投稿者「edit-house」のアーカイブ

桜と富士を堪能した研修旅行

2018年3月25日
予想以上に早く桜が咲き、今日あたりは関東地方から西はどこも皆、満開かその寸前といった感じのようです。朝から素晴らしい天気で、絶好の花見日和ですが、今日の私はまる1日かけての研修。西伊豆は沼津市戸田【へだ】の「造船郷土資料博物館」と韮山(伊豆の国市)の「江川邸(江川家住宅邸)」を訪問・見学するバスツアーです。主催は私も役員を務めているNPO法人「日ロ創幸会」。

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前者は、幕末その地で日本初の洋式帆船が造られたことにちなんだもの。1854年、日本との国交樹立交渉のため伊豆半島南端の下田港に停泊していたロシアの帆船「ディアナ号」(艦長はプチャーチン)が、折からこの地を襲った安政の大地震で船底と舵を破損してしまいました。戸田の港で船を修理することになり、伊豆半島西の沖合を航行中、こんどは嵐に遭い、富士川河口近くまで流されます。戸田の漁民たちが多くの小舟を出し、ディアナ号を戸田まで曳航する一方で、500人ほどの乗組員は、現在の富士市から陸路で戸田まで移動。しかし、またもや強風に襲われ、最後は駿河湾のもくずと消えてしまいました。

そこで、プチャーチン一行がロシアに帰国するための船を新たに造ることになったのですが、当時の日本に、洋式の帆船を造る技術などありません。船造りを仰せつかった韮山代官の江川太郎左衛門英龍は、近在の船大工を総動員、ディアナ号からかろうじて運び出されていた船の設計図をもとに、ロシア人技術者と協力しながら、わずか3カ月で排水量100トンという本格的な帆船をみごとに造り上げました。

プチャーチンはその船に「ヘダ号」と命名、それに乗ってロシア人の一行は無事帰国したのですが、同じタイプの帆船をその年さらに6隻造り、江戸幕府に納めたそうです。このとき建造にたずさわった船大工たちがその後、江戸や長崎など全国各地で指導にあたったといいます。いうならば、戸田は近代造船技術始まりの地というわけですが、そうした経緯をボランティアのガイドさんから学ばせていただきました。

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今日は、朝、東京を出て東名高速を走っているときから、窓の外には次から次へ満開の桜が見えましたが、途中からそれに富士山の姿が加わりました。ちょうど3月21日に全国を寒波が襲った際、富士山の頂上付近にも雪が降り真っ白になったこともあって、どこを走っていても目立つのです。桜と富士の“そろい踏み”ですから、日本人の血が騒がないわけがありません。バスの中ではずっとハイテンションで、戸田をあとにしてからはさらにヒートアップ。誰もが、日本人が前人未到の帆船造りにチャレンジし成功したのを、同じ日本人として誇らしく思えたからでしょう。

次の目的地・韮山の「江川邸」も、庭の桜が満開。築後800年を超えるという江川家の36代当主が、戸田で造船の指揮にあたった江川太郎左衛門英龍です。鎌倉時代に日蓮みずからが書したという曼荼羅が収められた棟札箱が、屋根裏に安置されていました。ボランティアガイドさんの説明によると、その棟札があったおかげで、この屋敷は今日まで一度も火災に遭わず、地震で倒壊することもなかったとのこと。この話は江戸時代すでに広く知られていたそうです。

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それにしても、伊豆半島というのは、どこにいても富士山がよく見えます。この日はとにかく好天で、最後の最後まで富士の姿を観ながらの研修ツアーになりました。参加者の心がけがよほどよかったのでしょうね。もちろん、私もその一人ですよ、エヘン!

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体力が要る(!?)BEGINのコンサート

 

2018年3月22日
四半世紀以上前に一度だけ入ったことがある東京・渋谷のNHKホールでBEGINのコンサートがありました。ちょうど2年ぶり、通算6回目ですが、相変わらずの人気で、子どもから70歳をとうに過ぎていそうなおじい・おばあまで、幅広い年齢層のファンが場内を埋め尽くしています。

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最近のBEGINは、私たちになじみ深い彼ら自身のヒット曲もさることながら、「マルシャ」がメインといってもいいほど。この日も第2部は全編「マルシャ」で、私たちは1時間半ずっと立ちっぱなし、というか踊りっぱなし。

ブラジルの「サンバ」の起源という「マルシャ」は2拍子。勘のいい人なら、「マルシャって、英語のマーチ(march)=行進のことじゃないの?」と想像されるでしょうが、そのとおりで、「march」はポルトガル語(ブラジル語)」で「marcha(マルシャ)」です。行進曲と同じ2拍子なので親しみやすく、聞いているだけで自然に体が動きます。たしかに、リオのカーニバルでも流れているのはこのリズムでした。

聴衆全員が席を立ち、BEGINの奏でる内外の名曲メドレー(それがすべて「マルシャ」アレンジ)に合わせて体を動かします。途中ほとんど休みもなく、「ランナーズハイ」にも似た感じで、とても心地がよく、体にもよさそう。でも、これほど体力が要る(?)コンサートはBEGINくらいのものでしょうね。

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなんだ」

2018年3月16日
5パーセントの奇跡

この4日間で3本目の映画です。今日は『5パーセントの奇跡~嘘から始まる素敵な人生~』を観ました。

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなんだ」。主人公サリヤ・カハヴァッテが「ブッダ(釈迦)の言葉」と紹介するこの台詞で映画は始まります。後味がいいというか、なんともさわやかな作品で、感動しました。ちょうど、ピョンチャンでパラリンピック冬季大会がおこなわれていることとも重なっていたのも影響しているかもしれません。そう、主人公は障碍者なのです。

 

 

映画は、ドイツで実際にあった話に基づいて作られたようです。サリヤはスリランカ人の父親とドイツ人の母親を持つハーフ。彼が自身の体験を、本に書いたのが10年ほど前で、釈迦の言葉を引き合いに出しているのは、敬虔な仏教徒だからです。

高校卒業の直前、網膜剥離で5%の視力しかなくなってしまったサリヤは、5つ星ホテルに勤めたいという夢を実現するため、視覚に障碍があることを隠し(=嘘をついて)、ミュンヘンの超一流ホテルの研修生に応募します。首尾よく採用されたところから、研修(インターン)期間を終え、その修了試験を受けるまでの顛末【てんまつ】を描いたもの。

同じ「嘘」が素材でも、3日前に観た『嘘八百』という日本映画とは比べものにならないくらい、脚本がよくできていました。私の好きな、”こうなってほしい映画”そのものといえます。撮影に使われていた超一流ホテルが、昨年秋ミュンヘンを訪れたとき、ガイドさんが教えてくれた「シュヴァイツァーホフ(Schweizerhof)」だったのも、作品に親しみを感じた理由の一つでしょう。

この映画の宣伝チラシにも「幸福とは、結果ではなく、夢を諦めずに苦しみながら進んだ人生そのもの」とありますが、それは冒頭の「ブッダの言葉」とみごとに重なりました。予告編がまだネットで見られるようですので、時間があったらチェックしてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=XA_bDKjOEVk

エンドロールのカットに、この実話の主であるサリヤ・カラヴァッテ本人が顔を見せているのに気づきました。彼はあるラジオ放送のインタビューで「人生のモットー」を問われ、これまた釈迦の言葉だとして “The only constant in the world is change.”と答えています。この映画のヒットによって、さらに大きな「変化」を経験することになるかもしれません。

 

IMG_3549それにしても、この作品を上映していた桜坂劇場は、那覇でも不思議なエリアの一角にあります。昭和40年代の匂いをまだ色濃く残しているこの界隈にも再開発の波が押し寄せており、つい2、3年前にはアメリカ系の高級ホテル「Hyatt Regency」が開業しましたし、こじゃれたフレンチレストランもちらほら。でも、桜坂劇場のすぐ近くにはその手がまだ及んでいません。

 

IMG_3550それがはっきり感じられるのが劇場の真ん前にある駐車場。いまどきの「100駐」ではありません。小屋のような建物があって、そこに「管理者不在の場合は 備付けの封筒に車両番号と駐車時間を記入し 封筒に500円を入れ(おりまげ)投入口に入れてください」と書かれた掲示があったりします。東京のような、殺伐とした都会では考えもつかないチョーのんびりした話で、このゆるさが沖縄の魅力なのですね。

1日で春・夏・秋をいっぺんに体験!

2018年3月14日
沖縄ならではの贅沢をしました。1日で春・夏・秋をいっぺんに体験したのです。春はツツジ、夏はひまわり、秋はコスモスです。

今日のメインの目的地は北東部の東村【ひがしそん】。東村までは首里からたっぷり2時間はかかります。途中の宜野座【ぎのざ】までは高速道路が走っているのですが、そこから先は一般道。宜野座と東村のちょうど中間あたりでランチタイムとなり、目に入ってきた「わんさか大浦」という、道の駅っぽいところに入りました。

その直前で通り過ぎたのが、あの辺野古【へのこ】です。宜野座と東村にはさまれたあたりの海岸に名護市辺野古はあります。本島北部の中心都市・名護の市域は西海岸から東海岸にわたっていることを初めて知りました。東海岸は西海岸と違って、人の手があまり入っていません。とくに北部は自然がほとんど残っているため、辺野古から大浦湾にかけては、美しい砂浜、海岸のすぐ近くまで迫る緑に覆われた山々など、素晴らしい環境に恵まれています。

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それにしても、こんなところに、しかも海をわざわざ埋め立ててまで基地を作ろうなどと、よく考えついたものです。沖縄県と国との間で工事差し止めをめぐって裁判になっているのもよくわかります。道路のあちこちに「行ってみよう! 辺野古に」と染め抜かれた旗や手書きのポスターが見えましたが、たしかに、実際自分の目で見ると、そうした気持ちがよくわかります。

「わんさか大浦」の駐車場には、なんとコスモスが咲いていました。さすが沖縄です。そこに行くまでの道すがら、昨年もこのブログで紹介した「イッペー」の黄色い花をあちこちで見ました。こちらは春の花なのですが、コスモスは秋の花。それが同じ時間帯・同じ空間で見られるのはやはり自然の恵みでしょう。

IMG_E3504 イッペー

その食堂でおいしいゴーヤチャンプル、沖縄そばを食べ、再び海岸に沿って走ります。目的地の「東村・村民の森」には1時半ごろ到着。この時期は「つつじ祭り」が開催されており、「村民の森」がある丘は丸ごとツツジに覆われています。いまから40年ほど前、当時の村長だった宮里金次が音頭を取って整備したのだそうです。宮里金次はかの宮里藍・宮里優作兄弟の叔父にあたる人物なのだとか。沖縄本島東北部の無名の村だった東村を盛り上げようと、5年間かけて「村民の森」を整備したと碑文に書かれていました。と同時にパイナップルの栽培にも力を注ぎ、いまでは日本一の生産地になっているようです。

