月別アーカイブ: 2019年9月

黄色と赤の戦いは、赤に軍配

2019年9月30日
28日の夜遅く、アイルランド戦勝利の興奮に酔いしれながら帰京。しかし、昨日はゆっくりする間もなく、午後ちょっと遅めに家を出てウェールズvsオーストラリア戦(予選プールD組)に。1週間ぶりの味スタです。日本の試合ではないので、京王線新宿駅で乗る客は外国人の姿が目立ちます。飛田給駅周辺もゴールドイエロー(オーストラリア)と赤(ウェールズ)のレプリカジャージを身に着けた大男のグループが缶ビール片手でそこいら中にたむろし、歩道を歩いていました。ゴールドイエローは膨張色ですし、騒ぎ方もウェールズより派手で、声も大きいので、一瞬ここはオーストラリアかと錯覚してしまうほど。

 

試合は開始早々、ウェールズの司令塔(スタンドオフSO)ダン・ビガーのDG(ドロップゴール)が決まり、観客の度肝を抜きました。キックオフから36秒後の得点はW杯史上最短だそうです。ダン・ビガーは2013年6月15日、エディー・ジョーンズ率いるJAPANと秩父宮でテストマッチを戦ったときも同じポジションで出場していましたが、昨日はさっそくのDGで、昔からのファンは「さすが!」と思ったのではないでしょうか。ちなみに、そのときは、今回JAPAN代表になっている堀江翔太、田中史朗、福岡堅樹、田村優も出場しており、ウェールズに初めて勝ったというので大騒ぎになりました。

さて、DG(ドロップゴール)は俗に“飛び道具”ともいいますが、日本のラグビーではあまりお目にかかれません。ヨーロッパ、南半球ではひんぱんにとまでは言わないものの、それほど珍しいものではないようです。2003年W杯の決勝、イングランドの司令塔ジョニー・ウィルキンソンが決めたドロップゴールはあまりにも有名です。延長後半ロスタイムのことで、オーストラリアはこの一発に沈み、優勝を逃したのです。youtubeでぜひご覧ください。

www.youtube.com/watch?v=rpmsCUk0pKA

DGは、23メートルラインをはさんだあたり、それもゴールポストのほぼ正面に近いエリアから、いったんグラウンドにはずませたボールを蹴り、それがポストの間を通過すれば成功=3点なのですが、ふだん見慣れているスクラムやラインアウト、密集戦(モール、ラック)がラグビーだと思い込んでいる人からすると、一瞬「えっ、どうしたの?」と驚いてしまいます。選手たち、とくにFWからすると、感覚的にはそれに近いものがありそうですが、3点取れるわけですから、えらく得をしたような気持ちになるのではないでしょうか。

というわけでオーストラリ側にはいささかショッキングなスタートだったのですが、前半20分くらいまでは、ウェールズが縦横無尽に動き回っていました。アイルランドに似てさほど派手さはありませんが、実力はかなり上。現に、今年のシックスネーションズ(ヨーロッパの6カ国による総当たりリーグ戦)ではみごと全勝優勝しています。ただ、W杯では1987年の3位が最高で、ベスト8までは行ってもそこから先まではなかなか勝ち上がれずに来ました(2011年は4位)。しかし、今日オーストラリアの追撃を振り切り勝った(29対25)ことで、この先が楽しみです。

昨日は席がバックスタンド側、しかもかなり上のほうで階段の昇り降りがきつかったため、帰りはどうしようか悩んでいました。正面まで回って京王線に乗るのはしんどそうで……。そこで、とりあえずバックスタンド側から地上に降りてみたところ、JR中央線の武蔵境駅までノンストップで行くバスが用意されていることがわかり、それを利用することに。一昨日の静岡エコパスタジアムのように、交通の便が限られているところに比べると大助かりです。こういうときは、都会の便利さを痛感しますね。

 

今度はアイルランド相手にGiant killing!!

2019年9月28日

またまた、歴史が動きました。ランキング2位のアイルランドから大金星をあげたのです。もう、なんと言っていいのか! その瞬間、世界中のメディアにニュースが流れたそうですが、今大会の優勝候補にあげられている国の一つとなれば、それも当然かも。スタジアムは歓喜と感動に包まれました。最後は日本らしく、万歳三唱です。

 

ラガーマンである私も喜びました。ただ、 4年前南アフリカを破ったときほど、感動はしませんでした。このときは号泣してしまったのですが、今回は目頭がウルウルした程度。そう、アイルランドを負かしても不思議ではないくらJAPANは強くなっていたのです。

 

この試合、とにかくディフェンスがすごかった。鬼気迫るというか、とにかくしつっこく、しかも穴がほとんどなし。二人がかりのタックルも最後まで途切れません。開始から15分ほどはアイルランドの巧みなキックパスに2度もやられてしまいましたが、それ以降は、相手の好きに蹴らせることもありませんでした。日本の強力なディフェンスに、アイルランドはキックをしたくてもできなかったのでしょう。

