月別アーカイブ: 2013年8月

モスクワのホテルでスターリンの肖像画に遭遇!

2013年8月14日
4泊したサンクトペテルブルグとも今日でお別れ。サンクトぺテルブルグからモスクワへの移動です。午前中はホテル近くを散策。L106095520130814 マリインスキー劇場など、今回ゆっくり観ることのできなかったスポットを少しでもカバーしようと、ギリギリまで粘ります。ホテルに戻り、おみやげ品選びにしばし悩みました。結局、ホテル内の売店で見つけたグラスを選んだのですが、豪華な雰囲気の中に感じられる繊細な色使い、紋様はさすが、王室があったためでしょう。

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L106097220130814 モスクワへは、市内の「モスクワ駅」から午後1時30分発の特急「サプサン(Сапсан=はやぶさ)」号に乗りました。所要時間は3時間余。途中3つほどの駅に停車しますが、その周辺以外の沿線は白樺の林など、森か原野でほとんど何もありません。いまさらながらロシアのだだっ広さに感心します。

しかし、モスクワ版新幹線の乗り心地は意外とよかったです。時間も正確のようですし、安全という観点からも、きちんとした対策が施されているようです。鉄道では初めての経験ですが、ホームに行く前に荷物検査もあります。そこを通過しないといけませんし、乗るときにも車掌がチケットを一人ひとり確認して乗せていきます。このあたりは、だれでもすぐに乗れる日本の新幹線とはだいぶ事情が違うなと思いました。

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モスクワ着は午後5時前。レニングラード駅といいます。行き先が駅名になっているので、わかりやすいといえばわかりやすいのですが、レニングラードはいまはもうない都市名ですから、なんだかおかしい気もします。

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駅から迎えの車でホテルへ。しかし、道路は聞きしにまさる大渋滞で、ドライバーはすぐ裏道に迂回し、予想の半分、30分ほどで着きました。「Historical Hotel Sovietky」は、予想はしていましたが、えらく古めかしいホテルです。

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外の看板には「1950年創業」とあるので、私の生まれ年にオープンしたことになります。当時はまだ東西冷戦の時代。1階から2階、2階から3階に上がっていく階段の広い踊り場にフルシチョフやブレジネフ(いずれも首相を務めた)の肖像画が麗々しく飾られていましたが、その名残でしょう。L1070076 それにしても、スターリンの肖像画まであったのには驚きます。

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古きよき時代をしのばせる高い天井、幅の広い廊下に敷かれた赤い絨毯。部屋の家具やカーテン等々。たしかに、「historical」の名に恥じないといえます。事実、フロントの前には、これまで60余年間にこのホテルに泊まったお歴々の写真がさりげなく貼ってありました。

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この日は、そろそろ日本メシか中華が食べたいタイミングだったので、歩いて15分ほどのところにある日本料理店「一番星」に行きました。ホテルのスタッフがすすめてくれたのですが、味はバッチリ。しばらく前にモスクワを訪問した安倍首相のレセプションで、料理を出した店のようですから、それも不思議ではありません。久方ぶりの「日本」に心がなごみました。

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部屋に戻ってバスタイム。ただ、さすが「historical」、バスタブに十分な量のお湯を入れるのになんと30分以上かかりました。待ち切れず、途中で飛び込んでしまいましたが、洗面台のほうがお湯の出はよかったようです。おそらくオープン当時のものがそのまま使われているのでしょう。

噴水は「夏」へのあこがれ?

2013年8月13日
今日も絶好の晴天。午前中から船に乗って「ペテルゴーフ」まで行きました。エルミタージュ美術館の前にある船着場から高速艇で30分ほど走ったところにある、ピョートル大帝の「夏の宮殿」です。L106084520130814

ここは要するに王室の別荘です。もちろん、別荘といっても、ハンパな大きさではありません。そして、冬は極寒の地となるサンクトペテルブルグですから、暖かさ、太陽の光に対するあこがれがそこかしこに感じられます。それを象徴するのが噴水です。