IMG_E35393月前半の土・日は大々的なイベントもあり、村人たちが総出でおもてなし。今日は平日でしたが、それでもかなりの人がやってきていました。

 

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帰り道、北中城【きたなかぐすく】、観に行くことに。一般人の所有する畑にひまわりがびっしり植わっていました。脇に車を止め観にいってみると、観光客の姿が。私たちと同じく、ネットでその情報をキャッチし、訪れたのでしょうね。

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久しぶりに京都でお楽しみ

  2018年3月9日
年に何回か仕事で訪れる京都ですが、いつもトンボ帰りばかり。でも、たまには京都らしいものも見たい、味わいたいと、今回は早めに現地に移動し、二条城を訪れてみました。なぜか、これまで一度も行ったことがないのです。

京都の駅に降り立つと、やはり寒い! 底冷えの町ですから致し方ありません。タクシーの運転手さんに言わせると、「京都は住むとこじゃおまへん。観光するとこだす」なのですが、二条城はさらに寒かったです。ちょうど雨も降り始めたところだったせいもあります。

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IMG_E3480それでも、さすが世界遺産、二条城にはたくさんの人がやって来ていました。早めにクローズする二の丸御殿から先にということで、中に入ります。土足はNGなので、入り口で靴を脱ぐのですが、これでよけい寒さが募ります。二条城も、外国のこの種の宮殿も、その空間はすさまじく広いのですが、二条城は木造の日本家屋。外の空気がほとんどもろに入ってくるので、ヨーロッパの石造りの建物とはまったく違い、中に長くいると寒くて寒くて……。しかも、床のほとんどは木ですから、靴を脱いだ足に下から冷気がどんどん伝わってきて、長い時間歩いているともう我慢できなくなります。

 

結局、建物の中にいたのは1時間足らず。あとは庭園のまわりや門を見て回りましたが、2時間ほど経った頃には体の芯まで冷え切った感じです。こうなると食べ物で体を温めるしかありません。というわけで、夜は鴨川べりにある店で鶏の水炊きを食しました。店を出る頃には体も心もホコホコ(ふところのほうは少し寒くなりましたが)、気分よくホテルに戻りました。

2戦目の「サンウルブズ」は……

2018年3月3日
開幕戦よりさらに観客が減った(11181人)第2戦。今日の相手はメルボルンからやってきたレベルズです。日本代表のFWアマナキ・レレィ・マフィー(トンガ出身)が所属しているチームですが、対戦は1年目の第3戦以来。このときは9対35で敗れています。さて、今年はどうでしょうか。少しでもスコアを縮めることができるか、楽しみにしながら観に行ってきました。結果は、残念ながら17対37で負け。

今日の試合は、緒戦とメンバーがかなり変わったものの、同じチームなのかと目を疑いたくなるくらい、アタックのレベルが落っこちていました。前半のトライは、サンウルブズあるいは日本代表がよく喫するインターセプトからのトライ。見ていていちばんしらけるというか、情けない(今日は逆で、ラッキー!)と思えるトライです。しかし、その後は攻撃がまったくと言っていいほどつながりません。それでもなんとか10対10のタイで前半を折り返します。

しかし後半になると、開始12分ほどの間に立て続けに3本もトライを奪われるなど、泣きたくなる展開に。また、前半から引き続きケガ人が続出、3選手が脳震盪の疑い(HIA=Head Injury Assessment)で一時退場したのですが、結局全員そのまま復帰できず、交代となってしまいました。うち一人は、私たちが昨年チリのサンチアゴ空港で一緒に写真を撮ってもらったサム・ワイクス(ロック)、もう一人は家人が好きな山田章仁(ウィング)で、この先が心配です。

とにかくノックオンは多いし、スクラムは不安定。ひどかったのはラインアウトで、マイボールを奪われることもしばしば。こうまでボロボロでは勝てるわけがありません。こんな状態で来週から南アフリカに遠征するのですが、片目が開くのはいつになるのでしょうか。

「熊楠」の次は「熊谷」!?

2018年3月2日
私の住む東京・豊島区に「熊谷守一美術館」という、小さな美術館があります。もともと熊谷の自宅だった家を建て替え私設美術館としてオープン(館長は次女の熊谷榧)しましたが、2007年11月から豊島区立となったそうです。住宅街のただ中にあるので地味な感じがしますが、彼のファンがあちこちから訪れているようで、以前から気に懸かっていました。

今年はその熊谷守一没後40年。それにちなんで、『熊谷守一 生きるよろこび』と銘打たれた展覧会が竹橋の「東京国立近代美術館」でおこなわれているというので、足を運んでみることに。

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広い会場には、驚くほど多くの人が来ていました。展示点数も200近く、東京美術学校時代から亡くなる直前まで、ほとんど全作品が網羅されていたようです。客の数もかなりのもので、こういう場にいると、私たちの世代はホント元気で活動的なんだなと、つくずく感じます。

 

 

IMG_1776「明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られ……特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています」と「西洋近代美術館」のwebサイトにもありますが、初期の陰鬱で暗い作品群とは真逆と言ってよい、晩年の明るく楽しい作品が数多く展示されていました。もともと理科系的な頭脳の持ち主だったようですが、年老いるにつれて、シンプルながら緻密に計算された、それでいてほのぼのとした雰囲気もただよう絵を描いた熊谷守一。めっぽう若い感性の持ち主だったことが想像できます。若い女性にウケているのも、それが理由でしょう。

 

好奇心をかき立てられた「南方熊楠展」

2018年2月25日
『南方熊楠【みなかたくまぐす】展──100年早く生まれた智の人』にやっと行けました。今週いっぱいで終わりなので、滑り込みセーフといったところでしょうか。

場所は上野の「国立科学博物館」。先日、二人の孫を連れて行ったばかりです(65歳以上は入場無料というのがありがたい)。世界中どこの美術館・博物館でもシニアは優遇されていますが、「無料」というのはなかなかありません。

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それほど広いスペースでないこともあってでしょう、けっこう混み合っていました。しかも、若い人の姿が目立ちます。来館者のほとんどがそれこそシニア世代ではないかと予想していたので、これは意外でした。そもそも南方熊楠という人物自体、それほど広く知られた存在ではないと思いますし。

熊楠は和歌山県の田辺生まれなので、私の父方とルーツが同じです。田辺にはこれまで二度行ったことがあります(実はもう一度行ってはいるのですが、それは広域合併で田辺市に編入された熊野エリア)。旧田辺市内にある立派な「顕彰館」にも行けていません。こちらは2005年7月にオープンしたのだそうで、その約1年後には、南方熊楠旧邸も、実際に住んでいた当時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修されたといいます。それとは別に、1965年に白浜町にも「記念館」が作られており、同じ地域に二つの施設が競合する形になっています。

博物学の大家として世に知られる南方熊楠は「子供の頃から驚異的な記憶力を持つ神童だった」と言われる人物。数日間で100冊を越える本を読み、そこに書かれていた内容を、家に帰って書写するという超人的能力を持っていたようですから、ハンパじゃありません。東大予備門を中退後、19歳から約14年間、アメリカ、イギリスなどに留学、さまざまな言語で書かれた文献を読み込み、それを克明にメモしていったといいます。植物、とくにキノコ類にめっぽう詳しかったようですが、人文科学にも精通井し、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な存在でもあります。

いわゆる学術論文はほとんど書いていませんし、官職に就いたこともないものの、昭和天皇にもご進講(1929年)するなど、その力量は高く評価されていました。ご進講自体、昭和天皇ご自身が望まれたようで、「聖上田辺へ伊豆大島より直ちに入らせらる御目的は、主として神島及び熊楠にある由にて」と、軍令部長にご自身の所信を書かせたとのこと。1962年、和歌山を33年ぶりにご訪問された昭和天皇は、神島(かしま=田辺湾沖合の島)を目にしながら、「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠んだそうです。

しかし、数年前、こんな話を聞きました。明治時代半ばごろ、政府が実施しようとした神社合祀政策に、思いもよらない角度から異を唱え、最後はその主張が受け入れられたというのです。熊楠の主張の根拠が、田辺の沖合に浮かぶ神島の話。神島には多種多様な照葉植物が自生していましたが、神社合祀によってこの島唯一の神島神社もなくなることが明らかになりました。神社がなくなれば、森林は自由に伐採できるようになり、植生が失われてしまいます。それを知った熊楠は、生物学的見地からその保護を主張、東京大学教授・松村任三と貴族院書記長官・柳田國男にも書簡を送り訴えます。そして、最終的には天然記念物に指定されることになったそうです。生物学などまったくの門外漢である私は、熊楠についてもさほど関心がありませんでしたが、それがきっかけで深い興味を抱くようになりました。

今回の展示を見て知ったのは、熊楠の関心が途方もなく広範囲にわたっていること。ここまで……と思うほど、あれやこれや、ほとんどどんなテーマについても自身の考えを、きちんとした調査に基づいて披歴していることです。インターネットも何もなかった時代によくぞと言いたくなるくらい圧倒的な量の情報が熊楠の頭の中には収まっていたのでしょう。「顕彰館」「記念館」の両方とも、近いうちに訪れてみたいと思いました。

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帰り道、上野公園の一角に冬の桜が花を咲かせていました。最初は梅かなと思ったのですが、木の幹に「冬桜」と記した札がつけられていたのです。あとひと月もすれば、この一帯は春の桜=ソメイヨシノで覆われるのですね。

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3年目に入った「サンウルブズ」、緒戦は健闘

2018年2月24日
秩父宮に行ってきました。「スーパーラグビー」3年目を迎えたサンウルブズのシーズン緒戦。対戦相手の「ブランビーズ」は、2年前、私たちがオーストラリアのキャンベラまで観に行った前で惨敗を喫した相手です。敵地とはいえ、サンウルブズはまったくいいところなし。それでなくても寒い夜だった上に、試合内容はもっとお寒く、5対66で負けました。

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それが今日はどうでしょう。前半戦だけで3トライ。それも皆、気持ちよい、スカッとしたトライばかり。「今年は違う」というのをありありと感じさせる内容です。後半こそブランビーズが本領を発揮し始めましたが、それでも後半30分過ぎまで10点差。そこから粘っこく攻めに攻め、終了直前、相手ゴール前ほぼ正面の位置でペナルティーを得ました。PKで3点を取り、7点差で試合を終わらせればボーナスポイント(勝ち点1)を確保できます。スクラムなりタッチキックなりで攻めればトライのチャンスもなくはないのですが、万が一取れずじまいだと10点差のままなので、ボーナスポイントはゼロ。結局PKを選び勝ち点を確保するほうを選びましたが、こんなことで選手たちが悩んだのは初めての経験のはず。でも、結果としてはよかったのではないでしょうか。

