくろって買い求め、友人・知人への配送をお願いしました。

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L1020334今日はまず、万松【ばんしょう】院という、対馬の歴代藩主(宗【そう】氏)の菩提が弔われているお寺です。居城であった金石【かねいし】城跡に隣接しているのですが、ほとんど閑古鳥が鳴いていました。しかし、巨大なお墓が立ち並ぶ墓所には圧倒されました。さすが、通信使の受け入れなど、朝鮮との外交をほとんど一手に取り仕切っていた宗氏の実力を感じました。

万松院の次は万関橋です。対馬はもともと陸続きの島でしたが、島の東側にある厳原から西側まで行くには豆酘【つつ】岬を迂回する必要がありました。ときには、船ごと陸を越え島を横断(何人もでかついだり、綱で引っ張ったりするわけです)することもあったといいます。いまも残る「大船越」「小船越」という地名はその時分の名残り。遣唐使や遣新羅【しらぎ】使もそうした場所を越え、西側の浅茅湾【あさじ】に入ったそうです。

しかし1671年、21代藩主・宗義真によって大船越の運河が掘られ、そうした不便が解消されました。この運河は伊達政宗が仙台に作った貞山【ていざん】運河(松島湾と阿武隈川を結ぶ)に次ぐ、わが国でも2番目に古い運河だそうです。

L1020359さらに、大船越の北にある万関瀬戸が1900年、海軍によって掘削されます。これは、対馬沖の日本海海戦で、水雷艇が浅茅湾奥の軍港・竹敷から東側に抜けるための運河(長さ300m、幅22m、水深3m)として設けられたものです。そこに架かっているのが万関橋。高さ32m、長さ100mの橋の上に立つと、よくもまあこんな険しい場所に運河を築いたものだと感心させられます。
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そのすぐ近くにあるお土産屋さんに立ち寄り、名物の「かすまき」というお菓子(こし餡をカステラ生地で巻いた素朴なもので、江戸時代、藩主をもてなすために考案されたそうです)を食べ終えて外に出ると、なんと、韓国からサイクリングでやってきた一団がいました。格好だけ見ると、日本人の若者たちかと錯覚してしまうのですが、話している言葉が違います。

聞けば、島の最北端には「韓国展望所」というスポットもあるとのこと。釜山までは距離にして49・5kmですから、天気がよくて空が澄んでさえいれば、釜山の北側にある山々も十分に見えることでしょう。それほどの近さですから、北東部にある比田勝【ひたかつ】港と釜山港を結ぶJR九州のフェリーも運航しています。南東部の厳原港とも結ばれているようですが、比田勝・釜山間は1日に2~3便、所要時間はわずか1時間10分(厳原でも1時間55分)ですから、自転車をかついで気軽にやってきても不思議ではありません。

大陸とそれほど近いわけですから、古くから対馬との間に行き来があるのはむしろ当然で、この島が、壱岐とも、もちろん九州北部とも文化が異なっているのは不思議でもなんでもないということになります。もちろん、いまとは違い、ちょっと風が強く波が高ければすぐにでも沈んでしまったのでしょうが、天気にさえ恵まれればいとも簡単に渡れたにちがいありません。

ふだんはおよそ「国境」などというものを意識することのない「日本人」ですが、ここまで間近に異国があれば、おのずと感覚も違ってくるはず。そのことをなんともリアルに感じさせてくれました。

L1020366万関橋から対馬空港に行き、長崎行きの飛行機を待ちます。長崎を経由して、最終目的地である福江島まで行く便に乗り換えるのです。長崎までは30分、そこから福江までまた30分、オリエンタル・エア・ブリッジというローカル航空会社のボンバルディア社ダッシュという小型のかわいらしい飛行機(39人乗り)でした。
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福江島は五島列島の南側にある大きな島。北側は上五島と呼ばれる島々ですが、どちらも戦国時代末に伝えられたキリスト教の教会が数多く残されています。午後の早い時間に福江空港に無事到着し、最初に行ったのは鬼岳展望台。阿蘇山麓に広がるかの有名な草千里を、それこそ百分の一くらいに圧縮したくらいの雰囲気です。500万年前に噴火したという火山・鬼岳の上に広がるこの一帯は芝生におおわれており、すがすがしい空気を吸い込める心地よい場所でした。

