2017年8月9日
前夜、「ゲイアティー・シアター」に行く前に立ち寄った、向かい側のショッピングモールでお土産を少々購入。それからドライブに出ました。最初の行き先は、前日その前をバスで通った「グラスネヴィン墓地(Glasnevin Trust)」。
広大な敷地にびっしりお墓が並んでいるのですが、入口のまわりにあるのは、大きな墓石とアイルランド独特の十字架。ケルト十字と呼ばれるものだそうで、私たちにもなじみのあるラテン十字と、十字の交差部分を囲む環から成っています。人間の背丈より高いそれがずらっと並んでいるのを観ると、不思議な迫力を感じます。
そこから北上し、次に訪れたのが「モナスターボイス(Monastervoice)」。先端が破壊された「ラウンドタワー」のまわりに多くの墓標が立っているのですが、その中にひときわ高い「ハイクロス」があります。前面にほどこされたレリーフはみごとの一語。例によって、ドイツ人の一団がそれを囲み、ガイドの話に熱心に聞き入っていました。

続いて「ニューグレンジ(New Grenge)」を訪れます。5000年も前に作られた墳墓群で、世界遺産の一つ。ただ、この日の見学ツアーは予約でいっぱいのため、中は見学できませんでした。仕方なくビジターセンターの展示だけで我慢しましたが、今回は家人も歩くのが大変ですから、かりに予約が取れても、見学ツアーはしんどかったかもしれません。また、“次の機会”ですかね。
今日の最終目的地は「タラの丘(Hill of Tara)」。ケルト人の血を引くアイルランド人の、いうならば心のふるさとのような場所=聖地で、なだらかな丘の中にポツンと石が立っているのが印象的でした。丘の一部は鉄器時代の要塞跡。そこに「王の砦」があり、その「王座」の中心部に石柱が残っています。まわりに何もないところにポツンと立っているのが興味をそそりました。


しかし、なんといっても私たちの心を奪ったのは、青い空と白い雲と緑の草の取り合わせ。まわりをさえぎるものが何もない中、なだらかな丘陵全体を覆う澄んだ空とそこにたなびく雲のコントラストが際立っていました。もし、どんより曇っていたら、印象は大きく変わってしまうでしょう。

夜は「女子ラグビーW杯」の予選がダブリン市内であるので、あまりゆっくりもできず、再びダブリンに戻ります。W杯といっても、2015年秋にイギリスで開催された男子ほどの盛り上がりはありません。私自身も、今回は世界陸上の「ついでに」観戦、というのが正直なところです。
ただ、この「ついでに」が、旅ではとても大事というのが私の考えです。前に書いたかもしれませんが、私の出身地は“ほぼ名古屋”なので、そのあたりに関してはけっこうシビアというか、常に「ついでに」を意識しながら旅の計画を立てます。その昔「一粒で二度おいしい」というキャッチフレーズで売ったお菓子がありましたが、同じ時間と費用と手間をかけるのなら、「ついでに」別のことも実現(実行)しようという意識がいつも働いているのです。もちろん、“100%名古屋人”の場合はもっと徹底しているでしょうが……。
さて、試合会場では食事らしい食事は期待できないので、ホテル近くの日本料理屋でTake-away(持ち帰り)の寿司を買いました。タクシーで市内のUCD(ダブリン大学)のグラウンドに向かおうとしましたが、運転手にW杯のことを伝えても「何、それっ?」といった感じです。チケットを見せ、やっと納得してくれたようで、15分ほどで到着。しかし、正確には違う場所でした。要するに、この一帯は同大学のグラウンドがいくつもあり、会場になっているのはその中で最も大きなグラウンド。降ろされた場所からさらに10分ほど歩いたところにあったのです。
W杯といっても、スタンドは半分仮設のような感じ。ただ、それでもけっこう日本人サポーターの姿がありました。SAMURAI(侍)のいでたちをしていたり、赤と白のメークをほどこしていたり、目立つことは目立つのですが、アウェイの地ですから数的な劣勢は明らかです。
劣勢なのは今日フランスと戦う日本チーム(桜フィフティーン)も同じ。たまたまグラウンドに両チームが並んで入場する場面を間近で観たのですが、大人対子どもといった印象。それにしても、フランスの選手のまあ大きなこと!