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運営面はだいぶ進歩してきた感じがします。ボランティアの数も増えていますし、全体としてすっきりわかりやすくなりました。これで箱がよければなおよしですが、何せ取り壊し目前ですから、それは致し方ないかも。スクラムを組むたびにグラウンドの芝がはがれるスタジアムなど、世界中探してもないでしょう。あざといイヤーブックの販売もありませんでしたし、キャラクターグッズもリーズナブルな値段になっています。あとは最寄り駅である東京メトロ外苑前駅の整備ですね。

高校同期生の社会見学──今回は横浜・野毛

2018年2月17日
一昨日、ヨーロッパから帰ってきたばかりですが、今日は高校同期生が集まっての社会見学。行先は横浜・桜木町の伊勢山皇大神宮です。横浜総鎮守でもあるこの神社、実はかなり格式が高いようで、いうならば“関東のお伊勢さま”。

行って驚いたのは、2014(平成26)年におこなわれた本家・伊勢神宮の式年遷宮で建て替えられた古社殿が、こちらにそのまま移されていたこと。それが2020(同32)年に、ここ伊勢山皇大神宮の本社殿になるのだそうです。堀立柱の唯一神明造、伊勢と同じ茅葺きですから、完成したときはさぞかし神々しい雰囲気がただようことになるのでしょう。

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社会科見学は小1時間で早々に終了、本来の目的である「野毛【のげ】のディープな居酒屋で昼呑み」に移ります。伊勢山皇大神宮が建つ場所はもともと、標高50mほどの野毛山という名前で知られていたそうです。幕末の1859年、横浜が開港すると、外国人貿易商を相手に商売をする日本人の豪商たちが住まうようになったのがこのあたり。87年には日本で初めての近代水道用の配水池が敷設されています。1949年に開催された日本貿易博覧会の会場にもなり、その2年後には動物園も完成。

まあ、このように由緒ある場所なのですが、なぜか山のふもと一帯は横浜随一の飲み屋街になっています。狭いエリアに数えきれいくらいの居酒屋、バーが密集し、食べられるものも焼鳥、おでん、ホルモン(もつ)、寿司、てんぷら、中華など、なんでもアリといった感じ。それにしても、この界隈がそうなったのか、不思議な気がします。

太平洋戦争のあと伊勢佐木町など横浜の中心部の大半は進駐軍に接収されたため、このエリアは復員兵や軍需工場の労働者など日本人の生活の中心地として機能したといいます。生活用の物資が慢性的に不足する中、闇市と屋台が並ぶ野毛は「ここに来ればなんでもそろう」と言われ、職と食を求める人々でごった返していたようです。

IMG_E3446いまでも街全体に昭和の匂いがかなり濃厚にただよっており、昼ひなかから営業している飲み屋も少なくありません(これは、東京・浅草と同じく、JRAの場外馬券売り場=WINSが近くにあるためです)。その一角で、ピョンチャン冬季五輪の男子フィギュアをテレビ観戦するのも一興ではないかと、今日参加した8人全員の意見が一致。さっそくあたりを徘徊して見つけたのが中華料理屋。なんの変哲もない店でしたが、どうしてどうして味はハイレベル。中国・福建省出身のおかみさんを相手に会話も楽しみながら、羽生結弦選手の金メダル確定の瞬間を全員で祝いました。

意外と快適だった駅前の3つ星ホテル

2018年2月14日
昨日泊まったホテル。実はその前日に予定を変更し、あわてて予約を入れたものでした。当初は、“世界最先端! 動物が快適に過ごせる”と評判の「チューリヒ動物園」を訪れ、そのあともう一度列車に乗って、空港により近いバーデン(Baden)という町に泊まる予定でした。この町のホテルには、その名のとおり温泉(=Bade)があり、10日以上に及ぶ今回の旅の疲れを癒してから帰国しようと思ったのです。

ただ、冬ですから、動物園も、姿をあらわさない動物が多い(とくにアフリカ系)のでは……と思ったのと、チューリヒの駅で重いスーツケースをコインロッカーに入れたり出したりするのが、なんとも面倒に思えたからです。実際には、チューリヒの駅も大々的にリノベーションされていて、新しい連絡通路ができていたりなど、コインロッカーもたぶん簡単に利用できたのかもしれません。リノベーションはまだまだ途上のようで、今度来たときはどこまで変わっているか、楽しみです。

さて、急遽予約を入れたホテルが予想外に快適でした。3つ星なのですが、部屋は広く、バスタブもあります。朝食もまあまあ充実していて、パドヴァより数段上、サンモリッツの4つ星ホテルよりもおいしかったように思います。あえて難を言えば、朝食を摂る場所が若干せせこましかったことくらいでしょうか。

駅からチューリヒの空港までは電車で15分足らず。空港も大幅にリノベーションされており、広い(広すぎるかも)わりにはわかりやすく、出発まで心地よい時間を過ごすことができました。そうそう、「チューリヒ動物園」は、近いうち、いい季節を選んで絶対に訪れたいと思っています。

チューリヒの老舗日本料理店、そして夜はチーズフォンデュ

2018年2月13日
3泊したサンモリッツとも今日でお別れです。朝方ホテルを出るとき、一緒になった日本人のグループがいました。話を聞くと、6泊8日のスケジュールでやってきて、まる1週間、朝から夕方までずっと、周辺にあるあちこちのコースに行って滑るのだそうです。全員70歳近い方々ばかりで、スキーの奥深さを改めて実感させられました。

私たちはサンモリッツの駅から「グレイシャーエキスプレス(氷河特急)」でクールまで。クールからはチューリヒまでは通常の列車です。氷河特急の窓からの眺めは素晴らしいのひと言。ここも10年前、逆方向で走ったのですが、同じ路線とは思えないほど、見えてくる景色が違います。

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クールの駅はとてもユニークで、コンコースを通って駅舎から出てもまだホームがあります。ただし、こちらはトラムや短い編成の電車用で、そのすぐ隣にはバスターミナルが。なんだかとても不思議な空間でした。町にちょっと出てみると、古くはありますが、落ち着いた印象で、もう少し長い時間いられればと思ったくらいです。

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チューリヒには1時過ぎに到着。前夜遅くに予約したホテルは駅のすぐ近くです。そのまた近くに、この町随一の老舗日本料理店があるのを調べておいたので、ランチタイムぎりぎりの午後2時10分前に滑り込み、セーフ。ランチのお寿司はめっぽうおいしく、ほっとひと息つくことができました。

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食べ終わったあと日本人の店主と雑談したのですが、夏からは別の場所に移転するとのこと。チューリヒも最近は寿司店が増え、回転寿司までできているそうです。寿司はいま世界中どこでも食べられるようになっていますが、やはり日本人が経営し、日本人が作っていないと、日本人の舌に合ったものは食べられないように思えます。それでさえ、ローマのように「えーっ?」というようなシロモノしか食べられない店もあるのですから……。

DSC_0107ホテルに戻り荷物を整理し、町の観光に出ました。クールからチューリヒまでの1時間も、途中、湖の先に雪を戴いたアルプスが見えましたが、夏でもアルプスの山並みが観られるのはうらやましいかぎりです。湖畔の桟橋(遊覧船が走っているようです)まで出ると、真正面にアルプスが! ただ、町の中はどこもかしこも工事、工事のようでクレーンだらけ。そのため、かなり興趣をそがれたものの、ヨーロッパの金融の中心の一つだけあって、お金持ちを相手にした高級ブランドの店がいくつもありました。

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夜は、これも昨夜遅くに予約しておいたチーズフォンデュの店です。こちらも創業100年以上という老舗らしく、店内は、いかにも年季の入ったしつらえで、派手さのないところもスイスらしい感じ。開店直後から客がどんどん入ってきます。フォンデュを食べるのは、10年前、スイスを訪れたとき以来。でも、やはりおいしいですね。

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スキーも持たずにスキー場に行くさびしさ

2018年2月12日
IMG_1747今日もまた好天が続きます。朝から、30分ほど電車に乗って郊外にあるディアヴォレッツァまで行きました。ここには標高約2978mのところに展望台があり、4000m級の山々を間近に臨むことができます。展望台までは鉄道駅からロープウェイに乗って10分ほどで到着。ただ「展望台」というのは夏の言い方で、冬場はスキー場です。あとほんのわずかで標高3000メートルに達するゲレンデには地元の人を中心にスキーヤーがびっしり。スクールもあるので、なんともにぎやかです。ただ、もともとは広い場所ですし人口も少ないので、日本のスキー場のようにせせこましさはまったく感じられません。

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この付近の最高峰ピッツベルニナ山(標高4049m)は残念ながら見えませんでした。天気はいいのですが、さすが3000mを超えたあたりからは雲が多くなります。そのまたさらに上空はまた晴れ渡っているものの、頂上付近だけが隠れてしまっているのです。

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下の鉄道駅から展望台の最高地点まで数分間上がっていく大型(108人乗り)ロープウェイから観られる、360度のパノラマは最高です。ただ、乗っているのは全員、スキー板とストックを持った人。私たちのようにカメラしか持っていない者はまったくの異分子です。といって、好奇の目で見られるわけではありませんが、それでも小さくなってしまいました。1時間ほど頂上にいましたが、マイナス14℃の寒さにはかないません。ちょうどロープウェイが上がってきてお客をおろしたところだったので、それに乗り下に向かいました。

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DSC_0065お茶を飲みながら待つこと30分。サンモリッツ方面に向かう電車が来たので、それに乗って戻ります。町は今日も相変わらず、お金持ちが出歩いていました。スーパーやお土産屋、スポーツ用品店をのぞいたりしながらぶらぶら歩いていると、おいしそうなチョコレートを売っている店が。この店が大穴というか、ドアを開けて中に入ると、なんとケーキやサンドイッチも売っていますし、さらにその奥はカフェになっていました。店先で買ったものを中で食べることができるのです。

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この町でまあまあ気軽に入れそうな店はここだけではないかという気がしました。要するに、「お金持ち」といっても、日本とヨーロッパとでは、桁が違うというか年季が違うというか、まったく別世界の人たちという印象を受けました。毛皮のコートをみせびらかそうとか、高級ブランドのバッグや洋服をひけらかすといった、底の薄い雰囲気は皆無。ここ2、300年ずっとお金持ちであり続けている人の血は、いわく言い難いものがあります。そうしたものと初めて触れた私は驚くばかりでしたが、日本の軽さ、歴史的な成熟度の遅さやはり否めません。

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念願の「氷上競馬」!

