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亀戸で見た梅

2019年1月26日
恒例となった高校時代の同窓生7人が集まっての新年会。今年の会場は亀戸で、私にとってはほとんど初めての場所。梅と藤でも有名な亀戸天神の境内にある蠟梅【ろうばい】が可憐な花を咲かせていました。まあ、それよりきれいなのは紅一点のSさんかも?

近くの老舗和菓子店「船橋屋」は行列ができていて入れませんでしたが、幹事が予約してくれていたちゃんこ鍋はたいそう美味でした。

中学時代の旧友とラグビーを観戦

2019年1月20日
昨日は「トップリーグ杯」の順位決定戦を観ました。それも名古屋の瑞穂【みずほ】ラグビー場(ネーミングライツがあるためいまは「パロマ」が頭についています)です。高校でラグビーをしていたころ、試合で来たのは一度だけ。ただ、年末年始になるとここでタッチジャッジをした記憶があります。いまでもおこなわれている「全国地区対抗大学ラグビー」という地味な大会の会場がここ瑞穂で、わが母校のラグビー部が毎年、タッチジャッジを仰せつかっていたのです(顧問の先生が、県ラグビー協会の幹部だったためでしょう)。

一緒に観戦したのは中学時代の親友Hくん(愛知県小牧市在住)。4年前のワールドカップで、日本vsサモア戦を一緒に観に行く予定をしていたのですが、私が帯状疱疹に罹り、約束を果たせませんでした。しかし、試合後、ロンドン市内の駅(Euston)までやってきて、ホテルのベッドからかろうじて這い出して会いに行った私におみやげをくれました。昨年、奥さんに先立たれ、お線香をあげに自宅まで行きましたが、それ以来の再会。

いまも88歳の義母の面倒を見ながら元気な日々を送っていますが、気分転換も兼ねたまには自宅から足を延ばすのもいいのではと思い、誘ってみたところ、二つ返事でOK。この日は2試合あったのですが、1試合目から会場に来ており、私がラグビー場の入口に着いて連絡を入れると、スタンドから降りてきてチケットを渡してくれました。

1年でもいちばん寒いこの時期なのに、この日はなぜかポカポカ陽気。風もほとんど吹かず、素晴らしい日和でした。神戸製鋼vs東芝という好カードで、試合も接戦。東芝のリーチマイケル、神戸のダン・カーターのどちらも出場していませんでしたが、十分満足できました。誰と一緒に観るか——スポーツ観戦では大事なファクターなのです。

 

Hくんはいまから55年も前、中学時代からラグビーをしていた、当時としては変わり種。私たちが通っていたのは名古屋市立北陵中学。私とHくんのクラス担任で、体育を教えていたK先生が、ラグビーの愛知県教員団チームの一員として国体に出場していたこともあり、ラグビー部を作ったのです。そのときK先生に声をかけられて部員になったのがHくん。当時を思い出すと、Hくんの体型はたしかにフォワード第1列向けでした。この時代、中学のラグビー部は名古屋市内、愛知県内でもほんの数えるほどしかなく、K先生のおかげもあってどんどん強くなったようです。

北陵中学は全国大会でも何度か優勝したことがあります。花園でおこなわれる高校ラグビーの県代表・中部大学附属春日丘【はるひおか】高校の出場選手に何人も名前を連ねているほどです。

Hくんにも「よく誘ってくれた」と感謝され、恐縮してしまいましたが、こういう場で旧友と再会できたのは大きな喜びでした。たわいのない思い出話をしながら美しい芝生のグラウンドを見ていると、気持ちも若返ります。

今日は高校時代同じラグビー部だった旧友Mくんとランチを共にしました。店も、高校時代の同期生Aくんがやっている洋食屋さん。しかも、たまたまその近くで、これまた高校時代の同期生Nくんが絵の個展をやっているというので、そちらにも顔を出しました。N君は残念ながらインフルエンザにやられてしまったため、会場に来ることができませんでしたが、それでも、旧友と楽しい時間を共にできたうれしさは何物にも代え難いですね。年齢的にそういう時期にさしかかっているのでしょうが、友というのはホントありがたいものです。

「東国三社」のバスツアーに参加

2019年1月17日
JR東日本の「大人の休日倶楽部」主催の「勝ち年祈願! 鹿島神宮と香取神宮」という日帰りバスツアーに参加しました。“●茨城県南部と千葉県にまたがる「東国三社」と呼ばれる「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の3つの神社を日帰りでめぐる初詣ツアーです。●昼食は明治30年より鹿島神宮のお膝元で続く歴史ある食事処「鈴章」にて名物の鯰(ナマズ)の薄造りを盛り込んだ料理をご用意いたします”という触れ込み。「国内旅行傷害保険つき」とはいえ、価格は13800円です。

毎月送られてくる機関誌でこのツアーを知り、申し込んでみたのですが、実際に行ってみると、コストパフォーマンスがすこぶる悪く、不満が残りました。道路の混雑状況で戻りの時間が遅れる恐れもあるとはいえ、「午前9時出発 午後7時・東京駅帰着予定」が、実際の帰着は午後5時40分。そのせいもあって、中身は必要以上に間延びした感じで、どの神社でも時間を持て余し気味。しかも平日ですから、道路もほとんど渋滞なしとなれば、こういうことになってしまうのでしょう。これだけ余裕があるのなら、最後、香取神宮のあとに伊能忠敬記念館の見学とか、佐原の街並み歩きでも組み込めばいいのにと思ってしまいます。

最後に訪れた香取神宮の駐車場にはとバスの車が止まっているのに気がついたので、スマホでググってみると、はとバスでもほぼ同じ内容の企画がありました。値段を見るとこちらは7980~8480円。違いは添乗員がつかないのと、昼食が「ANAクラウンプラザホテル成田 (バイキングの昼食)」という点。添乗員がつくとここまで値段が変わるものなのかという疑問はさておき、JR東日本の価格はちょっと高すぎではないかというのが正直な感想です。ランチもはとバスのほうはたぶん3000円見当なのに対し、私たちが行ったの「鈴章(ミニAコース)」は1800円。ナマズもものめずらしくていいのですが、好き嫌いもありそうですし。となると、ますます価格設定に疑問が湧いてきます。

それより何より、なんでもきちんと比較してから申し込む(買う)ようにしないと、こういう墓穴を掘ってしまうのだなと反省させられました。そもそも、「東国三社めぐり」というのは、それほど斬新な企画でもないようで、この時期の定番。となればよけいそうした思いにさせられます。また、真剣にお参りしたり、近ごろはやりの「御朱印」集めといったモチベーションもない私のような者にとっては、いまイチのバスツアーでした。

大相撲初場所で稀勢の里最後の相撲

2019年1月16日
初日は御嶽海、2日目が逸ノ城と、連敗して迎えた大相撲初場所の3日目(昨日)。対戦相手は栃煌山です。しかし、あっさり土俵を割ってしまいました。3連敗となると、座布団も舞いません。結局、今日引退を発表したのですが、せっかくの日本人横綱も短命でした。

ラグビー日本選手権は神戸製鋼が優勝!

2018年12月16日
まあ、昨日はとにかく寒い日でした。最高気温は9℃だったそうですが、風が強く、外の体感温度はそれより3~4℃は低かったにちがいありません。「外」というのは、ラグビーの日本選手権決勝(神戸製鋼 vsサントリー)の話です。

それにしても、日本選手権@秩父宮のピッチ上で、元ニュージーランド代表のダン・カーター(キャップ数112)、元オーストラリア代表のマット・ギタウ(同103)、アダム・アシュリクーパー(同116)の3人がそろってプレーするなどということを、10年前、いな5年前でも想像したラグビーファンがいるでしょうか。しかし、それが今日、現実になったのです!

もちろん、3人とも全盛期は過ぎています。といっても、3年前のワールドカップに出場、大活躍しました。しかも、ニュージーランド、オーストラリアという、世界でもトップクラスの国の代表選手としてキャップ数が3桁を超えているのですから、実力は折り紙付き。そうした選手と一緒にプレーすれば、日本の選手もごく自然に力をつけていくことでしょう。ここ3、4年でJAPANが力をつけてきたのも、その影響が大です。

 

秩父宮は指定席も自由席もほぼ満員。日本ラグビフットボール協会の招待券で入った私など、自由席でもいちばん劣る、バックスタンドとサイドスタンドの狭間、通路のすぐ近くだったので風通しがよすぎ、寒いことといったらありません。2時間ほどすわっていましたが、足の先からすっかり冷え切ってしまいました。終了10分前で神戸48対サントリー5というスコアで、最後、サントリーが意地を見せてワントライは返してほしいなと思いつつ、早々にスタンドをあとにしたのですが、逆に神戸が1トライを追加。55対5という、日本選手権には似つかわしくないワンサイドゲームでした。フルバックの松島幸太朗など、「自分たちのゲームは1分間もさせてもらえなかった」と試合後コメントしていたくらいです。

私立の動物園は経営が大変そう

2018年12月4日
広島から岡山までは30分少々。西日本の動物園訪問・第3弾は岡山の池田動物園です。名前から想像がつくように、ここは江戸時代この地を治めていた池田氏の私立動物園。駅からタクシーで10分足らず、住宅街の中にあります。敷地は小高い丘(京山)のふもとにあり、園内はけっこうアップダウンが。それもそのはず、もともとは牧場だったようです。

wikipediaによれば、「元岡山藩主池田詮政【のりまさ】の孫池田隆政と昭和天皇の第四皇女池田厚子夫妻により1953年月に設立され、その後動植物園を経て60年に現在の池田動物園となった」 と。そうした背景もあってでしょう、この動物園には、牧場の時代も含め、昭和天皇・皇后両陛下が2度もご訪問されているようです。

