天守外観の復興が成った熊本城

2019年10月8日
昨日・今日はラグビーW杯の観戦もOFF。連泊した熊本で昨日はゆっくりさせてもらいました。といっても、日がな一日ボーッとしていたわけではありません。熊本からJR九州の数あるユニークな列車の中で以前から気がかりだった特急「A列車で行こう」に乗り、三角【みすみ】というところまで行ってみました。最終目的地は三角からタクシーで5分のところにある三角西港という世界文化遺産です。

「A列車で行こう」というのはなんともユニークなネーミング。ご存じ、チョー有名なジャズナンバーのタイトルをそっくり頂戴したものです。列車自体はとりたててジャズと関係があるわけではなく、「A」は「天草(Amakusa)」の「A」に由来しているよう。ただ、
列車自体のデザイン、とくに内装がとてもユニークだというので、話題になっているようです。水戸岡鋭治のデザインとあれば、それも理解できます。2両編成で、1両は座席のみ、もう1両は一部がバーカウンターになっており、ドリンクのサービスがあり、さまざまなグッズも売られています。私も、車内アナウンスに誘われ、昼ご飯前だというのに、デコポンのハイボールなんぞを飲んでしまいました。

「A列車」の売りはもう一つ。窓からの景色です。途中、三角行きの進行方向右側に、干満の差が日本一と言われる有明海の御輿来【おこしき】海岸が見えてきます。潮が引いたときの砂浜には美しい模様が見えるのです。列車もそこに近づくと速度を落として走ってくれるので、写真もゆっくり撮れます。私たちの乗った10時36分熊本発の列車は、ちょうど行きのときに干潮になっていたようで、なんとも不思議な模様が見えました(帰りは潮が満ちてきたため、フツーの海岸に戻っていました)。

終点の三角駅はその名、というか文字のとおり、駅舎に「三角形」があしらわれ、ユニークなデザインになっています。そこから三角西港まではすぐ。そのあたりは、突然明治時代にタイムスリップしたかのような風景が見られます。三角西港は明治初期から半ばにかけて整備された港で、設計者はオランダ人土木技師ローウェンホルスト・ムルデル。当時の最新技術を用いて近代的な港湾都市が造られました。熊本県にとっては、海外貿易が可能な初めての本格的な港だったそうです。港の発展とともに、道路沿いに2階建ての商店や旅館が立ち並び、埠頭沿いには白壁の倉庫群が続々と建てられました。

ムルデルは明治政府のお雇い外国人の一人で、三角西港の設計以外にも、新潟港の築港・信濃川改修、東京港の築港、富山県の河川改修、児島湾の干拓、広島港の築港、鬼怒川【きぬがわ】・富士川の治水、大阪港の改修・淀川治水、下関港の整備、利根運河の開削など、全国各地で築港、港湾整備、河川改修、治水事業に関わったとのこと。

三角西港一帯には当時建てられた洋風の建物がいまなおいくつか残され、けっこう観光客も訪れているようでした。ここからさらに天草に足を延ばす人が多いようです。

 

三角西港から熊本駅まで戻ると、駅構内にもあちこち「ラグビー」が。人気のクマモンもJAPANのジャージを着ていました。ホテルに戻ろうと、市電に乗って熊本城の前で下車、ちょっと立ち寄ってみました。W杯の開催に合わせるかのように天守閣外観の修復が完成したことで、特別見学会が10月5日から始まったのです。実際、フランスなど外国人観光客の姿も目立ちました。

これまでニュース映像や写真でしか見たことのなかった地震の爪痕が、3年以上経ったいまなお生々しく残っているのにまず驚かされます。被災直後は、いったいどこから、どう手をつければいいのだろうか、途方に暮れたにちがいありません。しかし、その復興の大きなポイントは天守閣の復旧にあるようです。天守閣や宇土櫓【うとやぐら】がよく見える加藤神社(全国でも珍しい名前の神社。加藤とはもちろん、熊本を築いた加藤清正のこと)の境内から見ると、完了までにはまだまだ時間がかかりそうなことがわかります。ほかの櫓はもちろん、天守を囲む堀にも、大きな石垣が崩落したままの状態で、地震のすさまじい破壊力を改めて実感しました。

ちなみに、ホテルに戻り、部屋のカーテンを開けてみると、なんと先ほど見てきた天守閣の姿が──。でも、遠目に見るのと、間近でから見上げるのとでは、この段階ではやはり違うように思いました。