月別アーカイブ: 2016年12月

目の前にあるホテルに行くのもタクシーで

2016年12月28日

というわけで、この時期、ラスベガスの町も大変な込みよう。今朝は、私たちが止まっているVDARAというホテルの隣にあるBELLAGIOのカフェで食事をしましたが、こちらも席に案内されるまで小一時間ほど行列しました。夜も夜で、シーザーズパレスのバフェットに行ったら、なんと「5~6時間待ち」だそうです。とにかく、どこを歩いても、どの店に入っても人、人、人。長年ラスベガスに来ている私たちも、これほど人の多いのは初めてです。

今日は私たちの孫2人は、Hさんの上の娘さん一家と子ども向けのショーに行きました。場所は、私たちが泊まっているVDARAとは、広い通りをはさんだ向かい側のホテルですが、タクシーに乗りました。これはラスベガスならではのことなのですが、すぐ目の前に見えるようでも、歩いていこうとすると、それこそ20分、30分は当たり前。どのホテルもべらぼうに大きく、その中を抜けるだけでも10分、15分かかってしまうからです。しかも、中をよく知っているわけではないので、あっちに行ったりこっちに行ったり。ホテルの外に出るだけでも、すんなりいきません。ラスベガスは、たとえ目の前の場所に移動するのもタクシーのお世話になるのは、そんな事情があるのです。

“断続渋滞300キロ”を体験

2016年12月26日

大量のクリスマスプレゼントに驚かされたショックもさめやらぬ今日は、昼過ぎからラスベガスに向かいました。Hさんの息子さんを除く14人が車3台に分乗し、出発したのは12時。ロサンゼルス近郊にあるHさんの家からラスベガスまでは270マイル=約430キロなのですが、途中のバーストウという街を過ぎると1本道(I-15)でこれが空前の大渋滞なのです。なんと断続的に300キロ(東京から豊橋あたりまで)で、考えられないような状況を呈していました。アメリカで40年近く暮らすHさんたちもここまでひどい渋滞は初めてだそうです。

 

反対車線も、クリスマスを過ごしたラスベガスからの帰りの車がずっと続いていて、夜になってからは、まるで「光の川」が流れているような塩梅。ホテルに着いたのは、なんと夜の11時半を過ぎていました。空いていれば4時間ほどの道のりですから、いかにすさまじい渋滞かがおわかりになるでしょう。それにしても、この「光の川」、写真に撮りたかった! でも、車に乗っていて、ジリジリながら走っているので、かないませんでした。またの機会に……。いや、もうごめんです。

 

これが本場のクリスマス!

2016年12月24日

初めて本場のクリスマス・イブを経験しました。Hさんご夫妻、お2人の娘さん夫婦(4人)+子ども(合わせて3人)、息子さん、私と家人、私たちの娘と2人の子ども(旦那は仕事のため日本で留守番)の総勢15人です。

それにしても、アメリカのクリスマス商戦はさぞかしすさまじかろうということを改めて感じました。クリスマスが近づくと、どの家も大きなクリスマスツリーを飾り、その前にプレゼントを置いていくのですが、イブの日にはそれが全部そろいます。それを見ると、とにかくハンパな量ではありません。その夜集まる人全員のプレゼントが並べられているのですから、当たり前といえば当たり前とはいえ、わが孫どもも、10以上の人からあれやこれやのプレゼント品をもらい目を白黒させていました。

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これとほぼ同じようなことが、全米のほとんど全家庭でおこなわれているわけです。いまさら掛け算などしてみても始まりませんが、それにしても「クリスマス商戦」とはよく言ったものです。まあ、日本のお正月だと思えばわかりやすいのですが、お正月は「物」が行き交うことはありません。お年玉は現金ですし、「物」といってもせいぜい、お年賀のお菓子くらいです。それからすると、具体的な「物」が行き交うアメリカのクリスマスは、ストレートな感じがします。

