投稿者「edit-house」のアーカイブ

息を呑まずにはおれないカルナック神殿の迫力

2016年11月24日
今日は飛行機でルクソールに移動。ルクソールから、ツアーのもう一つのメインといっていい、アスワンまでのナイル川クルーズ(3泊4日)の起点です。

カイロの国内線ターミナルはたいそう立派な建物なのですが、なぜか閑散としています。喫煙所で一緒になったガイドさんの話によると、完成したのは10年ほど前。しかし、「エジプトの春」によって国全体が混乱し始めた5年前から、観光客の足がパタッと止まってしまったため、キャパシティーに見合う利用客がいなくなったということのようです。エジプトは国民の4割ほどが観光関係の仕事に就いているので、この5年間は本当に大変だったといいます。ようやく、ひと月ほど前から安心して観光が楽しめるようになり、関係者もひと安心したところ。これからが稼ぎ時というか、人々の生活も多少は安定してくるのではないかと期待していると語っていました。

ルクソールはカイロから700キロ南にあり、飛行時間は1時間。エジプト航空の飛行機の窓は砂ぼこりで茶色くなっていますが、下を見ると、ほとんど全行程が砂漠の上を飛んでいるのがわかり、それも当然と納得しました。ルクソールの空港ターミナルは素晴らしいデザインの建物で、国が観光に力を入れているのがひしひしと感じられます。

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ターミナルを出てバスに乗り、ナイル河畔の港まで。サトウキビ畑が広がっていて、川もきれいですし、カイロやギザと違い、道端にゴミがほとんどありません。この街に2、3泊してゆっくり楽しむコースもあるようですが、私たちは1泊(ただし船にです)するするだけ。ちょっと惜しいとも思います。

桟橋には川に沿って3隻ずつ、とりあえず6隻ほどのクルーズ船が接岸していました。でも、その後方にも桟橋があり、そちらに向かってくるクルーズ船も見えます。私たちが乗る「アムワジ・リビングストーン」号は川岸から2列目なので、1隻を通り抜けてロビーに入ります。おしぼりと冷たいお茶をいただきほっとくつろいだ気分になったところで、添乗員さんからもろもろ説明を受け、それぞれ部屋に。まだ改装して間もないのか、部屋の中は新しい感じで、快適そうです。

DSC_0285荷ほどきを済ませるとランチ、そして最初の観光に出ました。行き先はナイル川東岸にあるカルナック神殿とルクソール神殿。この2つの神殿、どちらも息を呑んでしまいました。とくにカルナック神殿の壮大さといったら……。よくもまあ、これほど大量の石を高く積み上げ、あるいは切り、何十本、何百本もの柱を立て、そこに大小さまざまな彫刻をほどこし、さらに絵(しかも色付き)を描き文字を刻んだものです。

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DSC_0336古代ローマの建築物もたいそうなもので感動しましたが(ギリシアにはまだ行ったことがないのでわかりません)、これほどの域には到達していないでしょう。まして、日本の城の比ではありません。日本の城はせいぜい10数年で作り上げますが、こちらの神殿は何百年、場合によっては千年以上の時間をかけているというのですから、当然でしょう。しかし、それにしても、です。古代エジプト文明の、静かな、迫力というか奥深さをいまさらながら思い知らされた気がします。

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ピラミッド漬けの1日

2016年11月23日

朝は広い庭を抜けたところにあるレストラン棟でバイキングの食事。砂漠のただ中にあるので、肌寒さすら覚えます。しかし、空気は澄んでいてさわやか。別館から会場まで移動する際に、見えました! かの有名なクフ王のピラミッドが。ホント、目の前にあったのです。

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DSC_0147朝食を済ませると出発。今日はピラミッド漬けの1日です。まずは、ギザから30キロほど南にあるダフスールへ。ここでは「赤のピラミッド」と「屈折ピラミッド」を外から観るのですが、ピラミッドといっても“序の口”の印象。続いて訪れたのは、ギザの方向に戻る途中にある古都メンフィス。ここにはこじんまりした博物館があり、中に、ラムセス2世の巨大な像が横たわっています。

DSC_0103「メンフィス」と聞くと、アメリカ南部テネシー州、エルヴィス・プレスリーの生まれ故郷の名前と同じですが、それはここ、エジプトのメンフィスにちなんで名づけられたそうです。片やミシシッピー川、片やナイル川どちらも大河の河畔にあったからでしょうか。博物館を出た外にあるアラバスター(大理石の一種)製のスフィンクスは、小さいながらも、元の姿をとどめています。ほかにも、さまざまな石像が立っていて、一つひとつ見ていても飽きません。

DSC_0103バスの窓から外に目をやると、どこを走っていてもヤシ(ナツメヤシ)の林、森があり、その間にモロヘイヤの畑が広がっています。道路にはトゥクトゥク(小型のタクシー)がいっぱい。一つ、悲しくなったことがあります。それはゴミの多さ。インドでもそうでしたが、どこの道路も両端はゴミでびっしり。大きなゴミ置き場やボックスもあるのですが、そこは満杯といった感じです。回収車が走っていても、追いつかないのでしょう。しかも、石油原料のケミカルなゴミが目につきます。これがこの先さらに増えていくのかと思うと大変だろうなと考えさせられてしまいました。

DSCN0679メンフィスの次はサッカラ。ここは、ジュセル王のピラミッド・コンプレックスで知られるところです。「コンプレックス」というくらいですから、さまざまな施設が合わさってピラミッドを構成しており、なかでも柱廊の素晴らしさには感動しました。

 

 

 

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DSC_0197昼食のあとは、いよいよ本命のギザへ。これまで写真で何度も見たことのあるクフ王のピラミッドからスタートです。ピラミッドの下に建って見上げると、そのスケールの大きさに驚きます。高さは140メートルほどで、階段を10メートルほど昇ったところに入口がありました。中に入ると、昔耳にした「ピラミッドの中は狭くて、臭い」といった印象はありません。女王の部屋まで行くのにゆるい、でも長いスロープを昇るのですが、このとき中腰の姿勢を保たなくてはならないのがつらかったです。ここはやはり、若いうちに訪れたほうがよさそうです。

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続いてカフラー王、そしてメンカウラー王のピラミッド。合わせて3つのピラミッドがまとめて観られる場所、さらにスフィンクスも。エジプト観光のハイライトで、どこも皆、大変にぎわっていました。最初にギザを観てしまうと、あとは皆「なーんだ」ということになってしまいそうですが、徐々にスケールが大きくなってくるので、感動もひとしお。このあたりがツアーの妙味かもしれません。

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エジプトのカイロまではまる1日

2016年11月22日

 
DSC_0026前日の夜遅く出発したカタール航空(このキャリアは初めてです)は早朝4時半ドーハ着。4時間近く待ってエジプト航空に乗り継ぎ、カイロに降り立ったのは今日の昼前でした。出迎えのバスで中心部まで行き、まずはアズハル公園内にあるレストランで食事。アウトドアなので快適です。地元のタジン料理というやつで、豆がふんだんに使われていました。

 

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そのあとは高台にある城塞シタデルへ。中に入ると、壮大なムハンマド・アリ・モスクが。ドームがいくつも連なり、両サイドにミナレットが立っています。こうしたスタイルのモスクはとても珍しいのだとか。中に入り、床に座ってガイドさんの説明を聞きましたが、座ると、そのスケールの大きさに驚きます。

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次に訪れたのは、ハーン・ハリーリというバザール。ちょっと油断するとすぐ迷子になりそうな、狭く入り組んだ商店街です。水タバコを吸いながらくつろいでいるおじさんがそこかしこにいました。一度体験してみたいのですが、今回、かなうかどうか。

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バザールをあとにして、途中ナイル川を渡りギザ地区へ。今日・明日と2泊する「メナ・ハウス」にチェックインしました。1869年創業の老舗ホテルで、1943年にここで開かれた「カイロ会談」にはルーズヴェルトとチャーチル、蒋介石が出席したとか、第4次中東戦争(1973)の停戦合意を決めたとか、歴史的な政治判断がなされた由緒深い場所だそうです。いかにもといった感じの気品あるロビーから、私たちのグループにあてがわれた別館まで移動。どの部屋からもピラミッドが見えるというのですが、夜だったのではっきりわかりませんでした。

「北前船寄港地」フォーラムで北海道・江差へ

2016年11月11・12日

「江差追分」というのは、中学校のころだったか、音楽の時間に習った覚えがあります。もともとは信州で生まれた馬子唄が越後に渡り、それが北前船の船乗りによって各地に伝えられ座敷唄に変化したものなのだとか。その本拠地・江差で「北前船寄港地」フォーラムが開催されるので取材に。せっかくの機会でもあり、帰りは、3月に開通した北海道新幹線を利用する予定を立てました。

行きは飛行機で函館空港まで。ホテルには4時ごろチェックインできたのですが、抱え込んでいる仕事が山ほどあって、この夜函館市内でおこなわれる「前夜祭」に参加できないのが残念です。翌日のフォーラムもさることながら、「前夜祭」はさまざまな出会いがあり興味深いのですが、やむを得ません。

ただ、夜ひとりで食べに出たラーメンはおいしかったです。8時半を回ったところで、ホテルから東のほうに向かって夕食を食べに出たのですが、予想していたほど店がありません。全国チェーンの居酒屋は論外。屋台横丁のようなところが唯一食指をそそりましたが、これはこれでけっこう入りにくいものです。

仕方なく、駅からほど近いラーメン屋に入ったのですが、たいそうにぎわっており、食べる前から期待が高まります。餃子とセットで食べましたが、しょうゆ味のラーメンはとても美味でした。

DSC01123翌日は有名な朝市で海鮮丼をたいらげ、送迎バスで江差町へ。函館からは峠を越えていくので、1時間以上かかります。途中はほとんど何もありませんが、下り坂にさしかかると、見えてきました、日本海が! 上から見渡す海の景色というのは、とにかく美しいものです。

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DSC01141江差町の町長は全国でも最年少だそうですが、元気いっぱい。「北前船」というツールを有効活用して町の活性化、観光振興につなげていきたいとの意欲と情熱が体の奥深くからたぎっています。といって、ギラギラした風はありません。たしかに、江差の町自体は、近ごろの地方の常で、さびれた感じですが、ここから「北前船フォーラム」がきっかけとなって元気を取り戻せば、素晴らしいなと思いました。

DSC01146夜のレセプションは、そうした熱気がそこかしこにあふれ、なかでも食事のメニューは、地元に古くから伝わるソウルフードが目白押し。それだけでも楽しさいっぱいでした。

