月別アーカイブ: 2017年11月

「鳥取砂丘美術館」で「砂」の奥深さを再認識

2017年11月25日
山陰ツアーも今日が最終日。いよいよ本来の目的である「第22回北前船寄港地フォーラム」です。23日の夜は前泊というか、非公式の懇談会(早い話が飲み会)に。フォーラムの運営にたずさわっているスタッフの苦労話を聞きながら、「早く本にまとめないと……」との決意を深めました。今年の2月から取材を始めているのに、まだ一文字も書けていないのですから、当然といえば当然かも。

IMG_2576昨日はフォーラムの本番でしたが、いまや本格的なイベントに飛躍した感があります。会場は「とりぎん文化会館」。「とりぎん」と聞くと首都圏からの参加者は焼き鳥屋を思浮かべてしまいそうですが、えらく立派な施設でした。1500人は収容できそうな会場も、1階席はほぼ満杯。毎回そうですが、5時間近くに及ぶロングランの会合に最後までいるのはかなりの忍耐力が必要です。

 

内容も、数年前とは大違い。パネルディスカッションの登壇者も、全員がそれぞれプロジェクターを駆使して話します。どこに出しても恥ずかしくない「学会」といった雰囲気でしょうか。

DSC04723ただ、それはそれとして、参加者のいちばんの目的は、終了後のレセプションと言っても過言ではありません。ふだんから交流がある業界もありますが、こうした場でしか接点を持つことのない、他業種の人たちと自由闊達に話ができるということで、今回も多くの方が参加していました。立食スタイルでしたが、「ウェルカニ」を謳う鳥取県での開催だけに、会場には当地の特産・松葉ガニが山のように並べられ、皆、舌鼓を打っていました。カニだけではありません。こちらは魚介類のレベルがとにかく高いのです。

ただ、大きな会場ではありましたが、参加者が400人近くとなると、やはり疲れてきますね。持ってきた名刺もほとんど底を尽いたところでちょうどお開きとなり、二次会に。そちらにも数十人が参加していましたが、翌朝(今日25日)のスタートが早いこともあって、早々に引き上げました。

 

IMG_2591今日は早起きです。というのも、昨日行き損ねた鳥取名物「(スタバならぬ)すなばコーヒー」を飲みながら朝食をと考えていたからですが、開店時刻の7時半に、ホテルから歩いてすぐの店に行ったらもう20人近い行列が! 私たちは18番目で、17人しか収容できない1回目のセッションにはタッチの差でアウト。仕方なくあきらめ、駅の反対側にある、「すなば」ならぬ「スタバ」に行きました。

 

今日はエクスカーションへの参加を申し込んであったので、バスに乗ってまず砂丘へ。ところが、「Pokemon GO Safari Zone in 鳥取砂丘」というイベントと日程が完全にバッティングしていたため、道路が大渋滞していました。開催期間(11月23~25日)中はレアな「ポケモン」がゲットできるというので、中国地方はもちろん、関西・九州、さらには首都圏あたりからも愛好者が殺到したのです。地元に関係者によると、「これほどたくさんの人が砂丘を歩いているのは初めて見た」そうですから、歴史上初めての状況を呈していたのでしょう。

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砂丘で感動したのは、「砂丘美術館」です。前に砂丘を訪れたときはまだなかった施設で、私たちも初めてですが、これは素晴らしい! 館内には年に1回──といっても開催期間は9カ月ほど──、一定のテーマのもとで巨大な砂の彫像が10~20点展示されることになっていて、そのどれもが大変な力作。今年は「アメリカ」がテーマで、西部開拓史やら摩天楼やらハリウッドやら、アメリカにちなんださまざまな彫像を見ることができました。一つひとつとてつもない手間がかっているのが感じられる作品に、深く感動。

どの像も、半月くらいの期間をかけて作られるのだそうで、全体をプロデュースしている茶圓勝彦さんは鹿児島県南さつま市の出身。同市吹上浜で毎年ゴールデンウイークに開催される「砂の祭典」は、日本で初めての“砂のイベント”だそうです。拙著『鹿児島学』にも記しましたが、その地に生まれ育った茶圓さんですから、およそ感覚が違うのでしょう。個々の彫像もさることながら、全体の並べ方はなんとも言えないユニークさが感じられます。単体でも素晴らしいのに、それが10数点も巨大な空間の中に並べられているのですから、迫力もハイレベル。これだけでも、エクスカーションに参加した甲斐があったというものです。