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37年ぶりのディズニーランドは大きく様変わり

2016年12月23日

朝4時前に目が覚めました。外は雨です。予想最高気温は15度。今日は朝からディズニーリゾートに行きました。8時前に出発し、30分ほどで到着。1979年12月以来なので37年ぶりです。Hさんと、当時5歳だった娘さんと私の3人で行ったのですが、今日はその娘さんとそのご主人、息子さんも一緒で、なんとも不思議なめぐりあわせを感じます。娘さんはそのときのことをまったく覚えていないと言っていました。

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ディズニーランドもその後大きく様変わりしたようです。2001年2月には、正門前の駐車場スペースに「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」が増設、レストランや土産物店が入る商業施設「ダウンタウン・ディズニー」ができたこともあり、駐車場も立体式に作り替えられています。駐車場出口がI-5号線の出入り口と直結するなど利便性もぐんと増したといいます。

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入国するのに2時間待ちとは……

2016年12月22日

夕刻の便でロサンゼルスに向け出発。久しぶりの成田発です。同日朝にロス到着。上空ではわかりませんでしたが、着陸寸前から窓ガラスに水滴が。珍しく雨のようです。気温も低く、東京とほとんど変わりません。

イミグレーション(入国手続き)になんと2時間。相変わらずのスローぶりに呆れます。ブースは50近くあるのに、稼働しているのは半分。スタッフがいても一件処理すると、手を上げて呼んでくれたりはしません。こちらからその前まで行くとすぐ対処してくれるのですが。だれも来ないとなると、そのうち自分からどこかに引っ込んでしまいます。

成田とか羽田で私たちが経験する入管職員の仕事ぶりは日本人が相手なので一概にはいえませんが、それにしても……という気がします。列に並ぶのは仕方ないにしても、それならそれで、並んでいる人数の規模によって職員を増やすとか、ブースを多く開ける(そして、きちんと仕事をさせる)とかしてほしいですね。日本からだと9時間から10時間は、狭い空間に閉じ込められているのですから。マニラやシンガポールなど、もっと長い時間の人もいますし。

でも、それだけでは済まさない、もっとシステマチックな問題がありそうな気もします。ESTAで、こちらの基本的な素性は事前につかんでいるわけですし、機械の前に並んでパスポートを読み取らせ、指紋を取られ、顔写真も撮られ(どうつくろっても、疲れた表情を隠せない、“悪意”の感じられるカメラなのです、これが!)プリント、それを持って窓口に行きます。職員はそれを補う作業をするのかと思いきや、またまた写真を撮ったり指紋を取ったり。同じようなことを繰り返しているので、たっぷり時間がかかってしまうのですね。

ようやく外に出られたのは着陸後ゆうに2時間は過ぎていました。疲れたーーーっ! Hさんご夫妻のお迎えで中華料理店へ。客は中国人がほとんどなので味は信頼できそうです。実際、日本人の私たちの口にも合いました。そのあと同じモールにあるWHOLE FOODS MARKETで買い物。ワンフロアなので、広いこと。買い物を済ませHさんの新居へ。新興住宅地のせいもあって周辺はどの家も広々としており、クリスマスのイルミネーションもそこここに見られます。

床面積が2400スクエアフィート=約223平方メートルといいますから、やはり広い家です。土地はその倍以上、150坪をゆうに超えている感じで、家屋の周りはすべて庭。とくに裏側の庭は、50~60人くらいのガーデンパーティーが余裕でできてしまいそう。

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『広島の力』が配本に!「カープ優勝」さまさま、で~す

 

2016年12月20日

12月16日は広島市内で開催された、あるNPO法人の年末懇親会に出席しました。主催者から、「20分間差し上げるので本の前宣伝をしてください」とのありがたいお言葉を頂戴したので、スピーチさせていただきました。「本」というのは、今日、書店に並んだ『広島の力』(青志社刊)のことです。

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今年の秋、日本のプロ野球は「カープ一色」といった感じでした。もちろん、パ・リーグでも北海道日本ハムと福岡ソフトバンクとの間で激しい優勝争いが繰り広げられていましたが、セかパか、どちらに関心が集まったかといえば。やはり「25年ぶりのリーグ優勝がかかっていた「広島カープ」のせ・リーグでしょう。

 

