「ロシア絵画展」の特別鑑賞会に参加

2018年10月28日
副代表を務めさせていただいているNPO法人「日ロ創幸会」の活動の一環として、八王子の東京富士美術館で開催されている「ロシア絵画展」の特別鑑賞会に行きました。「特別」というのは、ほかでもない、20数名の団体ということで、事前に学芸員の方から20分ほどレクチャーが受けられるからです。

しかし、その話を聞いているかいないかでは、やはり大きな違いがあるように思いました。もともとロシア美術に詳しいわけではありません。そんな私たちにしてみれば、ロシアの美術がどのような時代背景とともに生まれ、発展していったのかについてのお話はとても参考になりました。実際、作品を観ているとき、レクチャーで手に入れた情報と照らし合わせてみると、印象が大きく変わるのです。「だから、少年がこんな表情をしているんだ!」とか「ここまでこまかく描いているのはそういう背景があったからかな」など、楽しみが増えます。

ワラビーズvsオールブラックスを横浜で観戦

2018年10月27日
FACEBOOKにも投稿したのですが、まさか、「ワラビーズvsオールブラックス」というカードを日本国内で観戦できるとは、古くからのラグビーファンなら誰もが感慨ひとしおだったのではないでしょうか。こうしたビッグゲームをテレビで見られるようになったのもここ10年ほどのことで、しかもそれがなんとナマでというのですから!

ワラビーズはオーストラリア、オールブラックスはニュージーランドのそれぞれ代表チームの愛称。高校生のころは、ラグビー専門誌などでしか見たことがありませんでした。世界ランキングでも最上位にいる両国はワールドカップ、チャンピオンズリーグ(南半球の強豪4カ国)、通常のテストマッチなど、さまざまな場面で戦いますが、今回は「ブレディスローカップ(Bledisloe Cup)」といって、1931年から続いている、いちばん格式のあるテストマッチ。毎年3試合を戦い、勝ち越したほうがカップを手にするのですが、その第3戦が横浜の日産スタジアムでおこなわれるのです。

通常の3試合に加え海外での1試合が追加された2009年10月にも、第4試合が国立競技場で開催されたことがあります(観衆は約4万4千)。日本で2019年にワールドカップが開催されることが決まった“ご祝儀”のようなものでしょう。オールブラックスはリッチー・マコウ(主将)やダン・カーター、ワラビーズはジョージ・スミス、マット・ギタウ、アダム・アシュリークーパーなど、錚々たるプレイヤーが出場するというので、私も観に行きました。

その2年前のワールドカップ@フランスを観に行っていたのですが、このときは日本代表の試合はあえて外していました。というのも、当時の日本のレベルはいまと比べものにならないほど低く、高い旅費を払い現地に行ってまで応援しようという気になれなかったからです。実際、オーストラリアとウェールズにはボロ負け、フィジーにも接戦で敗れ、カナダと引き分けるのがせいぜいでした。

それより、日本が足もとにも及ばない強豪チームの試合を中心に観戦するコースに参加したのです。マルセイユでの準々決勝イングランドvsオーストラリア、同じく南アフリカvsフィジー、パリでの準決勝=イングランドvsフランス、3位決定戦=フランスvsアルゼンチン、そして決勝のイングランドvs 南アフリカの5試合を観戦。イングランドがフランス戦で、追い詰められた状況から40メートルのドロップゴールを決めたときは鳥肌が立ちました(試合も14対9で勝つ)。3位決定戦で、地元フランスがアルゼンチンに敗れたときのファンの落胆ぶりも強烈に印象に残っています。詳しくは2007年10月2日のブログ「ラグビー人口の減少が心配」に記してありますので、お時間があれば、検索の上、ご一読ください。

 

ただ、今回の試合はそれ以来9年ぶりのことで、観客数も国内ラグビーでは最高となる4万6千人超え。試合はニュージーランドがオーストラリア代表に37-20で勝ち3戦全勝、「ブレディスローカップ」を手にしました。その当時とは、日本のラグビーを包む環境がまるで違うものの、あと1万人は増えていてほしかったですね。