女子のW杯に日本が出場するのは4大会・15年ぶりのことだそうですが、男子以上に体の小ささが際立ちます。開始早々、10秒経過したかしないかのうちにノーホイッスルトライを奪われ、そのあと立て続けに3本も取られてしまいました。アタックはけっこうスピーディーなのですが、ディフェンスがどうにもいただけないというか……。前半を終わって7―29、後半もフランスに攻められっぱなしで、最後は14対72。それでも2本トライを奪えたのは、次につながりそうです。



その後は「ホップオン・ホップオフ」観光バスで市内を観光。「ダブリン城」「クライスト・チャーチ大聖堂」「聖パトリック大聖堂」「ギネス・ストアハウス」「キルメイナム刑務所」「クローク・パーク・スタジアム」など、名所を外から見ただけですが、バラエティーに富んでいて飽きることがありません。夜は“アルコールの都”といった趣のダブリンですが、昼間はそうしたことをまったく感じさせないのが面白いですね。1回目の最後はオコンネル通りで降り、近くでランチ。






世界で3番目に古い動物園というだけあって、入口の建物はクラシックな風合いで,雰囲気十分。ただ、古いだけに敷地は狭く、そのわり全体の配置がわかりにくい。何より大変だったのは園内の通路が狭かったこと。車イスに乗った家人と一緒に動かなくてはならないので、まあ難儀しました。また、今日はバンク・ホリデーという、国民の休日と重なっていたため、親子連れの客で土日並みの混雑ぶり。よけい動きにくかったような気がします。
しかし、ここにもパリに負けず劣らずたくさんのキリンがいました。しかも、シマウマとダチョウと同居しているのです。もともといたアフリカのサバンナでは当たり前の光景なのでしょうが、動物園でとなるとやはり新鮮ですね(横浜の「ズーラシア」も同じようになっているとか)。キリンとシマウマが、何がどう魅かれ合うのかわかりませんが、ほぼ左右対称にたたずんでいたりして、可愛らしいといったらありません。気がついたら小1時間もその前にとどまっていました。


動物園から市内までは15分ほど。天気も素晴らしくよく、川沿いを走りながらすんなりホテルに到着することができました。駐車場も真ん前なので楽々。荷ほどきを済ませると、早めですが食事に出ようということになり、地図を頼りに川のほうに向かいます。車イスはないので、ゆっくり歩きながら探していると、日本料理店があったので、そこに決めました。ロンドンでは食事らしい食事を摂っていなかったので、久しぶりのまともな食事です。









今日は、たまたま同じ時期に日本からやってきていたAさんご夫妻とIさん──どちらも「北前船寄港地フォーラム」などの折、顔を合わせている親しい方々です──と一緒に世界陸上を観戦しにいくので、セントパンクラス駅構内のショッピングモールで待ち合わせました。このモールの中にピアノが置かれていて、通行客が自由に弾くことができるのですが、ピアノの心得があるIさんがそれに気づき、何曲か演奏すると、まわりの通行人も足を止めて聞き入っていたのが印象的でした。


今日から、今回の旅のメインイベント「世界陸上」がスタート。スタンドに座ると、今回は席がゴールラインのぴったり真上。それだけでも感激していた上に、100mの日本選手が3人全員が予選突破という快挙のおまけつき! もう、最高でした。1組のサニブラウンはスタートから最後までトップ。10秒05の自己ベストタイ。最後の6組に登場した多田は、途中までなんとボルトの前を走っていました。最後は4位でしたが、タイム順で拾われセーフ! 3組の飛鳥も4位でしたが、こちらもタイム順で予選を通過。明日の準決勝が楽しみです。


今回は初めて、「初日」からの観戦となりましたが、驚いたのは表彰式のやり直しです。過去の大会でメダルを取った選手が、その後ドーピング検査でひっかかり失格になるケースがあります。それによって4位だった選手が3位に繰り上がったりすると、繰り上がった選手に改めてメダルが授与されるのですね。その授与式を初めて見ました。



