竿燈は静かな祭━━と思っていましたが、どうしてどうして

●8月3〜5日は秋田県へ。竿燈まつり・さんさ踊り(盛岡)の時期と重なり、新幹線は満席です。そのうえ秋田県内に大雨が降り、盛岡から秋田に向かう「こまち」が運休に。盛岡駅前で、2泊する田沢湖の旅館が差し向けてくれたバスを待っていると、雨上がりの青空に岩手山がくっきり見えました。


●バスで1時間半、県道から脇にそれ、片側が高い杉、逆サイドが断崖絶壁の細い道を抜けると宿に到着。このあたりの空は、人里離れた山間[やまあい]に似つかわしく、”透明度100%”。その空に向かってそそり立つ木々の凛とした緑に、こちらの気持ちもさわやか度100%。


●4日の夜は秋田市で竿燈まつりを楽しみました。以前中国の大連で開催されたイベントで見たことがあるのですが、それは昼間で、しかも郊外の公園。でも、夜、都会の真ん中で繰り広げられる本来の竿燈はまったく別物でした。50個ほどの提灯をつけた、高さ12mの竹竿が一人の手、肩、腰、額に乗せられ屹立する様は、激しい動きこそありませんが、スリリングで迫力満点。


● 竿燈は静かな祭といったイメージがあったのですが、実際その場に身を置いてみると、その間違いに気づきました。時間の経過とともに気持ちがどんどん高揚、ずっとその場にいたくなるのです。演じる側のエネルギーが見る側にも伝わり、両者が一体となってそれがさらに強まるのでしょう。病魔や邪気を払う厄除け、五穀豊穣という地上の願いを天に伝える竿燈の意味合いを実感できました。(2022/8/6)

盛岡駅の連絡通路から岩手山をのぞむ。
雫石あたりを走るバスの中から。
地元の人も、こんなくっきりとした姿はなかなか……と語っていました。
バスの窓から見上げると。
2本の竿燈が連携して。
風にあおられ倒れてしまうことも。
繰り出した竿燈は280本。