月別アーカイブ: 2015年2月

新宿にも中国人がいっぱい!

2015年2月20日

旧正月=春節の休暇に入った中国・台湾から、いま日本中に旅行客が訪れています。テレビや新聞のニュースで知ってはいますが、今日、新宿に行ったら、その一団に出くわしました。やはりナマで見るとすごいです。

とくに新宿3丁目から新宿駅に向かう通りの歩道には、2人連れのカップルから20人近くのグループ・団体客まで、中国のそこかしこに。両手に買い物袋をいっぱい持った人もいれば、配送にしたのか何も持っていない人もいますが、それにしてもその数の多さには圧倒されます。どの店も、外側には「?烈?迎(=熱烈歓迎)」や「?迎(=歓迎)光臨」「免税」の文字を大書したポスターや看板を掲げ、客寄せに必死のようです。

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たまたま立ち寄った伊勢丹デパート1階の化粧品売り場も、この日はほとんどが中国人女性客。どこかの学生なのか、全員が黒い制服のようなものを着ており、しかも前のエリにはバッジが。どのカウンターでも大量に商品を買っている人が目立ちました。おかげで日本の経済もうるおっているわけですから、中国人さまさまであることは間違いありません。

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“残念な”JRの「グランクラス」車両

2015年2月18日

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ホテルの近くにあるコンビニで地元の新聞=「デーリー東北」を買いました。1面トップはもちろん、前日の「えんぶり」です。青森県では「東奥日報」のほうが有名ですが、この地域では「デーリー」のほうが上。八戸市での普及率は75%とのことです。

3月に開通する北陸新幹線でも導入されるようですが、「グランクラス」の車両に、試しで乗ってみました。見たところは国際線飛行機のビジネスクラス(それも上級の)を思わせるシートが、ゆっくりしたピッチで並び、「お-っ!」という印象。腰をおろすと、ついシートベルトをしなくては……なんて気にさせられます。

すわってしばらくすると、アテンダントと呼ばれている女性が席までやってきて、熱いおしぼり(しかもタオル地が厚い)を渡してくれました。これは日本人にはうれしいですね。次に、「お食事は?」「お飲み物は?」といった型どおりの質問をしてきます。飲み物はアルコール、ソフトドリンクなどからいくつでも自由に選べます。食べ物は和か洋のどちらか一方とのことでした。私のチョイスした「洋」はサンドイッチとフルーツの組み合わせ。

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ただ、恩着せがましいとまではいいませんが、いかにも大仰な印象がするのは否めません。たしかに、普通のグリーン車より5000円以上(!!)高い(八戸→大宮間)ので、そうしたサービスを提供しようというJRの気持ちもわからないではありません。でも、「はやぶさ」や「はやて」は、普通のグリーン車に乗ってもソフトドリンクは無料で1杯いただけます。アルコールや軽食、ちょっと贅沢な感じのシートだけでこれだけの金額を上乗せするのは、どうかなぁと思いました。

前にもこのブログで紹介しましたが、スペインのビジネスクラス車両のほうが、金額は日本のグリーン車よりも割安で、サービスもお気楽な感じがして心地よさは上。もっとも日本には、ヘビーで、ウェットな感じのサービスを好む客も多いのかもしれませんが。

そういうサービスより、私は、駅にラウンジを用意するとか、新聞は無料にするとか、無料のWI-FIサービスをつけるとかいったほうが大事ではないかという気がします。それに、リクライニングやランバーサポートなどシートのグレードは高いものの、肝心のすわり心地が皮張りの割にはいまイチ。これなら普通のグリーン車で十分ではないでしょうか。

まだ試行錯誤の段階なのかもしれませんが、大騒ぎしていたわりには中途半端。「ファーストクラス」などと呼ぶにはいささか残念なレベル。早晩姿を消すか、大々的に改められるかという思いを抱きながら、下車しました。

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「えんぶり」にはやはり雪がよく似合いそう

2015年2月17日
今日が「えんぶり」の本番です。「えんぶり」という言葉は「いぶリ(揺り)」に通じているとかで、大地を揺さぶる、揺さぶり起こす、かき混ぜるといった意味が込められているそうです。けっして派手な催しではないのですが、鎌倉時代以来という長い伝統があるだけに、様式はきちんと整っています。

