クルーズ4日目で初めて見た太陽

2018年3月26日
ここのところ朝4時過ぎには目を覚ましてしまうのですが、キャビンの窓から外を見ると、雨も降っておらず、すっきりした朝が来そうな感じです。予想どおり、6時には空がうっすら赤くなり、太陽が見え始めます。船に乗って4日目、初めて見る太陽! これは素晴らしい1日になりそうです。

 

今日は午前0時45分にブリュニィスン、3時45分にサンネスショーエン、5時25分にネスフに停船し、朝食を終えた頃にオルネスに到着。じつはこの間に北極圏に突入していたのです。朝食のあと、8階の屋外デッキで「北極圏突入洗礼式」なるイベントがおこなわれ、今朝7時6分42秒に突入したことを知りました。突入時刻を当てるクイズがあったのですが、それにいちばん近かったのがインド人のカップル。船長からお祝いとして、背中に氷水を注ぎ込まれ皆大笑い。しかし、やはり北極圏突入となると、天候や風の具合にもよりますが、肌がチクチクします。

 

 

 

お昼前にボードーという町に到着。昼食後のひとときを利用して町に出ました。昨日はタクシーでトロンハイムの町中まで行ったのですが、今日はツアー一行で徒歩。人口4万数千の小さな町ですが、上陸前に飛行場があるのも見えましたし、サッカースタジアムも。小さいながらも工場群もあったようなので、ノルウェー国内でもそれなりに重要な位置を占めているのでしょう。

訪れたのは「大聖堂(ルーテル教会)」と図書館、「サーモンセンター」の3カ所。この町も第2次世界大戦でナチスドイツにこっぴどくやられたようで、「大聖堂」も破壊されてしまったといいます。戦後、1956年に再建されたそうですが、「ルーテル」という名のとおり、質素な造りの教会です。中のモザイク画は簡素ながらも色彩が素晴らしく、印象に残ります。すぐ近くには、こちらも外壁の黄色がなんとも美しい「ノールランド博物館」がありました。

そこから坂を下りたところがこの町のメインストリート。といっても100mほどの長さしかありません。港にいちばん近いところにあるコンサートホールと図書館は、完成して間もないとのことで、シンプルであか抜けしたデザイン。港に停泊していた小舟にはタラが干してありました。最後に訪れたサーモンセンターは、ユニークなサーモンのイラストをふんだんにほどこした建物で、ノルウェー水産業の主要品目であるサーモンの養殖をわかりやすく紹介しています。雪はあまり降らない代わりに風が強く、船までの帰り道、冷たい風に吹かれながら歩きました。

ここらあたりから船は、ロフォーテン諸島がある海域に入っていきます。クルーズが始まる前、添乗員さんは「世界でもっとも美しい場所の一つ」「アルプスの頂を海に浮かべたよう」などと話していたのですが、通過するのがちょうど夜の時間帯で暗いため、残念ながら、景色を楽しむことはできません。19時にその島の一つにあるスタムスン、さらに21時にはスヴォルヴァーという町に停船はしたものの、海岸の美しさを楽しむことはかないませんでした。とくに、ロフォーテン諸島の中でいちばん大きな町スヴォルヴァーには1時間停泊するので、100人ほどの乗客が下船し、おそらくは氷点下の気温の中、雪で凍りついた道を歩き、船から数分のところにあるお土産物屋というかコンビニというか、正体のよくわからない店に向かいます。入りきれずに外まで行列ができていたので、私はパス。船に戻ったときの温かさがひときわ身に沁みました。

本当なら、ここには昼間の明るい時間帯に寄港し、島内をバスで回ったりしてみたいところ(どこを走ってもその景色は息を呑むほど美しいそうです)。皆さん、そうした残念な気持ちでいたのかもしれません。

クルーズ3日目で初めて見た月

2019年3月25日
モルデを前夜18時30分に出航、途中クリスティアンスンに停船し、2つ目の停船観光地トロンハイムに到着したのは今朝6時。北緯63度25分ですから、気温は当然低いです。それでも、メキシコ湾流の影響で、予想していたほどではありません。オーレスンと違い、こちらは道路のかなりの部分が凍っていて、雪も舞っていました

朝食をさっさと済ませ、8時には船を降り、タクシーで中心部に向かいます。駅の近くで下車し、そこからは徒歩。かつて首都が置かれていたことを示す王宮は木造で質素な印象です。それを見ながら南に下っていくと、ニーダロス大聖堂が見えてきました。そちらを訪れる前、東に折れたところに架かる「はね橋」に立ち寄りました。川の両岸には新旧の倉庫がびっしりと並び、美しい光景を見せてくれます。冬のにぶい太陽光のもとでもこれほどの美しさですから、春から夏にかけての時期、燦燦と照らされた明るい空の下であればさぞかし映えるでしょう。町には大きな大学があるらしく、歩いている人の多くが学生です。

     

はね橋から戻ったところにあるのが「ニーダロス大聖堂」。中世に建てられた建物ではノルウェー最大なのだとか。1070年に建造が始まり完成したのは1300年ごろといいます。かつてのノルウェー国王で聖人にも叙されたオラーフ・ハーラルソンスが祀られていることからもわかるように、長らく国王の戴冠式はここでおこなわれていたそうです。大聖堂の正面ファサードには、聖者54人(そのうち1体がオラーフ)の彫像が並んでおり、おごそかな雰囲気を出しています。大きなわりには内部も簡素な造り。これはやはりプロテスタントの教会だからでしょう。

 

 

     

かつて、現在の首都オスロからこの「ニーダロス大聖堂」まで(全長約640km)の道のりは巡礼路として親しまれてきたといいます。それが近年復活し、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と同じように、歩いて訪れる人の姿も見受けられるのだとか。日本の八十八カ所参りも全国各地に同じようなコースがあるのと同様、ここニーダロス大聖堂への巡礼路も、そうした位置付けなのかもしれません。

大聖堂から駅近くのショッピングモールまでは雪道を歩いて到着。町の中心であるこのあたり一帯はどこもかしこも工事中で、かつて首都が置かれていたこの町を作ったオラーフ1世の銅像が立つ広場もあちこち掘り返されており、どう撮っても美しくはありません。ショッピングモールはそれほど大きくはありませんでしたが、ノルウェーのどこにでもあるスーパーを中心に数十点の店が入っていました。バナナ3本と500mlの水(ペットボトル)をスーパーで買いましたが、これで54ノルウェークローネ(日本円で800円強)ですから、やはり物価は高いです。

タクシーで中心部から船まで戻り、次の停船地ロルヴィクまでは232kmと、もっとも長いノンストップ区間です。12時に出発し、到着予定は20時45分、8時間余ぶっ通しで走ることからもそれがよくわかります。

この夜、今回のクルーズ旅行で初めて月を見ることができました。といっても、厚い雲のほうが圧倒的に多い空でしたので、かろうじてといった感じです。

すぐ近くの海で大きな事故があったのにビックリ

2019年3月24日
昨夜10時30分、眠っているうちにベルゲンを出航したフィンマルケン号。最初の行程はかなり長く、今朝4時30分、フローロに寄港するまでノンストップ、163kmを一気に走り抜けます。この夜はほとんど雨で、明け方近くには雪に変わっていました。

たまに雨・雪がやんでも空はどんより鉛色。すぐまたぶり返してもおかしくない雲行きです。朝食は例によってバフェットスタイルですが、ノルウェー航路だけあって、シーフードのオンパレード。タラ、ニシン、サーモンの3種がさまざま料理されていて、ぱっと見は10種類以上(といっても、うち半分は漬けたもの)。それにチーズやらハムやら各種野菜が加わるので、1周20メートルはある陳列台を回っていると、目移りします。まあ、1週間あるのだからとは思いつつも、ついつい手が出てしまい、気がつけば取り皿には料理が山盛り状態に。

朝食を済ませ部屋に戻ってしばらくすると、船が大きく揺れ始めました。2つ目の寄港地モーロイ(ここまでが52km)から外洋に出ると、天気はかなり荒れていて、海もうねっている状態。その波を蹴立てながらの航海ですから、揺れるのは致し方ありません。すぐに船酔い用の薬を飲み、私のほうは事なきを得ました。その代わり、デッキに出て極寒の中、半分雨に当たりながら遠く離れていく陸地を見続けたりなど、酔わないように必死。でも、72km走って3つ目の寄港地トルヴィクに近づいた頃にはうねりもかなり和らいでいました。

トルヴィクからオーレスン(Alesund)は28km。この間は内海というかフィヨルドなのでゆっくり航行しますし、湾の奥に入るにつれ穏やかになってくるので、体もだんだん平常に戻っていきます。11時30分からの昼食もそこそこ食べられました。家人は先の揺れで、朝食べたものを全部戻してしまったらしく、食欲はゼロのよう。薬も効かなかったのですね。

4つ目の寄港地オーレスンに到着したのは12時ちょうど。ノルウェー人が選ぶ「ノルウェーでもっとも美しい町」に選ばれた町だそうで、ガイランゲルフィヨルドを始めいくつかのフィヨルド観光の中継地にもなっています。最初の下船観光が予定されているところなので、私たちはもちろん降りましたが、同じツアーの中で3、4人の方が船室で休まれていたようです。

オーレスンはとても美しい町です。添乗員さんの話によると、20世紀の初め頃、町のほぼ全体が火事で焼けてしまい、いまの建物はすべてそのあとで建て直されたものなのだとか。町がまるまる焼けたのは、当時の家が木造だったからです。そのため、建て直しにあたってはすべて石かレンガ造りにしなければならないとされ、そうした家々が100年近くたったいまもそのまま残っているのです。

オーレスンの港に船が着く前、甲板や展望デッキから町の様子がだんだんはっきり見えてきましたが、ちょうど天気も持ち直していたこともあり、その美しいこと! 個々の家もそうですが、それが合わさって作り上げられる色彩に満ちた景色が心を慰めてくれます。冬場だけかもしれませんが、空がこうも暗く厚い雲に覆われていると、人々の気持ちもどうしたって滅入ってくるでしょう。それを少しでも和らげようという思いで、家の外壁を黄色や赤、オレンジ色、空色など、パステルカラー系のペンキで塗ったのにちがいありません。たしかに、出航してから3日間ずっと、走れど走れど雨・雪、たまにやんでもどん曇りという空模様でしたから、誰もがいいかげん重い気分になりかけていたようです。そこにあらわれた明るい色彩の家々はそうした憂鬱を吹き飛ばしてくれました。

迎えのバスに乗って向かった先は標高187mのアクスル山の展望台。この頃になると不思議と雨もやみ、青空に覆われた展望台からのながめは最高でした。遠くスカンジナヴィア半島を覆う山々の頂上付近は雪で覆われ、それが間近に見えるのとあいまって、写真撮りまくりの2時間。5年前、夏のフィヨルドを楽しむ旅をしたとき、当初この町も訪れる計画でしたが、結局あきらめただけに、今回来ることができてよかったです。

 

 

 

アクスル山を下りたあと訪れたのが「アール・ヌーヴォー博物館」。かつては薬局だった建物をそっくり博物館にリノベーションしたのだそうです。建物の前は小さな港で、その周辺は、どこを見ても絵になりそうなたたずまい。水辺にある小さな公園に置かれているベンチには熱が流れていて、心地よくすわれます。冬が寒い町ならではの心遣いですね。

 

 