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そこから鎧瀬【あぶんぜ】溶岩海岸へ。ここもまた、鬼岳の噴火によって流れ出た溶岩によって作られたダイナミックな海岸です。夕方、カンパーナホテルという、港近くのホテルにチェックイン。夕食はかなり広い宴会場に超大きいテーブルが離れ離れに並べられ、各テーブルに2人ずつという贅沢なセッティング。おいしく魚介類、それと名物の福江牛をいただきました。

壱岐島内を観光ののち対馬へ

2015年5月14日
朝8時20分にホテルを出発し、今日の前半は壱岐の島内観光の続きです。もともとが小さな島ですから、1日もあれば十分まわり切れるのでしょうが、昨日はその3分の1程度ですから、見るべきスポットはまだまだあるのでしょう。

まずは半城【はんせい】湾を横目に見ながら黒崎へ。ここには太平洋戦争のときに作られた砲台跡がありました。東洋一の規模だそうで、対馬海峡を航行する敵の軍艦を攻撃するためのものだったとか。ちなみに、その前に見た半城湾は、日露戦争当時、入り組んだ海岸線を隠れみのに駆逐艦が停泊したところ。いまは真珠の養殖がおこなわれています。

L1020239黒崎をあとにしたバスは西から東に向けて一気に島を横断、ほぼ東端に位置する左京鼻まで移動します。その途中には、元寇(弘安の役)のとき元軍と戦って亡くなった少弐資時【しょうにすけとき】の墓がある公園が見えました。左京鼻は眺めのいい場所で、海岸線を見下ろすと海女【あま】たちが貝類を採るべく何度も何度も海に潜っている姿が。壱岐島には80人ほどの海女がいまも健在だといいます。

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ここまでで壱岐の島内観光は終わり。それにしても神社の数はハンパでない印象を受けました。バスで走っていても、右を見ると神社と古墳、左を見ても神社と古墳といった感じでした。『延喜式』には、西海道9国2島には107座98社の神社があったとありますが、そのうち壱岐だけで24座24社(対島が29座29社)あったといいますから、この2つの島で半分以上を占めているわけで、その多さがうかがい知れます。

島の北部の食堂で昼食後、郷ノ浦の港から対馬に向けて出発。フェリーで2時間少々走り厳原【いずはら】の港に着いたのが午後3時少し前。壱岐と違い対馬は全島が丘陵といった感じです。なるほど、太平洋戦争が終わるまでの間、この島が“海上の大要塞”とされていたのもよくわかります。元寇のときも2度とも、元軍に蹂躙された経験がそうさせたのかもしれません。いまはほとんど面影はないようですが、竹敷(対馬空港の、浅芽【あさじ】湾をはさんだ向かい側)は明治期、横須賀、舞鶴、呉、佐世保と合わせ「五大軍港」の一つに数えられていたそうです。

L1020285さて、港から城下町・厳原の町を北上、対馬を南北に分かつ運河の上に架けられた万関【まんせき】橋を渡り、和多都美【わたづみ】神社に。和多都美神社は名前のとおり、海の神を祀る神社です。潮が満ちてくると海水が本殿のすぐ近くまで流れ込んできます。逆に、引き潮のときは100m先の沖合までほぼ干潟のような状態で、そこに、参道を示すかのように鳥居が2つ建てられています。

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神社のあと烏帽子岳展望台を訪れ、夕方5時半ごろ宿泊先の対馬グランドホテルにチェックインしました。

壱岐・対馬・五島列島の旅へ

2015年5月13日
この1カ月というもの、原稿執筆でアリの這い出るスキもありませんでした。とりあえずのゴールをゴールデンウイーク明けに設定してはみたものの、なかなか想定どおりに進まないのがこの稼業。GW明けというのにはワケがあり、今日から、「手つかずの自然が残る九州の秘島 壱岐・対馬・五島列島めぐり4日間」というツアーに出かけることになっていたからです。

