月別アーカイブ: 2016年3月

生まれて初めて「大使館」なるところに

2016年3月31日
昨日イタリアから帰国したばかりだというのに、もう次の旅行のことを考えています。というか、考えざるを得ない状況をみずから作り出してしまいました。ターゲットはキューバ。ある旅行会社が、自社主催の「キューバツアー」の説明会をおこなうという話を聞きつけた家人と相談し、申し込んでおいたからです。イタリアから帰ってきたすぐ次の日であることはわかっていましたが、開催場所が「キューバ大使館」というのに惹かれてしまいました。私のような者が大使館に足を踏み入れるなんて、こんなことでもないかぎり生涯ないだろうというスケベ心もありました。

大使館のある場所は地下鉄で1本、赤羽橋という駅から歩いて数分。これまで私が遠目から見たことのあるアメリカ大使館やイギリス大使館、イスラエル大使館やベルギー大使館と違い、なんの変哲もないオフィスビルにそれはありました。1棟丸ごと借り切ってはいるのですが、ビル自体は地味もいいところ。あえて弁護すれば、社会主義の国、しかも発展途上の国ですから、それほど立派なところは借りられないということでしょうか。

会場は2階で、旅行会社の社員と別に、大使館のスタッフも3人ほどいました。スタッフの1人がキューバという国の概要をパソコンによる映像を見せながら陽気に楽しく話してくれたあと、旅行会社の担当者がツアーの内容について説明。キューバの名産コーヒーをふるまってくださいましたが、たしかにおいしかったです(もう一つの名産である葉巻はいただけませんでしたが)。

終わって外に出ると、大使館の真ん前にある小さな公園の桜が満開。通りを渡った先にある公園の桜と菜の花も満開で、それだけでもやってきた甲斐はありました。

dsc00223

なぜか男を興奮させる空港、そして飛行機

2016年3月29日
空港というのは鉄道の駅と同様、なんとも不思議なオーラがただよっている場所で、旅する者の気持ちをいっそうエキサイトさせます。とくに私はそうした傾向が強いようで、ターミナルビルに近づき、中に入るとそのスイッチが入ります。荷物検査や出国手続きを終え、通路を歩きながら外を見ると、広い滑走路をさまざまな航空会社の飛行機がゆっくりと行き来しています。それを目にした私の興奮度はもう一段アップ。飛行機はヨーロッパの言語ではほとんど女性名詞に分類されていますが、だからこそ男は興奮するのでしょうね。

Dsc_0773

今日も、ローマのフィウミチーノ空港の中を歩きながら、そういう経験をさせてもらいました。「よーし、こんどはどこに行こうか」という思いが心の奥底から湧き上がってくるのです。家人には迷惑かもしれませんが、こればかりは男の性【さが】というか、どうしようもないものがあります。ローマからわずか1時間半で着いた乗り継ぎ地ミュンヘンの空港でもその思いは同じでした。

イタリア人がわんさかいるローマの空港とドイツ人が多いであろうミュンヘンの空港で清潔感に差があるのはなんとなくわかる気もします。しかし、同じドイツ人の国なのに、オーストリアのウィーンとミュンヘンとで、かなりの隔たりが感じられるのはちょっと不思議です。ウィーンのほうにはどこか頽廃の香りが漂っていますが、ミュンヘンにはそうしたものがほとんどありません。どこまでも「ドイツ」なのです。スモーキングルームの様子を見てもそうした雰囲気がありありと感じられ、ミュンヘン空港では少しでも灰を床に落としてはいけないなどと思わされます。ヨーロッパはまだまだ奥が深いようです。

Dsc_0774Dsc_0776

サンタ・マリア・マッジョーレ薬局の本店にびっくり

2016年3月28日
朝になると雨もほぼやんでいたので、ホテルから歩いて10分ほど、中央駅の近くにあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に。聖堂は長い行列ができていたのでパスし、すぐ近くにある付属の薬局に行ってみました。ローマの店は入ったことがあるのですが、本店は初めて。しかし、これが小さな博物館のような空間で、びっくりしました。

Dsc_0754_2

Dsc_0742玄関から10メートル近くある廊下を歩いた正面が店の入り口。扉を開けると中が4つの部屋に分かれており、それぞれジャンルの異なる商品が並べられています。世界中から客が来ているようで、商品カタログや説明書きも8カ国語。しかし、それよりインパクトがあるのは各部屋の内装や調度品です。店ができた当時を彷彿させる家具や衣服も並んでいます。何も買わなくても、それを見ているだけで感動です。

 

 

 

       Dsc_0748 Dsc_0745Dsc_0752_2

Img_5753_2雨がまたぶり返す中。再びIさんのお宅へ。実は、昨日マンマに誘われたのです。またまたお言葉に甘えてしまい、今日はマンマの住まいのほうへ。こちらは普通のマンションですが、築40年以上経っているとはとても思えません。余裕たっぷりにつくられていて、最近のマンションとはそれが決定的に違うのだそうです。1階部分に限ってのようですが、天井は3メートル30センチもあるのだとか。しかも、これは住む人の性格にもよるのでしょうが、物をあまり置かず、シンプルに暮らしておられるようでした。なので、家の中がすっきりしており、自分たちも見習わなくてはいけないなと。「断捨離」ですね。

