女子ラグビーW杯の初戦はフランスが相手

 2017年8月9日

前夜、「ゲイアティー・シアター」に行く前に立ち寄った、向かい側のショッピングモールでお土産を少々購入。それからドライブに出ました。最初の行き先は、前日その前をバスで通った「グラスネヴィン墓地(Glasnevin Trust)」。

IMG_1577広大な敷地にびっしりお墓が並んでいるのですが、入口のまわりにあるのは、大きな墓石とアイルランド独特の十字架。ケルト十字と呼ばれるものだそうで、私たちにもなじみのあるラテン十字と、十字の交差部分を囲む環から成っています。人間の背丈より高いそれがずらっと並んでいるのを観ると、不思議な迫力を感じます。

 

そこから北上し、次に訪れたのが「モナスターボイス(Monastervoice)」。先端が破壊された「ラウンドタワー」のまわりに多くの墓標が立っているのですが、その中にひときわ高い「ハイクロス」があります。前面にほどこされたレリーフはみごとの一語。例によって、ドイツ人の一団がそれを囲み、ガイドの話に熱心に聞き入っていました。

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続いて「ニューグレンジ(New Grenge)」を訪れます。5000年も前に作られた墳墓群で、世界遺産の一つ。ただ、この日の見学ツアーは予約でいっぱいのため、中は見学できませんでした。仕方なくビジターセンターの展示だけで我慢しましたが、今回は家人も歩くのが大変ですから、かりに予約が取れても、見学ツアーはしんどかったかもしれません。また、“次の機会”ですかね。

今日の最終目的地は「タラの丘(Hill of Tara)」。ケルト人の血を引くアイルランド人の、いうならば心のふるさとのような場所=聖地で、なだらかな丘の中にポツンと石が立っているのが印象的でした。丘の一部は鉄器時代の要塞跡。そこに「王の砦」があり、その「王座」の中心部に石柱が残っています。まわりに何もないところにポツンと立っているのが興味をそそりました。

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しかし、なんといっても私たちの心を奪ったのは、青い空と白い雲と緑の草の取り合わせ。まわりをさえぎるものが何もない中、なだらかな丘陵全体を覆う澄んだ空とそこにたなびく雲のコントラストが際立っていました。もし、どんより曇っていたら、印象は大きく変わってしまうでしょう。

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夜は「女子ラグビーW杯」の予選がダブリン市内であるので、あまりゆっくりもできず、再びダブリンに戻ります。W杯といっても、2015年秋にイギリスで開催された男子ほどの盛り上がりはありません。私自身も、今回は世界陸上の「ついでに」観戦、というのが正直なところです。

ただ、この「ついでに」が、旅ではとても大事というのが私の考えです。前に書いたかもしれませんが、私の出身地は“ほぼ名古屋”なので、そのあたりに関してはけっこうシビアというか、常に「ついでに」を意識しながら旅の計画を立てます。その昔「一粒で二度おいしい」というキャッチフレーズで売ったお菓子がありましたが、同じ時間と費用と手間をかけるのなら、「ついでに」別のことも実現(実行)しようという意識がいつも働いているのです。もちろん、“100%名古屋人”の場合はもっと徹底しているでしょうが……。

さて、試合会場では食事らしい食事は期待できないので、ホテル近くの日本料理屋でTake-away(持ち帰り)の寿司を買いました。タクシーで市内のUCD(ダブリン大学)のグラウンドに向かおうとしましたが、運転手にW杯のことを伝えても「何、それっ?」といった感じです。チケットを見せ、やっと納得してくれたようで、15分ほどで到着。しかし、正確には違う場所でした。要するに、この一帯は同大学のグラウンドがいくつもあり、会場になっているのはその中で最も大きなグラウンド。降ろされた場所からさらに10分ほど歩いたところにあったのです。

IMG_1620W杯といっても、スタンドは半分仮設のような感じ。ただ、それでもけっこう日本人サポーターの姿がありました。SAMURAI(侍)のいでたちをしていたり、赤と白のメークをほどこしていたり、目立つことは目立つのですが、アウェイの地ですから数的な劣勢は明らかです。

 

劣勢なのは今日フランスと戦う日本チーム(桜フィフティーン)も同じ。たまたまグラウンドに両チームが並んで入場する場面を間近で観たのですが、大人対子どもといった印象。それにしても、フランスの選手のまあ大きなこと!

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女子のW杯に日本が出場するのは4大会・15年ぶりのことだそうですが、男子以上に体の小ささが際立ちます。開始早々、10秒経過したかしないかのうちにノーホイッスルトライを奪われ、そのあと立て続けに3本も取られてしまいました。アタックはけっこうスピーディーなのですが、ディフェンスがどうにもいただけないというか……。前半を終わって7―29、後半もフランスに攻められっぱなしで、最後は14対72。それでも2本トライを奪えたのは、次につながりそうです。

本場の「アイリッシュダンス」はやっぱり違う!

2017年8月8日

朝いちばんで、タクシーでダブリン最大の観光スポットと言っていい「トリニティー・カレッジ」へ。1592年の創立ですから、400年以上の歴史があります。なかでも「オールドライブラリー」の2階にある「ロングルーム」は出色でした。高さはゆうに3フロア分ありそう、幅20m・長さ65m近い空間の両サイドに書棚があり古書がビッシリ収められています。朝早くから、それこそ世界中の人が見学にやってきていますが、お目当てはこれ。ウェブサイトでチケットを購入していた私たちはすんなり入れましたが、出るころにはチケット売り場に長蛇の列が。学生たちがアルバイトでキャンパス・ツアーを引き受けており、それが収入源にもなっているようです。

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IMG_1553その後は「ホップオン・ホップオフ」観光バスで市内を観光。「ダブリン城」「クライスト・チャーチ大聖堂」「聖パトリック大聖堂」「ギネス・ストアハウス」「キルメイナム刑務所」「クローク・パーク・スタジアム」など、名所を外から見ただけですが、バラエティーに富んでいて飽きることがありません。夜は“アルコールの都”といった趣のダブリンですが、昼間はそうしたことをまったく感じさせないのが面白いですね。1回目の最後はオコンネル通りで降り、近くでランチ。

 

午後はもう一度バスに乗り、「ダブリン城」と「聖パトリック大聖堂」へ。なかでも「聖パトリック大聖堂」は大変なにぎわいで、入口前の道路に大型観光バスがひっきりなしにやってきて団体客をおろしては乗せていきます。そのため、道路が大混雑していました。

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アイルランドにルーツを持つ人は世界中に散らばっている(その数は8000万人と言われる)そうですが、その多くが自分のルーツを確認しにアイルランドにやってくるといいます。夏休みの時期でもあり、その数もいつになく多いのでしょう。ちょっと動くのにも不自由するくらい混んでいるのも仕方ありません。

今夜は「アイリッシュダンス」のコンサートがあります。日本を出発する前にチケットを購入しておいたのですが、会場は「ゲイアティー・シアター(Gaiety Theatre)」。140年以上前に建てられた、アイルランドでもいちばん老舗の劇場で、毎年夏は、それまで世界中を回っていた「リバーダンス」が里帰り、2カ月半ぶっ通しで公演するのだとか。

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何年か前、東京・渋谷で「リバーダンス」の公演を観たことがあるのですが、そのときはさほど興味深く感じませんでした。ところがこちらで観ると、その迫力に圧倒されてしまいます。客もよく知っている(当たり前か)ので、拍手・歓声のタイミングが的確。そのためでしょう、東京で観たときとはまったく違う印象です。わざわざ本場で観たかいがありました。

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まずは、ダブリンの動物園でキリンにご挨拶

2017年8月7日

ロンドンには全部で5つの国際空港があります。今日はその一つのロンドンシティ空港からアイルランドのダブリンへ。1時間少々で到着し飛行機の扉が開くと、空港の職員が待機していました。職員が1階の荷物受け取り場まで車イスを押してくれるのは大変助かります。そのあとスーツケースを転がしながらレンタカーの窓口へ。車が用意されている場所までシャトルバスに乗って移動し手続きを済ませるところまでは順調。しかも、今回はレンタカー会社の職員が、カーナビの入力方法などことこまかに手ほどきしてくれたので、これまでのように、借りて乗ったはいいが、なかなか出発できないというストレスからも解放されました。

時間に余裕があったので、ダブリン市内に入る前、動物園に立ち寄ることにします。ナビに入力すると10分ほどで到着。事前の調べでは、動物園自体に駐車場はないとのことでしたが、実際に行ってみると、そこら中、路駐しまくり。みんなで止めれば怖くないと、私たちもその中にまぎれ込みました。

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DSC02710世界で3番目に古い動物園というだけあって、入口の建物はクラシックな風合いで,雰囲気十分。ただ、古いだけに敷地は狭く、そのわり全体の配置がわかりにくい。何より大変だったのは園内の通路が狭かったこと。車イスに乗った家人と一緒に動かなくてはならないので、まあ難儀しました。また、今日はバンク・ホリデーという、国民の休日と重なっていたため、親子連れの客で土日並みの混雑ぶり。よけい動きにくかったような気がします。

 

IMG_1520しかし、ここにもパリに負けず劣らずたくさんのキリンがいました。しかも、シマウマとダチョウと同居しているのです。もともといたアフリカのサバンナでは当たり前の光景なのでしょうが、動物園でとなるとやはり新鮮ですね(横浜の「ズーラシア」も同じようになっているとか)。キリンとシマウマが、何がどう魅かれ合うのかわかりませんが、ほぼ左右対称にたたずんでいたりして、可愛らしいといったらありません。気がついたら小1時間もその前にとどまっていました。

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それにしても、動物園の案内表示というのはなぜ、どこも皆例外なしにわかりにくいのでしょう。「→」のついた表示板があるのでそれに従って歩いていくと、途中でそれが消えてしまったりするのは日常茶飯事。あるはずの通路がなくなっていたり、これまで何度も悩まされた経験があります。

ここダブリンも事情は同じようで、あっちに行ったりこっちに行ったりしてけっこうさまよいました。ふだんならなんでもないのですが、今回は車イスを押しながらでしたので、けっこう疲れましたね。

IMG_1543動物園から市内までは15分ほど。天気も素晴らしくよく、川沿いを走りながらすんなりホテルに到着することができました。駐車場も真ん前なので楽々。荷ほどきを済ませると、早めですが食事に出ようということになり、地図を頼りに川のほうに向かいます。車イスはないので、ゆっくり歩きながら探していると、日本料理店があったので、そこに決めました。ロンドンでは食事らしい食事を摂っていなかったので、久しぶりのまともな食事です。

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日本人の女性店員がいて、おすすめを尋ねると「鍋焼きうどんとダイナマイトロール(エビの海苔巻き)」だというので、それを注文。ただ、海外の日本料理店では家人がかならずと言っていいほどオーダーする「揚げ出し豆腐」がメニューに出ていません。そこで、ダメ元で聞いてみると、いわゆる“裏メニュー”ですが、「できますよ」との返答。それも合わせてお願いしました。どれも皆なじみの味で、満足しました。

「ロングウォーク(Long Walk)」に感動!

