今日から、カーニバル真っ盛りのヴェネツィアに日参

2018年2月6日

10時過ぎにヴェネツィア・サンタルチア駅に到着。駅を出ると目の前は運河です。ヴェネツィアの街は車が走れないように決められており、移動の手段は歩きか船しかありません(有名なゴンドラは観光用!)。迷った末に、「72時間乗り放題」というヴァポレット(水上バス)のチケットを購入。1回7ユーロですから、6回乗れば元は取れます。

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満員で鈴なりのヴァポレットを降りたのは「リアルト橋」。地図を読み間違えたりしたので、かなりもたついてしまいましたが、「魚市場」などを見て、ようやく「サンマルコ広場」をめざすヴァポレットに乗ったのは2時をとうに過ぎていました。「サンマルコ広場」近くの観光案内所で「ヴェネツィアカード」を買い求め、それであちこちをめぐることに。

最初に行ったのは「ドゥカーレ宮殿」です。もともとはヴェネツィア総督の居城だったそうですが、中はほとんど美術館の様相。世に大作と言われる美術品がズラリと並んでいました。愛好家にとってはヨダレが出る場所でしょうね。

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IMG_1668この一帯はあまりに有名な場所なので、世界中から観光客がやって来ています。ちょうどカーニバルの時期でもあり、そちらへの期待も大きいにちがいありません。広場には最終日曜日のイベント用に大きな舞台が特設されており、どちらを見ても、中世を思わせる仮装をした人が歩き、呼びかけに答えたりしています。もちろん皆シロウトですが、なかには、並んで写真に収まりたい、ぜひ写真を撮りたいという気にさせる人も。

 

 

 

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それにしても、衣装とメイク、あと小道具など、それぞれが思い切り趣向を凝らしています。この時期のために1年かけてコツコツお金を貯めるという人もいるらしく、なかには、プロの写真家を雇って、あちこちで撮影してもらっている人も。旅行客との記念撮影に応じてくれる──というか、声をかけられるのを待っている風──人がほとんどのようですが、独特の仮面をかぶっているので、ニッコリされたとしてもまったくわかりません。むしろなんとも表現し難い怖さすら感じます。私などはそれが苦手で、ヴェネツィアのカーニバルをぜひ観たいという気になれませんでした。ただ、今日はウイークデーなので、仮装している人の数も多くないですし、その度合いも平均的と言いますか。それでも、街の中で出会えばやはり目立ちます。顔だけでなく、全身ですから当然です。これが週末になれば、どこを見ても仮装している人ばかりといった状況になるのでしょう。

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意外な名作と出会えたパドヴァ

2018年2月5日
IMG_1647今日は朝9時過ぎにテルミニを出発するITALOという会社の列車に乗ります。国鉄=TRENITALIAの向こうを張って2012年に開業した会社ですが、今回が2回目の利用。あか抜けたスタイルの真っ赤な車体はジウジアーロのデザイン。見るからに速そうな印象を与えます。しかも料金が国鉄より全般的にかなり安い! これはイタリアだけに限りませんが、チケットの値段は購入する時期に応じて変動し、売れ行きが思わしくないとバーゲンのようなこともします。

パドヴァは小さな町です。今回初めて知ったのですが、ヴェネツィアまでは電車で30分ほど。カーニバルの時期はヴェネツィアのホテルがべらぼうに高くなる(それでも予約を取るのは大変)のですが、ここパドヴァはふだんと同じなので、同じ広さの部屋に半額以下の値段で泊まれます。私も昨年9月の時点で、ヴェネツィアのまあまあのホテルを予約を入れておいたのですが、そのことを知りパドヴァのホテルにトライしてみました。

もちろん、ヴェネツィアのようにゴージャスな雰囲気はなく、歴史を感じさせる風情もありません。旧市街まで行けば、それなりに雰囲気のあるホテルもいくつかあったのですが、私たちは、パドヴァから毎日ヴェネツィアまで通うのですから、駅近のほうがよかろうということで、駅の真ん前、歩いて2分のホテルにチェックイン。

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それでも、外観は貴族のお屋敷風。それを全面的にリノベーションしたのでしょう、中はえらくモダンで、最近はやりのデザイナーズ風。バスタブもジャクージまで付いていて、すこぶるお得な感じがします。ただし、4つ星ですからきちんとしたレストランはありません。

今日はヴェネツィアには行かず、この町を見て回ることにしました。ただ、もう午後3時近いので、ホテルから歩いて10分ほどのところにある「スクロヴェーニ礼拝堂」へ。ところが、これが大ヒットでした。さほど期待していなかったから余計でしょうが、とんでもなく美しい教会だったのです。とくに内部がすごく、天井から壁からすべてジョットーのフレスコ画で覆われていました。『マリアとキリストの生涯』という38枚の連作は圧巻の一語。見学の前に入口近くの特設学習室でお勉強させられるのも納得です。

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DSC_0389次は、そこから少し南にある「サンタントニオ教会」へ。こちらはビザンチン様式というのでしょうか、8つの尖塔などイスラム教の影響がかなり濃厚に感じられる教会です。立派な回廊も印象的でした。

高校時代からのあこがれ「6ネーションズ」を観戦

2018年2月4日
「6(シックス)ネーションズ」──。ラグビーファンなら知らない人はいない6カ国対抗戦で、毎年2・3月に、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリアが総当たりで対戦し、順位を競います。北半球の強豪国がほぼ毎週テストマッチを戦うのですから、日本のファンにしてみれば、ある意味垂涎の的と言っていいでしょう。私もラグビー部にいた高校時代から(当時はまだ、イタリアを除いた「5ネーションズ」でした)知ってはいました。でも、何せ50年近く前のことですから、観てみようなどとは考えもつきませんでした。それがなんと、今日、現実になったのです!

2007年の「ラグビーW杯(フランスとイングランドで開催)」を観にいったとき、久しぶりに「そうだ、いつかは『6ネーションズ』にも行ってみよう」という思いを抱き始めました。といっても、遠い日本からそれだけを観に行くのは、非効率というか、経済的負担が重すぎます。そもそも、試合のチケットを手に入れるのも大変なようで、「W杯」並みのプレミアがつくことも珍しくないとのこと。

そんなことで半ばあきらめていたのですが、これもまた以前から観たいと思っていたサンモリッツの「氷上競馬」と「6ネーションズ」の試合が、すぐ隣の国で1週間のうちに観られることに気がつきました。それが去年の8月。さっそくスケジュールをチェックしてみると、2月4日に「6ネーションズ」あの「イングランドvsイタリア戦」がローマで、「氷上競馬」が2月11日におこなわれることがわかりました。これなら、うまくくっつけられそうです。その間を利用して、これも長い間行きたくて行けずにいたヴェネツィアを訪れてみようと。ちょうどカーニバルの時期ですし、そちらの盛り上がりも期待でき、一石二鳥、いな三鳥なのではないかと。

かくして、去年の9月、まずは「氷上競馬」のスタンド席のチケットを予約しました。冬になると凍る湖の端に特設するのだから、そうそう枚数もなかろうという読みでした。続いて「イタリアvsイングランド戦」のチケットも押さえました。ただ、ラグビーのほうは、悪くはないものの、値段と比べると、正直「うーん」と言わざるを得ないレベルの席です。

IMG_3201午前中は、ローマでまだ行ったことのない「カブール広場」から「ポポロ広場」のあたりを歩いてみました。人気の観光スポットだけに、大変な数の人でにぎわっています。そのほとんどが、いかにもすぐ近くからやってきたといった雰囲気。「6ネーションズ」が開催されるからでしょう、イギリス人の姿が目立ちました。今週はイタリア、翌々週はアイルランド……といった感じでファンは観て回るのでしょうか。

 

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IMG_3212近くのナポリ風ピザの店で昼食を摂り、スタジアムに向かいました。ポポロ広場のすぐ北にあるフラミニオという停留所からトラムで終点まで行き、試合がおこなわれる「スタディオ・オリンピコ」までは20分ほど歩きます。場所はローマ市街でも北のほう、テヴェレ川沿いにあるモンテ・リオの丘のふもと。サッカーのASローマとSSラツィオのホームグラウンドでもあります。この一帯は「フォロ・イタリコ(Foro Italico)」と呼ばれるスポーツ・コンプレックス=スポーツ施設が集中するエリアで、イタリア・オリンピック委員会(CONI)の本部も見えました。

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不思議に思ったのは、正面広場に「MVSSOLINI」という文字が彫られたオベリスクがあったり、「DVCE(=ドゥーチェ、ムッソリーニの愛称)」の文字が埋め込まれたモザイクが残っていること。もともとここはムッソリーニが作らせた複合スポーツ施設で、当時は「フォロ・ムッソリーニ(Foro Mussolini)」と呼ばれていたそうです。

いまさら言うまでもなく、ムッソリーニは第2次世界大戦を引き起こしたドイツのヒトラーと手を組んでいた独裁政治家。ドイツのナチス、イタリアのファシストといえば、世界を破壊に導いた張本人として、ドイツでは徹底的に排斥されています。「ヒトラー」の名前を口にするのももちろんが、右手を上に掲げる姿勢すら問題視されるほど、それは徹底しているとも。しかし、ここイタリアではそれほどでもないのでしょうか。たしかに、ユダヤ人虐殺を命じたヒトラーに比べれば、ムッソリーニのほうが“悪のレベル”は数段低いかもしれませんが……。

「スタディオ・オリンピコ」のすぐ隣にサブグラウンドがあり、その外周にはスポーツ選手の大理石像が80体ほどでしょうか、均等な間隔で立っています。どれをとっても古代ローマ時代を思わせる感じの姿格好をしており、それだけで圧倒されてしまいました。

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メインスタジアムにはキックオフの1時間以上前に入りましたが、客の姿はほとんど見当たりません。しかし、時間が経つとともにどんどん増えてきて、最後は7万数千人収容のスタンドの8割以上が埋まっていました。半分以上はイングランドからやってきたファンのように見えました。試合中、歓声が沸くのは、イングランドが攻め入ったとき、トライを決めたときがほとんどで、イタリアのファンはあまり目立たないのです。

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キックオフが4時と早い時間だったので試合が終わっても、帰りを急ぐ必要はありません。それでも、トラムの停留所まで歩いて30分以上はかかりましたし、そこで到着を待つこと30分以上。本当なら運賃を払わなければならないはずなのに、なぜかタダ。そもそも運賃を払う人など一人もいません。当局も最初からあきらめているのか、それともこの日のこの時間帯に限っては無料にしているのか、よくわからないのですが、私たちもそれにならいました。

以前、オーストラリアのシドニーでスーパーラグビーの試合を観戦したときも、スタジアムから市内中心部に戻るバスはタダでした。そういえば、昨年8月、ロンドンでの世界陸上も、行きはお金を支払いましたが、帰りは無料。こうした大きなスポーツイベントについては、最初から帰りの運賃は取らないという取り決めでもあるのかもしれません。日本も見習ってほしいなぁと思うのですが、どうなのでしょう。

ポポロ広場まで戻った頃には7時半をまわっており、夕食を済ませてからホテルに戻ることにしました。といって、どこかアテがあるわけでもありません。前日の夜行こうかなと思っていた日本料理店のことを思い出し、行ってみることに。ローマでは老舗だとかで、オーナーも厨房も日本人という触れ込みです。しかし、実際に食べてみると「ホント?」と思いたくなるような味で、残念至極。

ローマは今日でおしまい。明日はヴェネツィア近くの町パドヴァまで移動です。

ヴァチカンは人、人、人……

2018年2月3日
今回の日本出発予定は2月2日。ところが、1月31日の天気予報で「明日の関東地方は雪」とあったので、万一のことがあっては……と思い、成田で前泊することにしました。予報どおり、2月1日の夜遅くから雪が降り出し、翌朝ホテルの窓から外を見ると10cm近くの積雪が。前泊にして正解でした。

出発便は一様に遅れ気味で、私たちの乗るスイス航空チューリヒ行きも1時間ほど遅れて離陸。乗り継ぎのチューリヒ→ローマ便も1時間遅れ(理由は不明)、結局ローマのホテルにチェックインしたのは、夜9時を回っていました。

