2015年3月29日
3月27日はチョー早起きして、有楽町へ。ニッポン放送の朝の帯番組『垣花正のあなたもハッピー!』に出演させていただきました。2月13日に同じ局の『テリー伊藤のフライデースクープ そこまで言うか』という番組に出させていただいたときも同じテーマだったのですが、ネタは「県民性」です。
この時期、「県民性」はけっこうメジャーなテーマになりやすいのですね。年度が替わって人が入れ替わるからです。あちこちで、新しい人との出会いがあるこの時期、そのとき格好のテーマになるのです。「どちらのご出身ですか?」「えーー、私はどこそこ県の出身で……」という話があちこちで出ますから。
でも、拙著の多くをすでに読んでくださっていたという垣花さんのお話はうれしかったです。「県民性」が好きというのも変ですが、強い興味を抱いているという人はかなりいることがよくわかりました。いつもお話するのですが、少なくとも血液型占い(4パターン)や星座占い(12パターン)よりは信憑性が高いと思っています。最低でも47パターンはありますからね。もちろん「占い」とはまったく違いますが、といってサイエンスでもありません。経験値やざっくりした傾向性のようなものではありますが、やはり的中率は高いのではないかと思っています。
8時50分から9時半ちょい前まで出演し、そのあとは八重洲口の喫茶店で新聞を読んだり、原稿の構想を練ったりして過ごし、正午に「銀の鈴」に行きました。ここで高校時代の仲間4人と待ち合わせ、新潟に行くのです。新幹線の車中で昼食を兼ねた小宴会をということで、大丸地下の食品売り場をおじさん5人でウロウロ。各自の昼食と別に、ビールにワイン、つまみ用の食べ物を買い揃え、MAXときに乗り込みました。
予想と違い、列車は大変な込みようで指定席が取れなかったので、自由席(春休みのさ中だということを忘れていました)。当然、並ばなければすわれませんので、発車30分前にはホームに上がり並んでいました。仕切り役のMくんが「ふたてに分かれて動こう。狙いは1階の車両(MAXなので2階建て、2階より1階のほうが眺めが悪いので当然こちらのほうが籍の埋まるのが遅くなる)」と言うので、それにしたがって、すばやく動き、1号車の出入り口付近に3席×2=6席をGET!
発車ベルが鳴る前にもうビールの栓を抜き、さっそく小宴会がスタート。あっという間に新潟着で、そこから特急「いなほ6号」に乗り換えて白新線の豊栄まで。そこからさらに、旅館差し回しのマイクロバスで20分ほど走り、4時前には到着。月岡温泉の「華鳳」という、えらく立派な旅館でした。
温泉→食事→尽きることのない話→再度の温泉という流れで、床に就いたのは12時前。ただし、日頃の生活パターンで10時過ぎには眠っていた者(Sくん)もいます。翌28日Sくんはいつもどおり、午前4時前には起床、4時からスタートする大浴場に。もう1人のMくんも早起き組みの1人で4時過ぎには早くも起床し、温泉へ。というわけで、5時半には5人中4人が目を覚まし、朝の酒盛りです。
そのうちの一人N君は、この日の夕方、成田からアメリカのヒューストンに出張ということで、朝ごはん抜きでチェックアウト。Mくんも午後3時から新国立劇場でオペラ鑑賞の約束があるということで早々に引き揚げました。残った4人で恒例の社会科見学となり、今回は「豪農の館(北方文化博物館)」に。「北方文化」とは、東京から見て「北の方」という意味だそうです。
旅館からタクシーで30分足らずのところでしたが、戦前は3000人近い小作農を抱えていた豪農・伊藤文吉の屋敷(敷地8800坪、建坪1200坪、部屋数65)をそのまま改造した施設ですが、まあとにかくすごいところでした。ぜひ、ウェブサイトをチェックしてみてください。
→http://www.hoppou-bunka.com/museum_gou.html
ウェブサイトにはこうあります。「昭和20年(1945年)8月の終戦直後、伊藤邸土蔵内に旧日本軍の隠匿物資があるという情報で、進駐軍のライト中尉が調査に来ました。調査で会話を交わすうちに、偶然にも七代文吉がライト中尉のペンシルバニア大学の先輩であることがわかり、それ以後、ライト中尉は伊藤家(北方文化博物館)に絶大な支援を与えてくれることになります。ライト中尉は北方文化博物館草分け期の素晴らしい後援者となりました。……」
アメリカの大学の先輩・後輩がよくもまあ、こんなところで、しかもこのタイミングで出会ったものだという不思議な運命を感じさせられましたが、その後、昭和63年、このライト中尉をこの地に招いたというのですから、この施設に寄せる伊藤家の思いの強さを感じさせます。
見学を終え、バスに1時間乗り、新潟市内へ。駅前の寿司屋でランチを兼ねての酒盛り。3時ごろ、新潟を出発し、大宮まで帰る着いたときは夕方5時半をまわっていました。もちろん、新幹線の中でもワインを空けたりしたので、着いたときはもうかなりのヘベレケ状態。自宅に帰り着いたときは疲れだけが残っている始末でした。