月別アーカイブ: 2016年11月

エジプト国立博物館には、もうあんぐりするしかありません!

2016年11月29日
DSC_0862今日でエジプトツアーも実質、最終日。朝食を終えると、ホテルの目の前に建つ国立博物館の見学です。のっけからもうびっくりしたのは、出土品、それも3000年前、4000年前のものが前庭のあちこちに、陳列というか放置というか、フツーに置かれていたこと。レプリカもあるのでしょうが、それにしても……という感じです。

建物の中に入ってもそれは同じ。見学する前に、ガイドさんが館内の“見もの”について簡潔に解説してくれたのですが、聞こえてくるのは「2000数百年前」「3000年以上前」といった数字。これにはもうあんぐりするしかありません。もちろん、こちらのほうが前庭の出土品より貴重なもののはずですが、それが廊下に置かれていたり、ほかの陳列物が並ぶ隅のほうに半分隠れていたりすると、なんだか信じられないような感じがします。もちろん、きちんと並べられている出土品だけでも数千あるのですから、まる1日かけたとしても、全部を観て回ることなどできません。ただただ、「すごい!」というしかないのです。

よくもまあここまでこまかく精巧に作ったな、よくもまあこんな美しい色が……と二の句が告げないような出土品が次から次へ。気候が乾燥しているせいもあるのでしょう、保存状態の素晴らしさは想像以上のレベルで、古代エジプト文明のすごさ(こんなありきたりの言葉で申し訳ないのですが)にはもう感動するしかありません。

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一つひとつの出土品にまつわる解説は、もちろんその場限りなので、カタログでも買って、日本に帰ってからゆっくり見ればいいと思っていたのですが、期待していたミュージアムショップはほとんど開店休業状態で、これにはがっかり。なんでも、もうじき新しい博物館が完成し、展示品もすべてそちらに移されてしまうのだとか。なるほど、だから、いいかげんな置き方がされていたんだと、妙に納得してしまいました。

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でも、ツタンカーメンの像、それが見つかった部屋に置かれていた棺や宝飾品には度肝を抜かれました。後世のハプスブルク王家やロマノフ王家、ブルボン王家など、どこの国の国王や皇帝ももちろん大変ハイレベルなのですが、古代エジプトのそれにはとてもかなわないのではないでしょうか。

ナイル川の水上レストランでランチののち、オールドナイル地区に立ち寄り、空港まで移動。感動というお土産をたんまり持って、夜には帰途につきます。

アブ・シンベル神殿で朝日を拝んだあとはひたすら砂漠を走る

2016年11月28日

DSC_0766今日は長い1日でした。メインイベントはアブ・シンベル神殿の前から拝む朝日。チョー早起きしていくと、空はどんよりしており、これはダメかと皆、あきらめていました。しかし、日の出の時刻から30分ほどすると、空がうっすら赤く染まってきます。それからはあっという間、太陽が赫々とした光を放ちながら山の間から姿を見せました。湖もそれに合わせて赤い光を反射させ、一気に明るい朝が!

 

世界中どこで見ても朝日は美しいものですが、悠久の歴史を秘めたアブ・シンベル宮殿ですから、テンションもいっそう上がります。衝撃的なシーンを前に、シャッターも数多くは切れませんでしたが、この目で見た神々しい光景は忘れられません。

それにしても、およそ3300年も前に作られた大小2つの神殿、アスワンハイダムの建設工事により本当なら水没してしまうはずだったのに、よくぞ移築に成功したものです。「世界遺産」を守った、人類史上に残る功績ではないでしょうか。祀られているラムセス2世も天上で喜んでいるにちがいありません。

ホテルに戻り朝食もそこそこにチェックアウトし、バスに乗り込みます。ここからアスワンまで、砂漠の中をひた走るのです。エジプトの道路は、車のスピードを落とさせるための突起があちこちに作られています。街中ならともかく、郊外の、左右どちらを見ても砂漠しかないようなところでも、なぜかかならずそれがあるので、時速70~80キロで突っ走るというわけにはいきません。

