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生涯最悪の経験──エールフランスの対応に唖然・呆然

2017年8月13日

今日で長い旅も終わり。アイルランドのダブリンからパリ経由で日本に帰ります。キルケニーのホテルから2時間。レンタカーを走らせ、無事リターン。4日間の通算走行距離は1800kmでした。

帰国は、ダブリン発14時15分発のエールフランス(AF)便でパリ(シャルル・ド・ゴール空港)まで行き、そこから羽田行きのANA便です。それがなんと、パリで丸1日足止めを食らうハメに。

AF便の出発が遅れたことからそれは始まりました。ダブリンを離陸したのは予定より1時間以上遅れの15時30分で、パリ到着は18時。着陸したのは、第2ターミナルのビルから遠く離れた場所で、バスでの移動になります。ただ、今回は家人のために車イスをお願いしておいたので、特別仕様の車両で移動。ビルに着いたのは18時35分。そこからAFの職員が、ANAのチェックインカウンターがある第1ターミナルとを結ぶシャトル(CDGVAL)の乗り場まで連れていってくれる段取りのようでした。

ところが、ダブリン→パリとパリ→羽田のフライトをバラで入手していたのがネックになりました。預け荷物はダブリンから羽田までスルーの扱いにしてもらったのですが、私たち自身はパリで一度「入国」し、ANAのカウンターで手続きしなければならないと言われていました。eチケットの控えは持っているのですが、搭乗券がないため、「トランジット」にならないのでしょう。このあたりの仕組みは私たち素人にはわかりません。

まず第2ターミナルにあるAFの“車イス利用者カウンター”と思しきところまで連れていかれ、「しばしお待ちを」と。そこの職員がだれが相手かよくわかりませんが、電話していましたが、私たちはずっと待たされたまま。時間はどんどん過ぎ19時をまわってしまいました。ANA便の搭乗開始は19時35分なので、こちらは焦ってきます。AFの係員は「Stay here。シャトルの乗り場までは別の係員が案内するから」と言い置いて、その場から姿を消してしまいました。しかし、10分経っても20分経ってもだれも来てくれません。そのうち、「ウソ・でたらめ」を言って、私たちを放り出していったことに気がつきました。このままではANA便に乗れないと思い、ANAのマイレージカードのデスクに電話を入れて問い合わせている間にタイムアウト!

IMG_1806幸い、ANAのほうで翌日の同じ便の座席をすぐ確保してくれたのですが、AFのほうからは謝罪どころか、「何がどうなって、こういう事態になってしまったのか」についてまったく説明がありません。20時5分を過ぎてから、日本語を話す職員が電話に出てきて「ANA便とコネクションがないので、私たちの責任はパリまで。よろしいですね! ANA便があなた方を乗せずに出発したことになんら責任はありません。おわかりですね! 今日の便に乗れなかったために、あなた方はこちらにひと晩泊まらなければならなくなりましたが、そのためのホテルは、私どもで確保して差し上げましょう。空港近くのハイアットなら1泊100ユーロで予約できますが、それでよろしいですか?」と聞いてきました。こちらは四の五の言ってられませんから、「OK」と。しかも、その場で予約確認の書類をプリントして渡してくれます。対応が迅速だったのはこれだけ。

 

しかし、そうなると私たちがAFに預けたスーツケースをもう一度引き取らなくてはなりません。それについて尋ねると、「当然です。すぐ荷物を確保しお渡ししますので、ここで30分ほどお待ちください」と。AFの係員が2人、私を連れて階下の荷物受け取り場近くにある「ロストバゲージ」処理カウンターのところまで連れていき、担当者相手に荷物の所在を調べ始めました、スーツケースの色を尋ねられたのでそれに回答し、しばらくコンピューターに向かうと、うなずきながら、私を連れていった係員に何やら告げました。すると、その係員が「30分後にはお渡しできますので、上の階の先ほどの場所でお待ちください」と。

 

その言葉に従って待ちました。30分、1時間、1時間半。気がついたら22時近くになっています。先ほど私を階下に連れていった係員はそのあとまったく姿を見せません。近くにいる別の職員に聞いても、「私の責任ではない」と言うだけ。担当していた係員にコンタクトを取るわけでもなければ、何か手立てを講じるわけでもなし。「ANAのほうに荷物が行ってしまっているので、それを取りに行って戻るのに時間がかかっている。受け取るのに手間取っているようだ」と、もっともらしいことを言います。しかし、こちらも心配になったので、もう一度ANAに電話で問い合わせると、「こちらにはそのスーツケースはまったく来ていません」と、あちこち確認を取ってくれた上での返答が。

要するに、AFの職員はその場しのぎの「ウソ・でたらめ」を言っていただけなのです。そして、22時になると、その職員もさっさと帰ってしまいました。このままでは荷物なしにひと晩ホテルで過ごさなくてはなる……と、もう一度、階下の荷物受け取り場近くの「ロストバゲージ」のカウンターに行くと、すぐ近くに私たちの2つのスーツケースだけが放置されているではありませんか! AFの係員が私たちのところまで持ってきてくれるというのは「ウソ・でたらめ」だったのです。海外旅行で、たとえひと晩でもスーツケースがないと途方もなく落ち込みます。これまで何度かその経験をしているだけに、荷物が無事見つかって安心はしたものの、怒りが猛烈にこみ上げてきました。

この日は昼食もきちんと取っておらず、飲まず食わず状態だったので、お腹も空いてきます。仕方なく、待たされている間にすぐそばの売店でサンドイッチとサラダを買ってきて口にしましたが、とてもとても……。ついでながら、重いスーツケースを2個持ち、足の不自由な家人を連れながらシャトル乗り場まで移動するのはしんどそうだったので、先のところに、夜勤なのでしょうか一人だけいた職員に「車イスを使わせてもらえないか」とお願いしてみました。「いいですよ。係員をよこしますから、お待ちください」と言うのですが、もうこれ以上待たされるのはイヤだったのでお断わりしました。

こんどはハイアットホテルまで行かなくてはなりません。もちろん、場所を教えてくれていたわけでもないので、空港のINFORMATIONカウンターまで行ってたずね、なんと10分近く離れたホテル行きのシャトルバスが出る場所まで歩きに歩き、チェックインしたのは23時近く。レストランも閉まっていて、結局この夜は何も食べずじまいで終わってしまいました。

キルケニーで「アイリッシュパブ」を初体験

2017年8月12日

今日でアイルランドも実質最後の日。リメリックから北東に数十キロ走ったところにあるキルケニー(Kilkenny)をめざします。出発前に足を運んでみたのがリムリックの中心部にある「ミルクマーケット」。もともとは青空市場だったのでしょうが、そのまわりに建物が立ち、いまでは広場全体を覆う巨大なテントが。その結果、屋内・屋外一体となった市場になっています。毎週金・土・日の3日間開催されているマーケットはたいそうなにぎわいです。

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IMG_1712野菜、肉、パン、調味料、食料加工品が中心ですが、台所用品や衣服、アクセサリーなどを売る店も。昔は当たり前だった有機栽培の野菜や果物が所狭しと並べられ、その隣ではやはり、自家製のパン、チーズ、スイーツなどを売る店が。どれを見ても食欲をそそりますが、土曜日の朝とあって、とにかく人の多いこと。昼近かったこともあり、市場の2階に作られたフードコート風のスペースもほぼ満杯といった感じです。人口9万ほどの町ですが、人々の表情は生き生きしており、こうした場が存在することの意味を考えさせられました。

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DSC03085そのあと「ジョン王の城(King John‘s Castel)」の素晴らしい外観を眺め、「条約の石(The Treaty Stone)」と名づけられた記念碑をチェック。そして、市内を出てまず行ったのがキャッシェル(Cashel)という町です。ここには「ロック・オブ・キャッシェル」という有名な城があります。500年ほど前までこの地方の政治と宗教の中心地であった町を象徴する城は立派の一語。中の庭に広がる墓地に立つケルト十字やかつての聖堂跡の素晴らしさには感動しました。

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キルケニーに着いたのは5時少し前。市内で観たいところが2つあり、最初は「キルケニー城」を外から。いかにも立派なたたずまいで、前にある庭園も心が和みます。そこから車で5、6分の所にある「大聖堂」は、あいにく時間切れで中に入れませんでしたが、外壁の装飾は質素でも、歴史を感じさせる建物でした。ホテルにチェックインしたのは6時半ごろだったでしょうか。

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DSC03119私たちが止まったホテルはノア川のたもとに立っているのですが、そのいちばんの売りは、別の角度から観られる城の姿。ホテルはちょうどその向かい側にあるので、美しい姿を観ることができます。この城を観られる側と観られない側とでは宿泊料に4、5千円の違いがあるほど。ギリギリまで粘り、3、4日前にキャンセルが出て、やっと城が観える側の部屋を確保することができました。せっかくのチャンスですから、家人にも喜んでもらわないと(笑)。

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夕食は、ホテルの入口から道路を挟んだ向かい側、これも川べりにあるアイリッシュパブで。ほんの少し時間が早めだったせいか、あっさり席を確保でき、ゆっくり食事を楽しめました。夏休みでどこもかしこも混んでいる中、これはラッキー! 店の奥のほう、バーカウンターの前ではバンドの生演奏が。途中休みなしで、私たちが店を出る2時間後もまだ続いていました。

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IMG_1786店はその後どんどん客が入ってきます。なかには、タクシーに乗って駆けつけてくる人も。そのうち、店内は、立ち飲み客も出てきて、足の踏み場もない状態に。ウェイター、ウェイトレスはわき目もふらずに動いています。私たちのテーブルを担当してくれたのは、いかにもアイリッシュといった雰囲気のおやじさん。私はその男性に「アイルランドのテキパキおやじ」と勝手に名づけました。この道ウン十年といった感じの小気味よい動きがこちらを心地よくさせてくれます。こういう人が世界中に散らばっているのだろうなと。アイルランド人の誇りを感じさせるウエイターでした。

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IMG_1787アイルランドの名物パブでも、2、3年前から建物内でのタバコは禁止されています。そのため、スモーカーたちはちょっと時間があると店の外に出て、入口近くに置かれた大きな灰皿のまわりで一服。私も何回かそこに行きましたが、入れ替わり立ち替わり客が出てくるのには感心しました。それにしても、愛煙家というのは世界中どこに行っても、まめですね。

勘定を頼むころになると、店の混雑はいっそうひどくなっていましたが、テキパキおやじはさっと勘定書きを持ってきてくれました。現金で払い、しっかりチップをはずんだことは言うまでもありません。

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霧に煙っていた「モハーの断崖」

2017年8月11日

朝からあいにくの雨模様。今回の旅で雨に降られたのは初めてです。今日はアイルランドでも屈指の絶景「モハーの断崖(Cliff of Moher)」に行くというのに、残念! 雨のせいか気温も低く、肌寒ささえ感じます。それでも気を取り直し、一路南西へ向かいました。

カーナビの指示に従って走るのですが、なぜか田舎道が多いのにはとまどいます。道路にはいちおう名前がついているものの、幅が狭く、くねくね曲がった道ばかり、道の左右は畑か森のどちらかで、たまに小さな集落がある──そんな感じです。にもかかわらず制限速度が80キロだったりするので、日本人の感覚ではどうにも納得が行きません。もちろん、街中に入ると60キロ→50キロとダウンするのですが、そのエリアから出るとまた80キロに。なかには、センターラインがないのに制限速度100キロなどという道路もありました。速く走れるのはありがたいものの、こうなると逆に神経を使わされ、いささか疲れます。

もう一つ、アイルランド(ヨーロッパではほかの国もほぼ同様ですが)の道路は、バンプというのでしょうか(ハンプとも呼ぶらしい)、道路が隆起している箇所がやたら多いのです。スピードを出したままでいるとガクンと揺れ不愉快きわまりないので、だれもがそこではブレーキを踏みます(そういえば、エジプトの砂漠を走る道でも見かけました)。もちろん、事故の防止が目的でしょうが、これもあまり多いとうんざりしてきます。逆に、日本も学校の近く、閑静な住宅街ではもっと導入したほうがいいのではないでしょうか。

