1日に3連チャンのイベント

2018年1月19日
スケジュールの都合で、今日はえらく忙しい日になりました。午後イチで「写真展 オードリー・ヘプバーン」@三越本店、3時から大相撲初場所@国技館、そしてそのあと6時半過ぎから「ふるさと祭り」@東京ドーム。当初は2イベントだったのですが、大相撲が飛び込みで加わったため、息つくひまもないことになってしまいました。

写真展は、最終日=22日が迫っているとあって、大変なにぎわい。

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膨大な数の写真が展示され、その多くにキャプションが付されているのですが、私は写真もさることながらこちらに心を惹かれました。その中に、
“幸福のこんな定義を聞いたことがあります。
「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって!
わたしが思いつきたかったくらいだわ。
だって、それは真実だもの。“

うーん、名言ですねぇ。ほかにも、「名言」と思しき言葉があちこち掲げられており、ヘプバーンが一介の名女優ではないことに、改めて気づかされました。

それにしても、客の多さには驚くばかりです。1950年代から60年代にかけて活躍したわけですから、ファンの中心は60代以上のはず。実際、70代、80代の人も目につきました。しかも、写真集やクリアファイル、カレンダーなどのキャラクター商品を買うために、彼(彼女)たちがとんでもなく長い行列を作っているのです。まあ、我慢強さにかけては、だれもこの世代の人たちにはかなわないでしょうから、不思議ではありません。

日本橋からタクシーを飛ばして国技館に行くと、こちらもまた人、人、人。今日から横綱・稀勢の里も休場ということでコストパフォーマンスは大きく低下しているのですが……。このところの相撲人気はたいしたものです。

037私が応援している尾車部屋の豪風は負けてしまいましたが、今日の土俵はとても充実していました。朝乃山(今場所絶好調)vs石浦、大翔丸vs阿炎(長身でイケメンが人気のよう)、栃ノ心(体の大きさにはたまげます)vs貴景勝、御嶽海(観客の声援がすごい!)vs北藤富士、嘉風(尾車部屋)vs豪栄道、阿武咲(鮮やかな赤の締め込みが印象的)vs高安と、どの一番も見ごたえがありましたし、結びの鶴竜vs琴奨菊も大熱戦。序盤、琴奨菊の攻めをしのいだ鶴竜が最後寄り切りで勝ったのも、横綱の力を見せつけた感じで大満足。今場所はひとり横綱なので、鶴竜もかなり気合が入っています。

今日の席は西の花道のすぐ脇、目の前には場内アナウンスを流す役員がすわっております。花道の脇には呼び出し衆がひんぱんに出入りし、塩の交換や土俵のお清めに備えていたり、懸賞金を入れた袋を用意したり、結びの一番の前に打つ拍子木や弓取り式用の弓を持ってきたり、懸賞旗を準備したり……。さまざまなことをテキパキと、段取りよくこなしていく場面を間近で目にしました。それ以上に驚いたのは力士の体の大きさ。テレビの画面を通じて見てもそれは感じられますが、目の前で見ると、その迫力がまったく違います。長年大相撲を見ていますが、こんな席は初めてで、貴重な経験をさせてもらいました。

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打ち出しの櫓太鼓を聞きながら総武線に乗って水道橋まで。最後は「ふるさと祭り」です。10年前から始まったイベントですが、一度は行ってみたいと思っていました。ドームに足を運んだのは20年以上前でしょうか。前回はローリング・ストーンズのコンサートでした(2006年)。

中に入ると、予想以上の人が詰めかけています。バックネット前からピッチャーズマウンドのあたりに大きな舞台が設けられ、そこでは各地のお祭りの実演が。これが目玉のプログラムなのでしょう。その裏側から外野エリアのほとんどを占めるのが食べ物と物産品のブースです。北海道から沖縄まで全国から出展していて、どこも皆大変な人気。なかには数十人もの行列ができているところもありました。ここで飲み物・食べ物をそろえ、スタンドに座って祭りを楽しむという流れになっているのでしょうね。

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あまりの混雑ぶりにびびってしまい、早めに引き上げようと出口に向かって歩き始めたとき、舞台のほうから聞こえてくる熱いかけ声に足が止まりました。毎年秋におこなわれるという四国は愛媛県新居浜市の「太鼓祭り」がすさまじい迫力だったのです。山車も絢爛豪華で引き手の男たちも真剣そのもの。急遽方針を変更、スタンドを昇り、イスに腰かけて見惚れてしまいました。その次は「秋田竿燈まつり」で、これもまた実物を見たことがないので、この際と思い、結局7時半過ぎまでいたでしょうか。「竿燈」はさすがたいそうな迫力で、その技には脱帽・感動・拍手。

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ただ、さすがに1日3イベントは、観るだけにもかかかわらず、くたびれました。

「大北海道展」もいいけれど、豚丼はやはり……

2018年1月18日
毎年新春恒例の「大北海道展」(東京・池袋の東武デパート)が後半戦に入りました。デパートのこの種の催しといえば1週間が相場。ところが「大北海道展」は1月10日から23日までの2週間ぶっ通しですから、ハンパじゃありません。

今回は初日、それも朝イチで行ってみましたが、早くも30人以上の行列ができているブースが。昼食にと、帯広名物「豚丼」を買って帰り、自宅で食べました。もちろん、それなりのレベルではありましたが、いまひとつ物足りません。

!cid_722ab9eb-e669-4ade-9c0e-22fc5731693d@apcprd04_prod_outlookそれを今日改めて痛感しました。年に5、6回は足を運んでいる「豚っく」という、ユニークな名前の店が御徒町にあります。銀座から浅草に地下鉄で移動する間がちょうど昼飯どきだったので途中下車して立ち寄ったのですが、東武デパートに出ていた店より断然おいしいのです。値段もさほど変わりません。数年前、道東を旅したとき帯広に泊まり、やはり豚丼を食したことがあります。店の数は10を軽く超えるのですが、帯広出身の友人からあらかじめ情報を仕込んでおいたので、迷わずその店に行きました。ここもやはりおいしかったのですが、御徒町の「豚っく」はその上を行っています。

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客も最近は国際的になっており、これまで中国人、韓国人、タイ人、インド人のそれぞれ数人連れグループと出会ったことがあります。SNSとかでどんどん広がっているのでしょう。

明日の夜は東京ドームでいまおこなわれている「日本ふるさと祭り」に行ってみるつもりですが、ひょっとしてそこでも豚丼に出会うかもしれません。でも、2日続けてとなると、ちょっと気が引けますね。北海道にはまだまだほかにもおいしいものがいっぱいあるのですから。

富士山、スーパームーン、雪、そして孫のインフルエンザ

2018年1月4日
本当は今日から3泊4日で台北に行く予定でした。ところが、一緒に行くはずだった孫の一人がインフルエンザとわかり、急遽中止に。飛行機やホテル、旅行保険のキャンセル手続きに、昨日の夕方から今日の午前中いっぱい忙殺されました。

まあ、それはそれとして、1月2・3日の京都出張も無事終了。なかでも、2日の夜にスーパームーンを見られたのは幸いでした。東京を出たときは大変な好天で、新幹線から見えた富士山もいつになくくっきり。やはり、冬の空、それもお正月の時期は抜けが違います。

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しかし、西のほうから天気が崩れ始めていたようで、京都に着いたころは空もどんより。それでも、ダメ元でスーパームーンを見に、夕食のあと外に出てみました。ホテルの玄関には「根引きの松(京都独特のお正月の松飾り)」といって、根がついたままの松が飾られていますし、下に降りた駅前のロータリーには毎年恒例の華道各流派による大きな生け花が展示され、新春の情緒たっぷり。

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さて、お目当てのスーパームーンは──。少し北に渡ったところで夜空を見上げると、ほんの5分ほどの間でしょうか、雲間からすっと姿をあらわしたのです。思わず、スマホで撮ってしまいましたが、一眼レフや望遠を使って撮るような写真にはなりません。でも、それもまたよしではないかと思います。夜空に浮かぶ月だけを被写体として捉えるのは、好事家やプロに任せればよいわけですから。ただ、さすがスーパームーン。いつもの満月より大きく、明るさも強いのがよくわかります。

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3日の昼は、京都市内でも最北部にある高雄周辺での仕事でしたが、お昼近くから気温がどんどん下がり、雪が降り始めます。帰りがけに写真を撮ってみたのですが、スマホのレンズでも、それをしっかりとらえていました。ところが、バスで駅のほうまで下りていくと、雨の降った形跡はあっても、空はウソのように晴れ、気温もけっして低くはありません。同じ京都市内で、駅から15キロも離れていないのに、400近くメートル上っただけで、こうまで天気・気温が変わってしまうのですね。

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というわけで、株式投資の世界では“戌笑う”とも言われる2018年は悲喜こもごものスタート。この先「笑える」ようなことが続けばいいのですが。さて、どんな年になるでしょうか……。