2時間半ほどのち、ようやくアスワンに到着。ナイル川に浮かぶ小さな島フィラエ島を訪れました。ここには、ほかの神殿に比べると小ぶりなイシス神殿があります。さしものエジプトも、1週間もいると神殿慣れしてしまい、ツアーの面々もテンションが下がり気味。しかし、それでも、壁画に描かれているストーリーはほかとはひと味もふた味も違いますし、建物のこまかな部分には、時代社会が反映されているようです。これもどこかから移動したものだそうですが、古きものをきちんとした形で残そうというのは、西欧人の考えなのでしょうね。

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すぐ近くのホテルでランチを終えると、空港に。ダムで知られる町だけに、ファサードもそれに合わせたおしゃれなつくりです。中もまだピカピカ。ここ数年、内外の観光客の足がパタッと止まっていたため、使用頻度、出入りする人の数も少なかった影響でしょう。いまなお便の数はさほど多くないようで、広いターミナルの中は閑散としていました。

私たちが搭乗手続きを終えたころ、前日当地で試合をした「Al Ahly」というサッカーチームの選手たちの姿が見えました。エジプトのプレミアリーグで過去38回も優勝している強豪で、2015-16年のシーズンも優勝しています。どうやら同じ飛行機に乗るようです。空港の職員やエジプト国内の観光客たちにはなじみの顔らしく、多くの人がカメラを手にしながら待ち受けたり。

DSC_0832同じツアーの人たちも、相手がだれかも知らないのに、ガイドが教えてくれた情報を頼りに、次々と記念撮影をお願いしています。なかでもいちばん多くのファンから声をかけられていたのは、エジプト代表チームの正GKシェリフ・エクラミ選手。女性陣は「イケメン」とみると、どんどん声をかけシャッターを押すジェスチャーを見せながらすぐ隣に立っています。

 

アスワンからカイロまでは1時間ちょっと。飛行機の窓からは砂漠しか見えませんでした。しかし、空港から中心市街に向かう道が渋滞していたため、ホテルまで2時間近くかかりました。ようやく到着したホテルはナイル川沿いに建つリッツ・カールトン。でも、ロビーに入ったとたん、疲れが吹き飛びました。ウェルカムドリンクで出されたザクロのジュースのおいしかったこと。

リッツといえば、昨年だったかシンガポールでひどい目に遭いましたが、ここはまったく違います。ツアーなのでたった1泊しかできないのがなんとも残念。個人旅行なら、最低でも2泊はしたい素晴らしい雰囲気のホテルです。

夕食は、前日のリクエストにもとづき、私たち2人はエジプト料理のコース。豆を多く使うのがその特徴ですが、前菜はやはり豆がメイン。しかし、バリエーションが豊富で、どれを食べても飽きません。メインは肉でしたが、これも当地独特のスパイスが利いていてとても美味でした。久しぶりのツアー客だからということもあるのでしょう、ホテル側のもてなしも通常より気合が入っている感じです。マネージャーや営業担当の上席スタッフとおぼしき人がつきっきりでサービスに務めていました。

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部屋からの眺めも素晴らしいこと。いかにも首都の中心を流れる川らしく、両岸とも華やかな光に満ちあふれています。船をそのままレストランに改造した感じの店もいくつかあり、明日はその中の一つでランチをする予定です。

 

「ワンダラー、ワンダラー」「タカクナ~イ」「アバヨー」「ヤマモトヤマ」

2016年11月27日
どこの観光地に行っても、「ワンダラー、ワンダラー」という声が聞こえてくるのがエジプトです。エジプトの通貨はかつてイギリスの保護国だった時代の名残で「ポンド」なのですが、土産物屋の客引きが口にするのはいつも「ワンダラー」。ワンダラー=1ドルはざっくり100円。かといって、どの店も「100均」なのかというと、そういうわけではありません。要するに、「安いよ、安いよ!」の決まり文句のようなものです。