とにかく、どこに行ってもあるのは噴水、また噴水。よくもこれほどといいたくなるほど、ありとあらゆるスタイルの噴水があります。朝のオープンも、噴水から水が噴き上がるのがその合図になっているほど、それは徹底しています。たしかに、私たちもそうですが、「夏」の盛りに噴水、zるいは滝を目にすると、大いに涼しさを感じます。サンクトペテルブルグの夏はけっして暑くなどないはずなのですが、それでも噴水が象徴する冷涼感が、短い夏をフルに楽しみたいという強烈な願いに通じているのでしょう。

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再び市内に戻り、夕方からは世界でも屈指の作品が展示されているエルミタージュ美術館。L106091720130814

夏のエルミタージュは世界でも指折りの混雑ぶりだそうですが、それにしても人であふれ返っていました。なんでも、冬に来るとガラ空きだそうで、これは真剣に考えたほうがいいかもしれないと思ったしだい。冬は、市内を流れるネヴァ川、それが注ぎ込むフィンランド湾がすっかり凍りついてしまい、人も歩けるのだそうです。大きな川や海が凍ってしまうなど、目にしたことがないので、一度確かめてみたいという好奇心が湧き起こってきたしだい。

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しかし、ここに残されている膨大な数の貴重な美術品も、先のドイツ軍のレニングラード包囲戦の直前、市民有志が列車でウラル地方まで待避させていたために守られたものだそうです。この戦いで街は荒廃したものの、今日なお歴史的、文化的価値のある建造物が残されているのは、自分の命さえ危うい激戦のさなかにあっても、そうした価値ある遺産を後世に残そうと努めた市民たちのおかげでしょう。

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L106094520130813夕食を済ませたあとはネフスキー大通りで買い物と散策。さすがサンクトペテルブルグの目抜き通りだけに、クラシックでしゃれた建築物がいっぱいあります。ほかにも、ペトロパヴロフスク要塞、クンストカメラ(博物館)、アレクサンドル・ネフスキー大修道院、アレクサンドリー劇場、カザン聖堂、血の上の救世主教会など、当初予定していたところの大半が行けずじまいにおわってしまっただけに、せめてこの通りを少しでも観たかったのです。

ホテルに戻る前に、近くの食料品店で水やらビールを買い求めました。空気が乾いているので、そうしたものがとてもおいしく感じられるのです。ビールは基本的に2種類あって、アルコール分の少ないものと濃いもの。日本でも最近はプレミアム系のビールが人気のようですが、ちょっと油断するとコーンスターチなどという、本来ビールとはまったく関係のない成分が混ざっています。その点、ヨーロッパではそういう裏切りには遭いませんから安心できます。子の日も、就寝前に、乾いた喉をうるおしてくれる1杯を。

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エカテリーナ宮殿を堪能

2013年8月12日
午前中は、Eさんのご主人が懇意にしておられるポポワ東洋学研究所所長を訪問。門外不出の資料を特別のはからいで拝見しました。その価値は専門家であればあるほど理解できるようですが、ど素人の私たちでも、その希少性、重要性というか価値は多少理解できるつもりです。

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午後は隣のプーシキンという町にある「エカテリーナ宮殿」の見学です。マイクロバスで40分ほどで到着しましたが、それはそれは贅を尽くしたところで、私たちは事前に予約していたので特別の入口から入場、ゆっくり観てまわることができました。

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帰途、早めの夕食(ロシア料理)を済ませましたが、ここもけっこうレベルが高く、こうしてみると、ロシア料理も捨てたものではないということがよくわかります。ただ、ボリュームのすさまじさはここも同じ。人数分を頼んだりすると、半分以上は残してしまうのではないでしょうか。

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予定より早く街に戻ったので、夜は運河クルーズを楽しむことに衆議一決。夜といっても、緯度が高いせいか、8時ごろだとまだ十分明るく、実感がありません。ただ、さすが、屋根のない船に乗って走れば足もとが冷えるので毛布を貸してくれます。そして、これがとても重宝しました。

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海側からながめるサンクトペテルブルグの街並みはなんとも味わい深いものがあります。さすが“北のベニス”と呼ばれるだけのことはあります。大都会ではありますが、高層ビルがないため、無機質な部分がありません。それが最大の要因でしょうが、都会らしいにぎわい、力強い輝きのようなものが十分感じられるので、私は一発でファンになりました。共産政権の時代を何十年も経てきたにもかかわらず、よくぞここまでクラシックな分行きの街並みがきちんと残ったものだと、むしろそのことに感心しました。

