月別アーカイブ: 2018年2月

好奇心をかき立てられた「南方熊楠展」

2018年2月25日
『南方熊楠【みなかたくまぐす】展──100年早く生まれた智の人』にやっと行けました。今週いっぱいで終わりなので、滑り込みセーフといったところでしょうか。

場所は上野の「国立科学博物館」。先日、二人の孫を連れて行ったばかりです(65歳以上は入場無料というのがありがたい)。世界中どこの美術館・博物館でもシニアは優遇されていますが、「無料」というのはなかなかありません。

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それほど広いスペースでないこともあってでしょう、けっこう混み合っていました。しかも、若い人の姿が目立ちます。来館者のほとんどがそれこそシニア世代ではないかと予想していたので、これは意外でした。そもそも南方熊楠という人物自体、それほど広く知られた存在ではないと思いますし。

熊楠は和歌山県の田辺生まれなので、私の父方とルーツが同じです。田辺にはこれまで二度行ったことがあります(実はもう一度行ってはいるのですが、それは広域合併で田辺市に編入された熊野エリア)。旧田辺市内にある立派な「顕彰館」にも行けていません。こちらは2005年7月にオープンしたのだそうで、その約1年後には、南方熊楠旧邸も、実際に住んでいた当時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修されたといいます。それとは別に、1965年に白浜町にも「記念館」が作られており、同じ地域に二つの施設が競合する形になっています。

博物学の大家として世に知られる南方熊楠は「子供の頃から驚異的な記憶力を持つ神童だった」と言われる人物。数日間で100冊を越える本を読み、そこに書かれていた内容を、家に帰って書写するという超人的能力を持っていたようですから、ハンパじゃありません。東大予備門を中退後、19歳から約14年間、アメリカ、イギリスなどに留学、さまざまな言語で書かれた文献を読み込み、それを克明にメモしていったといいます。植物、とくにキノコ類にめっぽう詳しかったようですが、人文科学にも精通井し、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な存在でもあります。

いわゆる学術論文はほとんど書いていませんし、官職に就いたこともないものの、昭和天皇にもご進講(1929年)するなど、その力量は高く評価されていました。ご進講自体、昭和天皇ご自身が望まれたようで、「聖上田辺へ伊豆大島より直ちに入らせらる御目的は、主として神島及び熊楠にある由にて」と、軍令部長にご自身の所信を書かせたとのこと。1962年、和歌山を33年ぶりにご訪問された昭和天皇は、神島(かしま=田辺湾沖合の島)を目にしながら、「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠んだそうです。

しかし、数年前、こんな話を聞きました。明治時代半ばごろ、政府が実施しようとした神社合祀政策に、思いもよらない角度から異を唱え、最後はその主張が受け入れられたというのです。熊楠の主張の根拠が、田辺の沖合に浮かぶ神島の話。神島には多種多様な照葉植物が自生していましたが、神社合祀によってこの島唯一の神島神社もなくなることが明らかになりました。神社がなくなれば、森林は自由に伐採できるようになり、植生が失われてしまいます。それを知った熊楠は、生物学的見地からその保護を主張、東京大学教授・松村任三と貴族院書記長官・柳田國男にも書簡を送り訴えます。そして、最終的には天然記念物に指定されることになったそうです。生物学などまったくの門外漢である私は、熊楠についてもさほど関心がありませんでしたが、それがきっかけで深い興味を抱くようになりました。

今回の展示を見て知ったのは、熊楠の関心が途方もなく広範囲にわたっていること。ここまで……と思うほど、あれやこれや、ほとんどどんなテーマについても自身の考えを、きちんとした調査に基づいて披歴していることです。インターネットも何もなかった時代によくぞと言いたくなるくらい圧倒的な量の情報が熊楠の頭の中には収まっていたのでしょう。「顕彰館」「記念館」の両方とも、近いうちに訪れてみたいと思いました。

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帰り道、上野公園の一角に冬の桜が花を咲かせていました。最初は梅かなと思ったのですが、木の幹に「冬桜」と記した札がつけられていたのです。あとひと月もすれば、この一帯は春の桜=ソメイヨシノで覆われるのですね。

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3年目に入った「サンウルブズ」、緒戦は健闘

2018年2月24日
秩父宮に行ってきました。「スーパーラグビー」3年目を迎えたサンウルブズのシーズン緒戦。対戦相手の「ブランビーズ」は、2年前、私たちがオーストラリアのキャンベラまで観に行った前で惨敗を喫した相手です。敵地とはいえ、サンウルブズはまったくいいところなし。それでなくても寒い夜だった上に、試合内容はもっとお寒く、5対66で負けました。

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それが今日はどうでしょう。前半戦だけで3トライ。それも皆、気持ちよい、スカッとしたトライばかり。「今年は違う」というのをありありと感じさせる内容です。後半こそブランビーズが本領を発揮し始めましたが、それでも後半30分過ぎまで10点差。そこから粘っこく攻めに攻め、終了直前、相手ゴール前ほぼ正面の位置でペナルティーを得ました。PKで3点を取り、7点差で試合を終わらせればボーナスポイント(勝ち点1)を確保できます。スクラムなりタッチキックなりで攻めればトライのチャンスもなくはないのですが、万が一取れずじまいだと10点差のままなので、ボーナスポイントはゼロ。結局PKを選び勝ち点を確保するほうを選びましたが、こんなことで選手たちが悩んだのは初めての経験のはず。でも、結果としてはよかったのではないでしょうか。

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運営面はだいぶ進歩してきた感じがします。ボランティアの数も増えていますし、全体としてすっきりわかりやすくなりました。これで箱がよければなおよしですが、何せ取り壊し目前ですから、それは致し方ないかも。スクラムを組むたびにグラウンドの芝がはがれるスタジアムなど、世界中探してもないでしょう。あざといイヤーブックの販売もありませんでしたし、キャラクターグッズもリーズナブルな値段になっています。あとは最寄り駅である東京メトロ外苑前駅の整備ですね。

