まずは頭、次に感性……、そして体全体も。

2019年9月17日

昨日は夜6時から12時近くまでテレビ漬けになってしまいました。第1回の1987(昭和62)年、1991年、1995年のラグビーW杯決勝戦をJスポーツでやっていたからです。第1回大会のメインスポンサーは日本のKDDだったようで、そういえばバブル経済のほぼピークのときだったんだと思い起こしました。スタンドのそこかしこに「富士通」「横河電機」「ワールド」「マツダ」など、日本企業の看板がいくつも見えます。

決勝は地元ニュージーランドvs フランスの対戦でしたが、いまからすると考えられないというか、牧歌的な雰囲気が。試合前のセレモニーも、フランスの選手は、自国の国歌が演奏されているというのに、じっと聞き入るでも声を出して歌うでもなく、円陣を組んだりしています。さすが地元(オークランドのイーデンパーク)の観客はニュージーランド国歌を歌っていましたが、いまのように英語の歌詞に先行するマオリ(先住民)語の部分はなかったことを知りました。

両チームとも、ジャージは襟付き(なかには長袖の選手も)、使用球はおなじみのGILBERTではなくMITRE(イギリスの老舗ブランド)、ルールもいまとはかなり違っており、私のようなオールドファンにとってはかえってなつかしい感じがします。プロ化されていない時代なので、選手も警察官であったり木工職人であったり医者であったり学校の先生であったりなど多種多様。長くアマチュアリズムにこだわり続けていたラグビーらしい話です。企業のロゴが入っていないジャージはすっきりしていますね。

 

 

©Crown Copyright

 

 ©Rugby Wrap Up

 

優勝したのはニュージーランド=オールブラックスでしたが、表彰式はスタンドのロイヤルボックス近く。狭い通路に選手がグラウンドから次々と上がってきて、なんとも気軽な雰囲気の中でウェブ・エリスカップとメダルを授与されます。選手たちは満面に喜びをあらわし、カップを高く掲げていました。グラウンドには興奮した観客が降りてきて拍手したり旗を振ったりしながら大騒ぎ。いまなら考えられないようなシーンです。

私が初めてW杯を観た第2回(1991年)もさほど大差はありません。たまたまイギリスに出張していて、ホテルで朝食を取りながら読んでいた新聞で開催を知りました。「おー、今日カーディフ(ウェールズ)で試合があるじゃないか!」。アポイントメントもなかったので、電車で2時間かけて現地まで行き、当日券を買って入った記憶があります。有名なアームズパーク(その後取り壊されいまはもうない!)のスタンドは空席がけっこう目につきましたし、私の席もほぼハーフウェーラインの位置で前から15、6列目くらい。たしか、日本円で5000円もしなかったのではないでしょうか。

しかし、テレビを観ているうちにまず頭が、次に感性が“ラグビー”に支配されていきます。そして最後は全身が支配されていました。イスにすわりながらも、画面で繰り広げられるプレーに反応し、手や足が勝手に動いてしまうのです。私など高校時代3年間と大学に入って半年ほどしかプレーしていませんが、それでもこの始末ですから、やはりラグビーには強烈な魔力があるとしか言いようがありません。

余談ですが、第3回の決勝には、現在JAPANのヘッドコーチを務めるジェイミー・ジョセフ(当時27歳)がフォワード3列の一人として出場していました。

さてさて、開幕まであと3日! 眠れない夜がこの先6週間続きそうです。詳しくは、9月20日からスタートするエディットハウスの特設サイトをご覧ください。
http://www.edit-house.jp/

 ©sportvilogger.com