2018年3月26日
ここのところ朝4時過ぎには目を覚ましてしまうのですが、キャビンの窓から外を見ると、雨も降っておらず、すっきりした朝が来そうな感じです。予想どおり、6時には空がうっすら赤くなり、太陽が見え始めます。船に乗って4日目、初めて見る太陽! これは素晴らしい1日になりそうです。

今日は午前0時45分にブリュニィスン、3時45分にサンネスショーエン、5時25分にネスフに停船し、朝食を終えた頃にオルネスに到着。じつはこの間に北極圏に突入していたのです。朝食のあと、8階の屋外デッキで「北極圏突入洗礼式」なるイベントがおこなわれ、今朝7時6分42秒に突入したことを知りました。突入時刻を当てるクイズがあったのですが、それにいちばん近かったのがインド人のカップル。船長からお祝いとして、背中に氷水を注ぎ込まれ皆大笑い。しかし、やはり北極圏突入となると、天候や風の具合にもよりますが、肌がチクチクします。


お昼前にボードーという町に到着。昼食後のひとときを利用して町に出ました。昨日はタクシーでトロンハイムの町中まで行ったのですが、今日はツアー一行で徒歩。人口4万数千の小さな町ですが、上陸前に飛行場があるのも見えましたし、サッカースタジアムも。小さいながらも工場群もあったようなので、ノルウェー国内でもそれなりに重要な位置を占めているのでしょう。

訪れたのは「大聖堂(ルーテル教会)」と図書館、「サーモンセンター」の3カ所。この町も第2次世界大戦でナチスドイツにこっぴどくやられたようで、「大聖堂」も破壊されてしまったといいます。戦後、1956年に再建されたそうですが、「ルーテル」という名のとおり、質素な造りの教会です。中のモザイク画は簡素ながらも色彩が素晴らしく、印象に残ります。すぐ近くには、こちらも外壁の黄色がなんとも美しい「ノールランド博物館」がありました。

そこから坂を下りたところがこの町のメインストリート。といっても100mほどの長さしかありません。港にいちばん近いところにあるコンサートホールと図書館は、完成して間もないとのことで、シンプルであか抜けしたデザイン。港に停泊していた小舟にはタラが干してありました。最後に訪れたサーモンセンターは、ユニークなサーモンのイラストをふんだんにほどこした建物で、ノルウェー水産業の主要品目であるサーモンの養殖をわかりやすく紹介しています。雪はあまり降らない代わりに風が強く、船までの帰り道、冷たい風に吹かれながら歩きました。


ここらあたりから船は、ロフォーテン諸島がある海域に入っていきます。クルーズが始まる前、添乗員さんは「世界でもっとも美しい場所の一つ」「アルプスの頂を海に浮かべたよう」などと話していたのですが、通過するのがちょうど夜の時間帯で暗いため、残念ながら、景色を楽しむことはできません。19時にその島の一つにあるスタムスン、さらに21時にはスヴォルヴァーという町に停船はしたものの、海岸の美しさを楽しむことはかないませんでした。とくに、ロフォーテン諸島の中でいちばん大きな町スヴォルヴァーには1時間停泊するので、100人ほどの乗客が下船し、おそらくは氷点下の気温の中、雪で凍りついた道を歩き、船から数分のところにあるお土産物屋というかコンビニというか、正体のよくわからない店に向かいます。入りきれずに外まで行列ができていたので、私はパス。船に戻ったときの温かさがひときわ身に沁みました。

本当なら、ここには昼間の明るい時間帯に寄港し、島内をバスで回ったりしてみたいところ(どこを走ってもその景色は息を呑むほど美しいそうです)。皆さん、そうした残念な気持ちでいたのかもしれません。



はね橋から戻ったところにあるのが「ニーダロス大聖堂」。中世に建てられた建物ではノルウェー最大なのだとか。1070年に建造が始まり完成したのは1300年ごろといいます。かつてのノルウェー国王で聖人にも叙されたオラーフ・ハーラルソンスが祀られていることからもわかるように、長らく国王の戴冠式はここでおこなわれていたそうです。大聖堂の正面ファサードには、聖者54人(そのうち1体がオラーフ)の彫像が並んでおり、おごそかな雰囲気を出しています。大きなわりには内部も簡素な造り。これはやはりプロテスタントの教会だからでしょう。