翌日は江差のホテルから送迎バスで新函館北斗駅まで。まわりはほとんど何もない場所に建つピカピカの駅のまぶしいこと。5時間余で東京まで戻りました。木古内【きこない】と新青森の間は30分近くトンネルなので退屈ですし、東海道・山陽新幹線に比べれば遅いのは否めませんが、わたし的には「初めて」ということに意義があるので、それもよしとしましょう。

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身も心もすっかり「高校生」に戻った3日間

2016年11月7日

4・5の両日は「大人の修学旅行」。高校時代の仲間が江の島に集まりました。今回は初めて2泊3日というスケジュールでしたが、私自身は前半だけ参加。というのも、5日は秩父宮でラグビーのテストマッチ(対アルゼンチン)を観に行く予定ですし、6日は名古屋で高校3年生のときのクラス会があります。

4日は大船駅近くにある鮮魚店が経営する居酒屋で、魚をしこたま食べました。6人全員、65~66歳だというのに、相変わらずの鯨飲馬食ぶり。かつては私自身もその一員でしたが、さすが胃ガンの手術後は以前のようには飲むことも食べることもできません。それでも、昔の仲間が一緒になってワイワイガヤガヤ飲み食いする中にいると、ふだんよりはすこぶる箸が進み、肝臓もパワーアップするから不思議です。

満腹のはずなのに、居酒屋を出ると駅前のデパートに直行。地下で食材や酒をしこたま買い、めいめいそれを手にして、江の島にあるYくんの別邸までモノレールで移動。もちろん、そこでもまた宴会が始まり、結局1時、2時まで続きました。

翌日、川辺に建つ地元サーファー御用達とおぼしきこじゃれたカフェでゆっくり目の朝食。まあまあ早い時間だったので、私たちのような65歳を過ぎたオヤジが6人いても違和感を与えることはなかったようですが、それでも、その食べっぷりを目にした店員は驚いたかも。

 

食事を済ませるとほかの5人に別れを告げ、そのまま秩父宮へ。アルゼンチンとのテストマッチは残念ながら完敗(20対54)でしたが、以前に比べれば日本代表も着実に強くなったように見受けます。今回の試合はエディー・ジョーンズの後継者ジェイミー・ジョセフが初めて指揮を執りましたが、チームがW杯を終え過渡期に入っているせいか、いまひとつ組織的なまとまりに欠けていました。ここのところ目に着く、インターセプトからのトライも奪われ、残念な結果に。

DSC01099表参道

この日はいったん帰宅、6日は名古屋へ。ホテルに荷物を置き、池下近くの会場・浅野屋洋食店へ。幹事役を務めてくれている両Kくんが早くも待ち構えていました。恩師のS先生も早めの臨席。総勢15人がそろったとところで午後5時スタート。近況報告というか、めいめいが最近の自分やその周辺のできごとについて語り合い、9時にお開き。

S先生は今年で83歳ですが、たいそうお元気で、帰りもタクシーを断わり、駅に向かってすたすた歩いていきます。ただ、誰かから「健康でいられる秘訣は?」と質問され、恩師はこう答えていました。「食動知休会謝」の6つを実行しているとおっしゃるのです。「きちんと食事を取り、体を動かし、ときどきは勉強し、疲れたら休み、多くの人と会話を楽しみ、そしてまわりの人に感謝する」ということですね。言われてみれば納得ですが、年齢を重ねるとともに、一つ、二つ、できないことが出てくるのが世の常。そうならないうちに、この6つを実行し始めれば、元気に年を取れるということなのでしょう。S先生自身すこぶるお元気ですから、説得力があります。全員、「そうだよね」と納得しました。

最後に、会場を提供してくれた浅野くんご夫妻と一緒に記念撮影。浅野君も同じクラスの一員なのですが、年末いっぱいでお店をクローズするとのこと。昼と夜営業しているのですが、ホールを担当するスタッフが慢性的に足らないのだとか。それでは、お客さんを待たせてしまい申し訳ないし、体力的にも、いまの広さでは少々ハードに感じ始めてきたようです。年が明けたら、適当な時期に、もう少しこじんまりした店を新規にオープンし、無理にない範囲で営業したいとも話していたので、3年1組のクラス会も、このお店では最後ということになりそうです。

さて、とりあえず解散したものの、皆、まだまだ飲み足りない様子。ここまででもかなり酒が入っていますが、うち元気な10人がカラオケに。午前0時をまわったところでフィニッシュとなりましたが、毎度のことながら皆、異常なまでのハイテンションで、ますます意気壮んといった感じでしたが、体力への過信は禁物ということで、完全お開きとあいなりました。

「漢字三千年展」で高校時代を思い出す

2016年10月26日
漢字というのは、とても不思議です。もともと象形文字に由来するものが多いせいもあるのですが、ほとんどの漢字がその昔の姿で見られるというので、八王子にある東京富士美術館に足を運んでみました。

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さまざまな展示がありましたが、いちばん感動したのは「蘭亭序」という王羲之の名作の拓本がいくつも見られたこと。高校1年生のとき、選択で取った書道の授業は、1年間かけてその全文を書くというものでした。落款も自分で彫り、でき上がった作品を表装し、落款も押し、2月の終わりごろ自作の「蘭亭序」が完成しました。

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もちろん、どうひいき目に見ても字はド下手もいいとこなのですが、表装までしてみると、なんだかもっともらしい感じがします。いまでも、手もとに保管してあるので、ときどきためつすがめつしてみるのですが、下手さをますます強く感じるだけ。それだけに、もう一度きちんと書き直してみたいなと思っています。実現するのは難しそうですが、それでもなんとか……。

読売に出た拙著の書評に感動・感心

2016年10月23日
朝、携帯に友人からメールが入りました。「今日の読売に、この前贈ってくれた本が出ていますよ」とのこと。さっそく、家人にコンビニまで走ってもらい、読売を買ってきてもらいました。

読売新聞は10・11面が読書欄。その11面の下、「記者が選ぶ」というところに『「いい夫婦」の旅術』が紹介されています。書評も、上の大きなスペースに、カバーの写真入りで紹介されているのは、どちらかというと‟重たい”系の本が多いのですが、それ以外のところはどちらかというと軽い感じで読めるもの。当然そこに入っていたのですが、これが、とてもよく書かれていて、感動・感心しました。通りいっぺんの紹介でなく、じっくり読んでくださったことがひしひし伝わってくるのです。

「中高年世代のリアルな距離感も伝わってくる」「異国に分け入っていくなら、やはり気心の知れた相手と一緒がいいはずだ」「長年連れ添うことの意味も教えてくれる一冊」と、著者である私がこの本に込めた思いを的確に表現してくださっています(ごく自然に、敬語がでてきてしまいます!)。ある意味、書評のお手本というか、目に止めてくださった方は、すぐ「アマゾン」のウェブサイトにアくセスしたくなるのではないかと思ったしだい。本当にそうだといいのですが……。紹介してくださった「旗」さん(筆名)という記者さん、ありがとうございました!

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欲張りメニューの3日目は

2016年10月19日

DSC00994今日で熊野古道チャレンジも最終日。残る一つ「熊野那智大社」に向かいます。那智の滝があるところですが、それを見るのに、たいていの人は車で「那智山」まで上がってしまうとのこと。でも私たちは「チャレンジャー」ですから、歩いて登ることにしました。

 

DSC01001スタートは、山のふもとにある「大門坂【だいもんざか】」。手前の駐車場に車を止め、降りて歩き始めると、澄んだ空気の中、杉木立に囲まれ苔むしている坂は荘厳な雰囲気に包まれています。最初のうちはゆるやかでしたが、途中からかなりきつい勾配に。あまりのしんどさにリタイアしている人もいましたが、私と家人はあえぎながらも30分歩き、なんとか途中の那智山駐車場まで登りました。

 

DSC01006ここからは石段です。10分ほどで「那智大社」に到着。本殿は熊野権現造りの朱塗りですが、どことなく神聖な雰囲気があります。八咫烏【やたがらす】が石に姿を変えたといわれる烏石、那智大社と青岸渡寺【せいがんとじ】の間、社務所の向かいに立つ樹齢850年以上という大楠も見ました。根もとは空洞で祠のようになっているのがなんとも不思議。

那智の滝はそこからさらに下っていきます。興味深いのは欧米からやってきたとおぼしき人の目立つこと。家族連れ、カップル、ひとり旅と、いろいろな人がいましたが、こんな場所にまでやってくるのを見ると、インバウンドの急増は事実だということをまざまざと感じます。

那智の滝は、予想にたがわぬ迫力です。高さ400m近いのですからそれも当然。下から見上げると、みごとなものです。水量がさほどでもなかったので、これが雨のあとだったりすれば、かなり水しぶきを浴びそう。帰りはバスで駐車場まで移動し、そこからはまたレンタカーで白浜の空港まで海沿いの道を走ります。

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DSC01043ただ、途中、休憩を兼ねて立ち寄った橋杭岩【はしくいいわ】は意外な穴場というか、そのロケーション、姿かたちに感動しました。ガイドブックにおもしろそうな写真が出ていたので、軽い気持ちで寄ったのですが、海面からなんとも奇妙な形の岩が顔を出していて、しかもそれがずらっと横に並んでいるのです。だれもが、その前に立てば写真を撮りたくなるのは必至。私も、迷わずその前に立ってみました。長い旅の疲れも一瞬で吹き飛んだような気がします。

DSC01062橋杭岩のすぐ対岸に浮かぶ紀伊大島(といっても橋でつながっている)には、トルコ記念館がありました。なぜこの地(串本町)にトルコなのか、これには深い理由があります。1890年9月、日本から帰国の途にあったトルコの軍艦エルトゥールル号が折からの荒天のあおりで座礁、沈没してしまったのがこのあたりだったのです。地元住民が献身的な救助活動にあたりましたが、乗組員656名のうち587名が死亡(69名は救助された)しました。

引き揚げられた遺体は、遭難の現場を真下に見下ろす丘に埋葬されたと伝えられ、翌92年3月、和歌山県知事など有志が資金を出し合い墓碑と追悼碑を建立、追悼祭もおこなわれました。そして1937年、トルコ建国の父ケマル・アタテュルク(初代大統領)の発議で慰霊碑が現在のような立派なものに作り替えられました。慰霊碑の斜め前には彼の銅像が建っています。その後、1974年には記念館が作られました。

