この時期でもなお暑い台湾の高雄

2017年10月16日
今日は高雄の2日目。前来たときは十分な時間がなく、市内を見て回ることができなかったので、今回はそちらに重点を置いてプランニングしました。ただ、最大の目標だった「鄧麗君(テレサ・テン)紀念文物館」は残念ながらクローズしており、ほかのスポットに変更せざるを得ません。

問題は高雄の暑さです。以前、友人から「高雄は暑い!」と聞いていたので、この時期にしてみたのですが、それでも暑さはハンパではありません。日中の最高気温は30℃を軽く超えるので、日中の街中を歩くのは大変です。それでも、市内東部にある道教の寺院に足を運んでみました。

DSC03268最初に行った「鳳山龍山寺」は台湾にある5つの龍山寺の中で二番目に古いのだとか。観世音菩薩が祀られているようで、境内にある「南雲東照」と書かれた扁額の落款から、清国乾隆帝の初期に造られたことが分かります。伝統的な寺廟の外観と工法が完全な状態で残されている貴重な存在だそうです。本堂の片隅に賽銭箱が置かれていましたが、そっくりそのまま金庫にもなっており、これには笑ってしまいました。

 

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高雄には道教の名刹があちこちにありますが、二つ目の「鳳山天公廟」にはひっきりなしに参拝客が訪れていました。安産の神様や商売繁盛の神様が祀られているからでしょう。道教寺院の特徴は極彩色の内外装。とくに建物の内側はまばゆいばかりの金箔が隅々まで貼られ、目が痛くなるほどです。祀られている神様とゆかりの深い日には、大変な数の人が訪れ、線香を捧げながらお願い事をするにちがいありません。ここから歩いてすぐのところにあるカフェは涼めてよかったですね。

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今回は残念ながら、「三鳳宮(350年ほど前、清・康熙帝の時代に創建された台湾最大の三太子廟)」や「内門紫竹寺」「高雄関帝廟(武廟)」「孔子廟」「旗津天后宮」などには行けませんでしたが、写真で見るかぎり、どこも皆似たような印象はまぬかれず、まあいいかと。

それと、高雄というところは、人口280万という台湾第二の大都市でありながら、観光地としてはいまひとつ垢抜けていない感じがするのです。市内を流れる「愛河」の川沿いには遊歩道や多くのカフェがあり、遊覧船も出ているのですが、何がなんでもという気にはなれません。高さ248mという「高雄85ビル」も、しょせんは「台北101」ビルの亜流といった感じがします。高雄の近くにある台南のほうが、観光地としては魅力的に受け止められているのはそのせいかもしれません。

DSC03353次に足を運んでみたのが、観光スポットとしてはやや意外な「美麗島駅」。地下鉄(=MRT)のオレンジラインとレッドラインの乗り換え駅なのですが、2012年に、アメリカの旅行サイトで「世界でもっとも美しい地下鉄の駅」の2位に選ばれたそうです。地下の広大なスペースは、4500枚ものステンドグラスが天上に隙間なく貼られたドームのような構造になっています。4年以上かけ、すべて手作業で貼られたそうで、毎日3回「光のショー」がおこなわれるとのこと。ただ、残念ながら、それに出くわすことはありませんでした。

暑いのでいったんホテルに戻って休憩したあと、高雄港近くの「寿山公園」に。港を一望できる夜景が美しいことから、地元のデートスポットとして人気だそうです。「LOVE」の文字のオブジェクトがあり、訪れた人は皆、ここで記念撮影していました。私たちはもちろん、遠慮しましたが(笑)。

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福岡→台北→嘉義→高雄を1日で移動

2017年10月15日

昨日は昼間がルワンダ、夜がメソポタミア、そして今日は台湾です。昨日ここでご紹介した二つの催しが福岡で開催されたが故に実現した旅といっていいでしょう。福岡というところは、日本の中にあって独特の立ち位置を占めています。さまざまな魅力にあふれた都市なのですが、それとは別に交通の便がメッチャいいのです。東京に行くより上海に行くほうが早いというのがその象徴で、中国、台湾、香港、韓国といった東アジアはもちろん、ベトナム、タイ、インドネシア、フィリピン、シンガポールなど東南アジア、さらに、夏だけですがヨーロッパにも、ここから飛び立つことができます。

 

IMG_2150福岡空港で国際線を利用するのは初めてですが、国内線ターミナルとはまったく別になっていて、場所も国内線ターミナルと滑走路をはさんだ向かい側です。まだ新しいだけあって、明るくて広めなのも快適でした。ただ、完成した当時は、十分に余裕があるはずだったのでしょうが、いまとなっては若干狭い感じもします。要するに、利用する人が予想をはるかに上回るスピードで増えたということでしょう。

 

それでも、年末年始やゴールデンウイークの羽田・成田ほどは混雑していません。私たちが乗ったのはキャセイパシフィックの香港行き。ただし、台北で途中下車、いえ途中降機です。降りたのは台北でも、郊外にある桃園国際飛行場。こちらも近年どんどん整備が進んでおり、今年の春、空港から台湾高鐵(新幹線)の桃園坫(駅)まで行けるMRT(新都市交通システム)が開通したそうです。

私たちは従来から走っているバスで行きましたが、15分ほどで高鐵桃園坫に到着。そこからまず高鐵嘉義まで移動します。目的地は台北にある故宮博物院の別館・故宮南院(正式名称は「國立故宮博物院南部院區・亞洲藝術文化博物館」)。高鐵嘉義には新幹線で1時間ほど。毎度思うのですが、台湾の新幹線は外側も内側も日本(東海道・山陽新幹線)とそっくり。表示だけが中国語なのですが、それを無視してしまえば、一瞬、日本にいるような気持ちになります。

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故宮南院は高鐵嘉義の駅からバスで10分ほど。まず驚いたのはその敷地の広さです。入ってすぐのところに大きな人工の池が設けられ、その向こう岸に美術館が建っているのですが、そこまでは数百メートルほどありそうです。ゆるやかな上り坂もあるので、家人のために車イスを借りました。

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オープンしてまだ2年足らずですが、駐車場には観光バスがぎっしり並び、ひっきりなしに客が訪れている様子。この日は日曜日の午後とあってさほど混んではいませんでしたが、日中あるいは土曜日だったらどうかという感じがします。

 

台北の本院と違って、全体がゆったりした造りになっており、展示スペースも広いので、圧迫感がまったくありません。全体は9つに区切られていて、一つひとつ、特定のテーマに基づいて展示されています。そのため、とても観やすく、台北のように「今日はここまで」ということにはなりません。3時間もあればおそらく隅から隅まで鑑賞することができるのではないでしょうか。

IMG_2172私たちは2時間弱滞在しましたが、6つの展示室を訪れ、最後はミュージアムショップもゆったり回ることができました。台北の売りは「翠玉白菜」ですが、こちらは「肉形石」。台北とは比べものにならないほど、ゆったり、ゆっくり、じっくり、それこそ四方八方から観ることも可能です。

 

 

 

IMG_2166それとは別に興味深かったのは、中国に持ち込まれた伊万里焼の数々。また、インドやアラビア、トルコの皇帝から中国の皇帝に贈られた品々でした。どちらも初めて目にするものばかりでしたが、いわれてみれば、そうしたもの(とくに後者)が中国にあってもまったくおかしくありません。皇帝から皇帝への贈り物ですから、どれ一つとっても、まさしく贅の極みといった感じの品ばかり。今回はそのなかでもインドからの品々に焦点が当てられていましたが、台北の本院では、展示されていたとしても、ここまでゆっくり楽しむことはできないでしょう。

 

美術館の見学は、たいていの場合、荷物を預ける必要があります。ここも同じですが、そのためのコインロッカーがユニーク。どの扉にも、日本でいうなら家紋のような文様があしらわれているのです。どれも皆、由緒のあるものなのでしょうが、これは驚きました。

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IMG_2188南院を出て再びバスで高鐵嘉義まで戻り、今日の最終目的地である高雄の左営坫(駅)へ。30分ほどで到着しましたが、途中停車するのは台南だけ。台湾の南北縦断はホント楽になりました。小腹が空いていたので駅の売店で売られていた「便當」を買い求め、二人でつまみました。これで100台湾ドル(約400円)はお値打ち! 素朴ですが、味もバッチリでした。

 

 

古代メソポタミアの人たちが食べていたのは……

2017年10月14日

今日は一日でビッグイベントが二つあるという日。場所はいずれも福岡市内でした。

最初は、私のプロデュースした単行本『ルワンダに灯った希望の光 久美子のバナナ和紙』の著者・津田久美子さんが講演される会合です。今年の3月、福岡のユニークな出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」から出版されたこの本の内容については、このブログでも前に触れたので割愛しますが、今日の会は、男女共同参画社会を作り上げようと60年も前から活動している団体が開いたもの。

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60年前といえば、まだ女性が社会に出て仕事をするなどということ自体が珍しがられた時代です。でも、実際はそのころからすでに、近ごろは当たり前のように言われていることを実現しようと行動していた人がいたことに驚きました。

女性が働く、社会に参画するのは、建前として理解できても、いざ自分が……と思うと、さまざまな障害が立ちはだかります。津田さんの場合も40代に入ってから、得意の英語を活かせる仕事に就いていたわけですが、それだけで終わらなかったのが、ユニークなところ。50歳を過ぎてからは、NPO法人を立ち上げ、アフリカのルワンダという国で、新しい「仕事」を生み出す活動にたずさわってきたのです。

資源もそれほど豊かなわけではない国の中で、それまでだれひとり思いもつかなかったことに取り組んだ勇気と実行力、そしてそれを実現するまであきらめない粘りには感服させられます。会合で津田さんのお話を聞かれた方々も大いに共感を覚えたようで、本を出して本当によかったと思いました。

 

夜は、すぐ近くのホテル(といっても、最近増えているホステルスタイルですが)で開かれた、最近話題の『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』という本の出版記念パーティーに参加しました。著者の遠藤雅司さんは、国際基督教大学教養学部で音楽を専攻しましたが、現在は音楽とはほとんど無関係な“歴史料理”の研究をされているとのこと。そして、初めて出されたこの本の販売促進のため、全国各地で「歴メシ」のイベントを開催しているのだそうです。

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今回の会をプロデュースしたAさんは、『博多学』を書くためにおこなった取材の折、ひとかたならぬお世話になった方。“おもしろがり”という部分で、彼女ほどセンスがあり、またそれを実際の形にする力に長けている人はそうそういません。そのAさんが最近とみに興味を引かれたというのがこの「歴メシ」。

 

世界各国の歴史に残されているさまざまな料理を再現するプロジェクトを「出版記念お食事会」と銘打って、Aさんの地元・福岡でもぜひ開きたいということで企画・プロデュースしたそうです。話をちょっと聞いただけで、とても面白いと思った私はすぐに参加をエントリー。ちょうど先の津田さんの講演する日と同じだったので好都合でした。

本の中身は、オリエント世界とヨーロッパ世界の8つの時代に実際に食されていた料理40品のレシピと、当時の食文化や社会背景などを解説したもの。その該博な知識もさることながら、けっして豊富にあるとは思えない資料からレシピを確定させ、それを実際に料理として作って出す努力には脱帽です。

「ヴェルサイユ宮殿の晩餐会」で出されたメニューとか、「中世イングランドの王がふだん食べていたもの」などは、なんとなくイメージできる気もしますが、この日出された「古代メソポタミア」の料理となると、ティグリス&ユーフラテスという川の名前くらいしか知らない私などにはおよそ想像もつきません。

 

この日、食したメニューは次のとおり。●かぶの煮込みスープ ●アカル(ビール風味のパン) ●メルス(古代メソポタミア風ガレット) ●レンズ豆と麦のリゾット ●古代小麦とラム肉のシチューの5品です。世界史の教科書で目にした楔形文字を解読し、そこに記されていたことから推測しながら割り出されたレシピの中には、塩・コショウを使うという記述はまったくなかったそうで、味はもっぱら、コリアンダーやらクミンといった調味料から引き出していたようです。そのため、はっきり言って、現代人の舌には物足りません。

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ただ、そのことは。著者も料理の作り手も十分承知していたのでしょう。私たちの舌を満足させようと、当日はオリジナル版とともに、塩とコショウを加えた現代人向けバージョンを作って出してくれました。豆類、ナッツ、果物など、身近で入手できるあらゆる食材をさまざま工夫することで料理に変化をつけていた様子もうかがえ、貴重な経験となりました。