この日はまず、町の中心にある長者山新羅【しんら】神社に朝早くから、30いくつかのえんぶり組(阿波踊りでいうなら「連」のようなもので、親方以下総勢20~30人から成る)が集まり、本殿の前で順番にえんぶり摺【ず】り=舞いを披露します。「えぶり」と呼ばれる農具を使って田んぼの土を平らにならすことを「摺る」ということから来ているそうです。舞うのは「太夫【たゆう】」と呼ばれる3人もしくは5人。それに「お囃子【はやし】(太鼓、笛、手平鉦、歌い手、太鼓持ちなど)」が加わります。

L1010247_2神事が終わると、各組が一定の間隔で町中に繰り出し、お囃子に合わせて舞いながら練り歩きます。もともとがその年の豊作を祈願するための舞い。太夫が馬の頭をかたどった烏帽子(全体に地味めの衣装の中でこれだけは派手で華麗)をかぶり、頭を大きく振る独特の所作に特徴があります。また、舞いも、種まきや代掻【しろか】き、田植え、刈り取りなどの動作を表現したもので、飛んだり跳ねたりといった派手派手しさはありません。

L1010293それでも、練り歩きの途中、中心街の大通りで「のろし」を合図におこなわれる「一斉摺り」は迫力があります。すべての組が行進をやめ、それぞれ舞いを披露するのですが、その中で演じられる子どもたちの祝福芸(「松の舞」「えびす舞」「えんこえんこ」「大黒舞」)も、ユーモラスでけっこう楽しいものです。

L1010331これとは別に「お庭えんぶり」という行事があります。その昔は、「だんな様」と呼ばれる大地主や有力商家などの土間や座敷で
「えんぶり」が披露されていたそうです。それをもとに、その時代の風情を観光客にも感じてもらおうという目的でおこなわれるようになったのが「お庭えんぶり」で、会場も、国の登録有形文化財になっている「更上閣(明治期の財閥・泉山家が1897年ごろに建てた木造の純和風建築)」の庭園が使われます。

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午後は「八食センター」で昼食を取り、すぐ近くの日帰り温泉(「新八温泉」)でひと風呂浴びたあと(途中で地震があったのにはびっくり!)、夕刻になって更上閣に出向くと、丁重なお出迎えを受けます。靴を脱いで座敷に上がると、甘酒と八戸せんべい汁が振る舞われ、それこそ「だんな様」気分でえんぶりの一部始終が楽しめます。ただ、この時期の八戸では珍しく雪がいまイチ不足気味。雪がもっと深ければ、「えんぶり」の動きも一段と冴えたにちがいなく、それが残念でした。

このあとは、代表何組かによる「かがり火えんぶり」が、日の暮れた市役所前の広場でおこなわれます。市役所の職員による「組」もあり、こちらはこちらでそれなりの練習を積んできたようで、けっこう楽しめました。

地方都市はどこでもそうですが、八戸の楽しみもやはり食事です。この日の夜は、江戸時代創業の酒蔵「河内屋」の旧本社で、大正年間に建てられたという歴史的建造物(国の登録有形文化財)を利用した「ほこるや」という店。なんでも、当時流行したロシア風建築とアールデコ調の様式を取り入れた建物だそうで、外観も内装も非常にユニークです。なるほど、「八戸市まちの景観賞」を最初に受賞しただけのことはあります。ここでも、土地の料理をふんだんに楽しみました。なかでも、この地方に伝わる郷土食「蕎麦かっけ」は最高! 「秘蔵酒」も心地よい味わいでしたよ。

L1010315八戸は、地方にある数多くの都市のなかでも、「観光」という部分では成功している部類ではないでしょうか。東北新幹線の青森延伸を機に、途中駅であるがために通り過ぎていってしまいそうな観光客を下車させて引き止めるのはけっして容易なこととは思えません。それを、「八食センター」や「はっち」といった施設を武器に呼び込むことに成功しているのです。私たちもこの日「八食センター」に足を運びましたが、昭和55(1980)年に開業したというわりには、多くの客が訪れていました。明るく広々とした市場の雰囲気は素晴らしく、いればいるだけお腹がいっぱいになります。買った魚介を、その場で炭火で焼いて食べることができるのもウケているのでしょう。青森県で断トツの入込客数を誇っているのもうなずけるというものです。

初めての八戸訪問です

2015年2月16日
今日から青森県・八戸の一大行事である「えんぶり」を見に来ました。「えんぶり」はこの地方を代表する民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財にも指定されているそうです。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりの一つにも数えられています。

