「週刊朝日」にコメントを寄せました

2016年9月6日

今日発売の「週刊朝日」(2016年9月16日号)。その中に5ページも割いた記事があります。タイトルは『お金の県民性』。お読みになった方もおられるかもしれません。

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ネットでは“「金融リテラシー」最下位の山梨 理由は「無尽」の影響?【東日本編】”と“1位奈良、2位香川、3位京都…お金の県民性を分析【西日本編】”という2本に分かれています(下記URLご参照)が、もとは1本の記事です。
東日本編は→https://dot.asahi.com/wa/2016090900054.html?page=1
西日本編は→https://dot.asahi.com/wa/2016090900055.html

発売の4日前に記者さんが来られてインタビュ-し、そのときお話しした内容を上手にまとめてくださいました。この企画のもとになった調査がとても興味深い内容で、パラパラっとめくってみたら、その虜【とりこ】になってしまい、思わずメモなど取ってしまったほど。お金に対する全国47都道府県の人たちの受け止め方・関わり方の違いは以前から私もあちこちで指摘していましたが、ここまで綿密な調査を前にすると、自分の感性が試されているような気がして、緊張してインタビューに臨みました。

お金にかぎらず、県民性についてはまだまだ研究の余地が多々あります。もっともっと研鑽に励む必要があると痛感させられる仕事でした。でも、それが刺激になるのですから、考えてみればうれしくもあり楽しくもあり。

「9・11」から15年目、そのご遺族が開いた催しに

2016年9月4日

自宅から車で15分、中野駅にも近い、閑静な住宅街の一角に目的地がありました。区立なので、「産業振興センター」とものものしい名称なのですが、たいそう立派な建物で、利用者がひっきりなしに訪れています。

玄関を入ってすぐ左のコーナーに目をやると、真っ先に大きなアメリカ国旗が目に入ってきます。15年前の9月11日、ニューヨークで起こった同時多発テロの写真などを集めた展示会がおこなわれていました。

この催しがおこなわれているのを知ったのはまったくの偶然。家人が1週間ほど前、夕方のニュースで紹介されているのを見たからです。主催者の住山一貞さんのご長男(当時34歳)はその日、世界貿易センタービルの中にある勤務先で惨事の犠牲となられたとのこと。

昨年9月11日、家人と二人で「9・11」を追悼するイベントに参加しましたが、その日最初の行事は亡くなられたご長男が住まわれていたニュージャージー州のオーバペック・パーク(Overpeck Park)にある慰霊碑の前でおこなわれた追悼の会でした。もちろん、そこには住山さんご夫妻もいらっしゃっていました。そのときはとくに言葉を交わすこともありませんでしたが、私たちが参加した音楽会のあとでおこなわれたレセプションでも同席、そこからホテルに戻る途中、一緒に写真を撮らせていただいたのです。セントラルパークのすぐ南の路上でした。

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住山さんはテロのあと20回以上ニューヨークに足を運んだそうですが、会場には、そうした中で手に入れた現場の写真や資料など30点ほどが展示されていました。その中に、縦6センチ、横9センチほどの鉄骨(世界貿易センタービルのもの)残骸がありました。テロから1カ月半後経ったあともなお続いていた救出活動にたずさわる救助隊員が住山さんに手渡してくれたものだそうです。また、先のアメリ国旗は、犠牲者の葬儀で棺にかぶせるのに使われたものでした。私の頭にもすぐ当時の模様(ニュース映像)がよみがえったのはいうまでもありません。

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見終わったあと、昨年撮った先の写真をプリントし、会場でご夫妻にお渡ししました。住山さんの奥様がそのときのことを覚えていてくださり、しばしお話しすることもできました。ご主人は、息子さんの最期をなんとか知りたいと、550ページを超えるアメリカ政府が作成した、同時多発テロの調査報告書を8年がかりで翻訳したそうです。それを製本したものも展示されていました。原本のほうはボロボロになっていましたが、おそらく数え切れないほど報告書のページを繰ったのでしょう。

「5年に1回、この展示会を開いています」と奥様が話されていましたが、私も生まれて初めて千羽鶴を折り、住山さんに託しました。今年も来週からニューヨークに行き、追悼のイベントに参加されるのだそうです。その場に鶴をお持ちになるということでした。住山さんご夫妻のご健康を祈らずにはいられません。

真っ赤っ赤に燃えていた広島

2016年8月31日
昨日・今日と広島に行ってきました。昨日は夕方4時過ぎに広島駅に着いたのですが、駅に入る直前、進行方向左側にマツダスタジアムが見えます。驚くなかれ、まだ夕方早い時間なのに、スタンドにはかなりの数のお客が入っていました。ほとんどが赤いTシャツを着ています。

駅を降り、タクシーを拾おうと南口に出ると、ここもまた真っ赤。スタジアムに行く人のほとんどが赤いTシャツ、赤のレプリカユニホームを着込んでいるのです。グッズを売る店も出ていましたが、その看板もほとんどが赤。売り子も赤のTシャツ。赤、赤、赤で燃えまくりという印象でした。

この日の試合は楽勝だったようで、マジックは1減って12に、またクライマックスシリーズへの出場権も確保したとのこと。今日の中国新聞朝刊も1面から大盛り上がり。18・19面(見開き)のスポーツ面は、記事も下段の広告も赤、赤、赤。企業や商品の広告も、ベースの色はどこも皆赤。35面(社会面)の下には「カープ優勝記念中国新聞特別セット 500円」などという、気の早い広告も出ています。どのページを繰っても、前夜の熱気がひしひし伝わってくる感じがしました。

日本とはまるっきり違う、沖縄のお盆

2016年8月17日
8月10日から沖縄分室に来ています。この時期に来るのは初めて。期待していたほどさわやかでない1週間で、あまり外を出歩くこともなかったのですが、さすがに今日くらいはということになり、車で沖縄市まで行ってきました。というのも、昨日乗ったタクシーの運転手さんからそうせざるを得なくなるような話を聞いたからです。

「いま沖縄はお盆の真っ最中。昨日・今日・明日は道路がメッチャ混みます。昨日・今日は皆、嫁さんの実家に行くでしょ。そして、今日・明日は長男の実家に行くんですよ。どの家も家族全員、車に乗っていきますからね。ふだんは走っていない車まで全部出てくるんです。

明日(17日)の夜は“ウークイ(送り)”でしょ、長男の家で飲んだり食べたりして、そのあと儀式がありまして。これは、何があっても出ないわけにはいきませんから。お盆だけは、沖縄の人はきっちりされてます。明日、ほとんどの店は早じまいか休みですよ」

そういえば、14日ごろから、スーパーがいつになく込み合っているなと思っていました。お盆の準備に駆け回っていたのでしょうね。ふだん見たこともない食べ物が山と積まれ、線香やロウソクも箱入りで大量に売られていました。また、17日は、分室のあるマンションの「管理業務」もお休みしますという貼り紙がされていました。皆、仕事を休んで、奥さんの実家や長男の家に出かけるわけです。

dsc00817その「ウークイ」が今日17日。どうりでおとといも昨日も、車がやたら多かったはずです。とくに午後3時過ぎくらいからは猛烈な込みようでした。というわけで、今日は食事もままならないことがわかり、早めに買い出しに行って食べ物を確保しておこうと。まったく外に出ていなかったこともあって、沖縄市の「ローズガーデン」という店に行くことにしたわけです。

 

dsc00816「ローズガーデン」は、いかにも「アメリカ」を感じさせる店。復帰前はこういう雰囲気の店がそこいら中にあったのでしょうね。何がいいかというと、おいしいこと。ボリュームがアメリカ仕様なのが私たちにとっては玉にキズなのですが、残ればドギーバッグ(持ち帰り)もOKなので、その点は助かります。最近、店の近くライカムにイオンのモールができたため、この界隈は以前とは比べものにならないほど車で混んでいます。それでなくとも、土日は朝から込み合い、駐車スペースがいっぱいになっていることが多かったので、これから先はウイークデーに行くしかなさそうです。今日も、お盆の最中でやはり満席でした。

 

沖縄で「アメリカ」を感じる場所の筆頭かも

2016年8月17日

前にも書いたかもしれませんが、高速道路の北中城【なかぐすく】か沖縄南インターから10分ほどのところ(屋宜原【やぎばる】)に、「ローズガーデン」というレストランがあります。9年前、沖縄に活動拠点を設けて以来、来ればかならずといっていほど足を運んでいるお気に入りの店です。

基地にすぐ近くというロケーションもあって、お客の多くがその関係者なのでしょう、アメリカ人の姿が目立ちます。メニューは、パンケーキとかフレンチトーストをベースにしたアメリカンブレックファスト。朝8時からオープンしており、ブレックファストメニューは終日、ステーキも朝から食べられるのがありがたい! 店ができたのは40年以上前のようで、イタリア系アメリカ人が創業したと聞きました。

土曜日や日曜日のお昼近い時間帯になると、ブランチのためか、店の前に行列ができるほど繁盛しています。おかげで、狭い駐車場は大混乱。道路に車を止めて待っている人も少なくありません。

ただ最近は、せっかく注文した料理も食べ切ることができず、“ドギーバッグ”をお願いするようになってしまいました。元来がアメリカ人向けですから、繊細な味ではありません。でも、パンケーキやフレンチトーストとなると、「アメリカ」風でないと満足できないところがあるのも事実。これから先もまだまだ通い続けそうです。

学生の町フライブルクに立ち寄って日本食

2016年8月4日
今日で「アルザス・ロレーヌで(フランスとドイツの)境界を体験する旅」も最後。コルマールからフランクフルトまで一気に移動します。ただ、時間的に余裕があったので、途中、ドイツのフライブルク(Freiburg)という町に立ち寄ってみることにしました。出発前、学生時代の先輩Sさんが研究のために留学してところだそうで、「せっかく近くまで行くんだったらぜひ」とのお話を聞かされていたからです。

DSC00804ドイツのこのあたりでは比較的大きな町で、人口も約22万。そのうち3万人は学生だそうです。世界的に有名な大学がいくつもあり、研究機関も多いようです。と同時に、音楽も盛んで、なかでもフライブルク・バロックオーケストラは世界でも最高レベルだとか。ただ、滞在時間が限られていたので、私たちが足を運んだのは朝市が開かれている広場とランチを食べる日本食レストランのみ。

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このレストランはSさんに教えてもらっていたので、すぐわかりました。ようやくありつけたタテ飯には感動。普仏戦争でフランスに勝ったときに作られたという記念碑だか大砲の彫刻高だかが駅の前に置かれていると聞いていたので行ってみたのですが、残念ながら駅前の整備工事中とやらで、どこか別のところに保管されているとのこと。あきらめて、フランクフルトの空港に向かいました。

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途中渋滞があったりしましたが、助手席で家人がスマホをちょこちょこっといじると、すぐ渋滞情報が出てくるではないですか。これには驚きました。情報はNAVIより早いですし、しかも正確。いずれ私もスマホのお世話になりそうだなぁ……と思いつつ走り抜けました。