1904年1月の大火で町がほとんど焼けたあと、ヴィルヘルム2世 (皇帝)の号令一下、ドイツはもちろん、ほかのヨーロッパ諸国も資金、復興作業の人員を派遣するなど、国際的な協力のもとで再建がおこなわれたそうです。当時のお金で15億ドル・3年余をかけて、アール・ヌーヴォー様式の建物が立ち並ぶ新しいオーレスンが作られたのだとか。どこを切り取っても絵はがきのような光景を見せてくれる街並みの所以です。

展望台から港の近くまで戻り、私たちの乗っている船の全景を初めて見ました。ナイル川クルーズで乗ったのは2千トンほど、ドナウ川クルーズで乗ったのは1600トン弱。それに比べ今回のフィンマルケン号は1万6千トン近く。やはり大きいです。

午後3時、オーレスンを後にしばらく外洋に出たものの、またフィヨルドに入っていきました。次の停船地モルデ(Molde)に至るまでのフィヨルドはまさしく絶景。山々が海岸線近くにまで迫っており、わずかな平地に家が並んでいます。遠目で見ても色彩感に満ちた美しい家が多いのが印象的。無数の島々や中洲が点在する中、ときにはうっそうと生い茂る緑の木々が山の中腹まで積もっている雪とコントラストをなしながら、私たちの目を癒してくれます。8階の室内展望デッキの席がすべていっぱいだったのもよくわかります。

 

ヨーロッパ系の人々はめいめい、読書にふけったり、同行の人と語らっていたり、夫婦でお茶をしたりなどしていましたが、その眼前にはフィヨルドの美しい光景がゆっくり流れていきます。ここぞという景色が近づくと、写真好きの人はカメラを手に屋外のデッキへ。もちろん気温は低いのですが、風も雨もなかったのが救いで、次から次へシャッターを切りたくなるのもよくわかります。

話は変わりますが、前日の午後、豪華客船「ヴァイキング・スカイ(Viking Sky)」が半島中央部のやや北にある町トロムソからスタヴァンゲルに向かう途中、悪天候に遭って動力を失い、漂流し始めたため、船長が遭難信号を発したというニュースをテレビが報じていました。その救助活動の模様も伝えられていましたが、この荒天と寒さの中では大変だろうなと、他人事ではない感じです。2017年にできた真新しい船だというのに、何があったのでしょう。

モルデ到着は夕方6時。私たちが停船する桟橋の手前に、その「ヴァイキング・スカイ」号が避難のため停泊していました。乗客乗員1370人のうち、500人ほどはすでにヘリで救出されていたのですが、その後エンジンが使える状態になったとかで自力で航行してきたようです。テレビでは、大西洋上でなんと8mもの波に襲われたとも報じていました。それでも目立った傷はないようで、大きな事故にならずよかったです。それにしても、48000トン、全長227.2m、全幅28.8mの豪華客船というのは、とてつもない大きさです。

ベルゲンから北極圏に向かって出発

2019年3月23日
ノルウェーのベルゲンを訪れたのは2014年8月以来。前回は同地の世界遺産「ブリッゲン」を観るのが目的だったのですが、今回は「ノルウェー絶景航路とオーロラ観賞クルーズ」というツアーの出発地になっているため。日本から到着して1泊目がこの町というわけです。コペンハーゲンで乗り継ぎ、小雨降る空港に着いたのは8月22日午後6時過ぎ。偶然ですが、前回泊まったのと同じホテルでした。

 

今回のツアーは行き帰りともスカンジナビア航空で、食事はとてもよかったです。2回とも、3種類あるメインディッシュのメニューを並べたトレーをCAが運んできてくれましたが、「自分の目で見て選べるのはありがたい」とは家人の弁。たしかに、これなら見た感じから得る印象と直感で選べるので、万一おいしくなくても、納得度が違います。幸い、カンが冴えていたのか、どちらも満足できました。

「Beef or chicken?」とたずねられ、どちらか(3択のケースもありますが)を選んで失敗した経験は、誰にもあることでしょう。私たちの場合、リスクマネジメント(大げさな言い方ですが)というか保険をかけるというか、たいてい、それぞれ別のものを選ぶようにしていますが、それでも残りの一つのほうがよさそうだったというケースもなきにしもあらず(隣の席の人が食べているのを見てそう思ったり)。どれを選んでも大丈夫というキャリアー(航空会社)もあるにはありますが、いつもその会社の便に乗るわけではないので、なかなか難しいところがあります。

さてさて、スカンジナビア航空は、派手なCMはしていませんが、やはり伝統が違うというか。第2次世界大戦後まもない1951年から日本に乗り入れているそうで、昔からなじみはありました。私が小中学生当時、テレビでCMを流している航空会社といえば、スカンジナビアのほかBOAC(英国海外航空)とエールフランス、パンアメリカンくらいだったのでないでしょうか。しかも、1957年には、他の航空会社に先駆けて北極ルートの北回りヨーロッパ線を開設しています。派手派手しい宣伝をしないのが北欧らしさかもしれません。

今回のツアーはキホン「船」です。出航は今日の夜10時半なので、それまでは町の中を観光。世界遺産の「ブリッゲン」を手始めに、「フロイエン山」、魚市場と土曜日でたまたま開かれていてファーマーズマーケットをのぞき、ランチ。午後はコーデ(KODE)地区にある「美術館3」でムンクの作品を鑑賞しました。

 

ベルゲンというところはとにかく雨が多いことで知られており(年間降雨日数は軽く200日を超える)、しかも天気が変わりやすいそうです。たしかに、この日も、「フロイエン山」にケーブルカーで出発したところ、途中までは窓に雨が打ちつけていました。ところが、頂上の展望台に着いた頃はウソのような青空が。しかし、それもつかの間、小1時間ほどして下に降りたときはまたまた雨です。

続いて訪れたのが「美術館3」。ノルウェーの生んだ名巨匠エドヴァルド・ムンクの代表作『叫び』のオリジナルを観たのは5年前、首都オスロの国立美術館でしたが、ここに展示されているのは、それ以外の作品の数々。ムンクがさまざまな試練に遭い、精神を病んでいくにつれ絵も変わっていきます。その兆候が感じられるような作品もいくつか観ることができました。

いちばん印象に残ったのは『病院での自画像』(1909年)。ムンクは1902年、裕福なワイン商人の娘トゥラ・ラーセンに結婚をめぐって争いピストルで撃たれたことがあります。その事件で受けたショックなどが引き金となり、それ以降は妄想を伴う不安が高まり、アルコールにひたる日々を送るように。ときには暴力事件を起こしたこともあるようです。さらに、対人恐怖症の発作にもたびたび襲われたようで、それが頂点に達したのが1908年。その年の10月には、自分の意思でコペンハーゲンの病院に入院し、治療を受け始めたといいます。そのさなかに描いたこの絵は、ムンクの素晴らしい芸術的センスが自身の服装にあらわれているように思いました。どことなく精悍な表情も見られ、本当に精神を病んでいるのか、疑わしいほどです。

「美術館3」に展示されているムンクはじめ、ほとんどすべての作品は、ノルウェーの実業家ラスムス・メイエルがこの頃買い求めたもので、それによってムンクの名前と作品は一気に広まったといいます。たしかに、絵を描き始めた時分の『朝(ベッドの端に腰掛ける少女)』(1884年)をはじめ、『浜辺のインゲル』(1889年)『カール・ヨハンの春の日』(1890年)などは、『叫び』と同じ作者のものとは思えません。

 

しかし、それらとほぼ同じ頃(1892年)に描かれた『カール・ヨハン通り』を観ると、翌93年の『叫び』に通じる独特の悲しい表情が見られ、なるほどと思いました。5歳のときに母が、14歳のときに姉が病死した経験がムンクの生涯に影を投げかけたと言われるように、それがひょっこりとですが、如実に出ていました。

夕方、これから1週間乗る沿岸急行船(フッティルーテン=HURTIGRUTEN)のフィンマルケン(FINNMARKEN)号に乗船するため桟橋に向かいます。いまさら言うまでもありませんが、チェックインや荷物の運び込みは旅行会社がすべてやってくれるのがツアーのメリット。あとはルームキーをもらうだけです。

キャビンは予想していたよりはるかに広く、感動です。人間、もともとの要求水準が低いときに、それより上のものを提供されるとうれしいですからね。いまさらかもしれませんが、クルーズの利点の中で際立つのは、スーツケースの中身を全部出しておけることに尽きます。しかも、空にしたらベッドの下に置いておけるので、部屋の面積が多少狭くても不自由を感じません。私自身はそれほど感じませんが、加齢とともに、重いスーツケースを転がしながら歩くのがつらくなってくると、家人はよく言います。

東京で見逃した映画が観られラッキー!

2019年2月12日
昨年秋のドラフトで大注目された大阪桐蔭出身の根尾昂(あきら)選手は、抽選の末、中日ドラゴンズが交渉権を獲得、すんなり入団しました。しかも、1軍のキャンプに参加しているというので、北谷【ちゃたん】にある野球場に足を運んでみることに。こちらも、タイガース同様、根尾見たさに多くのファンが詰めかけているようです。

そこから、すぐ近くの楽天イーグルスの1軍キャンプ地にも足を伸ばしてみましたが、こちらはまだ数日後からスタートだったようで、残念ながら空振り。それでも、ここ沖縄で国内の7球団が春季キャンプを張るのは、経済効果も見込めるので、とても有意義なことのように思えます。沖縄は観光地として、47都道府県のなかでも屈指という年間1000万近くの人が訪れています。目的はそれぞれでしょうが、冬場、それも観光的にはどちらかといえばオフシーズン的なこの時期、こうした形で人がやってくるのはありがたい話ではないでしょうか。

しかし、もっと観光客を回遊させる手立てがあってもいいのではないかという気もします。この時期キャンプを張っているのは野球だけではありません。Jリーグのチームもやって来ています。また、Bリーグの強豪・琉球ゴールデンキングスもシーズンの真っ最中です。他県ではあまりスポットが当たっていないハンドボールも盛んですし、サッカーもJFLから着実に階段を上がってきたFC琉球が(現在はJ2)。ウォータースポーツだけでなく、沖縄はある意味スポーツ大国でもあるのです。

沖縄での楽しみの一つに映画があります。というわけで、夜は『アリー・スター誕生』を観に行きました。東京で見損ねた作品なのですが、たまたまこちらではまだ掛かっていたので、迷わずGO。レディー・ガガの演じる主人公アリーの人生はほとんどガガにも通じているのが名演につながっているのかも。監督はブラドリー・クーパー。『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』でブレイク、2012年から3年連続でオスカー候補になったほどの名優が初めてメガホンを取った作品なので、昨年末はけっこう話題なっていました。沖縄でも今日が最終日。その意味でも、ラッキーでした。

こんな近くに「世界遺産」が!

