2016年10月19日
今日で熊野古道チャレンジも最終日。残る一つ「熊野那智大社」に向かいます。那智の滝があるところですが、それを見るのに、たいていの人は車で「那智山」まで上がってしまうとのこと。でも私たちは「チャレンジャー」ですから、歩いて登ることにしました。
スタートは、山のふもとにある「大門坂【だいもんざか】」。手前の駐車場に車を止め、降りて歩き始めると、澄んだ空気の中、杉木立に囲まれ苔むしている坂は荘厳な雰囲気に包まれています。最初のうちはゆるやかでしたが、途中からかなりきつい勾配に。あまりのしんどさにリタイアしている人もいましたが、私と家人はあえぎながらも30分歩き、なんとか途中の那智山駐車場まで登りました。
ここからは石段です。10分ほどで「那智大社」に到着。本殿は熊野権現造りの朱塗りですが、どことなく神聖な雰囲気があります。八咫烏【やたがらす】が石に姿を変えたといわれる烏石、那智大社と青岸渡寺【せいがんとじ】の間、社務所の向かいに立つ樹齢850年以上という大楠も見ました。根もとは空洞で祠のようになっているのがなんとも不思議。
那智の滝はそこからさらに下っていきます。興味深いのは欧米からやってきたとおぼしき人の目立つこと。家族連れ、カップル、ひとり旅と、いろいろな人がいましたが、こんな場所にまでやってくるのを見ると、インバウンドの急増は事実だということをまざまざと感じます。
那智の滝は、予想にたがわぬ迫力です。高さ400m近いのですからそれも当然。下から見上げると、みごとなものです。水量がさほどでもなかったので、これが雨のあとだったりすれば、かなり水しぶきを浴びそう。帰りはバスで駐車場まで移動し、そこからはまたレンタカーで白浜の空港まで海沿いの道を走ります。
ただ、途中、休憩を兼ねて立ち寄った橋杭岩【はしくいいわ】は意外な穴場というか、そのロケーション、姿かたちに感動しました。ガイドブックにおもしろそうな写真が出ていたので、軽い気持ちで寄ったのですが、海面からなんとも奇妙な形の岩が顔を出していて、しかもそれがずらっと横に並んでいるのです。だれもが、その前に立てば写真を撮りたくなるのは必至。私も、迷わずその前に立ってみました。長い旅の疲れも一瞬で吹き飛んだような気がします。
橋杭岩のすぐ対岸に浮かぶ紀伊大島(といっても橋でつながっている)には、トルコ記念館がありました。なぜこの地(串本町)にトルコなのか、これには深い理由があります。1890年9月、日本から帰国の途にあったトルコの軍艦エルトゥールル号が折からの荒天のあおりで座礁、沈没してしまったのがこのあたりだったのです。地元住民が献身的な救助活動にあたりましたが、乗組員656名のうち587名が死亡(69名は救助された)しました。
引き揚げられた遺体は、遭難の現場を真下に見下ろす丘に埋葬されたと伝えられ、翌92年3月、和歌山県知事など有志が資金を出し合い墓碑と追悼碑を建立、追悼祭もおこなわれました。そして1937年、トルコ建国の父ケマル・アタテュルク(初代大統領)の発議で慰霊碑が現在のような立派なものに作り替えられました。慰霊碑の斜め前には彼の銅像が建っています。その後、1974年には記念館が作られました。
トルコ軍艦遭難記念碑の次は最後の目的地・潮岬灯台。台風情報などでその名前は耳にタコができるほど聞いていますが、実物を見たことはありません。行ってみると、広い駐車場に止まっている車は2、3台。灯台自体は特別な形をしているわけでもありませんが、実際中に入り、狭くて急な螺旋階段を上がると、すぐ目の前に熊野灘が広がっています。「これが潮岬なんだ」と、妙な満足感を覚えました。一度この目で確かめてみたいという思いが心の底にずっと息づいていたのでしょうね。