現場に行くと、創作意欲もぐんとアップ

2017年5月13日

昨日はフォーラムの本番。昼過ぎからえんえん5時間。第1部から第4部まで続きましたが、充実した内容でした。話を聞きながら、私の頭はめまぐるしく回転、これまで考えていたような内容ではダメだと反省、本のタイトルから構成など、すべて考え直さなくてはと、必死でメモを取ったり、思いついたことを書き出したり。あっという間に閉会時刻を迎えました。

そのあとのレセプション、二次会、三次会も楽しくも充実し、意義深い1日となりました。

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「現場」にいることがいかに大切か、改めて思い知らされた次第。これから2カ月余で書き上げることができるのかやや心配もありますが、チャレンジするのが楽しみです。淡路島のホテルから新神戸まではバス。昨晩から雨が降り始めたのですが、気持ち的には晴れ晴れしており。帰路の新幹線の車中でも、頭と手はフル回転。なんとなく希望の明かりが見えてきました。

ゆっくり休む間もなく淡路島へ

2017年5月11日

今日は午後1時発の便で関空まで行き、そのあとフェリーで海峡を渡り淡路島です。素晴らしい天候であっという間に到着しました。こちらに来たのは、19回目となる「北前船寄港地フォーラム」に参加するためですが、今日はその前夜祭。回を追うごとに参加者の数は増えるわ、内容も整ってくるわで、楽しみにしていたのですが、今回は兵庫県が資金も人出も全面的にバックしているとのことで、えらくハイグレードの前夜祭でした。

 

驚いたのは「淡路人形浄瑠璃」。ここで浄瑠璃が観られるとは! それも内容がハンパでなく素晴らしいのです。前々から、人形浄瑠璃は一度でいいから観てみたいと思っていたのですが、今日まで実現できませんでした。しかし、大阪で始まったといわれる人形浄瑠璃はここ淡路島から始まったことを知りました。人形の動きも巧みでしたし、セリフまわしも伴奏も素晴らしい出来で、えらく得した気分。

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DSC02471もう一つ驚いたのが阿波踊り。これも阿波徳島だけのものかと思い込んでいたのですが、淡路島も江戸時代、徳島藩の領地になっていた時期があることを思い出し納得。本物の阿波踊りは残念ながら観たことがありませんが、淡路島のそれもそれに遜色ないように思えます。いいものを見せてもらいました。フォーラムに大感謝です。

 

今回は、4月末に「日本遺産」の認定を受けてすぐというタイミングでもあり、会場は祝賀ムード一色。もっとも「日本遺産」というのは、過去4年で80件近くが認定されているのですが、その狙いどおり観光資源として活用されているケースは少ないのだとか。「北前船寄港地」はまさかそうならないかと思いますが、いずれにしても、今回のフォーラムをきっかけに大きく飛躍することを願うばかりです。

サンチアゴ空港でうれしいハプニングが!

2017年5月9日

7日の朝7時50分発のLAN便でまずサンチアゴまで2時間20分。今日は、朝のやわらかな光を浴びたアンデスの山々が見えます。サンチアゴで4時間余のトランジット、カンタス便でシドニーへ。これがなんと14時間10分のロングフライト。映画を1本観て、あとはほとんど眠っていました。

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翌日の夕方、ようやくシドニー空港に到着。ラウンジでシャワーを浴びました。初めての経験でしたが、気分はスッキリ。最終目的地羽田に飛び立ったのは夜8時45分、9時間30分のフライトで今朝の5時15分に羽田到着。

ただ、サンチアゴ空港のラウンジで思わぬハプニングがありました。ビールを飲みながらノートパソコンをいじったりしていたのですが、途中、昨晩の試合に出ていたサンウルブズの選手やコーチの顔を発見しました。最初はためらいもありましたが、「旅の恥はかき捨て」というではありませんか。思い切って声をかけ、「一緒に写真を撮ってもらえますか」とお願いしました。手に昨夜買ったレプリカのラグビーボール(ふくらんだままなのが幸いしました)を持ちながらでしたので、こちらの意図も一発で通じました。疲れているはずだから断わられるかもと思いましたが、そこはやはりプロ。居合わせた3人全員がイヤな顔ひとつ見せず席を立ち、笑顔でカメラに収まってくれたのです。右がエドワード・カーク選手、中央がラーボニ・ウォーレンボスアヤコ選手、左がサム・ワイクス選手です。

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さて、見かけ上は46時間の移動ですが、時差が12時間あるので実質的には34時間になります。トランジットの時間を差し引いて、正味26時間のフライトですから、疲れないわけがありません。それでも、思っていたほどではなく、自宅に着いてから数時間後には、フツーに仕事していました。夜もけっこう頑張り、12時近くまで。メラトニン(時差のある旅には欠かせないサプリメント)を飲んで寝みました。

惜し~い! 最後の10分で逆転負け

2017年5月6日

今日こそ動物園に行こうと思っていたのですが、やはりホテルの人が言っていたとおり、これまで市内にあった動物園は昨年クローズしてしまっているようでした。キリンに挨拶をしたかったのに、なんとも残念。事前にネットで調べたとき、動物園の一部は植物園に移設されているといった情報もあったので、念のためそちらにも行ってみましたが、やはり動物はいませんでした。

DSC02424旧動物園はいま工事の真っ盛りといった感じでしたが、それにしてもブエノスアイレスはいま、街中が工事だらけ。不景気で公共工事をおこなっているのかもしれません。植物園からタクシーで「ガレリアスパシフィコ」に行き、中華のランチを済ませ午後は休憩。夜のスーパーラグビーのサンウルブズ戦に備え、体力を温存しておこうと。ただ、アルゼンチン・ペソの現金がやや不足気味だったので、ホテルからまた「ガレリアスパシフィコ」まで両替に行きました。そのついでに、初日の夕方、十分に見て回れなかった「サン・マルティン広場」の周辺を歩いてひとまわりしてみることに。

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さて、ラグビーです。今日の相手はアルゼンチンのジャガーズ。昨年サンウルブズが唯一の勝利をもぎ取った実績があるので期待できます。ただ、今シーズンのジャガーズはここまですでに4勝を挙げており、かなり力をつけている様子。

キックオフは夕方6時40分なので、1時間前にはスタジアムに着いていようと、ホテル出発は5時にしました。ブエノスアイレスでもかなり西のほうにあり、ホテルからは間違いなく30分はかかるとのこと。また、帰りの足のこともあるので、タクシーをチャーターしました。

5時前にロビーでドライバーに合流。えらく愛想のいい人で、車中もしゃべりっぱなし。お互い、片言の英語なので意は十分に通じます。スタジアムの前で降りると、帰りの待ち合わせ場所を決め、いったん別れました。

試合がおこなわれる「エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ」はけっこう古く、しかもそれほど大きくありません。入場ゲートを通り抜け、敷地内に入るとファンゾーンがあり、グッズや飲み物を売る店が何軒か出ています。また、広場のようなところでは、お楽しみイベントがあちこちで繰り広げられていました。アルゼンチン協会公認ラグビーボールのレプリカを買おうと店に行くと、空気が入ったままのものしかないといいます。でも、ブルーの模様がついたものがほしかったので、それで我慢。

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スタンドもかなり古びており、トイレなどもうボロボロ。家人は「ドアのカギが閉まらないから、足で押さえて……」などと話していました。私たちの席は正面、ほぼハーフウェーライン上の位置で、前から8列目。前のほうに10数人の日本人グループが座っていました。「GO!SUNWOLVES!!」と書いたボードを掲げながらの応援です。アルゼンチン在住の人たちなのか、それとも日本かほかのどこかの国からやってきたのか定かではありませんが、えらく熱が入っていました。ほかにも何人か、日本人が私たちの近くにいましたが、99対1のアウェーゲーム。レフェリーの笛がどうなるのか、そちらの不安もあります。

しかし、そんな心配もどこへやら。キックオフ直後からサンウルブズが絶好調で、ほとんどの時間帯でリードを保ちながら残り10分まで進みました。ただ、この10分間でジャガーズが立て続けに3トライし、逆転されてしまい、終わってみれば、39対46。なんとも惜し~い! ゲームでした。それでも5トライを挙げたのでボーナスポイントもつきます。でもやっぱり勝たなくては……。

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試合の途中、東京・秩父宮のパブリックビューイングの映像を観ていたのでしょう、古くからの友人がメールを送ってくれました。メッセージには「テレビに出ていますよ!」と。こちらのテレビ映像に、スタンドにいる私たちの姿が映ったにちがいありません。数少ない日本人ファンですから、映像的にはおもしろいのかも。

試合が終わってスタンドの外に出るとタクシードライバーが待ち受けてくれていました。すぐに乗って、9時にはホテル着。いよいよ明日は帰国です。ホテル出発が6時過ぎと早いので、今晩中に荷造りを済ませておかなくてはいけません。順調に進み、12時にはGOOD NIGHTとあいなりました。

やっぱりおいしいアルゼンチン牛肉

2017年5月5日

今日も昨日と同じく乗り降り自由の観光バス。ただ、最初はタクシーで「レコレッタ墓地」まで行きました。その近くに動物園があるからですが、ホテルを出るときドアマンに聞いてみると、「動物園? ここから車で1時間半ぐらい行った郊外にあるけど」と言うではありませんか。ただ、それは「世界でいちばん怖い動物園」と言われるルハン動物園のことです。こちらは、ライオン、トラ、ゾウ、シマウマ……など、すべての動物と直接触れ合うことができるスタイルになっています。

でも、本当は市内に、普通の動物園もあるはずなのです。「いや、それはもうない」というのです。おかしいなと思いましたが、とりあえずそれを受け入れ、今日はあきらめることにしました。

「レコレッタ墓地」はブエノスアイレスでも人気の観光スポットになっているようで、多くの人が訪れていました。お墓とはとても思えないほど立派な建築物が並ぶ墓地にはびっくり。沖縄や台湾の墓も真っ青といった感じです。エビータとサルミネント元大統領の墓はとくに人気で、小中学生が社会科見学で訪れたりしていました。

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DSC02304ここからバスに乗り今日はブエノスアイレスの北から西にかけてのエリアをひとまわり。ラプラタ川添いの道路を走るのですが、どう考えても川には見えません。川幅はこのあたりで50km、河口部はなんと220kmもあるそうです。「世界でもっとも川幅が広い」というのも納得。天気もいいのに、懸命に目を凝らしても対岸はまったく見えてきません。

 

 

DSC023117日の朝、帰りの飛行機の乗るホルヘ・ニューベリー空港を過ぎるとバスは大きなサッカー場の横を通ります。ブエノスアイレスにはプロのサッカーチームが5つあるそうですが、その一つCAリーベル・プレートのフランチャイズ「エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ(通称エル・モヌメンタル)」です。

