ラグビー人口の減少が心配

 長い今回の旅もそろそろ終わりが近づいてきました。昨日はラグビー・ワールドカップの3位決定戦、そして今日は決勝でした。

 3位決定戦はアルゼンチン対フランス。準々決勝で南アフリカに打ちのめされたアルゼンチンですが、この日はうって変わってのびのびとしたラグビーを見せてくれました。予選プール、それも大会開幕の試合で大方の予想を裏切りフランスを破った自信もあったようです。それと、もう失うものは何もないという開き直りも幸いしたのでしょう。逆に、フランスは地元のプレッシャーがあったのか、かなり固くなっていた様子で、アルゼンチンのフィフティーンに縦横無尽に走りまわられてしまいました。

 それにしても、フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」の勇壮なメロディーの素晴らしいこと。歌っている人もそうですが、聞いているだけでも体中からアドレナリンが湧いてくる感じがします。グラウンド上の選手たちも同じでしょう。四方八方からこの大合唱が流れてくればそれこそ勇気百倍、気合も入ろうというものです。そのフランスを破ったのですから、今大会のアルゼンチンの強さは本物だったにちがいありません。

 そして、今日20日の決勝戦は南アフリカ対イングランド。ただ、内容は大試合にありがちの勝ち負け重視というか、キックによる陣地取りに終始し、残念ながらトライシーンは見られませんでした。惜しかったのは、後半、イングランドが左中間隅に走り込んだとき。トライかと思いましたが、選手がタッチラインをまたぐのが一瞬早かったため「幻」に終わってしまいました。

 結果はご存じのとおり、南アフリカの勝ち。イングランドは2連覇を逃したわけですが、表彰式で、2度目の世界一を決めた南アフリカフィフティーンに惜しみない拍手が送られたときはスタンド全体が感動を共有している感じでした。

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 ラグビーは日本だけでなく、世界的に見てもまだまだマイナーなスポーツです。サッカーから生まれたスポーツではありますが、サッカーに比べルールがかなり複雑ですし、何より肉弾相撃たなくてはならないので、競技する人の数がどうしても少なくなってしまうのでしょう。

 それにしても、いまから思うと、芝生の上でプレーするようにできているラグビーを、私が高校生の時分は土のグラウンドでおこなっていたのですから、それだけでも驚異です。最近は日本でも芝生のグラウンドが増えているようですが、それでもイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどに比べればまだまだでしょう。これから先、子どもの数がますます減っていく中、底辺がいま以上に狭まってしまうのではないかと心配でなりません。

よくもまあ、こんなところに……

 世界遺産としてすっかり有名になったモンサンミシェルに1泊で行ってきました。フランス国内を初めてレンタカーでドライブしたのですが、ドキドキものでした。大手のHERTZレンタカーに予約を入れておいたのですが、どういうわけか予約した日付が1カ月後になっていたため、窓口でごた着きます(幸い、オートマチックでナビ付きの車両があったので事なきを得ましたが)。

 それにしても、ヨーロッパでレンタカーを借りてドライブする場合、ナビはマストアイテムです。これなくしてはほとんどどこにも行けないといっても過言ではありません。ただ、レンタカー会社、あるいは車によって付いているナビのメーカー・種類が異なるようで、自由に使えるようになるまでがひと苦労です。初めてのときは、行きたい場所を入力するだけで30分くらいの時間は見ておいたほうが無難でしょう。

 モンサンミシェルに行くときも、現地のホテルや観光案内所、近くにあるとおぼしき有名店などの住所を入力しようとしたのですが、そのたびに挫折しました。

 ヨーロッパのナビは、まず「国」で絞ります。このあたり、日本やアメリカのナビとはおよそ感覚が違い、「なるほど、もとはといえば30カ国以上の地域だものなぁ」ということを実感させられます。国のあとは都市名とか町の名前でなく、通りの名前(ヨーロッパでは、どんなに狭い通りにも名前がついている)を入れればいいのですが、同じ名前の通りが同じフランス国内でも、パリにもあれば、リヨンにもあり、マルセイユにもある、あるいはもっと小さな無名の村にまであったりします。それを絞り込んでいくわけですが、その際スペリングを間違えるとダメですし、異なる表記で入力すると、その時点で「候補」が消えてしまいます。