ちなみに、今朝訪れた東洋学研究所の全景を船上から確認することができました。たいそう立派な建物で、感動を新たにした次第です。

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雨のサンクトペテルブルグは重い1日に

2013年8月11日
今日がサンクトペテルブルクの実質的な初日。しかし、あいにくの雨で当初の予定を変更、今日は市内にとどまることになりました。

最初に行ったのは、旧市街の東北端、ネヴァ河畔にあるスモーリヌイ聖堂。18世紀に女帝エリザベートが女子教育の場として創設、その後エカテリーナ2世が女学校を開き、革命直前まで貴族の令嬢たちの教育がおこなわれた修道院だそうです。L106056220130811 いまはコンサートホールとして使われているとのことですが、1917年10月のロシア革命のとき、レーニンに率いられた革命派の作戦本部がここに置かれ、ソビエト政権の樹立を宣言(10月25日)、首都がモスクワに移るまでは、政権の中心だったという場所です。そういえば、もともと「サンクトペテルブルグ」という名前だったこの町は、ロシア革命のあと「レニングラード」というふうに改められたことを思い出しました。

ここからバスと地下鉄、さらにバスに乗ってピスカリョフ墓地に足を運びました。驚いたのは地下鉄の深いこと、深いこと。この町はもともと、ネヴァ川がフィンランド湾に注ぎ込む湿地帯に築かれた人工都市です。そのため、地下鉄を作る際、掘っても掘っても水が出てきて、結局、とんでもない深さに軌道を設けることになったのだとか。東京の地下鉄千代田線の小川町という易があり、初めてこの駅に降りて行ったとき、あまりの深さに驚きましたが、その比ではありません。近ごろは、都営大江戸線に代表されるように、ちょっとやそっと深くても、「あとで作ったんだから仕方ない」とも思うようになりましたが、それすらも上まわる深さです。

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駅も荘重というか、えらく豪勢なつくりです。そのわりに車両はかなり古く、騒音がすごいですし、乗り心地もいまイチ。でも、料金が25コペイカ(約8円)であることを考えればいた仕方ないのかも。

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さて、ピスカリョフ墓地ですが、ペテルブルク市街の北部にある広大な戦没者墓地です。第2次世界大戦のさなか、1941年6月の独ソ開戦によってドイツ軍の攻撃を受けたレニングラードは、9月8日からなんと872日間、1944年1月27日まで包囲されていました。この間、投下された爆弾の数は15万を超え、電気も水道もストップしたこの街で、多いときには1日3万人近くの人が餓死したというのですから、そのすさまじさは想像を絶します。そうして亡くなっっていった市民をそれぞれの遺族が仮埋葬していたのがやがて墓地になったそうです。

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広大な敷地には、「墓地」というにはあまりに悲しい、幾多の市民・兵士がひとまとめにして葬られた大きな盛り土が連なっています。墓標には、遺体・遺骨が見つかった年が記してあるだけで、「個」の存在はほとんど感じさせません。それでも、第2次大戦で死んだアメリカ軍兵士を上まわる数の市民が葬られているとのこと。「★」は、埋められているのが兵士であることを示しているそうです。

いちばん奥に立つモニュメントの背後の壁には、「“Никто не забыт и ничто не забыто”(=だれ一人忘れまい、何ひとつ忘れまい)」という、女流詩人オリガ・ベルゴーリツの鎮魂の詩が刻まれていました。

墓地の入口の脇にこじんまりした資料館があります。レニングラード包囲戦の模様をつぶさに記録した展示の中に、両親・兄弟・おじ・おばなど家族を次々と失い、やがて疎開先で自身も亡くなった少女ターニャ・サビチェワの残したメモ「ターニャの日記」がありました。L106058520130811 日記の最後は「サヴィチェフ家は死んだ みんな死んだ 残ったのはターニャだけ」となっているのですが、そのあまりにシンプルな文言は百万言の言葉を費やすより圧倒的なパワーで、戦争の悲惨さを示しているように思えました。