2019年2月11日
沖縄の拠点は首里にあります。いまでこそ那覇市の一部になっていますが、もともとはまったく別の町。首里には王宮が置かれていたのに対し、那覇は港町で、琉球王朝と明との貿易拠点として栄えました。首里のほうは、小社の分室がある寒川町はじめ、山川【やまがわ】町、桃原【とうばる】町、赤平町、当蔵【とうのくら】町、儀保【ぎぼ】町など、いまは全部で19の町から成っています(このうち平良町、大名【おおな】町、末吉町、石嶺町は厳密には首里ではなかったようです)。

今日は、最近すっかりハマっている『王都首里見て歩き―御城と全19町ガイド&マップ』(古都首里探訪会編・著)を片手に出かけてみることに。目的地は崎山町で、首里城がある金城町のすぐ隣。城は首里でもいちばんの高台にありますが、それとほぼ同じ高さで続いている一角です。琉球王朝時代は、鳥堀町、赤田町とともに泡盛の製造を許可された地域の一つだといいますから、それなりの権威もあります。

行ってみると、まず見晴らしのよさに驚きます。王朝時代は、城下の町並みがすべて見渡せたのでしょう。「御茶屋御殿【うちゃやうどぅん】石像獅子」とか「儀間真常【ぎましんじょう】の墓所」など、由緒を感じさせる事物やスポットがいくつもあります。 儀間真常(1557~1644)は「琉球の五偉人」の一人にも数えられ、サツマイモ栽培を広めたり、木綿の栽培と織物の技術、(黒)砂糖の製造と普及に努めたりなど、琉球王国の産業の基礎を築いた人物です。

そんな儀間の墓所が、住宅の立ち並ぶエリアの一角にあると、先の本にも書かれています。かなりアバウトなマップなので分かりにくいのですが、細い階段を下りて行ったところにあるよう。これでは、観光客が訪れたりすることはまずないでしょう。しかし、誰かが墓守りをしているのか、花も供えられていました。「御茶屋御殿」は王府の別邸で、火災などの災厄から守るために獅子の石像が置かれていたといいます。

   

こんな近くに「世界遺産」の一部を構成するものがあったなど、夢にも思いませんでしたが、それだけに、これから先も、行ったことがない場所・じっくり見たことがないものを探しに出かけようという探求心がくすぐられた次第。

さすがタイガース! ファンでびっしりの宜野座村営野球場

2019年2月10日
沖縄でのプロ野球キャンプでこれまでまだ一度も見たことのないのが阪神タイガース。場所が宜野座【ぎのざ】村なので、首里からはやや遠いのです。ただ人気球団なので、多くのファンが来て盛り上がっているのではないかと思い、行ってみることにしました。

キャンプ地の近くの「やかそば」という店に魅かれ、入ってみます。いいですねぇ、雰囲気が。入口近くに手書きの大きなメニュー表示があり、これがまた元気というか、なんというか。「やかそば」「炙り本ソーキそば」「豚まぜそば」「レバニラもやしそば」……。どれも食欲をそそります。私は「やかそば」を食べましたが、これがまたおいしいいのなんの。アグー豚かどうか定かではありませんが、麺が見えないほどのボリュームで、そばも腰があり、あっさり完食! またニュースポットを発見できました。

村営野球場には、大変な数の人が来ていました。雨模様であるにもかかわらず、球場に近い駐車場は車でびっしり。「御用のない方お断わり」という村役場の駐車場にも止めてあるほどです。99%はレンタカーを示す「れ」「わ」ナンバー。私たちは、歩いて5~6分はゆうにかかりそうな路上でやっとスペースを見つけ駐車し、球場まで行きました。まわりは応援グッズを売るテントや食べ物が軒を並べ、いい匂いをただよわせています。2003年から続いているので(1998年から2002年までは日本ハムの2軍が使っていた)、宜野座村イコール阪神というのがすっかり定着しているのでしょう。

宜野座からの帰り、金城【きんじょう】ダムに立ち寄ってみました。小社の分室のすぐ近くにあり、その前を走るたびに目にはしているのですが、まだ一度も近くまで行ったことがなかった場所です。道路からダムを歩いて渡り、全体を見下ろしてみると、やはり大きいですね。ダムといえば人工の池か湖がつきものですが、そこまで近づくにはさらに歩いて降りていかなければならず、さすがにそれはパス。

沖縄では20年以上前から、辺野古【へのこ】基地のことが大きな問題になっています。町のど真ん中にある普天間基地があまりに危険だというので、その機能の大半を本島北東部の名護市辺野古の海を埋め立て、そちらに作った基地に移そうという話です。地元の人たち、いな県民の多くが反対しているのにそれを強行しつつある日本政府との対立は泥沼化の一途。この先いったいどうなるのか、東京からやって来ている私ですら不安を抱きます。

その辺野古を今日初めて、この目で見ました。美しい海岸です。ほとんど手つかずの自然がまだ多く残っていて、なんで選りにもよってこんなところに基地なんか作るの? と誰もが思うでしょう。山口県岩国や東京の福生【ふっさ】など、オスプレイが何十機か数日やってきただけで大騒ぎになりますが、70年近くそうした状態に置かれている沖縄県民のことを思うと、どうなんだろうという気もします。

 

沖縄! 今回もまた始まりは、辣子鶏(ラーズーチー)

2019年2月9日
お昼過ぎに到着する便で、沖縄にやってきました。昨年の9月末以来ですから、4カ月以上も間が空いたことになります。到着が昼でも夜でも、着くやいなや空港から、県庁近くにあるひいきの中華料理店「燕郷房(ヤンキョウファン)」に直行し、大好きな辣子鶏(ラーズーチー)をかぶりつくのが最近の習慣。ちなみに、家人はパクチーサラダです(これもうまい!)。

辣子鶏は四川料理の代表的なメニューの一つだそうで、鶏の唐揚げを大量の唐辛子や花椒などと一緒に炒めたもの。それと出会ったのがこの店なのです。とにかくめっぽうおいしいので、辣子鶏抜きの沖縄などあり得ません。

https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g298224-d6474066-i144010621-Yankyofan-Naha_Okinawa_Prefecture.html#144010621
https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g298224-d6474066-i121947900-Yankyofan-Naha_Okinawa_Prefecture.html#121947900

「トリップアドバイザー」提供の写真ですが、次回は自力で撮ってきますね。何せ、撮るより食うという気質【たち】なもので、すみません。

心身ともに大満足で、明日からに備えます。といっても、特段これといった予定は立てておらず、いつものように成り行きまかせ、お天気まかせ、気分まかせ。でも、それが私にとってはいいのですね。日にちや時間で刻まれた生活と、たとえ3日でも4日でもおさらばできるのが、格好のリラクゼーションになるからです。今回は、プロ野球のキャンプとも重なっているので、まあ、ドライブがてらのぞいてみようかといったところでしょうか。

「東国三社」のバスツアーに参加

2019年1月17日
JR東日本の「大人の休日倶楽部」主催の「勝ち年祈願! 鹿島神宮と香取神宮」という日帰りバスツアーに参加しました。“●茨城県南部と千葉県にまたがる「東国三社」と呼ばれる「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の3つの神社を日帰りでめぐる初詣ツアーです。●昼食は明治30年より鹿島神宮のお膝元で続く歴史ある食事処「鈴章」にて名物の鯰(ナマズ)の薄造りを盛り込んだ料理をご用意いたします”という触れ込み。「国内旅行傷害保険つき」とはいえ、価格は13800円です。

毎月送られてくる機関誌でこのツアーを知り、申し込んでみたのですが、実際に行ってみると、コストパフォーマンスがすこぶる悪く、不満が残りました。道路の混雑状況で戻りの時間が遅れる恐れもあるとはいえ、「午前9時出発 午後7時・東京駅帰着予定」が、実際の帰着は午後5時40分。そのせいもあって、中身は必要以上に間延びした感じで、どの神社でも時間を持て余し気味。しかも平日ですから、道路もほとんど渋滞なしとなれば、こういうことになってしまうのでしょう。これだけ余裕があるのなら、最後、香取神宮のあとに伊能忠敬記念館の見学とか、佐原の街並み歩きでも組み込めばいいのにと思ってしまいます。

最後に訪れた香取神宮の駐車場にはとバスの車が止まっているのに気がついたので、スマホでググってみると、はとバスでもほぼ同じ内容の企画がありました。値段を見るとこちらは7980~8480円。違いは添乗員がつかないのと、昼食が「ANAクラウンプラザホテル成田 (バイキングの昼食)」という点。添乗員がつくとここまで値段が変わるものなのかという疑問はさておき、JR東日本の価格はちょっと高すぎではないかというのが正直な感想です。ランチもはとバスのほうはたぶん3000円見当なのに対し、私たちが行ったの「鈴章(ミニAコース)」は1800円。ナマズもものめずらしくていいのですが、好き嫌いもありそうですし。となると、ますます価格設定に疑問が湧いてきます。

それより何より、なんでもきちんと比較してから申し込む(買う)ようにしないと、こういう墓穴を掘ってしまうのだなと反省させられました。そもそも、「東国三社めぐり」というのは、それほど斬新な企画でもないようで、この時期の定番。となればよけいそうした思いにさせられます。また、真剣にお参りしたり、近ごろはやりの「御朱印」集めといったモチベーションもない私のような者にとっては、いまイチのバスツアーでした。

私立の動物園は経営が大変そう

2018年12月4日
広島から岡山までは30分少々。西日本の動物園訪問・第3弾は岡山の池田動物園です。名前から想像がつくように、ここは江戸時代この地を治めていた池田氏の私立動物園。駅からタクシーで10分足らず、住宅街の中にあります。敷地は小高い丘(京山)のふもとにあり、園内はけっこうアップダウンが。それもそのはず、もともとは牧場だったようです。

wikipediaによれば、「元岡山藩主池田詮政【のりまさ】の孫池田隆政と昭和天皇の第四皇女池田厚子夫妻により1953年月に設立され、その後動植物園を経て60年に現在の池田動物園となった」 と。そうした背景もあってでしょう、この動物園には、牧場の時代も含め、昭和天皇・皇后両陛下が2度もご訪問されているようです。

ただ、昨年ベンガルトラが亡くなったのに続き、今年もホワイトタイガー、エゾヒグマが亡くなっており、どこかうらさびしい感じすらただよっていました。もちろん、平日なので仕方ないのですが、私立の動物園というのは経営が大変なのでしょう。園内にちょっと立派な家が建っているので何かと思ってみたら、園長のご自宅。園内マップにも「えんちょうさんのおうち」と書かれています。いかにも「私立」といった感じがします。

いま動物園は、世界中どこでも、動物の維持に苦心しているようです。とくに日本は、世界的に見ても動物園の数が多く、しかもほとんどが公立、つまり地方自治体が経営主体になっています。少子化で人口が減り税収入もままならない中、動物園を維持・管理していくのは大きな負担のようで、皆頭を抱えているのではないでしょうか。

ここ池田動物園もスポンサーになっている地元企業が数十社あるようですが、それでも苦しい経営状況がありありと感じられました。ほとんどの動物が単体、1頭きりなので、さびしい印象はまぬかれません。山の上のほうにいるライオンもかなり年齢が行っており、毛がパサパサでボサボサ。人間に例えるなら1カ月髪を洗っていないような感じです。レッサーパンダも同じく1頭きりでさびしさがありあり。ただ、ニホンシカが山の中腹、ほかより10メートルほど高い場所にいたのが印象的でした。

  

「食」には少々難アリの姫路。でも、立ち食いの牡蠣そばはグーでした

2018年12月3日
昨晩からの雨もお昼前にようやくあがったので、姫路市立動物園に行くことにしました。お城の中にあるという、いまではとてもユニークな動物園です。園内からも世界遺産・姫路城の天守閣が見えるので、動物たちにとってもぜいたくな空間と言えるかもしれません。

ただ、市立ですし、場所も場所なのでこじんまりしており、動物の種類・数もそれほど多くはありません。それでもキリンは2頭いましたし、北極グマやライオン、シマウマなど、とりあえず2頭ずつ。やはり、どんなしょぼくても2頭はいないとさびしい感じがするので、ぎりぎりセーフといったところでしょうか。

 