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そのあとは鳥取港近くの観光市場やお土産物屋が集中しているエリアに立ち寄り、夕方の便で東京に戻りました。そうそう、空港の片隅に、朝行き損ねた「すなばコーヒー」の小さな店があったので、そこ名物のパンケーキと砂コーヒーをセットで頼み、所期の目標も達成です。

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雨の出雲大社から米子・境港・倉吉へ

2017年11月23日
今日の夕刻から明後日の午後まで鳥取市です。昨日、羽田から島根県の出雲(縁結び)空港に入り、出雲大社を見学したのち米子(鳥取)で1泊。おいしいイタリア料理を堪能し、今日は境港→倉吉経由で、夕方こちらに入りました。米子も境港も前々から行ってみたいと思っていたところなので、願いがかない大満足です。

DSC04653出雲大社を訪れた昨日はあいにくの雨。天気がよければもっとすがすがしい気持ちになれたでしょうが、残念なことをしました。境内は歩く距離も長いですし、気温も低かったので、足の傷がまだ完全に癒えていない家人には辛かったはず。ホテルを予約してある米子に行く途中、展示作品だけでなく庭園も美しいと評判の足立美術館に立ち寄る予定を組んでいましたが、こちらも省略。雨の中、滞在見込み時間が1時間足らずとあっては、致し方ありません。

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米子は商業都市で、同じ鳥取県にあっても、城下町の鳥取市とはまったく趣が違うように感じました。タクシーの運転手さんは「ざっくばらんなところがあって、ストレスがたまりにくい町」と。商業都市ですから、学歴がどうのとか、家柄がどうのといったことなど、気にしてなんかいられません。なんだかんだ言っても、最後は「お互い様」といった感じでしか商売はできないということなのでしょう。

城下町はその点、くたびれます。本音と建て前を使い分けなければならない場面も多いですし、言葉には出さずとも、何かにつけて学歴やら家柄が取り沙汰されます。いまどき殿様も家老も足軽もいないのに、そうしたレベルのことが、ぼんやりとではありますが人々の意識に巣食っているフシがあるのです。それが上から目線のものの言い方や態度になってあらわれたりするのでしょう。そのため、相手と「素(す)」で付き合うのが難しいのです。詳しく拙著『城下町の人間学』をご参照ください。

その米子で昨夜入った店は洋風居酒屋の雰囲気でしたが、客の入りがすこぶるいいのです。食べたものはどれもおいしく、店員さんもさわやかで愛想よし。また行く機会があったら、ぜひ足を運んでみたいと思いました。

今日はその米子から、境港。途中、左手を日本海、右手を中の海にはさまれた立派な国道を走るのですが、そこから見える大山の素晴らしいこと。ずっと以前のことですが、拙著『新 出身県でわかる人の性格』に、1年を通じて、それも朝から晩まで、立派な山を目にしながら育った人はすがすがしい性格を持つようになる“と記したことがあります。そこで例に引いたのは青森の岩木山、岩手県の岩手山、富山県の立山、そして鳥取県の大山です。

最初の3県は、その県出身の知人・友人がいたので自信を持って名前を出したのですが、鳥取県の大山は正直言って推測の域を出ていませんでした。しかし、昨日から今日にかけて、大山を見ながら日々暮らしている人たちと接する中で、私が書いたことも間違いじゃなかったと安心したしだい。この時期の大山は頂上付近が少し雪をかぶっており、いっそう美しい姿を見せてくれました。別の機会にまた訪れてみたいと思います。

 

DSC04683境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるの生まれ故郷ということで一躍有名になった町。ただ、秋冬のカニ以外、『鬼太郎』しか売りがありません。でも、市民はそれを強力なバネにしている風で、『鬼太郎』に徹しています。店の名前もメニューも、お土産品のコンセプトも、すべて『ゲゲゲ』であり『鬼太郎』であり、『水木しげる』なのです。ある意味潔く、よそ者であるこちらも、「だったら、それに乗っかっちゃおう」という気分にさせられました。インバウンドの外国人観光客となるとそうは行かないでしょうが、日本人の、ある年齢から上の人たちは私たちと同じような気持ちになるにちがいありません。

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境港をあとにし、次に向かったのが倉吉。倉吉は、私がプロデュースさせていただいた『人生 八勝七敗』の著者で大相撲・尾車親方を育てた横綱・琴櫻の生地。横綱の記念館もあると聞いていたので、そこにも行ってみたいと思っていました。

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DSC04710小さくも古い城下町で、いまも県内では第三の都市です。といっても、JRの駅に近い現在の中心街とは、玉川を隔ててけっこう離れたところに、城とその周囲の町(琴櫻記念館もその一角にある)があったらしく、川沿いに並ぶ白壁土蔵群は落ち着いた観光スポットになっています。