私としては珍しい団体ツアー(それも国内)への参加なので、スケジュールを自由気ままに変更するわけにはいきません。もともと以前から「いつかは行きたい」と思っていたコース内容でもあり、新聞広告でたまたま見つけたときは即決で、すぐ申し込みの電話を入れました。幸い、催行も決定したため、予定どおりの出発となりました。


今日はその1日目。早朝、羽田空港の団体カウンターに集まり点呼を済ませると、出発の時刻までは自由時間。その間に朝食を取り、まずは空路福岡へ向かいます。福岡空港から唐津東港までバスで移動し、そこから2時間ほどフェリーに乗って最初の訪問地・壱岐島の印通寺港に到着したのは午後3時過ぎでした。

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壱岐というのは、驚くほど平坦な島です。島というとなぜか山並+狭い平地といった地勢を思い浮かべてしまうのですが、そういう予断はフェリーが港に近づくころから打ち砕かれます。船を降りるとすぐバスに乗って、観光がスタート。まずは「原の辻遺跡(一支国王都復元公園)」を通って「一支国博物館」へ向かいました。

壱岐(かつては「一支」と表記していたそうです)は『魏志倭人伝』にも登場するほど長い歴史を持つ島です。2100年前、当時朝鮮半島を支配していた「魏」の使節が、北九州にあったと思われる「倭」の国(邪馬台国)をめざす途中、対馬と壱岐に立ち寄ったようです。そのため、島内には古墳が散在しており、その数は260を超えるとのこと。


それにより中国・朝鮮からさまざまな産業・技術・文化が持ち込まれ、壱岐でもいち早く稲作が始まったといいます。それを示すのが「原の辻遺跡」で、そこには東アジア最古という船着場跡があります。そうしたことから、壱岐の中心地(首都)がこのあたりにあったことは間違いないらしく、そこに遺跡公園や博物館が設けられたしだい。


博物館を見学したあと訪れたのは「岳ノ辻展望台」。壱岐でもっとも標高の高い場所、といっても213mですから、それほど高いという感じはしません。それでも天気がよければ対馬はもちろん呼子(佐賀県)まで見通せるといいますから、展望台を名乗るのに疑問をさしはさむ余地はないでしょう。

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展望台をあとにしバスで10分足らず走った郷ノ浦というところに1日目の宿(=ホテルステラコート太安閣)があります。海辺の丘に建つホテルのテラスからの眺めは最高。私たちにあてがわれた部屋は本館から一度外に出て海岸近くまで降りていき、そのすぐ脇に建つ別館のようなところだったので、よけいです。食事も島の名物がずらり並び、堪能しました。ホテルのすぐ近くに「春一番の塔」という場所があるのですが、これは1859年の春、強風(地元ではこれを「春一」と呼ぶ)で海難に遭って命を落とした53名の漁師を弔うためのもので、「春一番」という言葉はこの島で生まれたのだそうです。

外国人の多いことに感心

2015年5月7日

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今日でカンボジアともお別れです。午前中はホテルからクルマで1時間ほど走ったところにあるバンテアイ・スレイ遺跡へ。「東洋のモナリザ」で有名なところです。アンドレ・マルロー(作家・のちのフランス文化相)がそれを見て国外に持ち出そうとしたという話ですが、それもむべなるかな。なんとも魅力的な顔が彫られていました。

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最高気温は連日36℃以上。地表近くではおそらく40℃を」遺跡のいくつかを見てまわったのですから、体調に異常をきたすのはある意味当然かもしれません。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて荷造りを済ませチェックアウト。シエムリアップ国際空港まではクルマで15分ほどです。空港に着いたら、トゥクトゥクに大きなスーツケースを積んでやってきた外国人のカップルがいました。どのあたりのホテルに泊まっていたのでしょうか。さぞかし足もとが狭かったのではないかと心配になりました。