さて、ランチをどこで食べるか──。昨夜に続いて、適当な店がなかなか見つからなかったのですが、地下街で食べた「牡蠣そば」は思いがけないヒットでした。立ち食いレベルのそば屋で牡蠣そばが食べられるところはそうそうありませんし。

次の目的地は、姫路から新幹線で1時間ほどの広島。長い間お世話になっている方が主宰されているNPO法人の年末懇親会に出席するため、会場のグランドプリンスホテルに向かいました。恒例の余興では、昨年に続き出雲神楽を鑑賞。演し物は『大江山』で、たいそうな迫力です。

広島では近ごろ、この出雲神楽を外国人観光客向けに見せているらしく、えらく好評なのだとか。ただ、プロの演者がいるわけではないので、常打ちにはできないそうです。しかし、それほど好評であれば、なんとかその手立てを講じていただきたいなとも思います。歌舞伎顔負けの衣装もさることながら、ストーリーが単純明快、しかも短時間なので、イヤホンガイドとかがなくても、よくわかるのではないでしょうか。

会場から宿泊先のホテルに戻ると、この時期にしか見られない「ひろしまドリミネーション」が。平日なので人出もそれほどでなく、ゆっくり見て回ることができました。神戸のルミナリエには太刀打ちできませんが、平和大通りの公園スペースを利用しているので広々としており、神戸のように行列する必要はありません。

 

私が愛用しているビジネスホテル「ロイネット」

2018年12月2日
前日、京都での仕事を終え神戸に移動しました。三ノ宮までは新快速で1時間ほどですからすぐです。3カ月ぶりの神戸ですが、土曜日、それもいちばんにぎやかな三ノ宮とあって、けっこうな人出でした。

ホテルは駅から徒歩5分ほどのロイネット。ひとりで動く場合は、ほとんどこのブランドに決めています。駅から近い、値段が高くない、部屋が広い(ワーキングスペースも)、そして喫煙OKの部屋がある、コンビニが近いといったところが主な理由です。「主な」と書きましたが、これだけの条件がそろったホテルというのは、そうそうあるものではありません。唯一の欠点は、ビジネスホテルなので、「朝食付き」といっても、同じ建物に入っている居酒屋とかカフェに毛が生えたような店で食べるケースがほとんど。そのため、内容がいまひとつなのです。

夕食を食べに出たのですがなかなか見つからず、結局、駅からさほど遠くない豚カツ屋さんで牛カツ飯というのを食べました。関西はやはり牛肉文化で、「豚カツ」を名乗ってはいても、メニューの多くを「牛肉」ものが占めています。

三ノ宮駅周辺には、いわゆる神戸っぽさを感じさせるおしゃれな店が並ぶ商店街もいくつかあります。ただ、その一方で、昭和風というか、レトロで猥雑な飲食店街もあるのです。そうした店の中で行列ができているのは、串揚げ(串カツ)かギョウザで、このあたりは東京とはかなり様相が異なります。

さて、今日は早起きして、まず王子動物園へ。三ノ宮からJRで一つ目の灘という駅から歩いてすぐのところです。隣の駅だというのに三ノ宮とはうって変わって静かな駅で、あとでわかったことなのですが、文化関連の施設がいくつかあります。

動物園自体はこじんまりしていますが、日本で唯一ジャイアントパンダとコアラを同時に見ることができる動物園なのだそうです。しかし、園内に重要文化財の建物があるのには驚きました。歩いていて、あんなところに洋館が見えるなぁ、なんだろう? と不思議に思っていたのですが、神戸にいくつかある異人館の一つで、1889年に建てられたといいます。かつての所有主エドワード・ハズレット・ハンター(イギリス人の実業家で、日立造船の前身の会社を興した人物)にちなんで「旧ハンター住宅」と呼ばれ、もとは市内北野町にあったもの。1963年に王子動物園内に移築され、66年に国の重要文化財に指定された、たいそう由緒のある建物のようです。

3頭いるキリンにも挨拶し、園を出ると、「横尾忠則現代美術館」の表示が目に入りました。時間もありましたし、せっかくだからとそちらに向かいます。その手前に建っているのは「兵庫県立美術館原田の森ギャラリー」、向かい側に建つレンガ造りの建物は「神戸文学館」です。

ただ、建物の脇に「関西学院発祥の地」という看板が立っていました。説明文を見ると、もともとは1904年に建てられた関西学院の初代チャペルなのだとか。関西学院はその後、西宮市に移転しましたが、チャペルはこの地にとどまりました。しかし、太平洋戦争中、空襲に遭って大破。1950年にあらかた修復されてからは、さまざまな公共施設として転用されたようです。そして93年、塔の復元とともに市民ギャラリーとなったのち、現在の神戸文学館となったとありました。

「横尾忠則 在庫一掃大放出展」というタイトルでおこなわれていたのは、これまでこの美術館で一度も展示されたことのない作品ばかりを集めたもの。ほとんどの作品につけられていた横尾直筆の注釈メモを読むと、その人柄がよくあらわれているように思いました。

三ノ宮に戻りそごうデパートで昼食を買い、地下鉄でノエビアスタジアムへ。今日はラグビー・トップリーグの順位決定戦2回戦、神戸製鋼vsリコーの試合です。勝てばベスト4ですから、レベルは高いはず。ダン・カーター見たさで行ったのですが、やはり身のこなしがしなやかというか、ラグビーボールを持って生まれたのではないかと思わせるような、無駄のない、それでいて力強さも感じさせるプレーにまたまた感動しました。

試合終了後、三ノ宮まで戻り、次の目的地・姫路へ移動。ホテル(10月にオープンしたばかりのロイネット)でひと仕事終え、夕食を食べに出たのですが、この町は「食」についてはいまひとつの感があります。数年前に来たときも感じたのですが、行ってみたいなと思わせる店があまりないというか(それほど強いこだわりがあるわけではないのですが……)。結局、駅ビルにある「ゴーゴーカレー(金沢風で有名!)」で済ませたのですが、この店のカレーは、若い人に人気とだけあってボリュームが勝ちすぎのきらいがあり、私のような年齢の者には少々キツ~い感じがしました。

 

尾道からアナハイムまで、36時間ぶっ通しで起き続ける

2018年11月17日
今日は尾道から広島空港に向かい、そこから成田空港、成田からロサンゼルスという長い長い旅が待っています。その前に、尾道駅周辺の商店街を回ってみることにしました。以前、取材で訪れたときは、商店街のほんの一部しか見られなかったのですが、今日は奥の奥まで足を延ばします。

予想していたよりはるかに長く続いており、しかもいまどきの地方都市には珍しく、ほとんどの店がきちんと営業しています。土曜日なので、人通りも多く、なかには、行列のできている店も。昨日の「フォーラム」で市長が語っていた“活気ある尾道”を実感させられました。こうなるまでには10数年かかったといい、相当苦労されたようです。それがいまどんどん実っており、そうなると住民も元気になります。それどころか、ここなら商売も成り立つというわけで、よそからやって来て店を開いている人もいるようです。これで駅の全面改装が終われば、ますます多くの人がやって来るのではないでしょうか。

  

しかし、その尾道と広島空港とを結ぶシャトルバスが一時廃止になりそうになったこともあると聞き、驚きました。地元の要望でなんとか1日2往復は走っているようですが、早朝だけのため、今回の私たちは利用できません。結局、山陽本線の電車で白市【しらいち】という駅まで行き、そこからタクシーで空港へ。

機内で11時間以上過ごしても、まだ11月17日は続いています。久しぶりに乗ったシンガポール航空ですが、昔と比べるとサービスの質がかなりダウンした印象は否めません。以前このブログでシンガポールのリッツ・カールトンホテルでの一件について書きましたが、それとほとんど同質の“上から目線“的な客あしらいになってしまっているのです。というか、「情」が欠けている気がします。どのCA(キャビンアテンダント)もマニュアルに忠実なサービスをしているものの、いい意味でそこから一歩もはみ出ていません。

ぐっすり眠りについている客の席にも、朝食を持ってきたりするのがそのいい例。声をかけられても返答しなければやり過ごすのでしょうが、寝ぼけまなこで「はい」と応じようものなら、「シートを元に戻してください(お手伝いはしてくれます、もちろん)」「テーブルをセットしてください」ということになり、食器がズラリと並べられます。まだ半覚醒状態の家人も、ワケが分からないまま返事をしたばかりに、目の前に食べ物が。そうなると、手をつけないわけにも行きません。これがおいしければまだしも、たいしたことのない味なので、そのうちだんだん腹が立ってくるというわけです。

ロスの空港でレンタカーを借り、1時間ほど走るとアナハイム近くのホテルに到着。今回もまた「Ayres」です。別段義理があるわけでもなんでもないのですが、この界隈に泊まるときはたいていこのブランドになってしまうのです。もちろん、ほかにも Hyatt  Sheraton、Hilton、Marriott など、名の知れたホテルもあるにはあります。ただ、そこにゆっくり滞在するわけでもない、夜露をしのげさえすればそれでOKという場合は、この程度のホテルで十分。アメリカのホテルなので部屋は広々としていますし、値段もリーズナブルです。難を言えば、朝食がきわめてプアといったことくらいでしょうか。

チェックインしたのは午後3時過ぎ。といっても、のんびり休めるわけではありません。今夜は、学生時代からお世話になっているHさん(昨年8月に亡くなられた)の長男(でも末っ子)Nくんの結婚パーティーがあるからです。いちおうきちんとした格好で行かなければということで、ホテルで着替えを済ませひと息着いたころ、Hさんの未亡人Lさんが迎えに来てくれました。最初は自分でレンタカーを運転していくつもりでしたが、パーティーとなるとアルコールは避けられません。そのことに気を使わってくださったのです。

会場は、小高い丘の上にあるレストランのパーティールーム。夜景が素晴らしく美しい、最高のロケーションでした。アメリカの結婚パーティーは形式張らないので、時間もゆったりしています。いちおう6時スタートになってはいましたが、実際に始まったのは7時過ぎ。しかも、キホン手作りですから、会場の飾りつけはほとんど、家族総出(Lさん、Nくんの二人の姉夫妻、親しい友人など)で約1カ月かけて作ったそうです。音響などは業者にお願いしていたようですが、それ以外は全部、当日手分けして持ち込み、組み立てたり並べ置いたり……。

結局、お開きは夜11時で、そのあとの片付けを手伝ったりしたので、会場を出てホテルに着いたときは午前0時を回っていました。日本との時差が17時間ですから、36時間ほとんどぶっ通しで起きていたことになります。飛行機の中で3時間ほどウトウトしていたのでかろうじてもちましたが、なんとまあ長い1日でした。

42年ぶりの「倉敷アイビースクエア」はいまなお新鮮

2018年11月16日
「北前船寄港地フォーラム」参加のため、昨日から倉敷に泊まり、今日は尾道です。

倉敷を訪れたのは1976年以来ですから、なんと42年ぶり。このときは新婚旅行でした。当時大人気だった倉敷アイビースクエアというホテルに泊まったのですが、今回は会合がそのホテルだったので、宿泊も同じです。42年の間にどの程度リノベーションされたのかはわかりませんが、私たちの泊まった部屋はツインで16平方メートルという、いまどきのシティホテルにはあり得ない狭さ。それでもホテル全体はかつてと同じ雰囲気で、いまなお新鮮さを保っていました。

工場の跡をホテルに改装するというアイデアはいまどきそれほど新鮮に感じませんが、40数年前は画期的なことで、メディアにも大きく取り上げられました。敷地と工場はもともと倉敷紡績(クラボー)のものですが(現在はどうなっているのかわかりません)、その発想自体が秀抜だったように思えます。というか、「儂【わし】の眼には十年先が見える」が口グセだったと伝えられる創業者・大原孫三郎のDNAが偉大としか言いようがありません。