ただ、昨年ベンガルトラが亡くなったのに続き、今年もホワイトタイガー、エゾヒグマが亡くなっており、どこかうらさびしい感じすらただよっていました。もちろん、平日なので仕方ないのですが、私立の動物園というのは経営が大変なのでしょう。園内にちょっと立派な家が建っているので何かと思ってみたら、園長のご自宅。園内マップにも「えんちょうさんのおうち」と書かれています。いかにも「私立」といった感じがします。

いま動物園は、世界中どこでも、動物の維持に苦心しているようです。とくに日本は、世界的に見ても動物園の数が多く、しかもほとんどが公立、つまり地方自治体が経営主体になっています。少子化で人口が減り税収入もままならない中、動物園を維持・管理していくのは大きな負担のようで、皆頭を抱えているのではないでしょうか。

ここ池田動物園もスポンサーになっている地元企業が数十社あるようですが、それでも苦しい経営状況がありありと感じられました。ほとんどの動物が単体、1頭きりなので、さびしい印象はまぬかれません。山の上のほうにいるライオンもかなり年齢が行っており、毛がパサパサでボサボサ。人間に例えるなら1カ月髪を洗っていないような感じです。レッサーパンダも同じく1頭きりでさびしさがありあり。ただ、ニホンシカが山の中腹、ほかより10メートルほど高い場所にいたのが印象的でした。

  

「食」には少々難アリの姫路。でも、立ち食いの牡蠣そばはグーでした

2018年12月3日
昨晩からの雨もお昼前にようやくあがったので、姫路市立動物園に行くことにしました。お城の中にあるという、いまではとてもユニークな動物園です。園内からも世界遺産・姫路城の天守閣が見えるので、動物たちにとってもぜいたくな空間と言えるかもしれません。

ただ、市立ですし、場所も場所なのでこじんまりしており、動物の種類・数もそれほど多くはありません。それでもキリンは2頭いましたし、北極グマやライオン、シマウマなど、とりあえず2頭ずつ。やはり、どんなしょぼくても2頭はいないとさびしい感じがするので、ぎりぎりセーフといったところでしょうか。

 

さて、ランチをどこで食べるか──。昨夜に続いて、適当な店がなかなか見つからなかったのですが、地下街で食べた「牡蠣そば」は思いがけないヒットでした。立ち食いレベルのそば屋で牡蠣そばが食べられるところはそうそうありませんし。

次の目的地は、姫路から新幹線で1時間ほどの広島。長い間お世話になっている方が主宰されているNPO法人の年末懇親会に出席するため、会場のグランドプリンスホテルに向かいました。恒例の余興では、昨年に続き出雲神楽を鑑賞。演し物は『大江山』で、たいそうな迫力です。

広島では近ごろ、この出雲神楽を外国人観光客向けに見せているらしく、えらく好評なのだとか。ただ、プロの演者がいるわけではないので、常打ちにはできないそうです。しかし、それほど好評であれば、なんとかその手立てを講じていただきたいなとも思います。歌舞伎顔負けの衣装もさることながら、ストーリーが単純明快、しかも短時間なので、イヤホンガイドとかがなくても、よくわかるのではないでしょうか。

会場から宿泊先のホテルに戻ると、この時期にしか見られない「ひろしまドリミネーション」が。平日なので人出もそれほどでなく、ゆっくり見て回ることができました。神戸のルミナリエには太刀打ちできませんが、平和大通りの公園スペースを利用しているので広々としており、神戸のように行列する必要はありません。

 

私が愛用しているビジネスホテル「ロイネット」

2018年12月2日
前日、京都での仕事を終え神戸に移動しました。三ノ宮までは新快速で1時間ほどですからすぐです。3カ月ぶりの神戸ですが、土曜日、それもいちばんにぎやかな三ノ宮とあって、けっこうな人出でした。

ホテルは駅から徒歩5分ほどのロイネット。ひとりで動く場合は、ほとんどこのブランドに決めています。駅から近い、値段が高くない、部屋が広い(ワーキングスペースも)、そして喫煙OKの部屋がある、コンビニが近いといったところが主な理由です。「主な」と書きましたが、これだけの条件がそろったホテルというのは、そうそうあるものではありません。唯一の欠点は、ビジネスホテルなので、「朝食付き」といっても、同じ建物に入っている居酒屋とかカフェに毛が生えたような店で食べるケースがほとんど。そのため、内容がいまひとつなのです。

夕食を食べに出たのですがなかなか見つからず、結局、駅からさほど遠くない豚カツ屋さんで牛カツ飯というのを食べました。関西はやはり牛肉文化で、「豚カツ」を名乗ってはいても、メニューの多くを「牛肉」ものが占めています。

三ノ宮駅周辺には、いわゆる神戸っぽさを感じさせるおしゃれな店が並ぶ商店街もいくつかあります。ただ、その一方で、昭和風というか、レトロで猥雑な飲食店街もあるのです。そうした店の中で行列ができているのは、串揚げ(串カツ)かギョウザで、このあたりは東京とはかなり様相が異なります。

さて、今日は早起きして、まず王子動物園へ。三ノ宮からJRで一つ目の灘という駅から歩いてすぐのところです。隣の駅だというのに三ノ宮とはうって変わって静かな駅で、あとでわかったことなのですが、文化関連の施設がいくつかあります。

動物園自体はこじんまりしていますが、日本で唯一ジャイアントパンダとコアラを同時に見ることができる動物園なのだそうです。しかし、園内に重要文化財の建物があるのには驚きました。歩いていて、あんなところに洋館が見えるなぁ、なんだろう? と不思議に思っていたのですが、神戸にいくつかある異人館の一つで、1889年に建てられたといいます。かつての所有主エドワード・ハズレット・ハンター(イギリス人の実業家で、日立造船の前身の会社を興した人物)にちなんで「旧ハンター住宅」と呼ばれ、もとは市内北野町にあったもの。1963年に王子動物園内に移築され、66年に国の重要文化財に指定された、たいそう由緒のある建物のようです。

3頭いるキリンにも挨拶し、園を出ると、「横尾忠則現代美術館」の表示が目に入りました。時間もありましたし、せっかくだからとそちらに向かいます。その手前に建っているのは「兵庫県立美術館原田の森ギャラリー」、向かい側に建つレンガ造りの建物は「神戸文学館」です。

ただ、建物の脇に「関西学院発祥の地」という看板が立っていました。説明文を見ると、もともとは1904年に建てられた関西学院の初代チャペルなのだとか。関西学院はその後、西宮市に移転しましたが、チャペルはこの地にとどまりました。しかし、太平洋戦争中、空襲に遭って大破。1950年にあらかた修復されてからは、さまざまな公共施設として転用されたようです。そして93年、塔の復元とともに市民ギャラリーとなったのち、現在の神戸文学館となったとありました。

「横尾忠則 在庫一掃大放出展」というタイトルでおこなわれていたのは、これまでこの美術館で一度も展示されたことのない作品ばかりを集めたもの。ほとんどの作品につけられていた横尾直筆の注釈メモを読むと、その人柄がよくあらわれているように思いました。

三ノ宮に戻りそごうデパートで昼食を買い、地下鉄でノエビアスタジアムへ。今日はラグビー・トップリーグの順位決定戦2回戦、神戸製鋼vsリコーの試合です。勝てばベスト4ですから、レベルは高いはず。ダン・カーター見たさで行ったのですが、やはり身のこなしがしなやかというか、ラグビーボールを持って生まれたのではないかと思わせるような、無駄のない、それでいて力強さも感じさせるプレーにまたまた感動しました。

試合終了後、三ノ宮まで戻り、次の目的地・姫路へ移動。ホテル(10月にオープンしたばかりのロイネット)でひと仕事終え、夕食を食べに出たのですが、この町は「食」についてはいまひとつの感があります。数年前に来たときも感じたのですが、行ってみたいなと思わせる店があまりないというか(それほど強いこだわりがあるわけではないのですが……)。結局、駅ビルにある「ゴーゴーカレー(金沢風で有名!)」で済ませたのですが、この店のカレーは、若い人に人気とだけあってボリュームが勝ちすぎのきらいがあり、私のような年齢の者には少々キツ~い感じがしました。

 

老師、ますます意気軒高!