日本人が相手の場合、その亜流「タカクナ~イ」「ヤスイヨー」を繰り出してくることもありますが、こちらはいまひとつインパクトに欠ける感じ。そうした声かけを無視して通り過ぎようとすると、「アバヨー」という言葉をかけてきます。どこかの日本人観光客が教えたのでしょうが、発音はどれもたいそう達者です。

ギザのピラミッドでは「ヤマモトヤマ」というのも聞きました。日本人観光客を相手にするときの「シャチョウ」は世界共通ですが、ときどき「サトウさん」とか「ヤマモトさん」と固有名詞っぽい呼びかけをされることもあります。「サッポロのスズキさん」とか「ナゴヤのナカノさん」というのも耳にしました。そのバリエーションが「ヤマモトヤマ」なのでしょう。これもどこかの日本人が教えたからにちがいありません。でも、笑えてしまいます。

それにしても、あの手この手で声をかけ、一つでも二つでも買ってもらおうという商魂のたくましさはどこの観光地も同じ。もちろん、そうした言葉につられて店の中に入るほどこちらも甘くはないのですが、声の調子が独特で、そのうちすっかり慣れてしまいました。逆に、何も声をかけられないと落ち着かなくなったりして……(笑)。

DSC_065224・25・26日と3泊したナイル川クルーズも今日で終わり。朝アスワンに到着しました。朝食後、ナイル川をオールドスタイルの帆船(=ファルーカ)に乗って楽しむメニューは楽しかったです。長さ7~8メートル、幅3メートル足らずと小ぶりな帆船の船長は先祖代々の稼業だそうです。クルーズで乗った大きな船でもそれは同じで、民族衣装(ガラベーヤ)に身を包み、ゆったりした感じで舵を取る船長も2代目だと話していました。

ガイドさんの話では、この一帯=ヌビア地方の人たちは気質も言葉も違うといいますが、私たちにはわかりません。ヌビア人はふだんとても物静かなようですが、手先の器用さは素晴らしいらしく、かなり精巧な仕上がりの民芸品を作って売っています。ファルークの中にも置かれていて、いくつか購入しました。

そのあとはバスで市内観光。アスワンの町は、人も車もカイロよりゆったりした感じ。地方都市ですから、そんなものなのかもしれません。途中、石切り場で未完のオベリスクを、さらに、空港近くにあるアスワンハイダムを見学しました。

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DSC_0692アスワン空港から南のアブ・シンベルまでは飛行機で1時間ほど。できて間もないアブ・シンベル空港のターミナルビルはかわいらしい建物でした。そこからバスでレストランへ。ランチを済ませると、ナセル湖の湖畔に建つホテルに。午後2時過ぎと早かったので、ほとんど全員、午睡のようでした。私は仕事をしました。部屋ではインターネットがつながらないので、ロビーやカフェまで行くとすんなりつながります。

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夕方からアブ・シンベル神殿に向かいました。ラムセス2世がこれを造らせたのは紀元前1250年ごろといいますから、3000年以上昔。砂岩をくり貫いた大小2つの神殿が並んでいます。どちらもそのスケールには驚くほかありません。

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夜はこの神殿の前でおこなわれる「光と音のショー」を楽しみました。ギザのスフィンクス前でおこなわれたショーはパスしていたので、今日は私たちも行ってみたのですが、自然の岩の表面を利用してのショーというのはなかなか難しい感じがします。ナレーションが日本語だったのはありがたかったです。

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ナイル川に浮かぶ船の上でHAPPY BIRTHDAY!