尾道での会合は午後からなので、今日の午前中はホテル近くの「美観地区」を歩いて回りました。その名のとおり、この一帯は味わいのある建物、川と橋、ヤナギの並木などが美しい空間を構成しています。ここまで維持するのにどれほどのお金を費やしているのだろうかと考えると、自治体はもちろん、地元住民や企業・商店主らの努力のほどがしのばれます。

42年前の記憶はほとんどなく、覚えているのは「大原美術館」とその並びにある「カフェ・グレコ」くらいというのは、我ながら情けない話。朝9時半にホテルを出て、最初、旧街道の入り口で地図を広げてあたりを見ていると、地元のボランティアガイドさんが話しかけてきます。よく舌の回る高齢の方でしたが、売込みっぽくない話しぶりに魅かれ、30分コースで案内をお願いしました。

 

とてもよく勉強している様子で、どこを案内してもらっても、話によどみがありません。あまりの情報量に圧倒されそうでしたが、なんとか話について行きました(でも、頭はパンクしそう)。お別れするとき名刺をいただいたのですが、何十人かいるボランティアガイドのトップの方のようでした。

倉敷から尾道までは1時間ほど。お天気もよく、車窓には瀬戸内独特のおだやかな景色が広がります。JR尾道駅はいま改装中のようでしたが、駅を降りると目の前は尾道水道。すぐ手が届きそうな先に向島【むかいしま】が見えます。海岸沿いの公園もきれいに整備されており、この町がここ数年、観光で多くの人を集めているのも当然かなという気がしました。商店街も活気が感じられ、歩き甲斐があります。名物の尾道ラーメンを食し、「フォーラム」の会場へ。午後はずっとお勉強でした。

沖縄で台風に遭遇! 明日飛行機は飛ぶか……

2018年9月29日
24日から沖縄にやって来て、いつものように成り行きまかせであちこち行ったり映画を観たり。ところが一昨日あたりから猛烈な台風が接近、ほとんどの便が欠航になり、東京に帰れなくなってしまいました。やっとの思いで明朝の便を確保はしたのですが、明日は国技館で11時から日馬富士の引退相撲。苦労して手に入れたチケットなので、台風ごときで行けなかったというふうにはなりたくありません。

 

それにしても、沖縄で本格的な台風に遭遇したのはこれで2回目。「本格的」というのもおかしな表現ですが、同じ台風でも、沖縄ではまだ“青年期”であることが多く、風も雨も猛烈なのです。小社の分室は、高台に建つマンションの4階、しかもまわりに高い建物がないので、風と雨が情け容赦なく窓ガラスに吹きつます。とにもかくにも、明日の飛行機が無事飛ぶようにと祈るしかありません。

 

でも、そんな沖縄だからこそ、家々にはかならずシーサーがいて守っているのでしょうね。よく見ると、愛嬌のある顔をしているのがわかります。災厄を追い払うというよりてなづける──人々のやさしさを示しているかのように見えます。

 

かつて繁栄を謳歌した三國湊【みくにみなと】はいま

2018年7月13日
今日は朝からエクスカーション。「北前船寄港地フォーラム」にはつきものなのですが、私のように初めてその地を訪れた者にとってはとてもありがたい企画です。しかも、さわりだけをひと巡りする入門編的な内容から、本格的な場所にまで足を延ばすものまでさまざまなメニューが組まれているのもありがたいかぎり。

私たちは入門編にエントリーし、朝9時にホテルを出発。三国の旧市街地をひとめぐりするコースで、旧岸名家【きしなけ】住宅、旧森田銀行を見学後、遊覧船に乗っての東尋坊クルーズが組み込まれています。遊覧船に乗って知ったのは、「北前船」が錨を下したのはどこも、河口にある港だったということ。いまの私たちがイメージする近代的な港とはまったく趣が異なるものだったのです。そういえば、土崎(秋田県)も酒田(山形県)も岩瀬(富山県)も宮津(京都府)も皆、大きな川の河口にあります。これまで話には聞いていましたが、実際、河口近くを船で回ると、水運といっても、その主人公は「川」であったことが改めて、そしてなんともリアルに感じられました。

 

 

荘厳なたたずまいの永平寺にため息

2018年7月12日
さて、今日の午後から「北前船寄港地フォーラム」が始まります。午前中、金沢からの移動ついでに、途中にある永平寺に立ち寄ることにしました。鎌倉時代の1244年に道元の開いた曹洞宗の大本山で、日本史の教科書にも出てきますし、前々から話だけは聞いていたので、期待大です。

たしかに、そのスケールの大きさには驚きました。深山幽谷とはよく言ったもので、四方を山に囲まれた地に大小合わせて70余の建物が。龍門から入り通用門を抜けると聖宝【しょうほう】閣、吉祥【きっしょう】閣、傘松【さんしょう】閣から東司【とうす】、僧堂と順を追って歩いていくのですが、すべて板敷き。冬だったら、厚手の靴下にスリッパを履いていてもしんしんと冷たさが伝わってくるでしょう。仏殿から法堂【ほっとう】へは長い階段を上がります。そこから承陽【じょうよう】殿、大庫【だいく】院、そして最後に浴室を見て、山門を過ぎるといちおうひと回り。大きな寺院でよく目にするピカピカ・キラキラしたものがまったくないのは、やはり坐禅修行の場だからでしょう。途中、修行僧が僧堂に集まってちょうど昼食を摂っていたようですが、そこでさえなんだか荘厳な雰囲気がただよっていました。

永平寺の門前には名物のそばを食べさせてくれる店が軒を連ねており、そのうちの1軒で私たちも昼食。「フォーラム」の会場に急ぎます。会場のハートピア春江はえらく立派な施設。坂井市文化の森という複合文化施設ゾーンのメインを成しているのですが、完成はバブルが崩壊したあとの1995年といいますから、驚きました。700人以上収容できる多目的ホールで、夕方までたっぷり勉強させてもらい、夜は坂井市内にある三国観光ホテルでのレセプション。毎回そうですが、今回も300名を超える参加者でたいそうな盛り上がりでした。

金沢で出会ったユニークなタクシー運転手さん

2018年7月11日
今日は石川県でまだ行ったことのない地域を中心に回る予定で、今朝、レンタカーを借り直しました。明日、福井県の芦原温泉で返却すると「乗り捨て」になるのですが、昨日・一昨日と借りた会社は、芦原温泉に営業所がないため、面倒ですが致し方ありません。

まずは能美【のみ】市にある「いしかわ動物園」です。能美市といってもまったくなじみはありませんが、元ヤンキースの松井秀喜や森喜朗元首相の出身地である根上【ねあがり】町、九谷焼で有名な寺井町、辰口町の3町合併してできた新しい市ですから、当然でしょう。

ホテルから「いしかわ動物園」までは30分少々。1999年の開園なので、まだ20年も経っていません。自然の地形を活かしながら、随所に植栽や岩、池などが配されているなど、動物にとっては本来の生息環境に近い環境が再現されています。動物がいる場所をコンクリートや鉄格子で仕切らず、飛び越えられないであろう幅の堀やガラスで囲ってあるので、観る側は親しみを持って接することができます。広さもだだっ広くなく、お手軽に楽しめる感じですし、勾配もきつくないのがありがたかったです。入り口で手渡されたパンフレットにも、“楽しく、遊べ、学べる動物園”、“3つのやさしさ(「動物にやさしい」「環境にやさしい」「人にやさしい」)がコンセプト”であると書かれていました。

 

そんな飼育環境ですから、わが愛するキリンものびのびしている印象を受けます。ゾウ、トラ、オランウータンも同じくストレスとは縁のない雰囲気で、飼育環境の違いで動物の動きや表情がこうまで変わるものかということを改めて感じました。

動物園の次は「白山比咩【しらやまひめ】神社」。白山【はくさん】は石川、福井、富山、岐阜の4県にまたがる山ですが、古くから霊山として人々の信仰を集めてきたといいます。1300年前の開基と伝えられていますから、全国に2700社あるという白山神社の総本宮になっているのも当然でしょう。境内に神々しい空気が流れているのはよくわかります。ちなみに、山と神社の読み方が違うのは、もともと「しらやま」と呼ばれていたのが時代の移り変わりの中で「はくさん」に変わっていったようです。

 

 

しかし、この白山比咩神社があるのは、白山のまだほんの入り口。ここから車で山道を1時間ほど走ると、岐阜県につながる“季節道路”「白山白川郷ホワイトロード」があります。11月下旬から4月下旬までの期間は閉鎖されているので、走れるのは夏の期間、しかも日の出ている時間帯だけ。たしかに、走っていても、よくもまあこんなところにこれだけの道路を作ったものだと、感心させられます。

途中料金所を過ぎたあたりから川が見えてきますが、川面から道路まではとんでもない断崖絶壁と大小の滝の連続。ゆるい勾配の道を走っていくと、なんともアクロバティックなところに橋が架かっています。この峡谷に架かる唯一の橋=「蛇谷【じゃだに】大橋」で、長さ70m、高さ45m。橋のアーチ越しに、溶岩が冷え固まってできる柱状節理が見えました。

 

橋を渡りさらに行くと「かもしか滝」があり、その先が「蛇谷園地」。ようやく駐車場に車を止めたときは肩の力が抜けました。そこから川底に向かって険しい道を下る途中は
ブナやミズナラの天然林。遊歩道を進んでいくと「姥ヶ滝【うばがたき】」「親谷【おやだに】の湯」が見られるのですが、暑いこの時期のこと、滝を間近で見ると、汗がスーッと引き、自然の涼しさを堪能できました。「姥ヶ滝」は「日本の滝100選」にも選ばれていますが、その名の由来は、滝が岩肌に沿って落ちる何千・何万条の流れを年老いた女性の白髪に見立てたものなのだとか。滝の向かい側には天然の露天温泉もあり、なかには風呂につかっていく人もいるようです。足湯にすわって大迫力の滝を楽しめば、疲れも吹き飛ぶでしょうね。

   

帰路についたのは4時近く。同じ道を金沢市に戻りましたが、帰り着いたころにはお腹がペコペコでした。今日あたりは金沢らしいものを食べたいと思ったのですが、ここのところたんぱく質が不足気味なので、香林坊近くのお気軽イタリアンにでも行って肉と魚を……と思い、タクシーに乗りました。すると、この運転手さんがとてもユニークな方で、「お食事ですか?」から始まり、あれこれ聞いてきます。すると、「私が責任を持っておすすめしたい日本料理のお店がありますので、そこに行って見ませんか? 三つのコースがあって、それほどたくさん召し上がらないというのであれば〇〇コースがいいでしょう。お値段は……」と。さらに、「お食事が終わったころを見計らってお迎えにあがります。全部で2000円ということでいかがでしょうか」。香林坊のイタリアンに執着する理由もありませんし、楽に移動できればこちらも好都合なので、即座に手を打ちました。運転手さんはすぐその店に電話し、10分足らずで到着。正直、このあたりまでは、地方でよく経験する“連携プレー”かと思っていました。

案内されたのは、卯辰山【うたつやま】の中腹にある、楚々としたたたずまいの日本料理店(茶寮 卯辰かなざわ)。たしかに、運転手さんのおすすめどおり。カウンター席からは金沢の街の素晴らしい夜景が楽しめましたし、料理もおいしく、大満足。約束どおり9時に迎えに来てくれましたが、雨が少し降り始めていたので助かりました。

