“日本ラグビーの父”のお墓は神戸に

2019年9月27日
今回のラグビー観戦取材「第一シリーズ」も明日で最後。今日はオフの日です。明日の朝まで神戸なので、ゆっくりもできたのですが、一つ果たしたいことがありました。六甲山の中腹、再度【ふたたび】公園の一角にある神戸市立外国人墓地に、ラグビーを日本に伝えたイギリス人の墓があると知り、そこを訪れてみたいと思っていたのです。

エドワード・ブラムウェル・クラーク(Edward Bramwell Clarke)は、横浜生まれのイギリス人英語教師で、慶應義塾、第一高等学校、東京高等師範学校、第三高等学校、京都帝国大学などで教鞭をとりました。いったんイギリスに戻りましたが再び来日、慶應で教壇に立っていた1899年、ケンブリッジ大学留学から戻った田中銀之助の協力を得ながら、学生たちにラグビーを指導したことから、「日本ラグビーの父」とされています。その後クラークは京都に移りましたが、有馬温泉にも足を運ぶなど、神戸との縁も深かったようです。

再度公園の一帯は多くの松が生え、中にある池とあいまって、美しい空間を作っています。墓地の入口まで歩いていったのですが、残念ながら親族や遺族など関係者しか中には入れないようで、展望台からながめることしかできず。14ヘクタール広大な墓地のどこにクラークが眠っているのか、想像するしかありませんが、見つけるのは難しそうです。とりあえず、タウン誌『月刊 神戸っ子』のウェブサイトに墓石の写真が出ていたので、転載させていただきますが、毎月一度見学会が催されているようなので、いずれそれに参加してみようと思います。

 

六甲山から再び神戸の街中に下り、夕食。横浜のときにならい、元町近くの南京町でまたまた中華。ひいきにしている「民生」という店でお腹いっぱいに。これだけ食べてパワーをつけておけば、あすのJAPANvsアイルランド戦@エコパスタジアムの応援にも力が入るはずです。