通りを一本、山ひとつ越えただけで……

●今日は東京に戻る日。前夜から今朝にかけ雪との予報でしたが、ホテルのある二条通り周辺は軽くパラついた程度。でも、タクシーの運転手さんによると、京都では丸太町通りを越えて北に行くと大きく変わるそうです。実際、金閣寺はうっすら雪化粧、大原や貴船[きぶね]あたりではかなりの積雪があったといいます。
●午前中出かけた青蓮[しょうれん]院、知恩院、円山公園は前夜の風で晴れわたっていましたが、京都駅を出て山科のトンネルを抜け滋賀県に入ると白一色。空もどんより曇り、すっかり別世界です。それが関ヶ原を過ぎると一転、再び青空が。三河安城あたりでは、妙に横長の雲が地上すれすれの高さに這っていたり。目まぐるしい空の変化に、弁当もゆっくり食べていられません。
●弁当といえば、今日は久しぶりに大阪・水了軒の八角弁当。13〜14種のおかずが隙間なく収まり最後まで楽しめる、駅弁の傑作。以前は大阪出張というと、これが楽しみでたまりませんでした。京都駅でもそれが売られているのを知ったのはつい最近。今回は京都での乗車時刻がランチタイムと重なり、一も二もなくゲットしました。
●1週間で20カ所近いスポットを訪れた今回のツアーですが、最後の長楽館は出色。もともとは、明治期にタバコの製造販売で大成功を収めた村井吉兵衛が円山公園近くに建てた別荘なのですが、いまは高級ホテル&レストランに。せめてお茶でもと、訪れてみました。ただ、タバコ王が作った建物なのに「全館禁煙」とは。村井もあの世で苦笑いしているかもしれません。(2021/12/18)

Facebook Post: 2021-12-18T18:10:12

京都・嵐山のイルミネーション━━でも、人が多すぎ

●ブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚像、シンガポールのマーライオンといえば、”世界観光名所の三大ガックリ”。有名なわりに、行ってみると大したことがないと。それになぞらえて言うなら、嵐山は”京都三大ガックリ”にノミネートしていいかもしれません。そのココロは、ちょっとお茶でもと思っても、”おとな”向けの店がほとんど見当たらないのです。
●嵐山は京都でも一、二を争う人気スポット。渡月橋、天龍寺、化野[あだしの]念仏寺、常寂光寺、二尊院、祇王寺、落柿舎[らくししゃ]、大河内山荘、竹林の径[みち]……と、観光資源には事欠きません。何もしなくてもお客━━といっても、若い人とインバウンドがほとんど━━がやってくるので、それに甘んじていられるのでしょう。
●そのため、半世紀以上前と同じとしか思えないような、いかにも団体向けのレストハウスや土産物屋、あとは東京・原宿の竹下通りなどによくある風の雑貨屋や飲食店が軒を並べています。そうした中を歩いてようやく見つけたコーヒーショップTully’s に入ったところ、私たちのような者のたまり場といった感が。
●滞在4日目(12/15)の夜、今年で最後というので「花灯路」に足を運んでみたのですが、平日にもかかわらず大変な人出。押し合いへし合いしながら竹林のライトアップにスマホのカメラを向けてみたものの、疲れました。家人に言わせると、「竹はやっぱり昼間がいい」。なるほどそうかもしれません。先週自宅近くの竹林を歩きましたが、心の癒やされ度はそちらのほうが高かったような気がします。(2021/12/15)

Facebook Post: 2021-12-17T08:50:47

初めて訪れた南山城の3カ寺

●今回泊まっているのは二条城近くのビジネスホテルで、部屋の広さは20㎡=7畳弱。そこに家人と2人ですから、「暮らすような旅 京都長期滞在7日間」というツアータイトルが泣きそうな狭さです。もっとも、部屋でゆっくりしているより外に出たほうがいいと捉えれば、ふだんどおり。場所が京都に変わっただけで、私にとっては「暮らすような旅」ではあります(笑)。
●2日目(12/13)は、南山城エリアの古寺3カ所を訪ねました。現在の京都府は旧山城国・丹波国・丹後国東部という3つのエリアから成っており、旧山城国のうち京都市以外が南山城。ホテルから南へバスで20分も走ると、伏見区の南部あたりからにわかに田園風景が広がってきます。昔はこのあたりに湖と言ってもいいくらい大きな池があり、太平洋戦争前に埋め立てられのだとか。住むには不向きなのでしょう、いまでもほとんどが田んぼのままです。
●そのさらに南側、京田辺市・木津川市にある観音寺、蟹満[かにまん]寺、浄瑠璃寺が目的地。どの寺も住職みずからその来歴や概要を語ってくださるなど、ツアーならではのメリットを味わえました。なかでも浄瑠璃寺は、いかにも女性好みといった感じで、ほかの2カ寺に比べ、訪れる客も多いようです。つい先日行った称名寺@金沢文庫と同じく浄土庭園が特徴です。仏堂の前面に蓮池を配置し、池の手前を此岸(現世)、仏堂の側を彼岸(極楽浄土=死後の世界)になぞらえた独特のスタイルが浄土庭園の特徴。
●今日の観光は南山城の3カ寺だけなので、午後1時過ぎにはホテルに戻りました。近くのイタリアンで昼食を済ませ、三条通り商店街へ。長さ800mの両側に昭和レトロ風の店がびっしり建ち並び、地元の人たちに長く親しまれているようです。キラキラ・ピカピカとは無縁のこういう場所を歩きくと気持ちもなごみ、まさに「暮らすような」感じ。充実した一日を過ごせました。(2021/12/13)

Facebook Post: 2021-12-15T21:48:26

上白石萌音のおかげで、久しぶりにドラマを堪能

●今日(12/12)から京都に来ています。東京駅を出て、富士山が見えるあたりまでは元気いっぱいでしたが、それから先は京都までほぼ白河夜船状態。前日(12/11)テレビを見過ぎたからです。もともとこの日は、上映時間274分(!)というチョー長尺の映画『ボストン市庁舎』を観に行こうと決めていたのですが、朝刊のテレビ欄を見て、即あきらめました。おもしろそうな番組が5本もあったからです。こちらは合わせて6時間半で、そこへさらに5時間近い映画を加えるのは、体力的にも無理だろうと。
●テレビのほうは、『あの日あの時あの番組 太平洋戦争80年▽日本人はなぜ戦争へと向かったか』『伝説のお笑い講師登場』『この道わが旅 すぎやまこういち音楽の旅路を』『ブラタモリ 南紀白浜 “一大リゾート”への道のりとは!?』ドラマ『忠臣蔵狂詩曲(ラプソディー)No.5 中村仲蔵出世階段[しゅっせのきざはし]』の5本。最初の4本がNHK、ドラマもNHKBSプレミアムでした。
● 民放をほとんど観なくなってから、もう10年以上経つでしょうか。コロナ禍が始まってからは、『羽鳥慎一モーニングショー』をほぼ毎日観ていましたが、今年9月以降はパッタリ。最近はNHKオンリーと言っても過言ではありません。
●それにしても、『忠臣蔵〜』(後半)はなんとも痛快なドラマでした。予定調和の極致と言ってしまえばそれまでですが、そこに至る”階段[きざはし]”=ストーリーメイクの巧みさ。キャスティングも、主人公の中村仲蔵を演じた勘九郎に加え、七之助、市村正親、高嶋政宏、段田安則と秀抜でした。なかでも、仲蔵の妻を演じた上白石萌音の非凡さといったら。デビュー作『舞妓はレディ』(2014年)で日本アカデミー賞新人俳優賞。京都旅の初日、東寺で持たれたオリエンテーションの余興で登場した本物の舞妓さんも真っ青でしょう。(2021/12/12)