 

 

玉川に架かる石橋、由緒のありそうな古刹や酒蔵、赤い石州瓦に白い漆喰を塗った壁が特徴の家々など、江戸・明治期の面影が色濃く残っており、落ち着いた風情がかもし出されていました。

DSC04706そうした中、面白いと思ったのは大蓮寺。1300年ほど前に創建された大蓮寺が起源とされ、いまから450年くらい前に近在の3寺を統合、現在の地に伽藍を建立したものの、1942(昭和17)年に解体されてしまいました。それが、1955(昭和30)年に鉄筋コンクリート造りのユニークな本堂として再建されたのだそうです。クリーム色の外壁は周囲の街並みとはまったく異質で、「えーっ。何、これ?」とだれもが驚くことでしょう。淀屋清兵衛(江戸時代前期、商都・大阪を築いた豪商)ゆかりの寺としても有名なようです。

ひととおり散策したあと、最後に「旧国立第三銀行倉吉支店」の1階にあるカフェでひと休み。天井の飾りや階段などの建具が1908(明治41)年の建築当時のままだそうで、なんとも言えない落ち着きを感じさせてくれました。

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恥ずかしー! 「消えた」デジカメのありかは?

2017年11月7日
寝ている間に船はドイツとチェコとの国境の町パッサウに到着。今日はチェックアウトの日です。部屋を空っぽにして船から降り、バスで旧市街に向かいます。パッサウも2度目の訪問です。

ところが、降りる直前、デジカメがないことに気がつきました。あわててバッグの中、ブルゾンのポケットと、裏返したり逆さにしたりしてみたのですが、見つかりません。添乗員さんにお願いして、私ひとりだけ乗せて、バスの運転手さんに引き返してもらいました。船にはもう乗りませんから、置き忘れていたりすると大変なことになってしまいます。船に戻って部屋の中や朝食を食べたレストランなど、あちこち探したのですが、どこにも見当たりません。

デジカメの撮影データは幸い、持参のノートPCに昨夜落とし込んでおいたので大丈夫。ただ、これも、旅に出るとブログをアップするのが遅れ遅れになってしまうので、家人から「撮ったその日のうちに写真をチェックすれば、少しでも書いておこうっていう気持ちになれるでしょ!」と檄を飛ばされていたおかげです。今回の旅では、毎晩、その日の撮影データを移していました。

それはそれとして、写真を撮るのがスマホだけというのは、いささか心もとありませんで。でも、仕方ないとあきらめ、バスでパッサウまで引き返しもらうと、ちょうどほかの方々が市内観光を終えて戻ってくるところでした。家人に「なかったよ……」と答えると、「バスの中、もう一回探してみたら」というので、座席の下を見てみました。すると、なんと、私がすわっていた一つ後ろの座席の下に転がっているではありませんか! 船に戻る前に見たときはなかったのに……。先ほど船まで引き返すために移動している間に前・後ろと転がっていたのですね。……まあ、とりあえずあってよかった! これからは、こういう笑えないトラブルがだんだん増えてきそうな予感がします。

!cid_087b49a9-ba1b-4c78-afdc-be5aec8a6982@apcprd04_prod_outlook3つの川(ドナウ川、イン川、イルツ川)に囲まれているパッサウ。市内にいくつも建つ教会もさることながら、いちばん印象に残ったのは初めて訪れたときも目にしましたが、小ぶりながらも存在感のある時計塔が目を引くのが市庁舎です。その外壁に、童謡『背比べ』の歌にある「柱の傷」に似た目盛りが刻まれています。この町は毎年のように洪水が起こるため、大きな洪水があった年の数字と、そのときの浸水水位が記されているのです。いちばん最近の洪水は2013年6月で、そのときの水位(史上2位だったとか)ももちろん記されていました。このときは市庁舎の1階部分が完全に水没したといいます。似たようなものは熊野本宮を訪れたときにも見ましたが、実際その前に立ってみると、そのすさまじさが想像できます。

 

さて、パッサウからは、ミュンヘン国際空港の近くにあるフライジング(Freising)という古い町へ移動。この町のこともまったく知りませんでしたが、味わい深いところでした。教会以外に見るべきものはさほどないものの、まずランチのおいしかったこと。それと、レストランがある建物入り口のパン屋さんで見つけたドイツパン。ドイツではどこのパンもおいしいのですが、この町の店で買ったのは特別。日本にいても買えるのなら、ずっとヒイキにしたいほどです。

