サッカーが逆立ちしてもかなわない、ラグビーだけの魅力

2019年11月12日
44日間の大会が終わり、もう10日が過ぎました。全国8都市、17試合を見て回りましたが、JAPANの5試合はもちろん、どの試合も印象に残ります。世界最高レベルのプレーを間近で、しかも毎日のように見るなどという経験はほとんど初めてなので、よけい強烈なインパクトを感じました。

ゲームとしての面白さもありますが、それ以上に、生身の体が音を立ててぶつかり合う興奮、自分自身がグラウンドの上にいるかのように錯覚してしまう迫力──。ラグビーの醍醐味はそれに尽きます。ただ、そうした体験ができるのは、球技専用のスタジアム、それもグラウンドに近い席だけです。その点、豊田タジアムで前から5列目に座れたJAPAN vs サモア戦は最高でした。選手の声も聞こえますし、表情もはっきり見えましたから。

11月2日の決勝戦も同じように前から6列目でしたが、こちらは横浜国際総合競技場で、陸上競技用のトラックが邪魔をして、迫力はいまひとつでした。しかも、6列目というのはやや半端で、サイドラインがギリギリで見えないのです。もう2、3列後ろだともっとよかったのですが……。もちろん、上すぎればすぎたで、興奮・感動のレベルはグンと下がります。同じカテゴリーで同じ料金なのにどうしてこれほど差があるのか不思議ですが、それでも、テレビの画面ではけっして感じ取れないスリルを味わうことができたので、よしとしましょう。そうしたことからすると、秩父宮ラグビー場のグラウンドと観客席の近さは何物にも代えがたいですね。近すぎて、選手は危険を感じるともいいますが……。

サッカーのW杯も一度だけナマで見たことがあります。2006年6月22日、ドルトムント(ヴェトファーレン・スタジアム)でおこなわれたJAPAN vs ブラジルの試合で、1対4で完敗。試合が終わったあと、MFの中田英寿がしばらくの間ピッチに仰向けで倒れ込んだまま動かなかったシーンはいまでも脳裏に焼きついています。ただ、100分近くナマで見たものの、個別のシーンで印象に残っているのはJAPAN唯一のシュートくらいのもの、要するにボールがゴールネットを揺らした瞬間だけなのです。

しかしラグビーは、トライの「瞬間」だけでなく、そこに至るまでの「スピーディーな流れ」が一つのパッケージとして記憶に刻まれます。しかも、そこには何人もの選手がからんでおり、そのうちの誰か一人でもコンマ何秒かアクションが遅れればその後の展開はまったく違っていたというケースもあり得ますし。もちろん、サッカーもそれは同じでしょうが、空間的に広いので印象としてはどこか希薄なのですね。まして、聴覚的な記憶はほとんど皆無でしょう。

その点、ラグビーは聴覚が伴いますし、関わっている選手の数が多く、しかもスピーディーである分、映像的にも強烈なインパクトがあります。ただし、ルールがわかりにくいのは欠点かもしれません。TMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル)の回数が多いのも、一連のプレーにかかわっている選手の数、そこで展開されるプレーの複雑さなどさまざまな要素が錯綜しているからです。しかも、プレーのスピードが想像以上に速いため、何度も繰り返し映像を検証し直さなければなりません。3、4台のカメラを駆使しさまざまな角度から捉えた映像をコマ送りで見てもキャッチしきれないことすらありますから。

今大会はこれまでのW杯で最高だったと、関係者が口をそろえて評価していたといいます。競技そのものは当然として、観客、運営役員、ボランティア、そのほかのスタッフなど、どれを取ってみても、これほどレベルの高い大会はなかったと。たしかに、ほかの国での試合で、これほど温かみを感じたことは私もありません。

2007年の大会は、決勝トーナメントを6試合──もちろん内容的には相当のハイレベルです──観戦しましたが、対戦相手の国に露骨なまでの敵意を見せる観客もけっこう目につきました。相手がPKやコンバージョンキックを蹴る段になると、バスケットボールのフリースローのときと同様、思い切りブーイングやノイズを出したりするのです。こうした行為は、日本ではまず見聞きしないので、「これって、許されるの?」と驚きました。陸上競技のスタート時に「しーっ!」という文字が場内のスクリーンに出てきますが、ラグビーの試合でそうしたものを見たことは一度もありません。そうした行為はそもそもあり得ないと思っていましたから。

