投稿者「edit-house」のアーカイブ

藤のない「藤まつり」━━ガックリは食で癒す

●今年のGWは最長10連休もありなのだとか。コロナ禍もなんとなく落ち着きを見せ始めてきた感じもあり、遠出する人が増えているようです。3日目の5月1日はあいにくの雨、気温も冬に逆戻り。ならば人出も少なかろうと身勝手な願いを抱きながら、亀戸天神社に行ってみました。

●ちょうど「藤まつり」のただ中で、境内は薄紫に染まっているのではと期待したのですが、なんと花は99.9%散っていました。ツツジもまだぼちぼちで、まわりはガッカリしている人の姿ばかり。緑一色の藤棚の先に見えるスカイツリーも、心なしかさびしそう。人間、期待度が高いほど、裏切られたときの落ち込み感も増しますが、今日がまさしくそうでした。

●この時期の亀戸天神社のウリは藤なのですから、もう少しサービス精神があってもいいのではとも思うのですが……。ウェブサイトに「明日から3日間がピーク」とか「見頃は過ぎましたが、ツツジがそろそろ」といった告知を入れるとか。祀られている菅原道真も、「東風[こち]吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主[あるじ]なしとて 春な忘れそ 」と詠んでいますよね。

●実は数日前にも、METオペラ今シーズンの新作「ナクソス島のアリアドネ」@新宿ピカデリーでガックリ来ており、これで2イベント連続の不発です。新宿では寿司を食べて癒やしましたが、今日はご当地の名物くず餅。ただ、それだけではいまイチもの足りず、そのあと蕎麦を食べに上野へ向かいます。ここのところフラれ続けていたお店ですが、今日はすんなり入れ、小海老と玉ねぎのかき揚げ蕎麦に大満足。亀戸で思い切り下がったテンションもやっと回復しました。(2022/5/1)

母の母校は国の有形文化財になっていた!

●萩は、10年前に亡くなった母の出身地。高等女学校を出て間もなく、朝鮮半島の北西端、中国と国境を接する新義州[シニジュ]という町に一家で移り住みましたが、終戦後シベリアに抑留された父親(私にとっては祖父)を残し、母親(祖母)、弟(おじ)の3人で帰国したと聞いています。その母が通っていたのが明倫小学校。

●かつて藩校明倫館(1719年創立)があった場所に新築された(1935年)校舎で母は学んだようです。2014年まで使われていましたが、移転にともない旧校舎を修理保存、いまは観光拠点の一つになっています。せっかくなので、ツアー4日目、フリータイムを利用し見に行くことに。その前に、名刹東光寺にある祖父母のお墓参りもしました。

● 明倫小学校は外観からしていかにも由緒ありげ、国の登録有形文化財になっているのも納得です。現存する木造校舎としては日本最大規模だそうで、廊下の長さは90mも。復元教室も残されており、ここで母が6年間学んでいたのかと思うと、ウルウルしてしまいました。

●そういえば、我が母校愛知県立明和高校の「明」も、旧制明倫中学の「明」から採ったもの。その「明倫」は1783年に創立された尾張藩の藩校「明倫堂」に由来しています。どちらもルーツは同じというわけで、それもウルウルにひと役買っていたのかも。ちなみに、「明倫」は孟子の「人倫[じんりん]を明らかにする」という言葉から。それに少しでも近づくためにも、また旅に出ようと決めました━━な〜んて、こじつけですが。(2022/4/23)

知らなかったぁ! タバコにも花が咲くとは!

●ツアー旅行は中日に疲れが出ると言われますが、たしかにたしかに。前日、5時間以上かけて石見銀山を歩いたのですから、当然かもしれません。温泉で多少は癒えたものの、70を過ぎた体にはまだ不足かと。さて、3日目の行程は温泉津[ゆのつ]から山陰線で、赤い石州瓦に見とれながら益田まで。そこからバスで向かった先は4年ぶりの津和野(山口県)。小さな城下町で、50年前「アンノン族」であふれ返って以来半世紀、町ぐるみで観光に力を入れてきたようです。ただ、ホテル・旅館がわずかしかなく、”ついでに観光”の域にとどまっています。


●津和野は画家・安野光雅の生まれ故郷で、21年前にその名を冠した美術館が作られました。白と黒のなまこ壁がなんとも印象的。たまたま展示されていた名作『旅の絵本10オランダ編』の原画に、旅情をかき立てられます。


●昼食後は萩へ移動。こちらは10年ぶりです。萩観光の定番・松陰神社は藤が満開でしたが、それをはるかにしのいでいたのが、宿泊先の庭園。広い敷地に色合い、大小、高低などを配慮した植え分けがなされ、いくら見ていても飽きません。秀逸はタバコの花。葉のほうにはかれこれ50年以上お世話になっていますが、花は初めて。葉っぱの”毒性”とは似つかわしくない可憐さに心を打たれました。

タバコの花──毒性があるとは信じられません
こちらも品種は違うものの、やはりタバコ
これが支那藤


●もう一つは、花びらの大きな藤。支那藤という品種なのだとか。花や草木の手入れをしている女性が、庭園の階段の手すりやイスまで丁寧に拭き清めているところをたまたま目にしました。花だけでなくそれを囲む環境をもないがしろにしない心が、美しさをいっそう引き立てているにちがいありません。(2022/4/22)

昼は世界遺産の銀山、夜は日本遺産の神楽で石見[いわみ]を満喫

●「一畑[いちばた]電鉄」。日本一人口の少ない島根県内を走っている私鉄ですが、初めて乗りました。目的はコンビニに行くため(泊まったホテルが不便な場所だったもので)。JR西日本でさえローカル線の多くが赤字に苦しむ中、大丈夫なのかと心配になりますが、これがけっこう健闘しているようなのです。2両編成の車輌はかつて東急東横線を走っていた中古のよう。朝7時半頃とあって、乗客の9割は高校生でした。


●ツアー2日目のメインは世界遺産の石見銀山。戦国期から江戸中期まで、ここで掘られた銀は世界の主要国で貨幣の原材料になっていたそうです。佐渡の金と同じく鉱山一帯は幕府の天領で、代官所が置かれ、その周囲の町並みがみごとに保存されています。


●ここで採れた銀の積出港が、ツアー2日目の宿泊地・温泉津[ゆのつ]。その当時は北前船の寄港地としても大いに栄えた町ですが、いまは昭和30年代で時計がパタッと止まってしまったような雰囲気で、いまその面影が残っているのはおだやかそうな入江の奥にある港と温泉旅館の並ぶ細い通りだけです。ちなみに、耐火性に富む石見粘土で高温焼成され、硬く割れにくい大きな水甕[がめ]も北前船で全国各地に。それを焼く上がり窯[かま]もみごとでした。