2018年11月24日
昨日、成田に帰って来たのが夕方。家に戻り、まる1日も経っていないのに、今日は名古屋です。高校3年生のクラス会に出るためですが、呼びかけ人の一人に名前を連ねているので、欠席するわけにはいきません。というわけで、かなり強引なスケジュールになってしまったのですが、それでも日中(ランチタイム)ですから、まだ助かりました。ちなみに、家人もこの日の夜は小学校のクラス会でした。

来年で米寿を迎えるS先生は今年もまた矍鑠とした姿で来られました。朝起きたら太極拳と体操をし、午前中は読書、午後は近所を散歩、夜はゆっくりするという毎日を過ごしておられるとかで、それが元気の秘訣だとおっしゃられると、とても説得力があります。毎度のことながら、帰りがけに配ってくれるプリントには、ユーモア川柳が、先生の訳した英文とともに書かれていました。英語を教えていましたから、当然かも。「減る記憶 それでも増える パスワード(Memory gets worse but I’m stuck with more passwords than ever before.)」。なるほど。

一次会は中華でしたが、二次会も喫茶店と、最初から最後まできわめてヘルシーな内容で、さして疲れも感じずに戻ることができました。それにしても、行くたびに感じることですが、名古屋はここ10年ほどで大きく様変わりしつつあります。とにかく、人の多いのには驚くばかり。前は中国・韓国・台湾・香港からの観光客が目立ちましたが、いまはもうマレーシア、タイ、欧米系、インドなど幅がぐんと広がっています。さらに、日本全国からも老若男女を問わず、多くの人が訪れているようで、「そんなに行くところがあったかなぁ?」という思いが強い私からすると、不思議な感じがします。

 

尾道からアナハイムまで、36時間ぶっ通しで起き続ける

2018年11月17日
今日は尾道から広島空港に向かい、そこから成田空港、成田からロサンゼルスという長い長い旅が待っています。その前に、尾道駅周辺の商店街を回ってみることにしました。以前、取材で訪れたときは、商店街のほんの一部しか見られなかったのですが、今日は奥の奥まで足を延ばします。

予想していたよりはるかに長く続いており、しかもいまどきの地方都市には珍しく、ほとんどの店がきちんと営業しています。土曜日なので、人通りも多く、なかには、行列のできている店も。昨日の「フォーラム」で市長が語っていた“活気ある尾道”を実感させられました。こうなるまでには10数年かかったといい、相当苦労されたようです。それがいまどんどん実っており、そうなると住民も元気になります。それどころか、ここなら商売も成り立つというわけで、よそからやって来て店を開いている人もいるようです。これで駅の全面改装が終われば、ますます多くの人がやって来るのではないでしょうか。

  

しかし、その尾道と広島空港とを結ぶシャトルバスが一時廃止になりそうになったこともあると聞き、驚きました。地元の要望でなんとか1日2往復は走っているようですが、早朝だけのため、今回の私たちは利用できません。結局、山陽本線の電車で白市【しらいち】という駅まで行き、そこからタクシーで空港へ。

機内で11時間以上過ごしても、まだ11月17日は続いています。久しぶりに乗ったシンガポール航空ですが、昔と比べるとサービスの質がかなりダウンした印象は否めません。以前このブログでシンガポールのリッツ・カールトンホテルでの一件について書きましたが、それとほとんど同質の“上から目線“的な客あしらいになってしまっているのです。というか、「情」が欠けている気がします。どのCA(キャビンアテンダント)もマニュアルに忠実なサービスをしているものの、いい意味でそこから一歩もはみ出ていません。

ぐっすり眠りについている客の席にも、朝食を持ってきたりするのがそのいい例。声をかけられても返答しなければやり過ごすのでしょうが、寝ぼけまなこで「はい」と応じようものなら、「シートを元に戻してください(お手伝いはしてくれます、もちろん)」「テーブルをセットしてください」ということになり、食器がズラリと並べられます。まだ半覚醒状態の家人も、ワケが分からないまま返事をしたばかりに、目の前に食べ物が。そうなると、手をつけないわけにも行きません。これがおいしければまだしも、たいしたことのない味なので、そのうちだんだん腹が立ってくるというわけです。

ロスの空港でレンタカーを借り、1時間ほど走るとアナハイム近くのホテルに到着。今回もまた「Ayres」です。別段義理があるわけでもなんでもないのですが、この界隈に泊まるときはたいていこのブランドになってしまうのです。もちろん、ほかにも Hyatt  Sheraton、Hilton、Marriott など、名の知れたホテルもあるにはあります。ただ、そこにゆっくり滞在するわけでもない、夜露をしのげさえすればそれでOKという場合は、この程度のホテルで十分。アメリカのホテルなので部屋は広々としていますし、値段もリーズナブルです。難を言えば、朝食がきわめてプアといったことくらいでしょうか。

チェックインしたのは午後3時過ぎ。といっても、のんびり休めるわけではありません。今夜は、学生時代からお世話になっているHさん(昨年8月に亡くなられた)の長男(でも末っ子)Nくんの結婚パーティーがあるからです。いちおうきちんとした格好で行かなければということで、ホテルで着替えを済ませひと息着いたころ、Hさんの未亡人Lさんが迎えに来てくれました。最初は自分でレンタカーを運転していくつもりでしたが、パーティーとなるとアルコールは避けられません。そのことに気を使わってくださったのです。

会場は、小高い丘の上にあるレストランのパーティールーム。夜景が素晴らしく美しい、最高のロケーションでした。アメリカの結婚パーティーは形式張らないので、時間もゆったりしています。いちおう6時スタートになってはいましたが、実際に始まったのは7時過ぎ。しかも、キホン手作りですから、会場の飾りつけはほとんど、家族総出(Lさん、Nくんの二人の姉夫妻、親しい友人など)で約1カ月かけて作ったそうです。音響などは業者にお願いしていたようですが、それ以外は全部、当日手分けして持ち込み、組み立てたり並べ置いたり……。

結局、お開きは夜11時で、そのあとの片付けを手伝ったりしたので、会場を出てホテルに着いたときは午前0時を回っていました。日本との時差が17時間ですから、36時間ほとんどぶっ通しで起きていたことになります。飛行機の中で3時間ほどウトウトしていたのでかろうじてもちましたが、なんとまあ長い1日でした。

42年ぶりの「倉敷アイビースクエア」はいまなお新鮮

2018年11月16日
「北前船寄港地フォーラム」参加のため、昨日から倉敷に泊まり、今日は尾道です。

倉敷を訪れたのは1976年以来ですから、なんと42年ぶり。このときは新婚旅行でした。当時大人気だった倉敷アイビースクエアというホテルに泊まったのですが、今回は会合がそのホテルだったので、宿泊も同じです。42年の間にどの程度リノベーションされたのかはわかりませんが、私たちの泊まった部屋はツインで16平方メートルという、いまどきのシティホテルにはあり得ない狭さ。それでもホテル全体はかつてと同じ雰囲気で、いまなお新鮮さを保っていました。

工場の跡をホテルに改装するというアイデアはいまどきそれほど新鮮に感じませんが、40数年前は画期的なことで、メディアにも大きく取り上げられました。敷地と工場はもともと倉敷紡績(クラボー)のものですが(現在はどうなっているのかわかりません)、その発想自体が秀抜だったように思えます。というか、「儂【わし】の眼には十年先が見える」が口グセだったと伝えられる創業者・大原孫三郎のDNAが偉大としか言いようがありません。

尾道での会合は午後からなので、今日の午前中はホテル近くの「美観地区」を歩いて回りました。その名のとおり、この一帯は味わいのある建物、川と橋、ヤナギの並木などが美しい空間を構成しています。ここまで維持するのにどれほどのお金を費やしているのだろうかと考えると、自治体はもちろん、地元住民や企業・商店主らの努力のほどがしのばれます。

42年前の記憶はほとんどなく、覚えているのは「大原美術館」とその並びにある「カフェ・グレコ」くらいというのは、我ながら情けない話。朝9時半にホテルを出て、最初、旧街道の入り口で地図を広げてあたりを見ていると、地元のボランティアガイドさんが話しかけてきます。よく舌の回る高齢の方でしたが、売込みっぽくない話しぶりに魅かれ、30分コースで案内をお願いしました。

 

とてもよく勉強している様子で、どこを案内してもらっても、話によどみがありません。あまりの情報量に圧倒されそうでしたが、なんとか話について行きました(でも、頭はパンクしそう)。お別れするとき名刺をいただいたのですが、何十人かいるボランティアガイドのトップの方のようでした。

倉敷から尾道までは1時間ほど。お天気もよく、車窓には瀬戸内独特のおだやかな景色が広がります。JR尾道駅はいま改装中のようでしたが、駅を降りると目の前は尾道水道。すぐ手が届きそうな先に向島【むかいしま】が見えます。海岸沿いの公園もきれいに整備されており、この町がここ数年、観光で多くの人を集めているのも当然かなという気がしました。商店街も活気が感じられ、歩き甲斐があります。名物の尾道ラーメンを食し、「フォーラム」の会場へ。午後はずっとお勉強でした。

日本対オールブラックス@味スタに大興奮!

2018年11月3日
前週に続き、今週もラグビーの“ドリームマッチ”を観に行きました。JAPAN vsオールブラックス(ニュージーランド)戦です。このカードは2011年のワールドカップ@ニュージーランド以来。予選プールでしたが、このときは13トライを奪われ、7対83の惨敗を喫しました。それから8年が経過し、日本代表がどこまで力をつけたのかをチェックできる楽しみな一戦です。

会場の味の素スタジアムには、新宿から京王線の特急で乗り換えなしで行けます。最寄りの飛田給【とびたきゅう】駅に臨時停車してくれるからですが、これは助かります。さすがドリームマッチだけに、観客の出足も早いようで、1時間半前に席に着きましたが、すでにかなりの入り。試合中に、観客数は43751との発表がありました。もちろん、国内でおこなわれたJAPANの試合では史上最高です。

でも、味スタでのゲームは、まだまだ改善の余地が多々あるように感じました。ひどいのはオフィシャルプログラムの販売場所。私たちの入ったゲート近くにたった2カ所しかないので、買うのにたっぷり5分は歩く必要があります。会場の外に、オフィシャルグッズと一緒でかまわないので、専用のテントでも設けるのが常識でしょう。もともとこの種のプログラムは値段も高いのであまり売れないのかもしれませんが、それにしてもファンへの配慮なさすぎです。

ただ、荷物チェックは前回より大幅に改善。スコットランド戦(2016年6月25日)のときは、まったく無意味な行列を強いられましたが、今回それはありませんでした。もっとも、前回は天覧試合でしたからね。

 

試合のほうは、最初、日本が相手のキックをチャージし、そのボールを押さえて幸先よくトライできたのですが、そのあとしばらくの間はオールブラックスのペース。密集でのボール出しが思うように行かず、ペナルティーを重ねたこともあり、前半だけでトライを5本奪われました(日本は3トライ)。

