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外はチョー寒くても、人々の心は温かい

2019年3月29日
最後の寄港地キルケネスに到着したのは朝9時。ここまで走った距離は2465km。青森から石垣島までの距離とほぼ同じです。今日は昨日以上の天気で、空は真っ青、雲ひとつない快晴です。ロシアと国境を接するこの町は、一定の範囲内なら両国民がビザなしで行き来できるそうで、お互い、安いものを求めてキルケネスに行ったり、隣のムルマンスクからロシア人がやってきたりするとのこと。シンガポールとマレーシアの国民が行き来するジョホールバルのような感じでしょうか。

空港から国内線で首都オスロまでは1時間30分。最初は真っ白だった地上の景色が、南へ降りるにつれどんどん緑色と茶色とグレーのまだらに変わっていきます。オスロの空港からは途中、車窓観光をしながらホテルまで。最初は「おやっ」と思った程度でしたが、部屋に入り、窓から町を見下ろすと、5年間に来たときに泊まったホテルかも……と。

荷ほどきを済ませホテルの近くを歩くと、家人は記憶がどんどん蘇ってきたようで、「あのATMでお金を引き出そうとしたらできなかったのよ」とか「その店で買ったミネラルウォーターが1本500円もしてびっくりしたでしょ」などと言います。それでようやく、私も思い出すという始末で、記憶力が落っこちているのにガックリしました。

夕食は素晴らしい店でいただきました。最後なので旅行会社もいいところを用意したくれたようです。市庁舎前広場の最南部、湾に面したエリアに、小さな船が行き来する桟橋が。「Aker Brygge」という、えらくおしゃれなショッピングモールの周りに、ガラスをいっぱいに使った建物がいくつも並んでいます。その一角にある「Lofoten」というレストランでしたが、シーフードもおいしく、ワインもGOOD! 全員お腹いっぱい大満足で食べ終えました。

店の名前にもなっているロフォーテン(諸島)は、明るい時間帯に航行しなかったので、いちばん美しい景色は見れずじまいでしたが、ツアーに参加していた方で、それをとても悔しがっている方もいたほどですから、よほどのものなのでしょう。しかし、それを差し引いたとしても、今回経験した6泊7日のクルーズは、私自身のクルーズに対するイメージを大きく変えたと言えます。

それは、大きな海を走っていても、船の左右どちらか一方にでも陸地が見えると、私たちを飽きさせないということです。当たり前といえば当たり前ですが、フィヨルドの場合はその変化が大きく、少しも油断できないところがあります。ボーッとしているとまったく景色が変わっており、新しい楽しみを発見できるのです。夏も冬も、これほど変化に富んだフィヨルドという大自然を満喫できるノルウェーをうらやましく思いました。外はチョー寒いですが、温厚な笑顔を見せてくれるかの国の人たちの心根には、そうしたことに由来するやさしさが強く息づいているような気がします。

大迫力のオーロラに大感動・大満足!

2019年3月28日

船に夜を過ごすのもいよいよ今日がラスト。朝から素晴らしい好天に恵まれました。今回のツアーの一つというか売りである、ヨーロッパ最北端(北緯71度10分21秒)の岬「ノールカップ」訪問にはもってこいの空模様です。ところが、なんとなんと、「ノールカップ」への入口であるマーゲロイ島の港ホニングスヴォーグに降り、バスに乗ろうかというまさにその瞬間、添乗員さんの声が。「今日は残念ながら、ノールカップに行く道が通行止めになってしまいました」ですと。前日まで続いた悪天候が災いしたようです。全員アチャーッ! という感じで、「ではどうするの?」。代替観光というにはあまりに方向性が違う、漁村訪問と町の見学ということにあいなりました。