東京明和会で「はとバス」ツアーに参加

2018年10月14日
昨日・今日は1泊で高校時代の同期会。明るい時間帯は、例によって大人の社会見学です。今回は、東京やそのすぐ近くに住んでいても、ふだんなかなか訪れることのない場所ということで、「はとバス」のツアーに申し込みました。「東京スカイツリーと柴又・ぶらり都電の旅」という名前の企画で、東京駅→「スカイツリ」ー→「柴又の帝釈天」→(都電で移動)→「巣鴨地蔵通り」散策というコース。これで9980円なのですが、さて高いのか安いのか……。

私も含め参加者は4人。全員、「スカイツリー」も「帝釈天」も初めてです。人気の「スカイツリー」はやはりけっこう人が来ていて、地上350mの「天望デッキ」に上がるまで順番待ちも含め30分ほどかかります。これでも、朝早いほうなのでまだましなのだとか。お天気もまずまずで、富士山こそ見えませんでしたが、筑波山【つくばさん】はバッチリでした。新宿副都心あたりまではかなりはっきり見えるのですが、改めて東京という都市の大きさを実感。とともに、人間の小ささも感じずにおれませんでした。

「スカイツリー」のある押上【おしあげ】から柴又まではあっという間。「帝釈天」をひととおり見終わると、江戸時代後期から続く老舗の「川甚」 で松花堂弁当の昼食。これは中身が充実していましたね。食後は、すぐ近くをたゆとう江戸川の堤防の上を歩き、有名な「矢切【やぎり】の渡し」の船着き場を観たり、柴又の駅まで続く参道をぶらぶらしたり。参道の途中にある老舗「高木屋」で名物の草だんごをほおばりながらしばし休憩。映画『男はつらいよ』で何度も目にしているので、初めてという印象はしません。

 

ここからバスに乗って、都電荒川線の梶原という駅に移動します。巣鴨の北にある庚申塚【こうしんづか】まで10分ほど都電に乗るのです。私はその昔しょっちゅう乗っていたのでそれほどでもありませんが、ほかのメンバーは「名古屋にいたとき以来」のようで、おそらく40年、50年ぶりのチンチン電車でしょう。庚申塚からはとげぬき地蔵の参道をぶらぶら歩き、駅の近くで待機していたバスに乗車。最後はまた東京駅に戻ります。

東京駅から東海道線に乗ってまずは大船。バスツアーに参加した4人は、いつになく健康的な時間を過ごしたあととあって、全員、夜のお酒・食事は期待でいっぱい。夜の部のみ参加の1人も加わり、いつものように食べまくり・呑みまくりの2時間余を過ごし、Yくんの江の島別邸へ。あとはおきまりの“ダラダラ2次会”です。

「琉球フェスティバル」は、都心に出現する“異次元空間”

2018年9月23日


4年ぶりの「琉球フェスティバル」。沖縄の音楽にどっぷり漬かることのできるイベントの中では、「うたの日コンサート」と並んで大規模なものです。後者はBEGINが主人公と決まっていますが、「琉フェス」にはそうした存在がありません。あえて言うなら司会のガレージセールですが、中身はかなりアバウトなところがあります。ただ、会場は日比谷野外音楽堂と決まっていて、しかも大変な長丁場になるのが特徴。4時ごろ始まり、終わるのはたいてい9時近くです。

「琉球フェスティバル」は同じ名前のイベントがもう一つあります。一つは1965年に琉球新報社主催で始まったもので、こちらは沖縄の伝統芸能を中心に日舞、洋楽なども含めた総合的な芸術祭で、沖縄県内で毎年4月におこなわれています(ただ、今年はおこなわれたのかどうかわかりません)。

もう一つは1974年、評論家・竹中労(故人)が企画して大阪と東京で開かれた音楽イベント「琉球フェスティバル」。このときは日比谷野音に観衆7000が詰めかけ、琉球新報は「東京に沖縄解放区が実現した」と報じたといいます。よほど爆発的な盛り上がりだったのでしょう。同フェスティバルは翌年も東京で2回開催されましたが、その後20年間途切れてしまいます。それが、91年5月に亡くなった竹中の追悼の会=「琉球フェスティバル1991」として同年9月20日、川口リリアホールで開催され、さらに4年後の95年、大阪で復活。翌96年からは、毎年東京と大阪で開催されるようになりました。現在では、県内外で最大規模の沖縄音楽の祭典として定着しているようです。