さて、「北斎展」のほうですが、これがまた素晴らしい内容。というか、私たちが認識していた北斎とはまったく別の面があることを知らされました。「富嶽三十六景」だけが北斎ではないのです。ある版元がスポンサーについており、そのリクエストに応じてほとんどなんでも描いていたようで、「えーーっ、何、これ?」と思うような絵もいっぱいありました。私たちが見慣れている北斎の作品より、そっち系のほうが多かったので、北斎の意外な一面を学ばせてもらった感じがします。帰りにミュージアムショップで、35ポンドもする高価公式カタログをつい買ってしまったほどです。




地下鉄の駅を降りると大きな宮殿があり、その先が動物園のようです。駅からはタクシーに乗りましたが、これがまたBINGO! 我が愛するキリンが、な、なんと12頭も群生しているではありませんか。ただ、すべてのキリンをいちどきに見られるわけではありません。表舞台に出ているのは4~5頭ほどで、残りはそこからは見にくい裏側のエリアにいるのです。まさか交代交代で登場するわけではないでしょうが、かなりの頭数がいるように思えたので、家人を車イスに乗せたまま、私ひとりでスロープを昇り、裏のほうに行ってみました。すると、6、7頭がのんびりエサを食んでいます。全部が同時に表のほうに出てきたらどれほどの迫力か……。なんとも、残念ではありましたが、それでも私がこれまで見た動物園のなかでは最大の集団です。


メトロの駅までバスで戻り、近くのレストランでランチを済ませると、預けておいたスーツケースを取りにホテルまで戻ってタクシーを呼んでもらいました。長年の夢だった「ユーロスター」のパリ側の出発駅=北駅までに移動するためです。そもそも、「世界陸上」の観戦だけが目的なら、航空券も東京・ロンドンの区間で購入すればいいのですが、ついでに「ユーロスター」に乗ろうと思いついたことで、パリ往復のチケットにしたのです。
到着したのは、ロンドン市内でも東のほうにあるセント・パンクラス・インターナショナル駅。ラグビーW杯の観戦で2年前に訪れたとき、のべ8泊(後半の5泊は帯状疱疹で入院状態でしたが)もしたホテルのすぐ近くなので、なんだかなつかしい感じがします。


どこかの国の事業家がこの建物を買収し内部を大改装、新しいホテルに生まれ変わらせたのです。バーとレストランはもともと、旧セントパンクラス駅の切符売り場だったスペース。内部の梁や柱も昔のままで、それが全体の中でみごとに調和しています。古き時代の豪華絢爛な内装を生かした旧館は目の玉が飛び出るような宿泊費を取りますが、私たちが予約しておいた新館のほうは、大改装に併せて増築した部分なので、値段も手が出る範囲。部屋は広く、快適に過ごせそうです。
ホテルに着き荷ほどきを済ませると、いい時間になっていたので夕食を摂りに。といっても、杖をつきながらの家人と一緒ですから、あっちこっち探し歩くわけにはいきません。そこで、決め打ちというか、歩いて10分の範囲内で見つけようと。すると、何年か前、ブリュッセルで食べたムール貝のおいしいレストランの支店が! 迷わずその店に入りました。味は本店より若干劣るものの、文句は言えません。さあ、明日から、杖をついた家人との旅はどうなるのでしょうか。



2人の孫たちはそれぞれ喜んでいました。下の孫は、新幹線に乗れたのが最高にうれしかったようです。それにしても、蒸し暑い1日でした。港のすぐ近くで、海からの風がもっとさわやかに吹き抜けるかと期待していたのですが……。
さて、7人全員がうちそろったところで、まずは長谷の大仏(高徳院)まで歩きます。国宝であることは、今回初めて知りました。前回鎌倉に来たときはちょう工事中で見られなかったものですから。歩くこと30分弱。高校2年のときの修学旅行以来なんと50年ぶりで大仏とご対面。NHKの『ぶらタモリ』でも取り上げられていましたが、鎌倉の大仏はもともと大きな大仏殿の中に収まっていたといいます。その痕跡(土台石)が、大仏の周りに何カ所か残されていて、一同納得。結局、大仏殿があったのは、完成(1252年が定説らしい)から250年ほどの間だけだったのですね。その間、地震で壊れるたびに再建したものの、とうとうあきらめ、いまと同じ野ざらしの状態になったようです。