 

 

DSC02331そこから今度は、ブエノスアイレスで最近人気のエリア「パレルモ地区」に到着。ここで下車してランチをすることにします。目に入ってきたカフェ風の店がよさそうだったので、迷わず入りました。とりあえず注文すると、隣、また横、後ろのテーブルの客がそろって口にしている飲み物がありました。大きなボトルに葉っぱが入っており、ちょっと濁った感じに見えます。

 

!cid_462f04eb-51fa-4151-a67b-2dcd9c3918aa@apcprd04_prod_outlookボーイに「あれは何だい」と尋ねてみると、「リモナーデスだよ」と。レモネードですね。さっそく注文してみました。飲むとけっこういけます。道理でみんな頼んでいるはずだと納得。食事もおいしく食べられ、お腹いっぱいになって店を後にしました。

 

ここからは再びバスに乗って、観光スポットでまだ観ていない「五月広場(Plaza de Mayo)」まで。「大統領府(カサ・ロサーダ)」の前にある大きな広場で、人気スポットのはずなのですが、さほど人は出ていませんでした。広場の北側にある教会はブエノスアイレスの「メトロポリタン大聖堂」。

 

ちょうど夕方5時前だったので、ガイドブックに書いてある「大統領府」の衛兵交代式が観られるはずなのですが、衛兵それ自身の姿が見えません。どうしたのだろうと、あきらめて帰り支度を始めると、「大統領府」の建物からすーっと出てきました。しかし交代式は別の場所でおこなわれるようで、後ろからついていくと、先の教会に。中に入ると、その一角でごく簡素な交代式がおこなわれました。台北の「中正紀念堂」でのそれと比べるとえらくあっさりした感じで、あっという間に終了。

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IMG_0842夕食は、わざわざ遠出する気分でもなかったので、ホテルから歩いて5分以内のところで見つけることに。すると、店の名前も何も出ていないのですが、お客はそこそこ入っているレストランがありました。すぐそこに決めて中に入り、炭火焼きのアルゼンチン牛肉(日本人好みの刺しは一切なし)を注文。ここはおいしかったです。やはり本場の肉は違いますね。しかも、値段がウソのように安いのです。

 

 

「日本庭園」には外国人がいっぱい

2017年5月4日

出発前に国内で予約しておいた、市内のあちこちを自由に見て回れるホップオン・ホップオフスタイルの観光バスでまずはおさらいです。「コロン劇場」の前から乗って市内の南東部を観て回りました。ボカ地区が中心ですが、「カミニート」という観光名所は初めてだったので大感動。ブエノスアイレスでもいちばん古くから開けていた場所で、カラフルに塗られた外壁の家並みが特徴的。北半球でいうとちょうど11月の上旬と同じ季節なので木々が紅葉しており、この界隈にもそうした木が。それが街並みにも文字どおり色を添え、いっそう美しく見えました。

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昼食は、前日も訪れた「ガレリアスパシフィコ」地下のフードコートで。ファストフード系の店が多い中、この「ポスタベッキア」という店だけは別格のよう。ここに入って、牛肉の炭火焼きステーキを食べました。えらいボリュームで、味はハイレベル、しかも安いこと。女性が一人でふらっと立ち寄り、ワイン1杯と各種の炭火焼きステーキをささっと食べていきます。さすがアルゼンチンですね。

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!cid_6c8901b3-bf77-4b23-8868-80a4bc9da25b@apcprd04_prod_outlook午後はまずエビータ博物館へ。エビータはミュージカルの作品にもなった、元アルゼンチン大統領ペロンの夫人エバ・ペロンのこと。地方のごく普通の家、しかも私生児として生まれ、若いころはウエイトレスやモデル、娼婦を生業としていましたが、声優や女優として次第に名を上げていきます。それが、当時まだ軍人(といっても、軍事政権下で副大統領兼国防大臣兼労働局長の任にあった)フアン・ドミンゴ・ペロンに見初められ結婚。

 

 

 

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その後ペロンが大統領になったため、突然ファーストレディーになります。その生い立ちから国民的な人気を得るようになった、現代版シンデレラといった風の女性。32歳の若さでガンに斃れたこともあり、伝説の人になっています。100ペソ紙幣にも描かれていることからもその人気ぶりがうかがえます。ただ、その一方で、過去の来歴、あるいはファーストレディーとして公私混同と言われても仕方のない行動が目立ったため、存命中は批判する者も多かったようです。

 

続いて足を運んだのは「日本庭園」。あまり期待していなかったのですが、ここがなんと大当たり! この種のスポットは“「日本」とは名ばかり”とまでは言わないものの、結構いい加減な造りをしていたりして、がっかりさせられることが多いのですが、ここは違いました。まず、お金をしっかりかけてあるのが一つ。庭園自体も素晴らしいですし、季節柄、鯉のぼりが上がっていたりなど、随所にさまざま工夫が凝らされ、観る者を飽きさせません。しかも、来場者が多いのです。日本人は一人も見かけませんでしたが、あちこちからやってきた外国人観光客は真剣な表情。近ごろはどこの国に行っても、「日本の文化」が注目されていることを実感しますが、それはこの地でも同じようです。

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IMG_0825この日のバス観光で最後に立ち寄ったのが、「世界で2番目に美しい書店」と言われる「El Ateneo Grand Splendid(エル・アテネオ・グラン・スプレンディド)」。もともと劇場だった建物を改装して作られたのだそうで、荘重な印象さえあり、観光名所になっているのも納得です。1階と2階がメインのようで(ところどころにソファー風のイスが置かれていて、そこに腰をおろして本を試読しているお客も)、3階は壁に絵が展示され、休憩場風になっていました。

 

 

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ただ、「2番目に美しい」と言われると、「じゃあ、1番はどこなの?」と気にかかります。もともと、このランキングはイギリスの新聞「GUARDIAN」が2010年7月に「The world’s 10 best bookshops」と題して発表したものだそうです。日本では、京都の「恵文社」という書店が選ばれているとのこと。なかには、世界遺産になっている書店もあるようで、ぜひ一度のぞいてみたいと思います。

美しいアンデスの山並みが見えました

2017年5月3日

サンチアゴからブエノスアイレスへの移動はKLM便。ビジネスクラスではありましたが、もともとがアムステルダム→サンチアゴ→ブエノスアイレスという長距離便の最後の1区間に乗る形なので、機材もグレードが高く、快適そのものでした。オークランド→サンチアゴのときは十分観られなかったアンデス山脈も、こんどはバッチリ。こんなに美しい山並みがスモッグのため、サンチアゴの街中からはほとんど観られないというのはなんとも残念です。

飛行機はアンデスの5000~6000m級の山の上を飛ぶので、窓のすぐ下に頂上が見え、スリリングながらも素晴らしい景色。とはいえ、進行方向左側の座席だったので、迫力はいまイチでした。アンデスはやはり雪をかぶっている南のほうが美しいので、帰りが楽しみです。

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ブエノスアイレスもサンチアゴと同じく25年ぶりの訪問。来る前に、その当時使い残したアルゼンチン・ペソの紙幣や硬貨が多少あったので、どうしようかとも思いましたが、その間にデノミがおこなわれていたので、いくらなんでもということで、持たずに来ました。アルゼンチンの経済はいまでも不安定のようで、過去2年間で物価が30%も上昇したといいます。ガイドブックで見た空港から市内への定額タクシー代金450ペソが740ペソに上がっているのには驚きました。

もともとブエノスアイレスのタクシーは、料金がいい加減というか、空港→市内中心部は、空港のカウンターで定額を払い、その領収書を持って乗るのがいちばん安全とされているようなのですが、それがこのありさまでは、一瞬だまされたのかも……と疑ってしまいました。でも、そうではなかったのです。

DSC02230なんとかホテルに無事到着し、チェックイン。場所も便のよさそうなところで、ほっとひと安心です。とりあえずアルゼンチン・ペソの現金がないので、近くにある市内随一のショッピングモール「ガレリアスパシフィコ」の両替店に行ってみることに。これがまた立派な建物で、さすが“南米のパリ”と呼ばれるだけのことはあります。

 

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1888年に作られたこの建物は、ミラノのヴィットリオ。エマヌエーレ2世●を模したもの。最初は「ボンマルシェ」というデパートだったようです。しかし、その後のアルゼンチンの政治的な混乱等により、デパートは廃業、一部は国立美術館として使われるようになります。さらに、その後はブエノスアイレスとチリとを結ぶ鉄道を営業していたイギリス資本の会社の本社として使われました。それが「Pacifico」という名称につながっているようです。しかし、軍事政権下の時代には拘置所として使われたりするなど、ひどい状態でした。1989年になって歴史的建造物の指定を受け、翌90年に現在のショッピングモールに改装されたといいます。そんなモールの周辺はほかにもお洒落な建物がごろごろあります。アールデコ調でも、品がいい感じで、観ていても飽きません。

昨日あたりから時差ボケが顕著に出始めており、夜は早い時間から眠くなり、朝はメッチャ早い時間に目が覚めるという悪循環におちいりつつあります。この日もそうなりそうだったので、食事もホテルの近場で済ませることにし、日本料理の店に。「入船」という店でしたが、家人は前夜と同じ寿司の盛り合わせ、私は親子丼。ブエノスアイレス風というか、日本のそれとはまったく異質のものでしたが、それはそれでけっこういい味がしました。

ウワサの「生ウニ」はいまひとつでした

2017年5月2日

サンチアゴは2回目ですが、最初のときはバスに乗って市内を走っただけなので、観光はほとんどしていません。そこで、今日は朝から市内観光に出かけました。出発前にインターネットで予約しておいたのですが、実際にスタートしてみると、ウェブサイトに記されていた内容とは大違い。ずっとバスに乗って動き、要所要所で下車してはガイドしてくれるスタイルかと思いきや、実際は「中央魚市場」の前で下車してあとはずっと歩きながら廻るのです。でも、それがかえってよかったようです。

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魚市場というのは世界中どこでも同じような印象ですが、さすが水産資源に恵まれたチリだけあって、種類も豊富、何より新鮮な感じがします。市場のほとんどを占めているのが、ウニを食べさせてくれるので有名な「DONDE AUGUST」というレストラン。朝だったのでまだオープンはしていませんでしたが、ランチどきになるとここがいっぱいになるとのこと。これは今日の午後のお楽しみですね。

DSC02130次に行ったのは、チリ発祥の地「アルマス広場」。1541年のことだそうで、当時の建物もいくつか残っています。そのすぐ近くにあるコーヒースタンドにガイドさんが連れていってくれたので、試しに1杯注文、手にしながらまた歩き始めます。ただ、このコーヒーがまったくなじめない味というか、こうも違うのかと驚きました。見た目はたしかにコーヒーなのですが、なんとも表現しがたい味。どうにもなじめず、結局、街角のゴミ入れに捨ててしまいました。同じツアーに参加していたオーストラリア・メルボルンの老夫婦も同じだったようです。メルボルンはコーヒーの名所ですからね。