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予約していたのは、バスタブ付き・バルコニー付き・スリッパ付き(日本では当たり前ですが、欧米ではまず付いていません)のはずなのに、実際は一切なしでガックリ。疲れ切っていたので、せめてゆっくりお湯にでもつかってと思っていたのに……。タバコを吸うためのバルコニーはまだ我慢できますし、スリッパ代わりのビーチサンダルも毎度持参しているので、そちらはなんとかなるのですが、3泊の間に一度も湯船につかれないというのは耐えられそうにありません。

そこで朝食のあと、予約したのと同じ部屋に変更してくれるようにrリクエストすると、すぐOKしてくれたではありませんか! 「かしこまりました。では、無料で換えさせていただきます。荷物だけまとめておいてくださればけっこうですので」とのこと。「なん~だ、だったら最初から」とも思いましたが、チェックインしたときはくたびれていたので、夕食を食べに出るのが精一杯で。

「正午過ぎには新しい部屋にすべて移動しておきます。戻られたらフロントで新しいキーお渡ししますから」と。幸い、昨夜は荷ほどきもそこそこだったので、すぐに荷物をまとめ、出かけました。夕方ホテルに戻り、新しい部屋に移ると、なんとなんと最初とは段違い。バルコニーはもちろん、バスタブもスリッパもOK。

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荷ほどきが終わったころ、部屋のドアがノックされるので、出ると白い服を着た料理スタッフがお盆を持って立っています。「当ホテルからのプレゼントをお届けにまいりました」と、スイーツの盛り合わせを置いていきました。やはり、主張すべきは主張せよ、ということでしょう。

IMG_3154さて、今日のメインイベントは「ヴァチカン美術館」と「システィナ礼拝堂」の見学。そのためもあって、すぐ近くにホテルを取ったのですから。2001年、初めてローマを訪れたときは、ヴァチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」にしか入った記憶がありません。そこで今回は、事前に見学の予約を入れ支払いも済ませた上で、10時過ぎには「美術館」の入口に。オフシーズンとはいえ土曜日ですから、大変な数の人が並んでいます。チケット売り場は長蛇の列で、予約しておいてよかったと思いつつ、荷物チェックを済ませ中に入りました。

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それにしても、開館してまだ2時間足らずだというのに、すごい混雑です。有名な作品が展示されている部屋、その前の廊下は身動きもままなりません。予約手続きの画面で「希望の時刻」にチェックを入れさせるのはいったいなんのためなのか、どうにも理解不能です。

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まあ、それでも、素晴らしい作品の数々に感動させられたのは間違いありません。あまりに膨大な数の入場者に、観るのをあきらめた展示品もありますが、それは「次に来たときに」ということで。

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キャンプは野球のほうがおもしろい

2018年1月28日
今日で沖縄も最後。こちらでJリーグのチームがキャンプをしていることを知り、のぞきに行ってみました。金武町という本島中部、東側の海に面した“基地(キャンプ・ハンセン)の町です。ここでトレーニングしているのは浦和レッズ。掲示を見ると「午後3時50分~」とあるのですが、実際に始まったのは4時半近くでした。東京あたりと比べると日の入りも1時間ほど遅いですし、やはりウチナー(沖縄)時間でしょうか。

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始まる前に記念撮影などもあり、選手たちがボールを蹴り始めたときは5時近くになっていました。槙野智章もいます。阿部勇樹も森脇良太も興梠慎三もマウリシオもいます。これまでテレビでしか見たことのない顔が目の前にいるというのは、やはり興奮するものです。

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ただ、野球と比べるとサッカーの練習というのはバリエーションが少ないといいますか、見ていても退屈してしまうのです。もちろん、私自身がサッカーファンでないということもあるでしょうが。それに加え、サッカーはファンの絶対数がまだ少ないので、来ている人もほんの数えるほど。でも、かりにファンの数が大幅に増えたとしても、野球のキャンプほどにぎわうことはなさそうな気がします。

 

初めて行った金武町ですが、経済的にはかなり恵まれている印象を受けました。そこに一昨年2月、スポーツコンプレックス、野球場とサッカーグラウンドが2面、クラブハウスなどを広い敷地にまとめた施設が作られました。まだすべて完成はしていないようですが、サッカーグラウンドに張られている天然芝の素晴らしさには驚きました。こんな恵まれた環境でシーズン前のトレーニングに打ち込めるレッズ。強くなって当然かもという気もします。同じ敷地内には野球場もあり、そこでは2月1日からプロ野球の楽天がキャンプを張るようです。

でも、ふと空を見上げると、サッカーグラウンドのすぐ近くの上空をアメリカ軍のヘリコプター(ここひと月、不時着やら部品の落下やらが頻発しているにもかかわらず)が飛んでいるではないですか! 沖縄県民の願いはなかなか通じないのが、残念でなりません。カメジローの生きざまを映像で観ただけに、いつも以上に強く、そんな思いを抱きました。

映画『カメジロー』と野中広務の死

2018年1月27日
自民党の元幹事長で、小渕恵三内閣の内閣官房長官を務めた野中広務が92歳で亡くなったそうです。自民党にいながら常に“野党的”なスタンスを崩すことなく、是は是・非は非、また戦争は絶対悪という立場を守り抜きながら生涯をまっとうした政治家というのが、大方の評価のようです。死去を報じる記事の中に、「ポツダム宣言すら読んだことのない首相が、この国をどういう国にするのだろうか。死んでも死にきれない」(2015年5月、同宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会で答弁した安倍晋三首相について)と語ったという一文が私の頭を射抜きました。

はからずもそれと関わることになるのですが、一昨日、沖縄でしかチャンスがないだろうと思い、映画『カメジロー』を観に行ってきました(正しくは『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』)。日本復帰の前、アメリカ占領下にあった30数年間、沖縄でアメリカ軍政府に不屈の抵抗を貫いた瀬長亀次郎という政治家の生涯を描いたドキュメンタリーです。

IMG_3137名前だけは私も知っていました。1970年11月におこなわれた国政参加選挙で衆議院議員に当選した5人のうちの1人だからです。残りの4人は西銘【にしめ】順治(自民党)、上原康助(社会党)、国場【こくば】幸昌(自民党)、安里積千代【あさとつみちよ】(沖縄社会大衆党)、参議院のほうは喜屋武【きゃん】真栄(革新統一候補・任期は74年まで)と稲嶺一郎(自民党・71年まで)で、いずれも沖縄の政治、というより戦後の沖縄史を語るのに欠かせない錚々たる面々ばかり。

瀬長は沖縄人民党の代表でしたが、復帰後は日本共産党に合流、衆議院議員を通算7期務めました(もっとも、自身が共産党員であるとは生涯認めなかったそうですが)。ただ、瀬長はやはり「県民」党というのが似合っているように思えます。

その瀬長が自身の政治信条の土台としたのは「ポツダム宣言」だったという話が作品に描かれていました。瀬長が人民党を作るときに掲げた綱領は、日本が無条件降伏の際に受け入れた、「ポツダム宣言」の趣旨にのっとったものだったというのです。

同宣言は全部で13項目から成っていますが、その10番目に「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ(中略)日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙【しょうがい】ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝【ならび】ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とあります。野中の頭の中にあったのも、おそらくこの一文でしょう。

瀬長の立脚点はまさにこの一点にあったというわけです。たしかに、人民党の綱領には、「わが党は労働者、農民、漁民、俸給生活者及び中小商工業者等全勤労大衆の利害を代表しポツダム宣言の趣旨に則りあらゆる封建的保守反動と斗い政治、経済、社会並に文化の各分野に於て民主主義を確立し、自主沖縄の再建を期す」という一文があります。

その小さな体から発する声・叫びは沖縄県民の心を捕らえました。それは職業や社会的立場、思想信条、信仰のいかんを問わなかったように思えます。政治家としてでなく、沖縄人として、また人間として吐く瀬長の言葉は、人々の脳裏に深く突き刺さったようです。集会の警備にあたっていた元警察官が、そんなふうに話すシーンがありました。だからこそ、沖縄(琉球)を占領していたアメリカ軍は瀬長を強く恐れ、人々からとことん遠ざけようとしたのでしょう。

もう一つ印象的だったのが、映像の中に登場した元総理・佐藤栄作です。佐藤に関しては、私自身とても偏った見方しかしていませんでした。高校・大学時代、リアルタイムで佐藤の発言や行動を見聞きしていただけなので仕方ない部分もありますが、もっと保守反動で、国民を抑圧するタイプの政治家ではないかと思っていたのです。しかし、日本の国会に初めて登場し予算委員会で質問に立った瀬長を相手に答弁する様子を見ると、そんなうわべだけの見方をしていた自分が恥ずかしくなってしまいました。総理になった政治家は数多くいますが、そうしたなかでも図抜けた存在だったように思えました。

ここ4、5年同じ立場にある安倍晋三が、「総理」という立場にはまったく似つかわしくないことを改めて痛感しました。安倍個人というより、日本の政治自体が大きくレベルダウンしているのがひしひしと伝わってくる作品でした。たまには、こんな硬派の映画を観るのもいいものです。

那覇の牧志市場で不思議な人たちに出会う

2018年1月25日
正午から映画を観る予定をしていたので、その前に軽く食事することにしました。映画館の近くにある牧志公設市場の一角に、いかにもローカルっぽい総菜屋さんを見つけ、そこでクーブイリチーと魚の天ぷら、ブロッコリーとベーコンの炒めもの、ジューシーおにぎりをほんの少しずつ買い、しめて500円!

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IMG_3114映画館近くにある公園のベンチにでもすわってつまんでいけばいいやと思っていたのですが、その総菜屋さんのすぐ隣がイートインになっているではないですか。中に入ると、テーブルとイスが雑然と置かれており、そこに陣取りました。先客が一人、朝から泡盛を飲んでいます。私たちが入ったすぐあとからも次々と、総菜を手にしたお客が入ってきました。年恰好はオジーですが、沖縄の人っぽい感じはしません。

 

お互い初対面どうしにちがいないのですが、なんとはなしに話が始まります。聞くともなしに聞いていると、「埼玉から来た」「埼玉? どこだ、川口か草加か?」「草加だよ」「そうか、そうか」といった具合で、一人が身の上話を。テキトーに相槌を打ったり茶々を入れたりしながら、それなりに盛り上がっています。途中、総菜屋のお姉さんが品物を持ってくると、「おー、ちょっとお酌してよ」「ここはそういうお店じゃないさー」「固いこと言わないで。50円余分に払うからよ」。お姉さんもあきらめ顔で、1杯だけお酌をして早々に退散……。それをしおに、私たちも席を立ち映画館に急ぎました。

近ごろ「ディープ」という言葉が流行っていますが、牧志市場にもこんなディープな空間があったとは。沖縄に拠点を設けて10年。まだまだ奥が深いようで、これから先の楽しみがまた増えました。

沖縄の1月下旬から2月上旬は、いちばん寒い時期

2018年1月24日
1月下旬から2月上旬は、沖縄でも1年でいちばん寒い時期。琉球語では、この時期のことを「ムーチービーサー(鬼餅寒)」と呼ぶそうです。そして、今日1月24日は旧暦の12月8日にあたり、「ム―チー(鬼餅)の日」。この日は、どこの家庭でも、無病息災、健康長寿の祈願、また厄払いの意味を込めて「ムーチー」を食べるならわしがあるといいます。

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なぜ「鬼餅」なのかというと、鬼退治にムーチーが使われたことに由来しているのだとか。人を喰う鬼になってしまった兄を退治するために、妹がクギ(石)を入れた餅を作り、兄を訪ねます。妹はそれを兄に渡し、自分は何も入ってないものをおいしそうに食べました。それを見た兄も餅を口にしましたが、中にクギ(石)が入っているので苦しんで七転八倒、最後は崖から落ちて死んでしまったという民話があるそうです。それが旧暦の12月8日だったことから、この日に「ムーチー」を食べるようになったのだとか。

「ムーチー」は、餅粉をこねて白糖や黒糖で味付けし、月桃の葉で巻き、蒸して作ります。デパートやスーパー、コンビニの店先(目立つ場所)に「ムーチー」と書かれたPOP広告とともに、山積みされていたのはそのためだったのですね。