 

2018年2月11日
DSC_0378今日は、ここサンモリッツの冬の名物「氷上競馬(White Turf)」が開催されます。この町はサンモリッツ湖畔に位置していますが、冬は湖が全面的に氷結、その上を整備してレース場に造成し、競馬がおこなわれるのです。もちろん、芝でもダート(砂)でもないので、馬は氷用の蹄鉄を付けられています。おかげで、氷の上でも滑ったり転んだりしないで済むわけですね。

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レースは、ヨーロッパならではの「競駕【けいが】(1人乗りの二輪馬車を馬に曳かせるスタイル)」や、騎手が乗ったスキーを曳くスタイルのものもあり、興味津々。もちろん、馬券も売られており、1枚1スイスフラン。記念に3レース、合わせて30スイスフラン購入してみました。馬券を買えば、スタンドに座っていても真剣になります。

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DSC_0451それにしても驚いたのは観客のいでたち。ほとんど高級毛皮の見本市という状態です。年齢・性別に関係なし。祖父母、父母、2人の子ども、6人全員が毛皮のコート、それも上半身だけといったものでなく、足もとまで覆うロング丈です。特設スタンドの端から端まで全員が毛皮を身にまとっているなどというシーンも珍しくありません。

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DSC_0053それと連れてきている犬のレベルの高さには驚きました。そもそも犬それも大型犬を飼うのはお金持ちの証しだそうですが、どれも皆ホント立派なこと。日本では見たこともない、とてつもなく高価な感じの犬を連れている人をあちこちで見かけました。

 

この日は絶好の競馬日和。風もなく気温も高め。30分ごと(ランチタイム時のみインターバルは1時間)、合計7レースおこなわれますが、その合間は皆が、そこここに設けられているバーやコーヒースタンド、複数の食べ物屋が入ったテントなどで体を温めたり馬券を買ったり、会場の一角で終始おこなわれていたコンサートを楽しんだり、高級車の陳列コーナーで写真を撮ったりなど、思い思いの過ごし方をしています。もともと競馬は貴族のためのエンタテインメントとの知識はありましたが、この日はそれを肌で学びました。「百聞は一見に如かず」です。

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それに刺激されたわけではありませんが、夜はホテル近くの老舗レストランで食べることにしました。というか、ホテルを一歩出ると、そう簡単にレストランが見つからないのです。お気軽なピザハウスやハンバーガー店はほとんどありません。やむを得ない選択でしたが、味は上々でしたからよしとしましょう。デザートもすこぶる上品な味で、感動しました。こちらの一般的傾向として、人工的な甘さのレベルが極端に低いので、なんとなく安心できます。

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初めての「冬のスイス」!

2018年2月10日
IMG_3361ミラノ中央駅を朝9時過ぎに出発、3時間少々でティラーノに着きました。この日は国鉄(正確にはノルディターリアという、日本風にいうと第3セクターのような会社でしょうか)、それもローカル線なので、車両はかなり古くボロボロです。私たちが乗った車両もエアコンが故障していました。

 

 

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今日もメッチャいいお天気で、空は真っ青、雲ひとつなし。ティラーノは10年ぶりですが、さほど変わったという印象はありません。イタリアとスイスの国境のこの町は、「ベルニナ特急」の始点(終点)としても知られています。ちょうど昼食どきだったので、駅前のレストランに入りました。

ワインにピザとリゾットを一つずつ、あとサラダで昼食を済ませ、駅前の広場に戻ると、世界中の国からやってきている人がそこここで日なたぼっこをしています。私たちに話しかけてきた中年男性と20歳そこそこといった感じの女性のカップル(といっていいのかどうか……)は、なんとアルゼンチンから来ていた親子でした。南半球の国なのでいまごろはちょうど夏休みの時期なのでしょう。3週間かけて、ローマ、ミラノ、ベルニナ特急、氷河特急、さらにプラハとウィーンをゆっくり回る予定なのだとか。日本では考えられないような長い期間、そして組み合わせの二人です。

男性のほうが、私のスーツケースに「SANTA FE」と書かれたステーカーが貼ってあったのを見て話しかけてきたのですが、「このSANTA FEはアメリカのアリゾナの町なんだよ」と答えると、「なんだ、そうか!」と。アルゼンチンにも同じ名前の町があるのだそうです。でも、私たちが去年アルゼンチンに行った話をすると、えらく喜んでくれました。

IMG_E337110年前に乗ったのは真夏だったので、こんどはそれと真逆の季節。スイスなので、ほとんど1年中晴れてはいるようですが、冬はやはり空も一段と清く澄んでいます。おまけに途中の景色のほとんどは、雪に覆われたアルプスの山々。天井まで伸びる大きな窓から見える青い空と白い雪の心地いいことといったらありません。

 

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IMG_1719ティラーノから列車はどんどん登り、最高地点では2300m。そこを過ぎると下りに入り、乗換駅のポジターノで下車。そこからサンモリッツまでは15分ほどでしょうか。この町も10年前に訪れていますが、8月だったので、景色はまったく違います。それに気温の低いこと。最高気温が1度、2度ですから、かなり厚着をしてきたものの、身を切るような寒さには太刀打ちできません。同じ町を真逆の季節に訪れるというのは、ほとんど初めての経験ですが、なかなか興味深いものがあります。「雪」があるだけでこうも違うというのは、やはり不思議な感じがします。

しかし、何より違うのは来ている人の様子です。私たちの泊まるホテルは、4つ星でしたが、まわりにある5つ星ホテルの駐車場にはずらっと高級車が止まっています。客も、ひと目見ただけでそれとわかるお金持ち風。それも、「ちょい」ではなく「たんまり」、「最近」ではなく「ずっと昔から」といった雰囲気がただよっています。さすがヨーロッパ、いな世界に名だたる冬の高級リゾート地ですね。

夕食はホテル地下のレストランで。ヨーロッパでは珍しい石焼料理があり、それにトライしてみました。羊、鶏、豚肉のソーセージ、鶏、ベーコンなどタンパク質がたっぷり。あまりのおいしさに2人とも完食しました!

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不親切もここまで来ると……

2018年2月9日
DSC_02354泊したパドヴァも今日で最後。ミラノ行きの列車が出発する午後1時半ごろまで数時間フリーだったので、駅からトラムで10分ほど行ったところにある公園「プラート・デッラ・ヴァッレ」に行ってみました。この公園がなんともユニークで、ローマで観た「スタディオ・オリンピコ」のように、楕円形の敷地の外周を80体ほどの大理石像が囲んでいるのです。公園全体は人口の川(水路)に囲まれ、中央には小さな噴水が。それを中心に、上下左右対称に4つの部分に仕切られています。公園の外側を取り囲む広場のようなところには野菜や果物を売るテント張りの店が並んでいました。すぐ近くに、世界遺産にも指定されている世界最古(1545年)の植物園「オルト・ボタニコ」もあるので観たかったのですが、冬場の植物園はキホン冴えないのでパス。

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DSC_0249公園からトラムに乗り、「市庁舎」などが建つ町の中心街に。ここもまた二つの大きな広場(「エルベ広場」と「シニョーリ広場」)があり、テントがびっしり並んでいます。屋外市場ですね。「エルベ広場」に面する「ラジョーネ宮(サローネ)」という建物の1階部分には肉屋や魚屋やカフェが店を構えており、市場の延長といった感じです。

 

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さらに、広場から続く商店街には衣料品やスポーツ用品、電気屋などが。その一角にあった洋服屋のショーウインドウに、家人が欲しがっていたブラウスが陳列されているのを発見し、バースデープレゼント第1弾として購入しました。何せ、日本の値段のほぼ半額ですから! 思いがけないプレゼントに家人が喜んだのは言うまでもありません。

トラムに乗って引き返し、ホテルで預けておいたスーツケースを受け取って駅に向かいました。案の定、出発時間が遅れていましたが、ホームで待つことに。長距離列車とは思えないようなボロボロの列車です。時間がトリノ行きの特急とほぼ同じだったので、あわや乗り込んでしまうところでしたが、1本前の各駅列車が遅れていたよう。乗る直前に気がついて事なきを得ましたが、もし間違えて乗り込んでいたら大変です。夕方、ミラノでアポイントメントがあったからです。

長い編成の列車ですし、指定席なので、ホームのどのあたりで待っていればいいのか駅員に聞いても、「知らない」。というか、そうしたことをあまり気にもしていない様子です。日本なら考えられないことですが、ここはイタリア。そのあたりは鷹揚に構えているのでしょうね。

それでもカンを働かせて、ミラノ寄りの位置で待っていたらほぼ正解。今度は難なく乗車できました。しかも時刻どおりの到着ですから、胸をなでおろしました。ところがボローニャ、ヴェローナと停まるたびに少しずつ遅れ始め、ミラノに近づいた頃には10分遅れ。そして、市内に入ってからはノロノロ運転が続き、結局30分遅れで到着。

スーツケースはなんとかホテルに突っ込んだものの、このままでは約束の時間に間に合いそうにありません。タクシーの中から電話を入れ、遅れたことを謝罪しているうちに、「ドゥオーモ」の近くにある「アンブロジアーナ図書館&絵画館」に着きました。お会いする相手はその館長アルベルト・ロッカさん。その方をご存じの方から出発前に、「ぜひ会ってきてほしい」とお願いされていたのです。

「絵画館」のほうは、2年前にミラノを訪れたとき、建物のユニークさに魅かれて中に入り、見学したことがあります。ただ、それは「絵画館」のほうで、「図書館」はもちろん初めて。館長が笑顔で入口にあらわれ、私たちを「図書館」に案内してくださいました。

その前に館長が執務している部屋に通してくださり、コートやバッグを置かせていただいたのですが、館長の机の上に、漢字の練習に使っているノートが置かれていました。練習していたのは「劇」という文字のようです。「難しい字ですね」と私が言うと、「難しい漢字が好きなんです」と。「たしかに、漢字は造形としてとらえると面白いですからね」という私の言葉に同意しておられました。

さて、ここは普通の図書館とはまったく違い、収蔵されているのは古書、それもほとんどが「手稿(手書きの文章)」です。一番有名なのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿」なるもので、これはダ・ヴィンチ直筆のデッサンやメモを集めて綴じたものだそうです。それがここには1119枚も収められているとのこと。残念ながらそちらは見ることができませんでしたが、次回訪れたときのお楽しみとしましょう。

手稿はどちらかというとメモ書きのようなものですが、なかには書籍もあります。それも、数百年前のものは当たり前というお話でした。それだけでも驚いている私たちに、館長は1000年前、1200年前、1400年前と、チョー貴重な書籍(それも現物!)を取り出してきては次々と見せてくださいます。手で直接触っていいものなのか不安でしたが、OKとのことで、ページを繰らせていただきました。

IMG_1706圧巻は1500年前に書かれたヘブライ語の聖書。中に挿絵も描かれているのですが、それがまた「挿絵」というには恐れ多いものばかり。金箔が貼られていたりラピスラズリから作ったインクというか顔料が塗られていたりで、この世のものとは思えない美しい色彩です。また、「手書き」だというのに、どの文字もまるで印刷されたかのように、同じ大きさ、同じ書体で、これには驚きました。

図書のほかにも、イギリスの詩人バイロンが400年前にここで学んでいたときに使ったデスクとか、とんでもなく貴重な品がさりげなく置かれています。その前に座らせていただき、「デスクについている垢でも煎じて飲みたい」とまじめに思ったりしました。閉館時間の6時ぎりぎりまで私たちに貴重な所蔵品の数々を見せていただいただけでなく、帰りがけには記念撮影にも応じてくださった館長さん、本当にありがとうございました!