高校同期生の社会見学──今回は横浜・野毛

2018年2月17日
一昨日、ヨーロッパから帰ってきたばかりですが、今日は高校同期生が集まっての社会見学。行先は横浜・桜木町の伊勢山皇大神宮です。横浜総鎮守でもあるこの神社、実はかなり格式が高いようで、いうならば“関東のお伊勢さま”。

行って驚いたのは、2014(平成26)年におこなわれた本家・伊勢神宮の式年遷宮で建て替えられた古社殿が、こちらにそのまま移されていたこと。それが2020(同32)年に、ここ伊勢山皇大神宮の本社殿になるのだそうです。堀立柱の唯一神明造、伊勢と同じ茅葺きですから、完成したときはさぞかし神々しい雰囲気がただようことになるのでしょう。

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社会科見学は小1時間で早々に終了、本来の目的である「野毛【のげ】のディープな居酒屋で昼呑み」に移ります。伊勢山皇大神宮が建つ場所はもともと、標高50mほどの野毛山という名前で知られていたそうです。幕末の1859年、横浜が開港すると、外国人貿易商を相手に商売をする日本人の豪商たちが住まうようになったのがこのあたり。87年には日本で初めての近代水道用の配水池が敷設されています。1949年に開催された日本貿易博覧会の会場にもなり、その2年後には動物園も完成。

まあ、このように由緒ある場所なのですが、なぜか山のふもと一帯は横浜随一の飲み屋街になっています。狭いエリアに数えきれいくらいの居酒屋、バーが密集し、食べられるものも焼鳥、おでん、ホルモン(もつ)、寿司、てんぷら、中華など、なんでもアリといった感じ。それにしても、この界隈がそうなったのか、不思議な気がします。

太平洋戦争のあと伊勢佐木町など横浜の中心部の大半は進駐軍に接収されたため、このエリアは復員兵や軍需工場の労働者など日本人の生活の中心地として機能したといいます。生活用の物資が慢性的に不足する中、闇市と屋台が並ぶ野毛は「ここに来ればなんでもそろう」と言われ、職と食を求める人々でごった返していたようです。

IMG_E3446いまでも街全体に昭和の匂いがかなり濃厚にただよっており、昼ひなかから営業している飲み屋も少なくありません(これは、東京・浅草と同じく、JRAの場外馬券売り場=WINSが近くにあるためです)。その一角で、ピョンチャン冬季五輪の男子フィギュアをテレビ観戦するのも一興ではないかと、今日参加した8人全員の意見が一致。さっそくあたりを徘徊して見つけたのが中華料理屋。なんの変哲もない店でしたが、どうしてどうして味はハイレベル。中国・福建省出身のおかみさんを相手に会話も楽しみながら、羽生結弦選手の金メダル確定の瞬間を全員で祝いました。

意外と快適だった駅前の3つ星ホテル

2018年2月14日
昨日泊まったホテル。実はその前日に予定を変更し、あわてて予約を入れたものでした。当初は、“世界最先端! 動物が快適に過ごせる”と評判の「チューリヒ動物園」を訪れ、そのあともう一度列車に乗って、空港により近いバーデン(Baden)という町に泊まる予定でした。この町のホテルには、その名のとおり温泉(=Bade)があり、10日以上に及ぶ今回の旅の疲れを癒してから帰国しようと思ったのです。

ただ、冬ですから、動物園も、姿をあらわさない動物が多い(とくにアフリカ系)のでは……と思ったのと、チューリヒの駅で重いスーツケースをコインロッカーに入れたり出したりするのが、なんとも面倒に思えたからです。実際には、チューリヒの駅も大々的にリノベーションされていて、新しい連絡通路ができていたりなど、コインロッカーもたぶん簡単に利用できたのかもしれません。リノベーションはまだまだ途上のようで、今度来たときはどこまで変わっているか、楽しみです。

さて、急遽予約を入れたホテルが予想外に快適でした。3つ星なのですが、部屋は広く、バスタブもあります。朝食もまあまあ充実していて、パドヴァより数段上、サンモリッツの4つ星ホテルよりもおいしかったように思います。あえて難を言えば、朝食を摂る場所が若干せせこましかったことくらいでしょうか。

駅からチューリヒの空港までは電車で15分足らず。空港も大幅にリノベーションされており、広い(広すぎるかも)わりにはわかりやすく、出発まで心地よい時間を過ごすことができました。そうそう、「チューリヒ動物園」は、近いうち、いい季節を選んで絶対に訪れたいと思っています。

チューリヒの老舗日本料理店、そして夜はチーズフォンデュ

2018年2月13日
3泊したサンモリッツとも今日でお別れです。朝方ホテルを出るとき、一緒になった日本人のグループがいました。話を聞くと、6泊8日のスケジュールでやってきて、まる1週間、朝から夕方までずっと、周辺にあるあちこちのコースに行って滑るのだそうです。全員70歳近い方々ばかりで、スキーの奥深さを改めて実感させられました。

私たちはサンモリッツの駅から「グレイシャーエキスプレス(氷河特急)」でクールまで。クールからはチューリヒまでは通常の列車です。氷河特急の窓からの眺めは素晴らしいのひと言。ここも10年前、逆方向で走ったのですが、同じ路線とは思えないほど、見えてくる景色が違います。

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クールの駅はとてもユニークで、コンコースを通って駅舎から出てもまだホームがあります。ただし、こちらはトラムや短い編成の電車用で、そのすぐ隣にはバスターミナルが。なんだかとても不思議な空間でした。町にちょっと出てみると、古くはありますが、落ち着いた印象で、もう少し長い時間いられればと思ったくらいです。

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チューリヒには1時過ぎに到着。前夜遅くに予約したホテルは駅のすぐ近くです。そのまた近くに、この町随一の老舗日本料理店があるのを調べておいたので、ランチタイムぎりぎりの午後2時10分前に滑り込み、セーフ。ランチのお寿司はめっぽうおいしく、ほっとひと息つくことができました。