今日は復活祭の休日とあって、マンマの2人の男の子とその家族が一堂に会しての食事会。そこに飛び入りさせてもらったわけですが、またまたお腹いっぱいになるまで食べてしまいました。

Dsc00212
Dsc00217_2

マンマの家を出るころには雨もすっかりあがり、お日さまも顔を出していました。ホテルで荷物を受け取り、中央駅から最終目的地ローマまでは列車です。

昨年6月に来たときも泊まったテルミナ前のUNAホテルにチェックイン。明日は朝早いので駅の近くがよかろうということで決めました。まだ明るかったので、ちょっと外に出てみることに。昨年のローマ滞在最終の日、朝食を食べに行く途中で見つけた子ども用フォーマルウェアの店をのぞいてみようかとぶらぶら歩いていきました。前回は時間が早く開いていなかったのですが、今回は店自体がなかなか見つかりません。サンタ・マリア・マッジョーレ教会の前あたりで道を1本間違えてしまったようで、行きついたのはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場 (Piazza Vittorio Emanuele II)でした。


Dsc_0770_2この広場は柱廊(ポルティコ)のある19世紀の建物に囲まれており、広場の中心は公園になっています。その一角に新アニオ水道(ローマ市内とその近郊に張りめぐらされた水道の1つで、紀元52年の完成だとか)の貯水施設の遺跡とその門がありました。観光ガイドには出ていないスポットで、人もほとんど訪れていない様子。というか、広場の周囲がややあやしげな雰囲気のエリアなのです。鉄柵で囲まれている遺跡の中には入れないのですが、なんとどこを見てもネコだらけ。たぶん中にはイヤというほどネコが住んでいるにちがいありません。家人が「岩合光昭は知ってるのかしら」とひと言。そこから別の道でホテルに戻っていく途中でくだんのお店を見つけたのですが、復活祭休日のため休業しているようでした。


そのまま外で夕食をとも思いましたが、どうにもこうにもお腹が空かず、近くにあったお菓子屋さんの店先で見つけたサンドイッチとビールを買って戻りました。結局、今日も、気がついたら、ベッドのシーツの上で寝ている始末。ここにきてやはり疲れがたまってきたのでしょうか。

フィレンツェの復活祭名物「山車の爆発」をこの目で!

2016年3月27日
いよいよ、今回のメインイベント=「Soppio del Carro」の日です。直訳すれば「山車の爆発」。ドゥオーモの前に運ばれてきた山車に爆竹が仕掛けられ、それに順次火がつき炎と煙に包まれるというものです。年に1回、復活祭(イタリア語ではPasquaといいます)のときにおこなわれる行事で、フィレンツェではチョー有名──。と思っていたのですが、これが意外や意外、市民でも知らない人がかなりいるということをIさんが教えてくれました。

今回の旅行はこのイベントを生で見るというのが最大目的なので、3カ月ほど前にIさんに連絡し、どこの場所で見たらいちばんいい場面が、いい角度から見られるのかなど、さまざまリサーチをお願いしました。しかし、近所の人に聞いてみたが、「何、それ?」という返答が大半とのこと。Iさん自身はフィレンツェに移ってまだ20年足らずなので、知らなかったとしても不思議ではありませんが、ずっと地元にいるフィレンツェ市民でさえ知らないというのは、どう考えても理解できません。だって、もともとの起源は西暦1099年といいますから、900年以上も前。いまのような形でおこなわれるようになってからでもすでに350年以上は経っているのですよ。

それでも、あちこち当たってもらい、なんとかベストポジションについての情報はGETできました。また、たまたま地元のテレビ局が昨年の模様をえんえん2時間近くにわたって紹介する番組に昨夜出くわし、その盛り上がりぶりもほぼわかりました。「よーし、明日は早めに会場に行こう」と決めたしだい。

Dsc_0539朝食を済ませ、予定より15分早い午前9時15分にはドゥオーモに到着。しかし、ベストポジションとされている場所は早くも5列ほどの人垣ができていました。そこになんとかもぐり込み、私たちも10時のイベント開始まで待ち続けていたところ、ラッパと太鼓の音が聞こえてきます。中世フィレンツェの衣装で身を固めた、おそらくカトリックの信者たちでしょう、総勢140~150人ほどの行進が到着しました。フィレンツェの市章であるユリの花を赤く染め抜いた白い旗がなんとも鮮やかです。楽隊の奏でる曲も人々の気持ちをかき立て、聴いているだけで満足。ドゥオーモの正面に全員が並びイベントのスタートを待ちます。しばらくすると、4頭の白い牛に曳かれた山車が静かに登場、所定の位置に固定されました。すると、何十、何百とつながった爆竹が山車をグルグル巻きするように仕掛けられていきます。

Dsc_0528Dsc_0543

 

 

 

Image1

そうこうしているうち鐘楼の鐘が響きわたり、午前11時に。ここからは山車に注意を集中します。まず、大聖堂の祭壇前からワイヤーをつたって、ハト(イタリア語でcolomba)をかたどった木像がロケットのように火を噴きながら数十メートル飛んできます。これが山車まで到達すると、こんどは向きを替え祭壇の方向に戻っていくのですが、元どおりの位置にまで無事戻ればその年は平穏無事・五穀豊穣なのだとか。


Dsc_0603Dsc_0622

Dsc_0664

 

 

 

その瞬間から山車が爆竹のはじけるすさまじい音と煙に包まれます。それが何度も何度も繰り返されるのです。なかには、火花を散らしながら、空に向かって飛んでいくものもあります。フィナーレは、山車のてっぺんに取り付けられた3つの飾りがグルグル回ってはじけ、中にセットされている市の紋章を記した3枚のバナーが姿をあらわします。今回はそのうち1枚だけが折り曲がったままでしたが、それでも10分間にわたる「ショー」の迫力、感動ときたら!