●よくよく考えてみると、この県は「古事記」「日本書紀」に描かれている国生み神話の舞台。それもあってか、文化面での蓄積は並はずれたものがあります。その一つが日本遺産の石見神楽で、今回それをナマで観ることができました。会場は旅館近くにある小さな神社の拝殿とあって、舞いもお囃子[はやし]も目の前で迫力満点でした。小さな私鉄を支えているのも、数百年も続くこうした文化が生活の基底に息づいているからかもしれません。(2022/4/21)

まばゆいばかりの白い灯台に興奮

●日曜日から山陰の旅です。島根県は3年ぶり。朝10時の便なので、9時には羽田がマスト。となると東久留米からではちょいキツく、前泊しました。ピンクムーンの満月を見ながら部屋でゆっくりし、出発当日はいつもどおり5時起き。北アルプスを見ながらひとっ飛びで、昼前には出雲縁結び空港に到着。名物の出雲そばを食べ、大社[おおやしろ]へ。参道にウクライナを思わせる幟[のぼり]が立っていたのには驚きました。


●次に向かったのは鷺浦[さぎうら]地区。出雲大社から車で20分ほどの、日本海に面した小さな小さな漁村で、観光で訪れることはまずありません。しかし今回参加したツアーはなぜかここと温泉津[ゆのつ]が組み込まれており、それが参加した大きな動機。いずれも江戸から明治にかけて、北前船の寄港地としてたいそう栄えた港町なのです。


●鷺浦の集落を歩くと、「塩飽[しわく]屋」という看板を掲げたかつての回船問屋が。「江戸時代後期より明治にかけての船主で塩飽本島(香川県丸亀市)の塩を取り扱い財を成した」と説明されていました。北前船の果たした役割の大きさにいまさらながら感心しました。


●ただ、観光という見地からすると、この日の焦眉は日御碕[ひのみさき]。日本海に突き出た島根半島の先端に立つ白亜の灯台は海面から63.3m、地上から43.65mと、石造の灯台としては日本一の高さで、国の重要文化財にもなっています。この日は素晴らしい青空+おだやかな日本海に見るも鮮やかに映えていました。ツアーでなければ、日の入りの時刻までいたかったのですが、それはかなわず。後ろ髪を引かれる思いで出雲市に戻りました。(2022/4/17)

オランダ大使館のチューリップはまた格別

●日本国内にある外国大使館など、よほどのことでもなければ足を運ぶことはありませんが、昨日、オランダ王国大使館(公邸)に行きました。私にとってはキューバ、インド、ロシアに次いで4カ国目。キューバはビザの申請、インドは舞踊の発表会、ロシアはクリスマス演奏会でしたが、今回のオランダは公邸と庭園の見学です。


●休校日だった小4の孫も連れて行ったのですが、東久留米の駅で電車に乗った瞬間から、持参したメモ帳に鉛筆でしきりと何やら書き込んでいます。何時何分どこどこ行きの電車に乗る、〇〇駅で地下鉄△△線に乗り換える、◇◇駅で降りるとホームの案内板と首っ引き。駅の近くには□□病院、▽▽ホテルがある……。「4月8日 オランダ大使館への旅」と、タイトルまで書いてありました。うーむ、誰に似たのやら(笑)。


●大使館の場所は東京タワーのすぐ近く。門を入ると大使館公邸と広い和風庭園があります。その奥が事務棟(こちらは非公開)なのですが、さすがオランダ、庭園はもちろん、そこかしこにチューリップが。濃紺、紫、オレンジなど色も多彩多様で、見たことのない品種がほとんどです。


●大使館の公開は7年ぶりとのことで、たいそうな数の人が訪れていました。コロナ禍で海外旅行か長らくNGになっているせいもあるのでしょう。かといって、流行りのバーチャルツアーでは物足りないのも事実。私も気持ちを多少なりとも盛り上げようと、オランダ国旗に合わせ青・白・赤を組み合わせた服装で行ったのですが、考えてみるとこれはロシアと同じ! でした。思慮不足の自身を反省、呪詛[じゅそ]することしきり。(2022/4/9)

エジソンが、ゴッホが……。五感への刺激を堪能した一日

●東日本大震災の被災者100余人によるミュージカル上演の本を書くとき取材させていただいた方のお一人と、神田淡路町のイタリアンでランチ会食。7年ぶりの再会で話がはずみ、名物のパスタの写真を撮るのも忘れてしまうほど盛り上がりました。


●でも、この日最大の衝撃は、オーナーのSP盤レコードと蓄音機のコレクションです。店内にさりげなく置かれているのですが、これがなんと、かのエジソンが発明した蓄音機の現物。当時の音源は蠟管[ろうかん]といい、Campbellスープの缶に似た容器に収まっています。1枚ウン十万円はするというSP盤を130年以上前の蓄音機に載せ、かけてくださったのですが、その音の心地よいことといったら。ヴァイオリンソナタも歌謡曲もリアルそのもの、あまりの臨場感に圧倒されました。


●そのあと、すぐ近くにある神保町のギャラリーで開催されている刺繍の作品展へ。ひいきにしている目白の洋服屋さん━━いま風に言うとセレクトショップ━━のオーナーがFBで勧めておられたのですが、その”推し”がなければ足を運ぶこともなかったでしょう。”不要不急”と言われればそれまでですし。


●でも行ってみると、ゴッホの「星月夜」、北斎の「富嶽三十六景」を始めどれも皆、「ここまで……!?」と絶句してしまいそうな精緻さ。離れて見るとワクワク、近づいて見るとドキドキ、とでもいいますか。聴覚と視覚に、強烈な、それでいてすこぶる心地よい刺激を受けた一日となりました。(2022/4/8)

桜は散っても😢、春の本番はこれから

●新年度は、雨と風でスタート。東京は3・4日もずっと降りどおし、しかも真冬並の寒さとあって、拙宅ベランダからの夜桜もジ・エンドとなりそうです。といって、詩ごころとはほとんど無縁の私なんぞは、「あ〜あ、これでおしまいか」でしかありません。でも、そうした情景を目にしたときの心情を三十一文字に託される方もいるのですね。


●夜半さめて  見れば夜半さえ
  しらじらと  桜散りおり
   とどまらざらん
うーん、まさしくそのとおり! 作者の馬場あき子さんは数々の賞に輝いている93歳の歌人。先日のFBで、私が心底尊敬している福岡の出版社主がシェアした「完全保存版 絶対覚えておきたい! 究極の短歌・俳句100選」(3/27NHK-BSプレミアム)の中に紹介されていました。


●こちらは夜桜ではありませんが、散ってしまった桜を惜しむ歌(紀貫之)も。
 桜花 ちりぬる風の なごりには
  水なき空に 浪ぞたちける
なるほど、ですね〜! まるで私の前にそうした場面がリアルタイムで展開しているかのよう。どちらも、「究極」と讃えられるだけのことはあります。


●もちろん、桜が散ってしまったからといって、春が終わるわけではありません。拙宅の近くをさらさらと流れる小川のほとりを歩いてみると━━。小学生が水遊びに興じていましたし、レンゲやスミレはもちろんのこと、これまでその存在すら知らなかった花々も一挙に咲き始めています(それにしても、童謡「春の小川」はやはり名歌!)足湯やSIX PADも体には効きますが、自然の中を歩くのがやっぱり一番ですね。(2022/4/6)