売りはもちろん、沖縄の一流ミュージシャンが顔をそろえることにありますが、毎回、途中から集団野外飲み会的な要素が色濃く出てくるのが最大の特徴でしょう。

「会場内への飲食物の持ち込みは禁止です。特にビン類の持ち込み品を発見した場合には没収させて頂きます」とか「出演者へ飲食物を渡す行為はお止めください」と書かれた貼り紙もしてあるのですが、重そうなレジ袋・手提げ袋や大きなクーラーボックス持参の観客が次々と入ってきます。その結果、どこを見ても泡盛やオリオンビールをガンガン飲っているという状況に。つまみも、会場内の売店では売られていないものが目につきます。

自分たちだけで飲み食いしているうちはいいのですが、酔いが回ってくると、泡盛、それも生(き)のままで、司会のガレージセールの2人に手渡し、「飲め、飲め」とはやし立てるため、断わり切れず一気飲み。始まって1時間も経ったころにはすっかりでき上がっているという具合です。私たち観客には見えませんが、舞台の裏でも出演者どうしで呑み合っているのではないでしょうか。こうなるともうワケがわからない感じで、出演者も三線【さんしん】を観客席に向かって投げたりし、最後は会場全員が総立ちになってカチャーシー。これが東京のど真ん中で繰り広げられるのがなんとも面白いのです。

神様ダン・カーターのプレーを目の前で!

2018年9月14日
これまでなかなか観る機会がなかったラグビーのトップリーグ。ホント久しぶりに観戦しました。それもこれも、ダン・カーター見たさです。2018-19シーズンは神戸製鋼に加入し、今日のサントリー戦に先発出場したのです。

ダン・カーターは2011年のW杯でニュージーランド代表の一員に選ばれたものの、大会が始まってからの練習中にケガをしたため、結局試合には出ずじまい。本当なら、私が観た日本との試合(9月16日、ワイカト・スタジアム)でそのプレーを目にできるはずだったのですが、それはかないませんでした。もっとも、ダン・カーター抜きでもニュージーランドの強さはいささかも揺るがず、この試合の日本代表は前半に6トライ、後半に7トライを献上、7-83の惨敗を喫してしまいました。

それから7年。もちろん、この間におこなわれた前回(2015年)のW杯@イングランドにはハーフのポジションで活躍、チーム史上初の連覇に貢献しています。大会のあと代表から引退、フランスのプロリーグ「トップ14」のラシン92に移りました。 そのカーターのプレーがようやく、それも日本で観られるのですから、放ってはおけません。

今日はナイターで秩父宮。観衆の数もいつもより5割増しといった印象です。しなやかな体の動きは素晴らしく、無駄がありません。一つのプレーを終えると、かならず次のプレーに備えたポジショニングを怠ることなく、「ここにいれば……」と私たちが思ったところに、いる、のです! それも、適切なスピード、適切な体の構え。これには観衆も感動したのではないでしょうか。

「藝祭」のおみこしパレード。フツーの中に輝くアートが…

2018年9月7日
去年のいまごろ、たまたまテレビで知った「藝大祭」。そのとき、「中長期スケジュール」に書き込んでおいたのですが、いよいよ今日から始まりました。何せ東京藝術大学の学生たちですから、10年、20年経ったとき、世界的なアーティストになっていないともかぎりません。その卵たちが、自由な発想で取り組むパフォーマンスの一つが初日のメイン行事=「おみこしパレード」です。

学部とか学科の枠を超え、いくつかの専攻課程を組み合わせてチームを作り、それぞれが音とヴィジュアルの技・センスを自由に表現するおみこし行列。キャンパスから上野公園まで練り歩いてきて、最後は国立博物館前の広場でパフォーマンスを繰り広げます。「あふれる歓喜と魅力。そして少しの狂気」が今年の「藝祭」の趣旨でもあるようで、その意味では期待が持てます。