もとはといえば、「ちょっとーお父さ~ん!」の呼びかけがきっかけで始まった「Scoppio del Carro」見学の旅ですが、はるばる観にきた甲斐がありました。最初は婦唱夫随、いざという段からは夫唱婦随。これが私たちの旅の極意というか、一つのパターンになっています。

 

人込みでごった返す中、本来は一緒に見るはずだったのですが、結局それがかなわなかったIさんと、近くのカフェでようやく合流できました。初めて観た「山車の爆発」にIさんも興奮を隠せない様子。このあとはIさん宅での食事会です。15年前にお会いしたきりのIさんのご主人のお母さん=マンマが作る手料理をいただきに、駅の近くから3人でバスに乗りました。

Img_5749Iさんの自宅を訪れるのも15年ぶりです。こちらではパラッツォ(palazzo)と呼ぶらしいのですが、日本でいうテラスハウスの2階に玄関があり、中はメゾネットスタイルになっています。マンマに初めてお会いしたときは私もまだ若かったので、かなりの量を食べたらしく、マンマはそのことをよく覚えていたようです。今日のメニューは野菜→タリアテッレ→羊肉のグリル。近所に小さいながら自分の農園を持っていて、そこで獲れたばかりの野菜ですから、おいしいのなんの。とくに、ゆでたアーティチョークとヤギのチーズを塩とオリーブオイルで和えたものは、日本ではなかなか口にできないメニューで、とても新鮮でした。小ぶりのエンドウ豆とヤギのチーズの和えものも同様。

Img_5742しかし、最高においしかったのはやはりタリアテッレ(tagliatelle)。細長いリボンのようなパスタで、それにミートソース(それも牛・豚・羊のひき肉のミックス)をからませたあり、今回も2杯半食べてしまいました。最初のときは4杯近く食べたそうです〈自分ではまったく覚えていないのですが)。それも、最後お義理で「もう少しいかが」とマンマが口にした言葉も真に受けての4杯目でしたから、「よく食べる日本人だ」という印象を与えてしまったのでしょうね。

デザートに、colomba(ハト)の形をしたケーキ(復活祭のときだけ作られるもの)をいただき、最後コーヒーを飲むと、動けなくなるくらい満腹に。実際、ホテルに戻ってもまったくお腹が空かず、早々に寝てしまいました。窓の外は雨。今日の午前中でなくてよかったなと感謝したしだい。

Img_5741Img_5744

 

ボッティチェリのあとフィレンツェ風「もつ煮込み」のはずが……

2015年3月26日
今日も朝から素晴らしくいい天気です。フィレンツェは今回が3度目の訪問。しかし、最初のとき(2001年8月)はほとんど観光らしい観光をしていません。このときは、結婚でフィレンツェに来て間もないIさんに会いにきたようなものでしたから。今回こそはと、それなりに思い描いていた予定もあります。その一つがウッフィツィ美術館。

しかし、今回のように連休の時期と重なっていると、大変な数の人が訪れます。早めに朝食を終え、午前8時には美術館まで行ったのですが、すでに100人近い行列ができていました。私たちは60~70人目あたりでしょうか。行列するのは、基本的に当日券を買うため。スケジュールをきちんと立てている人は予約を済ませているので、バウチャーを見せたり確認のメールを見せるだけですぐ中に入れます。

Dsc_0456本来の開館時間は8時15分ですが、私たちは40分ほど待たされてから、やっと中に入れました。しかし聞きしにまさる広さ、スケールの大きさには正直驚きました。展示スペースの始まりは3階。そのため、中に入ると階段で3階まで上がっていかなくてはなりません。3階といっても、天井がえらく高いので、実際には5~6階分あり、そこまで歩いて一気に上るのはとんでもない苦行。家人など、やっと入り口に着いたころには息があがっていたようです。

Dsc_0467Dsc_0471

 

 

 

 

ローマ時代からルネサンス期までの絵画、彫像が、70以上ある大小の展示室と廊下、壁、天井にこれでもかこれでもかというほど展示されており、しまいにはもうご勘弁をという感じでした。ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」とか「春/プリマヴェーラ」とか、その昔美術の教科書で目にした作品をナマで見ると、やはり感慨深いものがあります。

Dsc_0466Dsc_0468

 

 

 

 

1時間以上かけて見終わり、外に出たときはむしろほっとしました。通りに出ると、好天で温暖ということもあり、大変な人出でにぎわっています。とりあえず中央市場まで歩いたのですが、建物のまわりにテントを張っただけの小さな店がびっしり並んでいました。ほとんどが革製品ですが、雑貨や工芸品を売る店もあります。