 

この日の参加者は40人ほどでしたが、20代・30代の人が9割。60歳を過ぎているのは数えるほどで、別段指示されたわけではありませんが、その数人がなんとなくひとところに集まった(イスが置かれていたせいもありそう)のは自然の流れでしょう。正直、メソポタミア料理に舌鼓というわけにはいきませんでしたが、同世代の方々とのお話は、軽やかに舌が回りました(笑)。

横浜・本牧の妙香寺で「君が代」の “原曲”を聴く

2017年10月9日
いま手がけている文庫版『鹿児島学』の内容に手を入れる材料を仕入れに、横浜・本牧にある妙香寺を訪れました。この地は明治時代の初め、薩摩藩が日本初の吹奏楽団(=薩摩バンド)を作ったとき、数十人の藩士がイギリス人教師の指導を受けながら練習に励んだ場所です。その指導者はジョン・ウィリアム・フェントンという人物(イギリス第10連隊第1大隊軍楽隊長)で、彼が日本の国歌「君が代」を作ったのです。いうならば、「君が代」発祥の地が妙香寺なのです。境内には、「日本吹奏楽発祥の地」「君が代発祥の地」という二つの碑も建てられていました。

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毎年1回、往時を偲んで、ここ妙香寺の本堂でその演奏会が開かれているのを知り、来てみました。私たちが知っているいまの「君が代」とはまったく違うと聞いていたので、どこがどう違うのだろうという興味もありました。こればかりは楽譜を見せられるより、自分の耳で聴いてみるのがいちばん手っ取り早いわけですし。

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本堂の中には200人近い聴衆が詰めかけており、横浜市消防局の楽隊(30人ほどでしょうか)が並んでいます。プログラムを見ると、この日演奏が予定されている曲の中にフェントン版「君が代」も入っています。聴いてみて、驚きました。私たちがなじんでいる「君が代」とは似ても似つかない、まったく別の曲だからです。たしかに、イギリス人に日本語、それも古語がわからないのは当然としても、あまりに急ごしらえで作ったため、詞と曲とのととのえがきちんとなされていません。そのため、日本語の区切りと曲の進行とがシンクロしておらず、奇妙奇天烈な感じに仕上がってしまったのとでしょう。このあたりの経緯は、12月初めに刊行される新潮文庫版『鹿児島学』をお読みください。

大人も大興奮する大分の「アフリカンサファリ」

2017年10月3日
私が使っているスマホの待ち受けは3頭のキリンが顔を寄せ合っている、ユニークな写真の図柄です。大分にある「アフリカンサファリ」という動物園で獣医をしている方が、キリンを診ているときに出くわした場面を撮ったものだそうですが、なかなか見られるものではありません。キリン?の私はさっそく獣医さんのウェブサイトにアクセスし、「スマホ用」と記されていたデータをダウンロードしました。

いつかは現地に行って、3頭とはいわないまでも、キリンが顔を寄せ合っている場面を見てみたいと願っていたのですが、予想外に早くそれが実現することに。たまたま、別府でおこなわれる企業の研修会に講師として招かれたのです。せっかくの機会なので、研修会の前日か翌日、そのキリンがいる「アフリカンサファリ」に行ってみようと思い立ちました。大分なら温泉もありますし……。一石二鳥、いな三鳥ではないかと。

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ということで、講演の前日、早起きして羽田から大分に飛び、レンタカーで「アフリカンサファリ」を訪れました。このサファリを楽しむには2つの方法があります。自分たちが乗る車でそのまま中に入って順番に回っていくのが一つ。もう一つは、車を駐車場に止め、そこから園内を周回するバスに乗り換える方法です。

 

IMG_2019私たちはレンタカーでそのまま中に入りましたが、様子を見ていると、バスで行ったほうが動物たちの寄りつきがいいようです。バスには、エサをくれる人が多く乗っているのを動物たちなりに学習しているからでしょう。もちろん、バスについている窓は自由に開け閉めできません。しかし、エサを与えるための穴のようなものがボディーに備え付けられており、そこから手に握ったエサを与えることができるようなのです。IMG_2030

サファリの中はまず草食動物と肉食動物に分かれ、その中がまた細分化されています。トータル的には、5つか6つのゾーンがあって、お目当てのキリンは最初から3つ目のゾーンにいました。キホン、柵はないので、その気になればぐんと近づくことも可能でしょうが、車から降りてはいけないという規則を守らないわけにはいきません。多少は遠目であっても、柵のない場所で飼育されているのですから、動物たちもストレスはなさそうです。

 

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結局、たいした写真は撮れませんでしたが、ライオンやトラはけっこうな数がおり、それがまとまっているのを見ると、やはり新鮮な印象を受けます。1時間少々の滞在でしたが、とても楽しめました。そのあとは湯布院まで行って、温泉に。湯布院もかつてとは違いがぜん国際化しており、宿泊料金もかなる上振れしています。その中からリーズナブルな料金の宿を見つけるのは大変でしたが、なんとか上々のところを見つけました。食事もよく、十分に楽しめました。

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「豪風関と語る会」に参加

2017年9月30日

4年前にプロデュースした単行本『人生8勝7敗 最後に勝てばよい』の著者は大相撲の尾車親方。そのご縁で、親方や弟子の方々とも親しくさせていただいているのですが、その一人・豪風関の「語る会」に出席しました。昨年、故郷・秋田県から県民栄誉賞を授賞した豪風関ですが、その1周年記念行事です。

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IMG_2003さまざま興味深いお話を聞かせていただきましたが、いちばん印象に残ったのは、「ベストだと自分で思い込んでいても、そうでないときがある。それは結果としてはっきりあらわれる」という言葉でした。豪風関は今年3月の春場所後、痛めていたヒジの手術を受けたそうです。場所後のことですから、5月の夏場所までは6週間しかありません。その間に回復を待ち、それからはリハビリです。これ以上は無理というほど懸命に取り組み、「自分ではベストと思える状態にこぎつけて夏場所に臨みました。ところが結果は大きく負け越し。「こんなはずじゃ……」と思ったそうですが、すぐ思い直したといいます。「ベストだと思い込んでいた自分が悪い。ケガから回復するのはそんな簡単なことじゃない」と。

 

もちろん、体の状態をいちばんよく知っているのは本人なのですが、実際の結果はごまかしがききません。勝負の世界の厳しさを改めて思い知らされたと語っていましたが、幕内最年長の関取でさえ、そうしたことがあるのです。念には念を入れるというか、いつ、どんな状況にあっても、「ベストを尽くす」のは、そうそう簡単なことではなさそうです。「これで大丈夫」と、ついつい自分を甘やかしてしまう私にとっては、耳の痛いお話でした。

ユニークな秋田美術館と藤田嗣治の巨大壁画

2017年9月29日
明日開催の「豪風と語る会」というイベントに出席するため、秋田にやってきました。会場は、秋田駅に隣接するホテル。私たちもそこに宿泊するのですが、すぐ近くに秋田県立美術館があります。そこでちょうど「特別展 レオナール・フジタとモデルたち」が開催されているのを家人から聞き、せっかくだからというので、観に行くことに。私自身、美術にさほど興味があるわけではありませんが、数日前NHKテレビで、その展覧会のことが紹介されていたのも引き金になりました。

藤田嗣治については、フランスで最も有名な日本人画家ということぐらいしか知りません。その藤田が、秋田の資産家・平野政吉の依頼で描いた「秋田の行事」という壁画が、この美術館に展示されているのです。1937年、平野家の米蔵で15日間、174時間で描き上げたこの壁画、制作当時は“世界最大”(高さ3・65m、幅20・5m)だったとのこと。吉永小百合がその前に立ち、「たった一枚の絵を見に行く。旅に出る理由は簡単でいいと思います」と語る、JR東日本のテレビCMを記憶している方もいるかもしれません。

秋田の行事

たしかに、わざわざ観に行くだけの価値はありました。私も家人も藤田のファンというわけではありませんが、その素晴らしさには息を呑みました。全体が5つに区切られており、その一つひとつに秋田の伝統行事が描かれています。藤田は秋田の出身でもなんでもありませんが、依頼した平野の郷土愛が乗り移ったかのような、藤田の温かな気持ちが込められているのがひしひしと感じられます。

美術館自体も素晴らしいものでした。平成25年9月にオープンしたばかりで、場所は、秋田駅のすぐ近くにある千秋公園(かつて秋田城があったところ)と広い道路をはさんだ向かい側。斬新なコンセプトで設計された建物は、世界的な建築家・安藤忠雄の設計です。

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IMG_19852階にカフェとミュージアムショップが併設されているのですが、カフェのイスに腰をおろすと、目の前に広がる千秋公園の木々や旧県立美術館の建物(これがまた味わい深い外観をしています!)が、1階の屋上に作られた池というか水槽というか、その水面にそっくり映っているのです。

 

 

天気の具合にもよるでしょうが、水と景色の絶妙なバランスに感動しました。立つと、視線の高さにもよりますが、イスにすわったときとは別の角度でそれを楽しむことができ、それはそれでまた興趣をそそります。極端な話、この光景を観に行くためにだけ美術館に入ってもいいといった感じです。今回は「豪風と語る会」の“ついで”にやってきたのですが、ここまで行くと、“ついでの極致”ではないかと思いました。

藤田は1968年に亡くなる数年前、フランス北東部の町ランスの地にある「ノートルダム大聖堂」(フランス3大聖堂の一つで世界遺産にも指定されている)で洗礼を受けたそうですが、こんどパリに行く機会があれば、その“ついで”にぜひ訪れてみたいと思いました。ルイ13世、14世、16世など歴代のフランス国王の戴冠式がおこなわれた由緒深いところです。また、藤田が、スポンサーの依頼で設計した「ノートルダム・ラ・ペ教会」というこじんまりした教会もあるといい、それもぜひ観てみたいと思います。

36年ぶりに観た加賀まりこにドッキリ!

2017年9月22日


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ここのところ映画館からすっかり足が遠のいてしまっています。「これじゃ感性が錆びついちゃうよなぁ」という職業的な危機感があったのですが、今日は「決意」して早起きし、「午前10時の映画祭」に行きました。観たのは1981(昭和56)年公開の『泥の河』。宮本輝の同名の小説を小栗幸平監督が映画化した作品で、小栗のデビュー作でもありました。その年『キネマ旬報』の最優秀監督賞も取っています。

 

 

 

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その気になったのは、先週、「大人の社会見学」で一緒に寝泊まりした高校時代の友人Sくんのひと言=「『泥の河』を最近見たけど、ロケは中川運河だったんだって」がきっかけ。中川運河というのは、私が育った名古屋の市内を流れる、文字どおりの「泥の河」でした。Sくんは定年退職後、年間400本も映画を観ているといいます。昨日から来ている沖縄で、たまたま上映されていることがわかり、「よし、行こう」と。

 

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面白いもので、36年前とはまったく違うことを感じました。最初観たときは、太平洋戦争の匂いがまだ濃厚に残っている昭和31年の大阪が舞台ですから、「そうそう、オレもこんな格好で(メリヤスのランニングシャツにズック靴)遊んでたよな」とか、「子どもにとって50円は大金だった(1日5円のお小遣いが普通)」とかいったようなことばかり。モノクロの作品だったのも影響していますが、自分自身がまだそういう年齢だったからでしょう。

でも今回、66歳のジージになっているせいか、「そうかぁ。親は、子どもにああやって接しなくちゃな」など、いまとなってはまったく詮ないことを思ったりするのです。親の子どもに対する適切な気遣いというか、小学3年生に対しても人格を認め、傷つけたりいじけさせたりしないよう、成熟した大人としてコントロールしていくことがいかに大切か──。

!cid_D23EB54E5B9C7A5F7AA92C1141A8EB18CE4B9D89@edithousejp_onmicrosoftでも、最大のインパクトは加賀まりこ。この作品で助演女優賞を取りましたが、画面に出てくるのは5分もなかったのではないでしょうか。苦悩と不本意とが詰まった過去を背負いながら、いまは二人の子を持つ娼婦として生きていく役どころを、妖艶ここに極まれりといった空気を味わわせてくれました。

それにしても、この作品を観たスピルバーグに「あの3人の演技がこの上なく素晴らしい」とまで言わしめた子どもたちはどうしたのかなぁ……。

広島カープの連覇は、「いま」の時代を象徴する出来事

2017年9月20日

 広島カープが昨年に続き、セ・リーグ優勝を果たしました。シーズン初めからほぼ独走に近い状況で、ほとんど危なげのない横綱野球。他球団には打つ手がない感じで、古い話で恐縮ですが、ジャイアンツのV9時代を彷彿させます。