コルマールで観たピカソの『ゲルニカ』

2016年8月3日

ホテルで朝食を済ませ、近くのウンターリンデン美術館に。もともとは修道院だった建物を改装してできたそうです。実はこの美術館こそが、今回の旅を実行する最大の動機でした。家人が“女子会”旅で沖縄に行った折、県立美術館に特別展示されていた『ゲルニカ』のタピストリー──世界に3つあるそうです──を観たと。その1つがここに展示されているという話をしてくれました。素材は布ですから、当然絵とは趣がまったく違うけれども、一見の価値はあるというのです。残りの1つは群馬県立美術館が所蔵しているそうですが、残念ながら常設展示はされていません。となると、その現物を観るには……ということになったわけです。

それとは別に、私は以前から「アルザス・ロレーヌ」というところに行ってみたいという思いがありました。小学生のころ国語の授業で習った『最後の授業』という話が頭の片隅に残っていたからです。

プロシア(いまのドイツ)との戦争(普仏戦争)で負けたため、アルザス地方の領有権がフランスからドイツに移されることになった。明日からドイツ領になるという日、この地の小学校の教師が「今日はフランス語で授業ができる最後の日」という話を子どもたちにする。でもみんなはフランス人なんだから、フランスを愛し続けるんだよ──。そんな内容だったと記憶しています。

この話を習ったとき、私は子ども心にこう思いました。「明日から授業は全部英語になる」なんてことになったら、どうしよう……。そんなことが起こるのは、実際どんなところなのかこの目で確かめてみたい。というわけで、『ゲルニカ』と『最後の授業』がくっついたわけです。「ついで」というか「つなげること」は旅の大きなポイントになるというのが、私の持論ですから。

もっとも、そういう場所だからこそ、『ゲルニカ』も展示する意味があるのでしょうね。家人の話では、タピストリーのほうはオリジナルの絵よりふた回りほど小さく、色合いも違うとのこと。ここでは、前面がガラスで保護されていました。布のほうが傷みやすいからでしょう。それでも、そこに描かれているメッセージは強く伝わってきます。ほかにもピカソの作品がいくつか展示されていましたし、来て本当によかったと思いました。

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午後はコルマールから車で30分足らずのところにあるエギスハイム(Eguisheim)へ。ここもまた「フランスの最も美しい村(Les plus beaux villages de France)の1つに選ばれているだけあって、おとぎ話の舞台のような街並み。

ここでもまた、日本語音声ガイド付きのプチトランが走っていました。それによると、4世紀にローマ人が初めてぶどうの苗を植えたことで、アルザスワイン発祥の地として栄え、現在でも40軒ほどのワイナリーが営業を続けているのだとか。なるほど、そういわれて観てみると、深い歴史が感じられます。

DSC_0380何より素晴らしいのは花を活かした景観美。どの家の窓にも鉢植えの花が美しく飾られ、道路端にも大小さまざまな花が。その色彩に合わせたかのようなコロンバージュ(木組みの家)の家も壁の色が微妙に異なっています。日本でも近ごろは、花を活かした町づくりがあちこちでおこなわれていますが、こちらはやはり年季が違います。花の種類はもちろん、色彩や配列のセンスだけでなく、その周りの建物や噴水、街灯などとも実によくバランスが取れているのです。何より、建物が風格(お金をかけているという意味ではありませんよ)歴史を感じさせるものばかりですから、深い味わいがあります。

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夕食は、そろそろ“縦メシ”(日本料理もしくは中華料理)が食べたかったので、街中探し歩きましたが、ネットで見つけた店は全部、消えていました。結局、ホテルのレストランにします。中庭に置かれたテーブルで食べた食事は最高! 最初は「予約でいっぱいなので」とお断わりされたのですが、「泊まっているんだから」と、半ば強引にすわってしまったら、まったくノープロブレムでした。

アール・ヌーヴォーのレストランで朝食

2016年8月2日
DSC_0153朝は、「エクセルシオール」という老舗のレストランで。外側はそれほどでもないのですが、内装が素晴らしい! 各テーブルにコート掛けがしつらえられていて、朝はコーヒーとクロワッサンか何かを食べながら新聞を読む──そんな時代の名残がそっくり残っているシックな空間です。装飾はもちろんアール・ヌーヴォーなのですが、さほどけばけばしい感じはしません。落ち着いた時間を過ごせました。

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ナンシーからコルマールに行く途中、立ち寄ったのがカイゼルスベルク(Kaysersberg)。フランス語風に「ケゼルスベール」などと記されているガイドブックもあります。音だけ聞くといかにもドイツ(ドイツ語で「皇帝の山」という意味)といった印象がしますが、この地に城を建て村を作ったのはやはりドイツ人だったのでしょうね。ただ、いまではれっきとしたフランス・アルザスの村なので、発音も変わってしまっているのです。

DSC_0183この村には、アフリカでの人道活動でノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァー博士が、この町で生まれたのは1875年。その生家が「博物館」として残っているほか、15~17世紀に建てられた古い家々が軒を連ねています。村の中心には小川が流れ、水車が。立派な教会があることからしても、かつてはこの一帯の中心地だったのでしょうね。

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DSC_0220村内を散策している途中、たまたまその前を通りかかった金属装飾品の店で、キリンに出会いました。家の外に飾り付ける(もちろん部屋の中でもOKでしょうが)ため錆びにくくする加工を施した鉄製の品。これまで出会ったぬいぐるみや木の細工とはまた異なる趣があり、スーツケースになんとか入りそうだったので、買って帰ることに。

コルマールのすぐ手前に、もう一つ、アルザスっぽい町があるので、そこに立ち寄りました。リボーヴィレ(Ribeauvillé)という町です。人口5000人足らずの小さな町ですが、ワイン生産の中心地。中世の時代からブドウの栽培がおこなわれ、最高級のブドウを産出するグラン・クリュに認定された畑も多くあるそうです。

DSC_0285そして、ここにも日本語音声ガイド付きのプチトランが走っていました。まさかこんなところにまでと思いつつ乗ってみると、きっちり聞こえてくるではありませんか。マルセイユやミラノ、エディンバラでも経験しましたが、この種の音声ガイドから流れてくる日本語はなぜか大時代的というか、難解な語句が多いのが特徴です。その昔、その街で数少ない日本人(音楽や美術を学ぶために留学していたとか……)が地元の関係者から頼まれ、まったく専門外のことをさせられてできたシロモノといった印象がします。まあ、なんとかかんとか理解はできるのですが、聞いていてどうも落ち着きが悪い印象は否めず、いまひとつ身に入りません。

 

DSC_0278それはともかく、小さな町なのであっという間に市街地を抜け、すぐ隣のユナヴィール(Hunawihr)の村(人口は600人弱)へ。ここは“フランスで最も美しい村”の一つに数えられ、観光客に大変な人気なのだとか。途中は一面のブドウ畑で、これならワインもたくさんできるだろうなと納得です。高い建物のいちばん上にはコウノトリの巣が。やはりアルザスの象徴なのですね。

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夕方の早い時間にコルマールに到着。この町は1日もあれば十分に見尽くすことができそう。というか、町の主だった観光スポットを走るプチトランに1回乗れば、とりあえずポイントは十分おさえられるのです。あとは自分で歩いて、もう一度ゆっくり見たいところ、行ってみたいと思ったところまで歩いていけばOK。しかも、このプチトランが安くて、しかも日本語の音声ガイド付き。

私たちが予約したホテル「ラ・メゾン・デ・テートゥ(La Maison des têtes=頭の家)は由緒ありげな建物で、外壁に人間の頭の彫像がたくさん嵌め込まれています。なんでも、17世紀に建てられたとかで、彫刻の数は全部で105個。「頭の家」と呼ばれているのはそのためのようです。お土産屋で売られている絵ハガキにもその写真がありました。

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夕食は、なぜかいちばん店の数が多いイタリアンの店へ。なんで、アルザスでイタ飯を……とも思いましたが、アルザス料理は食材もレパートリーもごく限られているので、これは致し方ありません。でも、おいしかったですよ。余談ですが、ホテルの近くになぜか「NAGOYA」という名のアジア料理店がありましたが、さすがパスしました。KYOTOとかHAKATAというのならまだしも、よりにもよって名古屋ではねぇ。

最高! ザールブリュッケン動物園のキリンたち

2016年8月1日
今回の旅は「アルザス・ロレーヌで(フランスとドイツの)境界を体験する」のがテーマ。最初の4日間はストラスブールで「アルザス」を堪能しましたが、普通ならそこから「ロレーヌ」というコースになるのでしょう。でも、それではずっとフランスにいることになるので、すぐ隣接するドイツの空気も吸ってみたいと思い、ザールブリュッケンに行ってみることにしたのです。

ただ、それだけではありません。ここには大きな動物園があります。それもちょっとのぞいてみたいなと。いや、ほかにめぼしい観光スポットもないこの町に1泊するのは、そのためたけだったかもしれません。

DSC_0929しかし、昨日(7月31日)行ったこの動物園のキリンは、これまででも最高の写真を撮らせてくれました。人が少なかったせいもありますが、「私を撮って!」と言わんばかりの顔を見せながら、絶妙の位置に立つのです。私も大満足でした(そのせいもあってか、シャッター押しまくり)。

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今日の予定はまずメッス(Metz)。ザールブリュッケンからは車で1時間足らずのところです。ここはもう「アルザス」ではなく、「ロレーヌ」地方。町自体の歴史は3000年前までさかのぼります。商業都市で、過去ドイツとフランスに交互に併合されてきたことから、さまざまな建築様式が混在しています。最初に観たのは「サン・テティエンヌ大聖堂」。DSC_0951その前から町全体を回るミニトランが走っていたのでそれに乗りました。観光的にはそれでほぼ完了。川沿いに建つオペラ劇場の素晴らしかったこと。町も、ドイツ人が作ったエリアには、キリッとした印象の高級そうな建物が並んでいました。3時間ほどでメッスをあとにし、ナンシーまで行きます。

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ナンシーはメッスに比べはるかにメジャーなイメージがあります。「アール・ヌーヴォー」の町として世界的に知られているからでしょう。ただ、私たちが予約していたホテルが建つ「スタニスラス広場」(世界遺産)は、違う意味で“ぶっ飛んだ”ところでした。広場の入り口には、黒い鍛鉄にピカピカの金箔をふんだんにほどこしたド派手な門が建っているのです。ほかの小さな門もそのミニチュア版風。ロココ調というそうですが、そのまばゆいばかりの輝きを見れば、だれもが度肝を抜かれるにちがいありません。いまさらながら金の強烈なインパクトを思い知らされました。

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DSC_0034昨日・今日とナンシーの街を歩き回りましたが、そのアール・ヌーヴォーの建築物がそこかしこに残っています。もちろん、いまもなお“現役”です。建物のファサードに壁、ベランダ、装飾、看板……公共施設、商店、住宅を問わず、すべてがアール・ヌーヴォー。いまのようなシンプルでフラットな建物が多いのと違い、この類の建物ばかりだった時代、人々は飽きなかったのでしょうか。そんなことが心配になってしまいました。ただ、建築も“時代の子”ですから、当時は社会のマインドがそういうトーンだったのかもしれません。