「定番」にもいろいろありますが……

●先週の土曜日、久しぶりに車を走らせました。以前住んでいた豊島区まで行ったついでに、ひいきにしている蕎麦屋さんでランチを。相変わらずの素晴らしい味に舌鼓。以前は、そのあとケーキ屋に寄り、JA(農協)のショップで花や土・肥料などを買って帰るというのが”定番”のコースでした。でも、この日はお花見目的の車で道がけっこう混んでおり、まっすぐ帰ることに。それでも、両サイドから満開の桜の枝が伸びている道を2キロほど走ることができ大満足です。


●「定番」は「おきまり」「ルーティン」ともいいますが、メンタルの安定に欠かせない要素ではないでしょうか。ぐっすり眠るための「就眠儀式」とか、食後の一服とか、人それぞれ違いますが、私の場合、目覚めのコーヒーは欠かせません。


●コロナ禍になってからは、朝食後の足湯(足先の収縮した血管を広げ、血のめぐりをよくする)、夜のSIX PAD(足裏とふくらはぎを鍛える機器)の2つが新たに加わりました。この種の健康器具、以前はハナから無視していたのですが、ここ2年は時間にも余裕があり、家人にすすめられるまま、とりあえずトライしてみました。すると、意外や意外、どれも皆心地よいのです。


●面白いのは、勧めた当人がいまイチ持続しないということ。私のほうが「定番」化し、朝晩きちんと実践しているかたわらで、次の「体にいいこと」探しに打ち込んでいるようです。そっかー。彼女にとってはそれこそが「定番」なのかも。(2022/4/5)

桜だけじゃない! 野辺の花にもリスペクトを

●いま多くの人々の関心は桜、桜、桜。もちろん、私もその一人ではあるのですが、ずーっと上ばかり見ながら歩いていると首が疲れるのではないでしょうか。だからというわけではありませんが、ときおり道端に目をやると、そこにも春が見つかります。ごく小さな草花が、人々の視線などまったく気にもせず、それはそれは懸命に咲いているのです。

●誰かが苗を植えたり、種を蒔いたりしたわけでもなさそう。桜はお日様次第でその魅力が増減しますが、こちらはそんなことを気にしているふうも一切なし、神出鬼没というか、場所は定まらずとも、毎年かならず生きている証を示す強烈な生命力はリスペクトのひと言です。

●アプリで調べてもすぐに忘れてしまうほど地味、あるいはややこしい名前(こちらの記憶力が低下しているせいですが)でも、いちおうつけられてはいます。シャガ、スノーフレーク、コハコベ、ヒナゲシ、ナズナ、ヤハズエンドウ、イモカタバミ、ナカバユキノシタ、オオイヌノフグリ……。そんな中、わーっと集まって咲きよく目立つのがハナニラ。大きさはせいぜい2〜3㎝、色は青、白、ピンクで、星の形をしており、ホント、どこに行ってもよく見かけます。

●取材というのも、誰もが注目する事物や人に加え、この種の小花や、花すら咲かせない草に象徴される些事や雑事に気がつけるかどうかが、全体の構成に影響したりします。その意味では私自身にとっても戒め的な存在となっているのですが、これも考えてみればコロナ禍のおかげ。それまで”花より団子”100%のような人生を送ってきたのが、花に関心が向くようになったのですから。(2022/3/31)

秋田直送のきりたんぽ鍋で満腹、夜桜も満喫

●3月17〜20日、秋田でじっくり温泉につかり、みっちり勉強をする中、老舗の料亭で名物のきりたんぽ鍋を食する機会がありました。たいそうおいしかったので、お世話になっている友人に送ったりしたのですが、ついでに自宅にも。27日の夜、義妹のバースデー会食をすることが決まっていたからです。

●その日の夕方、秋田からクール便が届き、さっそく作りました(といっても、材料を土鍋に放り込んで温めるだけですが)。まあ、そのおいしさといったら! 本場で食べたときより素晴らしかったのにはビックリです。きりたんぽ鍋の最大の魅力は、春の七草の一つセリがふんだんに入っていること。数ある野菜の中でも、根っこまで丸ごと食べるものはそうそうありません。葉や茎より主張の強い味とシャキシャキした歯ざわりはセリならではでしょう。

●1年前はミャンマー、今年はウクライナで、これ以上はないような酷い行為がなされている中、こんなのんきな時間を過ごしていていいのだろうかと、正直、悩ましくてなりません。日本国内でも、人間がすることとは思えない、目を閉じ耳をふさぎたくなるような事件が毎日のように報じられています。でも、だからこそ、平凡な日常に感謝する気持ちにもなれるのではと、自分を納得させるしかなさそうです。

●きりたんぽ鍋に大満足した勢い(?)で2階に上がると、ベランダからなんと夜桜が。図書館の敷地内に一灯だけ━━安全上の理由かと思いますが━━、ひと晩中明かりがついているのです。人混みの中、仲間と飲み食いしながらの夜桜見物も一興ではありますが、一人で静かに楽しむのもまたよしですね。(2022/3/28)

ベランダはお花見特等席!

●このところスマホのカメラが向くのは花ばかり。拙宅前の図書館は公共施設とあって、そこここに花が植えられています。いまは桜、椿、アセビといった樹々から、チューリップ、タンポポ、ハナニラ、ハコベ、エンドウなどの草花まで、文字どおり百花繚乱、何度その前を通っても飽きません。

●4本ある桜は、どれも樹高が10mを超える古木。桜といえばこれまでは地上から見上げるばかりでしたが、昨夏引っ越したおかげで、なんと見下ろせるように。昼も夜も、ベランダに出ると4本いっぺんに見られます。枝ではなく、太い幹に花がついているのを観たのも初めてです。

●ならばと思い、いつもの散歩コース・落合川の遊歩道に出てみると━━。半月ほどご無沙汰している間に、両岸ともこれでもかというくらい花、花、花。それもソメイヨシノにサトザクラにユキヤナギにコブシにアセビ……と多種多彩。これだけ楽しめれば、足に疲れを感じている暇などありません。

●前の家から球根を持ってきたチューリップ。2年目なのでダメでもともとと思っていたのですが、小ぶりでも健気に花を咲かせた姿を見ると、花びらをそーっと撫でてやりたくなります。すぐ隣のアジサイは、始めから植わっていたもの。前の家で植えたものはとうとう一度も花を咲かせませんでしたが、こちらは花芽もしっかりついているようで、今年こそ! です。(2022/3/27)+5件

米、塩、鉄、石、祭、歌……なんでも運んだ北前船━「北前船フォーラム」④

●寒風山[かんぷうざん]のあと「なまはげ館」に立ち寄り、次に訪れたのが秋田市内の「土崎みなと歴史伝承館」。北前船の寄港地の中でもたいそう栄えていた土崎湊[つちざきみなと]の様子を描いたみごとな絵(秋田街道絵巻)が、北前船の縮小模型とともに展示されていました。