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DSC01076トルコ軍艦遭難記念碑の次は最後の目的地・潮岬灯台。台風情報などでその名前は耳にタコができるほど聞いていますが、実物を見たことはありません。行ってみると、広い駐車場に止まっている車は2、3台。灯台自体は特別な形をしているわけでもありませんが、実際中に入り、狭くて急な螺旋階段を上がると、すぐ目の前に熊野灘が広がっています。「これが潮岬なんだ」と、妙な満足感を覚えました。一度この目で確かめてみたいという思いが心の底にずっと息づいていたのでしょうね。

「熊野古道」2日目

2016年10月18日

今日はまず本宮の少し奥(京都からやってくる際は本宮=ゴールのすぐ近く)まで旅館のバスで送ってもらい、そこから熊野古道のいうならば“チョー短縮版”を体験しました。それでも、1時間少々、なだらかな登り下りで構成されているコースはけっこう楽しめます。

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こDSC00949こからはレンタカーで、美術館分館が建つ中辺路まで戻ります。本堂から少し外れた近露王子【ちかつゆおうじ】という場所にあるのですが、まわりは畑と雑木林しかないところに突然あらわれる美術館にびっくり。外装もえらくモダンで、ちょっと浮いた感じは否めません。祖父の作品も三つ、展示されていました。

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DSC00978美術館をあとにし、二カ所目の「熊野速玉神社」へ。こちらは新宮市の街中にあるので、山あいの地にある本宮大社と違い、それほど神秘的な雰囲気はありません。ただ、訪れる人が少ないせいか、落ち着いた感じがします。

DSC00976ついでに、始皇帝の時代、皇帝から「不老不死の薬を見つけてこい」との命を受けて遣わされこの地にたどり着いたという徐福を祀る公園をのぞいてみました。新宮の町自体とても地味な感じがするので、徐福公園の楼門の極彩色は異彩を放っています。中はきれいに整備され、徐福の像や墓などがありました。

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今日の宿は勝浦市の海岸近く。典型的なオールドスタイルの温泉旅館ですが、2日続けての温泉という、ふだんはなかなか経験できないぜいたくをさせてもらい、久しぶりのドライブの疲れも即解消。明日に備えます。

長年のあこがれ・熊野古道に“チャレンジ”??

2016年10月17日
今日から3日間かけて、長年の課題だった「熊野古道」にチャレンジします。「チャレンジ」というにはいささかおこがましいのですが、それでも細い山道を1時間以上かけて歩くなど、東京にいてはまず経験できないこと。それを実行してみるだけでも、とても意義深いことのように思えます。

きっかけは、ひと月ほど前に和歌山県田辺市立美術館から届いた「開館20周年記念コレクション展2 現代絵画─戦後の抽象─」の案内状。同美術館に収蔵されている祖父・德次郎の作品が3点、今回分館のほうに展示されるというのです。分館は「熊野古道なかへち美術館」という名前のとおり、熊野古道の途中・中辺路【なかへち】にあります。せっかくの機会なので、観にいったついでに、前々から行きたいと願っていた熊野古道にも足を延ばすことにしました。

お昼前に着いた南紀白浜空港でレンタカーを借り、紀伊半島のほぼ東端にある「熊野本宮大社」に向けて出発。位置関係からすると、初日の今日、美術館に行くほうが効率はいいのですが、月曜日のためあいにく休館です。全国どこでも、このパターンは変わらないようで、仕方なく、本宮を先に訪れることにしました。もともとは山深い地のはずですが、いまでは道路がばっちり整備されているので、いとも簡単に行けてしまいます。道路もガラガラで、途中ランチに立ち寄った店も、客は私たちだけでした。

 

DSC00901  本宮大社も人の姿はまばら。本殿まではもっと険しい階段とか坂道を想像していたのですが、それほどでもなく、楽に昇り降りできました。本殿の裏側が熊野古道のゴール地点になるようで、木々がうっそうと生い茂っていますが、こちらは明日のお楽しみ。1日目なので、あまり張り切りすぎてもあとに響きそうなので、ちょうどころあいの感じです。

DSC00944階段を降りると、もともと本宮大社が建っていた場所に残されている巨大な鳥居が目に入ってきました。田んぼの真ん中といった感じなので、とても目立ちます。飛鳥時代の615年に本宮大社が創建されたのは、熊野川・音無川・岩田川という三つの川が合流するあたりの中洲(大斎原【おおゆのはら】という)で、いまの本宮大社の8倍という広大な敷地だったそうです。上・中・下社の三つから成り、五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台もあったといいます。

それが1889年8月の大洪水で大きな被害を受けました。2年後、上四社がいまの地に遷座し復興したのですが、創建当時の大きな鳥居は元の場所にそのまま残されているのです。高さ約34m、幅約42mという大きさなので、真下のあたりから見ようとすると首が痛くなります。

DSC00926本来の今日の宿泊は本宮の近くに三つある温泉地の一つ。道路から坂を下りていった川っぷちに建つ、一見保養所風の建物でした。川の両岸に施設が広がっており、温泉に入るには、川に架かる吊り橋風の橋を渡っていきます。幸い好天だったのでよかったのですが、雨でも降っていたら、ちょっと躊躇するかもしれません。また、風が吹いたらさぞかし揺れそうです。

それでも、食事の前に1回、食後に1回、翌朝に1回と、いつものとおり3回、お湯につかりました。食事もけっこう充実しており、空いている時期だったので、ていねいなおもてなしを受けられ、よかったです。

乗り継ぎ2回も、届いていた預け荷物に安心

2016年10月7日

昨夜は18時10分のルフトハンザ便でフランクフルトに。そこで乗り継いで一路香港へ向かいました。フランクフルトで1回、香港→マカオへの荷物もスルーなので、実質的には2回の乗り継ぎ、最初の出発地がスペインということもあって、預け荷物のことが心配でしたが、さすがルフトハンザ、大大丈だったようです。それでも、実際に荷物を受け取ったときの安心感は何ものにも代えがたいものがあります。

マカオは1年半ぶりですが、その間に新しいカジノホテルができていました。半月ほど前にオープンした「パリジャン」です。ホテルの前にエッフェル塔のミニチュアが立っているので、そこだけトリミングしたら、だれもがパリだと思い込んでしまうかもしれません。

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香港とマカオとを結ぶ橋もいよいよ最終段階に入ってきているようで、その日が待ち遠しいですね。そうなると、マカオはますます変わり、人もさらにたくさんやって来るのではないでしょうか。

 

 

バルセロナの空港はスモーカーの天国!

2016年10月5日

昨日は郊外の奇勝地「モンセラット」に行ってきました。現地の旅行会社がやっているツアーを前日、予約しておいたのです。「凱旋門」からバスに乗って出発、1時間少々で到着。標高1235mとあって、バルセロナの市街地より心なしか涼しい感じがしました。1000年近く前に建てられた修道院があり、その中に有名な「黒のマリア像」がありました。自力で鉄道を乗り継いでいくのは大変そうですが、バスはその点とても楽です。

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モンセラットに向かう途中、ツアーの添乗員さんが折々にガイドをしてくれrのですが、聞いていて驚いたことがあります。それは、ちょっと目に着く建物があると、「あれは△△の設計」「こちらは〇〇の設計」と、名前を教えてくれたことです。バルセロナはそれほど、名だたる建築設計士が腕を振るった都市なのだということを知りました。

 

今日でバルセロナともお別れです。乗り継ぎ地フランクフルトに行く便が夕方発なので、それまではフリー。朝イチで、タクシーに乗って「グエル邸」まで行ってきました。ここは地下に馬小屋があり、1階に馬車庫、2階・3階と上に昇るにつれ、随所にふんだんな工夫がほどこされているのが見て取れます。そして、きわめつけは屋上。煙突の凝りっぷりには声も出ませんでした。

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「グエル邸」から「ランブラス通り」を歩いてホテルへ。

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預けておいた荷物を受け取り、タクシーで空港に向かいました。バルセロナの空港は世界でも最高に心地いいのではないかと思います。まだ完成してさほど時間が経っていないのでしょうが、ターミナルビルの屋上が全面的に喫煙スペースになっているのです。これまで観てきた空港の喫煙室はどこも皆、せせこましいところばかりでしたが(例外はシンガポール)、ここはそれこそお天道様の下で堂々と胸を張って吸えます。しかも、レストランやカフェまで付設されていました!!! こんな空港があるのなら、何時間早く着いてもOKでしょう。

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バルセロナのキリンに会いにいってきました。

2016年10月3日

DSC_0584昨日は旅の“中休み”。のんびり動物園に行きました。もちろん、キリンに会いにです。いました~~!! ここのキリンは、これまであちこちで行った動物園のキリンの中でもいちばん愛想がよかった気がします。ラテン系で人懐っこいのかなぁ。写真を撮る段になると、私のすぐ後ろまで近づいてくるのです。おかげでかなりアップめのショットが撮れました。

 

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そして今日は“ガウディ詣で”。1発目は「カサ・バトリョ」。ガウディが増改築を手がけたそうです。もともと大金持ちの邸宅だったというだけあって、隅々まで贅が尽くされています。その増改築ですから、オーナーは「好きにやってくれ。いくらかかってもいいから」といった感じだったのでしょう。凝りに凝った造りでした。

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次はそのほぼ斜向かいに建つ「カサ・ミラ」。こちらはいまでいうマンションです。ここの屋上は見ごたえがありました。マンションの屋上に作られた美術館といった趣でしょうか。いくらいても飽きません。

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バルセロナの目抜き通り=「ランブラス通り」を少々北にいったところにある「サン・ジュセップ市場」でランチにしました。“雑駁+香り+元気”という、市場らしい面白さがふんだんに詰まっています。それらがみごとにミックスし、陽性のエネルギーが建物の隅々にまで行き渡っている感じがしました。

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食後は、人でごった返している「ランブラス通り」をぶらぶら歩き。「レイアール広場」などに寄りながら歩いているうちに港まで来てしまいました。ちょうど、港の中を軽くクルージングする船が出るところだったので、それに乗ることに。小一時間の船旅でしたが、風が気持ちよく、けっこう楽しめました。巨大なクルージング船も停泊しましたが、なるほど街中どこに行っても混んでいるはずです。

 

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夜は「カタルーニャ音楽堂」へ。この前見たとき「ぜひ一度」と思いネットで調べてみたら、この夜のコンサートのチケットが売り出されていました。壁から天井から床から、とにかくどこを見ても贅が尽くされています。