その後、同じ経路で都心に戻り昼食。店に入るとまず席を決め、トレイを持って料理がずらっと並べられている中からほしいものを選んで店員に告げます。最後に飲み物を決め、レジ支払いを済ませるキャッシュオンデリバリー方式。ごく普通の市民生活を送っている人たちの朝食や昼食はjこうしたスタイルなのでしょう。でも、どれも皆そこそこおいsく食べられました。パリで抱いた不安はどうやら杞憂に終わりそうな感じがしてひと安心です。

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腹ごしらえをすませ、近くにあるドストエフスキー文学記念博物館を訪れました。いまでも、日本の若い人たちには人気がるかどうかわかりませんが、私が大学に行っていたころは、必読文献といった扱いで、ドストエフスキーの作品をひととおり読んでいないと、仲間の話についていけないという感じでした。

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L106061720130811 博物館を出てすぐのところにクズニェーチヌイ市場というマーケットがありました。市民の台所の一つのようですが、時間帯のせいもあって、中は比較的空いていました。食料品だけでなくおみやげを売っている店もあり、Eさんご夫妻は大量にマトリョーシカを購入されていました。

夕方近くになっても天気はまだ回復しません。市場のあとは美術館です。サンクトペテルブルク最大の美術館はいわずと知れたエルミタージュですが、今日はロシア美術館に行きました。もともとは宮殿だった建物ですから、内部の豪華なこと。ヨーロッパにはこうしたタイプの美術館や博物館が多く、作品もさることながら、建築物としても十分楽しめるのがうれしいです。

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この美術館はロシア美術の作品がふんだんに所蔵されているようです。パリのオルセー美術館で観た印象派の作品ももちろん素晴らしいのですが、個人的には、ロシア美術の“明緻な暗さ”とでもいうのでしょうか、わかりやすさが好きです。83歳で亡くなるまでなんと6000点もの絵を描いたというイヴァン・アイヴァゾフスキーの海をモチーフにした作品はその代表。

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ロシア美術館をあとにし、バスに乗ってホテルに戻ったのですが、考えてみれば、サンクトペテルブルグというところは街全体が美術館・博物館のようなもの。目に入ってくる建物いちいちが好奇心を刺激します。

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ただ、天候ともあいまって、なんとも“重い1日”でした。

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パリからサンクトペテルブルグへ

2013年8月10日
今日午後のエールフランス便でサンクトペテルブルグに移動してきました。パリからは3時間半ほどのフライトです。国際線が離着陸するわりにはさほど大きくないプルコヴォ空港からあらかじめお願いておいた迎えのクルマに乗って30分ほど走ると、ホテルに到着。都心に近づくにつれ、この町の美しさが伝わってくる感じがしました。

荷ほどきをして、近くをぶらぶら歩いてみると、運河が流れ、その両側は300年も昔に建てられた建物がびっしり並んでいます。L106052320130810 ほんのちょっと垣間見ただけですが、「パリに負けない街をつくる」との思いでこの都市を築かせたピョートル大帝のすさまじいまでの意欲が感じられます。

街をブラブラすると、とんでもなく古いクルマが走っていたり停まっていたりするのがなんともおもしろかったです。トウモロコシをゆでて食べさせる屋台があったので、さっそく買い求めてみました。2ルーブルですから、60円ほどでしょうか。トウモロコシ自体は奄美にかけ、どうということもなかったのですが、こういうものを売っているのが、古きヨーロッパとでもいうのでしょうか、そうしたものを感じさせます。

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とりあえず情報がほとんどないので、夕食はホテルの最上階にあるレストランで済ませましたが、思っていたとおり、どれも皆たいそうなボリュームで、注文の品数を抑えてよかったと胸をなでおろします。予想外だったのはそのおいしさ。「ロシア」というので、基本的に無知ですし、なんの根拠もない先入観というか、ほとんど期待していませんでした。しかし、ボルシチもビーフストロガノフもハイレベル。感動でした。
夜9時近くになって、今回ロシア9日間の旅のプランニングをはじめ、滞在期間中全体のプロデュースをお願いしたEさんご夫妻とホテルのロビーでドッキング。今日からのスケジュールを確認しました。

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ジヴェルニーの庭園に「日本」が!