 

 

 

DSC_0024そうした中、偶然見つけた「ドミニク=アレサンドゥル・ゴドゥロン庭園(JARDIN DOMINIQUE-ALEXANDRE GODRON)」のいかにも素朴な感じに心を癒されたような気がします。観光客が押し寄せるわけでもないこの小さな庭園は、看板に書かれた説明文によると、その昔薬草を栽培していたとのこと。ナンシーにはペピニエール公園のようなたいそう立派な公園もありましたが、それはそれ。こういう小ぶりで静かな場所でのんびりするのもいいですね。

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お菓子屋さんもそこら中にあります。「ALAIN・BATT」という店では、キリンの姿をしたチョコレートにめぐり会いました。あまりに愛らしく、とても食べようという気にはなれませんが、記念に買ってみました。

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DSC_0120夏の間ナンシーでは、毎晩スタニスラス広場で「音と光のショー」がおこなわれます。これは一見の価値があります。前夜はホテルの窓から観たのですが、今日は広場にすわって楽しみました。広場の南側に立つ市庁舎などの壁面をスクリーンに見立て30分ほどのドラマが上映されるのですが、光の動き、色彩、音、ナレーションがみごとに調和していて、言葉がわからない私たちにも十分楽しめる内容でした。

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花の美しさの年季が違う(!)アルザスの町々

2016年7月30日

昨日(7月29日)は朝5時半から仕事。最初の日より2時間も早く朝食を済ませました。ホテルのレストランは川辺にしつらえられており、パン、ハム、チーズと、何を食べてもGOODです。初めて、この地方の名物菓子も食べてみましたが、これはイケます。ベタベタと甘くないのが特徴でしょうか。

DSC_0789車で郊外に出てみました。10時過ぎに出発し、まずはオベルネ(Obernai)という町へ。ここもこの地方特有の「コロンバージュ」と呼ばれる家が立ち並ぶ光景が素晴らしく、カメラのシャッターを押しまくり。アルザス地方は石材に乏しいため、民家の多くが木造建築です。柱と梁で軸組を組み立て、軸組の空いている部分を白の漆喰、レンガなどで埋めて壁にする木組み(木骨)の構造が特徴だそうです。

フランスを代表するビール「クローネンブール(日本ではクローネンブルグといいます)」の工場があり、フランス国内で消費されるビールの3分の1がここで作られているとのこと。

DSC_080711時半過ぎにオベルネを出て、次に訪れたのはサヴェルヌ(Saverne)という小さな町。この町の中心街の美しさは驚くばかり! 広い遊歩道風の真ん中に大きめの花壇がゆったりと並び、そこを縫うようにして歩くのですが、カフェもレストランも、建物は数百年前のまま。

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この町に来たのは、現地で手に入れた観光パンフレットに、「司祭の館」と呼ばれる建物のライトアップした写真が出ていたから。それを見たかったのですが、写真と合致するものが見つかりません。ランチのあと訪れた観光案内所の人に聞いてみると、「ここのすぐ裏にある」と。でも、さっき行ってみた大きな建物は写真のそれと違います。要するに、私たちが見たのは裏側だったのです。表側は池に面しており、パンフレットに出ていたのは、そちらを写したものだったのです。

サヴェルヌからストラスブールへは1時間足らず。途中、ロータリーで方向を間違えたりなどしながら、3時前には無事、戻ってこれました。今日1日、旧市街全域でおこなわれる「大ノミの市」のため、車の出入りがNGということで、ホテルで教えてくれた公共駐車場に止めました。

現代美術館の地下にある駐車場近くの停留所からトラムを乗り継いで「大聖堂」の近くまで、おみやげのビスケットを買いに。昨日「大聖堂」のすぐ脇にある店をたまたまのぞいてみた折、試食させてくれたアプリコットのジャム入りビスケットを家人が気に入り、買って帰ることにしたのです。缶がなんとも可愛らしく、女性が見たらさぞかし喜ぶにちがいありません。

そのあと「大聖堂」の前にあるカフェで家人はコーラ、私はビールを飲んだのですが、これがなぜかめっぽう利きました。飲みながら、「今日の夜は何も食べないでいいくらい。テイクアウトで何か買って帰ろう」という話に。橋を渡ったところにあるオーステルリッツ通りに立ち寄ってみましたが、めぼしい店はありません。帰る道すがら猛烈な眠気と疲れが襲ってきて、朦朧とした頭でホテルへ。そのままバタンキューで朝まで寝てしまいました。長い海外旅行ではかならずこういう日を経験するものです。

DSC_0696ストラスブール、オベルネ、そしてサヴェルヌなど、アルザス地方の大きな特徴は、どの町も花が美しいこと。これは、フランスで60年近く前からおこなわれている「花の町・村コンクール」の成果のようです。政府観光局の主導で始まったこのコンクール、いまでは、国や自治体の専門家で構成される全国花委員会(CNFF)によって運営されているとのこと。

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その結果、全国どこでも、自分たちの町や村への愛着・連帯感がぐんと高まったといわれています。コンクールが始まるはるか以前から、自治体と住民が一体となって花による町づくりがおこなわれていたそうですが、道路から広場、公園、各家庭の玄関先や窓辺に至るまで、あらゆる場所に草花を植えて入念に手入れをほどこし、花があふれる街並みを作り上げてきた、その成果がみごとにあらわれている感じがします。

ストラスブールにはつごう3泊。今日(7月30日)はドイツのザールブリュッケンに行きます。チェックアウトを済ませ、公共駐車場に1泊させた車をやっとのことでホテルの前まで移動、荷物を載せて出発。道すがら、町のはずれにある「オランジュリー公園」に立ち寄ってみました。

もともとはフランス革命の前、1804年に、ヴェルサイユ宮殿の庭園造りにたずさわった人物が設計したもの。入口からほど近くにあるパビリオンは、ナポレオンが妻ジョゼフィーヌのために建てたそうです。建物の前に英国式の庭園があり、そのまわりには池や森が配されています。

DSC_0871パビリオンの屋根の上にコウノトリの巣を見つけました。アルザス地方はコウノトリの繁殖地として知られており、地域のシンボルになっています。この公園も、木の上や建物の煙突の上など、あちこちにコウノトリが巣を作っているのです。

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DSC_0883「オランジュリー公園」から東へ10分ほど走るとライン川。この中央にフランスとドイツの国境があります。橋を渡ってすぐのところにあるのがケールという町。橋の中央を横切る国境線をまたいでいるところを写真に収めることはかないませんでしたが、ケールに入ってすぐのところでそれに近い写真が撮れました。

ケールを出るとまたフランスに入るので、もう一度国境を越えることになります。昨日行ったサヴェルヌを過ぎ、ECに統一される前は検問所があったとおぼしき場所を通過。色あせた「免税店」という文字が印象的でした。

1時間半ほどで着いたドイツのザールブリュッケンはその名のとおり、ザール川(モーゼル川の支流)の両岸に広がる人口18万ほどの町。ザールラント州は石炭、鉄など地下資源が豊富、しかも交易の要衝地でもあったため、その帰属をめぐりフランスとドイツの間で長らく争いが続けられてきました。ドイツに帰属するのが決まったのは1957年だそうですから、つい60年ほど前。たしかに、フランスとはまったく違う雰囲気で、ラテンの香りはまったく漂ってきません。

予約していたホテルはメルキュール。ロケーションもよく、部屋も清潔、快適で十分な広さ。さすがといった感じがします。本当なら9点くらいつけてもいいのですが、それを妨げたのが、チェックインのとき私たちの相手をした若い女性スタッフです。

笑顔、一切なし。「仏頂面」という言葉は彼女のためにあるのでは、と思いました。最初の「こんにちは。いらっしゃいませ」といったひと言もなし。ひどいのはそのあと。「名前は?」ですと。英語に堪能でない私にでも、“May I have your name please?”と“What’s your name?”の区別ぐらいはつきます。彼女はもちろん後者。チョー事務的というか、冷たい、氷のような態度です。朝食の場所・時間についても、一切教えようとせず、エレベーターの場所も案内してくれません。

車で来ているので、「どこに駐車すればいいですか」と聞くと、「どこに止めたの!?」と詰問口調で聞いてきます。「荷物をおろすため、とりあえずホテルの前に。あなたの右側、窓から見えるでしょう。歩道の上に止めてある黒い車です」と答えると、さもバカにした顔で「そんなところに止めたらダメでしょ!」とだけ。普通ならここで駐車場の場所を案内してくれるのですが、彼女の場合、私のほうから質問し初めて答える始末。

私と家人は、世界各国のホテルに泊まってきましたが、ここまでひどい接客をするフロント係には初めて出くわしました。ナチスドイツの非道を描いた映画に出てくる女性兵士とでも言えばいいでしょうか。私の後ろで待っていた家人も、「鬼みたいな感じね」と怖がっていました。メルキュールともあろうホテルが、こんなスタッフのために不愉快な印象をバラまいてしまっては大きな損害ではないでしょうか。1日も早く、バックヤードの事務職とかに配置転換したほうがいいと思います!

ヨーロッパの涼しい夏はありがたい

2016年7月28日

DSC_0681今日は1日、めいっぱい歩きました。真夏とはいえ、日本のようにギラギラと日が照ることはありません。もちろん、汗もほとんどかかないので大助かりです。さっそく、ストラスブール第一の観光スポット「ノートルダム大聖堂」のある広場まで歩き、その一角にある観光案内所で「ストラスブールパス」を購入します。これ1枚で、交通機関はすべて無料、美術館や博物館など、ほとんどの観光スポットも無料か大幅なディスカウント。それより何より、入場券を買うために財布をいちいち出す手間が省けるのがありがたいのです。

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DSC_0702午後からは、「どこを見ても絵になる」町をぶらぶら。そのあと、名物の遊覧船に乗り、旧市街を取り囲むようにして流れるイル川を一周しました。1時間ほどで戻り「大聖堂」の中へ。142メートルという高さは、1647年から1874年まで世界一だったといいます。これほど大きな建物の窓にステンドグラスをしつらえること自体驚きですが、それ以上にすごいのは絵柄のこまかさ。カトリックの権力の強大さと人々の(この場合は絵描きでしょうか)信仰心の強さはどれほどだったのか、考えさせられました。DSC_0722DSC_0712

 

DSC_0744「大聖堂」を出たあとは、そのすぐ脇から出ているプチトランでストラスブールの中心部を回ります。遊覧船同様、日本語のイヤホンガイド付きなので助かりました。この種の音声ガイドで16チャンネル使われているケースは珍しいですし、8チャンネル(=8カ国語)の場合、たいてい日本語が除外されています。以前はそういうことはありませんでしたが、ここ5、6年は日本語が中国語にとって代わられているケースが多いのです。