IMG_1693さて、ようやく到着した「モハーの断崖」は人気観光スポットですから、大変な人の数。広い駐車場もびっしり埋まっていました。駐車場のはるか先、丘を昇ったところから、「断崖」らしきものが見えるようですが、あいにくの曇り空で、最初はうっすら、というよりほとんど何も見えません。それでも、2、3分経つとさっと霧が晴れ、姿をあらわすことがあります。ただ、絵ハガキやポスターで見るような美しく迫力のある姿とはほど遠い状態です。

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家人は早々にあきらめ、杖をつきながら入口近くにあるビジターセンターに戻り始めました。それでもあきらめきれない私は、「もうちょっと粘ってみよう」と思い、いちばんよさそうな場所で待ちました。2、3分経つとふいに霧が晴れ、わずかの間でしたが、絶壁がその姿をあらわしたのです。大西洋上に切り立つ断崖が海面から最上部まで見えると素晴らしい迫力。夢中でカメラのシャッターを押しましたが、その間にもまた雲に隠れてしまったりします。結局、それからは曇りっぱなしで、その姿を目にすることはできませんでしたが、一瞬とはいえその姿を観られ、遠路はるばるやってきた甲斐がありました。

「モハーの断崖」をあとにし、そこから車で20分ほどのところにあるバレン(Barren)へ。ここにある「巨人のテーブル」を観たかったからです。想像していたほどには大きくなかったものの、それでもその造形の不思議さには驚きました。何千年も前のお墓だそうですが、雨の中、駐車場から数百メートル歩き、間近で観たときの感動はなかなかうまく表現できません。

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今日の行程は以上。ここからホテルがあるリメリック(Limerick)の町までは30分ほど。天気もようやく回復し、最後は気持ちよく走れました。昨日泊まったゴールウェイの喧騒に比べると、リムリックの町はなんとも静かで落ち着いています。今日も早くからお腹が空いていたので、すぐ夕食に出ました。ホテルの近くで見つけたステーキレストランが大当たりで、味はもちろん、サービスのレベルも高いこと。大満足で店を出ました。

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こんなところに立派な日本庭園が!

2017年8月10日

さて、ダブリンを出て、今日はアイルランド中央部を西に移動。大西洋岸にある港町ゴールウェー(Galway)をめざし、およそ200キロのドライブです。最初に立ち寄ったのがキルデア(kildea)という町にある「アイリッシュ・ナショナル・スタッド」。国立種牡馬育成所といった意味でしょうか。 IMG_1647

ここはもともと牧場で、造られたのは1900年。その後イギリス政府に寄贈され、さらにアイルランド政府の所有となったそうです。日本にもこの種の施設はあるのかもしれませんが、これほど広大で、ここまで美しく整備されているのを見ると、さすが競馬先進国といった感じがします。

入口のチケット売場をはさみ、牧場と反対側に「日本庭園」が。順路に沿って歩いていくと、それぞれ「誕生の洞窟」とか「学びの丘」「喜びととまどいの島(結婚)」、「志の丘」という名の急な坂道、「平和と安らぎの園」、そして最後は「来世への入口」など、ポイントごとにユニークな名前がつけられています。東京の我が家の近くにある有名な「哲学堂公園」を思わせるコンセプトには驚きました。

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最初に牧場を作ったウィリアム・ホール・ウォーカー卿と日本人庭師の飯田三郎、その息子ミノル・イイダが力を合わせ、1906から10年にかけて作ったものだそうです。えらく凝った設計とその造園技術の素晴らしさに、ヨーロッパにある日本庭園の最高傑作と言われるのもよくわかる気がしました。

園内のカフェで軽い昼食を済ませ、次の目的地アスロン(Athlon)へ。かつてはアイルランド中央部にある交通の要衝だったそうですが、それもむべなるかなと思わせる大変な数の人が訪れていました。道路も大渋滞。ここでは城の外観を見るだけにとどめ、すぐ近くの「クロンマクノイズ(Chronmacnoise)」を訪れます。

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シャノン川沿いの小高い丘に、はるか昔に廃墟となった教会があるのですが、見上げるほどに高い円塔、壊れかけて久しい大聖堂、ケルト十字のお墓などがみごとなまでに並んでいました。いまでもこの地は墓地として続いているようで、新しいお墓もあります。それがこの国の長い歴史を感じさせるのですが、興味深かったのはキリスト教寺院の大聖堂の構造。これはキホンどこの国でも同じなのですね(もちろん、規模の大小はありますが)。ここの教会の大聖堂ははるか昔に壊れてしまったのですが、いまでも外壁と内部の一部は昔の姿をとどめています。そうしたことに思いを致しつつ感動にふけったあと、近くの有名なシャノンブリッジ(Shanonn Bridge)を渡って、ゴールウェイをめざします。

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6時前にホテル到着したときはお腹がペコペコ。レストランの数は豊富なのですが、時間が悪かったせいか、どの店も皆、30分以上待たないと入れないとのこと。仕方なく、ホテルの帰り道で見つけた日本料理店に。小さな店でしたが、揚げ出し豆腐やらだし巻き卵、焼き鳥やらを食べることができました。2日続きの日本メシですが、疲れているときはありがたいですね。それにしても、この街の喧騒はすさまじいばかり。何が人気なのかよくわかりませんが、まっすぐ歩くのも大変なほど人でにぎわっていました。

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女子ラグビーW杯の初戦はフランスが相手

 2017年8月9日

前夜、「ゲイアティー・シアター」に行く前に立ち寄った、向かい側のショッピングモールでお土産を少々購入。それからドライブに出ました。最初の行き先は、前日その前をバスで通った「グラスネヴィン墓地(Glasnevin Trust)」。

IMG_1577広大な敷地にびっしりお墓が並んでいるのですが、入口のまわりにあるのは、大きな墓石とアイルランド独特の十字架。ケルト十字と呼ばれるものだそうで、私たちにもなじみのあるラテン十字と、十字の交差部分を囲む環から成っています。人間の背丈より高いそれがずらっと並んでいるのを観ると、不思議な迫力を感じます。

 

そこから北上し、次に訪れたのが「モナスターボイス(Monastervoice)」。先端が破壊された「ラウンドタワー」のまわりに多くの墓標が立っているのですが、その中にひときわ高い「ハイクロス」があります。前面にほどこされたレリーフはみごとの一語。例によって、ドイツ人の一団がそれを囲み、ガイドの話に熱心に聞き入っていました。

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続いて「ニューグレンジ(New Grenge)」を訪れます。5000年も前に作られた墳墓群で、世界遺産の一つ。ただ、この日の見学ツアーは予約でいっぱいのため、中は見学できませんでした。仕方なくビジターセンターの展示だけで我慢しましたが、今回は家人も歩くのが大変ですから、かりに予約が取れても、見学ツアーはしんどかったかもしれません。また、“次の機会”ですかね。

今日の最終目的地は「タラの丘(Hill of Tara)」。ケルト人の血を引くアイルランド人の、いうならば心のふるさとのような場所=聖地で、なだらかな丘の中にポツンと石が立っているのが印象的でした。丘の一部は鉄器時代の要塞跡。そこに「王の砦」があり、その「王座」の中心部に石柱が残っています。まわりに何もないところにポツンと立っているのが興味をそそりました。

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しかし、なんといっても私たちの心を奪ったのは、青い空と白い雲と緑の草の取り合わせ。まわりをさえぎるものが何もない中、なだらかな丘陵全体を覆う澄んだ空とそこにたなびく雲のコントラストが際立っていました。もし、どんより曇っていたら、印象は大きく変わってしまうでしょう。

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夜は「女子ラグビーW杯」の予選がダブリン市内であるので、あまりゆっくりもできず、再びダブリンに戻ります。W杯といっても、2015年秋にイギリスで開催された男子ほどの盛り上がりはありません。私自身も、今回は世界陸上の「ついでに」観戦、というのが正直なところです。

ただ、この「ついでに」が、旅ではとても大事というのが私の考えです。前に書いたかもしれませんが、私の出身地は“ほぼ名古屋”なので、そのあたりに関してはけっこうシビアというか、常に「ついでに」を意識しながら旅の計画を立てます。その昔「一粒で二度おいしい」というキャッチフレーズで売ったお菓子がありましたが、同じ時間と費用と手間をかけるのなら、「ついでに」別のことも実現(実行)しようという意識がいつも働いているのです。もちろん、“100%名古屋人”の場合はもっと徹底しているでしょうが……。

さて、試合会場では食事らしい食事は期待できないので、ホテル近くの日本料理屋でTake-away(持ち帰り)の寿司を買いました。タクシーで市内のUCD(ダブリン大学)のグラウンドに向かおうとしましたが、運転手にW杯のことを伝えても「何、それっ?」といった感じです。チケットを見せ、やっと納得してくれたようで、15分ほどで到着。しかし、正確には違う場所でした。要するに、この一帯は同大学のグラウンドがいくつもあり、会場になっているのはその中で最も大きなグラウンド。降ろされた場所からさらに10分ほど歩いたところにあったのです。

IMG_1620W杯といっても、スタンドは半分仮設のような感じ。ただ、それでもけっこう日本人サポーターの姿がありました。SAMURAI(侍)のいでたちをしていたり、赤と白のメークをほどこしていたり、目立つことは目立つのですが、アウェイの地ですから数的な劣勢は明らかです。

 

劣勢なのは今日フランスと戦う日本チーム(桜フィフティーン)も同じ。たまたまグラウンドに両チームが並んで入場する場面を間近で観たのですが、大人対子どもといった印象。それにしても、フランスの選手のまあ大きなこと!

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女子のW杯に日本が出場するのは4大会・15年ぶりのことだそうですが、男子以上に体の小ささが際立ちます。開始早々、10秒経過したかしないかのうちにノーホイッスルトライを奪われ、そのあと立て続けに3本も取られてしまいました。アタックはけっこうスピーディーなのですが、ディフェンスがどうにもいただけないというか……。前半を終わって7―29、後半もフランスに攻められっぱなしで、最後は14対72。それでも2本トライを奪えたのは、次につながりそうです。

本場の「アイリッシュダンス」はやっぱり違う!

2017年8月8日

朝いちばんで、タクシーでダブリン最大の観光スポットと言っていい「トリニティー・カレッジ」へ。1592年の創立ですから、400年以上の歴史があります。なかでも「オールドライブラリー」の2階にある「ロングルーム」は出色でした。高さはゆうに3フロア分ありそう、幅20m・長さ65m近い空間の両サイドに書棚があり古書がビッシリ収められています。朝早くから、それこそ世界中の人が見学にやってきていますが、お目当てはこれ。ウェブサイトでチケットを購入していた私たちはすんなり入れましたが、出るころにはチケット売り場に長蛇の列が。学生たちがアルバイトでキャンパス・ツアーを引き受けており、それが収入源にもなっているようです。

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IMG_1553その後は「ホップオン・ホップオフ」観光バスで市内を観光。「ダブリン城」「クライスト・チャーチ大聖堂」「聖パトリック大聖堂」「ギネス・ストアハウス」「キルメイナム刑務所」「クローク・パーク・スタジアム」など、名所を外から見ただけですが、バラエティーに富んでいて飽きることがありません。夜は“アルコールの都”といった趣のダブリンですが、昼間はそうしたことをまったく感じさせないのが面白いですね。1回目の最後はオコンネル通りで降り、近くでランチ。

 

午後はもう一度バスに乗り、「ダブリン城」と「聖パトリック大聖堂」へ。なかでも「聖パトリック大聖堂」は大変なにぎわいで、入口前の道路に大型観光バスがひっきりなしにやってきて団体客をおろしては乗せていきます。そのため、道路が大混雑していました。

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アイルランドにルーツを持つ人は世界中に散らばっている(その数は8000万人と言われる)そうですが、その多くが自分のルーツを確認しにアイルランドにやってくるといいます。夏休みの時期でもあり、その数もいつになく多いのでしょう。ちょっと動くのにも不自由するくらい混んでいるのも仕方ありません。

今夜は「アイリッシュダンス」のコンサートがあります。日本を出発する前にチケットを購入しておいたのですが、会場は「ゲイアティー・シアター(Gaiety Theatre)」。140年以上前に建てられた、アイルランドでもいちばん老舗の劇場で、毎年夏は、それまで世界中を回っていた「リバーダンス」が里帰り、2カ月半ぶっ通しで公演するのだとか。