途中、「ノールカップ」に向かう道路(30kmほど)との分岐点を、うらめしい気持ちで通り過ぎ、ひなびた漁村まではゆっくり走ります。こんな田舎でも、家々はかわいらしいという言葉がぴったりのカラーで塗装されており、日本の漁村とはまったく違う印象が。空はますます晴れ渡り、風もなく、気温もそれほど低くないというのに、いまさらながら「なんで?」という質問が同行のツアーメンバーから発せられます。要するに、「ノールカップホール」という施設そのものが閉鎖されてしまったのですね。というわけで、楽しみにしていた、地球の形がユニークなモニュメントの前で記念撮影という夢もついえてしまいました。

漁村に到着し、私たちが訪れたのは小さな入江の一角にある加工場。そこいら中にタラが干してあります。1、2日前に獲れたとおぼしきもの、1週間から10日ほどたったように見えるもの、頭の部分だけなど、その姿はさまざま。このエリアでいかに多くタラが獲れるかがひと目でわかります。

 

 

その一角に、こんなところになぜ? と言いたくなるようなギャラリーがありました。中に入ると、切り絵でアートを作っている女性作家がひとり、私たちを歓迎してくれます。温かみのあるユニークな風合いの作品がいくつも並べられ、家人も一つ購入。

ホニングスヴォークは人口3千ほどの小さくて地味な町ですが、北部ノルウェーの重要な漁港だそうです。1944年、それまでこの町を占領していたドイツ軍が撤退するにあたり、町を徹底的に破壊していったため、教会だけが唯一残ったといいます。

バスの窓からその教会を見たりしながら、桟橋まで戻りました。少し時間に余裕があったので、近くを回ってみました。雪が解けてグチャグチャにぬかるんでいる道路の歩きにくいこと。途中、「ノールカップ」をあきらめさせられたクルーズの客と何人もすれ違いました。

シーフードビュッフェの夕食が済み、部屋でひと休みしていると、添乗員さんの興奮した声が客室の中まで聞こえてきました。「オーロラ、出ましたーっ! 出ましたよーっ!!」 ほとんど着の身着のまま状態で上の甲板に行くと、たしかに、いますぐにでも出そうな空です。星がいっぱいで、雲がほとんどありません。風もおだやかで、気温はおそらく0℃くらい。

3、4分たつと、まず小さなオーロラが。緑色のぼやーっとした巨大な雲のような感じです。それが自由自在に動き、大きくなったり小さくなったり。いったんは消えましたが、今度は逆の方向にそれより大きなオーロラが。風になびくカーテンのように形をしています。それが左から右へ、上から下へと変幻自在に動き、形を変えていきます。さらに、もっと大きなオーロラが、それこそ空の半分近くを覆うように姿をあらわしました。それがなんと3分近く続き、私たちはもう極度の興奮状態に。

昨夜までは、三脚をセット、オーロラ出現に備えていたのですが、この夜は荷造りもしなくてはならなかったので、写真を撮るのは早々にあきらめ、「スマホでいいや」と思っていた私。しかし、スマホででも十分に撮れるくらいの巨大でドラマチックなオーロラですから、きちんと準備をして甲板に上がってきた人は、それぞれ素晴らしい写真が撮れたようです。

 

7年前、カナダのイエローナイフというところで、マイナス20数度の極寒の夜、オーロラを見ましたが、それに比べると今夜のそれはスケールが違いすぎ、大パノラマといった感じ。イエローナイフがシャボン玉の泡だとすれば、このとき観たオーロラは固いラグビーボールのようなものです。最後の夜に観ることができ、ホント幸せでした!!! 「ノールカップ」に行けなかった落ち込みから、天まで一気に昇りつめたような感じでしょうか。

ずーっと見ていても飽きることのないフィヨルド

()2019年3月27日
なんだかあっという間に時間が過ぎていく感じで、まったく退屈しません。乗る前は、フィヨルドを縫うようにしてただ航行していくだけだから、途中で飽きてしまうのではないかとも正直、思っていました。でも、実際に乗ってみると、海岸の景色は千変万化、どんどん変わっていくのです。