DSC_0746イル川の対岸に建つ「アルザス博物館」を訪れてみます。19世紀の家屋数軒をつなぎ合わせ、そっくりそのまま博物館にしつらえたもので、かなりの規模。ただ、中の構造がとても複雑で、見て回るのが大変でした。カトリックのフランスとプロテスタントのドイツとの間を行ったり来たりした地域なので、宗教事情がとても複雑であることを知りました。

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DSC_0762近くの停留所からトラムに乗って「中央駅」へ。遠目に見ると、巨大なUFOもどき。19世紀半ばに作られたレンガ造りの旧駅が、いかにも現代的なガラス張りの屋根と外壁でそっくり覆われているなんとも不思議なデザイン。

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ちなみに、ストラスブールはこのトラムで世界的に有名です。一時は世界中の都市を走っていたチンチン電車ですが、モータリゼーションの波に飲み込まれ、20世紀後半に入ると、その多くが姿を消してしまいます。それを「トラム」という別の形でいち早く復活させたのがストラスブールだからです。

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1878年開業の馬車軌道がその起源で、1930年にはストラスブールからマッシフ・デ・ヴォージュ(Massif des Vosges)やコルマール、ライン川を越えドイツにまで延び、総延長はなんと234キロにも達していたといいます。乗客も、最盛期の43年には7150万人を数えましたが、先のような理由で60年に廃止。ところが94年にそれが復活し、近年は、エコな都市計画のモデルケースとして、世界各国から注目を浴びているとのこと。

夕食はホテルの近くで見つけた1522年創業の店で。私の選んだタルタルステーキはおいしかったですよ。

今日もカンカン照りでなかったので助かりました。たしかに、たくさん歩きはしたものの、途中、船に乗ったりプチトランに乗ったりトラムに乗ったりしたので疲れもそれほど感じません。

“トラベルイズトラブル”3篇

2016年7月27日

朝6時前にフランクフルト空港着。いつもは乗り継ぎでしか降りることもないのですが、今回はここでレンタカーを借りての旅です。ナビもまあまあスムーズにセットでき、7時10分には出発。家人が助手席から「右側通行!」と何度もアナウンスしてくれるので、しばらくするとすんなり慣れました。

目的地はフロイデンベルク(Freudenberg)という小さな町。1時間少々で到着したのですが、想像していたのとはどうも様子が違う感じがします。ここからが「トラベルイズトラブルの第1篇。地元の人に聞いてみると、わかりました。私たちがやって来たのは、ドイツ国内に全部で5つある同名の町の一つではあるのですが、別のフロイデンベルク(正確には、このあと「am Mein(=マイン河畔の)」と続く)だったのです。

というわけで、そこからストラスブールまで230キロの道のりをトコトコ走りました。第2篇は、旧市街の名所「プティット・フランス」にあるホテルに着くまでのひと騒動。ナビに住所を入力できないのです。街に入ってからなんとか入力まではこぎつけたのですが、ホテルには到着できずじまい。結局、すぐ近くの公共駐車場に止め、石畳の道を歩いて5分。ホテルのフロントで事情を話し、どこに車を駐車すればいいのか尋ねると、どうやら入力する住所がほんの少し違っていることがわかりました。先に止めた公共駐車場から苦心惨憺して車を出し、ホテルの駐車場まで移動、やっと一件落着です。

第3篇は、ノートPC用のバッテリーケーブルを東京に置き忘れてきたこと。ホテルの部屋に入り、接続しようとすると「あちゃ~ッ!」です。ノートなのでとりあえず数時間は稼働しますが、切れたらおしまい。新しく買わなければなりません。とりあえず、町でいちばんにぎやかそうなグーテンベルク広場まで出て、電気屋を探してみました。でも、なかなか見つかりません。近くにあった携帯電話関連グッズ販売店に入って聞くと、「うちにはないけど、FNACにはあるんじゃないかな」と。

場所を教えてもらって行ってみたのですが、そこでは扱っていないとの返事。「どこならありそうですか?」と尋ねたところ、その店員は、店の名前から住所、地図、FNACからの行き方、所要時間まで、詳しく懇切丁寧に教えてくれました。行ってみたら、いかにも町の電気部品屋さんといった感じの小さな店。ようやくそこで買い求めることができ、ピンチを脱しました。でも、初日で3回ものトラブル。この先が思いやられます。

DSC_0625ホテルはストラスブールの名所プティット・フランスに建つホテルにチェックインし、ネットで調べてもけっこうわかりにくかったのですが、私たちが行こうとしていたのは、ノルトハイン・ヴェストファーレン州にあるフロイテンベルク。どちらもフランクフルトの空港からほぼ等距離なのですが、方角がまるで逆なので、あきらめて正解でした。

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夕食はホテル近くのアルザス料理店で。2人でピザ(生地がチョー薄い)、オニオンタルト、シュークルート、ポテトの煮込み料理を。シュークルートはボリューミーすぎて、食べ切れずじまい。ただ、さすがアルザスのリースリングから生まれた白ワインは上々でした。

 

写真展『日本の灯台』に行ってみました

2016年7月20日
午前中西新宿8丁目で打ち合わせがあったついでに、1丁目のギャラリーでおこなわれていた旧知の写真家Oさんの写真展に行ってみました。前夜、これも旧知の編集者Kさんから電話があり、雑談している中で教えてもらったのですが、ちょうど今日行く場所の近くだとわかり、行ってみようと。

残念ながらOさん自身は撮影の仕事が入っていたようで会場にはいませんでしたが、これまた35年ぶりくらいで会った奥さんが会場におられ、しばし思い出話を。日本各地にある灯台(全部で3300もあるそうです!)の中から、選びに選んだ30ほどの灯台を撮った作品はどれも皆見ごたえがありました。

つい2年ほど前に行った長崎県の大瀬崎灯台など、「こんなにきれいだったんだ」と、うれしくなりました。私たちが現地を訪れたときはちょうど霧がかかっていて、ほんのチラッとしかその姿を拝むことができなかったのです。台風が日本に近づくたびにテレビやラジオ、新聞で見聞きしている「潮岬」も初めてその姿を見ました。

灯台を撮り始めて20年ほどだそうですが、日本にはまだまだいいものがたくさんあることを知り、とても元気が湧いてくると同時に、自分も観に行ってみようという気持ちにもなりました。

このブログが本になった!

2016年7月19日

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夕方、小石川書館のIさんと社長がやってきました。今日見本が完成した単行本『「いい夫婦」の旅術』を届けに来られたのです。新刊を手にするのはいつだって感慨深いものですが、今回はひとしお。もともと本にしようなどとは考えもしていなかった素材なので、とても不思議な気がします。

そもそもはこのブログに勝手気ままに書き散らかしていた雑文を、たまたまIさんが見つけ、今年の2月、連絡をもらったが事の始まり。Iさんとは、私の大学時代の友人と高校が同じだった縁で顔見知りだったのですが、一緒に仕事をしたことはありません。年賀状を交換し合うだけのつながりが30年ほど続いていましたが、まさかこんなオファーがあるとは思いませんでした。

それでも、ブログに目を通してくださっていたというお話を聞けば、悪い気はしません。一度は世に出した文章でもあるし、うまく編集してもらえればそこそこの本には仕上がるのではないかと思いました。

それから3カ月、6月中旬までかかって、これまでアップした膨大な量の原稿を整理、修正・加筆といった作業を積み重ね、ようやく完成したのです。タイトルもいいですし、拙宅に置いてあった雑物をもとに作ってくださったカバー写真もかわいい感じで、いい本に仕上がりました。Iさんはじめ編集にたずさわってくださった方の苦労がしのばれます。本当にありがとうございます。

今年はたまたま私たち夫婦にとって結婚40周年。手前勝手ではありますが、“記念品”にしてしまおうなどとも考えています。でも、本はやはり売れてナンボのものですから、これから真剣にプロモーションを展開していく必要があります。さて、さて、どうしますか……。

「サンウルブズ」の日本国内最終戦

2016年7月2日
今日もまたなんとも蒸し暑い日でした。そんな中、午後2時15分キックオフで「スーパーラグビー」の国内最終戦がおこなわれました。チケットを買ったときから疑問に思っていたのですが、7月2日になんでデーゲームなの!? 南半球からやってくるチームに対する敬意というか配慮がまったく感じられませんよね。

この季節、この時間帯なら南半球のチームがネをあげて「サンウルブズ」にチャンスがなんて思ったわけではないでしょうが、それにしても……。ラグビー自体はもともとウインタースポーツだと思っているのですが、夏にやってもおかしくはないでしょう。でも、それならそれでせめてナイトゲームにしてほしかったですね。

試合は「サンウルブズ」の完敗。キャプテンの堀江翔太やトゥシ・ピシなど主要メンバーを欠いていたので勝ち目はなさそうだと思っていましたが、案の定でした。まあ、今年は初めてのシーズンですし、準備時間もほとんどゼロでしたから、こうした結果に終わってもやむを得ません。しかし、苦しい戦いが続く中で学び取ったことはいっぱいあろうかと思います。来シーズンはそれを糧に、もう少しいいゲームを見せてほしいですね。

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久しぶりのテストマッチ「日本対スコットランド」

2016年6月25日
dsc_0568昨年9月以来のテストマッチが先週からおこなわれています。先々週はバンクーバーで日本対カナダ。これはなんとか日本が勝ちました。先週はスコットランド戦が大阪でおこなわれ、敗戦。そして今日がスコットランドとの第2戦です。場所は味の素スタジアム。

味スタに行くのは数年ぶり。前回は陸上の日本選手権でした。観客も少ないイベントなので、なんの不満も感じませんでしたが、今日は、昨年のワールドカップで南アフリカを破るという衝撃的な結果を提供してくれたラグビー。相手も、W杯で唯一負けた相手スコットランドですから、観客数も大変な数になるでしょう。

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ただ、だからといって、中に入るのに100m以上も並ぶというのは納得が行きません。入口の数が少なすぎます。しかも荷物チェックがあり、それがたったの1カ所。そこまで行くのに、いったんチェックゲートの前を通り過ぎてから列の最後尾まで行き、そこからまた戻ってくるという非効率的な方法を取っているものですから、イライラさせられます。JRFU(日本ラグビーフットボール協会)の未熟さ、というかあまりに稚拙な運営ぶりにはいいかげんガックリ来ます。2019年のW杯、本当に大丈夫なのでしょうか。

dsc_0600今日のゲームは、日本ラグビー史上初めてという天覧試合。ハーフタイムに両陛下がロイヤルボックスに入場されましたが、私たちがすわっていた席のすぐ真上でしたから、間近でお顔を拝することができました。いつも柔和な表情をされている天皇陛下に観客も皆総立ち、温かい拍手を送っていました。

それだけに勝ってほしかったのですが、スコットランドは、フィジカルもさることながら、やはり試合の運びが格段に上です。100年以上も強い国々を相手に試合をし続けているのですから、当然といえば当然。結局、日本はトライを奪いながらも、ノートライのスコットランドに負けてしまいました(スコアは16対21)。