Dsc_0489Dsc_0493

 

 

 

中に入ると、ここもやはり人また人。とくに、有名な「ランプレドット(lampredotto)=もつ煮込み」のサンドイッチ(パニーノ)を出している店はどこも長い行列ができています。ところが、この行列がクセモノで、地元の人でなければ注文できない雰囲気が……。こうすればいいのではないかとなんとなく想像はつくのですが、あまりの人いきれに圧倒され、あきらめました。だったら2階のフードコートでと思い上がっていったのですが、こちらはさらにひどい混雑。結局、すわってメニューを指させばOKといった感じの店に入ることにし、下までまた降りていきました。

ハンガリー系とおぼしきイタリア人夫婦がやっているカウンターだけの店で、写真と実物を見て注文し、ようやく昼食にありつけたしだい。店のオバチャンが次々訪れる客の注文をどんどんさばいていきます。その中には、ドイツ人もいればアメリカ人、韓国人、ロシア人もいて、それぞれの言葉をあやつりながら客をさばき、追加注文を聞き、最後お勘定までこなしているのを見ると、「すごい!」のひと言です。前にヴァチカン宮殿前の広場に屋台を出しているオッチャンがそれこそ10カ国くらいの言葉を平気であやつっている場面を目にして驚いたことがありますが、そのとき以来の衝撃でした。さすがイタリアです。


昼食後、すぐ近くのサン・ロレンツォ教会の脇にあるメディチ家礼拝堂を観て外に出ると、「疲れがどっと出てきちゃって」とのたまう家人と一緒にホテルに戻りました。シエスタですね。途中、ヴェッキオ宮前のシニョリーア広場にあるジェラテリで買ったアイスクリームのおいしかったこと。ひと口食べて顔をほころばせる家人の顔を見て思わずシャッターを押してしまいました。

Dsc_0496_2Dsc_0504

 

 

 

 

 

 

Dsc_0516ホテルに戻ったら、家人は言葉にたがわず即お寝み。私はといえば、その横でブログを書いたり日本から送られてくる仕事を処理したり。ミラノのホテルもそうでしたが、USBファイルを持っていけばすぐプリントできるスタイルになっているので大助かりです。

 

街全体が世界遺産のシエナに大感動!

2015年3月25日
今日は朝からシエナに行きました。天気もよく、最高のドライブ日和。こちらに来る前まではガイドブックとにらめっこしながら、いつ、どこに行くか、あれこれ悩んでいました。何せフィレンツェというところは見どころが多すぎるのです。ミラノの3倍、いや5倍ほどのページが割かれているくらいですから。しかも、今回の目標である「Scoppio del Carro(山車の爆発)」の前後は観光施設も臨時休館がけっこう多く、行き先が制限されます。もっとも、「復活祭」自体が国民の休日になっているとあれば、それもいたしかたないのかなと。

結局、日本を出発する直前に考え方を抜本的に変え、キホン出たとこ勝負で行くことにしました。ウッフィツィ美術館に行く日時も、現地で決めようと。ただ、今日のシエナ行きだけは、フィレンツェ在住の元社員Iさんのご主人が休みを取ってくれ、シエナ往復のドライバーを買って出てくれたため、予定を変更するわけにはいきません。朝9時半過ぎに出発、11時にはシエナに着きました。

シエナには特別な思い入れがあったわけでもないのですが、観光ガイドを見ると、けっこうページも費やされています。何より町自体が「世界遺産」というのが魅力です。中世のおもむきがそっくり残っているとありますし、イタリアならどこの町にもあるドゥオーモが素晴らしく美しく、とくに中の壁画や装飾はすごいと。

Dsc_0307実際、全体が世界遺産になっている旧市街を歩いてみると、まさしく中世がそのまま残されている印象を受けます。今日から3連休ということでイタリア人の姿も多いようで、細い道はかなり混雑していました。駐車場から15分ほど歩いたところにあるのがカンポ広場。こうした広場にしては珍しく、傾斜地に作られており、しかも四角形とか正方形ではありません。なんと扇型なのです。扇の要に位置しているのが市庁舎で、これがまたユニークな色合いをした建物。これだけでも見る甲斐があるくらい美しい広場でした。全体が傾斜しているので市庁舎の前で何かイベントでもあれば、そのまますわるだけで見渡らせる感じがします。

Dsc_0311


Dsc_0353聞けば、毎年、日本のお盆にあたる時期に、この広場では「競馬」がおこなわれるのだそうです。お土産屋さんの店先に、その様子を撮った写真が飾られていました。それを見ると、中央部にびっしり観客が立っています。競馬がおこなわれのはその周り、広場を囲む建物の前にも見物客が立っていますから、競馬そのものはその部分とまわりの建物との間に生まれるスペースでおこなわれるわけですね。これはかなりスリリングではないでしょうか。一度、この目で見てみたいものだと、本気で思いました。騎手も観客も、このときだけはバカンス先からシエナまで戻ってくるのだとか。そのくらい、シエナの人たちの血を騒がせる魅力に満ちているのでしょう。

昼食は広場近くの、なんということのない食堂。家族経営といった感じがありありですが、メニューはどれも魅力的。生ハムやサラミなどを、ちぎった揚げパンに乗せて食べるだけなのですが、パン自体がすこぶるおいしいので、それだけで合格! といった感じがします。しかも、ハム、ソーセージの類はさすがイタリア、日本の比ではありません。しかも、値段がメチャ安です。

