月別アーカイブ: 2018年3月

「台北動物園」「猫空」「中正紀念堂」「士林夜市」「台北101」

2018年3月30日
今日で台北も最後。2日目(3月28日)の朝食は、「世界豆漿大王」で、鹹豆漿、蛋餅、小籠湯包、焼餅猪排起士蛋エトセトラの台湾メシ。これで〆て1000円足らずですから、安~っ! いかにも大人っぽいメニューで、2人の孫にはあまり好評ではなかったようですが、1回くらいは我慢してもらわないと……。その日は朝から「台北動物園」。子どもたちはパンダをゆっくり観られて大喜び。ほかにもキリンやカバ、ライオン、シマウマ、チンパンジーなどを堪能したようです。

DSC05021

 

ただ、さすがは台湾、まだ3月末だというのに、朝から気温はグングン上昇。30℃近い中を歩き回り、さすがに疲れました。そのあとはロープウェーで「猫空」へ。子どもたちにとっては怖さ半分・楽しみ半分だったにちがいありません。それなりにはしゃいではいたので、まあ成功でしょう。バスで下まで降りたあとはいったホテルで休憩。

3日目は「大安森林公園」へ。名前のわりには木が少なく、カンカン照り、気温も30℃近い中で1時間ほど遊びましたが、早々に疲れが来ていたようです。迪化街の入口にある「永楽市場」までタクシーを飛ばしました。その1階に店を構える、1894年創業の「林合發油飯店」で行列して私たちの大好物「油飯」を買い、ホテルに戻ってランチ。ひと休みしたあと、夕方、地下鉄に乗って「中正紀念堂」に行き、衛兵の交代式を見学。夜はこれまた定番の「士林夜市」へ。

台北4

最終日の今日は「台北101」に上りました。昨年、高校の同期生と来たときは曇って何も見えなかったのに、今日は素晴らしい好天で、ほぼ100%のパノラマ。ランチは何がなんでも魯肉飯をというので、タクシーを飛ばして行ったのですが、なんと50人近い人が行列しています。これでは帰りの飛行機に間に合わないと、近場を歩いて探すと、台湾全土に50以上も店舗を展開している「?鬚張魯肉飯」がありました。迷わずそこに飛び込んでセーフ。でも、けっこうおいしかったですよ! 唐山排骨と貢丸湯もおいしかったですよ。

DSC05030 IMG_E3740

図らずも、孫と一緒に台北旅行

2018年3月27日
昨年に続き台北出張です。ただ今回は、今年の1月4~7日、娘と、その孫2人を連れて台北旅行を計画していたのが、孫の一人がインフルエンザに罹ったためドクターストップがかかり、中止に。そのリベンジをと、娘が相乗りしてきたため、だいぶ様相が変わりました。

松山空港からホテルまではタクシーで10分少々。部屋で荷ほどきを済ませ、夕食へ。といってもまだ4時前です。ただ、孫は7歳と5歳なので、すべて早め早めになるのはやむを得ません。4時半に永康街の「鼎泰豊」本店へ。この年齢で生意気にも小籠包が好きだという2人のお目当てもそれだったようです。幸い、すぐ席に案内され、さくさくと食べることができました。

台北5 台北6

驚いたのは店を出たたとき。6時ちょい前だったのですが、店の前には早くも大行列が。小籠包の本家本元というだけあって、地元の人はもちろん、日本人(こちらのほうが多そうでした)、さらに青い目の人たちやらでごった返していました。早めに店に入って大正解だったということになります。そのあとは近くの雑貨屋に入ったり、有名な「思慕昔(台湾語でスムージーと発音するらしい)」で超ビッグサイズのマンゴアーアイスを食べたりしながらしてブラブラし、7時過ぎにはホテルに戻りました。

今日もまた丸一日、ずーっと「研修」

2018年3月26日
昨日は帰りの高速道路が渋滞し、帰宅したのは夜10時を過ぎていました。しかし、今日もまた丸一日お勉強=「知求アカデミー オープンカレッジ」。テーマは「スペイン」「フランス」「世界のお祭り」「インスブルック(オーストリア)」の4つ。旅行会社の主催とあって、内容のベースはすべて「旅」です。

会場は重要文化財でもある目白の「明日館」。フランク・ロイド・ライト設計の瀟洒な洋館の前には大きな桜の古木がそびえ、前の通りを歩く人々の目をなごませてくれます。前はこのすぐ近くに私の仕事場があったのですが、移転してから久しぶりで訪れました。「明日館」の中に入ったことはありますが、今日は講堂にまで入れる貴重なチャンスで、楽しみにしながらやって来ました。

