2018年4月30日
タバコを吸い始めて今年で51年目。そんな私がタバコの本場・キューバにやってきたのですから、やはり葉巻のことを学ばずにはいられません。ハバナから120km、車で3時間かけ、「ビニャーレス渓谷(Valle de Vinales)」というところに行きました。高速道路で2時間、そのあと一般道を1時間走るのですが、車が断然少ないキューバでは、高速道路でも自転車、馬車、歩行者の姿が当たり前のように見られます。皆、堂々と、また悠々としているのがキューバらしいですね。
軽い傾斜の山道を登り、到着したのは渓谷を見渡せる展望台。この一帯は独特のカルスト台地で、その独特の美しさで世界自然遺産にも認定されています。もともとは、スペイン人がワインの生産地にしようと考えたらしく、地名のビニャーレスというのも、Vinales(=ぶどう棚)から来ているのだとか。ただ、気候条件が合わずブドウはあきらめ、葉タバコを栽培することにしたようです。
カルストですから、その地下には鍾乳洞ができているのが常。私たちもその代表ともいえる「インディヘナの洞窟」を見学しました。つい3週間ほど前に観た山口県の秋芳洞と違い、ボートに乗って見学します。しかも、乗ったまま出口に出られるのです。それにしても、自然の造形のすごさは人智でははかり知れないものがあります。

昼食後、この辺りでは一番大きいという「葉巻農園フィンカ・ケマド・デル・ルビ」を訪ねます。葉っぱの刈り取りは終わったばかりで、畑は赤い土で覆われていた畑しか見えませんでしたが、刈り取ったタバコの葉を乾燥・発酵させている大きな倉庫のような建物に案内してもらいました。オーナーの息子さんがまず葉巻をくれ、それをくわえながら、タバコの栽培から葉の出荷まで説明してくれるのを拝聴。
葉タバコの種は、すべての植物の中で2番目に小さいのだそうです。半年かけて育てたものを刈り取り乾燥させたあと発酵させて香りをつける、その後1枚1枚吟味しながらまずはクラス分けする。どのクラスでも、巻くのはいい部分だけなのだとか。
葉巻として使えない部分は切り落として、紙巻タバコの原料として出荷するのですが、その切り落とされ方が、いかにも十把ひとからげといった感じです。私もスモーカーのはしくれですから、知識としては知っていましたが、目の前で、そうした部分をカッターでばっさばっさ切り落としていくのを見ると、一瞬うーんと、考えさせられてしまいました。
先ほどもらった葉巻は、たしかにいい香りがします。

見学を終え、母屋に案内されると、オーナーのベニトさんの歓迎を受けます。「葉巻に合うのはラムだよ」と言いながら、ショットグラスに注いでくれました。気さくな笑顔が素敵なおじさんです。ストレートのラムを口に飲んだあと吸う葉巻は一段とおいしく感じます。値段のことを考えなければホント、葉巻に変えたいとも思いました。
刈り取りの終わった葉タバコの畑の隅に、花を咲かせた葉タバコが2、3本、残されていました。楚々としたきれいな花です。こんなきれいな花を咲かせる葉タバコが、人間 に悪さをするわけない! と身勝手な確信さえ抱くほど。

ほかにもこの農園では、マンゴーやカカオなど、これまで原木を見たことのない木を間近で目にすることができ、有意義な1時間半を過ごしました。そういえば、昼食を食べた地元のレストランでは、生まれて初めてハチドリも観ることができましたよ。

ヘミングウェイの定宿「アンボス・ムンド」の中はこぎれいで、要所要所にその写真





そこからホテルに戻ったのですが、再び自転車タクシーに。ただ、安いのはいいのですが、道路がデコボコなので、あわやという場面もしばしば。しかし、運転手は上手にそれを避けながら私たちを乗せて走ります。交通規制があるのか、ホテルの真ん前までは乗り付けられないらしく、近くで降りて歩きましたが、値段の安さ120円ほど) にびっくり。それでもこれは外国人旅行客向けの料金で、ハバナ市民はそれこそ20円、30円といったところなのでしょう。

そこから毎日のようにコヒマルという漁村に出て釣りを楽しみながら、『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』を書き上げたそうです。革命後キューバを離れたため、現在は「ヘミングウェイ博物館」になっています。



ハバナに戻った私たちが行った先は「国立動物園」。「国立」などというと、いささかも


れ以外の肉や野菜・果物は市場で購入しますが、値段はべらぼうな安さ。これもアメリカの経済制裁の“おかげ”とでも言えばいいのでしょうか、農畜産物はすべてオーガニック。日本の野菜や果物のように美しい形もしておらず、色もくすんでいたりしますが、質的には安心です。「世界幸福度指数」というデータがありますが、キューバは6位(日本は95位!)。物は、量より質なのかもしれません。


運転席前のインパネもオールドスタイル。コラムシフトのレバーも皮や塗装が剥げ落
前を走る車、横から追い越していく車、すれ違う車も、半分近くは私たちと同類のアメ 車。途中で立ち寄った自然公園内の休憩所にも、何台か並んでいました。道路事情が悪いためパンクもしょっちゅうのようで、そのときも1台、修理の真っ最中。でも、そういう車に乗ることで得られる興奮を思えばご愛嬌というか、許されてしまいそうです。