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何年か前、東京・渋谷で「リバーダンス」の公演を観たことがあるのですが、そのときはさほど興味深く感じませんでした。ところがこちらで観ると、その迫力に圧倒されてしまいます。客もよく知っている(当たり前か)ので、拍手・歓声のタイミングが的確。そのためでしょう、東京で観たときとはまったく違う印象です。わざわざ本場で観たかいがありました。

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まずは、ダブリンの動物園でキリンにご挨拶

2017年8月7日

ロンドンには全部で5つの国際空港があります。今日はその一つのロンドンシティ空港からアイルランドのダブリンへ。1時間少々で到着し飛行機の扉が開くと、空港の職員が待機していました。職員が1階の荷物受け取り場まで車イスを押してくれるのは大変助かります。そのあとスーツケースを転がしながらレンタカーの窓口へ。車が用意されている場所までシャトルバスに乗って移動し手続きを済ませるところまでは順調。しかも、今回はレンタカー会社の職員が、カーナビの入力方法などことこまかに手ほどきしてくれたので、これまでのように、借りて乗ったはいいが、なかなか出発できないというストレスからも解放されました。

時間に余裕があったので、ダブリン市内に入る前、動物園に立ち寄ることにします。ナビに入力すると10分ほどで到着。事前の調べでは、動物園自体に駐車場はないとのことでしたが、実際に行ってみると、そこら中、路駐しまくり。みんなで止めれば怖くないと、私たちもその中にまぎれ込みました。

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DSC02710世界で3番目に古い動物園というだけあって、入口の建物はクラシックな風合いで,雰囲気十分。ただ、古いだけに敷地は狭く、そのわり全体の配置がわかりにくい。何より大変だったのは園内の通路が狭かったこと。車イスに乗った家人と一緒に動かなくてはならないので、まあ難儀しました。また、今日はバンク・ホリデーという、国民の休日と重なっていたため、親子連れの客で土日並みの混雑ぶり。よけい動きにくかったような気がします。

 

IMG_1520しかし、ここにもパリに負けず劣らずたくさんのキリンがいました。しかも、シマウマとダチョウと同居しているのです。もともといたアフリカのサバンナでは当たり前の光景なのでしょうが、動物園でとなるとやはり新鮮ですね(横浜の「ズーラシア」も同じようになっているとか)。キリンとシマウマが、何がどう魅かれ合うのかわかりませんが、ほぼ左右対称にたたずんでいたりして、可愛らしいといったらありません。気がついたら小1時間もその前にとどまっていました。

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それにしても、動物園の案内表示というのはなぜ、どこも皆例外なしにわかりにくいのでしょう。「→」のついた表示板があるのでそれに従って歩いていくと、途中でそれが消えてしまったりするのは日常茶飯事。あるはずの通路がなくなっていたり、これまで何度も悩まされた経験があります。

ここダブリンも事情は同じようで、あっちに行ったりこっちに行ったりしてけっこうさまよいました。ふだんならなんでもないのですが、今回は車イスを押しながらでしたので、けっこう疲れましたね。

IMG_1543動物園から市内までは15分ほど。天気も素晴らしくよく、川沿いを走りながらすんなりホテルに到着することができました。駐車場も真ん前なので楽々。荷ほどきを済ませると、早めですが食事に出ようということになり、地図を頼りに川のほうに向かいます。車イスはないので、ゆっくり歩きながら探していると、日本料理店があったので、そこに決めました。ロンドンでは食事らしい食事を摂っていなかったので、久しぶりのまともな食事です。

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日本人の女性店員がいて、おすすめを尋ねると「鍋焼きうどんとダイナマイトロール(エビの海苔巻き)」だというので、それを注文。ただ、海外の日本料理店では家人がかならずと言っていいほどオーダーする「揚げ出し豆腐」がメニューに出ていません。そこで、ダメ元で聞いてみると、いわゆる“裏メニュー”ですが、「できますよ」との返答。それも合わせてお願いしました。どれも皆なじみの味で、満足しました。

「ロングウォーク(Long Walk)」に感動!

2017年8月6日

昨年の春知り合ったロンドン在住のIさん、また昨日ご一緒したAさんご夫妻のお誘いもあり、今日は郊外の「タプローコート(Taplow Court)」というところに行きました。昨日初めてお会いしたばかりのKさんが、歩くのが大変な家人のことを慮り、車で送ってくださるとのこと。そのご厚意に甘え、ホテルから1時間足らずで到着。2年前に初めて訪れときも素晴らしさに感動しましたが、今回もやはり、来てよかったと思いました。

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しかし、それ以上にうれしかったのはIさんのご案内で連れていってもらった「ウィンザー城」近くの「ロングウォーク(Long Walk)」です。これには言葉も出ませんでした。城内の「ジョージ4世門」からまっすぐに伸びるこの道は、はるか先にある「ジョージ3世の騎馬像」まで全長4・8km。この日はまた、素晴らしい好天で、端から端まですべて、この目で見通すことができました。「ウィンザー城」自体の訪問もまだ果たしていないので、次回は城の中とともに、この長い道を自分で歩いてみようとも。もちろん、そのときは家人も杖なしでいてもらわないといけませんが。

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私たちは今夜も「世界陸上」。「ウィンザー城」の最寄りの駅からロンドンスタジアムまではゆうに1時間半はかかるそうなので、早めに現地を出たのですが、いささか早く到着しすぎたようです。昨日と同じく車イスのステーションを経由してスタンドに入りましたが、しばらく待たされたほど。ただ、明日のホテル出発が早いので、今日は競技の途中で引き揚げざるを得ません。

 

この日是が非でも見たかったのは、前日ボルトが敗れた男子100mの表彰式です。表彰台に上がるのは3位のボルトから。名前がコールされたときは割れんばかりの拍手と大歓声。しばらくの間、鳴りやみませんでした。2位のC・コールマンに対しては普通の拍手。しかし金メダルのガトリンに対しては、またしても大ブーイングです。「うーん、ここまでやるか……」と思わされる反応でした。でも、ボルトはそれに反応するわけでもありません。国歌の演奏が終わり、メダルを手にした3人が並んでカメラを向けられているときも何食わぬ顔をしていました。クールな大人といった印象です。

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本当は観たい種目もあったのですが、先のような事情で早めにスタンドをあとにしました。入口わきにあるステーションまで戻ってきたものの、駅まで行くシャトルがまだ走っていないとのこと。30分歩待ってほしいと言われたので、その場でイスに腰かけていたところ、ボランティアのどなたかが見るに見かねたのか、ホテルまで送ってくださるというではありませんか。これには恐縮しましたが、せっかくのご厚意なのでそれに甘えさせてもらいました。おかげで、予定よりはるかに早い時間にホテルに戻ることができ大助かり。「世界陸上」のボランティアスタッフの皆さん、本当にありがとうございました!!

世界陸上2日目で観たボルト

2017年8月5日

昼間は、トラファルガー広場近くの「ナショナル・ギャラリー」に。こちらもまた宮殿のような建物で、内部も床から天井から壁から、どこを見ても素晴らしい。以前行ったパリの「オルセー美術館」ほどではないにしても、フランス印象派の名作がゴロゴロといった感じで展示され、目を休める暇がありません。さすが“大英帝国”!

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今回、柄にもなく、2日連続で美術館を訪れたのは、ほかでもない家人の体が言うことをきかないためです。こうした施設に行くとかならず車イスが用意されており、楽に動き回ることができます。元気なら、あちらこちら見物や買い物に行けるのですが、そうもいきません。そこで、室内の施設に行き先を絞ったわけですが、すわっている家人のほうはまだしも、後ろからそれを押す私のほうは不慣れもいいところで、あっちにぶつけ、こっちをこすりといった感じですから、家人もさぞかし疲れたことでしょう。さほど遠くない将来、実際に自走式の車イスのお世話にならないという保証はありません。そのときのための、いうならば“予行演習”だったと思いましょう。

IMG_1124今日は、たまたま同じ時期に日本からやってきていたAさんご夫妻とIさん──どちらも「北前船寄港地フォーラム」などの折、顔を合わせている親しい方々です──と一緒に世界陸上を観戦しにいくので、セントパンクラス駅構内のショッピングモールで待ち合わせました。このモールの中にピアノが置かれていて、通行客が自由に弾くことができるのですが、ピアノの心得があるIさんがそれに気づき、何曲か演奏すると、まわりの通行人も足を止めて聞き入っていたのが印象的でした。

私たちも含め5人で、前日と同じように地下鉄を乗り継ぎストラッドフォードの駅まで。そこから「体の不自由な人のための」シャトルバスに乗ってスタジアムまで行くのは前日と同じ。早めにホスピタリティー・エリアにも入ることができ、いよいよ男子100mの準決勝、そして決勝になりました。ユセイン・ボルトのラストランです。日本のメディアはボルトの名を「ウサイン」と言っていますが、これは「Usain」をローマ字読みしているから。現地では「ユーセイン」と発音していました。

そのボルト、準決勝こそ1位で通過したものの、決勝では3位。残念な結果に終わりましたが、それでも場内の観客はボルトにありったけの拍手喝采を送ります。それはそれでいいのです、ワリを食ったのは優勝したジャスティン・ガトリンです。世界陸上ではなんと12年ぶりで優勝──中長距離ならまだしも100mですから、大変な快挙です!──したのに、まったく無視されたまま。

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そもそも、スタート前の出場選手紹介の段でもガトリンの名前がコールされると大ブーイングが起こっていたくらいです。ボルトより先に1位でゴールしたあとはそれがいっそう強まりました。これには私も家人も疑問を抱きましたが、イギリス人というのは、スポーツに対してはとことん「フェアプレー」を求めるようです。ドーピング違反でそれを破ったことがあるガトリンに対しては、「絶対許すまじ!」という気持ちがやはり強いのでしょうね。

 

それにしても、今大会のジャマイカ短距離陣の不振は深刻のようです。このままでは男女とも、100mはメダルなしに終わりそう。代わりに、アイボリーコーストとかボツワナ、南アフリカといったアフリカ勢の台頭が目立ちます。すべての種目で、以前とは勢力分布が大きく変わりそうな予感がしてなりません。また、それがまた「世界陸上」の興趣をいっそう高めてくれるので、私たちも目が離せないというわけです。

 

なんと、途中までボルトの前に日本人選手が!

2017年8月4日

IMG_1496今日から、今回の旅のメインイベント「世界陸上」がスタート。スタンドに座ると、今回は席がゴールラインのぴったり真上。それだけでも感激していた上に、100mの日本選手が3人全員が予選突破という快挙のおまけつき! もう、最高でした。1組のサニブラウンはスタートから最後までトップ。10秒05の自己ベストタイ。最後の6組に登場した多田は、途中までなんとボルトの前を走っていました。最後は4位でしたが、タイム順で拾われセーフ! 3組の飛鳥も4位でしたが、こちらもタイム順で予選を通過。明日の準決勝が楽しみです。

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DSC_0028今回は初めて、「初日」からの観戦となりましたが、驚いたのは表彰式のやり直しです。過去の大会でメダルを取った選手が、その後ドーピング検査でひっかかり失格になるケースがあります。それによって4位だった選手が3位に繰り上がったりすると、繰り上がった選手に改めてメダルが授与されるのですね。その授与式を初めて見ました。

 

その中に、なんと2009年大会の女子4×100mリレーで3位に繰り上がった国のメンバーがいました。4人のうち1人は何かの事情で来れなかったようですが、残りの3人は大喜び。同じく3位からの繰り上がりで銀メダルを受け取った女子選手は涙でくしゃくしゃ。圧巻は、1位が失格した2013年の女子4×400mリレー。3つの国のチーム全員がそろい、一ランク上のメダルをかけてもらっていました。国旗の掲揚こそないものの、国歌の演奏はあるので、スタンドは全員起立です。

この日のメインイベントは男子の1万。3連覇を狙うファラーが地元イギリスなので、スタートからゴールまでずっと大歓声。1万は最後の1~2周に来て、大きな歓声が沸くのが普通です。最後の1・2周を短距離並みのダッシュで競い合うことが少なくないからですが、今日は1周目からずっと「ファラー!」の大声援が途絶えません。30分近い時間ですから、女子棒高跳や男子円盤投げの予選に出ていた選手は大変だったでしょう。ファラーもそれに応えて優勝、もう化け物というか、神様というか、恐ろしい選手です。

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この日の午前中は「大英博物館」に朝9時から並びました。いつ行っても行列している大英博物館ですが、今日はまた一段と長かったのではないでしょうか。というのも、「葛飾北斎展」があと1週間ほどで閉幕となるため、それを見逃すまいという人がいっぱい詰めかけていたからです。

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常設展示は無料の「大英博物館」ですが、こうした特別展だけは有料になります。日本を出るひと月前にサイトをチェックしたときは、好きな日の好きな時間帯に前売り券が買えるという感じだったのですが、7月25日ごろのぞいてみると、どの日のどの時間帯もすべてSOLD OUT! 「ご覧になりたい方は、当日の朝9時から並んでお買い求めください(それでも早い者勝ちなのでチケットが入手できないこともあります)」とあったので、こうした事態になったのです。

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ホテルから「大英博物館」まではタクシー。降りると、早くも100人以上の列が。「うひゃー!」と一瞬ドッキリしましたが、開門と同時にどんどん人がハケていきます。しかも、門をくぐるとすぐ、女性の職員が私たちに声をかけてくれました。家人の杖が目に入ったのでしょう、「体の不自由な方はこちらからどうぞ」ということで、敷地内に入っても蛇行しながらゆっくり進む列とは別に、建物まで最短距離のコースで行けました。こなるともう“魔法の杖”ですね!

