月別アーカイブ: 2018年9月

日馬富士の引退相撲で国技館はギッシリ

2018年9月30日
台風のおかげで沖縄から帰京するのが1日延びてしまったため、70代横綱・日馬富士の引退相撲・断髪式も、ギリギリで駆け込むことに。モンゴル出身の三横綱による土俵入りなんて、なかなか観られるものではありませんが、かろうじて……。

断髪式は、ゆかりのあり人たちが関係者が次々とハサミを入れていくのですが、元横綱(第68代)・朝青龍のときは湧きました。最後は師匠・伊勢ヶ濱親方(元大関・旭富士)。それからしばらくのち、頭を整えた日馬富士が土俵に上がると大歓声です。2010年に朝青龍の引退相撲も観ましたが、二代続けてというのはとてもラッキーです。

 

終わったあと、国技館の地下で開催されていた「日馬富士絵画展」をのぞいてみたのですが、とても充実した内容でした。四股名にちなみ、富士山の絵をさまざまな色彩で描いた作品がズラリ。どれを見てもクロウトはだしで感心しました。歌の上手な関取衆は多いようですが、絵となるとどうなのでしょう。家に帰ってお土産を開けてみると──。日馬富士の手になる絵ハガキなんかがあると、うれしかったのですが。

 

 

沖縄で台風に遭遇! 明日飛行機は飛ぶか……

2018年9月29日
24日から沖縄にやって来て、いつものように成り行きまかせであちこち行ったり映画を観たり。ところが一昨日あたりから猛烈な台風が接近、ほとんどの便が欠航になり、東京に帰れなくなってしまいました。やっとの思いで明朝の便を確保はしたのですが、明日は国技館で11時から日馬富士の引退相撲。苦労して手に入れたチケットなので、台風ごときで行けなかったというふうにはなりたくありません。

 

それにしても、沖縄で本格的な台風に遭遇したのはこれで2回目。「本格的」というのもおかしな表現ですが、同じ台風でも、沖縄ではまだ“青年期”であることが多く、風も雨も猛烈なのです。小社の分室は、高台に建つマンションの4階、しかもまわりに高い建物がないので、風と雨が情け容赦なく窓ガラスに吹きつます。とにもかくにも、明日の飛行機が無事飛ぶようにと祈るしかありません。

 

でも、そんな沖縄だからこそ、家々にはかならずシーサーがいて守っているのでしょうね。よく見ると、愛嬌のある顔をしているのがわかります。災厄を追い払うというよりてなづける──人々のやさしさを示しているかのように見えます。

 

「琉球フェスティバル」は、都心に出現する“異次元空間”

2018年9月23日


4年ぶりの「琉球フェスティバル」。沖縄の音楽にどっぷり漬かることのできるイベントの中では、「うたの日コンサート」と並んで大規模なものです。後者はBEGINが主人公と決まっていますが、「琉フェス」にはそうした存在がありません。あえて言うなら司会のガレージセールですが、中身はかなりアバウトなところがあります。ただ、会場は日比谷野外音楽堂と決まっていて、しかも大変な長丁場になるのが特徴。4時ごろ始まり、終わるのはたいてい9時近くです。

「琉球フェスティバル」は同じ名前のイベントがもう一つあります。一つは1965年に琉球新報社主催で始まったもので、こちらは沖縄の伝統芸能を中心に日舞、洋楽なども含めた総合的な芸術祭で、沖縄県内で毎年4月におこなわれています(ただ、今年はおこなわれたのかどうかわかりません)。

もう一つは1974年、評論家・竹中労(故人)が企画して大阪と東京で開かれた音楽イベント「琉球フェスティバル」。このときは日比谷野音に観衆7000が詰めかけ、琉球新報は「東京に沖縄解放区が実現した」と報じたといいます。よほど爆発的な盛り上がりだったのでしょう。同フェスティバルは翌年も東京で2回開催されましたが、その後20年間途切れてしまいます。それが、91年5月に亡くなった竹中の追悼の会=「琉球フェスティバル1991」として同年9月20日、川口リリアホールで開催され、さらに4年後の95年、大阪で復活。翌96年からは、毎年東京と大阪で開催されるようになりました。現在では、県内外で最大規模の沖縄音楽の祭典として定着しているようです。

売りはもちろん、沖縄の一流ミュージシャンが顔をそろえることにありますが、毎回、途中から集団野外飲み会的な要素が色濃く出てくるのが最大の特徴でしょう。

「会場内への飲食物の持ち込みは禁止です。特にビン類の持ち込み品を発見した場合には没収させて頂きます」とか「出演者へ飲食物を渡す行為はお止めください」と書かれた貼り紙もしてあるのですが、重そうなレジ袋・手提げ袋や大きなクーラーボックス持参の観客が次々と入ってきます。その結果、どこを見ても泡盛やオリオンビールをガンガン飲っているという状況に。つまみも、会場内の売店では売られていないものが目につきます。

自分たちだけで飲み食いしているうちはいいのですが、酔いが回ってくると、泡盛、それも生(き)のままで、司会のガレージセールの2人に手渡し、「飲め、飲め」とはやし立てるため、断わり切れず一気飲み。始まって1時間も経ったころにはすっかりでき上がっているという具合です。私たち観客には見えませんが、舞台の裏でも出演者どうしで呑み合っているのではないでしょうか。こうなるともうワケがわからない感じで、出演者も三線【さんしん】を観客席に向かって投げたりし、最後は会場全員が総立ちになってカチャーシー。これが東京のど真ん中で繰り広げられるのがなんとも面白いのです。

神様ダン・カーターのプレーを目の前で!

