月別アーカイブ: 2010年10月

東京の地下鉄はいまイチ不親切

最近気づいたことなのですが、東京の地下鉄の駅、とくに銀座駅のわかりにくいことといったらありません。銀座線、丸の内線、日比谷線の3線が乗り入れているのですが、どの線も、改札口が違ったり、そのあと地下通路で迷ったりすると、とんでもないところで地上に出てしまいます。史上に出る階段のところに、地上の情景を撮った写真が掲示されているところもありますが、結局はままよとばかりに階段を昇っていくことのほうが多いのです。

東京に40年も住んでいる私ですらそんなありさまですから、地方から出てきた人、外国人の観光客など、これでどれほど時間をロスしているのか、わかったものではありません。駅や連絡通路の改良工事をおこなうなどして、もっとわかりやすい地下鉄にしてほしいと思うのですが、いっこうに改まる気配はありません。

その点、外国の地下鉄は優秀です。ロンドンの地下鉄のウェブサイトを見ると、“Closed stations” という項があり、10月31日現在、Blackfriars、Cannon Street、Latimer Road の3駅が閉鎖中であることがわかります。

たとえば、最初のブラックフライアーズ駅のところを見ると、“Closed until late 2011. Please use Temple and Mansion House stations. Tickets are also accepted on bus 388 between Mansion House and Embankment. Journey times may be increased by up to 10 minutes.”とあります。「来年のかなり遅い時期まで閉鎖は続きます。その間はテンプル駅かマンションハウス駅をご利用になるか、388号線(マンションハウス・エンバンクメント間)のバスをご利用ください。それにより10分、余計にかかります」ということなのですが、年がら年中こうした案内がなされています。

また、キャノンストリート駅は「土曜日と日曜日が閉鎖されるので、バンク駅かマンションハウス駅、モニュメント駅をご利用ください」、ラティマーロード駅は「2011年8月初めまで閉鎖……」となっています。

つまり、老朽化したり不都合があったりする駅の改良工事をおこなっている間はクローズしますよというわけです。東京の地下鉄でもそれは同じですが、ひとつの駅をまるごと閉鎖して工事するということはありません。

東京では最近、民営の東京メトロと都営地下鉄の一体化が論議されています。たしかに、これも外国人には非常にわかりにくいでしょう。浅草あたりに行くと、地下鉄の路線図と首っ引きで悪戦苦闘している外国人観光客の姿をしょっちゅう見かけますが、他人事ながら心配になります。

設備や表示など、都営地下鉄はやはり一段劣っている印象が否めません。名古屋のように、早い時期にできた公営地下鉄、とくに古くからある路線の駅や改札口周辺の通路は、全体的に薄暗いというか、どこか薄汚れた感じがします。後発の福岡市や仙台市の地下鉄に比べると一目瞭然です。ただ、その点はニューヨーク、ロンドンのほうがはるかにひどいです。構内やプラットホームも暗いので、よけいにそれが強く感じられます。逆に、台北やソウル、香港などアジアの地下鉄は、できてまだそれほど永井時間が経過していないだけに、明るさ、清潔さ、そして何よりわかりやすさがきわだっています。

地下での工事となると、費用も余分にかかるのでしょうが、一日も早く改善してほしいものです。

ボイストレーニング最終回、さて、その効果は?

先月からつごう3回、ボイストレーニングなるものを受講しました。呼吸法から始まり、のどにやさしい声の出し方、活舌まで、これまで経験したことのないことだったので、新鮮に取り組めました。

年に何度か講演会でスピーカーを務めさせていただくのですが、慣れないことゆえ、講演の後半になると、だんだん声がかすれてきてしまうのです。演台に置かれたペットボトルの水を飲めばとりあえずおさまるのですが、場合によっては、その水が飲めないときもあり、いつも反省させられていました。

そんな私に、ある方が、個人レッスンをしてくれるところがあることを教えてくれ、トレーニングを受けてみることにしたのです。ちょうど、11月4日に札幌で講演を引き受けていたので、それになんとか間に合わせたいとの思いもあり、私としては真剣そのものです。