チケット売場で「車イスを借りたいのですが」とお願いすると、「入口を入ったすぐ脇にありますよ」と教えられ、私が列に並んでいる間に家人が車イスを借り、自走させながら戻ってきました。しかも、チケットの値段がえらく安くなっています。車イスの家人はなんと無料、付き添いの私も通常のおよそ半額で済みました。なまじネットで前売りチケットを買えなくてよかったというのもおかしな話ですが、結果としてはそういうことになったわけです。

DSC02655さて、「北斎展」のほうですが、これがまた素晴らしい内容。というか、私たちが認識していた北斎とはまったく別の面があることを知らされました。「富嶽三十六景」だけが北斎ではないのです。ある版元がスポンサーについており、そのリクエストに応じてほとんどなんでも描いていたようで、「えーーっ、何、これ?」と思うような絵もいっぱいありました。私たちが見慣れている北斎の作品より、そっち系のほうが多かったので、北斎の意外な一面を学ばせてもらった感じがします。帰りにミュージアムショップで、35ポンドもする高価公式カタログをつい買ってしまったほどです。

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そのあと、20年以上前に来たときは混雑して観られなかった展示室を中心に、さらに小1時間ほど中を回りました。昨年行ったカイロの「エジプト考古学博物館」とはまた違う古代エジプトの作品を観たり、そのエジプトの敵だったアッシリアの美術作品も数多く展示され、興味は尽きません。そもそもこの大英博物館を1回や2回で全部観て回るなどというのは無理な話で、「続きはまたこの次……」と自分に言い聞かせながら、博物館をあとにしました。

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次に訪れたのは「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」。こちらは「大英博物館」ほど大きくはありませんが、やはり大変にぎわっていました。入場は無料ですが、建物の素晴らしさはさすがという感じがします。

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3時前にホテルに戻りひと休みしてから、いよいよロンドンスタジアムへ出発。こちらも、体が不自由な観客は、ストラッドフォード(Stradford)という最寄りの駅から専用のシャトルバスが用意されているのです。それに乗せてもらい、車イスを貸し出してもらえるところまではすんなり行けました。そのすぐ近くの入口からスタンドに入り、上の階のホスピタリティーゾーンまではボランティアの方に介添えされ、観戦が終わったあとの段取りもていねいに教えてくれます。こうした態勢は実に行き届いていますね!

パリの動物園にはキリンが群生

2017年8月3日

ロンドンに出発するまで数時間の空きがあります。ホテルは「シャンゼリゼ通り」「凱旋門」近くですが、「ヴェルサイユ宮殿」まで行っている余裕はありません。そこで郊外でもわりと近い、「ヴァンサンヌの森」にある「動物園」に行くことに。メトロで1本、乗り換えもないので比較的楽そうです。

IMG_1310地下鉄の駅を降りると大きな宮殿があり、その先が動物園のようです。駅からはタクシーに乗りましたが、これがまたBINGO! 我が愛するキリンが、な、なんと12頭も群生しているではありませんか。ただ、すべてのキリンをいちどきに見られるわけではありません。表舞台に出ているのは4~5頭ほどで、残りはそこからは見にくい裏側のエリアにいるのです。まさか交代交代で登場するわけではないでしょうが、かなりの頭数がいるように思えたので、家人を車イスに乗せたまま、私ひとりでスロープを昇り、裏のほうに行ってみました。すると、6、7頭がのんびりエサを食んでいます。全部が同時に表のほうに出てきたらどれほどの迫力か……。なんとも、残念ではありましたが、それでも私がこれまで見た動物園のなかでは最大の集団です。

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園内での移動は車イスを押しながらですから、おいそれとはいきません。通路がすべて平坦というわけではありませんし、道幅が狭くなっているところでは、すれ違う人や、立ち止まっている人の後ろをすり抜けるようにして動くなど、それはそれで気を遣います。

ちなみに、車イスを借りることについては、事前にネットで調べておいたので、入口でチケットを買ったあと、すぐそばにある事務所で手続き(ここではパスポートを預けるスタイル)を済ませるだけでした。

パリの動物園はもともと80年以上も前に誕生しましたが、10年ほど前にいったんクローズして大リノベーションされ、2014年に再度オープンしたのだそうです(その間、動物たちはどうしていたのか気になりますが)。14・5ヘクタールもの広さ(東京ドーム3個分)があり、園内の仕切り方もユニークなので、どの動物ものびのびした雰囲気です。園内にそびえる岩山(アフリカにはありそうもないような)は、元からあったのか人工的に造ったのかわかりませんが、広いだけにわかりやすい目標になっているように思えました。

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IMG_1325メトロの駅までバスで戻り、近くのレストランでランチを済ませると、預けておいたスーツケースを取りにホテルまで戻ってタクシーを呼んでもらいました。長年の夢だった「ユーロスター」のパリ側の出発駅=北駅までに移動するためです。そもそも、「世界陸上」の観戦だけが目的なら、航空券も東京・ロンドンの区間で購入すればいいのですが、ついでに「ユーロスター」に乗ろうと思いついたことで、パリ往復のチケットにしたのです。
「ユーロスター」に乗るにはチェックインの手続きがあります。なるほど、国際線ですからそれも納得。チケットとパスポートを持ってフランスを「出国」すると、すぐイギリスへの「入国」手続きが。そのブースの先には、空港と同じく「免税店」もありました(規模は全然小さいですし、ブランド品もなし)。

ただ、沿線の景色はあまり刺激的ではありません。えんえんと畑が続いたかと思ったら、風力発電用の風車がずらっと並ぶエリアがあり、そこを過ぎるとドーバー海峡に下を通り抜けるトンネルです。北海道新幹線のように、アナウンスが流れるわけでもなく、気がついたらそこはもうイギリスという感じでしょうか。

IMG_1103到着したのは、ロンドン市内でも東のほうにあるセント・パンクラス・インターナショナル駅。ラグビーW杯の観戦で2年前に訪れたとき、のべ8泊(後半の5泊は帯状疱疹で入院状態でしたが)もしたホテルのすぐ近くなので、なんだかなつかしい感じがします。

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今回はそのとき、いつも前を通り過ぎながら感心していた、ヴィクトリア様式の古めかしい建物のホテルに4泊。セントパンクラスの駅に隣接しており、最初にステーションホテルとして建てられてから140年ほど経過しているといいます。1935年のホテル廃業後は、第2次世界大戦中に3度も空襲に遭ったのだとか。老朽化がいちじるしく、結局、1990年代半ばまでずっと放置されていたそうです。その間は映画やテレビドラマのロケに使われなどしながらかろうじて命脈を保ってきましたが、2007年、「ユーロスター」の発着駅に決まったことで、その運命が大きく変わりました。

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IMG_1357どこかの国の事業家がこの建物を買収し内部を大改装、新しいホテルに生まれ変わらせたのです。バーとレストランはもともと、旧セントパンクラス駅の切符売り場だったスペース。内部の梁や柱も昔のままで、それが全体の中でみごとに調和しています。古き時代の豪華絢爛な内装を生かした旧館は目の玉が飛び出るような宿泊費を取りますが、私たちが予約しておいた新館のほうは、大改装に併せて増築した部分なので、値段も手が出る範囲。部屋は広く、快適に過ごせそうです。

車イスに乗っての海外旅行を初体験

2017年8月2日

羽田からANAでパリに。半月ほど前に膝を痛め、まだ歩行に不自由をきたしている家人のため、4回乗る予定の飛行機すべて、航空会社に車イスを手配してもらいました。羽田では、チェックインを済ませたところから飛行機に乗るまで、係員がずっと車イスを押してくれます。乗るときもいわゆる「事前改札」で、たくさん並んでいるお客さんより先に機内に。家人だけでなく、介添え役の私も一緒にです。だれもまだ乗っていない飛行機の中に入るという経験を初めてさせてもらいました。座席も、トイレに行くのになるべく短い距離で済むよう配慮してくれるなど、そうした立場にある人のことを初めて実感。でも、膝以外はいたって元気で、なんだか申し訳ない気も……。

ただ、乗ってしまえばほかの乗客と待遇はまったく変わりません。逆に、降りるときはいちばん最後。蛇腹を通り抜け飛行機から1歩出たところに現地の係員が車イスを用意して待っています。家人はそれにすわり、入国手続きのブースがずらっと並ぶエリアに。しかし、ここでも車イスに乗っている人は別ルートで、長い時間並ばずに済みます。

そこを通り抜けると、次は、こんなところにあるんだというような場所にある特別のエレベーターで、バゲージクレームまで移動。私が2つのスーツケースを受け取りカートに積むと、最後はタクシー乗り場まで連れていってくれました。すぐにでもタクシーに乗せそうだったので、「すみません、とりあえずタバコを一服」とわがままを聞いてもらい、そこでお別れしましたが、体が不自由な乗客に対するケアと移動の仕組みがよくわかりました。

IMG_1285ホテルに着き荷ほどきを済ませると、いい時間になっていたので夕食を摂りに。といっても、杖をつきながらの家人と一緒ですから、あっちこっち探し歩くわけにはいきません。そこで、決め打ちというか、歩いて10分の範囲内で見つけようと。すると、何年か前、ブリュッセルで食べたムール貝のおいしいレストランの支店が! 迷わずその店に入りました。味は本店より若干劣るものの、文句は言えません。さあ、明日から、杖をついた家人との旅はどうなるのでしょうか。

 

 

 

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レゴランドは中国人観光客でもっている(?)

