半世紀ぶりに訪れた大井と醒ヶ井──中山道バスツアー⑤

●昨日は馬籠宿から中津川宿を経由し、大井宿(恵那市)の旅館「いち川」泊。江戸時代は40軒ほどあった旅籠[はたご]のうち、いまでも続いているのはここだけなのだとか。夕食のときは、14・15・16代目の女将がそろって挨拶。客は私たちのツアー参加者だけ─それもおそらく久しぶりだったはず─でしたから、けっこう気合いが入っていました。
●今日は美濃路をさらに西へ。まずは、中山道三大難所の一つ木曽川の渡しがあった太田宿。幕末期に水戸天狗党の首領・武田耕雲斎も訪れたという本陣と脇本陣(国の重要文化財)をじっくり見学しました。木曽川もここまで下ると、川幅もぐんと広くなります。日本ライン下りの出発点で、小学生のとき家族で来たことを思い出しました。終点の犬山で下船し、川原で昼のお弁当を食べた記憶があります。お弁当といえば今日の昼食は、その名も「和宮御膳」。和宮が太田宿に泊まられたとき本陣で供された食事の一部を再現したものなのだとか。
●太田宿の次に訪れたのは垂井[たるい]宿。ここに立ち寄ったのは、たぶん時間調整のためでしょう。ツアーには、そうしたネックがあることを覚悟しておく必要があります。その次に訪れた醒ヶ井[さめがい]宿のほうがよほど見でがありました。この町に昔からある養鱒場を、中学生の頃だったか家族旅行で訪れたことがあるので、55年ぶりです。
●中山道をしのばせる建物などは皆無ですが、夏でも涼しさを感じさせるというバイカモ(梅花藻)が自生する清流=地蔵川の素晴らしいこと。「古事記」にも登場する透き通るような流れを見れば、旅人も疲れが吹き飛んだのではないでしょうか。醒ヶ井から大津のホテルまでは、夕刻にもかかわらずすんなり。夕食は滋賀県が本家のチャンポン亭で済ませました。(2021/4/14)

Facebook Post: 2021-04-16T21:23:00