トレーニングは1回あたり2時間。でも、家で復習をしなくてはいけません。風呂場でやってくださいと教えられたものの、いざ実行してみるとこれがしんどいのなんの。30分も続けると、全身の力が抜けてしまうくらい、エネルギーの消耗が激しいのです。演説ほど心臓に負担をかけるものはないというのは、中国医学の教えですが、それは本当だなと痛感しました。

半月後、トレーニングの効果が出るとうれしいのですが……。

琉球フェスティバルで盛り上がる

今年も琉球フェスティバルはすごい盛り上がりでした。観客がステージの前まで出てきて、司会者(ガレージセールの2人)に泡盛を飲ませるのは例年どおりですが、今年はそれが一段とヒートアップ、2人はまたまたヘベレケになっていました。大工哲弘と古謝美佐子の歌はさすがです。

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ただ、初めての出場となる大城クラウディアには、期待が大きかっただけに、いささかガックリさせられました。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで沖縄人2世として生まれ、子どものころから日系社会で数々のコンクールで優勝。9年前に出会った『島唄』原作者の宮沢和史(元THE BOOM)のプロデュースでアルバムも発売しています。

彼女が出てくるその直前、ガレージセールのトークがハイテンションでえらく盛り上がったのがアンラッキーではあったのですが、1曲目の三線弾き語りの雰囲気とあまりにへだたりが大きすぎました。しかも、彼女自身の語りも声が小さかったような気がします。そのため、演奏中も話し声が絶えず、静かに聴き入るという雰囲気を出せずじまいで終わってしまいました。

でも、ラストのところで、夏川りみの、産まれてまだ間もない赤ん坊を抱いて登場した古謝美佐子はよかったです。ホントは、母親の声が聴きたかったのですが、それは高望みというものでしょう。

藤堂和子さん、申し訳ありません!

藤堂和子さんは博多で長く、バー「リンドバーグ」とクラブ「ロイヤルボックス」を営んでおられる名物ママです。彼女がこのほど『親子三代ママ稼業』という本を出されたのと、彼女の発行してこられた『中洲通信』が30周年を迎えたのを記念するパーティーなのですが、地元の博多でなく、東京で開いたというところに彼女らしさがあります。それも帝国ホテル孔雀の間で、参加者はざっと数えて1500人近かったのではないでしょうか。広い会場なのに、人、人、また人で、動くのもけっこう大変でした。

もう6、7年前ですが、ある出版社の社長に企画を依頼されたことがあります。その社長の手もとには、新聞だか雑誌の切り抜きがあり、そこに登場されていたのが藤堂さんでした。博多では知らない人のいない女性で、しかも月刊誌まで出しているといいます。「この女性の半生記のような本を出したい」ということでした。たまたま私が『博多学』という本を上梓していたので声がかかったのですが、翌日さっそく連絡を取ってみました。

気さくな方で、こちらの用向きをお伝えすると、「すぐいらしてください」ということです。翌週、ご自宅にお邪魔したところ、膨大な資料を見せてくださいました。「では、これに一度目を通させていただいたうえで、どんな内容にするか、インタビューの進め方等、こちらからご連絡させていただきます」と申し上げたのですが、スケジュールがなかなか折り合わず、結局そのまま時間が過ぎてしまい、〝冷凍保存状態となったのです。これは言い訳になりますが、その出版社の社長が退任されたことも、私のほうできちんとフォローするのを怠ってしまった理由といえます。

それから5年、今回ご本を河出書房新社から出版され、そのお祝いもかねてのパーティーだったので、私としては、申し訳ないとの思いで出席した次第です。本当は直接おわびもしたかったのですが、あまりの人の多さにかないませんでした。それでも、当日ゲストとして招かれていた小椋佳と松山千春のライブはちゃっかり聴け、それだけでも参加したかいはありました。

それにしても、藤堂さん、申し訳ありませんでした! 心よりおわび申し上げます。

朝青龍の引退相撲

これまでテレビなどで目にしたことしかなかった、いわゆる「引退相撲」。今日初めて、それを直に見ることができました。主人公は、今年2月に突然引退し、新聞の号外まで出た68代横綱の朝青龍。観客席がほぼ満席に近かったことからも、その人気のほどが知れるというものです。式次第は、ふれ太鼓のあと、三段目・幕下力士の対戦が5番ほどおこなわれ、そのあと髪結いの実演、十両土俵入り、相撲甚句の披露、そして十両の取り組みと続きます。