Facebook Post: 2021-12-13T20:14:11

男7人で抹茶をいただきながら紅葉を楽しむ

●東京の紅葉スポットで今年も断トツの人気なのが、神宮外苑のイチョウ。広い道の両サイドにまぶしいほど黄色い葉に覆われた高い木々が並び立ち、奥にはレトロモダンな絵画館と、舞台装置も抜群とくれば、それも当然でしょう。週末ともなれば人であふれ返っているようです。
●前回お伝えした「横浜・鎌倉ウォーキング」は、土日にもかかわらずそうした喧騒とは無縁で、紅葉をゆったりと楽しめました。朝比奈の切り通しを歩き抜き、十二社[じゅうにそう]近くの蕎麦屋でランチを済ませると、後半最初の目的地・浄妙寺へ。境内は黄色いイチョウと赤いモミジが織りなす「秋」が全開。枯山水の庭、水琴窟[すいきんくつ]を楽しみながら茶屋で抹茶をいただいたり。70歳過ぎの男7人がずらっと並んで茶碗を回す姿は”壮観”でした。
●次は、竹林で有名な報国寺。山門を出たところに水仙と万両が遠慮がちに咲いているのを発見、お正月が近いのを感じます。鶴岡八幡宮に着いたのは3時過ぎ。数年前同じメンバーで流鏑馬[やぶさめ]を楽しんだ参道から、源義経を祀る白旗[しらはた]神社を抜けると本宮。七五三の参詣客でそこそこ混み合ってはいましたが、密までは行っていません。
●鶴岡八幡宮を出て段葛[だんかずら]を一路鎌倉駅へ。大船までは2駅で、改札を出るのももどかしく、忘年会で予約している居酒屋へ急ぎます。開店して半年も経っていない店ですがたいそうな人気で、私たちの盛り上がりも最高潮。メンバーの一人が保有する江ノ島の”研修ハウス”に着くと、その彼がプロデュースしたテレビドラマがちょうど始まるところ。テレビの前に全員がすわり、当人の解説を聞きながら、1時間半楽しみました。(2021/12/5)

Facebook Post: 2021-12-08T11:57:07

エサがないと体が動かない? 高校同期7人で切り通しを踏破

●高校同期の仲間が集まり、1泊2日の「社会見学(今回は自然探索もプラス)」を楽しみました。コロナ禍で長らく中断していたのですが、先週末およそ2年半ぶりで実現。今回のコースは、金沢文庫から朝比奈切り通しを経て鶴岡八幡宮という長丁場。全行程12kmのほとんどが歩きという設定で、70・71歳の男7人にとってけっして楽とは言えません。それでも、終わったあとの忘年会を楽しみに、まあ歩いたこと。スマホの万歩計には、24000という驚異的な数字が出ていました。
●京浜急行金沢文庫駅に集合し、最初に訪れたのは称名寺[しょうみょうじ]。称名寺は、執権・北条時頼、時宗の補佐役でもあった北条実時が屋敷内に建てた持仏堂が起源です。朱塗りの赤門をくぐり参道を抜けると仁王門が建ち、高さ4mの仁王像が二体。背後には「浄土」になぞらえた立派な庭園が広がります。ボランティアガイドに案内され歴史を学びながら、紅葉も楽しみました。
●金沢文庫のほうは建物だけ見て終わり。モノレールで金沢八景まで移動し、バスで朝比奈へ。ここから十二所[じゅうにそう]までの1.5kmが切り通しになっています。切り通しとは、山を切り開き人や馬が通れるようにした道のこと。高さ10mはあろうかという崖にはさまれた未舗装の道の幅は4mほどで、側溝の水があふれぬかるんでいる箇所も。都会の商店街を歩くのとはわけが違います。
●足もとに不安をかかえている仲間もおり、踏破するのに小一時間ほどかかりましたが、快晴の空の下、せせらぎ(といっても側溝ですが)を流れる水の心地よい音に足の疲れも癒されます。高周波・超高周波が重なり合って生まれるハイレゾな自然音はやはりたいしたものですね。◇つづく◇(2021/12/5)

Facebook Post: 2021-12-07T12:27:41

奈良の旅⑤妙にとがっておらず、落ち着ける町・奈良

●奈良公園近くの道路上に、「鹿に注意」書かれた表示を見つけたときは驚きました。たしかに、その一帯を歩くと、数え切れないほど多くの鹿と出会います。鹿をホルンで呼び寄せる「鹿寄せ」という伝統行事があるそうですが、ホルンのお世話にならずとも、煎餅を見せるだけで10頭以上は近寄ってきます。煎餅をやると頭を下げるなどというのは、鹿にも古都奈良の余裕が乗り移っているとしか思えません。都としてのキャリアは奈良のほうが京都より上。とがったところがなく、町の隅々まで大人っぽい落ち着きがただよっているのです。
●そんな奈良でいま熱いのは「ならまち」エリア。古民家が建ち並ぶ中にいかにも”インスタアップされ狙い”風のお店が増えているようです。それでもまだ京都ほどではないので、心配は無用(笑)。前回取り上げた老舗の和菓子店もその一角にありました。
●今回私たちが2泊した奈良ホテルは「ならまち」の近くにある、いわゆるクラシックホテル。近ごろ流行りのデザイナー風のたたずまい・しつらえではありませんが、高齢の身にはそのほうがくつろげるように思えます。部屋の窓から興福寺五重塔が見える部屋もあるようで、それだけで”奈良にいる感”が堪能できそう。ただ、来年4月から長期の修復工事に入ると、それがかなわなくなりますが……。
●今回の旅では奈良の主なスポットを訪れましたが、小学校の修学旅行で行ったきりの春日大社をじっくり見て回りたかったですね。奈良の余裕・落ち着きを象徴するスポットではないかという気がするからです。それと、冥土の土産にぜひと思っているのが吉野山の桜。まだまだ欲は尽きないなぁと思いつつ帰路へ。我が町・東久留米が真っ赤な富士でお出迎えしてくれました。(2021/12/2)