DSC05000 IMG_3655

IMG_3657

講座のほうは非常にためになるものもあれば、全編これコマーシャルといった感じのものもありましたが、メインの目的は正直、「桜+明日館」だったので、まあよしとしましょう。それでも、この夏行くことにしているインスブルックの話はとても役に立ちました。

 

 

かつて2度も冬季オリンピックを開催したインスブルックは、ずっと前から一度行ってみたいと思っていた町です。そこに、この8月、8日間滞在するという、一風変わったツアーを申し込みました。夢のような話ですが、この町をベースに、近辺に集中する冬季オリンピック開催地(シャモニー、アルベールビル、グルノーブル、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、サンモリッツ=こちらは2月に行きましたが)を見て回る旅は、10年以上前から抱いていた願い。その一部が今夏やっとかないそうで、いまから興奮しています。

 

桜と富士を堪能した研修旅行

2018年3月25日
予想以上に早く桜が咲き、今日あたりは関東地方から西はどこも皆、満開かその寸前といった感じのようです。朝から素晴らしい天気で、絶好の花見日和ですが、今日の私はまる1日かけての研修。西伊豆は沼津市戸田【へだ】の「造船郷土資料博物館」と韮山(伊豆の国市)の「江川邸(江川家住宅邸)」を訪問・見学するバスツアーです。主催は私も役員を務めているNPO法人「日ロ創幸会」。

DSC04937

前者は、幕末その地で日本初の洋式帆船が造られたことにちなんだもの。1854年、日本との国交樹立交渉のため伊豆半島南端の下田港に停泊していたロシアの帆船「ディアナ号」(艦長はプチャーチン)が、折からこの地を襲った安政の大地震で船底と舵を破損してしまいました。戸田の港で船を修理することになり、伊豆半島西の沖合を航行中、こんどは嵐に遭い、富士川河口近くまで流されます。戸田の漁民たちが多くの小舟を出し、ディアナ号を戸田まで曳航する一方で、500人ほどの乗組員は、現在の富士市から陸路で戸田まで移動。しかし、またもや強風に襲われ、最後は駿河湾のもくずと消えてしまいました。

そこで、プチャーチン一行がロシアに帰国するための船を新たに造ることになったのですが、当時の日本に、洋式の帆船を造る技術などありません。船造りを仰せつかった韮山代官の江川太郎左衛門英龍は、近在の船大工を総動員、ディアナ号からかろうじて運び出されていた船の設計図をもとに、ロシア人技術者と協力しながら、わずか3カ月で排水量100トンという本格的な帆船をみごとに造り上げました。

プチャーチンはその船に「ヘダ号」と命名、それに乗ってロシア人の一行は無事帰国したのですが、同じタイプの帆船をその年さらに6隻造り、江戸幕府に納めたそうです。このとき建造にたずさわった船大工たちがその後、江戸や長崎など全国各地で指導にあたったといいます。いうならば、戸田は近代造船技術始まりの地というわけですが、そうした経緯をボランティアのガイドさんから学ばせていただきました。

DSC04929 DSC04934

今日は、朝、東京を出て東名高速を走っているときから、窓の外には次から次へ満開の桜が見えましたが、途中からそれに富士山の姿が加わりました。ちょうど3月21日に全国を寒波が襲った際、富士山の頂上付近にも雪が降り真っ白になったこともあって、どこを走っていても目立つのです。桜と富士の“そろい踏み”ですから、日本人の血が騒がないわけがありません。バスの中ではずっとハイテンションで、戸田をあとにしてからはさらにヒートアップ。誰もが、日本人が前人未到の帆船造りにチャレンジし成功したのを、同じ日本人として誇らしく思えたからでしょう。

次の目的地・韮山の「江川邸」も、庭の桜が満開。築後800年を超えるという江川家の36代当主が、戸田で造船の指揮にあたった江川太郎左衛門英龍です。鎌倉時代に日蓮みずからが書したという曼荼羅が収められた棟札箱が、屋根裏に安置されていました。ボランティアガイドさんの説明によると、その棟札があったおかげで、この屋敷は今日まで一度も火災に遭わず、地震で倒壊することもなかったとのこと。この話は江戸時代すでに広く知られていたそうです。

DSC04983 DSC04979

それにしても、伊豆半島というのは、どこにいても富士山がよく見えます。この日はとにかく好天で、最後の最後まで富士の姿を観ながらの研修ツアーになりました。参加者の心がけがよほどよかったのでしょうね。もちろん、私もその一人ですよ、エヘン!

