月別アーカイブ: 2010年8月

トホホ……! 年齢には勝てないのにガックリ

昨日は、年甲斐もなく、1日でコンサート2本という無謀な経験をしてしまいました。午後3時から、渋谷のオーチャードホールでジェイク・シマブクロ(ウクレレ)。そして、夜6時からは青山で登川誠仁(琉球民謡)のライブです。しかも、登川誠仁のほうはスタンディングでしたから、ほとほとこたえました。

狭い会場でのスタンディングというのは、還暦間近の身には腰に来ます。もっとも、だからこそ大いに楽しむこともできたわけですが、これが逆の順番だったら、もう少し楽だったかもしれません。

でも、登川誠仁の、とても78歳とは思えないパワフルなパフォーマンスを見ると、そんな弱音を吐くのは罰当たりではないかという気がします。昨年も日比谷野外音楽堂の「琉球フェスティバル」(今年は10月10日。また、行きます!)で登川の演奏を観ましたが、このときは半分酔っ払っている(?)ような感じで、迫力はいまイチでした。しかし、今回のステージは一人きりですから、張り切りようも違っていたのでしょう。

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昼間のジェイク・シマブクロのコンサート、これは興奮しました。〝ウクレレのジミヘン〟と呼ばれているだけあって、機械仕掛けのような手指の動きは聴き手を感心、いや感動させます。それ故、ときおり交えるバラード調の曲も目立つというものでしょう。ウクレレ特有のやさしい音色も、それに味わいを添えていました。

「シマブクロ」という名前からすると、先祖は沖縄からの移民でしょうか。そういえば、今年、甲子園で春夏連覇を果たした興南高校のエースも島袋洋奨といいました。ジェイクは5世ですから、日本語はほとんどしゃべりません。それでも顔つきは日本人そのものなので、親しみが感じられます。それも、日本でたくさんのファンをつかんでいる理由かもしれません。

ただ、それ以上にアメリカ本土でウケているのも間違いない事実です。9月前半で日本ツアーを終えると、10月から来年3月までは本土でのコンサートがぎっしり詰まっています。

ジェイクに感心させられたのは、そのパワフルさです。昨日のコンサートも、2時間半の長丁場でしたが、なんと休憩なし! でした。32歳という年齢からすれば不思議ではないかもしれません。しかし、ジェイクの激しい手の動き、活発なボディアクションを考えると、やはり感動ものです。

途中、観客席にも降りてきて、歩きながらスローバラードを披露していましたが、観客の顔に目を遣りながらですから、気を抜くことはできません。4歳のときから母親にウクレレを教え込まれただけあって、プロ根性もハンパではないのです。一度、ジェイクの本拠地ホノルルでのコンサートを観てみたいと思いました。そう思ったからには、かならず実現するのが私の流儀。実行したらかならず報告しますので、このブログを楽しみにしていてください。

僕はいかにして指揮者になったのか

著者:佐渡裕
価格:500円
[新潮社 ・2010/08]

小学校の卒業文集に「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」と書いた夢を実現した佐渡裕。その唯一にして、最高に面白い半生記。小社の企画で1995年に刊行、2001年に文庫化(新潮OH!文庫)され、今回、新たに加筆し再刊されたもの。「この本は僕にとって、長い間憧れの職業だった『指揮者』を演じきるための、素晴らしい台本でもあったように思います」とは、佐渡の「文庫版まえがき」。口絵写真もたっぷり!

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ディキシーランド・ジャズを見直す

ジャズの好きな人ならだれでも、一度は通り過ぎているはずのディキシーランド。さほどジャズと縁がなくても、『ベイズン・ストリート・ブルース』とか『聖者の行進』といえば、「ああ、あれか」とうなずく人は多いでしょう。行進曲風のリズムとメロディーラインが初期のディキシーランドの特徴なので、親しみやすさという点では、ジャズの中でもいちばんではないかという気がします。

ただ、それだけに単調で……と、私自身も思っていたので、昨日の「浅草ニューオーリンズ・ジャズ」のコンサートは、目からうろこが落ちるといった感じで聴きました。これまでそっぽを向いていたのは申し訳なかったなとすら思ったしだいです。

Rimg0007 ディキシーランド・ジャズが生まれたのはアメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズ。20世紀の初めごろに発達し、それが1910年代、シカゴやニューヨークに広まっていったことで、今日のジャズが生まれました。ピアノ、バンジョー、ドラムス、コントラバスなどのリズム・セクションにトランペット、トロンボーン、クラリネットといった編成が基本です。

スゥインギーで陽気、という点ではジャズのなかでも最右翼でしょうから、聴いてい
てこれほど楽しい音楽はありません。とくにアップテンポの曲は、始まるとすぐ、体が揺れてきます。バラードも、ディキシーランド風にアレンジされると、明るく楽しい曲になってしまいます。ディキシーランド・ジャズもバカにしたものではないなと、再認識させられました。

ああ、しんど! 酷暑の広島で5日間の取材

今年の猛暑は常軌を逸していますが、8月16日から取材で訪れている広島の暑さも大変なものがありました。とにかく、日射しの強さといったらありません。サングラスなしではまぶしすぎてたまらないといった感じでしたから、往生しました。それでも毎日、市内のあちこちを歩きまわり、一昨日は、宇品にある広島港から江田島、さらに呉市へと足を伸ばしてきました。

L1050150 江田島はご存じのように、かつて海軍兵学校(将校を養成する教育機関)があったところです。その昔、私がまだ小学生だったころ、母親が「江田島の海軍兵学校は、全国から優秀な生徒が集まってきて、女学校に通う女の子のあこがれの的だったのよ」と、よく口にしていたことを思い出しました。実際、その敷地に入ると、なかには素晴らしいレンガ造りの校舎や講堂が当時のまま残されていて、いかにもといった印象を受けました。思わず絵葉書を買い、母親に送ってやったほどです。

海軍の将校というのは、世界的に共通することのようですが、頭脳明晰なだけでなく、マナーや社交術といった面でもきちんとした教育を授けていたようで、だれもが国際人として通用する力を備えていたといいます。太平洋戦争のさなかにあっても、ここだけは英語の教育が続けられていたことからも、それは理解できるでしょう。江田島も、校舎はイギリス人の設計によるものだそうですし、教育参考館はギリシャの神殿風、講堂の外壁には花崗岩を使うなど、とにかくお洒落な感じなのです。

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もちろん、お洒落なところで教育を受けたからといって即お洒落な人間に育つわけではありません。でも、教育というものの一指針を示しているような気はします。

L1050175 江田島からフェリーで20数分のところにある呉は、かの名画『仁義なき戦い』の冒頭のシーンが強く印象に残る、かつての海軍の街。同時に、戦艦大和など数々の軍用艦を建造した軍事産業のメッカでもありました。戦後、ここにもあったヤミ市が、昭和40年代初めまで続いた、ヤクザどうしの激しい抗争の出発点だったと思うと、不思議な感じがします。

映画で何度となく目にしているせいか、中通りの繁華街、また、それにつながる路地にあるスナックなどの飲食店を見ても、初めて訪れた場所とは思えません。深作欣二監督がこの映画で徹底的にリアリズムを追求したのが実感したしだいです。