今年の「流行語大賞」にも輝いた、例の“神った!”というキャッチフレーズが与えられた鈴木誠也選手をはじめ、田中浩輔、菊池涼介、丸佳浩らが大活躍。投手陣もマエケンがいない中、野村佑輔(16勝)やジョンソン(15勝)の奮闘で、8月にはほかの5チームをちぎっていました。こうなると広島市民・県民はチョーが付くハイテンションに。それでなくても熱いファンたちは、優勝を信じ、ほとんど毎日が「マジックナンバー1」状態。盛り場もさぞかしうるおったにちがいありません。

 

9月1日、たまたま仕事で広島を訪れたのですが、2年ほど来ていないうちに、北側の新幹線口も南側も、かなり様子が変わっていました。南側の再開発エリアはすっかり整備されており、高いビルが建っています。52階建てのオフィスビルやら50階建てのマンションやら、ホテルやら、これから2年くらいのうちにどんどん完成していくのでしょうが、ちょっと想像がつきません。巷でよく聞く会話ですが、「ここ、前、何があったんだっけ?」と聞かれると、まず覚えていませんよね。広島の駅前もそうなる日が近いようです。

 

北側と南側とをつなぐ自由通路の工事も一気に加速している様子でした。これまで地下道でしか結ばれていなかった南と北が空中回廊で結ばれるのですから、かなりの大工事のはず。その様子をどうやって説明したら頭を抱えてしまったのですが、「AND BUILD HIROSHIMA」というウェブサイトに、まるで実況中継のような描写があり、「なるほど」と納得させられてしまいます。すごいですね~。

http://ab-hiroshima.com/201609ekikita

「鯉党のひろしま街づくり日記」というウェブサイトにも、詳しく紹介されていました。

http://urbankoikoi.blog63.fc2.com/blog-category-11.html

 

また、北側は以前JRの病院くらいしかなかったのが、「二葉の里地区まちづくり」とネーミングされた再開発事業スタート。テレビ局の社屋はじめ、いくつかの建物がこれからできるようで、塀で囲まれていました。すべてが完成するころには、北側の新幹線口から駅北側一帯が空中回廊を通じて一体化し、それはもう、これまでの広島駅とはまったく装いが一新するのではないでしょうか。

 

そんな「広島」をまた取り上げてみませんかというお話を、旧知の出版社社長から頂戴したのは、9月の初め。「だって、カープ、カープで、いま日本中が大騒ぎですから」と。しかし、それは「いま」(月初めのこと)であって、本を出せるのは、どんなに急いでも年末でしょう。しかも、その間、スペインに行ったりエジプトに行ったりと、20日間くらいは何もできない状況になります。正味はほんのひと月。大丈夫かなとも思いましたが、前作『広島学』以来、「広島」にはぞっこんの私としては、簡単にお断わりする気にもなれません。ということで、タイムリミットを提示したところ、「大丈夫です」とのご返事。

 

ただ、本のタイトルはすぐ決まりました。『広島の力』です。カープが優勝できたのはカープの戦力やスタッフの指導力だけではない、それ以外の目に見えない力が働いているはずだ! というのが私の立てた仮説です。その考えに基づいて資料を漁ってみると、思ったとおりでした。優勝を後押しする力が、カープファンだけでなく、普通の市民・県民の間で、ひょっとすると日本中、いや世界中に散らばっている「広島遺伝子」が発現し、それが目に見えない力として働いた結果、25年ぶりの優勝が実現したのです。

 

全体の構成だけはあらかた決めておき、「せーの!」でスタートしたのは、バルセロナから戻ってから。すでに10月10日を過ぎていました。それでも、資料探し、原稿執筆と、自分でも驚くほどハカが行きます。これはもう『広島の力』以外の何物でもありません。その勢いもあって、予想どおりひと月で書き上げることができたのです。ゲラが出てからも、ページ数を増やしたいとのリクエストがあり、30ページ分ほど書き足しました。版元も、なんとか年内にと、たまたまとやかく言われ始めた「超過勤務抑制」「労働時間短縮」の声をよそに頑張り抜いてくださり、今日、無事配本となった次第。

 

16日の会合では、主催者から「当日の参加者に引き出物として配りたい」とのお話までいただき、書店に並ぶ前段階で早くも120冊がはけてしまいました。この調子で書店でもバンバン売れるといいのですが。