ただ、先週横浜でワラビーズと戦った「1軍」よりは迫力に欠ける感じは否めません。そのときのスコッド23人中22人がヨーロッパに遠征してしまったのですから、これは致し方ないでしょう。それでもさすがはオールブラックス。日本は後半17分からの10分間で立て続けに4本のトライを許し、最終スコアは31対69。これまで5戦して合計4トライしか奪えていなかったのが、この試合だけで5トライを取ったのですから、これはもう大健闘です。

「ロシア絵画展」の特別鑑賞会に参加

2018年10月28日
副代表を務めさせていただいているNPO法人「日ロ創幸会」の活動の一環として、八王子の東京富士美術館で開催されている「ロシア絵画展」の特別鑑賞会に行きました。「特別」というのは、ほかでもない、20数名の団体ということで、事前に学芸員の方から20分ほどレクチャーが受けられるからです。

しかし、その話を聞いているかいないかでは、やはり大きな違いがあるように思いました。もともとロシア美術に詳しいわけではありません。そんな私たちにしてみれば、ロシアの美術がどのような時代背景とともに生まれ、発展していったのかについてのお話はとても参考になりました。実際、作品を観ているとき、レクチャーで手に入れた情報と照らし合わせてみると、印象が大きく変わるのです。「だから、少年がこんな表情をしているんだ!」とか「ここまでこまかく描いているのはそういう背景があったからかな」など、楽しみが増えます。

ワラビーズvsオールブラックスを横浜で観戦

2018年10月27日
FACEBOOKにも投稿したのですが、まさか、「ワラビーズvsオールブラックス」というカードを日本国内で観戦できるとは、古くからのラグビーファンなら誰もが感慨ひとしおだったのではないでしょうか。こうしたビッグゲームをテレビで見られるようになったのもここ10年ほどのことで、しかもそれがなんとナマでというのですから!

ワラビーズはオーストラリア、オールブラックスはニュージーランドのそれぞれ代表チームの愛称。高校生のころは、ラグビー専門誌などでしか見たことがありませんでした。世界ランキングでも最上位にいる両国はワールドカップ、チャンピオンズリーグ(南半球の強豪4カ国)、通常のテストマッチなど、さまざまな場面で戦いますが、今回は「ブレディスローカップ(Bledisloe Cup)」といって、1931年から続いている、いちばん格式のあるテストマッチ。毎年3試合を戦い、勝ち越したほうがカップを手にするのですが、その第3戦が横浜の日産スタジアムでおこなわれるのです。

通常の3試合に加え海外での1試合が追加された2009年10月にも、第4試合が国立競技場で開催されたことがあります(観衆は約4万4千)。日本で2019年にワールドカップが開催されることが決まった“ご祝儀”のようなものでしょう。オールブラックスはリッチー・マコウ(主将)やダン・カーター、ワラビーズはジョージ・スミス、マット・ギタウ、アダム・アシュリークーパーなど、錚々たるプレイヤーが出場するというので、私も観に行きました。

その2年前のワールドカップ@フランスを観に行っていたのですが、このときは日本代表の試合はあえて外していました。というのも、当時の日本のレベルはいまと比べものにならないほど低く、高い旅費を払い現地に行ってまで応援しようという気になれなかったからです。実際、オーストラリアとウェールズにはボロ負け、フィジーにも接戦で敗れ、カナダと引き分けるのがせいぜいでした。

それより、日本が足もとにも及ばない強豪チームの試合を中心に観戦するコースに参加したのです。マルセイユでの準々決勝イングランドvsオーストラリア、同じく南アフリカvsフィジー、パリでの準決勝=イングランドvsフランス、3位決定戦=フランスvsアルゼンチン、そして決勝のイングランドvs 南アフリカの5試合を観戦。イングランドがフランス戦で、追い詰められた状況から40メートルのドロップゴールを決めたときは鳥肌が立ちました(試合も14対9で勝つ)。3位決定戦で、地元フランスがアルゼンチンに敗れたときのファンの落胆ぶりも強烈に印象に残っています。詳しくは2007年10月2日のブログ「ラグビー人口の減少が心配」に記してありますので、お時間があれば、検索の上、ご一読ください。

 

ただ、今回の試合はそれ以来9年ぶりのことで、観客数も国内ラグビーでは最高となる4万6千人超え。試合はニュージーランドがオーストラリア代表に37-20で勝ち3戦全勝、「ブレディスローカップ」を手にしました。その当時とは、日本のラグビーを包む環境がまるで違うものの、あと1万人は増えていてほしかったですね。

東京明和会で「はとバス」ツアーに参加

2018年10月14日
昨日・今日は1泊で高校時代の同期会。明るい時間帯は、例によって大人の社会見学です。今回は、東京やそのすぐ近くに住んでいても、ふだんなかなか訪れることのない場所ということで、「はとバス」のツアーに申し込みました。「東京スカイツリーと柴又・ぶらり都電の旅」という名前の企画で、東京駅→「スカイツリ」ー→「柴又の帝釈天」→(都電で移動)→「巣鴨地蔵通り」散策というコース。これで9980円なのですが、さて高いのか安いのか……。

私も含め参加者は4人。全員、「スカイツリー」も「帝釈天」も初めてです。人気の「スカイツリー」はやはりけっこう人が来ていて、地上350mの「天望デッキ」に上がるまで順番待ちも含め30分ほどかかります。これでも、朝早いほうなのでまだましなのだとか。お天気もまずまずで、富士山こそ見えませんでしたが、筑波山【つくばさん】はバッチリでした。新宿副都心あたりまではかなりはっきり見えるのですが、改めて東京という都市の大きさを実感。とともに、人間の小ささも感じずにおれませんでした。

「スカイツリー」のある押上【おしあげ】から柴又まではあっという間。「帝釈天」をひととおり見終わると、江戸時代後期から続く老舗の「川甚」 で松花堂弁当の昼食。これは中身が充実していましたね。食後は、すぐ近くをたゆとう江戸川の堤防の上を歩き、有名な「矢切【やぎり】の渡し」の船着き場を観たり、柴又の駅まで続く参道をぶらぶらしたり。参道の途中にある老舗「高木屋」で名物の草だんごをほおばりながらしばし休憩。映画『男はつらいよ』で何度も目にしているので、初めてという印象はしません。

 

ここからバスに乗って、都電荒川線の梶原という駅に移動します。巣鴨の北にある庚申塚【こうしんづか】まで10分ほど都電に乗るのです。私はその昔しょっちゅう乗っていたのでそれほどでもありませんが、ほかのメンバーは「名古屋にいたとき以来」のようで、おそらく40年、50年ぶりのチンチン電車でしょう。庚申塚からはとげぬき地蔵の参道をぶらぶら歩き、駅の近くで待機していたバスに乗車。最後はまた東京駅に戻ります。

東京駅から東海道線に乗ってまずは大船。バスツアーに参加した4人は、いつになく健康的な時間を過ごしたあととあって、全員、夜のお酒・食事は期待でいっぱい。夜の部のみ参加の1人も加わり、いつものように食べまくり・呑みまくりの2時間余を過ごし、Yくんの江の島別邸へ。あとはおきまりの“ダラダラ2次会”です。

日馬富士の引退相撲で国技館はギッシリ

2018年9月30日
台風のおかげで沖縄から帰京するのが1日延びてしまったため、70代横綱・日馬富士の引退相撲・断髪式も、ギリギリで駆け込むことに。モンゴル出身の三横綱による土俵入りなんて、なかなか観られるものではありませんが、かろうじて……。

断髪式は、ゆかりのあり人たちが関係者が次々とハサミを入れていくのですが、元横綱(第68代)・朝青龍のときは湧きました。最後は師匠・伊勢ヶ濱親方(元大関・旭富士)。それからしばらくのち、頭を整えた日馬富士が土俵に上がると大歓声です。2010年に朝青龍の引退相撲も観ましたが、二代続けてというのはとてもラッキーです。

 

終わったあと、国技館の地下で開催されていた「日馬富士絵画展」をのぞいてみたのですが、とても充実した内容でした。四股名にちなみ、富士山の絵をさまざまな色彩で描いた作品がズラリ。どれを見てもクロウトはだしで感心しました。歌の上手な関取衆は多いようですが、絵となるとどうなのでしょう。家に帰ってお土産を開けてみると──。日馬富士の手になる絵ハガキなんかがあると、うれしかったのですが。

 

 

沖縄で台風に遭遇! 明日飛行機は飛ぶか……

2018年9月29日
24日から沖縄にやって来て、いつものように成り行きまかせであちこち行ったり映画を観たり。ところが一昨日あたりから猛烈な台風が接近、ほとんどの便が欠航になり、東京に帰れなくなってしまいました。やっとの思いで明朝の便を確保はしたのですが、明日は国技館で11時から日馬富士の引退相撲。苦労して手に入れたチケットなので、台風ごときで行けなかったというふうにはなりたくありません。

 

それにしても、沖縄で本格的な台風に遭遇したのはこれで2回目。「本格的」というのもおかしな表現ですが、同じ台風でも、沖縄ではまだ“青年期”であることが多く、風も雨も猛烈なのです。小社の分室は、高台に建つマンションの4階、しかもまわりに高い建物がないので、風と雨が情け容赦なく窓ガラスに吹きつます。とにもかくにも、明日の飛行機が無事飛ぶようにと祈るしかありません。

 

でも、そんな沖縄だからこそ、家々にはかならずシーサーがいて守っているのでしょうね。よく見ると、愛嬌のある顔をしているのがわかります。災厄を追い払うというよりてなづける──人々のやさしさを示しているかのように見えます。

 

「琉球フェスティバル」は、都心に出現する“異次元空間”