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それにしても、アンコール遺跡は欧米系の外国人の姿が目立つところです。もちろん、日本人も多いですし、中国人、韓国人も目につきました。なかには、こちらに定住しビジネスに携わっている人も少なくないようです。私たちが、ガイドさんに連れて行かれたおみやげもの屋さんの店員はパキスタン人でしたし、マネージャーも北欧系の男性でした。日本人女性が起業したクッキー屋さんはいまでは、カンボジア国内にいくつもお店を展開、さらに各地の旅行会社と組んで、ツアーの客はかならずといっていいほどそのクッキー屋さんに連れていかれていました。

また、本国での仕事をうっちゃらかしてしまったのかわかりませんが、こちらで何かしらの方法で日々をしのいでいる外国人も多い感じがします。週に1、2回ホテルのレストランでバンド演奏をしている者もいました。なかには、タトゥーを入れていたり、どう見てもまっとうな稼業とは思えない人も。タイもそうでしたが、このテの、もろスピンオフしたという感じの欧米人が目につきます。


その点、日本人はまともで、きちんとした仕事やボランティア、NPO法人などで活動している人が多いようです。クッキー屋さん以外にも、居酒屋や食料品店、ミニスーパーなど、そこここに「日本」が見えましたから。

シェムリアップの空港は小さいながらも、世界中から観光客がやってきているところだけあって、けっこう立派です。ターミナルの建物と飛行機とをつなぐ蛇腹こそないものの、けっこう夜遅くまで便が行き来していますし、私たちが帰国する前日など、成田行きのチャーター便まで出ていました。


私たちのような前期高齢者層もさることながら、若い人の姿が多かったです。でも、実際行ってみてわかったのは、こういう場所は若いうちに来ておくべきだということです。年中かなり暑いようですし、そこを歩いてまわるのは大変です。外国人などもっと元気で、40℃近い中を自転車に乗って走り回っていましたから。

「アンコール」遺跡で有名なのは「ワット」と「トム」の二つですが、実際には100を越えるスポットが散在しています。ここへ来て1週間とか10日間とか滞在し、その間、朝となく昼となく、ガイドの世話にならずに、そうしたスポット片っ端から訪れている欧米人も少なくないようです。こちらに居ついてしまうのは、そうした中で、母国よりも居心地がよさそうだと感じた人たちなのでしょう。

シェムリアップからLCCのJETSTAR便でシンガポールへ。2時間ほどで着きましたが、日本行きのANA便の出発まで3時間以上あります。チェックインを済ませると、まずは食事。そのあとでラウンジに入ったのですが、ANAはシンガポール航空のそれを拝借しています。ところが、これがめっぽう充実していました。世界ナンバーワンといわれる香港のキャセイパシフィック航空も真っ青といっても過言ではありません。こんなことなら、わざわざお店でお金を払って食事などしなくてもよかったと後悔してしまいました。

ただ、そのお店(中華料理)もけっして悪くはありませんでした。「Seafood Paradise(楽天海鮮)」という名前でしたが、店構えは立派ですし、味や材料のわりに価格もそれほど高くはありません。バンコクの空港にあった「金グループ(ラーメンがメインのお店)」とけっこういい勝負かも。

ネットで調べてみると、ちゃんと出ていました。「Seafood Paradiseは2002年、当時25歳だったEldwin Chua氏と弟のEdlan氏がDefu Lane工業団地内のコーヒー・ショップに開いた海鮮料理屋。兄弟2人で切り盛りする25席ほどの小さな店だったのだが、兄のEldwin氏が考案したクリーミー・バター・クラブが大ヒット。以来、パラダイス・グループは当地で7つのコンセプトのもと、20店舗近くを展開する大手中華料理チェーン店として成長を続けている」(AsiaX GOURMET『シンガポール「飲食店」情報』)のだそうです。店員のしつけもいいですし、何よりインテリジェントを感じさせる店でした。

 