Dsc_0349Dsc_0348

 

 

 

 

 

 

Dsc_0429

Dsc_0400_3食後はドゥオーモの見学。教会の見学というと、ヨーロッパではたいがい無料ですが、ここはなんと20€も取ります。日本でいうなら2600円くらいでしょうか。しかし、それだけの金額を払った価値は十分、いやそれ以上ではないかとさえ思いました。というのも、普通は足を踏み入れることのないドゥオーモの屋根裏──地上5~6階ほどの高さでしょうか──にまで上がることができ、そこから内部をすべて見下ろせるのです。極端に狭くはあるのですが、テラス(というより通路ですね)に出ると、外の景色も見えます。「トスカーナの田舎」という言葉をよく耳にしますが、まさしくその光景が目の前いっぱいに広がっていました。ほかの教会では経験したことがないこのこと一つ取っただけでも、一見の価値は十分です。

Dsc_0443
Dsc_0389

Dsc_0407

 

Dsc_0425 Dsc_0428

このドゥオーモの外壁は白地に黒の横縞。それだけでとてもユニークな印象を受けます。なかでも、ファサードの美しさは天下一品。教会建築についてはまったくの門外漢ではありますが、時代や地域によっておそらく大きな違いがあるのでしょう。ゴシックだのロマネスクだのルネサンスだのビザンチンだのといったこととは別にです。

気がついたらあっという間に5時間以上が経過しており、駐車場に戻ったときはすでに5時近く。車のフロントグラス、ワイパーに「駐車時間超過」を告げる警察の紙切れがはさまっていました。

 

Img_1049_20160326_2ホテルに戻りひと仕事したあと、Iさんのご主人推薦の、フィレンツェでもおそらく5本の指に入るであろうピザ店「I’ Pizzacchiere」で待ち合わせ。市内に2000軒近くあるレストラン(ジャンルを問わず)の中でも評価が24位という店だそうですが、ホントおいしかったです。フィレンツェ風のピザは、生地全体が薄く、端っこまで肉やら野菜やらチーズやらがびっしり乗っかっているのが普通だそうですが、この店のものは端っこが川の堤防のようにこんもり盛り上がっています。地元っ子はそれが不満のようですが、この店の女主人は方針を変えようとしないのだとか。

 

 

Img_1050_20160326ピザもさることながら、しかし、デザートで食べた「Nutella Dolce」は圧巻でした。これは焼いたピザ生地で「Nutella」のチョコレートクリームを巻いたもの。しかも、チョコレートクリームの部分だけで厚さ2センチ、幅が6~7センチ、長さ25センチほどあります。それを私たち5人で3個分もたいらげてしまました。イタリアでも「Nutella」のチョコレートクリームをここまで大量に使ったデザートはめったにないので、わざわざ「Nutella」という言葉を使っているとのこと。日本でも早くどこかの店で食べられるといいなと、正直思いました(ただし、日本で食べられる「Nutella」はオーストラリア製だとか)。

 

アンブロジアーナ絵画館の素晴らしさに感動

2016年3月24日

Dsc00203今朝は、初めてホテルのレストランで朝食を取りました。たしかに、どのメニューにもハイグレードな食材が使われています。スクィーズしたオレンジジュースは素晴らしかったですし、パンはどれも皆秀逸。バターもフランスの「エシレ」。ただ、全体としてはどうかなぁという気がしました。41€は高すぎるでしょう。

午前中は部屋でずっと仕事。チェックアウトを済ませて荷物を預け、昼過ぎから出かけました。最初の目的地は古代ローマの時代に作られたというサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会。さすが、その古さには驚く以外ありません。教会の前の広場に立つ16本の石柱がそれを象徴しています。昼食は、そこから5分ほど歩いたところにあった店で。テーブルの半分ほどが白いカバーで覆われている様子を見て、まあいいかということで決めました。


Dsc_0220Dsc_0216

 

Dsc_0256

 

さて、ミラノではあちこち観光しましたが、今日行ったアンブロジアーナ絵画館は出色でした。まず、建物自体、そんじょそこらのものと違います。貴族の屋敷といってしまえばそれまでですが、3階建てでとにかく広いこと。壁や天井など内装も豪華をきわめ、いかに豊かだったかがわかります。作品もダ・ヴィンチの『楽師の肖像』とかボッティチェリの『(天蓋の)聖母子』、カラヴァッジョの『果物籠』など有名な作品がズラリ。すいているのでゆったりした気分で観られたのがよかったです。

 


Dsc_0259Dsc_0236_2Dsc_0242Dsc_0246

 

Dsc_0279

 

 

 

 

 

 

「イータリー(EATALY)」もおもしろかったですね。「WHOLE FOODS MARKET」とコンセプトは同じなのでしょうが、イタリアらしいハイセンスな空間デザインが際立っています。3階はアルコール類(ワインとビールなど)の売り場ですが、その陳列の仕方にセンスのよさが感じられました。意外に思ったのはビールの充実ぶり。聞けば、イタリアでは最近、地ビールがたいそう人気を博しているとか。何より素晴らしいのはラベルのデザイン。日本の比ではありません。フィレンツェに行く車中で食べるサンドイッチ類と、日本では見かけないレモンのジャムを買いました。