北極圏に入るまでは積雪量もそれほどではないせいか、山肌にも木や草、また岩の姿が見えました。というか、表面はあまり白くないのです。しかし、緯度が高くなるにつれ、それが徐々に逆転、ストークマルクネス、ソルトラン、リソイハムンを経て、今朝到着したハシュタ近辺は9割方、雪と氷に覆われています。もう見るからに「北極圏!」といった印象ですから、気持ち的にも「寒い~!」となり、体が縮こまりそうです。

今朝6時45分に着いたハシュタ(Harstad)の町は、停船時間が1時間ということもあって、ツアー一行で上陸。船の近くを40分ほどかけて歩きました。とりたてて特徴があるわけではありませんが、それでも寒さを実感する──とくに足もとから──にはいい経験でした。

午前中は船内のサロンのようなところで、「北欧クイズ&講座」の時間がもたれ、ここまで数日の間、添乗員さんと現地ガイドの方が伝えてくれた話の復習作業のようなことをしながら楽しみました。聞いているようで頭に入っていないことも少なからずあり、旅で得られる情報は、幅も広く量も多いことに気づかされます。

14時15分、トロムソに到着。ここは北極圏では最大の町ですから、当然下船観光となりました。船を降りるとバスでまず「ポーラリア」という水族館に行き、アザラシへの餌やりを見学。私は早々に外に出てタバコなど吸っていましたが、水族館の周囲には、アザラシ狩猟船が保存展示されたガラス張りに建物がありました(冬場はクローズ)。その建物は、すぐ前にノルウェーの探検家ナンセンの小さな彫像があったので、てっきりナンセンが北極点をめざして探検したときに乗っていったフラム号かと思っていたのですが……。

  

ここから橋を渡りメインランド側にある「北極教会」に。1965年に完成したという教会ですが、ガラスとコンクリートをふんだんに用いて作られている岩の教会もそうでしたが、北欧というところは、伝統的な建築様式の教会もある一方で、こうしたシンプルなデザインのものもときおりあるようです。MARIMEKKOやIKEA、INOVATOR、KLIPPAN、IITTALA、ARABIA、ロイヤルコペンハーゲン、ヤコブ・イェンセン、BANG&OLUFSENなど、フィンランド、スウェーデン、デンマークのブランドはその名が広く知られていますが、なぜかノルウェーのブランドは日本ではほとんど無名。ただ、そのコンセプトにはどこか共通したものがあるのでしょう。

   

教会内部もシンプルそのもの。木をふんだんに用いてあるので、ぬくもりがよく伝わってきますし、三角形のステンドグラスも斬新な印象を受けました。バスでターミナルまで戻ると、乗船時刻まで1時間ほどあったので、近くをひと回り。公園にアムンゼンの銅像が立っています。そこから少し街中に入ると、世界最北端(?)の地にあるセブンイレブン、こぎれいでシンプルな教会、かわいらしい店が並ぶ商店街がありました。いかにも北欧、ノルウェーのイメージで、ぬかるんだ道も気にならず、ゆっくり見て回ったあと乗船。

 

 

 

夜11時頃、「オーロラが見えそうですよ!」という添乗員さんの声が聞こえました。あわてて7階のデッキまで上がっていったのですが、残念ながら不発。たしかに、空は晴れていて星もそこそこ見えはしましたが、オーロラ出現までには至らず、部屋に戻りました。

クルーズ4日目で初めて見た太陽

2018年3月26日
ここのところ朝4時過ぎには目を覚ましてしまうのですが、キャビンの窓から外を見ると、雨も降っておらず、すっきりした朝が来そうな感じです。予想どおり、6時には空がうっすら赤くなり、太陽が見え始めます。船に乗って4日目、初めて見る太陽! これは素晴らしい1日になりそうです。

 