チャンギー空港で感心したものの一つが喫煙コーナー。「コーナー」などというちゃちな代物ではなく、一大スモーキングサロンの感があります。しかも、滑走路に面したエリアにしつらえれているため、大きな窓が外に向けて半分開かれており、まあ、空気のきれいな(!?)ことといったらありません。たまたま私たちが乗る便の出発ゲートに近くにあったのでよけいですが、チューリヒの喫煙コーナーもこれにはかなわないでしょう(もっとも、チャンギーも、もっと数が多ければ満点なのですが)。

 

ワットより多少は涼しいトム。でも……

2015年5月6日

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午前中はトゥクトゥクでオールドマーケットまで行ってみました。おみやげ屋はもちろん、レストランやカフェもいやというほどたくさんあります。昨夜のミスチョイスを改めて思い知らされました。マーケットの一角でTシャツやらアリババパンツなどを買い、ホテルに戻ります。

今日の観光は「アンコールトム」。クルマで行きました。暑い中にもかかわらず自転車で走りまわる欧米人が多いのには驚きます。それでも、アンコールトムは昨日のワットに比べると、建物の中を歩くことが多い分、暑さも多少はしのぎやすい感じ。

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昨日も今日もガイドはカンボジア人です。現地でのツアーを予約する段階で「日本語ガイド付き」をリクエストしたのですが、2人ともまずまずのレベル。「どこで日本語を勉強したのですか」と聞くと、「シェムリアップの山本学校です。授業料はかかりませんでした」と答えます。「山本学校」というのは、カンボジアで現地ツアーの手配を専門に営業している旅行会社の会長(山本宗夫氏)が私財を投じて1996年3月に設立した「山本日本語教育センター」のこと。カンボジアの各地から選ばれた学生が、3カ月もしくは1年間という2つのコースのどちらかで日本語を学んでいるといいます。日本語を学んだあと、ガイドの国家試験に合格した者がこの仕事を務めているわけです。

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夜はオールドマーケットで夕食をと思い、けっこう客の入っている店を選びましたが、またもやハズレでした。

ただ、2日目にしてようやっと暑さにも慣れてきた感じがします。

日本人に大人気の世界遺産「アンコールワット」

2015年5月5日
午前中はホテルの近くを見てまわろうと、ホテルの前に立つと、スタンバっているトゥクトゥク(3輪タクシー)のドライバーが声をかけてきました。ホテルの周辺をひととおりまわってくれるように頼んだのですが、料金は10ドルとのこと。いわれるがままに乗り1時間ほど走ってもらいました。ガイドブックに紹介されている川はほとんどドブ川の体。熱帯地方特有のモワーっとした空気、未舗装の道路など、1時間ほど回っただけで、体中ホコリだらけになった感じがします。

午後からは、日本人にいちばん人気のある世界遺産「アンコールワット」へ。午前中も乗ったトゥクトゥクです。15分ほどで到着しましたが、建物が立ち並ぶところまでは日をさえぎるものは皆無。ペットボトルの水がどんどん減っていきます。もちろん、素晴らしい美しさですし、そのスケールの大きさにはただただ感動するばかり。

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それにしても、暑さにはほとほとまいりました。ガイドさんの話によると、1年でも4・5月はいちばん暑いそうです。10分動いては5分休憩といった感じで。メニューには夕日の鑑賞が組み込まれていたのですが、とてもそんな体力はなく丁重にお断わりし、早々にホテルに戻りました。

夜は徒歩5~6分のところにあるレストランへ。ガイドブックに紹介されている店です。ところが、ホテルを出るとすぐスコールが降り始めました。近くの別のホテルのロビーでしばらく雨宿りをしていたのですが、いっこうにやむ気配がなく、結局トゥクトゥクを拾ってて移動しました。その店はなぜか、前も中も真っ暗。電気が来ていないのではという雰囲気で、テーブルも厨房もすべてロウソクの明かり。迷ったあげく、結局そこに入ったのですが、味は案の定いまイチ、いま2でした。