古代メソポタミアの人たちが食べていたのは……

2017年10月14日

今日は一日でビッグイベントが二つあるという日。場所はいずれも福岡市内でした。

最初は、私のプロデュースした単行本『ルワンダに灯った希望の光 久美子のバナナ和紙』の著者・津田久美子さんが講演される会合です。今年の3月、福岡のユニークな出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」から出版されたこの本の内容については、このブログでも前に触れたので割愛しますが、今日の会は、男女共同参画社会を作り上げようと60年も前から活動している団体が開いたもの。

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60年前といえば、まだ女性が社会に出て仕事をするなどということ自体が珍しがられた時代です。でも、実際はそのころからすでに、近ごろは当たり前のように言われていることを実現しようと行動していた人がいたことに驚きました。

女性が働く、社会に参画するのは、建前として理解できても、いざ自分が……と思うと、さまざまな障害が立ちはだかります。津田さんの場合も40代に入ってから、得意の英語を活かせる仕事に就いていたわけですが、それだけで終わらなかったのが、ユニークなところ。50歳を過ぎてからは、NPO法人を立ち上げ、アフリカのルワンダという国で、新しい「仕事」を生み出す活動にたずさわってきたのです。

資源もそれほど豊かなわけではない国の中で、それまでだれひとり思いもつかなかったことに取り組んだ勇気と実行力、そしてそれを実現するまであきらめない粘りには感服させられます。会合で津田さんのお話を聞かれた方々も大いに共感を覚えたようで、本を出して本当によかったと思いました。

 

夜は、すぐ近くのホテル(といっても、最近増えているホステルスタイルですが)で開かれた、最近話題の『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』という本の出版記念パーティーに参加しました。著者の遠藤雅司さんは、国際基督教大学教養学部で音楽を専攻しましたが、現在は音楽とはほとんど無関係な“歴史料理”の研究をされているとのこと。そして、初めて出されたこの本の販売促進のため、全国各地で「歴メシ」のイベントを開催しているのだそうです。

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今回の会をプロデュースしたAさんは、『博多学』を書くためにおこなった取材の折、ひとかたならぬお世話になった方。“おもしろがり”という部分で、彼女ほどセンスがあり、またそれを実際の形にする力に長けている人はそうそういません。そのAさんが最近とみに興味を引かれたというのがこの「歴メシ」。

 

世界各国の歴史に残されているさまざまな料理を再現するプロジェクトを「出版記念お食事会」と銘打って、Aさんの地元・福岡でもぜひ開きたいということで企画・プロデュースしたそうです。話をちょっと聞いただけで、とても面白いと思った私はすぐに参加をエントリー。ちょうど先の津田さんの講演する日と同じだったので好都合でした。

本の中身は、オリエント世界とヨーロッパ世界の8つの時代に実際に食されていた料理40品のレシピと、当時の食文化や社会背景などを解説したもの。その該博な知識もさることながら、けっして豊富にあるとは思えない資料からレシピを確定させ、それを実際に料理として作って出す努力には脱帽です。

「ヴェルサイユ宮殿の晩餐会」で出されたメニューとか、「中世イングランドの王がふだん食べていたもの」などは、なんとなくイメージできる気もしますが、この日出された「古代メソポタミア」の料理となると、ティグリス&ユーフラテスという川の名前くらいしか知らない私などにはおよそ想像もつきません。

 

この日、食したメニューは次のとおり。●かぶの煮込みスープ ●アカル(ビール風味のパン) ●メルス(古代メソポタミア風ガレット) ●レンズ豆と麦のリゾット ●古代小麦とラム肉のシチューの5品です。世界史の教科書で目にした楔形文字を解読し、そこに記されていたことから推測しながら割り出されたレシピの中には、塩・コショウを使うという記述はまったくなかったそうで、味はもっぱら、コリアンダーやらクミンといった調味料から引き出していたようです。そのため、はっきり言って、現代人の舌には物足りません。

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ただ、そのことは。著者も料理の作り手も十分承知していたのでしょう。私たちの舌を満足させようと、当日はオリジナル版とともに、塩とコショウを加えた現代人向けバージョンを作って出してくれました。豆類、ナッツ、果物など、身近で入手できるあらゆる食材をさまざま工夫することで料理に変化をつけていた様子もうかがえ、貴重な経験となりました。

 

この日の参加者は40人ほどでしたが、20代・30代の人が9割。60歳を過ぎているのは数えるほどで、別段指示されたわけではありませんが、その数人がなんとなくひとところに集まった(イスが置かれていたせいもありそう)のは自然の流れでしょう。正直、メソポタミア料理に舌鼓というわけにはいきませんでしたが、同世代の方々とのお話は、軽やかに舌が回りました(笑)。

「豪風関と語る会」に参加

2017年9月30日

4年前にプロデュースした単行本『人生8勝7敗 最後に勝てばよい』の著者は大相撲の尾車親方。そのご縁で、親方や弟子の方々とも親しくさせていただいているのですが、その一人・豪風関の「語る会」に出席しました。昨年、故郷・秋田県から県民栄誉賞を授賞した豪風関ですが、その1周年記念行事です。

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IMG_2003さまざま興味深いお話を聞かせていただきましたが、いちばん印象に残ったのは、「ベストだと自分で思い込んでいても、そうでないときがある。それは結果としてはっきりあらわれる」という言葉でした。豪風関は今年3月の春場所後、痛めていたヒジの手術を受けたそうです。場所後のことですから、5月の夏場所までは6週間しかありません。その間に回復を待ち、それからはリハビリです。これ以上は無理というほど懸命に取り組み、「自分ではベストと思える状態にこぎつけて夏場所に臨みました。ところが結果は大きく負け越し。「こんなはずじゃ……」と思ったそうですが、すぐ思い直したといいます。「ベストだと思い込んでいた自分が悪い。ケガから回復するのはそんな簡単なことじゃない」と。

 

もちろん、体の状態をいちばんよく知っているのは本人なのですが、実際の結果はごまかしがききません。勝負の世界の厳しさを改めて思い知らされたと語っていましたが、幕内最年長の関取でさえ、そうしたことがあるのです。念には念を入れるというか、いつ、どんな状況にあっても、「ベストを尽くす」のは、そうそう簡単なことではなさそうです。「これで大丈夫」と、ついつい自分を甘やかしてしまう私にとっては、耳の痛いお話でした。

ユニークな秋田美術館と藤田嗣治の巨大壁画

2017年9月29日
明日開催の「豪風と語る会」というイベントに出席するため、秋田にやってきました。会場は、秋田駅に隣接するホテル。私たちもそこに宿泊するのですが、すぐ近くに秋田県立美術館があります。そこでちょうど「特別展 レオナール・フジタとモデルたち」が開催されているのを家人から聞き、せっかくだからというので、観に行くことに。私自身、美術にさほど興味があるわけではありませんが、数日前NHKテレビで、その展覧会のことが紹介されていたのも引き金になりました。

藤田嗣治については、フランスで最も有名な日本人画家ということぐらいしか知りません。その藤田が、秋田の資産家・平野政吉の依頼で描いた「秋田の行事」という壁画が、この美術館に展示されているのです。1937年、平野家の米蔵で15日間、174時間で描き上げたこの壁画、制作当時は“世界最大”(高さ3・65m、幅20・5m)だったとのこと。吉永小百合がその前に立ち、「たった一枚の絵を見に行く。旅に出る理由は簡単でいいと思います」と語る、JR東日本のテレビCMを記憶している方もいるかもしれません。

秋田の行事

たしかに、わざわざ観に行くだけの価値はありました。私も家人も藤田のファンというわけではありませんが、その素晴らしさには息を呑みました。全体が5つに区切られており、その一つひとつに秋田の伝統行事が描かれています。藤田は秋田の出身でもなんでもありませんが、依頼した平野の郷土愛が乗り移ったかのような、藤田の温かな気持ちが込められているのがひしひしと感じられます。

美術館自体も素晴らしいものでした。平成25年9月にオープンしたばかりで、場所は、秋田駅のすぐ近くにある千秋公園(かつて秋田城があったところ)と広い道路をはさんだ向かい側。斬新なコンセプトで設計された建物は、世界的な建築家・安藤忠雄の設計です。

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IMG_19852階にカフェとミュージアムショップが併設されているのですが、カフェのイスに腰をおろすと、目の前に広がる千秋公園の木々や旧県立美術館の建物(これがまた味わい深い外観をしています!)が、1階の屋上に作られた池というか水槽というか、その水面にそっくり映っているのです。

 

 

天気の具合にもよるでしょうが、水と景色の絶妙なバランスに感動しました。立つと、視線の高さにもよりますが、イスにすわったときとは別の角度でそれを楽しむことができ、それはそれでまた興趣をそそります。極端な話、この光景を観に行くためにだけ美術館に入ってもいいといった感じです。今回は「豪風と語る会」の“ついで”にやってきたのですが、ここまで行くと、“ついでの極致”ではないかと思いました。