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客の3分の2以上が日本人という居酒屋

2018年2月8日
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これだけ多くの教会を回ると、いいかげん飽きそうにもなるのですが、それでも、素晴らしい美術品がいくつも観られるとなれば、やはり行きたくなってしまいます。というわけで、今日はヴェネツィアの外側、アドリア海に面している側に行ってみることにしました。

 

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DSC_0159ヴァポレットに乗り最初に降りたのが、フォンダメンテ・ヌオーヴェという船着き場。その前に立つ病院を抜けた先が最初の目的地「サンテ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会」です。病院自体もその昔、この教会が建てたのが起源なのでしょう。これだけ立派な病院を提供できるのですから、たいそう力を持っていたにちがいありません。

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ヴェネツィアのランドマークは「リアルト橋」と「サンマルコ広場」。全体が迷路のようになっているこの町で、自分がいまいったいどこにいるのかがわかるように、どこを歩いていても、この二つの場所の方向を示す案内板が目に入ってきます。それでも迷ってしまい、気がつくと「えーっ!」という場所にいることもしばしば。この日も「フェニーチェ劇場」に行こうと歩き回っていたのですが、気がつくと、目の前の建物がそれではありませんか。現在の建物は3代目(初代と2代目は火災で焼失)だそうですが、中は初代の建物をほぼ模しているようで、素晴らしい造りです。その昔マリア・カラスも何度かこの劇場に出演していたらしく、それを記念するポスターなども貼られていました。

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夕食を食べようと、「リアルト橋」の近くを歩いていて見つけたのが「Ostaria al Diavo’lo L’aquasanta」という店。近くにその店しかなかったこともありますが、入り口近くに日本語で書かれたメニューが貼られており、「選ぶのが楽だから」というそれだけの理由で入ることにしました。イタリアでは夕食にはまだ早い6時過ぎだったこともあり、先客は2人、しかも日本人です。

IMG_1680 私たちが座るとすぐ、日本人6人のグループ客が入ってきて、そのあとも、続々日本人が。テーブル席は「ここって、ヴェネツィアだよね?」と確かめたくなるような様相です。日本語メニューがやはり利いているのでしょう。日本の観光地も、英語や中国語、韓国語、フランス語など、多く訪れる国の言葉で記したメニューを、店内ではなく、外の目立つところに貼り出すと、客がどんどん入ってくるのではないかと昔から思っているのですが、それは間違いなさそうです。「うまい・まずい」の前に、「何を食べられるか」のほうが決め手になるからです。ただ、“There is Japanese menu inside.”という貼り紙(浅草で見かけました)に利き目があるのかという疑問は残りますが……。

 

この店は「ちょい飲み・ちょい食い」の地元客が多いようで、入ってすぐのところにある小さなカウンターに並べられた大きな皿にちょっとした料理が盛り付けられています。客はそこから一つ、二つ、好みのものを選び、あとはワインかビール。持ち帰りする客も少なくありませんが、このあたりが「ostaria(イタリア語で居酒屋の意)」のよさでしょう。

IMG_1682ただ、日本語メニューだけでは十分とはいえないかもしれません。この店はおかみさんの愛想が素晴らしくいいのです。当意即妙の受け答え(それも日本語プラス英語)が的確で、日本人の客を和ませてくれます。それでおいしければ言うことないのですが、幸い、今日も私たちの口に合いました。今回の旅は、食事に関してはいまのところハズレがなく、ラッキーな日が続いています。

教会というより美術館

2018年2月7日
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パドヴァをゆっくり目に出発したので、ヴェネツィアの駅に着いたのは昼過ぎ。今日もまたヴァポレットに乗っての移動が続きます。最初に行ったのは「サンタ・マリア・グロリオ・デイ・フラーリ教会」はみごとの一語。ティツィアーノやベッリーニなど、その名の知れた画家の作品が見られるのですが、それ以上に聖歌隊席と外周の壁面を覆うレリーフ(浮き彫り)の素晴らしさに息を呑みました。

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「スクオーラ・グランデ・サン・ロッコ」を観たあと訪れた「アカデミア美術館」もまた、ティツィアーノやらティントレットやら、名だたる宗教画家の作品が収められています。中の造りがわかりにくく、あわや名作を見落としてしまうところでしたが、なんとか見つけ出しました。

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ただ、短い時間にこれだけ多くの絵画を見ると、頭の中がパンクしそうになります。途中カフェを見つけ、腹ごしらえもかねて頭と足を休めないと、とても1日もちません。歩いている途中でもう1軒カフェに立ち寄りましたが、どの店も、そこで作っている風の食べ物を出すので、楽しみがあります。日本のコンビニのようなところは一つもないですから。

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ひと休みしたあと、運河沿いの、まわりはどうということのない場所にある「スクエーロ(ゴンドラの造船所)」に足を延ばしました。それでも、驚くことに、世界中の人が来ています。古ぼけた小屋のようなところなのですが、修理などもおこなっているらしく、職人が懸命に作業に励んでいました。

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今日から、カーニバル真っ盛りのヴェネツィアに日参

2018年2月6日

10時過ぎにヴェネツィア・サンタルチア駅に到着。駅を出ると目の前は運河です。ヴェネツィアの街は車が走れないように決められており、移動の手段は歩きか船しかありません(有名なゴンドラは観光用!)。迷った末に、「72時間乗り放題」というヴァポレット(水上バス)のチケットを購入。1回7ユーロですから、6回乗れば元は取れます。

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満員で鈴なりのヴァポレットを降りたのは「リアルト橋」。地図を読み間違えたりしたので、かなりもたついてしまいましたが、「魚市場」などを見て、ようやく「サンマルコ広場」をめざすヴァポレットに乗ったのは2時をとうに過ぎていました。「サンマルコ広場」近くの観光案内所で「ヴェネツィアカード」を買い求め、それであちこちをめぐることに。

最初に行ったのは「ドゥカーレ宮殿」です。もともとはヴェネツィア総督の居城だったそうですが、中はほとんど美術館の様相。世に大作と言われる美術品がズラリと並んでいました。愛好家にとってはヨダレが出る場所でしょうね。

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IMG_1668この一帯はあまりに有名な場所なので、世界中から観光客がやって来ています。ちょうどカーニバルの時期でもあり、そちらへの期待も大きいにちがいありません。広場には最終日曜日のイベント用に大きな舞台が特設されており、どちらを見ても、中世を思わせる仮装をした人が歩き、呼びかけに答えたりしています。もちろん皆シロウトですが、なかには、並んで写真に収まりたい、ぜひ写真を撮りたいという気にさせる人も。

 

 

 

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それにしても、衣装とメイク、あと小道具など、それぞれが思い切り趣向を凝らしています。この時期のために1年かけてコツコツお金を貯めるという人もいるらしく、なかには、プロの写真家を雇って、あちこちで撮影してもらっている人も。旅行客との記念撮影に応じてくれる──というか、声をかけられるのを待っている風──人がほとんどのようですが、独特の仮面をかぶっているので、ニッコリされたとしてもまったくわかりません。むしろなんとも表現し難い怖さすら感じます。私などはそれが苦手で、ヴェネツィアのカーニバルをぜひ観たいという気になれませんでした。ただ、今日はウイークデーなので、仮装している人の数も多くないですし、その度合いも平均的と言いますか。それでも、街の中で出会えばやはり目立ちます。顔だけでなく、全身ですから当然です。これが週末になれば、どこを見ても仮装している人ばかりといった状況になるのでしょう。

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意外な名作と出会えたパドヴァ

2018年2月5日
IMG_1647今日は朝9時過ぎにテルミニを出発するITALOという会社の列車に乗ります。国鉄=TRENITALIAの向こうを張って2012年に開業した会社ですが、今回が2回目の利用。あか抜けたスタイルの真っ赤な車体はジウジアーロのデザイン。見るからに速そうな印象を与えます。しかも料金が国鉄より全般的にかなり安い! これはイタリアだけに限りませんが、チケットの値段は購入する時期に応じて変動し、売れ行きが思わしくないとバーゲンのようなこともします。

パドヴァは小さな町です。今回初めて知ったのですが、ヴェネツィアまでは電車で30分ほど。カーニバルの時期はヴェネツィアのホテルがべらぼうに高くなる(それでも予約を取るのは大変)のですが、ここパドヴァはふだんと同じなので、同じ広さの部屋に半額以下の値段で泊まれます。私も昨年9月の時点で、ヴェネツィアのまあまあのホテルを予約を入れておいたのですが、そのことを知りパドヴァのホテルにトライしてみました。

もちろん、ヴェネツィアのようにゴージャスな雰囲気はなく、歴史を感じさせる風情もありません。旧市街まで行けば、それなりに雰囲気のあるホテルもいくつかあったのですが、私たちは、パドヴァから毎日ヴェネツィアまで通うのですから、駅近のほうがよかろうということで、駅の真ん前、歩いて2分のホテルにチェックイン。

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それでも、外観は貴族のお屋敷風。それを全面的にリノベーションしたのでしょう、中はえらくモダンで、最近はやりのデザイナーズ風。バスタブもジャクージまで付いていて、すこぶるお得な感じがします。ただし、4つ星ですからきちんとしたレストランはありません。

今日はヴェネツィアには行かず、この町を見て回ることにしました。ただ、もう午後3時近いので、ホテルから歩いて10分ほどのところにある「スクロヴェーニ礼拝堂」へ。ところが、これが大ヒットでした。さほど期待していなかったから余計でしょうが、とんでもなく美しい教会だったのです。とくに内部がすごく、天井から壁からすべてジョットーのフレスコ画で覆われていました。『マリアとキリストの生涯』という38枚の連作は圧巻の一語。見学の前に入口近くの特設学習室でお勉強させられるのも納得です。

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DSC_0389次は、そこから少し南にある「サンタントニオ教会」へ。こちらはビザンチン様式というのでしょうか、8つの尖塔などイスラム教の影響がかなり濃厚に感じられる教会です。立派な回廊も印象的でした。

高校時代からのあこがれ「6ネーションズ」を観戦

2018年2月4日
「6(シックス)ネーションズ」──。ラグビーファンなら知らない人はいない6カ国対抗戦で、毎年2・3月に、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリアが総当たりで対戦し、順位を競います。北半球の強豪国がほぼ毎週テストマッチを戦うのですから、日本のファンにしてみれば、ある意味垂涎の的と言っていいでしょう。私もラグビー部にいた高校時代から(当時はまだ、イタリアを除いた「5ネーションズ」でした)知ってはいました。でも、何せ50年近く前のことですから、観てみようなどとは考えもつきませんでした。それがなんと、今日、現実になったのです!