もう一つ、内務省のビルにはゲバラの肖像が。こちらの右下には、“Hasta la victoria






食後、アステカ帝国の中央神殿跡である「テンプロ・マヨール」や「ラテンアメリカ・タワー」「メトロポリタン大聖堂」「三文化広場」なども訪れ、2日間、めいっぱい詰め込んだ旅となりました。2000mを超え酸素も薄い土地だけに、そのときは気づかなくても、あとになってジワジワと疲れが襲ってくるのではないかという心配も無きにしもあらず。



朝食はホテルの中庭にあるレストラン。スペースの半分は室内ですが、半分は外に

これ以外にも大学本館や学長棟など、キャンパス内のほとんど建物に大小の壁画が
紀元前2世紀に作られたという宗教都市国家テオティワカンは、最盛期20万もの人


私は年齢も顧みず、「月のピラミッド」に登ってみました。最初はそれほどでもありませんでしたが、途中からは予想以上の急角度で一瞬ためらいました。それでも、臆する





まあ、普通の観光ツアーではあまり行きそうにないスポットなのでしょうが、幅の広い



「乙女峠マリア聖堂」は、津和野駅の近くにある小高い山の中腹にひっそりと建っていました。なぜ、こんなところに? と思いながら山道を5分ほど歩くと、なんとも質素な木造の教会がありました。「聖堂」の周囲にはいくとも石碑や石像が立てられており、その一つひとつに碑文が刻まれています。この「聖堂」は、1939年、この土地を購入したカトリック教会広島司教区が、殉教した隠れキリシタンを偲ぶため質素な記念堂を建て、それがのちに「聖堂」と呼ばれるようになったのだとか。


「太皷谷稲成〔たいこだにいなり〕神社」は、京都の「伏見稲荷大社」と同じような千本鳥居が山のすそを縫うようにして立ち並んでいるので、前日、山口から走ってきた道路からもはっきり見てとれました。ちょうど新緑の季節にさしかかっている時期なので、余計に朱色が冴えています。山の中腹から約300m続く石段を登ったところに本殿があるのですが、そのすぐ近くに駐車場もあるので、階段を上らなくてもお参りはできるようです。今日もまた天気はよく、ここから見渡せる津和野の町は素晴らしかったですよ。



次に訪れたのが、山口県庁に隣接してある「旧山口藩庁門」、大正建築の粋を集めたという「山口県旧県会議事堂(国指定の重要文化財)」とそのすぐ隣にある「旧県庁舎」。議事堂の議場に入り、議長席に座ったり演壇に立ったりして遊びました。その時代の県会議員はさぞかし偉かったのでしょうね。旧県庁舎の中にそのまま残されている知事室を見ると、それよりさらに偉かったのが県知事だというのがよくわかります。いまもその名残は多くの県で残っているようですが。


カルスト(Karst)とは、石灰岩など、水に溶けやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵蝕されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形も含む)で、秋吉台は日本最大の広さ。その地下にあるのが、国の特別天然記念物に指定されている秋芳洞【あきよしどう】です。ほかのものも合わせると、秋吉台には450以上もの鍾乳洞があるとのこと。



車は刀比羅宮」参道の途中(500段目)にあるカフェ「神椿」に駐車。ここは東京・銀座の資生堂パーラー直営で、飲食さえすれば駐車OKなのです。参道の階段は、「本宮」までで785段ありますから(実はまだその先に奥社=「厳魂【いずたま】神社)があり、そこまでだと1368段だそうです!)、その途中にあるのは大助かり。







実はこの日の昼前、九段下にある九段坂病院まで友人の見舞いに行きました。そのあと集合場所の大磯まで列車に乗るため東京駅まで行くことにしていたのですが、天気があまりによく、歩きなさいなと言わんばかり。そこで、九段下からお濠沿いを、途中から北の丸公園、さらに皇居東御苑と歩きました。清水門から北の丸公園に入ってしばらく歩くと、吉田茂の銅像が立っています。今日の夕方「旧吉田茂邸」に行く身にとっては、これは無視できません。近づいて写真を撮りました。

このドラマは終戦後、ソ連が占領した旧満州にいた日本軍兵士や、移民で現地に行っていた民間人、合わせて150万人ほどが悲惨な状況に置かれているので、彼らを1日も早く故国へ帰してあげたいと行動を起こした日本人3人の物語。それを実現するため、3人がひそかに日本に戻って、進駐軍GHQのマッカーサー元帥と交渉するのですが、それを陰で支援したのが吉田茂だったのです。画面に登場した吉田茂を見て、私たちのテンションも上がりました。それはそうでしょう、夕方まで吉田茂の居所にいたのですから。私なんぞは、朝、昼、夜と1日に3回も吉田茂と出会ったわけで、興奮しっぱなし。まあ、そのわりには夜グッスリ眠りましたが(笑)。世の中、こんな不思議なこともあるのですね。