42年ぶりの「倉敷アイビースクエア」はいまなお新鮮

2018年11月16日
「北前船寄港地フォーラム」参加のため、昨日から倉敷に泊まり、今日は尾道です。

倉敷を訪れたのは1976年以来ですから、なんと42年ぶり。このときは新婚旅行でした。当時大人気だった倉敷アイビースクエアというホテルに泊まったのですが、今回は会合がそのホテルだったので、宿泊も同じです。42年の間にどの程度リノベーションされたのかはわかりませんが、私たちの泊まった部屋はツインで16平方メートルという、いまどきのシティホテルにはあり得ない狭さ。それでもホテル全体はかつてと同じ雰囲気で、いまなお新鮮さを保っていました。

工場の跡をホテルに改装するというアイデアはいまどきそれほど新鮮に感じませんが、40数年前は画期的なことで、メディアにも大きく取り上げられました。敷地と工場はもともと倉敷紡績(クラボー)のものですが(現在はどうなっているのかわかりません)、その発想自体が秀抜だったように思えます。というか、「儂【わし】の眼には十年先が見える」が口グセだったと伝えられる創業者・大原孫三郎のDNAが偉大としか言いようがありません。

尾道での会合は午後からなので、今日の午前中はホテル近くの「美観地区」を歩いて回りました。その名のとおり、この一帯は味わいのある建物、川と橋、ヤナギの並木などが美しい空間を構成しています。ここまで維持するのにどれほどのお金を費やしているのだろうかと考えると、自治体はもちろん、地元住民や企業・商店主らの努力のほどがしのばれます。

42年前の記憶はほとんどなく、覚えているのは「大原美術館」とその並びにある「カフェ・グレコ」くらいというのは、我ながら情けない話。朝9時半にホテルを出て、最初、旧街道の入り口で地図を広げてあたりを見ていると、地元のボランティアガイドさんが話しかけてきます。よく舌の回る高齢の方でしたが、売込みっぽくない話しぶりに魅かれ、30分コースで案内をお願いしました。

 

とてもよく勉強している様子で、どこを案内してもらっても、話によどみがありません。あまりの情報量に圧倒されそうでしたが、なんとか話について行きました(でも、頭はパンクしそう)。お別れするとき名刺をいただいたのですが、何十人かいるボランティアガイドのトップの方のようでした。

倉敷から尾道までは1時間ほど。お天気もよく、車窓には瀬戸内独特のおだやかな景色が広がります。JR尾道駅はいま改装中のようでしたが、駅を降りると目の前は尾道水道。すぐ手が届きそうな先に向島【むかいしま】が見えます。海岸沿いの公園もきれいに整備されており、この町がここ数年、観光で多くの人を集めているのも当然かなという気がしました。商店街も活気が感じられ、歩き甲斐があります。名物の尾道ラーメンを食し、「フォーラム」の会場へ。午後はずっとお勉強でした。