これでまっすぐホテルに帰るだけかと思っていたら、「お客さん、もうあちこち行かれましたか?」と聞かれたので、「いえ、とくにはまだ……」と答えると、「じゃあ、二つだけ、いまの時間帯にしか見られないところに寄っていきませんか」というので、「お願いします」と即答。それで行ったのが、金沢城と中国風な雰囲気の尾山【おやま】神社。どちらも、ライトアップが素晴らしく魅力的でした。「昼間は皆さん、観光にあちこち歩き回っておられるのですが、夜はほとんどの方がお食事だけなんですよ。それでこんな素晴らしい場所があるのに、観ずじまいで」と。そこで15分ほど楽しんだあと、ホテルに戻ったのですが、降りるときに名刺を差し出し、「次回、お越しになったとき、もしよろしければこちらにお電話ください。また、いろいろご案内しますので」。なるほど、ここまでスキがないと、一種の“お値打ちパッケージ”といってもよく、オリジナリティーすら感じさせます。これほどメジャーな観光地でも、こうした運転手さんがおられるのだと感心しました。もちろん、チップをつけてお支払いしましたよ。

 

輪島から出発し、能登半島をほぼ全周

2018年7月10日
早起きして「朝市」に。車は海っぷちの駐車場に止め、通りをブラブラ。青い目の外国人の姿も目につきます。おばあちゃんやおかあさんたちが路上に敷いたシートの上に、朝採れたばかりであろう魚介類や、前の日に天日干しした魚を、ウソみたいに安い値段で売っていました。店舗のほうはお土産屋さんがほとんどで、輪島塗の小物を売っている店も。全部で100店ほどで、端から端までゆっくり歩いても1時間あれば十分です。

 

家人はゆっくり買い物に歩いていましたが、私はその周辺の古い町並みを歩きながら、写真を撮ったりしていました。目を引いたのが、「朝市」のど真ん中に建つ一見“元美術館”風の建物。地元の方にお聞きすると、やはりそうだったようで、かつての「イナチュウ美術館」跡だそうです。「イナチュウ」とは輪島塗の大手・稲忠漆芸堂(1929年創業)のことらしく、バブルの時代に手にした利益をつぎ込んで建てた(1992年)もののようです。資産価値数百億ともいわれる古今東西の美術工芸品が展示されていたものの、その後2012年に稲忠漆芸堂が倒産、当然、美術館も閉鎖とあいなりました。ヴェルサイユ宮殿を模して建てたバロック建築風の建物と、前庭の噴水などはそのまま残っていますが、「朝市」の通りにはまったく場違いといった雰囲気で、よくもまあ、こんなものをこんなところに作ったなぁと、あきれるほかありません。

同じ会社が経営していた「キリコ会館」のほうは、大手旅行代理店や地元の観光業界関係者の要望もあり、輪島商工会議所が引き継ぐ形で2015年にリニューアルオープンしたといいます。観光客にとってはこちらのほうが断然、役に立つと言うか、行って楽しめそうですから、それは救いといえるでしょう。ちなみに、「稲忠漆芸会館」のほうはいまも閉鎖されたままです。

輪島の街は2007年3月に能登半島地震に遭い、少なからぬ建物が損壊してしまったそうですが、建て直した家も、昔風の様式を復活させ、町全体がとても整っている印象を受けます。主だった場所は道も広いので、ワイドな景観を楽しめるのが、この種の古い町と決定的に違うところかもしれません。

それでも、「朝市」をひとめぐりしたころはもうお昼前。自家製のパンを売っている店を見つけたのでパンを少々買い込み、次の目的地「白米千枚田【しろよねせんまいだ】」に急ぎます。ここは名うての観光スポットのようで、駐車場には何台もの大型観光バスが。中国・韓国・台湾・香港などから団体客がひっきりなしにやってきているようでした。

「白米千枚田」から能登半島最東端にある禄剛【ろっこう】崎に向かいます。ここが能登内浦と能登外浦の分かれ目なのだとか。しかし、こんな辺鄙な場所にも、けっこう人が訪れているのには驚きました。ただ、メジャーなところではないので、日本人だけです。要するに、車さえあれば簡単に訪れることができるのが強みなのでしょう。それに、道路が走りやすいのも魅力です。余談ですが、新潟県、島根県、山口県……など、総理大臣が出た県はどこも例外なく、道路が立派です。幹線道路だけでなく農道まで、どんな道路も例外はありません。

途中、旧JRの珠洲【すず】駅跡を改装して作られたユニークな道の駅「すずなり」に立ち寄ってランチを済ませ、次の目的地「軍艦島」をめざします。10分ほどで着きましたが、ひと目見ただけでその名の由来が分かります。正式には見附【みつけ】島といい、高さ28メートルほどの岩から成る無人島なのですが、その形が船そのもの。観ればだれもが写真に撮りたくなる、能登の代表的な観光スポットといっていいでしょう。

次の目的地は「黒島天領北前船資料館」。途中に「總持寺祖院」という曹洞宗のかつての本山がありました。1321年の創建ですが、1898年、大火に遭ったため、本山が1911年、横浜市鶴見に移ったのちは、「祖院」と呼ばれているのだそうです。なんとも立派な姿に思わず足を止め、境内に。寺の真ん前に建つ輪島市門前総合支所に「祝日本遺産認定 北前船寄港地・船主集落」と書かれた大きな幕が吊るされていたので、なんだかうれしくなりました。

 

 

 

 

ただ、境内はあいにく修復工事の真っ最中のようで山門、仏殿など主だった建物の多くが中に入れませんでした。いずれも2007年の地震で被災したためのようです。工事が終われば、元の立派な伽藍が見られるのでしょうが、いつのことなのか。帰り際、出口の近くに「持寺【じじ】珈琲」という小さなカフェを見つけたので、修行僧がたててくれた自家焙煎のおいしいコーヒーでのどを潤してから駐車場に向かいました。

「黒島天領【くろしまてんりょう】北前船資料館」のほうは、おもしろい仕組みになっていて、すぐ近くに建つ「旧角海家【かどみけ】住宅(国指定重要文化財)」が、北前船船主の屋敷兼作業所で、そちらを訪れた人が希望すれば見られるとのこと。「旧角海家住宅」宅で地域ボランティアの女性から詳しくお話をお聞きし、いたく興味をそそられたので、当然、資料館のほうも案内していただきました。

 

駆け足で能登半島をほぼ全周し、金沢のホテルに到着したころは夜6時を過ぎていました。レンタカーを返しホテルに戻って食事に。この日は、遠くまで行く気分にもなれず、駅ビル内のおでん屋さんで済ませました。

初めての能登──道路の素晴らしさは秀逸

2018年7月9日
能登は正直、初めてです。これほど有名な観光地であるにもかかわらず、不思議といえば不思議なのですが、これまで金沢・富山までは行っても、なぜか足を延ばす機会がありませんでした。しかし今回は、週末に福井県坂井市で開催される「北前船寄港地フォーラム in 三國湊」に参加するので、そのついでにということでスケジュールを組み、行ってみることにしました。

金沢までは北陸新幹線「かがやき」。大宮から乗ると、ひと眠りする間もなく到着です。駅から5、6分歩いたところにある営業所でレンタカーを借り、五木寛之の小説のタイトルで有名な「内灘【うちなだ】海岸」を左に見ながら北上します。この道が予想以上に素晴らしく、しかも高速なのに無料!おかげで、ランチを予定していた回転寿司店(羽咋【はくい】郡志賀【しか】町・西海漁港)には、あっという間に到着。平日で空いてはいたのですが、さすが海産物の本場とあってことのほかおいしく、値段もリーズナブルでした。

寿司のあとはまた海岸に戻り、福浦【ふくら】へ。けっこうきつい坂を下りていった海っぷちの桟橋から能登金剛遊覧船に乗り、切り立った絶壁が広がる景色を楽しみます。小高い丘の上に、1608年、この地の船持ち・日野長兵衛が築いたという「旧福浦灯台」が小さく見えました。北前船もその明かりを頼りにしながら走ったのでしょう。

 

福浦をあとにし、そこから30分ほど走ると七尾市に入ります。すると、「花嫁のれん館」という看板があり、当初の予定にはなかったのですが、ちょっと立ち寄ることにしました。「花嫁のれん」といってもピンと来ませんが、幕末から明治時代にかけてのころ、能登・加賀・越中で始まった婚礼の風習の一つだそうで、婚礼の日、花嫁が嫁ぎ先の仏間に掛けられたのれんをくぐることをいいます。どの家もここぞとばかりにお金をかけたようで、多くは絹で加賀友禅の手法が用いられているのだとか。しかし、人の目に触れるのはそのときだけで、あとは出番がないため、そのままタンスの肥やしになってしまっていたとのこと。

それに目を着けた、七尾の一本杉通りのおかみさんたちが、2004年のゴールデンウィーク期間中に「花嫁のれん展」を開催したところ、これが大ウケ。以来毎年開催していましたが、一般の人も常時見られるようにと、「花嫁のれん館」が2016年春に開館、常設展示室には明治から平成までの花嫁のれんが展示されています。高価で、しかも大ぶり、芸術性にも優れたのれんを間近に見ることができるユニークな博物館と言えるでしょう。

一本杉通りは七尾でいちばんの観光スポット。といっても、平日なので人通りはほとんどありません。ひと休みしようと入ったカフェのママから、この地で毎年ゴールデンウイークにおこなわれる「青柏【せいはく】祭」の話を聞き、一度見てみたいなと思いました。とりあえず写真を見せてくださったのですが、「でか山」と呼ばれる、人の3倍ほどはありそうな巨大な山車(全部で3台)を曳くスタイルのお祭りのようです。狭い路地を、京都の祇園祭と同じように「辻回し」という技を駆使して回っていく様はたいそうな迫力でしょう。山車の形もすこし変わっており、末広形とでもいうのでしょうか、北前船を模したものといわれているのだとか。総重量はなんと20トンもあり、山車としては日本最大級、体積・重量では日本一だそうです。ユネスコ世界遺産の指定も受けたといいますから、これから先、多くの人が見に来るのではないでしょうか。

城下町の面影が残っているのはこの一本杉通りとその周囲の狭いエリアだけですが、どこかおっとりした雰囲気を残しています。そのお城を見ようと山に登ると、工事中で通行が制限されていたこともあり、予想外に時間がかかってしまいました。さっと見てから、輪島へと急ぎます。

最大の観光スポット「朝市」が開かれるエリアのホテルは取れなかったので、そこから歩いて10分ほどのところにあるホテルです。まわりには何もないので、夕食は海のほうに向かって散策がてら歩いていきました。ちょうど日没直後の暮れなずむころあいだったせいか、昔ながらの家が立ち並ぶ通りはなんとも趣きがあり、けっこう楽しめます。目星をつけていたシーフード料理の店が満席だったので、仕方なく地元の人しか訪れていなさそうな鉄板焼きの店へ。まあ、可もなく不可もなしでしたね。

王室の元植物園が動物園に

2018年6月30日
昼間はドゥシト動物園に行ってみました。
国王ラーマ5世(在位1868~1910)の私庭(植物園)だったものを1938年、動物園としてオープンしたものだそうです。この界隈は「ウィマンメーク宮殿」(動物園と背中合わせ)や「アナンタ・サマーコム宮殿(旧国会議事堂)」など王室の施設が数多くあり、一般人とはあまり縁がなさそうな場所といった感じがします。