“脚をもがれた”アイルランドは以後ほとんど何もできずじまい。前半こそ9対12でしたが、後半は完封。ノーサイド10分前にJAPANは福岡堅樹のトライ(コンバージョンも成功)で12対16とし、最後はさらにPKを1本加え、1トライ+1ゴールを入れられても負けはないスコア=19対12で歴史的な勝利をもぎ取りました! 終了間際、相手パスをインターセプトした福岡の独走が実ればさらに5~7点を上乗せし、アイルランドのボーナスポイントも与えずに済んだのですが、惜しいことをしました。

「規律」という点でもJAPANはアイルランドを上回っていたように思います。反則数は6、相手のPKにつながりやすい自陣での反則は1回きり。POTM(最高殊勲選手)にはFW(フッカー)の堀江翔太が選ばれましたが、私個人は、キャプテンのリーチマイケルとSH(スクラムハーフ)の田中史朗【ふみあき】の二人の貢献度が大きいと思っています。リーチは前半30分から交代出場でしたが、すさまじいタックルを連発、また田中は福岡のトライにつながるパス出しで貢献しました。FW第3列・姫野和樹の動きも素晴らしかったですし。

もう一つは、5万近い観客の6割を占める日本のサポーターの声援も勝利を後押ししました。前半途中までは、アイルランドサポーターの声が予想以上に大きかったのですが、ハーフタイムまであと10数分頃からほとんど聞こえなくなりました。それに代わり、「ニッポン・チャチャチャ!」の大声援がスタジアム全体に響き渡り、スタンドが揺れるほど。これほど大音量の声が選手にも届かないはずがありません。間違いなく、大きな勇気を得たのではないでしょうか。

 

スタジアムを出て最寄りの愛野駅(東海道線)に向かっているとき、後ろで花火の音が。JAPANの勝利を祝福するかのように花火が上がりました。「いやー、ラグビーって面白いなぁ」と思った客もいっぱいいたにちがいありません。もちろん、テレビやPV(パブリックビューイング)で楽しんだ人も同様。願わくは、こうしたことがきっかけになってラグビーファン、さらには競技人口も増えてほしいものです。一瞬で消えてしまう花火のようにではなく……。

 

現時点で予選プールB組のトップに立ったJAPAN。ただ、これで決勝トーナメント進出が決まったわけではありません。帰りの新幹線、喫煙ブースで一緒になったアイルランドサポーターに「どうだった、今日のゲームは。これでJAPANは1位通過だよね」と話しかけられました。「でも、ひょっとしてスコットランドにやられる心配もあるよ」と答えると、「大丈夫、大丈夫。オレたちと一緒に決勝トーナメントに行こうぜ!」と励まされました。ただ、ラグビーは番狂わせが少ないスポーツですから、アイルランドに完敗したとはいえ世界ランキングでは日本より上のスコットランドが逆襲してくる可能性は十分あります。それに、今日の試合でアイルランドがボーナスポイントを1確保したことで、プール戦の最終順位がどうなるかも気がかりですし。

“日本ラグビーの父”のお墓は神戸に

2019年9月27日
今回のラグビー観戦取材「第一シリーズ」も明日で最後。今日はオフの日です。明日の朝まで神戸なので、ゆっくりもできたのですが、一つ果たしたいことがありました。六甲山の中腹、再度【ふたたび】公園の一角にある神戸市立外国人墓地に、ラグビーを日本に伝えたイギリス人の墓があると知り、そこを訪れてみたいと思っていたのです。

エドワード・ブラムウェル・クラーク(Edward Bramwell Clarke)は、横浜生まれのイギリス人英語教師で、慶應義塾、第一高等学校、東京高等師範学校、第三高等学校、京都帝国大学などで教鞭をとりました。いったんイギリスに戻りましたが再び来日、慶應で教壇に立っていた1899年、ケンブリッジ大学留学から戻った田中銀之助の協力を得ながら、学生たちにラグビーを指導したことから、「日本ラグビーの父」とされています。その後クラークは京都に移りましたが、有馬温泉にも足を運ぶなど、神戸との縁も深かったようです。

再度公園の一帯は多くの松が生え、中にある池とあいまって、美しい空間を作っています。墓地の入口まで歩いていったのですが、残念ながら親族や遺族など関係者しか中には入れないようで、展望台からながめることしかできず。14ヘクタール広大な墓地のどこにクラークが眠っているのか、想像するしかありませんが、見つけるのは難しそうです。とりあえず、タウン誌『月刊 神戸っ子』のウェブサイトに墓石の写真が出ていたので、転載させていただきますが、毎月一度見学会が催されているようなので、いずれそれに参加してみようと思います。

 

六甲山から再び神戸の街中に下り、夕食。横浜のときにならい、元町近くの南京町でまたまた中華。ひいきにしている「民生」という店でお腹いっぱいに。これだけ食べてパワーをつけておけば、あすのJAPANvsアイルランド戦@エコパスタジアムの応援にも力が入るはずです。

 