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食べ終わったあと日本人の店主と雑談したのですが、夏からは別の場所に移転するとのこと。チューリヒも最近は寿司店が増え、回転寿司までできているそうです。寿司はいま世界中どこでも食べられるようになっていますが、やはり日本人が経営し、日本人が作っていないと、日本人の舌に合ったものは食べられないように思えます。それでさえ、ローマのように「えーっ?」というようなシロモノしか食べられない店もあるのですから……。

DSC_0107ホテルに戻り荷物を整理し、町の観光に出ました。クールからチューリヒまでの1時間も、途中、湖の先に雪を戴いたアルプスが見えましたが、夏でもアルプスの山並みが観られるのはうらやましいかぎりです。湖畔の桟橋(遊覧船が走っているようです)まで出ると、真正面にアルプスが! ただ、町の中はどこもかしこも工事、工事のようでクレーンだらけ。そのため、かなり興趣をそがれたものの、ヨーロッパの金融の中心の一つだけあって、お金持ちを相手にした高級ブランドの店がいくつもありました。

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夜は、これも昨夜遅くに予約しておいたチーズフォンデュの店です。こちらも創業100年以上という老舗らしく、店内は、いかにも年季の入ったしつらえで、派手さのないところもスイスらしい感じ。開店直後から客がどんどん入ってきます。フォンデュを食べるのは、10年前、スイスを訪れたとき以来。でも、やはりおいしいですね。

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スキーも持たずにスキー場に行くさびしさ

2018年2月12日
IMG_1747今日もまた好天が続きます。朝から、30分ほど電車に乗って郊外にあるディアヴォレッツァまで行きました。ここには標高約2978mのところに展望台があり、4000m級の山々を間近に臨むことができます。展望台までは鉄道駅からロープウェイに乗って10分ほどで到着。ただ「展望台」というのは夏の言い方で、冬場はスキー場です。あとほんのわずかで標高3000メートルに達するゲレンデには地元の人を中心にスキーヤーがびっしり。スクールもあるので、なんともにぎやかです。ただ、もともとは広い場所ですし人口も少ないので、日本のスキー場のようにせせこましさはまったく感じられません。

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この付近の最高峰ピッツベルニナ山(標高4049m)は残念ながら見えませんでした。天気はいいのですが、さすが3000mを超えたあたりからは雲が多くなります。そのまたさらに上空はまた晴れ渡っているものの、頂上付近だけが隠れてしまっているのです。

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下の鉄道駅から展望台の最高地点まで数分間上がっていく大型(108人乗り)ロープウェイから観られる、360度のパノラマは最高です。ただ、乗っているのは全員、スキー板とストックを持った人。私たちのようにカメラしか持っていない者はまったくの異分子です。といって、好奇の目で見られるわけではありませんが、それでも小さくなってしまいました。1時間ほど頂上にいましたが、マイナス14℃の寒さにはかないません。ちょうどロープウェイが上がってきてお客をおろしたところだったので、それに乗り下に向かいました。

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DSC_0065お茶を飲みながら待つこと30分。サンモリッツ方面に向かう電車が来たので、それに乗って戻ります。町は今日も相変わらず、お金持ちが出歩いていました。スーパーやお土産屋、スポーツ用品店をのぞいたりしながらぶらぶら歩いていると、おいしそうなチョコレートを売っている店が。この店が大穴というか、ドアを開けて中に入ると、なんとケーキやサンドイッチも売っていますし、さらにその奥はカフェになっていました。店先で買ったものを中で食べることができるのです。

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この町でまあまあ気軽に入れそうな店はここだけではないかという気がしました。要するに、「お金持ち」といっても、日本とヨーロッパとでは、桁が違うというか年季が違うというか、まったく別世界の人たちという印象を受けました。毛皮のコートをみせびらかそうとか、高級ブランドのバッグや洋服をひけらかすといった、底の薄い雰囲気は皆無。ここ2、300年ずっとお金持ちであり続けている人の血は、いわく言い難いものがあります。そうしたものと初めて触れた私は驚くばかりでしたが、日本の軽さ、歴史的な成熟度の遅さやはり否めません。

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念願の「氷上競馬」!

 

2018年2月11日
DSC_0378今日は、ここサンモリッツの冬の名物「氷上競馬(White Turf)」が開催されます。この町はサンモリッツ湖畔に位置していますが、冬は湖が全面的に氷結、その上を整備してレース場に造成し、競馬がおこなわれるのです。もちろん、芝でもダート(砂)でもないので、馬は氷用の蹄鉄を付けられています。おかげで、氷の上でも滑ったり転んだりしないで済むわけですね。

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レースは、ヨーロッパならではの「競駕【けいが】(1人乗りの二輪馬車を馬に曳かせるスタイル)」や、騎手が乗ったスキーを曳くスタイルのものもあり、興味津々。もちろん、馬券も売られており、1枚1スイスフラン。記念に3レース、合わせて30スイスフラン購入してみました。馬券を買えば、スタンドに座っていても真剣になります。

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DSC_0451それにしても驚いたのは観客のいでたち。ほとんど高級毛皮の見本市という状態です。年齢・性別に関係なし。祖父母、父母、2人の子ども、6人全員が毛皮のコート、それも上半身だけといったものでなく、足もとまで覆うロング丈です。特設スタンドの端から端まで全員が毛皮を身にまとっているなどというシーンも珍しくありません。

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DSC_0053それと連れてきている犬のレベルの高さには驚きました。そもそも犬それも大型犬を飼うのはお金持ちの証しだそうですが、どれも皆ホント立派なこと。日本では見たこともない、とてつもなく高価な感じの犬を連れている人をあちこちで見かけました。

 

この日は絶好の競馬日和。風もなく気温も高め。30分ごと(ランチタイム時のみインターバルは1時間)、合計7レースおこなわれますが、その合間は皆が、そこここに設けられているバーやコーヒースタンド、複数の食べ物屋が入ったテントなどで体を温めたり馬券を買ったり、会場の一角で終始おこなわれていたコンサートを楽しんだり、高級車の陳列コーナーで写真を撮ったりなど、思い思いの過ごし方をしています。もともと競馬は貴族のためのエンタテインメントとの知識はありましたが、この日はそれを肌で学びました。「百聞は一見に如かず」です。

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それに刺激されたわけではありませんが、夜はホテル近くの老舗レストランで食べることにしました。というか、ホテルを一歩出ると、そう簡単にレストランが見つからないのです。お気軽なピザハウスやハンバーガー店はほとんどありません。やむを得ない選択でしたが、味は上々でしたからよしとしましょう。デザートもすこぶる上品な味で、感動しました。こちらの一般的傾向として、人工的な甘さのレベルが極端に低いので、なんとなく安心できます。

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初めての「冬のスイス」!