2017年8月6日

昨年の春知り合ったロンドン在住のIさん、また昨日ご一緒したAさんご夫妻のお誘いもあり、今日は郊外の「タプローコート(Taplow Court)」というところに行きました。昨日初めてお会いしたばかりのKさんが、歩くのが大変な家人のことを慮り、車で送ってくださるとのこと。そのご厚意に甘え、ホテルから1時間足らずで到着。2年前に初めて訪れときも素晴らしさに感動しましたが、今回もやはり、来てよかったと思いました。

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しかし、それ以上にうれしかったのはIさんのご案内で連れていってもらった「ウィンザー城」近くの「ロングウォーク(Long Walk)」です。これには言葉も出ませんでした。城内の「ジョージ4世門」からまっすぐに伸びるこの道は、はるか先にある「ジョージ3世の騎馬像」まで全長4・8km。この日はまた、素晴らしい好天で、端から端まですべて、この目で見通すことができました。「ウィンザー城」自体の訪問もまだ果たしていないので、次回は城の中とともに、この長い道を自分で歩いてみようとも。もちろん、そのときは家人も杖なしでいてもらわないといけませんが。

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私たちは今夜も「世界陸上」。「ウィンザー城」の最寄りの駅からロンドンスタジアムまではゆうに1時間半はかかるそうなので、早めに現地を出たのですが、いささか早く到着しすぎたようです。昨日と同じく車イスのステーションを経由してスタンドに入りましたが、しばらく待たされたほど。ただ、明日のホテル出発が早いので、今日は競技の途中で引き揚げざるを得ません。

 

この日是が非でも見たかったのは、前日ボルトが敗れた男子100mの表彰式です。表彰台に上がるのは3位のボルトから。名前がコールされたときは割れんばかりの拍手と大歓声。しばらくの間、鳴りやみませんでした。2位のC・コールマンに対しては普通の拍手。しかし金メダルのガトリンに対しては、またしても大ブーイングです。「うーん、ここまでやるか……」と思わされる反応でした。でも、ボルトはそれに反応するわけでもありません。国歌の演奏が終わり、メダルを手にした3人が並んでカメラを向けられているときも何食わぬ顔をしていました。クールな大人といった印象です。

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本当は観たい種目もあったのですが、先のような事情で早めにスタンドをあとにしました。入口わきにあるステーションまで戻ってきたものの、駅まで行くシャトルがまだ走っていないとのこと。30分歩待ってほしいと言われたので、その場でイスに腰かけていたところ、ボランティアのどなたかが見るに見かねたのか、ホテルまで送ってくださるというではありませんか。これには恐縮しましたが、せっかくのご厚意なのでそれに甘えさせてもらいました。おかげで、予定よりはるかに早い時間にホテルに戻ることができ大助かり。「世界陸上」のボランティアスタッフの皆さん、本当にありがとうございました!!

世界陸上2日目で観たボルト

2017年8月5日

昼間は、トラファルガー広場近くの「ナショナル・ギャラリー」に。こちらもまた宮殿のような建物で、内部も床から天井から壁から、どこを見ても素晴らしい。以前行ったパリの「オルセー美術館」ほどではないにしても、フランス印象派の名作がゴロゴロといった感じで展示され、目を休める暇がありません。さすが“大英帝国”!

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今回、柄にもなく、2日連続で美術館を訪れたのは、ほかでもない家人の体が言うことをきかないためです。こうした施設に行くとかならず車イスが用意されており、楽に動き回ることができます。元気なら、あちらこちら見物や買い物に行けるのですが、そうもいきません。そこで、室内の施設に行き先を絞ったわけですが、すわっている家人のほうはまだしも、後ろからそれを押す私のほうは不慣れもいいところで、あっちにぶつけ、こっちをこすりといった感じですから、家人もさぞかし疲れたことでしょう。さほど遠くない将来、実際に自走式の車イスのお世話にならないという保証はありません。そのときのための、いうならば“予行演習”だったと思いましょう。

IMG_1124今日は、たまたま同じ時期に日本からやってきていたAさんご夫妻とIさん──どちらも「北前船寄港地フォーラム」などの折、顔を合わせている親しい方々です──と一緒に世界陸上を観戦しにいくので、セントパンクラス駅構内のショッピングモールで待ち合わせました。このモールの中にピアノが置かれていて、通行客が自由に弾くことができるのですが、ピアノの心得があるIさんがそれに気づき、何曲か演奏すると、まわりの通行人も足を止めて聞き入っていたのが印象的でした。

私たちも含め5人で、前日と同じように地下鉄を乗り継ぎストラッドフォードの駅まで。そこから「体の不自由な人のための」シャトルバスに乗ってスタジアムまで行くのは前日と同じ。早めにホスピタリティー・エリアにも入ることができ、いよいよ男子100mの準決勝、そして決勝になりました。ユセイン・ボルトのラストランです。日本のメディアはボルトの名を「ウサイン」と言っていますが、これは「Usain」をローマ字読みしているから。現地では「ユーセイン」と発音していました。

そのボルト、準決勝こそ1位で通過したものの、決勝では3位。残念な結果に終わりましたが、それでも場内の観客はボルトにありったけの拍手喝采を送ります。それはそれでいいのです、ワリを食ったのは優勝したジャスティン・ガトリンです。世界陸上ではなんと12年ぶりで優勝──中長距離ならまだしも100mですから、大変な快挙です!──したのに、まったく無視されたまま。

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そもそも、スタート前の出場選手紹介の段でもガトリンの名前がコールされると大ブーイングが起こっていたくらいです。ボルトより先に1位でゴールしたあとはそれがいっそう強まりました。これには私も家人も疑問を抱きましたが、イギリス人というのは、スポーツに対してはとことん「フェアプレー」を求めるようです。ドーピング違反でそれを破ったことがあるガトリンに対しては、「絶対許すまじ!」という気持ちがやはり強いのでしょうね。

 

それにしても、今大会のジャマイカ短距離陣の不振は深刻のようです。このままでは男女とも、100mはメダルなしに終わりそう。代わりに、アイボリーコーストとかボツワナ、南アフリカといったアフリカ勢の台頭が目立ちます。すべての種目で、以前とは勢力分布が大きく変わりそうな予感がしてなりません。また、それがまた「世界陸上」の興趣をいっそう高めてくれるので、私たちも目が離せないというわけです。

 

なんと、途中までボルトの前に日本人選手が!

2017年8月4日

IMG_1496今日から、今回の旅のメインイベント「世界陸上」がスタート。スタンドに座ると、今回は席がゴールラインのぴったり真上。それだけでも感激していた上に、100mの日本選手が3人全員が予選突破という快挙のおまけつき! もう、最高でした。1組のサニブラウンはスタートから最後までトップ。10秒05の自己ベストタイ。最後の6組に登場した多田は、途中までなんとボルトの前を走っていました。最後は4位でしたが、タイム順で拾われセーフ! 3組の飛鳥も4位でしたが、こちらもタイム順で予選を通過。明日の準決勝が楽しみです。

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DSC_0028今回は初めて、「初日」からの観戦となりましたが、驚いたのは表彰式のやり直しです。過去の大会でメダルを取った選手が、その後ドーピング検査でひっかかり失格になるケースがあります。それによって4位だった選手が3位に繰り上がったりすると、繰り上がった選手に改めてメダルが授与されるのですね。その授与式を初めて見ました。

 

その中に、なんと2009年大会の女子4×100mリレーで3位に繰り上がった国のメンバーがいました。4人のうち1人は何かの事情で来れなかったようですが、残りの3人は大喜び。同じく3位からの繰り上がりで銀メダルを受け取った女子選手は涙でくしゃくしゃ。圧巻は、1位が失格した2013年の女子4×400mリレー。3つの国のチーム全員がそろい、一ランク上のメダルをかけてもらっていました。国旗の掲揚こそないものの、国歌の演奏はあるので、スタンドは全員起立です。

この日のメインイベントは男子の1万。3連覇を狙うファラーが地元イギリスなので、スタートからゴールまでずっと大歓声。1万は最後の1~2周に来て、大きな歓声が沸くのが普通です。最後の1・2周を短距離並みのダッシュで競い合うことが少なくないからですが、今日は1周目からずっと「ファラー!」の大声援が途絶えません。30分近い時間ですから、女子棒高跳や男子円盤投げの予選に出ていた選手は大変だったでしょう。ファラーもそれに応えて優勝、もう化け物というか、神様というか、恐ろしい選手です。

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この日の午前中は「大英博物館」に朝9時から並びました。いつ行っても行列している大英博物館ですが、今日はまた一段と長かったのではないでしょうか。というのも、「葛飾北斎展」があと1週間ほどで閉幕となるため、それを見逃すまいという人がいっぱい詰めかけていたからです。

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常設展示は無料の「大英博物館」ですが、こうした特別展だけは有料になります。日本を出るひと月前にサイトをチェックしたときは、好きな日の好きな時間帯に前売り券が買えるという感じだったのですが、7月25日ごろのぞいてみると、どの日のどの時間帯もすべてSOLD OUT! 「ご覧になりたい方は、当日の朝9時から並んでお買い求めください(それでも早い者勝ちなのでチケットが入手できないこともあります)」とあったので、こうした事態になったのです。

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ホテルから「大英博物館」まではタクシー。降りると、早くも100人以上の列が。「うひゃー!」と一瞬ドッキリしましたが、開門と同時にどんどん人がハケていきます。しかも、門をくぐるとすぐ、女性の職員が私たちに声をかけてくれました。家人の杖が目に入ったのでしょう、「体の不自由な方はこちらからどうぞ」ということで、敷地内に入っても蛇行しながらゆっくり進む列とは別に、建物まで最短距離のコースで行けました。こなるともう“魔法の杖”ですね!

チケット売場で「車イスを借りたいのですが」とお願いすると、「入口を入ったすぐ脇にありますよ」と教えられ、私が列に並んでいる間に家人が車イスを借り、自走させながら戻ってきました。しかも、チケットの値段がえらく安くなっています。車イスの家人はなんと無料、付き添いの私も通常のおよそ半額で済みました。なまじネットで前売りチケットを買えなくてよかったというのもおかしな話ですが、結果としてはそういうことになったわけです。

DSC02655さて、「北斎展」のほうですが、これがまた素晴らしい内容。というか、私たちが認識していた北斎とはまったく別の面があることを知らされました。「富嶽三十六景」だけが北斎ではないのです。ある版元がスポンサーについており、そのリクエストに応じてほとんどなんでも描いていたようで、「えーーっ、何、これ?」と思うような絵もいっぱいありました。私たちが見慣れている北斎の作品より、そっち系のほうが多かったので、北斎の意外な一面を学ばせてもらった感じがします。帰りにミュージアムショップで、35ポンドもする高価公式カタログをつい買ってしまったほどです。

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そのあと、20年以上前に来たときは混雑して観られなかった展示室を中心に、さらに小1時間ほど中を回りました。昨年行ったカイロの「エジプト考古学博物館」とはまた違う古代エジプトの作品を観たり、そのエジプトの敵だったアッシリアの美術作品も数多く展示され、興味は尽きません。そもそもこの大英博物館を1回や2回で全部観て回るなどというのは無理な話で、「続きはまたこの次……」と自分に言い聞かせながら、博物館をあとにしました。

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次に訪れたのは「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」。こちらは「大英博物館」ほど大きくはありませんが、やはり大変にぎわっていました。入場は無料ですが、建物の素晴らしさはさすがという感じがします。

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3時前にホテルに戻りひと休みしてから、いよいよロンドンスタジアムへ出発。こちらも、体が不自由な観客は、ストラッドフォード(Stradford)という最寄りの駅から専用のシャトルバスが用意されているのです。それに乗せてもらい、車イスを貸し出してもらえるところまではすんなり行けました。そのすぐ近くの入口からスタンドに入り、上の階のホスピタリティーゾーンまではボランティアの方に介添えされ、観戦が終わったあとの段取りもていねいに教えてくれます。こうした態勢は実に行き届いていますね!