沖縄の名護で“日本一早いお花見”を楽しむ

2018年1月23日
日曜日の夜から沖縄です。そして今日は本島北部、名護の西にある本部【もとぶ】町・八重岳で、“日本一早いお花見”を体験しました。着いた日の夜遅く、テレビで「本部町八重岳桜まつり」のニュースを見たからです。「桜」といっても緋寒桜(寒緋桜とも)なのでソメイヨシノとは逆、北のほうから咲き始めます。

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IMG_3010八重岳は標高450メートルほど。そのぶん多少は気温が低いのでしょう、上に行くほど開いている花びらが増えます。なかには満開の木もありました。でも、おもしろいのは、ススキと一緒にサクラが花を咲かせていることです。秋と春が同時なんて、不思議に思いませんか。平日なので、ガラガラかと思っていたら、駐車場も、山頂に上っていく道もけっこう混み合っていました。それも外国人の多いこと。近ごろの外国人訪日客は、日本の隅々まで、ホントよく知っています。

IMG_3018ソメイヨシノと違い緋寒桜は地面に向かって花が開きます。色も濃いピンクで、なかには文字どおり緋色の花びらも。しかも、頂上までだらだら昇っていく道からは東シナ海や瀬底島・伊江島が見えるので、同じお花見でもユニークな印象を受けます。何より不思議な感じがしたのは、ススキと桜が一緒に観られること。こんな面白さを体験できるのは、たぶん沖縄だけでしょう。

 

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これだけで那覇に戻ってもよかったのですが、家人のすすめで、そこから10キロ足らず、「ちゅら海水族館」の近くにある「備瀬【びせ】集落 フクギ並木通り」を見に行きました。八重岳から降りていく途中に桜の森公園というところがあり、「桜まつり」のときはここがにぎわいの中心になるのでしょう。そこを過ぎ海の方向に向かって走っているとき目にしたのが不思議なオブジェ風の地形です。名前がついている風もなく、県道84号線(通称「本部そば街道」)の脇になんとなくある感じでしたが、あまりに存在感があるので車を止め、写真を撮ってしまいました。

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さて、いい加減なナビのおかげで苦心惨憺しながらようやく「並木通り」に到着。「並木通り」というので、一本道を思い描いていたのですが、これは大間違い。一つの集落がフクギという木にそっくり囲まれており、その中を走る道の両サイドにもびっしり植わっているのです。

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海の際にあるこの集落では、防風・防砂林として、また防火林としてフクギがびっしり植えられ、その中に古い家々が立ち並んでいます。ごく普通の住宅地の中に遊歩道(住民にとっては生活道路です)があり、端から端までゆっくり歩けばたっぷり1時間はかかるでしょう。集落の入口近くに「レンタサイクル」の店があった理由がよくわかりました。沖縄は自転車にどうにもなじまないところだから、変だなぁと思っていたのです。

 

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フクギ自体は沖縄のあちこちで見られるそうですが、その多さ、密度はここ備瀬が一番だといいます。フクギは「福木」とも書くことから霊験あらたかなイメージがあるのか、最近はパワースッポトとしても人気を集めているようです。

 

 

IMG_3107でも、実際に並木道(遊歩道)を歩いてみて、心が洗われるのは間違いありません。肉厚で大きな葉の存在感は圧倒的。南国に自生する植物の力強さが伝わってきます。歩き終え駐車場まで戻る途中、海岸を歩いてみましたが、砂浜のはるか先に浮かぶ瀬底島と伊江島の間の空がほんのり赤く染まっています。日没前だけの美しい光景に、思わず見とれてしまいました。

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1日に3連チャンのイベント

2018年1月19日
スケジュールの都合で、今日はえらく忙しい日になりました。午後イチで「写真展 オードリー・ヘプバーン」@三越本店、3時から大相撲初場所@国技館、そしてそのあと6時半過ぎから「ふるさと祭り」@東京ドーム。当初は2イベントだったのですが、大相撲が飛び込みで加わったため、息つくひまもないことになってしまいました。

写真展は、最終日=22日が迫っているとあって、大変なにぎわい。

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膨大な数の写真が展示され、その多くにキャプションが付されているのですが、私は写真もさることながらこちらに心を惹かれました。その中に、
“幸福のこんな定義を聞いたことがあります。
「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって!
わたしが思いつきたかったくらいだわ。
だって、それは真実だもの。“

うーん、名言ですねぇ。ほかにも、「名言」と思しき言葉があちこち掲げられており、ヘプバーンが一介の名女優ではないことに、改めて気づかされました。

それにしても、客の多さには驚くばかりです。1950年代から60年代にかけて活躍したわけですから、ファンの中心は60代以上のはず。実際、70代、80代の人も目につきました。しかも、写真集やクリアファイル、カレンダーなどのキャラクター商品を買うために、彼(彼女)たちがとんでもなく長い行列を作っているのです。まあ、我慢強さにかけては、だれもこの世代の人たちにはかなわないでしょうから、不思議ではありません。

日本橋からタクシーを飛ばして国技館に行くと、こちらもまた人、人、人。今日から横綱・稀勢の里も休場ということでコストパフォーマンスは大きく低下しているのですが……。このところの相撲人気はたいしたものです。

037私が応援している尾車部屋の豪風は負けてしまいましたが、今日の土俵はとても充実していました。朝乃山(今場所絶好調)vs石浦、大翔丸vs阿炎(長身でイケメンが人気のよう)、栃ノ心(体の大きさにはたまげます)vs貴景勝、御嶽海(観客の声援がすごい!)vs北藤富士、嘉風(尾車部屋)vs豪栄道、阿武咲(鮮やかな赤の締め込みが印象的)vs高安と、どの一番も見ごたえがありましたし、結びの鶴竜vs琴奨菊も大熱戦。序盤、琴奨菊の攻めをしのいだ鶴竜が最後寄り切りで勝ったのも、横綱の力を見せつけた感じで大満足。今場所はひとり横綱なので、鶴竜もかなり気合が入っています。

今日の席は西の花道のすぐ脇、目の前には場内アナウンスを流す役員がすわっております。花道の脇には呼び出し衆がひんぱんに出入りし、塩の交換や土俵のお清めに備えていたり、懸賞金を入れた袋を用意したり、結びの一番の前に打つ拍子木や弓取り式用の弓を持ってきたり、懸賞旗を準備したり……。さまざまなことをテキパキと、段取りよくこなしていく場面を間近で目にしました。それ以上に驚いたのは力士の体の大きさ。テレビの画面を通じて見てもそれは感じられますが、目の前で見ると、その迫力がまったく違います。長年大相撲を見ていますが、こんな席は初めてで、貴重な経験をさせてもらいました。

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打ち出しの櫓太鼓を聞きながら総武線に乗って水道橋まで。最後は「ふるさと祭り」です。10年前から始まったイベントですが、一度は行ってみたいと思っていました。ドームに足を運んだのは20年以上前でしょうか。前回はローリング・ストーンズのコンサートでした(2006年)。

中に入ると、予想以上の人が詰めかけています。バックネット前からピッチャーズマウンドのあたりに大きな舞台が設けられ、そこでは各地のお祭りの実演が。これが目玉のプログラムなのでしょう。その裏側から外野エリアのほとんどを占めるのが食べ物と物産品のブースです。北海道から沖縄まで全国から出展していて、どこも皆大変な人気。なかには数十人もの行列ができているところもありました。ここで飲み物・食べ物をそろえ、スタンドに座って祭りを楽しむという流れになっているのでしょうね。

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あまりの混雑ぶりにびびってしまい、早めに引き上げようと出口に向かって歩き始めたとき、舞台のほうから聞こえてくる熱いかけ声に足が止まりました。毎年秋におこなわれるという四国は愛媛県新居浜市の「太鼓祭り」がすさまじい迫力だったのです。山車も絢爛豪華で引き手の男たちも真剣そのもの。急遽方針を変更、スタンドを昇り、イスに腰かけて見惚れてしまいました。その次は「秋田竿燈まつり」で、これもまた実物を見たことがないので、この際と思い、結局7時半過ぎまでいたでしょうか。「竿燈」はさすがたいそうな迫力で、その技には脱帽・感動・拍手。

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ただ、さすがに1日3イベントは、観るだけにもかかかわらず、くたびれました。

「大北海道展」もいいけれど、豚丼はやはり……

2018年1月18日
毎年新春恒例の「大北海道展」(東京・池袋の東武デパート)が後半戦に入りました。デパートのこの種の催しといえば1週間が相場。ところが「大北海道展」は1月10日から23日までの2週間ぶっ通しですから、ハンパじゃありません。

今回は初日、それも朝イチで行ってみましたが、早くも30人以上の行列ができているブースが。昼食にと、帯広名物「豚丼」を買って帰り、自宅で食べました。もちろん、それなりのレベルではありましたが、いまひとつ物足りません。

!cid_722ab9eb-e669-4ade-9c0e-22fc5731693d@apcprd04_prod_outlookそれを今日改めて痛感しました。年に5、6回は足を運んでいる「豚っく」という、ユニークな名前の店が御徒町にあります。銀座から浅草に地下鉄で移動する間がちょうど昼飯どきだったので途中下車して立ち寄ったのですが、東武デパートに出ていた店より断然おいしいのです。値段もさほど変わりません。数年前、道東を旅したとき帯広に泊まり、やはり豚丼を食したことがあります。店の数は10を軽く超えるのですが、帯広出身の友人からあらかじめ情報を仕込んでおいたので、迷わずその店に行きました。ここもやはりおいしかったのですが、御徒町の「豚っく」はその上を行っています。

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客も最近は国際的になっており、これまで中国人、韓国人、タイ人、インド人のそれぞれ数人連れグループと出会ったことがあります。SNSとかでどんどん広がっているのでしょう。

明日の夜は東京ドームでいまおこなわれている「日本ふるさと祭り」に行ってみるつもりですが、ひょっとしてそこでも豚丼に出会うかもしれません。でも、2日続けてとなると、ちょっと気が引けますね。北海道にはまだまだほかにもおいしいものがいっぱいあるのですから。

富士山、スーパームーン、雪、そして孫のインフルエンザ

2018年1月4日
本当は今日から3泊4日で台北に行く予定でした。ところが、一緒に行くはずだった孫の一人がインフルエンザとわかり、急遽中止に。飛行機やホテル、旅行保険のキャンセル手続きに、昨日の夕方から今日の午前中いっぱい忙殺されました。

まあ、それはそれとして、1月2・3日の京都出張も無事終了。なかでも、2日の夜にスーパームーンを見られたのは幸いでした。東京を出たときは大変な好天で、新幹線から見えた富士山もいつになくくっきり。やはり、冬の空、それもお正月の時期は抜けが違います。

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しかし、西のほうから天気が崩れ始めていたようで、京都に着いたころは空もどんより。それでも、ダメ元でスーパームーンを見に、夕食のあと外に出てみました。ホテルの玄関には「根引きの松(京都独特のお正月の松飾り)」といって、根がついたままの松が飾られていますし、下に降りた駅前のロータリーには毎年恒例の華道各流派による大きな生け花が展示され、新春の情緒たっぷり。

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さて、お目当てのスーパームーンは──。少し北に渡ったところで夜空を見上げると、ほんの5分ほどの間でしょうか、雲間からすっと姿をあらわしたのです。思わず、スマホで撮ってしまいましたが、一眼レフや望遠を使って撮るような写真にはなりません。でも、それもまたよしではないかと思います。夜空に浮かぶ月だけを被写体として捉えるのは、好事家やプロに任せればよいわけですから。ただ、さすがスーパームーン。いつもの満月より大きく、明るさも強いのがよくわかります。

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3日の昼は、京都市内でも最北部にある高雄周辺での仕事でしたが、お昼近くから気温がどんどん下がり、雪が降り始めます。帰りがけに写真を撮ってみたのですが、スマホのレンズでも、それをしっかりとらえていました。ところが、バスで駅のほうまで下りていくと、雨の降った形跡はあっても、空はウソのように晴れ、気温もけっして低くはありません。同じ京都市内で、駅から15キロも離れていないのに、400近くメートル上っただけで、こうまで天気・気温が変わってしまうのですね。

