2018年4月25日
朝食はホテルの中庭にあるレストラン。スペースの半分は室内ですが、半分は外に
テーブルと椅子が並んでいます。ただ、この時期は日の出が遅いようで、7時ごろは まだ暗いため、朝食という気持ちになれません。やっと8時が近くなって下に降り、おいしく食べることができました。充実した朝食は元気のもと)、とくに旅先ではそれを強く感じます。
午前中はまず、郊外にある「国立自治大学」へ。郊外といっても、車で20分ほどですから、都心からはほぼ一本道で行けます。1551年9月に王立メキシコ大学として創立されたといいますが、これはペルーの国立サンマルコス大学に次いで、アメリカ大陸で2番目に古いとのこと。いまのキャンパスは2007年に整備されたそうですが、もう世界遺産になっているのには驚きました。大学があるのは、1968年に当地で開催されたオリンピックのメインスタジアムの向かい側で、町全体が大学のキャンパスといった感じがします。
そうなんだ、アメリカ大陸ではアメリカ合衆国などというのは新参者でしかないという事実に、改めて気がつかされます。ただ、合衆国との根本的な違いは、片やラテン系のスペイン、片やアングロサクソン系のイギリスが宗主国だったこと。歴史に「たら・れば」はないといいますが、アメリカ合衆国も、最初に足跡を残したスペイン人や、一時期かなり広い地域を支配していたフランス人がそのまま支配し続ければ、いまとはまったく趣の違う国になっていたことでしょう。
この大学の中央図書館に素晴らしい壁画が描かれていると聞いていたので、案内してくれるよう事前にリクエストしておいたので連れてきてもらったのですが、たしかにそのとおり。
東京駅の真ん前にあった旧の丸ビルほどの大きな・高さがある建物の4面すべてが壁画で、フアン・オゴルマンの作品。一人の画家がよくもまあこれだけ大きな作品を描けたものです。制作日数はおそらく1年、いやそれ以上かかったでしょうね。
これ以外にも大学本館や学長棟など、キャンパス内のほとんど建物に大小の壁画が
描かれています。ダビッド・シケイロスの『民衆から大学へ、大学から民衆へ』『腕と鉛筆』という有名な作品もありました。彫刻などのオブジェもそこここに展示されており、大学というより野外美術館にいるような錯覚におちいりました。向かいのオリンピック・スタジアムに描かれたディエゴ・リベラの壁画も印象的です。岡本太郎や北川民次もこうした作品に少なからず影響を受けたと言われていますが、たしかに大阪の万博の『太陽の塔』など、そんな気がしますね。
そのあと町の中心に戻り、午後はまず「テオティワカン遺跡」を訪れました。シティからはいちばん近くにある遺跡ということで、時間の関係上、今回の遺跡見学はここだけ。期待に燃えながら行ってみると、素晴らしいところでした。
紀元前2世紀に作られたという宗教都市国家テオティワカンは、最盛期20万もの人
が暮らしていたといいます。さもありなんと思ったのは、遺跡の広大さ。いま地上に残
され観光スポットになっているのはそのごく一部でしかありません。ほかにも大小さま
ざまな神殿や墓所などさまざまな施設があったのでしょうが、発掘されていないのか破壊されてしまったのか……。それでも、今回見た「太陽のピラミッド(高さ65m、底辺220m×230m)」「月のピラミッド(高さ47m、底辺130m×155m)」、「死者の道(南北を貫くメインストリート。長さ4km、幅40mほど)」を見ても、当時としては度肝を抜くような壮大な空間だったことがよくわかります。
二つの大きなピラミッドのほかに、「ケツァルコアトル(羽の生えたヘビ)」「ケツァルパパロトル」「ジャガー宮殿」という三つの宮殿(の一部)があります。神官の住まいだったとも言われますが、これがまた、想像以上に美しく、とくに石の壁に彫られた人物や動物の表情の豊かなことといったらありません。柱に彫られている鳥や人物の目が黒曜石で真っ黒なのが印象的でした。
私は年齢も顧みず、「月のピラミッド」に登ってみました。最初はそれほどでもありませんでしたが、途中からは予想以上の急角度で一瞬ためらいました。それでも、臆する
ことなくチャレンジ。最後はほとんど這うようにして途中の最高地点(それ以上は登る
ことが禁じられています)まで行きました。ただ、さすが2300mを超える高地ですか
ら、息が切れそうでした。家人は最初からパス。マチュピチュのときもそうでしたが、最
近はどうも、この手の高所を避けているようです。しかし、上から見下ろすと、この遺跡の広さが実感できます。それが疲れを忘れさせてくれるのですがね。
テオティワカンから市内に戻ったあとは、「オペジャス・アルケス宮殿」や「ディエゴ・リベラ壁画館」「シウダテラ市場」などの見学です。宮殿もそうでしたが、どこに行っても「壁画」が目につきました。
メキシコはご承知のとおり、けっこう地震が多い国です。今日車で走った街中も、そこ
ここにその痕跡が見られました。日本のようにきっちり元に戻す、あるいは作り直すと
いったことはなされていません。そのため、車の中から通りを見ると傾いたままの建
物があったりします。まあ、石造りなので大丈夫なのでしょうが、もう一度地震に襲わ
れたら……と心配にもなります。
夕食は、街の中心部、かつては銀行やら郵便またかつてのスペイン人の屋敷などが立ち並ぶエリアの一角にある老舗のレストランです。入ると目に飛び込んでくるのが壁にびっしり架けられている肖像画。シャンデリアも高価な感じがします。
隣のテーブルは家族・親族が一堂に会してのバースデーディナーなのか、彼らの周りに楽団が立ち、さまざまな曲を演奏していました。マリアッチではなさそうですが、10人ほどの編成でけっこう本格的。こういうお店があちこちにあるようで、家族のつながりを何より大切にする欧米的な志向が深く根づいている印象を受けました。これもまた、かつての宗主国スペインが残していったものなのでしょう。