パリの動物園にはキリンが群生

2017年8月3日

ロンドンに出発するまで数時間の空きがあります。ホテルは「シャンゼリゼ通り」「凱旋門」近くですが、「ヴェルサイユ宮殿」まで行っている余裕はありません。そこで郊外でもわりと近い、「ヴァンサンヌの森」にある「動物園」に行くことに。メトロで1本、乗り換えもないので比較的楽そうです。

IMG_1310地下鉄の駅を降りると大きな宮殿があり、その先が動物園のようです。駅からはタクシーに乗りましたが、これがまたBINGO! 我が愛するキリンが、な、なんと12頭も群生しているではありませんか。ただ、すべてのキリンをいちどきに見られるわけではありません。表舞台に出ているのは4~5頭ほどで、残りはそこからは見にくい裏側のエリアにいるのです。まさか交代交代で登場するわけではないでしょうが、かなりの頭数がいるように思えたので、家人を車イスに乗せたまま、私ひとりでスロープを昇り、裏のほうに行ってみました。すると、6、7頭がのんびりエサを食んでいます。全部が同時に表のほうに出てきたらどれほどの迫力か……。なんとも、残念ではありましたが、それでも私がこれまで見た動物園のなかでは最大の集団です。

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園内での移動は車イスを押しながらですから、おいそれとはいきません。通路がすべて平坦というわけではありませんし、道幅が狭くなっているところでは、すれ違う人や、立ち止まっている人の後ろをすり抜けるようにして動くなど、それはそれで気を遣います。

ちなみに、車イスを借りることについては、事前にネットで調べておいたので、入口でチケットを買ったあと、すぐそばにある事務所で手続き(ここではパスポートを預けるスタイル)を済ませるだけでした。

パリの動物園はもともと80年以上も前に誕生しましたが、10年ほど前にいったんクローズして大リノベーションされ、2014年に再度オープンしたのだそうです(その間、動物たちはどうしていたのか気になりますが)。14・5ヘクタールもの広さ(東京ドーム3個分)があり、園内の仕切り方もユニークなので、どの動物ものびのびした雰囲気です。園内にそびえる岩山(アフリカにはありそうもないような)は、元からあったのか人工的に造ったのかわかりませんが、広いだけにわかりやすい目標になっているように思えました。

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IMG_1325メトロの駅までバスで戻り、近くのレストランでランチを済ませると、預けておいたスーツケースを取りにホテルまで戻ってタクシーを呼んでもらいました。長年の夢だった「ユーロスター」のパリ側の出発駅=北駅までに移動するためです。そもそも、「世界陸上」の観戦だけが目的なら、航空券も東京・ロンドンの区間で購入すればいいのですが、ついでに「ユーロスター」に乗ろうと思いついたことで、パリ往復のチケットにしたのです。
「ユーロスター」に乗るにはチェックインの手続きがあります。なるほど、国際線ですからそれも納得。チケットとパスポートを持ってフランスを「出国」すると、すぐイギリスへの「入国」手続きが。そのブースの先には、空港と同じく「免税店」もありました(規模は全然小さいですし、ブランド品もなし)。

ただ、沿線の景色はあまり刺激的ではありません。えんえんと畑が続いたかと思ったら、風力発電用の風車がずらっと並ぶエリアがあり、そこを過ぎるとドーバー海峡に下を通り抜けるトンネルです。北海道新幹線のように、アナウンスが流れるわけでもなく、気がついたらそこはもうイギリスという感じでしょうか。

IMG_1103到着したのは、ロンドン市内でも東のほうにあるセント・パンクラス・インターナショナル駅。ラグビーW杯の観戦で2年前に訪れたとき、のべ8泊(後半の5泊は帯状疱疹で入院状態でしたが)もしたホテルのすぐ近くなので、なんだかなつかしい感じがします。

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今回はそのとき、いつも前を通り過ぎながら感心していた、ヴィクトリア様式の古めかしい建物のホテルに4泊。セントパンクラスの駅に隣接しており、最初にステーションホテルとして建てられてから140年ほど経過しているといいます。1935年のホテル廃業後は、第2次世界大戦中に3度も空襲に遭ったのだとか。老朽化がいちじるしく、結局、1990年代半ばまでずっと放置されていたそうです。その間は映画やテレビドラマのロケに使われなどしながらかろうじて命脈を保ってきましたが、2007年、「ユーロスター」の発着駅に決まったことで、その運命が大きく変わりました。

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IMG_1357どこかの国の事業家がこの建物を買収し内部を大改装、新しいホテルに生まれ変わらせたのです。バーとレストランはもともと、旧セントパンクラス駅の切符売り場だったスペース。内部の梁や柱も昔のままで、それが全体の中でみごとに調和しています。古き時代の豪華絢爛な内装を生かした旧館は目の玉が飛び出るような宿泊費を取りますが、私たちが予約しておいた新館のほうは、大改装に併せて増築した部分なので、値段も手が出る範囲。部屋は広く、快適に過ごせそうです。

車イスに乗っての海外旅行を初体験

2017年8月2日

羽田からANAでパリに。半月ほど前に膝を痛め、まだ歩行に不自由をきたしている家人のため、4回乗る予定の飛行機すべて、航空会社に車イスを手配してもらいました。羽田では、チェックインを済ませたところから飛行機に乗るまで、係員がずっと車イスを押してくれます。乗るときもいわゆる「事前改札」で、たくさん並んでいるお客さんより先に機内に。家人だけでなく、介添え役の私も一緒にです。だれもまだ乗っていない飛行機の中に入るという経験を初めてさせてもらいました。座席も、トイレに行くのになるべく短い距離で済むよう配慮してくれるなど、そうした立場にある人のことを初めて実感。でも、膝以外はいたって元気で、なんだか申し訳ない気も……。

ただ、乗ってしまえばほかの乗客と待遇はまったく変わりません。逆に、降りるときはいちばん最後。蛇腹を通り抜け飛行機から1歩出たところに現地の係員が車イスを用意して待っています。家人はそれにすわり、入国手続きのブースがずらっと並ぶエリアに。しかし、ここでも車イスに乗っている人は別ルートで、長い時間並ばずに済みます。

そこを通り抜けると、次は、こんなところにあるんだというような場所にある特別のエレベーターで、バゲージクレームまで移動。私が2つのスーツケースを受け取りカートに積むと、最後はタクシー乗り場まで連れていってくれました。すぐにでもタクシーに乗せそうだったので、「すみません、とりあえずタバコを一服」とわがままを聞いてもらい、そこでお別れしましたが、体が不自由な乗客に対するケアと移動の仕組みがよくわかりました。

IMG_1285ホテルに着き荷ほどきを済ませると、いい時間になっていたので夕食を摂りに。といっても、杖をつきながらの家人と一緒ですから、あっちこっち探し歩くわけにはいきません。そこで、決め打ちというか、歩いて10分の範囲内で見つけようと。すると、何年か前、ブリュッセルで食べたムール貝のおいしいレストランの支店が! 迷わずその店に入りました。味は本店より若干劣るものの、文句は言えません。さあ、明日から、杖をついた家人との旅はどうなるのでしょうか。

 

 

 

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レゴランドは中国人観光客でもっている(?)

2017年7月25日

私たち夫婦、娘と2人の子ども(=私たちにとっては孫)、合計5人で名古屋のレゴランドに行ってきました。かつてイタリア村という施設があった跡に作られたのですが、オープンしてまだ半年も経っていないというのに、客の入りはいまひとつだといいます。入場料が高い、アトラクションが貧困、食べ物が高いなど、さまざまな原因が指摘されているようですが、いまひとつ“突き抜けた感じ”していない感じがしました。

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もともとがデンマークという、ある意味成熟しきった国から生まれたもの娯楽施設ですから、本質的なコンセプトがそうそう簡単に変わるわけもありません。そのあたりが日本人にもう一歩フィットしないのではないかという気がします。

 

それと、名古屋・愛知県の場合、まわりの人が行かないと、みずから先頭を切ってまで行こうとしない気質・県民性があります。これは2005年の愛知万博でとっくに実証済みのはずなのですが、レゴランドをこの地に持ち込んだ企業も人も、そのあたりに思いが及んでいなかったようです。放っておけばまだまだ時間がかかるのはまちがいないでしょう。

 

割引をするとか営業時間を延ばすとかしても、それが客足に大きく影響することはありません。たくさんのお客に来てもらうには、「オレたちもよー、行かんといかんて(=私たちも行かなくちゃいけない→遅れていると思われる・バカにされる……)」といった気持ちにさせないと、この地の人は足を運んでくれないのです。逆に、まわりが行き始めると、それこそ我も我もという感じで足を運ぶようになります。

 

日本の小中学校も夏休みだというのに、客の3分の2は中国人でした。台湾か大陸かははっきりしませんが、とにかく、聞こえてくるのは中国語がほとんど。「USJ、レゴランド(NRLというかどうか知りませんが)、TDLを一挙制覇する旅」とかいうのがあり、それで来ているのかもしれません。

 

IMG_11222人の孫たちはそれぞれ喜んでいました。下の孫は、新幹線に乗れたのが最高にうれしかったようです。それにしても、蒸し暑い1日でした。港のすぐ近くで、海からの風がもっとさわやかに吹き抜けるかと期待していたのですが……。

 

鎌倉文学館のバラは一見の価値ありです

2017年6月17日

高校時代の仲間と、3月の台湾に続いての「修学旅行」。今日と明日の1泊2日ですが、ちょうどアジサイの季節で、鎌倉の町は人、人、人。池袋から乗った湘南新宿ライン逗子行きの電車が北鎌倉駅に停車したときは、それより1本前の電車から降りた客が改札をまだ出きっておらず、ホーム上に行列を作っていました。

集合が鎌倉駅だったのは大正解で、こちらはまだそれほど混雑していません。しかし、前夜からYくんの別邸に泊まり込んでいた4人は江ノ島駅で電車(江ノ電)を3本ほど待ったとのことで、15分ほど遅れて到着。江ノ電は車両も小さいし、4両編成ですからね……。

DSC02520★さて、7人全員がうちそろったところで、まずは長谷の大仏(高徳院)まで歩きます。国宝であることは、今回初めて知りました。前回鎌倉に来たときはちょう工事中で見られなかったものですから。歩くこと30分弱。高校2年のときの修学旅行以来なんと50年ぶりで大仏とご対面。NHKの『ぶらタモリ』でも取り上げられていましたが、鎌倉の大仏はもともと大きな大仏殿の中に収まっていたといいます。その痕跡(土台石)が、大仏の周りに何カ所か残されていて、一同納得。結局、大仏殿があったのは、完成(1252年が定説らしい)から250年ほどの間だけだったのですね。その間、地震で壊れるたびに再建したものの、とうとうあきらめ、いまと同じ野ざらしの状態になったようです。

大仏をあとにし、次の目的地・鎌倉文学館に行く途中で昼食を済ませました。昼を過ぎるころから町を歩く人の数もどんどん増えてきます。メインの道筋からちょっと引っ込んだ場所にある文学館の入口は、味わいのある石組みの門。坂を少し昇ったところに建つ建物はもともと加賀前田氏15代当主・利嗣の別邸だったそうです。最初は和風建築でしたが、関東大震災で倒壊してしまったため、1936年にいまの洋館が完成。

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周りが小高い丘に囲まれ、木々を背にして立つ建物の姿が際立っています。建築物としても美しく、洋風の庭園も立派で、鎌倉の海が見渡せます。その南側にあるバラ園は、それほど広いわけではありません(600㎡)が、美しい花を咲かせていました。6月半ばという時期は、春のさまざまなバラが咲き誇るタイミングでもありますし。多種多様なアジサイもきれいでしたよ。

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人の出もそれほどではなく、芝生の上で横になる者、木蔭でコーヒーを飲む者などめいめい落ち着いたひとときを過ごし、次の目的地に向かったのは3時半過ぎ。さらに20分ほど歩き、海沿いに建つアジサイの名所・成就院へ。ただ、なぜかアジサイの花は咲いておらず、由比ガ浜の海岸を展望しただけで終わり。海岸近くの酒屋まで歩き、夜の宴会用にと酒やらつまみの類を大量に買い込みます。

DSC02580★荷物を置きにいったんYくんの別邸まで移動し、6時過ぎから七里ガ浜の人気イタリアンレストランで大晩餐会。目の前が海という最高のロケーションですから、まわりのテーブルはすべていい雰囲気のカップルばかり。そうした中で、66~67歳のおやじ7人が飲みまくり・食べまくりですから、その夜この店でデートしていたカップルには「なにー、これ!」と思われたかも。でも、こちらはなんと半月も前に予約していたのですから、堂々たるものです。まあ、常軌を逸した呵々大笑は遠慮しましたが。

サンチアゴ空港でうれしいハプニングが!