2007年の「ラグビーW杯(フランスとイングランドで開催)」を観にいったとき、久しぶりに「そうだ、いつかは『6ネーションズ』にも行ってみよう」という思いを抱き始めました。といっても、遠い日本からそれだけを観に行くのは、非効率というか、経済的負担が重すぎます。そもそも、試合のチケットを手に入れるのも大変なようで、「W杯」並みのプレミアがつくことも珍しくないとのこと。

そんなことで半ばあきらめていたのですが、これもまた以前から観たいと思っていたサンモリッツの「氷上競馬」と「6ネーションズ」の試合が、すぐ隣の国で1週間のうちに観られることに気がつきました。それが去年の8月。さっそくスケジュールをチェックしてみると、2月4日に「6ネーションズ」あの「イングランドvsイタリア戦」がローマで、「氷上競馬」が2月11日におこなわれることがわかりました。これなら、うまくくっつけられそうです。その間を利用して、これも長い間行きたくて行けずにいたヴェネツィアを訪れてみようと。ちょうどカーニバルの時期ですし、そちらの盛り上がりも期待でき、一石二鳥、いな三鳥なのではないかと。

かくして、去年の9月、まずは「氷上競馬」のスタンド席のチケットを予約しました。冬になると凍る湖の端に特設するのだから、そうそう枚数もなかろうという読みでした。続いて「イタリアvsイングランド戦」のチケットも押さえました。ただ、ラグビーのほうは、悪くはないものの、値段と比べると、正直「うーん」と言わざるを得ないレベルの席です。

IMG_3201午前中は、ローマでまだ行ったことのない「カブール広場」から「ポポロ広場」のあたりを歩いてみました。人気の観光スポットだけに、大変な数の人でにぎわっています。そのほとんどが、いかにもすぐ近くからやってきたといった雰囲気。「6ネーションズ」が開催されるからでしょう、イギリス人の姿が目立ちました。今週はイタリア、翌々週はアイルランド……といった感じでファンは観て回るのでしょうか。

 

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IMG_3212近くのナポリ風ピザの店で昼食を摂り、スタジアムに向かいました。ポポロ広場のすぐ北にあるフラミニオという停留所からトラムで終点まで行き、試合がおこなわれる「スタディオ・オリンピコ」までは20分ほど歩きます。場所はローマ市街でも北のほう、テヴェレ川沿いにあるモンテ・リオの丘のふもと。サッカーのASローマとSSラツィオのホームグラウンドでもあります。この一帯は「フォロ・イタリコ(Foro Italico)」と呼ばれるスポーツ・コンプレックス=スポーツ施設が集中するエリアで、イタリア・オリンピック委員会(CONI)の本部も見えました。

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不思議に思ったのは、正面広場に「MVSSOLINI」という文字が彫られたオベリスクがあったり、「DVCE(=ドゥーチェ、ムッソリーニの愛称)」の文字が埋め込まれたモザイクが残っていること。もともとここはムッソリーニが作らせた複合スポーツ施設で、当時は「フォロ・ムッソリーニ(Foro Mussolini)」と呼ばれていたそうです。

いまさら言うまでもなく、ムッソリーニは第2次世界大戦を引き起こしたドイツのヒトラーと手を組んでいた独裁政治家。ドイツのナチス、イタリアのファシストといえば、世界を破壊に導いた張本人として、ドイツでは徹底的に排斥されています。「ヒトラー」の名前を口にするのももちろんが、右手を上に掲げる姿勢すら問題視されるほど、それは徹底しているとも。しかし、ここイタリアではそれほどでもないのでしょうか。たしかに、ユダヤ人虐殺を命じたヒトラーに比べれば、ムッソリーニのほうが“悪のレベル”は数段低いかもしれませんが……。

「スタディオ・オリンピコ」のすぐ隣にサブグラウンドがあり、その外周にはスポーツ選手の大理石像が80体ほどでしょうか、均等な間隔で立っています。どれをとっても古代ローマ時代を思わせる感じの姿格好をしており、それだけで圧倒されてしまいました。

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メインスタジアムにはキックオフの1時間以上前に入りましたが、客の姿はほとんど見当たりません。しかし、時間が経つとともにどんどん増えてきて、最後は7万数千人収容のスタンドの8割以上が埋まっていました。半分以上はイングランドからやってきたファンのように見えました。試合中、歓声が沸くのは、イングランドが攻め入ったとき、トライを決めたときがほとんどで、イタリアのファンはあまり目立たないのです。

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キックオフが4時と早い時間だったので試合が終わっても、帰りを急ぐ必要はありません。それでも、トラムの停留所まで歩いて30分以上はかかりましたし、そこで到着を待つこと30分以上。本当なら運賃を払わなければならないはずなのに、なぜかタダ。そもそも運賃を払う人など一人もいません。当局も最初からあきらめているのか、それともこの日のこの時間帯に限っては無料にしているのか、よくわからないのですが、私たちもそれにならいました。

以前、オーストラリアのシドニーでスーパーラグビーの試合を観戦したときも、スタジアムから市内中心部に戻るバスはタダでした。そういえば、昨年8月、ロンドンでの世界陸上も、行きはお金を支払いましたが、帰りは無料。こうした大きなスポーツイベントについては、最初から帰りの運賃は取らないという取り決めでもあるのかもしれません。日本も見習ってほしいなぁと思うのですが、どうなのでしょう。

ポポロ広場まで戻った頃には7時半をまわっており、夕食を済ませてからホテルに戻ることにしました。といって、どこかアテがあるわけでもありません。前日の夜行こうかなと思っていた日本料理店のことを思い出し、行ってみることに。ローマでは老舗だとかで、オーナーも厨房も日本人という触れ込みです。しかし、実際に食べてみると「ホント?」と思いたくなるような味で、残念至極。

ローマは今日でおしまい。明日はヴェネツィア近くの町パドヴァまで移動です。

ヴァチカンは人、人、人……

2018年2月3日
今回の日本出発予定は2月2日。ところが、1月31日の天気予報で「明日の関東地方は雪」とあったので、万一のことがあっては……と思い、成田で前泊することにしました。予報どおり、2月1日の夜遅くから雪が降り出し、翌朝ホテルの窓から外を見ると10cm近くの積雪が。前泊にして正解でした。

出発便は一様に遅れ気味で、私たちの乗るスイス航空チューリヒ行きも1時間ほど遅れて離陸。乗り継ぎのチューリヒ→ローマ便も1時間遅れ(理由は不明)、結局ローマのホテルにチェックインしたのは、夜9時を回っていました。

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予約していたのは、バスタブ付き・バルコニー付き・スリッパ付き(日本では当たり前ですが、欧米ではまず付いていません)のはずなのに、実際は一切なしでガックリ。疲れ切っていたので、せめてゆっくりお湯にでもつかってと思っていたのに……。タバコを吸うためのバルコニーはまだ我慢できますし、スリッパ代わりのビーチサンダルも毎度持参しているので、そちらはなんとかなるのですが、3泊の間に一度も湯船につかれないというのは耐えられそうにありません。

そこで朝食のあと、予約したのと同じ部屋に変更してくれるようにrリクエストすると、すぐOKしてくれたではありませんか! 「かしこまりました。では、無料で換えさせていただきます。荷物だけまとめておいてくださればけっこうですので」とのこと。「なん~だ、だったら最初から」とも思いましたが、チェックインしたときはくたびれていたので、夕食を食べに出るのが精一杯で。

「正午過ぎには新しい部屋にすべて移動しておきます。戻られたらフロントで新しいキーお渡ししますから」と。幸い、昨夜は荷ほどきもそこそこだったので、すぐに荷物をまとめ、出かけました。夕方ホテルに戻り、新しい部屋に移ると、なんとなんと最初とは段違い。バルコニーはもちろん、バスタブもスリッパもOK。

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荷ほどきが終わったころ、部屋のドアがノックされるので、出ると白い服を着た料理スタッフがお盆を持って立っています。「当ホテルからのプレゼントをお届けにまいりました」と、スイーツの盛り合わせを置いていきました。やはり、主張すべきは主張せよ、ということでしょう。

IMG_3154さて、今日のメインイベントは「ヴァチカン美術館」と「システィナ礼拝堂」の見学。そのためもあって、すぐ近くにホテルを取ったのですから。2001年、初めてローマを訪れたときは、ヴァチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」にしか入った記憶がありません。そこで今回は、事前に見学の予約を入れ支払いも済ませた上で、10時過ぎには「美術館」の入口に。オフシーズンとはいえ土曜日ですから、大変な数の人が並んでいます。チケット売り場は長蛇の列で、予約しておいてよかったと思いつつ、荷物チェックを済ませ中に入りました。

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それにしても、開館してまだ2時間足らずだというのに、すごい混雑です。有名な作品が展示されている部屋、その前の廊下は身動きもままなりません。予約手続きの画面で「希望の時刻」にチェックを入れさせるのはいったいなんのためなのか、どうにも理解不能です。

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まあ、それでも、素晴らしい作品の数々に感動させられたのは間違いありません。あまりに膨大な数の入場者に、観るのをあきらめた展示品もありますが、それは「次に来たときに」ということで。

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キャンプは野球のほうがおもしろい

2018年1月28日
今日で沖縄も最後。こちらでJリーグのチームがキャンプをしていることを知り、のぞきに行ってみました。金武町という本島中部、東側の海に面した“基地(キャンプ・ハンセン)の町です。ここでトレーニングしているのは浦和レッズ。掲示を見ると「午後3時50分~」とあるのですが、実際に始まったのは4時半近くでした。東京あたりと比べると日の入りも1時間ほど遅いですし、やはりウチナー(沖縄)時間でしょうか。