日本とは大違いの暑さ、それもむしむししているので、体がまだついて行けない感じがするところへまずい食事ときては、どっと疲れるのも当然でしょう。寝る前にバーでビールとカクテルを飲って早々に就寝。

最後までアウト! リッツ・カールトンの情けないサービス

2015年5月4日
最後の最後まで、リッツ・カールトンはやってくれます。32階でチェックアウトしたのですが、最後の最後まで「今回は申し訳ありませんでした」とか「本当に失礼いたしました」といった謝罪の言葉はなく、営業的なスマイルで「よい旅を」と声をかけただけ。シンガポールという国は国民のインテリジェンスが高いとされています。しかし、このリッツ・カールトンにかぎっては、「ハイ・インテリジェンス&ロー・ハート」でした。

今日はカンボジアのシェムリアップに移動する日です。LCCのタイガーエアは非常にスムーズに乗れました。事前にチェックインを済ませておいたからです。それと驚いたことが一つ。日本ではまず手荷物の検査を受け、その後で出国手続きという順番ですが、チャンギー空港では手荷物の検査がありません。というか、出国手続きを終えるすぐゲートまで行けます。そのゲートの中で手荷物検査があるのです。ですから、長~い行列はあり得ません。

L1010918バンコクで乗り換えなのですが、一度タイに入国した上で、再度バンコクエアウェイズ(これもLCC)の便にチェックイン。2時間ほどのタイ滞在なのですが、パスポートには二つのスタンプが。カンボジアのシェムリアップまではひとっ飛び。

空港に到着すると、入国手続きの前にビザをもらいます。あらかじめ用意しておいた写真と30ドル(一人)を渡すと、ものの5分でビザを貼ったパスポートが返ってきます。

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頼んでおいた迎えのクルマでホテルまで20分。空に浮かぶ美しい満月がなんとも印象的でした。緯度が低いせいでしょうか、月が心なしか低い位置に浮かんでいます。ホテルは熱帯リゾート風の造りと雰囲気。チェックインのときに手渡されたおしぼりに感動。またレモン風味のジュースもありがたかったです。食事はホテルのレストランで食べましたが、これがめっぽうおいしく大満足。

MRTの表示は、日本も真似たほうがいいのでは

2015年5月3日
朝食後、まずはギャレットの店があるというサマセット駅まで。前は町の通りにある屋台の趣でしたが、えらく出世して、MRTの駅の上にあるショッピングモールの中に。相変わらず行列ができていました。

L1010877次に市庁舎駅へ。ここを起点に歴史地区を歩こうと、聖アンドリュース教会から南へ下り、最高裁判所、市庁舎を見て、さらに南へ。川岸はあっちもこっちも工事中でした。このあたりはシンガポール発祥の地といった趣で、いちばん古い鉄の橋やフラートンホテルなどがあります。そこから北西へ川沿いを歩いていくと、一風変わった雰囲気のエリアが。看板も漢字がほとんど見えず英語ばかりです。どの店も欧米系の客が昼間からガンガン飲んでいます。英国のニューカッスルからサッカーチームが来ているようでした。

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L1010894そこから橋を渡って、BODビルへ向かいます。目的は、60階にある「四川豆花飯荘」。東京・丸の内にある店ですが、その本店です。その中にある「茶芸館」で「ハイティー」を。8品から成るおやつといった感じで、お茶が、ウーロン、ライチー、白毫銀針茶と3種類出ます。すべてとても美味。何より量がちょうどよかったです。8種類の味が少しずつ楽しめ、大満足でした。

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L1010898そこを後にし、ホテルに向かいます。シンガポールのMRTは、駅が広くて明るいのが特徴。台北のMRTとよく似ています。それと、表示がわかりやすいのもいいです。日本は「□□行き 何時何分」とあるのに対し、シンガポール(というかほかの国はどこも皆同じで)「◎◎行き ●MIN」「△△行き ×MIN」とあるので、いちいち時計を見て時刻を確認する必要がありません。ワンアクション少なくて済むのです。この点についてはガラパゴス状態といっていい日本は、見習ったほうがいいのではないでしょうか。