その前に一度、東京文化会館裏あたりでパレードを止め、気勢を上げる場面があります。ブラジルのカーニバル風というか、サンバのリズムに合わせて各チームのメンバーが叫び踊るのですが、20代前半の人たちばかりとあって、そのエネルギーはハンパではありません。とんでもなく重いおみこしを藝大のキャンパスからかついできて疲労困憊しているのに、それをまったく感じさせないのがいいですね。

 

 

 

そこで元気をつけると、最後の行進に入り、広場の前でそれぞれ所定の場所におみこしを置いてスタンバイ。あとは順番にパフォーマンスを披露するという流れです。たとえば、絵画科(日本画専攻)と建築科、音楽環境創造科、指揮科の4つの学生が組み合わさるとどんなものが出てくるのか──芸術には門外漢の私には想像もつきません。そこにこのイベントの面白さがありそうです。

長岡で「北前船寄港地フォーラム」

2018年9月1日
「北前船寄港地フォーラム」参加のため、一昨日から新潟県長岡市を訪れています。10年以上前に一度来たことがありますが、そのときは数時間の滞在。いかにも地方の城下町らしい、どこかおっとりした風情を感じたものの、それは上っ面を撫でただけの印象かもしれません。

今回は2泊3日ですから、じっくり雰囲気を味わうことができました。「フォーラム」のほうは、回を重ねるごとに本格化し、それと比例するかのように、観光ビジネスの振興といった面も強く感じられるようになってきました。回によってはアカデミックな匂いが濃厚なときもあります。登壇者もほぼ全員、パワーポイントを駆使しながらのレポートであったり主張であったり発表であったりで、途中、息を抜くいとまもありません。そうした意味では、間違いなく進化していると言えます。

ただ、それだからいいのかとなると話は別。開催地の人々の素朴な思いは前に出てきにくくなりますし、生々しい息遣いも以前に比べ希薄になりました。取材にたずさわっている私の作業も、フォーラムのテーマや内容がすっきり整理されているのは助かりますが、その実現に向けて何カ月もの間あちこち走り回ってきた人たちの気持ちのありようまではつかめないのです。こうなると、”行間を読む“というか、関係者から裏側の状況を幅広く拾い集めていく以外ありません。人は誰でもそうでしょうが、メークやドレスアップをほどこす前の素顔やふだん着の姿にこそ、本当の気持ち・意識が見え隠れするからです。

 

8月30日の前夜祭、翌31日のフォーラムとレセプションを終えた今日はエクスカーションです。バスに乗って、かつて北前船が立ち寄ったことで栄えた港町・寺泊【てらどまり】が最初の訪問地。まっすぐ続く砂浜はいまきれいに整備され、その横を走る道路に面して海産物やさまざまなお土産などを売る店がびっしり並んでいます。それを見下ろす丘に建つ寺院や神社には、沖合にもやう北前船からおろされた荷物を何艘ものはしけが港まで運んでくる様子を描いた絵図が展示されていました。

かつて繁栄を謳歌した三國湊【みくにみなと】はいま

2018年7月13日
今日は朝からエクスカーション。「北前船寄港地フォーラム」にはつきものなのですが、私のように初めてその地を訪れた者にとってはとてもありがたい企画です。しかも、さわりだけをひと巡りする入門編的な内容から、本格的な場所にまで足を延ばすものまでさまざまなメニューが組まれているのもありがたいかぎり。

私たちは入門編にエントリーし、朝9時にホテルを出発。三国の旧市街地をひとめぐりするコースで、旧岸名家【きしなけ】住宅、旧森田銀行を見学後、遊覧船に乗っての東尋坊クルーズが組み込まれています。遊覧船に乗って知ったのは、「北前船」が錨を下したのはどこも、河口にある港だったということ。いまの私たちがイメージする近代的な港とはまったく趣が異なるものだったのです。そういえば、土崎(秋田県)も酒田(山形県)も岩瀬(富山県)も宮津(京都府)も皆、大きな川の河口にあります。これまで話には聞いていましたが、実際、河口近くを船で回ると、水運といっても、その主人公は「川」であったことが改めて、そしてなんともリアルに感じられました。

 

 

荘厳なたたずまいの永平寺にため息

2018年7月12日
さて、今日の午後から「北前船寄港地フォーラム」が始まります。午前中、金沢からの移動ついでに、途中にある永平寺に立ち寄ることにしました。鎌倉時代の1244年に道元の開いた曹洞宗の大本山で、日本史の教科書にも出てきますし、前々から話だけは聞いていたので、期待大です。