2016年11月26日
ナイル川クルーズ2日目。どちらの岸を見ても景色にさほど変化はないのですが。思っていたほど飽きは来ません。まあ、ここまでゆっくりできる時間は、ふだんなかなか経験できないせいもあるのでしょう。

この日の朝は、エドフという街を観光しました。船を降りると馬車が待っていて、それに乗ってホルス神殿まで行きます。時間にすれば10分足らずなのですが、大変なスピードを出して走るので、少し怖い感じもしました。

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ホルス神殿はエジプトに多く残されている遺跡のなかでも、保存状態がとてもいいのだそうです。入口近くの空間は天井や壁が真っ黒で、せっかくの壁画もほとんど見えません。その昔──といっても2千年ほど前のことでエジプト的には比較的「最近」のこと──、キリスト教徒がエジプトに入ってきたころ、台所として使ったため煤で分厚く覆われてしまったためとのこと。しかし、そこ以外は、外壁も含め、素晴らしい壁画や彫刻が堪能できます。

DSC_0582いったん船に戻り、しばらく川を下ったところにあるコム・オンボ神殿が次の訪問地。2千年前にできた神殿なので、エジプトではもっとも新しいというか、ギリシア風のにおいがただよってきます。外壁に彫られたプトレマイオス13世のレリーフの大迫力にはたまげました。

クルージングの旅というのは、船が走っている間はただただボーッとしていればいいので、体も目いっぱいゆるんできます。今日は私の誕生日で、朝からフェイスブックに「おめでとう」のメッセージが次々と届いていました。

夕食も今日で3回目なのですが、適当に変化があり、それなりに楽しめます。そして、今夜はクルーたちが歌を歌いながら、大きなケーキを手に私たちのテーブルまでやってきました。こんなふうにお祝いしてもらったのは、人生でも数えるほど。なんだかんだいっても、祝ってもらえるのはうれしいもの。子どものような気持になってロウソクの火を消しました。

海外で誕生日を迎えたのは30年近く前、マドリッドで経験したことがあります。このときもツアーでしたが、「HAPPY BIRTHDAY」を歌われたときの気分、やはりいいですね。素直に喜べました。今日も同じ。なんだか「明日からまた頑張ろうー」という気分に……というのはウソです。

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「王家の谷」に行きました!

2016年11月25日

今日はいよいよ「王家の谷」の見学です。早朝からバスに乗り1時間ほどで到着。その手前に大きな石造の立っている場所がありましたが、要は、べらぼうに広い土地に墓地を作ったわけで、その入り口というか、玄関のようなものなのでしょう。ガイドさんの話を聞いていると、ひと山丸ごと一人の王の墓、隣の山は王女の墓……といったことのようでした。

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DSC_0400「王家の谷」の本当の入り口まではトラムに乗って。数十も墓があるのですが、そのうち、比較的容易に見られるのはいくつかしかないようで、そうした墓をセレクトしながら観て回ります。棺はたいていいちばん奥に安置されているのですが、そこまではスロープや階段を降りていく途中の壁画の美しさといったらありません。4千年近くも経っているのに、いささかも色彩が衰えていないところもあり、これには驚きました。残念ながら写真は撮れないので(警備員にちょっと袖の下をつかませれば、見て見ぬふりをしてくれるようですが)、絵ハガキを買いました。

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ここではやはり、ツタンカーメンの墓とネフェルタリ王妃の墓が双璧です。ツタンカーメンの墓は驚くほど小ぶりでしたが、そこに副葬品として金銀財宝がびっしり置かれていたのだそうです。その全貌は数日後、カイロの国立博物館に行けばわかるはず。ネフェルタリ王妃の墓は、その壁画の美しさに深く感動しました。つい最近まで観られなかったそうですが、ようやく一般にも公開されるようになったとかで、とても得をした気分です。ここの観覧料はほかのところの数十倍とかで、たしかにそれに見合う価値はありました。

DSCN07343時過ぎに船に戻り、夕食の時間までゆっくりできました。デッキに並べられたソファーや安楽イスにめいめいが寝そべったり体を横たえたり。私にとっては存分にタバコが吸えるので、大変ありがたいひとときでした(船の中はもちろん禁煙)。