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圧巻! 感動! タラゴナの「人間の塔」

2016年10月1日

さて、今日はいよいよ、「人間の塔」を観にタラゴナ(Tarragona)に行きます。今回の旅行の“メインイベント”と言っても過言ではありません。もともとは、数年前、自宅1階のリビングでテレビを見ていた家人が、「ちょっとー、お父さ~ん!」から始まった話。そのとき教えてくれたのがタラゴナの「人間の塔」という、カタルーニャ地方独特の行事でした。

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「人間の塔」とは文字どおり、100人を超える(多いときは300人近く)人が、腕と腕とをタオルのような布(革かも)でつないで肩を寄せ合って腕を組んだ上に次の集団が乗っかり、さらに何段も積み上がって「塔」を作るというもの。写真をご覧くださればわかるでしょうが、低いもので6段、高いと8段くらいになります。各地域ごとにチームがあり、それぞれが「塔」を作っていくスピード、手際のよさ、全体の形の美しさ、そして解体のスピード等を競い合うという催しが2年に1回おこなわれるのが、バルセロナの南にあるタラゴナ。カタルーニャ語では、「人間の塔」を「城」に見立て、「Concur de Castells(城のコンクール)」と呼んでいるようです。

 

春先からカタルーニャ地方全域で予選が始まり、毎年10月の初めに決勝がおこなわれるのですが、どこの地元も懸命に取り組んでいるといいます。決勝ラウンドが開催される今日と明日はもう大騒ぎで、地元のテレビも解説者付きで完全実況中継。今日は決勝ラウンドの前半で、予選の24位から13位までのチームによる演技でした。本当は明日の決勝ラウンド後半(同12位から1位まで)を見たかったのですが、チケットが手に入れられなかったのです(カタルーニャ語で書かれたウェブサイトには悪戦苦闘しました)。

しかしそれでも、私たちの目の前で繰り広げられたパフォーマンスはもう圧巻のひと言。そろいのユニフォームに身を固めた12チームが次々と塔を作り上げていく様子はなんともスリリングです。作り始めて3段目くらいで、いったん解体して最初からやり直すチームもあれば、最後の最後、7段目、8段目の選手が乗ろうとしたところで崩れてしまうケースも。また、首尾よく塔が完成したのに、上から順に人が降りて塔を解体していく途中で全体が一気に崩れてしまったり。全体を指揮するディレクターのような人がいて、下からこまめに指示を出しているのですが、なかなか思いどおりには行かないのでしょう。

見ていると、いちばん上に乗る一人は小学校低学年の、それも女の子が多いようです。そのすぐ下もやはり若い女性で2人か3人。その下が軽量の男性1人に女性2~3人といった感じで、中段は男女がほぼ均等、そしていちばん下の2段は全員が屈強そうな男性です。段の数にもよりますが、いちばん下の土台を作っているのは80人から120人くらいでしょうか。これまでも死者が出ることが何度もあったといいますが、なるほど、崩れ方によってはそれもあり得そうです。

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アリーナスタイルの広い円形体育館の上、塔を組み上げていく横には、一段一段高くなっていく様子をすぐ近くからテレビ映像に収めるためのカメラを取り付けた機材が、塔が高くなっていくのに合わせながら動いていました。それぞれ自分の地元のチームを応援している人たちも手に汗を握りながらの数分間。うまく組み上がり、塔が完成したときの喜びようはハンパではありません。最上段に昇った子どもが軽く手を上げるのが完成の合図で、その瞬間、場内は大拍手と喝采に包まれます。

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「人間の塔」の大会は夕方からだったので、それまでは町をあちこち見てまわりました。バルセロナのサンツ駅からタラゴナ駅までは電車で1時間。駅を降り地中海沿いに歩いていくと(途中からは石の階段)、地中海を見渡せる丘の上の公園に着きます。その下には、古代ローマの時代に作られた「円形競技場」の跡が。

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町の中心へ向かう広い通りの中央部は公園のようになっていて、両サイドは出店がぎっしり。途中、少し脇に入ったところにある広場では、大会に出ないローカルのマイナーなチームがミニチュア版「人間の塔」を作り、近くでお茶を飲んだり買い物をしている人たちを喜ばせています。しかし、こんな小さな塔でも、すぐ脇に警察官と救急隊員がスタンバっていました。

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そこをあとにし、タクシーで「ラス・ファレラス水道橋」に。これも古代ローマ時代に作られたもので、いまなおそっくり残っているのがすごいですね。全長200m以上、高さが26mですから、かなりの迫力です。橋の上には幅1mの通路があり、そこを往復してみましたがけっこうスリリングでした。

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水道橋がある場所は陸の孤島のようなところだったので、電話でタクシーを呼びました。こういうふうにタクシーを呼んだのは海外では初めての経験。相手はカタルーニャ語(スペイン語かも)しか話しませんが、なんとか通じたようなので、来たときにおろしてもらった場所で待つこと15分。来てくれた車で町に戻れました。

大聖堂の裏側でタクシーを降りて中を見学し、外に出るとちょうど結婚式を終えたカップルが。なんだか私たちはこういうシーンによく出くわします。そこからてくてく歩いて会場の「タラッコ・アリーナ」へ行くと、周りはもう人でいっぱいです。警察官、消防自動車、救急車があちこちに止まっていました。

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「人間の塔」を見終え、7時前の電車でバルセロナへ。ホテルの近くで気になっていた建物があったのですが、そこに入るとレストランがびっしり入っていました。どの店も大変なにぎわいで、私たちもその中の一つを選んで夕食。昼間タラゴナで食べたガスパッチョもおいしかったですが、この日食べたシーフードもたいそう美味でした!!

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文化と経済はやはり比例しているようです

2016年9月30日

今日も朝から市内を回ります。最初は、世界遺産にもなっている「カタルーニャ音楽堂」。アールヌーヴォーの様式で、もともとの建物と増築されたモダンな建物とがよく調和しています。中をちょっとのぞいてみると、お洒落な感じがしたので、できればホールに入ってみたいと思いました。果たして、私たちが滞在している間に適当な催しがあればいいのですが……。

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音楽堂から少し南に下がると「大聖堂(カテドラル)」。バルセロナが全盛期を誇った時代に建てられただけのことはあります。内部は広く、左右には祭壇がいくつも並んでいます。次に訪れたのは「ピカソ美術館」。ピカソが子どもだったころの絵やデッサンを見ると、「天才」といわれたのが納得できました。

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そこからタクシーで、かの有名な「サグラダ・ファミリア」へ。30年以上前に訪れたことがあるのですが、その当時に比べると大きく変わっており、空に向かって突き出ている塔の数が増えていました。完成まであと何年かかるのかわかりませんが、どれだけ寄付金が集まるかによってそのスピードも変わるのでしょう。

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私が初めて訪れたころは、世界の経済水準もいまほどではなく、工事も遅々として進まずにいたはず。でも、その後は相当お金が集まったようです。屋根の上に並んでいる重機(クレーン)の数も違います。素晴らしく整備された内部、1階のホールに、教会の建設が始まった1882年以来の進捗状況が写真とともに展示されているのですが、ここ20年ほどのスピードは驚くばかり。文化はやはり経済と比例していることを痛感しました。

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それにしても世界中から見物客が訪れているのはさすが。これなら、事前に予約しておかなければならないというのもよくわかります。

 

「サグラダ・ファミリア」をあとにし、「グエル公園」へ。しかし、ここは大失敗の巻でした。というのも、私たちが持って行ったガイドブックは3年も前のもので、そこにはグエル公園が「有料」「事前に予約しておくと待たずに入れる」などということは書かれていなかったのです。2年ほど前からシステムが変わったようで、行ってみてびっくり。人がたくさん並んでいます。入場料を払うと「入場は1時間半後になります」と。仕方なく外周を歩いて時間をつぶしましたが、ガイドブックはやはり最新のものを用意しておかなくてはいけませんね。

「グエル公園」もガウディの設計ですが、とても親しみが持て、気持ちも癒されます。外周を取り囲むように作られている石と木による工作物は一つひとつ姿が異なり、なんとも不思議な感じ。広場から見下ろせる地中海も美しいですし、広場を取り囲むようにしてしつらえられているベンチにすわると、ほっとした気持ちになります。

公園の一角にある住宅にガウディ自身も住んでいたそうです。あまりに多くの曲線が使われている公園や建物を毎日目にしていて、飽きることはなかったのかとも思っていたのですが、そうでもなかったのでしょう。もう1カ所、帰りがけにタクシーで行ってみた「カサ・ビセンス」は外装の修復工事中でシートで覆われていました。本物が見られず残念なことをしました。

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古いものを大切にする感性に脱帽

2016年9月29日

今日はまずモンジュイックの丘。その一角にある「オリンピック・スタジアム」に入ってみました。昨日バスでひとめぐりして興味をそそられたからです。岩崎恭子が200m平泳ぎで金メダルを取ったのはもう24年も前。そのプールの横に、マラソンの有森裕子が2番目にゴールを駆け抜けた陸上競技のスタジアムがそのまま残されています。

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このスタジアムはもともと、1929年に開催された万国博覧会のために作られたそうですが、92年のオリンピックのために改修。周囲が整備されたのもそのときで、さすが建築のレベルが高いスペイン、それもバルセロナとあって、何十年経ったいまでも古めかしい感じはまったくしません。おそらく100年後もそうではないかという気がします。「オリンピック」の名のもとに由緒ある国立競技場をいとも簡単に、それも跡形もなく壊してしまうどこかの国とは、およそ発想が違うようです。せめて聖火台とか柱の1本や2本は……と思うのですが。

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スタジアムから坂を少し下ると「カタルーニャ美術館」があります。こちらも万博のとき政府館として作られた立派な建物。国内各地の小聖堂から集められてきた壁画が、もともと飾られていた教会の内部をそのまま再現した中に展示されているかというのですから凝っています。壁画を単体で観るのとはまったく趣が異なり、観る側も心がまえが違いました。

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美術館からさらに下ったところが広いスペイン広場。これも万博のときに整備されたものだそうです。高さ47mの2本の塔(ヴェネチアンタワー)が印象的で、その間に3つの噴水が。左右対称の設計が気持ちを落ち着かせてくれます。

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その北東角にあるショッピングモール「アレナス。デル・バルセロナ」は元の闘牛場。3階建ての内部はみごとなまでに改装され、かつてのスタンドにはお洒落な店が並んでいます。屋上には、パノラミックに市街地を見渡せる、素晴らしい展望デッキがあるそうです。天気のいい日は「サグラダ・ファミリア」も見えるといいますが、そちらには上がれませんでした。でも、古い施設もこういうふうに利用する手があるのだと、いまさらながら感心させられます。