石川県七尾市の「青柏祭[せいはくさい]」

●その土崎で毎年夏におこなわれる神明社祭の大きな曳山[ひきやま]は博多祇園山笠そっくり。そういえば、同じく寄港地である石川県七尾市の「青柏祭[せいはくさい]」も巨大な曳山(http://xn--nippon-he4et93veuwd.com/)が登場します。数年前、能登半島の寄港地を取材したとき、祭の映像を見てびっくりしました(すべてユネスコ無形文化遺産)。

●ほかにも、富山県射水[いみず]市、同高岡市伏木[ふしき]、滋賀県長浜市など、形は違っても基本のスタイルは同じという祭りが各地で見られます。元をたどれば京都の祇園祭に行き着くのでしょうが、これにも北前船が関わっているように思えてなりません。

●北前船は物だけでなく、今日まで伝えられる歌や踊り、絵画などの文化・芸術、風俗・習慣まで幅広く、全国各地に伝えていたことを、今回のフォーラムで改めて実感。コロナ禍のまっただ中のイベントでしたが、動けば好奇心はますます刺激され、得られるものも大きそうです。(2022/3/23)

“世界三景”!? の寒風山へ 「北前船フォーラム」③

●”日本三景”は知っていますが、”世界三景”というのがあったとは! その一つ男鹿[おが]半島(秋田市の北)にある寒風山[かんぷうざん]に初めて行きました。フォーラム最終日(20日)のエクスカーション・プログラムにそれを組み込んだコースがあり、迷わず選んだ次第。

●寒風山は標高355mの火山 。1913年、この地を訪れた地理学者・志賀重昂[しげたか]が、グランドキャニオン、フィヨルドに比肩する「世界三景」と絶賛したそうです。山全体が緑の芝生に覆われ、視界をさえぎるものがない頂上からは八郎潟の水田、日本海、晴れた日には鳥海山、白神[しらかみ]山地まで、360度のパノラマが堪能できるとのこと(写真は「男鹿ナビ」webから借用)。残念ながらこの日はみぞれ混じりの天気で、それはかないませんでした。

●山になどさしたる関心のない私ですが、「北前船寄港地フォーラム」に関わったおかげで、寒風山のほかにも、各開催地で名山と、それもごく間近で出会えました。鳥取では伯耆[ほうき]富士=大山、酒田・鶴岡では出羽三山(羽黒山、月山、湯殿[ゆどの]山)、佐渡では金北[きんぽく]山、秋田県にかほ市では鳥海山、青森県深浦町・鯵ヶ沢[あじがさわ]町では岩木山……。もちろん登ったわけではありませんが、見られただけでも貴重な経験です。

●山だけでなく、一生のうちに行ける(見られる)かどうかわからないスポットにも行けました。その意味で「北前船寄港地フォーラム」は、私にとって何ものにも替え難いイベントなのです。その恩を返すには、本を書くしかありません。いよいよ本気で取り組むときが来たと腹をくくり、ガンバリま〜す!(2022/3/22)

次回はパリで開催! 「北前船フォーラム」②

●今日(19日)は午前中、歴史学者・磯田道史さんの講演「秋田藩と北前船」、午後は北前船が運んだ食文化がテーマの講演2題、パネルディスカッションと、学びの一日。こうした場に身を置くと強烈な刺激を受け、早く原稿を書かなくては……との意欲が沸々と湧いてくるのですが、フォーラムを終え日常に戻ると元の木阿弥に(笑)。

●夕方から始まったレセプションでは、五木ひろしさんの新曲「北前船」の発表が。作詞が石原信一さん(森昌子「越冬つばめ」)、作曲も五木さんです。地元紙「秋田魁[さきがけ]新報」でも報じられていましたが、五木さんの出身県福井は北前船との縁が深く、それも強く後押ししたようです。

●もう一つのニュースは、次回(10月)のフォーラム開催地がパリに決まったこと。フランス大使館の文化担当参事官も出席、挨拶をしていました。北前船とパリ━━どんな関係が? 不思議な気がしますが、両者をつなぐのはなんと昆布。日本料理の最大の特徴であるうまみの根源=昆布を蝦夷地(北海道)から京都まで運んでいたのが北前船なのです。

●その昆布がいま、パリのミシュラン三つ星レストラン全店で使われています。フォーラムのコンセプトは、そうしたつながりの中身を追求し、さらに別のつながりを見い出していくことにあるので、パリ開催に至った次第。ぜひ行きたいですね。そういえば、フォーラム前日お世話になった「都わすれ」の女将さんからいただいたキリンのマグカップの包装紙にも「Paris」の文字が。こいつァ〜春から、縁起が……。(2022/3/20)

秋田で温泉+お勉強━「北前船フォーラム」①

●17日から秋田に来ています。目的は、2年1カ月ぶりの開催となった「北前船寄港地フォーラム(第30回)」。16日遅くの地震で東北新幹線がストップし、急遽飛行機に変更したりレンタカーを手配したり。フォーラム前日に大好きな夏瀬温泉「都わすれ」の宿泊を組み込んでいたので必死です(笑)。

●秋田はまだまだ寒く、山の奥にある「都わすれ」ともなると最高気温も4〜5℃。でも、部屋付きの露天風呂が、5〜6人がいっぺんに入れそうな湯舟にリニューアルされており、ついついお湯と戯れてしまいました。

●18日の昼食は、秋田市随一の飲食街・川反[かわばた]の一角にある老舗の料亭「濱乃家」で名物のきりたんぽを。夕方からは前夜祭。コロナ対策のため、これまでのフォーラムと違い飲食は一切なし。それで2時間半という長丁場ですから、運営側もさそがし苦労されたことでしょう。もっとも、そのおかけで山形県の酒田芸者の踊り、秋田民謡、島根県の石見[いわみ]神楽といった、ふだんあまり縁のないエンタテインメントを楽しめました。

●350年前に始まった西回り航路を利用した北前船。帆が一本の和船で大坂(当時)から瀬戸内海、日本海を蝦夷地の松前まで走り抜けたのですが、途中、いくつもの港に立ち寄りました。寄港地以外にも潮待ち、風待ちのために停泊した港を含めるとその数は200近く。船乗りたちも各港で、その土地土地の歌、踊りに触れ、旅の疲れを癒やしたにちがいありません。(2022/3/19)

お・ん・せ・ん、で〜すっ!

およそ1年半ぶりの羽田。行き先はおんせん県を名乗る大分です。2月の末「温泉にいくぞーっ」と思い立ったのが実現しました。念ずれば通ず()。といっても、JALから「マイレージが期限切れになります」とのメールが届いたので決めたのですが。飛行機代ゼロは大きい!

