月別アーカイブ: 2021年4月

映画「いのちの停車場」が教えてくれた人間愛の重み

●東映の会長をされていた故岡田裕介さんとのご縁で、「いのちの停車場」の試写を観させていただきました。東京の大学病院を辞め故郷・金沢にある在宅医療専門の「まほろば診療所」に移った女医(吉永小百合)が主人公。
●末期ガンや難病にさいなまれる人が人生の最期を迎える病者が選択する在宅医療では、治療する側・される側がそれぞれのホンネがぶつかり合います。病者の生き方を第一に考える「まほろば」のスタンスは、治療・救命を重視する通常の医療とは大きなへだたりが。病[やまい]を媒介として生まれる家族愛にも通じる絆、治る・治らないとは別次元の、人間のありようを深く考えさせられました。「まほろば」とは古語で、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」「楽園」などを意味する古語。でも、それと病気が治ることとはイコールではないようなのです。
●1年以上にわたって私たちを苦しめているコロナ禍に対処する首相の言葉、話しっぷりは「覚悟に欠けている」と批判されますが、それより以前に、人としての「愛」が感じられません。見えるのは、「何がなんでもオリンピックはやる!」という姿勢ばかり。3回目の緊急事態宣言の中途半端な期間設定にはそれがさらに露骨に出ています。
●と怒りたくても、それをどこにぶつけたらいいのやら。政府がどんな方針を打ち出そうが、都が何を要請しようが、最後の砦は自分を守る意思と行動。まずは免疫力のアップですね。試写会のあと手土産で頂戴した松花堂弁当は、見ただけでパワーをもらえそうな感じがしました。それにしても、こんな贅沢なお弁当があったとは!(2021/4/24)

Facebook Post: 2021-04-25T09:47:38

最後の宿・草津にはガッカリ──中山道バスツアー⑥

●琵琶湖の東岸、近江富士の脇から日が昇り始めました。ツアーもいよいよ終わりに近づき、6日目の今日は電車での移動。琵琶湖畔のホテルを出発、JR大津駅から草津駅へ。草津は中山道と東海道とが分岐する交通の要衝で、本陣・脇本陣が2軒ずつ、旅籠が70軒以上という大きな宿でした。
●いまも江戸時代の立派な姿をとどめる本陣は、現存する中では最大規模。吉良上野介、浅野内匠頭[たくみのかみ]、土方歳三、徳川慶喜など、誰もがその名を知っている人物も宿泊しています。しかし、残念なのは周囲の光景。隣も向かいも、いま片っ端から高層マンションが建設されているのです。街並み保存とは真逆の状況にガッカリしてしまいました。
●たしかに、大阪梅田からJRで1時間以内、本陣のあるあたりは駅から徒歩圏内ではありますが、これはないでしょう。江戸時代を彷彿させる建物も何軒か残ってはいるものの、街道としての味わいは台無し。観光より開発を重視する姿勢が露骨に感じられます。逆に言えば、観光をアテにしなくても経済的に成り立つのが草津なのです。
●いささか興をそがれた心持ちで大津に戻りましたが、午後訪れた三井寺[みいでら](正式には園城[おんじょう]寺)を歩いたことで持ち直しました。比叡山延暦寺と何百年にもわたって争いを続けたことでも知られていますが、豊臣秀吉、毛利輝元、徳川家康など、錚々たる武将の寄進した建造物が境内各所に。高台院(秀吉の正室)の寄進によって建てられた金堂は国宝で、その姿は優雅のひと言。(2021/4/15)