大聖堂から駅近くのショッピングモールまでは雪道を歩いて到着。町の中心であるこのあたり一帯はどこもかしこも工事中で、かつて首都が置かれていたこの町を作ったオラーフ1世の銅像が立つ広場もあちこち掘り返されており、どう撮っても美しくはありません。ショッピングモールはそれほど大きくはありませんでしたが、ノルウェーのどこにでもあるスーパーを中心に数十点の店が入っていました。バナナ3本と500mlの水(ペットボトル)をスーパーで買いましたが、これで54ノルウェークローネ(日本円で800円強)ですから、やはり物価は高いです。

迎えのバスに乗って向かった先は標高187mのアクスル山の展望台。この頃になると不思議と雨もやみ、青空に覆われた展望台からのながめは最高でした。遠くスカンジナヴィア半島を覆う山々の頂上付近は雪で覆われ、それが間近に見えるのとあいまって、写真撮りまくりの2時間。5年前、夏のフィヨルドを楽しむ旅をしたとき、当初この町も訪れる計画でしたが、結局あきらめただけに、今回来ることができてよかったです。


アクスル山を下りたあと訪れたのが「アール・ヌーヴォー博物館」。かつては薬局だった建物をそっくり博物館にリノベーションしたのだそうです。建物の前は小さな港で、その周辺は、どこを見ても絵になりそうなたたずまい。水辺にある小さな公園に置かれているベンチには熱が流れていて、心地よくすわれます。冬が寒い町ならではの心遣いですね。


1904年1月の大火で町がほとんど焼けたあと、ヴィルヘルム2世 (皇帝)の号令一下、ドイツはもちろん、ほかのヨーロッパ諸国も資金、復興作業の人員を派遣するなど、国際的な協力のもとで再建がおこなわれたそうです。当時のお金で15億ドル・3年余をかけて、アール・ヌーヴォー様式の建物が立ち並ぶ新しいオーレスンが作られたのだとか。どこを切り取っても絵はがきのような光景を見せてくれる街並みの所以です。

話は変わりますが、前日の午後、豪華客船「ヴァイキング・スカイ(Viking Sky)」が半島中央部のやや北にある町トロムソからスタヴァンゲルに向かう途中、悪天候に遭って動力を失い、漂流し始めたため、船長が遭難信号を発したというニュースをテレビが報じていました。その救助活動の模様も伝えられていましたが、この荒天と寒さの中では大変だろうなと、他人事ではない感じです。2017年にできた真新しい船だというのに、何があったのでしょう。
ノルウェーのベルゲンを訪れたのは2014年8月以来。前回は同地の世界遺産「ブリッゲン」を観るのが目的だったのですが、今回は「ノルウェー絶景航路とオーロラ観賞クルーズ」というツアーの出発地になっているため。日本から到着して1泊目がこの町というわけです。コペンハーゲンで乗り継ぎ、小雨降る空港に着いたのは8月22日午後6時過ぎ。偶然ですが、前回泊まったのと同じホテルでした。



続いて訪れたのが「美術館3」。ノルウェーの生んだ名巨匠エドヴァルド・ムンクの代表作『叫び』のオリジナルを観たのは5年前、首都オスロの国立美術館でしたが、ここに展示されているのは、それ以外の作品の数々。ムンクがさまざまな試練に遭い、精神を病んでいくにつれ絵も変わっていきます。その兆候が感じられるような作品もいくつか観ることができました。
いちばん印象に残ったのは『病院での自画像』(1909年)。ムンクは1902年、裕福なワイン商人の娘トゥラ・ラーセンに結婚をめぐって争いピストルで撃たれたことがあります。その事件で受けたショックなどが引き金となり、それ以降は妄想を伴う不安が高まり、アルコールにひたる日々を送るように。ときには暴力事件を起こしたこともあるようです。さらに、対人恐怖症の発作にもたびたび襲われたようで、それが頂点に達したのが1908年。その年の10月には、自分の意思でコペンハーゲンの病院に入院し、治療を受け始めたといいます。そのさなかに描いたこの絵は、ムンクの素晴らしい芸術的センスが自身の服装にあらわれているように思いました。どことなく精悍な表情も見られ、本当に精神を病んでいるのか、疑わしいほどです。