イングランドvsアメリカの“親子”対決

2019年9月26日
仙台から伊丹のフライトが1時間遅れ。伊丹空港で乗客がナイフを持ち込んだとかで所持品検査のやり直しがあり、欠航した便もあったという中、とりあえず、飛んでよかったです。前橋上空で雲の上から頭だけ出した富士山が。どこをどう切り取っても、美しいですね。

伊丹からリムジンバスで神戸の三宮。「このバスは法定速度で運転してまいります」の“宣言”どおり、最初から最後まで、みごとな順法運転ぶり。ただ、客にとってはもどかしい感じもします。今日のように、フライトが予定より大幅遅れの場合はとくに。

ホテルを出て三宮駅から続くSOGOデパート地下で観戦時の食料を確保。昨日から、食べ物の持ち込みが認められたのです。地下鉄で5つ目の御崎公園で降り、そこから15分ほど歩くとノエビアスタジアムに。今日はイングランドvsアメリカ。旧宗主国と旧植民地の対決です。その図式はラグビーにもそっくり当てはまり、実力の差は歴然。アメリカではなぜか、サッカーもラグビーもあまり広まらなかったようです。その代わりが野球とアメリカンフットボールなのですが、それでも近年はサッカー、そしてラグビーのプロ化が始まりました。

ただ、それはそれとして、予選を突破して本大会に出てくるくらいですから、そこそこの力は備えています。しかし、この日はまるで覇気がないというか、ノーサイド間際までまったくいいところなし。最後にようやく1本トライを返し、意地を見せたものの、ちょっと……という印象は拭えません。

それより、ラグビーというスポーツの第一原則である「品位」を感じさせたのがイングランドのプレー。45対0というワンサイドゲームですから、終了間際にキープしたボールをサイドラインの外に蹴り出せばよかったのですが、さらに攻撃を続けたのです。しかし、それがアダとなり、アメリカにボールを奪われ、最後にトライを許してしまいました。レフェリーのホイッスルが鳴るまでゲームはやめないという、ラグビーの基本精神がそこにはあらわれていたように思います。

 

釜石は、絶好のラグビー日和!

2019年9月25日

朝から真っ青な空が広がっています。W杯の観戦も、今日で4戦目。フィジー vsウルグアイです。仙台で東北新幹線の各駅停車に乗り北上【きたかみ】まで小1時間、そこから釜石までバスでさらに1時間20分ほど走ります。できてまだ間もない三陸道を走り、バスの駐車場に。そこから鵜住居【うのすまい】復興スタジアムまでは歩いて15分。土の道なので、晴れてホントよかったです。

スタジアムのまわりには、みごとなほど何もありません。この一帯は、8年前の大震災+津波で何もかも流されてしまったからです。小高い丘のふもとに、すぐにそれとわかる建物が見えます。スタジアムというより、球技場の言葉のほうがふさわしい感じ。それでも、仮設スタンドを含めると1万6千人、本体だけなら6千人収容とのこと。大型映像装置も2台ついていて、フラストレーションなく観戦することができます。陸上競技用のトラックがない、ラグビー(もしくはサッカー)専用なので、最前列など、ほとんど手が届きそうな感じで観戦できますし、最上段でも、とても近くに感じます。

2011年のW杯、ニュージーランドのファンガレイ(Whangarei)でおこなわれたJAPAN vsトンガ戦(18対31で負け)を思い出しました。オークランドからバスで2時間半、途中目にしたのは羊だけと言ってもいいほど田舎にある町で、スタジアムは仮設スタンドも含め2万人収容。このときもやはり土の道を歩いていきました。でも、大きくて立派なスタジアムとはまた違う、素朴な雰囲気がいいのです。

スタンドのまわりに並ぶ売店もそれぞれ個性的。飲み物はどこも共通ですが、食べ物は東北各地のローカルなメニューを販売しています。売り手も、岩手県人ならではのほのぼのとした優しさがいっぱい。軽く言葉を交わしながら好みの物を買い、温かな日の光とさわやかな風が頬をなでる中、ベンチや芝生の上に座り込んで飲んだり食べたりしながらキックオフを待つファンがいっぱいいました。コンクリートで作られた、いかにもといった感じの都市型スタジアムとはまったく違う味わいがあります。

かつて、新日鉄釜石が日本選手権7連覇を達成した時代、釜石とその周辺に暮らす人たちにとってはラグビーが日常だったはず。シーズンともなれば、昼も夜もラグビーの話で盛り上がっていたにちがいありません。いまで言うと、サッカーJリーグ、バスケットボールBリーグのチームがある地方都市も同じような雰囲気があるのでしょう。そうした意味では先駆者ともいえる釜石。そうした頃の名残かもしれません。