Facebook Post: 2021-12-03T22:02:28

奈良の旅④60年ぶりで訪れた東大寺大仏殿

●奈良の定番観光スポットといえば東大寺大仏殿、春日大社、興福寺五重塔、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡と言ったところでしょうか。60年前、小学校6年生の修学旅行で訪れたときも最初の三つでした。東大寺自体は、3年前にも訪れていますが、そのときは二月堂のお水取りを見ただけです。夜の行事ということもあり、見た場所もほんの一部。しかし、今回は朝の見学で、二月堂の上階までのぼり隅々まで見て回れたので、お水取りのすさまじさが実感できました。大仏殿でも、大仏の表情や巨大な建物の構造上の秘密などの解説を聞け、大人的な興味が大いに満たされた次第。
●その前、朝8時過ぎから興福寺国宝館へ。開館前に入り、貸し切り状態で僧侶の詳しい解説が聞けました。そこで知ったのが、東大寺も興福寺も、ある意味特別な寺院であること。両寺に元興寺[がんごうじ]、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺を加えた「南都[なんと]七大寺」は朝廷の保護を受けていたため檀徒が不要(=寺の維持にエネルギーを費やす必要がない)、仏教を学ぶためだけの場だったのですね。
●そのうちの一つ元興寺がホテルのすぐ近くにあるので、足を運んでみました。ところが、かつては広大な寺域を誇り、国宝が二つ、重要文化財が五つもあるというのにいまは人影もまばら。なんでこれほどまでに廃れてしまったのかと深い疑問が湧いてきます。
●「旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ……今まで無関心だったことにも、不意に何かを感じるようになる」とは、スウェーデンの作家ペール・アンデションの言ですが、今回の奈良の旅はまさにそうなっています。もちろん、これまで関心を抱いていた物への感度も大幅アップ。帰りに立ち寄った店で食べた「葛餅2種+求肥+餡」はいつになく美味でした。(2021/11/30)

Facebook Post: 2021-12-02T19:50:26

奈良の旅③法隆寺 見れば柿より うなぎかな

●3日目のメインは法隆寺ですが、その前に、橿原市内の今井町を訪れました。戦国期から、のちに称念寺となる御坊を中心に発達した寺内[じない]町で、周囲を堀で囲み、部外者の干渉を許さなかった自治都市。安土桃山時代・江戸時代には、「海の堺、陸の今井」「大和の金は今井に七分」と言われるほど、繁栄を謳歌したそうです。
●今井町は東西約600m、南北約310mで、面積は17.4haほど。重要伝統的建造物群保存地区にも選定されていて、域内760戸のうち3分の2が伝統的建造物。一地区内の数としては日本一だそうです。電柱・電線の完全な地中化も進んでおり、”歴史的町並みファンにとっては垂涎の的かもしれません。
●午後は斑鳩[いかるが]の里・法隆寺へ。今回が2回目ですが、資格を持ったガイドさんがつきっきりで説明してくれるので、そのすごさがよくわかりました。━━五重塔が実は一階建てで、真ん中に立つ一本の芯柱で全体を支える免震構造になっている。東京スカイツリーもそれにヒントを得て作られた。日本でいちばん多くの国宝(38点)を持つ寺である等々。まあ、そうしたことを知らずとも、1300年前に建てられた世界最古の木造建築物だというだけで十分ではあるのですが。
●ただ、この日いちばんの感動は夕食のうなぎ。蒲焼きと白焼きをいっぺんに味わえる「あい乗せ重」なるものをいただきました。こんな食べ方は初めてです。場所は興福寺に近い料亭「菊水楼」。皇族の方も来られるくらい格式が高いというのでビビりましたが、うなぎを供する「うな菊」はその脇にある別棟ですし、店員もツナギのユニフォーム姿だったので、普通に食べられました。値段も平均的ですし、奈良に行かれた際はぜひお試しあれ。(2021/11/29)

Facebook Post: 2021-12-01T18:32:48

奈良の旅②地形・地勢の影響? 決意をうながす吉野山、おだやかな飛鳥

●奈良2日目は、今回のメインイベント=「蔵王権現」の見学。最初この4文字を目にしたときは、樹氷で有名な蔵王周辺のお寺かと思ったほど無知でした。それが祀られている吉野山の金峯山寺[きんぷさんじ]を開いたのは修験道[しゅげんどう]の創始者・役小角[えんのおづね]だともいうので、出羽三山と関係しているのかもなどと、勝手に思い込んだり。
●わが国最大の秘仏蔵王権現が開帳されるのは5年ぶりのこと。詳しくはネットに出ていますが、今回見に行こうと決めたのは、広告の写真に見たその色。この種の像としては稀有な青黒[しょうこく]に塗られており、強烈な印象を与えます。こんな色をした仏像はほかに知りません。
●吉野山といえば古くから桜と杉で有名ですが、後醍醐天皇が京都から朝廷を移し、南朝を開いたことでも知られています。なぜ吉野山だったのか、考えてみると不思議な気がします。華やかな都から遠く離れ、右を見ても左を見ても杉ばかり。わかりやすく言えばとんでもない僻地です。ただそれだけに、後醍醐に付き従ってきた公家や武士たちも諸々の雑音に動揺することなく、再起・復活の決意を固めていったのではないでしょうか。地形・地勢が人の心理・行動に強い影響を与えるのかもしれません。
●吉野山を下って到着した飛鳥でその思いはいっそう強まりました。それは、588年創建という日本で最初の寺=飛鳥寺で、日本最古の仏像=飛鳥大仏(釈迦如来坐像)のにこやかな微笑みを真近で観たときです。こんな表情を刻めるのは、四方が真っ平らでおだやかな空気が流れる飛鳥だからこそでしょう。すぐ近くの高松塚壁画館で見た古墳の壁画に描かれていた男女の顔もそうでした、それと、古民家をリノベした和食の店で食べたランチのなんともマイルドな味わいも、そうした考えに導いていったのかもしれません。(2021/11/28)

Facebook Post: 2021-11-30T17:24:27

奈良の旅①7カ月ぶりの東海道新幹線で奈良の旅に出発

●結婚記念日(11/23)と小生の誕生日(11/26)を合わせたお祝い、というわけではありませんが、今日から奈良にやってきました。土曜日+快晴とあって、品川駅はたいそうな混みよう。名古屋を過ぎたあたりから雲行きが少しあやしくなり、伊吹山のふもとには大きな虹がかかっていました。こちらも混み合う京都駅で、東京周辺では見たことのないような色調とデザインの近鉄特急に乗り換え、最初の目的地・橿原[かしはら]神宮へ。最初は雨模様でしたが、途中から空も明るくなりひと安心。
●橿原神宮は明治期の創建とはいえ、神武天皇が即位した神聖な場所とされています。明治神宮・靖國神社などと同じく勅祭社(祭祀に際し、天皇より勅使が遣わされる神社のこと)で、本殿は京都御所の賢所[かしこどころ]が下賜・移築された建物。いまの上皇ご夫妻、天皇皇后両陛下も何度となく参拝されているそうです。
●すぐ隣の神武天皇御陵に向かう頃になると雨がポツポツと。深閑とした森の奥にたたずむ墓所の前に立つと、思わず凛とした気持ちになりました。気温はどんどん下がり、帽子、マフラーを総動員。それでも鼻水が止まりません。寒さにふるえながらホテルに戻り大浴場で温泉につかると、やっと人心地。
●その頃には神聖な気分もどこへやら。1万2千歩以上も歩きお腹が空いていたせいもあり、頭の中は夕食のことでいっぱい。よくある団体食メニューでしたが、唯一、デザートが出色でした。タピオカゼリーのまん中にメロンが浮かび、生卵と見まがうばかり。日本シリーズの決着を見届け、ベッドに入ると、サイドテーブルには定番の聖書でなくなんと古事記が。さすが、橿原!(2021/11/27)