2018年9月23日


4年ぶりの「琉球フェスティバル」。沖縄の音楽にどっぷり漬かることのできるイベントの中では、「うたの日コンサート」と並んで大規模なものです。後者はBEGINが主人公と決まっていますが、「琉フェス」にはそうした存在がありません。あえて言うなら司会のガレージセールですが、中身はかなりアバウトなところがあります。ただ、会場は日比谷野外音楽堂と決まっていて、しかも大変な長丁場になるのが特徴。4時ごろ始まり、終わるのはたいてい9時近くです。

「琉球フェスティバル」は同じ名前のイベントがもう一つあります。一つは1965年に琉球新報社主催で始まったもので、こちらは沖縄の伝統芸能を中心に日舞、洋楽なども含めた総合的な芸術祭で、沖縄県内で毎年4月におこなわれています(ただ、今年はおこなわれたのかどうかわかりません)。

もう一つは1974年、評論家・竹中労(故人)が企画して大阪と東京で開かれた音楽イベント「琉球フェスティバル」。このときは日比谷野音に観衆7000が詰めかけ、琉球新報は「東京に沖縄解放区が実現した」と報じたといいます。よほど爆発的な盛り上がりだったのでしょう。同フェスティバルは翌年も東京で2回開催されましたが、その後20年間途切れてしまいます。それが、91年5月に亡くなった竹中の追悼の会=「琉球フェスティバル1991」として同年9月20日、川口リリアホールで開催され、さらに4年後の95年、大阪で復活。翌96年からは、毎年東京と大阪で開催されるようになりました。現在では、県内外で最大規模の沖縄音楽の祭典として定着しているようです。

売りはもちろん、沖縄の一流ミュージシャンが顔をそろえることにありますが、毎回、途中から集団野外飲み会的な要素が色濃く出てくるのが最大の特徴でしょう。

「会場内への飲食物の持ち込みは禁止です。特にビン類の持ち込み品を発見した場合には没収させて頂きます」とか「出演者へ飲食物を渡す行為はお止めください」と書かれた貼り紙もしてあるのですが、重そうなレジ袋・手提げ袋や大きなクーラーボックス持参の観客が次々と入ってきます。その結果、どこを見ても泡盛やオリオンビールをガンガン飲っているという状況に。つまみも、会場内の売店では売られていないものが目につきます。

自分たちだけで飲み食いしているうちはいいのですが、酔いが回ってくると、泡盛、それも生(き)のままで、司会のガレージセールの2人に手渡し、「飲め、飲め」とはやし立てるため、断わり切れず一気飲み。始まって1時間も経ったころにはすっかりでき上がっているという具合です。私たち観客には見えませんが、舞台の裏でも出演者どうしで呑み合っているのではないでしょうか。こうなるともうワケがわからない感じで、出演者も三線【さんしん】を観客席に向かって投げたりし、最後は会場全員が総立ちになってカチャーシー。これが東京のど真ん中で繰り広げられるのがなんとも面白いのです。

神様ダン・カーターのプレーを目の前で!

2018年9月14日
これまでなかなか観る機会がなかったラグビーのトップリーグ。ホント久しぶりに観戦しました。それもこれも、ダン・カーター見たさです。2018-19シーズンは神戸製鋼に加入し、今日のサントリー戦に先発出場したのです。

ダン・カーターは2011年のW杯でニュージーランド代表の一員に選ばれたものの、大会が始まってからの練習中にケガをしたため、結局試合には出ずじまい。本当なら、私が観た日本との試合(9月16日、ワイカト・スタジアム)でそのプレーを目にできるはずだったのですが、それはかないませんでした。もっとも、ダン・カーター抜きでもニュージーランドの強さはいささかも揺るがず、この試合の日本代表は前半に6トライ、後半に7トライを献上、7-83の惨敗を喫してしまいました。

それから7年。もちろん、この間におこなわれた前回(2015年)のW杯@イングランドにはハーフのポジションで活躍、チーム史上初の連覇に貢献しています。大会のあと代表から引退、フランスのプロリーグ「トップ14」のラシン92に移りました。 そのカーターのプレーがようやく、それも日本で観られるのですから、放ってはおけません。

今日はナイターで秩父宮。観衆の数もいつもより5割増しといった印象です。しなやかな体の動きは素晴らしく、無駄がありません。一つのプレーを終えると、かならず次のプレーに備えたポジショニングを怠ることなく、「ここにいれば……」と私たちが思ったところに、いる、のです! それも、適切なスピード、適切な体の構え。これには観衆も感動したのではないでしょうか。

「藝祭」のおみこしパレード。フツーの中に輝くアートが…

2018年9月7日
去年のいまごろ、たまたまテレビで知った「藝大祭」。そのとき、「中長期スケジュール」に書き込んでおいたのですが、いよいよ今日から始まりました。何せ東京藝術大学の学生たちですから、10年、20年経ったとき、世界的なアーティストになっていないともかぎりません。その卵たちが、自由な発想で取り組むパフォーマンスの一つが初日のメイン行事=「おみこしパレード」です。

学部とか学科の枠を超え、いくつかの専攻課程を組み合わせてチームを作り、それぞれが音とヴィジュアルの技・センスを自由に表現するおみこし行列。キャンパスから上野公園まで練り歩いてきて、最後は国立博物館前の広場でパフォーマンスを繰り広げます。「あふれる歓喜と魅力。そして少しの狂気」が今年の「藝祭」の趣旨でもあるようで、その意味では期待が持てます。

その前に一度、東京文化会館裏あたりでパレードを止め、気勢を上げる場面があります。ブラジルのカーニバル風というか、サンバのリズムに合わせて各チームのメンバーが叫び踊るのですが、20代前半の人たちばかりとあって、そのエネルギーはハンパではありません。とんでもなく重いおみこしを藝大のキャンパスからかついできて疲労困憊しているのに、それをまったく感じさせないのがいいですね。

 

 

 

そこで元気をつけると、最後の行進に入り、広場の前でそれぞれ所定の場所におみこしを置いてスタンバイ。あとは順番にパフォーマンスを披露するという流れです。たとえば、絵画科(日本画専攻)と建築科、音楽環境創造科、指揮科の4つの学生が組み合わさるとどんなものが出てくるのか──芸術には門外漢の私には想像もつきません。そこにこのイベントの面白さがありそうです。

長岡で「北前船寄港地フォーラム」

2018年9月1日
「北前船寄港地フォーラム」参加のため、一昨日から新潟県長岡市を訪れています。10年以上前に一度来たことがありますが、そのときは数時間の滞在。いかにも地方の城下町らしい、どこかおっとりした風情を感じたものの、それは上っ面を撫でただけの印象かもしれません。

今回は2泊3日ですから、じっくり雰囲気を味わうことができました。「フォーラム」のほうは、回を重ねるごとに本格化し、それと比例するかのように、観光ビジネスの振興といった面も強く感じられるようになってきました。回によってはアカデミックな匂いが濃厚なときもあります。登壇者もほぼ全員、パワーポイントを駆使しながらのレポートであったり主張であったり発表であったりで、途中、息を抜くいとまもありません。そうした意味では、間違いなく進化していると言えます。

ただ、それだからいいのかとなると話は別。開催地の人々の素朴な思いは前に出てきにくくなりますし、生々しい息遣いも以前に比べ希薄になりました。取材にたずさわっている私の作業も、フォーラムのテーマや内容がすっきり整理されているのは助かりますが、その実現に向けて何カ月もの間あちこち走り回ってきた人たちの気持ちのありようまではつかめないのです。こうなると、”行間を読む“というか、関係者から裏側の状況を幅広く拾い集めていく以外ありません。人は誰でもそうでしょうが、メークやドレスアップをほどこす前の素顔やふだん着の姿にこそ、本当の気持ち・意識が見え隠れするからです。

 

8月30日の前夜祭、翌31日のフォーラムとレセプションを終えた今日はエクスカーションです。バスに乗って、かつて北前船が立ち寄ったことで栄えた港町・寺泊【てらどまり】が最初の訪問地。まっすぐ続く砂浜はいまきれいに整備され、その横を走る道路に面して海産物やさまざまなお土産などを売る店がびっしり並んでいます。それを見下ろす丘に建つ寺院や神社には、沖合にもやう北前船からおろされた荷物を何艘ものはしけが港まで運んでくる様子を描いた絵図が展示されていました。

かつて繁栄を謳歌した三國湊【みくにみなと】はいま

2018年7月13日
今日は朝からエクスカーション。「北前船寄港地フォーラム」にはつきものなのですが、私のように初めてその地を訪れた者にとってはとてもありがたい企画です。しかも、さわりだけをひと巡りする入門編的な内容から、本格的な場所にまで足を延ばすものまでさまざまなメニューが組まれているのもありがたいかぎり。

私たちは入門編にエントリーし、朝9時にホテルを出発。三国の旧市街地をひとめぐりするコースで、旧岸名家【きしなけ】住宅、旧森田銀行を見学後、遊覧船に乗っての東尋坊クルーズが組み込まれています。遊覧船に乗って知ったのは、「北前船」が錨を下したのはどこも、河口にある港だったということ。いまの私たちがイメージする近代的な港とはまったく趣が異なるものだったのです。そういえば、土崎(秋田県)も酒田(山形県)も岩瀬(富山県)も宮津(京都府)も皆、大きな川の河口にあります。これまで話には聞いていましたが、実際、河口近くを船で回ると、水運といっても、その主人公は「川」であったことが改めて、そしてなんともリアルに感じられました。

 

 