今日は午前0時45分にブリュニィスン、3時45分にサンネスショーエン、5時25分にネスフに停船し、朝食を終えた頃にオルネスに到着。じつはこの間に北極圏に突入していたのです。朝食のあと、8階の屋外デッキで「北極圏突入洗礼式」なるイベントがおこなわれ、今朝7時6分42秒に突入したことを知りました。突入時刻を当てるクイズがあったのですが、それにいちばん近かったのがインド人のカップル。船長からお祝いとして、背中に氷水を注ぎ込まれ皆大笑い。しかし、やはり北極圏突入となると、天候や風の具合にもよりますが、肌がチクチクします。

 

 

 

お昼前にボードーという町に到着。昼食後のひとときを利用して町に出ました。昨日はタクシーでトロンハイムの町中まで行ったのですが、今日はツアー一行で徒歩。人口4万数千の小さな町ですが、上陸前に飛行場があるのも見えましたし、サッカースタジアムも。小さいながらも工場群もあったようなので、ノルウェー国内でもそれなりに重要な位置を占めているのでしょう。

訪れたのは「大聖堂(ルーテル教会)」と図書館、「サーモンセンター」の3カ所。この町も第2次世界大戦でナチスドイツにこっぴどくやられたようで、「大聖堂」も破壊されてしまったといいます。戦後、1956年に再建されたそうですが、「ルーテル」という名のとおり、質素な造りの教会です。中のモザイク画は簡素ながらも色彩が素晴らしく、印象に残ります。すぐ近くには、こちらも外壁の黄色がなんとも美しい「ノールランド博物館」がありました。

そこから坂を下りたところがこの町のメインストリート。といっても100mほどの長さしかありません。港にいちばん近いところにあるコンサートホールと図書館は、完成して間もないとのことで、シンプルであか抜けしたデザイン。港に停泊していた小舟にはタラが干してありました。最後に訪れたサーモンセンターは、ユニークなサーモンのイラストをふんだんにほどこした建物で、ノルウェー水産業の主要品目であるサーモンの養殖をわかりやすく紹介しています。雪はあまり降らない代わりに風が強く、船までの帰り道、冷たい風に吹かれながら歩きました。

ここらあたりから船は、ロフォーテン諸島がある海域に入っていきます。クルーズが始まる前、添乗員さんは「世界でもっとも美しい場所の一つ」「アルプスの頂を海に浮かべたよう」などと話していたのですが、通過するのがちょうど夜の時間帯で暗いため、残念ながら、景色を楽しむことはできません。19時にその島の一つにあるスタムスン、さらに21時にはスヴォルヴァーという町に停船はしたものの、海岸の美しさを楽しむことはかないませんでした。とくに、ロフォーテン諸島の中でいちばん大きな町スヴォルヴァーには1時間停泊するので、100人ほどの乗客が下船し、おそらくは氷点下の気温の中、雪で凍りついた道を歩き、船から数分のところにあるお土産物屋というかコンビニというか、正体のよくわからない店に向かいます。入りきれずに外まで行列ができていたので、私はパス。船に戻ったときの温かさがひときわ身に沁みました。

本当なら、ここには昼間の明るい時間帯に寄港し、島内をバスで回ったりしてみたいところ(どこを走ってもその景色は息を呑むほど美しいそうです)。皆さん、そうした残念な気持ちでいたのかもしれません。

クルーズ3日目で初めて見た月

2019年3月25日
モルデを前夜18時30分に出航、途中クリスティアンスンに停船し、2つ目の停船観光地トロンハイムに到着したのは今朝6時。北緯63度25分ですから、気温は当然低いです。それでも、メキシコ湾流の影響で、予想していたほどではありません。オーレスンと違い、こちらは道路のかなりの部分が凍っていて、雪も舞っていました

朝食をさっさと済ませ、8時には船を降り、タクシーで中心部に向かいます。駅の近くで下車し、そこからは徒歩。かつて首都が置かれていたことを示す王宮は木造で質素な印象です。それを見ながら南に下っていくと、ニーダロス大聖堂が見えてきました。そちらを訪れる前、東に折れたところに架かる「はね橋」に立ち寄りました。川の両岸には新旧の倉庫がびっしりと並び、美しい光景を見せてくれます。冬のにぶい太陽光のもとでもこれほどの美しさですから、春から夏にかけての時期、燦燦と照らされた明るい空の下であればさぞかし映えるでしょう。町には大きな大学があるらしく、歩いている人の多くが学生です。