2017年5月9日

7日の朝7時50分発のLAN便でまずサンチアゴまで2時間20分。今日は、朝のやわらかな光を浴びたアンデスの山々が見えます。サンチアゴで4時間余のトランジット、カンタス便でシドニーへ。これがなんと14時間10分のロングフライト。映画を1本観て、あとはほとんど眠っていました。

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翌日の夕方、ようやくシドニー空港に到着。ラウンジでシャワーを浴びました。初めての経験でしたが、気分はスッキリ。最終目的地羽田に飛び立ったのは夜8時45分、9時間30分のフライトで今朝の5時15分に羽田到着。

ただ、サンチアゴ空港のラウンジで思わぬハプニングがありました。ビールを飲みながらノートパソコンをいじったりしていたのですが、途中、昨晩の試合に出ていたサンウルブズの選手やコーチの顔を発見しました。最初はためらいもありましたが、「旅の恥はかき捨て」というではありませんか。思い切って声をかけ、「一緒に写真を撮ってもらえますか」とお願いしました。手に昨夜買ったレプリカのラグビーボール(ふくらんだままなのが幸いしました)を持ちながらでしたので、こちらの意図も一発で通じました。疲れているはずだから断わられるかもと思いましたが、そこはやはりプロ。居合わせた3人全員がイヤな顔ひとつ見せず席を立ち、笑顔でカメラに収まってくれたのです。右がエドワード・カーク選手、中央がラーボニ・ウォーレンボスアヤコ選手、左がサム・ワイクス選手です。

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さて、見かけ上は46時間の移動ですが、時差が12時間あるので実質的には34時間になります。トランジットの時間を差し引いて、正味26時間のフライトですから、疲れないわけがありません。それでも、思っていたほどではなく、自宅に着いてから数時間後には、フツーに仕事していました。夜もけっこう頑張り、12時近くまで。メラトニン(時差のある旅には欠かせないサプリメント)を飲んで寝みました。

惜し~い! 最後の10分で逆転負け

2017年5月6日

今日こそ動物園に行こうと思っていたのですが、やはりホテルの人が言っていたとおり、これまで市内にあった動物園は昨年クローズしてしまっているようでした。キリンに挨拶をしたかったのに、なんとも残念。事前にネットで調べたとき、動物園の一部は植物園に移設されているといった情報もあったので、念のためそちらにも行ってみましたが、やはり動物はいませんでした。

DSC02424旧動物園はいま工事の真っ盛りといった感じでしたが、それにしてもブエノスアイレスはいま、街中が工事だらけ。不景気で公共工事をおこなっているのかもしれません。植物園からタクシーで「ガレリアスパシフィコ」に行き、中華のランチを済ませ午後は休憩。夜のスーパーラグビーのサンウルブズ戦に備え、体力を温存しておこうと。ただ、アルゼンチン・ペソの現金がやや不足気味だったので、ホテルからまた「ガレリアスパシフィコ」まで両替に行きました。そのついでに、初日の夕方、十分に見て回れなかった「サン・マルティン広場」の周辺を歩いてひとまわりしてみることに。

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さて、ラグビーです。今日の相手はアルゼンチンのジャガーズ。昨年サンウルブズが唯一の勝利をもぎ取った実績があるので期待できます。ただ、今シーズンのジャガーズはここまですでに4勝を挙げており、かなり力をつけている様子。

キックオフは夕方6時40分なので、1時間前にはスタジアムに着いていようと、ホテル出発は5時にしました。ブエノスアイレスでもかなり西のほうにあり、ホテルからは間違いなく30分はかかるとのこと。また、帰りの足のこともあるので、タクシーをチャーターしました。

5時前にロビーでドライバーに合流。えらく愛想のいい人で、車中もしゃべりっぱなし。お互い、片言の英語なので意は十分に通じます。スタジアムの前で降りると、帰りの待ち合わせ場所を決め、いったん別れました。

試合がおこなわれる「エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ」はけっこう古く、しかもそれほど大きくありません。入場ゲートを通り抜け、敷地内に入るとファンゾーンがあり、グッズや飲み物を売る店が何軒か出ています。また、広場のようなところでは、お楽しみイベントがあちこちで繰り広げられていました。アルゼンチン協会公認ラグビーボールのレプリカを買おうと店に行くと、空気が入ったままのものしかないといいます。でも、ブルーの模様がついたものがほしかったので、それで我慢。

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スタンドもかなり古びており、トイレなどもうボロボロ。家人は「ドアのカギが閉まらないから、足で押さえて……」などと話していました。私たちの席は正面、ほぼハーフウェーライン上の位置で、前から8列目。前のほうに10数人の日本人グループが座っていました。「GO!SUNWOLVES!!」と書いたボードを掲げながらの応援です。アルゼンチン在住の人たちなのか、それとも日本かほかのどこかの国からやってきたのか定かではありませんが、えらく熱が入っていました。ほかにも何人か、日本人が私たちの近くにいましたが、99対1のアウェーゲーム。レフェリーの笛がどうなるのか、そちらの不安もあります。

しかし、そんな心配もどこへやら。キックオフ直後からサンウルブズが絶好調で、ほとんどの時間帯でリードを保ちながら残り10分まで進みました。ただ、この10分間でジャガーズが立て続けに3トライし、逆転されてしまい、終わってみれば、39対46。なんとも惜し~い! ゲームでした。それでも5トライを挙げたのでボーナスポイントもつきます。でもやっぱり勝たなくては……。

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試合の途中、東京・秩父宮のパブリックビューイングの映像を観ていたのでしょう、古くからの友人がメールを送ってくれました。メッセージには「テレビに出ていますよ!」と。こちらのテレビ映像に、スタンドにいる私たちの姿が映ったにちがいありません。数少ない日本人ファンですから、映像的にはおもしろいのかも。

試合が終わってスタンドの外に出るとタクシードライバーが待ち受けてくれていました。すぐに乗って、9時にはホテル着。いよいよ明日は帰国です。ホテル出発が6時過ぎと早いので、今晩中に荷造りを済ませておかなくてはいけません。順調に進み、12時にはGOOD NIGHTとあいなりました。

やっぱりおいしいアルゼンチン牛肉

2017年5月5日

今日も昨日と同じく乗り降り自由の観光バス。ただ、最初はタクシーで「レコレッタ墓地」まで行きました。その近くに動物園があるからですが、ホテルを出るときドアマンに聞いてみると、「動物園? ここから車で1時間半ぐらい行った郊外にあるけど」と言うではありませんか。ただ、それは「世界でいちばん怖い動物園」と言われるルハン動物園のことです。こちらは、ライオン、トラ、ゾウ、シマウマ……など、すべての動物と直接触れ合うことができるスタイルになっています。

でも、本当は市内に、普通の動物園もあるはずなのです。「いや、それはもうない」というのです。おかしいなと思いましたが、とりあえずそれを受け入れ、今日はあきらめることにしました。

「レコレッタ墓地」はブエノスアイレスでも人気の観光スポットになっているようで、多くの人が訪れていました。お墓とはとても思えないほど立派な建築物が並ぶ墓地にはびっくり。沖縄や台湾の墓も真っ青といった感じです。エビータとサルミネント元大統領の墓はとくに人気で、小中学生が社会科見学で訪れたりしていました。

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DSC02304ここからバスに乗り今日はブエノスアイレスの北から西にかけてのエリアをひとまわり。ラプラタ川添いの道路を走るのですが、どう考えても川には見えません。川幅はこのあたりで50km、河口部はなんと220kmもあるそうです。「世界でもっとも川幅が広い」というのも納得。天気もいいのに、懸命に目を凝らしても対岸はまったく見えてきません。

 

 

DSC023117日の朝、帰りの飛行機の乗るホルヘ・ニューベリー空港を過ぎるとバスは大きなサッカー場の横を通ります。ブエノスアイレスにはプロのサッカーチームが5つあるそうですが、その一つCAリーベル・プレートのフランチャイズ「エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ(通称エル・モヌメンタル)」です。

 

 

DSC02331そこから今度は、ブエノスアイレスで最近人気のエリア「パレルモ地区」に到着。ここで下車してランチをすることにします。目に入ってきたカフェ風の店がよさそうだったので、迷わず入りました。とりあえず注文すると、隣、また横、後ろのテーブルの客がそろって口にしている飲み物がありました。大きなボトルに葉っぱが入っており、ちょっと濁った感じに見えます。

 

!cid_462f04eb-51fa-4151-a67b-2dcd9c3918aa@apcprd04_prod_outlookボーイに「あれは何だい」と尋ねてみると、「リモナーデスだよ」と。レモネードですね。さっそく注文してみました。飲むとけっこういけます。道理でみんな頼んでいるはずだと納得。食事もおいしく食べられ、お腹いっぱいになって店を後にしました。

 

ここからは再びバスに乗って、観光スポットでまだ観ていない「五月広場(Plaza de Mayo)」まで。「大統領府(カサ・ロサーダ)」の前にある大きな広場で、人気スポットのはずなのですが、さほど人は出ていませんでした。広場の北側にある教会はブエノスアイレスの「メトロポリタン大聖堂」。

 

ちょうど夕方5時前だったので、ガイドブックに書いてある「大統領府」の衛兵交代式が観られるはずなのですが、衛兵それ自身の姿が見えません。どうしたのだろうと、あきらめて帰り支度を始めると、「大統領府」の建物からすーっと出てきました。しかし交代式は別の場所でおこなわれるようで、後ろからついていくと、先の教会に。中に入ると、その一角でごく簡素な交代式がおこなわれました。台北の「中正紀念堂」でのそれと比べるとえらくあっさりした感じで、あっという間に終了。

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IMG_0842夕食は、わざわざ遠出する気分でもなかったので、ホテルから歩いて5分以内のところで見つけることに。すると、店の名前も何も出ていないのですが、お客はそこそこ入っているレストランがありました。すぐそこに決めて中に入り、炭火焼きのアルゼンチン牛肉(日本人好みの刺しは一切なし)を注文。ここはおいしかったです。やはり本場の肉は違いますね。しかも、値段がウソのように安いのです。

 

 

「日本庭園」には外国人がいっぱい

2017年5月4日

出発前に国内で予約しておいた、市内のあちこちを自由に見て回れるホップオン・ホップオフスタイルの観光バスでまずはおさらいです。「コロン劇場」の前から乗って市内の南東部を観て回りました。ボカ地区が中心ですが、「カミニート」という観光名所は初めてだったので大感動。ブエノスアイレスでもいちばん古くから開けていた場所で、カラフルに塗られた外壁の家並みが特徴的。北半球でいうとちょうど11月の上旬と同じ季節なので木々が紅葉しており、この界隈にもそうした木が。それが街並みにも文字どおり色を添え、いっそう美しく見えました。

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昼食は、前日も訪れた「ガレリアスパシフィコ」地下のフードコートで。ファストフード系の店が多い中、この「ポスタベッキア」という店だけは別格のよう。ここに入って、牛肉の炭火焼きステーキを食べました。えらいボリュームで、味はハイレベル、しかも安いこと。女性が一人でふらっと立ち寄り、ワイン1杯と各種の炭火焼きステーキをささっと食べていきます。さすがアルゼンチンですね。

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!cid_6c8901b3-bf77-4b23-8868-80a4bc9da25b@apcprd04_prod_outlook午後はまずエビータ博物館へ。エビータはミュージカルの作品にもなった、元アルゼンチン大統領ペロンの夫人エバ・ペロンのこと。地方のごく普通の家、しかも私生児として生まれ、若いころはウエイトレスやモデル、娼婦を生業としていましたが、声優や女優として次第に名を上げていきます。それが、当時まだ軍人(といっても、軍事政権下で副大統領兼国防大臣兼労働局長の任にあった)フアン・ドミンゴ・ペロンに見初められ結婚。

 

 

 

!cid_3d01beca-e057-4cd8-80fe-fc876ab9eb0d@apcprd04_prod_outlook !cid_a3e71543-9ae0-4265-9d75-4aa5819ba1cd@apcprd04_prod_outlook

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その後ペロンが大統領になったため、突然ファーストレディーになります。その生い立ちから国民的な人気を得るようになった、現代版シンデレラといった風の女性。32歳の若さでガンに斃れたこともあり、伝説の人になっています。100ペソ紙幣にも描かれていることからもその人気ぶりがうかがえます。ただ、その一方で、過去の来歴、あるいはファーストレディーとして公私混同と言われても仕方のない行動が目立ったため、存命中は批判する者も多かったようです。

 

続いて足を運んだのは「日本庭園」。あまり期待していなかったのですが、ここがなんと大当たり! この種のスポットは“「日本」とは名ばかり”とまでは言わないものの、結構いい加減な造りをしていたりして、がっかりさせられることが多いのですが、ここは違いました。まず、お金をしっかりかけてあるのが一つ。庭園自体も素晴らしいですし、季節柄、鯉のぼりが上がっていたりなど、随所にさまざま工夫が凝らされ、観る者を飽きさせません。しかも、来場者が多いのです。日本人は一人も見かけませんでしたが、あちこちからやってきた外国人観光客は真剣な表情。近ごろはどこの国に行っても、「日本の文化」が注目されていることを実感しますが、それはこの地でも同じようです。

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IMG_0825この日のバス観光で最後に立ち寄ったのが、「世界で2番目に美しい書店」と言われる「El Ateneo Grand Splendid(エル・アテネオ・グラン・スプレンディド)」。もともと劇場だった建物を改装して作られたのだそうで、荘重な印象さえあり、観光名所になっているのも納得です。1階と2階がメインのようで(ところどころにソファー風のイスが置かれていて、そこに腰をおろして本を試読しているお客も)、3階は壁に絵が展示され、休憩場風になっていました。

 

 