2018年2月10日
IMG_3361ミラノ中央駅を朝9時過ぎに出発、3時間少々でティラーノに着きました。この日は国鉄(正確にはノルディターリアという、日本風にいうと第3セクターのような会社でしょうか)、それもローカル線なので、車両はかなり古くボロボロです。私たちが乗った車両もエアコンが故障していました。

 

 

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今日もメッチャいいお天気で、空は真っ青、雲ひとつなし。ティラーノは10年ぶりですが、さほど変わったという印象はありません。イタリアとスイスの国境のこの町は、「ベルニナ特急」の始点(終点)としても知られています。ちょうど昼食どきだったので、駅前のレストランに入りました。

ワインにピザとリゾットを一つずつ、あとサラダで昼食を済ませ、駅前の広場に戻ると、世界中の国からやってきている人がそこここで日なたぼっこをしています。私たちに話しかけてきた中年男性と20歳そこそこといった感じの女性のカップル(といっていいのかどうか……)は、なんとアルゼンチンから来ていた親子でした。南半球の国なのでいまごろはちょうど夏休みの時期なのでしょう。3週間かけて、ローマ、ミラノ、ベルニナ特急、氷河特急、さらにプラハとウィーンをゆっくり回る予定なのだとか。日本では考えられないような長い期間、そして組み合わせの二人です。

男性のほうが、私のスーツケースに「SANTA FE」と書かれたステーカーが貼ってあったのを見て話しかけてきたのですが、「このSANTA FEはアメリカのアリゾナの町なんだよ」と答えると、「なんだ、そうか!」と。アルゼンチンにも同じ名前の町があるのだそうです。でも、私たちが去年アルゼンチンに行った話をすると、えらく喜んでくれました。

IMG_E337110年前に乗ったのは真夏だったので、こんどはそれと真逆の季節。スイスなので、ほとんど1年中晴れてはいるようですが、冬はやはり空も一段と清く澄んでいます。おまけに途中の景色のほとんどは、雪に覆われたアルプスの山々。天井まで伸びる大きな窓から見える青い空と白い雪の心地いいことといったらありません。

 

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IMG_1719ティラーノから列車はどんどん登り、最高地点では2300m。そこを過ぎると下りに入り、乗換駅のポジターノで下車。そこからサンモリッツまでは15分ほどでしょうか。この町も10年前に訪れていますが、8月だったので、景色はまったく違います。それに気温の低いこと。最高気温が1度、2度ですから、かなり厚着をしてきたものの、身を切るような寒さには太刀打ちできません。同じ町を真逆の季節に訪れるというのは、ほとんど初めての経験ですが、なかなか興味深いものがあります。「雪」があるだけでこうも違うというのは、やはり不思議な感じがします。

しかし、何より違うのは来ている人の様子です。私たちの泊まるホテルは、4つ星でしたが、まわりにある5つ星ホテルの駐車場にはずらっと高級車が止まっています。客も、ひと目見ただけでそれとわかるお金持ち風。それも、「ちょい」ではなく「たんまり」、「最近」ではなく「ずっと昔から」といった雰囲気がただよっています。さすがヨーロッパ、いな世界に名だたる冬の高級リゾート地ですね。

夕食はホテル地下のレストランで。ヨーロッパでは珍しい石焼料理があり、それにトライしてみました。羊、鶏、豚肉のソーセージ、鶏、ベーコンなどタンパク質がたっぷり。あまりのおいしさに2人とも完食しました!

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不親切もここまで来ると……

2018年2月9日
DSC_02354泊したパドヴァも今日で最後。ミラノ行きの列車が出発する午後1時半ごろまで数時間フリーだったので、駅からトラムで10分ほど行ったところにある公園「プラート・デッラ・ヴァッレ」に行ってみました。この公園がなんともユニークで、ローマで観た「スタディオ・オリンピコ」のように、楕円形の敷地の外周を80体ほどの大理石像が囲んでいるのです。公園全体は人口の川(水路)に囲まれ、中央には小さな噴水が。それを中心に、上下左右対称に4つの部分に仕切られています。公園の外側を取り囲む広場のようなところには野菜や果物を売るテント張りの店が並んでいました。すぐ近くに、世界遺産にも指定されている世界最古(1545年)の植物園「オルト・ボタニコ」もあるので観たかったのですが、冬場の植物園はキホン冴えないのでパス。

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DSC_0249公園からトラムに乗り、「市庁舎」などが建つ町の中心街に。ここもまた二つの大きな広場(「エルベ広場」と「シニョーリ広場」)があり、テントがびっしり並んでいます。屋外市場ですね。「エルベ広場」に面する「ラジョーネ宮(サローネ)」という建物の1階部分には肉屋や魚屋やカフェが店を構えており、市場の延長といった感じです。

 

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さらに、広場から続く商店街には衣料品やスポーツ用品、電気屋などが。その一角にあった洋服屋のショーウインドウに、家人が欲しがっていたブラウスが陳列されているのを発見し、バースデープレゼント第1弾として購入しました。何せ、日本の値段のほぼ半額ですから! 思いがけないプレゼントに家人が喜んだのは言うまでもありません。