 

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次は、大統領府がある「モネダ宮殿」、そして「サン・フランシシコ教会」と見て歩き、再び車に。かつての要塞「サンタ・ルシアの丘」に昇ったあと、川を渡った先にあるお土産物屋に立ち寄り、最後はホテルまで送ってもらいました。

 

 

 

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すぐにまたランチを食べにタクシーを呼び、中央市場までとってかえします。タクシーのメーターもすぐに何千になります。ホテルから市場までメーターは9300ペソでしたが、チップ込みで10000ペソ札を渡しました。1700円弱という計算になります。

DSC02198さっそく「DONDE AUGUST」でウニや海鮮スープを注文し、食べてみましたが、ウニは生臭く、生で食べるのはちょっと難しそうでした。前日、インターネットで仕込んでおいた情報どおり、一緒に出てくるタマネギとパクチーをたんまり載せてレモンを絞り、そこにオリーブオイルをかけ混ぜ合わせてみたところ、なんとかイケました。といって、目の球が飛び出るほどおいしい代物ではありません。家人はまったくダメなようで、別にオーダーした海鮮スープもややクセがあり、あまり進みませんでした。まあ、安いは安いのですが、「ウーン」といったところでしょうか。

食べたあと、地下鉄の駅まで歩いたのですが、帰りは午前中とはうって変わって大変な人出。タロット占いの小屋のようなものがずらっと並んでおり、どこも皆お客さんが。真剣・深刻な顔をした人が多いのには驚きました。

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ホテルに戻りしばし休憩ののち、夕食へ。ホテルから歩いて行ける場所に日本料理店があったのでトライしました。「将軍」という名前で、まわりはすべてチリというのに、いきなり日本家屋風の店がポツンと建っています。最初目に入った店員は皆チリ人。テーブルに着くと、すべてスペイン語でしたが、テキトーにやり過ごし、ビールと焼き鳥、厚揚げ豆腐、鍋焼きうどん、家人は寿司の盛り合わせを注文します。

ふと見ると、私たちのテーブルの後方にカウンターがあり、女性らしい感じの板前さんが出てきました。「おーっと」と思いましたが、寿司はどうやら彼女の担当のようです。でも心配は杞憂に終わり、まずまずの味でしたし、そのほかのメニューもそこそこ。なかでも、焼き鳥は日本のそれより美味。チキンのクオリティーが高いのでしょうね。

預けた荷物がなかなか出てこず冷や冷や

 

2017年5月1日

ブリスベンからNZのオークランドまで3時間10分、4時間後のLATAM便に乗り換えて11時間20分。ブリスベンとの時差が11時間あるので、チリのサンチアゴ空港に着いたのは午後2時半過ぎです。預け荷物がなかなか出てこず、心配しましたが、最後の最後、それも“おまけ”で出てきたといった感じのスーツケース2個をでやっと受け取ることができました。乗り継ぎが2回もあると、どうしても心配になります。

ターミナルビルの外に出る前、税関から出てすぐのあたりから「TAXI」と書いた案内板を手にしたドライバーが待っていて、声をかけてきます。真正面のカウンターに「OFFICIAL TAXI」とあったので、それを信じてお願いしました。通貨単位が1ドル=約650ペソ=110円なので、100ペソで17円ほど。空港からホテルのある新市街までの定額運賃は24000ペソですから、4100円くらいになります。

ホテルでチェックインを済ませ、すぐ近くに立つ南米でいちばん高い展望台(=300メートル)がある「コスタネラ(Costanera)センター」へ。ただ、ホテルの周りもそうでしたが、このビルも閑散としています。そうか、5月1日はメーデーで、休日なのですね。それでも展望台はオープンしていて、上がってみたのですが、あいにくの曇り空で、アンデス山脈は残念ながら雲というかガスですっかりかすんでしまっていました。

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コアラがこんなに可愛いとは!

2017年4月30日

今日のメインはコアラです。ホテルから歩いて10分、ブリスベン川に架かるヴィクトリア橋を渡ってすぐの桟橋から10時に出発。途中、両岸の景色を楽しみながら1時間15分で到着です。ブリスベンの人口は230万、これは名古屋市とほぼ同じ。土地があり余っている感じのオーストラリとあって、街のつくりにも余裕が感じられます。

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川岸には最初のうち高層マンション、途中から中低層マンション、30分を過ぎたころからは小ぶりの一戸建て、目的に近づくころには大豪邸と、都市の住宅事情をそのまま反映した感じの景色が。でも、建っているマンションも住宅も、こぎれいというかおしゃれというか、日本人が目にしたら、こんなマンションに住めたら、こんな家を建ててみたいといった感じの設計がされています。それもヴィクトリア様式あり、コロニアル風あり、モダンありと、多種多彩。

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それでも、船内に流れる案内を聞いていると、FLOODという言葉が何度となく出てきました。ブリスベンというところはとにかく洪水が多いようです。ひどいときは、私たちが乗っているクルーズ船が5週間止まったとか、被災した地域の救助・復興に3カ月かかったとか、そのためにボランティアが何万人も出動したといった内容でした。川の両岸はたしかにきれいです。でも、川はやはり川。自然の摂理には勝てないというか、何年かに一度は大きな洪水に襲われるのですね。ブリスベン川は地図を見るとすぐわかりますが、くねくねと蛇行しているので、洪水が起こりやすいのでしょう。

さて、「コアラ・サンクチュアリー」です。さほど広大ではないのですが、いまから80年ほど前、当地の資産家が寄贈した土地に作った、まさにコアラの天国。敷地の半分はユーカリの林で、どこを歩いてもその香りが。ここには100頭を越えるコアラがほぼ放し飼い状態で、のんびり暮らしています。

観光客がコアラを抱き、それを写真に撮ってくれるというのが最大の売り。私たちも20ドルを支払って列に並びました。係員の指示にしたがって手を腰の前に差し出すと、そこにコアラが乗っかります。しかもこちらにしがみつくような感じで、いうならばユーカリの木の代わりを務めるわけですが、おどおどした様子はありません。そこをスタッフがカメラでパチッ。こちらのカメラでも撮ってくれます。

 

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カンガルーのエサやりもできるのですが、こちらは予想どおり、飽食気味なのか、振り向きもしないカンガルーがほとんど。昼寝の邪魔をしないでくれよという顔を見せるカンガルーもいました。

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もう一度コアラがいっぱいいるエリアに行くと、こちらはちょうどランチタイムだったのか、ユーカリの葉っぱにむしゃぶりついています。それも1頭、2頭、3頭……。いちばん多いときは5頭のコアラが並んで食べていました。これまでコアラといえば1頭だけ、それも寝顔しか見たことがなかったのですが、これにはもう大感動。さして興味もなかった私も、カメラのシャッターを押しまくりでした。

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ブリスベンというのはサイズがちょうど手ごろというか、ゴミゴミ・ゴチャゴチャしておらず、とても快適な街です。温暖な気候のせいもあるのでしょうが、人々のハートも温かく、観光案内所やホテルのスタッフもカフェの店員も都会的な親切みが感じられました。ベタベタではなくほどよい距離感が心地いいですね。夕食はホテル近くのシンガポール料理で済ませました。

スタジアムがなんとも立派。これでは日本も……

 

2017年4月29日

成田を前日の夜8時半に出て9時間、オーストラリアのブリスベン空港に到着したのは今日の早朝6時半。快晴、しかも時間のわりに温かいのは、多少なりとも赤道に近いせいでしょう。ホテルには7時半ごろ着きましたが、部屋はまだ空いておらず、時間をつぶさなくてはなりません。というわけで、すぐ近くのクイーンストリートモール(Queen Street Mall)までぶらぶら歩いていきました。

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DSC01913カフェでお茶を飲み、近くにあるたいそう立派な観光案内所へ。パンフレットをめくったりパネルをじっと見ていたりすると、「何かお分かりならないことはありますか」「どこかご希望の場所はおありですか」などと、やさしく声をかけてきます。なんとなく方針が決まり、相談すると、とても親切に対応してくれました。結局、明日(4月30日)は船に乗って、「コアラ・サンクチュアリー」に行くことに。実を言うと、こちらに来る前、旅行プランをあれこれ練っていたときは、対象外のスポットでした。ただ、家人の「コアラを抱いてみたい」というひと言で方針転換、予約を入れ、その場で支払いも済ませました。

DSC01947そのあとは近くの「シティーホール(市庁舎)」に。ブリスベンはヨーロッパと違い、中世以来のなんとか……といった類の観光スポットはありません。「シティーホール」にしても、19世紀の終わりごろに作られた建物です。それでも、「歴史の浅い国ほど歴史を大切にする」とはよく言ったもので、いまも大事に使われているようです。1階にはブリスベンでいちばん古いカフェがあり、3階には美術館・博物館も。いちばんの“売り”とおぼしき「時計塔」も無料で見学できます(ただし予約制)。

というわけで1時間後に予約し、そのまわりをぶらぶら。中央駅や旧郵便局など、どれも宝物のような扱いで、きちんとメンテナンスされています。中央駅は現役ですから、電車が出たり入ったりしており、改札システムも日本並み。気温は予想していたよりはるかに高く、日差しも強烈で、サングラスを忘れてきたのが悔やまれます。

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DSC01948「シティーホール」まで戻り、オーストラリで最古の手動式エレベーターに乗って「時計塔」のあるフロアーに。そこからは階段(あらかじめ「28段あります」と知らされていたので安心です!)で昇ります。ただ、最上階からの景色はいささか期待外れでした。何も障害物がなければ川面が観られ、「水の都」を実感できたのでしょうが、中高層のビルがびっしり立ち並んでいますから、どちらを見てもビルしか見えません。

DSC01952そのあとホテルに戻り、やっと空いた部屋で荷ほどきを済ませました。私たちのホテルはかつての州大蔵省(Treasury)の建物をそのまま使った歴史的な建造物。その姿が格好いいので予約したのですが、カジノも併設されています。Treasuryとはもともと宝とか金庫という意味。カジノで遊んで文字どおり宝が手に入ればいいのですが。

 

 

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ホテルの対岸は文化・芸術エリアとでもいうのでしょうか、美術館や博物館、ギャラリー等がズラッっと並んでいます。その中の一つ「クイーンズランド博物館」に。世界でいちばん大きなゴキブリが展示されているというのですが、最初はなかなか見つからず、係員に尋ねると、席を立ってそこまで案内してくれました。いました、いました! よく見ると、なんとなんと生きているではありませんか。でもちょっと……ですね。