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ただ、「2番目に美しい」と言われると、「じゃあ、1番はどこなの?」と気にかかります。もともと、このランキングはイギリスの新聞「GUARDIAN」が2010年7月に「The world’s 10 best bookshops」と題して発表したものだそうです。日本では、京都の「恵文社」という書店が選ばれているとのこと。なかには、世界遺産になっている書店もあるようで、ぜひ一度のぞいてみたいと思います。

美しいアンデスの山並みが見えました

2017年5月3日

サンチアゴからブエノスアイレスへの移動はKLM便。ビジネスクラスではありましたが、もともとがアムステルダム→サンチアゴ→ブエノスアイレスという長距離便の最後の1区間に乗る形なので、機材もグレードが高く、快適そのものでした。オークランド→サンチアゴのときは十分観られなかったアンデス山脈も、こんどはバッチリ。こんなに美しい山並みがスモッグのため、サンチアゴの街中からはほとんど観られないというのはなんとも残念です。

飛行機はアンデスの5000~6000m級の山の上を飛ぶので、窓のすぐ下に頂上が見え、スリリングながらも素晴らしい景色。とはいえ、進行方向左側の座席だったので、迫力はいまイチでした。アンデスはやはり雪をかぶっている南のほうが美しいので、帰りが楽しみです。

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ブエノスアイレスもサンチアゴと同じく25年ぶりの訪問。来る前に、その当時使い残したアルゼンチン・ペソの紙幣や硬貨が多少あったので、どうしようかとも思いましたが、その間にデノミがおこなわれていたので、いくらなんでもということで、持たずに来ました。アルゼンチンの経済はいまでも不安定のようで、過去2年間で物価が30%も上昇したといいます。ガイドブックで見た空港から市内への定額タクシー代金450ペソが740ペソに上がっているのには驚きました。

もともとブエノスアイレスのタクシーは、料金がいい加減というか、空港→市内中心部は、空港のカウンターで定額を払い、その領収書を持って乗るのがいちばん安全とされているようなのですが、それがこのありさまでは、一瞬だまされたのかも……と疑ってしまいました。でも、そうではなかったのです。

DSC02230なんとかホテルに無事到着し、チェックイン。場所も便のよさそうなところで、ほっとひと安心です。とりあえずアルゼンチン・ペソの現金がないので、近くにある市内随一のショッピングモール「ガレリアスパシフィコ」の両替店に行ってみることに。これがまた立派な建物で、さすが“南米のパリ”と呼ばれるだけのことはあります。

 

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1888年に作られたこの建物は、ミラノのヴィットリオ。エマヌエーレ2世●を模したもの。最初は「ボンマルシェ」というデパートだったようです。しかし、その後のアルゼンチンの政治的な混乱等により、デパートは廃業、一部は国立美術館として使われるようになります。さらに、その後はブエノスアイレスとチリとを結ぶ鉄道を営業していたイギリス資本の会社の本社として使われました。それが「Pacifico」という名称につながっているようです。しかし、軍事政権下の時代には拘置所として使われたりするなど、ひどい状態でした。1989年になって歴史的建造物の指定を受け、翌90年に現在のショッピングモールに改装されたといいます。そんなモールの周辺はほかにもお洒落な建物がごろごろあります。アールデコ調でも、品がいい感じで、観ていても飽きません。

昨日あたりから時差ボケが顕著に出始めており、夜は早い時間から眠くなり、朝はメッチャ早い時間に目が覚めるという悪循環におちいりつつあります。この日もそうなりそうだったので、食事もホテルの近場で済ませることにし、日本料理の店に。「入船」という店でしたが、家人は前夜と同じ寿司の盛り合わせ、私は親子丼。ブエノスアイレス風というか、日本のそれとはまったく異質のものでしたが、それはそれでけっこういい味がしました。

ウワサの「生ウニ」はいまひとつでした

2017年5月2日

サンチアゴは2回目ですが、最初のときはバスに乗って市内を走っただけなので、観光はほとんどしていません。そこで、今日は朝から市内観光に出かけました。出発前にインターネットで予約しておいたのですが、実際にスタートしてみると、ウェブサイトに記されていた内容とは大違い。ずっとバスに乗って動き、要所要所で下車してはガイドしてくれるスタイルかと思いきや、実際は「中央魚市場」の前で下車してあとはずっと歩きながら廻るのです。でも、それがかえってよかったようです。

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魚市場というのは世界中どこでも同じような印象ですが、さすが水産資源に恵まれたチリだけあって、種類も豊富、何より新鮮な感じがします。市場のほとんどを占めているのが、ウニを食べさせてくれるので有名な「DONDE AUGUST」というレストラン。朝だったのでまだオープンはしていませんでしたが、ランチどきになるとここがいっぱいになるとのこと。これは今日の午後のお楽しみですね。

DSC02130次に行ったのは、チリ発祥の地「アルマス広場」。1541年のことだそうで、当時の建物もいくつか残っています。そのすぐ近くにあるコーヒースタンドにガイドさんが連れていってくれたので、試しに1杯注文、手にしながらまた歩き始めます。ただ、このコーヒーがまったくなじめない味というか、こうも違うのかと驚きました。見た目はたしかにコーヒーなのですが、なんとも表現しがたい味。どうにもなじめず、結局、街角のゴミ入れに捨ててしまいました。同じツアーに参加していたオーストラリア・メルボルンの老夫婦も同じだったようです。メルボルンはコーヒーの名所ですからね。

 

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次は、大統領府がある「モネダ宮殿」、そして「サン・フランシシコ教会」と見て歩き、再び車に。かつての要塞「サンタ・ルシアの丘」に昇ったあと、川を渡った先にあるお土産物屋に立ち寄り、最後はホテルまで送ってもらいました。

 

 

 

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すぐにまたランチを食べにタクシーを呼び、中央市場までとってかえします。タクシーのメーターもすぐに何千になります。ホテルから市場までメーターは9300ペソでしたが、チップ込みで10000ペソ札を渡しました。1700円弱という計算になります。

DSC02198さっそく「DONDE AUGUST」でウニや海鮮スープを注文し、食べてみましたが、ウニは生臭く、生で食べるのはちょっと難しそうでした。前日、インターネットで仕込んでおいた情報どおり、一緒に出てくるタマネギとパクチーをたんまり載せてレモンを絞り、そこにオリーブオイルをかけ混ぜ合わせてみたところ、なんとかイケました。といって、目の球が飛び出るほどおいしい代物ではありません。家人はまったくダメなようで、別にオーダーした海鮮スープもややクセがあり、あまり進みませんでした。まあ、安いは安いのですが、「ウーン」といったところでしょうか。

食べたあと、地下鉄の駅まで歩いたのですが、帰りは午前中とはうって変わって大変な人出。タロット占いの小屋のようなものがずらっと並んでおり、どこも皆お客さんが。真剣・深刻な顔をした人が多いのには驚きました。

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ホテルに戻りしばし休憩ののち、夕食へ。ホテルから歩いて行ける場所に日本料理店があったのでトライしました。「将軍」という名前で、まわりはすべてチリというのに、いきなり日本家屋風の店がポツンと建っています。最初目に入った店員は皆チリ人。テーブルに着くと、すべてスペイン語でしたが、テキトーにやり過ごし、ビールと焼き鳥、厚揚げ豆腐、鍋焼きうどん、家人は寿司の盛り合わせを注文します。

ふと見ると、私たちのテーブルの後方にカウンターがあり、女性らしい感じの板前さんが出てきました。「おーっと」と思いましたが、寿司はどうやら彼女の担当のようです。でも心配は杞憂に終わり、まずまずの味でしたし、そのほかのメニューもそこそこ。なかでも、焼き鳥は日本のそれより美味。チキンのクオリティーが高いのでしょうね。

預けた荷物がなかなか出てこず冷や冷や

 

2017年5月1日

ブリスベンからNZのオークランドまで3時間10分、4時間後のLATAM便に乗り換えて11時間20分。ブリスベンとの時差が11時間あるので、チリのサンチアゴ空港に着いたのは午後2時半過ぎです。預け荷物がなかなか出てこず、心配しましたが、最後の最後、それも“おまけ”で出てきたといった感じのスーツケース2個をでやっと受け取ることができました。乗り継ぎが2回もあると、どうしても心配になります。

ターミナルビルの外に出る前、税関から出てすぐのあたりから「TAXI」と書いた案内板を手にしたドライバーが待っていて、声をかけてきます。真正面のカウンターに「OFFICIAL TAXI」とあったので、それを信じてお願いしました。通貨単位が1ドル=約650ペソ=110円なので、100ペソで17円ほど。空港からホテルのある新市街までの定額運賃は24000ペソですから、4100円くらいになります。

ホテルでチェックインを済ませ、すぐ近くに立つ南米でいちばん高い展望台(=300メートル)がある「コスタネラ(Costanera)センター」へ。ただ、ホテルの周りもそうでしたが、このビルも閑散としています。そうか、5月1日はメーデーで、休日なのですね。それでも展望台はオープンしていて、上がってみたのですが、あいにくの曇り空で、アンデス山脈は残念ながら雲というかガスですっかりかすんでしまっていました。

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コアラがこんなに可愛いとは!

2017年4月30日

今日のメインはコアラです。ホテルから歩いて10分、ブリスベン川に架かるヴィクトリア橋を渡ってすぐの桟橋から10時に出発。途中、両岸の景色を楽しみながら1時間15分で到着です。ブリスベンの人口は230万、これは名古屋市とほぼ同じ。土地があり余っている感じのオーストラリとあって、街のつくりにも余裕が感じられます。

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川岸には最初のうち高層マンション、途中から中低層マンション、30分を過ぎたころからは小ぶりの一戸建て、目的に近づくころには大豪邸と、都市の住宅事情をそのまま反映した感じの景色が。でも、建っているマンションも住宅も、こぎれいというかおしゃれというか、日本人が目にしたら、こんなマンションに住めたら、こんな家を建ててみたいといった感じの設計がされています。それもヴィクトリア様式あり、コロニアル風あり、モダンありと、多種多彩。

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それでも、船内に流れる案内を聞いていると、FLOODという言葉が何度となく出てきました。ブリスベンというところはとにかく洪水が多いようです。ひどいときは、私たちが乗っているクルーズ船が5週間止まったとか、被災した地域の救助・復興に3カ月かかったとか、そのためにボランティアが何万人も出動したといった内容でした。川の両岸はたしかにきれいです。でも、川はやはり川。自然の摂理には勝てないというか、何年かに一度は大きな洪水に襲われるのですね。ブリスベン川は地図を見るとすぐわかりますが、くねくねと蛇行しているので、洪水が起こりやすいのでしょう。

さて、「コアラ・サンクチュアリー」です。さほど広大ではないのですが、いまから80年ほど前、当地の資産家が寄贈した土地に作った、まさにコアラの天国。敷地の半分はユーカリの林で、どこを歩いてもその香りが。ここには100頭を越えるコアラがほぼ放し飼い状態で、のんびり暮らしています。

観光客がコアラを抱き、それを写真に撮ってくれるというのが最大の売り。私たちも20ドルを支払って列に並びました。係員の指示にしたがって手を腰の前に差し出すと、そこにコアラが乗っかります。しかもこちらにしがみつくような感じで、いうならばユーカリの木の代わりを務めるわけですが、おどおどした様子はありません。そこをスタッフがカメラでパチッ。こちらのカメラでも撮ってくれます。

 

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カンガルーのエサやりもできるのですが、こちらは予想どおり、飽食気味なのか、振り向きもしないカンガルーがほとんど。昼寝の邪魔をしないでくれよという顔を見せるカンガルーもいました。

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もう一度コアラがいっぱいいるエリアに行くと、こちらはちょうどランチタイムだったのか、ユーカリの葉っぱにむしゃぶりついています。それも1頭、2頭、3頭……。いちばん多いときは5頭のコアラが並んで食べていました。これまでコアラといえば1頭だけ、それも寝顔しか見たことがなかったのですが、これにはもう大感動。さして興味もなかった私も、カメラのシャッターを押しまくりでした。

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ブリスベンというのはサイズがちょうど手ごろというか、ゴミゴミ・ゴチャゴチャしておらず、とても快適な街です。温暖な気候のせいもあるのでしょうが、人々のハートも温かく、観光案内所やホテルのスタッフもカフェの店員も都会的な親切みが感じられました。ベタベタではなくほどよい距離感が心地いいですね。夕食はホテル近くのシンガポール料理で済ませました。