藤田は1968年に亡くなる数年前、フランス北東部の町ランスの地にある「ノートルダム大聖堂」(フランス3大聖堂の一つで世界遺産にも指定されている)で洗礼を受けたそうですが、こんどパリに行く機会があれば、その“ついで”にぜひ訪れてみたいと思いました。ルイ13世、14世、16世など歴代のフランス国王の戴冠式がおこなわれた由緒深いところです。また、藤田が、スポンサーの依頼で設計した「ノートルダム・ラ・ペ教会」というこじんまりした教会もあるといい、それもぜひ観てみたいと思います。

広島カープの連覇は、「いま」の時代を象徴する出来事

2017年9月20日

 広島カープが昨年に続き、セ・リーグ優勝を果たしました。シーズン初めからほぼ独走に近い状況で、ほとんど危なげのない横綱野球。他球団には打つ手がない感じで、古い話で恐縮ですが、ジャイアンツのV9時代を彷彿させます。

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でも、決定的に違うのはカープが名実ともに「市民球団」であるということ。V9時代のジャイアンツは、言うならば「国民球団」でした。ジャイアンツが存在しなければ日本のプロ野球そのものが成り立たなかったのです。ジャイアンツが勝つことで日本の経済がまわっていたかのような感すらしました。もちろん、勝負ですから八百長とか出来レース的なことはなかったにしても、ほかの球団はジャイアンツの露払い・太刀持ちといった域に自分たちの立ち位置をとどめていたように思えます。もちろん、ファンも同じ。誤解を恐れずに言うなら、審判も、役人も、メディアもその後押しをしていたのではないでしょうか。

そんな日本のプロ野球がいつしか嫌いになった私は、大リーグに興味を持ち始めます。すると、野茂英雄が単身でチャレンジしたではありませんか! 他人事ながら、これほどうれしいことはありませんでした。

大リーグと当時の日本プロ野球との決定的な違いは「フランチャイズ」についての考え方です。日本では、企業やメディアが「フランチャイズ」でした。もちろん、東京とか大阪とか名古屋とか、大きな都市に本拠地球場を持ってペナントを戦ってはいましたが、それは便宜上であって、「地域」がある球団をバックアップしていたわけではありません。その地域に拠点を構える企業やメディアがサポートすることで、球団の経営も成り立っていたにすぎません、それが先に記したような「ゆがみ」の元でした。

ところがアメリカ大リーグは、それとは真逆と言うか、まったく次元が違っていました。どの球団も「地域」、それも「住民」が球団をバックアップしていたのです。その典型例が、これは野球ではありませんが、NFL(アメリカンフットボール)のグリーンベイ・パッカーズです。本拠地は、シカゴの北300キロほどのところにある小さな町グリーンベイ(ウィスコンシン州)。人口は10万余ですから、北米4大プロスポーツリーグの中で最も小さいフランチャイズです。

 

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「パッカー」とは缶詰工という意味しています。チーム結成当時は地元の缶詰製造会社から援助があったからその名がつきました。人口10万余というと、広島県の三原市とほぼ同じです。その三原市で、サッカーでもバスケットボールでもいいのですが、たとえば「三原オクトパス(=たこ)」というプロスポーツのチームが存在し得るでしょうか。

パッカーズはそれでいて、リーグ最多の優勝13回(2016年現在)。スーパーボウルでも4回優勝しています。昨年でなんと創立100周年を迎えました。何より素晴らしいのは、これが完全な“市民球団”であることです。プロスポーツ先進国のアメリカでも、一般市民が100%の株式を保有しているチームは一つしかありません。パッカーズの場合、1960年以後、ホームグラウンド(1シーズン8試合)での試合の入場券は毎年すべて完売。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中でいちばん多い(6万5000人以上)。シーズンチケットの入手までには40年かかるといいます。このため、ファンがシーズンチケットの購入権を相続する人を遺言で指名することも珍しくないのだとか(写真はMilwaukee Journal Sentinel 掲載されたもの)。

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広島カープに、それに似たようなところがあります。詳しくは拙著『広島の力』に記しましたが、広島市内の公立小中学校では、子どもたちが「広島カープ」を素材にして勉強しているそうです。全国どこにもこんな例はありません。いや、世界的に見てもないのではないかと思います。唯一、そういう可能性がありそうなのがグリーンベイです。これくらいの町ですから、学校教育の中にそうしたことが取り入れられている可能性もありそうです。

 

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パッカーズほどではないにしても、広島の人々にとってカープは生活の一部といっても過言ではありません。仕事も学業も、家事も何もかもがカープの勝ち負け、強い弱いに深く関わってくるのが広島の人たちです。こう書くと、なんだかファナティックな印象を与えるかもしれませんが、もちろん一般社会の常識は踏まえてのことです(といっても、広島、また西日本では、全体的にそのタガはゆるいでしょうが)。そうしたことによって生まれる空気が、選手の、監督・コーチに影響しないわけがありません。

 

その市民の応援を受けてセ・リーグを連覇したカープ。そのエネルギーが「国民球団」だったジャイアンツをもしのぐのは、いかにもいまの時代を象徴しているように思えます。小さくても大きくても、「地域の住民」に根差していないスポーツはいずれ朽ち果ててしまうのではないでしょうか。

自民党よりひどい負け方をしたサンウルブズ

2017年7月3日

今朝はどの新聞、どこのテレビも、「都議選 自民が大惨敗!」のニュース一色。でも、その陰で、スポーツ欄の「サンウルブズ94失点」という記事が目に止まりました。試合があったのは日本時間の2日未明で、新聞報道は3日の朝刊になってしまいますが、とりあえず結果だけは知っていたので、どんな記事が出るのか注目していたのです。

朝日は10行ほどのベタ記事、日刊スポーツも2段の扱いでしたが、なぜか日経が4段も割いていました。ここ2、3年、日経のスポーツ欄はとても充実しています。今朝の記事は共同の配信でしたが、スポーツ紙より多くのスペースを割いていたのに感心させられます。

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記事は試合経過だけでなく、「スクラムで圧倒された」「防御ももろく」など、敗因を的確に分析。また、「プレッシャーが強く、どこか弱気なプレーでミスが多くなった」という若手FW・金正奎のコメントを引きつつ、「代表強化を掲げるチームは選手層拡大のため、主力選手の休養時には若手に経験を積ませている」と。25歳の金は、体は小さいながらもかなりのレベルを行っていますが、今季12勝1敗のライオンズにはまったく歯が立たなかったということでしょう。選手層の薄さが、これまでで最大の失点=94点(14トライ)という屈辱的なスコアになってしまいました。JSPORTSでの再放送も、とても観る気にはなれません。

先週のアイルランドとのテストマッチも、いかんともしがたい地力の差を感じましたが、今週はなんだかそれ以上の絶望感に襲われた私。あと2年間でどこまでその差を縮めることができるのか、どうにも心配です。

ちぐはぐ、イライラ──でも、それが地力の差

2017年6月24日

調布の味の素スタジアム。今日は、2年後のW杯予選プールで同じ組に入るアイルランドとのテストマッチ第2戦です。そのプール分けをした際、アイルランドとスコットランドの2カ国だけは決まっていて、残りの2カ国はもうしばらく経ってからになります。たぶんルーマニアと、南太平洋のどこかといった感じでしょうが、早くも「これなら行ける」などと言っている人もいるようです。

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IMG_1035★先々週は“仮想敵国”ルーマニアに勝ちました。でも、先週のアイルランドとの第1戦はボロボロ。前半を終わって31対3でしたか、スマホでその情報を知ったときは「やっぱりなぁ」とガックリ。それでも、1週間後の今日はメンバーも大幅に入れ替わり、多少は期待を持たせます。

しかし、しかし。開始3分で早くもトライを取られてしまいました。それも取られ方が悪いんですね。パスをインターセプト気味にカットされ、そのまま60mほど走られてでした。油断もスキもないと言ってしまえばそれまでですが、このパターン、JAPANに多いのです(サンウルブズよりは多少ましではありますが)。

その5分後、日本サイド25mライン中央付近から右に展開しキック、それをキャッチしたアイルランドがそのまま右隅に飛び込んでトライ。ようやく24分、中央から走ったロックのヘルが、タックルされながらも7、8メートル相手を引きずって(これは迫力ありました!)ゴールライン近くまで持ち込み、そこから右に展開し、最後は松島が右隅にトライ。前半は8対28でした。

後半は世界ランキング3位のアイルランドとほぼ互角の戦い。前半もそうでしたが、この日はディフェンスが冴えていました。敵の足もとに1人がタックルすると、上半身にも1人と、粘っこさを感じさせます。でも、オフェンスがどうにももたもたしていて、切れが感じられません。それと、ハンドリングのミスも目立ちました。

DSC02610★主力メンバーがちょうど同じタイミングでNZに遠征している「ブリティッシュ&アイルランド・ライオンズ」のほうに取られているため、来日しているのは“1・5軍”です。しかも、気象条件は日本のほうが有利。試合の時間帯もなぜかいちばん暑い日中で、前半からもう少し健闘してくれてもいいはずなのですが……。

 

 

 

IMG_1042★これでアイルランドとのテストマッチは1985年以来9連敗。この秋、フランスやオーストラリとのテストマッチが予定されていますが、このクラスと戦うときはイージーミスや無用なペナルティーは許されないのです。もちろん、選手もコーチもそんなことは百も承知でしょう。でも、ナショナルチームとしての“歴史的な実力差”を少しでも埋めようとするには、「いま」を濃密に戦うしかありません。2年や3年で100年近い差を詰めることなど、土台無理な話ですから。がんばれ、JAPAN!!