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本番は明日なのですが、朝のスタートが早いので前日から泊まることにしました。八戸を訪れたのは初めて。17世紀の半ばを過ぎたころに作られた城下町ですが、遺構としては土塁、本丸跡などくらいしか残っていません。角【かど】御殿表門だけが長らく風雪に耐えてきたものの、昭和53年に倒壊してしまい、2年後に復元されたそうです。しかし、道筋や町の形、名前はいまも変わらないまま残されています。

町自体はこじんまりしています。1時間もあれば隅から隅まで歩いて回れる感じで、ちょうどいい運動になりました。それでもさすが旧城下町、どことなく気品というか風情がありますし、これまた城下町らしく、かつての呉服店(いまはほとんどが洋品店かアクセサリーの店)も目につきます。おしゃれな書店もありました。


私たちが泊まるホテルのすぐ近くに「はっち」という名前(正式には「八戸ポータルミュージアム」といいオープンは2011年)の観光案内所っぽい施設があったので、そこに立ち寄ってみました。とてもおしゃれな建物で、中も充実しており、八戸に関する情報はほとんどここで手に入ります。

L10102433階の展示の中に、いま住んでいる「豊島区」の文字を見たときは驚きました。日本の女性ジャーナリストの草分けである羽仁もと子が始めた「女性の解放」「自由教育の推進」運動の拠点「婦人之友社」は、以前私がオフィスを借りていた豊島区西池袋にありますが、その羽仁もと子はここ八戸の出身だったのです。

地元の小学校在学中は成績優秀で文部省から表彰され、女子でただ一人高等科へ進学したもと子は、明治22(1889)年に上京、東京府立第一高等女学校に入り、在学中にキリスト教の洗礼を受けます。その後当時の報知新聞社に入社し、女性記者として活躍しましたが、同34(1901)年に同じ職場の羽仁吉一と結婚し退職。そして同36(1903)年に「婦人之友」の前身である「家庭之友」を創刊したとありました。羽仁もと子記念館には行けませんでしたが、もと子ゆかりの場所にオフィスを構えていたことの縁にうれしくなってしまいました。

夜はホテル近くの屋台広場「みろく横丁」の一角で魚介類を堪能。さすが海のすぐ近く、とてもおいしかったです。

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ニッポン放送に出演しました

2015年2月13日

ニッポン放送の『テリー伊藤のフライデースクープ』という番組に出演させていただきました。毎週金曜日の夕方4時から5時30分までオンエアされている番組で、この日のタイトルは「県民性の不思議」。“困ったときの県民性”と私はひそかに思っているのですが、番組の企画ではいちばん無難で、しかも内容に幅があります。もちろん、リードする人の才覚にもよるのでしょうが、その点、テリー伊藤さんのようなキャラクターは適任です。


聴視者からもメールがバンバン届いていたようですし、あらかじめ済ませた打ち合わせのとおりにはまったく行かないところが面白く感じます。このあたりは、予定調和が重んじられるテレビとの大きな違いでしょう。


テレビはやはりその影響力の大きさからでしょうが、とにかく打ち合わせが綿密です。本番のときに話すネタを、事前に3回も4回も話すと、どんどんテンションが下がってきて、本番のときは、かなり面白いネタのはずなのに、話している本人も、つまらなそうな感じになってしまっています。もっとも、そこがプロとの違いなのでしょうが。


その点ラジオは、「一過性」の魅力が最大限に生きる媒体という気がします。1分前に電波に乗った話を覚えている人などまず一人もいません。だからといって言いたい放題というわけではないのですが、その場のノリやとっさのひらめきだけでどんどん進んでいくのがスリリングですし、面白いように思えます。

とりあえず当日の中身がかいつまんで紹介されていますので、下記ウェブサイトをご参照ください。

http://www.1242.com/program/terry/2015/02/13184500.html

それにしても、さすが、江戸っ子のテリー伊藤さん、進行スピードの速いこと、速いこと。驚きました。

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アンベール城──生まれて初めて象に乗る

朝7時半にホテルを出発。こんなに早いのはワケがあります(後述)。「ピンクシティーという別名を持つジャイプールの市街地を抜け、バスは郊外へ。なぜそんな別名があるかというと、19世紀後半、インドがイギリスの植民地だったころ、本国から王子様が来られるということで、ピンクが好みだった王子のために、町中の建物をピンクに塗ったからだそうです。