Facebook Post: 2021-04-17T21:01:49

半世紀ぶりに訪れた大井と醒ヶ井──中山道バスツアー⑤

●昨日は馬籠宿から中津川宿を経由し、大井宿(恵那市)の旅館「いち川」泊。江戸時代は40軒ほどあった旅籠[はたご]のうち、いまでも続いているのはここだけなのだとか。夕食のときは、14・15・16代目の女将がそろって挨拶。客は私たちのツアー参加者だけ─それもおそらく久しぶりだったはず─でしたから、けっこう気合いが入っていました。
●今日は美濃路をさらに西へ。まずは、中山道三大難所の一つ木曽川の渡しがあった太田宿。幕末期に水戸天狗党の首領・武田耕雲斎も訪れたという本陣と脇本陣(国の重要文化財)をじっくり見学しました。木曽川もここまで下ると、川幅もぐんと広くなります。日本ライン下りの出発点で、小学生のとき家族で来たことを思い出しました。終点の犬山で下船し、川原で昼のお弁当を食べた記憶があります。お弁当といえば今日の昼食は、その名も「和宮御膳」。和宮が太田宿に泊まられたとき本陣で供された食事の一部を再現したものなのだとか。
●太田宿の次に訪れたのは垂井[たるい]宿。ここに立ち寄ったのは、たぶん時間調整のためでしょう。ツアーには、そうしたネックがあることを覚悟しておく必要があります。その次に訪れた醒ヶ井[さめがい]宿のほうがよほど見でがありました。この町に昔からある養鱒場を、中学生の頃だったか家族旅行で訪れたことがあるので、55年ぶりです。
●中山道をしのばせる建物などは皆無ですが、夏でも涼しさを感じさせるというバイカモ(梅花藻)が自生する清流=地蔵川の素晴らしいこと。「古事記」にも登場する透き通るような流れを見れば、旅人も疲れが吹き飛んだのではないでしょうか。醒ヶ井から大津のホテルまでは、夕刻にもかかわらずすんなり。夕食は滋賀県が本家のチャンポン亭で済ませました。(2021/4/14)

Facebook Post: 2021-04-16T21:23:00

木曽路のハイライト=妻籠と馬籠──中山道バスツアー④

●ツアーもあっという間に中日[なかび]。今日の目玉は木曽路を代表する観光スポットでもある妻籠[つまご]宿と馬籠[まごめ]宿です。このあたりは、桜より花びらがふっくらしている花桃が満開。白、薄紅色、その二つが混ざり合ったものと、バラエティーにも満ちています。雨模様の空に、鮮やかさもひとしおでした。
●さて妻籠は、全国で100を超える重要伝統的建造物群保存地区の嚆矢[こうし]。1976年9月といいますから、半世紀近くも前に、「売らない・貸さない・壊さない」を基本スタンスにして街並み保存をスタートさせました。電柱をすべて家屋の裏へ回して隠すなどして、江戸時代の街の姿を復元したのだそうです。
●いまでは当たり前の電線地中化ですが、その技術がなかった当時としては、日本で初めての試み。欧米では観光地・市街地を問わず、電柱は目に見えないのが当たり前なので、空間全体がスッキリしています。自動販売機やケバい看板がないのも、それにひと役買っているはず。
●それにつけても、妻籠の先見性には脱帽です。お隣の馬籠や奈良井もそれに習って街並み保存に努め、宿場町としての魅力をいまに保っています。妻籠も馬籠も、家々は出梁[でばり]造りの二階屋、竪繁(たてしげ)格子、卯建[うだつ]など、江戸時代のまま残され、”とってつけた感””人工感”がありません。インバウンドといっても、欧米からの観光客が多いのも、そのあたりに深い共感を覚えるからでしょう。馬籠で食べたランチ=純日本風の栗おこわ定食も、どこか国際性を秘めているように感じました。(2021/4/13)

Facebook Post: 2021-04-15T22:36:24

信州の真ん中を横断──中山道バスツアー③

●今回のツアーは長野県のど真ん中をほぼ東西まっすぐに横断します。いまは鉄道や車があるので、さほど困難もなく行き来できますが、江戸時代はただただ歩くだけ。それを追体験しようと、実際に中山道を歩いて楽しむ人もいるようです。今回はA地点からB地点まで、次回はB地点からC地点までといった風に、何年もかけて全行程を歩くのだとか。
●ただ、江戸時代の中山道の道筋どおりに歩こうとしても、実際には道が消失してしまっている箇所が少なくありません。近代に入り、鉄道や道路を整備するとき、もともとあった道を埋めたり壊したりしたためでしょう。道は残っていても建物や施設の一部あるいはすべてが姿を消しているケースも。その地の人々、自治体がどのような意識を持っていたかがいまになって問われているのです。
●さて、今日は御柱[おんばしら]で有名な諏訪大社下社秋宮[しもしゃあきみや]、木曽路の入口・贄川[にえかわ]宿の関所、奈良井宿がメイン。諏訪大社の境内に立つ御柱を見たときは、こんなに太くて長い木を4本も、最大斜度35°という坂を、それも長さ100mにわたって落とすことを想像すると、怖くなりました。
●奈良井宿は、長さ1kmにわたって古い街並みがそっくり残されているのが圧巻。東海道にはこれほどまでに往時の姿をとどめている宿はありません。ポイントは電柱と電線を見えなくしていること。観光地としての”本気度”がよくわかります。ただ、コロナ禍が始まる前は多くの人が訪れていた奈良井宿もいまはひっそり。飲食店や土産物店も8割かたは閉じていますが、なんとか持ちこたえてほしいものです。(2021/4/12)