こちらは普通の動物園ですが、もともと植物園だっただけに、木や花がびっしり生えています。そのため木蔭が多く、歩いていても暑さがそれほど気になりません。また、園内にはカートも走っており、疲れたと思ったときはそれに乗れば楽に移動できます。

こちらもひととおりの動物がそろっており、昨日行った「サファリワールド」の動物たちより心もちおとなしそうな印象を受けました。「サファリワールド」の動物たちはのびのびしており、より“野生”が息づいているように感じましたが、こちらは“野生”よりも人間との“共生”を意識しているとでも言えばいいでしょうか。当たり前といえば当たり前ですが、動物も人間と同じく、どんな環境に置かれているかによって影響を受けるのですね。

 

予定では、このあと先に記した二つの宮殿を訪れるつもりでしたが、ギラギラ照りつける太陽のもとではそこまで行く気持ちも失せ、早々にリタイア。すぐ近くにあって場所もわかりやすい「ワット・ベーンチャマボピット(大理石寺院)」に立ち寄ってみました。イタリア産の大理石というだけあって立派な造りの建物ですし、境内に人工の水路があったりして、もう少し涼しければゆっくりくつろぐこともできたのでしょうが、ここもまた太陽から逃れるすべがありません。結局、早々にホテルに引き揚げることに。

夜は高校時代の友人Sくんの手配でフカヒレを食べに行きました。空港にほど近い場所のようでしたが、さすが在住30年近いSくんのメガネにかなった店、おいしかったです。食べても食べてもお皿の中からフカヒレが湧いてくるような感じがたまりません。日本だと、フカヒレは高級店でしか食べられないといったイメージがありますが、以前のマカオもそうだったように、中国文化圏では大衆料理=山ほど食べるのがフカヒレなのでしょう。

ちなみに、「マンダリン・オリエンタル」の一件をSくんに話したところ、こう言われました。「マンダリン・オリエンタルに行きたいときは「オリエン(タル)」とだけ言えばいいのだそうです。以前の名前のほうが通りがいいのですね。

外国人でいっぱいのバンコク

2018年6月29日
前回来てから5年(3年前にも立ち寄ってはいますが、このときはトランジットのためだけ)しか経っていないのに、バンコクは大きく変わった感じがしました。いちばんの変化は外国人旅行者が多いこと。大半は中国人で、見た目よく似ているのでさほど目立ちはしないものの、それでも団体で動いているとすぐわかります。今回はバンコクでも超有名なスポットは避けていますが、それでも、です。

今日行ったのは、「サファリワールド」。空港から比較的近いエリアにあるようで、ホテルからはゆうにタクシーで30分はかかりました。しかし、ここのサファリは大規模です。アフリカのそれとはもちろん比ぶべくもありませんが、広さがすごい。しかも、インドやオーストラリアなど、海外からの客も目につきます。

 

 

タクシーの運転手さんと帰りのことを打ち合わせしたあと、チケットを買う場所など、詳しく説明してくれたので助かりました。要するに水族館と動物園がセットになっていて、片方だけでもOKであると。ただし、その旨をはっきり窓口で伝えなくてはいけない。また、カートに乗って見学するのと、中を歩いて回るのとでは、コースも違えば料金も違う……といったたぐいのことです。私たちはカートで回るほうを選びました。

所要時間は1時間弱。広い園内を屋根付き・ガラス貼りのカートで移動していくのですが、どの動物も大変な数がいます。キリンに至っては100頭近くいましたし、ライオンやトラも軽く20頭以上。これだけの数のキリンですから、間近で見たかったですし、エサやりなどというイベントもあったようなので、そちらにも参加したかったのですが、時間の制約もあります。それでも、次から次へ、窓の向こうにあらわれる動物たちを見て満足しました。

  

「サファリワールド」からホテルまで戻り、午後はゆっくりすることにしました。とにかく、暑かったのです。ホテルの中は寒いくらいエアコンが利いていますし、それより何より、このホテルのアフタヌーンティーはとても人気があると知っていたので、早いうちに席を確保する必要があります。広々としたコーヒーラウンジ(3つくらいのエリアに分かれている)の一角に案内され、手渡されたメニューを見ると前菜風のパートが3パターン。私が選んだのはオリエンタル風の品々でそろえたものです。本場のイギリスでも、もちろん日本でも目にしたことのない内容で、新鮮な感じがしました。

 

夜は、ホテルの船着場から川を下ったところにある「アジアティーク・ザ・リバーフロント」に行ってみました。もともと倉庫街だった場所を巨大なショッピングモールにリノベーションしたようです。といっても、中は1坪ショップのような小さな店がびっしり(1500軒もあるのだとか!)。どの通路も細く、すれ違うのがやっとといった感じです。周りはほとんどがレストランで、日本食の店(“もどき”も含めて)もあります。そして、ここもまた外国人客でいっぱいでした。

バンコク「マンダリン」ホテルのミステリー

2018年6月28日
久しぶりにタイのバンコクを訪れました。雨季で暑い時期でもありますが、キャセイパシフィックのマイレージが貯まっていたので、その消化もかねての訪問です。キャセイなので、羽田からは香港を経由し、バンコク到着は夕方です。飛行機代が浮いたので、バンコクでの宿泊は最高級と言われるマンダリン・オリエンタルを奮発。もちろん、家人のためですよ。

市内までは空港からタクシーに乗ったのですが、このドライバーが「?」でした。「着きましたよ」とドアを開けてくれ、トランクからおろした荷物はドアマンがさっさと建物の中に運び込みます。さっそくフロントでチェックインしようとしたのですが、係員が「お名前が見当たりませんが……」と。予約確認書のプリントアウトを取り出して見せると、これがなんと「マンダリン」違い。実はバンコクにはもう一つ、「マンダリン」と名のつくホテルがあるのだそうです。私たちが予約していたのは「マンダリン・オリエンタル」で、こちらはただの「マンダリン」でした。ドライバーが早合点して後者のほうでおろしてしまったわけですが、「じゃあ、移動しなくては」となったときは、そのタクシーの姿はありません。仕方なく別のタクシーで移動したのですが、こんなこともあるのですね。

「オリエンタル」のほうはチャオプラヤ川のほとりにあり、たしかに「超高級」といった感じがありあり(念のため書き添えておきますが、ただの「マンダリン」のほうもそこそこ高級そうでしたよ)。なにせバンコクで初めて(1887年創業)の西洋風ホテル(名称は「ジ・オリエンタル・バンコク」)ですから当然でしょう。その後「マンダリン・オリエンタルホテル」グループに買収された後も長らく創業当初のままでしたが、2008年から「マンダリン・オリエンタル・バンコク」に変わったのだそうです。

それはともかく、部屋に案内されると、立派なウエルカムフルーツが置かれ、部屋からの眺めも最高。高層ビルの姿が水面に美しく映え、川を行き交う大小の船もロマンチックな雰囲気を醸し出しています。

 

「アドベンチャーワールド」から「アジサイ曼荼羅園」へ

2018年6月4日
正直、田辺市の「アドベンチャーワールド」にはほとんど興味がありませんでした。どうせ「富士サファリワールド」の亜流だろうくらいにしか思っていなかったからです。ただ、昨年、大分の「九州サファリワールド」に行ってから、次第に認識が変わりつつありました。今回ぜひ一度……と思うようになった決め手は、ハバナの「サファリ」です。車(バスやカートもあり)に乗って、放し飼いになった動物たちに接するのも、街中にある普通の動物園とはまた違う楽しみがあるということに気がつきました。実は、先月訪れた山口県の秋吉台にもサファリパークがあったのですが、時間の関係で行けなかったので、今回を楽しみにしていたのです。

前夜泊まったホテルからは車で20分ほど。今日も朝からピーカンで、温度計のメモリもぐんぐん上昇。午前10時にはおそらく28℃はあったでしょう。「アドベンチャーワールド」は、「サファリ」の部分もさることながら、ほかに多種多様な遊戯施設があるので、1日中いても楽しめる施設です。今年で開園40年を迎えたそうで、月曜日だというのに朝からけっこうな数のお客さんが並んでいました。動物園・水族館・遊園地の3つをあわせ持つテーマパークは珍しいといいますし、それに広さがハンパではありません。

ここで有名なのはジャイアントパンダで、東京・上野動物園と違い、親と子どもたちが別々に飼育・展示されています。園内の随所にある売店もたいそう充実しており、それはそれで飽きさせません。そうしたこともあってでしょう、親子連れ、カップルはもちろん、祖父母・父母・子どもといった3世代連れの姿も目立ちます。

園内は、ケニア号という4両編成のトラムに乗って草食動物ゾーンから肉食動物ゾーンを30分ほどで回るのですが、頭数も多く、けっこう楽しめます。キリンも数頭、シマウマと一緒にいましたよ。

目と鼻の距離で観られ、しかも5頭いるのでパンダの子は本当にのびのびした様子。並んだり待ったりする必要もなく、あっけないほど簡単に対面できるので、観る側も余裕です。それがパンダにも伝わるのでしょうか、サービス精神たっぷりで、えさを食べたりゴロゴロしていたり。ここまでリラックスしたパンダはなかなか観られないのではないでしょうか。

関西空港から乗る飛行機の出発時間まで多少余裕があったので、車で10分ほどのところにある「アジサイ曼荼羅園」というところまで行くことに。西牟婁【むろ】郡上富田【かみとんだ】町にある救馬溪【すくまけい】観音の敷地内にあります。ここは飛鳥時代、修験道【しゅげんどう】の開祖・役行者【えんのぎょうじゃ】が開山したといい、その後953年空也【くうや】上人がみずから刻んだ観音像を奉安、のちに熊野詣に行幸された鳥羽天皇が堂宇を建立されたという歴史を持つ由緒深い寺院です。その一角に2002年オープンしたのが「アジサイ曼荼羅園」で、最盛期には約2000坪の敷地に120種・1万株のアジサイが咲き誇るとのこと。

ちょうどいまごろが真っ盛りでは……と期待しつつ行ってみましたが、最盛期にはもうひと息といったタイミングでした。それでも、けっこうアップダウンのある園内は花見客でにぎわっており、私たちも十分楽しませてもらいました。

「曼荼羅園」から関空まで車を飛ばし、レンタカーを返却。夕方の便で沖縄に。あわただしくも充実した1日でした。

紀伊田辺・白浜で南方熊楠にひたる

2018年6月3日
昨日は京都での仕事を終えたあと、近鉄電車で大阪に移動しました。上本町【うえほんまち】という近鉄発祥の地(1914年に同社最初の路線である上本町・奈良間が開業=現・近鉄奈良線)ともいえる駅近くにホテルを取ったのですが、なんばや天王寺の近くにあるエアポケットといった感じがします。近鉄が開業した当時はそれなりのにぎわいが見られたようです。

今朝はホテル近くの、すこぶる居心地のいい喫茶店で朝食を食べ、レンタカーで紀伊田辺に向かいました。先日、東京・上野の「国立科学博物館」で観て刺激を受けた南方熊楠の聖地を訪ねるためです。田辺市とすぐ隣の白浜町には熊楠ゆかりの施設があります。市にあるのが「顕彰館」、町にあるのが「記念館」で、まず行ったのは「顕彰館」。

 

熊楠が後半生を過ごした居宅の土蔵に、生涯をかけて集めた人文・自然科学の膨大な研究資料と蔵書のほとんどが遺されています。これらがほとんど、当時使っていたであろう大きな木箱に入っていたり、自作の棚に並べられていたりなど、そのままの状態で保存されているのです。