荷物を置きにいったんYくんの別邸まで移動し、6時過ぎから七里ガ浜の人気イタリアンレストランで大晩餐会。目の前が海という最高のロケーションですから、まわりのテーブルはすべていい雰囲気のカップルばかり。そうした中で、66~67歳のおやじ7人が飲みまくり・食べまくりですから、その夜この店でデートしていたカップルには「なにー、これ!」と思われたかも。でも、こちらはなんと半月も前に予約していたのですから、堂々たるものです。まあ、常軌を逸した呵々大笑は遠慮しましたが。

旧動物園はいま工事の真っ盛りといった感じでしたが、それにしてもブエノスアイレスはいま、街中が工事だらけ。不景気で公共工事をおこなっているのかもしれません。植物園からタクシーで「ガレリアスパシフィコ」に行き、中華のランチを済ませ午後は休憩。夜のスーパーラグビーのサンウルブズ戦に備え、体力を温存しておこうと。ただ、アルゼンチン・ペソの現金がやや不足気味だったので、ホテルからまた「ガレリアスパシフィコ」まで両替に行きました。そのついでに、初日の夕方、十分に見て回れなかった「サン・マルティン広場」の周辺を歩いてひとまわりしてみることに。








ここからバスに乗り今日はブエノスアイレスの北から西にかけてのエリアをひとまわり。ラプラタ川添いの道路を走るのですが、どう考えても川には見えません。川幅はこのあたりで50km、河口部はなんと220kmもあるそうです。「世界でもっとも川幅が広い」というのも納得。天気もいいのに、懸命に目を凝らしても対岸はまったく見えてきません。
7日の朝、帰りの飛行機の乗るホルヘ・ニューベリー空港を過ぎるとバスは大きなサッカー場の横を通ります。ブエノスアイレスにはプロのサッカーチームが5つあるそうですが、その一つCAリーベル・プレートのフランチャイズ「エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ(通称エル・モヌメンタル)」です。
そこから今度は、ブエノスアイレスで最近人気のエリア「パレルモ地区」に到着。ここで下車してランチをすることにします。目に入ってきたカフェ風の店がよさそうだったので、迷わず入りました。とりあえず注文すると、隣、また横、後ろのテーブルの客がそろって口にしている飲み物がありました。大きなボトルに葉っぱが入っており、ちょっと濁った感じに見えます。
ボーイに「あれは何だい」と尋ねてみると、「リモナーデスだよ」と。レモネードですね。さっそく注文してみました。飲むとけっこういけます。道理でみんな頼んでいるはずだと納得。食事もおいしく食べられ、お腹いっぱいになって店を後にしました。

夕食は、わざわざ遠出する気分でもなかったので、ホテルから歩いて5分以内のところで見つけることに。すると、店の名前も何も出ていないのですが、お客はそこそこ入っているレストランがありました。すぐそこに決めて中に入り、炭火焼きのアルゼンチン牛肉(日本人好みの刺しは一切なし)を注文。ここはおいしかったです。やはり本場の肉は違いますね。しかも、値段がウソのように安いのです。







午後はまずエビータ博物館へ。エビータはミュージカルの作品にもなった、元アルゼンチン大統領ペロンの夫人エバ・ペロンのこと。地方のごく普通の家、しかも私生児として生まれ、若いころはウエイトレスやモデル、娼婦を生業としていましたが、声優や女優として次第に名を上げていきます。それが、当時まだ軍人(といっても、軍事政権下で副大統領兼国防大臣兼労働局長の任にあった)フアン・ドミンゴ・ペロンに見初められ結婚。