たしかに、そのスケールの大きさには驚きました。深山幽谷とはよく言ったもので、四方を山に囲まれた地に大小合わせて70余の建物が。龍門から入り通用門を抜けると聖宝【しょうほう】閣、吉祥【きっしょう】閣、傘松【さんしょう】閣から東司【とうす】、僧堂と順を追って歩いていくのですが、すべて板敷き。冬だったら、厚手の靴下にスリッパを履いていてもしんしんと冷たさが伝わってくるでしょう。仏殿から法堂【ほっとう】へは長い階段を上がります。そこから承陽【じょうよう】殿、大庫【だいく】院、そして最後に浴室を見て、山門を過ぎるといちおうひと回り。大きな寺院でよく目にするピカピカ・キラキラしたものがまったくないのは、やはり坐禅修行の場だからでしょう。途中、修行僧が僧堂に集まってちょうど昼食を摂っていたようですが、そこでさえなんだか荘厳な雰囲気がただよっていました。

永平寺の門前には名物のそばを食べさせてくれる店が軒を連ねており、そのうちの1軒で私たちも昼食。「フォーラム」の会場に急ぎます。会場のハートピア春江はえらく立派な施設。坂井市文化の森という複合文化施設ゾーンのメインを成しているのですが、完成はバブルが崩壊したあとの1995年といいますから、驚きました。700人以上収容できる多目的ホールで、夕方までたっぷり勉強させてもらい、夜は坂井市内にある三国観光ホテルでのレセプション。毎回そうですが、今回も300名を超える参加者でたいそうな盛り上がりでした。

金沢で出会ったユニークなタクシー運転手さん

2018年7月11日
今日は石川県でまだ行ったことのない地域を中心に回る予定で、今朝、レンタカーを借り直しました。明日、福井県の芦原温泉で返却すると「乗り捨て」になるのですが、昨日・一昨日と借りた会社は、芦原温泉に営業所がないため、面倒ですが致し方ありません。

まずは能美【のみ】市にある「いしかわ動物園」です。能美市といってもまったくなじみはありませんが、元ヤンキースの松井秀喜や森喜朗元首相の出身地である根上【ねあがり】町、九谷焼で有名な寺井町、辰口町の3町合併してできた新しい市ですから、当然でしょう。

ホテルから「いしかわ動物園」までは30分少々。1999年の開園なので、まだ20年も経っていません。自然の地形を活かしながら、随所に植栽や岩、池などが配されているなど、動物にとっては本来の生息環境に近い環境が再現されています。動物がいる場所をコンクリートや鉄格子で仕切らず、飛び越えられないであろう幅の堀やガラスで囲ってあるので、観る側は親しみを持って接することができます。広さもだだっ広くなく、お手軽に楽しめる感じですし、勾配もきつくないのがありがたかったです。入り口で手渡されたパンフレットにも、“楽しく、遊べ、学べる動物園”、“3つのやさしさ(「動物にやさしい」「環境にやさしい」「人にやさしい」)がコンセプト”であると書かれていました。

 

そんな飼育環境ですから、わが愛するキリンものびのびしている印象を受けます。ゾウ、トラ、オランウータンも同じくストレスとは縁のない雰囲気で、飼育環境の違いで動物の動きや表情がこうまで変わるものかということを改めて感じました。

動物園の次は「白山比咩【しらやまひめ】神社」。白山【はくさん】は石川、福井、富山、岐阜の4県にまたがる山ですが、古くから霊山として人々の信仰を集めてきたといいます。1300年前の開基と伝えられていますから、全国に2700社あるという白山神社の総本宮になっているのも当然でしょう。境内に神々しい空気が流れているのはよくわかります。ちなみに、山と神社の読み方が違うのは、もともと「しらやま」と呼ばれていたのが時代の移り変わりの中で「はくさん」に変わっていったようです。

 

 