 

再び橋を渡り、ホテルから歩いて10分ほどのところにあるハンバーガー専門店(ブリスベンでNo.1だそうです)で軽く腹ごしらえ。今夜はスーパーラグビーの観戦です。一方は、昨年シドニーで観戦したゲームの片割れワラタ-ズ(本拠地はシドニー。マイケル・フーパー、バーナード・フォーリーなどオーストラリア代表がごろごろ在籍。昨年の対戦相手はNZのチーフスでした)。相手はここブリスベンが本拠地のレッズ(日本代表のトゥイヘンドリックも在籍)です。今シーズンはオーストラリアのチームが全体的に地盤沈下していて勝てていないのですが、今日の試合はどうでしょうか。

 

DSC01977タクシーで10分ほどでサンコープスタジアムに到着。外観はそれほどでもないのですが、中はもう素晴らしいのひと言! こういうスタジアムがオーストラリアやNZにはゴロゴロあるのです。その点日本は「いまだし」。強くなるには形から、といってもユニフォームではなく、さらにその1段階前、グラウンドです。これが日本の場合、極端に遅れています。野球場は全国どこの町に行ってもあちこちあります。サッカー場も最近はどんどん増えています。でも、ラグビー場となると……。

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キックオフは午後7時45分。一進一退の好ゲームで、最後は29対26、アウェーのワラターズが勝ちました。後半残り7分まで3点差で負けていたワラターズが2本のPGを決めて勝ち越し。フォーリーのキックが百発百中。それが勝因です。ブリスベンのファンは残念無念の巻だったでしょう。

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客の入りは半分弱といったところでした。スーパーラグビーは来シーズンから3チーム減るのですが、その原因の1つがオーストラリアのチームがいまひとつパッとせず、観客動員も少ないことにあるようです。もっともスタジアム自体が大きい(サンコープスタジアムは52500人収容)ので、半分入っていないと、かなりさびしい印象がしてしまいます。

ホテルに戻ってからカジノで軽く遊んでみました。カジノといっても、ラスベガスやマカオとはまったく違います。去年お邪魔したシドニー、メルボルンのそれとも違います。なぜか──。もともとカジノとして作った建物ではないので、大きな空間がないのです。日本のホテルの中宴会場サイズが3、4つあり、あとは皆小宴会場ばかり。それでもけっこうお客が入っていました。場所柄か、中国人の客が3分の2。あとは地元の人でしょうか。最低の掛け金が1セントからですから、健全に遊べました。

西池袋にブルックリンがやってきた!

2017年4月22日

「朝食は1日のほぼ最高のパートでした。前日の夜を通り抜け、新しい1日に向かって心と体をシャキッとさせる、摩訶不思議といってもいい感覚がありました」。アメリカ南部ヴァージニア州出身のエドゥナ・ルイスという黒人女性料理家の言葉のようです。いいですね~、そのとおり! おいしい朝食を食べれば、1日が元気に心地よく過ごせるのは間違いありません。

IMG_0652そんな思いを抱いている人たちをターゲットにした「egg」というおしゃれなレストランが昨日、西池袋にオープンしました。場所は池袋消防署の隣、「としま産業振興プラザIKE・Biz」(旧勤労福祉会館)の1階です。建物の名前が変わるとテナントまで変わる──わからないでもないのですが、ニューヨーク、それもおしゃれで高感度な人たちが多く住んでいるというので最近人気急上昇中のブルックリンに本店がある店となると…。

 

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本店の創業は12年前。オーナーの友人が営むレストランが営業していない時間帯(朝から昼)に、アメリカ南部の伝統的な朝食メニューを提供するスタイルでスタートしたのだとか。

南部の朝食といえば、卵、牛乳、砂糖、小麦粉をふんだんに使った料理。パンケーキ、フレンチトーストにフライドエッグかスクランブルドエッグかポーチドエッグ+ベーコンかソーセージかポテトを添えてといった感じでしょうか。でも、いちばん力を入れているのは店名に象徴される卵料理。卵大好きの私としては期待がいっぱいです。

私と家人と下の孫の3人で、待つこと30分。それほど大きくはありませんが、すっきりした内装の店内は、いかにも新開店といった空気。初々しさが感じられます。アメリカからやってきたオーナーとシェフがときおり店内の様子をチェックしたりして、緊張感もあります。

IMG_0657この店の「一番人気」というエッグロスコ。「デニッシュ生地で作った食パンの真ん中に卵を落とし、ホワイトチェダーチーズで焼き上げた」料理です。これにキャンデーベーコンなるものを添えてもらいました。味ですか? 感動とまではいきませんが、朝の気分を思い切り変えたいときにはいいかも。

ところで、冒頭の言葉は、入ってすぐ正面にある黒板に書かれていたもの。でも、それを実行するには、「うーん」と言いたくなるようなお金を払わなくてはならないのです。

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夏日の東京から、冬に戻った酒田・秋田へ

2017年4月20日

前日(4月19日)午前11時発・山形県の庄内空港行きANA便に乗りました。自宅から最寄り駅まで乗ったタクシーにはクーラーが入っていました。東京はこの日まで3、4日、最高気温が25℃を超える夏日が続き、ぽかぽかです。ただ羽田では、「庄内空港行きの便は、現地の気候状況によっては羽田に引き返すことも……」という条件付きの運航。にわかには信じがたいのですが、仕方ありません。

着陸の15分前、奥羽山脈の上空を飛んでいたときはきれいな青空で、出羽三山を覆っている残雪の白さがまぶしいほど。ところが、空港近くになると猛烈な強風です。着陸寸前には風で大きく煽られ、大丈夫かな……と一瞬不安に。しかし、パイロットの腕は確かで、ほとんど衝撃なしにドンピシャリの着陸を決めてくれました。でも、窓の外を見やると雨がぽつりぽつり。予報どおりの天候です。

迎えに来てくださったMさんと食事をし、そのあと空港のやや南にあるホテルまでインタビューに向かいました。途中、横風でがんがん煽られます。2時半にインタビューを終え、酒田市内の取材へ。もうこのころになると気温はぐんぐん下がり、風も強まる一方。

酒田の港近くにある日和山【ひよりやま】公園は、風速20~25メートル。吹き飛ばされそうな状態でした。気温もおそらく3℃前後でしょう。カメラを持つ手もかじかんでいました。それでも前日満開になった桜は凛としています。ひとひらの花びらも飛ばされずにいるのです。ただ、花見客はゼロ、店も開いていません。

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IMG_0612江戸時代の船宿兼倉庫兼販売店といった感じの鐙【あぶみ】屋も、明治期まで栄華をきわめた「山王くらぶ」も、市の資料館を訪れたときもどしゃぶりの雨と強風。チケット売り場の人も恐縮至極というか、「よくもまあ、こんな天気のときに来てくださって……」といった感じで応対してくれました。

酒田から秋田県にかほ市に向かう国道7号線の途中、遊佐【ゆざ】町あたりでしょうか、両側が桜並木になっているところを通過。花は残念ながら半分以上散ってしまっていましたが、満開だったらさぞかし……と思わせます。Mさんが店を開いておられるにかほ市象潟【きさかた】のあたりでは、松尾芭蕉の歩いた奥の細道を車でたどりながら往時をしのび、さらに同市の北にある「道の駅ねむの丘」に立ち寄った(9年ぶり!)あと秋田まで。

さて、今日(4月20日)は朝食後、新幹線の出発時間まで多少時間があったので、ホテル近くの久保田(秋田)城がある千秋【ちあき】公園に足を運んでみました。城と桜というのは黄金の組み合わせというか、全国各地で見られる光景です。まして満開が近いとなれば……と期待しつつ行ってみたのですが、桜はまだ7分程度。週末からが見ごろといった感じでした。昨日ほど寒くなく風もおさまっていたのが救いでした。

桜はいまひとつでも、園内にはいい場所があちこちにあります。露店が軒を並べているのが興ざめといえば興ざめでしたが、まあ、これはご愛嬌でしょうね。

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いささか期待外れの「琉球海炎祭」でした

2017年4月8日

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いよいよ今晩は、今回のメインイベント「琉球海炎祭」。那覇市内でまだ足を踏み入れたことのないエリア波の上宮近くにある三重城【みえぐすく】小船溜にある桟橋から船に乗って、会場の宜野湾まで船でひとっ走り。年間を通じて全国で最初という触れ込みの花火大会を海の上から楽しむというものです。

6時半ごろ那覇を出て宜野湾沖合まで45分ほど。8時10分前になって、ようやくスタートしました。ただ、連続してバンバン打ち上がる花火大会を期待していると、うーんということになってしまいます。陸上に特設舞台のようなものがしつらえられ、そこにすわりながら楽しむというのが本筋のようで、今回は安室奈美恵とかが歌を披露していたようです。MCの進行に合わせているので、その様子がわからない海の上では、待ち時間がやたら長く感じられました。

DSC01885花火の打ち上げは1時間ほどで終わりましたが、迫力的にはいまひとつ。また、その間ずっと海上に浮かんだままなのでビミョーな揺れがあり、あまり心地よくありません。ふだんはシュノーケリングとかホエール・ウオッチングに使われている小型船だそうですから、こういう用途にはそもそも不向きなのかも。もっと大きな船で、それなりに広い甲板に大きなテーブルがあって、船内ではビールや軽食が売られ、それをつまみながら……などと勝手に思い込んでいたこともあり、欲求不満が残りました。天気がよかったのがせめてもの慰みかも。

「首里そば」の上をいく「骨汁定食」=980円なり!

2017年4月7日

沖縄も今日でちょうど1週間。前回は「首里そば」についてお伝えしましたが、今回はその名も「骨汁定食」。この店では、名物のそばを作るのに、豚骨に玉ねぎ、泡盛を加えて煮込んだ出しをベースにしているそうですが、それに豚のスネ肉を入れショウガを加えてさらに6時間グツグツ。大ぶりの丼に入って供されますが、まずそのボリュームにビックリ。上から下まで骨、骨、骨。たっぷりの汁の中に、バラバラになった肉、肉、肉。汁はすべてコラーゲンかといった感じもします。ショウガが効いていて、ひとすすりするだけで元気が出てきて、食べ終わったころには顔の肌もつるつる(ウソです)。これで980円は、安~い!

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骨汁定食 after 

付け合わせのごはんも、沖縄の定番=じゅうしぃでなく白飯なのは、味付けが濃厚(でも、しつこくはありませんよ)だからでしょう。ご覧のとおり、久しぶりの完食。これほどの大ヒットメニューに遭遇できたのは偶然。前日(4月6日=“新聞をヨム日”)目にした新聞広告──それも、1面のコラム左横という地味な場所で見つけたのが気になり、行ってみたおかげです。

ちなみに、この店の名前は「御殿山(うどぅんやま)」。見た瞬間「おー、沖縄にもうどんの店があるのか」と思ったのですが、琉球方言では「御殿」と書いて「うどぅん」と読むんですね。それと、「そば」は「すば」と言います。「4・6=読む日」に限らず、新聞、読みましょう!