荘厳なたたずまいの永平寺にため息

2018年7月12日
さて、今日の午後から「北前船寄港地フォーラム」が始まります。午前中、金沢からの移動ついでに、途中にある永平寺に立ち寄ることにしました。鎌倉時代の1244年に道元の開いた曹洞宗の大本山で、日本史の教科書にも出てきますし、前々から話だけは聞いていたので、期待大です。

たしかに、そのスケールの大きさには驚きました。深山幽谷とはよく言ったもので、四方を山に囲まれた地に大小合わせて70余の建物が。龍門から入り通用門を抜けると聖宝【しょうほう】閣、吉祥【きっしょう】閣、傘松【さんしょう】閣から東司【とうす】、僧堂と順を追って歩いていくのですが、すべて板敷き。冬だったら、厚手の靴下にスリッパを履いていてもしんしんと冷たさが伝わってくるでしょう。仏殿から法堂【ほっとう】へは長い階段を上がります。そこから承陽【じょうよう】殿、大庫【だいく】院、そして最後に浴室を見て、山門を過ぎるといちおうひと回り。大きな寺院でよく目にするピカピカ・キラキラしたものがまったくないのは、やはり坐禅修行の場だからでしょう。途中、修行僧が僧堂に集まってちょうど昼食を摂っていたようですが、そこでさえなんだか荘厳な雰囲気がただよっていました。

永平寺の門前には名物のそばを食べさせてくれる店が軒を連ねており、そのうちの1軒で私たちも昼食。「フォーラム」の会場に急ぎます。会場のハートピア春江はえらく立派な施設。坂井市文化の森という複合文化施設ゾーンのメインを成しているのですが、完成はバブルが崩壊したあとの1995年といいますから、驚きました。700人以上収容できる多目的ホールで、夕方までたっぷり勉強させてもらい、夜は坂井市内にある三国観光ホテルでのレセプション。毎回そうですが、今回も300名を超える参加者でたいそうな盛り上がりでした。

金沢で出会ったユニークなタクシー運転手さん

2018年7月11日
今日は石川県でまだ行ったことのない地域を中心に回る予定で、今朝、レンタカーを借り直しました。明日、福井県の芦原温泉で返却すると「乗り捨て」になるのですが、昨日・一昨日と借りた会社は、芦原温泉に営業所がないため、面倒ですが致し方ありません。

まずは能美【のみ】市にある「いしかわ動物園」です。能美市といってもまったくなじみはありませんが、元ヤンキースの松井秀喜や森喜朗元首相の出身地である根上【ねあがり】町、九谷焼で有名な寺井町、辰口町の3町合併してできた新しい市ですから、当然でしょう。

ホテルから「いしかわ動物園」までは30分少々。1999年の開園なので、まだ20年も経っていません。自然の地形を活かしながら、随所に植栽や岩、池などが配されているなど、動物にとっては本来の生息環境に近い環境が再現されています。動物がいる場所をコンクリートや鉄格子で仕切らず、飛び越えられないであろう幅の堀やガラスで囲ってあるので、観る側は親しみを持って接することができます。広さもだだっ広くなく、お手軽に楽しめる感じですし、勾配もきつくないのがありがたかったです。入り口で手渡されたパンフレットにも、“楽しく、遊べ、学べる動物園”、“3つのやさしさ(「動物にやさしい」「環境にやさしい」「人にやさしい」)がコンセプト”であると書かれていました。

 

そんな飼育環境ですから、わが愛するキリンものびのびしている印象を受けます。ゾウ、トラ、オランウータンも同じくストレスとは縁のない雰囲気で、飼育環境の違いで動物の動きや表情がこうまで変わるものかということを改めて感じました。

動物園の次は「白山比咩【しらやまひめ】神社」。白山【はくさん】は石川、福井、富山、岐阜の4県にまたがる山ですが、古くから霊山として人々の信仰を集めてきたといいます。1300年前の開基と伝えられていますから、全国に2700社あるという白山神社の総本宮になっているのも当然でしょう。境内に神々しい空気が流れているのはよくわかります。ちなみに、山と神社の読み方が違うのは、もともと「しらやま」と呼ばれていたのが時代の移り変わりの中で「はくさん」に変わっていったようです。

 

 

しかし、この白山比咩神社があるのは、白山のまだほんの入り口。ここから車で山道を1時間ほど走ると、岐阜県につながる“季節道路”「白山白川郷ホワイトロード」があります。11月下旬から4月下旬までの期間は閉鎖されているので、走れるのは夏の期間、しかも日の出ている時間帯だけ。たしかに、走っていても、よくもまあこんなところにこれだけの道路を作ったものだと、感心させられます。

途中料金所を過ぎたあたりから川が見えてきますが、川面から道路まではとんでもない断崖絶壁と大小の滝の連続。ゆるい勾配の道を走っていくと、なんともアクロバティックなところに橋が架かっています。この峡谷に架かる唯一の橋=「蛇谷【じゃだに】大橋」で、長さ70m、高さ45m。橋のアーチ越しに、溶岩が冷え固まってできる柱状節理が見えました。

 

橋を渡りさらに行くと「かもしか滝」があり、その先が「蛇谷園地」。ようやく駐車場に車を止めたときは肩の力が抜けました。そこから川底に向かって険しい道を下る途中は
ブナやミズナラの天然林。遊歩道を進んでいくと「姥ヶ滝【うばがたき】」「親谷【おやだに】の湯」が見られるのですが、暑いこの時期のこと、滝を間近で見ると、汗がスーッと引き、自然の涼しさを堪能できました。「姥ヶ滝」は「日本の滝100選」にも選ばれていますが、その名の由来は、滝が岩肌に沿って落ちる何千・何万条の流れを年老いた女性の白髪に見立てたものなのだとか。滝の向かい側には天然の露天温泉もあり、なかには風呂につかっていく人もいるようです。足湯にすわって大迫力の滝を楽しめば、疲れも吹き飛ぶでしょうね。

   

帰路についたのは4時近く。同じ道を金沢市に戻りましたが、帰り着いたころにはお腹がペコペコでした。今日あたりは金沢らしいものを食べたいと思ったのですが、ここのところたんぱく質が不足気味なので、香林坊近くのお気軽イタリアンにでも行って肉と魚を……と思い、タクシーに乗りました。すると、この運転手さんがとてもユニークな方で、「お食事ですか?」から始まり、あれこれ聞いてきます。すると、「私が責任を持っておすすめしたい日本料理のお店がありますので、そこに行って見ませんか? 三つのコースがあって、それほどたくさん召し上がらないというのであれば〇〇コースがいいでしょう。お値段は……」と。さらに、「お食事が終わったころを見計らってお迎えにあがります。全部で2000円ということでいかがでしょうか」。香林坊のイタリアンに執着する理由もありませんし、楽に移動できればこちらも好都合なので、即座に手を打ちました。運転手さんはすぐその店に電話し、10分足らずで到着。正直、このあたりまでは、地方でよく経験する“連携プレー”かと思っていました。

案内されたのは、卯辰山【うたつやま】の中腹にある、楚々としたたたずまいの日本料理店(茶寮 卯辰かなざわ)。たしかに、運転手さんのおすすめどおり。カウンター席からは金沢の街の素晴らしい夜景が楽しめましたし、料理もおいしく、大満足。約束どおり9時に迎えに来てくれましたが、雨が少し降り始めていたので助かりました。

これでまっすぐホテルに帰るだけかと思っていたら、「お客さん、もうあちこち行かれましたか?」と聞かれたので、「いえ、とくにはまだ……」と答えると、「じゃあ、二つだけ、いまの時間帯にしか見られないところに寄っていきませんか」というので、「お願いします」と即答。それで行ったのが、金沢城と中国風な雰囲気の尾山【おやま】神社。どちらも、ライトアップが素晴らしく魅力的でした。「昼間は皆さん、観光にあちこち歩き回っておられるのですが、夜はほとんどの方がお食事だけなんですよ。それでこんな素晴らしい場所があるのに、観ずじまいで」と。そこで15分ほど楽しんだあと、ホテルに戻ったのですが、降りるときに名刺を差し出し、「次回、お越しになったとき、もしよろしければこちらにお電話ください。また、いろいろご案内しますので」。なるほど、ここまでスキがないと、一種の“お値打ちパッケージ”といってもよく、オリジナリティーすら感じさせます。これほどメジャーな観光地でも、こうした運転手さんがおられるのだと感心しました。もちろん、チップをつけてお支払いしましたよ。

 

輪島から出発し、能登半島をほぼ全周

2018年7月10日
早起きして「朝市」に。車は海っぷちの駐車場に止め、通りをブラブラ。青い目の外国人の姿も目につきます。おばあちゃんやおかあさんたちが路上に敷いたシートの上に、朝採れたばかりであろう魚介類や、前の日に天日干しした魚を、ウソみたいに安い値段で売っていました。店舗のほうはお土産屋さんがほとんどで、輪島塗の小物を売っている店も。全部で100店ほどで、端から端までゆっくり歩いても1時間あれば十分です。

 

家人はゆっくり買い物に歩いていましたが、私はその周辺の古い町並みを歩きながら、写真を撮ったりしていました。目を引いたのが、「朝市」のど真ん中に建つ一見“元美術館”風の建物。地元の方にお聞きすると、やはりそうだったようで、かつての「イナチュウ美術館」跡だそうです。「イナチュウ」とは輪島塗の大手・稲忠漆芸堂(1929年創業)のことらしく、バブルの時代に手にした利益をつぎ込んで建てた(1992年)もののようです。資産価値数百億ともいわれる古今東西の美術工芸品が展示されていたものの、その後2012年に稲忠漆芸堂が倒産、当然、美術館も閉鎖とあいなりました。ヴェルサイユ宮殿を模して建てたバロック建築風の建物と、前庭の噴水などはそのまま残っていますが、「朝市」の通りにはまったく場違いといった雰囲気で、よくもまあ、こんなものをこんなところに作ったなぁと、あきれるほかありません。