L1000620最初に訪れたのは「風の宮殿(ハワー・マハル)」。かなり色褪せてはいるものの、ここも確かに外壁はピンク色でした。ジャイプルを支配していたマハラジャの居宅で、あとで行く「シティ・パレス」の一部だといいます。

インドは古いだけあって、城が多い国です。しかも、絶対権力者が支配した王朝が多いせいか、ハンパな規模ではありません。今日訪れたアンベール城もその一つ。もともと砦があった場所に、ムガール帝国第3代皇帝アクバルの軍司令官であったラージプート族のラージャ・マーン・シングが大きな城を築き始めたのは1592年。その後も150年間にわたり、ずっと改築が続けられたそうです。

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岩の丘の上に立っているのですが、その全景は、城よりかなり手前にある場所からしか観ることができません。すぐ近くに着いても、本体はその150m上。しかも、大変急な坂です。歩いていく人もいるにはいますが、私たちはもちろん、名物の「象のタクシー」を利用しました。

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その昔は、象もヘトヘトになるまで仕事をさせられたのでしょうが、いまは1日の回数が制限されているとのことで、昼前には任務終了。仕事を終えた象は城から長い道を村まで戻るのですから、たしかに大変でしょう。

象のドライバーはえらく愛想がよく、日本語も達者。私たちが乗った象のドライバーは「ナマムギナマゴメナマタマゴ」という早口言葉を披露してくれたりしました。愛想よくしておけばチップをはずんでくれるのではという下心でしょうね。

時間にすればわずか数分の道中なのですが、妙にゆっくりした感じがします。途中、カメラを持ったインド人が次々とあらわれ、私たちの写真を撮ります。ポーズを指示する人もいました。

降りる際にチップ(早口言葉の割り増しはなし!)を支払い、中庭から周囲を見渡すと、「世界一美しい門」と言われるガネーシヤ門が目に入ってきました。まあ、それ以上に目につくのはみやげ物売り。まあ、次から次へ、絵ハガキ、民芸品、ボールペン、額に貼りつける「ビンディ」(既婚女性はかならず貼りつけている)、そのほかなんだかワケのわからないものまで、いろいろなものを手に大声を出していました。

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Img_0054_2ガネーシャ門を観ながら、城の中に入っていきます。見ものの一つが、小さな鏡の散りばめられた「鏡の間」。天井や壁に無数の壁が埋め込まれているのですが、これだけたくさんあれば、電灯のなかった時代でも、ロウソクの明かりがあちこちに反射・増幅し、室内はさぞかし明るかったことでしょう。

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いちばん奥には舞台があり、ここでは毎晩、宴会があったとか。ハーレムの各室も、壁や天井など、平らなところにはすべて手の込んだ装飾がほどこされていました。床には水路を通して涼しい空気が入ってくるようになっています。暑い国は暑いなりに、それと付き合うための工夫を編み出すというわけです。

帰りはジープ。とんでもなく年代物も多く、道も悪いので、まあ揺れる揺れる。麓の集落まで行き、そこでバスに乗り換えます。 街に戻る途中のマン・サガール湖に「レイクパレス(水の宮殿)」が浮かんで見えました。5~6月は、夏の別荘として王家一族が涼を求めて住んだといわれる建物です。そこを通り過ぎ再び街に入ると、着いた先が天文台=ジャンタル・マンタル。
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インドでは古代から天文学が発達していたらしく、日時計やら12星座のオブジェやらが屋外に並んでいます。ガイドさんがいろいろ説明してくれましたが、もともとそちらの分野にほとんど関心のない私にはほとんど理解不能。申し訳ありませんが、近くを勝手に歩き回ったりしていました。唯一理解できたのは12星座のモニュメント(?)。そこを見学したあとは「シティパレス」。マハラジャの宮殿です。いまでもその末裔の方(41代目とか)が住んでいると聞き驚きました。

さらに衣裳博物館や武器博物館、大会議場などを見学したあと、昼食を取りに再びアンベール城へ。パレスの出口近くにヘビ使いがおり、ずうずうしく一緒に写真を撮ってもらったり。

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Img_0093_2もう午後になっていましたから、アンベール城へは最初からジープで登ります。途中、仕事を終えた象と何頭もすれ違いました。昼食は城内の一角にあるレストラン。えらく、高級そうな内装でした。「ターリー」と呼ばれるインド独特のランチ。丸か四角い皿にいくつかの仕切りがあり、その一つひとつにライスやチャパティ、カレーなどが盛られているもので、さまざま楽しめます。