 ようやくモンサンミシェルをそのナビに合ったスペリング・表記で入力し終えると、あとは簡単。黙っていても、目的地まで連れて行ってくれます。高速道路の走りやすさといったらありません。日本のように、大型トラックが追い越し車線を走るなどということは、法律で禁じられているのでしょう、まずあり得ませんし、追い越しを済ませた車はさっさと走行車線に戻っていきます。日本よりはるかに高速で走っているのに、それによる怖さを感じないですむのは、そうしたマナーのよさによるものでしょう。

 それにしても、モンサンミシシェルは本当に素晴らしいところで、さすが、「世界遺産」の名に恥じない感じがしました。高速道路上から尖塔がはるかかなたにちらっと見えたとき、早くも「おーっ」と声をあげてしまったのですが、高速を降り一般道に入ってから、その姿がしだいに大きく見え隠れしてくると、神々しささえ感じます。この地をめざしてヨーロッパの各地から歩いてやってくる敬虔な信仰者が、遠くからその姿を目にしたときの喜びはいかばかりだったかと思うと、想像を絶するものがあります。

 こんな大きな建物をそれこそ1000年近くかけてつくってしまうパワーがいったいどこから出てくるのでしょう。同じような建築物のひとつにバルセロナの「サグラダファミリア」がありますが、キリスト教がヨーロッパ社会の奥底深く根づいていることを実感できる格好の見本であるような気がしました。

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お金持ちの町、いや国=モナコ

 今日から1週間ほどパリに滞在します。10月9日にマルセイユを発ってモナコに移り3泊。そして今朝ホテルをチェックアウト後、パリにやってきました。いずれも鉄道での移動です。私たちがイメージするのと違い、鉄道はゲルマン民族のドイツよりラテンの血が濃いフランスのほうが、なぜか時間も正確です。

 マルセイユ・モナコ間は急行列車で3時間弱、モナコ・パリ間はTGVで5時間半。TGVは日本の新幹線より速いそうです。モナコからサンラファエルという駅までは、急行とほとんど同じように多くの駅に停まっていくのですが、サンラファエルからパリまでの3時間はノンストップですから、いこと、速いこと。

 大きな荷物をかかえた旅行客が多いので、駅での停車時間も日本よりはるかに長いようでした。マルセイユからモナコに向かう急行列車に乗ったときにそれを知った私は、TGVでもそうだろうと推測し、マルセイユに停まるころ、ホームにちょっと降りてタバコでも吸おうかなと思っていたのですが、マルセイユには停まることなくパリまで一気。結局5時間半、禁煙を強いられてしまいました。

 それはともかく、モナコは、国中がアミューズメントパークのようなところです。タクシーは皆ベンツ230Eですし、ベントレーのクーペ、ポルシェのカイエンなどの超高級車、マセラッティやランボルギーニといったスーパーカーの類がごくフツーな感じで走っています。小ぎれいな街に建つ建物の多くはクリーム色に統一され、歩いている人の人相風体も見るからにリッチな様子。同じ南仏コートダジュールでも、マルセイユとはかなり趣が違います。

 ただ、カジノで有名なモナコですが、これだけはラスベガスのほうが数段上を行っている印象を受けました。とくにヨーロッパの上流階級の社交場といわれるグランカジノはそうです。もったいぶっているというか、そんなに構えなくてもいいんじゃないのと言いたくなりました。だいたい入場料(10ユーロ)を取ること自体、うなずけません。ルーレットを見ていても、ひと勝負ひと勝負のペースがのろく、エンタテインメントとしてはいまイチの感じがぬぐえませんでした。

 グランカジノ以外にもいくつかカジノがあるのですが、そちらはもう少しアメリカ的なカジュアルさがあって、親しめます。モナコはカジノよりやはり「ヨーロッパのお金持ち」がかもし出す雰囲気を楽しむところのように思えます。