 

 

 

ガトリンを観に行ってきました

2017年5月21日

川崎にある等々力競技場に初めて行きました。「セイコーゴールデングランプリ陸上」の観戦で、アメリカのジャスティン・ガトリン(男子100m)が見られるというので、けっこう派手に宣伝していました。

今年35歳のガトリンは“悲劇の主人公”的なアメリカのアスリート。2004年のアテネで金メダル、2005年のヘルシンキ世界陸上では100・200で優勝。ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が出現する前はまさに短距離界の王者でした。ドーピング検査でひっかかり、出場停止処分を過去2回受けていますが、2012年のロンドン五輪では100で銅メダル。4×100リレーでも2位でしたが、このときはタイソン・ゲイがドーピングでひっかかりメダル剥奪。

2013年のモスクワ世界陸上、100mで銀メダル。2015の北京世界陸上は100・200でともに2位。2016年のリオ五輪でも2位(200は準決勝で敗退)。ひとつ上にいたのはいつもボルトです。

朝から猛烈な暑さで、私も家人もなんだかぼーっとしている感じ。池袋から武蔵小杉までは湘南新宿ラインであっという間に着いたのですが、競技場まで行くバス乗り場えらくっといのです。北口と南口がえらく離れていたため、構内を10分近く歩いたでしょうか、やっとという感じでバスに乗り到着。

DSC02497ところがチケットを家に置き忘れてきたようです。「せっかくいい席のチケットを買ったのに!」。でも、だからと言って帰るわけにはいきません。仕方なく、当日・自由席券を買って入りました。ギラギラの太陽光の直射もなく、まあまあの席だったのは皮肉でしたが。

 

 

DSC02502★さて、ガトリンを迎え撃つのはケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、アブドゥルハキム・サニブラウン(今年の秋からフロリダ大学)の日本期待の若手3人。桐生祥秀(東洋大)と山縣亮太(セイコー)の姿はありません。結果はリオ銀メダルのガトリンが10秒31で1位。飛鳥は100分の3秒差の2着でした。サニブラウンはスタートで出遅れ、10秒42で4位でした。

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10秒35で3位に入った多田はレース後、ガトリンから「素晴らしいスタートを切った男がいて、驚いた」と褒められたそうです。

もう一つ、見てよかったのは男子400mハードルの安部孝駿(デサントTC)。世界陸上参加標準記録(49秒35)を上回る49秒20で走りました(2位)。これまでのベストが49秒台後半でしたから、これは期待できます。男子ヤリ投げの新井涼平はいいところなし。世界陸上、大丈夫でしょうか。

大関になりそうな髙安

2017年5月18日

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久しぶりの大相撲観戦。稀勢の里人気で、ここのところチケットがなかなか取れないのですが、あちこちツテをたどってお願いし、キャンセルになった今日のペア・マス券をGET! 稀勢の里の土俵入りも、まだキャリア不足の感は否めないものの見ることができました。

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DSC02488家人とともに私がひいきにしている嘉風は、ここのところ力をつけてきた関脇・玉鷲に押し出しで敗れましたが、今場所の注目は関脇・髙安。ここ2場所続けて素晴らしい成績を残しており、今場所11勝をあげれば大関昇進間違いなしというところまでやってきました。人気先行気味の遠藤に寄り切りで勝ち、場内は大歓声。どうやら大関は大丈夫でしょう。

 

終わったあと、国技館近くにある話題の和菓子屋さんに立ち寄り、人気商品の「力士もなか」を買って帰りました。

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現場に行くと、創作意欲もぐんとアップ

2017年5月13日

昨日はフォーラムの本番。昼過ぎからえんえん5時間。第1部から第4部まで続きましたが、充実した内容でした。話を聞きながら、私の頭はめまぐるしく回転、これまで考えていたような内容ではダメだと反省、本のタイトルから構成など、すべて考え直さなくてはと、必死でメモを取ったり、思いついたことを書き出したり。あっという間に閉会時刻を迎えました。

そのあとのレセプション、二次会、三次会も楽しくも充実し、意義深い1日となりました。

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「現場」にいることがいかに大切か、改めて思い知らされた次第。これから2カ月余で書き上げることができるのかやや心配もありますが、チャレンジするのが楽しみです。淡路島のホテルから新神戸まではバス。昨晩から雨が降り始めたのですが、気持ち的には晴れ晴れしており。帰路の新幹線の車中でも、頭と手はフル回転。なんとなく希望の明かりが見えてきました。

西池袋にブルックリンがやってきた!

2017年4月22日

「朝食は1日のほぼ最高のパートでした。前日の夜を通り抜け、新しい1日に向かって心と体をシャキッとさせる、摩訶不思議といってもいい感覚がありました」。アメリカ南部ヴァージニア州出身のエドゥナ・ルイスという黒人女性料理家の言葉のようです。いいですね~、そのとおり! おいしい朝食を食べれば、1日が元気に心地よく過ごせるのは間違いありません。

IMG_0652そんな思いを抱いている人たちをターゲットにした「egg」というおしゃれなレストランが昨日、西池袋にオープンしました。場所は池袋消防署の隣、「としま産業振興プラザIKE・Biz」(旧勤労福祉会館)の1階です。建物の名前が変わるとテナントまで変わる──わからないでもないのですが、ニューヨーク、それもおしゃれで高感度な人たちが多く住んでいるというので最近人気急上昇中のブルックリンに本店がある店となると…。

 

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本店の創業は12年前。オーナーの友人が営むレストランが営業していない時間帯(朝から昼)に、アメリカ南部の伝統的な朝食メニューを提供するスタイルでスタートしたのだとか。

南部の朝食といえば、卵、牛乳、砂糖、小麦粉をふんだんに使った料理。パンケーキ、フレンチトーストにフライドエッグかスクランブルドエッグかポーチドエッグ+ベーコンかソーセージかポテトを添えてといった感じでしょうか。でも、いちばん力を入れているのは店名に象徴される卵料理。卵大好きの私としては期待がいっぱいです。

私と家人と下の孫の3人で、待つこと30分。それほど大きくはありませんが、すっきりした内装の店内は、いかにも新開店といった空気。初々しさが感じられます。アメリカからやってきたオーナーとシェフがときおり店内の様子をチェックしたりして、緊張感もあります。

IMG_0657この店の「一番人気」というエッグロスコ。「デニッシュ生地で作った食パンの真ん中に卵を落とし、ホワイトチェダーチーズで焼き上げた」料理です。これにキャンデーベーコンなるものを添えてもらいました。味ですか? 感動とまではいきませんが、朝の気分を思い切り変えたいときにはいいかも。

ところで、冒頭の言葉は、入ってすぐ正面にある黒板に書かれていたもの。でも、それを実行するには、「うーん」と言いたくなるようなお金を払わなくてはならないのです。

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十両・宇良の相撲に感動

2017年1月11日

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昨年9月以来の大相撲観戦です。土俵までの距離がわずか6、7メートルと、とてもいい席で観られ、まずそれだけで感動。そこへまた、別の感動が加わりました。十両東3枚目の宇良です。

 

関西学院大出身で、昨年の春場所、幕下付け出しでデビュー、夏場所(5月)に十両に昇進しまだ1年足らずですが、学生相撲のときから「居反(いぞ)り」が得意なユニークな力士と知られていたとのこと。身長173センチ、体重128キロと体は小さいのですが、俊敏さと体の柔らかさは、いまの関取の中ではナンバーワンではないでしょうか。

 

この日の相手は東筆頭の豊響。丁々発止の攻め合い・守り合いが続き、巨漢の豊響(185センチ・184キロ)に上からのしかかられるように土俵際まで寄られ、もうダメかと思いました。ところが、体を思い切り沈めたところから、バネのようにしならせながら上体を起こし、そこから逆攻勢に。最後は「わたしこみ」で豊響を土俵下に沈めました。体の柔らかさには定評のある宇良ですが、今日はその真骨頂が出た感じで、客も皆大喜び。小兵が大きな力士に勝つ面白さを堪能させてもらいました。こういうことがあるので、大相撲は楽しいのです!