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始まる前に記念撮影などもあり、選手たちがボールを蹴り始めたときは5時近くになっていました。槙野智章もいます。阿部勇樹も森脇良太も興梠慎三もマウリシオもいます。これまでテレビでしか見たことのない顔が目の前にいるというのは、やはり興奮するものです。

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ただ、野球と比べるとサッカーの練習というのはバリエーションが少ないといいますか、見ていても退屈してしまうのです。もちろん、私自身がサッカーファンでないということもあるでしょうが。それに加え、サッカーはファンの絶対数がまだ少ないので、来ている人もほんの数えるほど。でも、かりにファンの数が大幅に増えたとしても、野球のキャンプほどにぎわうことはなさそうな気がします。

 

初めて行った金武町ですが、経済的にはかなり恵まれている印象を受けました。そこに一昨年2月、スポーツコンプレックス、野球場とサッカーグラウンドが2面、クラブハウスなどを広い敷地にまとめた施設が作られました。まだすべて完成はしていないようですが、サッカーグラウンドに張られている天然芝の素晴らしさには驚きました。こんな恵まれた環境でシーズン前のトレーニングに打ち込めるレッズ。強くなって当然かもという気もします。同じ敷地内には野球場もあり、そこでは2月1日からプロ野球の楽天がキャンプを張るようです。

でも、ふと空を見上げると、サッカーグラウンドのすぐ近くの上空をアメリカ軍のヘリコプター(ここひと月、不時着やら部品の落下やらが頻発しているにもかかわらず)が飛んでいるではないですか! 沖縄県民の願いはなかなか通じないのが、残念でなりません。カメジローの生きざまを映像で観ただけに、いつも以上に強く、そんな思いを抱きました。

映画『カメジロー』と野中広務の死

2018年1月27日
自民党の元幹事長で、小渕恵三内閣の内閣官房長官を務めた野中広務が92歳で亡くなったそうです。自民党にいながら常に“野党的”なスタンスを崩すことなく、是は是・非は非、また戦争は絶対悪という立場を守り抜きながら生涯をまっとうした政治家というのが、大方の評価のようです。死去を報じる記事の中に、「ポツダム宣言すら読んだことのない首相が、この国をどういう国にするのだろうか。死んでも死にきれない」(2015年5月、同宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会で答弁した安倍晋三首相について)と語ったという一文が私の頭を射抜きました。

はからずもそれと関わることになるのですが、一昨日、沖縄でしかチャンスがないだろうと思い、映画『カメジロー』を観に行ってきました(正しくは『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』)。日本復帰の前、アメリカ占領下にあった30数年間、沖縄でアメリカ軍政府に不屈の抵抗を貫いた瀬長亀次郎という政治家の生涯を描いたドキュメンタリーです。

IMG_3137名前だけは私も知っていました。1970年11月におこなわれた国政参加選挙で衆議院議員に当選した5人のうちの1人だからです。残りの4人は西銘【にしめ】順治(自民党)、上原康助(社会党)、国場【こくば】幸昌(自民党)、安里積千代【あさとつみちよ】(沖縄社会大衆党)、参議院のほうは喜屋武【きゃん】真栄(革新統一候補・任期は74年まで)と稲嶺一郎(自民党・71年まで)で、いずれも沖縄の政治、というより戦後の沖縄史を語るのに欠かせない錚々たる面々ばかり。

瀬長は沖縄人民党の代表でしたが、復帰後は日本共産党に合流、衆議院議員を通算7期務めました(もっとも、自身が共産党員であるとは生涯認めなかったそうですが)。ただ、瀬長はやはり「県民」党というのが似合っているように思えます。

その瀬長が自身の政治信条の土台としたのは「ポツダム宣言」だったという話が作品に描かれていました。瀬長が人民党を作るときに掲げた綱領は、日本が無条件降伏の際に受け入れた、「ポツダム宣言」の趣旨にのっとったものだったというのです。

同宣言は全部で13項目から成っていますが、その10番目に「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ(中略)日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙【しょうがい】ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝【ならび】ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とあります。野中の頭の中にあったのも、おそらくこの一文でしょう。

瀬長の立脚点はまさにこの一点にあったというわけです。たしかに、人民党の綱領には、「わが党は労働者、農民、漁民、俸給生活者及び中小商工業者等全勤労大衆の利害を代表しポツダム宣言の趣旨に則りあらゆる封建的保守反動と斗い政治、経済、社会並に文化の各分野に於て民主主義を確立し、自主沖縄の再建を期す」という一文があります。

その小さな体から発する声・叫びは沖縄県民の心を捕らえました。それは職業や社会的立場、思想信条、信仰のいかんを問わなかったように思えます。政治家としてでなく、沖縄人として、また人間として吐く瀬長の言葉は、人々の脳裏に深く突き刺さったようです。集会の警備にあたっていた元警察官が、そんなふうに話すシーンがありました。だからこそ、沖縄(琉球)を占領していたアメリカ軍は瀬長を強く恐れ、人々からとことん遠ざけようとしたのでしょう。

もう一つ印象的だったのが、映像の中に登場した元総理・佐藤栄作です。佐藤に関しては、私自身とても偏った見方しかしていませんでした。高校・大学時代、リアルタイムで佐藤の発言や行動を見聞きしていただけなので仕方ない部分もありますが、もっと保守反動で、国民を抑圧するタイプの政治家ではないかと思っていたのです。しかし、日本の国会に初めて登場し予算委員会で質問に立った瀬長を相手に答弁する様子を見ると、そんなうわべだけの見方をしていた自分が恥ずかしくなってしまいました。総理になった政治家は数多くいますが、そうしたなかでも図抜けた存在だったように思えました。

ここ4、5年同じ立場にある安倍晋三が、「総理」という立場にはまったく似つかわしくないことを改めて痛感しました。安倍個人というより、日本の政治自体が大きくレベルダウンしているのがひしひしと伝わってくる作品でした。たまには、こんな硬派の映画を観るのもいいものです。

那覇の牧志市場で不思議な人たちに出会う

2018年1月25日
正午から映画を観る予定をしていたので、その前に軽く食事することにしました。映画館の近くにある牧志公設市場の一角に、いかにもローカルっぽい総菜屋さんを見つけ、そこでクーブイリチーと魚の天ぷら、ブロッコリーとベーコンの炒めもの、ジューシーおにぎりをほんの少しずつ買い、しめて500円!

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IMG_3114映画館近くにある公園のベンチにでもすわってつまんでいけばいいやと思っていたのですが、その総菜屋さんのすぐ隣がイートインになっているではないですか。中に入ると、テーブルとイスが雑然と置かれており、そこに陣取りました。先客が一人、朝から泡盛を飲んでいます。私たちが入ったすぐあとからも次々と、総菜を手にしたお客が入ってきました。年恰好はオジーですが、沖縄の人っぽい感じはしません。

 

お互い初対面どうしにちがいないのですが、なんとはなしに話が始まります。聞くともなしに聞いていると、「埼玉から来た」「埼玉? どこだ、川口か草加か?」「草加だよ」「そうか、そうか」といった具合で、一人が身の上話を。テキトーに相槌を打ったり茶々を入れたりしながら、それなりに盛り上がっています。途中、総菜屋のお姉さんが品物を持ってくると、「おー、ちょっとお酌してよ」「ここはそういうお店じゃないさー」「固いこと言わないで。50円余分に払うからよ」。お姉さんもあきらめ顔で、1杯だけお酌をして早々に退散……。それをしおに、私たちも席を立ち映画館に急ぎました。

近ごろ「ディープ」という言葉が流行っていますが、牧志市場にもこんなディープな空間があったとは。沖縄に拠点を設けて10年。まだまだ奥が深いようで、これから先の楽しみがまた増えました。

沖縄の1月下旬から2月上旬は、いちばん寒い時期

2018年1月24日
1月下旬から2月上旬は、沖縄でも1年でいちばん寒い時期。琉球語では、この時期のことを「ムーチービーサー(鬼餅寒)」と呼ぶそうです。そして、今日1月24日は旧暦の12月8日にあたり、「ム―チー(鬼餅)の日」。この日は、どこの家庭でも、無病息災、健康長寿の祈願、また厄払いの意味を込めて「ムーチー」を食べるならわしがあるといいます。

ムーチー

なぜ「鬼餅」なのかというと、鬼退治にムーチーが使われたことに由来しているのだとか。人を喰う鬼になってしまった兄を退治するために、妹がクギ(石)を入れた餅を作り、兄を訪ねます。妹はそれを兄に渡し、自分は何も入ってないものをおいしそうに食べました。それを見た兄も餅を口にしましたが、中にクギ(石)が入っているので苦しんで七転八倒、最後は崖から落ちて死んでしまったという民話があるそうです。それが旧暦の12月8日だったことから、この日に「ムーチー」を食べるようになったのだとか。

「ムーチー」は、餅粉をこねて白糖や黒糖で味付けし、月桃の葉で巻き、蒸して作ります。デパートやスーパー、コンビニの店先(目立つ場所)に「ムーチー」と書かれたPOP広告とともに、山積みされていたのはそのためだったのですね。

沖縄の名護で“日本一早いお花見”を楽しむ

2018年1月23日
日曜日の夜から沖縄です。そして今日は本島北部、名護の西にある本部【もとぶ】町・八重岳で、“日本一早いお花見”を体験しました。着いた日の夜遅く、テレビで「本部町八重岳桜まつり」のニュースを見たからです。「桜」といっても緋寒桜(寒緋桜とも)なのでソメイヨシノとは逆、北のほうから咲き始めます。

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IMG_3010八重岳は標高450メートルほど。そのぶん多少は気温が低いのでしょう、上に行くほど開いている花びらが増えます。なかには満開の木もありました。でも、おもしろいのは、ススキと一緒にサクラが花を咲かせていることです。秋と春が同時なんて、不思議に思いませんか。平日なので、ガラガラかと思っていたら、駐車場も、山頂に上っていく道もけっこう混み合っていました。それも外国人の多いこと。近ごろの外国人訪日客は、日本の隅々まで、ホントよく知っています。

IMG_3018ソメイヨシノと違い緋寒桜は地面に向かって花が開きます。色も濃いピンクで、なかには文字どおり緋色の花びらも。しかも、頂上までだらだら昇っていく道からは東シナ海や瀬底島・伊江島が見えるので、同じお花見でもユニークな印象を受けます。何より不思議な感じがしたのは、ススキと桜が一緒に観られること。こんな面白さを体験できるのは、たぶん沖縄だけでしょう。

 