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でも、決定的に違うのはカープが名実ともに「市民球団」であるということ。V9時代のジャイアンツは、言うならば「国民球団」でした。ジャイアンツが存在しなければ日本のプロ野球そのものが成り立たなかったのです。ジャイアンツが勝つことで日本の経済がまわっていたかのような感すらしました。もちろん、勝負ですから八百長とか出来レース的なことはなかったにしても、ほかの球団はジャイアンツの露払い・太刀持ちといった域に自分たちの立ち位置をとどめていたように思えます。もちろん、ファンも同じ。誤解を恐れずに言うなら、審判も、役人も、メディアもその後押しをしていたのではないでしょうか。

そんな日本のプロ野球がいつしか嫌いになった私は、大リーグに興味を持ち始めます。すると、野茂英雄が単身でチャレンジしたではありませんか! 他人事ながら、これほどうれしいことはありませんでした。

大リーグと当時の日本プロ野球との決定的な違いは「フランチャイズ」についての考え方です。日本では、企業やメディアが「フランチャイズ」でした。もちろん、東京とか大阪とか名古屋とか、大きな都市に本拠地球場を持ってペナントを戦ってはいましたが、それは便宜上であって、「地域」がある球団をバックアップしていたわけではありません。その地域に拠点を構える企業やメディアがサポートすることで、球団の経営も成り立っていたにすぎません、それが先に記したような「ゆがみ」の元でした。

ところがアメリカ大リーグは、それとは真逆と言うか、まったく次元が違っていました。どの球団も「地域」、それも「住民」が球団をバックアップしていたのです。その典型例が、これは野球ではありませんが、NFL(アメリカンフットボール)のグリーンベイ・パッカーズです。本拠地は、シカゴの北300キロほどのところにある小さな町グリーンベイ(ウィスコンシン州)。人口は10万余ですから、北米4大プロスポーツリーグの中で最も小さいフランチャイズです。

 

パッカーズ①

「パッカー」とは缶詰工という意味しています。チーム結成当時は地元の缶詰製造会社から援助があったからその名がつきました。人口10万余というと、広島県の三原市とほぼ同じです。その三原市で、サッカーでもバスケットボールでもいいのですが、たとえば「三原オクトパス(=たこ)」というプロスポーツのチームが存在し得るでしょうか。

パッカーズはそれでいて、リーグ最多の優勝13回(2016年現在)。スーパーボウルでも4回優勝しています。昨年でなんと創立100周年を迎えました。何より素晴らしいのは、これが完全な“市民球団”であることです。プロスポーツ先進国のアメリカでも、一般市民が100%の株式を保有しているチームは一つしかありません。パッカーズの場合、1960年以後、ホームグラウンド(1シーズン8試合)での試合の入場券は毎年すべて完売。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中でいちばん多い(6万5000人以上)。シーズンチケットの入手までには40年かかるといいます。このため、ファンがシーズンチケットの購入権を相続する人を遺言で指名することも珍しくないのだとか(写真はMilwaukee Journal Sentinel 掲載されたもの)。

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広島カープに、それに似たようなところがあります。詳しくは拙著『広島の力』に記しましたが、広島市内の公立小中学校では、子どもたちが「広島カープ」を素材にして勉強しているそうです。全国どこにもこんな例はありません。いや、世界的に見てもないのではないかと思います。唯一、そういう可能性がありそうなのがグリーンベイです。これくらいの町ですから、学校教育の中にそうしたことが取り入れられている可能性もありそうです。

 

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パッカーズほどではないにしても、広島の人々にとってカープは生活の一部といっても過言ではありません。仕事も学業も、家事も何もかもがカープの勝ち負け、強い弱いに深く関わってくるのが広島の人たちです。こう書くと、なんだかファナティックな印象を与えるかもしれませんが、もちろん一般社会の常識は踏まえてのことです(といっても、広島、また西日本では、全体的にそのタガはゆるいでしょうが)。そうしたことによって生まれる空気が、選手の、監督・コーチに影響しないわけがありません。

 

その市民の応援を受けてセ・リーグを連覇したカープ。そのエネルギーが「国民球団」だったジャイアンツをもしのぐのは、いかにもいまの時代を象徴しているように思えます。小さくても大きくても、「地域の住民」に根差していないスポーツはいずれ朽ち果ててしまうのではないでしょうか。

流鏑馬はれっきとした神事なのでした

2017年9月17日
鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬を観ました。テレビのニュース映像ではこれまで何度も目にしていますが、本物は初めて。でも、さすがナマの臨場感はすごい。祇園祭や博多の祇園山笠の追い山も、たしかに強烈なインパクトがありましが、流鏑馬は会場が狭い分、音も動きも、「すぐそこ」感が強いのです。

すっかり恒例になった高校の同窓生が集まっての「おとなの遠足」の一環として、今回企画されたのが流鏑馬見学。同窓生の一人が今年、なんと神職の資格を取得、その縁で指定座席チケットが入手できたおかげです。「持つべきものは友だち」とはよく言ったものですね。

台風18号が刻々と近づいている中での開催で、いまにも降り出しそうな空模様。雨天決行は間違いないとしても、風が強ければ危険なのではないかと心配していましたが、なんとかもちました。

午後1時開始ということだったので、1時間ちょっと前に、私たち7人も、指定された場所に着席しました。しかし、1時近くになっても始まる気配がまったくありません。すると、境内にアナウンスが流れます。「さあ、いよいよ始まりです。まずは、今日の射手を始め、関係者全員がお祓いを受け、そのあと神官からお神酒をたまわります……」とのこと。そう、流鏑馬は観光行事ではなく、れっきとした神事なのでした!

ところが、これがめっぽう長いのです。ようやく始まったのは1時40分過ぎだったでしょうか。始まる直前まで、どちらから馬が走り出すのかもわからず左を見たり右を見たり。取材に訪れた海外メディアの写真撮影スタッフのカメラ・セッティングの様子を見て、たぶんあっちだろうと推定し、私たちもスタンバイ完了!

馬が走り出しました。3人の射手が200数十メートルのコースを馬に乗って走り抜ける間に、それぞれ3回、矢を射ます。日ごろから修練を積んでいるようで、どの射手もみごとに的を射抜いていきました。そのたびに歓声があがります。合計9回のうち的を外したのは1回だけ。

動画あり クリックしてください

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本来の流鏑馬はこれで終わり。面白かったのは、そのあとでおこなわれる“2軍戦”“3軍戦”です。将来、射手になろうかという中堅どころ、若手の射手が何人か、同じように3回ずつ馬に乗って駆けながら矢を射ていきます。なかには外国人もいました。失敗も多いのですが、正式の流鏑馬ではないので、思い切りがいいというか、馬を走らせるスピード、矢を射るタイミング・方向・角度など、試行錯誤といった感じがありあり。「なるほどー、こうやってうまくなっていくんだ」というのがよくわかります。

 

流鏑馬で全国的に有名なのは、ここ鎌倉・鶴岡八幡宮ですが、実は全国各地の神社でおこなわれていることを、今回初めて知りました。射手のいでたちはどこも同じのようで、頭に綾藺笠【あやいがさ】をかぶり、戴水干【すいかん】を着て、裾と袖をくくり、腰には行縢【むかばき】を付け、足には物射沓【ものいぐつ】。左手に射小手【いごて】を付けてと手袋をはめ、右手には鞭。さらに、背中には太刀、鏑矢を五筋差した箙【えびら】を負い、弓並びに鏑矢一筋を左手に持ち、腰にも刀を差しているので、かなりの重装備。それで馬を走らせながら弓で矢を射るのですから、考えている以上にハードです。これを何年かかけてマスターしていくわけですね。

今年3回目の「北前船寄港地フォーラム」は青森県

2017年9月3日
IMG_18358月31日・9月1日=青森、9月2・3日=京都というスケジュールで仕事をしています。青森は「北前船寄港地フォーラム」。今年3回目の開催で、場所は、ご存じない方もいるでしょうが、青森県の野辺地です。青森はこれまで何度も(今年は2回目)来ていますが、ここ野辺地は初めて。青森駅から「青い森鉄道」に乗って1時間ほどで着きました。途中にある有名な浅虫温泉はその昔に行ったことがあるのですが、電車の中から見ると、いまひとつ活気がないように見受けられました。

野辺地町の人口はおよそ1万3千、「フォーラム」の開催地としては、北海道の松前、江差町ほど程ではないにせよ、小さな町ということになります。でも、北前船が日本海を走り回っていたころはたいそう栄えたようです。

IMG_1839実を言うと、こうした小さな町で開催される「フォーラム」も味わい深いものがあります。市長を先頭に、町全体がもう「フォーラム」一色といった雰囲気で、熱気が伝わってくるのです。昨夜「前夜祭」がおこなわれた青森市内の宴会場もそれなりに熱気がみなぎっていましたが、野辺地の場合は密度が濃いといいますか。

設備が整った大都市の施設でおこなわれる「フォーラム」も、もちろん充実しています。しかし、それとは逆に、“手作り”感が強いほうが、参加者の胸をより熱くするのではないかという気もします。もともとこの「フォーラム」自体、ほとんどゼロから出発した歴史があるだけに、そうした雰囲気を大切にしたいと考えている人も少なくないようです。

9月2日は早起きして、青森から伊丹に飛び、そこからバスで京都へ。青森からの飛行機では、途中、富士山が見えました。左側の窓なので、南アルプスと一緒です。そして、京都からの帰りは新幹線だったのですが、またまた富士山です。1日に二度、それも空と陸の両方から富士山が観られるというのはそうそう経験できることではないのでは。どこから観ても心が洗われる、ホント、不思議な山です。

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ようやく帰路に

2017年8月14日

さて、出発が丸1日延びたのですが、それまでいったいどうしていればいいのだという話になります。時間的にもハンパですから、結局チェックアウトの時間を夕方まで延長してもらい(もちろん追加料金を支払って)ました。その時間を利用して書いたのが「8月13日」のブログ「生涯最悪の経験──エールフランスの対応に唖然・呆然」です。

 

ただ、私たちが今回こうした事態におちいったのには、もう一つ別の要因もあります。それは、ANAのマイレージ特典航空券の取りにくさです。マイレージの会員を増やすため、どこの航空会社も「貯めればいつでも、どこにでも無料で行ける1」といった式の宣伝文句をアピールします。ただ、「いつでも」には制限があり、お正月の時期は利用できません。かつては年末年始、ゴールデンウイーク、お盆休みのときなど、そうしう期間(「ブラックアウト」と呼ぶ)がけっこう多くあったのですが、利用者からの声もあったのでしょう、いまではお正月の2日間だけになりました。ただ、国内線はいまでも使えない期間が設定されています。それに比べると、外国系の航空会社はそうした制限がないところがほとんどです。

 

まあ、それは日本人の旅行事情を考えればやむを得ない部分もあります、今回の私たちのように夏休み期間中だと、そうは簡単に行きません。今回の特典航空券はもともと2月に使う予定でした。このときはオフシーズンですから、羽田・パリの往復チケットはあっさりGETできました。ところが、2月のフランス行きを取りやめ、8月に変更することにしたため、難儀したのです。

 

行きはすぐ予約が取れましたが、帰りの便がずっと「空席待ち」の状態。白黒がはっきりするのは、実際に乗りたいと思っている日の10日(かそこら)前といった感じですから、予定が立てられません。旅の最後がパリならいいのですが、ダブリンだったので、ダブリンからパリに移動するチケットもセットで予約・購入する必要があります。半月ほど前の時点でANAに連絡を入れてみると、8月13日も14日も「空席待ち」という状況。そこで、もう一歩突っ込んで、「どちらが空席の出る確率が高いか?」と尋ねてみました。すると「14日は20人近く空席待ちをしているので難しいかも」とのこと。そこで、13日に希望をつなぎ、その時点でダブリン→パリのエールフランス便チケットを取ることにしたのです。

 

この時期はほとんど毎日、朝と夜の2回、ANAのマイレージ特典航空券の状況をチェックしていました。そして、やっと13日にアキが出たことがわかり、即手続きをして帰りの航空券を予約。やっとダブリン→パリ→羽田とつなげることができました。ただ、見かけはつながっていますが、航空会社(間)の運送約款的にはつながっていないでしょうから、先に書いたような厄介な事態を招いてしまったわけですね。