 

なお、私が個人的に応援している尾車部屋の関取(十両の天風、幕内の豪風と嘉風)3人は、今日は全員負け。残念でした。あと、御嶽海は結びの一番で横綱・鶴竜を圧倒。強かったですよ。いつにも増して目立った外国人の観客(私の席のすぐ前も黒人の女性でした)も、今日はめいっぱい楽しめたのではないでしょうか。

37年ぶりのディズニーランドは大きく様変わり

2016年12月23日

朝4時前に目が覚めました。外は雨です。予想最高気温は15度。今日は朝からディズニーリゾートに行きました。8時前に出発し、30分ほどで到着。1979年12月以来なので37年ぶりです。Hさんと、当時5歳だった娘さんと私の3人で行ったのですが、今日はその娘さんとそのご主人、息子さんも一緒で、なんとも不思議なめぐりあわせを感じます。娘さんはそのときのことをまったく覚えていないと言っていました。

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ディズニーランドもその後大きく様変わりしたようです。2001年2月には、正門前の駐車場スペースに「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」が増設、レストランや土産物店が入る商業施設「ダウンタウン・ディズニー」ができたこともあり、駐車場も立体式に作り替えられています。駐車場出口がI-5号線の出入り口と直結するなど利便性もぐんと増したといいます。

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身も心もすっかり「高校生」に戻った3日間

2016年11月7日

4・5の両日は「大人の修学旅行」。高校時代の仲間が江の島に集まりました。今回は初めて2泊3日というスケジュールでしたが、私自身は前半だけ参加。というのも、5日は秩父宮でラグビーのテストマッチ(対アルゼンチン)を観に行く予定ですし、6日は名古屋で高校3年生のときのクラス会があります。

4日は大船駅近くにある鮮魚店が経営する居酒屋で、魚をしこたま食べました。6人全員、65~66歳だというのに、相変わらずの鯨飲馬食ぶり。かつては私自身もその一員でしたが、さすが胃ガンの手術後は以前のようには飲むことも食べることもできません。それでも、昔の仲間が一緒になってワイワイガヤガヤ飲み食いする中にいると、ふだんよりはすこぶる箸が進み、肝臓もパワーアップするから不思議です。

満腹のはずなのに、居酒屋を出ると駅前のデパートに直行。地下で食材や酒をしこたま買い、めいめいそれを手にして、江の島にあるYくんの別邸までモノレールで移動。もちろん、そこでもまた宴会が始まり、結局1時、2時まで続きました。

翌日、川辺に建つ地元サーファー御用達とおぼしきこじゃれたカフェでゆっくり目の朝食。まあまあ早い時間だったので、私たちのような65歳を過ぎたオヤジが6人いても違和感を与えることはなかったようですが、それでも、その食べっぷりを目にした店員は驚いたかも。

 

食事を済ませるとほかの5人に別れを告げ、そのまま秩父宮へ。アルゼンチンとのテストマッチは残念ながら完敗(20対54)でしたが、以前に比べれば日本代表も着実に強くなったように見受けます。今回の試合はエディー・ジョーンズの後継者ジェイミー・ジョセフが初めて指揮を執りましたが、チームがW杯を終え過渡期に入っているせいか、いまひとつ組織的なまとまりに欠けていました。ここのところ目に着く、インターセプトからのトライも奪われ、残念な結果に。

DSC01099表参道

この日はいったん帰宅、6日は名古屋へ。ホテルに荷物を置き、池下近くの会場・浅野屋洋食店へ。幹事役を務めてくれている両Kくんが早くも待ち構えていました。恩師のS先生も早めの臨席。総勢15人がそろったとところで午後5時スタート。近況報告というか、めいめいが最近の自分やその周辺のできごとについて語り合い、9時にお開き。

S先生は今年で83歳ですが、たいそうお元気で、帰りもタクシーを断わり、駅に向かってすたすた歩いていきます。ただ、誰かから「健康でいられる秘訣は?」と質問され、恩師はこう答えていました。「食動知休会謝」の6つを実行しているとおっしゃるのです。「きちんと食事を取り、体を動かし、ときどきは勉強し、疲れたら休み、多くの人と会話を楽しみ、そしてまわりの人に感謝する」ということですね。言われてみれば納得ですが、年齢を重ねるとともに、一つ、二つ、できないことが出てくるのが世の常。そうならないうちに、この6つを実行し始めれば、元気に年を取れるということなのでしょう。S先生自身すこぶるお元気ですから、説得力があります。全員、「そうだよね」と納得しました。

最後に、会場を提供してくれた浅野くんご夫妻と一緒に記念撮影。浅野君も同じクラスの一員なのですが、年末いっぱいでお店をクローズするとのこと。昼と夜営業しているのですが、ホールを担当するスタッフが慢性的に足らないのだとか。それでは、お客さんを待たせてしまい申し訳ないし、体力的にも、いまの広さでは少々ハードに感じ始めてきたようです。年が明けたら、適当な時期に、もう少しこじんまりした店を新規にオープンし、無理にない範囲で営業したいとも話していたので、3年1組のクラス会も、このお店では最後ということになりそうです。

さて、とりあえず解散したものの、皆、まだまだ飲み足りない様子。ここまででもかなり酒が入っていますが、うち元気な10人がカラオケに。午前0時をまわったところでフィニッシュとなりましたが、毎度のことながら皆、異常なまでのハイテンションで、ますます意気壮んといった感じでしたが、体力への過信は禁物ということで、完全お開きとあいなりました。

読売に出た拙著の書評に感動・感心

2016年10月23日
朝、携帯に友人からメールが入りました。「今日の読売に、この前贈ってくれた本が出ていますよ」とのこと。さっそく、家人にコンビニまで走ってもらい、読売を買ってきてもらいました。

読売新聞は10・11面が読書欄。その11面の下、「記者が選ぶ」というところに『「いい夫婦」の旅術』が紹介されています。書評も、上の大きなスペースに、カバーの写真入りで紹介されているのは、どちらかというと‟重たい”系の本が多いのですが、それ以外のところはどちらかというと軽い感じで読めるもの。当然そこに入っていたのですが、これが、とてもよく書かれていて、感動・感心しました。通りいっぺんの紹介でなく、じっくり読んでくださったことがひしひし伝わってくるのです。

「中高年世代のリアルな距離感も伝わってくる」「異国に分け入っていくなら、やはり気心の知れた相手と一緒がいいはずだ」「長年連れ添うことの意味も教えてくれる一冊」と、著者である私がこの本に込めた思いを的確に表現してくださっています(ごく自然に、敬語がでてきてしまいます!)。ある意味、書評のお手本というか、目に止めてくださった方は、すぐ「アマゾン」のウェブサイトにアくセスしたくなるのではないかと思ったしだい。本当にそうだといいのですが……。紹介してくださった「旗」さん(筆名)という記者さん、ありがとうございました!

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バルセロナのキリンに会いにいってきました。

2016年10月3日

DSC_0584昨日は旅の“中休み”。のんびり動物園に行きました。もちろん、キリンに会いにです。いました~~!! ここのキリンは、これまであちこちで行った動物園のキリンの中でもいちばん愛想がよかった気がします。ラテン系で人懐っこいのかなぁ。写真を撮る段になると、私のすぐ後ろまで近づいてくるのです。おかげでかなりアップめのショットが撮れました。

 

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そして今日は“ガウディ詣で”。1発目は「カサ・バトリョ」。ガウディが増改築を手がけたそうです。もともと大金持ちの邸宅だったというだけあって、隅々まで贅が尽くされています。その増改築ですから、オーナーは「好きにやってくれ。いくらかかってもいいから」といった感じだったのでしょう。凝りに凝った造りでした。

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次はそのほぼ斜向かいに建つ「カサ・ミラ」。こちらはいまでいうマンションです。ここの屋上は見ごたえがありました。マンションの屋上に作られた美術館といった趣でしょうか。いくらいても飽きません。

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バルセロナの目抜き通り=「ランブラス通り」を少々北にいったところにある「サン・ジュセップ市場」でランチにしました。“雑駁+香り+元気”という、市場らしい面白さがふんだんに詰まっています。それらがみごとにミックスし、陽性のエネルギーが建物の隅々にまで行き渡っている感じがしました。

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食後は、人でごった返している「ランブラス通り」をぶらぶら歩き。「レイアール広場」などに寄りながら歩いているうちに港まで来てしまいました。ちょうど、港の中を軽くクルージングする船が出るところだったので、それに乗ることに。小一時間の船旅でしたが、風が気持ちよく、けっこう楽しめました。巨大なクルージング船も停泊しましたが、なるほど街中どこに行っても混んでいるはずです。

 

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夜は「カタルーニャ音楽堂」へ。この前見たとき「ぜひ一度」と思いネットで調べてみたら、この夜のコンサートのチケットが売り出されていました。壁から天井から床から、とにかくどこを見ても贅が尽くされています。