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もう一つ、それと関連しますが、改札口の手前にも同じような表示が出ています。時計を見ながら改札を駆け抜け、ホームに着いたらちょうど電車のドアが閉まったところだったなどという悔しい目に遭うことはありません。「2分後に出るのなら走っても意味ないな」とわかるので、無駄なエネルギーを使うこともないというわけです。

夕方からマリーナベイサンズへ。途中で夕食にしようと、探し回りましたが適当な店がなく、結局ピザ屋で済ませました。そのあともうひと勝負して、私は昨日・今日とタダで遊んだどころか、トータルでは少しプラス。逆に、家人は今回大負け。でも、楽しく遊べてよかったです。シンガポールはまだ総じてナマのテーブルゲームが人気なようで、その分、マシンがいまイチの感がしました。

ユニバーサルとカジノの組み合わせに感心

2015年5月2日

 

昨夜に続き、ホテルでは今日も出鼻をくじかれるできごとが。朝食をとるため、32階のクラブラウンジまで上がってみると、2組4人の先客が入口で並んでいます。私たちも部屋番号と名前を聞かれ、「いま混んでいるので1階のレストランではいかがですか」と。お勧めに従って降りてみたら、こちらはなんと20人近くの行列が。「上のクラブラウンジの方にいわれて来たのですが、並ばなくてもいいのでしょうか」と質問したら、「いえ、そういうことはございません」とつれない返事。「なーんだ」ということでまたまた32階へ。こんどはすんなり入れました。

 

それにしても、ラウンジ入口の係員がしばしば姿を消してしまう理由がよくわかりません。「ちょっとお待ちを」といい残し、すぐどこかに行ってしまうのです。耳につけているインカムはいったいなんのためなのでしょうか? 私たちのあとからもラウンジ入口には何人もお客が来ていましたが、困惑した顔をしていました。

 

L1010831ようやく朝食を済ませ、MRT(地下鉄)でまずアラブストリートまで行きました。ここは初めて行くところです。モスクもあり独特の雰囲気を醸【かも】しています。続いてチャイナタウンへ。ひとつ前の駅で降りて歩き始めたのですが、なんだか見たような景色です。ヒンドゥー教寺院もあり、さらに歩いていくと、ますます見覚えのある景色が。そのあたりから、2年前に来たときその一帯を歩いたことがあるのに気がつきました。

 

 

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L1010845すぐにとって返し、ランチにしようと、予定していた店のほうに向かいました。行く途中、かつては人力車のたまり場だったことを示す看板を見つけ、古きよき時代の風情を感じたり。
目標は、チャイナタウンの端っこにある「京華」という店。餃子が絶品だそうですが、評判どおりえらくおいしかったですよ。繁盛しているのでしょう、隣の店舗も一緒に借りているようでした(中ではまだつながっていない)。

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食事を済ませたあと、MRTに乗って終点まで。そこでセントーサ島まで行くモノレールに乗り換え、ユニバーサルスタジオとカジノが一緒になっている駅で降ります。子どもはユニバーサル、親はカジノということなのでしょう。荷物をロッカーに預けるのに15ドル。外国人なのでパスポートのチェックを受けてから中に入ると、マリーナベイサンズより広くゆったりしていました。マシンも新しいものがまずまずそろっており、いい感じです。5000円くらいで始めたのですが、この日の私はバカヅキで2時間ほどで10万円まで増えました。しかも、そこでやめたので大勝ちです。やったーっ!