途中、川の高低差をクリアするための閘門があり、そこを通過するときはほとんど全員がデッキに上がってきました。9月に旅したフランスのストラスブールでも目にしましたが、さすがナイル川、スケールが段違いです。

 

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息を呑まずにはおれないカルナック神殿の迫力

2016年11月24日
今日は飛行機でルクソールに移動。ルクソールから、ツアーのもう一つのメインといっていい、アスワンまでのナイル川クルーズ(3泊4日)の起点です。

カイロの国内線ターミナルはたいそう立派な建物なのですが、なぜか閑散としています。喫煙所で一緒になったガイドさんの話によると、完成したのは10年ほど前。しかし、「エジプトの春」によって国全体が混乱し始めた5年前から、観光客の足がパタッと止まってしまったため、キャパシティーに見合う利用客がいなくなったということのようです。エジプトは国民の4割ほどが観光関係の仕事に就いているので、この5年間は本当に大変だったといいます。ようやく、ひと月ほど前から安心して観光が楽しめるようになり、関係者もひと安心したところ。これからが稼ぎ時というか、人々の生活も多少は安定してくるのではないかと期待していると語っていました。

ルクソールはカイロから700キロ南にあり、飛行時間は1時間。エジプト航空の飛行機の窓は砂ぼこりで茶色くなっていますが、下を見ると、ほとんど全行程が砂漠の上を飛んでいるのがわかり、それも当然と納得しました。ルクソールの空港ターミナルは素晴らしいデザインの建物で、国が観光に力を入れているのがひしひしと感じられます。

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ターミナルを出てバスに乗り、ナイル河畔の港まで。サトウキビ畑が広がっていて、川もきれいですし、カイロやギザと違い、道端にゴミがほとんどありません。この街に2、3泊してゆっくり楽しむコースもあるようですが、私たちは1泊(ただし船にです)するするだけ。ちょっと惜しいとも思います。

桟橋には川に沿って3隻ずつ、とりあえず6隻ほどのクルーズ船が接岸していました。でも、その後方にも桟橋があり、そちらに向かってくるクルーズ船も見えます。私たちが乗る「アムワジ・リビングストーン」号は川岸から2列目なので、1隻を通り抜けてロビーに入ります。おしぼりと冷たいお茶をいただきほっとくつろいだ気分になったところで、添乗員さんからもろもろ説明を受け、それぞれ部屋に。まだ改装して間もないのか、部屋の中は新しい感じで、快適そうです。

DSC_0285荷ほどきを済ませるとランチ、そして最初の観光に出ました。行き先はナイル川東岸にあるカルナック神殿とルクソール神殿。この2つの神殿、どちらも息を呑んでしまいました。とくにカルナック神殿の壮大さといったら……。よくもまあ、これほど大量の石を高く積み上げ、あるいは切り、何十本、何百本もの柱を立て、そこに大小さまざまな彫刻をほどこし、さらに絵(しかも色付き)を描き文字を刻んだものです。

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DSC_0336古代ローマの建築物もたいそうなもので感動しましたが(ギリシアにはまだ行ったことがないのでわかりません)、これほどの域には到達していないでしょう。まして、日本の城の比ではありません。日本の城はせいぜい10数年で作り上げますが、こちらの神殿は何百年、場合によっては千年以上の時間をかけているというのですから、当然でしょう。しかし、それにしても、です。古代エジプト文明の、静かな、迫力というか奥深さをいまさらながら思い知らされた気がします。

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ピラミッド漬けの1日

2016年11月23日

朝は広い庭を抜けたところにあるレストラン棟でバイキングの食事。砂漠のただ中にあるので、肌寒さすら覚えます。しかし、空気は澄んでいてさわやか。別館から会場まで移動する際に、見えました! かの有名なクフ王のピラミッドが。ホント、目の前にあったのです。

