「ラグビー」発祥の地に来ました!

2015年9月25日

L1040738

今日でチェルトナムとはお別れ。レンタカーで最初の目的地チッピンカムデンに向けて出発です。チッピングカムデンもコッツウォルズ地方の一角にある小さな町なのですが、ここに行きたかったのは、「近代オリンピック」の発祥と関わっているからです。詳しくは今年の初めに上梓した『語源に隠れた世界の歴史 世界史の重要知識もわかる!』(三笠書房・知的生きかた文庫)にも記しましたが、かのクーベルタン男爵が、古代ギリシャでおこなわれていたスポーツの祭典=オリンピックを復活させようとしたとき、それにちなんだ催しがあると知って訪れたのがこの町だそうです。

L1040771L1040773_2

L1040767中心部からクルマで4、5分ほど走ったドーバーの丘がその舞台。1612年といいますから、400年も前から「コッツウォルド・オリンピックゲームズ」という名前の競技会が毎年開催されてきたのです。もちろん、それよりはるか以前から同じような催しはあったのですが、それに「オリンピック」と名づけたのは、この町の牧場主で弁護士でもあったロバート・ドーバーという人物。会場となった丘もドーバーの所有地でした。

競技は「足のすねの蹴り合い」「綱引き」「障害物競走」などで、終わったあとは巨大な焚き火や花火が打ち上げられたといいます。ただ、実際は始まって30年ほど経ったころから廃れてしまい、最後は単なる飲めや歌えのバカ騒ぎになり果ててしまったとのこと。それでも、「オリンピック・ゲームズ」という名前で1852年までは続いていたようです。2012年のロンドンオリンピックのときは、聖火リレーがこの町を通過したそうですから、イギリスの人たちはいまでもこの催しのことを忘れてはいないのでしょう。

さて、その次はストラッドフォード・アポン・エイボン、シェークスピアの生誕地として有名な街ですね。高校1年のときに英語のサイドリーダーの教材が『ハムレット』で、その教師がこの町のことを何度も話していたので、私の頭の中にもその名前がこびりついています。

L1040797L1040785


さて、来てみると、まさしく世界的な観光地で、いろいろな国の人が歩き、さまざまな言葉が飛び交っていました。どこを見ても中世風建物が建ち並んでいるのですが、「いかにも」といった感じで、渋さというか手つかず感のようなものはほとんどゼロ。まあ、それだけ安心できるのは間違いないのですが。

ストラッドフォード・アポン・エイボンから、次の目的地ラグビーに急ぎます。文字どおりラグビー発祥の地で、高校時代からいつかは行ってみたいなと思っていました。私のごく個人的な趣味なのですが、こういう「□□発祥の地」とか「最〇端」とか「沿線で標高が最高の場所△△」という類の場所は大好きです。要は、“真ん中”が好きではないアマノジャクといいますか。家人にはまったくそういう趣味はないようですが。

L1040838ラグビーの町自体は大きくありません。しかし、ときがとき、W杯真っ最中のこととて、町全体にW杯を盛り上げる工夫がほどこされています。そのものズバリというラグビー校のグラウンドには自由自在に入れませんが、その芝生の美しさは感動的でした。ラグビー校というのはイングランドの貴族の子弟が通っていた学校(日本でいうなら私立の中高一貫校)ですが、規模とか設備を見ると、日本の大学並み、いやそれ以上かもしれません。

L1040854正面玄関前の路上には、これまでのW杯で優勝したチームのもっとも印象的な場面を撮った写真が並べられていましたが、どれも素晴らしい絵柄ばかり。
L1040855そういえば、私が初めてW杯を観たのは第2回(1991年・英仏で開催。宿澤&平尾のJAPANがこれまで唯一勝ったことのある大会)大会だったと、思い出しました。ちょうどヨーロッパへの出張があり、たまたまロンドンにいた私は、ウェールズ対西サモア(現在はサモア)の一戦を、ウェールズ・カーディフのアームズパークで観戦できたのです。試合は西サモアが予想を裏切ってウェールズに勝ちましたが、そのあまりのレベルの高さに驚いた記憶があります。いまと違いアマチュアだったので、当日、スタジアムで買えたチケットも安かったこと。それでいて、ほぼハーフウェーライン付近の、前から5、6列目という、いまならSS席でした。

L1040857すぐ近くに「ラグビー博物館」があるとガイドブックに書かれていたので、それらしい建物を一生懸命探して歩いてみたものの、なかなか見つかりません。仕方なく、ラグビー用品を売っている店に入ってみました。ところが、その店の奥が「博物館」だったのです。ラグビーが生まれた当時のボールとかジャージ(ユニフォーム)などが狭いスペースに展示されていましたが、これでは外をいくら探してもわからないはずです。ラグビーが誕生したときの模様を描いたテーブルクロスを買い求め、そこをあとにしました。

Dsc_0361ラグビーからはいよいよ今日の最終目的地ノッティンガムです。この町にやってきたのは、明日からの移動に便がいいのと、イングランド北部では数少ない、日本料理店(1989年創業)があると聞いていたからです。「HIGOI」という店でしたが、当日ホテルから予約を入れようとすると、すでに満席という答え。明日なら何時でも大丈夫だというのですが、明日はノッティンガムにはいません。そこで、「いや、私たちには今晩しかチャンスがありません。あなたの店に行くためにわざわざ日本からやってきたんです」と多少オーバートークを交えながら迫ると、「わかりました。夜8時半からならなんとかテーブルを用意します」との返事が。

ホテルからタクシーを飛ばして行ったところ、テーブルが6、7個ほどのホント小さな店でした。でも、おいしかったですよ。久しぶりの本格的な日本料理だったのでよけいでしょうが、これならメディアで紹介されているのもよくわかるという気がしました。デザートのどら焼き! まで完食し大満足。閉店まぎわだったので、店を出るとき、オーナーシェフにお目にかかりたいとお願いすると、わがままを聞いてくれるではありませんか。店の奥から出てきてくださった加藤さんはなんと、私と同じ愛知県・岡崎の出身だとか。一緒に写真まで撮らせていただき、店を後にしました。ホテルに戻ったのは11時前。

Dsc_0358