町のあちこちにクマのオブジェがあるのが印象的でした。フライジングからバスでミュンヘン中央駅近くのホテルに移動。明日はいよいよ帰国です。

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ガイドさんのおかげで楽しめたレーゲンスブルクの旧市街

2017年11月6日

朝食から部屋に戻り、バスルームで乾いたハンドタオルを使おうと手に取ったのですが、見てびっくりしました。茶色というかえらく汚れた感じがするのです。最初の日からうすうす感じてはいたのですが、フェイスタオルとバスタオルは別として、ハンドタオルだけは白かった日が一日もありません。水に濡らすとそれがもっとはっきりわかります。思わず写真に撮ってしまいましたが、これはひど過ぎないでしょうか! 4216FBAB-1376-406D-9EE2-B5408A2A56D4思わずキレそうになってしまいましたが、ひと呼吸置きました。濡らしたハンドタオルをバスタブ(真っ白です!)のふちの目立つところに置き、その横に「We call this “dustcloth” not “towel”.」と記したメモを添えておきました。“dustcloth”はもちろん「雑巾」のこと。といって、その日の夕刻からもう少しましなハンドタオルが供されたわけではありません。ただ、これはこのクルーズ会社の文字どおり汚点という気がします。

 

午前中はゆっくり過ごし、船内でランチを済ませると、午後はレーゲンスブルクの町へDSC04492。4年前のクリスマス時期にも、少年聖歌隊(別名「大聖堂の雀たち」)の美声を聴きにこの町の大聖堂を訪れたことがありますが、それ以来です。

そのときは個人旅行、しかも滞在していたミュンヘンで突然思い立っての訪問でしたので、町についてのきちんとした知識などありませんでした。でも今回は、ガイドさんの解説を聞きながら旧市街を散策するということもあり、興趣がそそられます。900年近く前に架けられたドイツ最古の石橋=「シュタイネルネ橋(Steinerne Brucke)」と、それを造った職人たちのための食堂がいまでも残っているのですが、そこから出発しました。

ツアーの場合、添乗員さんはいないことがあっても、ガイドさんはまず100%つきます。たいていは、日本語を学んだ現地の方ですから、まずは言葉の巧拙がポイントに。日本人と結婚して日本語を覚えた人もいれば、大学で日本語を専攻し、日本に留学した経験もあるという人もいます。どちらが流暢かということになりますが、一概には決めつけられません。

個人旅行でしたが、4年前にロシアを旅したときは、駄洒落や日本の諺まで自由自在に繰り出すガイドさんのお世話になりました。けっして流暢な日本語ではありませんでしたが、それでも次に何を話してくれるのか、こちらに期待を抱かせる方でした。

話の内容、またガイディングの仕方で、旅の印象は大きく違ってきます。観光スポットについての情報や、その背景にある歴史・地理・文化にも造詣が深い。それだけでなく、私たちの行動についても至れり尽くせりといった感じで文字どおりガイドしてくれる人もいます。でも、逆に、どれも中途半端(といっては申し訳ありませんが)な方もおり、そのあたりの差が、その地の印象と重なり合うのです。どれだけ多くの優秀なガイドさんを確保できるかが、旅行会社の腕の見せどころなのでしょう。

この日の女性ガイドはその点、とても優秀な方でした。もっとも、そもそもが勉強好きのドイツ人なので、観光に欠かせない歴史・地理・文化の知識は抜群。私たちシロウトにはちょっと詳しすぎるかなぁとも思いましたが、つい聞き入ってしまいました。何も知らずに歩けばすっと通り過ぎてしまうような場所も、実はすごく由緒があるところなんだと知ると、見る目が違ってきます。

DSC04501ドイツの町はどこに行ってもそうなのでしょうが、観光スポットが集中する旧市街地がたいていの場合、教会を中心にできているので、道に迷うことがあまりありません。教会の塔の姿・形(どの方角から見るとこういう姿に見えるということ)さえきちんと頭に入れておけば、迷わずに歩くことができるのです。

レーゲンスブルクの街歩きでポイントになるのは、2本の尖塔を持つゴシック様式の大聖堂。この町は教会がとりわけ多く、小さな町内に一つずつといった感じで建っており、どれも皆、有力商人の寄進だとか。塔の高さや外壁の素材・仕上げを競ったらしく、それぞれが個性的なよそおいを凝らしています。そうした建築物があちこちに建つこの町は、旧市街全体が世界遺産に登録されているそうです。