 

時期や目的地にもよるのでしょうが、ANAのマイレージ特典航空券はなかなか取りにくいというのは、多くの利用者が感じていることのようで、これからも頭を抱えるような事態に遭遇しそうです。取りやすいのは近場のアジア方面。台湾や香港、ハノイなどは往復ともあっさり取れることが多いように思います。無料で乗れる席はおそらく一つの便でいくつまでと決まっているからでしょうが、なんとかもう少し取りやすくしてほしいものです。

 

IMG_1810まあ、それはともかく、この日は空港へも早めに行き、チェックインの手続きを済ませました。ANAで手配してくれた空港係員が家人を車イスに乗せ、ラウンジまで押していってくれましたが、やっとこれで間違いなく帰国できそうです。スターアライアンスのラウンジは、外国の空港にしては珍しく、タバコも吸えるようにっていました。ラウンジの一部が中庭になっており、そこに出ればお日様のもとで吸えるのです。またまた新しい穴場の発見に、前日の怒りも吹き飛んだのでは思うかもしれませんが、そんなことはありません!! しばらくの間は「エールフランス」の文字も見たくないというのが正直な気持ちです。

生涯最悪の経験──エールフランスの対応に唖然・呆然

2017年8月13日

今日で長い旅も終わり。アイルランドのダブリンからパリ経由で日本に帰ります。キルケニーのホテルから2時間。レンタカーを走らせ、無事リターン。4日間の通算走行距離は1800kmでした。

帰国は、ダブリン発14時15分発のエールフランス(AF)便でパリ(シャルル・ド・ゴール空港)まで行き、そこから羽田行きのANA便です。それがなんと、パリで丸1日足止めを食らうハメに。

AF便の出発が遅れたことからそれは始まりました。ダブリンを離陸したのは予定より1時間以上遅れの15時30分で、パリ到着は18時。着陸したのは、第2ターミナルのビルから遠く離れた場所で、バスでの移動になります。ただ、今回は家人のために車イスをお願いしておいたので、特別仕様の車両で移動。ビルに着いたのは18時35分。そこからAFの職員が、ANAのチェックインカウンターがある第1ターミナルとを結ぶシャトル(CDGVAL)の乗り場まで連れていってくれる段取りのようでした。

ところが、ダブリン→パリとパリ→羽田のフライトをバラで入手していたのがネックになりました。預け荷物はダブリンから羽田までスルーの扱いにしてもらったのですが、私たち自身はパリで一度「入国」し、ANAのカウンターで手続きしなければならないと言われていました。eチケットの控えは持っているのですが、搭乗券がないため、「トランジット」にならないのでしょう。このあたりの仕組みは私たち素人にはわかりません。

まず第2ターミナルにあるAFの“車イス利用者カウンター”と思しきところまで連れていかれ、「しばしお待ちを」と。そこの職員がだれが相手かよくわかりませんが、電話していましたが、私たちはずっと待たされたまま。時間はどんどん過ぎ19時をまわってしまいました。ANA便の搭乗開始は19時35分なので、こちらは焦ってきます。AFの係員は「Stay here。シャトルの乗り場までは別の係員が案内するから」と言い置いて、その場から姿を消してしまいました。しかし、10分経っても20分経ってもだれも来てくれません。そのうち、「ウソ・でたらめ」を言って、私たちを放り出していったことに気がつきました。このままではANA便に乗れないと思い、ANAのマイレージカードのデスクに電話を入れて問い合わせている間にタイムアウト!

IMG_1806幸い、ANAのほうで翌日の同じ便の座席をすぐ確保してくれたのですが、AFのほうからは謝罪どころか、「何がどうなって、こういう事態になってしまったのか」についてまったく説明がありません。20時5分を過ぎてから、日本語を話す職員が電話に出てきて「ANA便とコネクションがないので、私たちの責任はパリまで。よろしいですね! ANA便があなた方を乗せずに出発したことになんら責任はありません。おわかりですね! 今日の便に乗れなかったために、あなた方はこちらにひと晩泊まらなければならなくなりましたが、そのためのホテルは、私どもで確保して差し上げましょう。空港近くのハイアットなら1泊100ユーロで予約できますが、それでよろしいですか?」と聞いてきました。こちらは四の五の言ってられませんから、「OK」と。しかも、その場で予約確認の書類をプリントして渡してくれます。対応が迅速だったのはこれだけ。

 

しかし、そうなると私たちがAFに預けたスーツケースをもう一度引き取らなくてはなりません。それについて尋ねると、「当然です。すぐ荷物を確保しお渡ししますので、ここで30分ほどお待ちください」と。AFの係員が2人、私を連れて階下の荷物受け取り場近くにある「ロストバゲージ」処理カウンターのところまで連れていき、担当者相手に荷物の所在を調べ始めました、スーツケースの色を尋ねられたのでそれに回答し、しばらくコンピューターに向かうと、うなずきながら、私を連れていった係員に何やら告げました。すると、その係員が「30分後にはお渡しできますので、上の階の先ほどの場所でお待ちください」と。

 

その言葉に従って待ちました。30分、1時間、1時間半。気がついたら22時近くになっています。先ほど私を階下に連れていった係員はそのあとまったく姿を見せません。近くにいる別の職員に聞いても、「私の責任ではない」と言うだけ。担当していた係員にコンタクトを取るわけでもなければ、何か手立てを講じるわけでもなし。「ANAのほうに荷物が行ってしまっているので、それを取りに行って戻るのに時間がかかっている。受け取るのに手間取っているようだ」と、もっともらしいことを言います。しかし、こちらも心配になったので、もう一度ANAに電話で問い合わせると、「こちらにはそのスーツケースはまったく来ていません」と、あちこち確認を取ってくれた上での返答が。

要するに、AFの職員はその場しのぎの「ウソ・でたらめ」を言っていただけなのです。そして、22時になると、その職員もさっさと帰ってしまいました。このままでは荷物なしにひと晩ホテルで過ごさなくてはなる……と、もう一度、階下の荷物受け取り場近くの「ロストバゲージ」のカウンターに行くと、すぐ近くに私たちの2つのスーツケースだけが放置されているではありませんか! AFの係員が私たちのところまで持ってきてくれるというのは「ウソ・でたらめ」だったのです。海外旅行で、たとえひと晩でもスーツケースがないと途方もなく落ち込みます。これまで何度かその経験をしているだけに、荷物が無事見つかって安心はしたものの、怒りが猛烈にこみ上げてきました。

この日は昼食もきちんと取っておらず、飲まず食わず状態だったので、お腹も空いてきます。仕方なく、待たされている間にすぐそばの売店でサンドイッチとサラダを買ってきて口にしましたが、とてもとても……。ついでながら、重いスーツケースを2個持ち、足の不自由な家人を連れながらシャトル乗り場まで移動するのはしんどそうだったので、先のところに、夜勤なのでしょうか一人だけいた職員に「車イスを使わせてもらえないか」とお願いしてみました。「いいですよ。係員をよこしますから、お待ちください」と言うのですが、もうこれ以上待たされるのはイヤだったのでお断わりしました。

こんどはハイアットホテルまで行かなくてはなりません。もちろん、場所を教えてくれていたわけでもないので、空港のINFORMATIONカウンターまで行ってたずね、なんと10分近く離れたホテル行きのシャトルバスが出る場所まで歩きに歩き、チェックインしたのは23時近く。レストランも閉まっていて、結局この夜は何も食べずじまいで終わってしまいました。

キルケニーで「アイリッシュパブ」を初体験

2017年8月12日

今日でアイルランドも実質最後の日。リメリックから北東に数十キロ走ったところにあるキルケニー(Kilkenny)をめざします。出発前に足を運んでみたのがリムリックの中心部にある「ミルクマーケット」。もともとは青空市場だったのでしょうが、そのまわりに建物が立ち、いまでは広場全体を覆う巨大なテントが。その結果、屋内・屋外一体となった市場になっています。毎週金・土・日の3日間開催されているマーケットはたいそうなにぎわいです。

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IMG_1712野菜、肉、パン、調味料、食料加工品が中心ですが、台所用品や衣服、アクセサリーなどを売る店も。昔は当たり前だった有機栽培の野菜や果物が所狭しと並べられ、その隣ではやはり、自家製のパン、チーズ、スイーツなどを売る店が。どれを見ても食欲をそそりますが、土曜日の朝とあって、とにかく人の多いこと。昼近かったこともあり、市場の2階に作られたフードコート風のスペースもほぼ満杯といった感じです。人口9万ほどの町ですが、人々の表情は生き生きしており、こうした場が存在することの意味を考えさせられました。

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DSC03085そのあと「ジョン王の城(King John‘s Castel)」の素晴らしい外観を眺め、「条約の石(The Treaty Stone)」と名づけられた記念碑をチェック。そして、市内を出てまず行ったのがキャッシェル(Cashel)という町です。ここには「ロック・オブ・キャッシェル」という有名な城があります。500年ほど前までこの地方の政治と宗教の中心地であった町を象徴する城は立派の一語。中の庭に広がる墓地に立つケルト十字やかつての聖堂跡の素晴らしさには感動しました。

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キルケニーに着いたのは5時少し前。市内で観たいところが2つあり、最初は「キルケニー城」を外から。いかにも立派なたたずまいで、前にある庭園も心が和みます。そこから車で5、6分の所にある「大聖堂」は、あいにく時間切れで中に入れませんでしたが、外壁の装飾は質素でも、歴史を感じさせる建物でした。ホテルにチェックインしたのは6時半ごろだったでしょうか。

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DSC03119私たちが止まったホテルはノア川のたもとに立っているのですが、そのいちばんの売りは、別の角度から観られる城の姿。ホテルはちょうどその向かい側にあるので、美しい姿を観ることができます。この城を観られる側と観られない側とでは宿泊料に4、5千円の違いがあるほど。ギリギリまで粘り、3、4日前にキャンセルが出て、やっと城が観える側の部屋を確保することができました。せっかくのチャンスですから、家人にも喜んでもらわないと(笑)。

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夕食は、ホテルの入口から道路を挟んだ向かい側、これも川べりにあるアイリッシュパブで。ほんの少し時間が早めだったせいか、あっさり席を確保でき、ゆっくり食事を楽しめました。夏休みでどこもかしこも混んでいる中、これはラッキー! 店の奥のほう、バーカウンターの前ではバンドの生演奏が。途中休みなしで、私たちが店を出る2時間後もまだ続いていました。

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IMG_1786店はその後どんどん客が入ってきます。なかには、タクシーに乗って駆けつけてくる人も。そのうち、店内は、立ち飲み客も出てきて、足の踏み場もない状態に。ウェイター、ウェイトレスはわき目もふらずに動いています。私たちのテーブルを担当してくれたのは、いかにもアイリッシュといった雰囲気のおやじさん。私はその男性に「アイルランドのテキパキおやじ」と勝手に名づけました。この道ウン十年といった感じの小気味よい動きがこちらを心地よくさせてくれます。こういう人が世界中に散らばっているのだろうなと。アイルランド人の誇りを感じさせるウエイターでした。

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IMG_1787アイルランドの名物パブでも、2、3年前から建物内でのタバコは禁止されています。そのため、スモーカーたちはちょっと時間があると店の外に出て、入口近くに置かれた大きな灰皿のまわりで一服。私も何回かそこに行きましたが、入れ替わり立ち替わり客が出てくるのには感心しました。それにしても、愛煙家というのは世界中どこに行っても、まめですね。

勘定を頼むころになると、店の混雑はいっそうひどくなっていましたが、テキパキおやじはさっと勘定書きを持ってきてくれました。現金で払い、しっかりチップをはずんだことは言うまでもありません。

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霧に煙っていた「モハーの断崖」

2017年8月11日

朝からあいにくの雨模様。今回の旅で雨に降られたのは初めてです。今日はアイルランドでも屈指の絶景「モハーの断崖(Cliff of Moher)」に行くというのに、残念! 雨のせいか気温も低く、肌寒ささえ感じます。それでも気を取り直し、一路南西へ向かいました。

カーナビの指示に従って走るのですが、なぜか田舎道が多いのにはとまどいます。道路にはいちおう名前がついているものの、幅が狭く、くねくね曲がった道ばかり、道の左右は畑か森のどちらかで、たまに小さな集落がある──そんな感じです。にもかかわらず制限速度が80キロだったりするので、日本人の感覚ではどうにも納得が行きません。もちろん、街中に入ると60キロ→50キロとダウンするのですが、そのエリアから出るとまた80キロに。なかには、センターラインがないのに制限速度100キロなどという道路もありました。速く走れるのはありがたいものの、こうなると逆に神経を使わされ、いささか疲れます。