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DSC_0147朝食を済ませると出発。今日はピラミッド漬けの1日です。まずは、ギザから30キロほど南にあるダフスールへ。ここでは「赤のピラミッド」と「屈折ピラミッド」を外から観るのですが、ピラミッドといっても“序の口”の印象。続いて訪れたのは、ギザの方向に戻る途中にある古都メンフィス。ここにはこじんまりした博物館があり、中に、ラムセス2世の巨大な像が横たわっています。

DSC_0103「メンフィス」と聞くと、アメリカ南部テネシー州、エルヴィス・プレスリーの生まれ故郷の名前と同じですが、それはここ、エジプトのメンフィスにちなんで名づけられたそうです。片やミシシッピー川、片やナイル川どちらも大河の河畔にあったからでしょうか。博物館を出た外にあるアラバスター(大理石の一種)製のスフィンクスは、小さいながらも、元の姿をとどめています。ほかにも、さまざまな石像が立っていて、一つひとつ見ていても飽きません。

DSC_0103バスの窓から外に目をやると、どこを走っていてもヤシ(ナツメヤシ)の林、森があり、その間にモロヘイヤの畑が広がっています。道路にはトゥクトゥク(小型のタクシー)がいっぱい。一つ、悲しくなったことがあります。それはゴミの多さ。インドでもそうでしたが、どこの道路も両端はゴミでびっしり。大きなゴミ置き場やボックスもあるのですが、そこは満杯といった感じです。回収車が走っていても、追いつかないのでしょう。しかも、石油原料のケミカルなゴミが目につきます。これがこの先さらに増えていくのかと思うと大変だろうなと考えさせられてしまいました。

DSCN0679メンフィスの次はサッカラ。ここは、ジュセル王のピラミッド・コンプレックスで知られるところです。「コンプレックス」というくらいですから、さまざまな施設が合わさってピラミッドを構成しており、なかでも柱廊の素晴らしさには感動しました。

 

 

 

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DSC_0197昼食のあとは、いよいよ本命のギザへ。これまで写真で何度も見たことのあるクフ王のピラミッドからスタートです。ピラミッドの下に建って見上げると、そのスケールの大きさに驚きます。高さは140メートルほどで、階段を10メートルほど昇ったところに入口がありました。中に入ると、昔耳にした「ピラミッドの中は狭くて、臭い」といった印象はありません。女王の部屋まで行くのにゆるい、でも長いスロープを昇るのですが、このとき中腰の姿勢を保たなくてはならないのがつらかったです。ここはやはり、若いうちに訪れたほうがよさそうです。

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続いてカフラー王、そしてメンカウラー王のピラミッド。合わせて3つのピラミッドがまとめて観られる場所、さらにスフィンクスも。エジプト観光のハイライトで、どこも皆、大変にぎわっていました。最初にギザを観てしまうと、あとは皆「なーんだ」ということになってしまいそうですが、徐々にスケールが大きくなってくるので、感動もひとしお。このあたりがツアーの妙味かもしれません。

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エジプトのカイロまではまる1日

2016年11月22日

 
DSC_0026前日の夜遅く出発したカタール航空(このキャリアは初めてです)は早朝4時半ドーハ着。4時間近く待ってエジプト航空に乗り継ぎ、カイロに降り立ったのは今日の昼前でした。出迎えのバスで中心部まで行き、まずはアズハル公園内にあるレストランで食事。アウトドアなので快適です。地元のタジン料理というやつで、豆がふんだんに使われていました。

 

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そのあとは高台にある城塞シタデルへ。中に入ると、壮大なムハンマド・アリ・モスクが。ドームがいくつも連なり、両サイドにミナレットが立っています。こうしたスタイルのモスクはとても珍しいのだとか。中に入り、床に座ってガイドさんの説明を聞きましたが、座ると、そのスケールの大きさに驚きます。