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「こち亀」展を見にいってきました

2016年9月14日

今年の春先からずっと楽しみにしていた「こち亀(秋本治のギャグ漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)」展。今日から日本橋髙島屋で始まりました。デパートでの催し物といえば普通は1週間ですが、「こち亀」展はその倍、26日まで開催されるそうですから、やはりただものではありません。

午前中はメディアの取材をともなう行事(オープニングセレモニーや「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ(200巻)」のギネス認定証の授与式)があったようですが、私が行った午後3時過ぎはすっかり落ち着いていました。入り口を入ったところで写真を撮ろうとしたら「NG」とのこと。

連載スタートは1976年9月。最初のうちは、この当時人気だった『がきデカ』の作者・山上たつひこをもじった「山止【やまどめ】たつひこ」というペンネームを使っていましたが、山上本人から苦情が来たために連載100回目から本名の「秋本治」に変えたというユニークなエピソードもあります。たしかに、あんまりといえばあんまりではありますね。

 当初は主人公の両津勘吉、同じ派出所に勤務する中川圭一、秋本麗子、所長の大原大次郎の4人を中心に破天荒なストーリーが展開されていましたが、人気が出てくるとともにどんどん世界が広がっていきました。『少年ジャンプ』本誌で読んだのは1980年ごろまでで、あとは単行本になるのを待ちつつ、結局100巻まで読み続けました。それが今年の9月最終回までで200巻(1960話)になるというのですから、たしかに驚異的です。

内容のハチャメチャさでは、ほぼ同じ時代の作品・どおくまん作『嗚呼!!花の応援団』とどっこいどっこいだと思っていますが、こちらは全15巻で終わってしまったので、『こち亀』の足もとにも及びません。

「こち亀」展のほうは、会場の中にフォトスポットも用意されていました。

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出口前には広いグッズ売り場もあり、私も「読売新聞こち亀版」とクリアファイルを2つ購入。「読売新聞こち亀版」は10ページ建て傑作なアイデアではないでしょうか。スポーツ面の「五輪新種目カン蹴りで両津勘吉が金メダル」には噴き出してしまいました。漫画とオーバーラップするアイデアがいいですね。それにしても、たった一人、たった一作品で2週間も老舗デパートの展示スペースを使ってしまう秋本治・「こち亀」はすごい!

 

 

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「9・11」から15年目、そのご遺族が開いた催しに

2016年9月4日

自宅から車で15分、中野駅にも近い、閑静な住宅街の一角に目的地がありました。区立なので、「産業振興センター」とものものしい名称なのですが、たいそう立派な建物で、利用者がひっきりなしに訪れています。

玄関を入ってすぐ左のコーナーに目をやると、真っ先に大きなアメリカ国旗が目に入ってきます。15年前の9月11日、ニューヨークで起こった同時多発テロの写真などを集めた展示会がおこなわれていました。

この催しがおこなわれているのを知ったのはまったくの偶然。家人が1週間ほど前、夕方のニュースで紹介されているのを見たからです。主催者の住山一貞さんのご長男(当時34歳)はその日、世界貿易センタービルの中にある勤務先で惨事の犠牲となられたとのこと。

昨年9月11日、家人と二人で「9・11」を追悼するイベントに参加しましたが、その日最初の行事は亡くなられたご長男が住まわれていたニュージャージー州のオーバペック・パーク(Overpeck Park)にある慰霊碑の前でおこなわれた追悼の会でした。もちろん、そこには住山さんご夫妻もいらっしゃっていました。そのときはとくに言葉を交わすこともありませんでしたが、私たちが参加した音楽会のあとでおこなわれたレセプションでも同席、そこからホテルに戻る途中、一緒に写真を撮らせていただいたのです。セントラルパークのすぐ南の路上でした。

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住山さんはテロのあと20回以上ニューヨークに足を運んだそうですが、会場には、そうした中で手に入れた現場の写真や資料など30点ほどが展示されていました。その中に、縦6センチ、横9センチほどの鉄骨(世界貿易センタービルのもの)残骸がありました。テロから1カ月半後経ったあともなお続いていた救出活動にたずさわる救助隊員が住山さんに手渡してくれたものだそうです。また、先のアメリ国旗は、犠牲者の葬儀で棺にかぶせるのに使われたものでした。私の頭にもすぐ当時の模様(ニュース映像)がよみがえったのはいうまでもありません。

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見終わったあと、昨年撮った先の写真をプリントし、会場でご夫妻にお渡ししました。住山さんの奥様がそのときのことを覚えていてくださり、しばしお話しすることもできました。ご主人は、息子さんの最期をなんとか知りたいと、550ページを超えるアメリカ政府が作成した、同時多発テロの調査報告書を8年がかりで翻訳したそうです。それを製本したものも展示されていました。原本のほうはボロボロになっていましたが、おそらく数え切れないほど報告書のページを繰ったのでしょう。

「5年に1回、この展示会を開いています」と奥様が話されていましたが、私も生まれて初めて千羽鶴を折り、住山さんに託しました。今年も来週からニューヨークに行き、追悼のイベントに参加されるのだそうです。その場に鶴をお持ちになるということでした。住山さんご夫妻のご健康を祈らずにはいられません。

真っ赤っ赤に燃えていた広島

2016年8月31日
昨日・今日と広島に行ってきました。昨日は夕方4時過ぎに広島駅に着いたのですが、駅に入る直前、進行方向左側にマツダスタジアムが見えます。驚くなかれ、まだ夕方早い時間なのに、スタンドにはかなりの数のお客が入っていました。ほとんどが赤いTシャツを着ています。

駅を降り、タクシーを拾おうと南口に出ると、ここもまた真っ赤。スタジアムに行く人のほとんどが赤いTシャツ、赤のレプリカユニホームを着込んでいるのです。グッズを売る店も出ていましたが、その看板もほとんどが赤。売り子も赤のTシャツ。赤、赤、赤で燃えまくりという印象でした。

この日の試合は楽勝だったようで、マジックは1減って12に、またクライマックスシリーズへの出場権も確保したとのこと。今日の中国新聞朝刊も1面から大盛り上がり。18・19面(見開き)のスポーツ面は、記事も下段の広告も赤、赤、赤。企業や商品の広告も、ベースの色はどこも皆赤。35面(社会面)の下には「カープ優勝記念中国新聞特別セット 500円」などという、気の早い広告も出ています。どのページを繰っても、前夜の熱気がひしひし伝わってくる感じがしました。

日本とはまるっきり違う、沖縄のお盆

2016年8月17日
8月10日から沖縄分室に来ています。この時期に来るのは初めて。期待していたほどさわやかでない1週間で、あまり外を出歩くこともなかったのですが、さすがに今日くらいはということになり、車で沖縄市まで行ってきました。というのも、昨日乗ったタクシーの運転手さんからそうせざるを得なくなるような話を聞いたからです。

「いま沖縄はお盆の真っ最中。昨日・今日・明日は道路がメッチャ混みます。昨日・今日は皆、嫁さんの実家に行くでしょ。そして、今日・明日は長男の実家に行くんですよ。どの家も家族全員、車に乗っていきますからね。ふだんは走っていない車まで全部出てくるんです。

明日(17日)の夜は“ウークイ(送り)”でしょ、長男の家で飲んだり食べたりして、そのあと儀式がありまして。これは、何があっても出ないわけにはいきませんから。お盆だけは、沖縄の人はきっちりされてます。明日、ほとんどの店は早じまいか休みですよ」

そういえば、14日ごろから、スーパーがいつになく込み合っているなと思っていました。お盆の準備に駆け回っていたのでしょうね。ふだん見たこともない食べ物が山と積まれ、線香やロウソクも箱入りで大量に売られていました。また、17日は、分室のあるマンションの「管理業務」もお休みしますという貼り紙がされていました。皆、仕事を休んで、奥さんの実家や長男の家に出かけるわけです。

dsc00817その「ウークイ」が今日17日。どうりでおとといも昨日も、車がやたら多かったはずです。とくに午後3時過ぎくらいからは猛烈な込みようでした。というわけで、今日は食事もままならないことがわかり、早めに買い出しに行って食べ物を確保しておこうと。まったく外に出ていなかったこともあって、沖縄市の「ローズガーデン」という店に行くことにしたわけです。

 

dsc00816「ローズガーデン」は、いかにも「アメリカ」を感じさせる店。復帰前はこういう雰囲気の店がそこいら中にあったのでしょうね。何がいいかというと、おいしいこと。ボリュームがアメリカ仕様なのが私たちにとっては玉にキズなのですが、残ればドギーバッグ(持ち帰り)もOKなので、その点は助かります。最近、店の近くライカムにイオンのモールができたため、この界隈は以前とは比べものにならないほど車で混んでいます。それでなくとも、土日は朝から込み合い、駐車スペースがいっぱいになっていることが多かったので、これから先はウイークデーに行くしかなさそうです。今日も、お盆の最中でやはり満席でした。