大分は2年半前、ラグビーW杯の観戦で訪れて以来です。今回は湯布院と別府で1泊ずつと決めてあるだけで、あとはフリー。1日目の昨日は、大分空港でからレンタカーで湯布院へ。日曜日だというのに、高速道路はガラガラで、あっという間に到着しました。ところが行ってびっくり、湯布院のメインストリートは竹下通り状態。若い人ばかりで、修学旅行の中学生までいました。

お土産店がびっしり並んでいるのはよしとしても、ソフトクリーム、唐揚げ、コロッケのオンパレードにはげんなり。71歳の老夫婦がくつろげるような場所はありません。考えてみれば、湯布院でもこの一帯に来たのは初めて。もっと落ち着いた温泉地だと思っていたのですが。

●でも、ある店で「日本名物処〇〇屋」という看板を見て気がつきました。そうか、インバウンドが押し寄せるようになってからこうなったんだ!?  もっとも、コロナ禍でそれがストップした店にしてみれば、とりあえずいまを乗り切るのが第一。四の五の言ってはいられません。明日は喧騒から離れ、もう少し落ち着けるスポットを探すことにします。(2022/3/13)

おっさんが仕切っている限り、スポーツ界の将来は……

●スポーツ関連の本2冊を一気読みしました。①『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』と②『消えた球団 1950年の西日本パイレーツ』がそれ。①は大阪の知人NさんがFacebookで紹介していたものです。

●大阪弁では「おばはんvsおばちゃん」「おっさんvsおじちゃん」というたて分けがあり、いずれも前者が✕(蔑称とも、ネガティブとも)のようですが(間違っていたらご教示を)、①はその「おっさん」がハバをきかせている協会に引っ張られた「おばちゃん」=著者・谷口真由美が体験した一部始終を書いたもの。あっけらかんとした書き口ですが、内容はとてもシビア。7年前のW杯で南アを破り、3年前は初のベスト8というでき過ぎの結果に舞い上がってしまった協会と、その関係者に強烈な警鐘を鳴らしています。

●②は、プロ野球がセとパの2リーグに分裂した1950年の1シーズンだけで姿を消した西日本パイレーツ(日本プロ野球史上初の完全試合を食らったチーム)の顚末記。シーズンが終わると、同じセ・リーグの巨人、阪神、中日といった老舗球団のおっさんたちが徒党を組んで、パイレーツを追い出しにかかる醜い様子が、やはり淡々と描かれています。

●ラグビーと野球の違いはあっても、事業としてそれを運営する”おっさん”たちの側に「大義」(Jリーグ、Bリーグを軌道に乗せた川淵三郎の言葉)が欠けていることの悲しさ。70年も時を経ているのに状況がまったく変わっていないのは驚くしかありません。でもその前に、ラグビーの裾野を広げるのが先決ではないかと。全国の小学校校庭の芝生化率がわずか数%(欧米先進国では芝生が当たり前!)では、日本のラグビーは脱皮できないような気がします。(2022/3/5)

毎日花を咲かせるツバキに心がなごみます

●我が家の前は市立の図書館。その庭に植わっているツバキが、いまを盛りと花を開かせています。木ヘンに春と書いて「椿」ですから、当然のことかも。日本原産で『万葉集』にも出てくる椿は、古くから日本人に親しまれてきたようです。もっとも、高尚な歌ごころとはからっきし無縁の私には、都はるみの『アンコ椿は恋の花』(1964年・レコード大賞新人賞)とか、黒澤明監督の映画『椿三十郎』(1962年・三船敏郎主演。仲代達矢や小林桂樹も出ていましたね) くらいしか頭に浮かんできません。ヴェルディのオペラ『椿姫』は観ましたよ。

●椿との接点となると、最近では「椿屋珈琲店」でしょうか。銀座の花椿通りに1号店をオープンしたのが店名の由来なのだとか。このあたりは江戸時代、松江藩の上屋敷があったため出雲町と呼ばれていましたが、1934年、出雲椿(ヤブツバキ)を街路樹として植え花椿通りと呼ばれるようになったそうです。「椿屋」のコーヒーは1杯1000円近く、そうそうは行けません。相手が支払ってくれるのがわかっているときは、打ち合わせ場所に指定させてもらったりしますが(笑)。

●「椿山荘」もありますね。JR目白駅からバスで10分ほど走ったあたりは南北朝時代から椿が自生する景勝地。明治の元勲山縣有朋が、西南戦争の功によって懐にしたお金で別荘地として購入、「椿山荘」と命名したのだとか。そういえば我が家の近くにも「つばき公園」が。フツー過ぎて「?」の感もありますが、いちおう写真を付けておきます。

●でも、私にとっていちばん強く記憶に残る椿は、サラリーマン時代に通い詰めた新宿2丁目のスナック「黒椿」。ずっとグラスを手にし続けもの静かにしているママを相手に(椿の花言葉は「気取らない優しさ」)痛飲していたっけ。店はもうありませんが、ごくたまにその界隈を通ると、いやおうなしに記憶がよみがえってきます。(2022/3/3)

花も団子も温泉も━━ちょっと欲張りが過ぎるかなぁ?

●今週末は24日が家人の誕生日だったこともあり、ケーキやらクッキーやら、甘いもののオンパレード。当日の夜は同居する小学生の孫たちもいるので、無難なメニューでしたが、とうの立った私たちにはいまイチ感が拭えません。というわけで、翌日の昼、もろもろ用事もあって都心まで出たついでに、長らく通っている和食のお店を予約しました。

●大将は私と出身地が同じ。京都で修業したあと上京し、目白にこじんまりした京料理のお店を開きました。この日は全6品+デザート&抹茶から成るランチコース。なかでも、鯛の中落ちを軽く焼いたメインは最高でした。聞けば、この2年間の実質営業時間は通常時の半分以下なのだとか。この日も金曜日だというのに、客は私たち二人だけだそうです😢

●週末は気温が一気に上昇、あちこちで草花が一気に咲き始めました。ウォーキングの途中、ホトケノザやラッパ水仙、ハナニラなど、どれも皆小ぶりながらも、にっこり微笑んでいるかのようです。梅も白と紅がそろい、春はすぐそこ感がありあり。歩くにつれて気持ちも軽くなってきます。

●3月にあと一、二度は寒の戻りもありそうです。でも、それより春到来への期待のほうが上。春は英語で spring ですが、spring には「バネ」という意味も。草花の芽が勢いよく出てくる様がバネに通じるからでしょう。そういえば「泉」も spring だったっけ。そうだ、久しぶりに温泉へ行こう! と思いつき、計画を立てることにしました。(2022/2/27)

書店の「旅行本」コーナーも、コロナ禍で大きく様変わり

●一昨年前半までは毎月のように行っていた吉祥寺。背骨コンディショニングという施術(マッサージの一種)を受けるのが目的でしたが、コロナ禍で閉店となり、すっかり足が遠のいてしまいました。

●いつの頃からかこの街に行ったときは、①Linde でドイツパン ②ブックス・ルーエで本・雑誌 ③スーパー三浦屋で青研のリンゴジュース ④さとうでメンチカツを買って帰るのが定番に。②以外は代替がきかず、吉祥寺に行くしかなかったのです。また、ときおり④さとうの2階(とんでもなく急勾配の階段を昇る)にある直営レストランでステーキのランチを楽しんだりもしていました。

●一昨日、その吉祥寺を今年初めて訪れました。①Lindeのライ麦100%パンは重たくて運ぶのが大変です。ただ、普通の食パンと比べ食物繊維は2倍、糖質の代謝に欠かせないビタミンB1も多く含まれ、血糖値チョイ高めの私にはありがたい限り。③は、原料のリンゴが葉を取り過ぎないように栽培されており、栄養分が豊富。砂糖も香料も無添加なのに、とてもおいしく飲めます。ランチは今回、うな鐡でうな重にしました。安くてうまいのがありがたい!