香港で釜飯を楽しむ

2016年12月12日

今日は香港に移動。高速船に乗っているのは1時間なのですが、チェックインやら何やらで2時間半は見ておく必要があります。数年前から「じき完成する」といわれている橋が完成したら、それがぐんと短縮されるはず。早くできないかなと期待しているのですが、なかなか……。なにせ、海の上に、全長35キロですから。

 

夕食はB級グルメでと、油麻地まで地下鉄で行きました。目標は釜めしです。香港でもキホン秋冬の食べ物のようですが、それが1年中食べられ、しかもめっぽうおいしいというので出かけてみることに。店の名前は「四季煲仔飯」。「煲仔飯」が釜めしを意味する中国語のようです。小さな土鍋で作るのですが、その材料が、スペアリブ、鶏肉、しいたけ、チャイニーズサラミ、カエルなど多種多彩。飾り気もなく、完全なのないシンプルな店内にはテーブルが整然と並び、これぞ専門店という雰囲気。飲み物は店を出たすぐ隣にある売店のようなところで買い、中に持ち込みます。もっとも、中国のレストランの常で、ビールとかを飲みながら食べる人は少数派。

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釜めしは注文を受けてから炊くのですが、でき上がりまで最低20分はかかります。その間は「鴨蛋蠔餅(牡蠣入りオムレツ)」を食べている人が多いようです。私たちのすわったテーブルの隣にいた老夫婦もおいしそうに食べていたので、何かと聞いてみると、それでした。私たちも注文したのですが、これは文句なしGOOD!

各テーブルには専用のかけ醤油のボトルがあります。お好みに合わせてアツアツのご飯にかけるのだそうです。

マカオの下町に繰り出す

2016年12月11日

延期に次ぐ延期、2月に行くはずだったのがとうとうここまで延びてしまった香港・マカオの旅。ようやく実現しました。マイレージの特典航空券を利用しての旅なので、いくらでも変更が許されるからですが、行きは羽田から、でも帰りは成田という行程になってしまいました。

 

マカオはいま過渡期に差しかかっているのかもしれません。習近平政権の「腐敗根絶政策」の影響で、かつてマカオのカジノをにぎわせていた怪しげなお金持ちの姿がすっかり減ってしまったからです。そのため、ハイローラーのエリアは閑散としており、普通のエリアも一時ほどのにぎやかさはありません。ここ1年でオープンしたカジノホテルも、当初よりテーブルの数、マシンの数を減らされたせいでしょうか、カジノ内の空間もゆったりした感じで、場所の移動も楽々です。

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それはそれとして、たまには街中にもということで、今日は下町に繰り出してみました。目標は格安フカヒレ料理。新馬路の西側にある長さ約200メートルほどの通り=福隆新街には、赤い格子窓が特徴の長屋に似た建物がズラッと並んでいます。かつては歓楽街だったようで、いまはレストランやお土産店、安い旅館がに気を並べています。その一角にある「添發碗仔翅美食」が目的地でした。

タクシーを降りた真ん前が別のフカヒレの店で、まるで魅入られるようにその店に入ってしまいました。ただ、ここはここでとてもおいしく、しかもメチャ安。店主は1500円くらいのメニューをすすめるのですが、どう考えても量が多すぎる感じがしたので、それより2レベルほど下のもの(900円ほど)にしました。でも、それで正解。お腹いっぱいになりました。食べ終わったあと、近くを歩き始めると、目的地だった店が。大変な行列ができていましたが、こちらは次の機会にということであきらめました。

 

そこから2分ほどのところに缶詰屋さんがありました。看板はすべてポルトガル語なのですが、何を売っているかはひと目でわかります。昔風のゴチャゴチャした造りとは逆の、いかにもいま風の店がまえ。商品棚、また陳列台もとにかく魚の缶詰がビッシリ。どれをとっても、きれいな色と絵のパッケージです。イワシ、サバの水煮、オリーブオイル漬け、サケの水煮が大半を占めていました。値段も400円足らずのものから、高くても600円ほど。デザインの面白そうなものを中心に10缶ほど選んで買いました。