 ひとつだけ、モナコの意外な穴場をお教えしましょう。それは海洋博物館です。世界的に見ても一、二を争うほど昔につくられたもので、博物館といってもその半分は水族館が占めています。しかし、惜しみなくお金をつぎ込んでいますから、その内容の濃いこと。

世界陸上なのにスタンドはまばら

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 この24日から9月2日までは、暑い暑い大阪です。9日間に及ぶ世界陸上を堪能しようと、2年前から計画を練っていました。2年前の8月、フィンランドのヘルシンキで見た世界陸上では、為末大選手が400メートル障害でみごと銅メダルを獲得するのを目の当たりにし、感動しましたが、今度はそれを日本で経験したいと思ったからです。しかも、ヘルシンキではわずか2日間しか観戦できなかったのですが、今回は地元だから、毎日だって見られると思い、大枚はたいてチケットを手に入れました。購入したのはなんと半年以上前、なんと昨年秋のことです。

 そして、いざ開幕。今日まで銅メダルどころか、期待されていた選手が予選で次々敗退しています。なかにはまったくパフォーマンスを見せてくれなかった選手もいます。地元だから、蒸し暑いのには慣れているなど、地元の有利さを唱える論調が大会前からたしかに目についてはいましたが、そこまで世界は甘くないだろうとひそかに予想していたとおりの結果になっています。

 それに、日本の場合、陸上競技がまだまだ根づいていません。野球やつい最近までのサッカー、バレーボールなどに比べるとよくわかりますが、世界陸上のような最高レベルの選手が勢ぞろいしている大会であるにもかかわらず、観客席には空席が目立つのです。陸上競技はルール的にはごく単純で、とにかくわかりやすいはずなのに、なぜこうまで客の入りが悪いのか。それはやはり、文化としてのスポーツが日本という国には根づいていないからでしょう。スポーツといっても、しょせんは「スター」や「有名選手」を通じてしか認知されれていないのです。

 たしかに、どんなスポーツにもスターや有名選手はいます。でも、日本の場合、人々の興味関心の方向があまりにそうしたものに偏りすぎてはいないでしょうか。サッカーにしてもさしてレベルは変わりません。それでも最近は、みずからプレーする人が増えているからまだましになったのだと思います。でも、Jリーグのチームはほとんどが赤字経営ですし、それを市民が応援するというケースはほとんどないようです。スポンサー企業におんぶにだっこというところばかりです。浦和レッズや鹿島アントラーズなどは例外的な存在でしかないのです。本来、この種のプロスポーツはもちろん、日常生活の中にどこまで根付いているかによって、人々の愛着の度合もことなってくるわけで、その意味では日本はまだまだなのでしょう。

モンゴルでお勉強

 8月12日から6日間、モンゴルに「研修」で出かけました。現在日本経済新聞で堺屋太一氏が小説「世界を創った男」を連載中ですが、その堺屋氏が首都ウランバートルで開催するセミナーへの出席が目的です。昨年(2006年)、チンギス・ハンによる世界統一800周年を記念してユニークなイベントが大々的に開催されました。当時チンギス・ハンが率いていた軍団を模した500頭の騎馬軍団が繰り広げるパフォーマンスです。今年もそれがひきつづきおこなわれているため、世界各地から見物客が訪れていました。私たちの研修旅行にも最終日にその見学が組み込まれていたのですが、聞きしにまさる迫力でした。

 モンゴルといえば何より、広大な草原と、どこまでも青い空です。この催しが開催されたのも、ウランバートルから車で1時間ほど走った郊外。モンゴルは、ウランバートルこそ都市化が進んでいますが、それでも都心から30分も走ればそこはもう住宅もまばら。見えるのは、伝統的な住居=ゲルばかりです。もともとが遊牧民の国で、人々はゲルに住まいながら羊や牛を放牧し、しばらくたって草がなくなったら、次の放牧地をめざして移動します。だから、隣人といっても、何十キロも離れたところに住んでおり、次に会うのはいつのことやらもわかりません。こういう社会では、朝晩の挨拶といっても、家族の間ならともかく、隣人どうしではないに等しい。挨拶の言葉はとおりいっぺんの「おはよう」とか「元気」といったものではんく、きわめて具体的な内容をともなっています。「水の出ぐあいはどうだ」とか「どこか、いい草の生えてるところを知っているか」といったぐあいなのです。