同じ会社が経営していた「キリコ会館」のほうは、大手旅行代理店や地元の観光業界関係者の要望もあり、輪島商工会議所が引き継ぐ形で2015年にリニューアルオープンしたといいます。観光客にとってはこちらのほうが断然、役に立つと言うか、行って楽しめそうですから、それは救いといえるでしょう。ちなみに、「稲忠漆芸会館」のほうはいまも閉鎖されたままです。

輪島の街は2007年3月に能登半島地震に遭い、少なからぬ建物が損壊してしまったそうですが、建て直した家も、昔風の様式を復活させ、町全体がとても整っている印象を受けます。主だった場所は道も広いので、ワイドな景観を楽しめるのが、この種の古い町と決定的に違うところかもしれません。

それでも、「朝市」をひとめぐりしたころはもうお昼前。自家製のパンを売っている店を見つけたのでパンを少々買い込み、次の目的地「白米千枚田【しろよねせんまいだ】」に急ぎます。ここは名うての観光スポットのようで、駐車場には何台もの大型観光バスが。中国・韓国・台湾・香港などから団体客がひっきりなしにやってきているようでした。

「白米千枚田」から能登半島最東端にある禄剛【ろっこう】崎に向かいます。ここが能登内浦と能登外浦の分かれ目なのだとか。しかし、こんな辺鄙な場所にも、けっこう人が訪れているのには驚きました。ただ、メジャーなところではないので、日本人だけです。要するに、車さえあれば簡単に訪れることができるのが強みなのでしょう。それに、道路が走りやすいのも魅力です。余談ですが、新潟県、島根県、山口県……など、総理大臣が出た県はどこも例外なく、道路が立派です。幹線道路だけでなく農道まで、どんな道路も例外はありません。

途中、旧JRの珠洲【すず】駅跡を改装して作られたユニークな道の駅「すずなり」に立ち寄ってランチを済ませ、次の目的地「軍艦島」をめざします。10分ほどで着きましたが、ひと目見ただけでその名の由来が分かります。正式には見附【みつけ】島といい、高さ28メートルほどの岩から成る無人島なのですが、その形が船そのもの。観ればだれもが写真に撮りたくなる、能登の代表的な観光スポットといっていいでしょう。

次の目的地は「黒島天領北前船資料館」。途中に「總持寺祖院」という曹洞宗のかつての本山がありました。1321年の創建ですが、1898年、大火に遭ったため、本山が1911年、横浜市鶴見に移ったのちは、「祖院」と呼ばれているのだそうです。なんとも立派な姿に思わず足を止め、境内に。寺の真ん前に建つ輪島市門前総合支所に「祝日本遺産認定 北前船寄港地・船主集落」と書かれた大きな幕が吊るされていたので、なんだかうれしくなりました。

 

 

 

 

ただ、境内はあいにく修復工事の真っ最中のようで山門、仏殿など主だった建物の多くが中に入れませんでした。いずれも2007年の地震で被災したためのようです。工事が終われば、元の立派な伽藍が見られるのでしょうが、いつのことなのか。帰り際、出口の近くに「持寺【じじ】珈琲」という小さなカフェを見つけたので、修行僧がたててくれた自家焙煎のおいしいコーヒーでのどを潤してから駐車場に向かいました。

「黒島天領【くろしまてんりょう】北前船資料館」のほうは、おもしろい仕組みになっていて、すぐ近くに建つ「旧角海家【かどみけ】住宅(国指定重要文化財)」が、北前船船主の屋敷兼作業所で、そちらを訪れた人が希望すれば見られるとのこと。「旧角海家住宅」宅で地域ボランティアの女性から詳しくお話をお聞きし、いたく興味をそそられたので、当然、資料館のほうも案内していただきました。

 

駆け足で能登半島をほぼ全周し、金沢のホテルに到着したころは夜6時を過ぎていました。レンタカーを返しホテルに戻って食事に。この日は、遠くまで行く気分にもなれず、駅ビル内のおでん屋さんで済ませました。

初めての能登──道路の素晴らしさは秀逸

2018年7月9日
能登は正直、初めてです。これほど有名な観光地であるにもかかわらず、不思議といえば不思議なのですが、これまで金沢・富山までは行っても、なぜか足を延ばす機会がありませんでした。しかし今回は、週末に福井県坂井市で開催される「北前船寄港地フォーラム in 三國湊」に参加するので、そのついでにということでスケジュールを組み、行ってみることにしました。

金沢までは北陸新幹線「かがやき」。大宮から乗ると、ひと眠りする間もなく到着です。駅から5、6分歩いたところにある営業所でレンタカーを借り、五木寛之の小説のタイトルで有名な「内灘【うちなだ】海岸」を左に見ながら北上します。この道が予想以上に素晴らしく、しかも高速なのに無料!おかげで、ランチを予定していた回転寿司店(羽咋【はくい】郡志賀【しか】町・西海漁港)には、あっという間に到着。平日で空いてはいたのですが、さすが海産物の本場とあってことのほかおいしく、値段もリーズナブルでした。

寿司のあとはまた海岸に戻り、福浦【ふくら】へ。けっこうきつい坂を下りていった海っぷちの桟橋から能登金剛遊覧船に乗り、切り立った絶壁が広がる景色を楽しみます。小高い丘の上に、1608年、この地の船持ち・日野長兵衛が築いたという「旧福浦灯台」が小さく見えました。北前船もその明かりを頼りにしながら走ったのでしょう。

 

福浦をあとにし、そこから30分ほど走ると七尾市に入ります。すると、「花嫁のれん館」という看板があり、当初の予定にはなかったのですが、ちょっと立ち寄ることにしました。「花嫁のれん」といってもピンと来ませんが、幕末から明治時代にかけてのころ、能登・加賀・越中で始まった婚礼の風習の一つだそうで、婚礼の日、花嫁が嫁ぎ先の仏間に掛けられたのれんをくぐることをいいます。どの家もここぞとばかりにお金をかけたようで、多くは絹で加賀友禅の手法が用いられているのだとか。しかし、人の目に触れるのはそのときだけで、あとは出番がないため、そのままタンスの肥やしになってしまっていたとのこと。

それに目を着けた、七尾の一本杉通りのおかみさんたちが、2004年のゴールデンウィーク期間中に「花嫁のれん展」を開催したところ、これが大ウケ。以来毎年開催していましたが、一般の人も常時見られるようにと、「花嫁のれん館」が2016年春に開館、常設展示室には明治から平成までの花嫁のれんが展示されています。高価で、しかも大ぶり、芸術性にも優れたのれんを間近に見ることができるユニークな博物館と言えるでしょう。

一本杉通りは七尾でいちばんの観光スポット。といっても、平日なので人通りはほとんどありません。ひと休みしようと入ったカフェのママから、この地で毎年ゴールデンウイークにおこなわれる「青柏【せいはく】祭」の話を聞き、一度見てみたいなと思いました。とりあえず写真を見せてくださったのですが、「でか山」と呼ばれる、人の3倍ほどはありそうな巨大な山車(全部で3台)を曳くスタイルのお祭りのようです。狭い路地を、京都の祇園祭と同じように「辻回し」という技を駆使して回っていく様はたいそうな迫力でしょう。山車の形もすこし変わっており、末広形とでもいうのでしょうか、北前船を模したものといわれているのだとか。総重量はなんと20トンもあり、山車としては日本最大級、体積・重量では日本一だそうです。ユネスコ世界遺産の指定も受けたといいますから、これから先、多くの人が見に来るのではないでしょうか。

城下町の面影が残っているのはこの一本杉通りとその周囲の狭いエリアだけですが、どこかおっとりした雰囲気を残しています。そのお城を見ようと山に登ると、工事中で通行が制限されていたこともあり、予想外に時間がかかってしまいました。さっと見てから、輪島へと急ぎます。

最大の観光スポット「朝市」が開かれるエリアのホテルは取れなかったので、そこから歩いて10分ほどのところにあるホテルです。まわりには何もないので、夕食は海のほうに向かって散策がてら歩いていきました。ちょうど日没直後の暮れなずむころあいだったせいか、昔ながらの家が立ち並ぶ通りはなんとも趣きがあり、けっこう楽しめます。目星をつけていたシーフード料理の店が満席だったので、仕方なく地元の人しか訪れていなさそうな鉄板焼きの店へ。まあ、可もなく不可もなしでしたね。

サッカーW杯でベルギーに負けた理由

2018年7月4日
今回のサッカーW杯@ロシアは、これまでになく面白いゲームの連続でした。私のようなラグビー派はどちらかというとサッカーを好まない者が多いのではないかと思うのですが、スリリング度という点では、正直、サッカーのほうがラグビーを上まわっているかもしれないと感じました。

一昨日の決勝トーナメントで日本はベルギーと戦い、2-3で惜しくも敗れました。後半34分までは2-1とリードし、これはひょっとして……とも思わせたのですが、ゲーム終了前の10分間で立て続けにシュートを2本決められ、万事休す。善戦を称える者もいましたが、やはり「地力の違い」「鍛えられ方が足りない」など、シビアな意見が多数を占めていたようです。そうした中、日本代表の元監督ザッケローニのコメントには共感を覚えました。ちょっと長くなりますが、そっくり引用します。