トラムに乗って引き返し、ホテルで預けておいたスーツケースを受け取って駅に向かいました。案の定、出発時間が遅れていましたが、ホームで待つことに。長距離列車とは思えないようなボロボロの列車です。時間がトリノ行きの特急とほぼ同じだったので、あわや乗り込んでしまうところでしたが、1本前の各駅列車が遅れていたよう。乗る直前に気がついて事なきを得ましたが、もし間違えて乗り込んでいたら大変です。夕方、ミラノでアポイントメントがあったからです。

長い編成の列車ですし、指定席なので、ホームのどのあたりで待っていればいいのか駅員に聞いても、「知らない」。というか、そうしたことをあまり気にもしていない様子です。日本なら考えられないことですが、ここはイタリア。そのあたりは鷹揚に構えているのでしょうね。

それでもカンを働かせて、ミラノ寄りの位置で待っていたらほぼ正解。今度は難なく乗車できました。しかも時刻どおりの到着ですから、胸をなでおろしました。ところがボローニャ、ヴェローナと停まるたびに少しずつ遅れ始め、ミラノに近づいた頃には10分遅れ。そして、市内に入ってからはノロノロ運転が続き、結局30分遅れで到着。

スーツケースはなんとかホテルに突っ込んだものの、このままでは約束の時間に間に合いそうにありません。タクシーの中から電話を入れ、遅れたことを謝罪しているうちに、「ドゥオーモ」の近くにある「アンブロジアーナ図書館&絵画館」に着きました。お会いする相手はその館長アルベルト・ロッカさん。その方をご存じの方から出発前に、「ぜひ会ってきてほしい」とお願いされていたのです。

「絵画館」のほうは、2年前にミラノを訪れたとき、建物のユニークさに魅かれて中に入り、見学したことがあります。ただ、それは「絵画館」のほうで、「図書館」はもちろん初めて。館長が笑顔で入口にあらわれ、私たちを「図書館」に案内してくださいました。

その前に館長が執務している部屋に通してくださり、コートやバッグを置かせていただいたのですが、館長の机の上に、漢字の練習に使っているノートが置かれていました。練習していたのは「劇」という文字のようです。「難しい字ですね」と私が言うと、「難しい漢字が好きなんです」と。「たしかに、漢字は造形としてとらえると面白いですからね」という私の言葉に同意しておられました。

さて、ここは普通の図書館とはまったく違い、収蔵されているのは古書、それもほとんどが「手稿(手書きの文章)」です。一番有名なのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿」なるもので、これはダ・ヴィンチ直筆のデッサンやメモを集めて綴じたものだそうです。それがここには1119枚も収められているとのこと。残念ながらそちらは見ることができませんでしたが、次回訪れたときのお楽しみとしましょう。

手稿はどちらかというとメモ書きのようなものですが、なかには書籍もあります。それも、数百年前のものは当たり前というお話でした。それだけでも驚いている私たちに、館長は1000年前、1200年前、1400年前と、チョー貴重な書籍(それも現物!)を取り出してきては次々と見せてくださいます。手で直接触っていいものなのか不安でしたが、OKとのことで、ページを繰らせていただきました。

IMG_1706圧巻は1500年前に書かれたヘブライ語の聖書。中に挿絵も描かれているのですが、それがまた「挿絵」というには恐れ多いものばかり。金箔が貼られていたりラピスラズリから作ったインクというか顔料が塗られていたりで、この世のものとは思えない美しい色彩です。また、「手書き」だというのに、どの文字もまるで印刷されたかのように、同じ大きさ、同じ書体で、これには驚きました。

図書のほかにも、イギリスの詩人バイロンが400年前にここで学んでいたときに使ったデスクとか、とんでもなく貴重な品がさりげなく置かれています。その前に座らせていただき、「デスクについている垢でも煎じて飲みたい」とまじめに思ったりしました。閉館時間の6時ぎりぎりまで私たちに貴重な所蔵品の数々を見せていただいただけでなく、帰りがけには記念撮影にも応じてくださった館長さん、本当にありがとうございました!

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客の3分の2以上が日本人という居酒屋

2018年2月8日
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これだけ多くの教会を回ると、いいかげん飽きそうにもなるのですが、それでも、素晴らしい美術品がいくつも観られるとなれば、やはり行きたくなってしまいます。というわけで、今日はヴェネツィアの外側、アドリア海に面している側に行ってみることにしました。

 

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DSC_0159ヴァポレットに乗り最初に降りたのが、フォンダメンテ・ヌオーヴェという船着き場。その前に立つ病院を抜けた先が最初の目的地「サンテ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会」です。病院自体もその昔、この教会が建てたのが起源なのでしょう。これだけ立派な病院を提供できるのですから、たいそう力を持っていたにちがいありません。

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ヴェネツィアのランドマークは「リアルト橋」と「サンマルコ広場」。全体が迷路のようになっているこの町で、自分がいまいったいどこにいるのかがわかるように、どこを歩いていても、この二つの場所の方向を示す案内板が目に入ってきます。それでも迷ってしまい、気がつくと「えーっ!」という場所にいることもしばしば。この日も「フェニーチェ劇場」に行こうと歩き回っていたのですが、気がつくと、目の前の建物がそれではありませんか。現在の建物は3代目(初代と2代目は火災で焼失)だそうですが、中は初代の建物をほぼ模しているようで、素晴らしい造りです。その昔マリア・カラスも何度かこの劇場に出演していたらしく、それを記念するポスターなども貼られていました。

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夕食を食べようと、「リアルト橋」の近くを歩いていて見つけたのが「Ostaria al Diavo’lo L’aquasanta」という店。近くにその店しかなかったこともありますが、入り口近くに日本語で書かれたメニューが貼られており、「選ぶのが楽だから」というそれだけの理由で入ることにしました。イタリアでは夕食にはまだ早い6時過ぎだったこともあり、先客は2人、しかも日本人です。