 狭い島国・日本のように、相手の心の機微を推測しながら……などという挨拶など存在しないわけで、そうなればどうしたって、細かなことを気にしてなどいられなくなります。横綱・朝青龍が日本の相撲の伝統がわかっていないとか、横綱の品格がウンヌンなどと批判する向きがありますが、そうしたこととはおよそなじまないのがモンゴルの人々なのです。そうした、歴史と風土に裏打ちされた価値観や風俗・習慣にまで目を向けずに、日本で相撲を取っているのだから……とやみくもに批判してもナンセンスなのではないかという気がするのだがどうでしょう。

 それにしても残念なのは、これだけ近いところにこれほど素晴らしい国があるのに、日本人の観光客がまだまだ少ないということです。たしかに、日本人の大好きなブランドものを買える店は皆無です。テレビで紹介されるよう世界遺産もありません。しかし、そこには、スケールの大きな自然があり、そして普遍性を秘めた世界王国の土台となるものの考え方がまだ根づいています。そうしたものを体感できる場所は、世界広しといえども、なかなかないのではないかと思うのですが。

都内でも楽しめる夏休み

 8月、東京都内のホテルはどこでもそうらしいのですが、客集めに知恵を絞っているようです。たしかに、考えてみれば、東京の人は皆、7・8月はどこか遠くに遊びに出かけてしまっていますし、かといってビジネスも小休止といった時期ですから、客室も宴会場もほとんど閑古鳥が鳴いているという塩梅なのでしょう。そこで、各ホテルでは格安の宿泊パッケージを企画したり、個性的イベントを催したりなど、一人でも多くの人が来ておかねを落としていってくれないかということになるわけです。

 そうした中、「これは、なかなかやるじゃないの」と思わせる企画を打ち出しているのが老舗の帝国ホテルです。「Imperial Jazz complex」と名付けられたこの催し、大阪の帝国ホテルでもおこなわれているらしいのですが、東京では8月9・10日の両日、ホテル内の宴会場やバーなどを利用し、ビッグバンドやソロシンガー、デュオやトリオ、クインテットなど、ベテランから若手までうちそろって、ジャズの競演を繰り広げるのです。チケット1枚買えば、好きな時間に、好きな場所で、好きな演目も楽しむことができる仕掛けになっているのですが、概してわがままな人の多いジャズファンにはたまらない企画ではないかと思います。敷居の高そうな帝国ホテルもこの2日間はジャズ一色で覆われ、その合間を縫ってお酒や冷たい飲み物を飲んだり、ときには値の張るレストランで食事をしたりなどして、つかの間ではあるが、いつもとはちょっと違った時間を過ごすことができるわけです。

 私も9日、仕事をなげうって、午後から出かけ、よる8時までジャズのシャワーをたっぷり浴び、大いにリラックスすることができました。終わってからはホテルを出て、銀座で焼鳥を食べ焼酎を飲み、1日ゆっくり過ごせたのですが、大きな鯉城でのコンサートとなると大仰になってしまいますし、ライブハウスも、出演するのは単一のバンド(シンガー)ですから、よほどでないと足が向かないものです。それが、ホテルの一角でジャズのつまみ食いが好きなようにできるのですから、これほどありがたいことはありません。来年もぜひまたと思いながら、エアコンの効いた帝国ホテルの一室で熟睡できました。

ラスベガスを追い越したマカオのカジノ

 毎年この時期は「香港ブックフェア」がおこなわれます。ここ数年、かならず顔を出すようにしているのですが、行くたびに香港の人々の熱気にアテられて帰ってくるわけで、今年も例外ではありませんでした。

 それにしても、香港の人々がそれほど読書好きなのかなという疑問があります。地下鉄に乗っても、日本の車内のように、本を呼んでいる乗客の姿など、まず見かけたことがないからです。そのわりに、ブックフェアの会場は人、人、人であふれ返り、通路をまっすぐあることもままなりません。会場もいくつかに分かれていて、そのどこもがそうした状態なのです。ちょうど夏休みの真っ最中だから家族連れも多い。ただ、フェアで買い込んだ大量の本を、人々はいつ、どこで読んでいるのかがわかりません。

