月別アーカイブ: 2011年3月

佐藤隆介さんの書を見ると

2011年3月31日
佐藤(左党?)隆介(鉢山亭虎魚)さんとその仲間による「忘憂展」に行ってきました。佐藤さんたちの筆になる書をさまざまな木に彫り、それに色づけしてつくった濡れ額などが並んでいました、10年ぶりでお会いした佐藤さんはお元気そのもの。B0151160_17205750

佐藤さんとはかれこれ30年ほど前、私がまだ会社勤めをしていたころ、池波正太郎さんの『男の作法』という本をつくる仕事でご一緒させていただいて以来のお付き合いです。渋谷区鉢山町のご自宅にお邪魔したとき、タンカレー(Tanquerey)という最高級のジンの存在を教えられ(佐藤さんはだれあろう、ジンのロールスロイスともいわれるタンカレーを紀ノ国屋スーパーに置かせた方なのです)ただけでなく、それをいちばんおいしく飲むには、三々九度で使う漆塗りの杯に限ると秘伝も授けてくださいました。
それはともかく、佐藤さんの書を見ると、「自分も、こういう味わい深い字が書けるようになりたいなぁ」と痛感させられます。見たときは「よーし、自分も書道を習おう」などと思うのですが、残念ながら、実行に移せたことは一度もありません。
でも、コーヒーをおいしそうに啜り、それ以上にタバコをおいしそうにくゆらせる佐藤さんの姿を見ると、元気になれます。

三原・尾道・鞆・福山を追加取材

2011年3月18日
大震災の余震がまだ収まらない中、16日から今日まで広島に最後の取材に行きました。原稿はすでに完了しるのですが、ここに来て追加取材+書き足ししなくてはならないことがいくつか見つかり、そのためにスケジュールを取りました。今回は広島市内から離れ、三原、尾道、鞆(とも)福山の3カ所がメインです。
行きは16日午後3時羽田発の飛行機だったのですが、乗客の3分の2が小さな子ども連れの母親でした。震災と福島原発事故の影響でしょう。広島やその近くに縁故のある人が子どもを少しでも安全な場所に避難させたいという親心のなせる業です。広島空港の到着ロビーには、私たちと同じかそれより年上の親(おじいちゃん・おばあちゃん)たちがいっぱい出迎えにやってきています。孫や娘・嫁のかを見ると手を振りながら無事を喜び合っていました。
私たちは三原駅までバスで移動し、その足で、広島出身の知人から紹介された駅前の一角にある小さな古い、しかし味わいにあるバーに直行。マスターとは四半世紀ぶりの再会です。
といっても、そのときは20人ほどの団体で行ったスペイン・ポルトガル旅行で一緒だっただけで、ほとんど話らしい話もしませんでした。私など、申し訳ないことに、バーのカウンターの前に立ってようやくそのことを思い出したくらいで、いかに記憶がいいかげんなものなのか、ガックリ。
それでも話は大いにはずみ、三原のことをたっぷり聞かせてもらったので、来たかいはありました。
店のお客さんはほとんどが常連のようで、そこで出会った広島の大手書店のストアマネージャー氏と名刺交換、「近々、本が出るので、ぜひともよろしく」などと、ずうずうしいお願いまでしてしまいました。
その日は広島市内に泊まり、翌日はレンタカーを借りてまず尾道を訪ねました。よくぞこれほど狭い土地にこれだけの家が……と感心させられるくらい小さな町ですが、経済にかけては江戸時代から明治時代にかけては大変なものがあったようです。商工会議所まであったといいますし、住友銀行創設の話がまとまったのもこの地だとか。経済・文化のレベルが高かったせいか、食べ物もおいしかったです。
そうした経済力をバックに、何人かの富豪が文化人に対する支援をおこなっていたこともあり、街のあちこちにその面影が残っています。橋を渡って因島にも足を伸ばしました。20年ほど前、雑誌の取材で一度訪れて以来です。
夕刻、取材を終え、泊まったのはベラビスタ境が浜というリゾートホテル。以前は造船会社の迎賓館だったらしく、こんな便の悪いところになぜ? と首をかしげるような場所にあるのですが、部屋は広く、魚介類中心の食事も上々。バーも落ち着けました。何より、瀬戸内海が一望のもとに見渡せる大浴場の素晴らしいことといったら。ホテルが建つ下の海沿いには、その造船会社のドックがありました。
そして、今日は鞆まで。古い港町で、江戸時代は朝鮮通信使も訪れた由緒のある場所です。いまはもっぱら観光スポットとして人を集めているようですが、古めかしい街並みも残っており、味わいがあります。
鞆を後にし一路、福山へ。福山駅の真ん前は福山城で、その天守にのぼり市内から瀬戸内海まで見渡せる絶景を楽しみました。城主の水野氏は尾張出身ですから、福山の街はやはり質実剛健といった印象でした。