2017年7月25日

私たち夫婦、娘と2人の子ども(=私たちにとっては孫)、合計5人で名古屋のレゴランドに行ってきました。かつてイタリア村という施設があった跡に作られたのですが、オープンしてまだ半年も経っていないというのに、客の入りはいまひとつだといいます。入場料が高い、アトラクションが貧困、食べ物が高いなど、さまざまな原因が指摘されているようですが、いまひとつ“突き抜けた感じ”していない感じがしました。

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もともとがデンマークという、ある意味成熟しきった国から生まれたもの娯楽施設ですから、本質的なコンセプトがそうそう簡単に変わるわけもありません。そのあたりが日本人にもう一歩フィットしないのではないかという気がします。

 

それと、名古屋・愛知県の場合、まわりの人が行かないと、みずから先頭を切ってまで行こうとしない気質・県民性があります。これは2005年の愛知万博でとっくに実証済みのはずなのですが、レゴランドをこの地に持ち込んだ企業も人も、そのあたりに思いが及んでいなかったようです。放っておけばまだまだ時間がかかるのはまちがいないでしょう。

 

割引をするとか営業時間を延ばすとかしても、それが客足に大きく影響することはありません。たくさんのお客に来てもらうには、「オレたちもよー、行かんといかんて(=私たちも行かなくちゃいけない→遅れていると思われる・バカにされる……)」といった気持ちにさせないと、この地の人は足を運んでくれないのです。逆に、まわりが行き始めると、それこそ我も我もという感じで足を運ぶようになります。

 

日本の小中学校も夏休みだというのに、客の3分の2は中国人でした。台湾か大陸かははっきりしませんが、とにかく、聞こえてくるのは中国語がほとんど。「USJ、レゴランド(NRLというかどうか知りませんが)、TDLを一挙制覇する旅」とかいうのがあり、それで来ているのかもしれません。

 

IMG_11222人の孫たちはそれぞれ喜んでいました。下の孫は、新幹線に乗れたのが最高にうれしかったようです。それにしても、蒸し暑い1日でした。港のすぐ近くで、海からの風がもっとさわやかに吹き抜けるかと期待していたのですが……。

 

自民党よりひどい負け方をしたサンウルブズ

2017年7月3日

今朝はどの新聞、どこのテレビも、「都議選 自民が大惨敗!」のニュース一色。でも、その陰で、スポーツ欄の「サンウルブズ94失点」という記事が目に止まりました。試合があったのは日本時間の2日未明で、新聞報道は3日の朝刊になってしまいますが、とりあえず結果だけは知っていたので、どんな記事が出るのか注目していたのです。

朝日は10行ほどのベタ記事、日刊スポーツも2段の扱いでしたが、なぜか日経が4段も割いていました。ここ2、3年、日経のスポーツ欄はとても充実しています。今朝の記事は共同の配信でしたが、スポーツ紙より多くのスペースを割いていたのに感心させられます。

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記事は試合経過だけでなく、「スクラムで圧倒された」「防御ももろく」など、敗因を的確に分析。また、「プレッシャーが強く、どこか弱気なプレーでミスが多くなった」という若手FW・金正奎のコメントを引きつつ、「代表強化を掲げるチームは選手層拡大のため、主力選手の休養時には若手に経験を積ませている」と。25歳の金は、体は小さいながらもかなりのレベルを行っていますが、今季12勝1敗のライオンズにはまったく歯が立たなかったということでしょう。選手層の薄さが、これまでで最大の失点=94点(14トライ)という屈辱的なスコアになってしまいました。JSPORTSでの再放送も、とても観る気にはなれません。

先週のアイルランドとのテストマッチも、いかんともしがたい地力の差を感じましたが、今週はなんだかそれ以上の絶望感に襲われた私。あと2年間でどこまでその差を縮めることができるのか、どうにも心配です。

ちぐはぐ、イライラ──でも、それが地力の差

2017年6月24日

調布の味の素スタジアム。今日は、2年後のW杯予選プールで同じ組に入るアイルランドとのテストマッチ第2戦です。そのプール分けをした際、アイルランドとスコットランドの2カ国だけは決まっていて、残りの2カ国はもうしばらく経ってからになります。たぶんルーマニアと、南太平洋のどこかといった感じでしょうが、早くも「これなら行ける」などと言っている人もいるようです。

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IMG_1035★先々週は“仮想敵国”ルーマニアに勝ちました。でも、先週のアイルランドとの第1戦はボロボロ。前半を終わって31対3でしたか、スマホでその情報を知ったときは「やっぱりなぁ」とガックリ。それでも、1週間後の今日はメンバーも大幅に入れ替わり、多少は期待を持たせます。

しかし、しかし。開始3分で早くもトライを取られてしまいました。それも取られ方が悪いんですね。パスをインターセプト気味にカットされ、そのまま60mほど走られてでした。油断もスキもないと言ってしまえばそれまでですが、このパターン、JAPANに多いのです(サンウルブズよりは多少ましではありますが)。

その5分後、日本サイド25mライン中央付近から右に展開しキック、それをキャッチしたアイルランドがそのまま右隅に飛び込んでトライ。ようやく24分、中央から走ったロックのヘルが、タックルされながらも7、8メートル相手を引きずって(これは迫力ありました!)ゴールライン近くまで持ち込み、そこから右に展開し、最後は松島が右隅にトライ。前半は8対28でした。

後半は世界ランキング3位のアイルランドとほぼ互角の戦い。前半もそうでしたが、この日はディフェンスが冴えていました。敵の足もとに1人がタックルすると、上半身にも1人と、粘っこさを感じさせます。でも、オフェンスがどうにももたもたしていて、切れが感じられません。それと、ハンドリングのミスも目立ちました。

DSC02610★主力メンバーがちょうど同じタイミングでNZに遠征している「ブリティッシュ&アイルランド・ライオンズ」のほうに取られているため、来日しているのは“1・5軍”です。しかも、気象条件は日本のほうが有利。試合の時間帯もなぜかいちばん暑い日中で、前半からもう少し健闘してくれてもいいはずなのですが……。

 

 

 

IMG_1042★これでアイルランドとのテストマッチは1985年以来9連敗。この秋、フランスやオーストラリとのテストマッチが予定されていますが、このクラスと戦うときはイージーミスや無用なペナルティーは許されないのです。もちろん、選手もコーチもそんなことは百も承知でしょう。でも、ナショナルチームとしての“歴史的な実力差”を少しでも埋めようとするには、「いま」を濃密に戦うしかありません。2年や3年で100年近い差を詰めることなど、土台無理な話ですから。がんばれ、JAPAN!!

 

 

 

鎌倉文学館のバラは一見の価値ありです

2017年6月17日

高校時代の仲間と、3月の台湾に続いての「修学旅行」。今日と明日の1泊2日ですが、ちょうどアジサイの季節で、鎌倉の町は人、人、人。池袋から乗った湘南新宿ライン逗子行きの電車が北鎌倉駅に停車したときは、それより1本前の電車から降りた客が改札をまだ出きっておらず、ホーム上に行列を作っていました。

集合が鎌倉駅だったのは大正解で、こちらはまだそれほど混雑していません。しかし、前夜からYくんの別邸に泊まり込んでいた4人は江ノ島駅で電車(江ノ電)を3本ほど待ったとのことで、15分ほど遅れて到着。江ノ電は車両も小さいし、4両編成ですからね……。

DSC02520★さて、7人全員がうちそろったところで、まずは長谷の大仏(高徳院)まで歩きます。国宝であることは、今回初めて知りました。前回鎌倉に来たときはちょう工事中で見られなかったものですから。歩くこと30分弱。高校2年のときの修学旅行以来なんと50年ぶりで大仏とご対面。NHKの『ぶらタモリ』でも取り上げられていましたが、鎌倉の大仏はもともと大きな大仏殿の中に収まっていたといいます。その痕跡(土台石)が、大仏の周りに何カ所か残されていて、一同納得。結局、大仏殿があったのは、完成(1252年が定説らしい)から250年ほどの間だけだったのですね。その間、地震で壊れるたびに再建したものの、とうとうあきらめ、いまと同じ野ざらしの状態になったようです。

大仏をあとにし、次の目的地・鎌倉文学館に行く途中で昼食を済ませました。昼を過ぎるころから町を歩く人の数もどんどん増えてきます。メインの道筋からちょっと引っ込んだ場所にある文学館の入口は、味わいのある石組みの門。坂を少し昇ったところに建つ建物はもともと加賀前田氏15代当主・利嗣の別邸だったそうです。最初は和風建築でしたが、関東大震災で倒壊してしまったため、1936年にいまの洋館が完成。

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周りが小高い丘に囲まれ、木々を背にして立つ建物の姿が際立っています。建築物としても美しく、洋風の庭園も立派で、鎌倉の海が見渡せます。その南側にあるバラ園は、それほど広いわけではありません(600㎡)が、美しい花を咲かせていました。6月半ばという時期は、春のさまざまなバラが咲き誇るタイミングでもありますし。多種多様なアジサイもきれいでしたよ。

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人の出もそれほどではなく、芝生の上で横になる者、木蔭でコーヒーを飲む者などめいめい落ち着いたひとときを過ごし、次の目的地に向かったのは3時半過ぎ。さらに20分ほど歩き、海沿いに建つアジサイの名所・成就院へ。ただ、なぜかアジサイの花は咲いておらず、由比ガ浜の海岸を展望しただけで終わり。海岸近くの酒屋まで歩き、夜の宴会用にと酒やらつまみの類を大量に買い込みます。

DSC02580★荷物を置きにいったんYくんの別邸まで移動し、6時過ぎから七里ガ浜の人気イタリアンレストランで大晩餐会。目の前が海という最高のロケーションですから、まわりのテーブルはすべていい雰囲気のカップルばかり。そうした中で、66~67歳のおやじ7人が飲みまくり・食べまくりですから、その夜この店でデートしていたカップルには「なにー、これ!」と思われたかも。でも、こちらはなんと半月も前に予約していたのですから、堂々たるものです。まあ、常軌を逸した呵々大笑は遠慮しましたが。

ガトリンを観に行ってきました

2017年5月21日

川崎にある等々力競技場に初めて行きました。「セイコーゴールデングランプリ陸上」の観戦で、アメリカのジャスティン・ガトリン(男子100m)が見られるというので、けっこう派手に宣伝していました。

今年35歳のガトリンは“悲劇の主人公”的なアメリカのアスリート。2004年のアテネで金メダル、2005年のヘルシンキ世界陸上では100・200で優勝。ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が出現する前はまさに短距離界の王者でした。ドーピング検査でひっかかり、出場停止処分を過去2回受けていますが、2012年のロンドン五輪では100で銅メダル。4×100リレーでも2位でしたが、このときはタイソン・ゲイがドーピングでひっかかりメダル剥奪。

2013年のモスクワ世界陸上、100mで銀メダル。2015の北京世界陸上は100・200でともに2位。2016年のリオ五輪でも2位(200は準決勝で敗退)。ひとつ上にいたのはいつもボルトです。

朝から猛烈な暑さで、私も家人もなんだかぼーっとしている感じ。池袋から武蔵小杉までは湘南新宿ラインであっという間に着いたのですが、競技場まで行くバス乗り場えらくっといのです。北口と南口がえらく離れていたため、構内を10分近く歩いたでしょうか、やっとという感じでバスに乗り到着。

DSC02497ところがチケットを家に置き忘れてきたようです。「せっかくいい席のチケットを買ったのに!」。でも、だからと言って帰るわけにはいきません。仕方なく、当日・自由席券を買って入りました。ギラギラの太陽光の直射もなく、まあまあの席だったのは皮肉でしたが。

 

 

DSC02502★さて、ガトリンを迎え撃つのはケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、多田修平(関西学院大)、アブドゥルハキム・サニブラウン(今年の秋からフロリダ大学)の日本期待の若手3人。桐生祥秀(東洋大)と山縣亮太(セイコー)の姿はありません。結果はリオ銀メダルのガトリンが10秒31で1位。飛鳥は100分の3秒差の2着でした。サニブラウンはスタートで出遅れ、10秒42で4位でした。

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10秒35で3位に入った多田はレース後、ガトリンから「素晴らしいスタートを切った男がいて、驚いた」と褒められたそうです。

もう一つ、見てよかったのは男子400mハードルの安部孝駿(デサントTC)。世界陸上参加標準記録(49秒35)を上回る49秒20で走りました(2位)。これまでのベストが49秒台後半でしたから、これは期待できます。男子ヤリ投げの新井涼平はいいところなし。世界陸上、大丈夫でしょうか。

大関になりそうな髙安

2017年5月18日

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久しぶりの大相撲観戦。稀勢の里人気で、ここのところチケットがなかなか取れないのですが、あちこちツテをたどってお願いし、キャンセルになった今日のペア・マス券をGET! 稀勢の里の土俵入りも、まだキャリア不足の感は否めないものの見ることができました。

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DSC02488家人とともに私がひいきにしている嘉風は、ここのところ力をつけてきた関脇・玉鷲に押し出しで敗れましたが、今場所の注目は関脇・髙安。ここ2場所続けて素晴らしい成績を残しており、今場所11勝をあげれば大関昇進間違いなしというところまでやってきました。人気先行気味の遠藤に寄り切りで勝ち、場内は大歓声。どうやら大関は大丈夫でしょう。

 

終わったあと、国技館近くにある話題の和菓子屋さんに立ち寄り、人気商品の「力士もなか」を買って帰りました。

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現場に行くと、創作意欲もぐんとアップ

2017年5月13日

昨日はフォーラムの本番。昼過ぎからえんえん5時間。第1部から第4部まで続きましたが、充実した内容でした。話を聞きながら、私の頭はめまぐるしく回転、これまで考えていたような内容ではダメだと反省、本のタイトルから構成など、すべて考え直さなくてはと、必死でメモを取ったり、思いついたことを書き出したり。あっという間に閉会時刻を迎えました。