もう一つ、アイルランド(ヨーロッパではほかの国もほぼ同様ですが)の道路は、バンプというのでしょうか(ハンプとも呼ぶらしい)、道路が隆起している箇所がやたら多いのです。スピードを出したままでいるとガクンと揺れ不愉快きわまりないので、だれもがそこではブレーキを踏みます(そういえば、エジプトの砂漠を走る道でも見かけました)。もちろん、事故の防止が目的でしょうが、これもあまり多いとうんざりしてきます。逆に、日本も学校の近く、閑静な住宅街ではもっと導入したほうがいいのではないでしょうか。

IMG_1693さて、ようやく到着した「モハーの断崖」は人気観光スポットですから、大変な人の数。広い駐車場もびっしり埋まっていました。駐車場のはるか先、丘を昇ったところから、「断崖」らしきものが見えるようですが、あいにくの曇り空で、最初はうっすら、というよりほとんど何も見えません。それでも、2、3分経つとさっと霧が晴れ、姿をあらわすことがあります。ただ、絵ハガキやポスターで見るような美しく迫力のある姿とはほど遠い状態です。

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家人は早々にあきらめ、杖をつきながら入口近くにあるビジターセンターに戻り始めました。それでもあきらめきれない私は、「もうちょっと粘ってみよう」と思い、いちばんよさそうな場所で待ちました。2、3分経つとふいに霧が晴れ、わずかの間でしたが、絶壁がその姿をあらわしたのです。大西洋上に切り立つ断崖が海面から最上部まで見えると素晴らしい迫力。夢中でカメラのシャッターを押しましたが、その間にもまた雲に隠れてしまったりします。結局、それからは曇りっぱなしで、その姿を目にすることはできませんでしたが、一瞬とはいえその姿を観られ、遠路はるばるやってきた甲斐がありました。

「モハーの断崖」をあとにし、そこから車で20分ほどのところにあるバレン(Barren)へ。ここにある「巨人のテーブル」を観たかったからです。想像していたほどには大きくなかったものの、それでもその造形の不思議さには驚きました。何千年も前のお墓だそうですが、雨の中、駐車場から数百メートル歩き、間近で観たときの感動はなかなかうまく表現できません。

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今日の行程は以上。ここからホテルがあるリメリック(Limerick)の町までは30分ほど。天気もようやく回復し、最後は気持ちよく走れました。昨日泊まったゴールウェイの喧騒に比べると、リムリックの町はなんとも静かで落ち着いています。今日も早くからお腹が空いていたので、すぐ夕食に出ました。ホテルの近くで見つけたステーキレストランが大当たりで、味はもちろん、サービスのレベルも高いこと。大満足で店を出ました。

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こんなところに立派な日本庭園が!

2017年8月10日

さて、ダブリンを出て、今日はアイルランド中央部を西に移動。大西洋岸にある港町ゴールウェー(Galway)をめざし、およそ200キロのドライブです。最初に立ち寄ったのがキルデア(kildea)という町にある「アイリッシュ・ナショナル・スタッド」。国立種牡馬育成所といった意味でしょうか。 IMG_1647

ここはもともと牧場で、造られたのは1900年。その後イギリス政府に寄贈され、さらにアイルランド政府の所有となったそうです。日本にもこの種の施設はあるのかもしれませんが、これほど広大で、ここまで美しく整備されているのを見ると、さすが競馬先進国といった感じがします。

入口のチケット売場をはさみ、牧場と反対側に「日本庭園」が。順路に沿って歩いていくと、それぞれ「誕生の洞窟」とか「学びの丘」「喜びととまどいの島(結婚)」、「志の丘」という名の急な坂道、「平和と安らぎの園」、そして最後は「来世への入口」など、ポイントごとにユニークな名前がつけられています。東京の我が家の近くにある有名な「哲学堂公園」を思わせるコンセプトには驚きました。

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最初に牧場を作ったウィリアム・ホール・ウォーカー卿と日本人庭師の飯田三郎、その息子ミノル・イイダが力を合わせ、1906から10年にかけて作ったものだそうです。えらく凝った設計とその造園技術の素晴らしさに、ヨーロッパにある日本庭園の最高傑作と言われるのもよくわかる気がしました。

園内のカフェで軽い昼食を済ませ、次の目的地アスロン(Athlon)へ。かつてはアイルランド中央部にある交通の要衝だったそうですが、それもむべなるかなと思わせる大変な数の人が訪れていました。道路も大渋滞。ここでは城の外観を見るだけにとどめ、すぐ近くの「クロンマクノイズ(Chronmacnoise)」を訪れます。

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シャノン川沿いの小高い丘に、はるか昔に廃墟となった教会があるのですが、見上げるほどに高い円塔、壊れかけて久しい大聖堂、ケルト十字のお墓などがみごとなまでに並んでいました。いまでもこの地は墓地として続いているようで、新しいお墓もあります。それがこの国の長い歴史を感じさせるのですが、興味深かったのはキリスト教寺院の大聖堂の構造。これはキホンどこの国でも同じなのですね(もちろん、規模の大小はありますが)。ここの教会の大聖堂ははるか昔に壊れてしまったのですが、いまでも外壁と内部の一部は昔の姿をとどめています。そうしたことに思いを致しつつ感動にふけったあと、近くの有名なシャノンブリッジ(Shanonn Bridge)を渡って、ゴールウェイをめざします。

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6時前にホテル到着したときはお腹がペコペコ。レストランの数は豊富なのですが、時間が悪かったせいか、どの店も皆、30分以上待たないと入れないとのこと。仕方なく、ホテルの帰り道で見つけた日本料理店に。小さな店でしたが、揚げ出し豆腐やらだし巻き卵、焼き鳥やらを食べることができました。2日続きの日本メシですが、疲れているときはありがたいですね。それにしても、この街の喧騒はすさまじいばかり。何が人気なのかよくわかりませんが、まっすぐ歩くのも大変なほど人でにぎわっていました。

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女子ラグビーW杯の初戦はフランスが相手

 2017年8月9日

前夜、「ゲイアティー・シアター」に行く前に立ち寄った、向かい側のショッピングモールでお土産を少々購入。それからドライブに出ました。最初の行き先は、前日その前をバスで通った「グラスネヴィン墓地(Glasnevin Trust)」。

IMG_1577広大な敷地にびっしりお墓が並んでいるのですが、入口のまわりにあるのは、大きな墓石とアイルランド独特の十字架。ケルト十字と呼ばれるものだそうで、私たちにもなじみのあるラテン十字と、十字の交差部分を囲む環から成っています。人間の背丈より高いそれがずらっと並んでいるのを観ると、不思議な迫力を感じます。

 

そこから北上し、次に訪れたのが「モナスターボイス(Monastervoice)」。先端が破壊された「ラウンドタワー」のまわりに多くの墓標が立っているのですが、その中にひときわ高い「ハイクロス」があります。前面にほどこされたレリーフはみごとの一語。例によって、ドイツ人の一団がそれを囲み、ガイドの話に熱心に聞き入っていました。

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続いて「ニューグレンジ(New Grenge)」を訪れます。5000年も前に作られた墳墓群で、世界遺産の一つ。ただ、この日の見学ツアーは予約でいっぱいのため、中は見学できませんでした。仕方なくビジターセンターの展示だけで我慢しましたが、今回は家人も歩くのが大変ですから、かりに予約が取れても、見学ツアーはしんどかったかもしれません。また、“次の機会”ですかね。

今日の最終目的地は「タラの丘(Hill of Tara)」。ケルト人の血を引くアイルランド人の、いうならば心のふるさとのような場所=聖地で、なだらかな丘の中にポツンと石が立っているのが印象的でした。丘の一部は鉄器時代の要塞跡。そこに「王の砦」があり、その「王座」の中心部に石柱が残っています。まわりに何もないところにポツンと立っているのが興味をそそりました。

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しかし、なんといっても私たちの心を奪ったのは、青い空と白い雲と緑の草の取り合わせ。まわりをさえぎるものが何もない中、なだらかな丘陵全体を覆う澄んだ空とそこにたなびく雲のコントラストが際立っていました。もし、どんより曇っていたら、印象は大きく変わってしまうでしょう。

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夜は「女子ラグビーW杯」の予選がダブリン市内であるので、あまりゆっくりもできず、再びダブリンに戻ります。W杯といっても、2015年秋にイギリスで開催された男子ほどの盛り上がりはありません。私自身も、今回は世界陸上の「ついでに」観戦、というのが正直なところです。

ただ、この「ついでに」が、旅ではとても大事というのが私の考えです。前に書いたかもしれませんが、私の出身地は“ほぼ名古屋”なので、そのあたりに関してはけっこうシビアというか、常に「ついでに」を意識しながら旅の計画を立てます。その昔「一粒で二度おいしい」というキャッチフレーズで売ったお菓子がありましたが、同じ時間と費用と手間をかけるのなら、「ついでに」別のことも実現(実行)しようという意識がいつも働いているのです。もちろん、“100%名古屋人”の場合はもっと徹底しているでしょうが……。

さて、試合会場では食事らしい食事は期待できないので、ホテル近くの日本料理屋でTake-away(持ち帰り)の寿司を買いました。タクシーで市内のUCD(ダブリン大学)のグラウンドに向かおうとしましたが、運転手にW杯のことを伝えても「何、それっ?」といった感じです。チケットを見せ、やっと納得してくれたようで、15分ほどで到着。しかし、正確には違う場所でした。要するに、この一帯は同大学のグラウンドがいくつもあり、会場になっているのはその中で最も大きなグラウンド。降ろされた場所からさらに10分ほど歩いたところにあったのです。

IMG_1620W杯といっても、スタンドは半分仮設のような感じ。ただ、それでもけっこう日本人サポーターの姿がありました。SAMURAI(侍)のいでたちをしていたり、赤と白のメークをほどこしていたり、目立つことは目立つのですが、アウェイの地ですから数的な劣勢は明らかです。

 

劣勢なのは今日フランスと戦う日本チーム(桜フィフティーン)も同じ。たまたまグラウンドに両チームが並んで入場する場面を間近で観たのですが、大人対子どもといった印象。それにしても、フランスの選手のまあ大きなこと!

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女子のW杯に日本が出場するのは4大会・15年ぶりのことだそうですが、男子以上に体の小ささが際立ちます。開始早々、10秒経過したかしないかのうちにノーホイッスルトライを奪われ、そのあと立て続けに3本も取られてしまいました。アタックはけっこうスピーディーなのですが、ディフェンスがどうにもいただけないというか……。前半を終わって7―29、後半もフランスに攻められっぱなしで、最後は14対72。それでも2本トライを奪えたのは、次につながりそうです。

本場の「アイリッシュダンス」はやっぱり違う!