Dsc_0280Dsc_0284

 

 

 

 

ミラノ中央駅から夜8時20分発ローマ(テルミニ)行きの特急(トレニタリア)に乗りました。日本のJRのグリーン車よりはるかに座り心地のいい椅子が左右に3列(2+1)。縦も15列ほどなので前後左右ともゆったりしています。もちろん、スーツケースを置くスペースも車輌の出入り口付近に確保されているので安心です。
Dsc_0297

ただ、国内の旅行客を想定しているのでしょう、巨大なスーツケースを持って乗る私たちのような海外からの客からすると、もう少し広くてもといいのにと、正直思いました。それと1両おきではなく全車両にスペースを確保してもらいたいですね。それでも、こういうスペースがまったくない日本の新幹線よりははるかにマシです。「海外からのインバウンド2000万人」突破が現実になりつつある国なのですから、スーツケース置き場がまったくない長距離列車など信じられません。


夜10時、2つ目の停車駅フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラに到着、ホテルにチェックインしました。アルノー川沿いに建っており、窓からは川はもちろん、ポンテ・ヴェッキオもすぐ近くに見えます。それだけで疲れも吹き飛びました。家人も同様で、川というか、水はやはり人の心を穏やかにしてくれるのですね。

Dsc_0451

 

イタリアにスタバがない理由

2016年3月23日

1日目の張り切りすぎがたたってか、朝からどっと疲れが。やっとのことで昨日決めておいたカフェまで行って朝食。その足でドゥオーモに向かい、入場券売り場に直行。9時前だったので、人の姿はまだまばらで、すんなり中に入ることができました。しかし、入り口の警備は軍隊が担当しており、非常に厳重です。もちろん、イタリア的にですよ、念のため。

Dsc_0153_2

中の壮大さは、普通のドゥオーモ(聖堂)が4つくらい合わさったほどのスケールといえばいいでしょうか。ぶったまげました。それでも、尖塔部分の高さは世界のベスト10にも入っていません。いちばん高いドイツのウルム大聖堂のそれは161・5メートルもあるといいますし、私たちも行ったことのあるケルン大聖堂が157・4メートル、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が132・5メートル、フィレンツェのドゥオーモが107メール。ここミラノはたった84メートルなのですから。

Dsc_0154屋上にはエレベーターで上がりました(さすがに歩いていこうという気にはなれませんでした)。しかし、眺めはすばらしかったですし、それ以上に、ドゥオーモ屋上の造作の素晴らしさ! 外壁の彫刻や数多くの小さな尖塔も手が込んでおり、これには驚く以外ありません。


ドゥオーモを見学したあと一度ホテルに戻りました。ひと休みしたあと夕方近くになって、最近人気だというナヴィリオ運河まで行くことに。運河なので淀んではいるのですが、雰囲気のいい場所です。若い人がたくさん集まっていることからもわかるように、教会や美術館だけではないミラノの別の一面が垣間見えました。

Dsc_0184

Dsc00199夕食は、地下鉄の駅近くにあるピッツァリアで。ピザのスモールサイズ2枚とサラダ、あとミラノ風カツレツを頼もうとしたら、最初の2品を書き留めたところで、店員が「もうやめときなさい。それ以上は無理。うちのメニュ-はみな特大だからね」とストップをかけるではありませんか。実際に食べ始めてみると、そのとおり。貴重なアドバイスに感謝しながらホテルに戻りました。

去年訪れたときにも感じたことですが、イタリアではスタバを見かけません。ローマでも出くわすことはありませんでした。ミラノも、昨日・今日と主だった観光スポットを歩きましたが看板はなし。もっとも、エスプレッソコーヒーのおいしさを考えれば、スタバの出番などあろうはずもないでしょうが。

実際、イタリアのコーヒーはおいしいのです。エスプレッソは「ダブル」で注文しても、デミタスのカップ、下3分の1ほどしか注がれていません。3口で飲み干すのが正しいという話を聞いた記憶がありますが、それこそひと口でもOKといった感じです。でも、味の奥行きというか深みが素晴らしく、日本の薄口エスプレッソなど、足もとにも及ばないといっても過言ではありません。


私のようになまじ「NESPRESSO」で“騙されて”きた者からすると、最初はその濃い味にびっくりします。「これがイタリアのコーヒーなんだ!」ということがわかると、「NESPRESSO」のいい加減さには怒りさえ覚えます。要はインスタントのエスプレッソでしかありません。どんなによくできているとしても、インスタントはしょせんインスタントなのですね。

1日中動きすぎてどっと疲れが

2016年3月22日
5時半には目が覚めてしまったので、しばらく仕事をしました。テレビのスイッチを入れると、NHKワールドとJSTVと、日本語のチャンネルが2つもあります。ニュースやNHKの朝ドラも見られ、家人はうれしそうでした。ただ、「お母さんといっしょ」もオンエアされているのが不思議な気がします。ミラノまで来て見る人がいるのでしょうかね?