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初体験の乗り継ぎ10時間

2016年9月28日

羽田から香港・チューリヒ経由でバルセロナにやってきました。羽田を出たのは昨日(9月27日)の朝10時35分、バルセロナ到着は朝8時55分ですから30時間以上かかったことになります。

なんでまたそんなややこしい……と思うかもしれませんが、これはキャセイパシフィックのマイレージを利用した(東京・香港往復の特典航空券)からです。それに香港・バルセロナの往復(こちらはルフトハンザ便)を買い足せばいいわけで、このチケットがえらく安く買えました。

もう一つ、ここしばらくマカオもご無沙汰しているので、帰りに、香港から足を延ばすこともできます。どのみち日本からバルセロナからの直行便はないので、一石二鳥ではないかと。

ただ、香港に着いたのは14時10分、香港→チューリヒ乗り継ぎ→バルセロナ便の出発は23時35分ですから10時間近くの待ち時間があります。この時間を利用して空港近くの観光スポットを訪ねる手もあろうかと思い、リサーチしてみました。ネットにも香港乗り継ぎ時間の過ごし方があれこれ紹介されています。それもチェックはしていたのですが、結局、ずっと空港で過ごすことに。ラウンジを利用して仕事もできるので、働きましたよ! 家人は得意の「数独」三昧。

バルセロナの空港から市内まではバス。宿泊先のホテルのほとんど目の前にある「カタルーニャ広場」が終点だったので、助かりました。幸い、部屋も空いており、チェックインを済ませ荷物を置くとすぐ市内観光に。乗り降り自由の「ホップオン・ホップオフ」の2日券を購入して出発。最初はこれでひと巡りし、町の概要をつかんでおくのが私たちのパターンです。

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「こち亀」展を見にいってきました

2016年9月14日

今年の春先からずっと楽しみにしていた「こち亀(秋本治のギャグ漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)」展。今日から日本橋髙島屋で始まりました。デパートでの催し物といえば普通は1週間ですが、「こち亀」展はその倍、26日まで開催されるそうですから、やはりただものではありません。

午前中はメディアの取材をともなう行事(オープニングセレモニーや「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ(200巻)」のギネス認定証の授与式)があったようですが、私が行った午後3時過ぎはすっかり落ち着いていました。入り口を入ったところで写真を撮ろうとしたら「NG」とのこと。

連載スタートは1976年9月。最初のうちは、この当時人気だった『がきデカ』の作者・山上たつひこをもじった「山止【やまどめ】たつひこ」というペンネームを使っていましたが、山上本人から苦情が来たために連載100回目から本名の「秋本治」に変えたというユニークなエピソードもあります。たしかに、あんまりといえばあんまりではありますね。

 当初は主人公の両津勘吉、同じ派出所に勤務する中川圭一、秋本麗子、所長の大原大次郎の4人を中心に破天荒なストーリーが展開されていましたが、人気が出てくるとともにどんどん世界が広がっていきました。『少年ジャンプ』本誌で読んだのは1980年ごろまでで、あとは単行本になるのを待ちつつ、結局100巻まで読み続けました。それが今年の9月最終回までで200巻(1960話)になるというのですから、たしかに驚異的です。

内容のハチャメチャさでは、ほぼ同じ時代の作品・どおくまん作『嗚呼!!花の応援団』とどっこいどっこいだと思っていますが、こちらは全15巻で終わってしまったので、『こち亀』の足もとにも及びません。

「こち亀」展のほうは、会場の中にフォトスポットも用意されていました。

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出口前には広いグッズ売り場もあり、私も「読売新聞こち亀版」とクリアファイルを2つ購入。「読売新聞こち亀版」は10ページ建て傑作なアイデアではないでしょうか。スポーツ面の「五輪新種目カン蹴りで両津勘吉が金メダル」には噴き出してしまいました。漫画とオーバーラップするアイデアがいいですね。それにしても、たった一人、たった一作品で2週間も老舗デパートの展示スペースを使ってしまう秋本治・「こち亀」はすごい!

 

 

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「週刊朝日」にコメントを寄せました

2016年9月6日

今日発売の「週刊朝日」(2016年9月16日号)。その中に5ページも割いた記事があります。タイトルは『お金の県民性』。お読みになった方もおられるかもしれません。

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ネットでは“「金融リテラシー」最下位の山梨 理由は「無尽」の影響?【東日本編】”と“1位奈良、2位香川、3位京都…お金の県民性を分析【西日本編】”という2本に分かれています(下記URLご参照)が、もとは1本の記事です。
東日本編は→https://dot.asahi.com/wa/2016090900054.html?page=1
西日本編は→https://dot.asahi.com/wa/2016090900055.html

発売の4日前に記者さんが来られてインタビュ-し、そのときお話しした内容を上手にまとめてくださいました。この企画のもとになった調査がとても興味深い内容で、パラパラっとめくってみたら、その虜【とりこ】になってしまい、思わずメモなど取ってしまったほど。お金に対する全国47都道府県の人たちの受け止め方・関わり方の違いは以前から私もあちこちで指摘していましたが、ここまで綿密な調査を前にすると、自分の感性が試されているような気がして、緊張してインタビューに臨みました。

お金にかぎらず、県民性についてはまだまだ研究の余地が多々あります。もっともっと研鑽に励む必要があると痛感させられる仕事でした。でも、それが刺激になるのですから、考えてみればうれしくもあり楽しくもあり。

「9・11」から15年目、そのご遺族が開いた催しに

2016年9月4日

自宅から車で15分、中野駅にも近い、閑静な住宅街の一角に目的地がありました。区立なので、「産業振興センター」とものものしい名称なのですが、たいそう立派な建物で、利用者がひっきりなしに訪れています。

玄関を入ってすぐ左のコーナーに目をやると、真っ先に大きなアメリカ国旗が目に入ってきます。15年前の9月11日、ニューヨークで起こった同時多発テロの写真などを集めた展示会がおこなわれていました。

この催しがおこなわれているのを知ったのはまったくの偶然。家人が1週間ほど前、夕方のニュースで紹介されているのを見たからです。主催者の住山一貞さんのご長男(当時34歳)はその日、世界貿易センタービルの中にある勤務先で惨事の犠牲となられたとのこと。

昨年9月11日、家人と二人で「9・11」を追悼するイベントに参加しましたが、その日最初の行事は亡くなられたご長男が住まわれていたニュージャージー州のオーバペック・パーク(Overpeck Park)にある慰霊碑の前でおこなわれた追悼の会でした。もちろん、そこには住山さんご夫妻もいらっしゃっていました。そのときはとくに言葉を交わすこともありませんでしたが、私たちが参加した音楽会のあとでおこなわれたレセプションでも同席、そこからホテルに戻る途中、一緒に写真を撮らせていただいたのです。セントラルパークのすぐ南の路上でした。

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住山さんはテロのあと20回以上ニューヨークに足を運んだそうですが、会場には、そうした中で手に入れた現場の写真や資料など30点ほどが展示されていました。その中に、縦6センチ、横9センチほどの鉄骨(世界貿易センタービルのもの)残骸がありました。テロから1カ月半後経ったあともなお続いていた救出活動にたずさわる救助隊員が住山さんに手渡してくれたものだそうです。また、先のアメリ国旗は、犠牲者の葬儀で棺にかぶせるのに使われたものでした。私の頭にもすぐ当時の模様(ニュース映像)がよみがえったのはいうまでもありません。

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見終わったあと、昨年撮った先の写真をプリントし、会場でご夫妻にお渡ししました。住山さんの奥様がそのときのことを覚えていてくださり、しばしお話しすることもできました。ご主人は、息子さんの最期をなんとか知りたいと、550ページを超えるアメリカ政府が作成した、同時多発テロの調査報告書を8年がかりで翻訳したそうです。それを製本したものも展示されていました。原本のほうはボロボロになっていましたが、おそらく数え切れないほど報告書のページを繰ったのでしょう。

「5年に1回、この展示会を開いています」と奥様が話されていましたが、私も生まれて初めて千羽鶴を折り、住山さんに託しました。今年も来週からニューヨークに行き、追悼のイベントに参加されるのだそうです。その場に鶴をお持ちになるということでした。住山さんご夫妻のご健康を祈らずにはいられません。

真っ赤っ赤に燃えていた広島

2016年8月31日
昨日・今日と広島に行ってきました。昨日は夕方4時過ぎに広島駅に着いたのですが、駅に入る直前、進行方向左側にマツダスタジアムが見えます。驚くなかれ、まだ夕方早い時間なのに、スタンドにはかなりの数のお客が入っていました。ほとんどが赤いTシャツを着ています。

駅を降り、タクシーを拾おうと南口に出ると、ここもまた真っ赤。スタジアムに行く人のほとんどが赤いTシャツ、赤のレプリカユニホームを着込んでいるのです。グッズを売る店も出ていましたが、その看板もほとんどが赤。売り子も赤のTシャツ。赤、赤、赤で燃えまくりという印象でした。

この日の試合は楽勝だったようで、マジックは1減って12に、またクライマックスシリーズへの出場権も確保したとのこと。今日の中国新聞朝刊も1面から大盛り上がり。18・19面(見開き)のスポーツ面は、記事も下段の広告も赤、赤、赤。企業や商品の広告も、ベースの色はどこも皆赤。35面(社会面)の下には「カープ優勝記念中国新聞特別セット 500円」などという、気の早い広告も出ています。どのページを繰っても、前夜の熱気がひしひし伝わってくる感じがしました。

日本とはまるっきり違う、沖縄のお盆

2016年8月17日
8月10日から沖縄分室に来ています。この時期に来るのは初めて。期待していたほどさわやかでない1週間で、あまり外を出歩くこともなかったのですが、さすがに今日くらいはということになり、車で沖縄市まで行ってきました。というのも、昨日乗ったタクシーの運転手さんからそうせざるを得なくなるような話を聞いたからです。

「いま沖縄はお盆の真っ最中。昨日・今日・明日は道路がメッチャ混みます。昨日・今日は皆、嫁さんの実家に行くでしょ。そして、今日・明日は長男の実家に行くんですよ。どの家も家族全員、車に乗っていきますからね。ふだんは走っていない車まで全部出てくるんです。

明日(17日)の夜は“ウークイ(送り)”でしょ、長男の家で飲んだり食べたりして、そのあと儀式がありまして。これは、何があっても出ないわけにはいきませんから。お盆だけは、沖縄の人はきっちりされてます。明日、ほとんどの店は早じまいか休みですよ」