IMG_1680 私たちが座るとすぐ、日本人6人のグループ客が入ってきて、そのあとも、続々日本人が。テーブル席は「ここって、ヴェネツィアだよね?」と確かめたくなるような様相です。日本語メニューがやはり利いているのでしょう。日本の観光地も、英語や中国語、韓国語、フランス語など、多く訪れる国の言葉で記したメニューを、店内ではなく、外の目立つところに貼り出すと、客がどんどん入ってくるのではないかと昔から思っているのですが、それは間違いなさそうです。「うまい・まずい」の前に、「何を食べられるか」のほうが決め手になるからです。ただ、“There is Japanese menu inside.”という貼り紙(浅草で見かけました)に利き目があるのかという疑問は残りますが……。

 

この店は「ちょい飲み・ちょい食い」の地元客が多いようで、入ってすぐのところにある小さなカウンターに並べられた大きな皿にちょっとした料理が盛り付けられています。客はそこから一つ、二つ、好みのものを選び、あとはワインかビール。持ち帰りする客も少なくありませんが、このあたりが「ostaria(イタリア語で居酒屋の意)」のよさでしょう。

IMG_1682ただ、日本語メニューだけでは十分とはいえないかもしれません。この店はおかみさんの愛想が素晴らしくいいのです。当意即妙の受け答え(それも日本語プラス英語)が的確で、日本人の客を和ませてくれます。それでおいしければ言うことないのですが、幸い、今日も私たちの口に合いました。今回の旅は、食事に関してはいまのところハズレがなく、ラッキーな日が続いています。

教会というより美術館

2018年2月7日
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パドヴァをゆっくり目に出発したので、ヴェネツィアの駅に着いたのは昼過ぎ。今日もまたヴァポレットに乗っての移動が続きます。最初に行ったのは「サンタ・マリア・グロリオ・デイ・フラーリ教会」はみごとの一語。ティツィアーノやベッリーニなど、その名の知れた画家の作品が見られるのですが、それ以上に聖歌隊席と外周の壁面を覆うレリーフ(浮き彫り)の素晴らしさに息を呑みました。

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「スクオーラ・グランデ・サン・ロッコ」を観たあと訪れた「アカデミア美術館」もまた、ティツィアーノやらティントレットやら、名だたる宗教画家の作品が収められています。中の造りがわかりにくく、あわや名作を見落としてしまうところでしたが、なんとか見つけ出しました。

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ただ、短い時間にこれだけ多くの絵画を見ると、頭の中がパンクしそうになります。途中カフェを見つけ、腹ごしらえもかねて頭と足を休めないと、とても1日もちません。歩いている途中でもう1軒カフェに立ち寄りましたが、どの店も、そこで作っている風の食べ物を出すので、楽しみがあります。日本のコンビニのようなところは一つもないですから。

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ひと休みしたあと、運河沿いの、まわりはどうということのない場所にある「スクエーロ(ゴンドラの造船所)」に足を延ばしました。それでも、驚くことに、世界中の人が来ています。古ぼけた小屋のようなところなのですが、修理などもおこなっているらしく、職人が懸命に作業に励んでいました。

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今日から、カーニバル真っ盛りのヴェネツィアに日参

2018年2月6日

10時過ぎにヴェネツィア・サンタルチア駅に到着。駅を出ると目の前は運河です。ヴェネツィアの街は車が走れないように決められており、移動の手段は歩きか船しかありません(有名なゴンドラは観光用!)。迷った末に、「72時間乗り放題」というヴァポレット(水上バス)のチケットを購入。1回7ユーロですから、6回乗れば元は取れます。

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満員で鈴なりのヴァポレットを降りたのは「リアルト橋」。地図を読み間違えたりしたので、かなりもたついてしまいましたが、「魚市場」などを見て、ようやく「サンマルコ広場」をめざすヴァポレットに乗ったのは2時をとうに過ぎていました。「サンマルコ広場」近くの観光案内所で「ヴェネツィアカード」を買い求め、それであちこちをめぐることに。

最初に行ったのは「ドゥカーレ宮殿」です。もともとはヴェネツィア総督の居城だったそうですが、中はほとんど美術館の様相。世に大作と言われる美術品がズラリと並んでいました。愛好家にとってはヨダレが出る場所でしょうね。

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IMG_1668この一帯はあまりに有名な場所なので、世界中から観光客がやって来ています。ちょうどカーニバルの時期でもあり、そちらへの期待も大きいにちがいありません。広場には最終日曜日のイベント用に大きな舞台が特設されており、どちらを見ても、中世を思わせる仮装をした人が歩き、呼びかけに答えたりしています。もちろん皆シロウトですが、なかには、並んで写真に収まりたい、ぜひ写真を撮りたいという気にさせる人も。

 

 

 

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それにしても、衣装とメイク、あと小道具など、それぞれが思い切り趣向を凝らしています。この時期のために1年かけてコツコツお金を貯めるという人もいるらしく、なかには、プロの写真家を雇って、あちこちで撮影してもらっている人も。旅行客との記念撮影に応じてくれる──というか、声をかけられるのを待っている風──人がほとんどのようですが、独特の仮面をかぶっているので、ニッコリされたとしてもまったくわかりません。むしろなんとも表現し難い怖さすら感じます。私などはそれが苦手で、ヴェネツィアのカーニバルをぜひ観たいという気になれませんでした。ただ、今日はウイークデーなので、仮装している人の数も多くないですし、その度合いも平均的と言いますか。それでも、街の中で出会えばやはり目立ちます。顔だけでなく、全身ですから当然です。これが週末になれば、どこを見ても仮装している人ばかりといった状況になるのでしょう。

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意外な名作と出会えたパドヴァ

2018年2月5日
IMG_1647今日は朝9時過ぎにテルミニを出発するITALOという会社の列車に乗ります。国鉄=TRENITALIAの向こうを張って2012年に開業した会社ですが、今回が2回目の利用。あか抜けたスタイルの真っ赤な車体はジウジアーロのデザイン。見るからに速そうな印象を与えます。しかも料金が国鉄より全般的にかなり安い! これはイタリアだけに限りませんが、チケットの値段は購入する時期に応じて変動し、売れ行きが思わしくないとバーゲンのようなこともします。