しかし、この白山比咩神社があるのは、白山のまだほんの入り口。ここから車で山道を1時間ほど走ると、岐阜県につながる“季節道路”「白山白川郷ホワイトロード」があります。11月下旬から4月下旬までの期間は閉鎖されているので、走れるのは夏の期間、しかも日の出ている時間帯だけ。たしかに、走っていても、よくもまあこんなところにこれだけの道路を作ったものだと、感心させられます。

途中料金所を過ぎたあたりから川が見えてきますが、川面から道路まではとんでもない断崖絶壁と大小の滝の連続。ゆるい勾配の道を走っていくと、なんともアクロバティックなところに橋が架かっています。この峡谷に架かる唯一の橋=「蛇谷【じゃだに】大橋」で、長さ70m、高さ45m。橋のアーチ越しに、溶岩が冷え固まってできる柱状節理が見えました。

 

橋を渡りさらに行くと「かもしか滝」があり、その先が「蛇谷園地」。ようやく駐車場に車を止めたときは肩の力が抜けました。そこから川底に向かって険しい道を下る途中は
ブナやミズナラの天然林。遊歩道を進んでいくと「姥ヶ滝【うばがたき】」「親谷【おやだに】の湯」が見られるのですが、暑いこの時期のこと、滝を間近で見ると、汗がスーッと引き、自然の涼しさを堪能できました。「姥ヶ滝」は「日本の滝100選」にも選ばれていますが、その名の由来は、滝が岩肌に沿って落ちる何千・何万条の流れを年老いた女性の白髪に見立てたものなのだとか。滝の向かい側には天然の露天温泉もあり、なかには風呂につかっていく人もいるようです。足湯にすわって大迫力の滝を楽しめば、疲れも吹き飛ぶでしょうね。

   

帰路についたのは4時近く。同じ道を金沢市に戻りましたが、帰り着いたころにはお腹がペコペコでした。今日あたりは金沢らしいものを食べたいと思ったのですが、ここのところたんぱく質が不足気味なので、香林坊近くのお気軽イタリアンにでも行って肉と魚を……と思い、タクシーに乗りました。すると、この運転手さんがとてもユニークな方で、「お食事ですか?」から始まり、あれこれ聞いてきます。すると、「私が責任を持っておすすめしたい日本料理のお店がありますので、そこに行って見ませんか? 三つのコースがあって、それほどたくさん召し上がらないというのであれば〇〇コースがいいでしょう。お値段は……」と。さらに、「お食事が終わったころを見計らってお迎えにあがります。全部で2000円ということでいかがでしょうか」。香林坊のイタリアンに執着する理由もありませんし、楽に移動できればこちらも好都合なので、即座に手を打ちました。運転手さんはすぐその店に電話し、10分足らずで到着。正直、このあたりまでは、地方でよく経験する“連携プレー”かと思っていました。

案内されたのは、卯辰山【うたつやま】の中腹にある、楚々としたたたずまいの日本料理店(茶寮 卯辰かなざわ)。たしかに、運転手さんのおすすめどおり。カウンター席からは金沢の街の素晴らしい夜景が楽しめましたし、料理もおいしく、大満足。約束どおり9時に迎えに来てくれましたが、雨が少し降り始めていたので助かりました。

これでまっすぐホテルに帰るだけかと思っていたら、「お客さん、もうあちこち行かれましたか?」と聞かれたので、「いえ、とくにはまだ……」と答えると、「じゃあ、二つだけ、いまの時間帯にしか見られないところに寄っていきませんか」というので、「お願いします」と即答。それで行ったのが、金沢城と中国風な雰囲気の尾山【おやま】神社。どちらも、ライトアップが素晴らしく魅力的でした。「昼間は皆さん、観光にあちこち歩き回っておられるのですが、夜はほとんどの方がお食事だけなんですよ。それでこんな素晴らしい場所があるのに、観ずじまいで」と。そこで15分ほど楽しんだあと、ホテルに戻ったのですが、降りるときに名刺を差し出し、「次回、お越しになったとき、もしよろしければこちらにお電話ください。また、いろいろご案内しますので」。なるほど、ここまでスキがないと、一種の“お値打ちパッケージ”といってもよく、オリジナリティーすら感じさせます。これほどメジャーな観光地でも、こうした運転手さんがおられるのだと感心しました。もちろん、チップをつけてお支払いしましたよ。