そのあとのレセプション、二次会、三次会も楽しくも充実し、意義深い1日となりました。

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「現場」にいることがいかに大切か、改めて思い知らされた次第。これから2カ月余で書き上げることができるのかやや心配もありますが、チャレンジするのが楽しみです。淡路島のホテルから新神戸まではバス。昨晩から雨が降り始めたのですが、気持ち的には晴れ晴れしており。帰路の新幹線の車中でも、頭と手はフル回転。なんとなく希望の明かりが見えてきました。

ゆっくり休む間もなく淡路島へ

2017年5月11日

今日は午後1時発の便で関空まで行き、そのあとフェリーで海峡を渡り淡路島です。素晴らしい天候であっという間に到着しました。こちらに来たのは、19回目となる「北前船寄港地フォーラム」に参加するためですが、今日はその前夜祭。回を追うごとに参加者の数は増えるわ、内容も整ってくるわで、楽しみにしていたのですが、今回は兵庫県が資金も人出も全面的にバックしているとのことで、えらくハイグレードの前夜祭でした。

 

驚いたのは「淡路人形浄瑠璃」。ここで浄瑠璃が観られるとは! それも内容がハンパでなく素晴らしいのです。前々から、人形浄瑠璃は一度でいいから観てみたいと思っていたのですが、今日まで実現できませんでした。しかし、大阪で始まったといわれる人形浄瑠璃はここ淡路島から始まったことを知りました。人形の動きも巧みでしたし、セリフまわしも伴奏も素晴らしい出来で、えらく得した気分。

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DSC02471もう一つ驚いたのが阿波踊り。これも阿波徳島だけのものかと思い込んでいたのですが、淡路島も江戸時代、徳島藩の領地になっていた時期があることを思い出し納得。本物の阿波踊りは残念ながら観たことがありませんが、淡路島のそれもそれに遜色ないように思えます。いいものを見せてもらいました。フォーラムに大感謝です。

 

今回は、4月末に「日本遺産」の認定を受けてすぐというタイミングでもあり、会場は祝賀ムード一色。もっとも「日本遺産」というのは、過去4年で80件近くが認定されているのですが、その狙いどおり観光資源として活用されているケースは少ないのだとか。「北前船寄港地」はまさかそうならないかと思いますが、いずれにしても、今回のフォーラムをきっかけに大きく飛躍することを願うばかりです。

サンチアゴ空港でうれしいハプニングが!

2017年5月9日

7日の朝7時50分発のLAN便でまずサンチアゴまで2時間20分。今日は、朝のやわらかな光を浴びたアンデスの山々が見えます。サンチアゴで4時間余のトランジット、カンタス便でシドニーへ。これがなんと14時間10分のロングフライト。映画を1本観て、あとはほとんど眠っていました。

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翌日の夕方、ようやくシドニー空港に到着。ラウンジでシャワーを浴びました。初めての経験でしたが、気分はスッキリ。最終目的地羽田に飛び立ったのは夜8時45分、9時間30分のフライトで今朝の5時15分に羽田到着。

ただ、サンチアゴ空港のラウンジで思わぬハプニングがありました。ビールを飲みながらノートパソコンをいじったりしていたのですが、途中、昨晩の試合に出ていたサンウルブズの選手やコーチの顔を発見しました。最初はためらいもありましたが、「旅の恥はかき捨て」というではありませんか。思い切って声をかけ、「一緒に写真を撮ってもらえますか」とお願いしました。手に昨夜買ったレプリカのラグビーボール(ふくらんだままなのが幸いしました)を持ちながらでしたので、こちらの意図も一発で通じました。疲れているはずだから断わられるかもと思いましたが、そこはやはりプロ。居合わせた3人全員がイヤな顔ひとつ見せず席を立ち、笑顔でカメラに収まってくれたのです。右がエドワード・カーク選手、中央がラーボニ・ウォーレンボスアヤコ選手、左がサム・ワイクス選手です。

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さて、見かけ上は46時間の移動ですが、時差が12時間あるので実質的には34時間になります。トランジットの時間を差し引いて、正味26時間のフライトですから、疲れないわけがありません。それでも、思っていたほどではなく、自宅に着いてから数時間後には、フツーに仕事していました。夜もけっこう頑張り、12時近くまで。メラトニン(時差のある旅には欠かせないサプリメント)を飲んで寝みました。

惜し~い! 最後の10分で逆転負け

2017年5月6日

今日こそ動物園に行こうと思っていたのですが、やはりホテルの人が言っていたとおり、これまで市内にあった動物園は昨年クローズしてしまっているようでした。キリンに挨拶をしたかったのに、なんとも残念。事前にネットで調べたとき、動物園の一部は植物園に移設されているといった情報もあったので、念のためそちらにも行ってみましたが、やはり動物はいませんでした。

DSC02424旧動物園はいま工事の真っ盛りといった感じでしたが、それにしてもブエノスアイレスはいま、街中が工事だらけ。不景気で公共工事をおこなっているのかもしれません。植物園からタクシーで「ガレリアスパシフィコ」に行き、中華のランチを済ませ午後は休憩。夜のスーパーラグビーのサンウルブズ戦に備え、体力を温存しておこうと。ただ、アルゼンチン・ペソの現金がやや不足気味だったので、ホテルからまた「ガレリアスパシフィコ」まで両替に行きました。そのついでに、初日の夕方、十分に見て回れなかった「サン・マルティン広場」の周辺を歩いてひとまわりしてみることに。

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さて、ラグビーです。今日の相手はアルゼンチンのジャガーズ。昨年サンウルブズが唯一の勝利をもぎ取った実績があるので期待できます。ただ、今シーズンのジャガーズはここまですでに4勝を挙げており、かなり力をつけている様子。

キックオフは夕方6時40分なので、1時間前にはスタジアムに着いていようと、ホテル出発は5時にしました。ブエノスアイレスでもかなり西のほうにあり、ホテルからは間違いなく30分はかかるとのこと。また、帰りの足のこともあるので、タクシーをチャーターしました。

5時前にロビーでドライバーに合流。えらく愛想のいい人で、車中もしゃべりっぱなし。お互い、片言の英語なので意は十分に通じます。スタジアムの前で降りると、帰りの待ち合わせ場所を決め、いったん別れました。

試合がおこなわれる「エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ」はけっこう古く、しかもそれほど大きくありません。入場ゲートを通り抜け、敷地内に入るとファンゾーンがあり、グッズや飲み物を売る店が何軒か出ています。また、広場のようなところでは、お楽しみイベントがあちこちで繰り広げられていました。アルゼンチン協会公認ラグビーボールのレプリカを買おうと店に行くと、空気が入ったままのものしかないといいます。でも、ブルーの模様がついたものがほしかったので、それで我慢。

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スタンドもかなり古びており、トイレなどもうボロボロ。家人は「ドアのカギが閉まらないから、足で押さえて……」などと話していました。私たちの席は正面、ほぼハーフウェーライン上の位置で、前から8列目。前のほうに10数人の日本人グループが座っていました。「GO!SUNWOLVES!!」と書いたボードを掲げながらの応援です。アルゼンチン在住の人たちなのか、それとも日本かほかのどこかの国からやってきたのか定かではありませんが、えらく熱が入っていました。ほかにも何人か、日本人が私たちの近くにいましたが、99対1のアウェーゲーム。レフェリーの笛がどうなるのか、そちらの不安もあります。

しかし、そんな心配もどこへやら。キックオフ直後からサンウルブズが絶好調で、ほとんどの時間帯でリードを保ちながら残り10分まで進みました。ただ、この10分間でジャガーズが立て続けに3トライし、逆転されてしまい、終わってみれば、39対46。なんとも惜し~い! ゲームでした。それでも5トライを挙げたのでボーナスポイントもつきます。でもやっぱり勝たなくては……。

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試合の途中、東京・秩父宮のパブリックビューイングの映像を観ていたのでしょう、古くからの友人がメールを送ってくれました。メッセージには「テレビに出ていますよ!」と。こちらのテレビ映像に、スタンドにいる私たちの姿が映ったにちがいありません。数少ない日本人ファンですから、映像的にはおもしろいのかも。

試合が終わってスタンドの外に出るとタクシードライバーが待ち受けてくれていました。すぐに乗って、9時にはホテル着。いよいよ明日は帰国です。ホテル出発が6時過ぎと早いので、今晩中に荷造りを済ませておかなくてはいけません。順調に進み、12時にはGOOD NIGHTとあいなりました。

やっぱりおいしいアルゼンチン牛肉

2017年5月5日

今日も昨日と同じく乗り降り自由の観光バス。ただ、最初はタクシーで「レコレッタ墓地」まで行きました。その近くに動物園があるからですが、ホテルを出るときドアマンに聞いてみると、「動物園? ここから車で1時間半ぐらい行った郊外にあるけど」と言うではありませんか。ただ、それは「世界でいちばん怖い動物園」と言われるルハン動物園のことです。こちらは、ライオン、トラ、ゾウ、シマウマ……など、すべての動物と直接触れ合うことができるスタイルになっています。

でも、本当は市内に、普通の動物園もあるはずなのです。「いや、それはもうない」というのです。おかしいなと思いましたが、とりあえずそれを受け入れ、今日はあきらめることにしました。

「レコレッタ墓地」はブエノスアイレスでも人気の観光スポットになっているようで、多くの人が訪れていました。お墓とはとても思えないほど立派な建築物が並ぶ墓地にはびっくり。沖縄や台湾の墓も真っ青といった感じです。エビータとサルミネント元大統領の墓はとくに人気で、小中学生が社会科見学で訪れたりしていました。

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DSC02304ここからバスに乗り今日はブエノスアイレスの北から西にかけてのエリアをひとまわり。ラプラタ川添いの道路を走るのですが、どう考えても川には見えません。川幅はこのあたりで50km、河口部はなんと220kmもあるそうです。「世界でもっとも川幅が広い」というのも納得。天気もいいのに、懸命に目を凝らしても対岸はまったく見えてきません。

 

 

DSC023117日の朝、帰りの飛行機の乗るホルヘ・ニューベリー空港を過ぎるとバスは大きなサッカー場の横を通ります。ブエノスアイレスにはプロのサッカーチームが5つあるそうですが、その一つCAリーベル・プレートのフランチャイズ「エスタディオ・モヌメンタル・アントニオ・ベスプチオ・リベルティ(通称エル・モヌメンタル)」です。

 

 

DSC02331そこから今度は、ブエノスアイレスで最近人気のエリア「パレルモ地区」に到着。ここで下車してランチをすることにします。目に入ってきたカフェ風の店がよさそうだったので、迷わず入りました。とりあえず注文すると、隣、また横、後ろのテーブルの客がそろって口にしている飲み物がありました。大きなボトルに葉っぱが入っており、ちょっと濁った感じに見えます。

 

!cid_462f04eb-51fa-4151-a67b-2dcd9c3918aa@apcprd04_prod_outlookボーイに「あれは何だい」と尋ねてみると、「リモナーデスだよ」と。レモネードですね。さっそく注文してみました。飲むとけっこういけます。道理でみんな頼んでいるはずだと納得。食事もおいしく食べられ、お腹いっぱいになって店を後にしました。

 

ここからは再びバスに乗って、観光スポットでまだ観ていない「五月広場(Plaza de Mayo)」まで。「大統領府(カサ・ロサーダ)」の前にある大きな広場で、人気スポットのはずなのですが、さほど人は出ていませんでした。広場の北側にある教会はブエノスアイレスの「メトロポリタン大聖堂」。

 

ちょうど夕方5時前だったので、ガイドブックに書いてある「大統領府」の衛兵交代式が観られるはずなのですが、衛兵それ自身の姿が見えません。どうしたのだろうと、あきらめて帰り支度を始めると、「大統領府」の建物からすーっと出てきました。しかし交代式は別の場所でおこなわれるようで、後ろからついていくと、先の教会に。中に入ると、その一角でごく簡素な交代式がおこなわれました。台北の「中正紀念堂」でのそれと比べるとえらくあっさりした感じで、あっという間に終了。

