2017年8月10日
さて、ダブリンを出て、今日はアイルランド中央部を西に移動。大西洋岸にある港町ゴールウェー(Galway)をめざし、およそ200キロのドライブです。最初に立ち寄ったのがキルデア(kildea)という町にある「アイリッシュ・ナショナル・スタッド」。国立種牡馬育成所といった意味でしょうか。
ここはもともと牧場で、造られたのは1900年。その後イギリス政府に寄贈され、さらにアイルランド政府の所有となったそうです。日本にもこの種の施設はあるのかもしれませんが、これほど広大で、ここまで美しく整備されているのを見ると、さすが競馬先進国といった感じがします。
入口のチケット売場をはさみ、牧場と反対側に「日本庭園」が。順路に沿って歩いていくと、それぞれ「誕生の洞窟」とか「学びの丘」「喜びととまどいの島(結婚)」、「志の丘」という名の急な坂道、「平和と安らぎの園」、そして最後は「来世への入口」など、ポイントごとにユニークな名前がつけられています。東京の我が家の近くにある有名な「哲学堂公園」を思わせるコンセプトには驚きました。
最初に牧場を作ったウィリアム・ホール・ウォーカー卿と日本人庭師の飯田三郎、その息子ミノル・イイダが力を合わせ、1906から10年にかけて作ったものだそうです。えらく凝った設計とその造園技術の素晴らしさに、ヨーロッパにある日本庭園の最高傑作と言われるのもよくわかる気がしました。
園内のカフェで軽い昼食を済ませ、次の目的地アスロン(Athlon)へ。かつてはアイルランド中央部にある交通の要衝だったそうですが、それもむべなるかなと思わせる大変な数の人が訪れていました。道路も大渋滞。ここでは城の外観を見るだけにとどめ、すぐ近くの「クロンマクノイズ(Chronmacnoise)」を訪れます。
シャノン川沿いの小高い丘に、はるか昔に廃墟となった教会があるのですが、見上げるほどに高い円塔、壊れかけて久しい大聖堂、ケルト十字のお墓などがみごとなまでに並んでいました。いまでもこの地は墓地として続いているようで、新しいお墓もあります。それがこの国の長い歴史を感じさせるのですが、興味深かったのはキリスト教寺院の大聖堂の構造。これはキホンどこの国でも同じなのですね(もちろん、規模の大小はありますが)。ここの教会の大聖堂ははるか昔に壊れてしまったのですが、いまでも外壁と内部の一部は昔の姿をとどめています。そうしたことに思いを致しつつ感動にふけったあと、近くの有名なシャノンブリッジ(Shanonn Bridge)を渡って、ゴールウェイをめざします。
6時前にホテル到着したときはお腹がペコペコ。レストランの数は豊富なのですが、時間が悪かったせいか、どの店も皆、30分以上待たないと入れないとのこと。仕方なく、ホテルの帰り道で見つけた日本料理店に。小さな店でしたが、揚げ出し豆腐やらだし巻き卵、焼き鳥やらを食べることができました。2日続きの日本メシですが、疲れているときはありがたいですね。それにしても、この街の喧騒はすさまじいばかり。何が人気なのかよくわかりませんが、まっすぐ歩くのも大変なほど人でにぎわっていました。