Img_0094主人公はやっぱりカレーです。カレー好きの私にはもうたまりません。これを別々に食べるのではなく、一緒に混ぜて食べるのがインド式だとか。こうすると、さまざまなスパイスが混じり合い、単独で食べるのとは別の風味が出てくるといいます(ただし、ホウレン草カレーは例外))。さっそく試してみましたが、これはイケます。だからインドの人は手で食べるんだと、納得してしまいました。フォークよりすばやく混ぜられるのです。

ターリーに十分満足したあとは、朝のときと同じようにジープで麓の集落まで行き、そこでバスに乗り換えて街に戻ります。途中、インド更紗、細密画、宝石店などに立ち寄りながらホテルに戻ったのは夕方5時半。今日の夕食は同じレストランですが、内容はセットメニュー―でした。ワインもけっこういけます。なんでも、インドでは最近ワインに力を入れているそうです。そういえば、私の自宅近くでひいきにしているインド料理の店でも最近、ワインのメニューが増えていたことを思い出しました。

初めてのインドにGO!

2015年2月5日


昨日の夕方、成田を17時15分に出発するANA便でインドにやってきました。同じANA国際線でも、インド便はなぜかキャビンアテンダントの質がいまイチという感じがしました。サービスのクオリティーがまだ発展途上なのでしょうか。

今日の午前0時過ぎ、デリーに到着。空港近くのJWマリオットホテルで、いちおう「宿泊」ではあるのですが、実質は休憩に近い感じです。モーニングコールが7時ですから。


今回のインド旅行は「世界の旅情」のツアー(JTB)です。インドとなると、あまり知識もなく、個人旅行では難しそうな気がしたからです。もともとは、昨年秋の南アフリカ旅行(同じく「世界の旅情」ツアー)で一緒になった方々が口をそろえて「インドはよかった」と話していたので、私たちも、予定を大幅に前倒して決行した次第。本当は、まだまだ当分先、おそらくは、70歳近くになってから元気なら……といった位置づけでした。


さて、朝9時にホテルを出発し、まずは市内観光です。この季節、朝の時間帯は霧が出ることが多いらしく、この日も出発してしばらくの間は、霧で窓の外の景色がよく見えませんでした。しかし、車道のすぐ脇、歩道を歩く人々の姿はよく見えます。歩道を通っても未舗装で、雨でも降ったら大変だろうなと思わせます。

L1000538中心部は美しく整備されており、とくに官庁街は素晴らしく整備されています。そこを抜けて旧市街(=オールドデリー)へ。最初の見学スポットは「ラール・キラー(英語名はレッドフォート=赤い砦)」。周りにはおびただしい数のおみやげ売りが、手に手に何かしらを持って声をかけてきます。バイクや三輪タクシー、普通のクルマ、バスなどごったになって渋滞している道路を渡ったところから、美しい赤砂岩でつくられたレッドフォートがその全貌を見せてくれます。ホントきれいな赤です。世界遺産だそうですが、すぐ隣にあるのはヒンドゥー教寺院のようでした。

1526年から北インド、17世紀末から18世紀の初めごろはインド南端部を除くインド亜大陸のほぼ全域を支配し、1858年まで存続したトルコ系イスラーム王朝=ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが築いたものです。

1639年、アーグラ(今回のツアー後半で行く)から都を移したとき、そこをシャージャハーナーバード (Shahjahanabad=シャーじゃハーンの町)と名づけたのですが、その居城として9年の歳月をかけて築いたそうです。残念ながら、内部には入れませんでしたが、えらく広大なようで、中には市場もあったとのこと。というか、町全体が城壁で囲まれていたのですね。ちなみに、インドの地名によくある「~アバード(-abad)」は、ヒンディー語で「城砦」とか「集落」「都市」「移住地」「植民地」といった意味とのことです。アーメダバードとかハイデラバードとか、地図で見た覚えがあります。

L1000552次に行ったのは「ラージガート」。ここはガンディーが埋葬されたところで、いうならば神聖な場所ですね。墓碑の前には記念のトーチがあり、火が燃えてウづけていました。靴を脱いですぐ近くまで行きましたが、人々は皆、神妙な面持ちです。