そういえば、14日ごろから、スーパーがいつになく込み合っているなと思っていました。お盆の準備に駆け回っていたのでしょうね。ふだん見たこともない食べ物が山と積まれ、線香やロウソクも箱入りで大量に売られていました。また、17日は、分室のあるマンションの「管理業務」もお休みしますという貼り紙がされていました。皆、仕事を休んで、奥さんの実家や長男の家に出かけるわけです。

dsc00817その「ウークイ」が今日17日。どうりでおとといも昨日も、車がやたら多かったはずです。とくに午後3時過ぎくらいからは猛烈な込みようでした。というわけで、今日は食事もままならないことがわかり、早めに買い出しに行って食べ物を確保しておこうと。まったく外に出ていなかったこともあって、沖縄市の「ローズガーデン」という店に行くことにしたわけです。

 

dsc00816「ローズガーデン」は、いかにも「アメリカ」を感じさせる店。復帰前はこういう雰囲気の店がそこいら中にあったのでしょうね。何がいいかというと、おいしいこと。ボリュームがアメリカ仕様なのが私たちにとっては玉にキズなのですが、残ればドギーバッグ(持ち帰り)もOKなので、その点は助かります。最近、店の近くライカムにイオンのモールができたため、この界隈は以前とは比べものにならないほど車で混んでいます。それでなくとも、土日は朝から込み合い、駐車スペースがいっぱいになっていることが多かったので、これから先はウイークデーに行くしかなさそうです。今日も、お盆の最中でやはり満席でした。

 

沖縄で「アメリカ」を感じる場所の筆頭かも

2016年8月17日

前にも書いたかもしれませんが、高速道路の北中城【なかぐすく】か沖縄南インターから10分ほどのところ(屋宜原【やぎばる】)に、「ローズガーデン」というレストランがあります。9年前、沖縄に活動拠点を設けて以来、来ればかならずといっていほど足を運んでいるお気に入りの店です。

基地にすぐ近くというロケーションもあって、お客の多くがその関係者なのでしょう、アメリカ人の姿が目立ちます。メニューは、パンケーキとかフレンチトーストをベースにしたアメリカンブレックファスト。朝8時からオープンしており、ブレックファストメニューは終日、ステーキも朝から食べられるのがありがたい! 店ができたのは40年以上前のようで、イタリア系アメリカ人が創業したと聞きました。

土曜日や日曜日のお昼近い時間帯になると、ブランチのためか、店の前に行列ができるほど繁盛しています。おかげで、狭い駐車場は大混乱。道路に車を止めて待っている人も少なくありません。

ただ最近は、せっかく注文した料理も食べ切ることができず、“ドギーバッグ”をお願いするようになってしまいました。元来がアメリカ人向けですから、繊細な味ではありません。でも、パンケーキやフレンチトーストとなると、「アメリカ」風でないと満足できないところがあるのも事実。これから先もまだまだ通い続けそうです。

学生の町フライブルクに立ち寄って日本食

2016年8月4日
今日で「アルザス・ロレーヌで(フランスとドイツの)境界を体験する旅」も最後。コルマールからフランクフルトまで一気に移動します。ただ、時間的に余裕があったので、途中、ドイツのフライブルク(Freiburg)という町に立ち寄ってみることにしました。出発前、学生時代の先輩Sさんが研究のために留学してところだそうで、「せっかく近くまで行くんだったらぜひ」とのお話を聞かされていたからです。

DSC00804ドイツのこのあたりでは比較的大きな町で、人口も約22万。そのうち3万人は学生だそうです。世界的に有名な大学がいくつもあり、研究機関も多いようです。と同時に、音楽も盛んで、なかでもフライブルク・バロックオーケストラは世界でも最高レベルだとか。ただ、滞在時間が限られていたので、私たちが足を運んだのは朝市が開かれている広場とランチを食べる日本食レストランのみ。

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このレストランはSさんに教えてもらっていたので、すぐわかりました。ようやくありつけたタテ飯には感動。普仏戦争でフランスに勝ったときに作られたという記念碑だか大砲の彫刻高だかが駅の前に置かれていると聞いていたので行ってみたのですが、残念ながら駅前の整備工事中とやらで、どこか別のところに保管されているとのこと。あきらめて、フランクフルトの空港に向かいました。

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途中渋滞があったりしましたが、助手席で家人がスマホをちょこちょこっといじると、すぐ渋滞情報が出てくるではないですか。これには驚きました。情報はNAVIより早いですし、しかも正確。いずれ私もスマホのお世話になりそうだなぁ……と思いつつ走り抜けました。

コルマールで観たピカソの『ゲルニカ』

2016年8月3日

ホテルで朝食を済ませ、近くのウンターリンデン美術館に。もともとは修道院だった建物を改装してできたそうです。実はこの美術館こそが、今回の旅を実行する最大の動機でした。家人が“女子会”旅で沖縄に行った折、県立美術館に特別展示されていた『ゲルニカ』のタピストリー──世界に3つあるそうです──を観たと。その1つがここに展示されているという話をしてくれました。素材は布ですから、当然絵とは趣がまったく違うけれども、一見の価値はあるというのです。残りの1つは群馬県立美術館が所蔵しているそうですが、残念ながら常設展示はされていません。となると、その現物を観るには……ということになったわけです。

それとは別に、私は以前から「アルザス・ロレーヌ」というところに行ってみたいという思いがありました。小学生のころ国語の授業で習った『最後の授業』という話が頭の片隅に残っていたからです。

プロシア(いまのドイツ)との戦争(普仏戦争)で負けたため、アルザス地方の領有権がフランスからドイツに移されることになった。明日からドイツ領になるという日、この地の小学校の教師が「今日はフランス語で授業ができる最後の日」という話を子どもたちにする。でもみんなはフランス人なんだから、フランスを愛し続けるんだよ──。そんな内容だったと記憶しています。

この話を習ったとき、私は子ども心にこう思いました。「明日から授業は全部英語になる」なんてことになったら、どうしよう……。そんなことが起こるのは、実際どんなところなのかこの目で確かめてみたい。というわけで、『ゲルニカ』と『最後の授業』がくっついたわけです。「ついで」というか「つなげること」は旅の大きなポイントになるというのが、私の持論ですから。

もっとも、そういう場所だからこそ、『ゲルニカ』も展示する意味があるのでしょうね。家人の話では、タピストリーのほうはオリジナルの絵よりふた回りほど小さく、色合いも違うとのこと。ここでは、前面がガラスで保護されていました。布のほうが傷みやすいからでしょう。それでも、そこに描かれているメッセージは強く伝わってきます。ほかにもピカソの作品がいくつか展示されていましたし、来て本当によかったと思いました。

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午後はコルマールから車で30分足らずのところにあるエギスハイム(Eguisheim)へ。ここもまた「フランスの最も美しい村(Les plus beaux villages de France)の1つに選ばれているだけあって、おとぎ話の舞台のような街並み。

ここでもまた、日本語音声ガイド付きのプチトランが走っていました。それによると、4世紀にローマ人が初めてぶどうの苗を植えたことで、アルザスワイン発祥の地として栄え、現在でも40軒ほどのワイナリーが営業を続けているのだとか。なるほど、そういわれて観てみると、深い歴史が感じられます。

DSC_0380何より素晴らしいのは花を活かした景観美。どの家の窓にも鉢植えの花が美しく飾られ、道路端にも大小さまざまな花が。その色彩に合わせたかのようなコロンバージュ(木組みの家)の家も壁の色が微妙に異なっています。日本でも近ごろは、花を活かした町づくりがあちこちでおこなわれていますが、こちらはやはり年季が違います。花の種類はもちろん、色彩や配列のセンスだけでなく、その周りの建物や噴水、街灯などとも実によくバランスが取れているのです。何より、建物が風格(お金をかけているという意味ではありませんよ)歴史を感じさせるものばかりですから、深い味わいがあります。

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夕食は、そろそろ“縦メシ”(日本料理もしくは中華料理)が食べたかったので、街中探し歩きましたが、ネットで見つけた店は全部、消えていました。結局、ホテルのレストランにします。中庭に置かれたテーブルで食べた食事は最高! 最初は「予約でいっぱいなので」とお断わりされたのですが、「泊まっているんだから」と、半ば強引にすわってしまったら、まったくノープロブレムでした。

アール・ヌーヴォーのレストランで朝食

2016年8月2日
DSC_0153朝は、「エクセルシオール」という老舗のレストランで。外側はそれほどでもないのですが、内装が素晴らしい! 各テーブルにコート掛けがしつらえられていて、朝はコーヒーとクロワッサンか何かを食べながら新聞を読む──そんな時代の名残がそっくり残っているシックな空間です。装飾はもちろんアール・ヌーヴォーなのですが、さほどけばけばしい感じはしません。落ち着いた時間を過ごせました。

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ナンシーからコルマールに行く途中、立ち寄ったのがカイゼルスベルク(Kaysersberg)。フランス語風に「ケゼルスベール」などと記されているガイドブックもあります。音だけ聞くといかにもドイツ(ドイツ語で「皇帝の山」という意味)といった印象がしますが、この地に城を建て村を作ったのはやはりドイツ人だったのでしょうね。ただ、いまではれっきとしたフランス・アルザスの村なので、発音も変わってしまっているのです。

DSC_0183この村には、アフリカでの人道活動でノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァー博士が、この町で生まれたのは1875年。その生家が「博物館」として残っているほか、15~17世紀に建てられた古い家々が軒を連ねています。村の中心には小川が流れ、水車が。立派な教会があることからしても、かつてはこの一帯の中心地だったのでしょうね。

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DSC_0220村内を散策している途中、たまたまその前を通りかかった金属装飾品の店で、キリンに出会いました。家の外に飾り付ける(もちろん部屋の中でもOKでしょうが)ため錆びにくくする加工を施した鉄製の品。これまで出会ったぬいぐるみや木の細工とはまた異なる趣があり、スーツケースになんとか入りそうだったので、買って帰ることに。

コルマールのすぐ手前に、もう一つ、アルザスっぽい町があるので、そこに立ち寄りました。リボーヴィレ(Ribeauvillé)という町です。人口5000人足らずの小さな町ですが、ワイン生産の中心地。中世の時代からブドウの栽培がおこなわれ、最高級のブドウを産出するグラン・クリュに認定された畑も多くあるそうです。

