圧巻のひと言! 「歌と踊りの祭典」

2019年7月7日

朝7時半にパルヌの町を出発、バスに2時間半ほど揺られ、3カ国目エストニアの首都タリンにやってきました。途中、小雨が降り出し霧が出てきたときはホント心配になりましたが、到着したときはすっかり雲が消え青空が。午前中は、旅行会社が用意してくれた、今回の目玉「歌と踊りの祭典」の「踊り」部門の出演者と交流するプログラム。会場は、さすが4つ星ホテル、ゴージャスなヒルトンです。

 

「歌の祭典」は1869年に始まり、そのときはオーケストラと合唱団が合わせて51、参加者は845人だったといいます。1934年から「踊りの祭典」が加わり、その後は不定期開催。それが5年に1回」となったのは1990年(第22回)から。ベルリンの壁が崩壊したその前年、エストニア、ラトヴィア、リトアニアの「バルト3国」では、「独立」の波がいやおうなしに高まります。そして、旧ソ連から「独立を回復」したのが翌1991年8月でした。

エストニアでは、「歌」は、それぞれの人生にとって、また社会全体にとって、とてつもなく重い意味があるようです。”singing revolution”=「歌う革命」によって、この国の人々はラトヴィア、リトアニアとともに、旧ソ連から自由を勝ち取りました。エストニアでは一滴の血も流されなかったといいます。

映像や写真で見るのと違い、各人が身に着けている民族衣装の素晴らしいこと。デザイン的にはごくシンプルなのですが、どの人の衣装も、それぞれの出身地域や出自が反映されているそうで、強い印象を与えます。女性のスカートのストライプ、ブラウスの形や模様、柄、またベストのデザインや色合い、スタイルによって、その人がどの地域の出身なのか、即座に分かるとのことでした。

私たちの質問にうれしそうに、また丁寧に答えてくださる様子から、5年に1回開かれるという今回の祭典に対する並々ならぬ思い入れが感じられました。現地ガイドの女性の日本語ははなはだつたないものでしたが、それでも出演者の気持ちはひしひし伝わってきました。東京オリンピックに出場する選手以上の熱さとでもいいますか。エストニアの人たちにとってこの祭典に出場するのはなんとも誇り高いことなのでしょう。

ヒルトンホテルを出て、旧市街の中心部「ラエコヤ広場」近くにある老舗レストランで昼食。大きな店とあって、私たちのテーブルに17人、すぐ隣にはおよそ40人、後ろにも40人、さらに別室にも20~30人ほどの団体が。しかも、すべて日本人です。少なく見積もっても100人近くの人が日本からやって来ているのですね。一瞬、ここは日本か? と錯覚しそうになりました。

ランチを済ませるとバスに乗り、郊外にある「歌の広場」へ。周辺は人、人、人、車、車、車、バス、バス、バスで、道路は大渋滞。会場に入っても、人であふれ返っていました。私たちの一行は1等席、しかもイスにすわって聴けるとのこと。地元の人は皆、芝生の上にそのまますわっています。家族連れ、カップル、出演者の近親者とおぼしき人たち、外国から帰国してきたエストニア人など、それこそ千差万別。その数合わせて、なんと9万人以上だそうです。そのうち出演者が3万5千人といいますから、それも当然かも。エストニアの全人口は140万足らずであることを考えると、とてつもないイベントであることがわかるでしょう。

何よりも、こういう場所があることにまず驚きました。会場に奥に設けられている野外ステージも度肝を抜く大きさ。少年少女たちによる合唱のときはなんと7000人近くの人(+オーケストラ)が上がるというのですから、想像してみてください。これだけの人数の歌声を──しかも合唱ですよ!──ひとまとめにすること自体、至難の業でしょう。ステージの橋に立つ少年少女から指揮者の動きを見るのも大変そうですし。

開会時間の午後2時ちょうどに到着したのですが、現地ガイドの不手際というか、事前のリサーチ不足というか、入り口を間違えたようです。結局、席にすわるまで30分以上も、人ごみの中を歩かされたのは残念でしたが、ステージには数百人から数千人の歌い手が入れ代わり立ち代わり上がってきます。そして、15分ほど歌い次の演目にという流れなのですが、歌によっては、聴衆のほうも一緒に歌ったり手拍子を送ったりと、言葉では表現できない一体感が伝わってきました。なかには、全員が口ずさんでいる曲もあり、ひょっとすると国歌かと思いきや、実際は違ったりします。それにしても、これだけの人数がそろってアカペラで歌える曲がいくつもあるというのも大きな驚き。日本にそういう曲があるのかなぁとふと考えたのですが、『ふるさと』くらしか思い浮かびません。それだって、1番はともかく、2番、3番となると、ソラで歌詞が出てくるかあやしいものでしょう。

 

私たちが会場にいられるのは午後5時半まで。それから夕食を済ませホテルに戻ったのは8時を回っていましたが、テレビのスイッチを入れるとまだ中継が流れていました。結局終わったのは10時を回っており、なんと8時間以上も続いていたことになります。しかも、朝からずっとCMなしで中継していたようですから、これもまたすごい! その夜遅く、EURONEWSのニュースでも報じられていましたので、ご参考までに。
https://www.euronews.com/2019/07/08/tens-of-thousands-of-estonians-perform-mass-folk-singing