 

写真展『日本の灯台』に行ってみました

2016年7月20日
午前中西新宿8丁目で打ち合わせがあったついでに、1丁目のギャラリーでおこなわれていた旧知の写真家Oさんの写真展に行ってみました。前夜、これも旧知の編集者Kさんから電話があり、雑談している中で教えてもらったのですが、ちょうど今日行く場所の近くだとわかり、行ってみようと。

残念ながらOさん自身は撮影の仕事が入っていたようで会場にはいませんでしたが、これまた35年ぶりくらいで会った奥さんが会場におられ、しばし思い出話を。日本各地にある灯台(全部で3300もあるそうです!)の中から、選びに選んだ30ほどの灯台を撮った作品はどれも皆見ごたえがありました。

つい2年ほど前に行った長崎県の大瀬崎灯台など、「こんなにきれいだったんだ」と、うれしくなりました。私たちが現地を訪れたときはちょうど霧がかかっていて、ほんのチラッとしかその姿を拝むことができなかったのです。台風が日本に近づくたびにテレビやラジオ、新聞で見聞きしている「潮岬」も初めてその姿を見ました。

灯台を撮り始めて20年ほどだそうですが、日本にはまだまだいいものがたくさんあることを知り、とても元気が湧いてくると同時に、自分も観に行ってみようという気持ちにもなりました。

「サンウルブズ」の日本国内最終戦

2016年7月2日
今日もまたなんとも蒸し暑い日でした。そんな中、午後2時15分キックオフで「スーパーラグビー」の国内最終戦がおこなわれました。チケットを買ったときから疑問に思っていたのですが、7月2日になんでデーゲームなの!? 南半球からやってくるチームに対する敬意というか配慮がまったく感じられませんよね。

この季節、この時間帯なら南半球のチームがネをあげて「サンウルブズ」にチャンスがなんて思ったわけではないでしょうが、それにしても……。ラグビー自体はもともとウインタースポーツだと思っているのですが、夏にやってもおかしくはないでしょう。でも、それならそれでせめてナイトゲームにしてほしかったですね。

試合は「サンウルブズ」の完敗。キャプテンの堀江翔太やトゥシ・ピシなど主要メンバーを欠いていたので勝ち目はなさそうだと思っていましたが、案の定でした。まあ、今年は初めてのシーズンですし、準備時間もほとんどゼロでしたから、こうした結果に終わってもやむを得ません。しかし、苦しい戦いが続く中で学び取ったことはいっぱいあろうかと思います。来シーズンはそれを糧に、もう少しいいゲームを見せてほしいですね。

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久しぶりのテストマッチ「日本対スコットランド」

2016年6月25日
dsc_0568昨年9月以来のテストマッチが先週からおこなわれています。先々週はバンクーバーで日本対カナダ。これはなんとか日本が勝ちました。先週はスコットランド戦が大阪でおこなわれ、敗戦。そして今日がスコットランドとの第2戦です。場所は味の素スタジアム。

味スタに行くのは数年ぶり。前回は陸上の日本選手権でした。観客も少ないイベントなので、なんの不満も感じませんでしたが、今日は、昨年のワールドカップで南アフリカを破るという衝撃的な結果を提供してくれたラグビー。相手も、W杯で唯一負けた相手スコットランドですから、観客数も大変な数になるでしょう。

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ただ、だからといって、中に入るのに100m以上も並ぶというのは納得が行きません。入口の数が少なすぎます。しかも荷物チェックがあり、それがたったの1カ所。そこまで行くのに、いったんチェックゲートの前を通り過ぎてから列の最後尾まで行き、そこからまた戻ってくるという非効率的な方法を取っているものですから、イライラさせられます。JRFU(日本ラグビーフットボール協会)の未熟さ、というかあまりに稚拙な運営ぶりにはいいかげんガックリ来ます。2019年のW杯、本当に大丈夫なのでしょうか。

dsc_0600今日のゲームは、日本ラグビー史上初めてという天覧試合。ハーフタイムに両陛下がロイヤルボックスに入場されましたが、私たちがすわっていた席のすぐ真上でしたから、間近でお顔を拝することができました。いつも柔和な表情をされている天皇陛下に観客も皆総立ち、温かい拍手を送っていました。

それだけに勝ってほしかったのですが、スコットランドは、フィジカルもさることながら、やはり試合の運びが格段に上です。100年以上も強い国々を相手に試合をし続けているのですから、当然といえば当然。結局、日本はトライを奪いながらも、ノートライのスコットランドに負けてしまいました(スコアは16対21)。

初乗り運賃さえ下げればOKなのか?

2016年4月5日
「あっ、そこで止めてください」と運転手に声をかけた瞬間、メーターが1000円から1090円に。東京でタクシーに乗っているとよく経験するできごとです。ポケットにしまった財布をまた取り出し、100円玉を1つ付け足して払うハメにおちいるのですが、それより何より不愉快なのはメーターの刻みが「90円」と大きいことです。「だから、タクシーはイヤなんだよなぁ」。これがかりに「20円」とか「30円」だったら、そういう気分にはなりません。

今朝の朝日新聞1面、それもトップに、「タクシー初乗り、東京400円台も 距離縮め、来春にも」という記事が出ていました。「2キロ730円」という現在の初乗り料金を、「1キロ強で400円台」に下げ、「高齢者や子連れ客らに、買い物などの近距離でも気軽に乗ってもらう」ようにするためだそうです。

初乗りが下がれば乗りやすくなるのは間違いありません。歩いて13~14分を超えるかどうかがタクシーに乗る・乗らないの目安になるのも、経験上わかります。雨でも降っていればいいところ10分でしょう。しかし、これだけがタクシーに乗る決め手なのかというと、違います。私はむしろ、初乗り距離を過ぎてから加算されていく金額の幅がけっこう影響すると思っているからです。

東京のタクシー業者にこうした感覚がないのはなんとも不思議な気がします。先日、ミラノでタクシーに乗ったとき、なんと10セント単位で上がっていくのを経験しました。10セントといえば13円です。これほど少額の刻み幅は私にとっても初めての経験です。もちろん、13円ですから距離は短いですよ。ただ、メーターが上がっていってもそれほど気になりません。まして、血圧が上がったりイライラしたりすることなど一切ありません。

ロンドンなど、初乗り運賃の実質は東京の約4倍です。これをもとに「いや、東京のほうが断然安い」といわれれば、たしかにそのとおりかもしれません。でも、その後の加算による刻み幅は「32円」です。距離と金額を比べると、東京のほうがわずかに割高なのですが、小さく刻まれている分、不愉快な気分を味わうことはありません。

先の記事によると、「大手の日本交通は(中略)、初乗り距離を1・059キロに縮め、運賃は410円。その後、235・25メートルごとに80円を加算し、2キロ時点で730円とする」とのこと。「90円」から「80円」にほんの少しだけ刻み幅が減るようですが、私の感覚からするとまだ不十分です。初乗りは「1キロで400円」ポッキリ、加算は「60メートル程度で20円」くらいが妥当でしょう。いまの初乗り730円に到達するまでの距離はほとんど同じですから、問題ないはずです。

見かけの金額の差は60円。小さな子どもを育てている親にとって、60円あればお菓子の1つ、2つ買い与えることができます。運賃改定の趣旨が「少しでも利用しやすく」ということなら、そうした現実も踏まえた上で料金体系を考えてほしいものです。

やっぱり私は「花よりダンゴ」かと思いきや

2016年4月3日
3、4日前から東京も桜が満開。都内では昨日・今日と、お花見渋滞があちこちで起こっているといいます。今日は日曜日ということもあって、そんな都内を家人と2人、車で“パトロール”してみることにしました。といっても、メインの用件は門前仲町に住む長男一家にイタリアのお土産を届けること。午後2時過ぎに家を出て、途中、学習院大学正門や新江戸川公園といった、渋滞までは引き起こさない道も通沿いにある桜の名所も見ました。混雑していそうな皇居前はナビのおかげで回避し、すんなり目的地に到着。

dsc00232そのあと、まっすぐ帰るのももったいないので、「羽二重だんごでも食べたいね」という話になり日暮里へ。途中、言問橋など隅田川の周辺は大変な人出のよう。幸い、どこでも渋滞にはひっかからず日暮里駅近くの店に。閉店の1時間ほど前でしたが、席もすぐに空き、2本で540円というチョーぜいたくな羽二重だんごをいただきました。何かの催しでたまにデパートに出店した機会に出くわして食べたことはありますが、本店で食べたのは初めて。一段とおいしかったです。

やっぱり私は「花よりダンゴ」だなぁ、などと納得しかけたのですが、日暮里駅といえば谷中霊園の目と鼻の先。墓園を“桜の名所”と呼んでしまっていいのかという疑問もありますが、店と線路をはさんだ反対側にある墓園まで足を延ばしてみました。上野公園のすぐ近くなのですが、こちらは喧騒とはまったく無縁。みごたなまでに花を咲かせた桜の木が並ぶ道をゆっくり歩き、堪能しました。枝ぶりの大きな、しかも下まで垂れ下がっている桜はやはり何物にも代えがたい美しさで迫ります。うっとりした顔で桜を楽しむ外国人の姿も目につきました。私たちも「花よりだんご」で済まずによかった!