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DSC04548観光が終わったあと、前に訪れたときランチを食べた市庁舎1階のレストランの向かい側にあるカフェへ。そこでコーヒーとケーキを食べました。カフェに行く前に、個人的に立ち寄った「アルテ・カペレ(Alte Kapelle)教会」は、2日前に訪れた「メルク修道院」も顔負けの、どこもかしこも金ピカのチョー豪華な内装が印象的。外側はまったく地味なのですがね。

 

今夜は船内最後の夕食とあって、バイエルンスタイルの内容。名物のホワイトソーセージもさることながら、ビールのおいしかったこと! ドイツのなかでもこのバイエルン地方は本場ですから、当然といえば当然かもしれません。

近い将来また来てみたいと思わせるザルツブルク

2017年11月5日
船は朝方、リンツに到着。ここからバスでザルツカンマーグート地方に向かいます。陶器の町グムンデンからトラウン湖、フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトと出会ったリゾート地=バート・イシュルを経て、美しい景色で知られるハルシュタットの町に到着。

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お天気に恵まれたこともあり、湖も空も周囲の山々もこれ以上はないほど日に映え、美しい姿を見せてくれました。なぜか韓国からの観光客が目立ちます。この地が韓流ドラマと関係でもあるのでしょうか。2時間ほどの滞在でしたが、堪能させてもらいました。

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DSC04336ハルシュタットから、途中ここ10年で驚異的な成長ぶりを見せたエナジードリンク「RED BULL」の本社があるアシュル・アム・ゼーを経て、2時間でザルツブルクに移動。ザルツブルクは映画『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影地が市内・近郊に散在しており、それを目当てに訪れる人がいまでも多いようです。ガイドさんが「ここは、あのシーンの……」「子どもたちが何やらした場面を撮ったのがあそこで……」と一生懸命説明してくれるのですが、残念ながらまったく記憶がありません。それはそうでしょう、観たのは52年前、高校1年生のときなのですから。やはり50年という年月はハンパなく長いのです。

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DSC04370「ミラベル庭園」「カラヤンの生家」などを観ながらザルツァッハ川を渡ると旧市街です。ひと目でその生業が分かる絵の看板を掲げた店が立ち並ぶ商店街「ゲトライデガッセ」の中心部にあるのが「モーツァルトの生家」。なぜか1階はスーパーになっているのですが、その上のフロアはすべて博物館。狭い階段を昇ったり降りたりしながら、複雑な造りの内部を見学しましたが、印象に残ったのは「モーツァルトのお墓はどこにもない」というガイドさんの話。偉人のお墓がいまだにどこにあるかわからないというのは、やはり珍しいのではないでしょうか。若くして世を去った個性的な“天才”音楽家だけに、その死もユニークだったのかもしれません。

 

ランチのあとは旧市街をあちこち散策。小高い丘の上に立つ「ホーエンザルツブルク城」の上から一望できる市内は、川の流れとあいまってとても美しく、春から夏にかけて、また真冬に訪れたらもっと素晴らしいだろうなと想像をかき立てられます。ザルツブルクはやはり夏の音楽祭の季節に来てみたいですね。

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散策の途中、ツアーで一緒の女性が教えてくれた「塩チョコレート」を購入し、高速道路でパッサウへ。私たちを待ち受けている船に戻ります。途中から雨が降り出しましたが、観光の最中でなくてラッキーでした。今回の旅は、いまのところ雨とはまったく無縁。皆さん、心がけのいい人たちばかりなのでしょう。

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夜は、明日下船する別のツアーの一団もいるということで、「フェアウェルパーティー」です。歌のショーや抽選会がおこなわれ大いに盛り上がりましたが、このあたりがクルーズツアーのおもしろさなのかもしれません。

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ドナウ川クルーズの愁眉ヴァッハウ渓谷

2017年11月4日
DSC04111今回のクルーズの目玉の一つが「ヴァッハウ渓谷」です。ドナウ川沿いでは景色がいちばん素晴らしいとのことで、この季節は黄色く変わった葉でいっぱいの木々が楽しめそうです。

今日未明にウィーンを出発した船は朝方、デュルンシュタインに到着。ここで下船し、徒歩で町に向かいます。黄色に色づいたブドウ畑の横を通り抜けた先が市街地。といっても、往復20分足らずですべて観ることのできるこじんまりした町です。

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私は、かつてリチャード獅子心王が幽閉されていたという城跡のある山に登りました。20分ほど歩くと頂上なのですが、ここから見下ろすドナウの眺めは最高でした。私より先に、数人の方が登り終えており、お話をうかがうと、80ウン歳とか70代後半とか、はるか年上の人ばかり。とにかく、その元気さには恐れ入ります。