2017年8月8日

朝いちばんで、タクシーでダブリン最大の観光スポットと言っていい「トリニティー・カレッジ」へ。1592年の創立ですから、400年以上の歴史があります。なかでも「オールドライブラリー」の2階にある「ロングルーム」は出色でした。高さはゆうに3フロア分ありそう、幅20m・長さ65m近い空間の両サイドに書棚があり古書がビッシリ収められています。朝早くから、それこそ世界中の人が見学にやってきていますが、お目当てはこれ。ウェブサイトでチケットを購入していた私たちはすんなり入れましたが、出るころにはチケット売り場に長蛇の列が。学生たちがアルバイトでキャンパス・ツアーを引き受けており、それが収入源にもなっているようです。

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IMG_1553その後は「ホップオン・ホップオフ」観光バスで市内を観光。「ダブリン城」「クライスト・チャーチ大聖堂」「聖パトリック大聖堂」「ギネス・ストアハウス」「キルメイナム刑務所」「クローク・パーク・スタジアム」など、名所を外から見ただけですが、バラエティーに富んでいて飽きることがありません。夜は“アルコールの都”といった趣のダブリンですが、昼間はそうしたことをまったく感じさせないのが面白いですね。1回目の最後はオコンネル通りで降り、近くでランチ。

 

午後はもう一度バスに乗り、「ダブリン城」と「聖パトリック大聖堂」へ。なかでも「聖パトリック大聖堂」は大変なにぎわいで、入口前の道路に大型観光バスがひっきりなしにやってきて団体客をおろしては乗せていきます。そのため、道路が大混雑していました。

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アイルランドにルーツを持つ人は世界中に散らばっている(その数は8000万人と言われる)そうですが、その多くが自分のルーツを確認しにアイルランドにやってくるといいます。夏休みの時期でもあり、その数もいつになく多いのでしょう。ちょっと動くのにも不自由するくらい混んでいるのも仕方ありません。

今夜は「アイリッシュダンス」のコンサートがあります。日本を出発する前にチケットを購入しておいたのですが、会場は「ゲイアティー・シアター(Gaiety Theatre)」。140年以上前に建てられた、アイルランドでもいちばん老舗の劇場で、毎年夏は、それまで世界中を回っていた「リバーダンス」が里帰り、2カ月半ぶっ通しで公演するのだとか。

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何年か前、東京・渋谷で「リバーダンス」の公演を観たことがあるのですが、そのときはさほど興味深く感じませんでした。ところがこちらで観ると、その迫力に圧倒されてしまいます。客もよく知っている(当たり前か)ので、拍手・歓声のタイミングが的確。そのためでしょう、東京で観たときとはまったく違う印象です。わざわざ本場で観たかいがありました。

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まずは、ダブリンの動物園でキリンにご挨拶

2017年8月7日

ロンドンには全部で5つの国際空港があります。今日はその一つのロンドンシティ空港からアイルランドのダブリンへ。1時間少々で到着し飛行機の扉が開くと、空港の職員が待機していました。職員が1階の荷物受け取り場まで車イスを押してくれるのは大変助かります。そのあとスーツケースを転がしながらレンタカーの窓口へ。車が用意されている場所までシャトルバスに乗って移動し手続きを済ませるところまでは順調。しかも、今回はレンタカー会社の職員が、カーナビの入力方法などことこまかに手ほどきしてくれたので、これまでのように、借りて乗ったはいいが、なかなか出発できないというストレスからも解放されました。

時間に余裕があったので、ダブリン市内に入る前、動物園に立ち寄ることにします。ナビに入力すると10分ほどで到着。事前の調べでは、動物園自体に駐車場はないとのことでしたが、実際に行ってみると、そこら中、路駐しまくり。みんなで止めれば怖くないと、私たちもその中にまぎれ込みました。

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DSC02710世界で3番目に古い動物園というだけあって、入口の建物はクラシックな風合いで,雰囲気十分。ただ、古いだけに敷地は狭く、そのわり全体の配置がわかりにくい。何より大変だったのは園内の通路が狭かったこと。車イスに乗った家人と一緒に動かなくてはならないので、まあ難儀しました。また、今日はバンク・ホリデーという、国民の休日と重なっていたため、親子連れの客で土日並みの混雑ぶり。よけい動きにくかったような気がします。

 

IMG_1520しかし、ここにもパリに負けず劣らずたくさんのキリンがいました。しかも、シマウマとダチョウと同居しているのです。もともといたアフリカのサバンナでは当たり前の光景なのでしょうが、動物園でとなるとやはり新鮮ですね(横浜の「ズーラシア」も同じようになっているとか)。キリンとシマウマが、何がどう魅かれ合うのかわかりませんが、ほぼ左右対称にたたずんでいたりして、可愛らしいといったらありません。気がついたら小1時間もその前にとどまっていました。

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それにしても、動物園の案内表示というのはなぜ、どこも皆例外なしにわかりにくいのでしょう。「→」のついた表示板があるのでそれに従って歩いていくと、途中でそれが消えてしまったりするのは日常茶飯事。あるはずの通路がなくなっていたり、これまで何度も悩まされた経験があります。

ここダブリンも事情は同じようで、あっちに行ったりこっちに行ったりしてけっこうさまよいました。ふだんならなんでもないのですが、今回は車イスを押しながらでしたので、けっこう疲れましたね。

IMG_1543動物園から市内までは15分ほど。天気も素晴らしくよく、川沿いを走りながらすんなりホテルに到着することができました。駐車場も真ん前なので楽々。荷ほどきを済ませると、早めですが食事に出ようということになり、地図を頼りに川のほうに向かいます。車イスはないので、ゆっくり歩きながら探していると、日本料理店があったので、そこに決めました。ロンドンでは食事らしい食事を摂っていなかったので、久しぶりのまともな食事です。

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日本人の女性店員がいて、おすすめを尋ねると「鍋焼きうどんとダイナマイトロール(エビの海苔巻き)」だというので、それを注文。ただ、海外の日本料理店では家人がかならずと言っていいほどオーダーする「揚げ出し豆腐」がメニューに出ていません。そこで、ダメ元で聞いてみると、いわゆる“裏メニュー”ですが、「できますよ」との返答。それも合わせてお願いしました。どれも皆なじみの味で、満足しました。

「ロングウォーク(Long Walk)」に感動!

2017年8月6日

昨年の春知り合ったロンドン在住のIさん、また昨日ご一緒したAさんご夫妻のお誘いもあり、今日は郊外の「タプローコート(Taplow Court)」というところに行きました。昨日初めてお会いしたばかりのKさんが、歩くのが大変な家人のことを慮り、車で送ってくださるとのこと。そのご厚意に甘え、ホテルから1時間足らずで到着。2年前に初めて訪れときも素晴らしさに感動しましたが、今回もやはり、来てよかったと思いました。

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しかし、それ以上にうれしかったのはIさんのご案内で連れていってもらった「ウィンザー城」近くの「ロングウォーク(Long Walk)」です。これには言葉も出ませんでした。城内の「ジョージ4世門」からまっすぐに伸びるこの道は、はるか先にある「ジョージ3世の騎馬像」まで全長4・8km。この日はまた、素晴らしい好天で、端から端まですべて、この目で見通すことができました。「ウィンザー城」自体の訪問もまだ果たしていないので、次回は城の中とともに、この長い道を自分で歩いてみようとも。もちろん、そのときは家人も杖なしでいてもらわないといけませんが。

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私たちは今夜も「世界陸上」。「ウィンザー城」の最寄りの駅からロンドンスタジアムまではゆうに1時間半はかかるそうなので、早めに現地を出たのですが、いささか早く到着しすぎたようです。昨日と同じく車イスのステーションを経由してスタンドに入りましたが、しばらく待たされたほど。ただ、明日のホテル出発が早いので、今日は競技の途中で引き揚げざるを得ません。

 

この日是が非でも見たかったのは、前日ボルトが敗れた男子100mの表彰式です。表彰台に上がるのは3位のボルトから。名前がコールされたときは割れんばかりの拍手と大歓声。しばらくの間、鳴りやみませんでした。2位のC・コールマンに対しては普通の拍手。しかし金メダルのガトリンに対しては、またしても大ブーイングです。「うーん、ここまでやるか……」と思わされる反応でした。でも、ボルトはそれに反応するわけでもありません。国歌の演奏が終わり、メダルを手にした3人が並んでカメラを向けられているときも何食わぬ顔をしていました。クールな大人といった印象です。

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本当は観たい種目もあったのですが、先のような事情で早めにスタンドをあとにしました。入口わきにあるステーションまで戻ってきたものの、駅まで行くシャトルがまだ走っていないとのこと。30分歩待ってほしいと言われたので、その場でイスに腰かけていたところ、ボランティアのどなたかが見るに見かねたのか、ホテルまで送ってくださるというではありませんか。これには恐縮しましたが、せっかくのご厚意なのでそれに甘えさせてもらいました。おかげで、予定よりはるかに早い時間にホテルに戻ることができ大助かり。「世界陸上」のボランティアスタッフの皆さん、本当にありがとうございました!!

世界陸上2日目で観たボルト

2017年8月5日

昼間は、トラファルガー広場近くの「ナショナル・ギャラリー」に。こちらもまた宮殿のような建物で、内部も床から天井から壁から、どこを見ても素晴らしい。以前行ったパリの「オルセー美術館」ほどではないにしても、フランス印象派の名作がゴロゴロといった感じで展示され、目を休める暇がありません。さすが“大英帝国”!

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今回、柄にもなく、2日連続で美術館を訪れたのは、ほかでもない家人の体が言うことをきかないためです。こうした施設に行くとかならず車イスが用意されており、楽に動き回ることができます。元気なら、あちらこちら見物や買い物に行けるのですが、そうもいきません。そこで、室内の施設に行き先を絞ったわけですが、すわっている家人のほうはまだしも、後ろからそれを押す私のほうは不慣れもいいところで、あっちにぶつけ、こっちをこすりといった感じですから、家人もさぞかし疲れたことでしょう。さほど遠くない将来、実際に自走式の車イスのお世話にならないという保証はありません。そのときのための、いうならば“予行演習”だったと思いましょう。

IMG_1124今日は、たまたま同じ時期に日本からやってきていたAさんご夫妻とIさん──どちらも「北前船寄港地フォーラム」などの折、顔を合わせている親しい方々です──と一緒に世界陸上を観戦しにいくので、セントパンクラス駅構内のショッピングモールで待ち合わせました。このモールの中にピアノが置かれていて、通行客が自由に弾くことができるのですが、ピアノの心得があるIさんがそれに気づき、何曲か演奏すると、まわりの通行人も足を止めて聞き入っていたのが印象的でした。

私たちも含め5人で、前日と同じように地下鉄を乗り継ぎストラッドフォードの駅まで。そこから「体の不自由な人のための」シャトルバスに乗ってスタジアムまで行くのは前日と同じ。早めにホスピタリティー・エリアにも入ることができ、いよいよ男子100mの準決勝、そして決勝になりました。ユセイン・ボルトのラストランです。日本のメディアはボルトの名を「ウサイン」と言っていますが、これは「Usain」をローマ字読みしているから。現地では「ユーセイン」と発音していました。

そのボルト、準決勝こそ1位で通過したものの、決勝では3位。残念な結果に終わりましたが、それでも場内の観客はボルトにありったけの拍手喝采を送ります。それはそれでいいのです、ワリを食ったのは優勝したジャスティン・ガトリンです。世界陸上ではなんと12年ぶりで優勝──中長距離ならまだしも100mですから、大変な快挙です!──したのに、まったく無視されたまま。

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そもそも、スタート前の出場選手紹介の段でもガトリンの名前がコールされると大ブーイングが起こっていたくらいです。ボルトより先に1位でゴールしたあとはそれがいっそう強まりました。これには私も家人も疑問を抱きましたが、イギリス人というのは、スポーツに対してはとことん「フェアプレー」を求めるようです。ドーピング違反でそれを破ったことがあるガトリンに対しては、「絶対許すまじ!」という気持ちがやはり強いのでしょうね。

 

それにしても、今大会のジャマイカ短距離陣の不振は深刻のようです。このままでは男女とも、100mはメダルなしに終わりそう。代わりに、アイボリーコーストとかボツワナ、南アフリカといったアフリカ勢の台頭が目立ちます。すべての種目で、以前とは勢力分布が大きく変わりそうな予感がしてなりません。また、それがまた「世界陸上」の興趣をいっそう高めてくれるので、私たちも目が離せないというわけです。

 

なんと、途中までボルトの前に日本人選手が!