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dsc00242再び日暮里駅までとって返し改札の前を通り抜けようとすると、大きな「谷根千MAP」が掲示されていました。駅から谷中・根津・千駄木周辺の見どころ、お店などが、細かな道筋とともに大きな文字で書かれているのですが、ふと、「これじゃ外国人にはなんの役にも立たないだろうな」と思ってしまいました。そう、英語といえば「MAP」の文字だけで、あとは全部日本語。たまたま地図のすぐ前をノルウェーからやってきたとおぼしき観光客の一団が通り過ぎていきましたが、「MAP」に目をやることはありませんでした。改札を抜け駅構内に入っても、とまどっている様子がありあり。こちらは英語の表示が随所に見受けられたのですが……。

そういえば、一昨日、浅草に行ったときも同じような事例に出くわしました。というか、どこに行ってもその種のことが多いのですが、肝心な部分でインバウンド(=外国人旅行客)向けの案内表示が欠けてしまっているのです。

たとえば、浅草には東京METROと都営地下鉄の2路線の駅がありますが、2つの駅はつながっていません。そのため、多くの人がとまどってしまうのでしょう、ときどき「都営浅草駅へは階段の裏の通路を」などといった類の案内表示が貼られています。要するに、最初の設計段階ではそうした情報が欠けていたため、あとになってから手作りしたわけです。ところが、そうなるともうダメで、日本語の表示しかありません。日本人よりもっと不案内な外国人にとっては不自由きわまりないことになってしまうわけです。

「トイレ」「雷門・浅草寺方面」といった簡単明瞭な表示はほぼカンペキです。しかし、実際に営業している中で、予想外に質問が多かったりすることには臨機応変に対処するしかありません。日本人だけが相手なら、口頭でも手書きの表示でも対処できますが、中国語や英語、スペイン語しか話せない人たちにとってはまったく意味がありません。しかも、それが東京でもいちばん外国人観光客がやってくる浅草での話です。これがちょっと郊外の駅や地方の観光スポットならどうなるのか……と、不安になるのは私だけではないはず。日本ならではの“親切”がかえってアダになってしまっているのではないでしょうか。

外国のほうがこういうことははっきりしています。「自分でなんとかしなさい」ということになっているからです。たしかに不親切ですし、トイレを探しているようなときそうした状況におちいってしまうと大変です。日本と違い(といっても、浅草などまだまだですが)バリアフリーがまだ十分に発達していない国で、大きなスーツケースを引きずりながら乗り換えに四苦八苦させられると、泣きたくなります。空港はともかく、鉄道駅ともなると、ほとんどの国はまだまだ厳しいものがあります。

ただ、それはそれ。自力で問題を解決するしかないとなればその覚悟ができ、心の準備もするでしょう。しかし、「おもてなし」の国・日本となれば、やってくる外国人観光客の期待度はおのずと違います。そうした事態まで見すえてのインフラ作りを考えなくてはならないのですから、大変は大変。でも、徹底してやるしかなさそうです。外国人旅行客にはまったく意味をなさない、「白線の内側までお下がりくださ~い!」とか「ただいまの時間整列乗車をお願しておりま~す!」といった駅ホームでのアナウンスより、そうしたことにエネルギーを差し向けたほうがいいのではないかと思ってしまいます。

生まれて初めて「大使館」なるところに

2016年3月31日
昨日イタリアから帰国したばかりだというのに、もう次の旅行のことを考えています。というか、考えざるを得ない状況をみずから作り出してしまいました。ターゲットはキューバ。ある旅行会社が、自社主催の「キューバツアー」の説明会をおこなうという話を聞きつけた家人と相談し、申し込んでおいたからです。イタリアから帰ってきたすぐ次の日であることはわかっていましたが、開催場所が「キューバ大使館」というのに惹かれてしまいました。私のような者が大使館に足を踏み入れるなんて、こんなことでもないかぎり生涯ないだろうというスケベ心もありました。

大使館のある場所は地下鉄で1本、赤羽橋という駅から歩いて数分。これまで私が遠目から見たことのあるアメリカ大使館やイギリス大使館、イスラエル大使館やベルギー大使館と違い、なんの変哲もないオフィスビルにそれはありました。1棟丸ごと借り切ってはいるのですが、ビル自体は地味もいいところ。あえて弁護すれば、社会主義の国、しかも発展途上の国ですから、それほど立派なところは借りられないということでしょうか。

会場は2階で、旅行会社の社員と別に、大使館のスタッフも3人ほどいました。スタッフの1人がキューバという国の概要をパソコンによる映像を見せながら陽気に楽しく話してくれたあと、旅行会社の担当者がツアーの内容について説明。キューバの名産コーヒーをふるまってくださいましたが、たしかにおいしかったです(もう一つの名産である葉巻はいただけませんでしたが)。

終わって外に出ると、大使館の真ん前にある小さな公園の桜が満開。通りを渡った先にある公園の桜と菜の花も満開で、それだけでもやってきた甲斐はありました。

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BEGINの25周年コンサートで国技館へ

2016年3月20日
私たちが追いかけているBEGIN。その25周年記念ツアー(『「Sugar Cane Cable Network」ツアー2015-2016』)の最後のコンサートが、両国の国技館でありました。BEGINと国技館という取り合わせが好奇心をくすぐります。

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挨拶代わりの1曲を歌い終えると、ボーカルの比嘉栄昇が「今日のコンサートは、フェスみたいなものです。最初から、とっ散らかっていきたいと思います」といいながら、アルコール度数43度の泡盛をコップになみなみと注いで水割りを作り、メンバー3人がそれを手に。「まずは、乾杯です」との合図で一気飲み。音楽ライブとしては珍しいスタートですが、こういう気取らない雰囲気がいいですね。

『恋しくて』『涙そうそう』などの名曲から、ブラジルのカーニバルで演奏される「マルシャ」(このところBEGINはこれにすっかりハマっているよう)のメドレーまで、ほとんど切れ目なしの演奏に、国技館であることを忘れてしまうほど興奮してしまいました。

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朝日新聞に、参院選挙区の「合区」についてコメント

2016年3月20日
今年7月の参議院選挙から、これまで全国で47あった都道府県の選挙区で「合区」が実施されます。有権者の数と定員があまりにアンバランスで、平等を損ねてしまっているというのがその理由です。朝日新聞がそのことを取り上げ、さまざまな分野の人の意見を交えながら、その是非を考えてみようという趣旨の記事です。

その記事に私のコメントが掲載されたのでご紹介しておきましょう。切り文になってしまう点はご了承のほど。

(略)
県民意識は、どうやって醸成されてきたのだろうか。
1871(明治4)年の廃藩置県による3府302県の設置後、統廃合を繰り返し、47都道府県の姿と重なる県域がほぼ確定するのは1888(明治21)年のことだ。線引きは一筋縄ではいかなかった。
旧藩は領地の広さも石高も大小さまざま。加賀百万石のような大藩から市域程度の小藩まで、モザイク状に存在した。官選の知事を派遣した明治政府は、膨大な飛び地や複雑な境界の整理を急ぐ必要に迫られた。
中央大文学部の松尾正人教授(日本近代史)は「県域をいじりだしたらきりがない。薩長出身者ら新政府首脳は各藩の内情には疎かった」と指摘する。「47」の枠組みが固まる過程で、徳島県が高知県に、鳥取県が島根県に統合したり、独立したりした。旧藩と異なる県の名前を採用したケースも多く、歴史的にわだかまりも残した。
「出身県でわかる人の性格」の著者、岩中祥史(よしふみ)さん(65)は「多くの長野県民は自分を信州人と言う。県歌『信濃の国』を歌える人は多いが、県域全体をカバーする企業や団体の名に長野を冠する例は少ない」という。旧筑摩県(県庁所在地は松本市)と統合した経緯が尾を引いているというのだ。
それでも47の枠組みが100年以上続いたことで、「県民性」はすっかり定着した。お国自慢やふるさと再発見をテーマにした読売テレビの人気番組「秘密のケンミンSHOW」は10%以上の視聴率を稼ぎ、各県の県民手帳は人気商品だ。
岩中さんは「旧藩とは異なる姿になった県境の多くも山や川など地理条件で区切られ、限られた風土の中で脈々と育まれた共通の気質は方言とともに地元住民のアイデンティティーになっている」と解説する。
(略)