DSC_0285そして、ここにも日本語音声ガイド付きのプチトランが走っていました。まさかこんなところにまでと思いつつ乗ってみると、きっちり聞こえてくるではありませんか。マルセイユやミラノ、エディンバラでも経験しましたが、この種の音声ガイドから流れてくる日本語はなぜか大時代的というか、難解な語句が多いのが特徴です。その昔、その街で数少ない日本人(音楽や美術を学ぶために留学していたとか……)が地元の関係者から頼まれ、まったく専門外のことをさせられてできたシロモノといった印象がします。まあ、なんとかかんとか理解はできるのですが、聞いていてどうも落ち着きが悪い印象は否めず、いまひとつ身に入りません。

 

DSC_0278それはともかく、小さな町なのであっという間に市街地を抜け、すぐ隣のユナヴィール(Hunawihr)の村(人口は600人弱)へ。ここは“フランスで最も美しい村”の一つに数えられ、観光客に大変な人気なのだとか。途中は一面のブドウ畑で、これならワインもたくさんできるだろうなと納得です。高い建物のいちばん上にはコウノトリの巣が。やはりアルザスの象徴なのですね。

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夕方の早い時間にコルマールに到着。この町は1日もあれば十分に見尽くすことができそう。というか、町の主だった観光スポットを走るプチトランに1回乗れば、とりあえずポイントは十分おさえられるのです。あとは自分で歩いて、もう一度ゆっくり見たいところ、行ってみたいと思ったところまで歩いていけばOK。しかも、このプチトランが安くて、しかも日本語の音声ガイド付き。

私たちが予約したホテル「ラ・メゾン・デ・テートゥ(La Maison des têtes=頭の家)は由緒ありげな建物で、外壁に人間の頭の彫像がたくさん嵌め込まれています。なんでも、17世紀に建てられたとかで、彫刻の数は全部で105個。「頭の家」と呼ばれているのはそのためのようです。お土産屋で売られている絵ハガキにもその写真がありました。

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夕食は、なぜかいちばん店の数が多いイタリアンの店へ。なんで、アルザスでイタ飯を……とも思いましたが、アルザス料理は食材もレパートリーもごく限られているので、これは致し方ありません。でも、おいしかったですよ。余談ですが、ホテルの近くになぜか「NAGOYA」という名のアジア料理店がありましたが、さすがパスしました。KYOTOとかHAKATAというのならまだしも、よりにもよって名古屋ではねぇ。

最高! ザールブリュッケン動物園のキリンたち

2016年8月1日
今回の旅は「アルザス・ロレーヌで(フランスとドイツの)境界を体験する」のがテーマ。最初の4日間はストラスブールで「アルザス」を堪能しましたが、普通ならそこから「ロレーヌ」というコースになるのでしょう。でも、それではずっとフランスにいることになるので、すぐ隣接するドイツの空気も吸ってみたいと思い、ザールブリュッケンに行ってみることにしたのです。

ただ、それだけではありません。ここには大きな動物園があります。それもちょっとのぞいてみたいなと。いや、ほかにめぼしい観光スポットもないこの町に1泊するのは、そのためたけだったかもしれません。

DSC_0929しかし、昨日(7月31日)行ったこの動物園のキリンは、これまででも最高の写真を撮らせてくれました。人が少なかったせいもありますが、「私を撮って!」と言わんばかりの顔を見せながら、絶妙の位置に立つのです。私も大満足でした(そのせいもあってか、シャッター押しまくり)。

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今日の予定はまずメッス(Metz)。ザールブリュッケンからは車で1時間足らずのところです。ここはもう「アルザス」ではなく、「ロレーヌ」地方。町自体の歴史は3000年前までさかのぼります。商業都市で、過去ドイツとフランスに交互に併合されてきたことから、さまざまな建築様式が混在しています。最初に観たのは「サン・テティエンヌ大聖堂」。DSC_0951その前から町全体を回るミニトランが走っていたのでそれに乗りました。観光的にはそれでほぼ完了。川沿いに建つオペラ劇場の素晴らしかったこと。町も、ドイツ人が作ったエリアには、キリッとした印象の高級そうな建物が並んでいました。3時間ほどでメッスをあとにし、ナンシーまで行きます。

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ナンシーはメッスに比べはるかにメジャーなイメージがあります。「アール・ヌーヴォー」の町として世界的に知られているからでしょう。ただ、私たちが予約していたホテルが建つ「スタニスラス広場」(世界遺産)は、違う意味で“ぶっ飛んだ”ところでした。広場の入り口には、黒い鍛鉄にピカピカの金箔をふんだんにほどこしたド派手な門が建っているのです。ほかの小さな門もそのミニチュア版風。ロココ調というそうですが、そのまばゆいばかりの輝きを見れば、だれもが度肝を抜かれるにちがいありません。いまさらながら金の強烈なインパクトを思い知らされました。

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DSC_0034昨日・今日とナンシーの街を歩き回りましたが、そのアール・ヌーヴォーの建築物がそこかしこに残っています。もちろん、いまもなお“現役”です。建物のファサードに壁、ベランダ、装飾、看板……公共施設、商店、住宅を問わず、すべてがアール・ヌーヴォー。いまのようなシンプルでフラットな建物が多いのと違い、この類の建物ばかりだった時代、人々は飽きなかったのでしょうか。そんなことが心配になってしまいました。ただ、建築も“時代の子”ですから、当時は社会のマインドがそういうトーンだったのかもしれません。

 

 

 

DSC_0024そうした中、偶然見つけた「ドミニク=アレサンドゥル・ゴドゥロン庭園(JARDIN DOMINIQUE-ALEXANDRE GODRON)」のいかにも素朴な感じに心を癒されたような気がします。観光客が押し寄せるわけでもないこの小さな庭園は、看板に書かれた説明文によると、その昔薬草を栽培していたとのこと。ナンシーにはペピニエール公園のようなたいそう立派な公園もありましたが、それはそれ。こういう小ぶりで静かな場所でのんびりするのもいいですね。

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お菓子屋さんもそこら中にあります。「ALAIN・BATT」という店では、キリンの姿をしたチョコレートにめぐり会いました。あまりに愛らしく、とても食べようという気にはなれませんが、記念に買ってみました。

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DSC_0120夏の間ナンシーでは、毎晩スタニスラス広場で「音と光のショー」がおこなわれます。これは一見の価値があります。前夜はホテルの窓から観たのですが、今日は広場にすわって楽しみました。広場の南側に立つ市庁舎などの壁面をスクリーンに見立て30分ほどのドラマが上映されるのですが、光の動き、色彩、音、ナレーションがみごとに調和していて、言葉がわからない私たちにも十分楽しめる内容でした。

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花の美しさの年季が違う(!)アルザスの町々

2016年7月30日

昨日(7月29日)は朝5時半から仕事。最初の日より2時間も早く朝食を済ませました。ホテルのレストランは川辺にしつらえられており、パン、ハム、チーズと、何を食べてもGOODです。初めて、この地方の名物菓子も食べてみましたが、これはイケます。ベタベタと甘くないのが特徴でしょうか。

DSC_0789車で郊外に出てみました。10時過ぎに出発し、まずはオベルネ(Obernai)という町へ。ここもこの地方特有の「コロンバージュ」と呼ばれる家が立ち並ぶ光景が素晴らしく、カメラのシャッターを押しまくり。アルザス地方は石材に乏しいため、民家の多くが木造建築です。柱と梁で軸組を組み立て、軸組の空いている部分を白の漆喰、レンガなどで埋めて壁にする木組み(木骨)の構造が特徴だそうです。

フランスを代表するビール「クローネンブール(日本ではクローネンブルグといいます)」の工場があり、フランス国内で消費されるビールの3分の1がここで作られているとのこと。

DSC_080711時半過ぎにオベルネを出て、次に訪れたのはサヴェルヌ(Saverne)という小さな町。この町の中心街の美しさは驚くばかり! 広い遊歩道風の真ん中に大きめの花壇がゆったりと並び、そこを縫うようにして歩くのですが、カフェもレストランも、建物は数百年前のまま。

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この町に来たのは、現地で手に入れた観光パンフレットに、「司祭の館」と呼ばれる建物のライトアップした写真が出ていたから。それを見たかったのですが、写真と合致するものが見つかりません。ランチのあと訪れた観光案内所の人に聞いてみると、「ここのすぐ裏にある」と。でも、さっき行ってみた大きな建物は写真のそれと違います。要するに、私たちが見たのは裏側だったのです。表側は池に面しており、パンフレットに出ていたのは、そちらを写したものだったのです。

サヴェルヌからストラスブールへは1時間足らず。途中、ロータリーで方向を間違えたりなどしながら、3時前には無事、戻ってこれました。今日1日、旧市街全域でおこなわれる「大ノミの市」のため、車の出入りがNGということで、ホテルで教えてくれた公共駐車場に止めました。

現代美術館の地下にある駐車場近くの停留所からトラムを乗り継いで「大聖堂」の近くまで、おみやげのビスケットを買いに。昨日「大聖堂」のすぐ脇にある店をたまたまのぞいてみた折、試食させてくれたアプリコットのジャム入りビスケットを家人が気に入り、買って帰ることにしたのです。缶がなんとも可愛らしく、女性が見たらさぞかし喜ぶにちがいありません。

そのあと「大聖堂」の前にあるカフェで家人はコーラ、私はビールを飲んだのですが、これがなぜかめっぽう利きました。飲みながら、「今日の夜は何も食べないでいいくらい。テイクアウトで何か買って帰ろう」という話に。橋を渡ったところにあるオーステルリッツ通りに立ち寄ってみましたが、めぼしい店はありません。帰る道すがら猛烈な眠気と疲れが襲ってきて、朦朧とした頭でホテルへ。そのままバタンキューで朝まで寝てしまいました。長い海外旅行ではかならずこういう日を経験するものです。

DSC_0696ストラスブール、オベルネ、そしてサヴェルヌなど、アルザス地方の大きな特徴は、どの町も花が美しいこと。これは、フランスで60年近く前からおこなわれている「花の町・村コンクール」の成果のようです。政府観光局の主導で始まったこのコンクール、いまでは、国や自治体の専門家で構成される全国花委員会(CNFF)によって運営されているとのこと。

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その結果、全国どこでも、自分たちの町や村への愛着・連帯感がぐんと高まったといわれています。コンクールが始まるはるか以前から、自治体と住民が一体となって花による町づくりがおこなわれていたそうですが、道路から広場、公園、各家庭の玄関先や窓辺に至るまで、あらゆる場所に草花を植えて入念に手入れをほどこし、花があふれる街並みを作り上げてきた、その成果がみごとにあらわれている感じがします。