●ルーエでは旅関係の棚をチェック。このご時世なので、ありきたりのガイドブックが少ない代わり、とんがったテーマの本が目立ちます。そんな中、私自身も長らくお世話になっているTさんが営む書肆侃侃房[しょしかんかんぼう]の本がズラリ並んでいるのがうれしかったですね。本社は福岡、でもローカルにこだわらず、ナショナル、グローバルなテーマの本を意欲的に出版しています。そういえば、福岡もすっかりご無沙汰。なじみにしていた中洲のバーが昨年開店20周年を迎え、お祝いに駆けつけたかったのですが、それもかなわず。うーん、コロナが憎い!(2022/2/23)

東久留米で見つけたアメリカ

●前回の投稿からあっという間に10日以上過ぎてしまいました。週2ペースを心がけているのですが、申し訳ありません。さて、先週の3連休初日は絶好のウォーキング日和。降雪がそれほどでもなかったので道は歩きやすく、しかも好天で風もなし。誰でも考えることは同じようで、けっこう人が歩いていました。

●今回はいつもとコースを変え、まずは黒目川を下り、途中落合川と合流するところ(ここがほぼ埼玉県との境)で方向転換、自宅に向かいます。航空写真地図の下方を流れるのが落合川、上方が黒目川です。落合川より広々とした印象のある黒目川ですが、両岸に整備されている遊歩道はどちらの川もほぼ同じ。

●いまの時期、草花はまだまだなので、視線は自然と上へ。ときおり椿や山茶花、梅が姿を見せてはくれるものの、じっと眺めているというレベルには到達していません。それでも、いちばん多く植わっている桜は、ツボミが少しずつふくらみつつあるようで、これから先が楽しみです。

●そんな中でひときわ背丈の高い木が並んでいるのに遭遇しました。ネットで調べると、モントレー糸杉という名の常緑針葉樹のようで、剪定されていまは素っ裸状態。でも、暖かくなると、一気に葉を繁らせそうです。たまに鉢植えのものも目にしますが、もともとはカリフォルニア州モントレー(映画『エデンの東』、ジャズフェスティバルで有名)の固有種なのだとか。帰り道、いつも前を通るアメリカ(それも西海岸から中西部)っぽいアパートを見たとき、みごとにつながりました。(2022/2/17)

断髪式で鋏を入れさせていただきました

●引退相撲(断髪式)に行くのは2回目です。2年前の豪風[たけかぜ](現押尾川親方)、そして昨日が嘉風[よしかぜ]。ともに現役時代は尾車部屋の所属で、最高位は関脇でした。嘉風は中村親方を襲名し、二所ノ関(元横綱稀勢の里)部屋の所属に。10数年前に尾車親方と出会い、『人生8勝7敗』という本をプロデュース(2013年)したご縁で声をかけていただきました。

●コロナ禍第6波のまっただ中とあって、横綱照ノ富士を筆頭に19人もの関取が感染。横綱の土俵入りはなく、取り組みも大幅カットになってしまいましたが、これはもう致し方ありません。それでも、4千人近くの方が来られ、私も鋏[はさみ]を入れさせていただきたいという願いがかないました。

●嘉風関にとっては、2019年秋の引退後二度も延期を余儀なくされた断髪式。大相撲力士にとって「断髪」は、単に髷[まげ]を切り落とすだけでなく、人生のケジメをつけるという意味があるようです。多くの方に見守られながら第二の人生に向け船出することができ、本当によかったのではないでしょうか。

●「髪」とはとうの昔におさらばしている私はといえば、ここ何年か、家人や同居の孫たちから「断煙」を求められています。決断したら、「断煙式」とか開いてくれるのかなぁ。目の前にタバコをズラリと並べ、1本ずつハサミで切り刻んで……な〜んて想像すると、寿命が縮まってしまいそうです。(2022/2/6)

冬場の河畔は野鳥の天国

●昨年7月末、西武池袋線の東長崎駅から、同線東久留米駅に引っ越してきて半年余り。どちらもアタマに「東」がついているのですが、「長崎」と「久留米」とでは大きく違うのをすぐ感じました。当初は暑さ、そしていまは寒さの違いです。家やマンションが立て込んでいない分、どちらも「久留米」のほうがキツいというか。こちらに長く住んでいる方の話では、夏は+3℃、冬は➖3℃の気温差があるとのこと。

●それにしても、東京都内に長崎、久留米とは。同じ沿線に九州を思わせる駅名があるなんて、不思議に思いませんか? ひょっとしてその昔、長崎や久留米から移り住んできた人の集落でもあったのだろうかと考えたくなります。答えはNO。「長崎」はその一帯を支配していた武士(北条氏の御家人)の苗字から、「久留米」は当地を流れる川の名前=黒目(くろめ)が変化したものだそうです。

●その黒目川に合流するのが我が家の近くを流れる落合川。さすがに冬場は早朝というわけにはいきませんが、暖かい日の昼間は、川の両岸に設けられた遊歩道をウォーキングするようにしています。野鳥の様子を見るのがいまの楽しみ。コガモ、カルガモ、アオサギ、コサギ、シロセキレイなど、冬は20種ほどが棲息しているようです。

●ただ、この季節、花にはなかなかお目にかかれません。伊豆半島の南まで河津桜なんぞ観に行ければいいのですが、コロナ禍でそれもままならず。近所でも梅のつぼみくらいはもうふくらんでいるでしょうから、明日はそれを探しに歩いてみることにします。でも、寒そう。(2022/2/3)

おいしいコーヒーが飲めるお店第二号を発見

●豊島区に暮らしていた昨年の夏までは、わざわざコーヒーを飲みに出たりすることなど、ほとんどありませんでした。ラーメン、蕎麦、中華、寿司、インドカレー、フレンチ、イタリアン、和食などの店が近場にあり、そうしたところにちょくちょく行っていると、カフェや喫茶店に足を運ぶ機会がそもそもなかったのです。”コーヒーは自宅で”というのがすっかり当たり前になっていました。

●いまでも、朝5時過ぎに目を覚まし、まずやるのはコーヒーを立てること。といってもマシンなので、豆を挽くのもボタンを押すだけ。あとは粉をペーパーフィルターに放り込めばOKなので、「立てる」はいささかおこがましいかもしれません。