Facebook Post: 2021-04-14T23:09:34

上州は桜が満開でした──中山道バスツアー②

●今日は上州路をたどります。高崎を出て軽井沢を通過。軽井沢が宿場町だったとは、今回初めて知りました。最初にバスを降りた板鼻[いたはな]宿は、幕末期、皇女和宮が14代将軍家茂[いえもち]に嫁ぐに際し、京から江戸に向かう途中で宿泊した町。中山道を選んだのは、東海道に比べ人通りが少なく警護がしやすい、一般の往来の妨げになる影響も少ないためだとか。行列は3万人とも5万人とも8万人とも言われますが、いずれにせよ当時としてはとんでもない数。街道沿いの村は上を下への大混乱だったそうです。
●2カ所目の安中[あんなか]宿では、当時の下級武士が住んだという長屋がユニークでした。彼らが心身鍛錬のためにおこなった「遠足[とおあし]」が、日本のマラソンの始まりなのだとか。のどかな環境の中、そうしたことでもしなければ体がなまり、武士としてのアイデンティティーまで失ってしまったかも。
●3カ所目の追分宿は、中山道と長野方面に向かう北国[ほっこく]街道との分岐点。遊歩道が整備され、ここまで訪れた宿のうちではもっとも風情がありました。追分宿から上州を過ぎ碓氷峠を越えると信州軽井沢。軽井沢が宿場町だったとは! 昼食は千曲川畔にある創業104年の川魚料理店。塩名田[しおなだ]宿はいたるところ桜が満開で、はからずも今年二度目のお花見に。
●そのあと望月宿、和田宿を経て、下諏訪宿がこの日の宿泊地。湖畔はきれいに整備され、桜並木もいまを盛りと咲き誇っています。標高が平均1100mの長野県ですから、到着した時間帯がちょうど日没と重なり、湖畔からのながめは最高。明日も好天に恵まれそうです。(2021/4/11)

Facebook Post: 2021-04-13T22:14:50

埼玉で新発見──中山道バスツアー①

●先週の土曜日から「中山道69次バスツアー」に参加しています。コロナ禍の中、6泊7日という長丁場。不要不急もいいところですが、ままよとの思いで出発しました。中山道の宿場で知っているのは木曽の妻籠[つまご]、滋賀県の草津くらいのもの。最初の宿場が板橋だと知ったのも、つい何年か前のことです。
●昨年12月の「東海道53次バスツアー」と同じく、東京駅から出発し起点の日本橋へ。しかし、次の下車地が埼玉県の蕨[わらび]だったのには驚きました。いまでこそ東京駅から電車で30分ほどですが、日本橋からの距離は4里少々=約20km。初日に歩く距離としては頃合いなのでしょう。浦和や大宮をしのぐ宿場だったのは当然かも。
●3カ所目の埼玉県桶川[おけがわ]も、蕨ほどではないものの、宿場町の痕跡は希薄です。東海道より川止めのリスクが少ないので、西から江戸にのぼる際は中山道を選ぶ旅人も多かったとのこと。それでも”裏街道”のイメージはぬぐえません。この日最後の訪問地・深谷は渋沢栄一の生誕地としてすっかり有名に。生まれ育った家、駅前と、そこかしこに銅像・石像が。古希や喜寿を祝って贈られた建物が東京から移築されたりなど、町は渋沢一色なのですが、中山道との結びつきとなるといまひとつの感があります。こうして初日は、”埼玉新発見”に終始しました。
●1日目の宿泊地は群馬県高崎。ここも初めて訪れた町でしたが、さすが中核都市、たいそう繁栄しているようです。「どの路でも足の向く方へゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」とは、国木田独歩「武蔵野」の一節。ツアーなので、足は向かわされてしまうことになりますが、それでも「獲物」にはありつけるはず。ガンバロ〜!
(2021/4/10)