     

はね橋から戻ったところにあるのが「ニーダロス大聖堂」。中世に建てられた建物ではノルウェー最大なのだとか。1070年に建造が始まり完成したのは1300年ごろといいます。かつてのノルウェー国王で聖人にも叙されたオラーフ・ハーラルソンスが祀られていることからもわかるように、長らく国王の戴冠式はここでおこなわれていたそうです。大聖堂の正面ファサードには、聖者54人(そのうち1体がオラーフ)の彫像が並んでおり、おごそかな雰囲気を出しています。大きなわりには内部も簡素な造り。これはやはりプロテスタントの教会だからでしょう。

 

 

     

かつて、現在の首都オスロからこの「ニーダロス大聖堂」まで(全長約640km)の道のりは巡礼路として親しまれてきたといいます。それが近年復活し、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と同じように、歩いて訪れる人の姿も見受けられるのだとか。日本の八十八カ所参りも全国各地に同じようなコースがあるのと同様、ここニーダロス大聖堂への巡礼路も、そうした位置付けなのかもしれません。

大聖堂から駅近くのショッピングモールまでは雪道を歩いて到着。町の中心であるこのあたり一帯はどこもかしこも工事中で、かつて首都が置かれていたこの町を作ったオラーフ1世の銅像が立つ広場もあちこち掘り返されており、どう撮っても美しくはありません。ショッピングモールはそれほど大きくはありませんでしたが、ノルウェーのどこにでもあるスーパーを中心に数十点の店が入っていました。バナナ3本と500mlの水(ペットボトル)をスーパーで買いましたが、これで54ノルウェークローネ(日本円で800円強)ですから、やはり物価は高いです。

タクシーで中心部から船まで戻り、次の停船地ロルヴィクまでは232kmと、もっとも長いノンストップ区間です。12時に出発し、到着予定は20時45分、8時間余ぶっ通しで走ることからもそれがよくわかります。

この夜、今回のクルーズ旅行で初めて月を見ることができました。といっても、厚い雲のほうが圧倒的に多い空でしたので、かろうじてといった感じです。

すぐ近くの海で大きな事故があったのにビックリ

2019年3月24日
昨夜10時30分、眠っているうちにベルゲンを出航したフィンマルケン号。最初の行程はかなり長く、今朝4時30分、フローロに寄港するまでノンストップ、163kmを一気に走り抜けます。この夜はほとんど雨で、明け方近くには雪に変わっていました。

たまに雨・雪がやんでも空はどんより鉛色。すぐまたぶり返してもおかしくない雲行きです。朝食は例によってバフェットスタイルですが、ノルウェー航路だけあって、シーフードのオンパレード。タラ、ニシン、サーモンの3種がさまざま料理されていて、ぱっと見は10種類以上(といっても、うち半分は漬けたもの)。それにチーズやらハムやら各種野菜が加わるので、1周20メートルはある陳列台を回っていると、目移りします。まあ、1週間あるのだからとは思いつつも、ついつい手が出てしまい、気がつけば取り皿には料理が山盛り状態に。

朝食を済ませ部屋に戻ってしばらくすると、船が大きく揺れ始めました。2つ目の寄港地モーロイ(ここまでが52km)から外洋に出ると、天気はかなり荒れていて、海もうねっている状態。その波を蹴立てながらの航海ですから、揺れるのは致し方ありません。すぐに船酔い用の薬を飲み、私のほうは事なきを得ました。その代わり、デッキに出て極寒の中、半分雨に当たりながら遠く離れていく陸地を見続けたりなど、酔わないように必死。でも、72km走って3つ目の寄港地トルヴィクに近づいた頃にはうねりもかなり和らいでいました。