IMG_3593

体力が要る(!?)BEGINのコンサート

 

2018年3月22日
四半世紀以上前に一度だけ入ったことがある東京・渋谷のNHKホールでBEGINのコンサートがありました。ちょうど2年ぶり、通算6回目ですが、相変わらずの人気で、子どもから70歳をとうに過ぎていそうなおじい・おばあまで、幅広い年齢層のファンが場内を埋め尽くしています。

IMG_3556

最近のBEGINは、私たちになじみ深い彼ら自身のヒット曲もさることながら、「マルシャ」がメインといってもいいほど。この日も第2部は全編「マルシャ」で、私たちは1時間半ずっと立ちっぱなし、というか踊りっぱなし。

ブラジルの「サンバ」の起源という「マルシャ」は2拍子。勘のいい人なら、「マルシャって、英語のマーチ(march)=行進のことじゃないの?」と想像されるでしょうが、そのとおりで、「march」はポルトガル語(ブラジル語)」で「marcha(マルシャ)」です。行進曲と同じ2拍子なので親しみやすく、聞いているだけで自然に体が動きます。たしかに、リオのカーニバルでも流れているのはこのリズムでした。

聴衆全員が席を立ち、BEGINの奏でる内外の名曲メドレー(それがすべて「マルシャ」アレンジ)に合わせて体を動かします。途中ほとんど休みもなく、「ランナーズハイ」にも似た感じで、とても心地がよく、体にもよさそう。でも、これほど体力が要る(?)コンサートはBEGINくらいのものでしょうね。

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなんだ」

2018年3月16日
5パーセントの奇跡

この4日間で3本目の映画です。今日は『5パーセントの奇跡~嘘から始まる素敵な人生~』を観ました。

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなんだ」。主人公サリヤ・カハヴァッテが「ブッダ(釈迦)の言葉」と紹介するこの台詞で映画は始まります。後味がいいというか、なんともさわやかな作品で、感動しました。ちょうど、ピョンチャンでパラリンピック冬季大会がおこなわれていることとも重なっていたのも影響しているかもしれません。そう、主人公は障碍者なのです。

 

 

映画は、ドイツで実際にあった話に基づいて作られたようです。サリヤはスリランカ人の父親とドイツ人の母親を持つハーフ。彼が自身の体験を、本に書いたのが10年ほど前で、釈迦の言葉を引き合いに出しているのは、敬虔な仏教徒だからです。

高校卒業の直前、網膜剥離で5%の視力しかなくなってしまったサリヤは、5つ星ホテルに勤めたいという夢を実現するため、視覚に障碍があることを隠し(=嘘をついて)、ミュンヘンの超一流ホテルの研修生に応募します。首尾よく採用されたところから、研修(インターン)期間を終え、その修了試験を受けるまでの顛末【てんまつ】を描いたもの。

同じ「嘘」が素材でも、3日前に観た『嘘八百』という日本映画とは比べものにならないくらい、脚本がよくできていました。私の好きな、”こうなってほしい映画”そのものといえます。撮影に使われていた超一流ホテルが、昨年秋ミュンヘンを訪れたとき、ガイドさんが教えてくれた「シュヴァイツァーホフ(Schweizerhof)」だったのも、作品に親しみを感じた理由の一つでしょう。

この映画の宣伝チラシにも「幸福とは、結果ではなく、夢を諦めずに苦しみながら進んだ人生そのもの」とありますが、それは冒頭の「ブッダの言葉」とみごとに重なりました。予告編がまだネットで見られるようですので、時間があったらチェックしてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=XA_bDKjOEVk

エンドロールのカットに、この実話の主であるサリヤ・カラヴァッテ本人が顔を見せているのに気づきました。彼はあるラジオ放送のインタビューで「人生のモットー」を問われ、これまた釈迦の言葉だとして “The only constant in the world is change.”と答えています。この映画のヒットによって、さらに大きな「変化」を経験することになるかもしれません。

 

IMG_3549それにしても、この作品を上映していた桜坂劇場は、那覇でも不思議なエリアの一角にあります。昭和40年代の匂いをまだ色濃く残しているこの界隈にも再開発の波が押し寄せており、つい2、3年前にはアメリカ系の高級ホテル「Hyatt Regency」が開業しましたし、こじゃれたフレンチレストランもちらほら。でも、桜坂劇場のすぐ近くにはその手がまだ及んでいません。