Facebook Post: 2021-11-28T17:22:04

最後の宿・草津にはガッカリ──中山道バスツアー⑥

●琵琶湖の東岸、近江富士の脇から日が昇り始めました。ツアーもいよいよ終わりに近づき、6日目の今日は電車での移動。琵琶湖畔のホテルを出発、JR大津駅から草津駅へ。草津は中山道と東海道とが分岐する交通の要衝で、本陣・脇本陣が2軒ずつ、旅籠が70軒以上という大きな宿でした。
●いまも江戸時代の立派な姿をとどめる本陣は、現存する中では最大規模。吉良上野介、浅野内匠頭[たくみのかみ]、土方歳三、徳川慶喜など、誰もがその名を知っている人物も宿泊しています。しかし、残念なのは周囲の光景。隣も向かいも、いま片っ端から高層マンションが建設されているのです。街並み保存とは真逆の状況にガッカリしてしまいました。
●たしかに、大阪梅田からJRで1時間以内、本陣のあるあたりは駅から徒歩圏内ではありますが、これはないでしょう。江戸時代を彷彿させる建物も何軒か残ってはいるものの、街道としての味わいは台無し。観光より開発を重視する姿勢が露骨に感じられます。逆に言えば、観光をアテにしなくても経済的に成り立つのが草津なのです。
●いささか興をそがれた心持ちで大津に戻りましたが、午後訪れた三井寺[みいでら](正式には園城[おんじょう]寺)を歩いたことで持ち直しました。比叡山延暦寺と何百年にもわたって争いを続けたことでも知られていますが、豊臣秀吉、毛利輝元、徳川家康など、錚々たる武将の寄進した建造物が境内各所に。高台院(秀吉の正室)の寄進によって建てられた金堂は国宝で、その姿は優雅のひと言。(2021/4/15)

Facebook Post: 2021-04-17T21:01:49

半世紀ぶりに訪れた大井と醒ヶ井──中山道バスツアー⑤

●昨日は馬籠宿から中津川宿を経由し、大井宿(恵那市)の旅館「いち川」泊。江戸時代は40軒ほどあった旅籠[はたご]のうち、いまでも続いているのはここだけなのだとか。夕食のときは、14・15・16代目の女将がそろって挨拶。客は私たちのツアー参加者だけ─それもおそらく久しぶりだったはず─でしたから、けっこう気合いが入っていました。
●今日は美濃路をさらに西へ。まずは、中山道三大難所の一つ木曽川の渡しがあった太田宿。幕末期に水戸天狗党の首領・武田耕雲斎も訪れたという本陣と脇本陣(国の重要文化財)をじっくり見学しました。木曽川もここまで下ると、川幅もぐんと広くなります。日本ライン下りの出発点で、小学生のとき家族で来たことを思い出しました。終点の犬山で下船し、川原で昼のお弁当を食べた記憶があります。お弁当といえば今日の昼食は、その名も「和宮御膳」。和宮が太田宿に泊まられたとき本陣で供された食事の一部を再現したものなのだとか。
●太田宿の次に訪れたのは垂井[たるい]宿。ここに立ち寄ったのは、たぶん時間調整のためでしょう。ツアーには、そうしたネックがあることを覚悟しておく必要があります。その次に訪れた醒ヶ井[さめがい]宿のほうがよほど見でがありました。この町に昔からある養鱒場を、中学生の頃だったか家族旅行で訪れたことがあるので、55年ぶりです。
●中山道をしのばせる建物などは皆無ですが、夏でも涼しさを感じさせるというバイカモ(梅花藻)が自生する清流=地蔵川の素晴らしいこと。「古事記」にも登場する透き通るような流れを見れば、旅人も疲れが吹き飛んだのではないでしょうか。醒ヶ井から大津のホテルまでは、夕刻にもかかわらずすんなり。夕食は滋賀県が本家のチャンポン亭で済ませました。(2021/4/14)

Facebook Post: 2021-04-16T21:23:00

木曽路のハイライト=妻籠と馬籠──中山道バスツアー④

●ツアーもあっという間に中日[なかび]。今日の目玉は木曽路を代表する観光スポットでもある妻籠[つまご]宿と馬籠[まごめ]宿です。このあたりは、桜より花びらがふっくらしている花桃が満開。白、薄紅色、その二つが混ざり合ったものと、バラエティーにも満ちています。雨模様の空に、鮮やかさもひとしおでした。
●さて妻籠は、全国で100を超える重要伝統的建造物群保存地区の嚆矢[こうし]。1976年9月といいますから、半世紀近くも前に、「売らない・貸さない・壊さない」を基本スタンスにして街並み保存をスタートさせました。電柱をすべて家屋の裏へ回して隠すなどして、江戸時代の街の姿を復元したのだそうです。
●いまでは当たり前の電線地中化ですが、その技術がなかった当時としては、日本で初めての試み。欧米では観光地・市街地を問わず、電柱は目に見えないのが当たり前なので、空間全体がスッキリしています。自動販売機やケバい看板がないのも、それにひと役買っているはず。
●それにつけても、妻籠の先見性には脱帽です。お隣の馬籠や奈良井もそれに習って街並み保存に努め、宿場町としての魅力をいまに保っています。妻籠も馬籠も、家々は出梁[でばり]造りの二階屋、竪繁(たてしげ)格子、卯建[うだつ]など、江戸時代のまま残され、”とってつけた感””人工感”がありません。インバウンドといっても、欧米からの観光客が多いのも、そのあたりに深い共感を覚えるからでしょう。馬籠で食べたランチ=純日本風の栗おこわ定食も、どこか国際性を秘めているように感じました。(2021/4/13)

Facebook Post: 2021-04-15T22:36:24

信州の真ん中を横断──中山道バスツアー③

●今回のツアーは長野県のど真ん中をほぼ東西まっすぐに横断します。いまは鉄道や車があるので、さほど困難もなく行き来できますが、江戸時代はただただ歩くだけ。それを追体験しようと、実際に中山道を歩いて楽しむ人もいるようです。今回はA地点からB地点まで、次回はB地点からC地点までといった風に、何年もかけて全行程を歩くのだとか。
●ただ、江戸時代の中山道の道筋どおりに歩こうとしても、実際には道が消失してしまっている箇所が少なくありません。近代に入り、鉄道や道路を整備するとき、もともとあった道を埋めたり壊したりしたためでしょう。道は残っていても建物や施設の一部あるいはすべてが姿を消しているケースも。その地の人々、自治体がどのような意識を持っていたかがいまになって問われているのです。
●さて、今日は御柱[おんばしら]で有名な諏訪大社下社秋宮[しもしゃあきみや]、木曽路の入口・贄川[にえかわ]宿の関所、奈良井宿がメイン。諏訪大社の境内に立つ御柱を見たときは、こんなに太くて長い木を4本も、最大斜度35°という坂を、それも長さ100mにわたって落とすことを想像すると、怖くなりました。
●奈良井宿は、長さ1kmにわたって古い街並みがそっくり残されているのが圧巻。東海道にはこれほどまでに往時の姿をとどめている宿はありません。ポイントは電柱と電線を見えなくしていること。観光地としての”本気度”がよくわかります。ただ、コロナ禍が始まる前は多くの人が訪れていた奈良井宿もいまはひっそり。飲食店や土産物店も8割かたは閉じていますが、なんとか持ちこたえてほしいものです。(2021/4/12)