トルヴィクからオーレスン(Alesund)は28km。この間は内海というかフィヨルドなのでゆっくり航行しますし、湾の奥に入るにつれ穏やかになってくるので、体もだんだん平常に戻っていきます。11時30分からの昼食もそこそこ食べられました。家人は先の揺れで、朝食べたものを全部戻してしまったらしく、食欲はゼロのよう。薬も効かなかったのですね。

4つ目の寄港地オーレスンに到着したのは12時ちょうど。ノルウェー人が選ぶ「ノルウェーでもっとも美しい町」に選ばれた町だそうで、ガイランゲルフィヨルドを始めいくつかのフィヨルド観光の中継地にもなっています。最初の下船観光が予定されているところなので、私たちはもちろん降りましたが、同じツアーの中で3、4人の方が船室で休まれていたようです。

オーレスンはとても美しい町です。添乗員さんの話によると、20世紀の初め頃、町のほぼ全体が火事で焼けてしまい、いまの建物はすべてそのあとで建て直されたものなのだとか。町がまるまる焼けたのは、当時の家が木造だったからです。そのため、建て直しにあたってはすべて石かレンガ造りにしなければならないとされ、そうした家々が100年近くたったいまもそのまま残っているのです。

オーレスンの港に船が着く前、甲板や展望デッキから町の様子がだんだんはっきり見えてきましたが、ちょうど天気も持ち直していたこともあり、その美しいこと! 個々の家もそうですが、それが合わさって作り上げられる色彩に満ちた景色が心を慰めてくれます。冬場だけかもしれませんが、空がこうも暗く厚い雲に覆われていると、人々の気持ちもどうしたって滅入ってくるでしょう。それを少しでも和らげようという思いで、家の外壁を黄色や赤、オレンジ色、空色など、パステルカラー系のペンキで塗ったのにちがいありません。たしかに、出航してから3日間ずっと、走れど走れど雨・雪、たまにやんでもどん曇りという空模様でしたから、誰もがいいかげん重い気分になりかけていたようです。そこにあらわれた明るい色彩の家々はそうした憂鬱を吹き飛ばしてくれました。

迎えのバスに乗って向かった先は標高187mのアクスル山の展望台。この頃になると不思議と雨もやみ、青空に覆われた展望台からのながめは最高でした。遠くスカンジナヴィア半島を覆う山々の頂上付近は雪で覆われ、それが間近に見えるのとあいまって、写真撮りまくりの2時間。5年前、夏のフィヨルドを楽しむ旅をしたとき、当初この町も訪れる計画でしたが、結局あきらめただけに、今回来ることができてよかったです。

 

 

 

アクスル山を下りたあと訪れたのが「アール・ヌーヴォー博物館」。かつては薬局だった建物をそっくり博物館にリノベーションしたのだそうです。建物の前は小さな港で、その周辺は、どこを見ても絵になりそうなたたずまい。水辺にある小さな公園に置かれているベンチには熱が流れていて、心地よくすわれます。冬が寒い町ならではの心遣いですね。

 

 

1904年1月の大火で町がほとんど焼けたあと、ヴィルヘルム2世 (皇帝)の号令一下、ドイツはもちろん、ほかのヨーロッパ諸国も資金、復興作業の人員を派遣するなど、国際的な協力のもとで再建がおこなわれたそうです。当時のお金で15億ドル・3年余をかけて、アール・ヌーヴォー様式の建物が立ち並ぶ新しいオーレスンが作られたのだとか。どこを切り取っても絵はがきのような光景を見せてくれる街並みの所以です。

展望台から港の近くまで戻り、私たちの乗っている船の全景を初めて見ました。ナイル川クルーズで乗ったのは2千トンほど、ドナウ川クルーズで乗ったのは1600トン弱。それに比べ今回のフィンマルケン号は1万6千トン近く。やはり大きいです。