ニューサウスウェールズ州立図書館には感動

2016年5月30日
今日はメルボルンに移動です。午前10時がレンタカーのリターン時間。ホテルからは10㎞ほどのシドニー空港近くにオフィスがあるのですが、ガソリンの補給もあるので、朝8時すぐには出発。空港近くのガソリンスタンドをナビにセットし、給油を終えたあと今度はレンタカーの事務所をセット。ものの10分足らずで着くはずでしたが、最後の土壇場でナビを見誤り、まわりをぐるっと1周させられたため、30分もロスしてしまいました。それでも10時少し前に到着し、無事返却。隣接するメルボルン行き飛行機が出発するターミナルには余裕で着きました。

dsc_0393今日のフライトはLCCのJETSTAR。すんなり手続きを終え、12時15分発の便に乗り、1時35分にはメルボルン到着。LCC用のターミナルはまだ新しいせいもあってかすこぶる清潔なのが印象的です。荷物を受け取ると、すぐスカイバスに乗りました。30分もかからずにサザンクロス(Southern Cross)駅に着き、スーツケースを転がしてホテルまで。シドニーと同じ「インターコンチネンタル」ですが、こちらはまた一段と強く歴史を感じさせるクラシックな建物です。地下1階から7階まで吹き抜けになっていてロビー階があるのは2階部分にあたるので、地下1階にあるコーヒーラウンジを廊下から見下ろす形になります。

部屋の窓も吹き抜けになっている側についているので、外側の景色はまったく見られません。吹き抜け部分の天井から注ぐ日の光だけが明かりのもとですから、なんだか不思議な感じがします。

dsc_0404荷ほどきもそこそこに中心部に向けて歩き始め、お腹も空いていたので食事に。ブロックアーケードという古いショッピングビルで見つけた小さなカフェに入って済ませました。ほんの狭い店ですが、味はレベルが高く、ビーフバーガーとペンネ・ボロネーゼを2人で平らげました。

 

そのあと訪れた州立図書館には驚くとともに感動しました。まずはその建物。美術館といってもおかしくないほどの設計です。中もまた大変な広さで、3階までしかありませんが、入ってすぐのところにある開架室には机がぎっしり並べられ、そのほとんどが大学生たちによって占められています。ほぼ全員、ノートパソコン持参で調べごとや勉強に励んでいる風でしたが、よほど勉強しないと、大学にはいられないのでしょうね。

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書館に入るころから家人が「疲れた」という言葉を口に出していたので、見終えるとすぐタクシーでホテルに戻りました。そのまま家人は朝までずっと眠っていたようです。私はそのかたわらで少し仕事をこなし、さらに8時過ぎから川を渡った先にあるオーストラリア最大のカジノ「CROWN」の様子を見に行きました。こちらも大変な広さで、端から端まで5分ではききません。ここもやはり中国人の姿が目立ちますが、インド人もオーストラリア人もいますし、マレー系の人も少なくありませんでした。

「VIVID SIDNEY」はいまイチの感

2016年5月29日
今日はシドニーに戻ります。高速に乗る前に、キャンベラの動物園をのぞいてみました。豊かな自然の中にある環境的には恵まれた動物園なのですが、サービス精神に欠けているというか、どこに何がいるのかが非常にわかりにくく、疲れました。キリンはわりと早いうちにお目見えできたのですが、それくらいしかなく、あとは……。

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dsc_0370早々に動物園を出て、一路シドニーへ。夕方5時前にホテルにチェックインし、夜のナイトクルーズに急ぎました。「VIVID SIDNEY」が一昨日から始まっており、今日が最初の日曜日。ダーリングハーバーから次々とクルーズの船が出発します。私たちはいちばんシンプルなメニュー(=ディナーなし)の船。1時間でサーキュラーキー周辺のあちこちに仕掛けられた光のオブジェやライティングのほどこされたハーバーブリッジ、対岸のミルソンズポイント、オペラハウスや周辺の高い建物に投影される光の芸術の数々を堪能しました。

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ただ、家人にいわせると、色彩や造形の手法が日本人の感覚にはなじまないのではないかと。美に対する感覚がやはり違うのでしょうね。

寒い夜に、チョー寒い試合を見せた「サンウルブズ」

2016年5月28日
10時にレンタカーをチェックアウトし、キャンベラに向けて出発。いつものように、最初のナビのセッティングに手間取りましたが、なんとかクリアできました。高速道路の1本道。シドニー市内とその近郊はまだしも、50、60キロ離れたあたりからは草と木だけ。町も村もありません。もちろん人の姿もなし。ときどき牛と羊の大集団が見えますが、基本的には何もないところを走っていきます。日本の高速道路でいうサービスエリア、パーキングエリアのようなものはもちろんありますが、それとて無人のところがほとんど。キャンベラまでの間に2カ所だけ、店舗のあるところがありました。

あまりに退屈で眠気をもよおしそうになるので、途中3回ほど車を止め一服しました。夕方4時前にキャンベラに到着。さすが首都、美しい街です。シドニーもそうですが、オーストラリアの魅力は空気がすこぶる澄んでいること。車も相当の量が走っていますが、国土がとてつもなく広いので、当然かもしれません。

dsc00640ホテルは「ヒストリカル」を謳っているだけに、古いつくりです、しかし、敷地が大変に広く、1階と2階にフロアに大小の宴会場(パーティールーム)が合わせて30以上はあるでしょうか。吹き抜けの廊下部分から細い回廊が縦横に出ていて、そこに部屋があります。3階建てですが部屋数は100以上ありそうです。

 

 

dsc00648今日の朝食はレンタカーを借りに行く途中にあったカフェで買ったチキンラップにコーヒーを立ち、いや歩き食い。昼間はマクドナルドのフィレオフィッシュというプアな内容だったので、夜くらいはと街の中心部までタクシーで。首都の中心部ですから、人も多そうですし、飲食店はかなりの数ありました。たまたま前を通った中華料理の店に入ったのですが、これが大当たり。私たちが入った6時過ぎから30分ほどの間に12~13組の客が入り、ほぼ満席に。3品ほど注文しましたが、日本人の舌にも合う品ばかりでした。

dsc00613店の近くにあるバスストップから無料シャトルバスでスタジアムまで15分。途中は何もなく真っ暗な道。着いたスタジアムも昨日ほど大きくないので、目立ちない感じがします。収容人数は2万ほどでしょうか。客の入りは6分ほど。新参者でまだ1勝しかしていない「サンウルブズ」が相手ですから、地元の「ブランビーズ」もそれほど緊迫感がありません。とはいえ、プレーオフのからみもあるので、メンバー的にはほぼベストの布陣です。

結果もそのとおり。コールドゲームという言葉がありますが、66対5という大差で「ブランビーズ」の勝ち。2℃という寒さがこたえた(風が吹いていなかったのが救いですが)ゲームでした。

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ノーサイドの笛までとても待っていられず、10分前にスタジアムをあとに。冷え切った体を温めようと、ホテルのラウンジでワインを1杯飲みましたが、最悪・最低の試合でした。これで「サンウルブズ」は全18チーム中最下位に転落です。

「ワラターズ」対「チーフス」のゲームはハイレベル!

2016年5月27日
朝はサーキュラーキーの西側にあるロックス一帯を歩いてみました。イギリス人が最初に上陸した場所だそうです。古いレンガ作りの建物が多く、目の前に架かるハーバーブリッジが一段と大きく見えました。ホテルで食べた昨日の朝食が値段(42ドル×2)とまるで見合っていないので、今日は外でと思っていたら、1軒、おいしそうな店を見つけました。そこで、ツナサラダ、バナナパンケーキ+カナディアンベーコン、コーヒー、カプチーノを注文。これでしめて29・5ドル。十分に満足です。オーストラリアの食事は総じて薄味に仕立ててある印象がします。

dsc_0224北のほうに向けてさらに歩くと、坂の上り下りが多いことに気がつきました。古い教会のすぐ隣が高層ビルだったり。それが中心街の特徴なのですが、といって不調和な感じはしません。

一度ホテルまで戻り、ひと休みしてまた植物園に。海沿いの道をオペラ劇場方向にぶらぶら歩いていくと、美しいフォルムのオペラ劇場がどんどん間近に迫ってきます。ロケーションのせいもありますが、風が強く、写真を撮るのも大変。

今夜から始まる「VIVID SIDNEY」の最終準備も着々と進んでいるようです。植物園も今年から会場になるらしく、1万個のLEDライトで作ったトンネルのようなものができています。明後日の夜、見るのが楽しみになってきました。

埠頭のすぐ横にあるオペラ劇場の付属施設とおぼしき巨大なカフェの先にさらにいくつもの店が並んでいたので、その中の1軒に入りしばし休憩。アペロール・スピリッツ、ラズベリー風味のヴァージンモヒートを飲みました。帰りも植物園の中を抜け、総督公邸の横を通ってホテルに。

今夜は「スーパーラグビー」の観戦なので、その準備をしてサーキュラーキーのバス停まで歩いていきます。サポーターと思しき服装のお年寄り3カップルがいたので、勝手に“あたり”をつけ、6人が乗り込んだバスに。目的地のムアパークに着くと、広大な敷地に大きなスタジアムが2つ、さらにシネコンや劇場もあるようでした。今夜はクリケットもビッグゲームがあるらしく、あたりはごった返しています。

dsc_0282ラグビー専用のAlliantzスタジアムは4万5千人収容。中に入ると、私たちの座席は前から7列目、しかもほぼハーフウェーラインのところ。ただ、試合が始まって気がついたのですが、あまり前のほう、しかもグラウンド上とさして変わらない高さで見ても、全体の様子はつかみにくいときがあります。

試合はオーストラリア・カンファレンスの1位・「ワラターズ」(シドニーが本拠地。チーム名は「赤い花」の意)とニュージーランド・カンファレンスの1位・「チーフス」(ともに今日時点で)どうしの対戦。さすがハイレベルです。「チーフス」のジャージはえらく派手で、黒地にタトゥーを思わせるような幾何学模様が胸の上とおへその上あたりに染め抜かれています。

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「ワラターズ」のキャプテン7番(マイケル・フーパー)、ウィング(イズラエル・フォラウ)など、W杯でおなじみの顔がいくつも見えます。「チーフス」のキッカーを務めるダミアン・マッケンジーが蹴る前に見せるルーティンで、最後に浮かべる不敵な笑いが大ウケしていました。

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試合は45対25で「ワラターズ」の勝ち。終了後はおそらく主催者が用意していると思われる無料のシャトルバスでホテル近くの停留所まで戻りました。このシャトルは、試合の入場券を持っている人はだれでも無料。さすが、ラグビーの先進国!