2013年8月9日
今回のヨーロッパ旅行の前、高校時代の友人Nくんから教えてもらったジヴェルニーに行ってきました。「(クロード・)モネの家があって、その浮世絵コレクションがすごい! 一見の価値はある」ということでした。

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切符を買うのにひと苦労し、出発は結局お昼近くになってしまいました。パリのサン・ラザール駅から列車に乗り15分ほど走ると完全な田園地帯です。ヨーロッパの都市に多いパターンですが、住宅が密集しているエリアはほんのわずかで、今回も家が見られるのはセーヌ河畔まで。そこを過ぎるとほとんど畑ばかりです。

45分ほどでヴェルノンという駅に着き、そこからバスで15分。停留所からさらに5、6分ほど歩くと、一帯は「モネ・タウン(というよりヴィレッジです)」といった感じになっているのですが、もう完全な田舎です。L106046020130809

平屋の家がほとんどなので、それも当然でしょうか。その一角に、印象派画家の代表モネが43歳のときから86歳で亡くなるまで、人生の半分を過ごした家があります。それが当時のまま保存され、アトリエをはじめ、広大な庭園など、モネの生活がうかがわれる施設になっています。

さほど大きくもない建物に入ると、いきなり壁いっぱいに浮世絵が。その数はハンパではありません。日本人の私もいまだかつて見たことのないような作品が、これでもかといわんばかりに並んでいます。さらに幕末から明治初期にかけて描かれた錦絵もありました。なるほど、モネはこういう作品に刺激を受けて絵を描いていたのです。

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モネは16歳のころ、オランダの商船によって運ばれてきた日本の浮世絵版画に夢中になったそうです。以来モネの「日本」への傾倒は変わらず、ジヴェルニーのこの家にある庭園はほとんど日本庭園といってもいいくらいのつくりになっています。L106048920130809

しだれ柳が植えられ、池には太鼓橋が架かっています。「睡蓮」というモネの代表作はこの池に浮かぶ睡蓮を描いたもなのです。

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L1060490201308093時間ほどの滞在でしたが、心が洗われた感じがしました。パリの喧騒も楽しいのですが、思いもかけずフランスの片田舎の空気に触れることができたのはNくんのおかげ。やはり持つべきものは友だちです。ちなみに、Nくんは高校3年生のとき同じクラスでした。陸上競技部で中距離を走っていたのですが、大学に入ってからは駅伝(あまり有名ではないのですが、「六甲山駅伝」という関西のレースです)を走ったそうです。卒業後は小社に勤め、世界中をまわってきただけに、幅広い分野の知識・情報を持っています。直感と粘り強さが持ち味、近ごろは家庭菜園にもエネルギーを注いでいるとか。

L106050020130809_2今日は今回のパリ滞在最後の夕食ですが、昼間歩きまわった──万歩計によると20000歩を超えていました!──ので、かなり疲れがきています。そこで、夕食はホテル近くの小ぶりなタイ料理店で済ませました。 ところが、これが意外にもけっこうなアタリで、なかでもオードブル盛り合わせはグーでした。明日からはロシア。食べ物はあまり期待できそうにないので、おいしい食べ物を口にできたのはラッキーそのもの。

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日本にはない「川」の楽しみ方かも……

2013年8月8日
今日もまたピーカン。まずは恒例の動物園訪問です。ホテルから地下鉄で20分ほどで到着したのですが、残念ながらキリンはいませんでした。L106038620130808 仕方なく、園内のそこここに置かれているオブジェの中にカバがいたので、ツーショットで。それにしても、この動物園は植物園と一体になっており、これがまたえらく立派な建物でした。もともとすべて「王立」というか、ブルボン王朝の時代につくられた施設ですから、それも当然。ウィーンの動物園のときもそうでしたが、要は王様や王妃の道楽の一つでしかなく、庶民は、楽しむどころか、足を踏み入れるのもご法度だったにちがありません。

動物園の近くにモスクがありました。パリはご承知のとおり、かつてフランスがアフリカに多くの植民地を持っていた関係で、アラブ系の人たちが数多く済んでいます。そうした人たちが自身の信仰を建負ける場として、この種の施設がいくつかあるようです。時間があったのでちょっと立ち寄ってみたのですが、ちょうどお昼前で、モスクそのものはクローズ。本当は中をちょっとのぞいてみたかったのですが、残念なことをしました。