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出発まで時間があったので、この町を象徴する「聖堂参事会修道院教会」の周りを歩いてみました。水色の外装がユニークな教会です。川岸ギリギリの道を小型定期船の船着き場まで歩いていき、その全景を観ることができました。

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DSC04137船に戻るとランチです。バイキングスタイルは変わりませんが、今日はなぜか、基本のラインナップのほかに子豚の丸焼きが出てきました。厨房から、大きな銀の皿に載せた豚が運ばれてきたときはびっくり。小さなロウソクが何本も差し込んであるのですが、その炎が爆竹のようにはじけて音を出すのです。それにしても、なぜこのタイミングで? どう考えてもわかりません。

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さて、デュルンシュタインから船はパッサウまでさかのぼっていくのですが、その間が「ヴァッハウ渓谷」。途中、山の上に古い城跡があったり黄色い木々に覆われた山肌が見えたり教会の尖塔がひときわ目立つ可愛い町があったりなど、ずっと観ていても飽きません。2時間ほどで、次の目的地メルクに到着。「修道院」で有名なところと聞いていましたが、遠目で見てもたいそうなスケールであることがわかります。

 

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DSC04187もともとは、ハプスブルク家より前の時代にこの地方を支配していたというバーベンベルク家が築いた城をベネディクト派修道院に寄進したもので、18世紀の初めにバロック様式で再建されたため、見た目も派手な=清貧のイメージとは真逆の修道院に。内部、とくに祭壇はなんとも絢爛豪華でした。10万冊の本を備えた図書室は、今年8月にダブリンで訪れた「トリニティー・カレッジ」を思わせるような造り。また、ほかにもさまざまな宝物を展示しており、楽しむことができます。屋上からの眺めも素晴らしく、こんな場所で修行に打ち込めるのだろうかと心配になってしまいました。

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ウィーンで出会ったユニークなチョコレート屋

2017年11月3日
ツアーでは朝・昼・夜と、同じテーブルで食事をともにする相手がほぼ毎日変わります。どのテーブルに着くかは自由なので、だれと隣り合わせになるかは、座ってみるまで分かりません。今日同席したのは、80歳近いご夫婦。この旅行会社との付き合いは20年近くだそうで、主催するツアーに参加するのも10数回目だとか。

これまで食事で同席した皆さんのほとんどが、この会社のツーアのリピーターのようです。話を総合してみると、この旅行会社は、客のニーズを実に的確につかんでいるのがよくわかります。食事の内容、コース、訪問する観光スポット……。どれをとっても、ありきたりではないというか、よく工夫されている感じがします。かゆいところに手が届くサービスも高く評価されているようでした。また、添乗員さんも自分が担当するツアーで訪れる先の地理や歴史・文化をしっかり学んでおり、レベルが高そうのです。

そもそも、この会社が企画しているツアーのテーマ・内容自体がたいそうユニークです。マニアックな感じがしないでもないのですが、これはそうした内容を求める客が少なからずいるからでしょう。いま、日本から海外旅行に出るのは70歳以上の人がほとんど。もちろん、それは費用がある金額以上のツアーです。若い人は時間もお金もありませんから、どうしても安手で通り一遍のメニューで構成されたツアーに参加するしかありません。

しかし、70歳以上の人たちは、まず時間が豊か。しかも、いまの日本では年金受領額もいちばん恵まれています。そのため、できるだけわがままを聞き入れてくれそうなツアーを選ぶわけです。そのあたりに早い時期から着目していたこの会社のツアーが多くの人から支持されるのは当然かもしれません。

 

DSC03974さて、今日はウィーンの市内観光。最初は中心部(「リンク」の中)に集中して建つ施設の一つ「シシィ博物館」で、今回が2回目。しかし、その次に訪れた「美術史美術館」には度肝を抜かれました。ハプスブルク家があちこちから収集してきた美術品がぎっしり収められています。クリムト、ブリューゲル、ラファエロ、ティツィアーノ、フェルメール。デューラーなど、美術や世界史の教科書で観たことのある作品が、これでもこれでもかといった感じで展示されていました。

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DSC03979その後、ウィーンで最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」でランチをいただき、午後は自由時間。レストラン近くの「シュヴェーデンプラッツ」からトラムに乗ってリンクを半周、「オペラ座」の前で下車し、目抜き通りの「ケルントナー通り」を歩きましたが、週末ということもあって大変な人出でした。有名なカフェもそこここにありましたが、そちらは後回しに。