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これだけで那覇に戻ってもよかったのですが、家人のすすめで、そこから10キロ足らず、「ちゅら海水族館」の近くにある「備瀬【びせ】集落 フクギ並木通り」を見に行きました。八重岳から降りていく途中に桜の森公園というところがあり、「桜まつり」のときはここがにぎわいの中心になるのでしょう。そこを過ぎ海の方向に向かって走っているとき目にしたのが不思議なオブジェ風の地形です。名前がついている風もなく、県道84号線(通称「本部そば街道」)の脇になんとなくある感じでしたが、あまりに存在感があるので車を止め、写真を撮ってしまいました。

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さて、いい加減なナビのおかげで苦心惨憺しながらようやく「並木通り」に到着。「並木通り」というので、一本道を思い描いていたのですが、これは大間違い。一つの集落がフクギという木にそっくり囲まれており、その中を走る道の両サイドにもびっしり植わっているのです。

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海の際にあるこの集落では、防風・防砂林として、また防火林としてフクギがびっしり植えられ、その中に古い家々が立ち並んでいます。ごく普通の住宅地の中に遊歩道(住民にとっては生活道路です)があり、端から端までゆっくり歩けばたっぷり1時間はかかるでしょう。集落の入口近くに「レンタサイクル」の店があった理由がよくわかりました。沖縄は自転車にどうにもなじまないところだから、変だなぁと思っていたのです。

 

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フクギ自体は沖縄のあちこちで見られるそうですが、その多さ、密度はここ備瀬が一番だといいます。フクギは「福木」とも書くことから霊験あらたかなイメージがあるのか、最近はパワースッポトとしても人気を集めているようです。

 

 

IMG_3107でも、実際に並木道(遊歩道)を歩いてみて、心が洗われるのは間違いありません。肉厚で大きな葉の存在感は圧倒的。南国に自生する植物の力強さが伝わってきます。歩き終え駐車場まで戻る途中、海岸を歩いてみましたが、砂浜のはるか先に浮かぶ瀬底島と伊江島の間の空がほんのり赤く染まっています。日没前だけの美しい光景に、思わず見とれてしまいました。

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1日に3連チャンのイベント

2018年1月19日
スケジュールの都合で、今日はえらく忙しい日になりました。午後イチで「写真展 オードリー・ヘプバーン」@三越本店、3時から大相撲初場所@国技館、そしてそのあと6時半過ぎから「ふるさと祭り」@東京ドーム。当初は2イベントだったのですが、大相撲が飛び込みで加わったため、息つくひまもないことになってしまいました。

写真展は、最終日=22日が迫っているとあって、大変なにぎわい。

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膨大な数の写真が展示され、その多くにキャプションが付されているのですが、私は写真もさることながらこちらに心を惹かれました。その中に、
“幸福のこんな定義を聞いたことがあります。
「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって!
わたしが思いつきたかったくらいだわ。
だって、それは真実だもの。“

うーん、名言ですねぇ。ほかにも、「名言」と思しき言葉があちこち掲げられており、ヘプバーンが一介の名女優ではないことに、改めて気づかされました。

それにしても、客の多さには驚くばかりです。1950年代から60年代にかけて活躍したわけですから、ファンの中心は60代以上のはず。実際、70代、80代の人も目につきました。しかも、写真集やクリアファイル、カレンダーなどのキャラクター商品を買うために、彼(彼女)たちがとんでもなく長い行列を作っているのです。まあ、我慢強さにかけては、だれもこの世代の人たちにはかなわないでしょうから、不思議ではありません。

日本橋からタクシーを飛ばして国技館に行くと、こちらもまた人、人、人。今日から横綱・稀勢の里も休場ということでコストパフォーマンスは大きく低下しているのですが……。このところの相撲人気はたいしたものです。

037私が応援している尾車部屋の豪風は負けてしまいましたが、今日の土俵はとても充実していました。朝乃山(今場所絶好調)vs石浦、大翔丸vs阿炎(長身でイケメンが人気のよう)、栃ノ心(体の大きさにはたまげます)vs貴景勝、御嶽海(観客の声援がすごい!)vs北藤富士、嘉風(尾車部屋)vs豪栄道、阿武咲(鮮やかな赤の締め込みが印象的)vs高安と、どの一番も見ごたえがありましたし、結びの鶴竜vs琴奨菊も大熱戦。序盤、琴奨菊の攻めをしのいだ鶴竜が最後寄り切りで勝ったのも、横綱の力を見せつけた感じで大満足。今場所はひとり横綱なので、鶴竜もかなり気合が入っています。

今日の席は西の花道のすぐ脇、目の前には場内アナウンスを流す役員がすわっております。花道の脇には呼び出し衆がひんぱんに出入りし、塩の交換や土俵のお清めに備えていたり、懸賞金を入れた袋を用意したり、結びの一番の前に打つ拍子木や弓取り式用の弓を持ってきたり、懸賞旗を準備したり……。さまざまなことをテキパキと、段取りよくこなしていく場面を間近で目にしました。それ以上に驚いたのは力士の体の大きさ。テレビの画面を通じて見てもそれは感じられますが、目の前で見ると、その迫力がまったく違います。長年大相撲を見ていますが、こんな席は初めてで、貴重な経験をさせてもらいました。

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打ち出しの櫓太鼓を聞きながら総武線に乗って水道橋まで。最後は「ふるさと祭り」です。10年前から始まったイベントですが、一度は行ってみたいと思っていました。ドームに足を運んだのは20年以上前でしょうか。前回はローリング・ストーンズのコンサートでした(2006年)。

中に入ると、予想以上の人が詰めかけています。バックネット前からピッチャーズマウンドのあたりに大きな舞台が設けられ、そこでは各地のお祭りの実演が。これが目玉のプログラムなのでしょう。その裏側から外野エリアのほとんどを占めるのが食べ物と物産品のブースです。北海道から沖縄まで全国から出展していて、どこも皆大変な人気。なかには数十人もの行列ができているところもありました。ここで飲み物・食べ物をそろえ、スタンドに座って祭りを楽しむという流れになっているのでしょうね。

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あまりの混雑ぶりにびびってしまい、早めに引き上げようと出口に向かって歩き始めたとき、舞台のほうから聞こえてくる熱いかけ声に足が止まりました。毎年秋におこなわれるという四国は愛媛県新居浜市の「太鼓祭り」がすさまじい迫力だったのです。山車も絢爛豪華で引き手の男たちも真剣そのもの。急遽方針を変更、スタンドを昇り、イスに腰かけて見惚れてしまいました。その次は「秋田竿燈まつり」で、これもまた実物を見たことがないので、この際と思い、結局7時半過ぎまでいたでしょうか。「竿燈」はさすがたいそうな迫力で、その技には脱帽・感動・拍手。

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ただ、さすがに1日3イベントは、観るだけにもかかかわらず、くたびれました。

「大北海道展」もいいけれど、豚丼はやはり……

2018年1月18日
毎年新春恒例の「大北海道展」(東京・池袋の東武デパート)が後半戦に入りました。デパートのこの種の催しといえば1週間が相場。ところが「大北海道展」は1月10日から23日までの2週間ぶっ通しですから、ハンパじゃありません。

今回は初日、それも朝イチで行ってみましたが、早くも30人以上の行列ができているブースが。昼食にと、帯広名物「豚丼」を買って帰り、自宅で食べました。もちろん、それなりのレベルではありましたが、いまひとつ物足りません。

!cid_722ab9eb-e669-4ade-9c0e-22fc5731693d@apcprd04_prod_outlookそれを今日改めて痛感しました。年に5、6回は足を運んでいる「豚っく」という、ユニークな名前の店が御徒町にあります。銀座から浅草に地下鉄で移動する間がちょうど昼飯どきだったので途中下車して立ち寄ったのですが、東武デパートに出ていた店より断然おいしいのです。値段もさほど変わりません。数年前、道東を旅したとき帯広に泊まり、やはり豚丼を食したことがあります。店の数は10を軽く超えるのですが、帯広出身の友人からあらかじめ情報を仕込んでおいたので、迷わずその店に行きました。ここもやはりおいしかったのですが、御徒町の「豚っく」はその上を行っています。

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客も最近は国際的になっており、これまで中国人、韓国人、タイ人、インド人のそれぞれ数人連れグループと出会ったことがあります。SNSとかでどんどん広がっているのでしょう。

明日の夜は東京ドームでいまおこなわれている「日本ふるさと祭り」に行ってみるつもりですが、ひょっとしてそこでも豚丼に出会うかもしれません。でも、2日続けてとなると、ちょっと気が引けますね。北海道にはまだまだほかにもおいしいものがいっぱいあるのですから。

富士山、スーパームーン、雪、そして孫のインフルエンザ

2018年1月4日
本当は今日から3泊4日で台北に行く予定でした。ところが、一緒に行くはずだった孫の一人がインフルエンザとわかり、急遽中止に。飛行機やホテル、旅行保険のキャンセル手続きに、昨日の夕方から今日の午前中いっぱい忙殺されました。

まあ、それはそれとして、1月2・3日の京都出張も無事終了。なかでも、2日の夜にスーパームーンを見られたのは幸いでした。東京を出たときは大変な好天で、新幹線から見えた富士山もいつになくくっきり。やはり、冬の空、それもお正月の時期は抜けが違います。

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しかし、西のほうから天気が崩れ始めていたようで、京都に着いたころは空もどんより。それでも、ダメ元でスーパームーンを見に、夕食のあと外に出てみました。ホテルの玄関には「根引きの松(京都独特のお正月の松飾り)」といって、根がついたままの松が飾られていますし、下に降りた駅前のロータリーには毎年恒例の華道各流派による大きな生け花が展示され、新春の情緒たっぷり。

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さて、お目当てのスーパームーンは──。少し北に渡ったところで夜空を見上げると、ほんの5分ほどの間でしょうか、雲間からすっと姿をあらわしたのです。思わず、スマホで撮ってしまいましたが、一眼レフや望遠を使って撮るような写真にはなりません。でも、それもまたよしではないかと思います。夜空に浮かぶ月だけを被写体として捉えるのは、好事家やプロに任せればよいわけですから。ただ、さすがスーパームーン。いつもの満月より大きく、明るさも強いのがよくわかります。

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3日の昼は、京都市内でも最北部にある高雄周辺での仕事でしたが、お昼近くから気温がどんどん下がり、雪が降り始めます。帰りがけに写真を撮ってみたのですが、スマホのレンズでも、それをしっかりとらえていました。ところが、バスで駅のほうまで下りていくと、雨の降った形跡はあっても、空はウソのように晴れ、気温もけっして低くはありません。同じ京都市内で、駅から15キロも離れていないのに、400近くメートル上っただけで、こうまで天気・気温が変わってしまうのですね。

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というわけで、株式投資の世界では“戌笑う”とも言われる2018年は悲喜こもごものスタート。この先「笑える」ようなことが続けばいいのですが。さて、どんな年になるでしょうか……。