やっとの思いで東京に

2011年3月12日
お昼過ぎに那覇空港まで行くと、ロビーは足の踏み場もないほど人、人、人であふれかえっていました。待つこと4時間、ようやく夕方遅くの羽田行きの席が取れ、なんとか東京まで戻りつくことができました。前日は都内の公共交通機関のほとんどがアウトだったようですが、この日はかろうじて動いていました。逆に、昨日羽田まで行きつけたとしても、羽田で足止めを食らっていたにちがいなく、かえって幸いだったわけです。
しかし、家のテレビに流されていたニュース報道は、とても正視できるものではなく、これは大変なことになったと思ったのはいうまでもありません。聞けば、昨日の揺れは都内でもハンパなものではなかったようです。会社のスタッフに確認したところ、本棚の本はすべて床に落ちてしまったとのこと。それでも、事務所そのものは鉄筋3階建ての一軒家なので、まだ軽く済んだのでしょう。

羽田に早く着くはずが……

2011年3月11日
今日で台北ともおいとましなくてはなりません。13時45分(日本時間では14時45分)に台北松山空港を飛び立ったANA166便に乗って20分ほどしたころ、機長のアナウンスが入りました。「今日は風の具合がいいので、予定より早く羽田に着きそうです」と。ラッキーと思ったのもつかの間、再びアナウンスが。「日本で地震があり、羽田空港が現在使えないので、当機はいまいちばん近くにある那覇空港に緊急着陸します」とのことです。

そのときは、「残念」と思っただけなのですが、いざ那覇に降り立つととてつもない事態になっていることがわかりました。地震といっても、そんじょそこらのレベルではなく、マグニチュード8を超えており、国内は大混乱におちいっているようです。機内から、予定が変更になったことを知らせようとするのですが、携帯電話もメールも通じません。機内に2時間ほど待機させられた後、「今日はもう、羽田まで飛べないので、当便はここで運行を終了します。とりあえず今夜は那覇市内に泊まってもらい、明日の便で帰ってください」という案内がありました。

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那覇には私の会社の分室があるのですが、まさかこんな事態になるとは思ってもいないので、キーも持ってきていません。どこかホテルを確保しなくてはならなくなり、娘の家に電話して、固定電話を使ってホテルを予約してもらうよう頼むと、しばらくして予約が取れたと連絡がありひと安心。そのときすでに夜の10時を過ぎていました。

10時半過ぎにホテルにチェックイン、テレビのスイッチを入れるとそこに映っていたのは東北地方太平洋岸の地獄のような映像でした。大きな津波が街全体を、田畑を、そして人々をも飲み込んでいく光景に茫然唖然。事態のただならぬことを時間させられました。

台北の花博に感動

2011年3月10日
8日から3泊4日で台北に来ています。「花博覧会」を観にきたのですが、大変な盛り上がりでした。

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さすが世界規模の博覧会だけあって、会場の隅々まで、亜熱帯系のものを中心に多くの花が咲き乱れています。花は観る者の心を癒してくれますが、ここまでたくさん咲いているとそれを通り越し、その場所を離れたくなくなってしまいます。

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辻井伸行とは広島で

2011年3月5日
昨日は盲目のピアニスト辻井伸行のコンサートを楽しみました。タクトを振るのは、昨年秋、小学生のときから夢見ていたというベルリンフィルの指揮者になった佐渡裕なので、チケットを予約したのは4カ月ほど前だったでしょうか。
期待にたがわぬ素晴らしい内容でした。