まだまだ“知らない沖縄”が……

2017年4月4日

1日から沖縄に来ています。2日までは「寒気の来襲で真冬並み」だったのですが、昨日からは沖縄らしいポカポカ陽気。今日は「4月下旬並み」の暖かさでした。久しぶりにドライブを楽しむことにし、ここ数年インバウンド需要で大いに盛り上がっているという南城市と、隣接する糸満市へ。

最初に行ったのは知念岬公園。太平洋を見渡す高台にあり、眺望抜群。海岸べりなので、心地よい風が吹いています。パラグライダーの名所らしく、空を気持ちよさそうに飛んでいるのがうらやましい!

浜辺の茶屋3次に訪れたのは、静かな海岸に建つ「浜辺の茶屋」。ここは大当たりのスポットでした。目の前が砂浜というロケーションで、3階建ての古いロッジ風の建物で、3階が地上と同じ高さでルーフバルコニー。2階が屋根付きの普通な感じの店舗、階段を降りた1階はビーチの上にテーブルとイスが並んでいます。

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奥武島のてんぷら屋

次は、7~8年前に行ったきりで、すっかりご無沙汰している奥武島【おうじま】。目標は、本当から橋を渡ってすぐのところにある刺身とてんぷらが名物の魚屋さん。前は屋台に毛が生えたくらいのちっぽけな店だったのが、いまでは3階建てのビルに変身。1階が即売店、2階はレストランになっています。名物のてんぷら売り場にはなんと行列が! メモ帳に記された品名に数を書き込む、近代的な(?)スタイルになっています。

さらに、海に近いところにも別の3階建ての真新しい建物を発見。中に入ってみると、あるお店のおかみさんが、「おかげさまで2年前にここ(建物)ができまして……」とうれしそうな顔で話してくれました。見ると、隣もその隣も、台湾、韓国からやって来た感じの人たちばかり。いやはや、インバウンド恐るべしです。

 

ジョン万次郎上陸の地奥武島からさらに西へ走り、次に訪れたのは「ジョン万次郎上陸の地」。前こちらを走ったときはなかったスポットで、これも1、2年ほど前に記念碑が建てられたばかりのようです。ジョン万次郎が10年間のアメリカ生活を終えて帰国する際、鎖国を敷いていた日本に直接戻るのを避け、当時は独立国だった琉球を選んだのだとか。そして、無事上陸を果たしたのが糸満市大度【おおど】浜だったそうです。

そこからさらに西へ、ひめゆりの塔を過ぎ南に下ると喜屋武【きゃん】岬があります。沖縄本島最南端の地──と思ったのですが、スマホでググってみると、「東南東約1.4km離れた荒崎が実の最南端」と。この一帯は沖縄戦の激戦地で、アメリカ軍から逃げたきた住民・日本軍は自決し最期を遂げたとのこと。慰霊塔が建っているのはそのためなんですね。最北端の辺土【へど】岬は観光客がいっぱいですが、こちらはなぜかまばら。270度といった感じのパノラマビューで太平洋と東シナ海が見渡せる素晴らしい場所なのですが……。

岬から車で5分、やはり海岸の崖っぷちにある具志川城跡もユニークでした。石灰サンゴで作られた石垣が海城であることの証。よくもまあこんな場所に城をと思わずにはいられません。

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糸満市の中心部に入ると、マイナーながらもあちこちに観光スポットがあります。漁業がメインのこの町の氏神を祀る白銀堂。小ぶりな神社ですが、素晴らしい色彩の屋根が印象的です。本殿が背後の山にくっつくように建っているのは神社の伝統的なスタイルでしょうか。

糸満 山巓毛山巓毛【さんてぃんもう】は、糸満の海近くにある展望台のような場所。太平洋戦争中は、防空監視所として使われていたのだとか。レーダーなどという近代的なものは、こんなひなびた場所にはなかったようです。ただ、軍事的にはかなり重要な場所ではないかと思いますが。

最後に行ったのは高嶺小学校の敷地の中にある南山【なんざん】城址(歴史的にはこの逆でしょうか)。すっかり荒れ果ててしまっていますが、往時は威容を誇っていたのでしょう。墓所とおぼしき横長の巨大な石とガジュマルの群生が印象的でした。

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「イッペー」の花城跡の向かい側にある高嶺中学校の敷地に咲き誇っていた黄金色の花の美しかったこと。この季節、沖縄のあちこちで見かけますが、通称「イッペー(イペー)」といいます(正しくは、ノウゼンカズラ科の落葉高木で、コガネノウゼンまたはキバナノウゼン)。もともとはブラジル原産の落葉樹(国花でもあるそう)=イペー(Ipe)だそうで、琉球方言で「いっぱい」「とっても」を意味する「いっぺー」と一体化してしまったようです。

「ロマノフ王朝展」と夜のしだれ桜を一気に

2017年3月30日

来週は東京を離れるので、その間に開催が終わってしまう「ロマノフ王朝展」を観にいきました。会場は文京区の本駒込【ほんこまごめ】にある「東洋文庫ミュージアム」。入場料は正規だと800円ですが、シニア料金(!)で半額。初めて行ったのですが、たいそう立派な施設で、驚きました。

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本駒込といえば、東京では古くからのハイクラスな住宅街ですが、そこを東西に走る広い通り沿いに建っているので、すぐにそれとわかります。「東洋文庫」というくらいですから、もともとは図書を収蔵するところ。1917年、三菱の第3代当主・岩崎久彌が中華民国総統府政治顧問G・E・モリソンの蔵書を購入し、24年に財団法人東洋文庫を設立しました。国内では最古・最大の東洋学の研究図書館だそうで、蔵書数は現在約100万冊。その中から、国宝・重要文化財にも指定されている貴重な書を選んで展示するミュージアムが2011年にオープンしたそうです。

 

!cid_5DD6D9820CCECB49820FBB40AC1C8F7595F8C26C@edithousejp_onmicrosoft“今年(2017)はロシア革命から百年。裏を返していうと、ロマノフ王朝が滅亡してから百年ということになります。 かつてヨーロッパからアジアにまたがる広大な領域を支配した強大にして華麗なるロマノフ王朝。今日のロシアの社会と文化の礎はロマノフ王朝300年の歴史の中で築かれたといっても過言ではありません。 ロシアは日本から最も近い隣国です。史上まれにみる巨大帝国の栄枯盛衰を、日本との交流という視点からたどってみましょう”と案内のチラシに書かれているように、宝物展ではなさそうです。

 

私が関わっているNPO法人「日ロ創幸会」の研修で行ったサンクトペテルブルクやモスクワでも、ロマノフ王朝の宝物をたくさん観ましたが、今回展示されているのは知的財産というか、史料的価値の高いものばかり。キラキラ・ピカピカの宝物とはまた違う、文化・文明への探求心とあこがれが感じられます。

 

入ってすぐのホールに「特別名勝 六義園【りくぎえん】」のジオラマが、解説付きで展示されていました。そういえば、「東洋文庫」の前の広い通りを渡ってすぐのところにあるのですね。しかもちょうど「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」という催しが4月2日まで開催されているというので、行ってみることに。

 

入口で入園料(こちらもシニア料金で半額!)を払い中に入ると、木曜日だというのに、けっこうな人出です。正門を入ってすぐのところに植わっている大きなしだれ桜の前にはカメラを手にした人が群がっていました。高さは10m以上あるでしょうか、花びらは鮮やかな濃い目のピンク。ソメイヨシノとは趣が違います。しかも、樹高の高い部分はピンクが少し薄めに見えます。その微妙な差が前方の濃い目のピンクをいっそう引き立てていました。

 

!cid_0F60769BD77E85226E55FF23D0DB756B28B7BD42@edithousejp_onmicrosoft「六義園」というのは元禄年間、川越藩主・柳沢吉保が7年の歳月をかけて作った回遊式築山泉水の大名庭園。それが明治時代になって、三菱の創業者・岩崎彌太郎の別邸になり、1938年、東京市(当時)に寄贈されたとのこと。和歌に歌われる88の景勝地にちなんだポイントが随所に配されており、なかでも紀ノ川、片男波【かたをなみ】、仙禽橋【たずのはし】、芦辺【あしべ】、新玉松【にいたままつ】、藤白峠【ふじしろとうげ】など、紀伊国(和歌山県)の景勝地が多いようです。

若の浦に 潮満ちくれば 潟【かた】をなみ 葦辺をさして 鶴【たづ】鳴き渡る

 

高校時代、古文の授業で習いましたが、『万葉集』にある山部赤人【やまべのあかひと】の有名な歌にそのいくつかが出ています。たしか、古典の文法の要素がぎっしり詰まった素材として覚えさせられたように記憶していますが、そんなことより、三十一文字の中にいくつも名所が散りばめられていることを知り驚きました。

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 帰路、「六義園」といい「東洋文庫」といい、この一帯はすべて三菱の所有だったことを思い起こしました。そういえば、上野の近くにも「旧岩崎邸庭園」というのがあります。三菱は丸の内だけではないのですね。家に帰り、「東洋文庫」のウェブサイトを見てみると、スポンサーには三菱系の大企業がびっしりと名前を連ねていました。拙宅の大家さんもその末裔といわれる岩崎さん。不思議な縁を感じます。

函館で出会った素晴らしいスペイン料理

2017年3月22日
今日は充実した食生活を経験できました。今回2泊したホテルの朝食バイキングもよかったのですが、今日は古川市場の名物「のっけ丼」を食べようと決めていました。7時半過ぎにホテルを出て5、6分歩くと市場が。

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入口を入ってすぐのところにある小さな店先にすわっているおばちゃんから食券を買います。10枚つづりで1080円也。市場の中に魚屋、八百屋、乾物屋があるのですが、どの魚屋でもいいので、好きな食材を選び、ご飯の上にのっけてもらいます。それぞれ必要な食券の枚数が決まっていて、それを渡します。そうやってマイ丼を作り、最後に味噌汁とおしんこを受け取って(食券1枚)朝食が完成。市場のところどころにテーブルとイスが並べられていて、そこで食べるのです。

女子旅とおぼしきグループや老夫婦、単身赴任風の男性、外国人のバックパッカーなど、平日なのでお客の数はそれほど多くはないのですが、バラエティーたっぷり。私ののっけ丼=中トロとハマチ、甘エビ、シラス、しめ鯖、タラの白子をのっけた丼は、写真を撮るのを忘れてしまうほどおいしそう(言い訳にしか思えないでしょうが)。もちろん、最高においしかったですよ。