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というわけで、株式投資の世界では“戌笑う”とも言われる2018年は悲喜こもごものスタート。この先「笑える」ようなことが続けばいいのですが。さて、どんな年になるでしょうか……。

ラスベガスに誕生したNHL新チームの試合を観戦

2017年12月23日
クリスマス休暇前のラスベガスはホント、空いています。宿泊料金も1年中でいちばん安いのではないでしょうか。ホテルの中も、また外に出てもそれほど混んでいません。昨年来たのは、クリスマスから大みそかにかけての時期だったため、どこもかしこも人、人、人。今回はそれがなかっただけでも、まったく疲れずに済みました。

今回のラスベガス訪問のメインはNHL(アイスホッケー)の観戦です。ラスベガスはこれまで長い間、プロスポーツのチームがない都市でした。人口が100万をはるかに超えているのにプロスポーツのチームがないのはラスベガスだけ。それが今年からNHLの新チーム「ベガス・ゴールデン・ナイツ(VGK)」がフランチャイズを置きました。今年4月に完成した「T-mobile arena」が本拠地で、これがまたたいそう立派な施設。外側はさほどでもありませんが、内装がなんとも格好いいのです。

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広島カープの本拠地であるマツダスタジアムの最大の特徴は、球場の周囲をひと回りできるコンコースですが、それとまったく同様、ここにもアリーナ全体をぐる~っと一周するコンコースがあります。もちろん建物の内側なのですが、その開放感といったら! 座席のスペースはそれほど余裕があるわけではありませんが、空間全体から感じられる居心地のよさは指折りではないでしょうか。

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このアリーナではボクシングやプロレスなどの格闘技、バスケットボールなど、ほとんどの室内スポーツが楽しめるそうです。場所も空港からさほど遠くない「New York New York」というホテルのすぐ北側で、ラスベガスのどこからも便利に行き来することが可能。これから先、さまざまなビッグイベントがおこなわれるのでしょう。

試合はVGKのほぼワンサイドでしたが、観客のすさまじい応援ぶりが印象的。唯一のプロスポーツチームだけに、熱の入り方が違います。フランチャイズというのは本来、こういうものを言うのだろうなと、改めて感じた次第です。

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今回のラスベガス旅行には、大きな反省点があります。カナダのeTA取得忘れもそうですが、個人旅行慣れによる落とし穴にはまってしまったことです。ツアーやパッケージであれば、チケットを購入する時点で旅行代理店や航空会社からそうした注意がなされます。ところが、いつものクセで、すべて自力で組み立てようとしたのが失敗でした。よくよく考えてみれば、東京とラスベガスの往復とホテルの予約だけですから、自分であれこれする必要などまったくなかったのです。

私が組み立てたフライト+ホテルとそっくり同じパッケージが売り出されていたことに気づいたのは、自力ですべて手配を終えてから。しかも、空港とホテルの送迎付きで価格も10万円以上安いのです。たしかに、1カ所に行って戻ってくるだけなら、ツアー以前というか、あつらえのパッケージを見つければそれで充分だったというわけです。

バンクーバーでのカナダ入出国→アメリカ入国は一瞬

2017年12月20日
12月20日、予定よりまる1日遅れでバンクーバーに到着すると、アメリカ行きの便に乗り換えます。しかし、これがまた予想をはるかに上回るスムーズさ。たしかに、形式的はカナダにいったん入国するのですが、出国もそれと同時。そして、すぐそのままアメリカへの入国手続きになるのです。

アメリカ入国も、人がほとんどいなかったため、ものの10分足らずで終了し、そのまま搭乗ゲートに急ぎます。そして、予定していた13時30分発の便でラスベガスへ。夕刻ラスベガスに到着し、ターミナルから出ると、外は猛烈な風が吹き荒れていました。ラスベガスはもともと砂漠ですから、目の前が一瞬見えなくなるくらいの砂が舞っていましたが、無事ホテルに到着。今回泊まる「Wynn」というホテルの特徴と言ってもよいゆったりした空気が改めてありがたく感じられました。

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061   動画あり こちらをクリックしてください

このホテルはかつて「Mirage」を作って人々をあっと言わせた伝説の人スティーブ・ウィンが、「自分の理想はこんなものじゃない」と言って建てたもの。それだけに、ロビーまわりも部屋もレストランも、カジノもすべてに彼の思想が行き渡っています。もう10年以上前の話ですが、ウィンはそれでも満足しなかったようで、その4年後、「Wynn」に隣接した敷地に「Encore(アンコール)」という名のホテルを作りました。「Encore(=「もう一丁!」」です。

!cid_4857d242-4b4c-4a6e-8d14-6797fc3bc419@apcprd04_prod_outlook今回初めて、「Wynn」から「Encore」のほうに足を延ばしてみたのですが、たしかにかなり趣が違います。「Wynn」ももともと、カジノ特有の鉄火場的な匂いが希薄ですが、「Encore」はガツガツした雰囲気がまったく感じられず、ゆったり、落ち着いた時間が流れているように思えました。といって気取った風はありません。成熟したおとなの遊び場とでも言うのでしょうか。ある程度年齢を経た人には、こちらの雰囲気のほうが心地よいだろうなという気がします。ランチ(遅い朝食)を摂ったカフェの食器にも、そんな風情がよくあらわれていました。

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「Wynn」の真ん前に「ファッションショー・モール」というラスベガス最大のショッピングモール(デパートが6つも入っている!)があるのですが、そこではクリスマス前のバーゲン一色。どのデパートも、どの店も4~6割引きです。一年でもっとも安く買える時期なのですね。私たちも孫の洋服とか、大量に買ってしまいました。

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「トラベル・イズ・トラブル」の歴史に新たな1ページが

2017年12月19日
本当なら、この日のブログはラスベガスのホテルで書いているはずでした。それがあろうことか、いまもまだ成田空港近くのホテルにいます。予定していた19時発のエアカナダ便に乗れなかったからですが、その理由が笑えてしまうというかなんというか……。アメリカ入国に必要なESTAと似たような事前認証がカナダの場合も必要(eTAといいます)であることをまったく知らずにいたのです。

空港のカウンターでチェックインしようとしたら、「eTAは取っていますか?」と尋ねられました。「eTA? いえ、まだですが……」と答えると、「では、いまここで、ネットで取ってください」と。あわてて私と家人それぞれがI-Padでカナダ当局のウェブサイトにアクセスし手続きを始めたのですが、途中でシステムがまったく動かなくなりました。なんとなんと、年に一度のシステム点検の日、それもまさしくその時間帯(午後5時30分から7時30分)に重なってしまったのです。もう超アンラッキーとしか言いようがありません。いつものように空港に3時間前に来ていたら間に合ったのに……。悔しいというか悲しいというか、自分で自分が情けなくなってしまいました。かえすがえすも残念です。

結局、出発がまる1日延びてしまいました。そもそも、今回エアカナダにしたのは、ロサンゼルスからアメリカに入国するのがゆうに3時間はかかるのを避けたかったから。バンクーバー経由なら、アメリカ入国はラスベガスになり、それほどまで時間はかかるまいと予測し、あえてそういうコースを選んだわけです。

それにしても、「ロサンゼルスから入ったほうがよかった……」という家人の言葉には吹き出しました。「おいおい、それは勝手過ぎっていうもんじゃない!」。ただ、カナダはトランジット(乗り継ぎ)だから、まさか「入国」の手続きが必要になるとは思ってもいなかったのがすべての原因。「トラベル・イズ・トラブル」にまたまた新たな1ページが加わってしまいました。

8月はパリで帰国便に乗れず、こんどは成田で出発便に乗れず。今年はどうもトラブルが多いですね。まして、年に一度のシステム・メンテナンスのときに当たってしまうなんて……。ただ、「これでラスベガス、大当たりするんじゃない」という家人の言葉が現実になれば、言うことありませんが(笑)

そんなこんなで、あわてて空港近くにホテルを取り、そちらで1泊することになったのですが、部屋からカナダ当局のウェブサイトにアクセスすると、eTAのほうはあっさり取得できました。ただ、それでも明日のフライトに空席がないという可能性もゼロとはいえません。まさかとは思いますが、明日午後1時に空港のカウンターまで行って手続きします。さて、どうなるでしょうか。

冬は、夫婦で、フルートを聴いて、フンワリ気分

2017年12月17日
秋田県は仙北市にある夏瀬温泉に来ています。この地にある唯一の宿「都わすれ」で、フルートのコンサートがあるというので、早起きしてやって来たのです。

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「都わすれ」は、すぐ近くの乳頭温泉にある「妙之湯」の姉妹館。ちょうど10年前のいまごろ初めてお邪魔して以来のお付き合いです。「女将さんも姉妹どうしなのですが、先日「鳥取の北前船寄港地フォーラム」でそのお二人にお会いしたとき、今日のことをうかがい、「よーし、行こう」と決めました。

014フルートという楽器の音色がそうさせるのか、「都わすれ」のロビー(80畳ほどの広さでしょうか)のサイズがピッタリなのか、とても心地よく響いてきます。演奏者は吉川久子さん。「フルートの音は、母親の声とほぼ同じ音域なんです」と話されていたのですが、実際、湯につかりながら、どこからとも流れてくるフルートの音を聞いていると、ふわーっとした気分になりました。うっかりすると、湯舟の中でうとうとしていたりします。そのくらい心が癒されるのですね。

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フルートを吹く吉川さんのバックには、窓ガラスを通して、枝に雪を乗せた木々と、遠くの山が見えてきます。庭に作られた小さな雪だるまも可愛い感じ。夜だともっとロマンチックな雰囲気がかもし出されたにちがいありません。それでも、吉川さんの素晴らしい演奏は、40人ほどの聴衆をすっかり惹きつけたようです。

 

 

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「都わすれ」は今年で開業13年目、妙乃湯は65周年だそうです。秋田新幹線の田沢湖駅からクルマで30分ほどという、けっして便がいいわけでもない一軒宿なのに、これだけのお客さんが毎日のように来られていることからすると、やはり際立ったユニークさが魅力なのでしょう。私たちもかれこれ6、7回来ていますが、来るたびに、「次はいつ来ようか」とカレンダーを繰っています。桜が満開のころ、山々が紅葉に染まるころ……。一度でいいから、そういう時期に来てみたいのですが、なかなかかなわずにいます。

ノーベル平和賞授賞式の日に広島にいた偶然

2017年12月12日
IMG_2698昨日から広島に来ています。毎年この時期におこなわれるNPO法人の定例会兼謝恩会に出席するためです。前回広島を訪れたときも驚きましたが、今回は広島駅の改装工事がほぼ終わっており、ますます完成度がアップ。その変わりように、数年前『広島学』の取材で足しげく通っていたころとは見まがうばかりです。南北をつなぐ自由通路の途中に、「連覇」と書かれた巨大なポスターが。それが「広島」を感じさせてくれるのですが、これがなければ、どこの駅に来たのかわからないかも。

もちろん、駅がリノベーションされたからといって、また駅前が美しく整備されたからといって、人々の発想や行動が変わるわけではありません。しかし、こうまできれいになると、多少はお行儀よく振る舞わなければ……という気にはなりそうです。

IMG_2707さて、会合は、海っぷちにあるホテルで6時から。昨年もそうでしたが、今年も余興に神楽が披露されました、大変な迫力というか、スピーディーな動きには、いつも圧倒されます。日本の伝統芸能でこれほどテンポの早い感じのものは珍しいのではないでしょうか。

終わって部屋に戻ると、夜のニュースはこの日おこなわれた「ノーベル平和賞」授賞式の模様一色。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞したこともあり、広島で72年前に被爆し、その後カナダに移り住んだという女性が授賞のスピーチを。「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」という言葉には胸をえぐられる思いがしました。

IMG_2724それはそれとして、昨夜目にした「ノーベル平和賞」授賞式の様子が頭からなかなか離れません。このまま帰ってしまってはなんだか申し訳ないような気持ちになり、東京に戻る前、時間を少し作って、相生橋のたもとにある原爆ドームを訪れてみることに。粉雪が風に舞う寒さの中、ドームはいつもと変わらぬ姿を見せてくれました。ここのところその周辺も前よりいっそう整備されているようで、「折り鶴プラザ」という施設を初めて目にしました。そのあと広島焼を食し、新幹線で帰京。

