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文化と経済はやはり比例しているようです

2016年9月30日

今日も朝から市内を回ります。最初は、世界遺産にもなっている「カタルーニャ音楽堂」。アールヌーヴォーの様式で、もともとの建物と増築されたモダンな建物とがよく調和しています。中をちょっとのぞいてみると、お洒落な感じがしたので、できればホールに入ってみたいと思いました。果たして、私たちが滞在している間に適当な催しがあればいいのですが……。

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音楽堂から少し南に下がると「大聖堂(カテドラル)」。バルセロナが全盛期を誇った時代に建てられただけのことはあります。内部は広く、左右には祭壇がいくつも並んでいます。次に訪れたのは「ピカソ美術館」。ピカソが子どもだったころの絵やデッサンを見ると、「天才」といわれたのが納得できました。

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そこからタクシーで、かの有名な「サグラダ・ファミリア」へ。30年以上前に訪れたことがあるのですが、その当時に比べると大きく変わっており、空に向かって突き出ている塔の数が増えていました。完成まであと何年かかるのかわかりませんが、どれだけ寄付金が集まるかによってそのスピードも変わるのでしょう。

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私が初めて訪れたころは、世界の経済水準もいまほどではなく、工事も遅々として進まずにいたはず。でも、その後は相当お金が集まったようです。屋根の上に並んでいる重機(クレーン)の数も違います。素晴らしく整備された内部、1階のホールに、教会の建設が始まった1882年以来の進捗状況が写真とともに展示されているのですが、ここ20年ほどのスピードは驚くばかり。文化はやはり経済と比例していることを痛感しました。

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それにしても世界中から見物客が訪れているのはさすが。これなら、事前に予約しておかなければならないというのもよくわかります。

 

「サグラダ・ファミリア」をあとにし、「グエル公園」へ。しかし、ここは大失敗の巻でした。というのも、私たちが持って行ったガイドブックは3年も前のもので、そこにはグエル公園が「有料」「事前に予約しておくと待たずに入れる」などということは書かれていなかったのです。2年ほど前からシステムが変わったようで、行ってみてびっくり。人がたくさん並んでいます。入場料を払うと「入場は1時間半後になります」と。仕方なく外周を歩いて時間をつぶしましたが、ガイドブックはやはり最新のものを用意しておかなくてはいけませんね。

「グエル公園」もガウディの設計ですが、とても親しみが持て、気持ちも癒されます。外周を取り囲むように作られている石と木による工作物は一つひとつ姿が異なり、なんとも不思議な感じ。広場から見下ろせる地中海も美しいですし、広場を取り囲むようにしてしつらえられているベンチにすわると、ほっとした気持ちになります。

公園の一角にある住宅にガウディ自身も住んでいたそうです。あまりに多くの曲線が使われている公園や建物を毎日目にしていて、飽きることはなかったのかとも思っていたのですが、そうでもなかったのでしょう。もう1カ所、帰りがけにタクシーで行ってみた「カサ・ビセンス」は外装の修復工事中でシートで覆われていました。本物が見られず残念なことをしました。

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古いものを大切にする感性に脱帽

2016年9月29日

今日はまずモンジュイックの丘。その一角にある「オリンピック・スタジアム」に入ってみました。昨日バスでひとめぐりして興味をそそられたからです。岩崎恭子が200m平泳ぎで金メダルを取ったのはもう24年も前。そのプールの横に、マラソンの有森裕子が2番目にゴールを駆け抜けた陸上競技のスタジアムがそのまま残されています。

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このスタジアムはもともと、1929年に開催された万国博覧会のために作られたそうですが、92年のオリンピックのために改修。周囲が整備されたのもそのときで、さすが建築のレベルが高いスペイン、それもバルセロナとあって、何十年経ったいまでも古めかしい感じはまったくしません。おそらく100年後もそうではないかという気がします。「オリンピック」の名のもとに由緒ある国立競技場をいとも簡単に、それも跡形もなく壊してしまうどこかの国とは、およそ発想が違うようです。せめて聖火台とか柱の1本や2本は……と思うのですが。

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スタジアムから坂を少し下ると「カタルーニャ美術館」があります。こちらも万博のとき政府館として作られた立派な建物。国内各地の小聖堂から集められてきた壁画が、もともと飾られていた教会の内部をそのまま再現した中に展示されているかというのですから凝っています。壁画を単体で観るのとはまったく趣が異なり、観る側も心がまえが違いました。