この日のバス観光で最後に立ち寄ったのが、「世界で2番目に美しい書店」と言われる「El Ateneo Grand Splendid(エル・アテネオ・グラン・スプレンディド)」。もともと劇場だった建物を改装して作られたのだそうで、荘重な印象さえあり、観光名所になっているのも納得です。1階と2階がメインのようで(ところどころにソファー風のイスが置かれていて、そこに腰をおろして本を試読しているお客も)、3階は壁に絵が展示され、休憩場風になっていました。




なんとかホテルに無事到着し、チェックイン。場所も便のよさそうなところで、ほっとひと安心です。とりあえずアルゼンチン・ペソの現金がないので、近くにある市内随一のショッピングモール「ガレリアスパシフィコ」の両替店に行ってみることに。これがまた立派な建物で、さすが“南米のパリ”と呼ばれるだけのことはあります。

次に行ったのは、チリ発祥の地「アルマス広場」。1541年のことだそうで、当時の建物もいくつか残っています。そのすぐ近くにあるコーヒースタンドにガイドさんが連れていってくれたので、試しに1杯注文、手にしながらまた歩き始めます。ただ、このコーヒーがまったくなじめない味というか、こうも違うのかと驚きました。見た目はたしかにコーヒーなのですが、なんとも表現しがたい味。どうにもなじめず、結局、街角のゴミ入れに捨ててしまいました。同じツアーに参加していたオーストラリア・メルボルンの老夫婦も同じだったようです。メルボルンはコーヒーの名所ですからね。




さっそく「DONDE AUGUST」でウニや海鮮スープを注文し、食べてみましたが、ウニは生臭く、生で食べるのはちょっと難しそうでした。前日、インターネットで仕込んでおいた情報どおり、一緒に出てくるタマネギとパクチーをたんまり載せてレモンを絞り、そこにオリーブオイルをかけ混ぜ合わせてみたところ、なんとかイケました。といって、目の球が飛び出るほどおいしい代物ではありません。家人はまったくダメなようで、別にオーダーした海鮮スープもややクセがあり、あまり進みませんでした。まあ、安いは安いのですが、「ウーン」といったところでしょうか。










カフェでお茶を飲み、近くにあるたいそう立派な観光案内所へ。パンフレットをめくったりパネルをじっと見ていたりすると、「何かお分かりならないことはありますか」「どこかご希望の場所はおありですか」などと、やさしく声をかけてきます。なんとなく方針が決まり、相談すると、とても親切に対応してくれました。結局、明日(4月30日)は船に乗って、「コアラ・サンクチュアリー」に行くことに。実を言うと、こちらに来る前、旅行プランをあれこれ練っていたときは、対象外のスポットでした。ただ、家人の「コアラを抱いてみたい」というひと言で方針転換、予約を入れ、その場で支払いも済ませました。
そのあとは近くの「シティーホール(市庁舎)」に。ブリスベンはヨーロッパと違い、中世以来のなんとか……といった類の観光スポットはありません。「シティーホール」にしても、19世紀の終わりごろに作られた建物です。それでも、「歴史の浅い国ほど歴史を大切にする」とはよく言ったもので、いまも大事に使われているようです。1階にはブリスベンでいちばん古いカフェがあり、3階には美術館・博物館も。いちばんの“売り”とおぼしき「時計塔」も無料で見学できます(ただし予約制)。

「シティーホール」まで戻り、オーストラリで最古の手動式エレベーターに乗って「時計塔」のあるフロアーに。そこからは階段(あらかじめ「28段あります」と知らされていたので安心です!)で昇ります。ただ、最上階からの景色はいささか期待外れでした。何も障害物がなければ川面が観られ、「水の都」を実感できたのでしょうが、中高層のビルがびっしり立ち並んでいますから、どちらを見てもビルしか見えません。
そのあとホテルに戻り、やっと空いた部屋で荷ほどきを済ませました。私たちのホテルはかつての州大蔵省(Treasury)の建物をそのまま使った歴史的な建造物。その姿が格好いいので予約したのですが、カジノも併設されています。Treasuryとはもともと宝とか金庫という意味。カジノで遊んで文字どおり宝が手に入ればいいのですが。
タクシーで10分ほどでサンコープスタジアムに到着。外観はそれほどでもないのですが、中はもう素晴らしいのひと言! こういうスタジアムがオーストラリアやNZにはゴロゴロあるのです。その点日本は「いまだし」。強くなるには形から、といってもユニフォームではなく、さらにその1段階前、グラウンドです。これが日本の場合、極端に遅れています。野球場は全国どこの町に行ってもあちこちあります。サッカー場も最近はどんどん増えています。でも、ラグビー場となると……。