午後3時、オーレスンを後にしばらく外洋に出たものの、またフィヨルドに入っていきました。次の停船地モルデ(Molde)に至るまでのフィヨルドはまさしく絶景。山々が海岸線近くにまで迫っており、わずかな平地に家が並んでいます。遠目で見ても色彩感に満ちた美しい家が多いのが印象的。無数の島々や中洲が点在する中、ときにはうっそうと生い茂る緑の木々が山の中腹まで積もっている雪とコントラストをなしながら、私たちの目を癒してくれます。8階の室内展望デッキの席がすべていっぱいだったのもよくわかります。

 

ヨーロッパ系の人々はめいめい、読書にふけったり、同行の人と語らっていたり、夫婦でお茶をしたりなどしていましたが、その眼前にはフィヨルドの美しい光景がゆっくり流れていきます。ここぞという景色が近づくと、写真好きの人はカメラを手に屋外のデッキへ。もちろん気温は低いのですが、風も雨もなかったのが救いで、次から次へシャッターを切りたくなるのもよくわかります。

話は変わりますが、前日の午後、豪華客船「ヴァイキング・スカイ(Viking Sky)」が半島中央部のやや北にある町トロムソからスタヴァンゲルに向かう途中、悪天候に遭って動力を失い、漂流し始めたため、船長が遭難信号を発したというニュースをテレビが報じていました。その救助活動の模様も伝えられていましたが、この荒天と寒さの中では大変だろうなと、他人事ではない感じです。2017年にできた真新しい船だというのに、何があったのでしょう。

モルデ到着は夕方6時。私たちが停船する桟橋の手前に、その「ヴァイキング・スカイ」号が避難のため停泊していました。乗客乗員1370人のうち、500人ほどはすでにヘリで救出されていたのですが、その後エンジンが使える状態になったとかで自力で航行してきたようです。テレビでは、大西洋上でなんと8mもの波に襲われたとも報じていました。それでも目立った傷はないようで、大きな事故にならずよかったです。それにしても、48000トン、全長227.2m、全幅28.8mの豪華客船というのは、とてつもない大きさです。

ベルゲンから北極圏に向かって出発

2019年3月23日
ノルウェーのベルゲンを訪れたのは2014年8月以来。前回は同地の世界遺産「ブリッゲン」を観るのが目的だったのですが、今回は「ノルウェー絶景航路とオーロラ観賞クルーズ」というツアーの出発地になっているため。日本から到着して1泊目がこの町というわけです。コペンハーゲンで乗り継ぎ、小雨降る空港に着いたのは8月22日午後6時過ぎ。偶然ですが、前回泊まったのと同じホテルでした。

 

今回のツアーは行き帰りともスカンジナビア航空で、食事はとてもよかったです。2回とも、3種類あるメインディッシュのメニューを並べたトレーをCAが運んできてくれましたが、「自分の目で見て選べるのはありがたい」とは家人の弁。たしかに、これなら見た感じから得る印象と直感で選べるので、万一おいしくなくても、納得度が違います。幸い、カンが冴えていたのか、どちらも満足できました。

「Beef or chicken?」とたずねられ、どちらか(3択のケースもありますが)を選んで失敗した経験は、誰にもあることでしょう。私たちの場合、リスクマネジメント(大げさな言い方ですが)というか保険をかけるというか、たいてい、それぞれ別のものを選ぶようにしていますが、それでも残りの一つのほうがよさそうだったというケースもなきにしもあらず(隣の席の人が食べているのを見てそう思ったり)。どれを選んでも大丈夫というキャリアー(航空会社)もあるにはありますが、いつもその会社の便に乗るわけではないので、なかなか難しいところがあります。

さてさて、スカンジナビア航空は、派手なCMはしていませんが、やはり伝統が違うというか。第2次世界大戦後まもない1951年から日本に乗り入れているそうで、昔からなじみはありました。私が小中学生当時、テレビでCMを流している航空会社といえば、スカンジナビアのほかBOAC(英国海外航空)とエールフランス、パンアメリカンくらいだったのでないでしょうか。しかも、1957年には、他の航空会社に先駆けて北極ルートの北回りヨーロッパ線を開設しています。派手派手しい宣伝をしないのが北欧らしさかもしれません。