夜は新青森から新函館北斗まで新幹線で移動し、そこから乗り継ぎの電車で函館駅まで。東埠頭近くのホテルには7時半にチェックインしました。フロントで名前を告げると、「前とご住所はお変わりありませんか?」と尋ねられました。なんと、10年前にこのホテルに泊まっていたのです。そこまでリサーチしているこのホテル、たしかに部屋は快適、眺めも最高です。

!cid_7d6d5887-e028-46a3-9ba5-add30c484ee1@apcprd04_prod_outlook夕食を取ろうと、部屋でさっとググってあたりをつけた店に直行。「ラ・コンチャ」というスペイン料理のレストランでしたが、ピンチョスのおいしかったこと。ひとりで6、7種類食べられれば、いうことなしです。ワインも進み、グラスで3杯空けてしまいました。ここ1週間、横メシとおさらばしていたせいもあるのでしょうが、素晴らしい夕食でした。

青森で経験した哀しい時間

2017年3月21日
昨日は3連休の最後の日。夜8時半ごろ。食事にしようとホテルを出ました。県庁所在地の駅前を走るメイン通りに出たのですが、でも、夕食を食べる店がないのです! おいおい、ここは魚の名産地じゃないのかと、街を歩く人──といっても、ごく少ないのですが──にききたくなってしまいます。

「食べる」というのは不正確で「食べたい」が正確な表現でしょうか。あるのは、日本海庄や、笑笑、魚民、山内農場、弁慶といった全国チェーンの居酒屋ばかり。匠庵、月あかり、北のまつり、三代目網元、井戸端は地元の居酒屋チェーン店。さらに吉野家、ガストときてはもうお手上げです。70歳近くなって吉野家でもありますまい。

30分ほどあちこち探し歩いたあげく、結局コンビニで出来合いの串焼きとチーズを買って、チューハイで流し込みました。いかにも体に悪そうですが、致し方ありません。

IMG_0504しかし、平日の今日のほうがはもっと悲惨でした。早く店も閉まるのだろうと、6時半にホテルを出たのですが、食べたい店がないのです。最後はあきらめて、そば屋で済ませました。通りには信号がありますが、どの交差点も、信号無視で悠々渡ることができるのも驚きました。クルマの往来が少ないというか、信号などあってもなくても同じ。さびしいのを通り越し、もう哀しくなってしまいます。ALASKAと書かれた看板を目にしましたが、アラスカの雪原の中にいるような気持ちにさせられました。

でも、地方の都市の現実というのはこんなものなのでしょう。鳥取や佐賀でも同じようなことを経験しましたが、青森ほどではありませんでした。そういえば、昨日の夜、降りた新青森の駅も、まわりには何もなかったなぁ。東海道新幹線が開業したときの新大阪駅のまわりもさびしいものでした。でも、50年以上が経ったいまでは、そこそこにぎわいを見せています。新青森駅にそういう日が来そうかと聞かれると、黙るしかありません。

高校時代の仲間が台湾に大集合!

2017年3月19日

16日から台北に来ています。昨年11月初めの“合宿”で決まった台湾行きが実現したのです。最初は4人の予定でしたが、日本のメーカーN社の中国現地法人で最後は総経理(社長)を務めていたYNくん(名古屋在住)が、「それはおもしろい。私も行きたい」と手を挙げました。大学も中国語専攻でしたし、上海・天津・北京に通算20年も赴任していたとあって中国語はペラペラのYNくんですから、私たちにとっては心強いかぎりです。そこで、5人分の航空券やらホテルの予約をしました。

年が明けた2月、同じ高校の仲間で、30年前にバンコクで会社を立ち上げたSくんから、久しぶりに電話がかかってきました。私からSくんのことを聞いた同じ高校の友人Hくんがバンコクに自分を訪ねてきたというのです。それで電話をくれたのですが、何の気なしに、「今度、私と、MIくん、MUくん、Yくん、YNくんの5人で台湾に行くことになった」という話をしたら、「それはいいね。私も仲間に入れてくれ」とのこと。中華料理は、人数が多いほど楽しめるので、異存などあろうはずがありません。電話のあとすぐ、私たちのフライトや宿泊先の情報をメールしました。

 その2日後、「飛行機は予約したし、ホテルも同じところを取ったから」というメールが。というわけで、5人が東京から(うち1人は名古屋から)、1人がバンコクから台北に集結。同じ明和高校同窓同期の仲間としては、記念すべき(!?)初めての“海外合宿(=研修会)”となったしだい。羽田発のEVA航空で台北松山空港に着いたのは午後2時前。ボーディングパスにキティちゃんには笑ってしまいました。還暦をはるかに過ぎたオヤジですよ。乗客は若い女性や子どもだけではないのに……。空港まで、YNくんの古巣N社台湾法人の方が車で出迎えてくれました。

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  IMG_0425 (3) IMG_0436 (6)ホテルに着きチェックインすると、すぐ「故宮博物院」へ。途中、お茶屋さん(「昇祥茶行」)と、台湾随一というパイナップルケーキ屋さん(「李製餅家」)に立ち寄ってお土産を買い、そのあと中山北路と南京東路の交差点近くにあるレストラン(「山海楼」)へ。いささか高級に過ぎたきらいもありますが、100年以上前に建てられた屋敷をそのままレストランにしたというこの店、とても印象深く、記憶に残りそうです。最後は台湾の定番・足裏マッサージで疲れを癒しホテルに。バンコクから飛んできたSくんもチェックインを済ませているとわかり、食事がまだというSくんと一緒に、またまた食べに出ました。

 

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IMG_0468 (4)翌日は九份へ。茶館(「九份茶坊」)でお茶を飲み、土産物街をうろうろ。あいにくの天気で眺望は楽しめませんでしたが、昼食は東海岸の景勝地・鼻頭角にある海鮮レストラン「海園」。ここはたいそう美味でした。台北に戻りしばし休憩ののち、士林の夜市へ。ここからのアテンドはなんとN社の台湾法人C社長。食事のあとはその案内で行ったカラオケに興じました(林森北路「ひまわり」)。C社長のお話どおり、ママの歌はプロも顔負けのうまさ。聞けば、お姉さんはプロの歌手で、日本でもときどきコンサートをおこなっているとのことです。

ちなみに、この店の女性は全員、少数民族(先住民)の末裔で、夜10時になると、民謡を合唱で聞かせてくれます。最後は私たちも全員、女性たちの輪に加わり、声を出しながら踊りました。キホン明るいメロディーなのですが、どことなく悲哀を感じさせる曲に、なぜか目がウルウル。台湾における少数民族の歴史はいささか物悲しく、全員、飲みながらも複雑な思いを抱きながらホテルに戻りました。

部屋に戻ってノートPCをググってみると、ママのお姉さんは愛称「阿妹(アーメイ)」といい、プユマ族(卑南族)の出身だとか。本当の名前はグリライ・アミトゥ(Kulilay Amit)とあります(中国名は張惠妹)。妹(「ひまわり」のママ)は張惠春という名で、従姉妹の陳秋琳と3人で組んだユニット「阿妹妹(アーメイメイ)」もあることがわかりました。日本でも何度か公演しているようで、こんど来日したときはぜひ行かなくては。

IMG_0490 (3)3日目は、戦前からある老舗の茶館(=「紫藤盧」)で昼食。なんでも、「2・28事件」のとき、蒋介石政権に反旗をひるがえした仲間たちのたまり場だったといいます。その後、「2・28記念館」を見学し、北投【ペイトウ】の温泉地へ。川っぷちにある「川湯」という日帰り温泉でひと風呂浴びたあとはまたまた宴会に。

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風呂上がりのビールは格別でした。夜は、おいしさと安さでなかなか予約が取れないといういう北京ダックの店「龍都酒楼」へ。食べる前に、焼き上がったダックを丸ごと披露してくれたのにはびっくり。味もハイレベルでしたよ。

 

 

 

最終日の4日目(3月19日)は朝から「台北101」へ。あいにくの曇り空で、眺望はゼロ。展望台のある89階の広いフロアに、先住民とおぼしき衣装を着た団体が観光でやってきていました。一昨日そうした話を聞いていただけに、なんという民族なのか気になったのですが、結局わからずじまい。

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IMG_0499 (2)ホテルに引き返し、C社長と「中正紀念堂」を見学したあと、C社長も初めてという1人前750台湾ドル(日本円で3000円くらい!)という牛肉麺(台北牛肉麺コンテストで1位に輝いたそうです)を食べ(中山北路の「晶華酒店=リージェント台北ホテル」)、空港へ。夕方の便で帰国しました。バンコクから参加のSくんも、仕事のため後発の別便で東京へ。私たちのEVA便が遅れたため、なんと羽田の荷物受取所で再会するというおまけ付き。

YNくんは中国でN社現地法人の社長を務めていたので、現在は顧問ですが、その「御一行様」という扱いで、同社の台湾法人の皆さんには何から何までお世話になってしまいました。かえって申し訳ないことをしたなぁと、わたし的には反省もあります。でも、それ以上に、こういうフルアテンドの旅というのも、たまにはいいなと思ったりしました。次回はバンコクで「研修会」をという話もまとまり、いまから楽しみです。

2年ぶりのドミンゴ、おまけは皇后陛下!