41€というホテルの朝食はパスし、ホテル近くのカフェに行ってみました。マルコ・ポーロ通りを西に行き、ガリレオ・ガリレイ通りを渡り(通りの名前からしてすごいですよね))ポルタ・ヌオーヴァ(「新しい門」といってもローマ時代の門です!)を左に見ながらしばらく行った先の「SWEETS」というごく普通の店に入り、パンとカプチーノ、パニーニを。帰り道でもう1軒、もっとおいしそうな店を見つけたので、明日はそこで食べようと決めました。

Dsc_0012Dsc_0024_2

Dsc_0015
ミラノは建築家あこがれの町という話をどこかで耳にしたことがありますが、たしかに、ちょっと歩いただけなのに、ユニークで魅力的な建築物があちこちに見えます。モダンなデザインが古い町並みに不思議とフィットしているあたりがミラノの魅力なのでしょう。ポルタ・ヌオーヴァの周囲には、目を見張るようなデザインの建築物が集中している様子。

Dsc_0018調べてみてわかったのですが、この一帯は万国博に合わせて再開発中の地区で、新しいコンセプトのオフィスビルや住居(マンション)がいくつも建った(途上のものもまだある)ようです。プロジェクトの概要を説明する掲示板もありました。なかでも、イタリア語で「垂直の森」を意味する「Bosco Verticale(ボスコ・ヴェルティカーレ)」というマンションは26階建て(高さ110メートル)と18階建て(同76メートル)のツインタワーで、なんとも個性的なデザインです。
Dsc_0020_2ホテルに戻ったあと、すぐ前の地下鉄駅(Repubblica)からドゥオーモまで行きました。地上に出ると、とてつもなく大きな広場にまず感激です。ドゥオーモが巨大なだけに、それに合わせた広さになっているのでしょうが、「ミラノ~っ!」という感じです。入場券売り場の前に長蛇の列ができていたので、中に入るのは翌日に回し、エマヌエル・ヴィットーリオⅡ世のガッレリアからスカラ座の前へ。そこから北に上がるとブレラ絵画館があります。ガイドブックで★が3つついていたので、ちょっとのぞいてみました。カトリック大国だけあって、宗教画のコレクションが数多く展示されています。

Dsc_0026Dsc_0038Dsc_0061

ランチは、肩の凝らなさそうな雰囲気の店が絵画館のすぐ近くにあったので、アウトドアのテーブルで。ウエイターがわざわざ「アンダーザサン?」とたずねてきたので、「イエス」と答えると、日の当たるところにテーブルを移動してくれました。食事はリゾット(カレー風味がうれしかった)とホットサンド(ハムと野菜)を2人でシェアし、飲み物は私がワイン、家人は昨年の6月以来すっかりファンになったスプリッツ・アペロール。しかし、来て1日目、しかも昼間のアルコールは予想以上に効いたようです。かったる~い足取りでスフォルツァ城に行きました。昨年の万国博でもメイン会場の一つだったところです。

城もさることながら、その裏に広がるセンピオーネ公園が出色。広い公園のはるか彼方に見える「平和の門」も美しい形をしています。最初は「えーっ、あんな遠くまで?」と思いましたが、ぶらぶら(いや、ヨタヨタか)歩いているうちにかなり近いところまで行ってしまいました。園内のそこここに咲いている花(遠目に見ると桜かと思わせる)がきれいで、とくに、日本では見たことのない黄色の花には惹かれました。

Dsc_0103

Dsc_0106Dsc_0111

Dsc_0119
Dsc_0121城の次は、『最後の晩餐』が展示されているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。ここは、出発前に予約を入れておいた(そうしないと観られません!)のですが、チェックイン30分前に到着してしまいました。作品自体は教会の食堂内にあり、1回20数人まで、観覧時間も15分と制限されており、その分ゆっくり観ることができます。ミケランジェロっぽくないというか、作画の方法がほかの作品と違っているため、色褪せてしまっています。でも、それがかえって時代のリアルな隔たりを感じさせてくれました。

Dsc_0125

そのあとサンタン・ブロージェ聖堂まで歩き、中をちょっとのぞいてから、地下鉄でホテルまで戻りました。結局、今日1日で2万歩近く歩いたのではないでしょうか。

特典航空券と無料宿泊ポイントを利用してイタリアに

2016年3月21日
昼過ぎに成田を出発するオーストリア航空の便(ウィーン乗り継ぎ)でミラノまでの旅がスタート。ウィーンまでは11時間30分とのことでしたが、偏西風が弱かったのでしょう、予定より30分ほど早く着きました。

この航空会社の機内食はとてもユニークで、私も家人もとても気に入っています。メニューではなく、そのサービスがです。コックのいでたちをした男性が食事を運んでくるのです。いかにも、「私が作ったんですよ」とアピールしているかのような印象を受けますが、実際は、客室乗務員が扮装しているのでしょう。でも、「おいしい」「さすが」などとついつい思い込まされてしまいます。秀逸なのは食後のコーヒーで、10種類ほどあります。コーヒーだけを紹介した別メニューがあるくらいですから、本格的ですよ。

Photo

Dsc_0001
ウィーンでの乗り継ぎは約2時間。どこの空港にいても、タバコを吸える場所はどこか、四方八方に注意を向けながら歩くのが私の習慣なのですが、なかなか見つかりません。ミラノ行きの便のゲートまでたどり着いたものの、スモーキングルームがあったのはその100メートル以上先でした。しかも、そのすぐ近くまで行かないと、案内表示すらありません。それでも蛇の道はヘビで、スモーカーが引けも切らずに入ってきます。私も10数時間ぶりの一服を味わうことができました。