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その代わり──でも、なんでもないのですが──、入口近くにカフェあり、そこで、あまり見たことのないアラブ系のスイーツを見つけました。好奇心旺盛な私ですから、試してみないわけがありません。というわけで──。

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朝から午後は「サンマルタン運河クルーズ」を楽しみました。前日の夜、ネットでいちおう予約を入れておいたので、乗船はスムーズ。 バスチーユ近くのアーセナル船着場から出発する小さな船──といっても乗客は200人ほどいました──で出発です。

低いところから上流に向かってさかのぼっていくので、途中何度も閘門があり、そのたびに水深を調整するためストップします。L106041020130808 それを近くでながめている人たちもおり、とにかくのんびりとしたクルーズでした。

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2時間余をかけてようやく目的地ラ・ヴィレットに到着。ここにはパリの最西北にある大規模な公園があり、その真ん中を運河が走っています。L106043420130808 音楽博物館とラ・ヴィレット公園、片方にはジェオード(球形映画館)と科学産業博物館など、モダンな建築が数多く並んでいます。その建設と同時につくった人工湖の岸辺では、ヴァカンス時期と重なっているためか近在の人たちが遊んでいました。

そこからさらに上流に向かっていくクルーズもあるようですが、日本ではなかなか見られない遊び方といえます。ヨーロッパというのは、どこの国に行ってもこの種の運河が張り巡らされており、それを利用すると、それこそフランスからブルガリアあたりまで行けるとも聞いたことがあります。

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帰りは地下鉄で一路都心へ。30分も経たないうちに戻ることができました。デパートをのぞき、靴などを買い求めましたが、さすがプランタン。その大きさは半端でなく、日本からの客もけっこう目にしました。

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夕食はホテル近くの中華料理店で。

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もったいなさすぎのオルセー美術館

2013年8月7日
パリ2日目。早朝から雨で、出かけるときは降りがひどかったので、タクシーでオルセー美術館まで行きました。前回来たときは、昨日のヴェルサイユ宮殿と同様、地下鉄や国鉄職員のストライキのため観られなかったところです。美術館の職員が、ストライキで出勤できないという理由でした。日本ではあまり考えられない理由ですが、フランスではけっこう当たり前みたいです。ただ、そのおかげでリノベーションを済ませた新オルセー美術館をゆっくり観ることができました。

L106034120130807 10時前に着いたのですが、美術館のチケット売り場は早くも長蛇の列。私たちは「ミュージアムパス」のおかげですんなり入れました。それでも、中はもう大変な数の客。荷物チェックを受け、リュックサックをクロークに預けてスタート。5階か6階の建物のほとんどが吹き抜けというあまりのスケールの大きさに最初から驚きの連続です。

L106034320130807 それも当然で、もとの建物は1900年に開催された万国博覧会に合わせて作られた鉄道駅舎兼ホテルなのです。かまぼこ状の大屋根の地下に10以上のホームを備えていましたが、狭かったため、一時は取り壊しの話もあったとのこと。しかし、政府が保存活用のプランを検討、19世紀の美術作品を展示する美術館として生まれ変わることになり、1986年、オルセー美術館としてオープンしたというわけです。

しかし、それにしても、いきなりミレーの「晩鐘」に「落穂拾い」ですから。あとはもう、盆と正月がいっぺんにやってきた感じというか。セザンヌ、モネ、ドガ、クールベ、ゴーギャン、ロートレック、ルノアール、マネ、シスレーといった印象派の巨匠の、美術の教科書とかでさんざん観た作品が、これでもかこれでもかというぐあいに、そこらじゅう展示されているのですから。途中、イスが随所に置かれて休憩もできるのですが、その脇に彫刻が置いてあるので、ふと作品名を見ると、ロダンとかマイヨールとかで。なんだか、ありがたみが感じられず、いい意味で呆れてしまいました。

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日本にいたら、それこそ一人ひとり3、4カ月の期間で国立美術館あたりで展覧会ができるような作家ばかりです。それがここまでそろってしまっているとなると、入った瞬間、これは1日、それも何時間かで観てしまってはいけない、罪悪感とはまた違うのですが、とりあえず半分くらいにしておこうということにしました。残りは「また次回!」です。