居宅と庭も同じです。庭には高い楠や柿、熊楠自身が好んで食したという安藤ミカン(ミナカタオレンジとも呼ばれる文旦の一種で、徳川時代、田辺藩士・安藤治兵衛の屋敷内に自生していたことにちなんで名づけられた。熊楠がグレープフルーツの代わりにと普及に努めたことで知られる)の木のほか、顕花植物も数百種あります。柿の木から新種の変形菌(粘菌)を発見した……といったエピソードをボランティアガイドの方からお聞きしました。雑然としている庭ですが 、まさしく研究の場といった観を呈しています。

「顕彰館」を後にし、旧城下町である田辺の町を歩いてみました。地方都市の常ですが、ここもまた昼間は人通りがほとんどありません。日曜日となればなおさらです。それでも、この神社とゆかりの深い弁慶の立像は印象的ですし、その名前が興味をそそる「闘鶏神社」にはそれなりに人が訪れていました。

「闘鶏神社」はもともと、熊野権現(現・熊野本宮大社)を勧請【かんじょう】し田辺宮と称したのに始まるそうです。平安時代の末、熊野別当・湛快【たんかい】がさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増【たんぞう】が田辺別当となりました。弁慶はその子どもと伝えられています。

 

治承・寿永の乱(源平合戦)のとき、湛増はどちらにつくべきか迷ったといいます。そこで、鶏を紅白2色に分けて闘わせたところ、白の鶏が勝ったので源氏に味方しようと決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したとのこと。それから「闘鶏権現」と呼ばれるようになったと、境内の看板に書かれていました。

田辺市から白浜町に移動し、「南方熊楠記念館」へ。もともとはこちらのほうが先に作られたようですが、「顕彰館」とはコンセプトがまったく違います。子どものころに描いた絵や作文、アメリカ、私自身つい先日訪れたキューバ、イギリスに渡ってから書き綴った論文や、読んだ本のメモ書き(というには膨大すぎるボリュームですが)、日本帰国後に書いた著書の下書きや採集品など、もっぱら展示にウエイトが置かれています。「国立科学博物館」で目にしたものもありましたが、その量には圧倒されました。

1911(明治44)年起こした神社合祀反対運動の詳しい経緯も知ることができました。その中で書き綴った柳田國男ほか宛の書簡の中でエコロジーまたはエコロギーという言葉を使っていることを知り、この時期に早くもそうした考え方を持っていたことに驚かされます。

「記念館」の屋上にある展望台から周囲を見ると、熊楠がはぐくんだ壮大な知識欲の根源が息づいているようにも感じました。島々や海岸の砂や石・岩肌、土、森、草花など、目に入ってくるものすべてが、「客観的に観察してほしい」と訴えているかのような表情をしているのです。熊楠としては「わかった、わかった。いまこちらの絵を描いているから、そのあとで」といったような心境だったのではないでしょうか。

修学院離宮には田んぼがいっぱい

2018年6月1日
若い頃から行ってみたいと思っていた京都の「修学院離宮」をようやく訪れる機会が来ました。3カ月以上も前からネットで申し込み、いったんは当選したのですが、あいにくその日は都合がつかなくなり、結局キャンセル。そのあとまた仕切り直しして、今日午後3時の見学会に参加することができたのです。

まだ6月だというのにこの日の京都は強烈な日差しで、暑いのなんの。それでも、京都駅近くのホテルから電車とバスとタクシーを乗り継いで門の前に着いたときは早くも数人の見学客が並んでいました。定員が決まっているので並んだところでさしてメリットはないのですが、「修学院離宮」となるとやはり思いもひとしおなのでしょう。

店員の30人がそろったところで、見学会がスタート。マイクを持たないガイドさん(宮内庁の職員です!)がゆっくりした速度で、離宮内の主だったスポットを案内していきます。途中、要所要所で詳しい説明があるのですが、要するに、ここは天皇の座を譲った上皇の隠居所だったのですね。住居のほかに庭園や田んぼも造られ、茶屋も3カ所あります。大きな人工の池も印象的でした。

 

話をうかがっていると、近在の農民が離宮内にあるた田んぼで作った米を献上していたようです。いまでも持ち主の宮内庁が農家と契約し貸しており、そこで米・野菜を作っているといいます。

「離宮」と名がつくので、閑静な庭園を思い描いていたのですが、そうはないわかり驚きました。同じ京都にある「桂離宮(こちらもいまだに行けずにいますが)」や「二条離宮(現・二条城)」にしても、「赤坂離宮(現・迎賓館)」「芝離宮(現・芝離宮恩賜庭園)」「浜離宮(現・浜離宮恩賜庭園)」「武庫離宮(現・須磨離宮公園)」にしても、キホン庭園がその敷地のほとんどを占めています。それからすると、「修学院離宮」のユニークさは際立っているのではないでしょうか。

「大連の旅」の最後に待っていたサプライズ

2018年5月27日
お城を思わせるホテルにびっくり!
大連も今日で3日目。午前中から公式行事が続き、午後は市内観光に出ましたが、夕方から大連市旅遊局主催のパーティーに出席することに。会場は「星海広場」の近く、小高い丘の上にあるホテルだったのですが、これがまあとんでもなく豪華なホテルだったのにはたまげてしまいました。

広さ110万平方メートルという「星海広場」は、もともとはゴミの埋め立てに使われていた湾だったところを、大連市制100周年記念事業として整備したもの。超高級マンション(星海国宝)、遊歩道、噴水、遊園地、会議・展示場、野外イベント会場やレストラン街などがあります。隣接する「星海公園」には自然博物館も建っています。

こから坂を少し登っていったところに建つお城のようなホテルが「大連一方城堡豪華精選酒店(The Castle Hotel, A Luxury Collection Hotel, Dalian)。見た目はディズニーランドのシンデレラ城を思わせ、誰もがひと目見ただけで一度は泊まってみたいと思うにちがいありません。たしかに、パーティー会場の3階テラスからの眺めは素晴らしいものでした。今回泊まった街中のホテルが可もなく不可もないホテルだっただけに、その差が際立ちます。まあ、近くの施設で用事でもない限り泊まることはないでしょうが、ひときわ印象に残ったのは間違いありません。

さて、アカシアはどこに?

2018年5月26日
昨日から町の中を移動するたびにアカシアを探しているのですが、なかなか見つかりません(早い話、アカシアの花が咲いている場所を通らなかっただけなのですが)。「もう散っちゃいましたよ」というガイドさんの言葉は眉唾のようで、「正仁路(槐花大道)) という通りの両側は、長さ1km以上にわたって満開だったという話を、別の参加者から聞きました。それならそれで、ガイドさんも教えてくれればいいのに……。

このところ「北前船寄港地フォーラム」の旅行手配を仕切っているN社にはいまひとつ不満を感じています。そちらのルートで申し込むホテルの料金より、ネットの予約サイトから申し込んだほうが、2~3割は安いからです。数百人という単位で予約を取っているのなら、もっと安くってもいいはずなのですが。

今回もそうした不安がありましたが、海外、それも初めての地でもあったので、やむを得ずホテルだけはN社に申し込みました。しかし、実際ネットで調べてみると、同じ値段を出せばもっとグレードの高い部屋に泊まれたようにも思えます。ガイドの質の低さにも象徴されますが、もう少し参加者を満足させる配慮がほしいですね。

“アカシアの大連”にやって来ました

2018年5月25日

清潔で美しい町──それが大連の第一印象です。私が大学に入った年、芥川賞に選ばれた『アカシヤの大連』という作品がありました。作者は詩人の清岡卓行で、20世紀前半に日本の租借地・大連で過ごした青年期の生活を描いたものですが、詩人として知られていた作者にとっては初めての散文。大学に入ったばかりだった私もすぐ買って読んだ記憶があるものの、さほど強烈な印象は受けませんでした。ただ、タイトルだけはいまでも覚えているというか、大連といえばほとんど反射的に「アカシア」という言葉が口をついて出てきてしまいます。

その大連で、ここ数年ずっと追いかけている「北前船寄港地フォーラム」が開催されるというので参加しようと決め、今日、成田から飛んできました。21世紀に入り大々的な発展を遂げている都市らしく、空港も街並みもたいそう清潔で美しく、中国ではないような印象すら受けます。

とにかく、どこを歩いても、道路の脇にプランターが置かれ、花が咲き誇っています。街灯の柱にもガードレールにも花、花、花……。道路もえらくきれいに保たれ、あちこちの街角で、清掃している人の姿を目にしました。北京・上海にも、もちろんそうした仕事をしている人はいるのでしょうが、ほとんど目につきません。それからすると、この町がどこを歩いてもこぎれいなのがよくわかります。日本の前にこの町を租借していたロシアの人たちがそれほど清潔好きとは思えませんし、となるとやはり、日本の影響なのでしょうか。

午前中はアカシア祭り(大連国際槐花節)の開会式。会場は海辺の公園で、式典の最後におこなわれたアトラクションでは秋田の竿灯の披露も。参列者全員が歓声をあげ、拍手喝采。ロシアの民族舞踊も登場したあたりに、大連の歴史が垣間見えます。

 

 

 

日清戦争後の三国干渉の代償として、1898年清からこの一帯(大連、旅順など)を租借したロシアが、貿易拠点として港を整備するとともに、パリをモデルとした都市作りを始めました。しかし、その7年後、日露戦争に勝った日本が、ポーツマス条約により租借権を譲渡されます。日本は、大連を貿易都市として発展させようと、関東都督府と南満州鉄道が、道路の舗装などインフラの整備、レンガ造りの不燃建築物が立ち並ぶ町作りをおこない、旧市街がほぼ現在の形となったのです。いうならば“日ロ合作”のような都市なのですが、ほかの中国の都市との違いはそのあたりに起因しそうです。山田洋次(映画監督)や遠藤周作(作家)、荒木とよひさ(作詞家)の生まれ故郷と言われてもピンときませんが、松任谷由実(『大連慕情』)も桑田佳祐(『流れる雲を追いかけて』)もこの町を歌にしている理由が理解できるような気がします。

久しぶりの札幌・初めての厚田

2018年5月9日
昨日、札幌入りしました2014年7月以来なので、ほぼ4年ぶりです。4年前はサッカーW杯ブラジル大会の終盤、準決勝・決勝の時期と重なり、毎日、夜遅くまで起きていた(もしくは早朝起き)記憶があります。

今回の目標は、今日の「厚田さくらまつり」。今年で第7回だそうですが、先月、秋田県小坂町の「観光フォーラム」でお会いした札幌のHさんから声をかけていただき、行くことにしました。

厚田というのはその昔は村でしたが、2005年、石狩市に合併されました。1977年、この地に墓地公園が開園して以来40年。いまでは園内になんと8000本ものソメイヨシノが植わっており、石狩市の、いな全道的な桜の名所として広く知られているのだとか。毎年5月の初めになると、園内の桜が一斉に花を開き、道内のあちこちから花見に訪れる客でにぎわうといいます。

 

ソメイヨシノの開花はかつて札幌市が北限とされていましたが、それより40数キロ北にあるこの地でも花を咲かせようと、桜守りの佐々木忠さん(故人)という方が奮闘され、みごとにその夢を実現したのだとか。

今年は温暖(それでも最高気温は12℃)、無風、晴天という無類の好条件下、これ以上はないというほどみごとな開花ぶりに見とれてしまいました。佐々木さんの熱い思いが園内全体に行き渡っているかのように感じられたからです。