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IMG_0842夕食は、わざわざ遠出する気分でもなかったので、ホテルから歩いて5分以内のところで見つけることに。すると、店の名前も何も出ていないのですが、お客はそこそこ入っているレストランがありました。すぐそこに決めて中に入り、炭火焼きのアルゼンチン牛肉(日本人好みの刺しは一切なし)を注文。ここはおいしかったです。やはり本場の肉は違いますね。しかも、値段がウソのように安いのです。

 

 

「日本庭園」には外国人がいっぱい

2017年5月4日

出発前に国内で予約しておいた、市内のあちこちを自由に見て回れるホップオン・ホップオフスタイルの観光バスでまずはおさらいです。「コロン劇場」の前から乗って市内の南東部を観て回りました。ボカ地区が中心ですが、「カミニート」という観光名所は初めてだったので大感動。ブエノスアイレスでもいちばん古くから開けていた場所で、カラフルに塗られた外壁の家並みが特徴的。北半球でいうとちょうど11月の上旬と同じ季節なので木々が紅葉しており、この界隈にもそうした木が。それが街並みにも文字どおり色を添え、いっそう美しく見えました。

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昼食は、前日も訪れた「ガレリアスパシフィコ」地下のフードコートで。ファストフード系の店が多い中、この「ポスタベッキア」という店だけは別格のよう。ここに入って、牛肉の炭火焼きステーキを食べました。えらいボリュームで、味はハイレベル、しかも安いこと。女性が一人でふらっと立ち寄り、ワイン1杯と各種の炭火焼きステーキをささっと食べていきます。さすがアルゼンチンですね。

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!cid_6c8901b3-bf77-4b23-8868-80a4bc9da25b@apcprd04_prod_outlook午後はまずエビータ博物館へ。エビータはミュージカルの作品にもなった、元アルゼンチン大統領ペロンの夫人エバ・ペロンのこと。地方のごく普通の家、しかも私生児として生まれ、若いころはウエイトレスやモデル、娼婦を生業としていましたが、声優や女優として次第に名を上げていきます。それが、当時まだ軍人(といっても、軍事政権下で副大統領兼国防大臣兼労働局長の任にあった)フアン・ドミンゴ・ペロンに見初められ結婚。

 

 

 

!cid_3d01beca-e057-4cd8-80fe-fc876ab9eb0d@apcprd04_prod_outlook !cid_a3e71543-9ae0-4265-9d75-4aa5819ba1cd@apcprd04_prod_outlook

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その後ペロンが大統領になったため、突然ファーストレディーになります。その生い立ちから国民的な人気を得るようになった、現代版シンデレラといった風の女性。32歳の若さでガンに斃れたこともあり、伝説の人になっています。100ペソ紙幣にも描かれていることからもその人気ぶりがうかがえます。ただ、その一方で、過去の来歴、あるいはファーストレディーとして公私混同と言われても仕方のない行動が目立ったため、存命中は批判する者も多かったようです。

 

続いて足を運んだのは「日本庭園」。あまり期待していなかったのですが、ここがなんと大当たり! この種のスポットは“「日本」とは名ばかり”とまでは言わないものの、結構いい加減な造りをしていたりして、がっかりさせられることが多いのですが、ここは違いました。まず、お金をしっかりかけてあるのが一つ。庭園自体も素晴らしいですし、季節柄、鯉のぼりが上がっていたりなど、随所にさまざま工夫が凝らされ、観る者を飽きさせません。しかも、来場者が多いのです。日本人は一人も見かけませんでしたが、あちこちからやってきた外国人観光客は真剣な表情。近ごろはどこの国に行っても、「日本の文化」が注目されていることを実感しますが、それはこの地でも同じようです。

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IMG_0825この日のバス観光で最後に立ち寄ったのが、「世界で2番目に美しい書店」と言われる「El Ateneo Grand Splendid(エル・アテネオ・グラン・スプレンディド)」。もともと劇場だった建物を改装して作られたのだそうで、荘重な印象さえあり、観光名所になっているのも納得です。1階と2階がメインのようで(ところどころにソファー風のイスが置かれていて、そこに腰をおろして本を試読しているお客も)、3階は壁に絵が展示され、休憩場風になっていました。

 

 

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ただ、「2番目に美しい」と言われると、「じゃあ、1番はどこなの?」と気にかかります。もともと、このランキングはイギリスの新聞「GUARDIAN」が2010年7月に「The world’s 10 best bookshops」と題して発表したものだそうです。日本では、京都の「恵文社」という書店が選ばれているとのこと。なかには、世界遺産になっている書店もあるようで、ぜひ一度のぞいてみたいと思います。

美しいアンデスの山並みが見えました

2017年5月3日

サンチアゴからブエノスアイレスへの移動はKLM便。ビジネスクラスではありましたが、もともとがアムステルダム→サンチアゴ→ブエノスアイレスという長距離便の最後の1区間に乗る形なので、機材もグレードが高く、快適そのものでした。オークランド→サンチアゴのときは十分観られなかったアンデス山脈も、こんどはバッチリ。こんなに美しい山並みがスモッグのため、サンチアゴの街中からはほとんど観られないというのはなんとも残念です。

飛行機はアンデスの5000~6000m級の山の上を飛ぶので、窓のすぐ下に頂上が見え、スリリングながらも素晴らしい景色。とはいえ、進行方向左側の座席だったので、迫力はいまイチでした。アンデスはやはり雪をかぶっている南のほうが美しいので、帰りが楽しみです。

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ブエノスアイレスもサンチアゴと同じく25年ぶりの訪問。来る前に、その当時使い残したアルゼンチン・ペソの紙幣や硬貨が多少あったので、どうしようかとも思いましたが、その間にデノミがおこなわれていたので、いくらなんでもということで、持たずに来ました。アルゼンチンの経済はいまでも不安定のようで、過去2年間で物価が30%も上昇したといいます。ガイドブックで見た空港から市内への定額タクシー代金450ペソが740ペソに上がっているのには驚きました。

もともとブエノスアイレスのタクシーは、料金がいい加減というか、空港→市内中心部は、空港のカウンターで定額を払い、その領収書を持って乗るのがいちばん安全とされているようなのですが、それがこのありさまでは、一瞬だまされたのかも……と疑ってしまいました。でも、そうではなかったのです。

DSC02230なんとかホテルに無事到着し、チェックイン。場所も便のよさそうなところで、ほっとひと安心です。とりあえずアルゼンチン・ペソの現金がないので、近くにある市内随一のショッピングモール「ガレリアスパシフィコ」の両替店に行ってみることに。これがまた立派な建物で、さすが“南米のパリ”と呼ばれるだけのことはあります。

 

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1888年に作られたこの建物は、ミラノのヴィットリオ。エマヌエーレ2世●を模したもの。最初は「ボンマルシェ」というデパートだったようです。しかし、その後のアルゼンチンの政治的な混乱等により、デパートは廃業、一部は国立美術館として使われるようになります。さらに、その後はブエノスアイレスとチリとを結ぶ鉄道を営業していたイギリス資本の会社の本社として使われました。それが「Pacifico」という名称につながっているようです。しかし、軍事政権下の時代には拘置所として使われたりするなど、ひどい状態でした。1989年になって歴史的建造物の指定を受け、翌90年に現在のショッピングモールに改装されたといいます。そんなモールの周辺はほかにもお洒落な建物がごろごろあります。アールデコ調でも、品がいい感じで、観ていても飽きません。

昨日あたりから時差ボケが顕著に出始めており、夜は早い時間から眠くなり、朝はメッチャ早い時間に目が覚めるという悪循環におちいりつつあります。この日もそうなりそうだったので、食事もホテルの近場で済ませることにし、日本料理の店に。「入船」という店でしたが、家人は前夜と同じ寿司の盛り合わせ、私は親子丼。ブエノスアイレス風というか、日本のそれとはまったく異質のものでしたが、それはそれでけっこういい味がしました。

ウワサの「生ウニ」はいまひとつでした

2017年5月2日

サンチアゴは2回目ですが、最初のときはバスに乗って市内を走っただけなので、観光はほとんどしていません。そこで、今日は朝から市内観光に出かけました。出発前にインターネットで予約しておいたのですが、実際にスタートしてみると、ウェブサイトに記されていた内容とは大違い。ずっとバスに乗って動き、要所要所で下車してはガイドしてくれるスタイルかと思いきや、実際は「中央魚市場」の前で下車してあとはずっと歩きながら廻るのです。でも、それがかえってよかったようです。

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魚市場というのは世界中どこでも同じような印象ですが、さすが水産資源に恵まれたチリだけあって、種類も豊富、何より新鮮な感じがします。市場のほとんどを占めているのが、ウニを食べさせてくれるので有名な「DONDE AUGUST」というレストラン。朝だったのでまだオープンはしていませんでしたが、ランチどきになるとここがいっぱいになるとのこと。これは今日の午後のお楽しみですね。

DSC02130次に行ったのは、チリ発祥の地「アルマス広場」。1541年のことだそうで、当時の建物もいくつか残っています。そのすぐ近くにあるコーヒースタンドにガイドさんが連れていってくれたので、試しに1杯注文、手にしながらまた歩き始めます。ただ、このコーヒーがまったくなじめない味というか、こうも違うのかと驚きました。見た目はたしかにコーヒーなのですが、なんとも表現しがたい味。どうにもなじめず、結局、街角のゴミ入れに捨ててしまいました。同じツアーに参加していたオーストラリア・メルボルンの老夫婦も同じだったようです。メルボルンはコーヒーの名所ですからね。

 

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次は、大統領府がある「モネダ宮殿」、そして「サン・フランシシコ教会」と見て歩き、再び車に。かつての要塞「サンタ・ルシアの丘」に昇ったあと、川を渡った先にあるお土産物屋に立ち寄り、最後はホテルまで送ってもらいました。

 

 

 

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すぐにまたランチを食べにタクシーを呼び、中央市場までとってかえします。タクシーのメーターもすぐに何千になります。ホテルから市場までメーターは9300ペソでしたが、チップ込みで10000ペソ札を渡しました。1700円弱という計算になります。

DSC02198さっそく「DONDE AUGUST」でウニや海鮮スープを注文し、食べてみましたが、ウニは生臭く、生で食べるのはちょっと難しそうでした。前日、インターネットで仕込んでおいた情報どおり、一緒に出てくるタマネギとパクチーをたんまり載せてレモンを絞り、そこにオリーブオイルをかけ混ぜ合わせてみたところ、なんとかイケました。といって、目の球が飛び出るほどおいしい代物ではありません。家人はまったくダメなようで、別にオーダーした海鮮スープもややクセがあり、あまり進みませんでした。まあ、安いは安いのですが、「ウーン」といったところでしょうか。

食べたあと、地下鉄の駅まで歩いたのですが、帰りは午前中とはうって変わって大変な人出。タロット占いの小屋のようなものがずらっと並んでおり、どこも皆お客さんが。真剣・深刻な顔をした人が多いのには驚きました。

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ホテルに戻りしばし休憩ののち、夕食へ。ホテルから歩いて行ける場所に日本料理店があったのでトライしました。「将軍」という名前で、まわりはすべてチリというのに、いきなり日本家屋風の店がポツンと建っています。最初目に入った店員は皆チリ人。テーブルに着くと、すべてスペイン語でしたが、テキトーにやり過ごし、ビールと焼き鳥、厚揚げ豆腐、鍋焼きうどん、家人は寿司の盛り合わせを注文します。

ふと見ると、私たちのテーブルの後方にカウンターがあり、女性らしい感じの板前さんが出てきました。「おーっと」と思いましたが、寿司はどうやら彼女の担当のようです。でも心配は杞憂に終わり、まずまずの味でしたし、そのほかのメニューもそこそこ。なかでも、焼き鳥は日本のそれより美味。チキンのクオリティーが高いのでしょうね。

預けた荷物がなかなか出てこず冷や冷や

 

2017年5月1日

ブリスベンからNZのオークランドまで3時間10分、4時間後のLATAM便に乗り換えて11時間20分。ブリスベンとの時差が11時間あるので、チリのサンチアゴ空港に着いたのは午後2時半過ぎです。預け荷物がなかなか出てこず、心配しましたが、最後の最後、それも“おまけ”で出てきたといった感じのスーツケース2個をでやっと受け取ることができました。乗り継ぎが2回もあると、どうしても心配になります。

ターミナルビルの外に出る前、税関から出てすぐのあたりから「TAXI」と書いた案内板を手にしたドライバーが待っていて、声をかけてきます。真正面のカウンターに「OFFICIAL TAXI」とあったので、それを信じてお願いしました。通貨単位が1ドル=約650ペソ=110円なので、100ペソで17円ほど。空港からホテルのある新市街までの定額運賃は24000ペソですから、4100円くらいになります。

ホテルでチェックインを済ませ、すぐ近くに立つ南米でいちばん高い展望台(=300メートル)がある「コスタネラ(Costanera)センター」へ。ただ、ホテルの周りもそうでしたが、このビルも閑散としています。そうか、5月1日はメーデーで、休日なのですね。それでも展望台はオープンしていて、上がってみたのですが、あいにくの曇り空で、アンデス山脈は残念ながら雲というかガスですっかりかすんでしまっていました。

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コアラがこんなに可愛いとは!