スタジアムがなんとも立派。これでは日本も……

 

2017年4月29日

成田を前日の夜8時半に出て9時間、オーストラリアのブリスベン空港に到着したのは今日の早朝6時半。快晴、しかも時間のわりに温かいのは、多少なりとも赤道に近いせいでしょう。ホテルには7時半ごろ着きましたが、部屋はまだ空いておらず、時間をつぶさなくてはなりません。というわけで、すぐ近くのクイーンストリートモール(Queen Street Mall)までぶらぶら歩いていきました。

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DSC01913カフェでお茶を飲み、近くにあるたいそう立派な観光案内所へ。パンフレットをめくったりパネルをじっと見ていたりすると、「何かお分かりならないことはありますか」「どこかご希望の場所はおありですか」などと、やさしく声をかけてきます。なんとなく方針が決まり、相談すると、とても親切に対応してくれました。結局、明日(4月30日)は船に乗って、「コアラ・サンクチュアリー」に行くことに。実を言うと、こちらに来る前、旅行プランをあれこれ練っていたときは、対象外のスポットでした。ただ、家人の「コアラを抱いてみたい」というひと言で方針転換、予約を入れ、その場で支払いも済ませました。

DSC01947そのあとは近くの「シティーホール(市庁舎)」に。ブリスベンはヨーロッパと違い、中世以来のなんとか……といった類の観光スポットはありません。「シティーホール」にしても、19世紀の終わりごろに作られた建物です。それでも、「歴史の浅い国ほど歴史を大切にする」とはよく言ったもので、いまも大事に使われているようです。1階にはブリスベンでいちばん古いカフェがあり、3階には美術館・博物館も。いちばんの“売り”とおぼしき「時計塔」も無料で見学できます(ただし予約制)。

というわけで1時間後に予約し、そのまわりをぶらぶら。中央駅や旧郵便局など、どれも宝物のような扱いで、きちんとメンテナンスされています。中央駅は現役ですから、電車が出たり入ったりしており、改札システムも日本並み。気温は予想していたよりはるかに高く、日差しも強烈で、サングラスを忘れてきたのが悔やまれます。

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DSC01948「シティーホール」まで戻り、オーストラリで最古の手動式エレベーターに乗って「時計塔」のあるフロアーに。そこからは階段(あらかじめ「28段あります」と知らされていたので安心です!)で昇ります。ただ、最上階からの景色はいささか期待外れでした。何も障害物がなければ川面が観られ、「水の都」を実感できたのでしょうが、中高層のビルがびっしり立ち並んでいますから、どちらを見てもビルしか見えません。

DSC01952そのあとホテルに戻り、やっと空いた部屋で荷ほどきを済ませました。私たちのホテルはかつての州大蔵省(Treasury)の建物をそのまま使った歴史的な建造物。その姿が格好いいので予約したのですが、カジノも併設されています。Treasuryとはもともと宝とか金庫という意味。カジノで遊んで文字どおり宝が手に入ればいいのですが。

 

 

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ホテルの対岸は文化・芸術エリアとでもいうのでしょうか、美術館や博物館、ギャラリー等がズラッっと並んでいます。その中の一つ「クイーンズランド博物館」に。世界でいちばん大きなゴキブリが展示されているというのですが、最初はなかなか見つからず、係員に尋ねると、席を立ってそこまで案内してくれました。いました、いました! よく見ると、なんとなんと生きているではありませんか。でもちょっと……ですね。

 

再び橋を渡り、ホテルから歩いて10分ほどのところにあるハンバーガー専門店(ブリスベンでNo.1だそうです)で軽く腹ごしらえ。今夜はスーパーラグビーの観戦です。一方は、昨年シドニーで観戦したゲームの片割れワラタ-ズ(本拠地はシドニー。マイケル・フーパー、バーナード・フォーリーなどオーストラリア代表がごろごろ在籍。昨年の対戦相手はNZのチーフスでした)。相手はここブリスベンが本拠地のレッズ(日本代表のトゥイヘンドリックも在籍)です。今シーズンはオーストラリアのチームが全体的に地盤沈下していて勝てていないのですが、今日の試合はどうでしょうか。

 

DSC01977タクシーで10分ほどでサンコープスタジアムに到着。外観はそれほどでもないのですが、中はもう素晴らしいのひと言! こういうスタジアムがオーストラリアやNZにはゴロゴロあるのです。その点日本は「いまだし」。強くなるには形から、といってもユニフォームではなく、さらにその1段階前、グラウンドです。これが日本の場合、極端に遅れています。野球場は全国どこの町に行ってもあちこちあります。サッカー場も最近はどんどん増えています。でも、ラグビー場となると……。

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キックオフは午後7時45分。一進一退の好ゲームで、最後は29対26、アウェーのワラターズが勝ちました。後半残り7分まで3点差で負けていたワラターズが2本のPGを決めて勝ち越し。フォーリーのキックが百発百中。それが勝因です。ブリスベンのファンは残念無念の巻だったでしょう。

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客の入りは半分弱といったところでした。スーパーラグビーは来シーズンから3チーム減るのですが、その原因の1つがオーストラリアのチームがいまひとつパッとせず、観客動員も少ないことにあるようです。もっともスタジアム自体が大きい(サンコープスタジアムは52500人収容)ので、半分入っていないと、かなりさびしい印象がしてしまいます。

ホテルに戻ってからカジノで軽く遊んでみました。カジノといっても、ラスベガスやマカオとはまったく違います。去年お邪魔したシドニー、メルボルンのそれとも違います。なぜか──。もともとカジノとして作った建物ではないので、大きな空間がないのです。日本のホテルの中宴会場サイズが3、4つあり、あとは皆小宴会場ばかり。それでもけっこうお客が入っていました。場所柄か、中国人の客が3分の2。あとは地元の人でしょうか。最低の掛け金が1セントからですから、健全に遊べました。

夏日の東京から、冬に戻った酒田・秋田へ

2017年4月20日

前日(4月19日)午前11時発・山形県の庄内空港行きANA便に乗りました。自宅から最寄り駅まで乗ったタクシーにはクーラーが入っていました。東京はこの日まで3、4日、最高気温が25℃を超える夏日が続き、ぽかぽかです。ただ羽田では、「庄内空港行きの便は、現地の気候状況によっては羽田に引き返すことも……」という条件付きの運航。にわかには信じがたいのですが、仕方ありません。

着陸の15分前、奥羽山脈の上空を飛んでいたときはきれいな青空で、出羽三山を覆っている残雪の白さがまぶしいほど。ところが、空港近くになると猛烈な強風です。着陸寸前には風で大きく煽られ、大丈夫かな……と一瞬不安に。しかし、パイロットの腕は確かで、ほとんど衝撃なしにドンピシャリの着陸を決めてくれました。でも、窓の外を見やると雨がぽつりぽつり。予報どおりの天候です。

迎えに来てくださったMさんと食事をし、そのあと空港のやや南にあるホテルまでインタビューに向かいました。途中、横風でがんがん煽られます。2時半にインタビューを終え、酒田市内の取材へ。もうこのころになると気温はぐんぐん下がり、風も強まる一方。

酒田の港近くにある日和山【ひよりやま】公園は、風速20~25メートル。吹き飛ばされそうな状態でした。気温もおそらく3℃前後でしょう。カメラを持つ手もかじかんでいました。それでも前日満開になった桜は凛としています。ひとひらの花びらも飛ばされずにいるのです。ただ、花見客はゼロ、店も開いていません。

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IMG_0612江戸時代の船宿兼倉庫兼販売店といった感じの鐙【あぶみ】屋も、明治期まで栄華をきわめた「山王くらぶ」も、市の資料館を訪れたときもどしゃぶりの雨と強風。チケット売り場の人も恐縮至極というか、「よくもまあ、こんな天気のときに来てくださって……」といった感じで応対してくれました。

酒田から秋田県にかほ市に向かう国道7号線の途中、遊佐【ゆざ】町あたりでしょうか、両側が桜並木になっているところを通過。花は残念ながら半分以上散ってしまっていましたが、満開だったらさぞかし……と思わせます。Mさんが店を開いておられるにかほ市象潟【きさかた】のあたりでは、松尾芭蕉の歩いた奥の細道を車でたどりながら往時をしのび、さらに同市の北にある「道の駅ねむの丘」に立ち寄った(9年ぶり!)あと秋田まで。

さて、今日(4月20日)は朝食後、新幹線の出発時間まで多少時間があったので、ホテル近くの久保田(秋田)城がある千秋【ちあき】公園に足を運んでみました。城と桜というのは黄金の組み合わせというか、全国各地で見られる光景です。まして満開が近いとなれば……と期待しつつ行ってみたのですが、桜はまだ7分程度。週末からが見ごろといった感じでした。昨日ほど寒くなく風もおさまっていたのが救いでした。

桜はいまひとつでも、園内にはいい場所があちこちにあります。露店が軒を並べているのが興ざめといえば興ざめでしたが、まあ、これはご愛嬌でしょうね。

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いささか期待外れの「琉球海炎祭」でした

2017年4月8日

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いよいよ今晩は、今回のメインイベント「琉球海炎祭」。那覇市内でまだ足を踏み入れたことのないエリア波の上宮近くにある三重城【みえぐすく】小船溜にある桟橋から船に乗って、会場の宜野湾まで船でひとっ走り。年間を通じて全国で最初という触れ込みの花火大会を海の上から楽しむというものです。

6時半ごろ那覇を出て宜野湾沖合まで45分ほど。8時10分前になって、ようやくスタートしました。ただ、連続してバンバン打ち上がる花火大会を期待していると、うーんということになってしまいます。陸上に特設舞台のようなものがしつらえられ、そこにすわりながら楽しむというのが本筋のようで、今回は安室奈美恵とかが歌を披露していたようです。MCの進行に合わせているので、その様子がわからない海の上では、待ち時間がやたら長く感じられました。

DSC01885花火の打ち上げは1時間ほどで終わりましたが、迫力的にはいまひとつ。また、その間ずっと海上に浮かんだままなのでビミョーな揺れがあり、あまり心地よくありません。ふだんはシュノーケリングとかホエール・ウオッチングに使われている小型船だそうですから、こういう用途にはそもそも不向きなのかも。もっと大きな船で、それなりに広い甲板に大きなテーブルがあって、船内ではビールや軽食が売られ、それをつまみながら……などと勝手に思い込んでいたこともあり、欲求不満が残りました。天気がよかったのがせめてもの慰みかも。

「首里そば」の上をいく「骨汁定食」=980円なり!

2017年4月7日

沖縄も今日でちょうど1週間。前回は「首里そば」についてお伝えしましたが、今回はその名も「骨汁定食」。この店では、名物のそばを作るのに、豚骨に玉ねぎ、泡盛を加えて煮込んだ出しをベースにしているそうですが、それに豚のスネ肉を入れショウガを加えてさらに6時間グツグツ。大ぶりの丼に入って供されますが、まずそのボリュームにビックリ。上から下まで骨、骨、骨。たっぷりの汁の中に、バラバラになった肉、肉、肉。汁はすべてコラーゲンかといった感じもします。ショウガが効いていて、ひとすすりするだけで元気が出てきて、食べ終わったころには顔の肌もつるつる(ウソです)。これで980円は、安~い!

骨汁定食 before

骨汁定食 after 

付け合わせのごはんも、沖縄の定番=じゅうしぃでなく白飯なのは、味付けが濃厚(でも、しつこくはありませんよ)だからでしょう。ご覧のとおり、久しぶりの完食。これほどの大ヒットメニューに遭遇できたのは偶然。前日(4月6日=“新聞をヨム日”)目にした新聞広告──それも、1面のコラム左横という地味な場所で見つけたのが気になり、行ってみたおかげです。

ちなみに、この店の名前は「御殿山(うどぅんやま)」。見た瞬間「おー、沖縄にもうどんの店があるのか」と思ったのですが、琉球方言では「御殿」と書いて「うどぅん」と読むんですね。それと、「そば」は「すば」と言います。「4・6=読む日」に限らず、新聞、読みましょう!

まだまだ“知らない沖縄”が……

2017年4月4日

1日から沖縄に来ています。2日までは「寒気の来襲で真冬並み」だったのですが、昨日からは沖縄らしいポカポカ陽気。今日は「4月下旬並み」の暖かさでした。久しぶりにドライブを楽しむことにし、ここ数年インバウンド需要で大いに盛り上がっているという南城市と、隣接する糸満市へ。

最初に行ったのは知念岬公園。太平洋を見渡す高台にあり、眺望抜群。海岸べりなので、心地よい風が吹いています。パラグライダーの名所らしく、空を気持ちよさそうに飛んでいるのがうらやましい!