L106035520130807 美術館を出てセーヌ川を渡るとそこはルーブル美術館。こちらは初めてパリに来たとき一度行っているので、とりあえず今回はパスします。夜はホテル近くを探し、歩いてすぐのパサージュに中で見つけたお気楽フレンチの店に。セットメニューで13~14ユーロほどでしたが、前菜と肉料理だけでほぼ満腹。デザートは残念ながらパスでした。敷地の中を抜けて「グランパレ」近くのカフェでランチ。 ここはかつて1900年のパリ万博の際に建てられた美術館だったそうです。その後はすっかり廃れてしまったものの、2005年に大幅なリノベーションがなされ、さまざまなイベント用の施設として生まれ変わったとのこと。L106036220130807_2

そのあと「グランパレ」の中を通りながら、すぐ北側にいくつかある「パサージュ」へ。いちおう屋根付きの商店街というスタイルなのですが、昔の面影はないようで、人通りはまばらです。そのまま歩き続け、昨夜歩いた日本料理の店が集中しているあたりを抜けてホテルに戻りました。L106037020130807

予約していたホテルが消滅!?

2013年8月6日
6年ぶりのパリです。羽田発の深夜便で来たので、シャルル・ド・ゴール空港到着はなんと朝の5時50分。空はまだ暗かったです。そんな時間ですから、空港にいる人は少なく、入国手続きも税関もスイスイ。6時半には、ターミナルビルの外で、コーヒーを片手に一服できました。

空港内の観光案内所でミュージアム・パスなど必要なものを購入し、タクシーで一路、市内へ。渋滞もなく30分ほどで、オペラ座近くにあるホテルに着いたはずなのですが、ホテルの名前が違っていいます。3カ月前に予約しておいたのは「Radisson Blu Ambassador」というホテルなのですが、タクシーが止まったのは「Marriott Opera Ambassador」。でも住所は間違いありません。念のため、近くをひとまわりしてもらったのですが、やはり間違いなさそうです。

とりあえずタクシーを降り、フロントで聞いてみると、「間違いありませんよ、ここです。ひと月前に名前が変わりました」とのこと。日本でいうなら、ホテルオークラを予約しておいたはずが、行ってみたら帝国ホテルに変わっていたようなものです。まあ、欧米ではホテルの買収は当たり前のことではありますが、それにしても驚きました。L1060509ambassador20130809

でも、幸いなことに部屋が空いていたので、すぐにチェックインでき、荷物も部屋に運び込んでもらいました。さっそく行動開始で、長年の課題であるヴェルサイユ宮殿に行きました。前回来たときは行けなかったので、今度こそです。L106029020130806 ホテルを出てオペラ座の駅からメトロと電車を乗り継いで1時間。着きました! ヴェルサイユに。

ところが、まあ、ある程度は予想していたとはいえ、その聞きしに勝る混雑ぶりにはびっくり。入場券を買うのに30分くらいは待つ感じでしょうか。ミュージアムパスを購入しておいたので、その部分はスルーできるのですが、今度は、中に入るための行列に並ばなけれがなりません。まともに待っていたら1時間以上はゆうにかかりそうです。L106033420130806

そこで、宮殿の中に入るのは後回しにし、その奥にある庭園や王妃のための離宮のほうから先に観ることにしました。しかし、さすが世界遺産、宮殿ほどではないにしても、どこも人が多く、しかも夏休みのただ中。世界中から人が来ているのですから、やはりこの時期は鬼門といった感じです。

「宮殿は次来たときに」と、またのパリ旅行の理由づけもできました。「今回しかない」と思えばそういうわけにも行かないのですが、最近はだんだんずうずうしくなってきています。

木々と水で構成されている庭園はやはり大変なスケール。噴水のショーなどもあり、ゆっくりした時間を過ごすことができます。なにせ、真夏のこの時期なのに最高気温が25℃ほどですから、体の楽なこと。歩き疲れはしても、暑さにやられることはありません。結局3時半ごろまでいて、市内に戻りました。

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L106032420130806 夕方部屋に戻り、ひと休みしたあと、夕食に出ました。歩いて15分のところの界隈はやたらに日本料理の店が多かったのですが、結局は昨年の同じ時期、ブリュッセルで食べたムール貝の店の支店があったので、そちらに。ただ、同じところで取れた貝を使っているはずなのに、ブリュッセルの店のほうが数段おいしかったです。

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