両国国歌の演奏の前に、東日本大震災で亡くなった方々の冥福を祈り、黙とうをささげました。また、空にはブルーインパルスが編隊飛行で祝福します。

試合は、スコッド31人中9人がアマチュアで、世界ランキングも19位という格下のウルグアイが、W杯では毎回健闘し、いまもランキング10位のフィジーを相手に堂々と渡り合い、最後は30対27で勝利。メインスタンドに陣取っていた100人近いウルグアイ人サポーターを喜ばせました。私たちが観戦したバックスタンドにも3人の熱いサポーターがおり、大きな声を張り上げていたのが印象に残ります。帰りも順調で、スタジアムから北上の駅まで渋滞もなく到着。茜色に彩られた西の空がきれいでした。

ラグビーとおはぎの不思議な関係

2019年9月24日

まずは今夜の結果から。ロシアvsサモア。日本と同じプールの対戦ですが、サモアが地力を発揮しロシアを圧倒、34対9。ボーナスポイントも獲得し、現時点でプールAのトップに立ちました。

さて、今日は移動日です。明日午後のフィジーvsウルグアイ戦がおこなわれる釜石まで東京から当日行くのはいささかきついので、仙台で前泊する計画を立てました。とはいっても、「事のついでに」が大好きな私なので、そこにいくつか“おまけ”をつけずにいられません。

今回の“おまけ”は、仙台から車で30分ほどのところにある秋保温泉のスーパーが製造販売しているおはぎ、そして八木橋動物公園。おはぎは家人がたまたま見ていた番組で紹介されていたもの。秋保温泉の一角にあるスーパー「主婦の店さいち」で売られていて、毎日、朝から行列をして買う客が絶えないというのです。駅でレンタカーを借り、行ってみました。

平屋建ての、さして大きくもないスーパーなのに、駐車場が3カ所もあり、しかも警備員までいます。そこへ次から次へ車が入ってきて一目散に店の中に。もちろん、食料品や生活用品を買いに来る客もいるようですが、3分の2はおはぎ買いの客。狭い売り場の一角に並べられているのですが、どの客も5パック、10パックとバスケットに入れていきます。話を聞いていると、自分たち用に隣人やお客さん用などを一緒に買っているようです。

あずき、きなこ、ごまの3種類があり、それぞれ2個入り・3個入り・6個入りのパックになっています。もちろん、2種混合、3種混合も用意されています。どれも1個100円ですから、3個入りを5箱買っても1500円。安いものです。それでいて、一つの大きさは縦7センチ、横5センチほど。

あずきときなこ、2個入りを1パックずつ買いました。正直、3種すべてほしかったのですが、いくらなんでも私と家人の2人で6個は食べきれなさそうなので自重。しかし、これがもう、とんでもないあんこの量(もち米は全体のボリュームの2割ほどでしょうか)。子どものころ食べたぼた餅を思い出させます。あずきの自然な甘さが前面に出てきて、とてもいい感じ。生まれて初めての超弩級のおいしさに感動しました。文字どおりの“スーパーおはぎ”です。

 

ラグビーのJAPAN代表チームも、ロシア戦が始まる4時間前に食べる「マッチミール」でおはぎを食べたといいます。「……用意されるのは、あんこのおはぎ。今季から選手の要望を受け、エネルギー源となり、腹持ちが良い逸品がビュッフェに並ぶようになった。あんこの材料になる小豆は、邪気を払う縁起物ともされる」(日刊スポーツ)。“ONE TEAM”を合言葉に今大会に臨んでいる選手たちのきずなの一つがおはぎだったとは! 私たちもそれに続いたというわけです(笑)。

大会前、宮崎で合宿していた選手たちに、ラグビーW杯2019のPRキャプテンを務める舘ひろしが、石原軍団御用達というサザエ食品のおはぎ500個を差し入れしたという記事も出ていました。ちなみに、舘ひろしは私より1学年上で、名古屋の千種【ちくさ】高校ラグビー部。私が明和高校ラグビー部にいたとき一度だけ試合をしたことがあります(もちろん、当時は彼の存在など知る由もありませんでしたが)。その当時は明和高校のほうが強かったので勝ちましたが、その後(1999年、2002年)千種高校は花園に出るくらい強くなりました。

もう一つちなみに、サザエ食品の十勝おはぎ(同社の発祥は函館)は、これまで私がいちばんひいきにしていたもの。いまからもう40年近く前、初めて口にしたときは「世の中に、これほどうまいおはぎがあったとは!」と仰天しました。しかし、今日食べた「主婦の店さいち」には一歩及ばない感じがします。

アイルランドは強い、しぶとい、怖い!