 香港の帰途、フェリーで1時間足らずで行けるマカオに立ち寄ってみました。マカオといえば、町中に世界遺産があるところとして知られていますが、近頃はそれよりカジノで有名になっています。昨年はなんと、ラスベガスを上まわる売上をあげたとかで、いったいどうなっているのか、自分の目で確かめてみようと思ったのです。

 ちょうど週末にかかっていたせいか、香港発マカオ行きのフェリーも、1便待たなければ乗れないほどでした。港に着くと、中国本土から次つご到着するフェリーも混み合っていたらしく、なかなか下船できません。定時より20分ほど遅れてようやく船を下りると、各カジノホテルに客を乗せていくための無料バスでごった返していました。それでなくても暑いところへもってきて、大変な人いきれで、あたりは灼熱地獄さながらです。

 最近マカオでギャンブルを楽しみにやってくる客の大半が行くのは、アメリカ資本のカジノです。ウイン(Wynn)など、ラスベガスとまったく同じ形の建物ですから、言われなくてもすぐにそれとわかります。サンズ(Sand’s)は宿泊施設こそありませんが、広大なスペースのカジノを誇っています。マカオの場合、昔からあるカジノはスペースが複数のフロアに分かれていて、迫力の点でいまイチなのですが、ウインなど(また8月下旬にオープンするヴェネツィアンもそうらしい)はワンフロアーにすべてまとまっているため、まさにラスベガスそのものなのです。

 それにしても中国人のギャンブル好きはハンパではありません。ラスベガスのカジノもここ数年、中国人の客が目立ちますが、ここは中国と目と鼻の先という近さもあって、9割以上が中国人の客です。しかも、老若男女を問わず、かなり熱いのです。中国人にとってはギャンブルもまたお金儲けの一手段なのでしょう、けっこうギラついているのです。それがラスベガスとは決定的に違う点なのですが、それさえ覚悟しておけば、マカオはマカオでおもしろいと思います。

 9月からは関空からもマカオに直行便が飛ぶそうです。そうなると、日本人の客もかなり足を向けそうです。家族連れで楽しめるかどうかは別として、ギャンブル好きにはたまらないでしょう。

新著が一挙2点、書店に!

昨日、ここ半年ほどかかりきりだった新著『日本全国 都市の通信簿』がようやく草思社から上梓されました。取材は昨年夏からスタートし、原稿を書きはじめたのが今年に入ってからです。2~4月の3カ月間は取材と執筆が重なっていたので、かなりしんどかったのですが、旅に行くのは何より好きですから、それだけは救いでした。

 取り上げたのは35都市で、政令指定都市のすべて、県庁所在地のほとんどをカバーする内容になりましたが、同じ日本でありながら、都市ごとに顔も違えば、人々の気質も違います。その違いをあれこれ、私の独断と偏見で切り刻んでみたわけです。ちょうど5月末に、4年前に出した『出身県でわかる人の性格』が新潮社で文庫化されたこともあって、ひと月足らずの間に2点、新しい本が並び、充実した気分ではあります。退院後も続けている「断糖」生活にもだんだん慣れ、かつてのように、1日1回は餡子(それも粒餡にかぎる)もののお菓子を口にしないと落ち着かないといったようなこともなくなりつつあるのはそのせいかもしれません。

 でも、荒木先生に言わせれば、「糖」というのは麻薬と同じで、いったんとりこになるとそう簡単には断ち切ることができないのだそうです。要するに「中毒」症状を呈しているわけで、糖抜きの食事に慣れるには、56歳になる私の場合で、少なくとも2年間はかかるといわれました。スタートして1カ月しか過ぎていないのですから、先はまだまだ長い。それでも今日で1カ月間、お米(パン、うどん、そば、スパゲティなども含めた一切の炭水化物)を口にしていませんから、私にとっては画期的なことです。