 

IMG_3550それがはっきり感じられるのが劇場の真ん前にある駐車場。いまどきの「100駐」ではありません。小屋のような建物があって、そこに「管理者不在の場合は 備付けの封筒に車両番号と駐車時間を記入し 封筒に500円を入れ(おりまげ)投入口に入れてください」と書かれた掲示があったりします。東京のような、殺伐とした都会では考えもつかないチョーのんびりした話で、このゆるさが沖縄の魅力なのですね。

1日で春・夏・秋をいっぺんに体験!

2018年3月14日
沖縄ならではの贅沢をしました。1日で春・夏・秋をいっぺんに体験したのです。春はツツジ、夏はひまわり、秋はコスモスです。

今日のメインの目的地は北東部の東村【ひがしそん】。東村までは首里からたっぷり2時間はかかります。途中の宜野座【ぎのざ】までは高速道路が走っているのですが、そこから先は一般道。宜野座と東村のちょうど中間あたりでランチタイムとなり、目に入ってきた「わんさか大浦」という、道の駅っぽいところに入りました。

その直前で通り過ぎたのが、あの辺野古【へのこ】です。宜野座と東村にはさまれたあたりの海岸に名護市辺野古はあります。本島北部の中心都市・名護の市域は西海岸から東海岸にわたっていることを初めて知りました。東海岸は西海岸と違って、人の手があまり入っていません。とくに北部は自然がほとんど残っているため、辺野古から大浦湾にかけては、美しい砂浜、海岸のすぐ近くまで迫る緑に覆われた山々など、素晴らしい環境に恵まれています。

IMG_E3507 IMG_E3499

それにしても、こんなところに、しかも海をわざわざ埋め立ててまで基地を作ろうなどと、よく考えついたものです。沖縄県と国との間で工事差し止めをめぐって裁判になっているのもよくわかります。道路のあちこちに「行ってみよう! 辺野古に」と染め抜かれた旗や手書きのポスターが見えましたが、たしかに、実際自分の目で見ると、そうした気持ちがよくわかります。

「わんさか大浦」の駐車場には、なんとコスモスが咲いていました。さすが沖縄です。そこに行くまでの道すがら、昨年もこのブログで紹介した「イッペー」の黄色い花をあちこちで見ました。こちらは春の花なのですが、コスモスは秋の花。それが同じ時間帯・同じ空間で見られるのはやはり自然の恵みでしょう。

IMG_E3504 イッペー

その食堂でおいしいゴーヤチャンプル、沖縄そばを食べ、再び海岸に沿って走ります。目的地の「東村・村民の森」には1時半ごろ到着。この時期は「つつじ祭り」が開催されており、「村民の森」がある丘は丸ごとツツジに覆われています。いまから40年ほど前、当時の村長だった宮里金次が音頭を取って整備したのだそうです。宮里金次はかの宮里藍・宮里優作兄弟の叔父にあたる人物なのだとか。沖縄本島東北部の無名の村だった東村を盛り上げようと、5年間かけて「村民の森」を整備したと碑文に書かれていました。と同時にパイナップルの栽培にも力を注ぎ、いまでは日本一の生産地になっているようです。

IMG_E35393月前半の土・日は大々的なイベントもあり、村人たちが総出でおもてなし。今日は平日でしたが、それでもかなりの人がやってきていました。

 

IMG_E3527 IMG_E3524

帰り道、北中城【きたなかぐすく】、観に行くことに。一般人の所有する畑にひまわりがびっしり植わっていました。脇に車を止め観にいってみると、観光客の姿が。私たちと同じく、ネットでその情報をキャッチし、訪れたのでしょうね。

IMG_1785

IMG_E3541 DSC04908

久しぶりに京都でお楽しみ

  2018年3月9日
年に何回か仕事で訪れる京都ですが、いつもトンボ帰りばかり。でも、たまには京都らしいものも見たい、味わいたいと、今回は早めに現地に移動し、二条城を訪れてみました。なぜか、これまで一度も行ったことがないのです。

京都の駅に降り立つと、やはり寒い! 底冷えの町ですから致し方ありません。タクシーの運転手さんに言わせると、「京都は住むとこじゃおまへん。観光するとこだす」なのですが、二条城はさらに寒かったです。ちょうど雨も降り始めたところだったせいもあります。