今回のツアーはキホン「船」です。出航は今日の夜10時半なので、それまでは町の中を観光。世界遺産の「ブリッゲン」を手始めに、「フロイエン山」、魚市場と土曜日でたまたま開かれていてファーマーズマーケットをのぞき、ランチ。午後はコーデ(KODE)地区にある「美術館3」でムンクの作品を鑑賞しました。

 

ベルゲンというところはとにかく雨が多いことで知られており(年間降雨日数は軽く200日を超える)、しかも天気が変わりやすいそうです。たしかに、この日も、「フロイエン山」にケーブルカーで出発したところ、途中までは窓に雨が打ちつけていました。ところが、頂上の展望台に着いた頃はウソのような青空が。しかし、それもつかの間、小1時間ほどして下に降りたときはまたまた雨です。

続いて訪れたのが「美術館3」。ノルウェーの生んだ名巨匠エドヴァルド・ムンクの代表作『叫び』のオリジナルを観たのは5年前、首都オスロの国立美術館でしたが、ここに展示されているのは、それ以外の作品の数々。ムンクがさまざまな試練に遭い、精神を病んでいくにつれ絵も変わっていきます。その兆候が感じられるような作品もいくつか観ることができました。

いちばん印象に残ったのは『病院での自画像』(1909年)。ムンクは1902年、裕福なワイン商人の娘トゥラ・ラーセンに結婚をめぐって争いピストルで撃たれたことがあります。その事件で受けたショックなどが引き金となり、それ以降は妄想を伴う不安が高まり、アルコールにひたる日々を送るように。ときには暴力事件を起こしたこともあるようです。さらに、対人恐怖症の発作にもたびたび襲われたようで、それが頂点に達したのが1908年。その年の10月には、自分の意思でコペンハーゲンの病院に入院し、治療を受け始めたといいます。そのさなかに描いたこの絵は、ムンクの素晴らしい芸術的センスが自身の服装にあらわれているように思いました。どことなく精悍な表情も見られ、本当に精神を病んでいるのか、疑わしいほどです。

「美術館3」に展示されているムンクはじめ、ほとんどすべての作品は、ノルウェーの実業家ラスムス・メイエルがこの頃買い求めたもので、それによってムンクの名前と作品は一気に広まったといいます。たしかに、絵を描き始めた時分の『朝(ベッドの端に腰掛ける少女)』(1884年)をはじめ、『浜辺のインゲル』(1889年)『カール・ヨハンの春の日』(1890年)などは、『叫び』と同じ作者のものとは思えません。

 

しかし、それらとほぼ同じ頃(1892年)に描かれた『カール・ヨハン通り』を観ると、翌93年の『叫び』に通じる独特の悲しい表情が見られ、なるほどと思いました。5歳のときに母が、14歳のときに姉が病死した経験がムンクの生涯に影を投げかけたと言われるように、それがひょっこりとですが、如実に出ていました。

夕方、これから1週間乗る沿岸急行船(フッティルーテン=HURTIGRUTEN)のフィンマルケン(FINNMARKEN)号に乗船するため桟橋に向かいます。いまさら言うまでもありませんが、チェックインや荷物の運び込みは旅行会社がすべてやってくれるのがツアーのメリット。あとはルームキーをもらうだけです。

キャビンは予想していたよりはるかに広く、感動です。人間、もともとの要求水準が低いときに、それより上のものを提供されるとうれしいですからね。いまさらかもしれませんが、クルーズの利点の中で際立つのは、スーツケースの中身を全部出しておけることに尽きます。しかも、空にしたらベッドの下に置いておけるので、部屋の面積が多少狭くても不自由を感じません。私自身はそれほど感じませんが、加齢とともに、重いスーツケースを転がしながら歩くのがつらくなってくると、家人はよく言います。