2017年3月13日
おととしの秋、ラスベガスで偶然、楽しませてもらったドミンゴのコンサートがありました。共演はルネ・フレミング。ソプラノではいまナンバーワンといわれるアメリカのオペラ歌手です。といっても、そのレパートリーはたいそう広く、ほとんどなんでも歌いこなしてしまいます。最近も、3年前の「スーパーボウル」で、試合開始前に国歌を斉唱。これはオペラ歌手としては初めてでした。

そのフレミングが相手とあってはドミンゴも張り切るはず。名曲の数々を披露してくれましたが、いちばんノッていたのは、ラスベガスのときと同じ『ベサメ・ムーチョ』でした。母国語の歌ということもあるでしょうし、ドミンゴ自身が心の底から楽しんでいる風がありあり。

!cid_ba50c32b-dd76-457a-a101-8a2dd2106cbe@apcprd04_prod_outlookそうそう、もう一つおまけがありました。皇后陛下がお聞きにいらしていたことです。途中の休憩とき、用を済ませ席に戻ろうとしたら警備の人から「すみません、VIPが通るので、しばらくこの通路をふさがせていただいています。お急ぎなら……」といわれたのですが、はて、誰だろうと思いました。たぶん皇族だろうなとは推測しましたが、まさか皇后陛下とは! しかも、私たちが座っている2階のほとんど同じ列。距離にして10メートルほどだったでしょうか。これで去年・今年と、半年の間に2度、両陛下と出くわしたことになります。S席38000円は恐ろしい値段ですが、『ベサメ・ムーチョ』と皇后陛下で元は取れた(?)ような気がします。

 

京都っぽくない名前の「城南宮」で、しだれ梅を堪能

2017年3月7日
明日・明後日と京都で所用があり、今日は前泊の予定です。「いまごろは梅が満開じゃないかしら。せっかくだから観てみたいわね」という家人のつぶやきが聞こえました。そういう話なら、即ノリです。どうせならということで、早起きして午前10時過ぎに京都着の「のぞみ」に乗りました。

最初に行ったのは、京都駅からJR奈良線で30分ほどのところにある山城青谷【あおだに】。その近くにある「梅谷梅林」が目的地。ちょうど「梅まつり」の最中で、期待しながら向かいました。ここは、梅がたくさん植えられている庭園ではなく、いわゆる生産農家が小高い丘全体に梅を栽培しているという触れ込みだったからです。有名な北野天満宮の梅とはかなり様子が違うのではないかと。
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しかし、残念なことに花の開きがまだ二~三分で、全然物足らないのです。金曜日なので、それなりに人が訪れてはいましたが、「ワーッ!」とか「すご~い!」といった歓声は聞こえてきません。

このままでは……と思い、急遽方針を転換。近くに別の梅見の場所はないかと、タブレットで探すと──、ありました! 同じ奈良線で少し京都方向に戻り、近鉄電車に乗り換えてすぐのところに、「城南宮」というやはり梅の名所が。画面を見ると「満開」とあり、そちらに行くことにしました。

途中昼食をはさみ、午後2時ごろ到着。最寄駅は近鉄奈良線の竹田で、駅から徒歩15分のところにあります。ただ、途中の道筋は京都らしい風情がほとんどなく、ホントこんなところにあるのだろうかと心配になりました。「城南宮」という名前も、いまひとつ京都っぽくありません。「宮」というので、最初は皇族の別邸のようなところをイメージしていたのですが、なんのことはない、神社なのです。たしかに、神社も「宮」といいますからね。

しかし、これが大ヒットでした。神社に付随する庭園の一角(といっても広いですよ)に、しだれ梅がびっしり。どの木もホント満開でした。梅は、咲いている期間が長いのが桜と違いますが、これだけ素晴らしい花を咲かせていれば、さぞかしたくさんの人が観に訪れるのではないでしょうか。

!cid_5d2f4521-d956-4f7b-a2cf-d169522673a4@apcprd04_prod_outlookちなみに、今回初めて知ったのですが、「城南宮」の創建は794年で、白河天皇が「鳥羽離宮(城南離宮)」を作られたのを機にその一部となったとのこと。歴代の天皇・上皇もしばしば訪れておられるようです。位置的に京都御所の裏鬼門にあたることから、貴族の方違【かたたがえ】用の宿所として用いられ、方除【ほうよけ】の神として信仰を集めた時期もあったといいます。その後応仁の乱で荒廃したものの、江戸時代に復興。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」では主戦場となったそうです。

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梅が植わっているのは「春の山」といに名の庭園。ほかにも4つの庭園が配されていました。それぞれ個性があり、あっという間の1時間でした。
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内容もさることながら、造本の妙味を感じさせられた本

2017年3月5日

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津田久美子さんの『ルワンダに灯った希望の光─久美子のバナナ和紙』という本ができ上がり、版元から見本が届きました。四六判並製・240ページオールカラーで、著者の心やさしさがそのまま伝わってきそうな親しみやすいカバーが、まず目をとらえます。ページをぱらぱらめくると、本文用紙のやわらかい感触が指先に伝わってきます。ふんだんに使われているカラー写真の発色がとても素晴らしく、それだけを追いかけていても飽きが来ません。みごとな仕上がりで、この1年間、その編集にたずさわってきた私にとってもうれしい一書になりそうです。

版元の書肆侃侃房【しょしかんかんぼう】さんは、15年来親しくさせていただいている田島安代さんが営む福岡の会社。柔軟でふところの深いセンスには日ごろから敬服していたのですが、今回の本で見せてくださった本づくりに、その思いをますます深くしました。というか、「造本」ということの意味合いを改めて考え直させられたように思えます。

どんな本も紙に印刷するのですが、紙といっても、写真集や画集に使うアート紙、漫画雑誌に使われているザラ紙、それと普通の本を印刷するための書籍用紙(「コート」とか「マットコート」「上質紙」「特殊紙」とかさまざま)など千差万別。広告チラシのように1枚こっきりではないので、ページを繰るときの感触が、その本のテーストにも大きく影響してきます。また、本文の印刷に使われるインクとの相性、写真や図版の映え・色の乗りなどとの関わりも含め、紙選びは本の命を左右するといっても過言ではありません。

年か8万点を超える新刊本が出版される昨今の出版界にあって、そうしたことにまでこまかく気を配る版元は少ないように思えます。しかし、田島さんのところは、そのあたりが違います。結果、そのテーマ、内容にぴったり合った造本がなされ、手に取った読者を、より心地よくしてくれるのです。いい洋服を試着したときの感覚と似ているかもしれません。
そして、ページを繰りながら読み始めると、その段階でも読み手はさまざまな感想を抱きますが、この本の場合どうでしょうか。編集者としてはとても気になる部分です。

 

内容は──。販売促進用に作られたチラシの言葉はこんふうになっています。
50代後半で一念発起、大使館勤めを機にアフリカへ。
舞台は、凄惨をきわめた内戦のあと国家再建の途上にあるルワンダ。
経済格差に苦しむ農民を支援したいと「エコ・バナナペーパー」を開発し、
新たな雇用の創出に汗を流す著者12年間の奔走記。

ちなみに、著者の津田久美子さんは、私の仲人を務めていただいた方です。些細ではありますが、ご恩返しができたような気がします。いや、売るための算段をしなければそうはならないかも……。

 

若手メンバーの起用で楽しみが増えた今年のサンウルブズ

2017年2月25日

 
今年で「スーパーラグビー」2シーズン目を迎えたサンウルブズの開幕戦を観に行ってきました。場所は秩父宮です。昨年同様、外壁には「スーパーラグビーで世界を驚かせよう!」と書かれた巨大な横断幕。観客もほぼ同じくらいの数の人が来ています。スタジアム前の狭いスペースにテントを張り、各種のグッズを販売しているのも同じ。ただ、いまひとつ食指が動かないのは、デザインのセンスに物足りなさを感じるからです。

スタンドに上がる前、マッチカタログは購入しましたが、シーズンカタログはパス。去年と同じ月刊ラグビーマガジンの付録を表紙だけ取り替えて売っているのがわかったからです。進歩がないというか、安易というか……。私も含め、大方のファンは呆れているにちがいありません。初めてゴール裏に設けられた特設ステージではロックバンドのライブもあったよう。選手入場時にグラウンドから噴き上がる火炎は、昨シーズンより迫力アップしていました。

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試合のほうは、昨シーズンの覇者ハリケーンズ(NZ)が相手。おととしのワールドカップで最多の8トライをマークしたWTBジュリアン・サヴェアらオールブラックスの経験者も4人が先発で出ていますから、「世界を驚か」すような結果はほとんど期待できません。ただ、1週間前の壮行試合(対トップリーグ選抜)は緊張感あふれる素晴らしいプレーを見せてくれていたので、どこまで迫れるかという期待も多少はあります。でも、現実は厳しーーい! ホイッスルが吹かれてまだ10分しか経っていないというのに3つもトライを取られてしまっては、ウーン……とうなるしかありません。前半は5対45で終わらいましたた。

DSC01442ただ、サンウルブズのほうは、ケガや故障でレギュラーメンバーがそろっていません。フィフティーンのうち、SOの田村熙、WTBの福岡堅樹、中鶴隆彰ら7人がスーパーラグビーではデビュー戦。トップリーグでは最高ランクの選手ですが、こうした大舞台でどうなのかは未知数です。もちろん、それゆえの期待もあります。ラグビーはやはり、ゲームを戦わなければ成長できないからです。

 

後半も、すっかり見慣れてしまった、インターセプトからのトライを3つも決められ、19分を経過したところでスコアは5対83。こうなると「100点は取られるなよ」と祈るばかりです。それでも29分に、途中出場の金正奎(早大→NTTコミュニケーション)、37分には今シーズンから加入のヴィリー・ブリッツ(南ア→同)がトライを決め、17対83まで持ち込みました。66という得点差はチーム結成以来最多ですが、昨年5月、オーストラリアのキャンベラで観た、超ワンサイドのブランビーズ戦(5対66)のときほど情けなさを感じることはありませんでした。最後の20分は大いに見せてくれましたし。大成長と言っていいでしょう。今シーズン、少しは楽しみになってきました。

初めての「首里そば」

2017年2月15日

もう10年近く沖縄に通っているのに、食べていないもの、行ったことのない場所がまだまだたくさんあります。今日はそのうちの一つ「首里そば」を体験。会社の分室からは車でほんの数分、住宅街のただ中にお店はありました。11時半開店・売り切れじまいという店に着いたのは12時ジャスト。早くも行列ができています。

見たところ、ほとんどが観光客。なかには、中国語を話しているカップルやグループの姿もあります。入口で靴を脱いで中に入るのですが、全体の造りがいかにも沖縄風、というか首里の格調高さのようなものさえただよっています。木でできたテーブルも椅子も落ち着いた感じで、心がなごみます。

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メニューはごく単純。そばの小・中・大とおにぎり、じゅーしー、あとは煮付けです。おにぎりはジューシーと形は違えど同じものですから、実質は3品。そばは腰があり、あっさり系のだしがなんともいえません。煮付けも関西風のおでんを彷彿させ、さくさく食べられます。が、最高においしかったのは沖縄そばにつきもののソーキ=豚肉。

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店を出て高速に乗り、許田インターまでひとっ走り。そこから名護市営球場まではすぐです。日本ハムと韓国のサムスン・ライオンズの練習試合があるというので、観にいってみました。球場周辺はどこの駐車場も満杯で、整理にあたるスタッフも忙しそうです。とまっているクルマの3分の2が「わ」「れ」ナンバーのレンタカー。さすが、日本一になったチーム、客の集まりもいいようです(それでもソフトバンク)、阪神よりは少ないとのこと)。

おもしろいのは、試合そっちのけの人がけっこういること。試合後、選手たちが引き上げるルートが決まっているようで、その両脇に出待ちをしているファンがびっしり。サインをしてもらうための色紙を持ち、カメラを握り締めながら時間をつぶしています。こういう人が本土からたくさん来てくれるのですから、選手の士気も高まるでしょうし、何より地元がうるおいます。まして、今日は平日。週末ともなるといったいどうなんでしょうか。