ミラノの空港から市内まではバスで小1時間。中央駅近くのホテルにチェックインしたのは夜9時前です。今回は、私たちとしては珍しく5つ星のホテル。ミラノは昨年おこなわれた万国博の影響でしょう、ホテルの宿泊料が上げ止まりしているようで、選ぶのにかなり苦労しました。にもかかわらず5つ星のところを選んだのは、予約を入れるときによく利用している「ホテルズドットコム」の無料宿泊ポイントがたまっており、その一部を充当することができたから。そんなことでもなければ、5つ星のホテルなど、とても泊まれません。

そもそも、今回の航空チケット(往き=成田→ウィーン→ミラノ+帰り=ローマ→ミュンヘン→羽田)も、マイレージ特典による無料チケット。私たち2人はANAのマイレージがメインで、今回もANAと同じスターアライアンスに属しているオーストリア航空とルフトハンザ航空の組み合わせにしたことで、帰りも羽田着の便を選べたのです。


Dsc_0010ホテルはさすが5つ星。まず、建物自体、いかにもという威厳を感じさせます。「こんな立派なところにしたの?」と家人も心配そうな顔でたずねてきましたが、事情を話すとほっとした様子。チェックインも丁寧な対応で、安心感できます。ただ、「朝食はついておりません。もしお望みならお一人様41€で、1回奥のレストランでどうぞ」との案内にはびっくりしました。部屋は希望どおり喫煙OKでしたし、何より広いのがうれしいですね。というわけで、初日から心地よく眠りに就くことができました。

BEGINの25周年コンサートで国技館へ

2016年3月20日
私たちが追いかけているBEGIN。その25周年記念ツアー(『「Sugar Cane Cable Network」ツアー2015-2016』)の最後のコンサートが、両国の国技館でありました。BEGINと国技館という取り合わせが好奇心をくすぐります。

dsc00083

挨拶代わりの1曲を歌い終えると、ボーカルの比嘉栄昇が「今日のコンサートは、フェスみたいなものです。最初から、とっ散らかっていきたいと思います」といいながら、アルコール度数43度の泡盛をコップになみなみと注いで水割りを作り、メンバー3人がそれを手に。「まずは、乾杯です」との合図で一気飲み。音楽ライブとしては珍しいスタートですが、こういう気取らない雰囲気がいいですね。

『恋しくて』『涙そうそう』などの名曲から、ブラジルのカーニバルで演奏される「マルシャ」(このところBEGINはこれにすっかりハマっているよう)のメドレーまで、ほとんど切れ目なしの演奏に、国技館であることを忘れてしまうほど興奮してしまいました。

dsc00128

 

朝日新聞に、参院選挙区の「合区」についてコメント

2016年3月20日
今年7月の参議院選挙から、これまで全国で47あった都道府県の選挙区で「合区」が実施されます。有権者の数と定員があまりにアンバランスで、平等を損ねてしまっているというのがその理由です。朝日新聞がそのことを取り上げ、さまざまな分野の人の意見を交えながら、その是非を考えてみようという趣旨の記事です。

その記事に私のコメントが掲載されたのでご紹介しておきましょう。切り文になってしまう点はご了承のほど。

(略)
県民意識は、どうやって醸成されてきたのだろうか。
1871(明治4)年の廃藩置県による3府302県の設置後、統廃合を繰り返し、47都道府県の姿と重なる県域がほぼ確定するのは1888(明治21)年のことだ。線引きは一筋縄ではいかなかった。
旧藩は領地の広さも石高も大小さまざま。加賀百万石のような大藩から市域程度の小藩まで、モザイク状に存在した。官選の知事を派遣した明治政府は、膨大な飛び地や複雑な境界の整理を急ぐ必要に迫られた。
中央大文学部の松尾正人教授(日本近代史)は「県域をいじりだしたらきりがない。薩長出身者ら新政府首脳は各藩の内情には疎かった」と指摘する。「47」の枠組みが固まる過程で、徳島県が高知県に、鳥取県が島根県に統合したり、独立したりした。旧藩と異なる県の名前を採用したケースも多く、歴史的にわだかまりも残した。
「出身県でわかる人の性格」の著者、岩中祥史(よしふみ)さん(65)は「多くの長野県民は自分を信州人と言う。県歌『信濃の国』を歌える人は多いが、県域全体をカバーする企業や団体の名に長野を冠する例は少ない」という。旧筑摩県(県庁所在地は松本市)と統合した経緯が尾を引いているというのだ。
それでも47の枠組みが100年以上続いたことで、「県民性」はすっかり定着した。お国自慢やふるさと再発見をテーマにした読売テレビの人気番組「秘密のケンミンSHOW」は10%以上の視聴率を稼ぎ、各県の県民手帳は人気商品だ。
岩中さんは「旧藩とは異なる姿になった県境の多くも山や川など地理条件で区切られ、限られた風土の中で脈々と育まれた共通の気質は方言とともに地元住民のアイデンティティーになっている」と解説する。
(略)