2019年9月23日
21日のニュージーランドvs南ア戦の試合終了時間が遅く、翌22日の試合も同じ横浜、キックオフが16時45分と早めだったので、スタジアムから歩くだけで済む新横浜駅上のホテルに泊まりました。同じような考えのファンも多かったようで、ホテル内はそれっぽい人が目立ちます。

キックオフまで時間に余裕があるので、中華街でランチでもと思い出かけてみました。多少予想はしていましたが、まあ大変な人出です。それも通常の土日と違い、外国人のグループがそこここに。メインの通りは朝の丸の内地下通路状態でした。W杯開催期間中に国慶節(10月1日)と双十節(10月10日)という二つの休日があるので、その日はおちおち歩いてなどいられないのではないでしょうか。

 

22日はアイルランドvsスコットランド。予選で日本と同じプールの強豪です。日本が決勝トーナメントに進むには、できれば両国とも、最悪でもどちらかに勝つ必要があります。前回大会で、南アに勝ったあと、中4日で戦って負けたスコットランドは何がなんでも蹴落としたいので、この試合はできればアイルランドに勝ってほしい、それもボーナスポイントなしで、というのが正直な気持ちです。

試合前の国歌演奏では両国とも国歌(National anthem)とは異なる歌(Anthem)を歌っていました。スコットランドは独立国ではないので、これはよくわかります。でも、アイルランドは普通の独立国ではないかと誰もが思うことでしょう。しかしラグビーの世界では、そのアイルランドに加え北アイルランド(こちらはイギリスに属している)も加えた形でチームが構成されているのです。そのため、選手たちの国籍は最少でも2つ(外国人や移民も加えればそれ以上の可能性もあります)で、「(アイルランドの)国歌」を歌うわけにはいきません。そこで、1995年のW杯からは、ラグビー用に作られた「アイルランズ・コール(Ireland’s Call)」を歌っています。ちなみに、スコットランドは「フラワー・オブ・スコットランド」という曲です。能書きより、実際に聞いたほうがその素晴らしさがわかります。日本人が聴いても、勇気をかきたてられそうになる曲調にシビレますよ。これもYoutubeでどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=pH5I2Y4BBjw

国歌だけでなく、国旗もアイルランドは2つ(1つはアイルランド=緑+白+橙、もう一つはイギリスに属する北アイルランド=アルスターの旗)。スコットランドも当然ユニオンジャックではなく、紺地に白の斜め十字です。

 

 

そもそもラグビーでは「イギリス」から4つもの「国」が出ているのですね。イギリスはUK(United Kingdom)というように、正式な国名はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国です。そのグレートブリテンもイングランド、スコットランド、ウェールズという3つの「国」から成っています。そのどれもが出場するのですから不思議というか不公平というか。オリンピックや世界陸上は「イギリス」なのですが。サッカーはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの「国」があり、アイルランドは本来のアイルランドとして出ています。

試合のほうは、現在世界ランキング1位のアイルランドの一方的な勝利でした(27対3)。オールブラックスのような派手さはありません。スタープレーヤーもほんの数えるほどです。しかし、鉄壁のディフェンスは相変わらず。相手のスコットランドとは何度も
戦っているので手の内は十分わかっているのでしょうが、それにしても、スコットランドのいいところを完璧に封じ、ノートライに抑えました。

 

しかも、アイルランドが前半あげた3つのトライはすべてフォワードによるもの。“トライはバックス”というのが半ば常識ですが、フォワードが文字どおり「前へ前へ」と突き進むので、チャンスをつかむのもフォワードの選手なのです。この試合ではバックスが、これまた文字どおり後方で強力な防御を見せていました。タックルの成功率は95%と、新聞のスポーツ欄にありましたが、これはもう驚異の数字です。その昔私は「アタックル」という言葉を教えられました。タックルは防御のためだけではなく、それを起点にアタックに転じていくのが本当のタックルなのだという意味です。

後半4つ目のトライを奪いボーナスポイントも獲得。私たちの願いはかないませんでした。そして、この強くてしぶといアイルランドとJAPANは28日に戦うのです。でも、負けてもともとという開き直りと、相手を混乱させるような変幻自在、それでいて緻密な攻撃を仕掛ければ活路が開けるかもしれません。最悪でも7点差以内に抑えボーナスポイントを獲得してほしいものです。怖がったりしてはいけないのです。

中華街でもスタジアムでも、この日は緑のジャージを着たアイルランド・サポーターの姿が目立ちました。私たちの席の後ろにも数十人のグループが陣取っていましたし、大きな声を上げ、試合前とハーフタイムのときは巨大な国旗を持ったサポーターがスタンドを走るなどという光景も(サッカーではよくありますよね)。世界一の大酒飲みとも言われるアイルランド人ですから、試合後は横浜の随所で“緑の雄たけび”が聞かれたのではないでしょうか。

ラグビーは球技である前に格闘技

2019年9月21日
今日はニュージーランド(オールブラックス)vs南アフリカ(スプリングボックス)。AからDまで4つある予選プールの対戦の中でも最高レベルで、なんだかもったいない感じすらします。6万数千人収容の横浜スタジアムにふさわしい試合と言えるでしょう。もう一度この両国の対戦があるとすれば、決勝か3位決定戦しかないので、絶対に見逃せません。

というわけで、私たちもキックオフの3時間以上前には新横浜駅に着いていました。駅構内はもう大変な人。おそらく全国、いな世界中から来ているのではないかという気がします。スタジアムの前でのんびり写真など撮っていては申し訳ないという思いすら抱きました。遠くからわざわざやってきている南アのサポーターならともかく、私たちなど、こんな試合が日本で観られるだけで大満足、どちらが勝ってもいいやくらいにしか思っていないのですから。