江戸時代の船宿兼倉庫兼販売店といった感じの鐙【あぶみ】屋も、明治期まで栄華をきわめた「山王くらぶ」も、市の資料館を訪れたときもどしゃぶりの雨と強風。チケット売り場の人も恐縮至極というか、「よくもまあ、こんな天気のときに来てくださって……」といった感じで応対してくれました。

花火の打ち上げは1時間ほどで終わりましたが、迫力的にはいまひとつ。また、その間ずっと海上に浮かんだままなのでビミョーな揺れがあり、あまり心地よくありません。ふだんはシュノーケリングとかホエール・ウオッチングに使われている小型船だそうですから、こういう用途にはそもそも不向きなのかも。もっと大きな船で、それなりに広い甲板に大きなテーブルがあって、船内ではビールや軽食が売られ、それをつまみながら……などと勝手に思い込んでいたこともあり、欲求不満が残りました。天気がよかったのがせめてもの慰みかも。
次に訪れたのは、静かな海岸に建つ「浜辺の茶屋」。ここは大当たりのスポットでした。目の前が砂浜というロケーションで、3階建ての古いロッジ風の建物で、3階が地上と同じ高さでルーフバルコニー。2階が屋根付きの普通な感じの店舗、階段を降りた1階はビーチの上にテーブルとイスが並んでいます。

奥武島からさらに西へ走り、次に訪れたのは「ジョン万次郎上陸の地」。前こちらを走ったときはなかったスポットで、これも1、2年ほど前に記念碑が建てられたばかりのようです。ジョン万次郎が10年間のアメリカ生活を終えて帰国する際、鎖国を敷いていた日本に直接戻るのを避け、当時は独立国だった琉球を選んだのだとか。そして、無事上陸を果たしたのが糸満市大度【おおど】浜だったそうです。
山巓毛【さんてぃんもう】は、糸満の海近くにある展望台のような場所。太平洋戦争中は、防空監視所として使われていたのだとか。レーダーなどという近代的なものは、こんなひなびた場所にはなかったようです。ただ、軍事的にはかなり重要な場所ではないかと思いますが。
城跡の向かい側にある高嶺中学校の敷地に咲き誇っていた黄金色の花の美しかったこと。この季節、沖縄のあちこちで見かけますが、通称「イッペー(イペー)」といいます(正しくは、ノウゼンカズラ科の落葉高木で、コガネノウゼンまたはキバナノウゼン)。もともとはブラジル原産の落葉樹(国花でもあるそう)=イペー(Ipe)だそうで、琉球方言で「いっぱい」「とっても」を意味する「いっぺー」と一体化してしまったようです。
夕食を取ろうと、部屋でさっとググってあたりをつけた店に直行。「ラ・コンチャ」というスペイン料理のレストランでしたが、ピンチョスのおいしかったこと。ひとりで6、7種類食べられれば、いうことなしです。ワインも進み、グラスで3杯空けてしまいました。ここ1週間、横メシとおさらばしていたせいもあるのでしょうが、素晴らしい夕食でした。
しかし、平日の今日のほうがはもっと悲惨でした。早く店も閉まるのだろうと、6時半にホテルを出たのですが、食べたい店がないのです。最後はあきらめて、そば屋で済ませました。通りには信号がありますが、どの交差点も、信号無視で悠々渡ることができるのも驚きました。クルマの往来が少ないというか、信号などあってもなくても同じ。さびしいのを通り越し、もう哀しくなってしまいます。ALASKAと書かれた看板を目にしましたが、アラスカの雪原の中にいるような気持ちにさせられました。
ホテルに着きチェックインすると、すぐ「故宮博物院」へ。途中、お茶屋さん(「昇祥茶行」)と、台湾随一というパイナップルケーキ屋さん(「李製餅家」)に立ち寄ってお土産を買い、そのあと中山北路と南京東路の交差点近くにあるレストラン(「山海楼」)へ。いささか高級に過ぎたきらいもありますが、100年以上前に建てられた屋敷をそのままレストランにしたというこの店、とても印象深く、記憶に残りそうです。最後は台湾の定番・足裏マッサージで疲れを癒しホテルに。バンコクから飛んできたSくんもチェックインを済ませているとわかり、食事がまだというSくんと一緒に、またまた食べに出ました。