2018年9月14日
これまでなかなか観る機会がなかったラグビーのトップリーグ。ホント久しぶりに観戦しました。それもこれも、ダン・カーター見たさです。2018-19シーズンは神戸製鋼に加入し、今日のサントリー戦に先発出場したのです。

ダン・カーターは2011年のW杯でニュージーランド代表の一員に選ばれたものの、大会が始まってからの練習中にケガをしたため、結局試合には出ずじまい。本当なら、私が観た日本との試合(9月16日、ワイカト・スタジアム)でそのプレーを目にできるはずだったのですが、それはかないませんでした。もっとも、ダン・カーター抜きでもニュージーランドの強さはいささかも揺るがず、この試合の日本代表は前半に6トライ、後半に7トライを献上、7-83の惨敗を喫してしまいました。

それから7年。もちろん、この間におこなわれた前回(2015年)のW杯@イングランドにはハーフのポジションで活躍、チーム史上初の連覇に貢献しています。大会のあと代表から引退、フランスのプロリーグ「トップ14」のラシン92に移りました。 そのカーターのプレーがようやく、それも日本で観られるのですから、放ってはおけません。

今日はナイターで秩父宮。観衆の数もいつもより5割増しといった印象です。しなやかな体の動きは素晴らしく、無駄がありません。一つのプレーを終えると、かならず次のプレーに備えたポジショニングを怠ることなく、「ここにいれば……」と私たちが思ったところに、いる、のです! それも、適切なスピード、適切な体の構え。これには観衆も感動したのではないでしょうか。

「藝祭」のおみこしパレード。フツーの中に輝くアートが…

2018年9月7日
去年のいまごろ、たまたまテレビで知った「藝大祭」。そのとき、「中長期スケジュール」に書き込んでおいたのですが、いよいよ今日から始まりました。何せ東京藝術大学の学生たちですから、10年、20年経ったとき、世界的なアーティストになっていないともかぎりません。その卵たちが、自由な発想で取り組むパフォーマンスの一つが初日のメイン行事=「おみこしパレード」です。

学部とか学科の枠を超え、いくつかの専攻課程を組み合わせてチームを作り、それぞれが音とヴィジュアルの技・センスを自由に表現するおみこし行列。キャンパスから上野公園まで練り歩いてきて、最後は国立博物館前の広場でパフォーマンスを繰り広げます。「あふれる歓喜と魅力。そして少しの狂気」が今年の「藝祭」の趣旨でもあるようで、その意味では期待が持てます。

その前に一度、東京文化会館裏あたりでパレードを止め、気勢を上げる場面があります。ブラジルのカーニバル風というか、サンバのリズムに合わせて各チームのメンバーが叫び踊るのですが、20代前半の人たちばかりとあって、そのエネルギーはハンパではありません。とんでもなく重いおみこしを藝大のキャンパスからかついできて疲労困憊しているのに、それをまったく感じさせないのがいいですね。

 

 

 

そこで元気をつけると、最後の行進に入り、広場の前でそれぞれ所定の場所におみこしを置いてスタンバイ。あとは順番にパフォーマンスを披露するという流れです。たとえば、絵画科(日本画専攻)と建築科、音楽環境創造科、指揮科の4つの学生が組み合わさるとどんなものが出てくるのか──芸術には門外漢の私には想像もつきません。そこにこのイベントの面白さがありそうです。

長岡で「北前船寄港地フォーラム」

2018年9月1日
「北前船寄港地フォーラム」参加のため、一昨日から新潟県長岡市を訪れています。10年以上前に一度来たことがありますが、そのときは数時間の滞在。いかにも地方の城下町らしい、どこかおっとりした風情を感じたものの、それは上っ面を撫でただけの印象かもしれません。

今回は2泊3日ですから、じっくり雰囲気を味わうことができました。「フォーラム」のほうは、回を重ねるごとに本格化し、それと比例するかのように、観光ビジネスの振興といった面も強く感じられるようになってきました。回によってはアカデミックな匂いが濃厚なときもあります。登壇者もほぼ全員、パワーポイントを駆使しながらのレポートであったり主張であったり発表であったりで、途中、息を抜くいとまもありません。そうした意味では、間違いなく進化していると言えます。

ただ、それだからいいのかとなると話は別。開催地の人々の素朴な思いは前に出てきにくくなりますし、生々しい息遣いも以前に比べ希薄になりました。取材にたずさわっている私の作業も、フォーラムのテーマや内容がすっきり整理されているのは助かりますが、その実現に向けて何カ月もの間あちこち走り回ってきた人たちの気持ちのありようまではつかめないのです。こうなると、”行間を読む“というか、関係者から裏側の状況を幅広く拾い集めていく以外ありません。人は誰でもそうでしょうが、メークやドレスアップをほどこす前の素顔やふだん着の姿にこそ、本当の気持ち・意識が見え隠れするからです。

 

8月30日の前夜祭、翌31日のフォーラムとレセプションを終えた今日はエクスカーションです。バスに乗って、かつて北前船が立ち寄ったことで栄えた港町・寺泊【てらどまり】が最初の訪問地。まっすぐ続く砂浜はいまきれいに整備され、その横を走る道路に面して海産物やさまざまなお土産などを売る店がびっしり並んでいます。それを見下ろす丘に建つ寺院や神社には、沖合にもやう北前船からおろされた荷物を何艘ものはしけが港まで運んでくる様子を描いた絵図が展示されていました。