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美術館からさらに下ったところが広いスペイン広場。これも万博のときに整備されたものだそうです。高さ47mの2本の塔(ヴェネチアンタワー)が印象的で、その間に3つの噴水が。左右対称の設計が気持ちを落ち着かせてくれます。

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その北東角にあるショッピングモール「アレナス。デル・バルセロナ」は元の闘牛場。3階建ての内部はみごとなまでに改装され、かつてのスタンドにはお洒落な店が並んでいます。屋上には、パノラミックに市街地を見渡せる、素晴らしい展望デッキがあるそうです。天気のいい日は「サグラダ・ファミリア」も見えるといいますが、そちらには上がれませんでした。でも、古い施設もこういうふうに利用する手があるのだと、いまさらながら感心させられます。

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初体験の乗り継ぎ10時間

2016年9月28日

羽田から香港・チューリヒ経由でバルセロナにやってきました。羽田を出たのは昨日(9月27日)の朝10時35分、バルセロナ到着は朝8時55分ですから30時間以上かかったことになります。

なんでまたそんなややこしい……と思うかもしれませんが、これはキャセイパシフィックのマイレージを利用した(東京・香港往復の特典航空券)からです。それに香港・バルセロナの往復(こちらはルフトハンザ便)を買い足せばいいわけで、このチケットがえらく安く買えました。

もう一つ、ここしばらくマカオもご無沙汰しているので、帰りに、香港から足を延ばすこともできます。どのみち日本からバルセロナからの直行便はないので、一石二鳥ではないかと。

ただ、香港に着いたのは14時10分、香港→チューリヒ乗り継ぎ→バルセロナ便の出発は23時35分ですから10時間近くの待ち時間があります。この時間を利用して空港近くの観光スポットを訪ねる手もあろうかと思い、リサーチしてみました。ネットにも香港乗り継ぎ時間の過ごし方があれこれ紹介されています。それもチェックはしていたのですが、結局、ずっと空港で過ごすことに。ラウンジを利用して仕事もできるので、働きましたよ! 家人は得意の「数独」三昧。

バルセロナの空港から市内まではバス。宿泊先のホテルのほとんど目の前にある「カタルーニャ広場」が終点だったので、助かりました。幸い、部屋も空いており、チェックインを済ませ荷物を置くとすぐ市内観光に。乗り降り自由の「ホップオン・ホップオフ」の2日券を購入して出発。最初はこれでひと巡りし、町の概要をつかんでおくのが私たちのパターンです。

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「こち亀」展を見にいってきました

2016年9月14日

今年の春先からずっと楽しみにしていた「こち亀(秋本治のギャグ漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)」展。今日から日本橋髙島屋で始まりました。デパートでの催し物といえば普通は1週間ですが、「こち亀」展はその倍、26日まで開催されるそうですから、やはりただものではありません。

午前中はメディアの取材をともなう行事(オープニングセレモニーや「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ(200巻)」のギネス認定証の授与式)があったようですが、私が行った午後3時過ぎはすっかり落ち着いていました。入り口を入ったところで写真を撮ろうとしたら「NG」とのこと。

連載スタートは1976年9月。最初のうちは、この当時人気だった『がきデカ』の作者・山上たつひこをもじった「山止【やまどめ】たつひこ」というペンネームを使っていましたが、山上本人から苦情が来たために連載100回目から本名の「秋本治」に変えたというユニークなエピソードもあります。たしかに、あんまりといえばあんまりではありますね。

 当初は主人公の両津勘吉、同じ派出所に勤務する中川圭一、秋本麗子、所長の大原大次郎の4人を中心に破天荒なストーリーが展開されていましたが、人気が出てくるとともにどんどん世界が広がっていきました。『少年ジャンプ』本誌で読んだのは1980年ごろまでで、あとは単行本になるのを待ちつつ、結局100巻まで読み続けました。それが今年の9月最終回までで200巻(1960話)になるというのですから、たしかに驚異的です。

内容のハチャメチャさでは、ほぼ同じ時代の作品・どおくまん作『嗚呼!!花の応援団』とどっこいどっこいだと思っていますが、こちらは全15巻で終わってしまったので、『こち亀』の足もとにも及びません。

「こち亀」展のほうは、会場の中にフォトスポットも用意されていました。

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出口前には広いグッズ売り場もあり、私も「読売新聞こち亀版」とクリアファイルを2つ購入。「読売新聞こち亀版」は10ページ建て傑作なアイデアではないでしょうか。スポーツ面の「五輪新種目カン蹴りで両津勘吉が金メダル」には噴き出してしまいました。漫画とオーバーラップするアイデアがいいですね。それにしても、たった一人、たった一作品で2週間も老舗デパートの展示スペースを使ってしまう秋本治・「こち亀」はすごい!