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友人が5回も観に行ったという映画に私も

2017年12月7日
一昨日、高校時代の仲間8人が集まって開いた忘年会の席で、「今年はあと31本で年間500本達成!」と、無類の映画ファンであるSくんが話していました。「その中で一番の傑作は?」と尋ねると、「5回観に行ったのが1本ある。『女神の見えざる手』っていうんだけど」との答えが。

女神の見えざる手チラシ

さっそく今日観てきました。「なるほど」です。といっても、ほかに数多く見ているわけではないので。比べようがないのですが、わたし的には『ハドソン川の軌跡』『ジーサンズ』『ローガン・ラッキー』が今年のベスト3だったので、そこへもう1本加わることになります。

Sくんが5回も観たのは、この作品のテンポがめっぽう早いので、ついていけない部分があったのではないかとも推測できます。ただ、それにしても、『女神~』は脚本が素晴らしくよくできているのです。ここまで練れるかとため息が出てしまうほど、大筋からディテールに至るまで、隙がありません。

私が好きな映画のパターンは、とにもかくにもハッピーエンド。「こういうふうになってほしい」という願いどおりに終わるのが最大の条件です。アクションだろうがラブストーリーだろうが、それは変わりません。この『女神の~』も最後の最後はそうなってくれるのですが、直前までは、「えーっ、そうなの!?」と心配させられました。これ以上書くとネタバレになってしまうのでやめますが、『女神~』は作品性とでもいうのでしょうか、ストーリー展開のレベルが非常に高いと思いました。

設定は、いかにもアメリという感じの、ロビイングを生業とする会社。作品では、銃器規制法案がターゲットなのですが、これまたアメリカならではの素材です。縦糸と横糸どころか、斜めの糸も裏地もすべて「アメリカ」。その意味では徹頭徹尾「アメリカ」を扱っているわけですが、だからといって、私たち日本人が観ても、違和感はありません。観終わったあと、すぐに席を立つ気になれない、秀抜な作品でした。

ちなみに、脚本を書いたのはイギリスで弁護士をしていたというジョナサン・ペレラ(男性)。テレビのニュースで、不正行為で逮捕されたロビイストのインタビューを観て着想を得たといいます。「ロビイストの仕事は政治と諜報活動が合わさったものだ。彼らがどうやって影響力を行使するのか。合法ぎりぎりのラインで、どんなストーリーが生まれるのかに興味を抱いた」と語るペレラは、そこから人生初めての映画脚本に挑みます。それをハリウッドの映画製作会社に送ったところ、社長が驚嘆。なんと1年後には作品が完成したのこと。素晴らしい作品を教えてくれたSくんに、深く感謝です。

「鳥取砂丘美術館」で「砂」の奥深さを再認識

2017年11月25日
山陰ツアーも今日が最終日。いよいよ本来の目的である「第22回北前船寄港地フォーラム」です。23日の夜は前泊というか、非公式の懇談会(早い話が飲み会)に。フォーラムの運営にたずさわっているスタッフの苦労話を聞きながら、「早く本にまとめないと……」との決意を深めました。今年の2月から取材を始めているのに、まだ一文字も書けていないのですから、当然といえば当然かも。

IMG_2576昨日はフォーラムの本番でしたが、いまや本格的なイベントに飛躍した感があります。会場は「とりぎん文化会館」。「とりぎん」と聞くと首都圏からの参加者は焼き鳥屋を思浮かべてしまいそうですが、えらく立派な施設でした。1500人は収容できそうな会場も、1階席はほぼ満杯。毎回そうですが、5時間近くに及ぶロングランの会合に最後までいるのはかなりの忍耐力が必要です。

 

内容も、数年前とは大違い。パネルディスカッションの登壇者も、全員がそれぞれプロジェクターを駆使して話します。どこに出しても恥ずかしくない「学会」といった雰囲気でしょうか。

DSC04723ただ、それはそれとして、参加者のいちばんの目的は、終了後のレセプションと言っても過言ではありません。ふだんから交流がある業界もありますが、こうした場でしか接点を持つことのない、他業種の人たちと自由闊達に話ができるということで、今回も多くの方が参加していました。立食スタイルでしたが、「ウェルカニ」を謳う鳥取県での開催だけに、会場には当地の特産・松葉ガニが山のように並べられ、皆、舌鼓を打っていました。カニだけではありません。こちらは魚介類のレベルがとにかく高いのです。

ただ、大きな会場ではありましたが、参加者が400人近くとなると、やはり疲れてきますね。持ってきた名刺もほとんど底を尽いたところでちょうどお開きとなり、二次会に。そちらにも数十人が参加していましたが、翌朝(今日25日)のスタートが早いこともあって、早々に引き上げました。

 

IMG_2591今日は早起きです。というのも、昨日行き損ねた鳥取名物「(スタバならぬ)すなばコーヒー」を飲みながら朝食をと考えていたからですが、開店時刻の7時半に、ホテルから歩いてすぐの店に行ったらもう20人近い行列が! 私たちは18番目で、17人しか収容できない1回目のセッションにはタッチの差でアウト。仕方なくあきらめ、駅の反対側にある、「すなば」ならぬ「スタバ」に行きました。

 

今日はエクスカーションへの参加を申し込んであったので、バスに乗ってまず砂丘へ。ところが、「Pokemon GO Safari Zone in 鳥取砂丘」というイベントと日程が完全にバッティングしていたため、道路が大渋滞していました。開催期間(11月23~25日)中はレアな「ポケモン」がゲットできるというので、中国地方はもちろん、関西・九州、さらには首都圏あたりからも愛好者が殺到したのです。地元に関係者によると、「これほどたくさんの人が砂丘を歩いているのは初めて見た」そうですから、歴史上初めての状況を呈していたのでしょう。

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砂丘で感動したのは、「砂丘美術館」です。前に砂丘を訪れたときはまだなかった施設で、私たちも初めてですが、これは素晴らしい! 館内には年に1回──といっても開催期間は9カ月ほど──、一定のテーマのもとで巨大な砂の彫像が10~20点展示されることになっていて、そのどれもが大変な力作。今年は「アメリカ」がテーマで、西部開拓史やら摩天楼やらハリウッドやら、アメリカにちなんださまざまな彫像を見ることができました。一つひとつとてつもない手間がかっているのが感じられる作品に、深く感動。

どの像も、半月くらいの期間をかけて作られるのだそうで、全体をプロデュースしている茶圓勝彦さんは鹿児島県南さつま市の出身。同市吹上浜で毎年ゴールデンウイークに開催される「砂の祭典」は、日本で初めての“砂のイベント”だそうです。拙著『鹿児島学』にも記しましたが、その地に生まれ育った茶圓さんですから、およそ感覚が違うのでしょう。個々の彫像もさることながら、全体の並べ方はなんとも言えないユニークさが感じられます。単体でも素晴らしいのに、それが10数点も巨大な空間の中に並べられているのですから、迫力もハイレベル。これだけでも、エクスカーションに参加した甲斐があったというものです。

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そのあとは鳥取港近くの観光市場やお土産物屋が集中しているエリアに立ち寄り、夕方の便で東京に戻りました。そうそう、空港の片隅に、朝行き損ねた「すなばコーヒー」の小さな店があったので、そこ名物のパンケーキと砂コーヒーをセットで頼み、所期の目標も達成です。

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雨の出雲大社から米子・境港・倉吉へ

2017年11月23日
今日の夕刻から明後日の午後まで鳥取市です。昨日、羽田から島根県の出雲(縁結び)空港に入り、出雲大社を見学したのち米子(鳥取)で1泊。おいしいイタリア料理を堪能し、今日は境港→倉吉経由で、夕方こちらに入りました。米子も境港も前々から行ってみたいと思っていたところなので、願いがかない大満足です。

DSC04653出雲大社を訪れた昨日はあいにくの雨。天気がよければもっとすがすがしい気持ちになれたでしょうが、残念なことをしました。境内は歩く距離も長いですし、気温も低かったので、足の傷がまだ完全に癒えていない家人には辛かったはず。ホテルを予約してある米子に行く途中、展示作品だけでなく庭園も美しいと評判の足立美術館に立ち寄る予定を組んでいましたが、こちらも省略。雨の中、滞在見込み時間が1時間足らずとあっては、致し方ありません。

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米子は商業都市で、同じ鳥取県にあっても、城下町の鳥取市とはまったく趣が違うように感じました。タクシーの運転手さんは「ざっくばらんなところがあって、ストレスがたまりにくい町」と。商業都市ですから、学歴がどうのとか、家柄がどうのといったことなど、気にしてなんかいられません。なんだかんだ言っても、最後は「お互い様」といった感じでしか商売はできないということなのでしょう。

城下町はその点、くたびれます。本音と建て前を使い分けなければならない場面も多いですし、言葉には出さずとも、何かにつけて学歴やら家柄が取り沙汰されます。いまどき殿様も家老も足軽もいないのに、そうしたレベルのことが、ぼんやりとではありますが人々の意識に巣食っているフシがあるのです。それが上から目線のものの言い方や態度になってあらわれたりするのでしょう。そのため、相手と「素(す)」で付き合うのが難しいのです。詳しく拙著『城下町の人間学』をご参照ください。

その米子で昨夜入った店は洋風居酒屋の雰囲気でしたが、客の入りがすこぶるいいのです。食べたものはどれもおいしく、店員さんもさわやかで愛想よし。また行く機会があったら、ぜひ足を運んでみたいと思いました。

今日はその米子から、境港。途中、左手を日本海、右手を中の海にはさまれた立派な国道を走るのですが、そこから見える大山の素晴らしいこと。ずっと以前のことですが、拙著『新 出身県でわかる人の性格』に、1年を通じて、それも朝から晩まで、立派な山を目にしながら育った人はすがすがしい性格を持つようになる“と記したことがあります。そこで例に引いたのは青森の岩木山、岩手県の岩手山、富山県の立山、そして鳥取県の大山です。

最初の3県は、その県出身の知人・友人がいたので自信を持って名前を出したのですが、鳥取県の大山は正直言って推測の域を出ていませんでした。しかし、昨日から今日にかけて、大山を見ながら日々暮らしている人たちと接する中で、私が書いたことも間違いじゃなかったと安心したしだい。この時期の大山は頂上付近が少し雪をかぶっており、いっそう美しい姿を見せてくれました。別の機会にまた訪れてみたいと思います。

 

DSC04683境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるの生まれ故郷ということで一躍有名になった町。ただ、秋冬のカニ以外、『鬼太郎』しか売りがありません。でも、市民はそれを強力なバネにしている風で、『鬼太郎』に徹しています。店の名前もメニューも、お土産品のコンセプトも、すべて『ゲゲゲ』であり『鬼太郎』であり、『水木しげる』なのです。ある意味潔く、よそ者であるこちらも、「だったら、それに乗っかっちゃおう」という気分にさせられました。インバウンドの外国人観光客となるとそうは行かないでしょうが、日本人の、ある年齢から上の人たちは私たちと同じような気持ちになるにちがいありません。

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境港をあとにし、次に向かったのが倉吉。倉吉は、私がプロデュースさせていただいた『人生 八勝七敗』の著者で大相撲・尾車親方を育てた横綱・琴櫻の生地。横綱の記念館もあると聞いていたので、そこにも行ってみたいと思っていました。

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DSC04710小さくも古い城下町で、いまも県内では第三の都市です。といっても、JRの駅に近い現在の中心街とは、玉川を隔ててけっこう離れたところに、城とその周囲の町(琴櫻記念館もその一角にある)があったらしく、川沿いに並ぶ白壁土蔵群は落ち着いた観光スポットになっています。

 

 

玉川に架かる石橋、由緒のありそうな古刹や酒蔵、赤い石州瓦に白い漆喰を塗った壁が特徴の家々など、江戸・明治期の面影が色濃く残っており、落ち着いた風情がかもし出されていました。

DSC04706そうした中、面白いと思ったのは大蓮寺。1300年ほど前に創建された大蓮寺が起源とされ、いまから450年くらい前に近在の3寺を統合、現在の地に伽藍を建立したものの、1942(昭和17)年に解体されてしまいました。それが、1955(昭和30)年に鉄筋コンクリート造りのユニークな本堂として再建されたのだそうです。クリーム色の外壁は周囲の街並みとはまったく異質で、「えーっ。何、これ?」とだれもが驚くことでしょう。淀屋清兵衛(江戸時代前期、商都・大阪を築いた豪商)ゆかりの寺としても有名なようです。

ひととおり散策したあと、最後に「旧国立第三銀行倉吉支店」の1階にあるカフェでひと休み。天井の飾りや階段などの建具が1908(明治41)年の建築当時のままだそうで、なんとも言えない落ち着きを感じさせてくれました。

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恥ずかしー! 「消えた」デジカメのありかは?