翌日は九份へ。茶館(「九份茶坊」)でお茶を飲み、土産物街をうろうろ。あいにくの天気で眺望は楽しめませんでしたが、昼食は東海岸の景勝地・鼻頭角にある海鮮レストラン「海園」。ここはたいそう美味でした。台北に戻りしばし休憩ののち、士林の夜市へ。ここからのアテンドはなんとN社の台湾法人C社長。食事のあとはその案内で行ったカラオケに興じました(林森北路「ひまわり」)。C社長のお話どおり、ママの歌はプロも顔負けのうまさ。聞けば、お姉さんはプロの歌手で、日本でもときどきコンサートをおこなっているとのことです。
3日目は、戦前からある老舗の茶館(=「紫藤盧」)で昼食。なんでも、「2・28事件」のとき、蒋介石政権に反旗をひるがえした仲間たちのたまり場だったといいます。その後、「2・28記念館」を見学し、北投【ペイトウ】の温泉地へ。川っぷちにある「川湯」という日帰り温泉でひと風呂浴びたあとはまたまた宴会に。

ホテルに引き返し、C社長と「中正紀念堂」を見学したあと、C社長も初めてという1人前750台湾ドル(日本円で3000円くらい!)という牛肉麺(台北牛肉麺コンテストで1位に輝いたそうです)を食べ(中山北路の「晶華酒店=リージェント台北ホテル」)、空港へ。夕方の便で帰国しました。バンコクから参加のSくんも、仕事のため後発の別便で東京へ。私たちのEVA便が遅れたため、なんと羽田の荷物受取所で再会するというおまけ付き。
ちなみに、今回初めて知ったのですが、「城南宮」の創建は794年で、白河天皇が「鳥羽離宮(城南離宮)」を作られたのを機にその一部となったとのこと。歴代の天皇・上皇もしばしば訪れておられるようです。位置的に京都御所の裏鬼門にあたることから、貴族の方違【かたたがえ】用の宿所として用いられ、方除【ほうよけ】の神として信仰を集めた時期もあったといいます。その後応仁の乱で荒廃したものの、江戸時代に復興。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」では主戦場となったそうです。




3方が床からほぼ天井まで書棚が作り付けになっていて、そこには大人も子どもも楽しめる本がかなりの数、置かれています。マンガもあれば、絵の描き方を教える入門書、郷土の本、健康の本、旅行の本など、所狭しと並べられていて、見た目はまさしごく「図書館」。私もこの日、拙著『100通りのありがとう』を寄贈させていただきました。ほかにも、震災にかかわる本が何冊も展示されているなど、建物の保有主の性格が手に取るようにしてわかる本が並んでいます。
正午に始まったパーティーは、2年前ニューヨークでの「9・11」コンサートでもご一緒した女性(楯石千恵子さん)が司会。なめらかな話しっぷりで、30人ほどの参加者もすぐ溶け込み、3月20日に石巻市でおこなわれるミュージカルシネマ『100通りのありがとう』上映会に向けた実行委員会の主催。上映会のチケットをどうさばいていくかについて検討するための集まりです。手作りの料理や差し入れが山ほど届けられ、それをつまみながら、またミュージカルをプロデュースし脚本を書き舞台監督を務め音楽も全部作った寺本建雄さんのトークショーも楽しみつつでしたので、あっという間の2時間でした。