Facebook Post: 2021-04-14T23:09:34

上州は桜が満開でした──中山道バスツアー②

●今日は上州路をたどります。高崎を出て軽井沢を通過。軽井沢が宿場町だったとは、今回初めて知りました。最初にバスを降りた板鼻[いたはな]宿は、幕末期、皇女和宮が14代将軍家茂[いえもち]に嫁ぐに際し、京から江戸に向かう途中で宿泊した町。中山道を選んだのは、東海道に比べ人通りが少なく警護がしやすい、一般の往来の妨げになる影響も少ないためだとか。行列は3万人とも5万人とも8万人とも言われますが、いずれにせよ当時としてはとんでもない数。街道沿いの村は上を下への大混乱だったそうです。
●2カ所目の安中[あんなか]宿では、当時の下級武士が住んだという長屋がユニークでした。彼らが心身鍛錬のためにおこなった「遠足[とおあし]」が、日本のマラソンの始まりなのだとか。のどかな環境の中、そうしたことでもしなければ体がなまり、武士としてのアイデンティティーまで失ってしまったかも。
●3カ所目の追分宿は、中山道と長野方面に向かう北国[ほっこく]街道との分岐点。遊歩道が整備され、ここまで訪れた宿のうちではもっとも風情がありました。追分宿から上州を過ぎ碓氷峠を越えると信州軽井沢。軽井沢が宿場町だったとは! 昼食は千曲川畔にある創業104年の川魚料理店。塩名田[しおなだ]宿はいたるところ桜が満開で、はからずも今年二度目のお花見に。
●そのあと望月宿、和田宿を経て、下諏訪宿がこの日の宿泊地。湖畔はきれいに整備され、桜並木もいまを盛りと咲き誇っています。標高が平均1100mの長野県ですから、到着した時間帯がちょうど日没と重なり、湖畔からのながめは最高。明日も好天に恵まれそうです。(2021/4/11)

Facebook Post: 2021-04-13T22:14:50

埼玉で新発見──中山道バスツアー①

●先週の土曜日から「中山道69次バスツアー」に参加しています。コロナ禍の中、6泊7日という長丁場。不要不急もいいところですが、ままよとの思いで出発しました。中山道の宿場で知っているのは木曽の妻籠[つまご]、滋賀県の草津くらいのもの。最初の宿場が板橋だと知ったのも、つい何年か前のことです。
●昨年12月の「東海道53次バスツアー」と同じく、東京駅から出発し起点の日本橋へ。しかし、次の下車地が埼玉県の蕨[わらび]だったのには驚きました。いまでこそ東京駅から電車で30分ほどですが、日本橋からの距離は4里少々=約20km。初日に歩く距離としては頃合いなのでしょう。浦和や大宮をしのぐ宿場だったのは当然かも。
●3カ所目の埼玉県桶川[おけがわ]も、蕨ほどではないものの、宿場町の痕跡は希薄です。東海道より川止めのリスクが少ないので、西から江戸にのぼる際は中山道を選ぶ旅人も多かったとのこと。それでも”裏街道”のイメージはぬぐえません。この日最後の訪問地・深谷は渋沢栄一の生誕地としてすっかり有名に。生まれ育った家、駅前と、そこかしこに銅像・石像が。古希や喜寿を祝って贈られた建物が東京から移築されたりなど、町は渋沢一色なのですが、中山道との結びつきとなるといまひとつの感があります。こうして初日は、”埼玉新発見”に終始しました。
●1日目の宿泊地は群馬県高崎。ここも初めて訪れた町でしたが、さすが中核都市、たいそう繁栄しているようです。「どの路でも足の向く方へゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」とは、国木田独歩「武蔵野」の一節。ツアーなので、足は向かわされてしまうことになりますが、それでも「獲物」にはありつけるはず。ガンバロ〜!
(2021/4/10)

Facebook Post: 2021-04-12T21:28:56

”おいしい神戸”を楽しむのも仕事!?

●今あちこちでやり玉にあがっている会食とは違いますが、仕事でおいしいものが食べられるという機会はそうそうありません。3月16日の午後は「北前船研究交流セミナー」。その最後のセッションのテーマが”食都神戸”でした。100%地場の産品で構成した食事を観光客にというコンセプトで、会場のホテルオークラが考案したメニューを試食するのが参加者の仕事。
●前菜、メイン、デザート各ひと品ずつでしたが、どれも皆”tres bien!” でした。神戸というとビーフくらいしか思い浮かばない私、シイタケもあれば菊菜もある、山椒までもが神戸産と知り驚きました。もっとも、オークラのシェフの手にかかれば、どんな素材でも”別もの”に仕上がるのかもしれませんが。日本酒はもちろん地元の灘(ここも神戸市)ですし、一緒に出された地場のワインもイケていました。
●今回のセミナーが神戸でおこなわれたのは、兵庫津[ひょうごのつ]という、古くからあり由緒も深い港が日本遺産「北前船寄港地」の一つに追加認定されたため。世界中に知られている神戸港のルーツは北前船も出入りしていた兵庫津なのです。この先、「歴史」は観光の強力なキーワードになりそう━━それを改めて実感しました。これからは、単なる物見遊山ではなく、歴史を取り込んだ観光が注目される時代がやってくる
●それにしても、自治体としては兵庫(県)のほうが上位なのに、知名度は神戸(市)のほうが数段上。神奈川(県)と横浜(市)の関係とよく似ており、どちらも「港」がらみというのも不思議な気がします。

Facebook Post: 2021-03-19T07:27:22

神戸・元町は和洋中の混在が魅力

●前夜泊まった姫路から、本来の目的地・神戸随一の繁華街=元町・三宮までは、JRの新快速で40分ほど。元町から三宮にかけての一帯は神戸でもいちばん早く「外国」が入ってきた場所だけに、どことはなしにあか抜けた空気が流れています。その一角、アーケードのかかった商店街にある「サントス」という喫茶店(カフェではありません!)に行きました。外観やメニューの構成は昭和っぽいのですが、中はこじゃれた雰囲気が。
●目的は、この店の名物ホットケーキ(パンケーキではありません!)です。オーダーしてから作り始めるので、テーブルに届くまでおよそ20分ほど。でも、その甲斐はありました。もっちりしすぎない、口全体にしっとりしみ入ってくるような粉の加減が、すばらしく心地よいのです。私が半世紀以上昔初めて口にしたホットケーキとそっくりだからかもしれませんが。
●店を出て道一本南に下ったところが南京町。いわゆる中華街ですが、横浜ほどには大きくありません。食欲をそそる香りがただよっていたものの、ホットケーキでお腹いっぱいの私はパスし、三宮方面に向けさらに歩きます。デパートも映画館も、コンビニも皆、元町のイメージにかなった顔をしているのが面白い。
●ただその一方で、元町には別の一面も。駅のすぐ近く、高架の線路沿いにある細い路地は、飲み屋や食堂(レストランではありません!)、雑貨店などがごちゃごちゃと並ぶ”昭和の日本”そのもの。駅から離れるにつれ、先のようなあか抜けした町並みが目につくようになります。それを象徴するのが、神社と教会(といっても結婚式場ですが)、真っ赤な鳥居とレンガ風の外装をした店の大接近。それもまた、多くの人を惹きつける要素なのかもしれません。三宮のデパ地下で、神戸に来るとかならず買い出しに行くピロシキ屋さんへ。夜食用に2個ゲットしました。