 

ニュージーランドのラグビーといえば、もう「ハカ」です。「ハカ」とはもともと、先住民であるマオリ族の男性が、戦いの前におこなう踊り、手や腕を叩き足を踏み鳴らすなどしながら、自分たちの力を誇示するとともに、相手を威嚇するためのものでした。ラグビーでは1905年、ニュージーランドチームがイギリスに遠征したとき、スコットランド戦とウエールズ戦の前に披露したのが始まりとされています。以来、オールブラックスがテストマッチ(国際試合)を戦うときはかならず、キックオフの前に相手チームにハカを披露する習慣になっています。

 

写真では限界があるので、Youtubeでどうぞ。
https://twitter.com/i/status/1175346576753143808

19時45分過ぎキックオフ。世界ランクがほぼ最高の両国ですから、一瞬たりとも気が抜けません。ちょっと(時間にして数秒)よそ見していると、その間に攻守も場所もすっかり入れ替わっているなどということもしばしば。それも、ボールを蹴り込んでとかではなく、持って運んで、敵のタックルをくぐり抜けたりかわしたりしての結果です。

ラグビーの面白さも、そうした部分にあります。球技であると同時に格闘技でもあるのです。見ていて体に力が入ってしまうのはそのせいでしょう。今日の試合でも、身長2メートル・体重100キロという男どうしが走りながらぶつかり合う場面がありました。私たちの席が前から5列目だったのでそれを目【ま】の当たりにしました。肉と骨とが同時に音を立てるとでもいうのでしょうか。

そうしたシーンが前後半合わせて80分続くのですから、やるほうはもちろん見るほうも疲れるのは致し方ありません。それでも、今日の試合は日本がからんでいなかったので、まだいいほう。とりあえず、これほどレベルの高いゲームを見せてもらえる喜びと感謝でいっぱいです。

その繰り返しの上に、相手から一つでも多くの「トライ」を奪い取るのがラグビーです。トライとは、ボールを相手のゴールライン(ポールが立つライン)を越えた先で、ほんの一瞬でもかまわないので、地面につける(グラウンディング)こと。ただし、地面とボールとの間に1センチでも隙間が空いていたら「トライ」になりません。相手ゴールラインの上で敵味方が壮烈にもみ合うのは、なんとかラインの向こうにグラウンディングするか、それを阻止するか、ぎりぎりの攻防が展開されるからです。球技といっても、私たちの目に見えるのは格闘技なのです。

最後にグラウンディングするのは1人ですが、そこに至るまでにどれほどの選手が関わっているか。緒戦のロシア戦で3本のトライを決めた松島幸太朗選手。試合終了後のインタビューでも、「皆でつないで取れたので、ワンチームでできた」とコメントしていましたが、そうしたことが背景にあります。団体競技はスター選手が一人だけいても勝てないと言われますが、ラグビーはその度合いが圧倒的に高いと言えるでしょう。

さて、試合はオールブラックスが力を発揮し、23対13で南アをくだしました。Player of the Match(いうならば最高殊勲選手)には、オールブラックスの、この日15番(フルバック)を務めたボーデン・バレットが選ばれました。上の写真で、ボールを持って走っている選手です。

まずはロシアに勝てて、ほんとよかった!

2019年9月20日
自分のことでもなんでもないのに、今日は朝からソワソワ落ち着きません。ラグビーW杯の開幕、しかもJAPANの登場ですから、まあ仕方ないかも。持っていくものをリュックに入れるのですが、忘れ物がないかドキドキ。まるで小学生の遠足みたいです(笑)。

 

 

 

 

キックオフは夜7時45分ですが、1時半には家を出て、途中、新宿にある「MEGA SHOP(W杯の公式グッズ販売店)」に立ち寄りました。巨大なウェッブ・エリス・カップ(もちろん模型)が飾ってあり、その前で記念撮影などしてテンションもアップ。あいにくいちばんほしかった物は見つかりませんでしたが、小物を少々買いました。たいした量でもないのに、立派な手提げ袋に入れてくれます。お客は世界中から詰めかけていましたね。近くのデパートで食べ物を買い、京王線で一路飛田給【とびたきゅう】駅まで。まだ、時間が早かったのでそれほど混んでもおらず助かりました。

 

駅からスタジアムまでの道も楽に歩け、荷物検査も難なくパス。食べ物・飲み物はアウトという触れ込みだったのですが、「MEGA SHOP」の買い物袋にさりげなく入れておいたら見つからずに済み、ホッ。食べ物・飲み物の持ち込みを禁じているのは、スタジアム内の“オフィシャルフードショップ”で買いなさいということなのですが、オフィシャルスポンサーとはいえHEINEKENのビールが1杯1000円はないんじゃないかなぁ……。当日プログラムも1部1500円。前々回のニュージーランドでは日本円で800円ほどでしたけどね。でも、買いましたよ。