Facebook Post: 2021-04-12T21:28:56

人間の体はコンディション維持に手間がかかる

●日本国内では最高のプレーが観られるラグビー・トップリーグも今年が最後。コロナ禍の中、テレビで中継と録画をしっかり楽しんでいます。2019年のW杯で活躍した海外の一流プレーヤーの参戦もあり、リーグ全体のレベルが大幅アップ、先週末も素晴らしいゲームを観られました。全勝どうしでぶつかったサントリーvs.クボタ。司令塔ボーデン・バレットのトライでサントリーが勝ちましたが、胸がスカッとしました。
●一方、ヨーロッパのチャンピオンズカップもいよいよスタート。各国のクラブチームどうしで覇を競う(サッカーのUEFAチャンピオンズリーグのようなもの)大会ですが、その1回戦で、松島幸太朗の所属するフランスのASMクレルモンがイングランドのワスプスと対戦。松島がトライを決めて勝ち、試合終了。バレットも松島もW杯で大活躍したので、ファンならずとも顔には見覚えがあるでしょう。
●昨日は早起きして庭に出てみると、ハナミズキがひと晚でほぼ満開に。拙宅の裏に生えているジャスミンも花が咲き始め、あたり一帯、いい香りがただよっています。写真のソロモンシールなど、何も手入れせずとも毎年こうして咲いてくれるとは、ありがたい花ですね。
●ただ、人間の体はそういうわけにはいきません。この1年間、運動量が大きく減っているのは間違いなく、そのうちツケがまわってくるのではないかと気がかりです。昨年はシーズン早々で打ち切りとなったラガーマンたちも、コンディション維持が大変だったはず。それでも目標が明確な分、シーズンが佳境に入り、鋭いプレーを見せてくれています。この先ますます楽しみになりました。

Facebook Post: 2021-04-09T22:08:16

きちんとケアしてやれば、花は裏切らない

●外出らしい外出もしないまま過ごしたこの1週間。それでは体によくなかろうと、近くの哲学堂公園まで歩いてみました。桜もそろそろ散り始めてきたせいか、人影もまばら。しかし、公園の中は季節の花が競い合うようにして咲いています。
●それにしても、公園の名前としてはなんともユニークだと思いませんか? そもそもは、哲学館(現東洋大学)の創設者である井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀る「哲学堂」をいまの地に建てたのが始まり(その後この建物は「四聖堂」と改められた)で、それがそのまま公園の名になったのだとか。園内には唯物園・唯心庭だの、真理界、哲理門だの、いかにもそれっぽい名前の建物や石像・灯籠などが全部で77もあります。だからといって、頭が哲学し始めるわけではありませんが(笑)。
●家に戻ってみると、拙宅の狭い庭も”花博覧会”状態に。沈丁花、レウィシア(岩花火)、プリムラ(桜草)、マーガレットが、鉢の中ではありますが、小さな花びらが懸命に咲いています。いちばんうれしかったのは、昨年、隣区の農協園芸売店で買った藤。上品な紫色の花が輝いて見えました。鉢植えが2年続いて咲くと、なんだか得をしたような気がします。
●そういえば、沈丁花も岩花火も桜草もマーガレットも皆、鉢植え2年目。きちんと手入れしてやれば期待を裏切らないのですね。木や草花は、人間より正直なようです。昨日の朝日新聞にニューヨークタイムズのコラムが転載されていましたが、タイトルは「パンデミック宣言1年 自然守ることが人類守る」。野生動物を食べること、その販売を野放しにしていること、森林破壊により都市化を進めることの三つをストップするのが「真に持続可能なワクチン」であると主張しているのですが、そのとおりかも。

Facebook Post: 2021-04-03T09:40:59