そして、これで見納めという朝青龍の土俵入り、初切(しょっきり)のあと、後援会代表の挨拶があり、「断髪式」へ。朝青龍に花束が贈呈されたあと、櫓(やぐら)太鼓の打ち分け実演、幕内の取り組み(三役そろい踏みもある)・弓取式がおこなわれ、最後がメインイベントの断髪です。「引退相撲」というのは俗称で、「○○○(引退する力士のシコ名)引退断髪披露大相撲」が正式ないい方のようです。
土俵上に置かれたイスに腰かけた朝青龍のまげに、母国モンゴルの大臣や政治家・経済人をはじめ、日本国内の後援者、知人・友人関係者が次々とハサミを入れ、最後に親方が大いちょうを落として終わります。通常どのくらいの人がハサミを入れるのかわかりませんが、朝青龍の場合は300人以上が土俵に上がりました。1人あたり30秒としても、それだけでゆうに2時間半はかかります。

朝青龍の父親がハサミを入れたときは割れんばかりの拍手が場内に響きわたりました。さすがに、このときは朝青龍もウルウルだったようです。以前ラスベガスで巡業がおこなわれたとき観にいったとき、会場のホテルで偶然出会った父親や妹と写真を撮ってもらったことがなつかしく思い出されました。

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朝青龍については、現役時代さまざまな評価がなされていましたが、私自身は批判的なコメントに同感できませんでした。2002年3月場所に横綱に昇進し、当時すでに長期にわたって休場していた貴乃花が引退した2003年初場所から約4年間、ひとり横綱を張り続けた、その功績だけでも大変なものがあると思うからです。

貴乃花が綱を張っていた時期、大相撲の人気はすさまじいものがあったのは、だれもが覚えていることでしょう。その貴乃花が引退し、だれもが相撲人気もこれで落ち込むのではないかと見ていたのですが、そこに立ちはだかったのが朝青龍です。品格がどうのとか所作振る舞いがウンヌンと、その強さがきわだってくると、何かにつけて矢面に立たされ、最後のころはほとんどヒール役となっていました。しかし、窮地におちいりそうになった大相撲を〝もたせた〟のが朝青龍だったのですから。

この日の引退相撲の案内チラシには、だれのアイデアかわかりませんが、「自業自得」というキャッチフレーズが大きく出ていましたが、これはご愛嬌でしょう。「横綱というのはただ強ければいいわけではない、品格をそなえていなくてはいけない」と声高に唱えていた人も少なからずいましたが、それも大相撲の興行自体が成り立ったうえでの話です。
遊牧民の国モンゴルと日本とでは、そもそも自然環境、気候風土が根本的に異なりますし、当然のこと、人々の気質や感覚もまったく違います。数年前、モンゴルに一歩足を踏み入れた瞬間、そして街中を歩いたとき、「だから、朝青龍なんだ!」と痛切に思いったものです。
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朝青龍だけでなく、モンゴルなど外国から力士を受け入れ始めた時点で、そうしたことに思いをいたした親方や相撲協会の人たちがいたとはとても思えません。郷に入っては郷に従えとはいっても、やはり限界があります。いくら体裁や格好を日本や、その〝国技〟相撲の世界に合わせたとしても、人間、ひとたび「戦い」の場に出れば、そんなものはひとたまりもありません。ふだんはたくみな演技をし通していたとしても、どこかでほころびを見せるというか、本性がいやおうなしに顔を出すものなのです。

そうしたことに蓋をしたまま──いや、考えてもいなかったといったほうが正しいでしょう──横綱に推挙し、しかもその横綱が〝国技〟の盛り上げにひと役もふた役も買ってくれたことはだれも否定できません。呆れるのはしかたないとしても、朝青龍には感謝こそすれ、叱ったり非難したりするのは筋違いではないかと私は思うですが。「自業自得」という言葉には、そんな皮肉も込められていたのではないのでしょうか。