ストラスブールにはつごう3泊。今日(7月30日)はドイツのザールブリュッケンに行きます。チェックアウトを済ませ、公共駐車場に1泊させた車をやっとのことでホテルの前まで移動、荷物を載せて出発。道すがら、町のはずれにある「オランジュリー公園」に立ち寄ってみました。

もともとはフランス革命の前、1804年に、ヴェルサイユ宮殿の庭園造りにたずさわった人物が設計したもの。入口からほど近くにあるパビリオンは、ナポレオンが妻ジョゼフィーヌのために建てたそうです。建物の前に英国式の庭園があり、そのまわりには池や森が配されています。

DSC_0871パビリオンの屋根の上にコウノトリの巣を見つけました。アルザス地方はコウノトリの繁殖地として知られており、地域のシンボルになっています。この公園も、木の上や建物の煙突の上など、あちこちにコウノトリが巣を作っているのです。

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DSC_0883「オランジュリー公園」から東へ10分ほど走るとライン川。この中央にフランスとドイツの国境があります。橋を渡ってすぐのところにあるのがケールという町。橋の中央を横切る国境線をまたいでいるところを写真に収めることはかないませんでしたが、ケールに入ってすぐのところでそれに近い写真が撮れました。

ケールを出るとまたフランスに入るので、もう一度国境を越えることになります。昨日行ったサヴェルヌを過ぎ、ECに統一される前は検問所があったとおぼしき場所を通過。色あせた「免税店」という文字が印象的でした。

1時間半ほどで着いたドイツのザールブリュッケンはその名のとおり、ザール川(モーゼル川の支流)の両岸に広がる人口18万ほどの町。ザールラント州は石炭、鉄など地下資源が豊富、しかも交易の要衝地でもあったため、その帰属をめぐりフランスとドイツの間で長らく争いが続けられてきました。ドイツに帰属するのが決まったのは1957年だそうですから、つい60年ほど前。たしかに、フランスとはまったく違う雰囲気で、ラテンの香りはまったく漂ってきません。

予約していたホテルはメルキュール。ロケーションもよく、部屋も清潔、快適で十分な広さ。さすがといった感じがします。本当なら9点くらいつけてもいいのですが、それを妨げたのが、チェックインのとき私たちの相手をした若い女性スタッフです。

笑顔、一切なし。「仏頂面」という言葉は彼女のためにあるのでは、と思いました。最初の「こんにちは。いらっしゃいませ」といったひと言もなし。ひどいのはそのあと。「名前は?」ですと。英語に堪能でない私にでも、“May I have your name please?”と“What’s your name?”の区別ぐらいはつきます。彼女はもちろん後者。チョー事務的というか、冷たい、氷のような態度です。朝食の場所・時間についても、一切教えようとせず、エレベーターの場所も案内してくれません。

車で来ているので、「どこに駐車すればいいですか」と聞くと、「どこに止めたの!?」と詰問口調で聞いてきます。「荷物をおろすため、とりあえずホテルの前に。あなたの右側、窓から見えるでしょう。歩道の上に止めてある黒い車です」と答えると、さもバカにした顔で「そんなところに止めたらダメでしょ!」とだけ。普通ならここで駐車場の場所を案内してくれるのですが、彼女の場合、私のほうから質問し初めて答える始末。

私と家人は、世界各国のホテルに泊まってきましたが、ここまでひどい接客をするフロント係には初めて出くわしました。ナチスドイツの非道を描いた映画に出てくる女性兵士とでも言えばいいでしょうか。私の後ろで待っていた家人も、「鬼みたいな感じね」と怖がっていました。メルキュールともあろうホテルが、こんなスタッフのために不愉快な印象をバラまいてしまっては大きな損害ではないでしょうか。1日も早く、バックヤードの事務職とかに配置転換したほうがいいと思います!

ヨーロッパの涼しい夏はありがたい

2016年7月28日

DSC_0681今日は1日、めいっぱい歩きました。真夏とはいえ、日本のようにギラギラと日が照ることはありません。もちろん、汗もほとんどかかないので大助かりです。さっそく、ストラスブール第一の観光スポット「ノートルダム大聖堂」のある広場まで歩き、その一角にある観光案内所で「ストラスブールパス」を購入します。これ1枚で、交通機関はすべて無料、美術館や博物館など、ほとんどの観光スポットも無料か大幅なディスカウント。それより何より、入場券を買うために財布をいちいち出す手間が省けるのがありがたいのです。

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DSC_0702午後からは、「どこを見ても絵になる」町をぶらぶら。そのあと、名物の遊覧船に乗り、旧市街を取り囲むようにして流れるイル川を一周しました。1時間ほどで戻り「大聖堂」の中へ。142メートルという高さは、1647年から1874年まで世界一だったといいます。これほど大きな建物の窓にステンドグラスをしつらえること自体驚きですが、それ以上にすごいのは絵柄のこまかさ。カトリックの権力の強大さと人々の(この場合は絵描きでしょうか)信仰心の強さはどれほどだったのか、考えさせられました。DSC_0722DSC_0712

 

DSC_0744「大聖堂」を出たあとは、そのすぐ脇から出ているプチトランでストラスブールの中心部を回ります。遊覧船同様、日本語のイヤホンガイド付きなので助かりました。この種の音声ガイドで16チャンネル使われているケースは珍しいですし、8チャンネル(=8カ国語)の場合、たいてい日本語が除外されています。以前はそういうことはありませんでしたが、ここ5、6年は日本語が中国語にとって代わられているケースが多いのです。

DSC_0746イル川の対岸に建つ「アルザス博物館」を訪れてみます。19世紀の家屋数軒をつなぎ合わせ、そっくりそのまま博物館にしつらえたもので、かなりの規模。ただ、中の構造がとても複雑で、見て回るのが大変でした。カトリックのフランスとプロテスタントのドイツとの間を行ったり来たりした地域なので、宗教事情がとても複雑であることを知りました。

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DSC_0762近くの停留所からトラムに乗って「中央駅」へ。遠目に見ると、巨大なUFOもどき。19世紀半ばに作られたレンガ造りの旧駅が、いかにも現代的なガラス張りの屋根と外壁でそっくり覆われているなんとも不思議なデザイン。

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ちなみに、ストラスブールはこのトラムで世界的に有名です。一時は世界中の都市を走っていたチンチン電車ですが、モータリゼーションの波に飲み込まれ、20世紀後半に入ると、その多くが姿を消してしまいます。それを「トラム」という別の形でいち早く復活させたのがストラスブールだからです。

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1878年開業の馬車軌道がその起源で、1930年にはストラスブールからマッシフ・デ・ヴォージュ(Massif des Vosges)やコルマール、ライン川を越えドイツにまで延び、総延長はなんと234キロにも達していたといいます。乗客も、最盛期の43年には7150万人を数えましたが、先のような理由で60年に廃止。ところが94年にそれが復活し、近年は、エコな都市計画のモデルケースとして、世界各国から注目を浴びているとのこと。

夕食はホテルの近くで見つけた1522年創業の店で。私の選んだタルタルステーキはおいしかったですよ。

今日もカンカン照りでなかったので助かりました。たしかに、たくさん歩きはしたものの、途中、船に乗ったりプチトランに乗ったりトラムに乗ったりしたので疲れもそれほど感じません。

“トラベルイズトラブル”3篇

2016年7月27日

朝6時前にフランクフルト空港着。いつもは乗り継ぎでしか降りることもないのですが、今回はここでレンタカーを借りての旅です。ナビもまあまあスムーズにセットでき、7時10分には出発。家人が助手席から「右側通行!」と何度もアナウンスしてくれるので、しばらくするとすんなり慣れました。

目的地はフロイデンベルク(Freudenberg)という小さな町。1時間少々で到着したのですが、想像していたのとはどうも様子が違う感じがします。ここからが「トラベルイズトラブルの第1篇。地元の人に聞いてみると、わかりました。私たちがやって来たのは、ドイツ国内に全部で5つある同名の町の一つではあるのですが、別のフロイデンベルク(正確には、このあと「am Mein(=マイン河畔の)」と続く)だったのです。

というわけで、そこからストラスブールまで230キロの道のりをトコトコ走りました。第2篇は、旧市街の名所「プティット・フランス」にあるホテルに着くまでのひと騒動。ナビに住所を入力できないのです。街に入ってからなんとか入力まではこぎつけたのですが、ホテルには到着できずじまい。結局、すぐ近くの公共駐車場に止め、石畳の道を歩いて5分。ホテルのフロントで事情を話し、どこに車を駐車すればいいのか尋ねると、どうやら入力する住所がほんの少し違っていることがわかりました。先に止めた公共駐車場から苦心惨憺して車を出し、ホテルの駐車場まで移動、やっと一件落着です。

第3篇は、ノートPC用のバッテリーケーブルを東京に置き忘れてきたこと。ホテルの部屋に入り、接続しようとすると「あちゃ~ッ!」です。ノートなのでとりあえず数時間は稼働しますが、切れたらおしまい。新しく買わなければなりません。とりあえず、町でいちばんにぎやかそうなグーテンベルク広場まで出て、電気屋を探してみました。でも、なかなか見つかりません。近くにあった携帯電話関連グッズ販売店に入って聞くと、「うちにはないけど、FNACにはあるんじゃないかな」と。

場所を教えてもらって行ってみたのですが、そこでは扱っていないとの返事。「どこならありそうですか?」と尋ねたところ、その店員は、店の名前から住所、地図、FNACからの行き方、所要時間まで、詳しく懇切丁寧に教えてくれました。行ってみたら、いかにも町の電気部品屋さんといった感じの小さな店。ようやくそこで買い求めることができ、ピンチを脱しました。でも、初日で3回ものトラブル。この先が思いやられます。

DSC_0625ホテルはストラスブールの名所プティット・フランスに建つホテルにチェックインし、ネットで調べてもけっこうわかりにくかったのですが、私たちが行こうとしていたのは、ノルトハイン・ヴェストファーレン州にあるフロイテンベルク。どちらもフランクフルトの空港からほぼ等距離なのですが、方角がまるで逆なので、あきらめて正解でした。

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夕食はホテル近くのアルザス料理店で。2人でピザ(生地がチョー薄い)、オニオンタルト、シュークルート、ポテトの煮込み料理を。シュークルートはボリューミーすぎて、食べ切れずじまい。ただ、さすがアルザスのリースリングから生まれた白ワインは上々でした。