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その後はインド門(第1次世界大戦で戦死した9万人のインド兵士を顕彰するために建てられた)で、これも立派な建築物でした。今日の見学はこれで終わり、ランチタイムになりました。「Moti Mahal Delux」という、タンドリーチキン発祥とされる店で、本場のインド料理を初めて食べました。もちろん、カレー系です。カレーにはやはりビールがよく合います。日本人のツアーではだいたい訪れる店のようです。

午後1時半ごろ、再びバスに乗り、270キロほど南西の大都市(人口320万ほど)ジャイプールへ。途中、州を越えるたびに通行税のようなものを徴収されるようで、検問所でバスもしばし停まります。

ジャイプールまでの景色は退屈でした。たまに目につくのは日本でいう祠【ほこら】ヒンドゥー教の寺院です。もう一つ、壊れて人が住まなくなっている家も目立ちます。とくに、道路に面したところが多いようです。

ときどき街を通り過ぎるのですが、とにかく人の多いこと! 国土が広いとはいっても、日本の人口の10倍ほどですから、それもいたしかたないでしょう。もちろん、牛も羊もヤギも犬もラクダも、そこいら中にいます。猿もいました。だれかにきちんと飼われているのでなく、「野良」もいるといいます。そこに自転車、歩行者、バイク、クルマなどが加わりますから、もうごった煮状態。まさしく「カオス」そのものといった感じでしょうか。

なぜか、外で見かけるのは男性が8割といった感じです。男尊女卑の風習が根強く残っているインドでは、女性が外を出歩くのはまだまだタブー視されているとかで、たまに見かけても顔を隠している人がほとんどといった感じです。もちろん、デリーのような大都会では、そういうことはないですよ。


カオスといえば、インドの交通事情に触れておかなくてはいけませんね。テレビの映像などでも見た記憶がありますが、それはもう想像を絶する状況です。まず、「乗車定員」がほとんど無視されています。日本でいう軽自動車に定員いっぱいは当たり前、だいたいはプラス2~3人、場合によっては倍の人数が乗っています(もちろん、うち1~2人は子ども)。軽トラックの運転席に3人、荷台に8~10人などというのはごく当たり前です。普通のバスもほとんどがすし詰め状態。すわっている人とほぼ同じ数の人が立ったまま乗っています。私が今日見た最高は、50人近くが乗っていたマイクロバスでしょうか。おそらく、定員は15人ほどと思われるのですが、タイヤなどかなり扁平になっていましたから。


L1000517_3それだけならまだしも、それが道路の上をびっしり埋め尽くしています。重体のときなど、本来3車線しかないはずの道路が4車線、ひどいときは5車線になってしまっているのです。ちょっとでも隙間があれば、すぐに割り込んでいくのですから、当然でしょう。もちろん、渋滞が緩和するとあら不思議、ごく自然に本来の車線数に戻ります。バスに乗って走っていて、その“変化”の様子を目の当たりにしたときはビックリしました。走っているドライバーにしてみると、一瞬たりとも気が抜けないので、くたびれるにちがいありません。それに、多くのクルマが、丸坊主のタイヤを履いていました。そういうことはまったく気に懸けていないようです。

L1000589L1000539_2普通の乗用車に加え、インド特有の車がタクシー。といっても、日本で見るようなタクシーはまれで、ほとんどは「(オート)リクショー」という小型3輪トラックを改造したもの。その昔、日本でも目にしたダイハツミゼットをもうひとまわり小さくしたくらいでしょうか。これもまた、運転席に3人、後部の客席に3~5人乗っていたりするのですから、ほとんど曲芸の世界。普通のクルマの間を縫うようにしながらスイスイ走っていきます。どの道路脇にも客待ちの「リクショー」が止まっていて、利用者もかなり多い感じがしました。

「リクショー」の起源は日本の人力車です。明治40年代には、年間1万台が日本から輸出され、「リキシャ」、それがなまった「リクショー」といった名前で広く根づきました。いまはその多くが「オートリクショー」という名の軽三輪トラックを改造したものに代わっています。どのリクショーも車自体がかなり古く、安全性の点では心配ですが、道路上にはそれ以上の心配がいっぱいあるので、たいした問題ではないのかもしれません。

夜7時前にホテル着。夕食はホテルの中のレストラン。バフェットスタイルなので、ほとんどなんでもありでした。でも、やはりカレー系がおいしかったです。