 

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夕方までカジノで遊び、タクシーでオーチャード通りのマンダリンホテルへ移動。お目当ては家人の大好きな海南鶏飯。私はホワイトカレーを。こちらも出色の味。

 

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前回来たときに知ったギャレットのポップコーンの店を探したのですが、結局見つからずあきらめてホテルに。ネットで調べたら、別の場所に移っていることがわかり、明日行ってみることにしました。

ホテルのチェックインでつまずき、どっと疲れが……

2015年5月1日

L10108242007年11月、2013年2月に次いで、家人とは3回目のシンガポールです。チャンギー国際空港からタクシーでホテルへ。今回はかなり奮発、リッツ・カールトンに泊まることにしました。
ところが、です。着くやいなや、とんでもなく不愉快な経験をしてしまいました。カードキーの不具合で、部屋に入るまでに1時間以上もかかったのです。

その前兆は、3階のチェックインカウンターですでにありました。タクシーでホテルに到着、ベルボーイが出てきて荷物を運びながら「チェックインですね? お名前は」と聞きながら、カウンターの前まで案内してくれました。そこで待つこと10分。いざカウンターのところまで行き、パスポートを見せたところ、「クラブラウンジのお客様なので、32階でチェックインできますよ(してください)」と。10分も待ったのですから、そのまま手続きしてくれればよかったのにです。「気が利かないなぁ……」と思いました。

ただ、こちらも、「クラブラウンジ」ならば冷たいおしぼりでもサービスしてくれるのではないか、お茶の1杯でも飲めるのではないかと、色気を出したものですから、32階までエレベーターで上がりました。ただ、2席しかないカウンター前のイスには先客が。そのまますぐ奥にあるラウンジに案内され、「何かお飲みになりますか」と聞かれたので、当方はビール、家人はアップルジュースを。

のどをうるおしながら待つこと10分、係員がテーブルのところまでやってきてキーを渡してくれました。チェックインの用紙にサインすればいいだけだったので、そのまま30階に。3005号室のドアをカードキーで開けようとしたのですが、もらった3枚とも作動しないのです。

たまたま廊下を通りかかった従業員に、「キーが作動しない」といってカードを渡しました。その彼が3枚すべてトライしてみたのですが、やはりダメでした。彼の持っていたカードでとりあえず部屋の中に入ることはできました。彼は最初、「ここにいらしてください。キーを直させて、お持ちしますので」といってくれたのですが、たまたま、予約していたはずのマリーナビユーの部屋でなかったこともあり、ついでに部屋も替えてもらおうと、その申し出を断わり、荷物を持って再び32階まで上がりました。ここまででさらに20分が経過。

32階のクラブのデスクにいたスタッフに、「作動しない」といってカードキーを渡しました。そして、「予約した部屋と違うので、変更を」とも。すると、「いえ、マリーナビューのご予約は頂戴しておりません。もしご希望なら、1泊だけ、スイートが空いていますが、どうされますか」とのこと。しかし、途中で部屋を替わるのも面倒なので、それは辞退しました。

キーを受け取り、再び30階へ。ところが、またそのキーが作動しないのです。エレベーター近くにあった電話から「3005号室のキーが作動しない。これで2回目ですよ! 至急なんとかしてください」と告げると、「わかりました。しばらくお待ちください」と。しかし、5分待ってもだれも姿をあらわしません。しびれを切らし、32階まで上がり、「キーが作動しない」旨を告げると、すぐ直してくれました。

「ホテルに到着してからすでに1時間が経っている。まだ部屋に入れない。どうなってるのですか、このホテルは!?」とひと言苦情もいい添えました。30階まで降りて部屋の前まで行くと、さっきの電話に対応したと思われる従業員がようやく、新しいカードキーを持ってきたのですが、32階で直してもらっていたので、お引き取り願いました。ただ、部屋に入るのに1時間とは! もう信じられません。

とりあえず荷ほどきをし、ノートPCをチェックしたあと、気分直しにと、歩いて10分ほどのところにある、マリーナベイサンズへ行きました。ちょっとギャンブルでもと思ったのですが、マカオに比べマシンがどれも古いタイプでいまイチの感があります。それと、人が多いせいか、なんとも狭苦しいこと。2年前、初めて行ったときはそれほど感じなかったのですが……。カジノの一角で軽い夕食を済ませ、10時過ぎにホテルに戻りました。もちろん、こんなツキのない日ですから、負けましたよ。

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