Facebook Post: 2021-03-17T11:38:37

3カ月ぶりの新幹線で兵庫県の赤穂へ

●今日・明日は神戸で「北前船セミナー」。せっかくの機会なので、ついでに赤穂まで足を延ばすことにしました。朝6時過ぎに家を出て、品川から3カ月ぶりの新幹線で姫路まで。姫路からレンタカーを借り、赤穂までは1時間ほどです。素晴らしい晴天で、新幹線の車窓から富士山のいただきがくっきり。名古屋を過ぎると伊吹山も見えました。それだけでもエキサイティングな気分になるのが「旅」の面白さ。目的地だけでなく、途中もなおよしなのです。
●「忠臣蔵」ばかりが有名な赤穂ですが、それ以外にも塩作り、1616年に完成し江戸・福山と並び称された上水道など、興味をそそるものが少なくありません。私の関心は、赤穂の塩が江戸時代、大坂を出航した北前船で北陸・東北まで運ばれていったこと。その途中で寄港したのが市の東部にある坂越[さこし]です。港は、瀬戸内海から奥深く切れ込んだおだやかな湾の内ふところにありました。
●ほぼ当時のまま保存されている街並みは、端から端まで歩いて回っても30分足らずほどの狭さ。歴史を大切にしようという住民の素朴な思いがそこここに感じられました。案内所のスタッフが、「ここはスケッチに来られる方が多いんです」と話していたとおり、絵になるスポットも少なくないようです。もう1週間あとなら、北前船船主の奉納した絵馬が奉納されている大避[おおさけ]神社、そのすぐ隣、船岡園の桜も満開だったのでしょうが、残念!
●赤穂の街中に戻り、浅野氏が主だった赤穂城跡へ。明治維新でほとんど取り壊されてしまい、いま復元の最中だといいます。城跡のすぐ近く、大石神社参道の左右にずらりと並ぶ赤穂義士石造群は圧巻でした。姫路まで戻り夕食を食べに出たものの、この町は食がいまイチ。30分以上も歩き回りましたが、結局ラーメン+餃子で手打ち。坂越を離れる前、地元でふんだんに獲れるカキ尽くしのランチを堪能(そろそろシーズンも終わりですからね)しておいてよかったぁ。帰りがけに買った名物の塩餡最中も。

Facebook Post: 2021-03-16T11:47:02

駅伝ランナーたちが走った道を1日遅れで追体験⁉︎

●駒澤大が劇的な逆転優勝を果たした箱根駅伝。その翌日、小田原に行きました。2区と3区との中継所・鈴廣蒲鉾店にほど近い「ういろう」という店です。名古屋名物の一つ”ういろう”は、米や小麦など穀粉に砂糖と湯水を練り合わせたものを型に入れて蒸したお菓子。でも、もともとは薬(見た目は仁丹そっくり)の名前で、江戸時代はそれこそ万能薬として広く普及していたといいます。カミさんにとってはいまなお「何かあったらういろう」と言うほどの欠かせないもの。
●京都でその製造にたずさわっていた外郎(ういろう)家が室町時代に小田原に移り住み、今日まで続いているのですが、その一方でお菓子のういろうも作っている、考えてみれば不思議な店です。しかも、ネットでは販売しておらず、店に行かないと手に入れられません。
●前日駅伝のランナーたちが走り抜けた国道1号線に面して立つ店は小田原城を模した建物で、目立つこと目立つこと。我が家から80㎞も離れており、ただ行って帰ってくるだけではもったいないので、併設の中華料理店でランチを食べることに。「杏林(きょうりん)亭」という小さな店ですが、なんとかもぐり込めました。オーダーした飲茶セットは、お正月色をほどこした6点盛りの前菜、中身ぎっしりの春巻、小籠包に焼売、京風のさっぱりしたスープの麺、デザートが杏仁豆腐+ういろうという内容。ここ1週間ずーっと和風の食事が続いていたこともあり、中華は新鮮でした。
●帰りがけ、すぐ近くにある松永安左エ門記念館を訪れてみたのですが、リニューアル工事のため休館していたのが残念でした。松永は「日本の電気王」「電力の鬼」とも称された人物で、記念館は、亡くなるまで住んでいた自宅。それにしても、今年のお正月は元旦からずっとほぼ快晴で、富士山もくっきり。澄み切った空のようなスカッとした1年になるでしょうか。

Facebook Post: 2021-01-05T08:53:24

一挙公開! ツアーで出会ったお菓子の数々

●「東海道五十三次バスツアー」もいよいよ最終日。6日間、朝から夕方まで勉強と歩きが続きましたが、そのエネルギー源となる「食」は充実していました。ただ、今回のツアーはその名からも想像できるように、昼も夜も日本料理。「食」は旅の楽しみの大きな要素ですが、「和」がここまで続くと……。救いは、その合い間で出会った魅力いっぱいのお菓子です。
●箱根・甘酒茶屋の甘酒、府中宿(いまの静岡)の「大政奉還プリン」、島田宿・清水屋の「黒大奴(くろやっこ)」と「パコロ」、荒井宿の「あと引きせんべい」。岡崎宿・カクキューの「味噌せんべい」と「味噌かりんとう」、関宿の「志ら玉」、大津宿の「おきしまえびせんべい」と石山寺の「石餅」などがそれ。
●なかでも、カミさんともども気に入ったのが「あと引きせんべい」「パコロ」、そして「石餅」です。後者二つはカミさんの選んだもので、家に帰ってから賞味しましたが、どちらも秀逸。京都の伊勢丹では、この時期ならではの新栗を使った林万昌堂の「あまぐり」と北山マールブランシュの「茶の菓」を。駅構内の土産物店で偶然見つけた出町柳ふたばの「豆餅」(日曜日のみ数量限定で販売していました!)もついでに購入。
●こうなるとブレーキの壊れた車のようなもので、東京駅でも、最近オープンしたグランスタで松戸Zopf(ツォップ)の「カレーパン」をゲットしました。すべて炭水化物(要は砂糖です)系の品ばかりで、体によくないことは百も承知。それでも、古希を越えればこまかなことは気にしない。帰京の翌日(12月14日)は朝から晩まで絶え間なく、あれやこれや少しずつ口にしていました。※詳しくは写真キャプションをご参照ください。