「ザッケローニ氏、V弾許したのは日本人の性格も影響
サッカー元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニ氏(65)は、ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦でベルギーに敗れた日本について「残念だった」と語ったと、4日付の伊紙ガゼッタ・デロ・スポルトが報じた。
2点を先行しながらも、後半ロスタイムに決められて初のベスト8入りを逃した日本にザッケローニ氏は「残念だ。最後に日本は無邪気なところを見せてしまった。彼らの文化やDNAにはマリーシア(ずるがしこさ)は存在しないからだ。(カウンターを仕掛けられた時に)戦術的なファウルで(失点を)防げたが、彼らには(ファウルで止めることは)理解できないことだ」とコメント。日本人の性格では決勝点となったカウンターを止められないと主張した。
「ベルギー戦で、私はまだベンチに座っているように、日本を応援し、期待した」と、日本を離れて4年が経過したが、いまだに愛着を持って見ていることを明かした。
さらに今回の敗戦が日本にとって失望ではなく、今後の成長につながる希望の敗戦になるという。
「この敗戦が日本にとって問題となるわけではない。日本国民の代表に向けるリスペクトと情熱は常に高く、8強に近づいたことは誇りをさらに持たせ、この敗退を最悪の事態とは受け取らずに、経験をより豊富にし、さらに向上するためのチャンスと受け取るだろう」と、日本人のひたむきな性格が日本のサッカー界をさらに押し上げるだろうと語った。」
https://www.nikkansports.com/soccer/russia2018/news/201807040000661.html

「無邪気なところ」というのは、もう少し突っ込んだ言い方をすれば「勝負弱さ」とか「厳しさの不足」といったニュアンスなのでしょうが、要は、農耕民族の日本人はキホン「お人好し」なところがあるということなのかも。狩猟民族とは本質的に違う文化・環境の中で生を営んできた日本人に「malizia(マリツィア)」を求めることはできないと。

もちろん、日本のプレーヤーにも「勝負への執着・こだわり」はあります。でも、それはあくまで、お互いが生き延びるという前提があってのことで、相手を蹴落としたり叩きのめしたりことにはならないのですね。蹴落としたり叩きのめさなければ生き続けることのできない「狩猟文化」社会においては、それもまた人間に求められる重要な資質なのだと言われてしまえば、黙るしかありません。ザッケローニは、日本代表の監督を務めている間ずっと、そうした部分を、勝負とどのように調和させるかで悩み抜いていたのでしょう。サッカーは、ほんの10秒かそこらで勝負が決まることも少なくないので、怖いと言えます。

王室の元植物園が動物園に

2018年6月30日
昼間はドゥシト動物園に行ってみました。
国王ラーマ5世(在位1868~1910)の私庭(植物園)だったものを1938年、動物園としてオープンしたものだそうです。この界隈は「ウィマンメーク宮殿」(動物園と背中合わせ)や「アナンタ・サマーコム宮殿(旧国会議事堂)」など王室の施設が数多くあり、一般人とはあまり縁がなさそうな場所といった感じがします。

こちらは普通の動物園ですが、もともと植物園だっただけに、木や花がびっしり生えています。そのため木蔭が多く、歩いていても暑さがそれほど気になりません。また、園内にはカートも走っており、疲れたと思ったときはそれに乗れば楽に移動できます。

こちらもひととおりの動物がそろっており、昨日行った「サファリワールド」の動物たちより心もちおとなしそうな印象を受けました。「サファリワールド」の動物たちはのびのびしており、より“野生”が息づいているように感じましたが、こちらは“野生”よりも人間との“共生”を意識しているとでも言えばいいでしょうか。当たり前といえば当たり前ですが、動物も人間と同じく、どんな環境に置かれているかによって影響を受けるのですね。

 

予定では、このあと先に記した二つの宮殿を訪れるつもりでしたが、ギラギラ照りつける太陽のもとではそこまで行く気持ちも失せ、早々にリタイア。すぐ近くにあって場所もわかりやすい「ワット・ベーンチャマボピット(大理石寺院)」に立ち寄ってみました。イタリア産の大理石というだけあって立派な造りの建物ですし、境内に人工の水路があったりして、もう少し涼しければゆっくりくつろぐこともできたのでしょうが、ここもまた太陽から逃れるすべがありません。結局、早々にホテルに引き揚げることに。

夜は高校時代の友人Sくんの手配でフカヒレを食べに行きました。空港にほど近い場所のようでしたが、さすが在住30年近いSくんのメガネにかなった店、おいしかったです。食べても食べてもお皿の中からフカヒレが湧いてくるような感じがたまりません。日本だと、フカヒレは高級店でしか食べられないといったイメージがありますが、以前のマカオもそうだったように、中国文化圏では大衆料理=山ほど食べるのがフカヒレなのでしょう。

ちなみに、「マンダリン・オリエンタル」の一件をSくんに話したところ、こう言われました。「マンダリン・オリエンタルに行きたいときは「オリエン(タル)」とだけ言えばいいのだそうです。以前の名前のほうが通りがいいのですね。

外国人でいっぱいのバンコク

2018年6月29日
前回来てから5年(3年前にも立ち寄ってはいますが、このときはトランジットのためだけ)しか経っていないのに、バンコクは大きく変わった感じがしました。いちばんの変化は外国人旅行者が多いこと。大半は中国人で、見た目よく似ているのでさほど目立ちはしないものの、それでも団体で動いているとすぐわかります。今回はバンコクでも超有名なスポットは避けていますが、それでも、です。

今日行ったのは、「サファリワールド」。空港から比較的近いエリアにあるようで、ホテルからはゆうにタクシーで30分はかかりました。しかし、ここのサファリは大規模です。アフリカのそれとはもちろん比ぶべくもありませんが、広さがすごい。しかも、インドやオーストラリアなど、海外からの客も目につきます。

 

 

タクシーの運転手さんと帰りのことを打ち合わせしたあと、チケットを買う場所など、詳しく説明してくれたので助かりました。要するに水族館と動物園がセットになっていて、片方だけでもOKであると。ただし、その旨をはっきり窓口で伝えなくてはいけない。また、カートに乗って見学するのと、中を歩いて回るのとでは、コースも違えば料金も違う……といったたぐいのことです。私たちはカートで回るほうを選びました。

所要時間は1時間弱。広い園内を屋根付き・ガラス貼りのカートで移動していくのですが、どの動物も大変な数がいます。キリンに至っては100頭近くいましたし、ライオンやトラも軽く20頭以上。これだけの数のキリンですから、間近で見たかったですし、エサやりなどというイベントもあったようなので、そちらにも参加したかったのですが、時間の制約もあります。それでも、次から次へ、窓の向こうにあらわれる動物たちを見て満足しました。

  

「サファリワールド」からホテルまで戻り、午後はゆっくりすることにしました。とにかく、暑かったのです。ホテルの中は寒いくらいエアコンが利いていますし、それより何より、このホテルのアフタヌーンティーはとても人気があると知っていたので、早いうちに席を確保する必要があります。広々としたコーヒーラウンジ(3つくらいのエリアに分かれている)の一角に案内され、手渡されたメニューを見ると前菜風のパートが3パターン。私が選んだのはオリエンタル風の品々でそろえたものです。本場のイギリスでも、もちろん日本でも目にしたことのない内容で、新鮮な感じがしました。

 

夜は、ホテルの船着場から川を下ったところにある「アジアティーク・ザ・リバーフロント」に行ってみました。もともと倉庫街だった場所を巨大なショッピングモールにリノベーションしたようです。といっても、中は1坪ショップのような小さな店がびっしり(1500軒もあるのだとか!)。どの通路も細く、すれ違うのがやっとといった感じです。周りはほとんどがレストランで、日本食の店(“もどき”も含めて)もあります。そして、ここもまた外国人客でいっぱいでした。

バンコク「マンダリン」ホテルのミステリー

2018年6月28日
久しぶりにタイのバンコクを訪れました。雨季で暑い時期でもありますが、キャセイパシフィックのマイレージが貯まっていたので、その消化もかねての訪問です。キャセイなので、羽田からは香港を経由し、バンコク到着は夕方です。飛行機代が浮いたので、バンコクでの宿泊は最高級と言われるマンダリン・オリエンタルを奮発。もちろん、家人のためですよ。

市内までは空港からタクシーに乗ったのですが、このドライバーが「?」でした。「着きましたよ」とドアを開けてくれ、トランクからおろした荷物はドアマンがさっさと建物の中に運び込みます。さっそくフロントでチェックインしようとしたのですが、係員が「お名前が見当たりませんが……」と。予約確認書のプリントアウトを取り出して見せると、これがなんと「マンダリン」違い。実はバンコクにはもう一つ、「マンダリン」と名のつくホテルがあるのだそうです。私たちが予約していたのは「マンダリン・オリエンタル」で、こちらはただの「マンダリン」でした。ドライバーが早合点して後者のほうでおろしてしまったわけですが、「じゃあ、移動しなくては」となったときは、そのタクシーの姿はありません。仕方なく別のタクシーで移動したのですが、こんなこともあるのですね。

「オリエンタル」のほうはチャオプラヤ川のほとりにあり、たしかに「超高級」といった感じがありあり(念のため書き添えておきますが、ただの「マンダリン」のほうもそこそこ高級そうでしたよ)。なにせバンコクで初めて(1887年創業)の西洋風ホテル(名称は「ジ・オリエンタル・バンコク」)ですから当然でしょう。その後「マンダリン・オリエンタルホテル」グループに買収された後も長らく創業当初のままでしたが、2008年から「マンダリン・オリエンタル・バンコク」に変わったのだそうです。

それはともかく、部屋に案内されると、立派なウエルカムフルーツが置かれ、部屋からの眺めも最高。高層ビルの姿が水面に美しく映え、川を行き交う大小の船もロマンチックな雰囲気を醸し出しています。