 

 

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「週刊朝日」にコメントを寄せました

2016年9月6日

今日発売の「週刊朝日」(2016年9月16日号)。その中に5ページも割いた記事があります。タイトルは『お金の県民性』。お読みになった方もおられるかもしれません。

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ネットでは“「金融リテラシー」最下位の山梨 理由は「無尽」の影響?【東日本編】”と“1位奈良、2位香川、3位京都…お金の県民性を分析【西日本編】”という2本に分かれています(下記URLご参照)が、もとは1本の記事です。
東日本編は→https://dot.asahi.com/wa/2016090900054.html?page=1
西日本編は→https://dot.asahi.com/wa/2016090900055.html

発売の4日前に記者さんが来られてインタビュ-し、そのときお話しした内容を上手にまとめてくださいました。この企画のもとになった調査がとても興味深い内容で、パラパラっとめくってみたら、その虜【とりこ】になってしまい、思わずメモなど取ってしまったほど。お金に対する全国47都道府県の人たちの受け止め方・関わり方の違いは以前から私もあちこちで指摘していましたが、ここまで綿密な調査を前にすると、自分の感性が試されているような気がして、緊張してインタビューに臨みました。

お金にかぎらず、県民性についてはまだまだ研究の余地が多々あります。もっともっと研鑽に励む必要があると痛感させられる仕事でした。でも、それが刺激になるのですから、考えてみればうれしくもあり楽しくもあり。

「9・11」から15年目、そのご遺族が開いた催しに

2016年9月4日

自宅から車で15分、中野駅にも近い、閑静な住宅街の一角に目的地がありました。区立なので、「産業振興センター」とものものしい名称なのですが、たいそう立派な建物で、利用者がひっきりなしに訪れています。

玄関を入ってすぐ左のコーナーに目をやると、真っ先に大きなアメリカ国旗が目に入ってきます。15年前の9月11日、ニューヨークで起こった同時多発テロの写真などを集めた展示会がおこなわれていました。

この催しがおこなわれているのを知ったのはまったくの偶然。家人が1週間ほど前、夕方のニュースで紹介されているのを見たからです。主催者の住山一貞さんのご長男(当時34歳)はその日、世界貿易センタービルの中にある勤務先で惨事の犠牲となられたとのこと。

昨年9月11日、家人と二人で「9・11」を追悼するイベントに参加しましたが、その日最初の行事は亡くなられたご長男が住まわれていたニュージャージー州のオーバペック・パーク(Overpeck Park)にある慰霊碑の前でおこなわれた追悼の会でした。もちろん、そこには住山さんご夫妻もいらっしゃっていました。そのときはとくに言葉を交わすこともありませんでしたが、私たちが参加した音楽会のあとでおこなわれたレセプションでも同席、そこからホテルに戻る途中、一緒に写真を撮らせていただいたのです。セントラルパークのすぐ南の路上でした。

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住山さんはテロのあと20回以上ニューヨークに足を運んだそうですが、会場には、そうした中で手に入れた現場の写真や資料など30点ほどが展示されていました。その中に、縦6センチ、横9センチほどの鉄骨(世界貿易センタービルのもの)残骸がありました。テロから1カ月半後経ったあともなお続いていた救出活動にたずさわる救助隊員が住山さんに手渡してくれたものだそうです。また、先のアメリ国旗は、犠牲者の葬儀で棺にかぶせるのに使われたものでした。私の頭にもすぐ当時の模様(ニュース映像)がよみがえったのはいうまでもありません。

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見終わったあと、昨年撮った先の写真をプリントし、会場でご夫妻にお渡ししました。住山さんの奥様がそのときのことを覚えていてくださり、しばしお話しすることもできました。ご主人は、息子さんの最期をなんとか知りたいと、550ページを超えるアメリカ政府が作成した、同時多発テロの調査報告書を8年がかりで翻訳したそうです。それを製本したものも展示されていました。原本のほうはボロボロになっていましたが、おそらく数え切れないほど報告書のページを繰ったのでしょう。

「5年に1回、この展示会を開いています」と奥様が話されていましたが、私も生まれて初めて千羽鶴を折り、住山さんに託しました。今年も来週からニューヨークに行き、追悼のイベントに参加されるのだそうです。その場に鶴をお持ちになるということでした。住山さんご夫妻のご健康を祈らずにはいられません。