オープニングセレモニーは光と音による構成で、たいそう凝った内容。ただ、いつも思うのですが、いささか「日本」にこだわり過ぎの感がします。富士山は、大会のシンボルマークにもなっているのでいいかなと思いますが、歌舞伎や太鼓はどうなんでしょう。

   

試合は最終的に30対10で勝ちはしましたが、最初の数分は、「おいおい、大丈夫かよ」と言いたくなるようなプレーばかり。地に足がついていないだけでなく、ボールも手につかず、早々に先制されてしまいました。ただ、それで少しは目が覚めたのでしょう、以後はJAPANらしさを発揮し、4トライ。1試合でトライの数が4を越えるとボーナスポイントといって、勝ち点に「1点」が上乗せされるのですが、これが大きいのです。前回の大会、予選プールでかの対南アフリカ戦も含め3勝したのに、決勝トーナメントに進めなかったのは、勝ち点が南アフリカ、スコットランドに及ばなかったため。JAPANはボーナスポイントがゼロだったのです。

今日の試合は、ハットトリックをやってのけた松島幸太朗に尽きます。JAPANとしてはW杯初の快挙ですから。まあ、何はともあれ、緒戦に勝てたので、このあと大会全体の盛り上がりも期待できるのではないでしょうか。

明日21日は予選プールでは一番の好カード、ニュージーランドvs南アフリカ戦です。

JAPANが本当に強くなるには……

2019年9月19日
たしかに、JAPANのラグビーは強くなりました。とくに、ここ5、6年の進歩には目を見張ります。その要因はさまざま考えられますが、やはり外国人選手の存在が大きいのではないでしょうか。今大会もチーム31人のほぼ半数、15人が外国人です。内訳はニュージーランドが5人、トンガが4人、南アフリカが3人、サモアと韓国、オーストラリアが1人ずつ。なかには日本国籍の選手もいますが、容貌ははっきりそれとわかります。ちなみに、松島幸太朗はいわゆるハーフです。

スポーツで外国人選手といえば、まずはプロ野球でしょう。太平洋戦争前の1リーグ時代から、チームの中核を担い素晴らしい実績を残した選手がいました。ただし、外国人といっても、ハワイやカリフォルニアに移民した日本人の2世、あるいは当時日本の統治下にあった台湾の選手が多かったようです。容貌も外国人というのはハリスだけでした。

ただ、日本のスポーツ界というのは“純血主義”とでもいうのか、その容貌から外国人と分かると一歩距離を置いて見るところがあるようです。その壁を破ったのがJリーグで、1993年にスタートすると、そうした風習は一気に消滅していきます。いまでは大相撲を始め、Bリーグ(バスケットボール)、Vリーグ(バレーボール)、柔道、駅伝など、プロ、アマを問わず、いたるところで、さらに近ごろは高校レベルでも、「留学生」の外国人選手がけっこういます。テニス全米オープンで優勝した大坂ナオミ、NBAでドラフト1位指名された八村塁もハーフですし。

そうした点からすると、いま外国人(の血)がなければ成り立たないのでは? と思われるのが陸上競技とバスケットボールでしょう。とくに陸上短距離は、黒人独特のバネがものを言っているようです。サニブラウン・ハキーム、ケンブリッジ飛鳥、ウォルシュ・ジュリアンなど、国籍は日本でも容貌は外国人(ないしはハーフ)。その外国人と伍して山縣や桐生、小池が走っているのを見ると「立派!」などと思ってしまったりします。

前置きが長くなりましたが、スポーツもいまや「◎国人」とか「?国出身」とか「△国籍」といった壁がどんどん風化しているようです。これだけ多くの日本人が海外に留学・転勤(もちろん、逆もアリ)したりしているのですから当然かもしれません。ラグビーでもそれは同じこと。むしろ、体が大きく技量にもすぐれた彼らがいたおかげで日本のラグビーも大いに力をつけていったのです。

日本のラグビーは外国人が代表に選ばれたのも早かったのです。1987年の第1回W杯のとき(シナリ・)ラトゥとノフォムリの2人が名を連ねていますから。外国人はフィジカルが日本人より数段上だから勝てなくても当たり前という声をよく聞きます。でも、ラグビーについて言うならそれは違うのではないかと、私は思っています。たとえばニュージーランドの選手は、子どものときからラグビーに親しんでいます。しかし、それ以上に強く影響していると思うのは、芝生のグラウンドが数え切れないほどあることでしょう。ラグビーに欠かせないタックル。これは非常に怖い技です。ケガをするのは当たり前というか、かなりの勇気がなければ、全力疾走している相手選手の足もとや腰のまわりに飛び込むなど、できないことです。ケガをしないほうが不思議です。

でも、グラウンドが100%芝で覆われていればどうでしょう。そのリスクは大幅に下がります。衝撃や衝突を恐れない感覚をそれこそ3歳、4歳の頃から身に着ければ、これは有利です。私など高校時代は、ラグビーは土の上でやるものだと思い込んでいました。試合用のグラウンドですら、芝生の「シ」の字もありません。まして、学校のグラウンドは土、そして石、砂利です。その上で「飛び込め~っ!」「倒せ~っ!」と言われても……。