 

“世界一ぜいたく”なキリン

2016年5月26日
時差がないというのは本当に楽です。朝も普通に目が覚めました。タバコを吸うために1階まで降り、外に出ると、ちょっと肌寒い感じがします。いつ雨が降り出してもおかしくない、どんよちとした曇り空。今日は動物園に行く予定をしているのに、大丈夫だろうかと心配になりました。

朝食を済ませ、サーキュラーキーまで。タロンガ動物園は私たちが泊まっているホテルの、海をはさんだ向かい側にあります。船で行くことはわかっているのですが、今日はあとの行動を考え、パスを買いました。「opal」というカードで、1枚20オーストラリアドル。これで乗り放題なので回数にもよりますが得ですし、何より乗るたびにチケットを買う手間が省けます。

dsc_0104どんより曇っていた空がとうとう泣き出したようです。大きなフェリーに乗って10分少々で到着。桟橋を降りたところにバスが待っていて、動物園の門まで行けます。今年で開園100周年というタロンガ動物園。雨にもかかわらず、小学生・中学生など、子どもの集団がたくさん来ていました。

ここのキリンは素晴らしいロケーションのところに4頭います。しかも、バックに世界遺産のオペラハウスとハーバーブリッジがあるのです。アメリカ西海岸サンタバーバラのキリンも太平洋がバックでしたが、ここは海だけでなく素晴らしい眺めが背景。高層ビルもタワーも見える動物園というのは世界でもそうはないでしょう。こんないい場所で飼われているのをほかの動物園のキリンが知れば、さぞかしうらやましく思うにちがいありません。

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チンパンジーもゴリラものびのびしていましたし、3頭の家族でゾウが水浴び・泥浴びまでしている場面にも遭遇。アフリカのサファリで目にして以来のことで、とてもうれしくなりました。こんなことが可能なつくりになっている動物園は初めての経験です。

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帰るころには雨もすっかりあがっていました。動物園から市内に戻るフェリー埠頭まで行くバスの待ち時間が長かったので、路線バスで市内中心部まで行くことに。ハーバーブリッジを渡り、ワインヤード(Wynyard)というところまで30分もかからずに着きました。そこからぶらぶら歩いてピットストリートの路上モールまで。この一帯はユニクロ、H&M、ZARA、FOREVER 21など、若者向けの店が軒を連ねています。

dsc_0196ランチをと、老舗のデパート=デイビッド・ジョーンズ(David Jones) の地下食品売り場へ。イートインの店がいくつかあり、その一つで食べました。昨日のフードコートとは一変、大人というか、引退したお年寄りというか、そういう人たちにフィットしていそうな感じです。値段も地上店とさして変わらず、しかもレベルは上。私が注文したフィッシュ&チップスも、フィッシュが、食べやすいように、あるいは油が中までくまなくまわるようにするためか、3、4片に小分けしてあり、イギリスとはずいぶん違います。味もそのせいか繊細な感じでした。

地上に上がったところにハイドパークという大きな公園があったので、そこに行ってみました。もともとは競馬場だったところを公園にしたようで、美しい噴水や教会ともマッチしていたのが印象的です。

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評判にたがわず美しいオーストラリア

2016年5月25日

初めてのオーストラリアです。きれいなところです。空港でのもろもろの手続きがあっという間に終わったのが何より素晴らしい! 入国はまずパスポートを読み込ませます。すると、小さなカードが出てくるので、それを係官のいるブース横の機械に差し込めば完了。ここまでわずか5分足らず。当然パスポートにスタンプも押されません。アメリカの入国手続きもこうあってほしいなぁと心底思いました

預けた荷物を受け取ると、次は税関。先ほどの機械に差し込んだカードと、機内で書き込んだ簡単な書類を渡せば一切終了。あとは市内への交通機関を選ぶだけとなります。ターミナルビルの外に出ると、やはり成田を出てきたときとは違いやや肌寒い、というか涼しかったですね。日本でいうと10月下旬といったところでしょうか。

dsc_0032私たちのホテルは、エアポートエクスプレスという電車で5つ目の駅サーキュラーキー(Circular Quay)で降りて徒歩5分のところ。まだ午前10時前だったので、とりあえず荷物だけ預け、部屋はあとでということになるかと思っていたら、あにはからんや、部屋にも入れてくれました。荷ほどきを済ませるとさっそく、ホテルにすぐ近くにある王立植物園へ。海っぷちに位置しているのですが、きれいに整備されているのはやはりイギリス流。

dsc_0080 植物園からタクシーで中心部にあるQVB(Queen Victoria Building)へ。1898年に建てられたビルですが、現在はショッピングモール。4階建ての中央部は完全な吹き抜けで、外壁に沿って回廊があり、そこに店が並んでいます。地下はその周囲にある新旧の建物いくつかとつながっており、巨大な地下街になっていました。

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dsc_0060その中にフードコートがあったのですが、大変な広さで、KFCやサブウェイなど有名ファストフードチェーンの店のほか、和食(寿司、ラーメン)、中華、ピザ、インド、メキシカン、トルコ料理など、30近い店ほどがまわりを取り囲むスタイル。そこをあとにし、すぐ近くのタウンホールと聖アンドリュース教会を見てタクシーでホテルに戻りました。家人はベッドで爆睡。私はといえば、もちろん仕事。

夜になり、ホテルからタクシーで15分ほどのところにあるカジノに行ってみました。平日のため空いていましたが、雰囲気もマシンもラスベガスと遜色ありません。この日は特別に空いていたようですが、それはショーがなかったせいもあるようで、ふだんはもっとごった返しているそうです。2時間ほど軽く遊んで帰りました。

極寒・雨天でも決行! ニューヨークでのお花見

2016年5月1日
天気はしとしと雨、気温は52°Fといいますから摂氏にすると11℃という中、朝からブルックリンの植物園まで行きました。地下鉄を乗り継いでおよそ1時間かかったので、けっこう乗りでがあります。
毎年4月下旬から5月初めごろ、ここでは「SAKURA MATSURI」(2016年で35回目だとか)が開かれており、近年はとくに入場者が増えているとのこと。わずか2日間の開催にもかかわらず6万人を超えるといいます。
ニューヨークにはここ以外にもあちこちで桜が植えられているようで、前日セントラルパークに行ったときにも探してみたのですが、こちらはすでに散ってしまっており、八重桜が1本だけ満開でした。しかし、それだけでは物足りないということで、夜ホテルに戻ってネットで調べてみると、ブルックリン植物園の桜の開花状況が写真入りで紹介されていました。すると、一部のエリアはすでに散っているのですが、このイベントがおこなわれる「チェリーエスプラネード」はまだ満開だとあります。
今年は日本でもすでに桜は見ました。しかし、“ニューヨークで花見”というのも粋じゃないかと、ギリギリまで迷いましたが、やはり誘惑には勝てません。予想をはるかに上回る寒さでも、雨が降ってもなお目標を達成しようとする私の粘っこさに家人はほとほとあきらめ気味。

せっかく満開の桜を観られたのですから写真を撮ろうと家人に声をかけます。
「サービス精神でね。寒そうな顔をしたらダメよ!」
というと素直に笑顔を向けてくれました。

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ブルックリン植物園のオープンは1910年。園内には日本庭園や桜の小道・遊歩道がありました。100年前、アメリカ国内で一般に公開された最初の日本庭園だそうです。最初の桜が植樹されたのは1921年。「関山」「枝垂れ桜」「白妙」など30種類以上、220本の桜が植えられています。

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セントラルパークにも、先に書いたように、それなりの本数がそろっているようですし、タクシーで走っていたら、パークアベニューの中央分離帯に桜の若木とチューリップが植えられているのに気がつきました。両方同時に咲く時期はさぞかし美しそうです。これを観れば、渋滞でいつもカッカしているタクシードライバーの気持ちも和むのではないでしょうか。

ハーレムの西側、コロンビア大学があるモーニングサイドハイツ(リバーサイド・ドライブと西122丁目の角、ハドソン川沿い)にも1912年オープンの「さくらパーク」があり、ここには1960年、東京・ニューヨークの姉妹都市提携を記念し、当時の皇太子妃ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)が足を運ばれたそうです(その後87年にも再度ご訪問)。

マンハッタンの東側、クイーンズの西側を流れるイーストリバーに浮かぶ細長い島=ルーズベルトアイランドにも数百本、さらにニュージャージー州ニューアークのブランチ・ブルック公園には4000本もの桜が咲き誇るとか。

それにしても、この寒さはいったいなんなのでしょう! ネットのニュースをチェックしてみると「西日本各地で夏日」などという文字があります。それほど緯度が違うわけでもないのに、ニューヨークというか、アメリカ東部は油断がなりません。どんな季節に行くときも、かならず防寒用の服をスーツケースに突っ込んでおくべきだと2人して反省しました。

 

観ましたーーっ! 『ハミルトン』

2016年4月30日
今回のアメリカ旅行の目玉はブロードウェーのミュージカル『ハミルトン』です。
タイトルにもなっている(アレクサンダー・)ハミルトンはアメリカの初代財務長官で、いま出回っている10ドル紙幣の肖像にもなっている人物です。その生涯を描いた作品なのですが、これがいま大変な人気だという話を聞いたのは3カ月ほど前のこと。

25年間通っている池袋のお寿司屋さんのカウンターでたまたま隣り合わせた方から教えてもらったのですが、「チケットは何カ月も先の分まで売り切れで、出回っているのはリセール(転売)のものだけ」とのこと。まずまずの席でも800ドル以上(!!)出さないと買えないといいます。仕事柄、30年近くブロードウェーに足を運んでは数々の作品を観てきているその方のおすすめとあっては、私たちも観ないわけにはいかないでしょう。

家に帰りさっそくネットで調べてみると、話のとおり、通常のチケットは1枚もありません。いくつかの業者が手がけているリセールチケットだけで、なかには2000ドルを越えるものまでありました。これでトニー賞なんぞ受賞したらもっとひどいことになりそうだと思い、ひと晩でニューヨーク行きの計画を立ててしまったのです。航空券の空き状況や値段をチェックした上で、リセールチケットのサイトをいくつか見ながら、「これなら」というものを探し当て、なんとか買い求めることができました。

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Dsc00340そして、今日がその日。土曜日の日中とあってタイムズスクエア周辺は大変な人出です。『ハミルトン』が上演されているリチャード・ロジャース劇場の前には、開演1時間以上前だというのに、長い行列ができていました。全席指定なので、早く行ったからいい席にすわれるわけでもなんでもないのですが、やはり気持ちがはやるのでしょうね。あとで聞いて知ったのですが、毎回、20枚ほど当日券が売り出され、その抽選に当たると、10ドルで観られるのだそうです。それを目ざして並んでいた人もいたにちがいありません。

Dsc00344劇場自体は古めかしく、それに狭いものですから、階段を昇っていくのも大変です。私たちがなんとか手に入れた席は2階バルコニー席の前から3、4列目あたりでまずまずでした。しかし、高校生のグループもいれば親子連れもいるといった具合で、これまでのブロードウェー・ミュージカルとはだいぶ様子が違う感じがします。それだけ幅広い客層に支持されている(=大ヒットしている)ということなのでしょう。その理由はやはり、作品のユニークさにあるようです。

何が違うのかというと、この『ハミルトン』、台詞(=歌)がすべてラップになっているのです。そのため、台詞の文字量が普通のミュージカルのほぼ倍だとかで、役者も大変なのではないでしょうか。また、作品を企画し、台本を書き、なおかつ主役まですべて同じ人(=リン・マニュエル・ミランダ)だというのも話題を呼んでいるようです。」しかも、そのミランダは主人公ハミルトンと同じプエルトリコからの移民。アメリカが独立を勝ち取り、憲法を制定しようとしていた当時の話で、内容はけっして甘いものではありません。もちろん、女性も登場はしますが、メインのテーマはどちらかといえば"お堅い系"です。ただ、それがラップ仕立てになっているのがミソなのでしょう。舞台に出ているのもほとんどが移民の役者ですから、ある意味リアリティーもあります。

それと、音楽が素晴らしかったですね。昨年のグラミー賞を受賞しているといいますから、それも納得です。私たちもそれだけは同感。というより、台詞のほうはラップなものですから、正直、ほとんど聞き取れずじまいだったこともあります。あらあらのストーリーは予習していきましたが、やはりそれだけでは……という感じでした。ただ、トニー賞(6月に発表される)を取れば、いまよりもっとプレミアがつき、チケットも取りにくくなるのではないでしょうか。その前に観られたということでよしとしなくてはいけませんね。

初乗り運賃さえ下げればOKなのか?