しかし、それらとほぼ同じ頃(1892年)に描かれた『カール・ヨハン通り』を観ると、翌93年の『叫び』に通じる独特の悲しい表情が見られ、なるほどと思いました。5歳のときに母が、14歳のときに姉が病死した経験がムンクの生涯に影を投げかけたと言われるように、それがひょっこりとですが、如実に出ていました。

沖縄での楽しみの一つに映画があります。というわけで、夜は『アリー・スター誕生』を観に行きました。東京で見損ねた作品なのですが、たまたまこちらではまだ掛かっていたので、迷わずGO。レディー・ガガの演じる主人公アリーの人生はほとんどガガにも通じているのが名演につながっているのかも。監督はブラドリー・クーパー。『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』でブレイク、2012年から3年連続でオスカー候補になったほどの名優が初めてメガホンを取った作品なので、昨年末はけっこう話題なっていました。沖縄でも今日が最終日。その意味でも、ラッキーでした。









昨晩からの雨もお昼前にようやくあがったので、姫路市立動物園に行くことにしました。お城の中にあるという、いまではとてもユニークな動物園です。園内からも世界遺産・姫路城の天守閣が見えるので、動物たちにとってもぜいたくな空間と言えるかもしれません。



ブランドに決めています。駅から近い、値段が高くない、部屋が広い(ワーキングスペースも)、そして喫煙OKの部屋がある、コンビニが近いといったところが主な理由です。「主な」と書きましたが、これだけの条件がそろったホテルというのは、そうそうあるものではありません。唯一の欠点は、ビジネスホテルなので、「朝食付き」といっても、同じ建物に入っている居酒屋とかカフェに毛が生えたような店で食べるケースがほとんど。そのため、内容がいまひとつなのです。
動物園自体はこじんまりしていますが、日本で唯一ジャイアントパンダとコアラを同時に見ることができる動物園なのだそうです。しかし、園内に重要文化財の建物があるのには驚きました。歩いていて、あんなところに洋館が見えるなぁ、なんだろう? と不思議に思っていたのですが、神戸にいくつかある異人館の一つで、1889年に建てられたといいます。かつての所有主エドワード・ハズレット・ハンター(イギリス人の実業家で、日立造船の前身の会社を興した人物)にちなんで「旧ハンター住宅」と呼ばれ、もとは市内北野町にあったもの。1963年に王子動物園内に移築され、66年に国の重要文化財に指定された、たいそう由緒のある建物のようです。



「横尾忠則 在庫一掃大放出展」というタイトルでおこなわれていたのは、これまでこの美術館で一度も展示されたことのない作品ばかりを集めたもの。ほとんどの作品につけられていた横尾直筆の注釈メモを読むと、その人柄がよくあらわれているように思いました。


今日は尾道から広島空港に向かい、そこから成田空港、成田からロサンゼルスという長い長い旅が待っています。その前に、尾道駅周辺の商店街を回ってみることにしました。以前、取材で訪れたときは、商店街のほんの一部しか見られなかったのですが、今日は奥の奥まで足を延ばします。