パドヴァは小さな町です。今回初めて知ったのですが、ヴェネツィアまでは電車で30分ほど。カーニバルの時期はヴェネツィアのホテルがべらぼうに高くなる(それでも予約を取るのは大変)のですが、ここパドヴァはふだんと同じなので、同じ広さの部屋に半額以下の値段で泊まれます。私も昨年9月の時点で、ヴェネツィアのまあまあのホテルを予約を入れておいたのですが、そのことを知りパドヴァのホテルにトライしてみました。

もちろん、ヴェネツィアのようにゴージャスな雰囲気はなく、歴史を感じさせる風情もありません。旧市街まで行けば、それなりに雰囲気のあるホテルもいくつかあったのですが、私たちは、パドヴァから毎日ヴェネツィアまで通うのですから、駅近のほうがよかろうということで、駅の真ん前、歩いて2分のホテルにチェックイン。

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それでも、外観は貴族のお屋敷風。それを全面的にリノベーションしたのでしょう、中はえらくモダンで、最近はやりのデザイナーズ風。バスタブもジャクージまで付いていて、すこぶるお得な感じがします。ただし、4つ星ですからきちんとしたレストランはありません。

今日はヴェネツィアには行かず、この町を見て回ることにしました。ただ、もう午後3時近いので、ホテルから歩いて10分ほどのところにある「スクロヴェーニ礼拝堂」へ。ところが、これが大ヒットでした。さほど期待していなかったから余計でしょうが、とんでもなく美しい教会だったのです。とくに内部がすごく、天井から壁からすべてジョットーのフレスコ画で覆われていました。『マリアとキリストの生涯』という38枚の連作は圧巻の一語。見学の前に入口近くの特設学習室でお勉強させられるのも納得です。

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DSC_0389次は、そこから少し南にある「サンタントニオ教会」へ。こちらはビザンチン様式というのでしょうか、8つの尖塔などイスラム教の影響がかなり濃厚に感じられる教会です。立派な回廊も印象的でした。

高校時代からのあこがれ「6ネーションズ」を観戦

2018年2月4日
「6(シックス)ネーションズ」──。ラグビーファンなら知らない人はいない6カ国対抗戦で、毎年2・3月に、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリアが総当たりで対戦し、順位を競います。北半球の強豪国がほぼ毎週テストマッチを戦うのですから、日本のファンにしてみれば、ある意味垂涎の的と言っていいでしょう。私もラグビー部にいた高校時代から(当時はまだ、イタリアを除いた「5ネーションズ」でした)知ってはいました。でも、何せ50年近く前のことですから、観てみようなどとは考えもつきませんでした。それがなんと、今日、現実になったのです!

2007年の「ラグビーW杯(フランスとイングランドで開催)」を観にいったとき、久しぶりに「そうだ、いつかは『6ネーションズ』にも行ってみよう」という思いを抱き始めました。といっても、遠い日本からそれだけを観に行くのは、非効率というか、経済的負担が重すぎます。そもそも、試合のチケットを手に入れるのも大変なようで、「W杯」並みのプレミアがつくことも珍しくないとのこと。

そんなことで半ばあきらめていたのですが、これもまた以前から観たいと思っていたサンモリッツの「氷上競馬」と「6ネーションズ」の試合が、すぐ隣の国で1週間のうちに観られることに気がつきました。それが去年の8月。さっそくスケジュールをチェックしてみると、2月4日に「6ネーションズ」あの「イングランドvsイタリア戦」がローマで、「氷上競馬」が2月11日におこなわれることがわかりました。これなら、うまくくっつけられそうです。その間を利用して、これも長い間行きたくて行けずにいたヴェネツィアを訪れてみようと。ちょうどカーニバルの時期ですし、そちらの盛り上がりも期待でき、一石二鳥、いな三鳥なのではないかと。

かくして、去年の9月、まずは「氷上競馬」のスタンド席のチケットを予約しました。冬になると凍る湖の端に特設するのだから、そうそう枚数もなかろうという読みでした。続いて「イタリアvsイングランド戦」のチケットも押さえました。ただ、ラグビーのほうは、悪くはないものの、値段と比べると、正直「うーん」と言わざるを得ないレベルの席です。

IMG_3201午前中は、ローマでまだ行ったことのない「カブール広場」から「ポポロ広場」のあたりを歩いてみました。人気の観光スポットだけに、大変な数の人でにぎわっています。そのほとんどが、いかにもすぐ近くからやってきたといった雰囲気。「6ネーションズ」が開催されるからでしょう、イギリス人の姿が目立ちました。今週はイタリア、翌々週はアイルランド……といった感じでファンは観て回るのでしょうか。

 

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IMG_3212近くのナポリ風ピザの店で昼食を摂り、スタジアムに向かいました。ポポロ広場のすぐ北にあるフラミニオという停留所からトラムで終点まで行き、試合がおこなわれる「スタディオ・オリンピコ」までは20分ほど歩きます。場所はローマ市街でも北のほう、テヴェレ川沿いにあるモンテ・リオの丘のふもと。サッカーのASローマとSSラツィオのホームグラウンドでもあります。この一帯は「フォロ・イタリコ(Foro Italico)」と呼ばれるスポーツ・コンプレックス=スポーツ施設が集中するエリアで、イタリア・オリンピック委員会(CONI)の本部も見えました。

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不思議に思ったのは、正面広場に「MVSSOLINI」という文字が彫られたオベリスクがあったり、「DVCE(=ドゥーチェ、ムッソリーニの愛称)」の文字が埋め込まれたモザイクが残っていること。もともとここはムッソリーニが作らせた複合スポーツ施設で、当時は「フォロ・ムッソリーニ(Foro Mussolini)」と呼ばれていたそうです。