●本格的なコーヒーを飲み始めたのは学生時代。神田神保町の喫茶店でアルバイトしていたN先輩がミル、サーバー、ネルドリップ等を取りそろえアパートに持ち帰ってきたのですが、それを毎日飲ませてもらうようになってからです。以来コーヒーは、しっかりした味わいのブレンドかストレートで楽しむようになって半世紀ほど経ちました。

●外食がめっきり減り、せめてコーヒーくらい外でと思い始めた最近、すぐ近く━━といっても車で10分ほど走るのですが━━に一軒見つけました。店があるのは、古くから建っている団地の商店街の一角。2フロアあるうちの1階で焙煎もしているので、扉を開けると素晴らしい香りが漂ってきます。テーブルも椅子も照明器具も”年季”の入ったものばかりで、それこそ40〜50年くらい前から営業しているのでは……という雰囲気なのですが、なんと4年前の開店とのこと。もちろん、コーヒーもおいしく飲めました。もう一軒、駅の近くにもカフェ(こちらが第一号)を見つけたのですが、そちらについてはまた別の機会に。(2022/2/1)

残念! 楽しみにしていた出張が中止に

●椎名誠が「冒険への憧れも探検家になる夢も、すべてはこの本との出会いから始まった」という、子ども向け冒険小説『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ 作・1888年)。なんと60年ぶりで手に取りました。小学生のころ、それこそかがり糸が擦り切れるほど繰り返し読んだ、私にとっても忘れられない作品です。

●夏休みのニュージーランド近海クルーズを楽しむため小型船に乗り込んだ15人の少年(14〜8歳)が大海をさまよったあげく無人島に漂着、以後2年もの間さまざまな困難に遭遇しながらも、全員が力を合わせ生き延びていくという内容。130年以上前の話ですが、そこにはいまも変わらぬ民族間の対立や人種蔑視、また人間の心に備わる美醜が描かれています。イギリス人は子どもの頃からフランス人を嫌っている、黒人はそもそも「人」と見なされていなかったなど、今回改めて学んだこともあります。

●小5から中3にかけて、ヘディンの中央アジア(ゴビ砂漠、シルクロード)探検、シュリーマンのトロイ遺跡発掘、ウィンパーのアルプス、アンデス登攀、ダーウィンやヘイエルダールの南太平洋航海など、探検・冒険・登頂・航海記の類を読みまくりました。そうした中で旅好きの骨格がつちかわれていったのかもしれません。

● 実を言うと、1/24から福岡・佐賀・長崎に出張の予定がありました。楽しみにしていたのですが、新型コロナの感染者数が連日過去最高を更新している折でもあり、先方の要請で中止に。”旅こそ我が命”の私にとっては残念至極。『十五少年漂流記』でも、引くべきところは引いていましたから。(2022/1/21)

寒風吹きすさぶ国技館で大相撲を観戦

●昨日は、ある筋のご招待で大相撲4日目の観戦に。結びの照ノ富士vs宇良は、あわやという一瞬もありましたが、照ノ富士が耐え切り4連勝。横綱に昇進してから、しぶとさがグンと増したのではないでしょうか。コロナ禍のため観客数も限定、声を出しての応援、会場内での飲食禁止など、さまざま制限はあるものの、ナマで観る相撲は迫力が違います。

●しんどかったのは、換気のためすべての扉が開放されていたこと。昨日はハンパない寒さだったこともあり、途中からコートを着込む事態となりました。取り組みの合間にスマホのニュースを見ると、東京の感染者数は2198人と爆発的な増え方。でも、感染拡大防止のためには、少しくらいの寒さは我慢するしかありません。

●それにしても、オミクロン株の感染力は想像以上。一刻も早く3回目のワクチン接種を受けたいものですが、私の場合、7月下旬まで住んでいた豊島区で2回受けています。ただ、その後引っ越ししたため、お役所仕事のエアポケットに入り込み3回目が遅れるのではないかと心配していたのですが、幸いにも1月15日の接種が予約できました(2回目からちょうど6カ月後)。

●おみやげで頂戴した国技館名物の焼き鳥は相変わらずのおいしさ。相撲は手をつくと負け。そのため、両足で立つ鳥は縁起がいいとされ、60年前から売られているそうです。2月5日の元関脇嘉風の引退相撲(=断髪式+中村親方襲名披露)にも行く予定をしており、その日も焼き鳥が買えるといいのですが。(2022/1/12)

サトウキビで財を成した豪商のお屋敷

2019年12月1日
今日は朝から川面に霧が立ち込めています。川そのものが大きいので、前面を覆うほどではないものの、逆にその存在感の強さと言ったらありません。しかも、これが時間の経過とともにどんどん大きくなり、一時は船の周囲がまったく見えないほどでした。

 

 

セント・フランシスヴィルからニューオーリンズまではわずか70~80キロなのですが、クルージングはなぜか後戻りします。時間稼ぎ=売り上げ増なのでしょう。それで訪れたのがノッタウエィ・プランテーションです。かつてのプランテーション経営者一族の屋敷で、数日前に見たロザリーマンションよりさらに上を行っている感じがしました。とはいえ、この屋敷を見るためにだけわざわざ1日費やすというのは、どうにも理解に苦しみます。

このテの邸宅の所有者のほとんどはその後没落するか、子孫が絶えるかしているようで、この屋敷も維持するのが大変のようです。ただ、ここは結婚式場、あるいは宿泊施設として利用されているようで、なんとか持っているようです。

中にあるレストランで、昨日に続き“船内食”以外のものを口にすることができました。久しぶりの食事らしい食事に大満足。船に戻ると、霧もすっかり晴れ、ここ数日続いている穏やかな川面の風景に。夕方になると、空はきれいな茜色に。明日はいよいよニューオーリンズです。

 

 

 

 

ひなびた町で出会った海苔巻きに感動!

2019年11月30日
昨日は「そろそろ我慢の限界に近づきつつあります」などと書きましたが、今日は、それがよい方向に戻りました。というのも、上陸したセント・フランシスヴィルという小さな町に癒されたからです。

この町はいまでこそルイジアナ州に属していますが、その昔(1810年)は「西フロリダ共和国」の首都だったそうです。といっても、同国が存在したのはわずか90日間。それでも、住民たちは当時の国旗に強い誇りを持っている様子。

セント・フランシスヴィルはもともと、スペイン人が入植していたフロリダの一部でした。1803年の「ルイジアナ買収」で今日のアメリカ合衆国の形がほぼ定まったわけですが、それ以降もフロリダ半島から西の一帯はまだスペインの支配下にありました。しかし、少数の役人と軍隊しかいないこの地域に入っていったイギリス人たちが1810年、独立を求め反乱を起こします。それによって生まれたのが「西フロリダ共和国」。