2017年11月7日
寝ている間に船はドイツとチェコとの国境の町パッサウに到着。今日はチェックアウトの日です。部屋を空っぽにして船から降り、バスで旧市街に向かいます。パッサウも2度目の訪問です。

ところが、降りる直前、デジカメがないことに気がつきました。あわててバッグの中、ブルゾンのポケットと、裏返したり逆さにしたりしてみたのですが、見つかりません。添乗員さんにお願いして、私ひとりだけ乗せて、バスの運転手さんに引き返してもらいました。船にはもう乗りませんから、置き忘れていたりすると大変なことになってしまいます。船に戻って部屋の中や朝食を食べたレストランなど、あちこち探したのですが、どこにも見当たりません。

デジカメの撮影データは幸い、持参のノートPCに昨夜落とし込んでおいたので大丈夫。ただ、これも、旅に出るとブログをアップするのが遅れ遅れになってしまうので、家人から「撮ったその日のうちに写真をチェックすれば、少しでも書いておこうっていう気持ちになれるでしょ!」と檄を飛ばされていたおかげです。今回の旅では、毎晩、その日の撮影データを移していました。

それはそれとして、写真を撮るのがスマホだけというのは、いささか心もとありませんで。でも、仕方ないとあきらめ、バスでパッサウまで引き返しもらうと、ちょうどほかの方々が市内観光を終えて戻ってくるところでした。家人に「なかったよ……」と答えると、「バスの中、もう一回探してみたら」というので、座席の下を見てみました。すると、なんと、私がすわっていた一つ後ろの座席の下に転がっているではありませんか! 船に戻る前に見たときはなかったのに……。先ほど船まで引き返すために移動している間に前・後ろと転がっていたのですね。……まあ、とりあえずあってよかった! これからは、こういう笑えないトラブルがだんだん増えてきそうな予感がします。

!cid_087b49a9-ba1b-4c78-afdc-be5aec8a6982@apcprd04_prod_outlook3つの川(ドナウ川、イン川、イルツ川)に囲まれているパッサウ。市内にいくつも建つ教会もさることながら、いちばん印象に残ったのは初めて訪れたときも目にしましたが、小ぶりながらも存在感のある時計塔が目を引くのが市庁舎です。その外壁に、童謡『背比べ』の歌にある「柱の傷」に似た目盛りが刻まれています。この町は毎年のように洪水が起こるため、大きな洪水があった年の数字と、そのときの浸水水位が記されているのです。いちばん最近の洪水は2013年6月で、そのときの水位(史上2位だったとか)ももちろん記されていました。このときは市庁舎の1階部分が完全に水没したといいます。似たようなものは熊野本宮を訪れたときにも見ましたが、実際その前に立ってみると、そのすさまじさが想像できます。

 

さて、パッサウからは、ミュンヘン国際空港の近くにあるフライジング(Freising)という古い町へ移動。この町のこともまったく知りませんでしたが、味わい深いところでした。教会以外に見るべきものはさほどないものの、まずランチのおいしかったこと。それと、レストランがある建物入り口のパン屋さんで見つけたドイツパン。ドイツではどこのパンもおいしいのですが、この町の店で買ったのは特別。日本にいても買えるのなら、ずっとヒイキにしたいほどです。

町のあちこちにクマのオブジェがあるのが印象的でした。フライジングからバスでミュンヘン中央駅近くのホテルに移動。明日はいよいよ帰国です。

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ガイドさんのおかげで楽しめたレーゲンスブルクの旧市街

2017年11月6日

朝食から部屋に戻り、バスルームで乾いたハンドタオルを使おうと手に取ったのですが、見てびっくりしました。茶色というかえらく汚れた感じがするのです。最初の日からうすうす感じてはいたのですが、フェイスタオルとバスタオルは別として、ハンドタオルだけは白かった日が一日もありません。水に濡らすとそれがもっとはっきりわかります。思わず写真に撮ってしまいましたが、これはひど過ぎないでしょうか! 4216FBAB-1376-406D-9EE2-B5408A2A56D4思わずキレそうになってしまいましたが、ひと呼吸置きました。濡らしたハンドタオルをバスタブ(真っ白です!)のふちの目立つところに置き、その横に「We call this “dustcloth” not “towel”.」と記したメモを添えておきました。“dustcloth”はもちろん「雑巾」のこと。といって、その日の夕刻からもう少しましなハンドタオルが供されたわけではありません。ただ、これはこのクルーズ会社の文字どおり汚点という気がします。

 

午前中はゆっくり過ごし、船内でランチを済ませると、午後はレーゲンスブルクの町へDSC04492。4年前のクリスマス時期にも、少年聖歌隊(別名「大聖堂の雀たち」)の美声を聴きにこの町の大聖堂を訪れたことがありますが、それ以来です。

そのときは個人旅行、しかも滞在していたミュンヘンで突然思い立っての訪問でしたので、町についてのきちんとした知識などありませんでした。でも今回は、ガイドさんの解説を聞きながら旧市街を散策するということもあり、興趣がそそられます。900年近く前に架けられたドイツ最古の石橋=「シュタイネルネ橋(Steinerne Brucke)」と、それを造った職人たちのための食堂がいまでも残っているのですが、そこから出発しました。

ツアーの場合、添乗員さんはいないことがあっても、ガイドさんはまず100%つきます。たいていは、日本語を学んだ現地の方ですから、まずは言葉の巧拙がポイントに。日本人と結婚して日本語を覚えた人もいれば、大学で日本語を専攻し、日本に留学した経験もあるという人もいます。どちらが流暢かということになりますが、一概には決めつけられません。

個人旅行でしたが、4年前にロシアを旅したときは、駄洒落や日本の諺まで自由自在に繰り出すガイドさんのお世話になりました。けっして流暢な日本語ではありませんでしたが、それでも次に何を話してくれるのか、こちらに期待を抱かせる方でした。

話の内容、またガイディングの仕方で、旅の印象は大きく違ってきます。観光スポットについての情報や、その背景にある歴史・地理・文化にも造詣が深い。それだけでなく、私たちの行動についても至れり尽くせりといった感じで文字どおりガイドしてくれる人もいます。でも、逆に、どれも中途半端(といっては申し訳ありませんが)な方もおり、そのあたりの差が、その地の印象と重なり合うのです。どれだけ多くの優秀なガイドさんを確保できるかが、旅行会社の腕の見せどころなのでしょう。

この日の女性ガイドはその点、とても優秀な方でした。もっとも、そもそもが勉強好きのドイツ人なので、観光に欠かせない歴史・地理・文化の知識は抜群。私たちシロウトにはちょっと詳しすぎるかなぁとも思いましたが、つい聞き入ってしまいました。何も知らずに歩けばすっと通り過ぎてしまうような場所も、実はすごく由緒があるところなんだと知ると、見る目が違ってきます。

DSC04501ドイツの町はどこに行ってもそうなのでしょうが、観光スポットが集中する旧市街地がたいていの場合、教会を中心にできているので、道に迷うことがあまりありません。教会の塔の姿・形(どの方角から見るとこういう姿に見えるということ)さえきちんと頭に入れておけば、迷わずに歩くことができるのです。

レーゲンスブルクの街歩きでポイントになるのは、2本の尖塔を持つゴシック様式の大聖堂。この町は教会がとりわけ多く、小さな町内に一つずつといった感じで建っており、どれも皆、有力商人の寄進だとか。塔の高さや外壁の素材・仕上げを競ったらしく、それぞれが個性的なよそおいを凝らしています。そうした建築物があちこちに建つこの町は、旧市街全体が世界遺産に登録されているそうです。

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DSC04548観光が終わったあと、前に訪れたときランチを食べた市庁舎1階のレストランの向かい側にあるカフェへ。そこでコーヒーとケーキを食べました。カフェに行く前に、個人的に立ち寄った「アルテ・カペレ(Alte Kapelle)教会」は、2日前に訪れた「メルク修道院」も顔負けの、どこもかしこも金ピカのチョー豪華な内装が印象的。外側はまったく地味なのですがね。

 

今夜は船内最後の夕食とあって、バイエルンスタイルの内容。名物のホワイトソーセージもさることながら、ビールのおいしかったこと! ドイツのなかでもこのバイエルン地方は本場ですから、当然といえば当然かもしれません。

近い将来また来てみたいと思わせるザルツブルク

2017年11月5日
船は朝方、リンツに到着。ここからバスでザルツカンマーグート地方に向かいます。陶器の町グムンデンからトラウン湖、フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトと出会ったリゾート地=バート・イシュルを経て、美しい景色で知られるハルシュタットの町に到着。

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お天気に恵まれたこともあり、湖も空も周囲の山々もこれ以上はないほど日に映え、美しい姿を見せてくれました。なぜか韓国からの観光客が目立ちます。この地が韓流ドラマと関係でもあるのでしょうか。2時間ほどの滞在でしたが、堪能させてもらいました。

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DSC04336ハルシュタットから、途中ここ10年で驚異的な成長ぶりを見せたエナジードリンク「RED BULL」の本社があるアシュル・アム・ゼーを経て、2時間でザルツブルクに移動。ザルツブルクは映画『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影地が市内・近郊に散在しており、それを目当てに訪れる人がいまでも多いようです。ガイドさんが「ここは、あのシーンの……」「子どもたちが何やらした場面を撮ったのがあそこで……」と一生懸命説明してくれるのですが、残念ながらまったく記憶がありません。それはそうでしょう、観たのは52年前、高校1年生のときなのですから。やはり50年という年月はハンパなく長いのです。

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DSC04370「ミラベル庭園」「カラヤンの生家」などを観ながらザルツァッハ川を渡ると旧市街です。ひと目でその生業が分かる絵の看板を掲げた店が立ち並ぶ商店街「ゲトライデガッセ」の中心部にあるのが「モーツァルトの生家」。なぜか1階はスーパーになっているのですが、その上のフロアはすべて博物館。狭い階段を昇ったり降りたりしながら、複雑な造りの内部を見学しましたが、印象に残ったのは「モーツァルトのお墓はどこにもない」というガイドさんの話。偉人のお墓がいまだにどこにあるかわからないというのは、やはり珍しいのではないでしょうか。若くして世を去った個性的な“天才”音楽家だけに、その死もユニークだったのかもしれません。

 

ランチのあとは旧市街をあちこち散策。小高い丘の上に立つ「ホーエンザルツブルク城」の上から一望できる市内は、川の流れとあいまってとても美しく、春から夏にかけて、また真冬に訪れたらもっと素晴らしいだろうなと想像をかき立てられます。ザルツブルクはやはり夏の音楽祭の季節に来てみたいですね。

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散策の途中、ツアーで一緒の女性が教えてくれた「塩チョコレート」を購入し、高速道路でパッサウへ。私たちを待ち受けている船に戻ります。途中から雨が降り出しましたが、観光の最中でなくてラッキーでした。今回の旅は、いまのところ雨とはまったく無縁。皆さん、心がけのいい人たちばかりなのでしょう。

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夜は、明日下船する別のツアーの一団もいるということで、「フェアウェルパーティー」です。歌のショーや抽選会がおこなわれ大いに盛り上がりましたが、このあたりがクルーズツアーのおもしろさなのかもしれません。