2017年4月30日

今日のメインはコアラです。ホテルから歩いて10分、ブリスベン川に架かるヴィクトリア橋を渡ってすぐの桟橋から10時に出発。途中、両岸の景色を楽しみながら1時間15分で到着です。ブリスベンの人口は230万、これは名古屋市とほぼ同じ。土地があり余っている感じのオーストラリとあって、街のつくりにも余裕が感じられます。

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川岸には最初のうち高層マンション、途中から中低層マンション、30分を過ぎたころからは小ぶりの一戸建て、目的に近づくころには大豪邸と、都市の住宅事情をそのまま反映した感じの景色が。でも、建っているマンションも住宅も、こぎれいというかおしゃれというか、日本人が目にしたら、こんなマンションに住めたら、こんな家を建ててみたいといった感じの設計がされています。それもヴィクトリア様式あり、コロニアル風あり、モダンありと、多種多彩。

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それでも、船内に流れる案内を聞いていると、FLOODという言葉が何度となく出てきました。ブリスベンというところはとにかく洪水が多いようです。ひどいときは、私たちが乗っているクルーズ船が5週間止まったとか、被災した地域の救助・復興に3カ月かかったとか、そのためにボランティアが何万人も出動したといった内容でした。川の両岸はたしかにきれいです。でも、川はやはり川。自然の摂理には勝てないというか、何年かに一度は大きな洪水に襲われるのですね。ブリスベン川は地図を見るとすぐわかりますが、くねくねと蛇行しているので、洪水が起こりやすいのでしょう。

さて、「コアラ・サンクチュアリー」です。さほど広大ではないのですが、いまから80年ほど前、当地の資産家が寄贈した土地に作った、まさにコアラの天国。敷地の半分はユーカリの林で、どこを歩いてもその香りが。ここには100頭を越えるコアラがほぼ放し飼い状態で、のんびり暮らしています。

観光客がコアラを抱き、それを写真に撮ってくれるというのが最大の売り。私たちも20ドルを支払って列に並びました。係員の指示にしたがって手を腰の前に差し出すと、そこにコアラが乗っかります。しかもこちらにしがみつくような感じで、いうならばユーカリの木の代わりを務めるわけですが、おどおどした様子はありません。そこをスタッフがカメラでパチッ。こちらのカメラでも撮ってくれます。

 

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カンガルーのエサやりもできるのですが、こちらは予想どおり、飽食気味なのか、振り向きもしないカンガルーがほとんど。昼寝の邪魔をしないでくれよという顔を見せるカンガルーもいました。

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もう一度コアラがいっぱいいるエリアに行くと、こちらはちょうどランチタイムだったのか、ユーカリの葉っぱにむしゃぶりついています。それも1頭、2頭、3頭……。いちばん多いときは5頭のコアラが並んで食べていました。これまでコアラといえば1頭だけ、それも寝顔しか見たことがなかったのですが、これにはもう大感動。さして興味もなかった私も、カメラのシャッターを押しまくりでした。

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ブリスベンというのはサイズがちょうど手ごろというか、ゴミゴミ・ゴチャゴチャしておらず、とても快適な街です。温暖な気候のせいもあるのでしょうが、人々のハートも温かく、観光案内所やホテルのスタッフもカフェの店員も都会的な親切みが感じられました。ベタベタではなくほどよい距離感が心地いいですね。夕食はホテル近くのシンガポール料理で済ませました。

スタジアムがなんとも立派。これでは日本も……

 

2017年4月29日

成田を前日の夜8時半に出て9時間、オーストラリアのブリスベン空港に到着したのは今日の早朝6時半。快晴、しかも時間のわりに温かいのは、多少なりとも赤道に近いせいでしょう。ホテルには7時半ごろ着きましたが、部屋はまだ空いておらず、時間をつぶさなくてはなりません。というわけで、すぐ近くのクイーンストリートモール(Queen Street Mall)までぶらぶら歩いていきました。

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DSC01913カフェでお茶を飲み、近くにあるたいそう立派な観光案内所へ。パンフレットをめくったりパネルをじっと見ていたりすると、「何かお分かりならないことはありますか」「どこかご希望の場所はおありですか」などと、やさしく声をかけてきます。なんとなく方針が決まり、相談すると、とても親切に対応してくれました。結局、明日(4月30日)は船に乗って、「コアラ・サンクチュアリー」に行くことに。実を言うと、こちらに来る前、旅行プランをあれこれ練っていたときは、対象外のスポットでした。ただ、家人の「コアラを抱いてみたい」というひと言で方針転換、予約を入れ、その場で支払いも済ませました。

DSC01947そのあとは近くの「シティーホール(市庁舎)」に。ブリスベンはヨーロッパと違い、中世以来のなんとか……といった類の観光スポットはありません。「シティーホール」にしても、19世紀の終わりごろに作られた建物です。それでも、「歴史の浅い国ほど歴史を大切にする」とはよく言ったもので、いまも大事に使われているようです。1階にはブリスベンでいちばん古いカフェがあり、3階には美術館・博物館も。いちばんの“売り”とおぼしき「時計塔」も無料で見学できます(ただし予約制)。

というわけで1時間後に予約し、そのまわりをぶらぶら。中央駅や旧郵便局など、どれも宝物のような扱いで、きちんとメンテナンスされています。中央駅は現役ですから、電車が出たり入ったりしており、改札システムも日本並み。気温は予想していたよりはるかに高く、日差しも強烈で、サングラスを忘れてきたのが悔やまれます。

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DSC01948「シティーホール」まで戻り、オーストラリで最古の手動式エレベーターに乗って「時計塔」のあるフロアーに。そこからは階段(あらかじめ「28段あります」と知らされていたので安心です!)で昇ります。ただ、最上階からの景色はいささか期待外れでした。何も障害物がなければ川面が観られ、「水の都」を実感できたのでしょうが、中高層のビルがびっしり立ち並んでいますから、どちらを見てもビルしか見えません。

DSC01952そのあとホテルに戻り、やっと空いた部屋で荷ほどきを済ませました。私たちのホテルはかつての州大蔵省(Treasury)の建物をそのまま使った歴史的な建造物。その姿が格好いいので予約したのですが、カジノも併設されています。Treasuryとはもともと宝とか金庫という意味。カジノで遊んで文字どおり宝が手に入ればいいのですが。

 

 

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ホテルの対岸は文化・芸術エリアとでもいうのでしょうか、美術館や博物館、ギャラリー等がズラッっと並んでいます。その中の一つ「クイーンズランド博物館」に。世界でいちばん大きなゴキブリが展示されているというのですが、最初はなかなか見つからず、係員に尋ねると、席を立ってそこまで案内してくれました。いました、いました! よく見ると、なんとなんと生きているではありませんか。でもちょっと……ですね。

 

再び橋を渡り、ホテルから歩いて10分ほどのところにあるハンバーガー専門店(ブリスベンでNo.1だそうです)で軽く腹ごしらえ。今夜はスーパーラグビーの観戦です。一方は、昨年シドニーで観戦したゲームの片割れワラタ-ズ(本拠地はシドニー。マイケル・フーパー、バーナード・フォーリーなどオーストラリア代表がごろごろ在籍。昨年の対戦相手はNZのチーフスでした)。相手はここブリスベンが本拠地のレッズ(日本代表のトゥイヘンドリックも在籍)です。今シーズンはオーストラリアのチームが全体的に地盤沈下していて勝てていないのですが、今日の試合はどうでしょうか。

 

DSC01977タクシーで10分ほどでサンコープスタジアムに到着。外観はそれほどでもないのですが、中はもう素晴らしいのひと言! こういうスタジアムがオーストラリアやNZにはゴロゴロあるのです。その点日本は「いまだし」。強くなるには形から、といってもユニフォームではなく、さらにその1段階前、グラウンドです。これが日本の場合、極端に遅れています。野球場は全国どこの町に行ってもあちこちあります。サッカー場も最近はどんどん増えています。でも、ラグビー場となると……。

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キックオフは午後7時45分。一進一退の好ゲームで、最後は29対26、アウェーのワラターズが勝ちました。後半残り7分まで3点差で負けていたワラターズが2本のPGを決めて勝ち越し。フォーリーのキックが百発百中。それが勝因です。ブリスベンのファンは残念無念の巻だったでしょう。

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客の入りは半分弱といったところでした。スーパーラグビーは来シーズンから3チーム減るのですが、その原因の1つがオーストラリアのチームがいまひとつパッとせず、観客動員も少ないことにあるようです。もっともスタジアム自体が大きい(サンコープスタジアムは52500人収容)ので、半分入っていないと、かなりさびしい印象がしてしまいます。

ホテルに戻ってからカジノで軽く遊んでみました。カジノといっても、ラスベガスやマカオとはまったく違います。去年お邪魔したシドニー、メルボルンのそれとも違います。なぜか──。もともとカジノとして作った建物ではないので、大きな空間がないのです。日本のホテルの中宴会場サイズが3、4つあり、あとは皆小宴会場ばかり。それでもけっこうお客が入っていました。場所柄か、中国人の客が3分の2。あとは地元の人でしょうか。最低の掛け金が1セントからですから、健全に遊べました。

西池袋にブルックリンがやってきた!

2017年4月22日

「朝食は1日のほぼ最高のパートでした。前日の夜を通り抜け、新しい1日に向かって心と体をシャキッとさせる、摩訶不思議といってもいい感覚がありました」。アメリカ南部ヴァージニア州出身のエドゥナ・ルイスという黒人女性料理家の言葉のようです。いいですね~、そのとおり! おいしい朝食を食べれば、1日が元気に心地よく過ごせるのは間違いありません。

IMG_0652そんな思いを抱いている人たちをターゲットにした「egg」というおしゃれなレストランが昨日、西池袋にオープンしました。場所は池袋消防署の隣、「としま産業振興プラザIKE・Biz」(旧勤労福祉会館)の1階です。建物の名前が変わるとテナントまで変わる──わからないでもないのですが、ニューヨーク、それもおしゃれで高感度な人たちが多く住んでいるというので最近人気急上昇中のブルックリンに本店がある店となると…。

 

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本店の創業は12年前。オーナーの友人が営むレストランが営業していない時間帯(朝から昼)に、アメリカ南部の伝統的な朝食メニューを提供するスタイルでスタートしたのだとか。

南部の朝食といえば、卵、牛乳、砂糖、小麦粉をふんだんに使った料理。パンケーキ、フレンチトーストにフライドエッグかスクランブルドエッグかポーチドエッグ+ベーコンかソーセージかポテトを添えてといった感じでしょうか。でも、いちばん力を入れているのは店名に象徴される卵料理。卵大好きの私としては期待がいっぱいです。

私と家人と下の孫の3人で、待つこと30分。それほど大きくはありませんが、すっきりした内装の店内は、いかにも新開店といった空気。初々しさが感じられます。アメリカからやってきたオーナーとシェフがときおり店内の様子をチェックしたりして、緊張感もあります。

IMG_0657この店の「一番人気」というエッグロスコ。「デニッシュ生地で作った食パンの真ん中に卵を落とし、ホワイトチェダーチーズで焼き上げた」料理です。これにキャンデーベーコンなるものを添えてもらいました。味ですか? 感動とまではいきませんが、朝の気分を思い切り変えたいときにはいいかも。

ところで、冒頭の言葉は、入ってすぐ正面にある黒板に書かれていたもの。でも、それを実行するには、「うーん」と言いたくなるようなお金を払わなくてはならないのです。

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