ロスの空港でレンタカーを借り、1時間ほど走るとアナハイム近くのホテルに到着。今回もまた「Ayres」です。別段義理があるわけでもなんでもないのですが、この界隈に泊まるときはたいていこのブランドになってしまうのです。もちろん、ほかにも Hyatt Sheraton、Hilton、Marriott など、名の知れたホテルもあるにはあります。ただ、そこにゆっくり滞在するわけでもない、夜露をしのげさえすればそれでOKという場合は、この程度のホテルで十分。アメリカのホテルなので部屋は広々としていますし、値段もリーズナブルです。難を言えば、朝食がきわめてプアといったことくらいでしょうか。
会場は、小高い丘の上にあるレストランのパーティールーム。夜景が素晴らしく美しい、最高のロケーションでした。アメリカの結婚パーティーは形式張らないので、時間もゆったりしています。いちおう6時スタートになってはいましたが、実際に始まったのは7時過ぎ。しかも、キホン手作りですから、会場の飾りつけはほとんど、家族総出(Lさん、Nくんの二人の姉夫妻、親しい友人など)で約1カ月かけて作ったそうです。音響などは業者にお願いしていたようですが、それ以外は全部、当日手分けして持ち込み、組み立てたり並べ置いたり……。


42年前の記憶はほとんどなく、覚えているのは「大原美術館」とその並びにある「カフェ・グレコ」くらいというのは、我ながら情けない話。朝9時半にホテルを出て、最初、旧街道の入り口で地図を広げてあたりを見ていると、地元のボランティアガイドさんが話しかけてきます。よく舌の回る高齢の方でしたが、売込みっぽくない話しぶりに魅かれ、30分コースで案内をお願いしました。

倉敷から尾道までは1時間ほど。お天気もよく、車窓には瀬戸内独特のおだやかな景色が広がります。JR尾道駅はいま改装中のようでしたが、駅を降りると目の前は尾道水道。すぐ手が届きそうな先に向島【むかいしま】が見えます。海岸沿いの公園もきれいに整備されており、この町がここ数年、観光で多くの人を集めているのも当然かなという気がしました。商店街も活気が感じられ、歩き甲斐があります。名物の尾道ラーメンを食し、「フォーラム」の会場へ。午後はずっとお勉強でした。
それにしても、沖縄で本格的な台風に遭遇したのはこれで2回目。「本格的」というのもおかしな表現ですが、同じ台風でも、沖縄ではまだ“青年期”であることが多く、風も雨も猛烈なのです。小社の分室は、高台に建つマンションの4階、しかもまわりに高い建物がないので、風と雨が情け容赦なく窓ガラスに吹きつます。とにもかくにも、明日の飛行機が無事飛ぶようにと祈るしかありません。

私たちは入門編にエントリーし、朝9時にホテルを出発。三国の旧市街地をひとめぐりするコースで、旧岸名家【きしなけ】住宅、旧森田銀行を見学後、遊覧船に乗っての東尋坊クルーズが組み込まれています。遊覧船に乗って知ったのは、「北前船」が錨を下したのはどこも、河口にある港だったということ。いまの私たちがイメージする近代的な港とはまったく趣が異なるものだったのです。そういえば、土崎(秋田県)も酒田(山形県)も岩瀬(富山県)も宮津(京都府)も皆、大きな川の河口にあります。これまで話には聞いていましたが、実際、河口近くを船で回ると、水運といっても、その主人公は「川」であったことが改めて、そしてなんともリアルに感じられました。



たしかに、そのスケールの大きさには驚きました。深山幽谷とはよく言ったもので、四方を山に囲まれた地に大小合わせて70余の建物が。龍門から入り通用門を抜けると聖宝【しょうほう】閣、吉祥【きっしょう】閣、傘松【さんしょう】閣から東司【とうす】、僧堂と順を追って歩いていくのですが、すべて板敷き。冬だったら、厚手の靴下にスリッパを履いていてもしんしんと冷たさが伝わってくるでしょう。仏殿から法堂【ほっとう】へは長い階段を上がります。そこから承陽【じょうよう】殿、大庫【だいく】院、そして最後に浴室を見て、山門を過ぎるといちおうひと回り。大きな寺院でよく目にするピカピカ・キラキラしたものがまったくないのは、やはり坐禅修行の場だからでしょう。途中、修行僧が僧堂に集まってちょうど昼食を摂っていたようですが、そこでさえなんだか荘厳な雰囲気がただよっていました。