 ただ、実際に歩くのはホント大変です。歩くこと自体はけっして苦ではありませんが、どこを、どう歩くかで悩むのです。自宅から会社までの25分(往復で50分)はいいとして、問題は、それにプラスしなくてはならない1時間10分~1時間40分をどのように確保するかです。仕事の打ち合わせで外に出るとき、余分に時間をとって、ふた駅前で電車を降りて歩いたり、あるいは打ち合わせ後の帰路をすべて歩いたりなどしてクリアーするしかないようにも思えます。春や秋ならまだしも、この時期のように、毎日30度近くまで気温が上がる日中ともなると、歩けば汗びっしょりになるから着替えを用意しなくてはなりませんし、さまざま面倒なことも伴います。

 外食もあるから、それも苦労のタネになる。糖を使っていないメニューを探すとなると、それはそれは悩まされます。明らかに糖が入っていることがわかるのは簡単に除外できますが、実際には“隠れ糖”を含んだものが圧倒的に多い。ミリンやら酢やら味噌やら、調味料にも糖を含んだものばかりなのです。そうしたものを除外していくとなると、選べるメニューはかなり限定されます。そこにこの方法のつらさ、しんどさがあるのですが、逆に、大丈夫なものをいかに探し出すかということを楽しみにしていくしかなさそうです。

再び始まった「断糖」生活

 兵庫県加古川市にある「崇高クリニック」に、今月6日から“入院”しています。といっても、ここは普通の病院とはかなり趣が違い、病院のベッドで眠れるのは夜だけです。日中ベッドでゴロゴロしていたりすると、院長の荒木先生から厳しく叱られます。「外に出て歩きなさい」と。歩くことで、臀(でん)筋と大腿筋を増やし、鍛え、体内に必要以上に蓄積されている「糖」=炭水化物を少しでも消費するように努めるのです。

 荒木先生の『断糖宣言!』という著書をつくったのは昨年の5月ですから、ほぼ1年前のこと。「断糖」というタイトルを思いついたのが大好物のドラ焼きをほおばりながらだったのはなんとも皮肉なことですが、それ以来、日常の食生活から、自分ではかなり「糖」を追放したつもりでいました。だが、しばらくするとだんだん気がゆるみ、気がつくと芋ヨウカンを肴(さかな)に芋焼酎を飲んでいたらいなど、とんでもないことをしでかしていたりします。

 ただし、この場合誤解してはいけないのは、体に悪いのは芋焼酎ではなく、芋ヨウカンです。焼酎のほうは蒸溜酒ですから、原材料にもともと含まれている「糖」はすべて飛んでいってしまっており、度を越さない限り、体に悪さをすることはありません。だが、芋ヨウカンの場合は芋に糖分が含まれていますし、加工途中でさらに砂糖を加えるため、ますます糖分が体内に蓄積されることになります。糖こそは、肥満、高血糖、高血圧、過剰な中性脂肪など、メタボリックシンドロームを引き起こす諸悪の根源なのです。

 私の場合も、入院して2日目の糖負荷検査で、食後の血糖値が異常に増え、しかも、1時間半たっても2時間たってもいっこうに下がらないということがわかりました。また、6時半には夕食を済ませ、その後何も食べていないのに、寝る前の血糖値が110も120もあり、朝起きたときそれがほとんど下がっていなかったり、へたをすると、就寝前の血糖値より翌朝起床時のほうが高かったりなど、インスリンの分泌がメチャクチャになっていることも判明しました。このまま放っておいては危ないということで、さっそく断糖食+運動(歩き)の生活が始まりました。

 病院がある場所は周囲にほとんど何もないので、毎日、歩いて15分の東加古川駅または歩いて35分ほどかかる加古川駅から電車に乗ってあちこち出かけ、1時間から2時間、日によっては3時間ほど歩くという毎日を送っています。おかげで体重は入院時より5キロほど減り、朝起きたときの重苦しさも消え、すかっと目覚められるようになりました。この生活があと5日間ほど続くのですが、問題はむしろ退院した後です。今度こそ、昨年の轍を踏まないようにしなければなりません。それには、かなり過酷な日々を送ることになるでしょう。