IMG_E3472 IMG_E3475

 

IMG_E3480それでも、さすが世界遺産、二条城にはたくさんの人がやって来ていました。早めにクローズする二の丸御殿から先にということで、中に入ります。土足はNGなので、入り口で靴を脱ぐのですが、これでよけい寒さが募ります。二条城も、外国のこの種の宮殿も、その空間はすさまじく広いのですが、二条城は木造の日本家屋。外の空気がほとんどもろに入ってくるので、ヨーロッパの石造りの建物とはまったく違い、中に長くいると寒くて寒くて……。しかも、床のほとんどは木ですから、靴を脱いだ足に下から冷気がどんどん伝わってきて、長い時間歩いているともう我慢できなくなります。

 

結局、建物の中にいたのは1時間足らず。あとは庭園のまわりや門を見て回りましたが、2時間ほど経った頃には体の芯まで冷え切った感じです。こうなると食べ物で体を温めるしかありません。というわけで、夜は鴨川べりにある店で鶏の水炊きを食しました。店を出る頃には体も心もホコホコ(ふところのほうは少し寒くなりましたが)、気分よくホテルに戻りました。

2戦目の「サンウルブズ」は……

2018年3月3日
開幕戦よりさらに観客が減った(11181人)第2戦。今日の相手はメルボルンからやってきたレベルズです。日本代表のFWアマナキ・レレィ・マフィー(トンガ出身)が所属しているチームですが、対戦は1年目の第3戦以来。このときは9対35で敗れています。さて、今年はどうでしょうか。少しでもスコアを縮めることができるか、楽しみにしながら観に行ってきました。結果は、残念ながら17対37で負け。

今日の試合は、緒戦とメンバーがかなり変わったものの、同じチームなのかと目を疑いたくなるくらい、アタックのレベルが落っこちていました。前半のトライは、サンウルブズあるいは日本代表がよく喫するインターセプトからのトライ。見ていていちばんしらけるというか、情けない(今日は逆で、ラッキー!)と思えるトライです。しかし、その後は攻撃がまったくと言っていいほどつながりません。それでもなんとか10対10のタイで前半を折り返します。

しかし後半になると、開始12分ほどの間に立て続けに3本もトライを奪われるなど、泣きたくなる展開に。また、前半から引き続きケガ人が続出、3選手が脳震盪の疑い(HIA=Head Injury Assessment)で一時退場したのですが、結局全員そのまま復帰できず、交代となってしまいました。うち一人は、私たちが昨年チリのサンチアゴ空港で一緒に写真を撮ってもらったサム・ワイクス(ロック)、もう一人は家人が好きな山田章仁(ウィング)で、この先が心配です。

とにかくノックオンは多いし、スクラムは不安定。ひどかったのはラインアウトで、マイボールを奪われることもしばしば。こうまでボロボロでは勝てるわけがありません。こんな状態で来週から南アフリカに遠征するのですが、片目が開くのはいつになるのでしょうか。

「熊楠」の次は「熊谷」!?

2018年3月2日
私の住む東京・豊島区に「熊谷守一美術館」という、小さな美術館があります。もともと熊谷の自宅だった家を建て替え私設美術館としてオープン(館長は次女の熊谷榧)しましたが、2007年11月から豊島区立となったそうです。住宅街のただ中にあるので地味な感じがしますが、彼のファンがあちこちから訪れているようで、以前から気に懸かっていました。

今年はその熊谷守一没後40年。それにちなんで、『熊谷守一 生きるよろこび』と銘打たれた展覧会が竹橋の「東京国立近代美術館」でおこなわれているというので、足を運んでみることに。

IMG_E3460

広い会場には、驚くほど多くの人が来ていました。展示点数も200近く、東京美術学校時代から亡くなる直前まで、ほとんど全作品が網羅されていたようです。客の数もかなりのもので、こういう場にいると、私たちの世代はホント元気で活動的なんだなと、つくずく感じます。

 

 

IMG_1776「明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られ……特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています」と「西洋近代美術館」のwebサイトにもありますが、初期の陰鬱で暗い作品群とは真逆と言ってよい、晩年の明るく楽しい作品が数多く展示されていました。もともと理科系的な頭脳の持ち主だったようですが、年老いるにつれて、シンプルながら緻密に計算された、それでいてほのぼのとした雰囲気もただよう絵を描いた熊谷守一。めっぽう若い感性の持ち主だったことが想像できます。若い女性にウケているのも、それが理由でしょう。