永平寺の門前には名物のそばを食べさせてくれる店が軒を連ねており、そのうちの1軒で私たちも昼食。「フォーラム」の会場に急ぎます。会場のハートピア春江はえらく立派な施設。坂井市文化の森という複合文化施設ゾーンのメインを成しているのですが、完成はバブルが崩壊したあとの1995年といいますから、驚きました。700人以上収容できる多目的ホールで、夕方までたっぷり勉強させてもらい、夜は坂井市内にある三国観光ホテルでのレセプション。毎回そうですが、今回も300名を超える参加者でたいそうな盛り上がりでした。
ホテルから「いしかわ動物園」までは30分少々。1999年の開園なので、まだ20年も経っていません。自然の地形を活かしながら、随所に植栽や岩、池などが配されているなど、動物にとっては本来の生息環境に近い環境が再現されています。動物がいる場所をコンクリートや鉄格子で仕切らず、飛び越えられないであろう幅の堀やガラスで囲ってあるので、観る側は親しみを持って接することができます。広さもだだっ広くなく、お手軽に楽しめる感じですし、勾配もきつくないのがありがたかったです。入り口で手渡されたパンフレットにも、“楽しく、遊べ、学べる動物園”、“3つのやさしさ(「動物にやさしい」「環境にやさしい」「人にやさしい」)がコンセプト”であると書かれていました。

動物園の次は「白山比咩【しらやまひめ】神社」。白山【はくさん】は石川、福井、富山、岐阜の4県にまたがる山ですが、古くから霊山として人々の信仰を集めてきたといいます。1300年前の開基と伝えられていますから、全国に2700社あるという白山神社の総本宮になっているのも当然でしょう。境内に神々しい空気が流れているのはよくわかります。ちなみに、山と神社の読み方が違うのは、もともと「しらやま」と呼ばれていたのが時代の移り変わりの中で「はくさん」に変わっていったようです。

途中料金所を過ぎたあたりから川が見えてきますが、川面から道路まではとんでもない断崖絶壁と大小の滝の連続。ゆるい勾配の道を走っていくと、なんともアクロバティックなところに橋が架かっています。この峡谷に架かる唯一の橋=「蛇谷【じゃだに】大橋」で、長さ70m、高さ45m。橋のアーチ越しに、溶岩が冷え固まってできる柱状節理が見えました。
橋を渡りさらに行くと「かもしか滝」があり、その先が「蛇谷園地」。ようやく駐車場に車を止めたときは肩の力が抜けました。そこから川底に向かって険しい道を下る途中は


早起きして「朝市」に。車は海っぷちの駐車場に止め、通りをブラブラ。青い目の外国人の姿も目につきます。おばあちゃんやおかあさんたちが路上に敷いたシートの上に、朝採れたばかりであろう魚介類や、前の日に天日干しした魚を、ウソみたいに安い値段で売っていました。店舗のほうはお土産屋さんがほとんどで、輪島塗の小物を売っている店も。全部で100店ほどで、端から端までゆっくり歩いても1時間あれば十分です。


輪島の街は2007年3月に能登半島地震に遭い、少なからぬ建物が損壊してしまったそうですが、建て直した家も、昔風の様式を復活させ、町全体がとても整っている印象を受けます。主だった場所は道も広いので、ワイドな景観を楽しめるのが、この種の古い町と決定的に違うところかもしれません。

「白米千枚田」から能登半島最東端にある禄剛【ろっこう】崎に向かいます。ここが能登内浦と能登外浦の分かれ目なのだとか。しかし、こんな辺鄙な場所にも、けっこう人が訪れているのには驚きました。ただ、メジャーなところではないので、日本人だけです。要するに、車さえあれば簡単に訪れることができるのが強みなのでしょう。それに、道路が走りやすいのも魅力です。余談ですが、新潟県、島根県、山口県……など、総理大臣が出た県はどこも例外なく、道路が立派です。幹線道路だけでなく農道まで、どんな道路も例外はありません。