いまさら言うまでもなく、ムッソリーニは第2次世界大戦を引き起こしたドイツのヒトラーと手を組んでいた独裁政治家。ドイツのナチス、イタリアのファシストといえば、世界を破壊に導いた張本人として、ドイツでは徹底的に排斥されています。「ヒトラー」の名前を口にするのももちろんが、右手を上に掲げる姿勢すら問題視されるほど、それは徹底しているとも。しかし、ここイタリアではそれほどでもないのでしょうか。たしかに、ユダヤ人虐殺を命じたヒトラーに比べれば、ムッソリーニのほうが“悪のレベル”は数段低いかもしれませんが……。

「スタディオ・オリンピコ」のすぐ隣にサブグラウンドがあり、その外周にはスポーツ選手の大理石像が80体ほどでしょうか、均等な間隔で立っています。どれをとっても古代ローマ時代を思わせる感じの姿格好をしており、それだけで圧倒されてしまいました。

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メインスタジアムにはキックオフの1時間以上前に入りましたが、客の姿はほとんど見当たりません。しかし、時間が経つとともにどんどん増えてきて、最後は7万数千人収容のスタンドの8割以上が埋まっていました。半分以上はイングランドからやってきたファンのように見えました。試合中、歓声が沸くのは、イングランドが攻め入ったとき、トライを決めたときがほとんどで、イタリアのファンはあまり目立たないのです。

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キックオフが4時と早い時間だったので試合が終わっても、帰りを急ぐ必要はありません。それでも、トラムの停留所まで歩いて30分以上はかかりましたし、そこで到着を待つこと30分以上。本当なら運賃を払わなければならないはずなのに、なぜかタダ。そもそも運賃を払う人など一人もいません。当局も最初からあきらめているのか、それともこの日のこの時間帯に限っては無料にしているのか、よくわからないのですが、私たちもそれにならいました。

以前、オーストラリアのシドニーでスーパーラグビーの試合を観戦したときも、スタジアムから市内中心部に戻るバスはタダでした。そういえば、昨年8月、ロンドンでの世界陸上も、行きはお金を支払いましたが、帰りは無料。こうした大きなスポーツイベントについては、最初から帰りの運賃は取らないという取り決めでもあるのかもしれません。日本も見習ってほしいなぁと思うのですが、どうなのでしょう。

ポポロ広場まで戻った頃には7時半をまわっており、夕食を済ませてからホテルに戻ることにしました。といって、どこかアテがあるわけでもありません。前日の夜行こうかなと思っていた日本料理店のことを思い出し、行ってみることに。ローマでは老舗だとかで、オーナーも厨房も日本人という触れ込みです。しかし、実際に食べてみると「ホント?」と思いたくなるような味で、残念至極。

ローマは今日でおしまい。明日はヴェネツィア近くの町パドヴァまで移動です。

ヴァチカンは人、人、人……

2018年2月3日
今回の日本出発予定は2月2日。ところが、1月31日の天気予報で「明日の関東地方は雪」とあったので、万一のことがあっては……と思い、成田で前泊することにしました。予報どおり、2月1日の夜遅くから雪が降り出し、翌朝ホテルの窓から外を見ると10cm近くの積雪が。前泊にして正解でした。

出発便は一様に遅れ気味で、私たちの乗るスイス航空チューリヒ行きも1時間ほど遅れて離陸。乗り継ぎのチューリヒ→ローマ便も1時間遅れ(理由は不明)、結局ローマのホテルにチェックインしたのは、夜9時を回っていました。

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予約していたのは、バスタブ付き・バルコニー付き・スリッパ付き(日本では当たり前ですが、欧米ではまず付いていません)のはずなのに、実際は一切なしでガックリ。疲れ切っていたので、せめてゆっくりお湯にでもつかってと思っていたのに……。タバコを吸うためのバルコニーはまだ我慢できますし、スリッパ代わりのビーチサンダルも毎度持参しているので、そちらはなんとかなるのですが、3泊の間に一度も湯船につかれないというのは耐えられそうにありません。

そこで朝食のあと、予約したのと同じ部屋に変更してくれるようにrリクエストすると、すぐOKしてくれたではありませんか! 「かしこまりました。では、無料で換えさせていただきます。荷物だけまとめておいてくださればけっこうですので」とのこと。「なん~だ、だったら最初から」とも思いましたが、チェックインしたときはくたびれていたので、夕食を食べに出るのが精一杯で。

「正午過ぎには新しい部屋にすべて移動しておきます。戻られたらフロントで新しいキーお渡ししますから」と。幸い、昨夜は荷ほどきもそこそこだったので、すぐに荷物をまとめ、出かけました。夕方ホテルに戻り、新しい部屋に移ると、なんとなんと最初とは段違い。バルコニーはもちろん、バスタブもスリッパもOK。

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荷ほどきが終わったころ、部屋のドアがノックされるので、出ると白い服を着た料理スタッフがお盆を持って立っています。「当ホテルからのプレゼントをお届けにまいりました」と、スイーツの盛り合わせを置いていきました。やはり、主張すべきは主張せよ、ということでしょう。

IMG_3154さて、今日のメインイベントは「ヴァチカン美術館」と「システィナ礼拝堂」の見学。そのためもあって、すぐ近くにホテルを取ったのですから。2001年、初めてローマを訪れたときは、ヴァチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」にしか入った記憶がありません。そこで今回は、事前に見学の予約を入れ支払いも済ませた上で、10時過ぎには「美術館」の入口に。オフシーズンとはいえ土曜日ですから、大変な数の人が並んでいます。チケット売り場は長蛇の列で、予約しておいてよかったと思いつつ、荷物チェックを済ませ中に入りました。

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それにしても、開館してまだ2時間足らずだというのに、すごい混雑です。有名な作品が展示されている部屋、その前の廊下は身動きもままなりません。予約手続きの画面で「希望の時刻」にチェックを入れさせるのはいったいなんのためなのか、どうにも理解不能です。

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まあ、それでも、素晴らしい作品の数々に感動させられたのは間違いありません。あまりに膨大な数の入場者に、観るのをあきらめた展示品もありますが、それは「次に来たときに」ということで。

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