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次に訪れたのは、ハーン・ハリーリというバザール。ちょっと油断するとすぐ迷子になりそうな、狭く入り組んだ商店街です。水タバコを吸いながらくつろいでいるおじさんがそこかしこにいました。一度体験してみたいのですが、今回、かなうかどうか。

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バザールをあとにして、途中ナイル川を渡りギザ地区へ。今日・明日と2泊する「メナ・ハウス」にチェックインしました。1869年創業の老舗ホテルで、1943年にここで開かれた「カイロ会談」にはルーズヴェルトとチャーチル、蒋介石が出席したとか、第4次中東戦争(1973)の停戦合意を決めたとか、歴史的な政治判断がなされた由緒深い場所だそうです。いかにもといった感じの気品あるロビーから、私たちのグループにあてがわれた別館まで移動。どの部屋からもピラミッドが見えるというのですが、夜だったのではっきりわかりませんでした。

「北前船寄港地」フォーラムで北海道・江差へ

2016年11月11・12日

「江差追分」というのは、中学校のころだったか、音楽の時間に習った覚えがあります。もともとは信州で生まれた馬子唄が越後に渡り、それが北前船の船乗りによって各地に伝えられ座敷唄に変化したものなのだとか。その本拠地・江差で「北前船寄港地」フォーラムが開催されるので取材に。せっかくの機会でもあり、帰りは、3月に開通した北海道新幹線を利用する予定を立てました。

行きは飛行機で函館空港まで。ホテルには4時ごろチェックインできたのですが、抱え込んでいる仕事が山ほどあって、この夜函館市内でおこなわれる「前夜祭」に参加できないのが残念です。翌日のフォーラムもさることながら、「前夜祭」はさまざまな出会いがあり興味深いのですが、やむを得ません。

ただ、夜ひとりで食べに出たラーメンはおいしかったです。8時半を回ったところで、ホテルから東のほうに向かって夕食を食べに出たのですが、予想していたほど店がありません。全国チェーンの居酒屋は論外。屋台横丁のようなところが唯一食指をそそりましたが、これはこれでけっこう入りにくいものです。

仕方なく、駅からほど近いラーメン屋に入ったのですが、たいそうにぎわっており、食べる前から期待が高まります。餃子とセットで食べましたが、しょうゆ味のラーメンはとても美味でした。

DSC01123翌日は有名な朝市で海鮮丼をたいらげ、送迎バスで江差町へ。函館からは峠を越えていくので、1時間以上かかります。途中はほとんど何もありませんが、下り坂にさしかかると、見えてきました、日本海が! 上から見渡す海の景色というのは、とにかく美しいものです。

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DSC01141江差町の町長は全国でも最年少だそうですが、元気いっぱい。「北前船」というツールを有効活用して町の活性化、観光振興につなげていきたいとの意欲と情熱が体の奥深くからたぎっています。といって、ギラギラした風はありません。たしかに、江差の町自体は、近ごろの地方の常で、さびれた感じですが、ここから「北前船フォーラム」がきっかけとなって元気を取り戻せば、素晴らしいなと思いました。

DSC01146夜のレセプションは、そうした熱気がそこかしこにあふれ、なかでも食事のメニューは、地元に古くから伝わるソウルフードが目白押し。それだけでも楽しさいっぱいでした。

翌日は江差のホテルから送迎バスで新函館北斗駅まで。まわりはほとんど何もない場所に建つピカピカの駅のまぶしいこと。5時間余で東京まで戻りました。木古内【きこない】と新青森の間は30分近くトンネルなので退屈ですし、東海道・山陽新幹線に比べれば遅いのは否めませんが、わたし的には「初めて」ということに意義があるので、それもよしとしましょう。

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身も心もすっかり「高校生」に戻った3日間

2016年11月7日

4・5の両日は「大人の修学旅行」。高校時代の仲間が江の島に集まりました。今回は初めて2泊3日というスケジュールでしたが、私自身は前半だけ参加。というのも、5日は秩父宮でラグビーのテストマッチ(対アルゼンチン)を観に行く予定ですし、6日は名古屋で高校3年生のときのクラス会があります。