次の目的地は「黒島天領北前船資料館」。途中に「總持寺祖院」という曹洞宗のかつての本山がありました。1321年の創建ですが、1898年、大火に遭ったため、本山が1911年、横浜市鶴見に移ったのちは、「祖院」と呼ばれているのだそうです。なんとも立派な姿に思わず足を止め、境内に。寺の真ん前に建つ輪島市門前総合支所に「祝日本遺産認定 北前船寄港地・船主集落」と書かれた大きな幕が吊るされていたので、なんだかうれしくなりました。


「黒島天領【くろしまてんりょう】北前船資料館」のほうは、おもしろい仕組みになっていて、すぐ近くに建つ「旧角海家【かどみけ】住宅(国指定重要文化財)」が、北前船船主の屋敷兼作業所で、そちらを訪れた人が希望すれば見られるとのこと。「旧角海家住宅」宅で地域ボランティアの女性から詳しくお話をお聞きし、いたく興味をそそられたので、当然、資料館のほうも案内していただきました。


金沢までは北陸新幹線「かがやき」。大宮から乗ると、ひと眠りする間もなく到着です。駅から5、6分歩いたところにある営業所でレンタカーを借り、五木寛之の小説のタイトルで有名な「内灘【うちなだ】海岸」を左に見ながら北上します。この道が予想以上に素晴らしく、しかも高速なのに無料!おかげで、ランチを予定していた回転寿司店(羽咋【はくい】郡志賀【しか】町・西海漁港)には、あっという間に到着。平日で空いてはいたのですが、さすが海産物の本場とあってことのほかおいしく、値段もリーズナブルでした。


城下町の面影が残っているのはこの一本杉通りとその周囲の狭いエリアだけですが、どこかおっとりした雰囲気を残しています。そのお城を見ようと山に登ると、工事中で通行が制限されていたこともあり、予想外に時間がかかってしまいました。さっと見てから、輪島へと急ぎます。

こちらは普通の動物園ですが、もともと植物園だっただけに、木や花がびっしり生えています。そのため木蔭が多く、歩いていても暑さがそれほど気になりません。また、園内にはカートも走っており、疲れたと思ったときはそれに乗れば楽に移動できます。

予定では、このあと先に記した二つの宮殿を訪れるつもりでしたが、ギラギラ照りつける太陽のもとではそこまで行く気持ちも失せ、早々にリタイア。すぐ近くにあって場所もわかりやすい「ワット・ベーンチャマボピット(大理石寺院)」に立ち寄ってみました。イタリア産の大理石というだけあって立派な造りの建物ですし、境内に人工の水路があったりして、もう少し涼しければゆっくりくつろぐこともできたのでしょうが、ここもまた太陽から逃れるすべがありません。結局、早々にホテルに引き揚げることに。

今日行ったのは、「サファリワールド」。空港から比較的近いエリアにあるようで、ホテルからはゆうにタクシーで30分はかかりました。しかし、ここのサファリは大規模です。アフリカのそれとはもちろん比ぶべくもありませんが、広さがすごい。しかも、インドやオーストラリアなど、海外からの客も目につきます。

「サファリワールド」からホテルまで戻り、午後はゆっくりすることにしました。とにかく、暑かったのです。ホテルの中は寒いくらいエアコンが利いていますし、それより何より、このホテルのアフタヌーンティーはとても人気があると知っていたので、早いうちに席を確保する必要があります。広々としたコーヒーラウンジ(3つくらいのエリアに分かれている)の一角に案内され、手渡されたメニューを見ると前菜風のパートが3パターン。私が選んだのはオリエンタル風の品々でそろえたものです。本場のイギリスでも、もちろん日本でも目にしたことのない内容で、新鮮な感じがしました。
夜は、ホテルの船着場から川を下ったところにある「アジアティーク・ザ・リバーフロント」に行ってみました。もともと倉庫街だった場所を巨大なショッピングモールにリノベーションしたようです。といっても、中は1坪ショップのような小さな店がびっしり(1500軒もあるのだとか!)。どの通路も細く、すれ違うのがやっとといった感じです。周りはほとんどがレストランで、日本食の店(“もどき”も含めて)もあります。そして、ここもまた外国人客でいっぱいでした。