Facebook Post: 2020-12-16T21:23:39

東海道五十三次バスツアー⑤

●4日目(12月11日)は岡崎宿を出て桑名宿、亀山宿、関宿を訪れ、草津宿から琵琶湖湖畔のホテル(守山市)まで。そして5日目は、午前中大津宿の古い町並みを歩き、瀬田の唐橋、石山寺と回りました。大津は、平城京・平安京より前に都が置かれたこともある場所。いまから400万年前にできたという琵琶湖の周辺は、想像以上に古い時期から開けていたようです。
●ガイドの口からは、日本史で勉強したはずなのに忘れてしまった人名や事件名が次々と飛び出してきます。最終日(12月12日)京都の三条大橋で、数々のことを学びました。橋脚の一部は豊臣秀吉の時代のものであるとか、幕末の池田屋事件のとき橋まで追いかけてきた新選組隊士がつけた刀傷が擬宝珠(ぎぼし)に残っているとか…。どれも初めて耳にすることばかりで、歴史との距離が一気に近づいたような気がします。
●今回のバスツアーで回ったのは東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・滋賀県・京都府の1都1府5県。でも、気持ち的には7つの外国を訪れたような感じがします。当たり前の話ですが、日本国内にも、見ず知らずのこと・ものがまだまだいっぱい。桑名や草津など、別の機会にゆっくり訪れてみたいと思いますし、琵琶湖の周辺には、好奇心をそそるものがふんだんに詰まっていそうです。
●旅に出ると、かならず別の旅を思いつく──これは私の持論。ほぼ1年ぶりに乗った新幹線での帰り道、「Go to」があろうがなかろうが、コロナ禍が収束しようがしまいが、いずれまた足を運ぶことになると確信しました。

Facebook Post: 2020-12-15T19:30:11

東海道五十三次バスツアー④

●今回の「東海道五十三次バスツアー」を企画したのはW社。もともと海外旅行が専門で、それもしごく個性的(ときにはマニアック)なテーマのツアーが多いという会社です。しかし。コロナ禍でそれが不可能になったため、今年の3月以降はやむを得ず国内旅行に注力しています。同社のツアーにはさまざまな魅力がありますが、その一つが食事。どこの国・地域・都市を訪れてもほとんど外れがありません。国内旅行でもそれは変わらないようです。
●前日(12月10日)岡崎宿で泊まり、今日はまず有松(ありまつ)宿を訪れました。有松は名古屋市の南部に位置し、桶狭間(おけはざま)古戦場のすぐ近く。重要伝統的建物保存地区の指定を受けていて、特産品の有松しぼりの問屋など、土蔵造りの町屋が10数軒残っている町並みは、江戸時代の東海道を彷彿させます。
●有松宿の次に訪れたのは桑名宿。ここでは街の探訪はなく、昼食を摂るだけですが、それが名物の蛤(はまぐり)でした。添乗員から「今日は蛤づくしの昼食をお召し上がりください」と言われて訪れたのは地元の老舗「魚重楼」という店。焼き蛤や佃煮は食べたことがありますが、蛤の南蛮漬け、酢味噌がけ、陶板焼き、磯辺揚げは初めて。最後の蛤鍋と煮汁で食べるおじやも最高でした。
●食は地もとで獲(採)れたものを食べるのがベストと言われます。蛤の9割は中国・韓国産だそうですが、この店では木曽三川(揖斐(いび)川、長良川、木曽川)の河口で採れる地ものを使っているとのこと。地産地消の素晴らしさを改めて実感しました。

Facebook Post: 2020-12-14T08:22:54

東海道五十三次バスツアー③

●いつもその前を通り過ぎているのになんの店かわからない。しょっちゅう目にしているのに一度も入ったことがない━━。それをクリアしたときのスッキリ&サッパリ感は、けっこう心地よいものです。ツアー3日目に訪れた浜松の先、浜名湖が太平洋とつながっているあたりがそうでした。東海道五十三次でいうと、舞阪(まいさか)宿と荒井(あらい)宿です。
●このあたり、新幹線に乗るたび窓から目にしていながら、実際には一度も行ったことがありません。今回ツアーに参加しなければ、ずっとそのままだったはず。訪れてみると、たしかに、5分と空けずに新幹線が右に左に”飛んで”いきます。それを横目にゆっくり歩いたことで、世界が大きく広がりました。聞くと見るとでは大違い、見ると歩くとでは段違いなのです。
●私のような生業(なりわい)にとって「取材」は命。文字や映像の情報をどれだけ集めたとしても、確かさという点では、現場に足を運び、ときにはそこにしばらく留まり、自分の五体で感じ取ったものにはかないません。だからこそコロナ禍の中でも旅に出る……と弁解がましく書いてはみたものの、実際は単なる”旅中毒”なのかも。
●移動の自由が厳しく制限されていた江戸時代は”旅中毒”など、そもそも罹りようがありません。そうした中、東海道を2週間以上かけて歩いてのお伊勢参りは人々にとって憧れだったようで、行ける人はそれこそ村のヒーロー扱い。この時期「Go to」の制限や自粛の要請があっても出かけてしまう私のような者は、とんでもないヤツと思われても仕方ありません。ただ、禁を犯すことの快感は古今東西変わらないような気がします。

Facebook Post: 2020-12-13T08:31:58

東海道五十三次バスツアー②

●ツアー2日目の今日(12月9日)は三島宿から掛川宿まで。途中、三嶋大社、歌川広重の版画「夜の雪」で有名な蒲原(かんばら)宿、由比(ゆい)宿の東海道広重美術館、島田宿の川越(かわごし)遺跡など五十三次がらみのスポットを訪れます。トータルの歩数は1万4千歩で、掛川のホテルに着いたときはヘトヘトでした。
●いちばん印象に残ったのは、徳川最後の将軍・慶喜が大政奉還のあと20年間住んでいた屋敷跡をそのまま料亭にしたという静岡の浮月楼(ふげつろう)。ランチとしてはいささか贅沢な懐石料理は、慶喜が生前食べていたメニューや嗜好を忠実に再現したもの。静かで落ち着いた庭園をながめながらの食事は、静岡駅のすぐ近くにあることを忘れさせてくれました。
●この日は富士山にいちばん近いエリアを動いていたのに、その姿をほとんど目にしませんでした。見れば一気にテンションが上がるのが日本人。最後に訪れた蓬莱橋(「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに出ている)蓬莱橋のたもとから頂上が見えたときは、思わず声を出してしまいました。
●蒲原も由比も島田も、旧東海道の宿場町はそれぞれ、わが町の歴史をきちんと残すとともに、それを少しでも広く伝えていこうとしているはず。しかもその相手は、いわゆるインバウンドではなく、日本の観光客です。しかし現実には、ターゲットである日本人が、ほんの1時間ほど滞在するだけ。これでは集客はままならず、ましてリピーターにはなってくれないでしょう。「東海道五十三次」のような、歴史の知識が求められるような観光スポットには、まだまだ課題がありそうです。