4日は大船駅近くにある鮮魚店が経営する居酒屋で、魚をしこたま食べました。6人全員、65~66歳だというのに、相変わらずの鯨飲馬食ぶり。かつては私自身もその一員でしたが、さすが胃ガンの手術後は以前のようには飲むことも食べることもできません。それでも、昔の仲間が一緒になってワイワイガヤガヤ飲み食いする中にいると、ふだんよりはすこぶる箸が進み、肝臓もパワーアップするから不思議です。

満腹のはずなのに、居酒屋を出ると駅前のデパートに直行。地下で食材や酒をしこたま買い、めいめいそれを手にして、江の島にあるYくんの別邸までモノレールで移動。もちろん、そこでもまた宴会が始まり、結局1時、2時まで続きました。

翌日、川辺に建つ地元サーファー御用達とおぼしきこじゃれたカフェでゆっくり目の朝食。まあまあ早い時間だったので、私たちのような65歳を過ぎたオヤジが6人いても違和感を与えることはなかったようですが、それでも、その食べっぷりを目にした店員は驚いたかも。

 

食事を済ませるとほかの5人に別れを告げ、そのまま秩父宮へ。アルゼンチンとのテストマッチは残念ながら完敗(20対54)でしたが、以前に比べれば日本代表も着実に強くなったように見受けます。今回の試合はエディー・ジョーンズの後継者ジェイミー・ジョセフが初めて指揮を執りましたが、チームがW杯を終え過渡期に入っているせいか、いまひとつ組織的なまとまりに欠けていました。ここのところ目に着く、インターセプトからのトライも奪われ、残念な結果に。

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この日はいったん帰宅、6日は名古屋へ。ホテルに荷物を置き、池下近くの会場・浅野屋洋食店へ。幹事役を務めてくれている両Kくんが早くも待ち構えていました。恩師のS先生も早めの臨席。総勢15人がそろったとところで午後5時スタート。近況報告というか、めいめいが最近の自分やその周辺のできごとについて語り合い、9時にお開き。

S先生は今年で83歳ですが、たいそうお元気で、帰りもタクシーを断わり、駅に向かってすたすた歩いていきます。ただ、誰かから「健康でいられる秘訣は?」と質問され、恩師はこう答えていました。「食動知休会謝」の6つを実行しているとおっしゃるのです。「きちんと食事を取り、体を動かし、ときどきは勉強し、疲れたら休み、多くの人と会話を楽しみ、そしてまわりの人に感謝する」ということですね。言われてみれば納得ですが、年齢を重ねるとともに、一つ、二つ、できないことが出てくるのが世の常。そうならないうちに、この6つを実行し始めれば、元気に年を取れるということなのでしょう。S先生自身すこぶるお元気ですから、説得力があります。全員、「そうだよね」と納得しました。

最後に、会場を提供してくれた浅野くんご夫妻と一緒に記念撮影。浅野君も同じクラスの一員なのですが、年末いっぱいでお店をクローズするとのこと。昼と夜営業しているのですが、ホールを担当するスタッフが慢性的に足らないのだとか。それでは、お客さんを待たせてしまい申し訳ないし、体力的にも、いまの広さでは少々ハードに感じ始めてきたようです。年が明けたら、適当な時期に、もう少しこじんまりした店を新規にオープンし、無理にない範囲で営業したいとも話していたので、3年1組のクラス会も、このお店では最後ということになりそうです。

さて、とりあえず解散したものの、皆、まだまだ飲み足りない様子。ここまででもかなり酒が入っていますが、うち元気な10人がカラオケに。午前0時をまわったところでフィニッシュとなりましたが、毎度のことながら皆、異常なまでのハイテンションで、ますます意気壮んといった感じでしたが、体力への過信は禁物ということで、完全お開きとあいなりました。