浜辺の茶屋3次に訪れたのは、静かな海岸に建つ「浜辺の茶屋」。ここは大当たりのスポットでした。目の前が砂浜というロケーションで、3階建ての古いロッジ風の建物で、3階が地上と同じ高さでルーフバルコニー。2階が屋根付きの普通な感じの店舗、階段を降りた1階はビーチの上にテーブルとイスが並んでいます。

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奥武島のてんぷら屋

次は、7~8年前に行ったきりで、すっかりご無沙汰している奥武島【おうじま】。目標は、本当から橋を渡ってすぐのところにある刺身とてんぷらが名物の魚屋さん。前は屋台に毛が生えたくらいのちっぽけな店だったのが、いまでは3階建てのビルに変身。1階が即売店、2階はレストランになっています。名物のてんぷら売り場にはなんと行列が! メモ帳に記された品名に数を書き込む、近代的な(?)スタイルになっています。

さらに、海に近いところにも別の3階建ての真新しい建物を発見。中に入ってみると、あるお店のおかみさんが、「おかげさまで2年前にここ(建物)ができまして……」とうれしそうな顔で話してくれました。見ると、隣もその隣も、台湾、韓国からやって来た感じの人たちばかり。いやはや、インバウンド恐るべしです。

 

ジョン万次郎上陸の地奥武島からさらに西へ走り、次に訪れたのは「ジョン万次郎上陸の地」。前こちらを走ったときはなかったスポットで、これも1、2年ほど前に記念碑が建てられたばかりのようです。ジョン万次郎が10年間のアメリカ生活を終えて帰国する際、鎖国を敷いていた日本に直接戻るのを避け、当時は独立国だった琉球を選んだのだとか。そして、無事上陸を果たしたのが糸満市大度【おおど】浜だったそうです。

そこからさらに西へ、ひめゆりの塔を過ぎ南に下ると喜屋武【きゃん】岬があります。沖縄本島最南端の地──と思ったのですが、スマホでググってみると、「東南東約1.4km離れた荒崎が実の最南端」と。この一帯は沖縄戦の激戦地で、アメリカ軍から逃げたきた住民・日本軍は自決し最期を遂げたとのこと。慰霊塔が建っているのはそのためなんですね。最北端の辺土【へど】岬は観光客がいっぱいですが、こちらはなぜかまばら。270度といった感じのパノラマビューで太平洋と東シナ海が見渡せる素晴らしい場所なのですが……。

岬から車で5分、やはり海岸の崖っぷちにある具志川城跡もユニークでした。石灰サンゴで作られた石垣が海城であることの証。よくもまあこんな場所に城をと思わずにはいられません。

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糸満市の中心部に入ると、マイナーながらもあちこちに観光スポットがあります。漁業がメインのこの町の氏神を祀る白銀堂。小ぶりな神社ですが、素晴らしい色彩の屋根が印象的です。本殿が背後の山にくっつくように建っているのは神社の伝統的なスタイルでしょうか。

糸満 山巓毛山巓毛【さんてぃんもう】は、糸満の海近くにある展望台のような場所。太平洋戦争中は、防空監視所として使われていたのだとか。レーダーなどという近代的なものは、こんなひなびた場所にはなかったようです。ただ、軍事的にはかなり重要な場所ではないかと思いますが。

最後に行ったのは高嶺小学校の敷地の中にある南山【なんざん】城址(歴史的にはこの逆でしょうか)。すっかり荒れ果ててしまっていますが、往時は威容を誇っていたのでしょう。墓所とおぼしき横長の巨大な石とガジュマルの群生が印象的でした。

南山城跡2

「イッペー」の花城跡の向かい側にある高嶺中学校の敷地に咲き誇っていた黄金色の花の美しかったこと。この季節、沖縄のあちこちで見かけますが、通称「イッペー(イペー)」といいます(正しくは、ノウゼンカズラ科の落葉高木で、コガネノウゼンまたはキバナノウゼン)。もともとはブラジル原産の落葉樹(国花でもあるそう)=イペー(Ipe)だそうで、琉球方言で「いっぱい」「とっても」を意味する「いっぺー」と一体化してしまったようです。

函館で出会った素晴らしいスペイン料理

2017年3月22日
今日は充実した食生活を経験できました。今回2泊したホテルの朝食バイキングもよかったのですが、今日は古川市場の名物「のっけ丼」を食べようと決めていました。7時半過ぎにホテルを出て5、6分歩くと市場が。

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入口を入ってすぐのところにある小さな店先にすわっているおばちゃんから食券を買います。10枚つづりで1080円也。市場の中に魚屋、八百屋、乾物屋があるのですが、どの魚屋でもいいので、好きな食材を選び、ご飯の上にのっけてもらいます。それぞれ必要な食券の枚数が決まっていて、それを渡します。そうやってマイ丼を作り、最後に味噌汁とおしんこを受け取って(食券1枚)朝食が完成。市場のところどころにテーブルとイスが並べられていて、そこで食べるのです。

女子旅とおぼしきグループや老夫婦、単身赴任風の男性、外国人のバックパッカーなど、平日なのでお客の数はそれほど多くはないのですが、バラエティーたっぷり。私ののっけ丼=中トロとハマチ、甘エビ、シラス、しめ鯖、タラの白子をのっけた丼は、写真を撮るのを忘れてしまうほどおいしそう(言い訳にしか思えないでしょうが)。もちろん、最高においしかったですよ。

夜は新青森から新函館北斗まで新幹線で移動し、そこから乗り継ぎの電車で函館駅まで。東埠頭近くのホテルには7時半にチェックインしました。フロントで名前を告げると、「前とご住所はお変わりありませんか?」と尋ねられました。なんと、10年前にこのホテルに泊まっていたのです。そこまでリサーチしているこのホテル、たしかに部屋は快適、眺めも最高です。

!cid_7d6d5887-e028-46a3-9ba5-add30c484ee1@apcprd04_prod_outlook夕食を取ろうと、部屋でさっとググってあたりをつけた店に直行。「ラ・コンチャ」というスペイン料理のレストランでしたが、ピンチョスのおいしかったこと。ひとりで6、7種類食べられれば、いうことなしです。ワインも進み、グラスで3杯空けてしまいました。ここ1週間、横メシとおさらばしていたせいもあるのでしょうが、素晴らしい夕食でした。

青森で経験した哀しい時間

2017年3月21日
昨日は3連休の最後の日。夜8時半ごろ。食事にしようとホテルを出ました。県庁所在地の駅前を走るメイン通りに出たのですが、でも、夕食を食べる店がないのです! おいおい、ここは魚の名産地じゃないのかと、街を歩く人──といっても、ごく少ないのですが──にききたくなってしまいます。

「食べる」というのは不正確で「食べたい」が正確な表現でしょうか。あるのは、日本海庄や、笑笑、魚民、山内農場、弁慶といった全国チェーンの居酒屋ばかり。匠庵、月あかり、北のまつり、三代目網元、井戸端は地元の居酒屋チェーン店。さらに吉野家、ガストときてはもうお手上げです。70歳近くなって吉野家でもありますまい。

30分ほどあちこち探し歩いたあげく、結局コンビニで出来合いの串焼きとチーズを買って、チューハイで流し込みました。いかにも体に悪そうですが、致し方ありません。

IMG_0504しかし、平日の今日のほうがはもっと悲惨でした。早く店も閉まるのだろうと、6時半にホテルを出たのですが、食べたい店がないのです。最後はあきらめて、そば屋で済ませました。通りには信号がありますが、どの交差点も、信号無視で悠々渡ることができるのも驚きました。クルマの往来が少ないというか、信号などあってもなくても同じ。さびしいのを通り越し、もう哀しくなってしまいます。ALASKAと書かれた看板を目にしましたが、アラスカの雪原の中にいるような気持ちにさせられました。

でも、地方の都市の現実というのはこんなものなのでしょう。鳥取や佐賀でも同じようなことを経験しましたが、青森ほどではありませんでした。そういえば、昨日の夜、降りた新青森の駅も、まわりには何もなかったなぁ。東海道新幹線が開業したときの新大阪駅のまわりもさびしいものでした。でも、50年以上が経ったいまでは、そこそこにぎわいを見せています。新青森駅にそういう日が来そうかと聞かれると、黙るしかありません。

高校時代の仲間が台湾に大集合!

2017年3月19日

16日から台北に来ています。昨年11月初めの“合宿”で決まった台湾行きが実現したのです。最初は4人の予定でしたが、日本のメーカーN社の中国現地法人で最後は総経理(社長)を務めていたYNくん(名古屋在住)が、「それはおもしろい。私も行きたい」と手を挙げました。大学も中国語専攻でしたし、上海・天津・北京に通算20年も赴任していたとあって中国語はペラペラのYNくんですから、私たちにとっては心強いかぎりです。そこで、5人分の航空券やらホテルの予約をしました。

年が明けた2月、同じ高校の仲間で、30年前にバンコクで会社を立ち上げたSくんから、久しぶりに電話がかかってきました。私からSくんのことを聞いた同じ高校の友人Hくんがバンコクに自分を訪ねてきたというのです。それで電話をくれたのですが、何の気なしに、「今度、私と、MIくん、MUくん、Yくん、YNくんの5人で台湾に行くことになった」という話をしたら、「それはいいね。私も仲間に入れてくれ」とのこと。中華料理は、人数が多いほど楽しめるので、異存などあろうはずがありません。電話のあとすぐ、私たちのフライトや宿泊先の情報をメールしました。

 その2日後、「飛行機は予約したし、ホテルも同じところを取ったから」というメールが。というわけで、5人が東京から(うち1人は名古屋から)、1人がバンコクから台北に集結。同じ明和高校同窓同期の仲間としては、記念すべき(!?)初めての“海外合宿(=研修会)”となったしだい。羽田発のEVA航空で台北松山空港に着いたのは午後2時前。ボーディングパスにキティちゃんには笑ってしまいました。還暦をはるかに過ぎたオヤジですよ。乗客は若い女性や子どもだけではないのに……。空港まで、YNくんの古巣N社台湾法人の方が車で出迎えてくれました。

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  IMG_0425 (3) IMG_0436 (6)ホテルに着きチェックインすると、すぐ「故宮博物院」へ。途中、お茶屋さん(「昇祥茶行」)と、台湾随一というパイナップルケーキ屋さん(「李製餅家」)に立ち寄ってお土産を買い、そのあと中山北路と南京東路の交差点近くにあるレストラン(「山海楼」)へ。いささか高級に過ぎたきらいもありますが、100年以上前に建てられた屋敷をそのままレストランにしたというこの店、とても印象深く、記憶に残りそうです。最後は台湾の定番・足裏マッサージで疲れを癒しホテルに。バンコクから飛んできたSくんもチェックインを済ませているとわかり、食事がまだというSくんと一緒に、またまた食べに出ました。

 

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IMG_0468 (4)翌日は九份へ。茶館(「九份茶坊」)でお茶を飲み、土産物街をうろうろ。あいにくの天気で眺望は楽しめませんでしたが、昼食は東海岸の景勝地・鼻頭角にある海鮮レストラン「海園」。ここはたいそう美味でした。台北に戻りしばし休憩ののち、士林の夜市へ。ここからのアテンドはなんとN社の台湾法人C社長。食事のあとはその案内で行ったカラオケに興じました(林森北路「ひまわり」)。C社長のお話どおり、ママの歌はプロも顔負けのうまさ。聞けば、お姉さんはプロの歌手で、日本でもときどきコンサートをおこなっているとのことです。

ちなみに、この店の女性は全員、少数民族(先住民)の末裔で、夜10時になると、民謡を合唱で聞かせてくれます。最後は私たちも全員、女性たちの輪に加わり、声を出しながら踊りました。キホン明るいメロディーなのですが、どことなく悲哀を感じさせる曲に、なぜか目がウルウル。台湾における少数民族の歴史はいささか物悲しく、全員、飲みながらも複雑な思いを抱きながらホテルに戻りました。