2016年4月5日
「あっ、そこで止めてください」と運転手に声をかけた瞬間、メーターが1000円から1090円に。東京でタクシーに乗っているとよく経験するできごとです。ポケットにしまった財布をまた取り出し、100円玉を1つ付け足して払うハメにおちいるのですが、それより何より不愉快なのはメーターの刻みが「90円」と大きいことです。「だから、タクシーはイヤなんだよなぁ」。これがかりに「20円」とか「30円」だったら、そういう気分にはなりません。

今朝の朝日新聞1面、それもトップに、「タクシー初乗り、東京400円台も 距離縮め、来春にも」という記事が出ていました。「2キロ730円」という現在の初乗り料金を、「1キロ強で400円台」に下げ、「高齢者や子連れ客らに、買い物などの近距離でも気軽に乗ってもらう」ようにするためだそうです。

初乗りが下がれば乗りやすくなるのは間違いありません。歩いて13~14分を超えるかどうかがタクシーに乗る・乗らないの目安になるのも、経験上わかります。雨でも降っていればいいところ10分でしょう。しかし、これだけがタクシーに乗る決め手なのかというと、違います。私はむしろ、初乗り距離を過ぎてから加算されていく金額の幅がけっこう影響すると思っているからです。

東京のタクシー業者にこうした感覚がないのはなんとも不思議な気がします。先日、ミラノでタクシーに乗ったとき、なんと10セント単位で上がっていくのを経験しました。10セントといえば13円です。これほど少額の刻み幅は私にとっても初めての経験です。もちろん、13円ですから距離は短いですよ。ただ、メーターが上がっていってもそれほど気になりません。まして、血圧が上がったりイライラしたりすることなど一切ありません。

ロンドンなど、初乗り運賃の実質は東京の約4倍です。これをもとに「いや、東京のほうが断然安い」といわれれば、たしかにそのとおりかもしれません。でも、その後の加算による刻み幅は「32円」です。距離と金額を比べると、東京のほうがわずかに割高なのですが、小さく刻まれている分、不愉快な気分を味わうことはありません。

先の記事によると、「大手の日本交通は(中略)、初乗り距離を1・059キロに縮め、運賃は410円。その後、235・25メートルごとに80円を加算し、2キロ時点で730円とする」とのこと。「90円」から「80円」にほんの少しだけ刻み幅が減るようですが、私の感覚からするとまだ不十分です。初乗りは「1キロで400円」ポッキリ、加算は「60メートル程度で20円」くらいが妥当でしょう。いまの初乗り730円に到達するまでの距離はほとんど同じですから、問題ないはずです。

見かけの金額の差は60円。小さな子どもを育てている親にとって、60円あればお菓子の1つ、2つ買い与えることができます。運賃改定の趣旨が「少しでも利用しやすく」ということなら、そうした現実も踏まえた上で料金体系を考えてほしいものです。

やっぱり私は「花よりダンゴ」かと思いきや

2016年4月3日
3、4日前から東京も桜が満開。都内では昨日・今日と、お花見渋滞があちこちで起こっているといいます。今日は日曜日ということもあって、そんな都内を家人と2人、車で“パトロール”してみることにしました。といっても、メインの用件は門前仲町に住む長男一家にイタリアのお土産を届けること。午後2時過ぎに家を出て、途中、学習院大学正門や新江戸川公園といった、渋滞までは引き起こさない道も通沿いにある桜の名所も見ました。混雑していそうな皇居前はナビのおかげで回避し、すんなり目的地に到着。

dsc00232そのあと、まっすぐ帰るのももったいないので、「羽二重だんごでも食べたいね」という話になり日暮里へ。途中、言問橋など隅田川の周辺は大変な人出のよう。幸い、どこでも渋滞にはひっかからず日暮里駅近くの店に。閉店の1時間ほど前でしたが、席もすぐに空き、2本で540円というチョーぜいたくな羽二重だんごをいただきました。何かの催しでたまにデパートに出店した機会に出くわして食べたことはありますが、本店で食べたのは初めて。一段とおいしかったです。

やっぱり私は「花よりダンゴ」だなぁ、などと納得しかけたのですが、日暮里駅といえば谷中霊園の目と鼻の先。墓園を“桜の名所”と呼んでしまっていいのかという疑問もありますが、店と線路をはさんだ反対側にある墓園まで足を延ばしてみました。上野公園のすぐ近くなのですが、こちらは喧騒とはまったく無縁。みごたなまでに花を咲かせた桜の木が並ぶ道をゆっくり歩き、堪能しました。枝ぶりの大きな、しかも下まで垂れ下がっている桜はやはり何物にも代えがたい美しさで迫ります。うっとりした顔で桜を楽しむ外国人の姿も目につきました。私たちも「花よりだんご」で済まずによかった!

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dsc00242再び日暮里駅までとって返し改札の前を通り抜けようとすると、大きな「谷根千MAP」が掲示されていました。駅から谷中・根津・千駄木周辺の見どころ、お店などが、細かな道筋とともに大きな文字で書かれているのですが、ふと、「これじゃ外国人にはなんの役にも立たないだろうな」と思ってしまいました。そう、英語といえば「MAP」の文字だけで、あとは全部日本語。たまたま地図のすぐ前をノルウェーからやってきたとおぼしき観光客の一団が通り過ぎていきましたが、「MAP」に目をやることはありませんでした。改札を抜け駅構内に入っても、とまどっている様子がありあり。こちらは英語の表示が随所に見受けられたのですが……。

そういえば、一昨日、浅草に行ったときも同じような事例に出くわしました。というか、どこに行ってもその種のことが多いのですが、肝心な部分でインバウンド(=外国人旅行客)向けの案内表示が欠けてしまっているのです。

たとえば、浅草には東京METROと都営地下鉄の2路線の駅がありますが、2つの駅はつながっていません。そのため、多くの人がとまどってしまうのでしょう、ときどき「都営浅草駅へは階段の裏の通路を」などといった類の案内表示が貼られています。要するに、最初の設計段階ではそうした情報が欠けていたため、あとになってから手作りしたわけです。ところが、そうなるともうダメで、日本語の表示しかありません。日本人よりもっと不案内な外国人にとっては不自由きわまりないことになってしまうわけです。

「トイレ」「雷門・浅草寺方面」といった簡単明瞭な表示はほぼカンペキです。しかし、実際に営業している中で、予想外に質問が多かったりすることには臨機応変に対処するしかありません。日本人だけが相手なら、口頭でも手書きの表示でも対処できますが、中国語や英語、スペイン語しか話せない人たちにとってはまったく意味がありません。しかも、それが東京でもいちばん外国人観光客がやってくる浅草での話です。これがちょっと郊外の駅や地方の観光スポットならどうなるのか……と、不安になるのは私だけではないはず。日本ならではの“親切”がかえってアダになってしまっているのではないでしょうか。

外国のほうがこういうことははっきりしています。「自分でなんとかしなさい」ということになっているからです。たしかに不親切ですし、トイレを探しているようなときそうした状況におちいってしまうと大変です。日本と違い(といっても、浅草などまだまだですが)バリアフリーがまだ十分に発達していない国で、大きなスーツケースを引きずりながら乗り換えに四苦八苦させられると、泣きたくなります。空港はともかく、鉄道駅ともなると、ほとんどの国はまだまだ厳しいものがあります。

ただ、それはそれ。自力で問題を解決するしかないとなればその覚悟ができ、心の準備もするでしょう。しかし、「おもてなし」の国・日本となれば、やってくる外国人観光客の期待度はおのずと違います。そうした事態まで見すえてのインフラ作りを考えなくてはならないのですから、大変は大変。でも、徹底してやるしかなさそうです。外国人旅行客にはまったく意味をなさない、「白線の内側までお下がりくださ~い!」とか「ただいまの時間整列乗車をお願しておりま~す!」といった駅ホームでのアナウンスより、そうしたことにエネルギーを差し向けたほうがいいのではないかと思ってしまいます。

生まれて初めて「大使館」なるところに

2016年3月31日
昨日イタリアから帰国したばかりだというのに、もう次の旅行のことを考えています。というか、考えざるを得ない状況をみずから作り出してしまいました。ターゲットはキューバ。ある旅行会社が、自社主催の「キューバツアー」の説明会をおこなうという話を聞きつけた家人と相談し、申し込んでおいたからです。イタリアから帰ってきたすぐ次の日であることはわかっていましたが、開催場所が「キューバ大使館」というのに惹かれてしまいました。私のような者が大使館に足を踏み入れるなんて、こんなことでもないかぎり生涯ないだろうというスケベ心もありました。

大使館のある場所は地下鉄で1本、赤羽橋という駅から歩いて数分。これまで私が遠目から見たことのあるアメリカ大使館やイギリス大使館、イスラエル大使館やベルギー大使館と違い、なんの変哲もないオフィスビルにそれはありました。1棟丸ごと借り切ってはいるのですが、ビル自体は地味もいいところ。あえて弁護すれば、社会主義の国、しかも発展途上の国ですから、それほど立派なところは借りられないということでしょうか。

会場は2階で、旅行会社の社員と別に、大使館のスタッフも3人ほどいました。スタッフの1人がキューバという国の概要をパソコンによる映像を見せながら陽気に楽しく話してくれたあと、旅行会社の担当者がツアーの内容について説明。キューバの名産コーヒーをふるまってくださいましたが、たしかにおいしかったです(もう一つの名産である葉巻はいただけませんでしたが)。

