「バルト3国」とひとくくりにするのは無理があるかも

2019年7月9日

昨日が今回のツアーも実質最終日。それでもタリンを出るのは午後なので、午前中は家人と二人でゆっくり見て回ることができました。昨日の街歩きでは足を踏み入れなかったエリアを中心に歩きます途中、次から次と、「世界遺産」に指定されている建物と遭遇。これまでタリンは2回訪れたことがあるのですが、町全体の様子がようやくつかめた感じがします。

 

3月に訪れたノルウェーもここからさほど遠くはないものの、雰囲気や香りはまったく異質です。フェリーに乗って1時間も走ってバルト海を渡ればフィンランド。町の看板などを見ると、そこに書かれている言葉はフィンランド語とごく近いことが見て取れますが、空気はビミョーに違います。エストニアはエストニア、フィンランドはフィンランドなのです。バルト3国を「北欧」に含めるのはむずかしいかもしれません。

しかも、南隣のラトヴィア、さらにその南にあるリトアニアと比べても、違いがあり、「バルト3国」とひとくくりにしていいものなのか、にわかに判断できません。ただ、この3国に共通するのは、第2次世界大戦が始まって間もなく旧ソ連の支配下におちいり、戦後もずっとそれが続いたこと。そして、民族の自立が奪われ、文化も抑圧され、言葉さえ奪われてしまったことです。そのことに対する怒りは当然、ずっと燃え続けていたにちがいありません。しかし、その表現のしかたはそれぞれで、最終的には3国すべて旧ソ連の支配からは脱することができましたが、いま歩んでいる道はそれぞれ異なります。そして、これは「3国」をいっぺんに訪れないと見えてこないように感じました。私たちは幸か不幸か、エストニア(といっても首都だけ、それもほんの一部ですが)に2回来ており、ほんの断片しか見ていませんでした。しかし今回、駆け足とはいえ「3国」をいっぺんに訪れ、そうした歴史的背景や文化的な基盤を目の当たりにすることができ、本当によかったと思います。

 

これで、この3国を語るときけっして抜きにできないポーランドを訪れてみると、また別の受け止めもできるように思えます。いつの日にか、ポーランド、さらには、リトアニアと地続きでありながら、いまなおロシアの飛び地になっているカリーニングラード(ケーニヒスベルク)にも足を運んでみたいものです。ケーニヒスベルクは北方十字軍の時代、ドイツ騎士団によって建設された町で、その後長らくプロイセン公国の首都でした。バルト海に面する不凍港として、ロシアはのどから手が出るほど欲かったところだったため、第2次世界大戦が終わるとすぐ、その一部を領有化することに成功し、いまもその状態が続いています。3国を取り囲むどの国も例外なく、ロシアに、ポーランドに、スゥエーデンに、デンマークに、またドイツに長い間影響を受けながらも、独自性を保ってきたことの意味。地続きで国境を接することの意味を改めて考えてみる必要がありそうです。

 

最後に。タリンの空港もコンパクトですが、機能性・利便性にかけてはかなりレベルが高いように感じました。ターミナルビルの真ん前までトラムが来ているのが象徴的。中も明るく広々としています。空港内では利用者ならだれでも、無料のWi-fiが提供されているといいますし、この国で開発されたスカイプ(Skype)のブースが設置されていました。

この空港はACI(国際空港協議会=国際空港の管理者の団体で、179カ国・地域にある1650の空港を運営する580団体が加盟)が毎年実施している「利用客が選ぶ優れた空港」部門で、2018年、ナンバーワンに選ばれた(年間利用客500万以下のカテゴリー)のも納得できる。当然、成田空港のように、ゲートまで行く通路が前面カーペットで覆われているようなこともありません。キャリーケースを引きながら歩く旅行者にとってあれはホント迷惑なんですね。カーペットを敷き詰めていいのは、せいぜいラウンジくらいのものでしょう。空港というのは豪華である必要はまったくありません。使い勝手がよくてナンボなのですから。これからますます発展していきそうなこの空港に、ぜひまた降り立ってみたいものです。