ある日、テレビでニュージーランドやオーストラリアの公園に芝がふんだんい植えられているのを知ったときは、驚きました。しかも「Keep off the grass」などという表示はどこにも見当たりません。「芝生に立ち入らないでください」というのが普通の日本とは真逆です。日常生活の中で、芝生に足を踏み入れる、ましてその上を走り回ったりするなど、とんでもないことと教えられてきたのが私たち日本人。それからすると、ニュージーランドのラグビーが世界一なのは、むしろ当たり前なのかもしれません。フィジカルの前に皮膚感覚そのものが違うのです。ニュージーランドではどこもかしこも、裸足で歩いている男性をよく見かけましたが、そうしたことと関係しているのかもしれません。

私の高校時代、日本代表がニュージーランドに遠征したことがあります。
FWの後川、猿田、堀越、小笠原、井沢、石塚、HBの桂口、BKの横井、尾崎、伊藤、萬谷と、選手の名前がいまでもすらすら出てきますが、その中にいたのが坂田好弘。坂田がオールブラックス・ジュニア相手に4トライをあげて勝ったときは仰天しました。その坂田が「(日本は)ラグビーができる場があまりに少ない」と嘆いているように、強くなるにはそれが一番の近道なのではないかと思います。そうでないと今回W杯が終わったあと、芝生の練習場も競技人口も増えないでしょう。それは、JAPANが強くなるのにまだまだ大変な時間がかかることを意味しています。

まずは頭、次に感性……、そして体全体も。

2019年9月17日

昨日は夜6時から12時近くまでテレビ漬けになってしまいました。第1回の1987(昭和62)年、1991年、1995年のラグビーW杯決勝戦をJスポーツでやっていたからです。第1回大会のメインスポンサーは日本のKDDだったようで、そういえばバブル経済のほぼピークのときだったんだと思い起こしました。スタンドのそこかしこに「富士通」「横河電機」「ワールド」「マツダ」など、日本企業の看板がいくつも見えます。

決勝は地元ニュージーランドvs フランスの対戦でしたが、いまからすると考えられないというか、牧歌的な雰囲気が。試合前のセレモニーも、フランスの選手は、自国の国歌が演奏されているというのに、じっと聞き入るでも声を出して歌うでもなく、円陣を組んだりしています。さすが地元(オークランドのイーデンパーク)の観客はニュージーランド国歌を歌っていましたが、いまのように英語の歌詞に先行するマオリ(先住民)語の部分はなかったことを知りました。

両チームとも、ジャージは襟付き(なかには長袖の選手も)、使用球はおなじみのGILBERTではなくMITRE(イギリスの老舗ブランド)、ルールもいまとはかなり違っており、私のようなオールドファンにとってはかえってなつかしい感じがします。プロ化されていない時代なので、選手も警察官であったり木工職人であったり医者であったり学校の先生であったりなど多種多様。長くアマチュアリズムにこだわり続けていたラグビーらしい話です。企業のロゴが入っていないジャージはすっきりしていますね。

 

 

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 ©Rugby Wrap Up

 

優勝したのはニュージーランド=オールブラックスでしたが、表彰式はスタンドのロイヤルボックス近く。狭い通路に選手がグラウンドから次々と上がってきて、なんとも気軽な雰囲気の中でウェブ・エリスカップとメダルを授与されます。選手たちは満面に喜びをあらわし、カップを高く掲げていました。グラウンドには興奮した観客が降りてきて拍手したり旗を振ったりしながら大騒ぎ。いまなら考えられないようなシーンです。

私が初めてW杯を観た第2回(1991年)もさほど大差はありません。たまたまイギリスに出張していて、ホテルで朝食を取りながら読んでいた新聞で開催を知りました。「おー、今日カーディフ(ウェールズ)で試合があるじゃないか!」。アポイントメントもなかったので、電車で2時間かけて現地まで行き、当日券を買って入った記憶があります。有名なアームズパーク(その後取り壊されいまはもうない!)のスタンドは空席がけっこう目につきましたし、私の席もほぼハーフウェーラインの位置で前から15、6列目くらい。たしか、日本円で5000円もしなかったのではないでしょうか。

しかし、テレビを観ているうちにまず頭が、次に感性が“ラグビー”に支配されていきます。そして最後は全身が支配されていました。イスにすわりながらも、画面で繰り広げられるプレーに反応し、手や足が勝手に動いてしまうのです。私など高校時代3年間と大学に入って半年ほどしかプレーしていませんが、それでもこの始末ですから、やはりラグビーには強烈な魔力があるとしか言いようがありません。

余談ですが、第3回の決勝には、現在JAPANのヘッドコーチを務めるジェイミー・ジョセフ(当時27歳)がフォワード3列の一人として出場していました。

さてさて、開幕まであと3日! 眠れない夜がこの先6週間続きそうです。詳しくは、9月20日からスタートするエディットハウスの特設サイトをご覧ください。
http://www.edit-house.jp/

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