前夜泊まったホテルからは車で20分ほど。今日も朝からピーカンで、温度計のメモリもぐんぐん上昇。午前10時にはおそらく28℃はあったでしょう。「アドベンチャーワールド」は、「サファリ」の部分もさることながら、ほかに多種多様な遊戯施設があるので、1日中いても楽しめる施設です。今年で開園40年を迎えたそうで、月曜日だというのに朝からけっこうな数のお客さんが並んでいました。動物園・水族館・遊園地の3つをあわせ持つテーマパークは珍しいといいますし、それに広さがハンパではありません。


目と鼻の距離で観られ、しかも5頭いるのでパンダの子は本当にのびのびした様子。並んだり待ったりする必要もなく、あっけないほど簡単に対面できるので、観る側も余裕です。それがパンダにも伝わるのでしょうか、サービス精神たっぷりで、えさを食べたりゴロゴロしていたり。ここまでリラックスしたパンダはなかなか観られないのではないでしょうか。



今朝はホテル近くの、すこぶる居心地のいい喫茶店で朝食を食べ、レンタカーで紀伊田辺に向かいました。先日、東京・上野の「国立科学博物館」で観て刺激を受けた南方熊楠の聖地を訪ねるためです。田辺市とすぐ隣の白浜町には熊楠ゆかりの施設があります。市にあるのが「顕彰館」、町にあるのが「記念館」で、まず行ったのは「顕彰館」。


居宅と庭も同じです。庭には高い楠や柿、熊楠自身が好んで食したという安藤ミカン(ミナカタオレンジとも呼ばれる文旦の一種で、徳川時代、田辺藩士・安藤治兵衛の屋敷内に自生していたことにちなんで名づけられた。熊楠がグレープフルーツの代わりにと普及に努めたことで知られる)の木のほか、顕花植物も数百種あります。柿の木から新種の変形菌(粘菌)を発見した……といったエピソードをボランティアガイドの方からお聞きしました。雑然としている庭ですが 、まさしく研究の場といった観を呈しています。


田辺市から白浜町に移動し、「南方熊楠記念館」へ。もともとはこちらのほうが先に作られたようですが、「顕彰館」とはコンセプトがまったく違います。子どものころに描いた絵や作文、アメリカ、私自身つい先日訪れたキューバ、イギリスに渡ってから書き綴った論文や、読んだ本のメモ書き(というには膨大すぎるボリュームですが)、日本帰国後に書いた著書の下書きや採集品など、もっぱら展示にウエイトが置かれています。「国立科学博物館」で目にしたものもありましたが、その量には圧倒されました。


そ
とにかく、どこを歩いても、道路の脇にプランターが置かれ、花が咲き誇っています。街灯の柱にもガードレールにも花、花、花……。道路もえらくきれいに保たれ、あちこちの街角で、清掃している人の姿を目にしました。北京・上海にも、もちろんそうした仕事をしている人はいるのでしょうが、ほとんど目につきません。それからすると、この町がどこを歩いてもこぎれいなのがよくわかります。日本の前にこの町を租借していたロシアの人たちがそれほど清潔好きとは思えませんし、となるとやはり、日本の影響なのでしょうか。
午前中はアカシア祭り(大連国際槐花節)の開会式。会場は海辺の公園で、式典の最後におこなわれたアトラクションでは秋田の竿灯の披露も。参列者全員が歓声をあげ、拍手喝采。ロシアの民族舞踊も登場したあたりに、大連の歴史が垣間見えます。


厚田というのはその昔は村でしたが、2005年、石狩市に合併されました。1977年、この地に墓地公園が開園して以来40年。いまでは園内になんと8000本ものソメイヨシノが植わっており、石狩市の、いな全道的な桜の名所として広く知られているのだとか。毎年5月の初めになると、園内の桜が一斉に花を開き、道内のあちこちから花見に訪れる客でにぎわうといいます。
ソメイヨシノの開花はかつて札幌市が北限とされていましたが、それより40数キロ北にあるこの地でも花を咲かせようと、桜守りの佐々木忠さん(故人)という方が奮闘され、みごとにその夢を実現したのだとか。