1時間ほど球場にいて、那覇までは58号線とは逆の、東海岸を行くことに。いつもは高速でさっさ帰ってしまうのですが、初めての道を通ってみようというわけです。ほぼ海岸に沿って走る道はもちろん一般道。とはいえ、場所によっては高速とほぼ同じようなフィーリングで走れる部分もあります。間近で海が見られるのも気持ちがなごみます。久しぶりのロングドライブでいささか疲れはしましたが、初めて通るところなので、飽きませんでした。

2日続けて「いい映画」に出会う

2017年2月14日

昨日、今日と2日続けていい映画を観ました。昨日は『ザ・コンサルタント』、そして今日は『この世界の片隅に』。まったく毛色は違うものの、ズシンと心に残る作品です。

320『ザ・コンサルタント』のキャッチフレーズは、「“2つの顔”を持つアンチヒーローが、あなたを虜(とりこ)にする──全米初登場NO.1 超本格サスペンス・アクション! 天才的な頭脳を持つ会計コンサルタントであると同時に、圧倒的な殺人スキルを誇る殺し屋。果たして、この男は何者なのか?」

アクションなので基本はドンパチなのですが、善と悪(それもハンパないレベルの悪)の両面を併せ持つ主人公が、この作品ではもっぱら善の部分を演じています。ただ、途中から命を狙われるようになると、一転、持ち前の悪の部分が顔を出します。敵とのドンパチも、そんじょそこらの武器ではなく、軍事仕様の超ハイレベル。やられるほうも肝をつぶすような代物です。

しかし、この映画はそこにシリアスな要素、そしてなんともヒューマンな色合いもからんできます。何より、そうした人生を歩むことになった背景には、自身のメンタルな病歴と、それを乗り越えさせようと強引な教育をほどこした父親の存在が……。この種の映画でウルウルした経験はこれまでありませんでしたが、それが違うのです。

 

507e0f31f5a568e5『この世界の片隅に』はロングランを続けているアニメ作品。絵が丁寧というか、ディテールまでしっかり描き込まれているのにまず感動します。そして、ヒロインの声(のん=能年玲奈)が主人公「すずちゃん」とフィットしていること。声がここまでイマジネーションの世界を広げるんだというのは新鮮な体験でした。

 

舞台は、太平洋戦争中の広島県・呉。知識としては知っている「空襲」ですが、その恐ろしさがこうまでとは……。きちんとした取材がベースになっているのがひしひしと感じられました。その空襲が1日に何度も、昼となく夜となくあるのですから、地上に暮らす人たちのストレス、いな恐怖感は想像を絶するものがあります。

 

かわいい、愛嬌さえ感じられる絵に魅せられ、そうしたシリアスな部分が二の次になってしまいそうですが、それがこの映画の最大の特徴でしょう。たとえば広島に原爆が落ちる瞬間のシーンも、悲壮感の描き方に‟等距離感‟があります。それがかえって、ホンワカした心にずっしり重たい課題も残すという、これまでにない新鮮な経験をさせてくれました。恐ろしいもの怖いものを、ことさら強調する方向で描くのではなく、逆方向、日常生活の視点に立って淡々と表現することで、その存在感・重量感がむしろリアルに迫ってくるのです。

1週間で3回、雪の東北に

2017年1月24日

1月17日から8日間で3回、東北地方に行きました。17・18日は秋田、20・21日は宮城県の石巻、24日が山形県の酒田(日帰り)です。秋田は「北前船寄港地フォーラム」の新年会@秋田メトロポリタンホテル、20日は女川温泉に1泊し、翌21

日の昼間は石巻の百俵館でおこなわれた「3・20」イベントの実行委員会発足パーティー、そして24日はこれから書き始める単行本のインタビュー。

 

雪でスケジュールが多少狂ったのは24日の酒田だけで、それも特急列車が30分ほど遅れたくらい。飛行機が飛ばなかったとか、列車が運休したわけではないので、ダメージはほとんどなし。しかし、1週間に3回も長距離移動があると、知らず知らずのうちに疲れがたまっているにちがいありません。

 

21日の会合で行った百俵館というのは、とても味わいがある建物で、震災後、石巻市川の上地区で始まった、「まちを耕し、ひとを育む」という理念のもとで進められている「川の上プロジェクト」の拠点として使われています。もともと400世帯ほどが暮らしていた川の上地区に、「防災集団移転」ということで、沿岸部から約400世帯が移り住んでくる計画がスタート、今年いよいよ実行になるのだそうです。

 

しかし、同じ石巻市といっても、まったく異なるバックグラウンドを持つ人たちが共生するとなると、住民がお互いに親睦を深めなくてはなりません。そのための場所として、もともと農協が精米や搾油の作業場として使っていた倉庫を改築し、子どもも大人もいつでも本を読み、学び、地域の未来に向けて語り合える公共の図書館+カフェとして作られたのだそうです。新旧の住民どうしが交流を深める場として、まちづくり勉強会と懇親会を兼ねた「イシノマキ・カワノカミ大学」という催しが毎月ほぼ1回おこなわれていると聞きました。

 

木造2階建ての建物の中の3分の2はそのための公共スペース、残り3分の1がカフェになっています。この日私がいたのは12時から3時半ごろまででしたが、その間、7、8席のカフェにはさまざまな人が出入りしコーヒーを飲みながら談笑していました。それとは別に、毎月第3日曜日にはマルシェのような催しも開かれ、所期の目標は実現できているようです。

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DSC014183方が床からほぼ天井まで書棚が作り付けになっていて、そこには大人も子どもも楽しめる本がかなりの数、置かれています。マンガもあれば、絵の描き方を教える入門書、郷土の本、健康の本、旅行の本など、所狭しと並べられていて、見た目はまさしごく「図書館」。私もこの日、拙著『100通りのありがとう』を寄贈させていただきました。ほかにも、震災にかかわる本が何冊も展示されているなど、建物の保有主の性格が手に取るようにしてわかる本が並んでいます。

 

DSC01424正午に始まったパーティーは、2年前ニューヨークでの「9・11」コンサートでもご一緒した女性(楯石千恵子さん)が司会。なめらかな話しっぷりで、30人ほどの参加者もすぐ溶け込み、3月20日に石巻市でおこなわれるミュージカルシネマ『100通りのありがとう』上映会に向けた実行委員会の主催。上映会のチケットをどうさばいていくかについて検討するための集まりです。手作りの料理や差し入れが山ほど届けられ、それをつまみながら、またミュージカルをプロデュースし脚本を書き舞台監督を務め音楽も全部作った寺本建雄さんのトークショーも楽しみつつでしたので、あっという間の2時間でした。

十両・宇良の相撲に感動

2017年1月11日

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昨年9月以来の大相撲観戦です。土俵までの距離がわずか6、7メートルと、とてもいい席で観られ、まずそれだけで感動。そこへまた、別の感動が加わりました。十両東3枚目の宇良です。

 

関西学院大出身で、昨年の春場所、幕下付け出しでデビュー、夏場所(5月)に十両に昇進しまだ1年足らずですが、学生相撲のときから「居反(いぞ)り」が得意なユニークな力士と知られていたとのこと。身長173センチ、体重128キロと体は小さいのですが、俊敏さと体の柔らかさは、いまの関取の中ではナンバーワンではないでしょうか。

 

この日の相手は東筆頭の豊響。丁々発止の攻め合い・守り合いが続き、巨漢の豊響(185センチ・184キロ)に上からのしかかられるように土俵際まで寄られ、もうダメかと思いました。ところが、体を思い切り沈めたところから、バネのようにしならせながら上体を起こし、そこから逆攻勢に。最後は「わたしこみ」で豊響を土俵下に沈めました。体の柔らかさには定評のある宇良ですが、今日はその真骨頂が出た感じで、客も皆大喜び。小兵が大きな力士に勝つ面白さを堪能させてもらいました。こういうことがあるので、大相撲は楽しいのです!

 

なお、私が個人的に応援している尾車部屋の関取(十両の天風、幕内の豪風と嘉風)3人は、今日は全員負け。残念でした。あと、御嶽海は結びの一番で横綱・鶴竜を圧倒。強かったですよ。いつにも増して目立った外国人の観客(私の席のすぐ前も黒人の女性でした)も、今日はめいっぱい楽しめたのではないでしょうか。

目の前にあるホテルに行くのもタクシーで

2016年12月28日

というわけで、この時期、ラスベガスの町も大変な込みよう。今朝は、私たちが止まっているVDARAというホテルの隣にあるBELLAGIOのカフェで食事をしましたが、こちらも席に案内されるまで小一時間ほど行列しました。夜も夜で、シーザーズパレスのバフェットに行ったら、なんと「5~6時間待ち」だそうです。とにかく、どこを歩いても、どの店に入っても人、人、人。長年ラスベガスに来ている私たちも、これほど人の多いのは初めてです。

今日は私たちの孫2人は、Hさんの上の娘さん一家と子ども向けのショーに行きました。場所は、私たちが泊まっているVDARAとは、広い通りをはさんだ向かい側のホテルですが、タクシーに乗りました。これはラスベガスならではのことなのですが、すぐ目の前に見えるようでも、歩いていこうとすると、それこそ20分、30分は当たり前。どのホテルもべらぼうに大きく、その中を抜けるだけでも10分、15分かかってしまうからです。しかも、中をよく知っているわけではないので、あっちに行ったりこっちに行ったり。ホテルの外に出るだけでも、すんなりいきません。ラスベガスは、たとえ目の前の場所に移動するのもタクシーのお世話になるのは、そんな事情があるのです。

“断続渋滞300キロ”を体験

2016年12月26日

大量のクリスマスプレゼントに驚かされたショックもさめやらぬ今日は、昼過ぎからラスベガスに向かいました。Hさんの息子さんを除く14人が車3台に分乗し、出発したのは12時。ロサンゼルス近郊にあるHさんの家からラスベガスまでは270マイル=約430キロなのですが、途中のバーストウという街を過ぎると1本道(I-15)でこれが空前の大渋滞なのです。なんと断続的に300キロ(東京から豊橋あたりまで)で、考えられないような状況を呈していました。アメリカで40年近く暮らすHさんたちもここまでひどい渋滞は初めてだそうです。

 

反対車線も、クリスマスを過ごしたラスベガスからの帰りの車がずっと続いていて、夜になってからは、まるで「光の川」が流れているような塩梅。ホテルに着いたのは、なんと夜の11時半を過ぎていました。空いていれば4時間ほどの道のりですから、いかにすさまじい渋滞かがおわかりになるでしょう。それにしても、この「光の川」、写真に撮りたかった! でも、車に乗っていて、ジリジリながら走っているので、かないませんでした。またの機会に……。いや、もうごめんです。