反乱軍はバトンルージュ(現在はルイジアナ州)のスペイン守備隊を打ち負かし、新しい国=「西フロリダ共和国」を作りました。その首都が置かれたのがセント・フランシスコヴィルで、のちに「ボニー・ブルー・フラッグ(青地に単一白星)」と呼ばれる国旗を定めました。しかし、西フロリダ共和国は3カ月しか続かず、その一帯は新しく設けられたオーリンズ準州に組み入れられることになります。つまりこの地域はアメリカでもなくスペインでもない、独立した国だったのです。

小さな町ではありますが、観光には力を入れているようで、上陸してバスに乗る際にはバッグと割引券を配るなどしています。観光スポットが多いわけではないのですが、アメリカ聖公会教会には、1700年代に作られたとおぼしきお墓がぎっしり並び、驚きました。中に置かれていたパイプオルガンも、アメリカ南部では最古のものなのだとか。割引券を配っていただけあって、このサンクスギビングのさ中にどの店もオープンしていたのもよかったですね。ロイヤルストリートに建つ古い銀行を改造したお土産物屋さんはSALEをしていたこともあり、大繁盛でした。

しかし、私にとって最大の喜びは、この町ではおそらく唯一のスーパーマーケットで寿司とカップ麺を買えたことです。11月24日から約1週間続いていた“アメリカ南部メシ”からやっと解放され、ほっとしました。それでなくてもアメリカの食べ物は期待値が低いのに、南部のエリアですから、正直ほとんどゼロもしくはマイナス。それが朝・昼・夜の3食ですから、どんな我慢強い人でもネをあげてしまうのではないでしょうか。それが一気にプラス30くらいにまでは回復しました。単純といえば単純ですが、食事の大切さを改めて感じされられた気がします。この写真に海苔巻きは写っていませんが、スーパーのイートインコーナーでもう食べたあとだからです。キュウリで巻いたこちらのカニ(もどき)ロールはいまひとつでした。残念! でも、缶入りのビールは最高でしたよ。

数日ぶりに触れた、“町らしい町”

2019年11月29日
それにしても、今回のクルージング、とにかくテンションが上がりません。そのせいか、時間の経過とともに疲労感が強まります。時差ボケがなかなか回復せず、毎晩長い時間眠れないせいもありそうです。

今日も朝4時過ぎに目が覚めてしまいました。しかし、デッキに出てみると、目の前に煌々とネオンの明かりが見えるではありませんか。「RIVER CENTER」の文字がまぶしいこと。バトンルージュの町です! やっと「都会」の匂いを感じさせる場所を訪れることができるのかと思うと、気持ちも多少は上向きに。これまで上陸した3つの町はどこも皆、歴史的・文化的にそれなりの意義はあっても、私たちのような異国の観光客にとってはいまひとつ満足できないところがありました。でも、今日こそは!

 

バトンルージュ(Baton Rouge)はもともとフランス語で、「赤い杖」を意味しています。先住民族のインディアンが狩場の境界に杉の木を赤く染めて標識としたのにちなんあだ名前だとか。この地に初めて植民してきたのはフランス人で1699年のこと。小さな町でしたが、1803年の「ルイジアナ買収」でアメリカ合衆国の領土となってから発展し、1817年には市になり、1849年にはルイジアナの州都に。南北戦争中は一時ニューオーリンズ市に移されたものの1882年、州都に戻っています。

 

そうした歴史とは別に、この町の名前が記憶に残っているのは、1992年10月に起こった日本人留学生射殺事件のためです。殺されたのは、当時この町に留学していた名古屋の男子高校生。私の出身校のすぐ隣の高校だったので、よく覚えています。彼がハロウィンのパーティに参加しようとし、間違って訪れた家の当主に不法侵入者と誤解され、射殺されてしまったのです。当主に英語で「Freeze(動くな)!」ととがめられたのですが、それを「Please」と聞き間違い動いたため引き金をひいたという新聞記事はいまでも覚えています。たしかに、日本の高校英語では、「freeze」イコール「凍る」としか教えていられないでしょうから、理解できなかったとしても、致し方ない気もします。

それはともかく、事前にネットで調べたかぎりでは、この町に観光的な興味を満たしてくれそうなスポットはほぼ皆無。私としては、ツアー一行が利用するバスでの観光には参加せず、ダウンタウンからクルマで15分ほどのところにあるという動物園にでも行って気分転換をと思っていました。しかし、いざ船を降りると……。サンクスギビングのさ中で町はほぼお休み状態。頼みの観光案内所にも「CLOSED」の看板が出ています。仕方なく、数少ない名所の一つであるルイジアナ州庁舎をめざし歩いていくと、ヒューストンから家族4人でやってきたという日本人の一家族と遭遇。私たちが話している日本語を耳にし、「まさか」と思い話しかけてみたそうで、びっくりしていました。あまり見るべきものもないこんな町に日本人が! と思ったのでしょうね。

私たちが下船したのはダウンタウンの一角で官庁街。役所ならやっているかと思いきや、そこも皆お休みしています。そのため、歩行者の姿はなく、車もまばら。事前にツアーの添乗員さんから「間違いなくオープンしています」と教えられた州庁舎まで行ってみました。34階建て、下層階はギリシャ・ローマ時代を思わせるようなファサードが特徴的な建物はとにかく立派。国定歴史建造物に指定されているそうです。中に入り、まずは展望デッキに行くためエレベーターで27階へ。天気は素晴らしくよかったので、360度のパノラマが楽しめました。

 

 

しかし、もっと新鮮だったのは入口のホールと州議会の議場のつくり。日本でも県庁・県議会の建物はどこも立派ですが、アメリカの州庁・州議会にはかないそうにありません。ここには州議会上下両院の議場のほか、州知事室、および一部の州行政機関が置かれているそうで、10万9千m²の敷地に建つ、高さ137mの庁舎(1932年に完成)は、アメリカ合衆国の州庁舎としてはいちばん、またバトンルージュ市内でもいちばん高い建物とのこと。

 

1階のホールには、州や合衆国の歴史に名をとどめる人たちの大きくて立派な彫像が何体も置かれていました。正面玄関に昇っていく階段には、合衆国50州の名前が、州に昇格した順に刻まれています。たかだか南部の1州でしかないのに、そこまでやるかとも思うのですが、フランス人が入植したこの一帯は、現在の「アメリカ合衆国」にとって大きな意味を持つ地域のようなのです。

いまでこそルイジアナ州はさほどでもありませんが、18世紀前半はそれこそ「大ルイジアナ」(地図の緑色の部分すべて)の言葉どおり、とんでもない広さでした。1803年、その大ルイジアナ(面積にすると210万㎢)をフランスから1500万ドルで買収したことで、今日の“大アメリカ合衆国”が生まれたと言っても過言ではないのです。高校生のとき世界史の教科書でこの図を目にしたときとても驚いたのを、いまでも鮮明に覚えています。

 

それはともかく、今日もまた帰船は正午過ぎ。よく考えてみると、船から離れるのは毎日せいぜい3~4時間。これで7泊するのですから、正直“軟禁”状態に近い感じすらします。もともとがアメリカ人向けの商品と言ってしまえばそれまでなのですが、そろそろ我慢の限界に近づきつつあります。