私と家人は、とあるチョコレート屋さんをめざします。かつてはハプスブルク家御用達のボタン屋さんだったのですが、当時の店舗のままでいまはチョコレートを販売しているというのです。外には御用達のお店であることを示す立派な看板があり、店内の壁はかつてボタンを収めるのに使われていた引き出しが。壁だけ見ると、「えっ」という感じがしますが、あくまで内装として利用しているのです。思わず写真を撮ってしまいましたが、そのアイデアに感心しました。いくつか買って帰りましたが、一つ二つつまみ食いしてみるると、これがえらくおいしいのです。さすが「ウィーンでいちばんおいしいチョコレート屋」を謳っているだけのことはありました。

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実を言うと、今夜は家人と二人で外食にしようと思っていました。というか、そろそろ日本のしょう油味が恋しくなっていたのです。そこで、「ケルントナー通り」から路地をちょっと入ったところの、7年前にも訪れたことのある日本料理店を探してみました。しかし、そこにあったのは前とは似ても似つかない店。いちおう「日本風」を謳ってはいるようですが、店の名前も外装もすっかり変わっていました。外にいた店員に聞いてみると、何年か前に昔あった店は閉店し、そのあとを自分たちが引き継いだとのこと。結局、中には入らずじまいで船に戻ることに。旅の途中で日本メシをとの願いはもろくもついえてしまいました。

 

 

 

 

初めてのスロヴァキア訪問は、3時間でジ・エンド

2017年11月2日

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DSC03764午前8時半に船を降り、バスに乗ってブラスチラヴァの観光へ。最初に行った「ブラスチラヴァ城」からはドナウ川が見下ろせます。右手にある、ソ連時代に作られたという橋を渡った先が、昨日まで滞在していたハンガリー。そのさらに先はオーストリアです。ヨーロッパが地続きであることをまざまざ実感させられます。

 

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城から下に降りて通りを渡ったところにあるのが「聖マルティン教会大聖堂」。「聖マルティン教会」はカトリックのわりにシンプルで質素な建物。歴代のハンガリー皇帝の戴冠式がここでおこなわれたとは思えません。

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ここからさらに下ったところから狭い旧市街が始まります。世界中の観光客が集まってきているのがありありと感じられる街並みは、ヨーロッパの古い町の典型といった感じでした。ガイドさんからは、ちょっと歩くたびにベートーヴェンが住んでいたアパートです、モーツァルトがコンサートを開いた屋敷です、リストが……といった説明が。有名なカフェ、レストラン、女帝マリア・テレジアの娘エリザベートが好きでよく訪れたという店もありました。

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そこを抜けたところが「フラヴネー広場」で、まわりには各国の大使館が並んでいます。日本大使館もありました。そこから「フヴィエズドスラヴォヴォ広場」に行くと「国立劇場」「フィルハーモニック劇場」「国立ギャラリー」など、写真に撮りたくなるような味わいのある建物がずらり。河畔まで戻ると私たちの船が。この間わずか3時間。旧市街の玄関口といわれる「ミハエル門」を観られなかったのは残念ですが、これは旅行会社の段取り不足でしょう。

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わずか3時間のスロヴァキア訪問を終え、お昼前にはウィーンに向けて出航。途中の景色は雑木林ばかりで、町や村はほとんどなく、夕方までゆっくりした航行が続きます。それにしても、今朝がたから船内のwi―fiがほとんどつながらないのが悩みのタネ。仕事のメールが送受信できないのです。ウィーンに着けばと……添乗員さんは言いますが、大丈夫なのでしょうか。

DSC03887夕方ウィーンに到着。夜はコンサートが待っています。会場は、市民公園の中にある「クアサロン」。さすがウィーン、小さくてシンプルながらも、どこか威厳を感じさせるホールです。たぶん毎晩、観光客向けのコンサートがおこなわれているのでしょうが、内容はけっこう濃密。最後はウィーンフィルの新年コンサートの定番「ラデツキー行進曲」で終わり、大いに楽しませてもらいました。

 

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今日でブダペストは最後

2017年11月1日

今日は水曜日ですが、「諸聖人の日」という祝日だそうで、ハンガリー全土がキホンお休み状態。ツアーメンバーの多くは、添乗員さんの引率で、トラムと地下鉄(ヨーロッパではロンドンに次いで2番目に古いとのこと)を乗り継いで、「英雄広場」の観光に出かけました。私たちは別行動で、朝食を済ませると(そう、サラミソーセージはやっぱりおいしかった!)、市内中心部のエルジェーベト環状通り沿いにある「カフェ・ニューヨーク」という店まで歩いて行きました。結婚して現在イタリアのフィレンツェに住んでいるわが社のスタッフが、以前ブダペストを旅したとき感動し、興奮のメールを送ってくれたことがあるからです。