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ドナウ川クルーズの愁眉ヴァッハウ渓谷

2017年11月4日
DSC04111今回のクルーズの目玉の一つが「ヴァッハウ渓谷」です。ドナウ川沿いでは景色がいちばん素晴らしいとのことで、この季節は黄色く変わった葉でいっぱいの木々が楽しめそうです。

今日未明にウィーンを出発した船は朝方、デュルンシュタインに到着。ここで下船し、徒歩で町に向かいます。黄色に色づいたブドウ畑の横を通り抜けた先が市街地。といっても、往復20分足らずですべて観ることのできるこじんまりした町です。

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私は、かつてリチャード獅子心王が幽閉されていたという城跡のある山に登りました。20分ほど歩くと頂上なのですが、ここから見下ろすドナウの眺めは最高でした。私より先に、数人の方が登り終えており、お話をうかがうと、80ウン歳とか70代後半とか、はるか年上の人ばかり。とにかく、その元気さには恐れ入ります。

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出発まで時間があったので、この町を象徴する「聖堂参事会修道院教会」の周りを歩いてみました。水色の外装がユニークな教会です。川岸ギリギリの道を小型定期船の船着き場まで歩いていき、その全景を観ることができました。

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DSC04137船に戻るとランチです。バイキングスタイルは変わりませんが、今日はなぜか、基本のラインナップのほかに子豚の丸焼きが出てきました。厨房から、大きな銀の皿に載せた豚が運ばれてきたときはびっくり。小さなロウソクが何本も差し込んであるのですが、その炎が爆竹のようにはじけて音を出すのです。それにしても、なぜこのタイミングで? どう考えてもわかりません。

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さて、デュルンシュタインから船はパッサウまでさかのぼっていくのですが、その間が「ヴァッハウ渓谷」。途中、山の上に古い城跡があったり黄色い木々に覆われた山肌が見えたり教会の尖塔がひときわ目立つ可愛い町があったりなど、ずっと観ていても飽きません。2時間ほどで、次の目的地メルクに到着。「修道院」で有名なところと聞いていましたが、遠目で見てもたいそうなスケールであることがわかります。

 

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DSC04187もともとは、ハプスブルク家より前の時代にこの地方を支配していたというバーベンベルク家が築いた城をベネディクト派修道院に寄進したもので、18世紀の初めにバロック様式で再建されたため、見た目も派手な=清貧のイメージとは真逆の修道院に。内部、とくに祭壇はなんとも絢爛豪華でした。10万冊の本を備えた図書室は、今年8月にダブリンで訪れた「トリニティー・カレッジ」を思わせるような造り。また、ほかにもさまざまな宝物を展示しており、楽しむことができます。屋上からの眺めも素晴らしく、こんな場所で修行に打ち込めるのだろうかと心配になってしまいました。

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ウィーンで出会ったユニークなチョコレート屋

2017年11月3日
ツアーでは朝・昼・夜と、同じテーブルで食事をともにする相手がほぼ毎日変わります。どのテーブルに着くかは自由なので、だれと隣り合わせになるかは、座ってみるまで分かりません。今日同席したのは、80歳近いご夫婦。この旅行会社との付き合いは20年近くだそうで、主催するツアーに参加するのも10数回目だとか。

これまで食事で同席した皆さんのほとんどが、この会社のツーアのリピーターのようです。話を総合してみると、この旅行会社は、客のニーズを実に的確につかんでいるのがよくわかります。食事の内容、コース、訪問する観光スポット……。どれをとっても、ありきたりではないというか、よく工夫されている感じがします。かゆいところに手が届くサービスも高く評価されているようでした。また、添乗員さんも自分が担当するツアーで訪れる先の地理や歴史・文化をしっかり学んでおり、レベルが高そうのです。

そもそも、この会社が企画しているツアーのテーマ・内容自体がたいそうユニークです。マニアックな感じがしないでもないのですが、これはそうした内容を求める客が少なからずいるからでしょう。いま、日本から海外旅行に出るのは70歳以上の人がほとんど。もちろん、それは費用がある金額以上のツアーです。若い人は時間もお金もありませんから、どうしても安手で通り一遍のメニューで構成されたツアーに参加するしかありません。

しかし、70歳以上の人たちは、まず時間が豊か。しかも、いまの日本では年金受領額もいちばん恵まれています。そのため、できるだけわがままを聞き入れてくれそうなツアーを選ぶわけです。そのあたりに早い時期から着目していたこの会社のツアーが多くの人から支持されるのは当然かもしれません。

 

DSC03974さて、今日はウィーンの市内観光。最初は中心部(「リンク」の中)に集中して建つ施設の一つ「シシィ博物館」で、今回が2回目。しかし、その次に訪れた「美術史美術館」には度肝を抜かれました。ハプスブルク家があちこちから収集してきた美術品がぎっしり収められています。クリムト、ブリューゲル、ラファエロ、ティツィアーノ、フェルメール。デューラーなど、美術や世界史の教科書で観たことのある作品が、これでもこれでもかといった感じで展示されていました。

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DSC03979その後、ウィーンで最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」でランチをいただき、午後は自由時間。レストラン近くの「シュヴェーデンプラッツ」からトラムに乗ってリンクを半周、「オペラ座」の前で下車し、目抜き通りの「ケルントナー通り」を歩きましたが、週末ということもあって大変な人出でした。有名なカフェもそこここにありましたが、そちらは後回しに。

私と家人は、とあるチョコレート屋さんをめざします。かつてはハプスブルク家御用達のボタン屋さんだったのですが、当時の店舗のままでいまはチョコレートを販売しているというのです。外には御用達のお店であることを示す立派な看板があり、店内の壁はかつてボタンを収めるのに使われていた引き出しが。壁だけ見ると、「えっ」という感じがしますが、あくまで内装として利用しているのです。思わず写真を撮ってしまいましたが、そのアイデアに感心しました。いくつか買って帰りましたが、一つ二つつまみ食いしてみるると、これがえらくおいしいのです。さすが「ウィーンでいちばんおいしいチョコレート屋」を謳っているだけのことはありました。

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実を言うと、今夜は家人と二人で外食にしようと思っていました。というか、そろそろ日本のしょう油味が恋しくなっていたのです。そこで、「ケルントナー通り」から路地をちょっと入ったところの、7年前にも訪れたことのある日本料理店を探してみました。しかし、そこにあったのは前とは似ても似つかない店。いちおう「日本風」を謳ってはいるようですが、店の名前も外装もすっかり変わっていました。外にいた店員に聞いてみると、何年か前に昔あった店は閉店し、そのあとを自分たちが引き継いだとのこと。結局、中には入らずじまいで船に戻ることに。旅の途中で日本メシをとの願いはもろくもついえてしまいました。

 

 

 

 

初めてのスロヴァキア訪問は、3時間でジ・エンド

2017年11月2日

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DSC03764午前8時半に船を降り、バスに乗ってブラスチラヴァの観光へ。最初に行った「ブラスチラヴァ城」からはドナウ川が見下ろせます。右手にある、ソ連時代に作られたという橋を渡った先が、昨日まで滞在していたハンガリー。そのさらに先はオーストリアです。ヨーロッパが地続きであることをまざまざ実感させられます。

 

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城から下に降りて通りを渡ったところにあるのが「聖マルティン教会大聖堂」。「聖マルティン教会」はカトリックのわりにシンプルで質素な建物。歴代のハンガリー皇帝の戴冠式がここでおこなわれたとは思えません。

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ここからさらに下ったところから狭い旧市街が始まります。世界中の観光客が集まってきているのがありありと感じられる街並みは、ヨーロッパの古い町の典型といった感じでした。ガイドさんからは、ちょっと歩くたびにベートーヴェンが住んでいたアパートです、モーツァルトがコンサートを開いた屋敷です、リストが……といった説明が。有名なカフェ、レストラン、女帝マリア・テレジアの娘エリザベートが好きでよく訪れたという店もありました。

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そこを抜けたところが「フラヴネー広場」で、まわりには各国の大使館が並んでいます。日本大使館もありました。そこから「フヴィエズドスラヴォヴォ広場」に行くと「国立劇場」「フィルハーモニック劇場」「国立ギャラリー」など、写真に撮りたくなるような味わいのある建物がずらり。河畔まで戻ると私たちの船が。この間わずか3時間。旧市街の玄関口といわれる「ミハエル門」を観られなかったのは残念ですが、これは旅行会社の段取り不足でしょう。

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わずか3時間のスロヴァキア訪問を終え、お昼前にはウィーンに向けて出航。途中の景色は雑木林ばかりで、町や村はほとんどなく、夕方までゆっくりした航行が続きます。それにしても、今朝がたから船内のwi―fiがほとんどつながらないのが悩みのタネ。仕事のメールが送受信できないのです。ウィーンに着けばと……添乗員さんは言いますが、大丈夫なのでしょうか。

DSC03887夕方ウィーンに到着。夜はコンサートが待っています。会場は、市民公園の中にある「クアサロン」。さすがウィーン、小さくてシンプルながらも、どこか威厳を感じさせるホールです。たぶん毎晩、観光客向けのコンサートがおこなわれているのでしょうが、内容はけっこう濃密。最後はウィーンフィルの新年コンサートの定番「ラデツキー行進曲」で終わり、大いに楽しませてもらいました。

 

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今日でブダペストは最後

2017年11月1日

今日は水曜日ですが、「諸聖人の日」という祝日だそうで、ハンガリー全土がキホンお休み状態。ツアーメンバーの多くは、添乗員さんの引率で、トラムと地下鉄(ヨーロッパではロンドンに次いで2番目に古いとのこと)を乗り継いで、「英雄広場」の観光に出かけました。私たちは別行動で、朝食を済ませると(そう、サラミソーセージはやっぱりおいしかった!)、市内中心部のエルジェーベト環状通り沿いにある「カフェ・ニューヨーク」という店まで歩いて行きました。結婚して現在イタリアのフィレンツェに住んでいるわが社のスタッフが、以前ブダペストを旅したとき感動し、興奮のメールを送ってくれたことがあるからです。

船を出て30分ほど、9時半には着いていたのですが、7、8人の客がすでに並んでいました。しかも、待っている間に、あとから来た客が何組も、私たちを横目に中に入っていくではありませんか! なんと、予約してきているようなのです。カフェなのに予約とは……。でも、たしかに、そうしたくなるほどユニークな店でした。

IMG_2296何がユニークなのか? まず建物自体がとても大きくて重厚。店の中は大理石の柱に豪華なシャンデリアがしつらえられ、さらに天井画まで描かれています。壁紙、テーブル、イス……どれをとっても華やかできらびやか。ブダペストの数あるカフェのなかでももっとも有名だというのも納得できます。かつてはこの町の作家や芸術家、新聞・雑誌記者や編集者などが集まり、文学論、芸術論を戦わせるカフェとして一世を風靡したとも。いまは「ボスコロ」という5つ星ホテルの1階にあって、宿泊客が朝食を食べるスペースも兼ねているようでした。朝食の時間が過ぎれば、訪れてくるのはほとんどが観光客なのでしょうが、それだけに、一日中にぎわっているようです。

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私と家人はコーヒーとアップルパイを頼み、1時間ほどゆっくりしたあと、タクシーで帰ったのですが、大きな落とし穴にはまってしまいました。船が停泊している場所の地図を見せ、指で示しながら「ここまでね」と告げると、「OK!」。しかし、いざ走り始めると、どう考えても遠回りしているようにしか思えません。案の定、車を停めたのはまったく違う場所でした。「ここじゃないよ!」と、再度地図を見せて指示したのですが、自信なさげな顔をしてみせます。

しつこく説明してやっと理解したような表情を見せながら、そこからまた1キロほど走ったでしょうか。ようやく目的地に到着。ところが、メーターを見ると「6000フォリント」。日本円に換算すると3000円です。「えーっ!」と思いましたが、これはボラれたとしか言いようがありません。

悔しいので、部屋に戻ってネットで調べてみると、「ブダペストのタクシーには要注意」という内容の情報がギッシリ。基本料金は450フォリント、1キロメートルごとに280フォリント加算とあるので、それからすると、チップ込みでもせいぜい1200フォリントがいいところでしょう。ドライバーがどこをどう細工したのかわかりませんが、結果としては正規料金のおそらく7~8倍近くになっていたはずです。