部屋に戻ってノートPCをググってみると、ママのお姉さんは愛称「阿妹(アーメイ)」といい、プユマ族(卑南族)の出身だとか。本当の名前はグリライ・アミトゥ(Kulilay Amit)とあります(中国名は張惠妹)。妹(「ひまわり」のママ)は張惠春という名で、従姉妹の陳秋琳と3人で組んだユニット「阿妹妹(アーメイメイ)」もあることがわかりました。日本でも何度か公演しているようで、こんど来日したときはぜひ行かなくては。

IMG_0490 (3)3日目は、戦前からある老舗の茶館(=「紫藤盧」)で昼食。なんでも、「2・28事件」のとき、蒋介石政権に反旗をひるがえした仲間たちのたまり場だったといいます。その後、「2・28記念館」を見学し、北投【ペイトウ】の温泉地へ。川っぷちにある「川湯」という日帰り温泉でひと風呂浴びたあとはまたまた宴会に。

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風呂上がりのビールは格別でした。夜は、おいしさと安さでなかなか予約が取れないといういう北京ダックの店「龍都酒楼」へ。食べる前に、焼き上がったダックを丸ごと披露してくれたのにはびっくり。味もハイレベルでしたよ。

 

 

 

最終日の4日目(3月19日)は朝から「台北101」へ。あいにくの曇り空で、眺望はゼロ。展望台のある89階の広いフロアに、先住民とおぼしき衣装を着た団体が観光でやってきていました。一昨日そうした話を聞いていただけに、なんという民族なのか気になったのですが、結局わからずじまい。

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IMG_0499 (2)ホテルに引き返し、C社長と「中正紀念堂」を見学したあと、C社長も初めてという1人前750台湾ドル(日本円で3000円くらい!)という牛肉麺(台北牛肉麺コンテストで1位に輝いたそうです)を食べ(中山北路の「晶華酒店=リージェント台北ホテル」)、空港へ。夕方の便で帰国しました。バンコクから参加のSくんも、仕事のため後発の別便で東京へ。私たちのEVA便が遅れたため、なんと羽田の荷物受取所で再会するというおまけ付き。

YNくんは中国でN社現地法人の社長を務めていたので、現在は顧問ですが、その「御一行様」という扱いで、同社の台湾法人の皆さんには何から何までお世話になってしまいました。かえって申し訳ないことをしたなぁと、わたし的には反省もあります。でも、それ以上に、こういうフルアテンドの旅というのも、たまにはいいなと思ったりしました。次回はバンコクで「研修会」をという話もまとまり、いまから楽しみです。

京都っぽくない名前の「城南宮」で、しだれ梅を堪能

2017年3月7日
明日・明後日と京都で所用があり、今日は前泊の予定です。「いまごろは梅が満開じゃないかしら。せっかくだから観てみたいわね」という家人のつぶやきが聞こえました。そういう話なら、即ノリです。どうせならということで、早起きして午前10時過ぎに京都着の「のぞみ」に乗りました。

最初に行ったのは、京都駅からJR奈良線で30分ほどのところにある山城青谷【あおだに】。その近くにある「梅谷梅林」が目的地。ちょうど「梅まつり」の最中で、期待しながら向かいました。ここは、梅がたくさん植えられている庭園ではなく、いわゆる生産農家が小高い丘全体に梅を栽培しているという触れ込みだったからです。有名な北野天満宮の梅とはかなり様子が違うのではないかと。
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しかし、残念なことに花の開きがまだ二~三分で、全然物足らないのです。金曜日なので、それなりに人が訪れてはいましたが、「ワーッ!」とか「すご~い!」といった歓声は聞こえてきません。

このままでは……と思い、急遽方針を転換。近くに別の梅見の場所はないかと、タブレットで探すと──、ありました! 同じ奈良線で少し京都方向に戻り、近鉄電車に乗り換えてすぐのところに、「城南宮」というやはり梅の名所が。画面を見ると「満開」とあり、そちらに行くことにしました。

途中昼食をはさみ、午後2時ごろ到着。最寄駅は近鉄奈良線の竹田で、駅から徒歩15分のところにあります。ただ、途中の道筋は京都らしい風情がほとんどなく、ホントこんなところにあるのだろうかと心配になりました。「城南宮」という名前も、いまひとつ京都っぽくありません。「宮」というので、最初は皇族の別邸のようなところをイメージしていたのですが、なんのことはない、神社なのです。たしかに、神社も「宮」といいますからね。

しかし、これが大ヒットでした。神社に付随する庭園の一角(といっても広いですよ)に、しだれ梅がびっしり。どの木もホント満開でした。梅は、咲いている期間が長いのが桜と違いますが、これだけ素晴らしい花を咲かせていれば、さぞかしたくさんの人が観に訪れるのではないでしょうか。

!cid_5d2f4521-d956-4f7b-a2cf-d169522673a4@apcprd04_prod_outlookちなみに、今回初めて知ったのですが、「城南宮」の創建は794年で、白河天皇が「鳥羽離宮(城南離宮)」を作られたのを機にその一部となったとのこと。歴代の天皇・上皇もしばしば訪れておられるようです。位置的に京都御所の裏鬼門にあたることから、貴族の方違【かたたがえ】用の宿所として用いられ、方除【ほうよけ】の神として信仰を集めた時期もあったといいます。その後応仁の乱で荒廃したものの、江戸時代に復興。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」では主戦場となったそうです。

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梅が植わっているのは「春の山」といに名の庭園。ほかにも4つの庭園が配されていました。それぞれ個性があり、あっという間の1時間でした。
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初めての「首里そば」

2017年2月15日

もう10年近く沖縄に通っているのに、食べていないもの、行ったことのない場所がまだまだたくさんあります。今日はそのうちの一つ「首里そば」を体験。会社の分室からは車でほんの数分、住宅街のただ中にお店はありました。11時半開店・売り切れじまいという店に着いたのは12時ジャスト。早くも行列ができています。

見たところ、ほとんどが観光客。なかには、中国語を話しているカップルやグループの姿もあります。入口で靴を脱いで中に入るのですが、全体の造りがいかにも沖縄風、というか首里の格調高さのようなものさえただよっています。木でできたテーブルも椅子も落ち着いた感じで、心がなごみます。

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メニューはごく単純。そばの小・中・大とおにぎり、じゅーしー、あとは煮付けです。おにぎりはジューシーと形は違えど同じものですから、実質は3品。そばは腰があり、あっさり系のだしがなんともいえません。煮付けも関西風のおでんを彷彿させ、さくさく食べられます。が、最高においしかったのは沖縄そばにつきもののソーキ=豚肉。

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店を出て高速に乗り、許田インターまでひとっ走り。そこから名護市営球場まではすぐです。日本ハムと韓国のサムスン・ライオンズの練習試合があるというので、観にいってみました。球場周辺はどこの駐車場も満杯で、整理にあたるスタッフも忙しそうです。とまっているクルマの3分の2が「わ」「れ」ナンバーのレンタカー。さすが、日本一になったチーム、客の集まりもいいようです(それでもソフトバンク)、阪神よりは少ないとのこと)。

おもしろいのは、試合そっちのけの人がけっこういること。試合後、選手たちが引き上げるルートが決まっているようで、その両脇に出待ちをしているファンがびっしり。サインをしてもらうための色紙を持ち、カメラを握り締めながら時間をつぶしています。こういう人が本土からたくさん来てくれるのですから、選手の士気も高まるでしょうし、何より地元がうるおいます。まして、今日は平日。週末ともなるといったいどうなんでしょうか。

1時間ほど球場にいて、那覇までは58号線とは逆の、東海岸を行くことに。いつもは高速でさっさ帰ってしまうのですが、初めての道を通ってみようというわけです。ほぼ海岸に沿って走る道はもちろん一般道。とはいえ、場所によっては高速とほぼ同じようなフィーリングで走れる部分もあります。間近で海が見られるのも気持ちがなごみます。久しぶりのロングドライブでいささか疲れはしましたが、初めて通るところなので、飽きませんでした。

1週間で3回、雪の東北に

2017年1月24日

1月17日から8日間で3回、東北地方に行きました。17・18日は秋田、20・21日は宮城県の石巻、24日が山形県の酒田(日帰り)です。秋田は「北前船寄港地フォーラム」の新年会@秋田メトロポリタンホテル、20日は女川温泉に1泊し、翌21

日の昼間は石巻の百俵館でおこなわれた「3・20」イベントの実行委員会発足パーティー、そして24日はこれから書き始める単行本のインタビュー。

 

雪でスケジュールが多少狂ったのは24日の酒田だけで、それも特急列車が30分ほど遅れたくらい。飛行機が飛ばなかったとか、列車が運休したわけではないので、ダメージはほとんどなし。しかし、1週間に3回も長距離移動があると、知らず知らずのうちに疲れがたまっているにちがいありません。

 

21日の会合で行った百俵館というのは、とても味わいがある建物で、震災後、石巻市川の上地区で始まった、「まちを耕し、ひとを育む」という理念のもとで進められている「川の上プロジェクト」の拠点として使われています。もともと400世帯ほどが暮らしていた川の上地区に、「防災集団移転」ということで、沿岸部から約400世帯が移り住んでくる計画がスタート、今年いよいよ実行になるのだそうです。

 

しかし、同じ石巻市といっても、まったく異なるバックグラウンドを持つ人たちが共生するとなると、住民がお互いに親睦を深めなくてはなりません。そのための場所として、もともと農協が精米や搾油の作業場として使っていた倉庫を改築し、子どもも大人もいつでも本を読み、学び、地域の未来に向けて語り合える公共の図書館+カフェとして作られたのだそうです。新旧の住民どうしが交流を深める場として、まちづくり勉強会と懇親会を兼ねた「イシノマキ・カワノカミ大学」という催しが毎月ほぼ1回おこなわれていると聞きました。

 

木造2階建ての建物の中の3分の2はそのための公共スペース、残り3分の1がカフェになっています。この日私がいたのは12時から3時半ごろまででしたが、その間、7、8席のカフェにはさまざまな人が出入りしコーヒーを飲みながら談笑していました。それとは別に、毎月第3日曜日にはマルシェのような催しも開かれ、所期の目標は実現できているようです。

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DSC014183方が床からほぼ天井まで書棚が作り付けになっていて、そこには大人も子どもも楽しめる本がかなりの数、置かれています。マンガもあれば、絵の描き方を教える入門書、郷土の本、健康の本、旅行の本など、所狭しと並べられていて、見た目はまさしごく「図書館」。私もこの日、拙著『100通りのありがとう』を寄贈させていただきました。ほかにも、震災にかかわる本が何冊も展示されているなど、建物の保有主の性格が手に取るようにしてわかる本が並んでいます。

 

DSC01424正午に始まったパーティーは、2年前ニューヨークでの「9・11」コンサートでもご一緒した女性(楯石千恵子さん)が司会。なめらかな話しっぷりで、30人ほどの参加者もすぐ溶け込み、3月20日に石巻市でおこなわれるミュージカルシネマ『100通りのありがとう』上映会に向けた実行委員会の主催。上映会のチケットをどうさばいていくかについて検討するための集まりです。手作りの料理や差し入れが山ほど届けられ、それをつまみながら、またミュージカルをプロデュースし脚本を書き舞台監督を務め音楽も全部作った寺本建雄さんのトークショーも楽しみつつでしたので、あっという間の2時間でした。

目の前にあるホテルに行くのもタクシーで

2016年12月28日

というわけで、この時期、ラスベガスの町も大変な込みよう。今朝は、私たちが止まっているVDARAというホテルの隣にあるBELLAGIOのカフェで食事をしましたが、こちらも席に案内されるまで小一時間ほど行列しました。夜も夜で、シーザーズパレスのバフェットに行ったら、なんと「5~6時間待ち」だそうです。とにかく、どこを歩いても、どの店に入っても人、人、人。長年ラスベガスに来ている私たちも、これほど人の多いのは初めてです。

今日は私たちの孫2人は、Hさんの上の娘さん一家と子ども向けのショーに行きました。場所は、私たちが泊まっているVDARAとは、広い通りをはさんだ向かい側のホテルですが、タクシーに乗りました。これはラスベガスならではのことなのですが、すぐ目の前に見えるようでも、歩いていこうとすると、それこそ20分、30分は当たり前。どのホテルもべらぼうに大きく、その中を抜けるだけでも10分、15分かかってしまうからです。しかも、中をよく知っているわけではないので、あっちに行ったりこっちに行ったり。ホテルの外に出るだけでも、すんなりいきません。ラスベガスは、たとえ目の前の場所に移動するのもタクシーのお世話になるのは、そんな事情があるのです。