2017年8月4日

IMG_1496今日から、今回の旅のメインイベント「世界陸上」がスタート。スタンドに座ると、今回は席がゴールラインのぴったり真上。それだけでも感激していた上に、100mの日本選手が3人全員が予選突破という快挙のおまけつき! もう、最高でした。1組のサニブラウンはスタートから最後までトップ。10秒05の自己ベストタイ。最後の6組に登場した多田は、途中までなんとボルトの前を走っていました。最後は4位でしたが、タイム順で拾われセーフ! 3組の飛鳥も4位でしたが、こちらもタイム順で予選を通過。明日の準決勝が楽しみです。

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DSC_0028今回は初めて、「初日」からの観戦となりましたが、驚いたのは表彰式のやり直しです。過去の大会でメダルを取った選手が、その後ドーピング検査でひっかかり失格になるケースがあります。それによって4位だった選手が3位に繰り上がったりすると、繰り上がった選手に改めてメダルが授与されるのですね。その授与式を初めて見ました。

 

その中に、なんと2009年大会の女子4×100mリレーで3位に繰り上がった国のメンバーがいました。4人のうち1人は何かの事情で来れなかったようですが、残りの3人は大喜び。同じく3位からの繰り上がりで銀メダルを受け取った女子選手は涙でくしゃくしゃ。圧巻は、1位が失格した2013年の女子4×400mリレー。3つの国のチーム全員がそろい、一ランク上のメダルをかけてもらっていました。国旗の掲揚こそないものの、国歌の演奏はあるので、スタンドは全員起立です。

この日のメインイベントは男子の1万。3連覇を狙うファラーが地元イギリスなので、スタートからゴールまでずっと大歓声。1万は最後の1~2周に来て、大きな歓声が沸くのが普通です。最後の1・2周を短距離並みのダッシュで競い合うことが少なくないからですが、今日は1周目からずっと「ファラー!」の大声援が途絶えません。30分近い時間ですから、女子棒高跳や男子円盤投げの予選に出ていた選手は大変だったでしょう。ファラーもそれに応えて優勝、もう化け物というか、神様というか、恐ろしい選手です。

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この日の午前中は「大英博物館」に朝9時から並びました。いつ行っても行列している大英博物館ですが、今日はまた一段と長かったのではないでしょうか。というのも、「葛飾北斎展」があと1週間ほどで閉幕となるため、それを見逃すまいという人がいっぱい詰めかけていたからです。

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常設展示は無料の「大英博物館」ですが、こうした特別展だけは有料になります。日本を出るひと月前にサイトをチェックしたときは、好きな日の好きな時間帯に前売り券が買えるという感じだったのですが、7月25日ごろのぞいてみると、どの日のどの時間帯もすべてSOLD OUT! 「ご覧になりたい方は、当日の朝9時から並んでお買い求めください(それでも早い者勝ちなのでチケットが入手できないこともあります)」とあったので、こうした事態になったのです。

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ホテルから「大英博物館」まではタクシー。降りると、早くも100人以上の列が。「うひゃー!」と一瞬ドッキリしましたが、開門と同時にどんどん人がハケていきます。しかも、門をくぐるとすぐ、女性の職員が私たちに声をかけてくれました。家人の杖が目に入ったのでしょう、「体の不自由な方はこちらからどうぞ」ということで、敷地内に入っても蛇行しながらゆっくり進む列とは別に、建物まで最短距離のコースで行けました。こなるともう“魔法の杖”ですね!

チケット売場で「車イスを借りたいのですが」とお願いすると、「入口を入ったすぐ脇にありますよ」と教えられ、私が列に並んでいる間に家人が車イスを借り、自走させながら戻ってきました。しかも、チケットの値段がえらく安くなっています。車イスの家人はなんと無料、付き添いの私も通常のおよそ半額で済みました。なまじネットで前売りチケットを買えなくてよかったというのもおかしな話ですが、結果としてはそういうことになったわけです。

DSC02655さて、「北斎展」のほうですが、これがまた素晴らしい内容。というか、私たちが認識していた北斎とはまったく別の面があることを知らされました。「富嶽三十六景」だけが北斎ではないのです。ある版元がスポンサーについており、そのリクエストに応じてほとんどなんでも描いていたようで、「えーーっ、何、これ?」と思うような絵もいっぱいありました。私たちが見慣れている北斎の作品より、そっち系のほうが多かったので、北斎の意外な一面を学ばせてもらった感じがします。帰りにミュージアムショップで、35ポンドもする高価公式カタログをつい買ってしまったほどです。

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そのあと、20年以上前に来たときは混雑して観られなかった展示室を中心に、さらに小1時間ほど中を回りました。昨年行ったカイロの「エジプト考古学博物館」とはまた違う古代エジプトの作品を観たり、そのエジプトの敵だったアッシリアの美術作品も数多く展示され、興味は尽きません。そもそもこの大英博物館を1回や2回で全部観て回るなどというのは無理な話で、「続きはまたこの次……」と自分に言い聞かせながら、博物館をあとにしました。

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次に訪れたのは「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」。こちらは「大英博物館」ほど大きくはありませんが、やはり大変にぎわっていました。入場は無料ですが、建物の素晴らしさはさすがという感じがします。

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3時前にホテルに戻りひと休みしてから、いよいよロンドンスタジアムへ出発。こちらも、体が不自由な観客は、ストラッドフォード(Stradford)という最寄りの駅から専用のシャトルバスが用意されているのです。それに乗せてもらい、車イスを貸し出してもらえるところまではすんなり行けました。そのすぐ近くの入口からスタンドに入り、上の階のホスピタリティーゾーンまではボランティアの方に介添えされ、観戦が終わったあとの段取りもていねいに教えてくれます。こうした態勢は実に行き届いていますね!

パリの動物園にはキリンが群生

2017年8月3日

ロンドンに出発するまで数時間の空きがあります。ホテルは「シャンゼリゼ通り」「凱旋門」近くですが、「ヴェルサイユ宮殿」まで行っている余裕はありません。そこで郊外でもわりと近い、「ヴァンサンヌの森」にある「動物園」に行くことに。メトロで1本、乗り換えもないので比較的楽そうです。

IMG_1310地下鉄の駅を降りると大きな宮殿があり、その先が動物園のようです。駅からはタクシーに乗りましたが、これがまたBINGO! 我が愛するキリンが、な、なんと12頭も群生しているではありませんか。ただ、すべてのキリンをいちどきに見られるわけではありません。表舞台に出ているのは4~5頭ほどで、残りはそこからは見にくい裏側のエリアにいるのです。まさか交代交代で登場するわけではないでしょうが、かなりの頭数がいるように思えたので、家人を車イスに乗せたまま、私ひとりでスロープを昇り、裏のほうに行ってみました。すると、6、7頭がのんびりエサを食んでいます。全部が同時に表のほうに出てきたらどれほどの迫力か……。なんとも、残念ではありましたが、それでも私がこれまで見た動物園のなかでは最大の集団です。

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園内での移動は車イスを押しながらですから、おいそれとはいきません。通路がすべて平坦というわけではありませんし、道幅が狭くなっているところでは、すれ違う人や、立ち止まっている人の後ろをすり抜けるようにして動くなど、それはそれで気を遣います。

ちなみに、車イスを借りることについては、事前にネットで調べておいたので、入口でチケットを買ったあと、すぐそばにある事務所で手続き(ここではパスポートを預けるスタイル)を済ませるだけでした。

パリの動物園はもともと80年以上も前に誕生しましたが、10年ほど前にいったんクローズして大リノベーションされ、2014年に再度オープンしたのだそうです(その間、動物たちはどうしていたのか気になりますが)。14・5ヘクタールもの広さ(東京ドーム3個分)があり、園内の仕切り方もユニークなので、どの動物ものびのびした雰囲気です。園内にそびえる岩山(アフリカにはありそうもないような)は、元からあったのか人工的に造ったのかわかりませんが、広いだけにわかりやすい目標になっているように思えました。

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IMG_1325メトロの駅までバスで戻り、近くのレストランでランチを済ませると、預けておいたスーツケースを取りにホテルまで戻ってタクシーを呼んでもらいました。長年の夢だった「ユーロスター」のパリ側の出発駅=北駅までに移動するためです。そもそも、「世界陸上」の観戦だけが目的なら、航空券も東京・ロンドンの区間で購入すればいいのですが、ついでに「ユーロスター」に乗ろうと思いついたことで、パリ往復のチケットにしたのです。
「ユーロスター」に乗るにはチェックインの手続きがあります。なるほど、国際線ですからそれも納得。チケットとパスポートを持ってフランスを「出国」すると、すぐイギリスへの「入国」手続きが。そのブースの先には、空港と同じく「免税店」もありました(規模は全然小さいですし、ブランド品もなし)。

ただ、沿線の景色はあまり刺激的ではありません。えんえんと畑が続いたかと思ったら、風力発電用の風車がずらっと並ぶエリアがあり、そこを過ぎるとドーバー海峡に下を通り抜けるトンネルです。北海道新幹線のように、アナウンスが流れるわけでもなく、気がついたらそこはもうイギリスという感じでしょうか。

IMG_1103到着したのは、ロンドン市内でも東のほうにあるセント・パンクラス・インターナショナル駅。ラグビーW杯の観戦で2年前に訪れたとき、のべ8泊(後半の5泊は帯状疱疹で入院状態でしたが)もしたホテルのすぐ近くなので、なんだかなつかしい感じがします。

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今回はそのとき、いつも前を通り過ぎながら感心していた、ヴィクトリア様式の古めかしい建物のホテルに4泊。セントパンクラスの駅に隣接しており、最初にステーションホテルとして建てられてから140年ほど経過しているといいます。1935年のホテル廃業後は、第2次世界大戦中に3度も空襲に遭ったのだとか。老朽化がいちじるしく、結局、1990年代半ばまでずっと放置されていたそうです。その間は映画やテレビドラマのロケに使われなどしながらかろうじて命脈を保ってきましたが、2007年、「ユーロスター」の発着駅に決まったことで、その運命が大きく変わりました。

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IMG_1357どこかの国の事業家がこの建物を買収し内部を大改装、新しいホテルに生まれ変わらせたのです。バーとレストランはもともと、旧セントパンクラス駅の切符売り場だったスペース。内部の梁や柱も昔のままで、それが全体の中でみごとに調和しています。古き時代の豪華絢爛な内装を生かした旧館は目の玉が飛び出るような宿泊費を取りますが、私たちが予約しておいた新館のほうは、大改装に併せて増築した部分なので、値段も手が出る範囲。部屋は広く、快適に過ごせそうです。

車イスに乗っての海外旅行を初体験

2017年8月2日

羽田からANAでパリに。半月ほど前に膝を痛め、まだ歩行に不自由をきたしている家人のため、4回乗る予定の飛行機すべて、航空会社に車イスを手配してもらいました。羽田では、チェックインを済ませたところから飛行機に乗るまで、係員がずっと車イスを押してくれます。乗るときもいわゆる「事前改札」で、たくさん並んでいるお客さんより先に機内に。家人だけでなく、介添え役の私も一緒にです。だれもまだ乗っていない飛行機の中に入るという経験を初めてさせてもらいました。座席も、トイレに行くのになるべく短い距離で済むよう配慮してくれるなど、そうした立場にある人のことを初めて実感。でも、膝以外はいたって元気で、なんだか申し訳ない気も……。

ただ、乗ってしまえばほかの乗客と待遇はまったく変わりません。逆に、降りるときはいちばん最後。蛇腹を通り抜け飛行機から1歩出たところに現地の係員が車イスを用意して待っています。家人はそれにすわり、入国手続きのブースがずらっと並ぶエリアに。しかし、ここでも車イスに乗っている人は別ルートで、長い時間並ばずに済みます。

そこを通り抜けると、次は、こんなところにあるんだというような場所にある特別のエレベーターで、バゲージクレームまで移動。私が2つのスーツケースを受け取りカートに積むと、最後はタクシー乗り場まで連れていってくれました。すぐにでもタクシーに乗せそうだったので、「すみません、とりあえずタバコを一服」とわがままを聞いてもらい、そこでお別れしましたが、体が不自由な乗客に対するケアと移動の仕組みがよくわかりました。

IMG_1285ホテルに着き荷ほどきを済ませると、いい時間になっていたので夕食を摂りに。といっても、杖をつきながらの家人と一緒ですから、あっちこっち探し歩くわけにはいきません。そこで、決め打ちというか、歩いて10分の範囲内で見つけようと。すると、何年か前、ブリュッセルで食べたムール貝のおいしいレストランの支店が! 迷わずその店に入りました。味は本店より若干劣るものの、文句は言えません。さあ、明日から、杖をついた家人との旅はどうなるのでしょうか。

 

 

 

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レゴランドは中国人観光客でもっている(?)