そういえば、数年前、チェコの首都プラハ中央駅で、客に声をかけているタクシードライバーのあまりに怪しい雰囲気にビビったことがあります。このときはホテルに電話を入れ、迎えを頼んだのですが、それと同じなんですね。ネットの記事には、「見た目は黄色い車でタクシーにしか見えないのに、白タクもある……」とありましたが、まさしくそのパターンだったのかも。悔しいー! けど、仕方ありません。
午後は、バスでドナウベンド(「ドナウ川の曲がり角」という意味だそうです)地方に。最初に訪れたのはエステルゴムという古都。当初はブダペスト→センテンドレ→エステルゴムという行程だったのですが、エステルゴムの「大聖堂」が、休日のため午後4時で閉まってしまうことがわかったようで変更に。結果的には、遠いところ(=エステルゴム)に行って、センテンドレまで戻り、そこからまた、船が待っているエステルゴムまで戻るので距離的にも時間的にもかなりのロスになりました。

DSC03694エステルゴムの「大聖堂」はたいそう立派。そのわりに外装は質素で、中も派手な装飾を排した造りが印象的でした。裏側は絶壁になっており、そこに立つと、ドナウ川とその両岸の景色がパノラマのように見えます。この日も天気がよく気温が一気に上がったせいか、川面は水蒸気で覆われていました。そのため、遠くがあまり見えなかったのは残念でしたが……。

 

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エステルゴムからブダペスト方面に小一時間戻ったところにあるのが、“かわいい町”センテンドレです。到着したのは、日が沈む直前。小さな町なので、端から端までゆっくり歩いても20分足らず。石畳の道の両側はお土産屋さんが大半ですが、ときおりパン屋さんとか洋服屋さんが。どの店も個性的で、明るい時間帯だったら、ゆっくり中をのぞこうかという気にもなるのでしょうが、秋の日はつるべ落とし。どんどん暗くなっていくので、気もそぞろといった感じです。気温も下がっていくので寒くなり、早めにバスに戻ります。そこから1時間ほど走り再びエステルゴムに着くと、船が待っていました。

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予想以上に広く感じるクルーズ船のキャビン

2017年10月31日
2泊したドナウ河畔のホテルをチェックアウト。今日はまず、川向こうエリア=ブダ側の観光です。ブダペストに泊まっているのに、市内観光は後回しというのが面白いですね。コースは「くさり橋」を渡って「王宮」へ。ブダペストには「王宮」が三つもあるそうですが、その代表のような存在です。
IMG_2282バスを降りて「王宮」に向かう道で、あっと驚く看板に出会いました。‟「岩中の病院」博物館”という文字が大きく書かれているのです。上のほうに「HOSPITAL IN THE ROCK」とあるので、たぶん、岩の中にある病院か何かなのでしょう。とりあえず気にはなったのですが、団体行動中なので、同行している皆さんを追いかけます。聞きしに勝る素晴らしい「王宮」でした。

 

 

 

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あとで、船に戻って調べてみたのですが、「岩中の病院」とは、第二次世界大戦中から使われていた軍事病院だったようです。その当時の様子(診察室、病室、レントゲン撮影室、分娩室、薬品や器具の入った棚など)をロウ人形も使いながら再現した博物館であることがわかりました。ソ連の時代には核シェルターもあったらしく、その遺産として残しておこうと言うことになったのでしょう。内部はガイドツアーを申し込んで回るようなのですが、コースの最後には広島の原爆についての展示もあるとのこと。今度ブダペストを訪れたら、ぜひ行ってみようと思いました。

 

DSC03573「王宮」の観光を終えると、ペスト側に戻り「中央市場」へ。1890年の創業といいますから、年季が違います。ハンガリーの名物はいろいろあるようですが、私たちが買ったのは、ガイドさんが教えてくれたサラミソーセージ。市場の1階はほとんど食品を扱う店で、その大半が肉屋さん。どの店先にも山と積まれ、また上から吊るしてあるのが燻製した肉とサラミ。どれを買ったらいいのか見当がつかないので、「What do you recommend?」と尋ね、「これだよ!」と店主が勧めてくれたものを買ってみました。「What’s the difference?」とたずねると、「うちの店のオリジナルなんだ」と、鼻をひくつかせながら答えてくれました。量のわりに値段が断然安かったのでダメ元という思いもありますが、たぶんおいしいでしょう。

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DSC03594「中央市場」のあとは、元修道院だったという建物にある、ブダペストでも指折りの老舗レストラン「KARPATIA」でランチ。を済ませ、そのあとは再びブダ側にある「ゲッレールトの丘」へ。「王宮」からの眺めも素晴らしかったのですが、この丘の上から観るドナウ川、そこに架かるいくつもの橋、また国会議事堂や大学など、ブダペストの眺めも感動的。夕方早々にはこの日の観光を終え、「アマデウス・エレガント号」に乗り込みます。いよいよ「ドナウ川クルーズ」の始まりです。

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DSC03640チェックインを済ませ、キャビンに入りました。20㎡と聞いていたので、ほとんど期待していなかったのですが、予想以上に広い印象がします。なんともコンパクトに造られているのですね。海外旅行で数日滞在するホテルとの最大の違いは、スーツケースをベッドの下に収めること。そのため、室内はゴチャゴチャした感じがまったくしません。「なるほど!」と感心してしまいました。

 

まったく知らなかったエゲルの町は感動のひと言

2017年10月30日

お昼ごろ成田を出発し、ヘルシンキ経由のフィンエアー便でハンガリーの首都ブダペストに到着したのは昨夜の9時前。今回の旅は、ワールド航空サービスという旅行会社主催の「アマデウス・エレガント号でゆく 秋色に輝くドナウ河と珠玉の町々を巡る船旅12日間」ツアーです。ハンガリーのブダペストか入り、最後はドイツのミュンヘンから帰国(途中、船には7泊)。私と家人にとっては初めての本格的な船旅で、どんな経験ができるか、けっこうドキドキもしています。

今日からさっそく観光が始まりますが、最初の目的地はブダペスト市内ではなく、エゲルという近郊の町。私自身、その名前さえ知りませんでしたが、ガイドさんの話からすると、この町はハンガリーの人たちの“心のふるさと”と言ってもよさそう。16世紀半ば、オスマントルコに攻め入られたとき、城主ドボー・イシュトヴァーンがこの町の城にたてこもりトルコを撃退したからです。さほど大きな城ではありませんが、見晴らしのいい場所に建っているのがよかったのでしょう。

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たしかに、ここから見下ろすと、青空のもと、大小の教会を中心に、美しい色彩を放つ街並みが広がっています。その中に、なぜかミナレット(イスラム教のモスクに付随する塔)もありました。一度は撃退されたトルコですが、それから数十年後、16世紀末には結局この町を手中にした、その名残です。

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DSC03468ほかにも大学や市庁舎など、バロック様式の美しい建物が数多く残されており、シャッター押しまくりといった感じです。古い町なのにこんな大きな……と思える「ドボー・イシュトヴァーン広場」も印象的でした。市内を散策したあとは、ワインセラーが集中している「美女の谷」という名のエリアにあるレストランでランチ。店は楽しい造りで、内装にも凝っています。この地の名物「ビカヴェール(雄牛の血)」というワインもおいしく飲めました。

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ツアーのメリットとデメリット──。いろいろありそうですが、その地域に詳しい、しかも熱心なプロが企画してくれる分、シロウトの私なんぞまったく知らない町や村、名所旧跡、自然景観などさまざまなスポットに行けるというのが最大のメリットではないかという気がします。

あるいは、最近流行の「こと消費」もその一つでしょう。たとえば、昨年3月、私と家人で観に行ったフィレンツェの「山車の爆発」やスペイン・タラゴナの「人間の塔」(偶数年の10月)。また、毎年2月、スイスのサンモリッツで開催される「ホワイト・ターフ(氷上競馬)」なども、格好の素材になりそう。いま現在、これらのイベントを観戦する企画を盛り込んだツアーは、私の知るかぎりでは、ありません(ひょっとすると、あるかもしれませんが)。しかし、これもあと、2、3年後には出てきておかしくない「こと」のように思えます。

夕食は市内随一の老舗レストラン「グンデル」で。格式も高いようで、エリザベス女王やローマ法王も来られたことがあるといいます。食事中はずっとクラシックの生演奏が続き、さすがという雰囲気。食事もハイレベル! この会社のツアーは、食事のクオリティーが高いというのも好評の一因だそうです。

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まさか高雄で本格イギリス紅茶を味わえるとは!

2017年10月17日
IMG_2226今日もまた暑そうです。朝行った港近くの「旧英国領事館」は高台にあり、建てられた当時の赤レンガ・バロック風建築のまま保存されています。かなり急な階段を昇っていくのですが、眺めは最高。何より、その2階がカフェになっており、そこで本格的な英国風の家具調度に囲まれながら本格的な紅茶を楽しめます。私たちが飲んだイギリス式のアイスティーはもう最高。高台の、それもバルコニー席ですから多少は涼しく、冷たいお茶が心も体も癒してくれました。

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IMG_2230次に訪れたのは旧港の一角にある倉庫街で、広大な敷地に10以上の倉庫が点在しています。「駁二藝術特区」と呼ばれるエリア。倉庫の外壁はすべて昔のままで、なかには、オリジナリティーあふれる絵が描かれたものもあります。また、外にはなんともユニークな巨大オブジェも置かれていました。

 

 

DSC03345リノベーションされた建物の内部には、博物館あり、アートギャラリーあり、書店あり、雑貨店ありで、一日中楽しむこともできそう。私たちは雑貨店がいくつか入った建物をしばらくぶらぶらしましたが、日本にはない独特の品もけっこう並んでおり、そこそこ楽しめました。台湾の大型書店チェーン「誠品書店」が手がけたとのことで、「さすが」という感じです。

 

そこから少し歩いたところにある古い店で氷あずきを食べ、ホテルに戻りチェックアウト。夕刻の便で次の訪問地マカオに飛びました。高雄にかぎらず、台湾というところは、なんの変哲もない、というよりこぎたない店でもかなりおいしいものが食べられるのが大きな魅力です。その極致が夜市の屋台でしょうが、衛生面のことを考えたりすると不安もなくはありません。しかし、ハズレはほとんどありません。ほとんど、どこで、何を食べてもおいしく感じられます。しかも、値段がめっちゃ安いときているので、これほど楽しくて魅力的な国はないと言えます。

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DSC03349この日、昼食を食べた「美麗島駅」近くの店もそうでした。特製のスープに、自分で選んだ具材を入れてもらうシンプルなスタイルのメニューなのですが、これが素晴らしく美味。それだけではありません、店主と素晴らしい“会話”ができたのです。

実は、前日、ホテルから「鳳山龍山寺」にタクシーで行ったとき、おもしろい経験をしました。行き先を書いた紙を渡すと、それを見た運転手がやおらスマホを取り出し、信号待ちのとき何やら小声でささやいています。そして私たちに見せてくれた画面を見ると、行き先を示す日本語の文字が! そう、中国語から日本語への音声翻訳アプリなのですね。「次に行くところは決まっているか?」とか「何時ごろまで時間があるのか?」などと書かれた画面を見せてくれるので、スマホに向かって日本語で答えると、それが中国語に訳され、運転手も理解するという仕組みのようでした。

感動した家人がさっそく、そのアプリを自分のスマホにダウンロードし、今日さっそくそのレストランで試してみたのです。「何がおすすめですか?」と中国語で書かれた画面を店主に見せると、いくつかの具材を指さしてくれます。私たちもそれに従って選んだのですが、すんなりコミュニケーションできました

。帰りがけに、「とてもおいしかったです」と日本語で入力し、それが中国語に翻訳された画面を店主に見せると、もう大喜び! 以前は、コミュニケーションといっても、漢字で紙に書いて見せるだけで終わっていましたが、それだとほぼ一方通行でしかありません。しかし、この翻訳アプリのおかげで、もう一歩前に進むことができるわけで、たいそうすぐれものです。ネットで調べてみると、これと同様のアプリは世界50数カ国語も用意されているようで、これからの旅でも試してみようと思いました。