終わって外に出ると、大使館の真ん前にある小さな公園の桜が満開。通りを渡った先にある公園の桜と菜の花も満開で、それだけでもやってきた甲斐はありました。

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なぜか男を興奮させる空港、そして飛行機

2016年3月29日
空港というのは鉄道の駅と同様、なんとも不思議なオーラがただよっている場所で、旅する者の気持ちをいっそうエキサイトさせます。とくに私はそうした傾向が強いようで、ターミナルビルに近づき、中に入るとそのスイッチが入ります。荷物検査や出国手続きを終え、通路を歩きながら外を見ると、広い滑走路をさまざまな航空会社の飛行機がゆっくりと行き来しています。それを目にした私の興奮度はもう一段アップ。飛行機はヨーロッパの言語ではほとんど女性名詞に分類されていますが、だからこそ男は興奮するのでしょうね。

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今日も、ローマのフィウミチーノ空港の中を歩きながら、そういう経験をさせてもらいました。「よーし、こんどはどこに行こうか」という思いが心の奥底から湧き上がってくるのです。家人には迷惑かもしれませんが、こればかりは男の性【さが】というか、どうしようもないものがあります。ローマからわずか1時間半で着いた乗り継ぎ地ミュンヘンの空港でもその思いは同じでした。

イタリア人がわんさかいるローマの空港とドイツ人が多いであろうミュンヘンの空港で清潔感に差があるのはなんとなくわかる気もします。しかし、同じドイツ人の国なのに、オーストリアのウィーンとミュンヘンとで、かなりの隔たりが感じられるのはちょっと不思議です。ウィーンのほうにはどこか頽廃の香りが漂っていますが、ミュンヘンにはそうしたものがほとんどありません。どこまでも「ドイツ」なのです。スモーキングルームの様子を見てもそうした雰囲気がありありと感じられ、ミュンヘン空港では少しでも灰を床に落としてはいけないなどと思わされます。ヨーロッパはまだまだ奥が深いようです。

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サンタ・マリア・マッジョーレ薬局の本店にびっくり

2016年3月28日
朝になると雨もほぼやんでいたので、ホテルから歩いて10分ほど、中央駅の近くにあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に。聖堂は長い行列ができていたのでパスし、すぐ近くにある付属の薬局に行ってみました。ローマの店は入ったことがあるのですが、本店は初めて。しかし、これが小さな博物館のような空間で、びっくりしました。

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Dsc_0742玄関から10メートル近くある廊下を歩いた正面が店の入り口。扉を開けると中が4つの部屋に分かれており、それぞれジャンルの異なる商品が並べられています。世界中から客が来ているようで、商品カタログや説明書きも8カ国語。しかし、それよりインパクトがあるのは各部屋の内装や調度品です。店ができた当時を彷彿させる家具や衣服も並んでいます。何も買わなくても、それを見ているだけで感動です。

 

 

 

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Img_5753_2雨がまたぶり返す中。再びIさんのお宅へ。実は、昨日マンマに誘われたのです。またまたお言葉に甘えてしまい、今日はマンマの住まいのほうへ。こちらは普通のマンションですが、築40年以上経っているとはとても思えません。余裕たっぷりにつくられていて、最近のマンションとはそれが決定的に違うのだそうです。1階部分に限ってのようですが、天井は3メートル30センチもあるのだとか。しかも、これは住む人の性格にもよるのでしょうが、物をあまり置かず、シンプルに暮らしておられるようでした。なので、家の中がすっきりしており、自分たちも見習わなくてはいけないなと。「断捨離」ですね。

今日は復活祭の休日とあって、マンマの2人の男の子とその家族が一堂に会しての食事会。そこに飛び入りさせてもらったわけですが、またまたお腹いっぱいになるまで食べてしまいました。

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マンマの家を出るころには雨もすっかりあがり、お日さまも顔を出していました。ホテルで荷物を受け取り、中央駅から最終目的地ローマまでは列車です。

昨年6月に来たときも泊まったテルミナ前のUNAホテルにチェックイン。明日は朝早いので駅の近くがよかろうということで決めました。まだ明るかったので、ちょっと外に出てみることに。昨年のローマ滞在最終の日、朝食を食べに行く途中で見つけた子ども用フォーマルウェアの店をのぞいてみようかとぶらぶら歩いていきました。前回は時間が早く開いていなかったのですが、今回は店自体がなかなか見つかりません。サンタ・マリア・マッジョーレ教会の前あたりで道を1本間違えてしまったようで、行きついたのはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場 (Piazza Vittorio Emanuele II)でした。


Dsc_0770_2この広場は柱廊(ポルティコ)のある19世紀の建物に囲まれており、広場の中心は公園になっています。その一角に新アニオ水道(ローマ市内とその近郊に張りめぐらされた水道の1つで、紀元52年の完成だとか)の貯水施設の遺跡とその門がありました。観光ガイドには出ていないスポットで、人もほとんど訪れていない様子。というか、広場の周囲がややあやしげな雰囲気のエリアなのです。鉄柵で囲まれている遺跡の中には入れないのですが、なんとどこを見てもネコだらけ。たぶん中にはイヤというほどネコが住んでいるにちがいありません。家人が「岩合光昭は知ってるのかしら」とひと言。そこから別の道でホテルに戻っていく途中でくだんのお店を見つけたのですが、復活祭休日のため休業しているようでした。


そのまま外で夕食をとも思いましたが、どうにもこうにもお腹が空かず、近くにあったお菓子屋さんの店先で見つけたサンドイッチとビールを買って戻りました。結局、今日も、気がついたら、ベッドのシーツの上で寝ている始末。ここにきてやはり疲れがたまってきたのでしょうか。

フィレンツェの復活祭名物「山車の爆発」をこの目で!

2016年3月27日
いよいよ、今回のメインイベント=「Soppio del Carro」の日です。直訳すれば「山車の爆発」。ドゥオーモの前に運ばれてきた山車に爆竹が仕掛けられ、それに順次火がつき炎と煙に包まれるというものです。年に1回、復活祭(イタリア語ではPasquaといいます)のときにおこなわれる行事で、フィレンツェではチョー有名──。と思っていたのですが、これが意外や意外、市民でも知らない人がかなりいるということをIさんが教えてくれました。

今回の旅行はこのイベントを生で見るというのが最大目的なので、3カ月ほど前にIさんに連絡し、どこの場所で見たらいちばんいい場面が、いい角度から見られるのかなど、さまざまリサーチをお願いしました。しかし、近所の人に聞いてみたが、「何、それ?」という返答が大半とのこと。Iさん自身はフィレンツェに移ってまだ20年足らずなので、知らなかったとしても不思議ではありませんが、ずっと地元にいるフィレンツェ市民でさえ知らないというのは、どう考えても理解できません。だって、もともとの起源は西暦1099年といいますから、900年以上も前。いまのような形でおこなわれるようになってからでもすでに350年以上は経っているのですよ。

それでも、あちこち当たってもらい、なんとかベストポジションについての情報はGETできました。また、たまたま地元のテレビ局が昨年の模様をえんえん2時間近くにわたって紹介する番組に昨夜出くわし、その盛り上がりぶりもほぼわかりました。「よーし、明日は早めに会場に行こう」と決めたしだい。

Dsc_0539朝食を済ませ、予定より15分早い午前9時15分にはドゥオーモに到着。しかし、ベストポジションとされている場所は早くも5列ほどの人垣ができていました。そこになんとかもぐり込み、私たちも10時のイベント開始まで待ち続けていたところ、ラッパと太鼓の音が聞こえてきます。中世フィレンツェの衣装で身を固めた、おそらくカトリックの信者たちでしょう、総勢140~150人ほどの行進が到着しました。フィレンツェの市章であるユリの花を赤く染め抜いた白い旗がなんとも鮮やかです。楽隊の奏でる曲も人々の気持ちをかき立て、聴いているだけで満足。ドゥオーモの正面に全員が並びイベントのスタートを待ちます。しばらくすると、4頭の白い牛に曳かれた山車が静かに登場、所定の位置に固定されました。すると、何十、何百とつながった爆竹が山車をグルグル巻きするように仕掛けられていきます。

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そうこうしているうち鐘楼の鐘が響きわたり、午前11時に。ここからは山車に注意を集中します。まず、大聖堂の祭壇前からワイヤーをつたって、ハト(イタリア語でcolomba)をかたどった木像がロケットのように火を噴きながら数十メートル飛んできます。これが山車まで到達すると、こんどは向きを替え祭壇の方向に戻っていくのですが、元どおりの位置にまで無事戻ればその年は平穏無事・五穀豊穣なのだとか。


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その瞬間から山車が爆竹のはじけるすさまじい音と煙に包まれます。それが何度も何度も繰り返されるのです。なかには、火花を散らしながら、空に向かって飛んでいくものもあります。フィナーレは、山車のてっぺんに取り付けられた3つの飾りがグルグル回ってはじけ、中にセットされている市の紋章を記した3枚のバナーが姿をあらわします。今回はそのうち1枚だけが折り曲がったままでしたが、それでも10分間にわたる「ショー」の迫力、感動ときたら!

もとはといえば、「ちょっとーお父さ~ん!」の呼びかけがきっかけで始まった「Scoppio del Carro」見学の旅ですが、はるばる観にきた甲斐がありました。最初は婦唱夫随、いざという段からは夫唱婦随。これが私たちの旅の極意というか、一つのパターンになっています。

 

人込みでごった返す中、本来は一緒に見るはずだったのですが、結局それがかなわなかったIさんと、近くのカフェでようやく合流できました。初めて観た「山車の爆発」にIさんも興奮を隠せない様子。このあとはIさん宅での食事会です。15年前にお会いしたきりのIさんのご主人のお母さん=マンマが作る手料理をいただきに、駅の近くから3人でバスに乗りました。

Img_5749Iさんの自宅を訪れるのも15年ぶりです。こちらではパラッツォ(palazzo)と呼ぶらしいのですが、日本でいうテラスハウスの2階に玄関があり、中はメゾネットスタイルになっています。マンマに初めてお会いしたときは私もまだ若かったので、かなりの量を食べたらしく、マンマはそのことをよく覚えていたようです。今日のメニューは野菜→タリアテッレ→羊肉のグリル。近所に小さいながら自分の農園を持っていて、そこで獲れたばかりの野菜ですから、おいしいのなんの。とくに、ゆでたアーティチョークとヤギのチーズを塩とオリーブオイルで和えたものは、日本ではなかなか口にできないメニューで、とても新鮮でした。小ぶりのエンドウ豆とヤギのチーズの和えものも同様。

Img_5742しかし、最高においしかったのはやはりタリアテッレ(tagliatelle)。細長いリボンのようなパスタで、それにミートソース(それも牛・豚・羊のひき肉のミックス)をからませたあり、今回も2杯半食べてしまいました。最初のときは4杯近く食べたそうです〈自分ではまったく覚えていないのですが)。それも、最後お義理で「もう少しいかが」とマンマが口にした言葉も真に受けての4杯目でしたから、「よく食べる日本人だ」という印象を与えてしまったのでしょうね。

デザートに、colomba(ハト)の形をしたケーキ(復活祭のときだけ作られるもの)をいただき、最後コーヒーを飲むと、動けなくなるくらい満腹に。実際、ホテルに戻ってもまったくお腹が空かず、早々に寝てしまいました。窓の外は雨。今日の午前中でなくてよかったなと感謝したしだい。

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