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この店、実はポルトガルの首都リスボンにある缶詰専門店「Loja das Conservas」がアジアに初めてオープンさせたものだそうで、1853年創設のANICP(ポルトガル魚類缶詰製造業組合)によるアンテナショップ。ポルトガル各地のメーカー19社が製造した300種ほどの缶詰を取り扱っているそうです。パリとウィーンの食品スーパーにもコーナーがあって、大変な人気なのだとか。それが初めてアジアに出店したわけですが、けっこう客が入っていました。

歴史の重みに打ちひしがれました! エジプトから帰国

2016年12月1日
昨日(11月30日)の夜、カイロからカタールの首都ドーハを経由して成田に戻りました。カイロの空港を出発したのは29日の夜7時ですから、まる1日以上はかかった計算になります。ドーハの空港はいかにもいま風の設計で、たっぷりお金をかけているのがひと目でわかります。さすが産油国の首都。それに、できてからそれほど年数も経っていないのでしょう。

それにしても、エジプトではよくもまあ、これほど多くの場所を見てまわったものです。チケットの半券を全部集めてみたら、これだけの枚数になりました。入場券なしで入ったところはどこかと思い出してみたところ、帰国当日の昼間見て回った旧「オールドカイロ」くらい。カイロでもっとも古い市街地で、コプト教徒が多く住んでおり、コプト博物館やギリシア正教会の修道院、ユダヤ教のシナゴーグなどがある場所です。ただ、このエリアの入り口にも、警官数人が厳重に警備線を引いていました。

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ちなみに、コプト教とは、キリスト教のなかでも、「東方諸教会」といって、中東・ギリシア・アナトリア・東ヨーロッパに広まった諸教派のうち、エジプトで発展した一派を指すのだそうです。といってもよくわかりませんが、要は、イスラム教が広まるより前に、キリスト教やユダヤ教が入ってきていたのです。

 

 

 

 

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観光スポットをここまで厳重に警備しているのは、エジプトという国が「観光」を頼りにしているから。観光なくしてエジプトは成り立たないはずで、今回のツアーが、日本から同行している添乗員さん、現地のガイドさんのほか、「ツーリストポリス」という耳慣れない人もずっと一緒だったのは、その「観光」をおびやかす存在に対抗してのことにほかなりません。

エジプトには世界遺産が6つもあります。「メンフィスとその墓地遺跡─ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」「古代都市テーベとその墓地遺跡」「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」「カイロ歴史地区」の4カ所は、全域ではありませんが、今回行きました。行っていないのは、「アブ・メナ(地中海に面した港町アレクサンドリアの南西にある、古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心都市)の遺跡」と「聖カトリーナ修道院(シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の修道院)地域」の2カ所です。どれもみな、歴史の長さからすれば、大変ハイレベルの世界遺産ばかり。一つをくまなく見るだけでも、2、3日はかかりそうです。

貴重な世界遺産を守り、なおかつそこを訪れる内外の観光客の安全にも万全の配慮をしなければならない警備陣の責任は重大です。しかし、そこまでしてでも保護しなければならないのがエジプトの観光産業だといえます。

それだけに、観光客の足を一気に遠のけてしまった2011年1~2月の「エジプト革命(アラブの春)」による社会の混乱は、国全体に大きなダメージを与えたようです。しかし、それほど大事な生業を犠牲にしてでも「革命」に打って出た多くの人たちにしてみれば、それまで30年以上も続いたムバラク大統領による独裁体制にはよほど我慢がならなかったのでしょう。人々のそうした心情を思うと複雑な気持ちになります。

しかし、大統領の辞任後、翌年1月以降も、新憲法の制定などをめぐって混乱が続き、結局その翌年7月に軍部クーデターが起こり、ようやく平穏を取り戻したのです。ただ、クーデターが起こったからといって、国内の秩序がすぐさま旧に復したわけではなく、海外からの観光客を受け入れられる態勢が整ったのは、私たちが行くほんのひと月ほど前だといいます。どの観光地の警備線も緊張が感じられたのはそのせいでしょう。場所によっては、軍隊や装甲車が配備されていたことからも、それがわかります。