母の母校は国の有形文化財になっていた!

●萩は、10年前に亡くなった母の出身地。高等女学校を出て間もなく、朝鮮半島の北西端、中国と国境を接する新義州[シニジュ]という町に一家で移り住みましたが、終戦後シベリアに抑留された父親(私にとっては祖父)を残し、母親(祖母)、弟(おじ)の3人で帰国したと聞いています。その母が通っていたのが明倫小学校。

●かつて藩校明倫館(1719年創立)があった場所に新築された(1935年)校舎で母は学んだようです。2014年まで使われていましたが、移転にともない旧校舎を修理保存、いまは観光拠点の一つになっています。せっかくなので、ツアー4日目、フリータイムを利用し見に行くことに。その前に、名刹東光寺にある祖父母のお墓参りもしました。

● 明倫小学校は外観からしていかにも由緒ありげ、国の登録有形文化財になっているのも納得です。現存する木造校舎としては日本最大規模だそうで、廊下の長さは90mも。復元教室も残されており、ここで母が6年間学んでいたのかと思うと、ウルウルしてしまいました。

●そういえば、我が母校愛知県立明和高校の「明」も、旧制明倫中学の「明」から採ったもの。その「明倫」は1783年に創立された尾張藩の藩校「明倫堂」に由来しています。どちらもルーツは同じというわけで、それもウルウルにひと役買っていたのかも。ちなみに、「明倫」は孟子の「人倫[じんりん]を明らかにする」という言葉から。それに少しでも近づくためにも、また旅に出ようと決めました━━な〜んて、こじつけですが。(2022/4/23)