2017年7月25日

私たち夫婦、娘と2人の子ども(=私たちにとっては孫)、合計5人で名古屋のレゴランドに行ってきました。かつてイタリア村という施設があった跡に作られたのですが、オープンしてまだ半年も経っていないというのに、客の入りはいまひとつだといいます。入場料が高い、アトラクションが貧困、食べ物が高いなど、さまざまな原因が指摘されているようですが、いまひとつ“突き抜けた感じ”していない感じがしました。

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もともとがデンマークという、ある意味成熟しきった国から生まれたもの娯楽施設ですから、本質的なコンセプトがそうそう簡単に変わるわけもありません。そのあたりが日本人にもう一歩フィットしないのではないかという気がします。

 

それと、名古屋・愛知県の場合、まわりの人が行かないと、みずから先頭を切ってまで行こうとしない気質・県民性があります。これは2005年の愛知万博でとっくに実証済みのはずなのですが、レゴランドをこの地に持ち込んだ企業も人も、そのあたりに思いが及んでいなかったようです。放っておけばまだまだ時間がかかるのはまちがいないでしょう。

 

割引をするとか営業時間を延ばすとかしても、それが客足に大きく影響することはありません。たくさんのお客に来てもらうには、「オレたちもよー、行かんといかんて(=私たちも行かなくちゃいけない→遅れていると思われる・バカにされる……)」といった気持ちにさせないと、この地の人は足を運んでくれないのです。逆に、まわりが行き始めると、それこそ我も我もという感じで足を運ぶようになります。

 

日本の小中学校も夏休みだというのに、客の3分の2は中国人でした。台湾か大陸かははっきりしませんが、とにかく、聞こえてくるのは中国語がほとんど。「USJ、レゴランド(NRLというかどうか知りませんが)、TDLを一挙制覇する旅」とかいうのがあり、それで来ているのかもしれません。

 

IMG_11222人の孫たちはそれぞれ喜んでいました。下の孫は、新幹線に乗れたのが最高にうれしかったようです。それにしても、蒸し暑い1日でした。港のすぐ近くで、海からの風がもっとさわやかに吹き抜けるかと期待していたのですが……。

 

自民党よりひどい負け方をしたサンウルブズ

2017年7月3日

今朝はどの新聞、どこのテレビも、「都議選 自民が大惨敗!」のニュース一色。でも、その陰で、スポーツ欄の「サンウルブズ94失点」という記事が目に止まりました。試合があったのは日本時間の2日未明で、新聞報道は3日の朝刊になってしまいますが、とりあえず結果だけは知っていたので、どんな記事が出るのか注目していたのです。

朝日は10行ほどのベタ記事、日刊スポーツも2段の扱いでしたが、なぜか日経が4段も割いていました。ここ2、3年、日経のスポーツ欄はとても充実しています。今朝の記事は共同の配信でしたが、スポーツ紙より多くのスペースを割いていたのに感心させられます。

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記事は試合経過だけでなく、「スクラムで圧倒された」「防御ももろく」など、敗因を的確に分析。また、「プレッシャーが強く、どこか弱気なプレーでミスが多くなった」という若手FW・金正奎のコメントを引きつつ、「代表強化を掲げるチームは選手層拡大のため、主力選手の休養時には若手に経験を積ませている」と。25歳の金は、体は小さいながらもかなりのレベルを行っていますが、今季12勝1敗のライオンズにはまったく歯が立たなかったということでしょう。選手層の薄さが、これまでで最大の失点=94点(14トライ)という屈辱的なスコアになってしまいました。JSPORTSでの再放送も、とても観る気にはなれません。

先週のアイルランドとのテストマッチも、いかんともしがたい地力の差を感じましたが、今週はなんだかそれ以上の絶望感に襲われた私。あと2年間でどこまでその差を縮めることができるのか、どうにも心配です。

ちぐはぐ、イライラ──でも、それが地力の差

2017年6月24日

調布の味の素スタジアム。今日は、2年後のW杯予選プールで同じ組に入るアイルランドとのテストマッチ第2戦です。そのプール分けをした際、アイルランドとスコットランドの2カ国だけは決まっていて、残りの2カ国はもうしばらく経ってからになります。たぶんルーマニアと、南太平洋のどこかといった感じでしょうが、早くも「これなら行ける」などと言っている人もいるようです。

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IMG_1035★先々週は“仮想敵国”ルーマニアに勝ちました。でも、先週のアイルランドとの第1戦はボロボロ。前半を終わって31対3でしたか、スマホでその情報を知ったときは「やっぱりなぁ」とガックリ。それでも、1週間後の今日はメンバーも大幅に入れ替わり、多少は期待を持たせます。

しかし、しかし。開始3分で早くもトライを取られてしまいました。それも取られ方が悪いんですね。パスをインターセプト気味にカットされ、そのまま60mほど走られてでした。油断もスキもないと言ってしまえばそれまでですが、このパターン、JAPANに多いのです(サンウルブズよりは多少ましではありますが)。

その5分後、日本サイド25mライン中央付近から右に展開しキック、それをキャッチしたアイルランドがそのまま右隅に飛び込んでトライ。ようやく24分、中央から走ったロックのヘルが、タックルされながらも7、8メートル相手を引きずって(これは迫力ありました!)ゴールライン近くまで持ち込み、そこから右に展開し、最後は松島が右隅にトライ。前半は8対28でした。

後半は世界ランキング3位のアイルランドとほぼ互角の戦い。前半もそうでしたが、この日はディフェンスが冴えていました。敵の足もとに1人がタックルすると、上半身にも1人と、粘っこさを感じさせます。でも、オフェンスがどうにももたもたしていて、切れが感じられません。それと、ハンドリングのミスも目立ちました。

DSC02610★主力メンバーがちょうど同じタイミングでNZに遠征している「ブリティッシュ&アイルランド・ライオンズ」のほうに取られているため、来日しているのは“1・5軍”です。しかも、気象条件は日本のほうが有利。試合の時間帯もなぜかいちばん暑い日中で、前半からもう少し健闘してくれてもいいはずなのですが……。

 

 

 

IMG_1042★これでアイルランドとのテストマッチは1985年以来9連敗。この秋、フランスやオーストラリとのテストマッチが予定されていますが、このクラスと戦うときはイージーミスや無用なペナルティーは許されないのです。もちろん、選手もコーチもそんなことは百も承知でしょう。でも、ナショナルチームとしての“歴史的な実力差”を少しでも埋めようとするには、「いま」を濃密に戦うしかありません。2年や3年で100年近い差を詰めることなど、土台無理な話ですから。がんばれ、JAPAN!!

 

 

 

鎌倉文学館のバラは一見の価値ありです

2017年6月17日

高校時代の仲間と、3月の台湾に続いての「修学旅行」。今日と明日の1泊2日ですが、ちょうどアジサイの季節で、鎌倉の町は人、人、人。池袋から乗った湘南新宿ライン逗子行きの電車が北鎌倉駅に停車したときは、それより1本前の電車から降りた客が改札をまだ出きっておらず、ホーム上に行列を作っていました。

集合が鎌倉駅だったのは大正解で、こちらはまだそれほど混雑していません。しかし、前夜からYくんの別邸に泊まり込んでいた4人は江ノ島駅で電車(江ノ電)を3本ほど待ったとのことで、15分ほど遅れて到着。江ノ電は車両も小さいし、4両編成ですからね……。

DSC02520★さて、7人全員がうちそろったところで、まずは長谷の大仏(高徳院)まで歩きます。国宝であることは、今回初めて知りました。前回鎌倉に来たときはちょう工事中で見られなかったものですから。歩くこと30分弱。高校2年のときの修学旅行以来なんと50年ぶりで大仏とご対面。NHKの『ぶらタモリ』でも取り上げられていましたが、鎌倉の大仏はもともと大きな大仏殿の中に収まっていたといいます。その痕跡(土台石)が、大仏の周りに何カ所か残されていて、一同納得。結局、大仏殿があったのは、完成(1252年が定説らしい)から250年ほどの間だけだったのですね。その間、地震で壊れるたびに再建したものの、とうとうあきらめ、いまと同じ野ざらしの状態になったようです。

大仏をあとにし、次の目的地・鎌倉文学館に行く途中で昼食を済ませました。昼を過ぎるころから町を歩く人の数もどんどん増えてきます。メインの道筋からちょっと引っ込んだ場所にある文学館の入口は、味わいのある石組みの門。坂を少し昇ったところに建つ建物はもともと加賀前田氏15代当主・利嗣の別邸だったそうです。最初は和風建築でしたが、関東大震災で倒壊してしまったため、1936年にいまの洋館が完成。

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周りが小高い丘に囲まれ、木々を背にして立つ建物の姿が際立っています。建築物としても美しく、洋風の庭園も立派で、鎌倉の海が見渡せます。その南側にあるバラ園は、それほど広いわけではありません(600㎡)が、美しい花を咲かせていました。6月半ばという時期は、春のさまざまなバラが咲き誇るタイミングでもありますし。多種多様なアジサイもきれいでしたよ。

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人の出もそれほどではなく、芝生の上で横になる者、木蔭でコーヒーを飲む者などめいめい落ち着いたひとときを過ごし、次の目的地に向かったのは3時半過ぎ。さらに20分ほど歩き、海沿いに建つアジサイの名所・成就院へ。ただ、なぜかアジサイの花は咲いておらず、由比ガ浜の海岸を展望しただけで終わり。海岸近くの酒屋まで歩き、夜の宴会用にと酒やらつまみの類を大量に買い込みます。

DSC02580★荷物を置きにいったんYくんの別邸まで移動し、6時過ぎから七里ガ浜の人気イタリアンレストランで大晩餐会。目の前が海という最高のロケーションですから、まわりのテーブルはすべていい雰囲気のカップルばかり。そうした中で、66~67歳のおやじ7人が飲みまくり・食べまくりですから、その夜この店でデートしていたカップルには「なにー、これ!」と思われたかも。でも、こちらはなんと半月も前に予約していたのですから、堂々たるものです。まあ、常軌を逸した呵々大笑は遠慮しましたが。

ガトリンを観に行ってきました

2017年5月21日

川崎にある等々力競技場に初めて行きました。「セイコーゴールデングランプリ陸上」の観戦で、アメリカのジャスティン・ガトリン(男子100m)が見られるというので、けっこう派手に宣伝していました。

今年35歳のガトリンは“悲劇の主人公”的なアメリカのアスリート。2004年のアテネで金メダル、2005年のヘルシンキ世界陸上では100・200で優勝。ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が出現する前はまさに短距離界の王者でした。ドーピング検査でひっかかり、出場停止処分を過去2回受けていますが、2012年のロンドン五輪では100で銅メダル。4×100リレーでも2位でしたが、このときはタイソン・ゲイがドーピングでひっかかりメダル剥奪。

2013年のモスクワ世界陸上、100mで銀メダル。2015の北京世界陸上は100・200でともに2位。2016年のリオ五輪でも2位(200は準決勝で敗退)。ひとつ上にいたのはいつもボルトです。

朝から猛烈な暑さで、私も家人もなんだかぼーっとしている感じ。池袋から武蔵小杉までは湘南新宿ラインであっという間に着いたのですが、競技場まで行くバス乗り場えらくっといのです。北口と南口がえらく離れていたため、構内を10分近く歩いたでしょうか、やっとという感じでバスに乗り到着。

DSC02497ところがチケットを家に置き忘れてきたようです。「せっかくいい席のチケットを買ったのに!」。でも、だからと言って帰るわけにはいきません。仕方なく、当日・自由席券を買って入りました。ギラギラの太陽光の直射もなく、まあまあの席だったのは皮肉でしたが。

 

 

DSC02502★さて、ガトリンを迎え撃つのはケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、アブドゥルハキム・サニブラウン(今年の秋からフロリダ大学)の日本期待の若手3人。桐生祥秀(東洋大)と山縣亮太(セイコー)の姿はありません。結果はリオ銀メダルのガトリンが10秒31で1位。飛鳥は100分の3秒差の2着でした。サニブラウンはスタートで出遅れ、10秒42で4位でした。

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10秒35で3位に入った多田はレース後、ガトリンから「素晴らしいスタートを切った男がいて、驚いた」と褒められたそうです。

もう一つ、見てよかったのは男子400mハードルの安部孝駿(デサントTC)。世界陸上参加標準記録(49秒35)を上回る49秒20で走りました(2位)。これまでのベストが49秒台後半でしたから、これは期待できます。男子ヤリ投げの新井涼平はいいところなし。世界陸上、大丈夫でしょうか。

大関になりそうな髙安

2017年5月18日

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久しぶりの大相撲観戦。稀勢の里人気で、ここのところチケットがなかなか取れないのですが、あちこちツテをたどってお願いし、キャンセルになった今日のペア・マス券をGET! 稀勢の里の土俵入りも、まだキャリア不足の感は否めないものの見ることができました。

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DSC02488家人とともに私がひいきにしている嘉風は、ここのところ力をつけてきた関脇・玉鷲に押し出しで敗れましたが、今場所の注目は関脇・髙安。ここ2場所続けて素晴らしい成績を残しており、今場所11勝をあげれば大関昇進間違いなしというところまでやってきました。人気先行気味の遠藤に寄り切りで勝ち、場内は大歓声。どうやら大関は大丈夫でしょう。

 

終わったあと、国技館近くにある話題の和菓子屋さんに立ち寄り、人気商品の「力士もなか」を買って帰りました。

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