こんな近くに「世界遺産」が!

2019年2月11日
沖縄の拠点は首里にあります。いまでこそ那覇市の一部になっていますが、もともとはまったく別の町。首里には王宮が置かれていたのに対し、那覇は港町で、琉球王朝と明との貿易拠点として栄えました。首里のほうは、小社の分室がある寒川町はじめ、山川【やまがわ】町、桃原【とうばる】町、赤平町、当蔵【とうのくら】町、儀保【ぎぼ】町など、いまは全部で19の町から成っています(このうち平良町、大名【おおな】町、末吉町、石嶺町は厳密には首里ではなかったようです)。

今日は、最近すっかりハマっている『王都首里見て歩き―御城と全19町ガイド&マップ』(古都首里探訪会編・著)を片手に出かけてみることに。目的地は崎山町で、首里城がある金城町のすぐ隣。城は首里でもいちばんの高台にありますが、それとほぼ同じ高さで続いている一角です。琉球王朝時代は、鳥堀町、赤田町とともに泡盛の製造を許可された地域の一つだといいますから、それなりの権威もあります。

行ってみると、まず見晴らしのよさに驚きます。王朝時代は、城下の町並みがすべて見渡せたのでしょう。「御茶屋御殿【うちゃやうどぅん】石像獅子」とか「儀間真常【ぎましんじょう】の墓所」など、由緒を感じさせる事物やスポットがいくつもあります。 儀間真常(1557~1644)は「琉球の五偉人」の一人にも数えられ、サツマイモ栽培を広めたり、木綿の栽培と織物の技術、(黒)砂糖の製造と普及に努めたりなど、琉球王国の産業の基礎を築いた人物です。

そんな儀間の墓所が、住宅の立ち並ぶエリアの一角にあると、先の本にも書かれています。かなりアバウトなマップなので分かりにくいのですが、細い階段を下りて行ったところにあるよう。これでは、観光客が訪れたりすることはまずないでしょう。しかし、誰かが墓守りをしているのか、花も供えられていました。「御茶屋御殿」は王府の別邸で、火災などの災厄から守るために獅子の石像が置かれていたといいます。

   

こんな近くに「世界遺産」の一部を構成するものがあったなど、夢にも思いませんでしたが、それだけに、これから先も、行ったことがない場所・じっくり見たことがないものを探しに出かけようという探求心がくすぐられた次第。