ニュージーランドなど南太平洋の国のチームにだけ許されているハカ(フィジーのシピ、サモアのシヴァタウ、トンガのシビタウ)についても、昔から議論があるようです。とくに、イングランドとアイルランド、フランスは、NZのハカに対しては敵意をむきだしにするところがあり、今大会でもそれを隠そうとしませんでした。日本人的には、「神聖な儀式なのだから、おとなしく見ていればいいではないか」と思うのが普通でしょう。しかし、イングランドやアイルランド、フランスの選手たちには「NZだけがそうやって戦意高揚を図るのは不公平だ」「黙って見ていろというのはおかしい」という思いが昔からあるようなのです。

日本では、選手がグラウンドに入るとき(交代で出るときも)かならず一礼します。JAPANの、日本人選手は当たり前のようにそうしていました。しかし、外国出身でそうしたことをする選手はほとんどいません。文化の違いというといささか大袈裟ですが、日本ではそういうふうに教え込まれてきているのです。もとをたどれば、剣道や柔道と同じく、神の前で力を競うプレーするといった考え方が根づいているのかもしれません。ラグビーに限りませんが、日本ではなぜか、そもそもスポーツは神聖であるという考え方が主流を占めていました。そのためか、スタンドに向かってお辞儀をするのも、国内の試合ではごく当たり前におこなわれています。しかし、これも海外のファンにとってはとても新鮮なアクションとして受け止められたようです。

試合が終わったあとお互いの健闘を讃え合うのは、どの国も同じ。これはラグビーの基本精神だからです。花道を作り、相手チームのメンバーを送るのも、ほかのスポーツでは見られないシーンでしょう。日本の出ない試合であっても、二つの国の国歌を、日本人の観客が歌詞カードを見ながら歌うというのもえらく新鮮な印象を与えたようです。

こうした場面をスタジアムで、またテレビの中継で目にすることで、「ラグビーはサッカーや野球とはかなり違う」ということに気づいた観客・視聴者も多いはず。ただ、そういうことに美しさを見出すのは日本人特有の感覚かもしれません。ただ、意外なことに今回はそれが大きな反響を呼んだというのですから、わからないものです。今大会がきっかけで、世界中に広まれば面白いのですが……。

こうしたこととも関わるのでしょうが、日本ではスポーツに関してはアマチュアリズムが厳しく問われるところがあります。1935年前後、日本でプロ野球が産声を上げたとき「スポーツをやってお金をもらうなど、とんでもない!」という議論が沸き起こったといいます。そうしたこともあって、相撲をスポーツの一種と考える人は少なかったようです(その名残はいまだにありますが)。プロレスも、最初は日本人の誰ひとりとしてスポーツだとは思わず、「ショー」という受け止め方をしていました。プロボクシングも似たようなものでしょう。

そうした中にあって、ラグビーはとりわけアマチュアリズムにこだわってきました。サッカーが各国でプロ化していく中でラグビーが大きく遅れたのはそうした事情もあるのです。日本でもまだまだそうした考え方にこだわっている人も少なくないようで、とくに協会のお歴々に、その傾向があるとも聞きます。「スーパーラグビー」への参加を心よしとしなかった役員が少なからずいたという話が伝えられていますが、それもむべなるかなでしょう。

今回、釜石鵜住居【うのすまい】スタジアムでおこなわれたフィジー vsウルグアイの試合。ラグビーの競技人口比率が世界でもNo.1のフィジーは世界ランキングも日本とさほど変わりません。もちろん、選手は全員プロです。これに対しウルグアイは、31人のスコッド中9人がアマチュアだというのです。公認会計士もいれば医者もいる、自動車整備工場の経営者もいれば銀行に勤める者もいる。チームもほかの国のように、何カ月も合宿をして力をつけていくなどというプロセスはまったく経ていません。ところがなんと、そのウルグアイがフィジーを相手に30対27で勝ったというので大きな話題になりました。フィジーがプロらしからぬミスを連発したせいもあるのですが、それにしてもウルグアイの選手は皆、溌溂とプレーしていました。それが観客だけでなく、取材に訪れていた日本のメディア関係者や新聞記者にも伝わったのではないでしょうか。