船を出て30分ほど、9時半には着いていたのですが、7、8人の客がすでに並んでいました。しかも、待っている間に、あとから来た客が何組も、私たちを横目に中に入っていくではありませんか! なんと、予約してきているようなのです。カフェなのに予約とは……。でも、たしかに、そうしたくなるほどユニークな店でした。

IMG_2296何がユニークなのか? まず建物自体がとても大きくて重厚。店の中は大理石の柱に豪華なシャンデリアがしつらえられ、さらに天井画まで描かれています。壁紙、テーブル、イス……どれをとっても華やかできらびやか。ブダペストの数あるカフェのなかでももっとも有名だというのも納得できます。かつてはこの町の作家や芸術家、新聞・雑誌記者や編集者などが集まり、文学論、芸術論を戦わせるカフェとして一世を風靡したとも。いまは「ボスコロ」という5つ星ホテルの1階にあって、宿泊客が朝食を食べるスペースも兼ねているようでした。朝食の時間が過ぎれば、訪れてくるのはほとんどが観光客なのでしょうが、それだけに、一日中にぎわっているようです。

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私と家人はコーヒーとアップルパイを頼み、1時間ほどゆっくりしたあと、タクシーで帰ったのですが、大きな落とし穴にはまってしまいました。船が停泊している場所の地図を見せ、指で示しながら「ここまでね」と告げると、「OK!」。しかし、いざ走り始めると、どう考えても遠回りしているようにしか思えません。案の定、車を停めたのはまったく違う場所でした。「ここじゃないよ!」と、再度地図を見せて指示したのですが、自信なさげな顔をしてみせます。

しつこく説明してやっと理解したような表情を見せながら、そこからまた1キロほど走ったでしょうか。ようやく目的地に到着。ところが、メーターを見ると「6000フォリント」。日本円に換算すると3000円です。「えーっ!」と思いましたが、これはボラれたとしか言いようがありません。

悔しいので、部屋に戻ってネットで調べてみると、「ブダペストのタクシーには要注意」という内容の情報がギッシリ。基本料金は450フォリント、1キロメートルごとに280フォリント加算とあるので、それからすると、チップ込みでもせいぜい1200フォリントがいいところでしょう。ドライバーがどこをどう細工したのかわかりませんが、結果としては正規料金のおそらく7~8倍近くになっていたはずです。

そういえば、数年前、チェコの首都プラハ中央駅で、客に声をかけているタクシードライバーのあまりに怪しい雰囲気にビビったことがあります。このときはホテルに電話を入れ、迎えを頼んだのですが、それと同じなんですね。ネットの記事には、「見た目は黄色い車でタクシーにしか見えないのに、白タクもある……」とありましたが、まさしくそのパターンだったのかも。悔しいー! けど、仕方ありません。
午後は、バスでドナウベンド(「ドナウ川の曲がり角」という意味だそうです)地方に。最初に訪れたのはエステルゴムという古都。当初はブダペスト→センテンドレ→エステルゴムという行程だったのですが、エステルゴムの「大聖堂」が、休日のため午後4時で閉まってしまうことがわかったようで変更に。結果的には、遠いところ(=エステルゴム)に行って、センテンドレまで戻り、そこからまた、船が待っているエステルゴムまで戻るので距離的にも時間的にもかなりのロスになりました。

DSC03694エステルゴムの「大聖堂」はたいそう立派。そのわりに外装は質素で、中も派手な装飾を排した造りが印象的でした。裏側は絶壁になっており、そこに立つと、ドナウ川とその両岸の景色がパノラマのように見えます。この日も天気がよく気温が一気に上がったせいか、川面は水蒸気で覆われていました。そのため、遠くがあまり見えなかったのは残念でしたが……。

 

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エステルゴムからブダペスト方面に小一時間戻ったところにあるのが、“かわいい町”センテンドレです。到着したのは、日が沈む直前。小さな町なので、端から端までゆっくり歩いても20分足らず。石畳の道の両側はお土産屋さんが大半ですが、ときおりパン屋さんとか洋服屋さんが。どの店も個性的で、明るい時間帯だったら、ゆっくり中をのぞこうかという気にもなるのでしょうが、秋の日はつるべ落とし。どんどん暗くなっていくので、気もそぞろといった感じです。気温も下がっていくので寒くなり、早めにバスに戻ります。そこから1時間ほど走り再びエステルゴムに着くと、船が待っていました。

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