Facebook Post: 2020-12-11T22:14:13

東海道五十三次バスツアー①

●スタートは日本橋、ゴールは京都の三条大橋。そう、東海道五十三次です。その全行程をバスでというツアーに参加しました。5泊6日の長丁場で、「Go to」を利用。ギリギリのタイミングで”東京問題”が起こったので、かなりキャンセルが出たようですが、それでも参加者は20人。しかも、古希の私が最年少だといいます。
●ツアー1日目の昨日は三島まで。まずは日本橋周辺を歩きました。魚河岸がこの地にあったなど、ボランティア・ガイドの説明にいちいち納得。50年以上も東京に住んでいながら、そうした話をきちんとした形で聞くのは初めてです。次に訪れた五十三次の10番目・小田原でも、地元のガイドさんから城をじっくり案内していただきました。
●小田原からは国道1号で箱根山へ。途中甘酒茶屋に立ち寄り、関所を訪れます。関所のすぐ近くに、杉の木が立ち並ぶ昔の街道もそっくり残されています。「昼なお暗き羊腸の小径」をしばし歩くと、すっかり江戸時代気分に。箱根山の頂きから三島に向けて道を下るバスの窓から、駿河湾に沈んでいく夕陽が。快晴の空を背に、それはそれは美しい姿を見せてくれました。
●夕方5時過ぎ、ホテルに到着。三島は五十三次では11番めの宿場で、富士山に源を発する水がふんだんに湧くことで知られています。そのおかげでおいしいウナギが獲れるそうで、夕食は蒲焼。重箱のご飯の上に乗っかっているウナギが互いに重なり合っているのにはびっくり。これでもかというくらい肉厚なのです。昼間の疲れもすっかり取れました。

Facebook Post: 2020-12-09T21:57:26

原爆ドームは、人間の心を変える

●旅に出ても、ふだんの習慣は変わりません。5時過ぎには目が覚め、体操をしたり300ccの水を飲んだり。今日の会合は午後から。それまで時間もあり、天気もめっちゃいいので、原爆ドーム行くことにしました。ただ、いまは修復工事の真っ最中。全体が足場とシートにおおわれており、おなじみの姿は見えません。来年3月いっぱいかかるそうですが、そうした状況にあっても原爆ドームは原爆ドーム。あたり一帯、どこか重々しい空気が流れています。
●そこで、今日はクルーズ船に乗り、川の上からドームを見ることに。何十回と来ている広島ですが、市内をクルーズするのは初めてです。ちなみに、代金は地域クーポンで。
●広島は川の都、橋の都。狭い市内に7本もの川が流れているので、爆心地の周辺もどこか潤いが感じられます。先の重めの空気とそれが混じり合うと、不思議と神聖な気持ちに。原爆ドームを間近で見ることの意味はやはり大きそうです。みずからの意思でこの地を訪れたチェ・ゲバラやオバマ元米大統領も、そうした感覚を味わったにちがいありません。
●会合では広島名物の一つ神楽も鑑賞。迫力満点の舞いと演奏で、元気が湧いてきました。会場を後にし、ハイテンションのまま空港へ。レンタカーを返却するとき、旧友に何年かぶりでばったり! 羽田から着いたところなのだとか。いや、こんなこともあるのですね。暮れなずむ広島空港は、人の姿もまばら。久しぶりのナイトフライトとあって、夕食代わりに生ガキと酢がきをちょっとつまみ白ワインを飲んだら機中では爆睡でした。

Facebook Post: 2020-12-05T19:46:12

イルミネーションを見ると疲れが吹き飛び、食欲も

●この季節、広島市での楽しみの一つが平和大通りの「ドリミネーション」。札幌や仙台、新潟と比べても、規模やインパクトはかなりのものです。昼間めいっぱい取材に歩いた(昨日が1万3千歩、今日が1万4千歩)ので、やわらかい光に満ちたオブジェを見ていると疲れも吹き飛びます。
●今日訪れたのは呉市の豊島(ゆたかじま)町。もともと呉市とは別の自治体でしたが、平成の大合併で編入された島です。その一角にある御手洗(みたらい)が今日の取材地。風待ちにはもってこいといった感じの地形で、多いときは数十隻もの北前船が停泊することも。ほかにも、琉球やヨーロッパなど、各国の船が立ち寄ったという記録が残され、当時としては数少ない国際港でもあったようです。江戸から明治にかけての街並みが保存されていますが、洋風の建物もいくつかあるなど、古き風情が。町の人々も皆やさしく接してくれます。
●御手洗まで行くには、呉の市街地を抜け、全長1175mの安芸灘(あきなだ)大橋から全部で6つの橋を渡るのですが、途中見えてくる穏やかな瀬戸内海の景色は美しいのひと言。明治期に瀬戸内海を船で移動した欧米人は、その景色をエーゲ海に例えたといいますが、なるほどという気がします。荒ぶる北の海の中で育った人と気性が違ってくるのも仕方ないでしょう。
●さて、そんな今日の夕食は、ホテルの近くにある「蓬莱」という店で。この店ならではの天津丼。昔から有名なのですが、見ばえも味も変わっていません。そもそも器が大きいところへもってきて、乗っかっている卵が分厚く、たっぷりの餡もはみ出さんばかり。味つけはさっぱりしているので、どんどんお腹に入ります。それでも、夜小腹が空いたときに備え、「アンデルセン」(広島が発祥)でパンをいくつか買ってしまう私。70を過ぎても成長していませんね。

Facebook Post: 2020-12-04T22:28:10

瀬戸内の新鮮な魚は最高!

●今日から3日間、広島です。3・4日は「北前船」の取材で竹原市と呉市、5日、広島市内でおこなわれる会合に出席してから帰京します。それでなくても安い、飛行機とホテルがパッケージになった商品に「Go To」の割引が加わり、信じられないような値段に。そのうえ、地域クーポンでレンタカー代金のいく分かがまかなえ、大助かりです。
●瀬戸内海の港町・竹原はNHKの朝ドラ「まっさん」で有名になりましたが、その後はサッパリといった印象。これは朝ドラや大河の舞台になった地域に共通する現象で、流行に左右されることが多い日本人の特徴が出ているように思えてなりません。「心の底から行きたい」場所がある人が少ないのでしょうか。
●竹原はその昔、塩田で大いに栄えました。「まっさん」の竹鶴酒造も酒造りの前は塩田を営んでいたとのこと。竹原の塩は上方だけでなく、北前船で北陸、東北地方にまで運ばれていました。それらの地域では、「竹原が来た」といえば塩の入荷を意味していたそうです。その当時をしのばせる建物がいまなお残っており、町並み保存がきちんとなされています。電線の地中化も徐々に進んでいる風。
●「広島学」を書いたにもかかわらず、この町はまったく取材せずじまいでした。この本はもともと広島「市」を扱う予定だったので、致し方ありません。実際に足を運んで歩き回ると、北前船で港がにぎわっていた頃の活気あふれる様子が見えてくるような気がします。まる1日働いたごほうびは、瀬戸内の魚。小いわし、豊後さば(生です!)、石鯛の刺身に太刀魚の塩焼き、仕上げのカキフライ。明日も楽しみです。

Facebook Post: 2020-12-03T22:16:36